おしゃれ手紙

2022.06.27
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カテゴリ: 国内旅行

(▲赤レンガのレトロな建物「ランプ」)
(2020年に書いていたblogで、アップしていなかったから、今日、アップしよう。)

外出もままならない状態なので、過去の写真の整理をしている。
この写真は、■ 2016年 ■に行った岡山県津山市。

撮っていた写真の「安田橋」をもとに調べてみるといろいろ分かって楽しい。

■安田橋■
安田伊太郎という津山の一人の青年が東京で雄飛しようと夢を抱いて、明治九年に上京した。
しかし東京の風も甘くはなかった。
アチコチ歩いて職を求めたが、思うようなものは見つからなかった。
持って来たカネは使いはたす。
そこで同郷の人、大村先生の門をたたいて、津山へ帰る路金の借用を申し入れたが、風体のよくない二十三歳の青年を見て信用しなかったようだ。
一面識もないのだから無理もない。
一度、二度、そして三度、大村先生の門をたたいて、やっと三円を借りることができた。
こころざし破れて帰郷の途中、一面識もない人に低頭平身して、同国のよしみを訴え、わずかなカネを借りるとは、何とつまらないことか、これではいけない。
大いに発奮して働き抜こうと決心した。

鳥取で三ヵ月ばかり働いて津山へ帰り、三円の借金を大村先生の実家へ返済、金物の行商をはじめた。

(略)心機一転、 牛乳商売を思い立ち、津山で初めて乳業を開始した。
当時はバケツのようなもので一軒々々くばり、先方のウツワに一合とか二合という必要に応じて、わけて歩いたようだ。

これで一応成功、中鉄布設の期成会をつくったり、町会議員になったり美作銀行の発起人、美作製紙の支配人など大いに活躍、

さらに児童の通学の便をはかるため、 いまの児童公園前に「安田橋」をかけ、鶴山公園に杉二千本を寄贈、戦争で供出されたが鶴山公園に牧原六郎左ヱ門と井汲唯一の顕彰碑をつくるなど、社会奉仕活動をした。
安田橋(文:『作州からみた明治百年上』より)

橋に歴史あり。

(■ 私は肉は食べないが、ハンバーグやコロッケは食べる)
江戸時代には、仏教の影響により肉食が禁止されていたが、近江彦根藩(滋賀県)と津山藩のみ薬として食べる「養生食」として肉食が認められていた。
「養生喰い」とは、「薬として食べる」という意味。
そのせいか、津山はいまもホルモン料理が有名だ。
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Last updated  2022.06.27 18:21:30
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