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まだまだ続く東海道旅行記
2月12日、夜明け前の関宿を出発して夜明けとともに夢の関宿を西の出口から出ると国道沿いに一軒のコンビニが有った。
天気予報はこの先、12日、13日、14日と曇りか晴れ。雨は降らないと出た。その日は鈴鹿越え、箱根峠に次ぐ難所である。JR関西線は鈴鹿峠を大きく迂回して、東海道から離れる。峠の関側も峠を越えた土山側も過疎なのかバスが極端に少ない。東海道完歩者のどのホームページを見ても大変なコースであるようだ。
もしもの時に助けに来てくれるスーパーマン(ブログ友の ringoさん )の電話番号を握り締めて、荷物は最小に身軽になって、ということで、コンビニでいらない荷物を家に送った。
昨日の雨具上下、そして夫は傘までも。いいの? 送っちゃって?
バスは日曜日は運休。幸い12日は金曜日。しかし午前中は7時の一本だけ。歩けなくなったらどうするの?
そしてバスは坂下宿で無くなる。峠のあちら側熊野神社まではなんとしても自分の足で歩かなければ・・。
標高はだんだん高くなる。一気に山に向かって道は続いて登って行く。片山神社入り口で坂は急に険しくなる。斜度がすごい。エッチラオッチラ。
え?あれ? 急な登りになって30分もしないうちに森の中に鈴鹿峠の標識。峠はあっけないほど急に終わった。
峠を越えると後は長い長い下りの道が土山宿を通って水口まで続く。
あれれ、空から何か白いものが・・・。雪?しーらない、傘送っちゃった人は誰かしら。私は持っている。
こんな風景の中をこんな国道一号線があり、車がびゅうんびゅうん通っている。我らはほとんど旧道を歩く。国道を走っている車のほとんどが地域とは関係ない人々の車だ。この辺のお年寄りたちはどうしているのだろう。車の無い人たちはどうして生活しているのだろう。たくさん歩いてやっと土山宿に辿り着く。私が過疎の村と思っていたのと違って、家もたくさんあるし、お年寄りの姿も子供の姿も見かける。だけど、バスの本数が極端に少ないのだ。
甲賀土山(そう!忍者の里だ!)はお茶が有名なんだそうだ、国道と旧東海道がクロスする地点の道の駅で買ったお茶のお饅頭。
食事は珍しく旧道にあるお蕎麦屋さんで食べた。
鴨南蛮。実はそこは東海道の旅人がみんな立ち寄る所らしくたくさんの東海道関係の本や資料が置かれていた。私達もプリントアウトしてきたご主人の10年前の(私達はずっとこの10年前歩いた人の記録を頼りに歩いてきたのだった)写真を見せ、1時間近くも東海道談義をしてしまった。そこはとても居心地がいい場所だったが、先を急ぐ旅人には危険だ。居心地が良すぎて時を過ごす浦島太郎の気分。
土山から水口宿は、峠のようなアップダウンは無い平坦な道ながら、だらだらと長い長いいやになる。足が疲れて棒のようになって来た。信号待ちの間ちょっと石垣に座ろう。
「知らないよ、いったん座っちゃて青になって立てなくても」
その通り、青になってもすぐには立てなかった。足が歩く形に固まってしまっていて、他の形は取れないのだった。
学校帰りの子供達が皆声を掛けて来た。
「ただいま」
私は「お帰り」と答えた。「それおかしいんじゃない?」夫が言う。「僕達ここの住人じゃないから」
「じゃあ、こんにちは?ただいまと子供が言ったんだから、お帰りでいいんじゃない?相手にはよそ者か土地者かわからないんだから、答えないのはもっと悪いし」
しばらく挨拶について話しながら歩く。
子供達も、自転車の中学生も、座って話していた大人たちも、みんな私達に挨拶をしてくれた。とても気持ちのいい街だった。
夕方、水口の宿に無事到着。ホテルから保険を掛けて待機してくれていた ringoさんに 、無事の到着を電話で知らせた後、お風呂に入って、ホテルで夕食。
水口は何も無い町だと思っていたので、疲れて外に食事に出られないいことを考えて、ホテルに予約しておいた夕食はフランス料理フルコースだった。
東海道にフランス料理?まあいいか。宿泊セットだったから。
無事に鈴鹿峠を越えられたことを祝って。でも明日のことを考えてワインは無し。コーヒーだけ。