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この八十宮さまは、当時僅か七才の七代将軍・家
継の嫁として、更に幼い身、二才ながら婚約させ
られた皇女でした。
享保元(一七一六 )
年二月五日、京で結納の儀式が
挙行され、幕府からは老中阿部豊後守正喬一行が
上洛しました。
献上品は緞子百巻、色絹・練絹各百反など五種五
荷、帝や公卿にも多数の品々が献上された由。
ところが間もなく風邪をこじらせた家継が四月三
十日に逝去。
悲報に接した霊元上皇の胸の内は、悲喜交差し戸
惑うご心境だったと思われます
と言うのも、既に八十宮吉子内親王は、七代将軍
家継の正室として徳川の系譜に組み入れられてい
たから。
幕府は宇治・紀伊・葛野三郡から年五百石を終身
御料に進上していたので、
江戸輿入れも入籍も果たさないまま生涯貞節を強
いられる結果となりました。
事実、吉子さまは一度も見(まみ)えることのな
い婚約者への貞節を守り続け、
九代家重の宝暦年間、四十五才の生涯を終えられ
た。ご法名は浄淋院。合掌。
(参考図書「江戸城大奥100話」安西篤子監修)