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マタイによる福音書/ 19章 16節~ すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。 それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう。天一国経典・真の父母経より富の平準化と神の国宗教の究極的な目的は、すべての人が神様のもとで一つの家族となり、誰もが差別なく 生きていけるようにすることである。真の父母様は、多くの企業を起こし、海洋開発を通して飢餓で苦しむ人々を生かし、富の平準化と技術の平準化を通して、 世界のすべての国が豊かに暮らすことのできる環境創造に尽力された。特に、「裕福な人は、自分が取得した富を貧しい人に分け与え、裕福な国は貧しい国を助 けて、富の平準化を成し遂げなければならない」と強く主張された。このように、真の愛に基づいた共生・共栄・共義主義が実現された世の中をつくり上げるこ とが、すなわち神様のみ意であり、社会正義であると考えられ、一生涯、すべての人が幸せに生きていける神の国をこの地に定着させるため、渾身の力を振り絞 り、努力されたのである。14 人は、自分よりも低く、劣悪な立場にいる人を考えながら生きることができなければなりません。それだけでなく、自分よりも大変な境遇に置かれた人がいれ ば、その人を哀れに思い、自分の境遇に対して感謝しなければなりません。感謝するだけでなく、その人々を助けてあげなければなりません。そのように生きる 人は、自分の国だけでなく、他の国からも歓迎を受けることができます。今日、忠臣や聖人と呼ばれる人々を見れば、裕福な家の息子として、よく食べ、よく暮らしながら聖人や忠臣になった人は多くありません。彼らは、国や社会、家庭が混乱の渦中に追い立てられ、あすを見つめることができない暗澹たる混沌時代に置かれていても、その国に生まれたことを誇りとし、そのような父 母をもったことを誇りとしました。そうして、誰よりも国と父母を愛しながら、自分よりもさらにかわいそうな人を救ってあげようとしたのです。そのような思 いで同志を糾合し、より良い道をつくるようになれば、問題が広がるのです。そのような歴史は、国を愛した立場から出発し、父母を愛した立場から出発し、師 を愛した立場から出発しました。ここから、新しい歴史は横的に国家と国家を越え、世界的に伸びていくのです。このような人々によって、歴史は発展してきま した。裕福な人が、自分が豊かになったことに対して感謝することを知らず、お金をさらに集めることにばかり苦心していれば、その人は結局、滅びるようにな ります。「これくらい稼いだからもういい」と考え、国と民族に深く感謝しながら人を助ける裕福な人は、さらに裕福な人になることができます。裕福な人に なったのに、感謝することも知らず、一人で欲を張っていては、結局、自分が掘った穴に落ちて滅びるようになるというのです。15 聖書に、「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」(マタイ一九・二四)とあります。世界を愛し、国を愛し、民族を愛し、家庭を愛さなければならないのですが、裕福な人は、そのようにしないというのです。ですから、天国に行けないのです。その裕福な人のお金を、私がもってきて使おうというのではありません。私は今まで、借金を背負っている状況でも、国が「助けてあげよう」と言ってきたことに対して拒絶しました。国家の財産をつくるためには、個人の財産を天に捧げなければなりません。そうすれば、個人の財産の上に国家の財産がつくの で、その民族は滅びません。その家庭は滅びないというのです。精誠を踏み越えて大きくなっていくのです。そうして、統一的な国になります。天地のために、 自分の国のすべてのものを捧げなければなりません。世界を捧げなければなりません。16 世界が一つになれば、自分たちだけが良い所でよく食べ、よく暮らすようにはなっていません。平準化されなければならないのです。そのためには、裕福な人は 収入の七〇パーセント、そうでない人は三〇パーセントを税金として納め、バランスを取らなければなりません。そうすれば、不平を言う人は誰もいません。キ リスト教は十分の一献金を集めて発展してきましたが、次は十分の三献金をしなければなりません。世界を救うためには、裕福な人が資金を銀行に預けて、アフリカの未開の地に施設を建てられるようにしなければなりません。一度にすべてすることはできないので、抽選制で行うのです。抽選制で行えば、不平を言いません。17 地上の第一代の祖が完成したアダムです。真の父母です。真の父母の血統を受けて、今から入籍する順番になります。総生畜献納物を捧げることにより、神様が 「ありったけの私の愛だ」と言わなければなりません。今までは祭物を裂きましたが、これからは裂きません。総生畜献納物です。自分の収入の十分の三を捧げることにより、教会を越え、国を越えて、世界まで行かなければなりません。そのため、十分の一は教会発展のために、十分の一は国のために、十分の一は世界 のために捧げるのです。世界版図まで解放圏を連結させるためには、避けられないことです。自分のすべての収入の三〇パーセントを、一生の間、天国に入って解放される時まで、捧げなければなりません。この十分の三献金を捧げることにより、 十分の三が天の圏内に完全に連結されるのです。蘇生の上に長成があり、長成の上に完成があるので、完成基準を解決することにより、全体をすべて取り戻して くることができるのです。18 東西の文化の格差と南北の貧富の格差は、今世紀に必ず解決すべき課題です。それを、何によって解決するのでしょうか。お父様が教える「ために生きる主義」 によってです。「自分のために生きよ」という主義は堕落した世界のものであり、「他のために生きよ」という主義は、天の国のものです。ですから、北にいる 裕福な人は、南にいる弟、妹のために生きなければなりません。弟、妹のために自分の財産を売り払い、彼らが豊かに暮らせるようにしてあげなければならない というのです。自分の弟、妹を自分以上に豊かに暮らせるようにしてあげてから、自分の息子、娘にまた投入しなければなりません。そのような場に、永遠の理 想が宿ることができるのです。西洋の人々は、今に至るまで、自分たちが万世の主体国として永遠に続くと思っていますが、天はそれを願っていません。西洋文明は先導的な立場に立ち ましたが、未開の地域を開発するために、西洋文明の最高の基準を投入することには反対しました。ですから、終わりが訪れるのです。自分が損をしても、国に投入しなければならず、世界に投入しなければならず、天に投入しなければなりません。自分の気力が残っていて、投入できるこ とに感謝し、生きる余力をもっていることに感謝しながら、最後まで最低の立場で投入するとき、その人の子孫の中から、万国を治めることのできる富の相続者 が現れるというのです。19 地上で天の国を実現して暮らすことができなかった人は、天上世界の天の国に入っていくことができません。これが原理です。ですから、神様は、個人の家ょり も国の家を探し求めています。神の国をつくることのできる国を持ちたいと思われるのです。今日、社会主義の国家が私有財産を認めずに共有財産を願うのも、 蕩減復帰時代のプログラムによって、人間が知らない間に進めていくことなのです。裕福な人が思いのままに包みをもって歩き回っていては、それを保管するの が難しくなるのです。すべて、共有物に変えていかなければなりません。エデンの園では裸で暮らしたので、最後には、自分のものもない立場に立たなければな りません。自分が持っているものをいち早く清算して、天の宝物として返しておかなければならないのです。20 アベル国連が定着するようになれば、自分の不動産や動産を問わず、すべて同じ銀行に預けます。自分の財産を、指定した銀行に預金しておき、そこから出てく る利子の何パーセントかは、貧しい人に分けてあげるのです。お金がたくさんある人々は、貧しい兄弟たちに分配してあげ、助けてあげられるようにするので す。不正な財産をたくさんもっている人々は、どろぼうをしたのと同じです。それを分けてあげなければ、先祖たちが平準化されません。行く道が四方で塞 がっているので、これを開いておかなければなりません。地上で開いておいてこそ、霊界でも四方で解放されるというのです。ですから、解放、釈放です。地上 では解放されましたが、天上では釈放されていません。天が釈放され、解放が必要ない世界になれば、人間たちがすべて天国に直行できるようになるでしょう。21 皆さんが結婚するとき、父母が分け前を決めるのですが、そのような過程を経ずに物をもっていったとすれば、どろぼうした物になります。それは、十年であれ ば十年、百年であれば百年、利子までつけて、そっくり返還しなければなりません。そのようにして分け前をもらうとき、平準化されるのです。父母様も、神様 の許しのもとで、分け前を分けてあげなければなりません。そのように分けられた分け前をもたなければ、その一族が霊界で引っ掛かるのです。国が引っ掛かる のです。22 これから世界が一つになれば、移動が起きます。自分の祖国がありません。これから祖国ができるのです。砂漠になるか、どこになるか分かりません。豊かに暮 らしていた国の人は、ゴビ砂漠のような所に行かなければならないかもしれません。そのような所を平原地帯にしなければならないのです。自分の本国にある土 地と財産を売って、平準化させなければなりません。一つの場所で生まれ、死ぬようにはなっていません。皆さんの一生で、四ヵ国を経なければならないという のです。二十代と四十代、六十代、八十代に、一ヵ国ずつ通過するのです。四ヵ国を経て、東西南北に移動しながら暮らさなければなりません。そのような制度ができます。そのときには、自分の身内だけという意識はあり得ません。家庭単位で天に侍って、三代圏が組織化できる時代になるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.07.21
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ウェブセミナーの案内・UPF &UTS - 「信仰、異宗教と平和の探求:ムニブ・ユナン司教との会話」UPF-INTERNATIONALホームページからのお知らせです。2021年11月22日(月)AM10:00 EST(New York)--日本時間:11月23日AM00:00--からZOOMにて、ムニブ・ユナン司教を交えてのウェブセミナーが開催される予定です。ZOOMに参加希望の方はこちらの下部「REGISTRATION」からZOOM登録してください。ウェビナー登録 - Zoom▲ムニブ・A・ユナンムニブ・A・ユナン司教は、宗教間の対話と和解が人間の平和の基盤であると信じて、生涯を宗教の調和に捧げてきた先駆者です。1950年にエルサレムでパレスチナ難民として生まれたユナン司教は、1976年にルーテル派の司祭に任命されてから40年以上にわたって宗教的調和の道を歩んできました。特に、 2010年から2017年までルーテル世界連盟の議長として、さまざまな信仰を持つ宗教指導者の幅広いネットワークを構築してきました。<主な業績>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.22
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聖歌第2部 8番「手をつなごう」世界平和統一家庭連合の聖歌第2部 8番「手をつなごう」の歌入りの映像です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.10.20
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5日午前11時からのライブ配信の登録は、こちらからです。PCLC Inaugural Rally - PCLC (pclc-asiapacific.org)ホームページは、こちらからです。Landing - PCLC (pclc-asiapacific.org)2021/10/05 10:30に配信予定です。Pacific Christian Leadership Conference Inaugural Rally 2021.10.05 (日本語)なお、パシフィッククリスチャンリーダーシップ会議の最初の召集は、2021年10月4日AM10:30から始まっています。以下がその映像です。映像(英語)はオープンと第1・第2・第3セッションに分かれています。オープンと第1セッションは、04:36~(こちら)からです。第2セッションは、3:03:28~(こちら)からです。第3セッションは、5:14:21~(こちら)からです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.10.04
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2020.12.24
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賛美歌49番 1972年山内修一ありがとう さわやかな目覚めをありがとう 妻や子等の笑顔小鳥たちの 夜明けのうたひとときの祈りをありがとう 健康と使命をありがとう 職場とまじわりを時を忘れ 自分を忘れ心こめる よろこびをありがとう たそがれのおとずれありがとう こころよき疲れを庭の木々を そよぐ風を通い馴れた 街角をありがとう あかりともる我が家ありがとう 子供らの歌声手をつないで 夕べの感謝ありがとう ありがとう一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.08.08
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聖歌(聖歌)バイオリン(violin)演奏曲が20曲収められています。깊은 명상과 기도, 경배시간과 함께 하는 잔잔한 성가 29곡 바이올린 연주곡으로00:00 성가1장 승리자의 새노래(Song of Victors)05:00 성가3장 영광의 은사(Glory of Blessing)09:42 성가4장 어둠에 싸인 세력(Suffering Heart)15:10 성가5장 복귀의 동산(Garden of Restoration)20:02 성가6장 성원의 은사(Grace of the Holy Garden)23:55 성가7장 동산의 노래(Song of the Garden)28:29 성가9장 원리용사가(Shining in the Morning Sun31:06 성가10장 내가오리다(My Promise)34:47 성가12장 나는 재물(My Offering)37:56 성가13장 맹세(pledge)42:30 성가16장 빛나는 조국(Shining Fatherland)46:10 성가21장 내 몫에 태인 십자가(My Cross)51:00 성가27장 새 에덴의 노래(The Father's Dwelling Place)55:00 성가28장 부름받은 몸(He Has Called Me)58:06 성가29장 내 어린양(My little lambs)1:02:22 성가33장 쓸쓸한 골짝1:04:45 성가35장 주여 오소서(O Come My Lord)1:09:12 성가37장 찾아진 양떼1:13:11 성가44장 사랑의 봄동산(Song of the Banquet)1:16:42 성가46장 동산의 봄노래(Spring Song of Eden) 이 수록된 음원입니다一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.08.03
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▲韓鶴子総裁、アメリカ国会議事堂に招請され、講演を行う(1993年7月28日)1994年7月28日、米国では「父母の日」記念式典が開催され、その翌年からは毎年7月第4日曜日は祝日「父母の日」として全米で祝われるようになりました。過去記事『「父母の日」国際化の動き-米国』(2008.08.07)からですが、米国での「父母の日」制定までの経緯については、<アメリカ国民の祝日「父母の日」制定に至る経緯>に詳しくまとめらたものがあったので参照していただければ、と思う。日本でも「家庭の日」や「家族の日」というものがあるよだが、「父母の日」としても祝うようにしたいものだ。▼ 米国「父母の日」制定の発端となった韓鶴子女史の米議会講演 (光言社「新天地」1995年5月号、57頁)また、2003年からは「“親と子が共に向き合い、親子の絆が強められる1日になれば素晴らしい”との願いから、7月の第4日曜日の「親子の日」が発足」、この記念日は2005年に日本記念日協会によって公式に認定され、現在様々な企画を世界に向けて発信しているとのことです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.07.26
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「しあわせホルモン」を増やそう!!https://youtu.be/IFcaaIG_Oe8?t=417一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【第2類医薬品】独活葛根湯エキス錠クラシエ 96錠【4987045048982】 【漢方】【肩こり】【四十肩】【五十肩】関節痛 アリナミンA 60錠 第3類医薬品 筋肉痛 関節痛 肉体疲労 肩こり 神経痛 腰痛 五十肩 手足のしびれ 便秘 眼精疲労 ビタミンB1 疲労回復 武田薬品 月間優良ショップつぶつぶセラピー貼るタイプ・ビッグ 一般医療機器 肩こり 腰痛 肩痛 首痛 首 痛み 筋肉痛 五十肩 帯状疱疹後神経痛 薬剤不使用 かぶれにくい 湿布のかゆみ・かぶれの悩みに 母の日 ギフト 楽天ランキング1位 ※湿布ではありません
2020.06.05
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「ファミリー」1989.11月号、文鮮明総裁のみ言「韓国は人類の祖国」(一九八九年六月十八日・ソウル本部教会)の一部です。P.34~統一教会とは、教会と名の付くもの全部を含む 既成教会は四十年間反対してきましたが、このレバレンド・ムーンを打ち倒せませんでした。追い出すことなどとんでもありません。そのような不肖な私ではありません。そういう複雑な過程の中で、四十年間も迫害を受けながら、銃弾一発も射たれずに今日まで生き残って、大きいことを言っている人は歴史上にレバレンド・ムーン以外にいないというのです。分かりますか?(はい)。それでこそ統一教会の食口なのです。このように有名な先生が現れたので、皆さんは故郷に帰り、おじいさんより三代を従えて、文総裁の教育の場に連れてきて訓練を受けさせることのできるリーダーにならなければなりません。 統一教会とは、すべて教会という名の付くもの全部を含んでいるのです。キリスト教、カトリック、イスラム教、ユダヤ教などすべて集まることができるのです。そうして宗教を統一しようとするのです。最近、先生はシリアのモスレムの指導者に会いました。 彼は四十年前、第二次世界大戦直後に啓示を受けて篤実なる信仰生活に入ったのですが、その時「ユダヤ教とキリスト教とイスラム教を統一することにおいて、連合運動せよ。そうせずしてはこれからモスレムの世界は残らない」という啓示を受けたそうです。それで四十年間連合運動してみると、モスレムの人たちが歴史的怨讐として見えてきたというのです。十字軍戦争の時も、キリスト教と戦って勝敗を決したのがモスレムでした。それで彼は、そういう恩讐的見方を持ったために、モスレム世界の監獄に入れられてあらゆる迫害を受けたというのです。またユダヤ教から、「あの人は気が狂ったのではないか、私たちを見てどうしてモスレムと一つになれというのか!」と言われたというのです。キリスト教でもそうであり、どこに行ってもそうでした。そうして四十年を経て、今こそ宗教が一つになる時が来たと思ったというのです。(文)先生が世界宗教議会を中心として、宗教指導者たちを集めて世界的な大会を開いて、宗教一致運動を始めているということを知っていたのです。先生がそこで何をしようとしているかということを知って、これはただごとではないと分かったのです。自分が四十年間連合運動をしてきても何の基盤もないのに、先生は既に世界的基盤を造って、また政治、外交、文化、言論などのあらゆる分野における基盤を持っているし、宗教界やあらゆる面においての旗手であるということを知ったのです。それらを見て感嘆したというのです。 それで約二万名の責任者たちが集まったモスレムの集会で、「私は四十年間宗教一致運動をやってくるなかで多くの追害を受けてきたが、今やこの世界は一つの世界に向かって行かなければなりません。宗教が一つにならずしては世界を収拾することができないことを神様が知って、こういうことを全部準備せよと言われるので、私もそうしてきたのですが、今やそのことを実践して、世界的版図を中心としてすべての宗教が反対しても従わざるを得ない基盤を造った方がおられます。その方こそレバレンド・ムーンなのです」と言ったのです。そして「私が今まで提唱してきた道を完結する現代の代表者がレバレンド・ムーンです」と結論付けたのです。(アーメン)。(拍手) 先生はその人に何か強制したのではありません。霊界が、レバレンド・ムーンのみが今後宗教界のすべての壁を崩していくことのできる力を持った人であると教えてくれたのです。それで、彼なりのキリスト教に対する何かがあって、決死的に先生に会おうとしてやって来たのです。ですから、先生は会わなければなりませんでした。初めて彼に会って、国を代表した宗教指導者として彼をイーストガーデンに招待して神の摂理について話しました。 先生は、そういう時には簡単に話をするのです。先生が説教するようになれば内容が深くなってしまいます。この前はワシントンで十二時間半も話しました。きょぅはその内容を簡単にまとめて話そうと思うのに韓国の人は受ける資格がないようですね。私の口調がなぜこのように冗談ぽくなっていくのか、先生の口を誰がコントロールするのでしょうか。畑を耕す牛を引っ張っていくように、引っ張られる方向に従っていくようになっているのです。 それで先生は、こういうみ旨を持って歩んでいるということを話しました。その次に、内部の責任者たちが報告したことの話をしました。それで彼は、「自分はシリアの大統領の所へ行って何でも指示できる基盤を持っているので、帰国してからアラブ国家のすべての総帥たちを集めます。その時、文総裁が会ってくださるならば私が連れてまいります。それで許してくださいますか」と言うのです。それは許諾して良いでしょうか、しなくて良いでしょうか。そうすると国が引っ掛かってくるのです。モスレムの国です。イランとの戦いや中国とソ連の外交政策においてシリアが問題になっていたのですが、この人の手中で皆回ってしまうのです。こういうモスレムの頂上にいる人が先生に侍るようになったのです。彼らが贈物をラクダに積んでやってくる時に通行禁止にすればいいでしょうか、通行禁止を解除しなければならないでしょうか。皆さん、どうですか? 門を開けなければならないでしょうか、閉めなければならないでしょうか。先生は民主主義の代表者ですので、私たちは民主主義式に決定しましょう。門を開けなければなりませんか、それを閉めたらいいですか? (開けなければなりません)。開けなければならないという人は手を挙げてみなさい。それ以外の人たちは全部何ですか。手を挙げなかった人たちは手を挙げてみなさい。朝から悪口を浴びせてデモをするような人は一人もいないですね。(笑い) この統一教会に入ってきて文総裁を知った人は、教会を離れても一人で生きることはできません。反対する人に、「あなたは文総裁を憎みますか」と聞いてみれば、「文総裁は尊敬するのですが、幹部たちが嫌です。教会長が私に辛くしたのでこのような姿になったのです。誰々が私をこういう姿にしてしまいました。文総裁がそうするはずはありません。私は文総裁を今でも愛しています」と言うのです。いつだったか思い出せませんが、これは実際に起きたことです。急に道路にある人が飛び出してきました。それが誰かと言うと、元ムーニーです。私を見て涙を流して逃げていきました。その人はなぜ涙したのでしょうか。先生は直ちに分かったのです。「ああ、彼か」と。先生の前で話もできず横道へ逃げていくその姿を見た時、"ああ、教会を離れてかわいそうな人になったなあ。再び訪ねてくれば先生が分別してあげよう"と思ったのです。先生は悪い人ではありません。一度手を挙げて約束すれば、原理を中心として約束したことを条件として、愛するために従おうとする人であり、反対したり排斥できない人です。それが原理の道だからです。先生自身がそうですから、彼らは先生を射つことができないのです。人は霊物であります。 今日、既成教会の牧師たちは反対しているのですが、その信者たちは皆統一教会に来るようになるのです。そうなるか、そうならないかを見ていなさい。なぜ連日のように文総裁に反対するのですか。自分たちに何かくれと言うのですか、それとも自分の妻を強奪されたのですか。(笑い) むしろ彼らが貧しい時、隠れて学費を与えたりして、先生は既成教会にどれほど多くの投資をしてきたことかしれません。数十、数百億以上です。世界を回りながら反対する怨讐の子供たちのために犠牲となりました。今や世界はそれを知っているのです。それで信者がだんだん多くなって、これからは新芽が出てきて実を結ぶようになるでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.05.16
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文鮮明総裁 講演文「宇宙の根本を探して」(96.08.01 世界平和家庭連合創設会議 閉会晩餐会 ワシントン・シェラトンホテル) 尊敬するご来賓の皆様、そして紳士淑女の皆様! 冷戦の終息とともに、平和と社会正義に対する新しい希望が急速度に地球全体に拡大しています。新しい世界的な現実を無視したり、直視することのできない指導者たちは、津波のように押し寄せる変化に押し流されてしまうことでしょう。 今、私たちは新しい世紀への入り口に立ち、伝統的な思考方式を再検討し、新しい機会と価値観を受け入れるために、果敢に進んでいくべき時であると信じます。そのような意味で、私はきょう、生涯をかけて主唱してきた「世界平和の実現と真の家庭の価値」についてお話をすることができますことを大変な光栄に存じます。 この世界には、男性と女性という二性が暮らしています。ところでこの両性は、互いにその立場を変えることはできません。皆様は、自らが願って男性、あるいは女性として生まれたのですか。それとも、願わないのにそのように生まれたのですか。私たちは、自分では考えもせず、願いもせず、そして原因はもちろん、結果や過程も知らないまま、そのように生まれたのです。 人間がいくら偉大な存在であるといっても、それが原因的な存在ではなく、結果的な存在であるということを否定することができません。したがって、第一原因である存在がなければならないのです。すると、その第一原因とはだれでしょうか。男性でしょうか、女性でしょうか。その第一原因的な存在を神様と呼んでも、あるいはどのような名前で呼んでも構いませんが、その原因的な存在がなければならないのです。 今宵、ここには世界的に著名なかたがたが集まっておられます。皆様は「神様はどこにいるのか。見せてくれれば、私は信じよう!」とおっしゃるかもしれませんが、少なくとも、その原因的な存在がなければならないことを否定すべきではないということに、前もって注意を喚起するものです。 きょう、私は「宇宙の根本を探して」というテーマでお話ししいたします。私たちが、宇宙の根本を探し求めていけば神様に帰着しますが、そのおかたが、男性格と女性格の二つの性稟を所有しておられるということを理解しなければなりません。宇宙の出発の原因は、どのようになっているのでしょうか。神様に対しては、いまだ分からないとしても、私たち人間は男性と女性、そして主体と対象からなっています。鉱物界の分子を見れば、陽イオンと陰イオンから構成されており、植物界は雄しべと雌しべから、動物界は雄と雌から、そして人間は男性と女性から成っているということが分かります。 存在界を調べれば、鉱物界、植物界、動物界、どの世界であっても、より次元が高い陽性と陰性が、より次元の低い陽性と陰性を吸収して、存在、発展しているということを知ることができます。なぜ、このような現象が生じるのでしょうか。このすべての存在世界には、万物の霊長である人間を完成させるべき責任があるからです。鉱物界を見ても陽性と陰性、すなわち主体と対象が、愛という概念のもとに互いに一体となって存在しています。同様に、植物界もすべて雄しべと雌しべとがあり、主体と対象が愛を中心として、一つに結合して存続しているのです。最近、医学会では病原菌にまでも陽性と陰性があると言っています。 主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるためには、何を中心として一つになるのでしょうか、キスすることによってでしょうか。愛は、概念であると同時に実在です。それでは、その愛が定着することのできる実在とは何でしょうか。ここには、各界の指導者のかたがた、フォード元大統領、ブッシュ前大統領等、名士のかたがたが集っていらっしゃいますが、自信があれば答えてみてください。皆様がご存じでないことがあると言うことです。男性が男性になり、女性が女性になるようにしているものが何であるかということを知らなかったというのです。それがまさしく生殖器なのです。それが嫌いな人はいますか。好きであるとすれば、どれくらい好きですか。今までは、それが善くないものであると考えていたとしても、これからは好ましく思わなければなりません。 未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に好ましく思う世界になるなら、その世界は善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談で言っているのではありません。神様が人間を創造なさる時、最も重要視して、精魂を込めてつくられた所はどこでしょうか。目ですか、鼻ですか。心臓でしょうか。それとも頭脳でしょうか。これらのものはすべて、死んでなくなってしまうのです。事実、そうなのではないでしょうか。 世界平和のための家庭連合の目的は何でしょうか。道徳と宗教等、すべての分野を完全に超越し、夫婦が完全に一つとなって、神様までも拍手で歓迎することのできる人が暮らす世界があるとするなら、それはどのような世界になるでしょうか。男性と女性が生まれる時、彼らの生殖器の主人はだれなのでしょうか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻の生殖器の主人は夫なのです。今日まで、人類は生殖器の主人が互いに取り替えられているということを知りませんでした。簡潔な真理です。これを否定することはできないというのです。千年、万年、歴史がいくら流れたとしても、この真理は変わりません。 すべての男性は、それが自分のものであると考え、またすべての女性も、それが自分たちの所有であると考えているために、世の中がこのように滅びつつあるのです。互いに主人を間違って考えているということです。人はすべて、愛は絶対的であり、永遠なるものであると言いながら、それを夢のようにかなわないものであるとばかり考えています。しかし、その永遠の愛の主人が取り替えられているということをはっきりと知るなら、世の中はこのような状態にはならなかったはずです。博士や学者は数多くいますが、このたった一つのことを考えついた人がいないというのです。 皆様は、このことを否定することができますか。皆様の父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖たるおかた、さらには宇宙の根本であられる神様に尋ねたとしても、すべて同意するようになっているのです。これは鉄則です。この真理こそ、宇宙が億万年過ぎたとしても原理原則として残るがゆえに鉄則なのです。そしてこの鉄則ゆえに、神様のみ前に立ったときに正しい人と間違った人の判定を受けるようになるということは当然なことなのです。 そのように考えれば、旧約聖書に出てくるアダムとエバの堕落も、正にこの鉄則に背いたところに由来していることが分かるのです。アダムやエバは、自分たちの生殖器が自分たちの所有であると錯覚したのです。考えてみてください。神様が善悪を知る木の果を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出すでしょうか。神様は、そのようないいかげんな神様ではありません。アダムとエバは、根本的な問題において過ちを犯して、宇宙のどこからも公認を受けることができなくなったので、追放されてしまったのです。鉱物界や、植物界や動物界の雄と雌もすべて、愛の相対のために自分の生殖器を保管しているということを、アダムとエバは分からなかったというのです。 それでは、生殖器は何のために存在するのでしょうか。それは、愛のためです。愛を探し求めていくために、そのように雌雄として生まれたということです。神様の属性は何でしょうか。神様は絶対的であり、唯一、永遠不変であられるおかたです。そうであるならば、愛の主人はだれでしょうか。男性でもなく、女性でもありません。そのおかたが、正に神様であられます。愛と中心として、愛を通してのみ神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様にも人間にも愛が絶対に必要だからです。神様が必要とする愛とは、果たしてどのような愛でしょうか。それは、絶対的愛を願われるのです。皆様はどうですか。私たちも同じです。神様が絶対的愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とされるように、私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠なる愛を必要とするのです。皆、神様に似るべきなのです。 神様ご自身が、男性格と女性格、陽性と陰性を持っておられるかたなので、そこから分立された実体対象として創造された人間も、男性と女性として創造されたのであり、彼らが結婚すれば、実体として神様に代わる陽性と陰性になるのです。このように結婚を通して、縦的な神様の愛が横的に完全統一されるように追求したものが、神様のみ旨であったのです。 人間の体は、この地を代表した横的なものです。それがすなわち、肉身です。それとは反対に、良心はいつも縦的なものを愛し、縦的に高いものを探し求めるのです。したがって人間は、神様の縦的な基準と一つになることのできる点を探し求めていくべきです。その点は中心点でなければならず、正にこの点で男性と女性が共に出会うべきなのです。そうして、この中心点から生まれた人間は、愛とともに幼児期の成長過程を経て、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛を経験しながら成長するのです。このとき、肉身を地を代表して成長するようになり、心は神様を中心として成熟して、最後に体と心が縦的、横的に一つになって、幸福の基地を築くようになるのです。そのような場所であるからこそ、絶対的な愛を中心として絶対的存在である神様も喜ばれ、その愛の対象対である夫婦も幸福になるのです。 このように、上下の関係である父子の関係、東西の関係である夫婦関係、前後の関係である兄弟姉妹関係が一点を中心として完全に一つになるとき、理想的な球形を造るようになります。このようなことから、東洋では父子の関係のことを「一つの体」と言います。さらには夫婦関係も一体であり、兄弟姉妹も一体であると考えています。何を中心として、これらすべての関係が四方に球形を造るとき、これらすべてのことが可能になるのです。一点で出会って、球形を造るべきなのです。その点は一つです!一つであるので、統一が可能なのです。神様と人間も父子の関係にあるので、一つにならなければならないのです。それは真の愛を中心としてです。 尊敬する指導者の皆様! 人間の欲望とは、どれほど高いものを願うことでしょうか。皆様の心の欲望は、神様よりも高くなることさえ願うのです。いくらだめな人間であったとしても、神様よりも優れた世界の代表者になろうという欲望は持つことができるのです。もし、皆様が神様の愛する息子であるのなら、「お父様、お越しください!」と言うとき、神様は来られないでしょうか。皆様の妻がいくらだめな妻であるとしても、本当に愛しているなら、妻が呼ぶとき、夫はついていくのです。このように真の愛で一つになれば、妻が夫を呼んでもついていき、兄が呼べば弟がついていき、弟が呼べば兄がついていき、皆が絶対に離れたがらなくなるのです。 神様も独りでおられた場合、寂しいでしょうか、寂しくないでしょうか。どうして分かりますか。紳士淑女の皆様、愛を持っていますか。生命を持っていますか。皆様の血統をつなぐことのできる精子と卵子、皆持っていますね? 良心も持っていますか。それならば、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見たことがありますか。触ってみたことがありますか。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないということを知らなければなりません。ただ、心で感じることによってのみ知ることができるのです。同じ論理で、神様がいるのか、いないのかというとき、または神様を見たのか、見なかったのかと問うとき、見なかったとは言うことはできないのです。 何が重要なのでしょうか。見えるものですか、見えないものですか。見えないものが、より貴いということを知らなければなりません。お金、地位、名誉は見ること、または触ることができますが、愛、生命、血統、良心は見ることも触ることもできないのです。皆、持っているのに、なぜ見ることができないのでしょうか。それは、一つになっているからです。心と体が絶対的にバランスを保っていれば、感じることができないのです。 皆様は、自分の目が瞬きするのを感じながら暮らしていますか。三時間も数え続けてみてください。また、息をするのを数えながら暮らしていますか。右手を左側の胸の上に当ててみてください。どのような音がしますか。鼓動の音、心臓の鼓動の音を感じます。皆様は、その鼓動の音を一日に何度くらい聞いていますか。聴診器で聞いてみると、爆弾が爆発するような音が聞こえるのに、私たちは1週間、一か月……。忙しいときは、何か月間もそれを感じないで暮らしているのです。考えてみてください! 小さな蠅が一匹頭の上にとまっただけでもすぐに感じる私たちが、何百倍も大きな鼓動の音を聞いても、なぜ感じることができないのかというのです。それは、一つになっているからなのです。 格式あるこの檀上から、このような話をすれば失礼だと思われるかもしれませんが、実感のわく話なので、一つの例を挙げてみましょう。皆様も毎日、朝起きてトイレに行かれることでしょう。大便をするとき、マスクをして用を足されますか。笑いごとではなく、まじめな話です! もし、ほかの人がそばで用を足して、そのようなにおいを漂わせれば、すぐに鼻をふさいで何万里でも逃げ出すはずですが、なぜ自分の大便のにおいは、そのまま嗅いで、平気で座っていられるのでしょうか。それは、自分の体と一つになっているので、自分の大便は汚く感じないのです。 皆様、幼いとき、鼻くそをほじくってなめてみたことがありますか。その味は甘かったですか、しょっぱかったですか。しょっぱいですって? その味を知っているところを見ると、皆、経験者ですね! なぜ、その鼻くそを汚く感じなかったのでしょうか。それは、それが正に私たちの体の一部分だったからなのです。世の中のだれも分からなかったことをレバレンド・ムーンが初めて発見したのです。皆様、咳をして痰が出れば、ごくっと飲み込んだりもするでしょう? ここに列席なさった大統領の皆様はいかがでしょうか。そのような経験はありませんか。取り澄ましていないで率直に答えてみてください。なぜ、汚く感じないのでしょうか。それは、皆、一つになっているからなのです。 私たちは皆、朝、昼、晩と、毎日三食ずつ食べていますが、実は、私たちの口から三〇センチほど下りれば、そこには肥料工場があるのです。毎日、三食ずつ食べて、その肥料工場に原料を供給しているのです。ワァー! そのことを知ったあとでも、箸とスプーンが口に入りますか。おなかの中に肥料工場があることを知りながらも、そのことを感じないで私たちは生活しています。なぜ、感じられないのでしょうか。それは、一つになっているからです。愛、生命、血統、良心があっても、一つになっていて完全にバランスがとれていれば、感じることはできないのです。 私たち人間がそうであるように、神様も愛、生命、血統、良心、すべて持っておられるのですが、独りではそれを感じることはできないのです。完全にバランスがとれているので、感じることができないのです。ですから、神様も相対が必要なのです。相対の必要性をここに見いだすことができるのです。男性でも女性でも、独りのときは愛を感じることはできませんが、男性の前に女性が現れ、女性の前に男性が現れるときには、相対的に刺激的な愛と血統が雷と稲妻のように衝撃をもたらして問題を引き起こすということを知らなければなりません。ですから、しっかりと気をつけなければなりません。このような真理を知らずに生きてきたのです。神様も絶対的に愛の相対が必要であるという論理を、人間が悟ることができなかったというのです。 それならば、神様の愛の相対とはだれなのでしょうか。猿でしょうか。人間が結果的存在であるとするならば、猿がその原因的存在、すなわち私たちの先祖になれるのでしょうか。そんな夢のような話は、到底聞くに堪えません。アメーバから始まった生命体が人間に至るまでには、数千段階の愛の門を通過しなければならないのです。ただ無条件に上がっていきますか。とんでもないことです。すべての動物においても皆、同様です。種の区別は厳格です。だれも占領することはできないのです。 唯物論を信奉する共産主義者たちが、猿が先祖であると信じ、猿と人間を交配させたとして、新しい生命体(人間)が生まれてくると思いますか。百年、千年続けたとしても徒労に終わります。なぜ、できないのでしょうか。これは、考えてみるべき問題です。 それならば、神様も何を必要とされるのでしょうか。何かの器官をさらに必要とされるのでしょうか。それは、目でしょうか、手でしょうか。必要とされるのは、私たちが考える五官ではありません。神様は、男性格と女性格という二つの性稟を共に所有しておられますが、父として存在されるためには、男性各主体として存在されるかたなのです。 このような基準から見るとき、神様も愛のパートナーが必要なのではないでしょうか。被造世界のだれが、果たして神様の愛のパートナーになるのでしょうか。男性独りででしょうか。女性独りだけでパートナーになれますか。神様はどんなパートナーを願われるでしょうか。お金のパートナーですか。知識のパートナーですか。権力のパートナーですか。違います! 神様は愛のパートナーを願われるので、夫と妻が生殖器を通して一つになる、その位置を中心として顕現され、人間と出会われるのです。 その位置が、どうして神様を中心として一つになる位置なのでしょうか。愛は絶対的であり、男性と女性が絶対的に一つになることを願う所が、正にその位置であるからです。横的に見れば、陽性である男性がその中心に向かって近づき、陰性である女性がまた近づき、神様も男性の性格である陽性と女性の性格である陰性が合わさって、大きく陽性的立場で、大きな陰性と合わさって一つになるのです。それが、いつそのようになるかということが問題なのです。 結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのでしょうか。それは、結婚は、愛を探し求めていく道であるからです。愛する道、生命を創造する道であり、男性と女性の生命が一体となる道であり、男性と女性の血統が混ざる所なのです。結婚を通して歴史が生じ、ここから国が生じ、理想世界が始まるのです。これがなければ個人もなく、国もなく、理想世界もありません。このことが公式になっているのです。男性と女性は、絶対的に一つにならなければならず、父母と子供たちは、絶対的に神様と一つになり、神様を愛し、神様と共に生きた後に死んでそのまま霊界に行けば、そこが天国なのです。しかし、そのような人、そのような家庭、国家、世界、そのような人類が理想とする人がいないので、神様が理想とされる天国は、空いているのです。今まで亡くなった人類はすべて、地獄に落ちているのです。天国に入れなかったということです。 このような観点から見るとき、イエス様も人類を救うための救世主として来られたのですが、昇天された後、天国には行けず、楽園に行っておられるということを知らなければなりません。天国に行くためには、家庭を築いて入らなければならないので、イエス様も再臨されることを願われたのです。イエス様も、結婚して家庭を築き、その家庭とともに神様に侍って暮らしてから、共に天国に入ることができるのであって、独りでは天国に入ることができないのです。ですから、聖書にも「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなた方が地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」(マタイ一八:18)と書かれているのです。地上で解決しなければなりません。地上で病気になったので、その病気になった場所で治さなければならないのです。 今日、人類は堕落した後孫となって、堕落圏下に陥っているので、この圏を突破して上がらない限りは、天国に入ることはできないのです。堕落圏内にいる人間は、いかなる困難があっても、その圏を打ち破らなければならないのです。それゆえに、イエス様も「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」(参照マタイ一〇:39)ということを言われたのです。この死の道を行くためには、全生命をかけて、突破して上がらなければならないのです。 皆様の家庭は、堕落圏内の家庭なのです。氏族、国家も同様です。闘って勝たなければなりません。アダム家庭で覆されたのです。アダムとエバは、赤ん坊を生んだ後に追い出されたのでしょうか、追い出された後に赤ん坊を生んだのでしょうか。彼らは、追い出された後に、神様とは関係のない立場で子供を生んだのです。このようなことも知らずに、天国に行くことができるのでしょうか。とんでもないことです! 無知には理想はなく、完成もありません。目を覚ましてください! 私はこのように警告いたします。 レバレンド・ムーンの話が正しいのか、間違っているのか祈祷してみてください。私がこの道を探し求めるために、どれほどの受難の道を歩んできたか、だれも知りません。罪なく監獄に六度も入るほどの苦難に遭い、探し求めてきた道です。ところが、他人の大切な子供たちを連れていって、このような真理を教え、短時間で方向転換させるので、皆、洗脳したというのです。無神論者には、神の存在を詳しく、科学的に理論的な基盤をもって証明してあげるので、無神論は崩れていくのです。それとは反対に、キリスト教徒たちは、自分たちが信じている教理と違うといって、異端だと責め立てながら、私たちを打ち据えようと大騒ぎしているのです。しかし、彼らが唱える異端が正当なのです!反対になるということを知らなければなりません。 サタンが嫌うものは神側であり、神様が嫌われるものはサタン側であるということを知らなければなりません。全世界的にレバレンド・ムーンのことを好きな人が一人でもいましたか。皆様も、レバレンド・ムーンがどのようなことをしているか調べてみたのでここにいらっしゃったのであって、知らないまま、ただ来られたのですか。ワシントン・ポストもレバレンド・ムーンのことが分からないから反対するのであって、皆様のように知れば、それでも反対するでしょうか。反対することはできないのです。ワシントン・ポストが本当のことを知れば、ワシントン・タイムズよりもさらによく待遇することでしょう。 思想的空白期におかれている旧ソ連の若い青年たちも、レバレンド・ムーンの思想を中心として出版された中学校、高等学校、大学校の教材を通して、そして、ひいては刑務所の囚人までも、その教材を通して思想武装をしているのです。ロシアの三千六百か所の学校で、レバレンド・ムーンの思想の教材を使っているのです。彼らは叫んでいます。「私たちはアメリカに先立たなければならない! レバレンド・ムーンに反対するアメリカに先立たなければならない!」と。西洋の腐敗した退廃風潮であるホモセクシャル、フリーセックスなどを収拾する道は、レバレンド・ムーンの思想だけであると彼らは信じ、急いでいるのです。アメリカよりも先にレバレンド・ムーンに従っていこうと叫んでいるのです。 皆様! 神様のことが好きですか。レバレンド・ムーンがこのようなことがらを展開しているのを見つめられる神様は喜ばれるでしょうか。教皇庁の教えと今回の大会に参席されたロバート・シューラート牧師の教えが同じであることがありえますか。もちろん、大きく違います。そうであるとすれば、だれの教えが正しいのか神様に尋ねてください。イエス様と聖母マリヤにたいする皆様の理解が間違ったもとであると、いくら教えてさしあげたところで、それ自体が統一教会にとって利益になるということが何かあるのでしょうか。しかし、皆様が必ずや知るべき一つの事実は、「地上で解かなければ、天でも解くことができない」ということです。それを早くから知ったレバレンド・ムーンは、生涯をかけてこの道を歩んできたのです。 皆様、イエス様は結婚をしなければならないのでしょうか。結婚しなければならなかったのです。イエス様は女性ですか、男性ですか。聖女がいるとするなら、イエス様も彼女と結婚をしたくないでしょうか。神様はエデンの園にアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器をもつことを共に許されたのですが、何のためにそうされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様は彼らを結婚させてくれるでしょうか、させてくれないのでしょうか。問題は、彼らの堕落にあります。堕落ゆえに血統が代わったのです。それゆえに神様は、彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となって、神様にとっての婦人格にあるべきアダムとエバが堕落することによって、神様ご自身の体と理想を病に至らせ、恩讐になってしまったのですから、それをごらんになっていた神様の心情は、いかばかりのものであったでしょうか。堕落とは、自らを埋葬する墓です。他人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根になり、個人主義の先祖になったのです。 今日のアメリカは、どのような国ですか。極度の個人主義、過分なる私生活の追求、フリーセックス……このようなものを神様が好まれるでしょうか。過度の個人主義が追求するものは何でしょうか。彼らの話のとおりであるならば、天も地も、世界、国家、社会、家庭、ひいてはおじいさん、おばあさんまでも皆、放り出してしまい、父母と兄弟も失ったまま、ジプシーやヒッピーになって気の向くままにさまようというのです。そして、雨や雪が降れば、行くところがないので、自殺して一生を終えようという話ではないですか。 しかし、人間の本心は極度の個人主義や、過分なる私生活の保証を願ってはいません。宇宙と国家、町や村、そして父母の愛を受けて暮らしたいというのが、私たちの本心が願うところです。しかし、そうではあり得ない反対の道を行くうちに、良心に火がつき、本心との相克を感じるようになって、むしろ薬でも飲んで自殺するほうがましであると判断し、自ら命を絶つという現象がだんだん増えていくのです。こうして、「自分のまいたものを刈り取る」(ガラテヤ六:7)という真理が的中するのを目撃するわけです。 アダムとエバがエデンの園にどんな種をまいたのでしょうか。フリーセックスの種をまいたのです。それを否定することができますか。そうであったので、彼らは下半身を覆ったのです。小さな子供たちも、親が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして見つかれば、それを包み隠そうとするのが本性の作用ではないでしょうか。もし、善悪の果を取って食べたならば、その取って食べた手や口を覆うべきはずであるのに、どうして下半身を覆ったのかということです。 レバレンド・ムーンは賢明な人間です。皆様に及ばない人間であるからこのようなことを言っているのではありません。堕落は淫乱によって引き起こされたということを否定することはできません。アダムとエバが堕落して落ちたものを救ってあげるためには、堕落した方向と百八十度反対方向の経路を通さなければ、救ってあげることはできないということは、至極、理論的なことです。堕落によって地獄行きの血統を受け継いだので、メシヤが来られなければならないのです。 メシヤは、堕落前の神様が創造されたエデンの園という場所で家庭を築くことのできる主人としてこられるかたです。そのことをはっきりと知らなければなりません! 理論的に合わなければならないのです。メシヤはまず、神様に侍る家庭を築き、その家庭を通して国家を立てなければなりません。このように、家庭が問題なのです。メシヤの家庭を中心として、接ぎ木する摂理をしなければならなかったのです。この死亡の世界で、だれが自分を救ってくれるのかということが問題です。それゆえに反対を受けたのです。 旧約時代は、「目には目、歯には歯」(出エ二一:24)という原則の下に蕩減してきました。イサクの妻であったリベカを見てください。長子であるエサウと夫までもだまし、次子であるヤコブに祝福を奪って与えた女性ではありませんか。そのような女性を、神様はなぜ愛されたのでしょうか。そのような神様のことを、どうして信じることができるというのでしょうか。今まで、これらの諸問題についてだれも理解することができませんでした。レバレンド・ムーンが初めて解いてさしあげているのです。レバレンド・ムーンだけが、神様の秘密を皆、知っているからです。 それでは、どこから天国と地獄が分かれるのか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。それは、まさしく皆様の生殖器なのです! 深刻なことです。これが天地をひっくり返したのです。このことをだれが否定することができますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本、「堕落論」に説明がなされています。疑問に思うのであれば、神様に尋ねてみてください。皆様としては、夢にも想像することのできない内容と理論をもって体系だてられた、レバレンド・ムーンの原理の本に、だれも反対することはできません。 レバレンド・ムーンが天国に行くのか、そうでないのか気になるのであれば、死んでみればいいのです。死んで霊界に行ってみれば、分かることです。今晩、私の話を聞いて気分を悪くされたのならば、割腹をしてでも霊界に行ってみてください。そうすれば分かることではないでしょうか。レバレンド・ムーンがこの道を探し出すために、死の道を何度も越えてきたことを、皆様は知らなければなりません。神様を数百回も泣かせた人が、レバレンド・ムーンです。有史以来、ほかのだれも、レバレンド・ムーンほど神様を愛した人はいません。ですから、いくらこの世界がレバレンド・ムーンを滅ぼそうとしても、私は絶対に滅びません。神様が保護してくださるからです。皆様もレバレンド・ムーンが教える真理圏内に入ってくれば、神様が共にあられて保護してくださいます。 生殖器を、目の不自由な盲人のように、方向を失ったまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば、天国に高い所に行くのです。これは明白な結論です。 現在、青少年の問題が深刻です。エデンの園において、アダムとエバが青少年期に物陰で、淫乱によって堕落してフリーセックスの種をまいたので、刈り入れの時期である終わりの日には必ず、世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。終わりの日には、再臨主が神様の真の愛を中心として、堕落圏内に陥った人類を絶対愛圏内に引き上げ、救われるという戦略を、サタンは知っています。ですから、サタンはどこにも愛の基準を置くことができないので、アダムとエバを堕落させるときにそうしたように、全人類をフリーセックスに押しやって、裸になって皆、死んでいく方向に全世界を引っ張っていくのです。人類がすべて、天使長の後裔としての末路をたどるようになるのです。 エデンの園においてサタンの支配圏内に陥ったアダムとエバの後孫が今日の人類なので、サタンは堂々と神様の前でも、この世界のすべての男性と女性を引っ張っていき、自分のやりたい放題になし得る権限を主張するというのです。神様は、サタンが何を願うかをご存じなのです。サタンは、フリーセックスを通して、ただの一人も神様の前に帰ることができないように、言い換えれば、全人類を完全にめちゃくちゃにして、地上地獄をつくろうとするのです。 今日、私たちが生きているこの世界が、地上地獄になりつつある世界でなくて何でしょうか。したがって、このように地上地獄となったこの世界と百八十度異なる、正反対の道を求めていけば、天国に行く道があるのです。再臨主が来られて、この世界を救ってくださることにおいても、正にこのような百八十度反対の道を教えてくださって、天国に導いてくださるのです。 それでは、フリーセックスの道と百八十度異なった正反対の道とは、どのような道なのでしょうか。偽りの父母が現れてつくった道がフリーセックスの道であるので、真の父母が現れて、この間違った道を正してあげなければならないのです。神様は、干渉なさることができません。この地上にいかなる主権や軍事力、経済力、政治力をもってしても、手をつけることのできない問題です。偽りの父母によって引き起こされたことであるので、真の父母がメスをもって手術しなければ、決して人類は救われる道がないのです。 罪を犯した者が、その罪を蕩減しなければならないのです。家庭において結婚を間違ってしまって、血統が百八十度曲がってしまったために、真の父母が来られて結婚させ、百八十度反対の原状に戻してくださることによって、天国に行く道を開いてくださるようになるのです。 神様がアダムとエバに期待されたことは、何であったのでしょうか。それは、絶対純潔の愛を期待されたのです。この場にお集まりの世界の指導者の皆様が、このような内容を知って帰られて、皆様がたの国で絶対純潔の愛を取り戻す運動を展開されれば、皆様の家庭と国は、そのまま天国に直行することができるということを、理解してくださるようお願いいたします。絶対純潔の愛が存在する所には、絶対相対が誕生するようになり、自動的にフリーセックス、ホモ、レスビアンという言葉は消えるようになるのです。 このような運動を世界的に広げるために、レバレンド・ムーンは一生をささげて受難の道を克服してきました。しかし今や、勝利のファンファーレを鳴り響かせ、世界に号令することのできる時が来たので、天のみ前に感謝するものです。 世界平和に向かい得る礎石を築くのも家庭であり、世界平和への道を破壊し得るのも家庭です。人類の希望と幸福の土台が破壊された所が、アダム家庭でした。したがって、きょう、このように世界平和家庭連合を創設し、皆様の家庭も、今からはサタン世界と百八十度異なる方向に行くことのできる道を開くようになったことを、天の前に感謝せざるを得ません。この道でなくしては、自由も幸福も理想もありません! 皆様は今、絶対、唯一、不変、永遠の生殖器を中心として、これを基盤にして神様を求めていかれるようお願いいたします。この基盤が愛の基盤、生命の基盤、血統の基盤、良心の基盤にならなければならず、正にここから地上天国と天上天国が生じるということを理解されるべきです。 すべての男女が、自分に所属した生殖器が、実は、自分のものではなく、その主人は自分の相対であるということを認定するようになれば、私たちは皆、頭を下げ、謙虚な姿勢で愛を受け入れるようになることでしょう。愛は、相対なしには来ないのです。相対から来るということを知らなければなりません。ですから、ために生きない所には、愛があり得ないのです。絶対的にために生きる所において、絶対愛を見いだすことができるということを肝に銘じられ、皆様も今からお帰りになれば、サタン世界との一戦を覚悟してくださるようにお願いいたします。 どこに行かれても、テレビやその他の言論機関を通してレバレンド・ムーンの話を伝えてみてください。絶対に滅ぶことはありません。地獄と化したこの世界を、果たしてどんな力で変えることができるというのでしょうか。神様の愛、すなわち絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の真の愛を中心として、私たちの生殖器も絶対、唯一、不変、永遠の基準に立てて生きていかなければ、そのことは不可能なのです。私たちの生殖器の本来の主人は、神様であられます。 今、私たちは皆、共にこの目的のために前進しましょう。神様の真の愛を実践する前衛舞台になりましょう。今から家に帰られたら、夫と妻で共に、自分たちの生殖器が絶対、唯一、不変、永遠なる器官であることを互いに確認し、それが正に自分のものではなく、相手のものであり、相手が今までしっかりと保管してきたものが自分のものであると宣言し、お互いのために永遠に奉仕し、感謝しながら生きようと、誓ってください。そのような家庭であってこそ、永遠に神様が住まわれるようになり、そのような家庭を中心として世界的な家庭編成が成されるのです。 そうして、皆様すべてが、共に次回の三百六十万双の祝福結婚式に参席され、地上天国に入籍する真の家庭となられますようにお願いいたします。 ありがとうございました。アーメン!「宇宙の根本を探して」は『ファミリー』1996.10月号P.49~65に掲載されていました。分かりやすいように「生殖器」を青マーカーしています。上記講演文からは神様は人間始祖アダム・エバの堕落ゆえにその主人となることができませんでした。黒・天聖経「宇宙の根本」に記載され内容は創造本然のことを語られていたものであって、人類歴史で神様の生殖器は見ることも触ることも出来なかったというのが事実です。家庭連合の夫人の方々への教育ということですが、支流人(分派)の夫人の方々はどうなのでしょうか?真の父母様に「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」を教えられてきていました。それがどうなっていますでしょうか。アダム・エバは、一粒の種(「夜の神様」)から双子の兄妹として生まれました。完成して花の雄しべ、雌しべのように合わさればそこから出てくる種は元の種(「夜の神様」)と同じ種ということはどなたも理解できるでしょう。ところが、別からの雄しべが付いたとなれば元の種と同じになるでしょうか?それが堕落と言われているものです。血統を違えました。子女様方の三男さん、七男さんも「真の家庭」と主張しています。「天の父母様」が種とすれば、真の父母様から生まれてくる「家庭」も「天の父母様」の種に似たものとならなければならないはずです。文鮮明総裁も神様は「天の父母様」、韓鶴子総裁も神様は「天の父母様」、全く同じ「天の父母様」の血統から生まれた双子の兄妹だと言われています。そのお二人が聖婚されては「真の父母様」です。ところが、三男さんや七男さんの家庭、特には女性の相対者はどうでしょうか。それが問題です。三男さんの相対者は自分の父母は「真の父母様」と、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」だったでしょうか。郭家からの嫁という考えでいたとすれば、それに「はんだ付けされた三男さん」もまた「真の家庭」から外れて血統を違えては「郭家の養子」ということにならないでしょうか。七男さんの家庭ともなればもっと複雑です。相対者だけでなく七男さんまでもが「真の父母様」を蹴とばして姜賢實女史を「継母」に立てるなどしては、実の親が誰であるかも分からない「孤児」となってしまっています。b408さんも「億万歳!!」を叫んでみたところで、結果は人間始祖アダム・エバの血統と同じです。その点からすれば、家庭連合の祝福家庭は夫も妻も「天の父母様」「真の父母様」と一つの血統から生まれた双子であり、その二世・三世の祝福家庭もまた、同じ「天の父母様」「真の父母様」と呼んでいます。聖書ではイエス様はまたほかの多くの「種」の譬えを語られていました。その一つを最後にb408さんへの回答は終了です。マタイによる福音書/ 16章 5~12節5 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。6 そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。7 弟子たちは、これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろうと言って、互に論じ合った。8 イエスはそれと知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互に論じ合っているのか。9 まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けたとき、幾かご拾ったか。10 また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。11 わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。12 そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.04.30
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『ファミリー』1989.1月号より「神のみ旨を中心とする宗教圏の統一」と題して語られた文総裁のみ言からです。過去にはすでにその一部を紹介していました。【前回記事】「宇宙の根本」は”父子関係!!”--神のみ旨を中心とする宗教圏の統一① 「宇宙の根本」は”父子関係!!”--神のみ旨を中心とする宗教圏の統一② 文鮮明先生御言選集 19881014 - 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一 ③ 真の愛の真理体 このごろ共産世界では、「文総裁を殺せ!」と騒いでいます。アメリカでも一部の人々が「レバレンド・ムーンは韓国に帰れ!」と言って騒いでいます。先生は何の負債もありません。罪のない先生に対して、間違っても打ってくれば大変なことになります。 ですから今は、アメリカが文総裁の前に永遠に屈伏するのです。先生はこのようにして西欧社会を、白人社会をこの韓国へ連れて帰ってきたのです。さらに最近では、アメリカのホワイトハウスの周囲にいる人々も先生の世話になっているのです。「ああ文総裁、どうかアメリカにおいでください」と。先生はアメリカに行って何をするのでしょうか。先生がアメリカを助けてあげるとでも思っているのですか。今回も、どれほど先生の世話になった人々がいたか知れません。先生が力を与えなければ誰も何もできません。こういう話を信じられますか。先生が何をしているか、どんな人なのか知っていますか。「お父様」と呼びながらも、自分の父が今何をしているのか知っていますか。今や大統領を教育する、王様を教育する先生なのです。 先生の話は膨大です。既成教会の牧師たちは、「悔い改めれば天国に行ける」と言っていますが、先生は違います。解放されてこそ天国に行けるのであって、悔い改めても解放されなければ天国には行けないのです。ですから、神の統一のための絶対的内容は何かというと、知識ではありません。皆さん、真理とは何でしょうか。真理の根本は何でしょうか。自分以上の真理はありません。天国の真理は一人の男性、一人の女性以外にはないのです。何の話か分かりますか。全世界の男性を代表する真なる男性がいれば、その真なる男性の四肢五体が真理なのです。真理は文字ではありません。真なる女性が真理なのです。そして真なる真理の父とは、真なる愛をもった人です。また真なる真理の夫婦という真の愛をもった真理体が一つになる時、真なる真理の殿堂になるのです。真なる真理の子女とは、愛を中心として兄弟が一つになった真理体です。では、何がそれを成すのかというと、生命が成すのではありません。生命よりも先に愛があったのです。 皆さんは生まれる時、父母の生命から生まれたのですか、愛から生まれたのですか? (愛からです)。生命が激動する男性と女性の生命が、燃えて一つになったものが愛なのです。自分という存在は、このような愛の同参者なのです。これは実に偉大なことなのです。父母が絶対視し、天地が公認する愛を中心として、その絶対的な愛の基盤の上に同参した存在なのです。さらにその根は神様を中心としているのです。神様の骨髄にも通じているのです。それで、もし人類始祖が堕落することがなかったならば、神様は人類の本然の善なる先祖として縦的な愛を代表した父母であったのです。 今日、既成神学では、「創造主と被造物は、相関関係を結ぶことはできない。なぜならば創造主は神聖なるものであり、被造物は俗なるものであるから」と言っているのです。俗なる人間と聖なる神の愛がいかに結ばれるのでしょうか。ではなぜ「父」という言葉を使うのでしょうか。それ自体が既に矛盾しているのです。神様がなぜ人間をつくったのかといえば、その動機は愛の対象を探すためなのです。神様は独りなので、縦的な存在のままでは何の創造力も生じないのです。横的な父母としての、堕落しない人類の真の父母を立てて、神の縦的基準に応じられる横的対象圏を広げていかなければなりません。神の国は、このような横的父母を通して生じるようになっているのです。 では、なぜ父母が必要かというと、神の子女を天地すべてに生み殖やすためです。それでは神様はいかなる方かというと、真の愛を中心とする縦的な父母なのです。その縦的な父母の前に、九十度の水平線に立った横的な父母が必要なのです。アダムとエバが、この横的な父母となるべきだったのです。一方は東から、一方は西からそれぞれに成長して、神の垂直線に対する水平線の中心的代表として、個人的な時代、家庭的な時代、氏族、民族、国家、世界、宇宙的な時代を経て、天と地を一つに連結すべきだったのです。中央線を中心にして出会うために、男性は成長して女性を訪ねていかなければならないし、女性も成長して男性を訪ねていかなければならないのです。ここで生命を受けて生まれてくる時、天地に同和できる愛の同和圏となり、すべての核がそこに集約されて、球形になって、そこから新しい芽が出て縦的に連結されるのです。 軸は一つしかありません。真の愛の軸として、神様と、堕落していない本然の先祖が一つになった軸をつくらなければならなかったのです。これが破れてしまったのです。この軸を復帰しなければなりません。それで統一教会では、「真の父母」という言葉を使うのです。真の父母とは、縦的な真の愛を中心とした父母の前に、横的な真の愛を中心とした先祖の立場に立った方なのです。このような立場で一つになる「零」の位置に、神様も下りてこられるのです。ここに天地のすべての運勢も下りてくるのです。では、そこで縦が中心になればいいでしょうか、横が中心になればいいでしょうか? 縦横の神の愛を中心として、骨のような神の愛に対して、アダムとエバが成長して体のような真の父母の愛を完成し、愛の調和体となり、天と地を主管する王権の主人として生まれるべきであったのです。もし、そのごとく人間が生まれていれば、いかに高貴な人生であったことでしょうか。そのように完成していたならば、その個人は自動的に神様の血統圏に属するのです。神様の血統、神様の心情圏を受け継いで生まれていれば、そこに宗教は必要ありません。宗教の道は、愛の道に従って生きることです。愛の道を学んで生きることです。ですから愛の世界においては、宗教は必要ありません。絶対的な愛の対象として創造された人間の代表として、真の祖先という観点に立つ時、絶対的な真の愛に一致する神の永遠なる理想圏になるのです。人間の永生論理はここに形成されるのです。 私たち人間は、神の愛の対象としてつくられたのですから、真の愛においてのみ永生するというのです。堕落したこの世界においては、これが一八〇度回って、天が地になるようにならなければなりません。そこで統一教会が現れて、個人的に世界の東西を一つにして、家庭的にも東西を一つにして、氏族的にも、民族的にも、国家的にも東西を一つにすることのできる天地の運勢を結集したのです。西洋は東洋のために生き、東洋は西洋のために生きるという愛の交流体として連合される時、ここに初めて神様が中心となって、すべての文化世界を新しい愛の世界へと包んでいくことができるのです。そのような神聖なるみ旨の成就に酔って、このような世界になっていくのです。 すべての出発は真の愛から すべて、真の愛から出発しなければなりません。そこにおいて初めて、個人の統一がなされるのです。個人が歩む理想の道、家庭が歩む理想の道、氏族が歩む理想の道、すべてこの道は愛の道なのです。ですから人類始祖がもし堕落していなければ、夫や妻が完全に絶対的な価値の愛を中心に生活するので、地獄は存在しません。すべてが天国に行くようになっていたのです。 神の国の民となって、神の国の王宮法に従う皇族になるためには、神様を誰よりも愛し、人類を誰よりも愛さなければなりません。そのような意味において、イエス様は神様を愛することにおいて狂った方であり、人類を愛することにおいて狂った方です。さらに怨讐までも愛するために狂った方です。神の国の皇族になるには、怨讐までも愛さなければなりません。それは個人のレベルにとどまらず、国のレベルまで愛さなければなりません。それで今回、統一教会で祝福を受ける人は、大韓民国内の男性や女性同士の結婚ではありません。なぜ不思議そうな目をしているのですか。もう一度繰り返しますが、今回合同結婚式で祝福を受ける人は、大韓民国の人同士で結婚できますか、できませんか? (できません)。これは何の話か分かりますか。 では、大韓民国の人はどうなるのでしょうか。外国へ行って、大統領の夫人の義理の兄弟になることと、韓国大使館の大使になるのは、活動を行う場合、どちらがより効果的でしょうか。答えてください。大統領夫人の義理の兄弟になるほうが、いかなる国の大使になるよりも素晴らしいというのです。それは、すべての国の大使を一堂に集めてどんな訓示をしても、「そのとおりでございます」となるのです。 では、統一教会の人たちはよく考えてみてください。もし先生が日本に行ったとしても、食口以外の日本人の家には行きません。日本の青年と結婚した韓国の女性が生活しているその家を訪ねていって、共に生活したいと思います。食事を作るにも、韓国の女性と日本の男性で共に協力して作るのです。その時、「仲人をした先生は、なぜ私たちをこのように苦しめるのだろうか。薬を盛って殺してしまいたい」と、話し合うのでしょうか? (いいえ)。皆さんが国境を越えて怨讐を愛することのできる驚くべき価値でもって、天上世界の因縁を新しい軌道へ向けて回転できる力の母体となっている事実を知った時、その偉大な恵沢圏に入れるようにしてくださった方に出会えたことは、どれほどありがたいことでしょうか。それは父親よりも、国の王様よりもありがたい方です。では、その方にどのような礼を尽くせばいいのでしょうか。皆さんがよく食べている魚のカレイのようにすることです。常に大地にひれ伏して、おなかが真っ白くなるほどにです。(笑い) それほどに敬礼しても、「私はまだ足りません」と言える韓国人に皆さんをしてあげようと思っているのです。なのに、何ですか! 何が不足ですか。この者たち! 先生が思うには、神様は統一原理の材料を必要とされているのです。皆さんが統一原理の真なる材料となるためには、罪のない童男、童女でなければなりません。神様は、そのような世界的に歓迎される材料を願われているのです。そして、世界が喜ぶことのできる製品が必要なのです。何の話か分かりますか。世界が誇り、世界が欽慕し、天と地が尊敬するような材料でなければなりません。何の材料になるかというと、愛の材料です。どうですか、なれますか。 韓国人同士で結婚すれば、式の翌日から口論を始めます。三年もたたないうちにけんかが始まります。しかし、日本人と韓国人が結婚すれば言葉が不自由なので、約五年間言葉を学んでいるうちに、どんなに多くの事情や曲折も越えていけるのです。どんなにつらくても苦労しても、五年間共に生活しているうちに言葉も自由に通じ合うようになり、「ああ、あなたは偉大です。どうしてこのように日本人の私を愛してくださるのですか」「あなたこそどうして韓国人の私をこれほどまでに愛することができるのですか」と言えるようになるのです。これはどれほど素晴らしいことでしょう。 このような唯一の最高の喜びを得ることのできる道があるということを、神様はよく御存じなので、この先生を通して、愛する統一教会の童男、童女に祝福を与えようとされているのです。そのような決意をもった人々が二十日以後、日本からやって来るのです。 皆さんはまだ祝福がいかに恐ろしく、またいかに尊いものかよく分かっていません。これまで祝福を受けた家庭の伝統も乱れています。先生はこれを正さなければなりません。もし今、先生が正しておかなければ、このまま曲がってしまいます。このような先生の話に反対する人は手を挙げなさい。そのような人は、「私の子女は、今回の祝福には参加できません。私は白衣民族であり、倭賊ではありません」とでも言うのですか。最近、日本人のルーツは韓国人であるということが証明されているのです。七〇パーセントがそうなのです。時がたってしまったので、分からなくなったのであり、すべての系統をたどってみれば、すべてそうなのです。 この韓国でも、北韓からの離散家族と出会った時、お互いに系統をたどっていってみると、兄弟であったと言って、目を丸くしていたのですね。分かってみると、「私のおじの名前は何々です」と言うのです。そしてよく見ると姿形までもよく似ており、「アイゴー」と言って、抱き合っている場面を見たことがあるでしょう。韓国と日本は数百年間も分かれていたのですから、私たちは骨が折れるほどに抱き合って痛哭したとしても、神様はそれを見られて、「この者、けしからんやつだ。悪いやつだ」と言われるでしょうか。「よくやった」と、神様はおっしゃるのです。それで、韓国人と日本人とは怨讐同士だったのですが、統一教会では、この怨讐同士が結婚するのです。 では、この文総裁と地上の女性は怨讐でしょうか、怨讐ではないでしょうか。うん? 怨讐なのです。アダムにはエバが怨讐であり、エバにはアダムが怨讐なのです。またカインにはアベルが怨讐であり、アベルにはカインが怨讐なのです。そしてアベルとカインの兄弟の前には、父母のアダムとエバが怨讐になるのです。このように、怨讐として分かれたものを統一しなければなりません。神の愛を否定したのですから、今日、神の愛で同和して一つにならなければなりません。分かりますか。 なぜそうしなければならないかというと、神様が愛の対象をつくられる時、「私自体はあなたのために存在するのだ」とおっしゃったのです。これが真の天理の始まりです。これは偉大なる愛の思想です。神様がアダムとエバを御覧になって、「アダムよ、エバよ、私はお前たちのためにあるのだ。私が求めている愛は、お前たちを完成させるためにあるのだ」とおっしゃったのです。 永遠なる絶対者の前に、永遠なる対象の価値を表していくために、私たちはすべての相続を受けなければなりません。相続したその愛を再び満たしていかなければなりません。完全に与えれば、そこが真空状態となり、完全に与えることによる高気圧圏をアダム、エバがもつようになるのです。そのような神の軌道の循環法度を促すために、宇宙作用の法度が回転しているのです。 真なる愛の種に 神様は天地創造をされる時、まず御自分を一〇〇パーセント投入されたのです。ですから救援摂理が復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理なのですが、再創造するためには神様がこの宇宙を創造されたように、本然の自らの愛を中心として、すべてを投入しなければなりません。文総裁もその法度に従って生涯を生きていかなければなりません。まず自分のすべてを投入することです。心と体とすべてを投入するのです。投入したあとは忘れるのです。自分が投入した苦労も忘れて、成長していく子供たちを見ながら、自分の父母が私を生むためにどれほど苦労されたか、そして、それらをすべて忘れて、成長していく私を父母が見て喜ばれるように、私も自分が投入したものをすべて忘れてしまうのです。父母の愛が貴いのは、子女のために一生を生きて、それでもまだ足りなくて、千年尽くして足りなく、なお子女のためになりたいからです。そのような父母の愛が絶対的に必要なのです。そのような神様です。 なのに不平を言ったならば、この世のどこに残れる者がいるでしょうか。ために生きて、なおために生きようとする時、三六〇度回転して、自然にすべてが解けていくのです。ですから終末が訪れたのです。ために生きる時、このように回るので(先生がしぐさされる)、このように切れてしまって、偽りは清算されてしまうのです。完全に清算するために、神様は「ために生きる道理」を通してサタンを屈伏してこられたのです。サタンを打って屈伏させるのではなく、自然屈伏なのです。統一教会も今日まで、既成教会が自然屈伏できるような道をすべてつくってきました。アメリカから牧師が数千名また来るようになるでしょう。今度先生がアメリカに行ったならば、NCCに加入するつもりです。NCCの総責任者を通して、韓国支部の者たちに指命を出します。でなければ、アメリカの大統領をして、訓示を出します。先生はいつもそれぐらいの腹をもっています。それは可能な話でしょうか、ただ話してみたくてする話でしょうか? (可能な話です)。(拍手) そこから統一が始まるのです。まず愛の種になりなさい。結論がそうです。真の愛の種になる時、宗教の歩んだ歴史時代の統一圏を越えることができるのです。分かりましたか。種には根がありますか、ありませんか。幹がありますか。枝がありますか。花がありますか。香りがありますか。蜜がありますか。実がありますか。生命がありますか。これらがすべてあるというのです。では、皆さんは種になっていますか。 温度、気候学的に見れば、古代は熱帯文明であり、中世は温帯文明です。これが一回転する四季の周期が六十年から七十年なのです。この期間内に世界を風靡する共産主義が現れたことによって、寒帯地方から温帯地方へシベリアの北風が吹き寄せ、温帯圏内のすべての枝はみんな落ちてしまったのです。冬になるとすべての実が落ちてしまいます。しかし、その中でも真の命の種は、いかに北風や寒雪が吹き寄せても、制圧されることはありません。共産主義の脅威がいかなるものであっても、それを貫いて新しい人類の平和の春の園が訪れるために、解放と希望の春の園が訪れるために、人類の新しい時代を迎えるために、この天地に蒔かれて、緑の葉を出して、再び冬を迎えることのない、解放の温帯圏へと進出するのです。それでは皆さんは種をもっていますか。 種をそのままにしておけば芽が出ません。凍りついて割れてしまいます。中に湿りがあるので、四度以下になるとどんどん膨れていって割れてしまうのです。再生のためには、迫害と艱難の歴史的試練を割って、そこに新しい生命体として、緑の芽を出して春の青山の同参者となり、生命の理論をもって成長して、世界中で一番大きい木となるのです。飛びゆく鳥もそこで休んでいくし、動物たちはその木の下で休み、鳥たちは巣を作り、すべてから尊敬されて、道の標示体ともなり、安息所ともなって、すべての幸福の条件を提示できる、そのような勝利的大木のような人物とならなければなりません。分かりましたか。文先生がこのように生きたので、今や世界中の人々が文先生の胸に抱かれて生きるようになったのです。そういうことが分かりますか。 あなた方も結婚すれば、先生の胸の中で生きたいと願いますか、どうですか。この者たち! そうですか、そうでないですか? 最近では障害者オリンピックを行うのですが、先生はそのような各国の選手たちを見て、どれほど悲しく思ったことでしょう。自転車に乗るのも手でこのようにしているのですね(先生がしぐさされる)。それは罪でないでしょうか。障害者がバスケットボールをする姿を見ても、それは罪ではないでしょうか。罪の中でも悪い罪になります。世界各国ではチャンピオンを送ったと言って、彼らがバスケットをする時、「飛べ!」と歓声をあげるのです。そして金メダルを取ればその不具な選手の前に世界が完全にひざまずくことで、統一の時代が訪れるのだとでも思っているのですか。 それで先生は先回の障害者オリンピックの時にも援助したのですが、今回の障害者オリンピックでも助けてあげなさい。郭錠煥(先生)助けてあげなさい。(はい!)。そうしなさいよ。彼らは国を結ぶための一つの祭物となったのです。四年間運動をやってチャンピオンになることはどれほど大変なことでしょうか。そうですね。それで、霊界統一のチャンピオンになるためにも、祭物的な群れがなければならないというのです。そして、それが統一教会の文先生が教育したこの群れであるということを知らなければなりません。 それで、南北統一のために自分の故郷へ帰りなさいと言うのです。そこで、まず妻を故郷に帰したのです。そして次は子女たち、二世を連れていかなければなりません。国を愛することにおいては、大学などが問題ではありません。先生が統一教会を始めた時、迫害のために大学にも行けないようになった人々とこの道を開拓してきたのと同じように、あなた方も自分たちの故郷を救うために、父母や妻子、すべてを救うために、このことを断固として成し遂げなければなりません。教会長、分かりましたか? (はい!)。先生は世界的に、皆さんの先祖のためにこのことを成し遂げましたが、皆さんは自分の故郷のために、自分が故郷を愛するように、妻が故郷を愛するように、妻以上に、夫以上に、父母以上に、子女以上に愛する時に、その故郷から新しい根が出てきて、天地を覆うことのできる大木になれるのです。自分の兄弟よりも自分の一族よりも故郷を愛し、国を愛し、国を指導できる、世界を指導できる一族になるような愛の根を下ろさなければなりません。そこに希望が生まれるのです。分かりましたか。 天国の門の鍵、還故郷 では、結論づけましょう。統一は愛によって成されるようになっています。今や先生が、すべての蕩減路程を歩み終えたのです。個人的にも終わり、家庭的な戦いも終わり、氏族的な戦いも、国家的な戦いも、世界的な戦いもすべて終わりました。それらをまとめて父母の名においてのみ相続できる時代です。しかし、相続は第三者にはできません。真の父母を中心としての父子の関係による、自然的な愛の因縁を結ぶべきです。そこから骨と肉と血が生ずるのです。それで一切の理想をそこで相続することができるのです。これが父子の因縁なのです。 ですから統一教会では、皆さんが先生を父母と呼ぶことはどれほど恵みであるか知れません。先生は六十年の歳月を犠牲にして、万民の代表として越えてきたのです。それはなぜかというと、先生は父母の立場にいるからです。すべてを与えて忘れるのです。何の代価も求めず、すべてを与えて、忘れるのです。それを失った故郷へ植えるのです。皆さんはこのような統一の木となって、先生が神の国へ結んだ、神が共に住むようないちじくの木のようにならなければなりません。統一教会の木とならなければなりません。そこで人々がおなかが空いた時、果実を求める時、かつてイエス様がエルサレムに上っていかれる時、実のないいちじくの木を呪ったことを忘れてはなりません。実を結ばなければなりません。その実が皆さんの祖父母であり、父母であり、子女であり、皆さんの一族なのです。いま正に天地開闢時代が訪れたのです。祖父が孫になり、父が息子になるのです。そのような過程を経なければ天国へ入れません。先生が行く未来の世界に入籍することはできません。故郷をもたない人たちは入籍できません。 今や宗教歴史にあって初めて故郷に帰るのです。故郷に帰って、故郷に愛の種を蒔いて、故郷の氏族と氏族を連結して民族となり、民族と民族を連結して国家となり、国家と国家を連結して世界となり、世界と世界を連結していくのです。このように氏族圏と人類が一つとなり、それによって統一が成されるのです。愛を中心として統一されるのです。分かりましたか? (はい)。 先生は何度も刑務所に入りましたが、今になってみると、それは神様が先生を教育するためだったのです。先生がもし、共産党の統治のもとで三年近くの監獄生活をしなければ、共産党の本質はいまだに分からなかったでしょう。共産党の組織の中でも最も核心的な組織が監獄の組織なのです。 また先生がアメリカへ行ってもダンベリーの生活がなかったならば、アメリカをよく知らなかったでしょう。ダンベリーに入ることによって、小さな社会ではあるが、アメリカの最も悪い面と、最も良い面が分かったのです。誤解され、また謀略によって先生はダンベリーに入った結果、彼らを心情的に最も良い人、最も悪い人に出会うことができたのです。先生は彼らを心情的に一体化させて、先生の前にひざまずかせ訓示できる立場に立ったことは、神様が未来のアメリカの国民を教育するための心情圏蕩減条件を立てさせたということです。 先生がダンベリーに入るようになった時、人々は「レバレンド・ムーンはアメリカを滅ぼし、アメリカを売り飛ばすために来たのだ」と言ったのです。そのようなアメリカの逆賊の徒党の代表の先生が入獄するというので、「この野郎! ここに入ってきたからには、もし一つでも間違ったことを行えば即刻首を切ろう」と約束していたそうです。そこでは一夜にして人一人を殺すことなど問題ではありません。普通のことなのです。それを先生は知っていたのです。先生はその社会で戦わずに通過していかなければならないのです。そして六カ月後には、彼らが先生を尊敬するようになったのです。それは先生が生活で示した教育の結果なのです。何の話か分かりますか。ですから、あなた方が故郷に帰って一族を復帰できないというような話は、この先生には絶対に通じません。 先生が西大門の刑務所に一〇〇日間入っていた時、教導所長から拘置所の課長、看守までもが先生に従ってきたのです。その時は夏だったので、教導所の牧師が桃などを買ってきてくれたのです。不思議なことに彼らは自分が何か食べようとすれば、獄中の統一教会の文先生を考えて食べ物がのどを通らなくなるというのです。 ですから先生は北韓のこともよく知っています。共産党の治下に生きることが、どのようなことであるかをよく知っています。先生は南韓についても南韓の刑務所を経たのでよく知っています。日本についても日本の刑務所に入ったので、日本人とはどのような者かをよく知っています。アメリカでも刑務所に入ったのでアメリカがどのようであるかをよく知っているのです。これが最後です。今になって考えると、それらのすべてが、神様が先生に大きな恵みを与えるための準備的役事だったのです。そのために、その国の人々が先生を尊敬することができたし、地獄にいるすべての怨讐までもが、先生を称えることができるようになったのです。解放が始まったのです。何の話か分かりますか。監獄に行って反対を受けるだけの先生ではありません。監獄の中でも懐かしく思うのは、心情の世界であり故郷の便りなのです。彼らが懐かしく思うことは食事をすることよりも、楽しい慰労の時間なのです。ですから先生はよく話をしてあげました。いろんな話を毎日のようにしてあげたのです。 そして、先生が話を始めると昼食の時間になっても食事をすることすらも忘れて、先生の話を聞くのです。これ以上の福音はないのです。人間は、飢えれば体もやせ細るのです。先生が一時間、二時間と話を続けているうちに昼食はなくなります。そのように、先生の話に酔って、食事をすることも忘れて、そこに涙を流していた人々を先生は忘れることができません。ですから今でも、彼らの思い出の中に鮮やかにレバレンド・ムーンのイメージが残っていて、電話を掛けてきたり、訪ねてきたりしようとするのですが、今は先生がそれを止めているのです。分かりますか。 一度通過する場には必ず何かを残していかなければなりません。その中でも最も貴いものはお金でもなく、手段、方法でもなく、愛なのです。そのような愛の種を蒔いていくのです。それで神様は、先生を苦労させてきたのです。日本、アメリカ、韓国、共産世界、これらの四大国が、世界の代表として先生に獄中生活をさせたことは、歴史的な根をもった最高の愛の種を植えさせるためだったのです。深い愛の根から芽を出して、最も高く成長していく茎に完成していくための、神様の愛の教育だったのです。 このようにして、サタン世界のカイン圏のすべてに、神様が今日まで種を蒔いて育ててきたのです。それらのすべてを一カ所に集めて、収穫して新しい天国時代を迎えるために、先生を苦労させてきたということを知らなければなりません。その苦労の下敷になって、贈り物になるのではなく、苦労の中から勝利して、その栄光の中から勝利的賛美の権限をもって、神様が同居できる場における贈り物を、今日、統一教会の文総裁は父母の名をもって、世界の人々に無条件に分け与えたのです。 サタンはこれを妨げることができません。それで九月二十七日を期して「世界統一転換式」を行ったのです。すべてが回っていくのです。開天節を中心として四三二一年、数字的にもぴったり合うのです。そこで「世界統一国」という、新しい地上天国への出帆を天と地の前に堂々と宣布したのです。そこで統一教会の信者は、みんな故郷に帰るのです。故郷に住むチャンスをすべて分け与えました。自分の故郷に帰って家を建てて住み、子女を育てて天の公臣となることが今回の「還故郷」です。高次元の宗教は、今日まで出家することを教えてきましたが、故郷へ帰るということは、歴史が始まって以来の出来事です。そして帰る時には、父母を伴って、父母の国家レベルの相続を受けて帰るのです。分かりましたか? (はい)。 これから、統一教会の解散命令が出るでしょう。これ以上、統一教会があって何をするのですか。故郷へ帰って、故郷の人を復帰して、故郷と直結された国を、故郷と直結された世界を、故郷と直結された天国を成し遂げるのです。それは皆さん一人一人にかかっているのです。地上で結ぶのも皆さんが結ぶのであり、地上で解くのも皆さんが解くのです。地上で結び、地上で解くことは、天上世界でも結び、解けるのだという聖書の教えのごとく、先生は「天国の門の鍵」を皆さんたちに与えたのです。それが「還故郷」です。故郷で愛の種を蒔いて氏族復帰をするのです。 きょう、このような興南出監日を記念するため、先生が今日まで苦労してきたのです。天上世界の善なる世界、また悪なる世界、すべてを知り、そこから核を取り出して、勝利の世界的な土台をつくって皆さんに与えたのです。このことを正しく知らなければなりません。きょうのこの時を迎えることがどれほど難しかったことか、それは神様から見れば、人類歴史二五〇万年以上と言われるこの長い間、数多くの人々を犠牲にしてきたものを、先生一代において縦、横に蕩減させて、解放の旗を掲げたのです。今や高らかに前進し、北韓の解放の勇士として故郷に旗を立てて、天幕を張るのです。分かりましたか。 愛の陣立てを整えて出発しなければなりません。今後の命令一下、南北の統一の日は、そう遠くないと先生は見ています。そのような喜びの日を望みつつ前進しましょう。それがきょうの興南出監を記念する日としての贈り物です。分かりましたか? (はい)。ありがとうございます。 では祈祷しましょう。 愛するお父様。過去を振り返ってみれば、事情も多く、曲折も多く、行く手をふさがれて身もだえしたことも多くありました。しかし、お父様を愛し、お父様の息子としての責任を果たさなければならないという責任と、その遂行がどれほど重要であるかをよく御存じのお父様でありました。この息子は、千年を一日のごとくに歩むと言い、あなたのみ前に喜びの日をお返しすることよりも、憂慮の痕跡のみを多く残してきた事実を、この時間に再び回想するものです。 お父様、この大韓民国をお父様が引き受けてください。既に南と北が交流する時が来ております。物と物の交流も重要であり、人間の交流も重要でありますが、神様を中心として愛の交流をいかに成すかという問題が、最後の課題として残っており、あなたがこのことを、共産世界の瓦解、民主世界の零落のゆえ急いでおられることを知っています。 そのような中で、今日まで隠れていた統一教会が、完全に高く中天に掲げられる時となりました。レバレンド・ムーンの名が復活して、天上世界が地上世界を覆う時が来ました。名の復活によって、実体の復活圏が訪れることを考えた時、あなたが望んでおられた創造理想の愛の対象たる栄光の一時が、私たちの目前に近づいてきていることを知るものです。そのためには、真の父母と心情圏を受け継いで、真の父母と血統的因縁を結んで、真の父母の心情を相続し、万民、万国の前に、主体的な責任者として恥ずることのない、お父様の骨と血肉に連結された息子、娘として、子女の命令を果たすことのできる、神の子女とならなければならないことをよく知っています。 祝福のその日を目前に、あなたのみ前に善意のみをもって分別した歴史的な終末時代に、恥じることのない息子としての責任を果たすばかりでなく、神様の右側に立って、愛されて褒めたたえられるその場に向かって、千万の事情を耐えて、十年の苦痛も勝利していく統一の群れとなれるように、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。 あなたが歩まれた道が、どれほど険しいことかを、この息子も四十数年間、血と涙の闘争の道を歩んできて、神様の悲しみと、苦しみの中にいる万民がどんなにかわいそうであるかをより分かるようになりました。ただ自分の過去を忘れることに今まで努め、記憶した悲しい事実を消し去るために努めてきた生涯の路程を知っておられるお父様。その間、あなたはその背後にあって、忘れなければならない曲折の事情が、兄弟の間、父子の間における堕落によって残された事情であることを忘れなくては、再び立てることができないということを知ったので、そのことを見つめ記憶されるお父様は、この寂しい者の友となってくださり、追われる者の垣となってくださり、石を投げる者に対して盾となってくださったことを考えます時、おそれ多いばかりでございます。 日々訪れるお父様の時が近づければ近づくほど言葉なく、沈黙を守りながら、お父様の前に、万年の深い事情から、骨髄にまで憂いの涙を流しつつ、あなたのための孝の道、忠の道が何かを探し求めることに忙しかった日々が、今や年を取ってようやく悟れるようになったこのことを感謝いたします。 秋になれば、木々の葉も色を失うとともに、すべての万物が実となって頭を下げ、自分の価値をなくしても喜びの収穫期を見つめて、お父様が人類の歴史路程を耐えられたことを感謝申し上げます。そのような恵みと恵沢圏にあって、統一教会を万国の追慕の対象として立ててくださり、そればかりでなく、中心的な立場にあって、千秋の生命的因縁を万国へ広めるための源泉として立ててくださったお父様の驚くべき恵みの前に、感謝し、賛美できる群れとなれるよう許諾してくださることを、切にお願い申し上げます。 きょう、このように集うことのできた一九八八年は、解放後の二年八カ月を足せば四十年になるこの日であります。四十年間、曲折の多い路程を訪ねてこられたお父様の恨の四〇〇〇年の歴史。その節目、節目に波打つ四位基台を整えて、四十数を越えて、四方に統一圏を築かなければならないという、お父様の摂理の統一的な事情の内なる心情がいかなることかを知る時、御苦労されてこられたお父様の労苦をさらに追慕しながら、どうか私たちの前途に三数を中心とした解放の便りが訪れるように許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。 これから南北統一の召命的な責任を前にして、躊躇することなく、強く雄々しく、前進的な勇士として、先頭に立って戦っていく統一勇士として、頼もしく誇らしい姿となれるように許諾してくださることを、お父様のみ前に切にお願いいたします。たとえ死に別れても、あなたの愛の涙でその場を濡らすことのできる統一の役軍になれるようにしてくださいますことを、この日を期してお願いいたします。 日々訪れるその時が、お父様のみ前に栄光と喜びと誇りを残すことのできる日となりますように導いてくださることを、再度お願い申し上げながら、これらのすべてを真の父母の名によって祝願いたしました。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.04.26
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『ファミリー』1989.1月号より「神のみ旨を中心とする宗教圏の統一」と題して語られた文総裁のみ言からです。過去にはすでにその一部を紹介していました。【前回記事】「宇宙の根本」は”父子関係!!”--神のみ旨を中心とする宗教圏の統一①文鮮明先生御言選集 19881014 - 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一 ②1988年10月14日 真の愛による同位権、同参権、相続権、所有権 さて、先ほどの話ですが、世界の統一は、絶対的な神のみ旨を中心として行うのです。問題はそのみ旨が何に根拠をおいているかということです。み旨の根拠は何かというと、それは手段でもなく、お金でもなく、知識でもなく、真の愛の根でなければなりません。 真の愛の色は赤でしょうか、黄色でしょうか。どうですか? (分かりません)。「知らない」と言ってはいけません。「調和という内容をもっているので分かりません」と答えなければなりません。 皆さんは愛を知っていますか。世の中で普通に結婚して、夫を千年万年信じて生活していたのに、もし夫が隣の家にめかけを住まわせるならば、妻の心はどうなるでしょうか。夫は、自分の妻は女性の中でも最高なので、自分がどんなことをしていても「よくやりましたね」と褒めてくれるだろうと言うのですか。女性たち、どうですか。それは命を懸けても許すことができないことです。そうですか? (はい)。なぜですか。男性のゆえですか、愛のゆえですか? (愛のゆえです)。そうです、愛のゆえです。愛がいかに強いかといえば、一度に十人の首を、愛によって切っても、誰も痛いとは言わないのです。愛は命に屈伏しないのです。真の愛の道の前には、反対する者のその数百人の首を切ったとしても降伏しないのです。ですから夫の不始末を聞くや否や、心を治めることができず、大根を切るように夫の首を切りきざみたくなるのです。「この心がいったいどこから出てきたのか。なぜ、自分はこれほどまでに暴悪で、これほどまでに悪なる人になってしまったのか。数十年間祈祷を続けて、聖人の母になろうとしてきたにもかかわらず、小さなバッタみたいな者が飛び跳ねながら、少しばかりいたずらしたことに対して、なぜこうなるのか。このようになりたくないのに、どうしてこうなるのか」と思うほどです。どんなに小さな女性であってもこうなのに、もし偉大な神様が愛を踏みにじられ奪われたとすれば、神様は果たして黙っていられるでしょうか。どうですか。神様はどうされるでしょうか。神様だから黙っているのでしょうか。どうされるでしょうか。より大きな雷を落とすでしょうか。それとも「フッフッフッフッ」と笑うでしょうか? (大きな雷を落とします)。神様とても同じです。では、千年後の私たちの後孫はどうでしょうか。最近では、中、高校生にもなれば、その両親が、「私の子女たちのデートの相対がいないかなあー」と言っているのです。それは滅びの兆候です。それは真の愛と関係ありません。「あのような女性とは結婚させたくない」と、どんなに父母が言っても、一族が騒いでも、「あなたの娘は、私の一族を売ったとしても嫁に迎えたい」と言う、そのような男を婿にしたいですか、それともこじきのような男を婿にしたいですか。どちらですか? (前者です)。神様もそのような愛には気が狂うでしょうか、狂わないでしょうか? (狂います)。それを見たことありますか? では、「神様すらも愛においては気が狂う」と言った時の感じと、「神様は愛においては気が狂わない」と言った時の感じと、どちらのほうがより皆さんに近いですか? (前者です)。前者ですね。それは正しい答えです。 神様が愛に酔って、その目も真っ赤になり、五感とすべての表示体が麻痺したとしても、次に何を中心として動き出すかというと、愛を中心として動いて、愛の焦点を合わせるのです。愛の力がどんなに強いかというと、いったん愛の関係を結んだ人は、もしそれが王家の王女と僕であれば、王に対して「あなたが王様であるかどうか、私には関係ありません」と主張するほどです。愛の因縁を結べば、すべて自分のものになってしまうのです。その相対のいる所にいつでも行くことができるのです。それを妨げることはできません。愛にはそのような同位権があるのです。愛の性禀の中において常に同じレベルに立つのです。ですからお母様もここに来られて座っているのです。もし、近所のおばさんがここに来て座っているとすれば、それはいかに見づらいでしょうか。(笑い)お母様がここに来ているのはなぜでしょうか。先生を愛しているからです。美しく着飾っていても、そうでなくても、また手足の不自由な人であっても、愛で一つになれば同位権が生まれるのです。それから同参権です。 先生が急に登山に行くと言った時、お母様が「あなた一人で登山に出掛けてはいけません。私も共に行きます」と言えば、先生は、いけないとは言えないのです。また下山して、急に「韓国にいないで、私は東京に行かなければならない」と言った時でも、お母様は「あなたは行ってはいけない」とは言えないのです。「どうぞ、そうなさってください」と言わなければなりません。愛にはそのような同位権、同参権があります。そして次に相続権があるのです。 ですから、統一教会の人たちは賢くなければなりません。天国へ行くのも賢くして正しいチケットを持って行かなければなりません。もし誤ったチケットをもらえば死んでしまいます。色の黒い小さい男性が、世界一美人の立派な女性に向かって、「あなたは私の妻である」と言った時、美人のその女性は気持ちがいいでしょうか。その男性に対して、「あなたはそういうことを言ってはなりません」とは言えないのです。愛にはそのような所有権があるのです。 神様と人間が相関関係を結んで、神様が離れることができない愛で一つになった時には、すべてが終わるのです。同じ原理に照らして、神様は誰のものになりますか。答えてください? (自分のものになります)。そこで神様は前後、左右、上下においても自分のものになるのです。愛にはそのような相続権、所有権があるのです。それを否定することはできません。そこではすべてが自由なのです。 愛と自由 この社会では、男性と女性に自由はありません。通りがかりの男性が、「自由だ!」と言って、横にいる女性の手をつかんでみなさい。平手打ちされます。しかし、愛の関係を結べればそれが自由になるのです。きょうはお母さん方がたくさん来ていますね。あなた方が夫の部屋に入る時、「私は今から入ります」とノックして入りますか、それとも、サーッとノックもしないで入りますか。世の中の道理に合わせてノックして入るほうがいいですか、それともそっと入ったほうがいいですか? (そっと入ったほうです)。愛に同和すると自由が生まれます。もはや制裁はありません。何でも与えることができるし、何でも受けることができるのです。 それでは、神様と私たちが愛で一つになれば、神の宝座に共に座わることができるでしょうか、できないでしょうか。神様のひざの上に座ることができますか、できませんか? (できます)。もし神様にひげがあるとすれば、そのひげをつかんで自分の首に巻きつけたとしても、神様は「このような者は殺してしまえ」と言うでしょうか。「あ! あ! すべて自由にしなさい。天下の平和とはこのような所でも渦を巻くのだ……」と独り言の詩を歌うようになります。愛の魔術の世界には、そのような詩が生まれるし、文学の切々さがそこで交差する、のぞき眼鏡の境地が連結されるのです。愛する者同士が出会えば喜ぶように、神様との愛の関係を結んだとすれば、神様はどんなに喜ばれることでしょうか。 上品でおとなしく、ひげを長く伸ばした、聖者になるような人は、神聖さをもたなければなりませんが、その聖者には妻が必要でしょうか? (必要です)。「あ! あ! 私は聖者様の妻になったので、聖者様の妻らしく行動しなければなりません」と。部屋に入る時もリズムに合わせて入り、あいさつも儀典に従って、すべて厳守した生活をしなければならないでしょうか? 妻が、「これは何ですか?」と言って、その儀典を守らないで、聖者様の祈祷される生活にただ合わせて生きるだけではどうにもなりません。それで、毎日のようにけんかするのではなく、互いに愛でもって溶かさなければなりません。愛でもって妻を感化させて、それ以上の幅の広い聖人にならなければなりません。そのような聖人の所へ、妻が「あなた、私はこれからそちらへ行きます。自由奔放にすべてを解放して渡っていきます」と言って、服を脱いで戸を開けて入ってきたら、聖人といわれる夫は、天地の道理を悟ろうとして瞑想して座っているのに、そのような姿で妻が入ってきた時、叫び声を上げて後ろ向きになるべきでしょうか。そのまま迎え入れるべきでしょうか? (後者です)。そうです、後者です。 皆さん夫婦同士では、どんな姿で踊っても、何をしても罪ではありません。神様も愛する時は喜ぶでしょうか。笑うでしょうか。踊るでしょうか。神様はどうされるでしょうか。神様も同じなのです。神の目には、服よりもその人のすべてが見えているのです。全身の細胞が作動する運動もすべてを見ておられるのです。神の世界においては、すべてが解放圏なのです。ですから文総裁はどんな型にもはまりたくありません。先生が市場に行けば、露天商の古着屋さんとも友達になってよく服を売ってあげたりします。先生が売り子になってあげるのです。「あなたの夫の代わりになって売ってあげましょう」と。ある時は、その人が姉のような年であれば、先生が弟になってあげて売ってあげたのです。先生はそのような訓練をしたのです。ですからどこへ行っても多くの友達がいるのです。 このように、愛には世界的解放があり、自由があります。皆さんは自由と解放のどちらを願いますか? (解放です)。解放のあとに自由が来るのです。人間は堕落したため、いまだ解放されていないのです。自由がないのです。サタン圏内からの解放が必要なのです。人間は天理の大主であられる神の愛を中心としていまだに解放されていないのです。 その神様も、いったい誰に絶対的服従をするのかというと、まず神様は、「先に絶対服従してから、服従されなさい」と言うのです。それが偉大なことです。ある時、先生は皆さんに対しても無慈悲に命令したりするのですが、それは先生が皆さんに無慈悲に命令している以上に、先生は実際そのことを神様を通して知り、また行ってきたので、命令することができるのです。 真の愛を中心とする者 さて、きょうの話の統一世界を神の永遠に不変なる一つのみ旨を中心として収拾するという、その内容は何かということですが、聖書の旧約、新約を見本として、神様はプログラムをつくって、世界を収拾されるのでしょうか。人類始祖の堕落以前には、聖書の新約も旧約もなかったのです。既成のキリスト教会にいた人にとっては、このような話は本当に異端の話のように聞こえるかもしれませんが、それを疑うことが異端の魁首です。神様は聖書に従って動かれるのではありません。聖書は病人を治療するための処方箋のようなものです。自由人には必要ないものです。神様に出会って、「あなたは、旧約聖書でこのように語ったでしょう。ですから私に対してこのようにしてください」と言うことが可能でしょうか。愛はすべてを越えるものです。愛には規制がありません。ですから父母や親戚同士がどんなに反対していても、この愛の道を知れば、誰もがこの道へ直行するのです。たとえ正面衝突して、頭が飛んでしまっても直行するのです。では何を中心としてみ旨を成就するのでしょうか? (真の愛を中心としてです)。 真の父母とはどういう人かというと、自分が生まれたのも子女のためであり、生涯苦悩して生きるのも子女のためであり、死ぬのも子女のために死ぬというのです。それが真なる父母なのです。自分の生命の起源から、すべての生涯路程を経て、生死を越えてまでも、子女のために生きようとするそのような父母が、真なる父母です。では、真の子女とはどういう人かというと、全く同じ道理なのです。自分が生まれたのも父母のためであり、生活のすべても父母のためであり、死ぬのも父母のために死ぬ人が真なる子女なのです。分かりましたか? (はい)。真の兄弟も同様です。真の兄とは、弟のために生まれ、弟のために生き、弟のために死のうとする人であり、すべてにおいて生命を懸けている人です。 ここにいる年老いた女性たち、真なる妻としてそのように年老いたのですか。どうですか。女性たちが愛されるためにお嫁に行くというのは、堕落した先祖のエバと同じです。エバは愛されようとして堕落してしまったのです。本来は愛を受けようとするのではなく、愛そうとしなければなりません。そうすることによって愛が返ってくるのです。分かりますか。 では真なる教育者、真なる指導者とはどういう人でしょうか。その人に従っている千人、万人の人々がいるとすれば、その中で自分だけが楽な道を行き、千万人の人々に苦労させようとするのではなく、千人、万人すべてが休めるようにしてあげて、自ら最も苦労する道に責任をもとうとする人が真の指導者なのです。この先生を見なさい。アメリカにおけるダンベリー事件を知っているでしょう。アメリカの法務省がレバレンド・ムーンを起訴した時、先生は韓国にいたのです。法務関係の協定がないので、アメリカには行かなくてもよかったのです。アメリカの国民ですら、自分が法に触れた場合には、アメリカから逃げ出すのです。先生はそのまま韓国にいれば、アメリカへ行って刑務所生活をする必要はなかったのです。しかし先生は起訴された翌日、ドイツを回って飛行機でアメリカに入ったのです。アメリカの法務省では、判事や検事たちが集まって、「レバレンド・ムーンは絶対に出頭しないだろう。なぜなら、アメリカ人でさえも、アメリカを離れて法の網から逃げ出すのに、何の関係もない異国の人が、なぜアメリカに来る必要があるのか……」と言っていたのです。 神様に主管されて生きる先生は、アメリカの法の上で生きる人間です。法の下に生きるのではありません。それ以上のことをしなければならないのです。そこで、アメリカに入った文総裁は滅びましたか、勝利しましたか? (勝利しました)。勝利したのです。最近ではアメリカの大統領までも先生の世話になるようになりました。先生はそのような基盤をつくったのです。今や、アメリカの国民もレバレンド・ムーンを尊く思っているのです。統一教会の信者はどうですか? (尊く思っています)。では昼になったのに、なぜ昼食もさせてくれないのですか。(笑い) 待遇されようとして待遇されるのはサタン世界のことです。先生は、「あいさつをせよ」とか、「再臨主」とか教えたことはありません。先生はそういう話をしましたか? 金元弼(先生)は、「再臨主」とか「メシヤ」とか言っていますが、メシヤとは、日本語で食堂の主人のことです。(笑い) 先生にはそのように聞こえるのです。また再臨主とは、死んだ夫が天国に行って再び訪ねてくることです。先生は再臨主が偉いとは思いません。そのように思っていたら、愛の話をすることもできません。悪口も言えないのです。再臨主が悪口を言ったらどうなりますか。(笑い) 先生は、再臨主という名が嫌いです。名は嫌いですが、再臨主が今まで神聖なるこの道をつくってきたのです。何の話か分かりますか。一番苦しいことを再臨主ができなくても、先生にはできるのです。ですから、その位置においては、もし再臨主が現れれば、神様の代わりとして侍らなければなりません。これはいかに恐ろしい話でしょうか。 先生は監獄に入って、最も困難なことを成し遂げました。そこで三つの与件を出発させました。まず、共産主義の脅威からアメリカを救うことです。次にアメリカの青少年を救わなければなりません。これは最も難しいことです。それから腐敗したキリスト教を再復活させることです。このような三大与件です。これは、アメリカにおいて誰もできなかったことです。学者にも、宗教者にも、政治家にも、いかなる方法手段をもってしてもできなかったことです。お金をもってでも、世界中の科学文明をもってでもできなかったことです。先生は、アメリカを共産党の魔の手から解放する門を開きました。七〇年代には、言論機関も、共産主義によって左傾化されていました。それを先生がひっくり返したのです。このように先生は多くのことを成したのです。学者世界においても、多くの迫害を受けながら、東西四方へと散らばって戦ってばかりいる学者の群れを一つにして、その方向を提示しました。世間で学者といわれる人々は、なかなか話を聞きません。そのような群れを集めて、文総裁が「このような世界に向かわなければなりません」と、方向を示したのです。それで絶対的価値を中心として約十五、六年間教育した結果、今は議長が先生のみ言を研究するようになりました。 アメリカの神学校にも、「AR」という組織があり、年に一回牧師、神学者約六〇〇〇名ほどが集って大会を開いています。しかし私たちは、その門前にも行けなかったのです。今はその理事会の半分が先生の側です。その展示会の重要なコーナーに統一教会を紹介したとしても、「どうぞおいでください」と言うのです。反対できないのです。アメリカへ留学した群れが、韓国に帰って、「自分は神学者だ。文総裁に反対する」とか言っているのですが、あなた方の学んだ神学校の校長が、既にレバレンド・ムーンの教えを受けているのです。どうです。気持ちがいいですか、悪いですか? (気持ちがいいです)。では、反対する者が偉いですか。反対する人々の声を聞きながらも、それらを相手にしない人が偉いですか? (相手にしない人です)。それは偉くありません。悪口を言われながら、気持ち悪くも思えない人は、愚かな人ではないでしょうか。女性としてそのような息子を生みたいですか。もしある村で、殴られて帰ってくる息子がいれば、「どうして泣いて帰ってくるのか」と言うのが母親でしょう。先生の母親もそうです。先生に「どうして悪口を言われながら黙っているのか。復讐すればいいのに」と言ったのですが、先生が知った真の道がそのような教えではなかったのです。 それで今回、四十年ぶりに広告を出したのです。先生は悪いことはすべて忘れようとしますが、良いことは覚えています。刑務所の話もすべて忘れようとしているのです。思い出せば、今でもすべての話ができますが、もしすべてを話せば、皆さんは涙を流すことでしょう。昔、先生は有名な日曜学校の先生をしていたので、文学的専門用語を使って、どんな話も、童話も、長編小説もできるのです。馬に乗って荒野を疾走する内容などを話す時、当時の教会の若者たちは、先生がますます好きになったのです。先生はどこへ行くにも、説教を準備していくことはありません。何の準備もしなくても、先生は感銘を与える説教ができるのです。一日中語り続けても、数カ月は語れるし、説教だけでも生活できる先生です。 さて、統一の話ですが、宗教圏の統一は何をもって成すことができるでしょうか。それは武力ではできません。不良息子が悔い改めることができるのは、父母の愛からです。愛は死亡の世界から創造力を発揮できるのです。死の場から復活圏をつくり出せるのです。今回のソウルオリンピックの時、「一二〇カ国から宣教師と代表二人ずつ韓国に来なさい」と言ったのです。旅費は各自が準備したのです。先生に助けてくださいと言うような人は一人もいないのです。皆さん、もし先生が天国へ行って、皆さんに「天国に来なさい」と言った時、先生が準備してあげるべきでしょうか、それとも皆さんが準備して来るべきでしょうか? (準備して行きます)。それと同じなのです。先生の真の道を知ったならば、先生が行うとおりに皆さんも行わなければなりません。その道がいかに険しくとも、その道を開拓していくのです。たとえヒマラヤの山頂へ登っていく道であっても、これが公式の道なのです。その山頂を越えて天国へ入るのだとすれば、すべての人々は越えなければなりません。 ですから、先生はこのような道を知ったので、一生涯この道を行くのです。この道はただ楽に行くことはできません。サタン世界の最も深い谷底にも、神の愛を中心として、真の愛の根を下ろさなければなりません。そこに根を下ろさなければなりません。そこに根を差して、そこから出発して、サタン世界の個人的時代、氏族的時代、民族的時代と、すべてにおいてサタンが打ってくる中で、神様の本来の愛の伝統を築くのです。先生はこのようなサタン世界のすべてに迫害されながら、世界の位置にまで上がってきたのです。今や中天に名声を翻す時なのです。これからは大韓民国においても、文先生に反対する者は打たれるでしょう。 迫害は神様が恵みを与えるための架け橋 先日もこんな話を聞きました。ある喫茶店に入っていた時、ある軍人が文総裁の悪口を言った既成教会の人の胸ぐらをつかんで、殴ったのです。「この野郎! お前は文総裁に対してどのくらい知っているというのか!」と。これから先生に反対する者はこのように殴られることでしょう。そして、死ぬ者も現れるでしょう。なぜこのような話をするかといえば、一九五五年、李承晩博士の時代に、文教部、広報部、内務部、法務部、外務部の五人の長官が一つになって、文総裁を打ってきたのです。その時、李承晩大統領の妻のフランチェスカと、金活蘭と、李起鵬の妻の朴マリヤたちが一つになって打ってきたのです。そして一瞬にして、梨花女子大学、延世大学において迫害が始まったのです。このまま統一教会を認れば、賢い青年男女が、神学校の学生が数週間のうちに完全に伝道されていって、そのまま放置しておいたら、数年以内に既成教会が滅びてしまうと思い、「どんなことをしても統一教会を打ち砕かなければならない」と言って、騒ぎ立てたのです。しかし、何の罪状もないので先生を殺すことができなかったのです。 散々調べ尽くして、「兵役忌避」ということで打ってきたのです。先生は北で監獄生活をしてきたので、既に兵役の年齢も過ぎていたのです。どんなに法に照してみても問題にならないので、無罪釈放になったのです。しかし悪いことには、その時大騒ぎして連れ出したのに、無罪釈放になったことは誰にも知らされず、今になってもそのことで先生を打とうとする人がいるのです。 先生は個人的に打たれ、家庭的に打たれ、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、天と地においても打たれてきました。共産主義者から、またアメリカ人から、アメリカの政党全体から、さらに仏教、儒教、すべてから打たれてきましたが、誰一人として宗教者で、この先生に同情した人はいませんでした。誰一人として男性も、女性も先生に同情した人はいませんでした。しかし先生は、そのような中でもすべての人々に、この道を教えてあげました。監獄の中でも話してあげました。そして、世の中がこれほど悪なる世界になっていることを、先生はよくよく知りました。しかし先生は、これらすべてを自然屈伏させてきたのです。 本当は監獄のことはすべて忘れなければならないのですが、殴られて痛かったことを記憶しているのです。先生の体には多くの傷が残っているのです。既成教会が与えた傷です。先生がもし人間的に生きるならば、彼らの腹を切り裂いて、禿鷹の餌にしても足りない気持ちです。先生の性格は、そのように強烈なのです。少年時代にも、もし先生の村で誰かに殴られたかわいそうな人がいれば、先生はその人を訪ねていって、責任をもってその人を殴った者を処分する魁首の役をしたのです。先生は火のような男なのです。このような先生を監獄に入れたのですから、たとえ無罪釈放したとしても、その日その時のことを、長い公文書にして発表し、謝罪しなければならなかったのです。 しかし、なぜこのように迫害されたのかといえば、恵みを受けるためのものだったのです。罪なくして打たれる人は恵みを受けることができます。打った人が長官の友人であれば、長官の友人の恵みを受けるのです。もし長官の位置で打ってくれば、長官の位置の恵みを受けるというのです。先生は濡れ衣を着せられました。「文なにがしは、大韓民国の大統領になろうとしているのだ。李博士をポケットに入れようとしているのだ」と言われてきたのです。「文なにがしはこの国を手中に入れようとするのだ」と悪口を言われながらも、先生は黙々と歩んできたのです。最近になって、ようやく「南北を統一できる代表者は文総裁しかいません。金日成にも誰にもできません。文総裁だけです」と言うのです。さらに「文総裁を南北統一の大統領にすべし!」と言う人も多いのです。たとえ大統領に打たれることになっても、それを耐えて、その迫害が世界へ広がっても滅びないで成長していれば、その国の大統領以上の大きな位置を与えられても交換できない人になるということです。迫害は、神様が恵みを与えるための橋を架けているのだということを知ったので、先生は黙してきたのです。先生はすべての橋を渡ったのです。 もはや統一教会に対して、既成教会が全力をかけて打ってきても先生には勝てません。どんなに強い青年の闘士の群れをもって挑んできても、統一教会の人たちには勝てません。最近では円和道という武術を習っているのです。霊界から教えられたこの武術を全世界に広めるのです。円和道は素晴らしい武術です。神様いわく、「武術はこのようであらねばならない」。円和道は原理を中心とする、世界の総合的な武術とすべく今回指示を出したのです。そして、世界中の円和道の人々を再調整して、かつて三国時代に花郎道の力を発揮して、三国を統一したように、今や万国統一時代なので万国を統一できる武術を習わなければなりません。それで、共産党も先生を恐れているのです。日本でも同じです。もはや私たちの若者を思うままにすることはできません。すべての人々が円和道を習うのです。 この中で八〇パーセントの人々は、今でも先生と相撲を取ったら負ける人たちです。「七十代の老人が何を言うのだろう」と思ってはいけません。(笑い) 実際にもそうなのです。昔、漢江の岸でも先生と相撲を取って勝った者がいましたか、教会長どうですか? (いません)。(笑いと拍手)<③に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.04.26
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『ファミリー』1989.1月号より「神のみ旨を中心とする宗教圏の統一」と題して語られた文総裁のみ言からです。過去にはすでにその一部を紹介していました。【参考記事】「宇宙の根本は父子の関係」(1988.10.14、ソウル本部教会)(2020.03.29)「宇宙の根本」は”父子関係!!”--み言選者の理解に問題があった?!文鮮明先生御言選集 19881014 - 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一1988年10月14日 宗教の道と哲学の道 宗教生活は一般の生活と違うということを、私たちはよく知っています。宗教とは神に出会って、神と共に生きる道であり、哲学とは、すべての知識と文化的背景による世界観や思想的観を中心として、神を探し求めていく道なのです。ですから、今日まで歴史を動かしてきた人々は、哲学者ではありません。既に、皆さんが御存じのように、歴史上には四大聖人がいましたが、彼らはいかなる人々であったかというと、それぞれの宗教の教祖でした。イエス様がそうであり、釈迦がそうであり、孔子がそうであり、マホメットがそうです。彼らがなぜ歴史上の数多くの人々の中において、四大聖人という名をもつようになったかというと、彼らは、ただ単に人間と共に生活することにあこがれをもって生活した人たちではなく、神の遠大なるみ旨にあこがれて、そのみ旨に歩調を合わせて生きた人だからです。 人間、その志すものはいつしかみんな流れ去ってしまいます。優れた人、愚かな人、人それぞれに生きる道は違いますが、すべては流れ去ってしまうものです。しかし、愛国者の生活伝統は、その国が存続する限りいつまでも残るのです。しかし、そのような愛国者の志も、いつか国家の興亡とともに流れ去ってしまうものです。それはなぜかというと、人間世界の歴史は、国家や社会や家庭を背景にした志を分別していく道であり、ある国家や社会、家庭、また個人の目指す道は、神のみ旨とは一切関係がないからです。それは堕落圏内にある世界だからです。 神のみ旨の立つべき位置は、堕落した世界を越えなければなりません。ですから、この世界の全人類を理想的世界へ、より次元の高い世界へと導くための道を収拾してきたのが、歴史的な代表者としての四大聖人なのです。そのような聖人たちを中心として、ヨーロッパにおいては、キリスト教を中心とした文化圏をつくり、インドにおいてはヒンズー教を中心とした文化圏をつくり、さらに極東においては、儒教、仏教、仙教による文化圏をつくり、中東においてはイスラム教を中心とした回教文化圏を形成してきたのです。そのような文化圏は今日まで、神の理想的生活圏の土台を形成するためのものだったのです。ですから、そのような宗教同士の中でも、互いに紛争が絶えなかったのは、それぞれに自分たちの宗団を中心としてのみ、神の理想的生活土台を形成するということを願っていたからです。そのような願いの上に立っているので、今日も宗教同士の戦争が絶えないのです。このように宗教紛争が絶えないということは良くないけれども、宗教の目的とする基準が成就されない限り、どんなことがあっても神様は、宗教を残していかざるを得なかったのです。分かりましたか。 このように見た時、神と共に生きた四大聖人の残した世界は、その民族や背景によって、それぞれが異なった文化圏なのです。そのような各々出発地の違う東洋と西洋を収拾しなければなりませんが、神が四大文化圏を形成してこられたその目的はどこにあるかというと、宗教によって世界を破綻させるためではなく、宗教を連合させて、その基盤の上で世界の全人類を救うためなのです。 それでは、世界の全人類を救ってどこへ連れていくのでしょうか。仏教を信ずる人々は、仏教の世界へ行くことを願います。キリスト教を信ずる人々は、キリスト教の世界へ行くことを願います。さらに回教を信ずる人々は、回教の世界へ行くことを願うのです。そして、各自が処しているそれぞれの宗団を中心として世界的な生き方を願うのが、すべての教祖たちの所願であると同時に、神のみ旨もその一点にあるのです。しかし今日まで、各々の教祖に分からなかったことは、各々の文化圏を形成してきたのですが、その終末においては本来の出発である神のみ旨を中心として、個人的なみ旨、家庭的なみ旨が合致する時、氏族、民族、国家、世界、全天地が一つになるということです。世界的な文化圏を形成して次に何をするかというと、国家を中心として、民族を中心として、氏族を中心として、家庭を中心として個人が一つになれる軸による統一をするのであり、それを成すのは、神のみ旨のみです。個人が歩むみ旨、家庭が歩むみ旨、それぞれに範囲は違っても、その道は同じなのです。 ですから統一されなければなりません。神様は絶対的な方であられるのです。四大文化圏の一人一人がみ旨を受け継いで、世界の文化的背景の異なる四方の地域から、結局は山頂に至るようになるのです。そこで「あ! あなたは東から来たのですね。あなたは南から、あなたは西から、あなたは北から来たのですね」と。このように出会ってみると、それぞれに誰しもが神を求めてきたというのです。山頂に至るまではそれが分からないのです。それは、山頂に登ってくる人々を見下ろして、摂理されている神様以外には誰も分からないのです。ですから宗教間において、歴史上に多くの複雑な問題も残してきたのです。キリスト教は、すべてにキリスト教を中心として、「自分たちが第一である」と言うのです。それは一側面からだけ見ているのです。頂上から見れば違った答えになるはずです。すべて頂上に登らなければなりません。谷間にいながら頂上にいるような行動を取れば、それらはみんな肥やしになるだけです。 ですから、神のみ旨のみを中心として生きるのが宗教の道です。そして、神のみ旨の道とは、絶対者のみ旨であり永遠に一つなのです。二つはないのです。では、絶対的な一つのみ旨を中心として、個人がその絶対的な神のみ旨のみを中心として生きれば、その人は個人天国に属することができるのです。それが家庭であれば、神様と共に生きる家庭天国となるのです。そのように民族を越え、国家を越え、世界を越えて、神のみ旨を中心として世界が一つになっていくのが地上天国です。分かりましたか。 それでは、統一教会とはいったい何をする所なのでしょうか。統一教会も同様な道をたどっているのです。統一教会はレバレンド・ムーンという人によって始まったのですが、その教えは自分を中心として生きるということではありません。神のみ旨の道にあって、すべての宗教が様々に混乱している現状から、最終的には、本来の神のみ旨を中心としてすべてを合わせなければなりません。数多くの工場から部品を集めて、青写真によって、一つの製品として組み立てていくように、もし神様が最も喜ばれる一つの製品を作り出すブループリントによって世界を一つにする運動の理想がないとすれば、宗教を立ててこられた神御自身も不正当な方だとなるのです。ですから聖人を訪ねて、共に生活を指導してこられたというのは、個人のためではなかったのです。彼らと共に、世界的生活理想圏をつくるために、時代を経つつ、彼らが同じ喜びをもって世界的に生きることを願い、宗教を通して歴史と世界を収拾してきたのです。 世界の統一は宗教圏の統一から さて、世界の統一はいかにして成されるのかという問題を考えた時、まず宗教圏の統一が成されなくては、この地上世界は統一されません。それはなぜかというと、この世界は堕落した世界だからです。堕落した世界は戦いの歴史があるだけです。堕落した世界は、自分を中心とすることをまず第一主義に考えるのです。何事においても自分を中心として生きようとするのです。エバが堕落したのも、自分を中心としたからであり、天使長の堕落の動機も、自分を中心としたからです。すべてにおいて、自分の利益のために相対的環境を処理したのが堕落なのです。 では、このような世界から逃れるためにはどうすればいいでしょうか。まず第一に、神のみ旨の道を尋ねていかなければなりません。神のみ旨とは何かというと、悪魔の道と正反対の道です。この世で生きようとする者は、天の国においては死のうとする者です。このように正反対なのです。ですから聖書にも、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と記されているのです。そのように逆説的な論理なのです。皆さんは、聖書がなぜそのようになっているのかというその根拠を知らなければなりません。先生の話は大まかな歴史的結論だけです。 では、これからの世界を統一できる宗教になるにはどうすればいいのかというと、人間は死ぬ時はいかに死すべきかという個人としての死を知り、家庭を犠牲にしても氏族、民族、世界を犠牲にしても、必ず神に帰るという思想をもった者とならねばなりません。そのような者が神様に出会うことができるのです。ですから、統一教会で活動することは、統一教会のためではありません。より大きなもののために投入して、犠牲になるためです。大きいものが生まれるためには、まず小さいものを投入しなければなりません。これが原則です。発展的原則であり、分野的原則でもあるのです。 それでは、神様の創造理想は何かというと、大宇宙は統一的世界を構想しているので、この宇宙形成の理想圏を促すためには、宇宙形成圏から何かを取り出すのではなく、この宇宙も何かを取り入れなければならないのです。まず宇宙目的が形成されなければ、宇宙はこのまま存在することはできません。宇宙の目的を包むことのできる何かが存在し、その中に宇宙自体も入らなければなりません。そこに入ってからは、千年、万年、じーっとしていなければなりません。自分自身を主張しようとする人は、宇宙の大理想圏が形成できません。そのような中で、忠臣とはどのような人かというと、別に特別な人ではありません。歴史を代表するいかなる人が投入したより以上を投入する人が忠臣なのです。そして孝子とはいかなる人かというと、父母のために自らを投入することにおいて、誰よりも投入した人がより孝子なのです。 では、これらの四大聖人の中で、一番の聖人とはいったいどのような人でしょうか。それはより犠牲的な内容をもって、この世間の道理のゆえに否定されるという論理の上に立っている人でなくてはなりません。でなければ、この堕落した世界にあって、完全にXとYを変えることはできないのです。何の話か分かりますか。左が右に行こうとすれば、必ず左右が交差しなければなりません。これと同じように、世の中の万事が堕落のゆえに逆になっているのです。堕落した世界が正しくなるためには、左と右が今までと反対に交差すれば神側に立つようになるのです。ですから聖書にも「誰よりも人をより愛せよ」とあるのです。イエス様も「父母、兄弟よりも私を愛さない者は、私の弟子にふさわしくない」と言われたのです。それに加えて、「自分の十字架を背負って私に従ってこない者は私の弟子にふさわしくない」とも言われたのです。 さて、皆さんはこの社会の中で、父母、夫や妻、子供と共に生活しているのですが、一国の愛国者の道理や世界を中心とした聖人の道理に従っていくことによって、果たして理想世界ができるでしょうか。これが問題です。終末になってなぜ宗教が疲弊してきたのかというと、世の中と歩調を合わせているうちに、右も左も分からなくなってしまったからです。左が問題なのであり、右は問題ではありません。左を取り替えなければなりません。そのためには、誤ったものに制裁を加えることのできる反対のものが出てきて、ぶつかっていかなければ新しいものは出てきません。それで終末とは、交差時代のことをいうのです。今日のキリスト教はそういうことが分からないのです。そこで、統一教会の責任をもっている文なにがしという人が出てきて、この世界をどのようにするかというと、まっすぐに走って、直線にサーッと切ってしまうのです。 まず、世界的個人と対決して勝利しなければ、世界的個人の代表として、神様を迎え入れて共に生きることはできません。先生はこのように世界的個人の代表として、個人解放圏を準備するための土台を再現したのです。それは単一民族です。その単一民族の中でも、歴史上最も混合されていない民族でなければなりません。それがこの韓民族なのです。韓国の人たちは他の人の意見をなかなか聞き入れません。喜んで聞いているように見えても、全く別のことを考えているのです。そして、その人の後頭部を打とうとさえ思っているのです。このように最もややこしい民族が韓民族なのです。サタンもそれを知っているし、神様もそれを知っているのです。そのような意味から、北側のサタンの群れと、南側の神の群れに分かれて戦っているのです。そして南の人々は、積極的に神様を受け入れようとし、北の人々は積極的に神様に反対しようとしているのです。そこで共産党は、「神はいない」と言うのですが、それは、父親が元気に生きているのに、その息子に対して「あなたの父は死んだ」と言うことと同じです。皆さんはそんなことを言われて黙っていますか。そんな人は気の狂った人です。 皆さんは、全世界の民族に対して影響を与えなければなりません。全氏族に対して影響を与えなければなりません。全世界の人々に影響を与えることのできるそのような立場に立って、共産党を追い出し、サタンを追い出すための働きをしなければなりません。統一教会は共産党を打ち砕くことのできる先駆者なのです。南韓で一番金日成を嫌う人は誰でしょうか。大統領ですか、誰ですか? それは文総裁なのです。それは既に世界的にも知られていることです。しかし文総裁は、共産党を打ち砕くのに銃をもって行うのではありません。一人も殺すことなく、すべての共産党の人々を解放しようとするのです。このような主義を主張できる人は、歴史始まって以来先生しかいないのです。そういう意味で、共産党を擁護しようとするどんな個人も、家庭も、氏族も、民族も、国家も、世界も許すことはできません。なぜかというと、神様がそれを許すことができないからです。神の本来の理想の中にはサタン、悪魔、共産党は存在しなかったのです。神様が嫌うような存在はありませんでした。神様が嫌う世界的な主義、主張は悪魔のものです。今日、終末が来るまでは全部サタンの思うままでした。サタンは神様の代わりの立場で全人類に侍られてきたのです。しかし、神様が人類を半分に右翼、左翼を分け、万民を神様の前に帰そうとするので、悪魔の失策的転換が共産主義理論となったのです。よく見ると人類が神側に戻ることは明らかなので、自分(サタン)にも、神にも侍られないようにするために詐欺的術策として作り出した哲学です。すべてが偽りなのです。 ですから、世界の三分の一までしかサタンは食べることができません。それで、あとの三分の二に影響を及ぼそうとしているのです。しかし神様は、「これは私のものだ」と言うのです。そこで共産党は反対に、「これは自分のものだ」と言うのです。金日成は四十年間「南韓は自分のものである」と言い続けています。ひどい話です。統一教会は全世界的に防衛線を張って、これを収拾しようとするのですが、それは武器ではできません。真理でもできません。聖書には「真理を知る時、真理はあなた方を放す」と記されており、人々を自由にすることはできますが、解放することはできません。それは神の真の愛のみです。 神様の創造された広大なる宇宙 神様は宗教をつくって、今日まで人類と共に生きたいと願ってきたのですが、それは何を中心として生きようとされたのかというと、神様は物質によって良い暮らしができるようにすることなどは関心がありません。霊界に行けば食べる心配も、着る心配もないのです。それを知っていますか。先生が霊界の話をすれば、これから死にたいと思う人が多くなるので、このことは話しません。(笑い) 果たしてキリスト教において、主様を選挙で選び出せるでしょうか、どうでしょうか。主は天から来られるのです。対象が主体を決定することはできません。何の話か分かりますか。対象は主体が自分のようでなければならないという概念をもつことはできないのです。対象は第二の存在なのです。自分で権限を評価できない対象圏の位置にいるのです。これは少し難しい話です。 さて、神様はお金もうけもせず、ただ黙って座っておられる無識の大王なのです。神様は黙って飢えている大王なのです。じっとしている無力の大王なのです。誰でも来て打つことができるのです。神様は黙っておられるのです。仮に、一番の知識の大学者がいたとしましょう。歴史始まって以来の大きな権力をもつ為政者がいたとしましょう。世界一お金を持っている人がいたとしましょう。皆さんは、これら三人の中で誰の手が先に伸びることを願うでしょうか。神様も考えてみられるのですが、皆さんであればどのような人の手が伸びることを願いますか。女性はお金持ちの人の手が伸びてきたらいいと思いますか。お金があればどんなにおいしいものでも食べることができるのですね。知識の手が伸びてきたらいいなと思う人は、知識をもって何をするのですか。何をしますか。それが問題です。先生の前ではみんな泥棒のようなものです。先生の手がいかに大きいか、それは全世界を代表する大きな手なのです。神様の手も大きいのですが、その神様もすべて握ることのできる大きな手なのです。さらに、子供のような小さな指がそこについています。それはどんな手かといえば、お金もないし、知識もないし、権力もないけれども、ただ一つ母親の愛だけは知っている手なのです。その手は愛を求める手です。では、神様はどの手に最も関心をもつでしょうか? (子供の手です)。それはカニの足のように小さく見え隠れするような手なのに、神様は関心をもつのです。 この宇宙がどれほど膨大なのかといえば、ある科学者などは二一〇億光年かかる大きさだともいっています。以前、一五〇億光年の星を発見できる電波望遠鏡があるということを聞いたことがありますが、この宇宙はどれほど大きいことでしょうか。光の速さは、一秒間に三億メートルです。三億メートルといえば、地球を七回半回る距離です。それが一秒間に進む光の距離であれば、一分間ではどんなに遠くまで進むことでしょうか。さらに一時間たてばどうでしょうか。光が進むその距離は、どれほど遠くなることでしょうか。それが一時間でもなく、一日でもなく、一年かかって進む距離を一光年というのです。そのような速さをもった光が二一〇億光年かかる距離は、これから皆さんが千年、万年を生きて数えようとしても数えきれるものではありません。そのような距離をもつ膨大な宇宙も一つに連なっているのでなく、それぞれ分かれて運動をしているのです。そして互いに関係を結んで大きな固まりになって、回転運動をしているのです。それは自然に生じたものでしょうか、それとも誰かがつくったものでしょうか。自然に生じたのですね? (いいえ)。どうして「いいえ」ですか? すべての存在は、根源があって生じたものであり、何の動機もなくて生じることはないのです。 そのような宇宙を動かすことのできる神の力がうらやましいですか。「宇宙には、ダイヤモンドの星が一〇〇〇個、一万個存在する」と言っても、「無い」と言い切れる人はいません。黄金の星、ダイヤモンドの星、五色に輝く星が数多くあるというのです。それは誰がつくったのでしょうか。神様に宝石が必要でしょうか。神様が好きなダイヤモンドは何カラットでしょうか。英国のロンドンの博物館に行けば、世界で一番大きいダイヤモンドは五一七カラットだといわれています。卵ほどの大きさです。皆さんが結婚する時、一カラットのダイヤモンドでも喜んで受け取るのですが、神の創造においては、五一七カラットのダイヤモンドなど問題ではありません。ダイヤモンドの星もあり得るというのです。そのような広大な宇宙も、共産主義者は自然に生じたというのです。そして、宇宙はそのまま存在するものとして論法を立てていくのですが、そうではなく、宇宙の根本を訪ねていかなければなりません。 神様はどれほど素晴しい方でしょう。そのような神様にも、いとこやはとこが必要なのでしょうか。人間は、いとこやはとこを必要とします。人間は国も必要とします。神様はどうなのでしょうか。皆さんは、いとこやはとこがなぜ必要ですか。困った時、お金を借りるためでしょうか。(笑い) 知らないことを教えてもらうために必要でしょうか。人間は生活の中で、親戚と共に踊りを踊ったり、歌を歌ったりして、上下、左右へと和音をつくり出していくのです。そのような親戚が数百名も集まって、コーラスするその和音には、すべての人々も引き込まれてくるのです。そのような、全体の美と全体の調和を成すことのできる、和合した美化的感覚が必要なのです。 宇宙の根本は父子の関係 では、神様に必要なものはいったい何でしょうか。それが問題なのです。神様に必要なものは食べ物ではありません。もし皆さん霊界に行けば、そこで愛に酔って憧憬するものは、すべて直角になる世界です。何の話か分かりますか。愛に酔って皆さんが要求するものは、すべて直角に現れるというのです。他のお金の力でも動きません。知識でも動きません。権力をもってしても動きません。ですから愛に同和することにおいて、四方八方に対応できる主体になれば、すべての世界は対象圏として現れてくるのです。自身が愛の対象圏になれば、すべてが主体として作用するのです。ここで「パーン!」という音がすれば、あちらではさらに大きく「パーン!」と鳴るのです。そして大きく「パーン!」と鳴ったら、次には小さく「パン」と鳴るのです。いったん上がったものは、それ以上に上がれば飛んでしまうので、再び下がらなければなりません。すべて和音にならなければなりません。そこでは神様も笑うでしょうか。誰か神様を見たことがありますか。神様にも目、鼻、口、耳、体があるでしょうか。その点では既成教会の信者たちはでたらめです。神様に目があることも知らないのです。「神様の目を見ましたか?」と尋ねても、誰も分からないというのです。「神様に鼻や、口や、耳がありますか?」「神様は誰に似ていますか?」。「神様は神様に似ているのです」。いったいそんな答えがどこにありますか。 神様は誰に似ているかというと、息子や娘に似ているというのです。ですから神は人格的なのです。人格的な神は、私たちに対して人格的最高の基準を要求しているのです。世の中には法度があり、また礼法があり、高低の均衡を取るようになっているのです。それに従っていけない人は脱落するのです。ですから先生は霊界のことをたくさん知っていても、そのことについての話はしないのです。もし先生が霊界の話をすれば、気が狂っておかしくなる人も多く出ます。婦人たちも自分の夫に対し、「なぜあのように生き永らえているのか、早く天国にでも行けばいいのに。先生がお話しされる天国はいい所だから早く行けばいいのに……」と思うのです。それでは天国には行けません。妻はまず夫を教育して愛さなければなりません。このような話をすれば時間が早くたちますね。もう何時になりましたか。 神様が好きな色とは何でしょうか。神様は白が好きでしょうか、赤が好きでしょうか、黄色が好きでしょうか? (白です)。なぜ白ですか。白は清い色ではありません。七つの色を混ぜ合わせたものです。プリズムを通して見れば、白は七つの色でできています。それらがすべて調和されるので、きれいに見えるのです。本当はきれいではありません。 神様が好きなものとは何かというと、先生が神様に会って質問したことがあります。「神様、宇宙の根本は何ですか? 世界の全人類は、宇宙の根本が何であるかを知りたいのです。そのために祈祷や、いろんなことを行っているのです」と。それに対する神様の答えは簡単です。宇宙の根本は父子の関係だというのです。そこで単純に考える人は、「父と子のいる関係が宇宙の根本なのだ」と思うでしょう。どうですか? 父母と息子といれば、それが宇宙の根本になるのでしょうか。父子の関係というのは、父母の関係でもなく、子女の関係でもありません。父子の関係というのは、永遠に切り離そうとしても切り離すことのできない、絶対的に一つになった関係をいうのです。それには何が必要かというと、真の愛なのです。文先生がそのような結論を出したのです。神様にお尋ねして、「神様、こういうものではありませんか?」。「お前(文先生)はそれをどうして知ったのか。お前は私よりも優れている」と、神様は言われたのです。アーメン。 先生はキリスト教徒の群れに会って、その牧師にこのことを話した時、「アーメン、アーメン」と彼らは言うのです。先生が一番嫌いなのは、その「アーメン」です。それは詐欺師の使う桶のようなものです。魔術師も魔法を使う時、そのような桶を置くのです。そして間違えば「アーメン」と言うのです。「アーメン」というのは、すべてを成し得たのちに使う言葉なのです。ですから神様が一度だけ「アーメン」と言えば完成であり、千年、万年も「アーメン」と言うことはないのです。父子の関係というのは、父母と息子関係でもなく、最高なる関係なのです。そして、そのような父子の関係を永遠に一つにする力が真の愛なのです。ですから神の真の愛は、一人で成就できません。今日のキリスト教信者は、「神は真の愛の主体であられ、多くの人々を迎え入れるのです」と言うのですが、それはとんでもない話です。神御自身も対象がいなければ、どんなに大切な愛も完成させることができないのです。 では、神は一人でしょうか、二人でしょうか? (二人です)。天のお父様と天のお母様という二人ではなく、神には二つの性禀が入っているのです。今答えた人は良心がありますか。ありませんか? 体がありますか、ありませんか? それら二つが合わさってあなたという一人の女性なのです。神の性禀は二つありますが、体は男性格主体となっているのです。では、男性格主体というのはいったい何でしょうか。女性格主体であればどんなにいいでしょうか。しかし女性格主体といった時には、別に男性格が存在しなければならないので二元論になってしまうのです。分かりましたか。二元論になってしまうというのです。神は永遠に一元論であられるために、男性、女性の中和体として、主体的な性禀をもった初めての男性形なのです。なぜ男性形かというと、男性は女性を治めなければならない責任があるのです。後ろからでも、横からでも、上からでも、下からでも女性を治めなければなりません。それで女性が、真の主体に出会った時、秒速三億メートルのスピードをもつ光の速力でもって、西側からぶつかっていっても、男性はグルッと数回回るだけで、それを収拾していくのです。何の話か分かりますか。回りながら収拾するのです。 ですから男性は女性を治めなければなりません。父母は子女を治めなければなりません。人々はみんなそれを願うのです。ですから神様は男性的主体なのです。その主体が好むのは何かというと、お金ではありません。皆さんがもし霊界に行けば、先生のこの話が正しいかどうか分かります。先生の話が間違っていれば、先生に抗議しなさい。もし霊界で先生に会えなくても、「文先生は本当に悪魔の魁首だから自分たちがいる天上の霊界にはいないのだ」と考えてはなりません。先生は最上の霊界にいるのです。昼は神様のおなかの中に入って眠るのです。世の中にそのような話をする人があるでしょうか。そのような話は、愛の世界においてのみ可能なのです。あなた方の中で、夫の心の中に入って眠りたくないという女性は手を挙げてみなさい。そのような女性は良くない女です。「あなたの真に愛する夫の心が宮殿のようであり、そこで手足を伸ばしてグルグル回ったり、鼻歌を歌いながら、眠りにつきたいと思う女性は手を挙げなさい」と言えば、みんなが手を挙げるのですね。 夫の心の中に入り込んで、ゴロゴロと回っている女性は幸せ者です。その愛は、そこから出たくなくて、誰が何を言っても千年、万年共に生きたいというのです。おなかが空いてきましたね。説教の途中なのになぜ「おなかが空いた」と言うのかというと、先生は皆さんのおなかが空いたことが分かるからです。朝食は食べましたか? (食べていません)。先生もおなかが空きました。きょうはこれぐらいにしましょう。このような話を始めれば、十時間、百時間でも終わりません。先生がアメリカへ行って立てた最高記録は十六時間半、立ったままで説教したことです。それほどよく話をする先生なのです。〈②③に続く〉一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.04.26
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「人類が列をなす「夢」--『天の父母様教団』に!!」(2020.04.05)から『緊急重大発表「4月5日 真お母様の特別メッセージ」』ということで、徳野会長のビデオ映像にて「天の父母様教団」へと名称変更することが発表されました。私が地上にいる間に、真の父母として宗教を統一し、思想、政治、経済など、全ての面でひとつに中心を立てて進んでいくことのできる制度を作って行こうと考えています。今なお77億にもなる人類を抱かなければならない位置にいるために、彼らを抱く時までは、これ以上統一教会でもなく、家庭連合でもない、「天の父母様教団」、英語では「Heavenly Parents Church」として名称を変更しようと思います。すべての国家はそれぞれの国において根を下ろしてください。これが、私たちが地上で果たさなければならない責任です。私はこれを聞いて一瞬固まってしまいました。だからといって、その名称変更そのものについてではありませんでした。(個人救援の)統一教会でもなく、(家庭救援の)家庭連合でもない「天の父母様教団」ということで、大大賛成です。私が固まってしまったというのは、『英語では「Heavenly Parents Church」』でした。お母様が2013年1月、「天のお父様」から「天の父母様」へと呼称変更されたこれまでの経緯を考えれば、支流人の方々からは「天のお父様」「天のお母様」と「二元論」ではないかとの批判があったからです。もちろん、「天の父母様」の英語表記は「Heavenly Parent」と単数形でしたので、私自身もそれで納得していたのですが、今回発表されたそれは複数形となっていたからです。「Parent」と「Parents」、”s"の有り無しの違いです。しかしながら、こういった疑問も長く続くこともありませんでした。4月6日14時3分、仕事中に時計を見ればそうなっていました。私の背後には韓国人男性が協助しているようで、時として啓示的に語りかけてくることがあります。さて、今回は「夜の神様、昼の神様だ!」、ということです。つまりは、「天の父母様(Heavenly Parent)」は天上の性形・陽陰の中和体としておられる神様であり、「天の父母様(Heavenly Parents)」は地上に下りられて役事される神様であると……。文鮮明・韓鶴子総裁が1960年に聖婚(子羊の婚宴)をされて以降は「真の父母」として36家庭祝福から始まって祝福結婚(重生復活式)をされては、個人救援・家庭救援摂理を展開して来られました。と同時に神様解放の御旗を掲げては統一運動(平和活動)もされていました。今年2月、「天一国安着宣布」をされて以降は神様もこの地上で自由に活動されることができる時代圏を迎えたのではないでしょうか。となれば「天の父母様」も活動されるときは、天上の夜の神様ではなく、昼の神様として動かれるということです。これまでは真の父母様がなしてこられましたが、これからは神様が「天のお父様」「天のお母様」、「天の父母様教団」を通して77億全人類を「祝福(重生)」されていかれるという意味ではないでしょうか。それが合っているかどうかは分かりませんが、詳細については今後本部を介して発表されていくことに注目したいです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.04.10
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昨晩は不思議な夢を見ました。人が列をなして「帰ってくる」夢です。UCIはいうまでもなく、サンクチュアリ教会、77億全人類が「天の父母様」へ帰ってくる前兆ともいうべきものではなかったでしょうか?!さて、緊急重大発表「4月5日 真お母様の特別メッセージ」と題しての映像を見るようにとのメールがありました。結論は、『天の父母様教団』への新たな名称変更でした。全世界7か所の圏域総会長およびUPF議長が参加した天一国指導者特別会議(TV会議)を通して「まだ77億にもなる人類を抱かなければならない位置にいるために世界平和統一家庭連合が天の父母様の教団として本然の役割と使命を果たしなさいという祝福のみ言をくださったのです。と、お母様が発表されたものです。ロゴマークほかの詳細はこれからということでした。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.04.05
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「死んだら分かるけど、分かったら遅い」 シリーズ・北谷真雄が語る霊界の真実 第6回「神様も霊界も見ている! 霊肉界合同作戦で進む祝福」U-ONE TV北谷真雄さんは少年時代に劇的な心霊現象を体験して以来、統一教会(当時)に導かれ、祝福を受けた今日まで、さまざまな霊的体験をしてきました。第6回では、霊界の導きとともに1992年の3万双の祝福で兄夫婦を、1995年の36万双の祝福では妻の両親を祝福に導いた証し。さらに、1997年に高野山において文字どおり霊肉界合同作戦で21組を祝福に導いた証しをお届けします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.04.04
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前回は李相憲先生の『ファミリー』1979.10月号から連載の「統一思想・新しい価値観の樹立」を取り上げたついでもあり、神様の存在そのものを否定する共産主義から見た「既成価値観の脆弱性」から「キリスト教的価値観の脆弱性」の項目を紹介しておきます。既に、原理講論(総序)からはキリスト教が「共産主義の温床」となったことも明らかにしていましたが(以下)、それを思想的側面から説いていたものです。 すべての人類の救済を標榜して、二〇〇〇年の歴史の渦巻の中で成長し、今や世界的な版図をもつようになったキリスト教の歴史を取りあげてみよう。ローマ帝国のあの残虐無道の迫害の中にあっても、むしろますます力強く命の光を燃え立たせ、ローマ人たちをして、十字架につけられたイエスの死の前にひざまずかせた、あのキリストの精神は、その後どうなったのであろうか。悲しいかな、中世封建社会は、キリスト教を生きながらにして埋葬してしまったのである。この墓場の中から、新しい命を絶叫する宗教改革ののろしは空高く輝きはじめたのであったが、しかし、その光も激動する暗黒の波を支えきることはできなかった。初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、彼らに対する救いの喊声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった。これがすなわち共産主義である。神の愛を叫びつつ出発したキリスト教が、その叫び声のみを残して初代教会の残骸と化してしまったとき、このように無慈悲な世界に神のいるはずがあろうかと、反旗を翻 す者たちが現れたとしても無理からぬことである。このようにして現れたのが唯物思想であった。かくしてキリスト教社会は唯物思想の温床となったのである。共産主義はこの温床から良い肥料を吸収しながら、すくすくと成長していった。彼らの実践を凌駕する力をもたず、彼らの理論を克服できる真理を提示し得なかったキリスト教は、共産主義が自己の懐から芽生え、育ち、その版図を世界的に広めていく有様を眼前に眺めながらも、手を束ねたまま、何らの対策も講ずることができなかったのである。これは甚だ寒心に堪えないことであった。のみならず、すべての人類はみな同じ父母から生まれた子孫であるという教理に従って、それを教え、かつ信じているキリスト教国家の国民たちが、皮膚の色が違うというただそれだけの理由をもって、その兄弟たちと生活を同じくすることができないという現実は、キリストのみ言に対する実践力が失われ、灰色に塗られた墓場のごとく形式化してしまった現下のキリスト教の実情を、そのまま浮き彫りにする代表的な例だということができよう。ほか、諸価値説の脆弱性の原因については、哲学的根拠の欠如歴史的根拠の欠如神学的根拠の欠如普遍妥当性の欠如を挙げながら、「統一思想」は従来の価値観を蘇生させることができるものとしての「新しい価値観」を提示していたものでした。その「統一思想」の根底にながれるものが、家庭連合の「原理講論」です。原理講論はwebでも公開されています(こちら)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.04.01
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北海道にある世界平和統一家庭連合の「聖火の郷・慰霊塔広場」が、「世界平和孝情慰霊塔広場」と正式に命名されました。本映像を通じて、広場内の一つひとつの記念碑と聖火の郷の美しい四季に触れていただければ幸いです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.31
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光言社のwebサービスが障害が発生したため利用できなくなっているようです。復旧には1・2か月かかるとのことです。現在、光言社からの情報の代替処置として光言社LINE@とFacebookで一部対応しているとのことです。光言社LINE@登録は以下からを試してみてください。家庭連合会員でない方の登録もお勧めします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 光言社ホームページからのお知らせhttps://www.kogensha.jp/
2020.03.28
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シムソン氏へお父様が語られていた「夜昼の神様」は何も真新しいものではなく、コメント欄に記載した「上弦・下弦」の変形です。ほかにも「圓球」という話もされていました。夜昼の神様、「心と体」「無形実体世界と有形実体世界」でしょう。過去にお父様は夜昼の神様ではなく、上弦・下弦という話もされていました。無形世界の男性と女性と有形世界の男性と女性の結婚式です。神様がアダムとエバの体に入るということです。文鮮明・韓鶴子総裁の体に入られての「子羊の婚宴」でした八大教材教本からお父様が語られた「上弦・下弦」のみ言を探してみました。重複のみ言は極力省いています。八大教材教本「真の神様」から: 子供を生む立場は、結婚から上弦世界を占領するのです。神様の位置に上がることによって子女を愛することは、神様が創造以後に人間をいかばかり愛したかという内縁を体恤させることです。八大教材教本「真の父母」から:三、真の父母の必要性一)普遍的父母も必要 本来神様は、アダム・エバを創っておいて、自分の中に父母として子供に対する実を自分が持つと同時に、子供が父母に対する実を持つようになることで、二人とも完成させうることを願ったのです。このようになれば、神様は二人とも収めて持つことができるという言葉も成立するのです。 では、なぜ父母が必要であり、なぜ子供が必要かということです。神様は霊的でしょう? 分かりますか? 神様は霊的です。息子は地的です。分かりますか? 神様は霊的であり、息子は地的です。父子関係がそうなのです。 そのような見えない神様が、見える息子を通じて実を結ぶことによって、見えない神様が、息子の心の中に見える神様の価値として現れるのです。それはどういう意味か分かりますか?(はい)。見えない神様が、息子の心の中にも開かれて、息子の実も結ばれ、また、父の実までも息子の中に移してやることができるというのが可能だということです。ですから、神様に対しては、神様の実も結ばれ、父母の実も結ばれるのです。同等な価値を持つということです。 では、父母をなぜ必要とし、子供をなぜ必要としますか? 神様でも愛を持ったら、相対が必要なのです。我々は子供でも愛を持ったら相対が必要なのに、この相対的関係が何かというと、天と地の関係です。垂直条件です。 この半分を切ると、半分は霊的世界であり、半分は肉的世界です。見えない神様の息子娘として生まれて、役事してみなさい。相対的極です。極から生まれて、これが大きくなるのです。もっと大きくなりながら、見えない神様も見出さなければならないと言って、初めて新郎新婦になり、夫婦が愛で一つになることによって、霊的上弦と肉的下弦が統一をもたらすのです。 父母を必要とするのは、天国を占領するためであり、父母が子供の愛を願うのは、地を占めるためだという結論が出てきました。父母の心は天の心です。この天の心をいつ知るかというと、子供のときには分かりません。父母になってこそ分かるのです。分かりますか? 二つの世界を占領して、一つにするためのこのようなことをするのが愛だというのです。このようになるとき、父子関係は栄えある父子関係だということです。同じなのです。誰も後ろに回すことができず、誰も前に回すことができません。一つです、一つ。そうでしょう? そうするとき、栄えある父子関係だということです。分かるかいな、分からんかいな?(分かります!) それで人々は、父母がいない人をかわいそうだと言うのです。なぜ? 霊界と肉界を占領する道がないからです。また、子供がいなければ、かわいそうだと言うでしょう? 神様の創造理想が、子供と父母が合わさって天宙を愛で結ぶよう、創造的原則モデルがそのようになっているのに、一等モデルに不合格になりうる立場にいるから、等外品になることによって、これはごみ箱に入るのです。地獄へ行くのです。それで、子供がなく、父母がない人は悲しい人です。(二二二・三一〇)八大教材教本「人間の生と霊魂の世界」から: 5.夫婦愛が愛の理想の中心の花 神様は縦的二性性相をもった方であり、人間は横的二性性相をもった実体として、二つが一つと成って、完全な丸いりんごの形をなして、四つの性相形態をもった東西南北に愛の理想を引っ張ってくっつける事が出来る母体にしようというのが、夫婦の理想です。 * 結婚をしたとするなら既に平面的ではありません。平面的な基盤しかありませんが、高いものが低いものと連結される時は、垂直的概念が生じるのです。平面的な歴史は宇宙を収拾したり、天宙を収拾出来ないのです。垂直と水平が出合って九〇度を成す時、それは天を地にしても、地を天にしても、前を後ろに、後ろを前にしても、右弦左弦、上弦下弦、前弦後弦どの面を付けてもぴったり合うのです。地上完成基準は、霊界の全ての完成につながるのです。八大教材教本「祝福家庭」から: 天国生活はどこから始まるのでしょうか。正に家庭です。他の所から始まるのではありません。天国は家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭園を離れたものではありません。ですから皆さんが自分の妻や夫を抱くとき、これは世界のすべての男性と女性が一つになるのだという考えをしなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることができる場が、正にこの家庭です。 父子の関係の真の愛は縦的であり、夫婦の真の愛の関係は横的であり、兄弟の真の愛は前後の立場として、球形の真の愛の理想を願われたのです。すなわち、縦に上弦下弦、横には左弦右弦、前後には前弦後弦を全体的に連結した一つの中心点で統一は成されるのです。その点が球形体の中心点になるのです。いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのかといえば、神様を中心として人間が結婚して初愛を結ぶ場が、すべての完成の結実点であり中心になるのです。したがって結婚は、天地人の合徳であり、縦横、左右、前後、全体を完成するものです。結婚は真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の真の愛の完成地なのです。 一家庭を中心として、一番良いものとは、皆さん自身で決定されるものではありません。それでは家庭での最上の価値は、何になるでしょうか。父母です。皆さん一個人においても、権力や知識、または名誉やお金も貴重なものになるでしょうが、そのすべてのものに勝って良いものは父母以外にないというのです。その次は皆さんの妻や夫になるでしょうし、さらには皆さんの子女になるでしょう。 事実、皆さんの家庭で皆さんの父母や妻、そして子女たちよりも大切で価値あるものがありますか。ないというのです。では何ゆえ、父母が良いものになるのでしょうか。そしてまた夫と妻、子女が何ゆえ、良いものになるのでしょうか。愛があるからです。父母の愛、これは夫と妻にとって、絶対的に必要なものになります。そして兄弟間の友愛とか、子女が父母に対して抱く孝行の心も、一家庭で絶対的に必要なものです。 神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されればすべてが同じ体になります。父母は神様の代わりに生きている神様であり、夫と妻はお互いに片方の神様であり、息子、娘はまた一つの小さな神様です。このように三代が真の愛を中心として成された家庭組織が、天国の基盤です。そのような基盤を成さずしては天国が成されません。家庭とは、宇宙の中心です。家庭完成は、宇宙完成の基礎となるために、家庭で愛するとともに宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。こういう場合、神様は宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の場にいらっしゃいます。八大教材教本「宇宙の根本」から: 神様が願われることも、真の愛による神人一体です。神人一体、神様と人との一体圏です。神様が喜ばれる理想の基準と人間が願う基準がずれれば、大変なことになるのです。真正面で一体にならなければなりません。水平に一体になり、垂直に一体にならなければなりません。これを前後左右九〇度に合わせれば、上弦と下弦と右弦と左弦、十二箇所をすべて九〇度の角度で、どこに合わせてもぴったり合うのです。 赤ん坊を生む位置は、神様の上弦世界を占領するのです。神様の位置に上がっていくことによって、子女を愛することで、神様が創造以降に人間をどれほど愛されたのか、その内縁を体恤させるのです。 平和の立て札、碑石を立てるのが、女性の節操と男性の志操です。そのようになれば、男性でも女性でも絶対に信じます。これが水平にならなければなりません。永遠に水平になるのです。そうなれば幸福でしょう? なぜですか。自分たちの宝物の中の宝物が何かといえば、半分のかけらだった女性が夫を占領することです。夫も占領しましたが、天地が半分のかけらだったものが一つになるのです。上弦の神様側に下弦の息子、娘が生まれるのです。上下関係が生じるのです。 その次には夫婦関係です。これを中心として四方に広がっていきます。そのようにして、前後を中心として初めて家庭が定着するのです。前後関係は兄弟です。兄弟をもたないといけません。上下関係、左右関係、前後関係です。その器官を完全に定着させなければなりません。 それゆえに、唯一私にあるものは何ですか。男性には妻一人しかいません。財産でも何でも、全部捨てるとしても、これは取り替えることができないのです。ただ一つの宝物は妻だというのです。八大教材教本「天一国主人の生活」から:4.天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式の祝祷 愛するお父様! きょうは、天一国三年二月六日、この日は、真の御父母様の、八十三回と六十回を迎える聖誕の日であると同時に、「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を挙行する、歴史的な転換の日でもございます。「天一国」という名は、神様が、堕落していない本然の創造理想を中心として完成したアダムとエバを中心として、祝福する事によって、霊的父母と実体父母が一体となり、新しい真の愛を中心として真の生命と真の血統を連結させ、家庭定着を願った希望の一日でありました。人類始祖が実体圏を中心として、アダムは男性的代表格、エバは女性的代表格として、高い無形の神様の位置から、上弦に代わる相対の位置である下弦の低い子女の立場に立ち、東西南北に広がっていく事ができる四方を備え、男性と女性が東側と西側から、無形の天地父母様と中央で一つになって完成基準となり、子女時代を成熟させ、その次には、約婚時代と結婚時代を備える事によって、地上の一つの下弦的完成基準と上弦的完成基準が、東と西、男性と女性の完成基準が、合徳する事ができる、中心位置における祝福結婚によって、無形の天宙父母と有形の天地父母が愛の理想を中心として、創造理想の最高の頂上の位置で合徳する事によって、神様的中心の愛を中心として、上弦を中心としてはアダムとエバと神様、下弦を中心としてはアダムとエバと子女、右弦を中心としては神様とアダムと息子、左弦を中心としては神様の女性性相とエバと娘を中心として、四位基台をなすのでございます。その四方、前後、左右、上下が、一体理想の定着をする事ができる、四位基台の中心である神様の真の愛を中心として、上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦が一体理想を備え、神様が一代ならばアダムとエバは二代であり、三代となるアダムとエバの息子、娘を中心とした、相対的一体理想である四位基台の安着が、祖父、祖母、父、母、夫婦を中心とする、六数一体とともに、子女を中心として八数圏を、種として決着し、全天地において完成的愛の理想家庭の出発をなそうとした全ての事が、堕落によって、このようになってしまいました。そのようにして、上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦が一体的理想をなす事ができず、父子である神様と子女が、男性と女性が、兄と弟が、闘う怨讐関係の立場となり、神様を頂点として、真の愛で連結した真の生命と真の血統を中心として、安着の家庭理想を願われたのが神様の希望でありましたが、神様が臨在なさる事ができる中間の位置に、逆に、天使長が入り込んできて、アダムとエバと一体になる事によって、天地父母の位置を悪なる父母が占領するようになり、その結果、心と体が怨讐となり、男性と女性が怨讐となり、天とこの地が怨讐となり、兄と弟が怨讐となり、その闘争の結果、神様は、孤独な立場、囹圄に閉じ込められた立場となり、サタン全権時代になるという、悲しく、恨めしい歴史が展開したという事実を、統一教会の教会員はみな知っております。お父様!その怨恨にとらわれた天の父母、理想的位置で、一心、一体、合徳し、勝利の覇権的家庭の出発をなし、万世に愛を中心として、太平聖代圏に、たった一つの国、たった一つの血族、たった一つの民族、たった一つの文化世界を、永遠に創建するという事が、全ての面で反対となる闘争の歴史によって、この地、今日の人間の歴史、先祖たちの歴史が、血に染まってきたという、無念で悔しい事実を、統一教会の教会員たちはよく知っております。そのような環境を見つめながら耐えてこられた天の父母の前に、誤った罪状を悔い改める事ができない子女の立場を、神様が哀れみで包まれ、赦され、代わりに蕩減してくださる事によって、天が先に、個人的な蕩減の峠を越えるうえでも苦労され、家庭的峠、氏族的峠、民族的峠、国家的峠、世界的峠、天宙的峠を越えるうえで、この地上の人間たちが無知であるがゆえに、行く所が分からず、代わりに犠牲となりながら、これを開拓するための代表的な機関として宗教を立ててこられました。その宗教の中に選民イスラエルを立て、ユダヤ教とイスラエルの国を中心として、内的・外的、カイン・アベルを基準とする統一圏を中心として、そのうえに来られるメシヤを中心とした、父母の位置を策定し、家庭的勝利の覇権のうえに勝利的基盤を築き、国家的勝利の覇権を願い、国家的勝利の覇権のうえに勝利的基盤を築き、それによって世界と天宙史的な勝利圏を願った希望の一念を、全て失ってしまわれたという、天の悲痛な事実を知っております。不忠で不孝な私たち子女の罪によって、そのような立場に天宙父母を立たせるようにしてしまい、宗教を中心として、超宗教、超政治、超国家、超NGO、超世界、一つの国を成し遂げようとされたみ旨、メシヤを送るとイスラエル民族に約束され、そのメシヤが男性完成者として来て、失ってしまったエバを取り戻す為に、国家的基準においてアダム家庭が失敗して失ってしまったエバの基準を立てる事によって、家庭基盤を築き、そのうえに民族を超え、国家的基盤のうえに勝利の覇権を立て、エデンで理想としていた神様の愛の主権を復帰しようとされた全てのみ旨が、このように悲しみに包まれて、黒く汚れ、転がり落ちてしまいました。 それを暗中模索しながら、真っ暗闇の中で、お一人、僕の僕の立場から僕の立場、養子、庶子の立場、そのようにして直系の子女迄、そして、母を捜し立て、父母の立場に迄立ち、カイン・アベルの共産圏と民主世界を収拾し、これを抱いて、本然の父である真の父母に奉献してさしあげなければならない、地上の母、エバの使命を中心として、全ての民主世界、自由環境を破綻させるサタン圏の主権と闘いながら、個人克服、家庭、氏族、民族、国家、世界、今日の国と世界の限界線を越えて克服する事によって、お母様が再び出産の苦労をされ、真の父母のあとに続いて従う事によって、初めて、この天地間に、勝利した母、霊肉完成した実体をもつようになりました。今から、天の国の王権を受け継ぐ事のできる天一国を開門する事によって、地上世界の天国の基盤と天上世界の天国を準備し、一心、一体、一念が動ずる、愛の理想的、真の愛、真の生命、真の血統、真の家庭定着という、解放された名を取り戻して復帰する事によって、怨恨の多かった惰性の世界を除去してしまい、希望に満ちた未来の勝利的愛の主権を再び建国し、天の前に奉献する事ができる、この式典をもつようになった事を、感謝、感謝、感謝申し上げます。天にいる全ての霊人たち、祝福を受けた長子圏、天使長圏の祝福家庭たち、そして、地上のアベル圏、堕落していない本然の家庭のアダム的アベルの立場で祝福を受けた兄弟たち、天使世界にいる先祖である兄たちが地上に来て、アベル的弟の立場を兄として侍る事ができ、一体となる事によって、天上・地上一体圏のうえに、縦横に天地父母をお迎えし、地上における個人時代祝福、氏族、民族、国家、世界、天宙の祝福の平面途上における解放的基準、立体途上の個人祝福、氏族、民族、国家、天宙的祝福家庭が、縦的な位置にいるのですが、この兄と弟の祝福の位置が交差する事によって、天上にいる兄の祝福家庭が地上に来て、弟の立場にいる全ての祝福家庭を縦的な位置に代置する事によって、天地開闢的大転換、反対に復帰、転換する事ができる時代を迎えたのでございます。そのようになる事によって、天宙父母、天地父母、真の愛を中心とする平和統一家庭王即位式を拡大した平面的世界水準と縦的な世界水準が、本来のアダム家庭で一体となり、一つのところから出発する事ができなかった事を、元返して、それを成し遂げ、地上・天上天国天一国理想圏の出発をなす事ができるように、宣布し、祝福の王即位式をもつようにしてくださる事によって、天宙父母、天地父母が真の愛を中心として、一心、一体、一念、和合し、真の愛を中心とする、真の父母から真の子女の真の血統を中心として、完成した真の家庭定着をアダムとエバが失敗する事によって、偽りの父母が汚した血筋を全て征服し、きれいに復帰された立場において、一つのアダム家庭を解放させた祝福の位置を、天地父母を通して……。 真の父母は、汚れたサタンの血筋を清める時迄、数千億の霊界と地上の人たちを、一心、一体、一念で祝福する事によって、天宙父母と天地父母の腹中に一つになって宿った息子、娘の姿となり、出発的基準において、天上、天の国を中心として地獄と楽園を解放し、三六〇度、どの方向にも天の玉座に向かって直行する事ができる、自由解放圏をもつようにしてくださった「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」をもつようになる事によって、本然の形態の姿勢を整えた場において、新たに神様と真の父母が一心同体となり、全体、全般、全権、全能の行事を万宇宙に出発し得る、家庭的天国理想世界に出発する事ができる事を、宣言、命令するようになった事を感謝申し上げます。 きょうを期して、悪の権勢は後ろに退かなければならず、善の権勢は、前に立って全体を指揮、指導し、新しい天国文化世界の創建に向かって前進し、天の国の栄華と栄光を全天宙に充満させ、万世の祝福された家庭が相続し、天上・地上における解放の主権的愛の主権を受け継いで相続するうえで、天上世界と地上世界の前に不足のない、天国に入籍した祝福家庭の国となるように許諾してくださる事を、懇切にお願い申し上げます。 この日、天宙父母と天地父母が、一心、一体となった場において、天国開放を中心とする天一国の統一の世界に、一体理想の主権の世界に前進する事を、真の父母の名によって、命令、宣布しながら、懇切にお願い申し上げますので、願うとおりに成就するようにしてください。真の御父母様のみ名によって御報告いたします。アーメン! アーメン! アーメン!神様本体である「夜の神様」が「男性格」と明確に規定されたなか、無形世界で唯一それに該当するのが天使世界、特には、堕落天使長ルーシェルがその正体であった、ということです。サンクチュアリ教会の信奉する「神様」がそれであると明言していました。シムソン氏の著書「夜の神様と真のお父様が勝利された極秘戦略の全貌(第1巻)」にも亨進氏はサインされては男性格の「夜の神様」がサンクチュアリ教会の神様であると認定されたたりもしていました。モーセがシナイ山に登ったとき、それを待つイスラエル民族は「金の子牛」を造っては拝んでいました。同様にして、サンクチュアリ教会もまた、文鮮明総裁・真のお父様聖和後はその「夜の神様」を「金の子牛」として崇めてきました。「夜昼の神様論」はサタンが牛耳っていたと私から明言した上は、シムソン氏の続巻は、もはや期待できないと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.19
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とうごま氏記事「中村仁史氏に対する「教義研究院」公式批判文書・7つの根本的な誤り。」のNo.4からですが、●「根本的な誤り」その4真のお父様が公式記録で「天の父母様」と祈祷したのは2010年1月1日の一度きり。その後も真のお父様は聖和まで「天のお父様」と祈祷している。「天の父母様」という祈祷は2010年1月1日の一度切り、ということでした。ところが、2001年1月13日の神様王権即位式で以下のような祈祷もされていました。フォトはその時の「神様の玉座」--「天のお父様」と「天のお母様」--です。 ① 神様への最初の祈祷 《祈祷Ⅰ》 新千年を迎えて十三日目を迎えるきょう、真の天上父母の王権即位式を挙行しようと思います。全天宙の万象とすべての存在が、そしてまた、祝福を受けた天上の先祖たちと地上の後孫たちが一心一体となって、歴史的な恨の蕩減期間を越えることにより、第四次アダム圏心情時代を迎え、新しい天上世界において、地上と天上が連結された天国を開門することができる時代を迎えるようになりました。 偽りの父母によって誤った結婚をし、真の愛に反対し、真の生命と真の血統に反対する恥ずかしい歴史が始まり、その恨の歴史を経てこられることに苦労された万軍の主、天のお父様であられ、師であられ、王であれられる御主人を、今まで蕩減と受難の道に追いやっていました。 真の父母がこの地上に来て、偽りの父母のすべての過ちに責任をもち、蕩減の役事を経てその解放を願いながら八段階の勝利の権限を立てました。このようにすることによって、偽りの父母の実践の場となっていたすべてのものを天が引き継ぎ、そして、その勝利圏を中心として真の父母が最高の基準において血統を転換する祝福儀式を通して万国と全天宙を連結させ、その愛の祝福の恩賜によって解放的基盤を連結させました。 心身紛争の解放、夫婦の解放、父子関係の解放、兄弟関係の解放、国と国の解放を経て、天上世界と地上世界をふさいでいる壁と国境をすべて崩し、この勝利した蕩減基盤の上に本然の創造理想として願われた自由解放的世界を立ててくださり、御覧になるすべての世界は、今から新しい天国が地上から天上世界まで一元化されました。 真なる家庭、真なる氏族、民族、国家、世界、天宙、あなたの解放された地上天上天国を連結した勝利を、真の父母の権限と真の師の権限と真の王権のすべてを代表した天地の大創造主であられる御主人のもとに結束させ、すべてのものを再び奉献しようと願うこの式典を喜んで受けてくださることをお願いいたします。 天上世界にいるすべての天軍天使たちと祝福を受けた家庭、そして地上にいる真の父母と連結されたすべての中心家庭を連結した祝福家庭が、地上を中心として兄弟の因縁である長子権を復帰した中で地上が長子の隊列に立ち、真の父母の特権的権限を中心として、堕落した世界を個人から天宙まですべて転覆させた勝利の解放圏を迎えました。 天地の真の父母を中心とした解放的真の父母と地上の解放的真の子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のあなたの願いであるみ旨を蕩減、解放することによって、今から真の父母があなたをお迎えして、本然の基準に即位することができる喜びの式典を奉献しようと願っております。 お喜びの心をもって歴史を忘れ、解放された勝利の基盤の上に立ってくださり、創造本然の心情を備えた愛の理想に一体化することができる勝利圏を中心として、万宇宙にあなたの国の権限を行使することができる全体、全般、全権、全能の解放式の祝典を奉献し、あなたが本然の立場に即位なさることができるこの式を奉献いたしますので、喜びの中で受け入れてくださることを願いながら、真の御父母様のみ名によって懇切に報告いたします。アーメン! アーメン! アーメン! アーメン!《祈祷Ⅱ》 愛するお父様、アダムとエバの堕落によって失ってしまったものを取り戻すために、地上の真の父母が個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の蕩減の峠を乗り越えました。イエス様が願った国家を越え、世界を越え、今では国連を中心として、神様が旺臨なさることができる全人類を代表したNGO(非政府機構)の基盤の上で教育を終え、WANGO(世界NGO連合)の組織を中心として「世界平和超宗教超国家連合」と連結し、地上に天の国を代表した主権を立て、国民を立て、地を立て、天上と地上にあなたの祖国光復のための基台を準備しました。 このような基盤が成されたのち、今この清平においては、祝福を受けた地上の家庭が先祖の代を受け継ぎ、入籍という祝福の恩賜を受けることによって、南北統一の限界線を越えて世界へ行くことができる世界的入籍をなし、イエス様のイスラエル圏勝利が備えられました。万物を中心とした分立の役事を通して旧約時代を踏み越えていき、息子、娘を中心とした分立の役事を通して新約時代を踏み越えていき、そして、祝福家庭を中心としてサタン世界と区別し、個人的家庭から八段階すべての家庭が天の血族としてあなたの愛の標準を中心としたモデル的基準の主人の立場に立つことができる時代を迎えるようになりました。 そのことにより、偽りの父母によってゆがめられた地上のすべてのものが蕩減復帰され、地上と天上世界をふさいでいた数多くの壁がこの基準まで開放され、解放的権限を備えました。そして、万個人と万家庭、万氏族、民族、国家、世界が今、一つの帰結点と真の父母との心情因縁を備え、失ってしまったすべての被造万物を蕩減復帰し、真の父母の名とともに総生畜献納という名を中心として、お父様の前にすべてを奉献できる新千年の十三日を迎え、このように奉献することができるようになったことを感謝いたします。 神様は、もうお座りになってくださり、あなたの権限を行使され、全被造万物を主管することができる主人の立場に、主人だけでなく王権の基準にお立ちください。そして、アダム家庭において成し遂げようとされたあなたの創造理想をすべて飛び越え、霊界と肉界、過去の三時代をも越えた自由自活の立場にお立ちください。そして、このすべての天地が一つとなった世界的基盤の上で、祝福家庭が一時にあなたの愛の権限に属し、王権即位式とともにあなたの国に属することによって、自己主張することができる時代へと入城いたします。 ですから、お父様、万世にあなたの栄光をもたらし、勝利の栄光が全天宙に満ちあふれるよう、許諾してくださることを懇切に、懇切に、懇切に真の父母の名によってお願い申し上げます。 この時間、真の父母が再び蕩減復帰して取り戻した神様王権即位式の即位権限を、あなたの本然の基準である権威の位置に奉献いたしますので、お父様、この日を期して、真の父母が約束し、宣言したすべての基準の上で行使なさることができる自主的な解放的天下をあなたの愛の圏に連結してくださることをお願いしながら、この式を奉献することができることを感謝いたします。 このすべての式典を喜んで受け入れてくださったことを感謝しながら、霊界で祝福を受けたすべての家庭と、地上で祝福を受けたすべての家庭が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を成す伝統を中心として、継続する真の父母の血族が、万代の血統を中心として、そして人脈、人を中心として、公的な万物を中心とした三大要件を神様の直属の前に付加いたしますので、その上で万世を太平盛大に導くことができる王の中の王、神様王権即位式の主人となられることを、真の父母は千万年歴史を越える心をもって宣布いたしますので、宣布したとおりに成就されたものを受け入れてくださることをお願いいたします。 真の父母の懇切な心と懇切な心情ですべてを報告しながら宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! 《祈祷Ⅲ》 愛する天の真の御父母様の前に、地上にいる人類が一つになり、地上の真の父母と天上と地上の祝福を受けたすべての家庭が一心一体となって、二〇〇一年を中心として三〇〇〇年に向かって出発する年頭に語ったみ言の内容と同様に、きょうの栄光の日を宣布いたしました。 「解放された天地父母と解放された子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という年頭の標語とともに、神様と地上の真の父母が一体の心情を備えて新千年すべての人類の前に宣布した言葉として、万有の存在が標語を受け入れ、今から地上において神様が即位することができ、根となる時代を迎えましたので、今日の祝福を受けた家庭は、天地の王権に侍る直系のアダム完成の立場に立つようになり、万国万象を代表した立場で天の前に報告するときにも、「祝福の中心家庭誰々の名によって懇切に報告します」と言う新しい歴史時代を迎えました。 振り返ってみれば、旧約時代においては、物質を両分してサタンと神様が分けなければならなかったという恨めしい事実があり、新約時代にイエス・キリストを中心として心と体が分かれ、心に当たる霊界の整備と体に当たる肉界の整備を残したという事実がありました。その霊肉が一つになることができる時が第二次大戦後でしたが、霊肉を統一してすべてを蕩減復帰し、この地上に本然の理想世界を完成して、地上の真の父母の名をもって天上の真の父母を解放する立場で神様王権即位式をすることができなかったという事実が残ったのです。 今、四十年という歳月を経て、第二次大戦直後に旧教と新教が一つになることができず、東洋と西洋が一つになることができなかったことを再び蕩減した基準を立てて蕩減復帰し、第二次大戦直後に、キリスト教文化圏においてカインとアベルである旧教と新教が一つになって受け入れることができなかったことを今この時に、八十歳を越え、二〇〇〇年を越え、新しい三〇〇〇年に向かって出発する今年の最初の月の十三数、イエス様の十二弟子と中央数、イエス様が失敗した恨の歴史を再び歩んで整備し、ローマだけでなく、世界だけでなく、地上・天上天国の解放圏を備えて十三数の中心の日を定めることによって、このような神様の即位式を挙行するようになりました。 今から、二〇一〇年、あるいは二〇一二年までのこの期間に、神様の前に総生畜献納物を奉献するものを再び戻して受け取ることができ、地上の統一天下と、地球星はあなたの故郷であること、そしてあなたの祖国光復を宣布することができるその時まで、あらゆる精誠を尽くすために、南・北韓の統一を中心として、国連の統一と天上・地上世界統一の一線上に立って、平均、平面上で連結させなければならないという切迫した最後の整備時代を迎えました。 神様王権即位式を挙行いたしましたので、全体、全般、全権、全能を行使なさり、あなたが願われるすべての宗教圏の霊界を動員してください。地上において平和の世界を迎えることができる自主張時代を迎えましたので、その自主張権限を地上と天上世界の歩調に合わせ、地上の真の父母が天地に成した勝利の大解放時代を望みつつ、新しく一月から全世界と天上世界の祝福を受けた家庭が一心一体となって、地上定着のためのアダム圏地上基盤を中心とした長子の位置と父母の位置と王権の位置を復帰し、天上世界においては、代を受け継いでいく基準において長子権復帰、次子権復帰が成し遂げられ、次子の権限が長子の権限を身代わりすることができる天地開闢時代を迎えました。 最後尾にお立ちになった神様が、真の父母によって、最後尾ではなく先頭に立つことができる即位式を挙行いたしましたので、あなたが願われるみ言の内容はすべて宣布され、天の国の構成において、個人の統一問題、家庭の統一問題、氏族、民族、国家、世界、天宙の統一問題、すべての問題を知っておりますので、今からは実践躬行(注:自分で実際に行動すること)してその実体圏を地上に成し、真の父母の名と天の真の父母の名を奉り、最後の勝利的権限をすべて備えた祝福家庭、中心家庭としてすべてを終結させることができる天宙の永遠な解放の時代に前進することを許諾してくださいますように。 そのようにすることによって、天の真の父母と地の真の父母の主権国家を中心として、万万世の太平盛大な王権を勝利し、あなたが理想とされる、万民皇族圏と神様に侍る天上直系の子女たち、すべての地上と天上の祝福家庭たちの上に一律的な恩賜を分け与えてくださることを、真の御父母様はこの日を期して願いますので、特権をもたれた王権王座にいらっしゃる神様の権限として、このすべてのことを約束とともに実践してくださることを懇切に、懇切に、お願い申し上げます。 今、この一年から、あすから出発するすべてのことは、統一家のすべての祝福が勝利の覇権的旗を掲げ、万国を治めることができる天の国の大使と天の国の総督の名をもち、一方通行、勝利、勝利、万世に前進することができる解放者となることを許諾してくださることを懇切にお願い申し上げ、天の真の父母と地上の真の父母が共に一体となるこの場を通して懇切に報告、報告、報告、宣布、宣布、宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! 感謝いたします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.07
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韓国ではコロナ19が新天地宗教施設を中心に拡散していることから、これまで異端視されてきた新興宗教にもその波紋が及んでおり、韓国メディアを通じては様々な非難が浴びせられている。統一教会もその例外でなく、これに対して反論記事を書いていました。韓国ブログ「ピース展望台」(2020.02.29)より:http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=peacepeace2018&logNo=221829839388しかしながら、中道的な視線での宗教学者の記事もありました。コロナ19が新天地中心に拡散しているからといって、同じような団体で発生した場合でも、拡散の事態は同じように起こっていただろうというものでした(以下)。[共感世界]中国で新天地まで/ハン・スンフンハン・スンフンㅣ宗教学者現代人に宗教とは疑わしいものです。他人の宗教は特に不確かである。また新しい宗教はあまりにも不審である。宗教研究では、古典的な仏教、キリスト教、イスラム教など区分される、近代以降に新たに登場した宗教を「新・宗教」という用語に呼ぶ。学界では、ある程度定着した概念であるが、まだ日常では「新興宗教」、「異端」、「疑似宗教」などの名前が広く使われる。不確か受賞した打者の信仰を指しに新宗教という言葉は、客観的に勝つもあまりにも地味に可能性はずだ。新宗教がマスコミと大衆の関心を受けているのは、「スキャンダル」が起こるときである。韓国では1930年代ベクベクギョの連続殺人をはじめとする陰鬱事件、世界的には1970年代に発生した米国のジョンズタウン集団自殺事件や、1990年代の日本のオウム真理教による地下鉄サリンガス散布事件などを代表的な事例としてあげられる。このような衝撃的な事態は新宗教を潜在的な犯罪集団に想像することである。コロナ19の「スーパー伝播者」として指名されている新天地イエス教証拠幕屋聖殿(以下新天地)は、「キリスト教新宗教」に分類される。キリスト教の伝統で割れた新しい宗教という点では、過去に注目された統一教会、救援派、チョンブギョなどだが、最近、韓国のキリスト教内では「最も危険な異端」として、特に警戒の対象がいたところだった。既存の教会に浸透して信者を「収穫」する積極的な伝道方式が脅威になったためだ。新天地は、この方法を使用して、比較的短い期間に印象的な教勢拡張を遂げた。数年前からは、大規模な集会を開いて、公開的な地域センターを設置して、自分たちに批判的なメディアの報道に 積極的に対応するなどの。コロナ19発生後の最も懸念された事態である地域社会感染が新天地関連イベントから開始された。さらに、海外からのウイルス流入を防ぐだけでは余裕がない状況が起こったのだ。もちろん新天地信者介して感染が広がったのは、現時点では全くの偶然である。最初の感染者は、海外に行って来なかった感染経路も不明だからだ。しかし、責任も明らかである。教団の公式措置ではないことが知られたが、少なくとも一部のでの隠蔽しようとがあった。半(半)公開的な組織文化も事態の悪化に貢献した可能性が高い。今回の件で新天地は、キリスト教の公的で国民の公的になる状況を避けることができないものと思われる。中国の留学生や海外同胞の「政治的に正しくない」やみくも嫌悪がより客観的であり、適しており、反論の余地が少ない対象に向けた怒りに転換されたわけだ。それにも新天地信徒たち、あるいは新天地教団を病魔の祭壇に犠牲に上げるだけでは、まだためらう。新天地が感染拡散の通路がされたのは、受賞した新宗教なのでもなく、その校からもなく、教団の全貌を明らかに気を気に組織の特性と関連があるからである。もし彼と似たような属性を持つプライベート政治組織やマイノリティのコミュニティで感染者が発生した場合でも、事態は大きく変わっていなかっただろう。非難するにやすいタイプとして嫌悪が正当化されるわけではない。より現実的な問題もある。新天地信徒を目標とした非難が激化すればするほど教団存立の危機に瀕している新天地の立場では、個人や組織レベルでの隠蔽をしようとする理由が生じる。次に、感染者の半数が新天地信者であるが、現実に置き換える方法受け入れればいいか 新天地集会参加者の防疫当局の調査も嫌悪行為か?そうではない。必要な措置はしなければならない。しかし、我々は、少し前まで、中国「国籍」を持っているという理由だけで、感染地域との接点がない、これらのまで疑って非難する狂気を見た。まだ韓国人は海外で東洋人という理由で「ウイルス」扱いを受けている。誰も差別されてはならないという原則で例外ではない。人種のためであれ、宗教からでも。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.29
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教保文庫の新刊コーナー「平和の母」/ギムヨンサ/韓鶴子総裁http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=kjy3297&logNo=221811413557韓鶴子総裁の自叙伝紹介https://www.onefamilyundergod.or.kr/introduction/autobiography_ja.php“真の愛と献身によって天の意志に従った私の人生が真実をもって伝わることを願います “私は、これまで天の父母様の本然の地位を取り戻して差し上げるために、耳があっても聞くことができず、目があっても見ることができない人々のために、東から西へ南から北へ、地球の隅々を巡りながら天の摂理の真実を知らせるのにすべてを捧げました。砂嵐が吹き荒れ、目を開けることのできない環境で、小さな針1本を探さなければならない心情で、天の摂理の真実を知らせ、また知らせました。真実を理解できずに反対し非難する子どもたちを胸に抱きしめて、狂ったように世の中を抱き、また抱きしめて回りました。真の愛を胸に抱いたからこそ、非難と逼迫、反対と蔑視の傷は私の胸のどこにもありません。一年うちに地球の数十周を巡り、私を必要とする所なら奥地でも何処でも関係なく駆け付けました。 口の中がただれ、足がむくんで立っていることさえできない困難がありましたが、私は休むことができませんでした。なぜなら、この道を歩むことを決意し、どんなにみ旨が困難であっても、私の代でこのような不幸の歴史を終わらせるという神様と交わした約束を守るためでした。そのように世の中の低く奥まった場所を夢中になって巡りていると、人々は私を「平和の母」と呼び始めました。国家の首脳が、宗団の首長が国家と宗団の壁を越え、私を「平和の母」と呼び、従い始めました。私は今まで自分の名を明かした事がありませんでした。初めて率直な私の生涯の話をこの本に込めました。 夢と使命、情熱と献身で天のみ旨に従った人生が、この本を通して世の中に真実をもって伝えられることを願います。世界各地を駆け巡りながら超宗教超国家平和運動を繰り広げてきた女性指導者、韓鶴子総裁。 神様の夢の完成を胸に抱いた幼少期から、文鮮明総裁との結婚、そしてアジアとヨーロッパを経てアメリカと南米、アフリカに至る数千回の行事および数百回の世界巡回講演まで。平和の母として絶えず世界平和の道を開く崇高で感動的なドラマ。世界を救う女性指導者として耐え忍ばれた逆境と苦難、そして命を捧げ奉仕してきた愛と献身の物語。韓鶴子総裁1960年、文鮮明総裁と成婚以降、自宅に滞在していたことがまれでした。 軍事分界線下の小さな村や、孤独な島の村から、海を渡って日本を皮切りにアジアとヨーロッパ、アメリカ、南米、アフリカまで全世界を巡回しました。 見知らぬ人たちと見知らぬ土地を自分の兄弟姉妹、自分の家だと思い、尋ね回りました。1980年代には、宗教の和解に向けた超教派運動と南北統一に向けた汎国民運動を導きました。 社会のために奉仕し、平和を増進させる運動も展開しました。 1990年代には、ソ連のゴルバチョフ大統領と歴史的な出会いをもち、冷戦時代の東西和解に大きな貢献をしました。 1991年、北朝鮮で金日成主席に会い、南北統一解決の糸口をつくり、北朝鮮宣教の足場も設けました。 新しい千年が始まった2000年以降には、国連まで活動の幅を広めました。 190を越える国々に教会が建てられ、世界どの都市、どの村に行っても家族に会うことができるようになりました。2012年9月、文鮮明総裁が聖和された後もこの足は止まらずにいます。 世界の人々に向けた贈り物として"鮮鶴平和賞"を制定し、未来の平和運動に対する道しるべを立てました。 南米やアフリカにおいて、多くのボランティア活動を行い、世界各地で多くの人材を育てています。 人種■宗教■国家の壁を越え、人類がひとつの兄弟となる真の平和の夢を叶えています。そのようにして、一日のように思える60年が過ぎました。 個人や家庭より民族と国のため、一つの国家より世界の救援が一生涯における使命でした。 戦争と暴力、葛藤を終わらせ、平和と愛があふれる世界のために残された人生をすべて捧げていきます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.19
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「ほぼ5分でわかる統一原理」映像からです。第124回 復帰原理(イエス路程)「イエス誕生の背景」第125回 復帰原理(イエス路程)「タマルを中心とする摂理」第126回 復帰原理(イエス路程)「マリヤを中心とする摂理」「イエス様には父親がいる」と聞けば、クリスチャンの方々はビックリされることでしょう。しかしながら、それが聖書に書くされた真実であります。また、キリスト教が待ち望んでいる再臨主もまた母親の胎を通して(肉身をもって)なされます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.14
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8日7:33、LINEにて韓国から送られて来たフォトです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.08
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U-ONE TVチャンネル登録者数 6390人清らかな聖歌がオルゴール風にアレンジされました。祈祷用、睡眠用、作業用BGMにはもちろん、心を落ち着かせたいときや疲れたとき、胎教にもぴったりなコンテンツです。聴くと心がじんわり温まる、優しい気持ちになれる、そんなオルゴールの「癒やし効果」と聖歌のメロディーの相乗効果で、あなたの毎日をもっと豊かに。今回の曲目は、聖歌33番「わが仔羊」です。やや古い韓国の讃美歌で、復興伝道牧師である朴在奉・在勲の兄弟によって作られた曲です。画像素材:PIXTA
2020.02.03
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PeaceTVホームページから生中継中は「ON AIR」をクリックしてください。天地人真の父母様御聖誕100周年および天宙聖婚60周年記念行事インターネット生中継案内行事開始10分前からオープニングスペシャル番組が放映されます。■ 2月2日(日)(2) 世界平和言論大会日時:天一国8年 天暦1月9日 (2020.2.2) 日曜日 午前10:00場所 : 小公洞ロッテホテル生中継:韓国語、日本語、英語、スペイン語、フランス語、中国語一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【文鮮明、韓鶴子総裁生誕100周年および聖婚60周年】●2月2日の行事案内https://www.worldsummit.or.kr/ws2020/imap.phphttps://www.worldsummit.or.kr/ws2020/iap.php
2020.02.01
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#세계평화통일가정연합 #참부모님의 #7년2013〜2020真の父母様の7年路程一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.30
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『TODAY'S WORLD JAPAN』から2009.12月号、2010.1月号に連載された文鮮明総裁のみ言を抜粋して掲載します。10.14 真の父母様 天宙祝福式慶祝午餐会でのみ言(前篇)2009年10月15日 天正宮博物館祖国語である韓国語 すべての世界の天一国が始まり、十月一日からは「天地父母UN平和宏着大会」……。UNを超越しました。父母UN平和安着国家が今年の六月一日から始まったので、平和王国が始まったのです。万国の王たちが大勢いましたが、これからは万王の王、お一人になります。 そのお一人となった王の名がどの国に定着するのかということが問題になります。その歴史の出発とともに「ハナニム(神様)」という「お一人しか主人はいない」という言葉を使う民族は韓国しかありません。コリアしかありません。コリアは長成圏を中心として、政府のあらゆる主権が立つとき、民主主義式ではありません。これは必ず天地父母……。 今年の標語は、天地父母天宙安息圏……。安息圏において第一は、絶対’性’です。絶対’性’とは何かと言えば、真の父母様の生殖器……。「真のお母様とお父様の生殖器」、このようになるのです。天地父母天宙安息圏……。休むことのできるその時代の第一が何かと言えば、絶対'性’です。 絶対’性’というのは、真のお父様と真のお母様の二つの器官の凹凸です。凸は与えるものであり、凹は受けるものですが、母の生殖器と父の生殖器が一つの器になり、その中に、母の膣(ちつ)を通して、子宮を通して、母の卵子が休むことのできる赤ん坊の家があるのです。父は何かと言えば、真の愛の生命の種になる父の精子……。堕落したために、卵子と精子、母の生殖器と父の生殖器が一つになつて一致したことがありません。 堕落することによつて、カインとアベル、兄と弟、父母なる神様―見えない父母と見える父母、兄と弟のような部分がすべて切断されました。父と母の精子と卵子が一緒に人っていって暮らすことのできる器も壊れていて、父の愛と母の愛の種になれる精子と卵子もすべて壊れています。すべて切断されたというのです。自分かってで中心がありません。全世界の人たちが混乱し、アルファとオメガ、最初と最後を知らず、その過程も知りません。……略 「天地父母」になりますか? 「天地人父母」にならなければなりません。「人」が抜けました。今年の標語が、天地父母天宙安息圏……。縦的な基準がないというのです。ここで初めて安息圏の絶対’性’です。絶対真の愛の父、絶対真の母と精子です。この三つがついに真の父母の凹凸、男性、女性の生殖器に対し、それが結婚して一つの器の下に精子と卵子が一つになり、天と地と宇宙が混ざり合うのです。 先生が語る祖国と真の父母、真の王と真の神様と一つになった本当の神様の前に……。背後には霊界の万王の王、真の父母……。万王の王も、真の父母も、この国を受け継ぐために、神様! お一人しかいません! そのお一人のおかたが何かと言えば、真の父母、真の師、真の王なのです。 万王の王、宗教、平和、人間夫婦、分かれたすべてのものがここで実を結ぶのです。今年の標語が何かと言えば、最後が、神様! 神様の下は二つになっていました。 「協會」という言葉は、神様の中で霊と世の中がカップルになり、真の愛で一つになることです。「協會」の「協」は「十」と「三(劦)」で十三数です。これは十字架です。イエス様の十字架であり、その次に三つの「力」は神様とカイン・アベルです。この文字自体が象形文字になっているので、「アソシエーション」は「フェデレーション」とは違うのです。「フェデレーション」は二つになりますが、これは一つです。「會」の字は「人」に「一」に「四」で、東西南北の「四」の中でセンターを中心として、てっぺんに屋根があります。 「基督教」は、基台の「基」の字と監督するの「賛」、占領するの「督」の字に「教」です。「教」の字は父母です。このすべてのものが、形象文字の中で意味があります。その文字自体が天地を……。「天」と言えば、二人が一つになったことを意味します。統一教会の文先生は天一国! 二人でカイン・アベル、上下、前後が一つになって天一国です。天一国は神様の祖国と故郷です。祖国と故郷は離れることができません。神様の故郷が祖国になるのです。カインとアベルが連結されて結論を下し、きょうのこの集会が終わる時間です。家庭連合と支流人らの違いについて言うとするならば、「お父様とお母様は一体であるか、ないか?」ということです。これまでは支流人の方々は、あたかも不一致であるかのようなみ言をひっぱりだしてのものでしたが、その引用の多くは改ざんされたものや誤訳、歪曲解釈といった教理研究院からの「(支流人らの)言説の誤り」で姿を消しているようです。自称ルポライタイーtomy4509もまた、お父様の元祖「独生女論」のみ言や『原理講論』を検証してみたときにそれの矛盾点を発見することができず、支流人らの「独生女批判理論」こそが机上の空論であったとの結論を得ています。お父様が生涯に亘ってされてきたことは、まさに、八大教材教本に代表される「み言」であったと思います。そのみ言を誰よりも信奉し実践しておられる方が「お母様」ということではないでしょうか。人間始祖アダム・エバは堕落によって神様からのみ言を失いました。したがって、蕩減復帰摂理はというとその「中心人物」「条件物(み言)」「期間」を先ずは復帰することからでした。「信仰基台」がそれでしょう。今回紹介した引用は「絶対’性’」についてお父様が語られたものですが、支流人らの言うところの「不一致」が見られるでしょうか?後篇からも真の父母様が一体であられることのみ言を見ることが出来ます。P.14(以下)下部にも「正午定着」(ピッタリとあって影がないということですが。)の言葉を見ることが出来ます。しかし、『TODAY'S WORLD JAPAN』2010.1月号 の 後篇には、郭錠煥氏を前に語られた少しキツイみ言もありました。これからしばらくして2009年12月6日を最後に郭錠煥氏はお父様の前から消え去りました。お父様がそうしろ、と言ったからでしょうか?叱責されながらも最後まで従って来なければならないと!!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.29
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2020冬季ヒョジョン文化芸術YOUTH CAMP[2020-01-05〜11]2場ハイライト映像一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.27
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ヒマワリは韓国語では「해바라기(ヘバラギ)」ですが、「효바라기(ヒョバラギ)」は、「孝のひまわり」ということです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.24
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.20
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韓国ニュース(2020-01-16)から。バチカン教皇庁、国務院次官職に初の女性任命フランシスコ法王、既婚男性の司祭叙階論議等の進歩的な歩み先月29日フランシスコ教皇が「第105回世界移民の日」を迎え、サンピエトロ広場で開かれた入植者140人の姿を形象化したカナダの彫刻家ティモシーシューマルツの作品発表に出席した姿。バチカン市= EPA聯合ニュースバチカン教皇庁官僚組織の中核補職ある国務院次官職に初めて女性が任命された。最近教皇庁は、既婚男性の司祭に任命案を検討しており、現フランシスコ教皇の進歩的歩みが続いているという評価が出ている。15日(現地時間)、バチカンのニュースは「フランシスコ教皇がイタリア出身のフランチェスカディジョバンニを国務院内外務省第2外務次官に任命した」と報道した。国務院は、教皇の職務遂行を補佐する機能を担当するが、このうち外務省は教皇庁の外交業務を管掌する。外務省は外国との両者の関係を担当する第1次官と、国連などの国際機関を中心とし多国間関係を担当する第2次官がある。ディジョバンニが担当する第2次官職は今回新設された。弁護士資格を所持したディジョバンニ次官は、1993年から教皇庁に勤務しており、長い間外務省で多国間の関係を担当してきた。ディジョバンニ次官は「法王が前例のない決定を下した」とし「これは女性教皇の関心を示唆するものだ」と所感を明らかにした。前法王は今月1日、講論で「女性が平和をもたらして仲介の役割をする」とし「女性が重要な意思決定の役職に含まれなければならない」と述べたりもした。女性がバチカン国務院次官以上庁高官に任命されたのは、前例のないことである。フランシスコ法王は保守的なバチカン教皇庁で進歩的な性向で注目されている。昨年10月、世界の司教代議員会ではアマゾンの熱帯雨林地域に限り既婚男性の司祭叙階を与える勧告が盛り込まれた最終報告書が採択された。これと関連し、900年間続いてきた「司祭の独身制」の伝統を破る異例という懸念の声も出ている。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.16
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聖歌2番 聖苑のめぐみ限りなき恵みはわれに与わる永久(とわ)の生命(いのち)、喜びなり※(くりかえし)われ今、楽しく常に讃えん栄光を高く捧げまつれ一つの喜びわが胸に得て理想(のぞみ)を立て、常に歌わん※永久(とわ)の生命(いのち)われに溢れて万(よろず)の祝(いわい)ただ誉(ほ)め奉(まつ)れ※選ばれし恵みにわれ感謝して誠を尽くして、御前にひれ伏さん※一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.16
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韓国・ブログ記事から(言語は韓国語。google翻訳にて)。世界平和統一家庭連合、神主義の統一についてhttp://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=memy80&logNo=221771877413神をも考えずに、神はいないとしながら、 さらに私が思って成長することを夢見るなら、それはまもなく終結されるものです。 代表的な例としては、私たちが知っている共産主義があります。 引っ繰り返して時間を行けば、韓半島が割れて冷戦中 共産主義の時代があったことがあります。 彼らはむしろ反神主義を振りかざすように ますます勢力を広げていくと同時に、最初から精神的な存在を消しなくすと思いました。 ここに対抗して戦った人々、世界平和統一家庭連合の思想を向上させ、 反抗する努力を着実にしてきた戦績があります。 今は無条件の結果だけを考えて、最終的には崩壊し体制だと思うだけでめくるだろうが、 その過程は、激しく戦ったこれらの宣教師たちがいました。各国で共産主義理念が植えられて力を育てる原動力になるや 勝共理論と統一思想を前に置き、現在の状況を克服していこうとしました。 初めは日本で最初に開始してまもなく、日本の思想に変化を与え始め、足を広げて多くの国に伝達することができるように努力しました。 宣教師が直接出て持っている正しく清いと考えている概念を教育し、多くの人々が その事実を受け入れて戦うようにする努力も行いました。 途中命を失う場合もあったが、むしろ屈せず、当時進められていた蝶作戦がさらに活発に運営されることができたきっかけになったりしました。共産党の3大敵と言われているのがレーガン大統領、ローマ教皇、最後に私たちの真の父母様です。彼らはどうして韓国人だった方を敵として目星をつけたかとしてみると、最終的に理念の衝突にあります。 世界平和統一家庭連合はたとえ共産主義が解体されて、ソ連が崩壊してもすべてが終わったり仕上げた思わず むしろ残りの平和統一に裏付けされ一生を送りました。 いつかは北朝鮮政治部がある場所で、共産主義の欠点と 誤った部分を率直に明してどのように方向を戻って保持成長するかについての言及したこともありました。 以降は、その勇敢さに反してすぐに金日成主席が彼(文鮮明総裁)に単独会談を要請する事例もあったことを見れば、その威厳がどの程度かどうかについて少し知ることができます。世界平和統一家庭連合の勇敢さはここだけで発見することができたのはありません。 先日、米国とソ連の対立が激しくなって、世界的に状況が危機状態であったことを知って モルトンカプラン博士に宣言をするように依頼したことがあります。 いくつかのことを聞いてみると、共産主義の終焉を宣言をするよう指示したとします。 当時は勢力が強く、現在では私たちが結果をすでに知っていた状態で 当たり前のように受け入れることができるが、それは明らかに容易ではない決断と見ています。 したがってカプラン博士もこれに「〜だろう」というふうに 言いまわしてはと意見を出すこともしました。しかし頑として否定し、必ず終焉に導く宣言を浮き彫りにさせたりしました。 最終的にはあちこちに力を出すことができる動力となって冷戦終結の結末を導いた一つの手段として見ることも重要なことでした。1989年11月には、ベルリンの壁が崩壊した歴史を記憶することができます。 その後も着実に米国に勝共教育を進めながら意味を情報に加えソ連とのコミュニケーション網も忘れずに取りまとめる態度を示しました。 おかげでソ連またジャーナリスト会議が開かれ ソ連も理念と思想に同意するという主張を表わすこともしました。 唯物論的世界を見て解決するのではなく より精神的な価値を再建確立することを重要に思った世界平和統一家庭連合は ソ連にかなり神を強調することができるように堂々と要求する態度を示しました。 これは結局、韓国とソ連の国交開始点を意味します。ソ連の学生を連れてきて、教育をさせながら思想を伝播し、以降は暴動が起きましたが危険な状況に置かれた時も、学生が直接ここに対抗し戦って反抗する姿を見せる事件もありました。 このすべてが、最終的には真の父母様の労苦と無限の教育を進めることができるようしていた手間があったことです。最終的には、あらかじめ預言をしていたところに69年ぶりに世界を支配することができていた共産勢力が幕を下ろすました。 その過程で命をかけて人生をかけた真の父母様の宗教活動が完全にあったと言うことができます。 しかし、世界平和統一家庭連合の評価は、思ったほど良くなかった むしろ否定的な方に属していたことがあります。 熱心に南北の統一に力を入れて 冷戦終結をすることができるよう、リスクを冒して立てた計画、教育、労苦が弓矢になって親北主義ではないかについて疑問を買いました。 これはおそらく、金日成主席と義兄弟を結ぶように厚い交流を結んだからだとしますが、結局、金日成主席との会談は、以降、南北間の平和交流に力を入れたものと見なします。最初は平壌で北朝鮮の政治部の主要な場所で直接毒舌を飛ばして 共産党の誤りや不快感を述べました。 同時に、常に除いてはならない、神を結論浮かべ神主義の下で統一がなされて、絶対人間が直接、単独であるいは主体性を持って することができることではないと説明しました。現在は、神が中心とされていなかったので、暗澹たる現実的であり 失敗がされたワンと言ったこともあります。 だから、統一は誰も抜けず、神と人間から可能なことだと述べたりします。 このように、これまで多くの宣教活動と作戦、計画は、最終的には、 さらに正しい思想と理念を適用するためにした過程とすることができます。 また、最終的には統一まで安全に行うことができることを望んでいた総裁の風も入っています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.16
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パクボウヒ聖和1周年追悼礼拝(1月11日)http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=peacepeace2018&logNo=221768302783一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ▲当時、北朝鮮の新聞
2020.01.13
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2020.01.12
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統一教会家庭連合#真の父母様の思い出の歌#ノイバラ/カフトルがとガプスンが#母よ姉よ川沿いに生きよう#True Parent's Song一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.06
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30年前統一教会で作った映画[仁川]の新しい分析提示--日本人の作った映画 インチョン… 韓米日同盟強調2019/12/30STORY T日本人の作った映画 [インチョン]… 韓米日同盟強調映画「仁川(インチョン)!」をご存知ですか?朝鮮戦争当時の米軍の仁川上陸作戦を描いた映画ですこの映画は1982年に公開されましたが、製作費がなんと当時の米通貨で4500万ドルがあ投入されました。しかし最近、大韓民国の教育部と韓国研究財団の支援を受け実施された研究を通してこの映画のもうひとつ別の側面が分析され注目を集めています。高麗大学のキム・ナミョク教授が論文を担当して進められましたが、題名はまさに朝鮮戦争映画「インチョン!」に投影された反共主義と統一教の理念です。今までになかったこの映画に対する新しい内容であり注目を集めているのですが、どんな内容となっているのでしょう。……【関連記事】幻の名作映画 『Inchon! (仁川)』、YouTubeで蔵出し!!韓国映画「仁川上陸作戦」と(統一教会制作の)アメリカ映画「Inchon!」を見てナニ...一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ https://05448081.at.webry.info/201410/article_15.html?pc=onかつてこの映画はビデオ化もさせず、DVDも発売されていないため視聴が難しい幻の作品だったのですが、現在はYouTubeで全篇が視聴可能となっています制作費約130億円と5年の歳月をかけて制作された「インチョン」は、1982年に公開された映画であり、朝鮮戦争における仁川(インチョン)上陸作戦にタイトルは由来しています007シリーズで有名なテレンス・ヤングが監督し、ローレンス・オリヴィエ、ジャクリーン・ビセット、三船敏郎といった大物スターが共演していますが内容はグダグダで、興行収入は世界全体で20億円少々にとどまりました。実に110億円もの赤字を生んだわけです映画は元々上映時間3時間という超大作だったのですが、一般公開では編集して短縮した140分のバージョンが提供されています。このため、映画の展開が余計に理解不能となり、観客に受け入れられなかったとも言われます1982 Inchon! 1/141982 Inchon! 2/14続きはYouTube(こちら)から。
2019.12.31
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=peacepeace2018&logNo=221748242930
2019.12.25
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韓国ニュース(2019-11-29)から。「嶺南KCLC創立大会」大邱で開催[大邱=ニューシス]ベソヨウン記者=嶺南KCLC創立大会が29日、ホテルインターブルゴ大邱で開かれている。2019.11.29。photo@newsis.com[大邱=ニューシス]ベソヨウン記者=世界平和統一家庭連合で構成され、嶺南KCLC創立大会が29日、ホテルインターブルゴ大邱で開かれた。 このイベントには、世界の平和統一家庭連合聖職者100人余りが参加した。イベントは開会宣言、バクヨウンベ嶺南KCLC共同議長歓迎の言葉、金ステパノ牧師の基調講演順に進行した。 バクヨウンベ共同議長は、「忠実な信仰と愛に宗教本来の姿を回復して、大韓民国が直面している個人主義、利己主義、家庭破綻、青少年問題など、様々な問題を克服するためにKCLC名前で一緒に解決してくれること」を要請した。 ギムムンギル共同議長は祝辞で「壬辰倭乱当時の宗教を超越して儒林と僧兵の動きが起きた」とし「3・1万歳独立運動も宗教を超越した運動で内憂外患の時代を聖職者たちが一緒に宗派を超えて克服していかなければなら」と強調した。キムステパノ牧師は基調講演に出て、「神の統一韓国と地域奉仕のために残した者として聖職者の役割が重要であり、イベントに参加した聖職者から宗教と宗団、教派を超えて一つなければならない」と述べた。 これらの聖職者たちがそれぞれの地域で奉仕して家の価値と性倫理回復など、さまざまな問題を解決していくために率先ことを決意した。【関連記事】神統一韓国超宗教・超教派聖職者希望前進大会、KCLC創立式開催一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.12.02
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韓国・ニューシス(2019.10.22)「慶西部圏の宗教指導者セミナー」欧米金烏山ホテルで開かれ【欧米=ニューシス】バクホンシク記者=チェスギョン(右四)世界平和統一家庭連合慶教区長が22日、慶北亀尾市金烏山ホテルで開かれた「慶西部圏の宗教指導者セミナー」を終えた後、宗教指導者たちと記念写真を撮っている。【欧米=ニューシス】バクホンシク記者=国難克服のための「慶北西部圏の宗教指導者セミナー」が22日、慶北亀尾金烏山ホテルで開かれた。世界平和統一家庭連合慶尚北道教区、韓国宗教協議会慶尚北道支部が主管したこの日のセミナーは31日、ソウルのロッテ蚕室ホテルで開かれる韓国キリスト教の聖職者協議会(KCLC)創立総会を控えて用意されたイベントであるという点で大きな意味がある。イ・ジュファン神韓国家庭連合亀尾支部長は基調演説で「宗派と教義は異なりますが、私たちは神の元の兄弟・姉妹である。教団を超越して、神の祝福が参加したすべての方々と一緒にお祈りする」と述べた。続いて「今日は集まりが教団と教派間の壁を崩し、互いに共通の分母を探していく出発点になってほしい」と述べた。チェスギョン世界平和統一家庭連合慶教区長は基調講演で、「宗教を離れて、大きな枠組みで互いに手を取り合って連携して、国民から信頼される、キリスト教になるための基盤を作るために設立されたKCLCの立ち上げに力を集めなければならない」と明らかにした。セミナーには、チェスギョン慶北教区長、イ・ジュファン亀尾支部長と各宗教指導者20人余りが参加した。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.10.22
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2019 孝情文化祝福フェスティバル名古屋4万人大会2019.10.6 愛知県国際展示場にて。PeaceTVのホームページ(こちら)にありました、名古屋大会の写真をフォートアルバムにしました。曲は久保田あいこ、家族のチカラ~未来へ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 韓国で点火された聖火が日本、そして、10月27日はヨーロッパ・アルバニアでお母様をお迎えして開催される予定です。
2019.10.17
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10月13日、「天地人真の父母様 神世界安着のための世界巡回勝利記念祝勝会 天苑宮天苑教会出征式」におけるヒョジョン文化公演。リトルエンジェルスの歌。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.10.13
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2019.09.29
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聖和者家庭向け講話 2007年3月17日 宮崎台研修センターで収録一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.08.22
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1_血統転換から見た堕落論kjhm22013/07/01 に公開一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.08.21
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19日朝の訓読会から:お母様「独生女」を批判・否定される方々には、ビックリされるようなみ言である。天一国・天聖経 第十一篇 第三章 一節 祝福式29 愛に関する話を今まで悪いものと思っていたのは、愛の器官が悪の宮殿になったからです。三大破壊の武器になりました。愛を破壊する宮殿になり、生命を破壊する宮殿になり、血統を破壊する宮殿になりました。このような三大破壊の宮殿になったというのです。天地のすべてのものを暗黒世界にする宮殿になったので、それが悪い言葉の中の悪い言葉であり、サンソリ(下品な言葉)の中のサンソリになったのです。 本来、「サン」という言葉は、悪い言葉ではありません。「サンサン(双々、ペア)」というときの「サン」です。それをサンソリと言うのです。サンソリ は、二人が愛することを意味するので、悪い言葉ではありません。本来は神聖な言葉です。自分の先祖もここにぶら下がって生きてきたのです。数千万代の先祖 がそれをつかんで生き、アダムとエバもそれをつかんで一つになって生きました。男性のものと女性のもの、先祖がすべてそこにぶら下がって生きたのです。男性のものには女性がぶら下がって生き、女性のものには男性がぶら下がって生きました。それにもかかわらず、それがどれほど貴いものかを知らなかったのです。女性のものは、男性の生命をコントロールする主体の中の主体です。出典:文鮮明先生御言葉選集(238-034,1992 11 19)사랑에 대한 얘기를 지금까지 나쁘게 생각한 것은 사랑의 기관이 나쁜 궁전이 되었기 때문입니다. 3대 파괴의 무기가 되었다구요. 사랑을 파괴하는 궁전이 되었고, 생명을 파괴하는 궁전이 되었고, 혈통을 파괴하는 궁전이 되었다는 거예요. 3대 궁전으로 되었다는 거예요. 천지의 모든 것을 암흑세계로 만드는 이런 궁전이 되었기 때문에 그것이 나쁜 말 중의 나쁜 말이요, 쌍소리 중의 쌍소리가 된 것입니다.본래 '쌍'이라는 말이 나쁜 말이 아니라구요. '쌍쌍' 할 때 나오는 쌍이에요. 그것을 쌍소리라고 그러지요? 쌍소리는 둘이 사랑하는 내용을 말하는 것인데, 나쁜 말이 아닙니다. 본래는 거룩한 것입니다. 자기 조상도 여기에 달려 살아 온 거라구요. 수천만 대의 조상이 무엇을 붙들고 살았겠어요? 그것을 붙들고 살았지요? 아담 해와가 무엇 붙들고 하나되어 살았어요? 그거라구요. 남자의 것과 여자의 것, 선조가 전부 거기에 달려 살았다구요. 남자의 것에는 여자가 달려 살고, 여자의 것에는 남자가 달려 살았어요. 그것이 얼마나 귀한 것인 줄 몰랐던 것입니다. 여자의 것은 남자의 생명을 컨트롤하는 주체 중의 주체입니다.一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.08.19
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PeaceTVホームページ>お知らせインターネット生中継案内1. 文鮮明天地人真の父母 天宙聖和7周年記念敬礼式日時:天一国7年 天暦7月17日 (2019. 8. 17) 午前7:00場所 : 天正宮博物館生中継:韓国語、日本語、英語、スペイン語、フランス語2. 文鮮明天地人真の父母 天宙聖和7周年記念式日時:天一国7年 天暦7月17日 (2019. 8. 17) 午前9:00場所 : 清心平和ワールドセンター生中継:韓国語、日本語、英語、スペイン語、フランス語、中国語 生中継詳細案内◆韓国時間で行事開始時刻、30分前から放送を開始します。◆生中継視聴方法1) PeaceTV(http://www.ipeacetv.com/)に接続し、視聴希望言語のタブをクリックしてください。2) PeaceTV携帯アプリをインストールすれば、モバイル環境でも快適に生中継をご覧になれます。(Wi-fi環境でのご利用をお勧めします。)(Google Play、App Storeで、「PeaceTV」を検索し、インストールしてください。)◆準備事項1) Window7のパソコンをご利用の方は、「Google Chrome」ブラウザでご覧下さい。(「Internet Explorer」ブラウザでは、再生がされない場合がございます。)2) 10Mbps以上のインターネット環境3) Flash Player (最新バージョンをお勧めします。)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.08.15
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