おしゃれ手紙

2024.11.27
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カテゴリ: 国内旅行

■10月22日(火)

閑さや岩にしみ入る蝉の声   芭蕉

紀行文「おくのほそ道」の代表的な句が生まれた場所として有名な山寺。

立石寺(りっしゃくじ)は、山形県山形市にある、天台宗の仏教寺院。

遠く平安初期にたてられたという立石寺は官寺(かんじ)である。
官寺(かんじ)とは、国家の監督を受ける代わりに国家より経済的保障を与えられた寺院。
寺格の一つ。
狭義には食封や墾田保有権(荘園私有の権利)を国家から与えられて、運営が行われている寺院のことを指すが、広義には朝廷または国衙が伽藍の造営・維持のための費用その他を拠出している寺院を指す。

立石寺は、山寺(やまでら)の通称で知られている。

だから、山寺の門前の食堂も「山寺食堂」!!

1015段もある長い石段を登って奥之院を目指すのが王道の参拝ルート。

石段は登ることにより煩悩が消滅すると言われている、ありがたい修行の石段。

まずは登山口からほど近い場所に位置する「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」へ。

国内最古のブナ材木造建築とされ、国の重要文化財に指定されています。

立石寺の鐘楼堂は、山門の前に佇む小さな堂で、その存在感は除夜の鐘として広く知られています。
江戸時代末期に鋳造された梵鐘は、毎年12月30日には厳かなすす払いの総会が行われます。
そして、その翌日の正午前には、多くの参拝者が集まり、幸せを願って除夜の鐘を強い力つきの瞬間が訪れます。

▲大イチョウ。

いてふの根 床几斜めに 茶屋涼し   高浜 虚子

▲俳聖・松尾芭蕉と▼蕉門十哲と呼ばれた俳人「河合曾良」

最初、芭蕉と曽良は、山寺に行く予定はなかったが、尾花沢の清風らの勧めにより立石寺を訪ねる。

▲山門
これから先も石段は続く。
奇岩怪石からなる山全体が修行と信仰の場になっており、登山口から大仏殿のある奥之院まで1時間ほどの道のりのそこかしこに、絶佳の景観が広がるというが、私たちは、ここで、山寺を後にした。
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斎藤茂吉記念館に行った。
■斎藤茂吉年譜■
*斎藤茂吉は、 1882年(明15)5月14日 (戸籍では7月27日)、山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村=現上山(かみのやま)市金瓶=の農家守谷伝右衛門の三男として生まれた。

*1896年(明29)14歳の時、茂吉の資質を目にとめていた住職の仲介で、東京浅草で淺草医院を開業していた同郷出身の斎藤紀一のもとに寄寓し、 開成尋常中学校(現在の開成中学校・高等学校)に編入学。
医学を学び、斎藤家の養子となって後を継ぐためでした。
上京した茂吉は開成中学から 旧制第一高校(東京大学の前身)へと進学。



第三学部(医学部)の学生となった茂吉でしたが、一方では 幸田露伴の 文学に親しみ、1904年(明治37年)12月には、発行されたばかりの 正岡子規の遺稿集「竹の里歌」 を読んで強い感銘を受け、作歌を志すようになります。
1906年(明治39年) 、子規の流れを汲む伊藤左千夫に入門し、本格的に短歌の道を歩み初め ます。
歌誌「馬酔木」が「アララギ」へと変わってからはその中心的な歌人となりました。

1913年(大正2年)、第一歌集『赤光』(しゃっこう)を発表し、大きな反響をよびました。
この間、1905年(明治38年)には斎藤家の婿養子として入籍(23歳)、1910年(明治43年)卒業、1914年(大正3年)に斎藤紀一の二女輝子と結婚します。
茂吉31歳のときでした。

斎藤茂吉は、天才的な頭脳の持ち主で、医師として、当時海外に留学するほどの、人だったばかりか、
歌人としても、当時の一流の人と交流があった。

みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

(死にたまふ母 大正2年)

この二つの短歌は、有名。
★詩人で作家の佐藤春夫や歌人で医者の斎藤茂吉は、類の相談相手。
類と妻が営んでいた書店「千朶(せんだ)書房」という名は、斎藤茂吉がつけた。
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山形城で、ガイドさんと待ち合わせ。

山形城は、「霞ヶ城」とよばれる。
「北の関ヶ原合戦」と呼ばれた慶長出羽合戦においては、城郭が霞で隠れて見えなかったことから、「霞ヶ城か」と呼ばれたと地元では語り継がれています。

天文15年(1546)に、最上義守の嫡男として、最上家11代当主となる最上義光( よしあき)が誕生した。
幼少の頃から武勇に優れていた義光でしたが、最上家内の内紛や近隣大名との確執など、青年時代はさまざまな困難に見舞われます。

隣国のライバルである伊達政宗だて まさむねとは、最愛の妹・義姫よしひめを通した叔父・甥の関係でもありました。

山形城は土塁で囲まれた城郭ですが、城門のみ石垣が用いられています。

石垣には馬見ヶ崎川で採掘された玉石(安山岩)を割った石材を用い、割り面を前面に利用しています。


10/16(水)■ 越後・東北南部行:出発/新潟を地形と歴史を感じながら歩く
10/16(水)-2■ 新潟市:日和山/花街
10/17(木)-1■ 新潟県・新発田市:清水園/足軽長屋他
10/17-2(木)-2■ 新発田市・新発田城/村上市・鮭オシのまち
10/18-1(金)■ 村上市・笹川流れ

10/18-2■ 鼠ヶ関を探せ/クラゲの水族館/鶴岡カソリック教会
10/19-1■ 山形県・鶴岡市:城址公園/丙申堂・/酒田市:土門拳記念館
10/19-2■ 酒田市・本田家/日和山/山居倉庫
10/20■ 鶴岡市・出羽三山・羽黒山
10/21-1■ 最上川で舟遊び/芭蕉10泊の町、尾花沢
10/21-2■ レトロな銀山温泉/川北町・紅花資料館

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Last updated  2024.11.27 00:14:24
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