しぐれ茶屋おりくの部屋

しぐれ茶屋おりくの部屋

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

しぐれ茶屋おりく

しぐれ茶屋おりく

Calendar

Favorite Blog

夜明け前の 少女達 New! 柳居子さん

笹鳴き句会 11月14… PILOT1752さん

「恋心」「人魚姫」… 47弦の詩人さん

サツマイモ 月の卵1030さん

マルツ秋葉原店のジ… Aちゃん22さん

Comments

やすじ2004 @ Re:わが心の故郷・クレハ・ホームソング(10/14) こんにちは、お疲れ様です 季節の変わり目…
4次元ゴンベ@ Re:クレハ ホームソングはわが家のお宝♪(03/18) 私はYOUTUBEにてホームソングの音声化を企…
しぐれ茶屋おりく @ Re[1]:「長慶子」を残した藤原実資。(06/30) やすじ2004さんへ ありがとう御座います。…
やすじ2004 @ Re:「長慶子」を残した藤原実資。(06/30) こんにちは、お疲れ様です 湿気が高かった…
やすじ2004 @ Re:不便さと怖さと。(06/12) こんにちは、お疲れ様です 暑さに気をつけ…
2024.06.29
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

​​
軍・家茂に降家召された和宮親子内親王のことは
遍く知れ渡っていますが、

徳川幕府が政治介入を恐れたほど英邁な霊元上皇
の皇
女・八十宮(やそのみや)さまをご存知でし
ょうか?

 この八十宮さまは、当時僅か七才の七代将軍・家
継の嫁として、更に幼い身、二才ながら婚約させ
られた皇女でした。

 享保元(一七一六 ) 年二月五日、京で結納の儀式が
挙行され、幕府からは老中阿部豊後守正喬一行が 上洛しました。 

 献上品は緞子百巻、色絹・練絹各百反など五種五
荷、帝や公卿にも多数の品々が献上された由。 

 ところが間もなく風邪をこじらせた家継が四月三
十日に逝去。

悲報に接した霊元上皇の胸の内は、悲喜交差し戸

惑うご心境だったと思われます  

 と言うのも、既に八十宮吉子内親王は、七代将軍
家継の正室として徳川の系譜に組み入れられてい たから。     

 幕府は宇治・紀伊・葛野三郡から年五百石を終身
御料に進上していたので、

江戸輿入れも入籍も果たさないまま生涯貞節を強
いられる結果となりました。  

 事実、吉子さまは一度も見(まみ)えることのな
い婚約者への貞節を守り続け、

九代家重の宝暦年間、四十五才の生涯を終えられ
た。ご法名は浄淋院。合掌。

(参考図書「江戸城大奥100話」安西篤子監修) 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.06.29 08:47:28
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: