星とカワセミ好きのブログ

2020.08.14
XML
私の父方の祖父は、山口県柳井市で農家をしていました。
江戸時代、岩国城主・吉川家による年貢の取り立てがあまりに厳しく、飢饉で自分たちの食べ物さえ無い状態になり、祖先は年貢の取り立てを緩くしてもらうよう訴えを起こしました。ところが一揆とみなされ、祖先ははりつけで処刑されました。
生き残った農民が村に石碑をこっそりと作り、それが残っていることが郷土史の本に書いてありました。

小学校の頃、夏に父方の田舎に行くと、祖父、父、叔父が色々な話をしてくれました。
今でも印象に残っている叔父の話を書きます。
山口県光市には海軍工廠(かいぐんこうしょう)があり、戦時中は軍事用品を作っており、叔父も学徒動員として毎日働かされていました。1945年8月14日、叔父は仕事がいやになり、こっそり工場を抜けて、海軍工廠近くの海岸で魚釣りをしていたそうです。すると昼頃に急に米軍B29爆撃機の編成隊が海軍工廠に爆弾攻撃をし、工場はほとんど壊滅し、700人以上の人が亡くなりました。
叔父はたまたまその日、工場を抜けて助かりました。もし働いていたら死んでいた事でしょう。

祖父の家の山側に、人が一人入れる穴があります。祖父が何年もかけて、毎日少しずつ掘り進めた穴です。ひと山越えた向こう側までトンネルを通す計画で、米軍が攻めて来たとき、家族が逃げられるようにしたかったそうです。穴はかなり奥まで伸びているそうですが、入り口は蓋をしています。

田舎の近所で、死んだ人の幽霊が時々立つ場所があります。祖父はその幽霊に会うと、「おまえはもう死んだのだから成仏しろ」と説教をするのに、なかなか成仏しないとぼやいていました。

下の漫画ですが、私の父親から聞いた本当の話を、学生の頃に漫画にしたものです。
学校から帰る途中の共同墓地を通ると、よく火の玉を見て怖かったそうです。火の玉は結構移動するらしく、家の屋根に落ちたら、必ずその家に不幸があるとして恐れられていました。






































お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020.08.29 19:59:27
コメント(0) | コメントを書く
[国内旅行(中国地方)] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: