おしゃれ手紙

2024.08.01
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カテゴリ: 八百八橋散歩

●大坂の水屋の水には、値に上下があったといわれる。
淀川の中流まで「水船」で漕ぎのぼってきれいな瀬で汲む水は高いが、ふつうは都市の流れる下流での水汲場で「水屋」が汲んで売った。
 各家庭では、それを、越前焼かなにかの大きな水甕(みずがめ)にたくわえるのである。
「水汲場」というのは、ほぼ決まっていた。

明治20年ごろの資料でいうと、淀川下流では、もっともさかんなのは天満橋の橋からすこし上流、次いで源八渡(げんぱちわたし)のやや上流、中津川では、嬉ケ崎の上流であった。
「水屋」は水船をそこまで持って行って汲み、そのあと、それぞれ株のゆになっている河岸まで漕ぎよせ、そこから人夫が水桶をかついで売りにゆくのである。
 いちいち呼び売りしなくても、水甕の水が少なくなっている家々では、軒先に「水」と書いた木札をつるしておくために、売る方も買う方も手間が要らなかった。
水の値段は、一荷(いっか)あたり一銭五厘ぐらいだったという。

 大阪の町に住む者は、水を買わなければならないというのは、「あきない世伝金」で知った。
幸(さち)の奉公先は天満の天満堀川近くにある。

★この界隈(あたり=天満)の井戸水は金気が強く、飲み水に適さない。
料理や飲み水に使うものは、毛馬あたりで汲まれた大川の水を水売りから買わねばならなかった。
幸は「みず」と書かれた木の札を表口の格子戸に下げに行く。
この札を見て、水売りが水を運んでくれるのだ。

この辺りは水に苦労をしたというが、町並みは綺麗だったそうだ。
★商家の純白の漆喰壁、磨かれて艶やかな格子、風に翻る色鮮やかな長暖簾、それに灰色の瓦屋根。
それぞれが秋の陽射しに映えて眩い。
天満に足を踏み入れた時、幸は町並みの美しさに怯んだ。

毎年8月1日。

1977年(昭和52年)5月31日の閣議了解により水の週間と合わせて定められた。
年間を通じて水の使用量が多く、水について関心が高まる8月の初日に設定された。
その後、水循環基本法(平成二十六年法律第十六号)第10条により定められた。

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Last updated  2024.08.01 00:01:09
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