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少し前の天気予報では、今日は雨ということでしたが、昼から晴れてきました。明日は、どうも雨らしいですが、いい天気の連休でよかったのではないでしょうか。といっても、私は相変わらず同じような生活をしています。こないだの日曜日は、琵琶湖に行ってきました。手伝ってる大学ヨット部の新人勧誘試乗会の手伝いです。10時前が集合時間でしたが、9時頃学校の正門に着きました。正門横に車を停め、吉田神社の方を見ると、鳥居の下でボーイスカウトの親子が写真を撮っています。何処から来られたのかわからないが、結構早くから活動しているのですね。長男も小学校の時、ボーイの下のカブスカウトに入っていたけど、いつも10時ぐらいに集合していたように記憶している。正門では、女性2人が守衛さんとなにやら話をしている。聞こえてくる言葉は日本語ではありませんでした。韓国から大学の講演か何かで来られたようですが、会場が違っているようです。「タクシーを呼んでいただけますか?」と日本語ガイドを見ながら、守衛さんに言われた。「ほんとに呼んでいいのかなあ?」なんて守衛さん同士がしゃべってる。電話をかけ、正門で待ってると、広い通りから目ざとく見つけて、こっちに入って来るタクシーがありましたが、呼んだタクシー会社のじゃなかったようで、「NO.NO.」って韓国の方に乗らないようにジェスチャーしてる。「だから呼ばない方が、よかったよね」とまた同僚と話してる。続いてタクシーが止まり、観光客かな?お母さんと中学生ぐらいの息子さんが降りて来られた。「あれが時計台だ」とやはり観光ガイドを見ながら、写真を撮ってる。観光都市京都の隠れた観光スポットなのかもしれない。同志社の新島譲は、もっと観光客が多いのだろうな。その帰りのタクシーにも、乗らないように韓国からのお客さんに言ってる。路上駐車をいけないので、話の腰を折って申し訳ないと思いながら、校内への乗り入れを伺った。日曜日で車も少ないようで、「すぐ出られるんでしょう。いいですよ、どうぞ」ということで、時計台前に車を入れ、時計台内にトイレを拝借しに入りました。前身でもある旧制高校資料室という部屋が出来ており、時間つぶしに覗きました。戦後までの変遷が順序良く説明されており、学徒出陣の写真も飾られていました。大勢の若者が出征していかれたのだなあ・・・全国で多くの若者達が行かれた。私や息子達がその中にいなかったのは、歴史の偶然としか言えないな、なんて思いました。今の学校の校風の基礎を作ったと言われている初代校長先生像が飾られていました。風格のある立派なブロンズ像ですが、これが本物かと思うと、妙に感激で・・・いや半分笑いがこみ上げてきました。毎年とっぴな落書きをされ、最近は校庭から保管室に移動された、ここ数年、張りぼての先生像が入学試験前の時期になると登場して、新聞紙上をも賑わす話題になっています。去年は「梅干食べてスッパマン像」で登場し、ちょうどこの時期「なんじゃこりゃ~」と驚かせてもらいました。この時期ここに来る楽しみの1つになっていますが、これがほんまもんや~。毎年、1年持たずに朽ち果てる運命のようですが、今年は2ヶ月で既に不燃ごみ行きになってしまったのか?いつもの場所に建っていませんでした。今年は「ポコちゃん」(不二家のマスコット・ペコちゃんのボーイフレンド)というタイムリーな先生像が登場したと情報は仕入れていたのに、実物が既になく大変残念です。時計台前に出ると、集合場所のクスノキ下に、数名の新入生が集まってきてくれています。留学生なのだろう白人さんのペアもいます。男の子が流暢に日本語をしゃべっています。そういえば、次男君の下にスウェーデンからの留学生が、帰るまでの半年間入部していましたっけ。次男君が彼の担当になっていて、ミーティングなどで通訳まがいのことをしていました。レーシングでの成績も大事だけど、こういうものって、人生にはもっと大きな意味があるように思います。学校のクラブだから、生徒さんはみんなウェルカムで、そこに集まるメンバーによって、いろんなチームやクラブが出来上がる。毎年別のチームができるのが、面白いところです。「ヨット部試乗会」の看板に集まってくる生徒さんを見ていると、「・・さんですか?私・・です」と、私の名前を呼びかける新入生が来た。?、受付はあっちなんだけど、?、とちょっと面食らっていると、「私、・・の息子です」。「ああ、お父さんから聞いてるよ。おめでとう」。彼は、私の中学1年からの友人の息子さんでした。今でも毎年年明けに集まっている同級生メンバーです。今年は、その日程が息子君の受験日と重なり、「何が出来るわけではないけど、家で迎えてやりたい」とお父さんはお休みでした。「残念だけど応援してるし、吉報を待ってるぞ」みたいな連絡をしました。後日、「受かった~、息子さんの後輩や、ホッとした~」と連絡をもらい、すぐにそれを肴に夜中ファミレスでダベりました。今年初めて参加した試乗会で会えるなんて、かなりラッキーです。「あいつ、無口な息子とか言ってたけど、きちんとしてるやんか」。わが子の本当の姿が見えないのは親ばかりなりです。第1陣として、新入生を7人乗せ艇庫に向かいます。自己紹介して、ヨットのことを話しながら・・・京都のいい天気を見ていると、はたして風が吹くのか?疑問でしたが、比叡山を越えて眼下に見えてきた琵琶湖には、しっかりブローが入っています。白い帆がポツポツ走っています。「これから乗ってもらうヨットは、あの白く見えるのだからね・・・」
2007/05/05
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今、「宇喜多直家」を読んでいます。備前の戦国武将で、播磨・備前・美作の守護だった赤松氏を下克上してのし上がった浦上氏を、これまた下克上してのし上がった武将です。去年、家内と自転車で吉井川沿いを走ってて偶然、浦上氏の居城天神山城の横を通りました。素人目にもかなり急峻な地形を利用しており、こりゃ難攻不落だなあと思い、浦上氏に興味を覚えました。調べてみると、あの宇喜多直家は浦上氏の被官でした。武将にはいろんな方がいます。平将門や上杉謙信は、知略で戦術を練り、日頃鍛錬で鍛えた精鋭兵士軍で兵力差を跳ね返す正攻法です。僕には、この型が一番かっこよく見えます。織田信長や秀吉は、戦闘が始まる前に相手方を調略し、自軍有利の構図を作って戦闘に入るタイプ。これらに対し、謀略タイプの武将がいます。商人から成り上がって、後北条氏を作った北条早雲。同じく油売りから成り上がった美濃の斎藤道三。三好氏の被官から成り上がり、室町将軍を暗殺し、東大寺を焼き、最後は信長に攻められ信貴山城天守閣で自ら爆死するという破天荒の生涯を送った松永久秀。そして最後に、この宇喜多直家です。読んで最も面白いのが、この謀略タイプです。流言・調略は多くの武将がしますが、だまし討ち・下克上を生き残るためとは言え、平気でやってのけます。宇喜多直家は、自分を家来に加えてくれた浦上氏を下克上し乗っ取りますが、本妻の実家の城を攻め舅を抹殺し、自分の本城とします。これで、本妻は自害。祖父が攻め落とせなかった堅城の嫡男に娘を嫁がせ、自分への油断をついて城を攻め娘婿を抹殺し、自分の出城にします。これで娘と孫は自害。知略・謀略、何でも使い、自軍兵の損害少なく大きな成果をあげていきます。この直家をとんでもないひどいヤツと書かないところが、作家の腕。興味深く読んでいます。サブタイトルに、「秀吉が恐れた希代の謀将」となっていました。ちょっと読んでは、地図を広げ、岡山の山城の本をめくり、エア山城攻略して楽しんでいます。明日は、またグループツーリングに申し込んでいたのですが、雨が降るということで中止になってしまいました。で、宇喜多直家が活躍した備前を通過し備中を目的地に、ソロツーリングするかなあと考えています。高速で一気に目的地まで飛び、地道で備中・備前・播磨の海岸線を探索し、時間と空模様と相談しながら、適当なところから高速に乗って一気に帰宅というのはどうだろう。
2011/02/26
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