全24件 (24件中 1-24件目)
1
先日奪われたかばんの中身は、財布と現金と、かばん本体を残してほぼ復元できた。特に日本のクレジットカードはあっというまに新しいのが届いたし、イタリアの保険証は無料で、免許証は保険つきの郵便料を16ユーロ払っただけで、2週間後ぐらいに届いた。携帯電話は買わなければならなかったが、被害届を元にナンバーはそのまま使用できることとなった。しかし面倒なのは外国人滞在許可証。実はミラノのクエストゥラに警官の知り合いがいるので、ここはコネ社会のイタリア、こっそり頼んでみたが、現在は滞在許可証はマイクロチップ入りカード式。昔のように各クエストゥラがぴらっぴらの紙切れを作るのではなく、すべてローマのコンピューターで管理しているので動きようがないと断られてしまった。いろいろなひとに聞けば、しばらく待てば、かばんが路上から発見されたり、親切な人が届けてくれる可能性がある、ということ。それに淡い期待を抱いて、1ヶ月待ってみたが、ちっとも何も起こらないので、先日しぶしぶ郵便局に、再発行申請をしにいった。無くなったのは、わたしのと、Ryuの2枚あるうちの(未成年者は父と母の2枚を所有しなければならない。めんど~)おっとの名前入りのもの。わたしの名前入りは去年の日本帰国で、うっかりパスポートに挟んだまんま家に置いていたおかげで助かった。申請書を書き進めているうちに、家族で申請したことがあるひとならわかると思うが、Ryuのがわたしの、ではなくておっとの名前入り、というところでひっかかった。わたしの被扶養者として申請用紙に書き込んでいいのか?迷いに迷って郵便局に行く前日にクエストゥラのフリーダイヤルに電話してみた。「いいと思いますよ、そういう場合は、クエストゥラへの召喚日に旦那さんも現在使われている滞在許可証を持参で一緒に行ってください。」よし、問題解決である。郵便局に申請したら、たった2週間後の召喚状を発行してもらって驚いた。今まではネットなどで、どんなにチェックしていても1年後ぐらいにやっとお呼びがかかる状態だったのに。こんなクエストゥラの進化ぶりを素直に喜んでいたら、「郵便局で発行される召喚日はあてにならなくて、出直しさせられるらしい。」という話をちらほら聞いて、凹み。。。とにかくその日に行ってみないと、出直しの日があったとしてもわからないので、「なんでぼくまで仕事を休んで行かなきゃいけないんだよ?」とぶつぶつ言うおっとを「フリーダイヤルでそう言われたんだから!」と尻を引っぱたいて、昨日、雨の中、ミラノの北のはずれにある殺伐とした牢獄のようなクエストゥラに行って来た。約束の30分以上前に行ったにもかかわらず、番号札をもらって待つこと一時間半、そのあいだ、Ryuはたくさん持参してきたお菓子やジュースを食べつくし何度も「おしっこ!」「うんち!」と振り回す。信じられないことにこのクエストゥラにはトイレがない!!警官に教えられた一番近いバールは入り口からは見えもしないぐらい遠い。しかたがないので向かいの公園にポリ袋とスコップを持っていって犬のように済ませた。子供でよかった。。汗やっとわたしの順番が来た。今回は盗難だったので、早かった。地元警察発行の被害届を見せる。写真は書類には4枚とあったが、各1枚のみ提出。指紋を両指全部機械にかける。そのとき他の子供たちと走り回っていたRyuを暴れる子豚のごとくつかまえて、警官に確認させる。1ヵ月後の受取日を指示した紙をもらう。終わり。やはり、1度来るだけではダメだったか。うわさの語学力テストもなかったが、受取日にあるんだろうか?召喚日は正しかったが、結局受取日と2回行かなくてはいけないのだ。わたし「あの。。。子供の分は父親の名前入りなんですが、父親の滞在許可証は提示しなくていいんですか?」警官「あ~、それなら父親がまた別の被害届を作って、別に申請してくれないと。」え? ええ? えええええええええええ~~~~~?????!!!!わたし「あのっ、おたくのフリーダイヤルで父親と滞在許可証のみでOKと言われたんですけど!?」警官はめんどくさそうに「とにかくそういうことだから。」やっぱりフリーダイヤルの「いいと思いますよ。」は信用してはいけなかった!わたしはなんだかバカバカしくなった。「。。こういうのもなんですけど、子供の分は別に作り直さなくても大丈夫ですよね?」警官「まぁね。お子さんが父親のみと外国に出ない限りは問題ないですよ。」(←我が家の場合、まずないシチュエーション)おっけ~。(←最近のRyuの口癖)わたしたちはクエストゥラを出た。おっと「じゃあ、ぼくは何のために仕事を休んで来たんだ!?」わたし「そういうことをわかるためにだよ。」しかしその後、小心者の夫婦はすぐに地元警察に新たな被害届を作りに行った。今は大丈夫でも、数年後の更新時に問題が起こるのがこわい。だが、地元警察にはあっさり断られてしまった。警官「同じ被害届を名前を変えて何度も作れませんよ。今の被害届があれば、大丈夫でしょ。なんとかならなかったら、そのときは一緒に考えましょう。」そうだな、そのときはそのときだ。子供のことだし、Ryuはイタリア生まれだし、たいした問題じゃない。。。。。。と思う。汗
2011.06.09
コメント(0)
金曜の夜からおっとはローマに向けて出発した。大事なことをすっかり忘れていたが、それまでにステファノの証拠書類が揃うよう、会社に頼んでいたにもかかわらず、ここはイタリア、1週間も猶予があったというのに間に合わなかった。_| ̄|○(←わたしなら、書類だけならものの2分、証拠を探す時間を入れても30分弱ってとこ?)おっとは「ま、まあとにかく罰金書留だけ持って行って聞いてくるよ。」と旅立っていった。週末、一人家にいたわたしは、おニューのノートブックを開け、いろいろ参加しているイタリア在住者のコミュでそのことをトピ立てしてみた。これらのコミュにはイタリアで戦々恐々と戦っていらっしゃる方が多く、いろいろなアドバイスや経験談を語っていただいたのだ。それはそれはイタリアらしいおそろしいものばかりで、読んでいるうちにすっかり鬱になってしまい、わたしは急いでノートを閉じて掃除や洗濯に専念しているうちに1日が過ぎた。そして夜になってぐったりとなったおっとが帰ってきたのだった。わたしはその疲れぶりにどうしようかと一瞬ためらったが、我慢のできないひとりっこなのでついつい「どうなった!?」と単刀直入な質問。おっと「あ、ああ。はいお土産。」とドサッとある包みを渡す。開けるとぶ厚いステーキ肉が2枚入っていた。おっと「今回のお客はお肉屋さんだったんだよね。」わたし「あ、ああ。どうもありがとう。でもどうせならポルケッタのほうがよかったのに。(ラッツィオ、ウンブリア州名物の仔豚の丸焼き)」言いたかったのはそういうことじゃなくて!おっと「ポルケッタはそのお店になかったんだ。でも、これローマで有名な肉屋らしくて、すごい行列だったよ。」わたしは関係ない話題を軽くスルーするように努める。「で、引越しはどうなったの?」おっと「お客さん親切で、運転も替わってくれたし、てきぱきいろいろ手伝ってくれたからやりやすかったな。」わたし「ふ~ん。で、警察はどうなったの?行ってきた?」段階を踏まなきゃいけないことにイライラ。おっと「うん、お客さんの友達の警官を紹介してもらって話を聞いた。」わたしはたちまちカッなってしまった。「そうじゃなくて!ローマまで行っときながら、どうして罰金の書類に書いてある警察に出向かなかったのよ!?」おっと「どうしてって、まだ証拠書類も揃ってないのに、行ったってきっと無駄だし、時間もなかったし!で、お客さんの友達の警官に調べておいてもらえるように頼んできた。」一見の警官が、そんなよそ者のガイジンの頼みを本気で受けるものか?わたし「で、その警官に罰金書類は見せたんでしょ、どう言っていたの?」そこからおっとが警官から聞いた話は、こうだ。先述のイタリア在住日本人経験談では「警察が率先して『罰金支払え詐欺』をしている場合」とか「ナンバープレートを密かにクローニングされた可能性」とか書かれていて、犯人の計画性の高さが垣間見れてある意味感心していたのだが、その警官の「現地の声」はちょっと違った。なんでもローマには「自分のナンバープレートの偽造」を施し、通勤、通学する輩がいるのだという。それもローマ人口のかなり高い確率で。汗どこにでもいる普通に真面目な会社員が、朝シャワーを浴びて着替え、コーヒーをすすり、奥さんに「行ってくるよアモーレ。」と軽いキスをして、クルマのところに行ってナンバープレートに細工して、向かいのパン屋のおばさんに「ボンジョルノ!」と笑顔で挨拶を交わして発進させる、って感じ?偽造の仕方はいたって簡単だ。たとえば「NB883SI」ならば、上から白いシールでNの真ん中と8と8の左半分を覆って「HB333SI」などがあっという間に出来てしまうわけだ。確かにこれなら工作の苦手なおばさんにだって出来る。それほどナチュラルにローマ人の日常生活の一部に「偽造」が溶け込んでいるらしい。あとはやりたい放題。赤信号を無視しようが、一方通行を逆行しようが、自分のところに罰金なんて来ないから安心だ。こんなへっぽこな偽造でも写りの悪い監視カメラやへっぽこでやる気のない警官の目なんてやすやすと騙せてしまうのである。たとえば「KA124VZ」とかだったら、細工のしようがないので自分の不運をなげき、違反をしないように気をつけなければならないらしい。す、素晴らしい、ローマって!さすが歴史のある都市は違うね!!。。。。というわけで、ステファノのワゴン車はそんなお気軽に犠牲者にされた可能性が大きいらしいのだ。OOHH,NOOO!(←今回はショックよりもあきれたのでライトに。)これこそまったくの「やられ損!?」おっと「その警官が、警察側の罰金の書類にはクルマのナンバーと車種が書かれているはずだから、今週中に調べて車種が違えば典型的↑の犠牲者として罰金データーを抹殺するって言ってくれた。」ホントかよ。。。ローマの警察なんて信用していいのか?とにかくそういうことなので待つしかないのだけど。。。。どうしようもないので、とりあえずはお土産のステーキ肉をいただいた。ローマの肉屋の肉はミラノの肉に比べ物にならないほど柔らかくおいしかった。はぁぁぁぁぁぁ。。。。ミラノよりうわ手な都市があったとは、やられたコリャコリャ。
2007.02.21
コメント(38)
ここのところ、ガス、電気、水道代の請求書と一緒に、罰金書留がしょっちゅう郵便受けに入っている。光熱費に関してはだいたいの値段が予測できるので、痛いな、と思いながらも驚かない。だが、去年の夏、我が家のクルマで旅行したサルデーニャ島からわざわざ遠いミラノまで「通行禁止地域立ち入り 80,77ユーロ。」と罰金がこの間来たときにはあっちゃ~、と焦った。共犯は仲のいい、例のマリソルと旦那さんだったので先日彼らの家に行ったときに半分払ってもらった。そういえば、しつこくうらみ続けているのが数年前、引越しを依頼してきた日本人のHくん。最初に料金についてちゃんと話し合わなかったわたしたちも悪いのだけど、3日間に渡って遠距離&相当量の荷物の運搬を夜中におっとに頼んで、お金も払わずたった1回、運搬の最中に安い中華をおごってチャラにした奴。それだけでも許せないのに、数ヵ月後、奴のナビで往復した道で「通行禁止地域立ち入り 80,77ユーロ。」と罰金が来たときには怒り暴れたのだが、奴はすでにどこかの外国に引っ越して行方不明になっていたので、地団太を踏みながら払った。そしてよくあるのが、夜遅くまで友人たちと出かけて、終電がなくなったから、クルマを持っていない友人たちを送っていって知らない道に迷い込み、数ヵ月後に「通行禁止地域立ち入り 80,77ユーロ。」が来るパターンだ。いまさら、友人に「罰金が来ちゃったから。。。」というのもなんだか気が引けて(しかもたいがい「友人の友人」とかで、そのとき限りのひとが多い。)、納得のいかないまま我が家が払ってしまう。こういう場合、クルマ持ちのみなさんはどうしているだろう?数ヶ月前は「罰金催促を数回に渡り無視したため、540ユーロ。」というのが来て仰天した。が、その罰金書留が来たのははじめてで、カーナンバーはあっているものの、おっとの名前が微妙に間違っている。さっそく近所の警察に持って行って文句を言うと、あっさりチャラにしてくれたのでホッとした。(←いったいなんだったんだ?)それはともかく、今までのは、まあ身に覚えがあるものがほとんどで、「え~?この日、こんなところに違法駐車(35ユーロ)なんてした覚えなんてないよ~。」などと言いながらも少額ならば、揉めるよりマシ、と払っていた。(←経験から学んだイタリア社会の鉄則)先々週もある罰金書留が来たので、週末に郵便局に取りに行った。「赤信号無視 158ユーロ。-6点の減点。」微妙に大きすぎる額と、しかも減点付きである!わたし「ちょっとおっと!罰金多すぎ。しかも今回は減点なんて!もっと注意して運転してよ!!」おっと「待って、これステファノのワゴン車のナンバーだよ。あいつ、いい加減な運転しやがって!」わたし「そう。。もちろん給料から差し引きよね?そうじゃないと学習しないよ。」おっとは罰金書類を読んでいて目がだんだん険しくなってきた。「これ。。ローマからだよ。いったいどういうこと?あいつ、僕に内緒で遠距離運搬のバイトをやったんだ!」←周りにそういう輩が結構いるらしい。わたし「ええ!ワゴン車をそんな長距離走らせたら、売るときの査定額が下がるじゃない!?」←現実派おっとは低い声で「。。。いいんだよ、バイト別にやってくれても。でもさぁ、ボスであるぼくに内緒ってひどいじゃないか。」とベッドに倒れ、丸まってしまった。ナイーブなおっとは相当傷ついたようである。わたし「と、とにかくステファノに電話してはっきり言いなよ?黙ってたらつけあがられて、そのうちワゴン車持って、ドロンされちゃうかもよ?」おっとはもうなにもかもがイヤになったようで、その日は黙ってぼんやりとTVなどを観ていたのだが、やがて決意したように立ち上がりステファノに電話した。あの優柔不断なおっとが勇気を振り絞り、ありのまま伝えると、ステファノも相当驚いたようである。ステファノ「なんだって、ローマ!?もう十数年行ったことないよ!絶対間違えて罰金が届いたんだって!!いつの日付になってる?」そこでおっともちょっと我に返ったようである。書類を見るとその日は金曜日。おっと「あ。。。ほんとだ。ありえない。実は君がこっそりぼくに黙って週末にバイトをしたのかと思ったんだ。」ステファノ「君のワゴン車を使って、何か仕事外にするなら絶対言うよ!しかも遠距離なんてそんなずうずうしいことしないよ。」おっと「うんごめん、おかしいとは思ったんだ。いやっ、ぼくは君がちゃんと言ってくれれば、時間外労働することにまで首は突っ込むつもりはないよ。てか、大賛成さ。」わたしにはキラキラと友情のオーラがこちらに背を向けて電話しているおっとと受話器から発せられるのが見えた。まったくボスの威厳ゼロ男である。おっとはそれから対策について少しステファノと話した後、ニコニコと電話を切って「今からスーパーに行くよ。」と言った。わたし「なんで?」おっと「会社の仲間に週末、スーパーの万引き監視要員をやっている奴がいて、そいつがこういうことに詳しいから買い物ついでに聞きにいく。」わたし「はあ。。」スーパーで彼を探すのは大変だった。なにせ万引き監視要員なので、普段着で普通の買い物客に紛れ込み、買い物をしているふりをして一日中広いスーパーの中をうろうろしているのだ。しかしあきらめて買い物を済ませ、レジに向かおうとしたところ「いやぁ、マルちゃんも買い物?」と両手を広げて向かってくる彼がいたのでホッとした。2人が立ち話を始めたので、わたしはおっとにカートを残してスーパーを出、あちこちの店を放浪して帰ってくるとやっと2人が別れておっとがレジに並んでいるのが見える。一緒に並んで「どうだった?」と聞いた。おっと「まずは会社にステファノがこの日、ミラノで働いていた証明書をつくってもらって、異議申立書と一緒にローマの警察に書留で送る。」わたし「ふんふん、それで?」おっと「そこからは知らない。あいついわく、それでもう罰金は払わなくていいらしいんだけど?」わたし「え~、そんないい加減なはずはないよ。やっぱり警察にちゃんと聞いたほうがいいよ。」翌日月曜、おっとは前記の名前違いで罰金をチャラにしてもらった警察に聞きに行ったようである。「書類だけじゃ効き目ないって。弁護士のレターをつけたほうがいい、って言われた。」わたし「弁護士のレターだって!?いったいいくらかかるかわかってるでしょ!?罰金の何倍もするじゃないの!なんで向こうのミスでこちらがそれだけのことをしなくちゃいけないのよっ!?」わたし「第一、赤信号無視なら写真に撮られてるはずよ、なんとかこっちまで郵送か、メールで送ってもらえないの?」おっと「罰金の書類には写真はないって書かれてある。。。」わたし「くっそうっ!ローマじゃなきゃ乗り込むのに!!」じたばたしながら数日が過ぎた。ある日おっとが帰宅して「この週末ローマに行くからね!」と意気揚々と言ってきたのだ。わたし「え?直談判??」おっと「今日ね、偶然にもローマからの引越しの運搬の仕事の依頼が来たんだ!いつもなら、そんな遠距離受けないけど、今回はローマに行くついでに警察にも行けるから、一石二鳥で引き受けた。」わたし「うわ~、よかったね!無実の罪を晴らしてくるんだ!!」おっと「うん!!」そしておっとは先週末ローマに一泊二日で旅立っていったのであった。(つづく)
2007.02.20
コメント(23)
おとといは子宮ガン検診に行ってきた。あれ?どうして??前回のストーリー。先月クリスマス後、やっとコルポスコピア(子宮ガン検診の第2段階)の結果が出たのでとりに行くと、今度は看護婦はこの間のねぼけ野朗だったけど、あのいじわるそうな女医ではなく、ものわかりのよさそうな医者が座っていたので内心ホッとした。名前を言って「結果を取りに来ただけなんです。」と言うと、まあまあすぐに診察室に入れてもらえた。さっそく医師は出来上がった結果の書類に目を通して「おや?」という顔をしたので、わたしはどぎまぎした。医師「う~ん、おかしいなあ。」わたし「。。。は?」医師「結果から言うとね、子宮ガンの疑いはゼロ、真っ白なんですよ。」わたしはたちまちホッとして「。。。そうなんですか、よかった!!」医師「いや、おかしいんですよ。第一段階の検査では、子宮ガンの原因となるウイルスが検出されているんです。で、第2段階の検査では、その痕跡すら見つかっていない。」わたし「。。。はあ。」医師「どうもどちらかの検査に誤診の疑いがありますので、もう一度念のため、第一段階の検査(PAP TEST)を受けてください。」わたし「えええ!!!???」わたしにはすぐどちらが誤診か検討がついた。あのいじわるいい加減女医に違いない。あ、でも。。。ひょっとするとものの1分ほどで終ってしまって拍子抜けしたPAP TESTかも??わたしはムカムカしながら医師をにらみ「。。。誤診ってことは、その。。。予約を一から取り直して、検査費をまた払ってやり直しってことですか?」医師はサラサラと赤紙に記入しながら「そういうことですね。」とのたまった。くっそうっ!!!!わたしは医師の横に気まずそうに立っている看護婦を思いっきりにらんで乱暴に立ち上がる。その態度にちょっと慌てた医師は「早い目に再検査をして、結果が出たらすぐにぼくのところに来なさい。」となだめるような口調で言ったのだが、このときわたしの中では「もう絶対この病院の産婦人科に来るもんか!!」と決意は固まっていたのであった。しかし。このまま中途半端な状態で放置しておくには「ガン」であるゆえ、やはり心配だった。←風邪や湿疹程度なら行かなかったけど。しかたなしに、わたしは元日1月2日早々に会社から一番近いところにある、あの「ミラノ最大病院」にしぶしぶ予約を取りに行ったのだった。ここはとにかくミラノ中の病人が集中するところだ。以前はここに不妊治療に1年間通って、あまりの患者の多さと、朝の早さにうんざりして行くのを中断してしまったので、またこの病院に行くのは気が重たかったのだが、家の近所の病院は、↑のようなことの上に、近所だってのに交通の便の不便さから半日がかり。それを考えると、仕事中にちょっとだけ抜け出して行ける気軽さと、広い割りにすでに知り尽くした病院なので迷うことなく行ける、という理由での選択。家の近所の病院は第一段階の検査が予約から4日後に取れたのに、ここは20日後。しかたがない。大急ぎの病気でもなかったので、待った。そして、おととい。昔馴染みの産婦人科に行くと昔馴染みの医師や看護婦とすれ違って「ああ!」とお互い懐かしさに目配せする。彼らはこのあと「あれ?なんで来たんだろう?」と首をひねっていたことだろう。しかしPAPTESTの診察室には知らない医師ばかりでホッとした。幸いわたしの前には誰もいなくて、すぐに診察室に呼ばれる。ひとりの老医師と4人の看護婦。わたしは診察台にあがる前に看護婦にこれが2回目のPAPTESTであることを説明したおかげか?検査の仕方が近所の病院よりなんだか丁寧な気がした。終って医師の前に座ると「1回目の書類は持ってきた?」と聞かれて差出し、看護婦がそれを見ながら医療用語を今回の検査表に注意書きとして書き加えている。看護婦「じゃ、結果は2月7日に出ますから朝一番で取りに行ってすぐここに持ってきてちょうだい。」わたし「あの。。。先生のお名前は?予約は取らなくていいんでしょうか?」看護婦「わたしたちはいつもここにいますから大丈夫よ。予約もいらないわ。」とにっこりと微笑んだ。その微笑にちょっとホッとして診察室を出た。近所の病院と同じことを言っているには違いないが、言い方と態度が違うだけで大違いだ。しかし広大な病院内を出口に向かって歩きながら考えた。。。。。。イタリアってその場しのぎが多いんだよな。さっきはあんな親切なことを言われて油断したけど、実際2月7日に行ったらあの4人はいなくて、意地悪な医師に「何だね君は!?予約もなしに診察なんて受けれるわけがないだろう!!」なんて叩き出されるかも。わたしはイタリアに来て、素直に親切を受け入れられなくなった。結果が。。。うざいな。なんで2回もこんなこと、しなきゃいけないんだろう?
2007.01.25
コメント(26)
何度も書くがここは田舎だ。田舎のバスは14時に着くのがなくて、1時間も前に産婦人科の待合室に座る事となった。あ~、本かなんか持って来るんだった。ぼ-っと待っていると、だんだん患者が増えてくる。(もちろん女性ばかり)ドアに貼ってある時間割を見れば、14時からなので、すぐに済むな。。。と思いきや14時になると他の患者が呼ばれてる。わたし「看護婦さん、わたしの診察は14時からなんですけど?」看護婦「そのうちお呼びしますからお待ちください。」わたしは待った。15時になった。まだ呼ばれない。他の患者もイライラ待っているのがわかる。誰かがわたしに「何時の予約なの?」と聞いてきた。わたし「14時です。」誰か「わたしは14時15分。」他の誰か「わたしは14時半。」さらに他の誰か「わたしは14時45分。」ようやくドアが開いた。「誰かさん、どうぞ。」えええ!?ああ、ちょっとした順番ミス?ドアが開いた。「他の誰かさん、どうぞ。」わたし「どういうことです!?わたしのほうが先のはず!!」看護婦「そのうちお呼びしますからお待ちください。」くっそ~。あまりに腹が立って14時45分から、というさらに他の誰かさんに怒りをぶつける。さらに他の誰か「ああ、きっとそれってそんなややっこしいことになったからアポが行き届いてないのよ。次にもしわたしが呼ばれたら、あなた、入室していいわよ。」ありがとう。予想通り次にはさらに他の誰かさんが呼ばれた。彼女は「この人を先にお願いします。」と言葉添えもしてくれて、わたしは15時半、つまり待ち始めて2時間半後、やっと入室することが出来たのだった。診察室に入ると中にいたのは、意地悪そうな女医とぬぼっとした看護婦だった。どうでもいいけど、どこにいっても産婦人科の看護婦ってこんな感じだ。そしてすぐに壁に張ってある本日の予約表が目に飛び込んできた。わたしの名前はてっぺんから2番目にある。その上には×マークがついているではないか!?こいつら、診察もしないでシカトするつもりだったんかいっ!!それでケンカしたところでどうにもならないので、すぐに診察台で検査を受けることとなった。細かい内容は割愛するが、その痛いこと痛いこと!!わたしは「うぐぐぐぐ。。」と紙シーツを握り締める。女医「ちょっと、ピンセットのもう少し小さいのはないの?」看護婦「全部切れてます。今電話してもあそこの科はもう閉まってますから届きませんよ。」女医「だってこれじゃ大きすぎる。。でもまあ、出来るかしら。」ちょ、ちょっと待ってよ。サイズの違う器具でいったい何をしてるんだ!?わたし「いたいっ!!」女医「痛いわけないでしょ?リラックスして。」わたし「うぎゃ~!!!」女医「あらっ、このコ、出血しちゃったわ。ガーゼをお願い。」看護婦「これで足りますか?あ、小さいですね。もうちょっと大きいのを。。。」OOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!?????????????何してるんだ!!!!!!。。。。。。。。。。。。。。。地獄の検査は終った。わたしは涙目で服を正し、女医の前に腰を下ろす。ずきずき痛い。。。。女医「検査の支払いがされてませんから、すぐに会計に支払いに行って。領収証を見て、結果待ちのチケットを発行しますから。」と淡々という。わたし「え。。?午前に支払いましたけど?」とむかついて領収証を突き出す。女医「これだけじゃないのよ、他にも検査したの!支払いに行かないと、あなたの結果を出さないわよ。」な。。。なんという態度。まるでわたしが泥棒かなんかみたいだ。わたしは診察室を出て、待っていたさっきのさらに他の誰かさんにお礼を言って、会計所に行った。そこはさっきのような優遇はなく、待つこと1時間近く。やっとの思いで支払い、伝票をもらう。産婦人科に戻ると、すでに誰もいなく、あのぬぼっとした看護婦だけがわたしを待っていた。看護婦は伝票を見て、わたしに症状を殴り書きした硬い紙を渡す。「1週間後、午前中に電話して。結果が出来ているようならその日の午後に取りに来てください。」わたし「おっとに取りに来させてもいいですか?」看護婦「あ。な。たが取りに来るのよ。」←むかつく言い方同じ病院で、骨折のときにお世話になった科は、ほとんどのひとがフレンドリーで親切だったのに、えらい違いだ。まあとにかく。やっと終った。わたしはフラフラしながらこの町で働いているおっとに迎えの電話をする。このあとすぐミラノの別の街にあるおっとの会計士事務所に行かなければならないので、最寄り駅まで送ってもらうためだ。おっとはすぐに来て、駅に向かってすっ飛ばす。わたしが予想外にすっかり遅くなってしまったので2人で会計士事務所の閉店に間に合うか焦っていたのだ。駅まであと10m、というところでわたしの携帯が鳴った。あの看護婦だった。「あなた、わたしに渡してない書類があるわ。渡してちょうだい。さもないと結果は渡せないわよ。」はあ?わたしは慌てて書類を見る。「もらったのは伝票と、さっきの硬い紙だけです。今日はもうそっちに行けないのですけど。」看護婦「とにかく今日中に戻って渡してちょうだい!さもないと知らないわよ!!」わたし「。。。わかりました。」おっとは切れた。「今日はいったいどうなってるんだよ!?戻ってたら、会計士事務所は完全に間に合わないよ!」わたし「しかたがないよ。戻って。」おっと「。。もう知らない。帰りは自力で家に帰ってね!!」と道の途中でわたしを降ろし、さっさと仕事に戻っていった。くっそ~。病院に着くと女医はもういなくて看護婦だけがこわい顔をして待っていた。「今ある書類を全て出してちょうだい!」わたしはたった2枚の書類を出す。看護婦「これで本当に全部?この書類は持ってない?」とある違う様式の書類を出す。わたし「もらってませんよ。そんな書類。」看護婦「。。。ということはセンセが書き忘れたんだわ。もう!わたしが一から全部やらなきゃいけないわけ?」わたし「あの~、これのためにまた出直しですか?」看護婦「あ、オホホ。違うわ。あなたはもういいわよ。ごめんなさいね。さようなら」何が「さようなら」じゃいっ!!!病院を出ると外は真っ暗だった。バス停でバスの時刻表を見ると発ったばかりであと1時間待つこととなった。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ!?まったく踏んだり蹴ったりでちっとも「わたしの日」じゃなかった。
2006.12.18
コメント(33)
イタリアではついている日のことを「今日はわたしの日だ!」という。しかし先週木曜は「わたしの日」じゃなかった。先週木曜は隣町の病院に検査に行ってきた。先日の乳ガン検診はシロだったのだが、子宮ガン検診が実は「軽度でクロの疑いがある。」と出たのだ。で、この子宮ガンの詳しい検査の予約を申し込みしたのが10月。2ヶ月前のことになる。この2ヶ月間、やっぱり気がかりだった。日本語のサイトを調べると「早期発見すれば100%治るガン」とどれにも書かれてあったので「大丈夫、大丈夫。」と自分を励ましてはいたのだけど。。(年齢にかかわらず、一度でも性交渉があるひとは、一度目の検査は5分ほどで終るので面倒くさがらずに年に一度の検査をお勧め。)イタリアは病院を予約の際、普通はまず、ホームドクターに行って保険証を提出し、必要な診察、検査等を書いた赤紙をもらい、それを持って、会計所に行く。会計所で、何月何日何時にどこの棟の何階のどこの科に行って、どんな検査や治療をするかプリントアウトしてもらってお金を払い(ここでも保険証は必須)、診察日にそれらを全部持っていく。わたしは朝早くそれに記されたとおりの「Endroscopia」という科に行った。そこは地下で薄暗い裏通りのようなところの突き当たりの小さな緑のドアだった。なんだか、異世界にでも行ってしまいそうな空間だった。ドアには放射線危険のあの黄色い扇風機のようなマークのシールが貼られていて緊張する。しかしその下には「どうぞお入りください。」と小さく書かれていたので、おずおずとドアを開けた。ドアの外と違って、中は蛍光灯の冷たい光がまぶしく、受付には安物のツリーや電飾が飾られている。看護婦「え~と、あなたは?」わたし「いくきーとです。」と予約表を差し出た。看護婦はそれと、受付にあった大きなノートと照らし合わせ「ああ、8時40分の予約のいくきーとさんね。座って呼ばれるまでお待ちください。」と出て行った。わたしはコートを脱ぎ、はじめて待合室を見た。イスがたくさんあるにもかかわらず満席で、しかも座って待っているひとたちを見れば、どうみても、わたしよりも10~20、いやそれよりもお年が上な妙齢のご婦人たちと、紳士。。。。。。子宮ガン検診に紳士?そうか、付き添いなのだな。ドキドキしてきた。と共にショックだった。子宮ガンって高齢者に多い病気なんだ。わたしは外見は「若い」とか「幼い」とか言われるけど、実際は実年齢より年を取っているんだなあ。。じっと観察していると、流れとしては、まずは診察室に呼ばれて、その後受付で小さなコップに入った液体をもらって飲み、更衣室へと消えていく。更衣室の向こう側が検査室に繋がっているらしい。。。。。。。なんで男性も入っていくんだろう??疑問を抱いていると名前が呼ばれて診察室に入る。女医「今回はどうされました?」わたし「先日の子宮ガン検診でクロと出たので検査に来ました。」女医「子宮ガン検診?はあっ!?」とわたしの書類をひったくって見た。そのあとすぐ、まさにわたしのえりくびを掴んで追い出すかのようにドアを開け「看護婦さん!このコ、間違って来てるわよ。なんとかしてやってちょうだい!!」と言い放つとバタンとドアを閉めたのだ。わたしはオロオロして書類を見た。「Endroscopia」。地下。「Endroscopia」と書かれた地下のドアはここしかなかった。看護婦もすぐさま来て、わたしの活字でプリントアウトされた予約表と解読不能に殴り書きされた赤紙を照らし合わせる。看護婦「ああ~、あなたは「Colposcopia」に行かなければならないのよ。会計が予約時にミスしたんだわ。予約を入れなおさないと。。」わたし「えええ!?」看護婦「なんとか近日中に診察が受けられるようにしますから、ちょっと待ってて。」と内線電話に手を伸ばした。えええええ。。。。今日だって会社を半日休んできたのだ。向こうのミスでまた休みを取り直し?看護婦は「Colposcopia」の科と会計を相手に結構粘り強く交渉してくれた。で、同じ日の午後14時にアポを取りなおしてもらったのだ。わたし「午後ってことは一度家に帰って出直しですか?仕事もあるし、すぐにやって欲しいんですけど。。。」看護婦「「Colposcopia」は午後からしかないんです。あ、それから、今すぐ会計に行って払いなおしてください。会計も列に並ばずに済むように手配しておきましたから。」わたし「はあ。。。。」なんだか納得のいかないまま会計所に向かった。でも今考えたら、自分のミスでもないのに、ここまでフォローしてくれるイタリア人ってめちゃくちゃ奇跡に近いんじゃないだろうか?指定された会計の窓口に行くと、おばちゃんが、「あ」という顔をしたのだが、すでにいた他の患者に手間取っていて後ろにいた若いお姉ちゃんに「ちょっとあんた、このコの会計してあげて。支払うだけだから!」と別の閉まっていた窓口を開けたのだった。若いお姉ちゃんは「え~。。。」という顔をしながら、いかにもしぶしぶ窓口に座る。きっと休憩に行こうとしていたのだろう。お姉ちゃん「え~っと、予約は2月に入れるわね。」わたし「ちょっと待ってください!今日の午後って聞いたんですけど?」お姉ちゃんは「このガイジンめ。」いう顔で「あんた確かなの?」とわたしの顔を覗き込み、おばさんに振り返り「こういうふうに言ってるけど?」と聞く。おばさんは手をひらひら振って「やっちゃって。」と言ってすぐに自分の患者に戻った。お姉ちゃんは伝票だけ切ってわたしに突き出す。わたし「すみません、どこの科に行ったらいいんです?」お姉ちゃん「知らないわよ~、あんたたち了解済みなんでしょ?はい、終わり。」と立ち上がってしまった。くっそ~。わたしはムカムカしながら「Endroscopia」に戻って聞く。看護婦「産婦人科よ。入り口を背に左に向かってBarの少し手前にあるわ。」と行き順まで親切に教えてくれた。。。。そうだよな。普通に考えて子宮の病気なんだから産婦人科なんだよ。「ガン」という文字にまどわされて自分を失っていた。わたしは落ち着かないままいったん家に戻り、昼食を食べてまた出直しとなった。_| ̄|○
2006.12.18
コメント(1)
古い滞在許可証を促されるまま担当のおばちゃんに渡す。おばちゃん「ああ、覚えてるわ。この間は代行業者が来たわね。」わたし「ええ。でもダメだったんです。おっとは書類の期限切れ、わたしは会社の契約書が違ったんです。でもどういうことでしょう?前回こちらで作成された予約表には『契約社員用』って書いてあったのに。」おばちゃん「代行業者と話し合ってね、そんな書類を作成してみたの。そうなの、契約社員はダメだったのね。だから保険に『扶養家族用』の書類も渡したんだけど。」わたしは唖然とした。代行業者はそんなこと、いっさい言わなかった。わたしはいいようにモルモットにされたわけか!?わたし「ええ、ダメだったんです。というわけでわたしたち急いでいるんです、緊急事態なんです。もう有効期限が過ぎてしまったんですよ!!急いでクエストウラに行かないと。。まだ更新できるんですか?わたしたちのせいじゃないのにっ!!!」わたしは極度の緊張状態でヒステリックになって涙目になって訴えた。おばさんは顔を曇らせて滞在許可証に目を落とした。「なんだ、まだ切れてから2ヶ月と4日?」わたしたち「は?」おばさん「う~ん、わたしはクエストウラの人間じゃないから保障はできないけど、今までの経験からすれば切れてから2ヶ月と4ヶ月、つまり6ヶ月のひとも大丈夫だったわよ。」わたしたち「そ、そうなんですか。。。」なんだ、今までの心臓破りのドキドキは?じゃあ、さっきのルーマニア人の友達の話はいったい何だったんだ?!おばちゃんはPCにわたしたちのデータを書き込んでクエストウラの予約表を覗く。しかし。超遅い。キーボードを打つ指が、まるでスローモーションを見ているようである。PC初心者よりも更に遅いであろう、という亀のような、ナマケモノのような速度だ。イライラする。わたしが替わって打ってあげたい!!しかもそんな中、誰かおばちゃんのドイツ友達から電話がかかってきて、ドイツ語で楽しそうに話し始めた。前の人たちがあんなに時間がかかったわけがわかったよ。外にはまだたくさんのガイジンが自分の滞在の安否を気遣いながらハラハラと待っているというのに!やっとおばちゃんはずれたメガネをかけなおしてPCをじっくり覗き込んだ。「予約は1ヵ月後になりますね。」わたしたち「遅すぎますよ!」おばちゃん「大丈夫ですよ。前回の予約表のコピーはお持ち?それを持っていて事情を話せば問題ないと思いますよ。」わたし「でもそれは保障はないんですよね?どうにかもっと早くなりませんか?」と向かい合わせのデスクから身を乗り出す。おばちゃんはちょっとうっとおしそうに首を横に振った。ああ、もうちょっとねばらないと!おっと「しかたがないですね。それでお願いします。」それでお願いします、じゃないよ~!おっと、どうしてもっと食い下がれないの!?結局1ヵ月後の日程で、予約表がプリントアウトされた。わたしはムカムカしながらその足で会社に行き、カッカしながらFAXで予約表を代行業者に送りつけた。前回までは、その上丁寧に電話をかけて「お願いしますね。」と頭を下げたのに、今回はもうこれ以上、代行業者の女狐と言葉を交わす気も失せていたのだ。そしてやっと1ヵ月後の9月28日。それまで1ヶ月間、代行業者の女狐はウンともスンとも言って来ず、やっとわたしが3日前におっとをせかして電話させて「約束忘れるなよ。今度あかんかったら、半殺しやで。」という意味をおっと得意のオブラートに何重にもくるんだ言葉で言わせる。当日クエストウラ開門30分前。やれやれなことに女狐は順番2番目の列で待っていた。これぐらいはしてくれないと、大枚払った意味が本当に皆無になる。今更遅いとはわかっているが、女狐に書類のコントロールを促す。今回はやはり3回目なだけあって、全部OKのようだ。クエストウラが開門された。当然のごとく我々の番はすぐに来た。前回、警官の開口第一声に言われた言葉をまた言われる。「日本人はここじゃない!中央警察に行きなさい!」わたしおっと女狐「前回も言いましたが、彼女はエクアドル人の扶養家族なんです!」毎回類似なことが起こるたびに「どうしてわたしのおっとは日本人じゃないのだろう。」と歯がゆく思うシーンである。つまり、日本人は他のガイジンよりずっと優遇されているため、いろいろな公的手続きがエクアドル人より遥かに簡単なのだ。(その事実を知らない日本人の甘ちゃんな愚痴を耳にするたびに怒ってしまう短気なわたし)今回の警官はちょっと気安い感じの男であった。おっとに振り向き「ああ、あんたもてっきり日本人だと思ったよ。なあ。」と窓口の同僚に意見を求める。そして次に警官「なんだこの滞在許可証は?有効期限がとっくに切れてるじゃないか!?」わたしおっと女狐「それは前回ダメ出しされたからです!」と前回の予約表のコピーを表示する。警官「むむむ。。」警官は嫌がらせ(?)の材料をなくし、やっと山のような書類に目を落として見始めた。女狐はさすがに百戦錬磨らしく落ち着いて、警官が叫ばんでもいいのに「昨年の税金の支払いの控えは!」などと叫んでも落ち着いて「はいはい」と提出している。しかしここに来る前、わたしだって10回ぐらい書類をチェックしなおしたのだ。わたしもこれぐらいのことは出来るぞ!結局は気が抜けるほど簡単にパスして、20日後に発行される滞在許可証の受け取り証を手にすることが出来たのだった。やい、代行業者!まったく、ふざけんなよ。ぼったくり。金返せ、女狐、目ぇ開いて仕事せいやっ!!!!!!と、さまざまに浮かんでいた、この言葉集が受け取り証を手にしたとたん、一瞬は消えた。おっとは涙目になって女狐を抱きしめた。「。。。ありがとう!!」女狐も顔をほころばせて、おっとを抱きしめ返した。わたしはそんな彼らを冷めた目で見た。やっぱりわたしもこんなぼったくり詐欺野郎にとりあえず礼を言わなきゃいけないのだろうか?そしてめちゃくちゃギクシャクしながら「今回はどうも。20日後の受け取りのときもよろしく。」というのが精一杯であった。さて20日後。問題なく我々の滞在許可証は受け取れるであろうか?
2006.10.05
コメント(32)
すみません、ごぶさたしてます。会社でわたしと仕事がペアのマッシモの奥さんが無事、1週間前男の子を出産しました!!めでた~~~い!!!!のはいいけど、なんで男のお前まで出産前後2週間も産休取るんだよっ!?で、今週から出勤したのはいいけど、赤ちゃんの同じような写真1000枚持参でのろけ話をしながら各部署廻ってないで仕事しろよっ!日本でも子供が産まれたときって、みんなこうなのか?!体験したことがないからわかりません。まあ、こんな彼もやっと落ち着いてきてPCの前に座るようになったので、やっと日記を書く余裕が出来ました。書けなかったこの10日間、それはそれはそれはそれはそれはそれはそれはそれは、いろいろなことがあったのですが、「喉元過ぎれば熱さも忘れる。」なんか、突っ込んで書く気も失せております。*******現在も普段とは違う環境の真っ只中なのだが、この10日間のビッグニュースといえば、やはり以前にも日記にした「滞在許可証問題」。ちなみに前回までのストーリー。この日に至るまでは腹が立ちすぎて皆さんに報告する気も1回目以降は失せていたのですが、今回、入管クエストウラに行った回数は3回。2年前は我々だけで自力でやって「3度目の正直」で取れた。しかもまだ「正規滞在外国人」、つまりまだ古い滞在許可証が有効な状態のうちにだ。今回は3回も行くのがイヤだったから、大枚はたいて何ヶ月も前から代行業者に頼んだのに。今回1回目:クエストウラに出頭するのは予約が必要なのに、代行業者はそのことを知らず、予約なしで行って追い返された。今回2回目で入管クエストウラを追い返されて3回目に再出頭しなければいけなかった理由は:おっと→全て書類は揃っていたのに、何ヶ月も前、つまり代行業者に渡した時点に作成した1つの書類の有効期限が何ヶ月にも至る入管クエストウラ通いのうちに、切れていた。わたし→致命的な会社の契約書書類の違い。わたしは契約社員なのだが、永久許可証を申請するには正社員でなければならなかったのだ。(しかし市役所の予約表にははっきり「契約社員用必要書類」と書いてあったのに!)あははははは~~~~。笑ってしまいました。やい女狐、目ぇ開いて仕事せいやっ!!!!!!しかしわたしは今回自分だけの永久許可証を手に入れられなくても、おっとの扶養家族としての選択肢がある。だから余計におっとの書類の期限切れが腹が立ってしかたがない。わたしは怒りを抑えながら女狐に「。。。いったいどういうことでしょう、なんでクエストウラに行く前に書類を確認しなかったんです?」女狐「あなたのことは、あなたの会社の秘書の方に以前、説明しましたよ。それであの契約書は、わたしの責任ではありませんわ!」わたしはカッとなって「そうじゃなくて、おっとの書類のことといい、あなたが事前にコントロールしていればこんな無駄足を踏むことは。。」と目をつりあげて言いかけるとおっとがわたしをこづいて首を横に振る。女狐「すぐにまた予約をしなくてはね。あなたたちの滞在許可証はもう切れてるんですから。あ、でもわたくし今週はスケジュールが詰まっておりまして。。あなたがたが直接市役所に行った方がよいと思いますわよ。予約が取れたら日時を教えてくださいね。それでは失礼いたします。」と早口に一気にまくしたて、逃げるように去っていった。わたしはぽか~んと彼女を見送っておっとに振り返り「さっき、どうして最後まで言わせてくれなかったのよ!あんな女狐、お金返してもらって次回は自分たちで行けばいいじゃない!!」おっと「奴らはぼくらのオリジナルの書類をいくつか持ってるんだよ?ヘタに怒らせたらお金どころか、それすら返してくれないよ。」く~、情けない。そんな昔に取ったオリジナルなんて、どうせ何個かは有効期限が切れてるんだから、面倒だけどまた取り直せばいいことじゃないか!!わたしは最悪の事態を想定して、警官がつき帰してきた書類の山からかろうじてこれだけは作り直せないオリジナルの滞在許可証だけは自分のポケットにGETしたのに!!!クエストウラで不備がないようにすることに、1回ぽっきりで事が済む目的で、それを仕事としているやつらに大枚をはらって依頼したと言うのに、今までやつらがやったことといえば、書類のコントロールすらせず、クエストウラの前で順番待ちだけしてただけじゃないか!?こんなずうずうしい奴らに何も言えない弱いおっとがイヤだ~~!!!!!しかししかたがない。わたしたちはすぐ翌週市役所に、3回目のクエストウラの予約を取りに行ったのだった。前の晩はハラハラして眠れなかった。取れるだろうか?だって、もう滞在許可証が切れて2ヶ月と4日が過ぎていた。法律では切れてから2ヶ月までが滞在の限界である。市役所の外国人課に早めに行くとわずかの差でルーマニア人の夫婦に追い越されてしまったが、2番目だった。待合のイスのある廊下で座って待つ。3番目にルーマニア人の女性とアメリカで結婚して彼女の息子をルーマニアから呼び寄せたために来た、というなんだかいばった感じの中小企業のスケベ社長タイプのイタリア人の親父が息子と共にやってきた。そして次々にいろいろな国籍のガイジンがやってきたが、開館時間の10時になってもまだ外国人課の担当者はやってこない。10分ほど遅れて担当者のおばさんがやってきた。それから20分ほど他の市役所の人とおしゃべりをしながらPCを立ち上げている。心臓が破れるんじゃないかと思うぐらいどきどきしながら待った。というのも、この待ち時間で1番目のルーマニア人から「俺の友達も、何回も通っているうちに期限切れでダメになって、今裁判起こしてるよ。」なんて不吉なことを聞いたのもある。すでに2個の裁判を抱えているのにもうこれ以上は抱えたくない。やっと担当者のおばさんが顔を出した。強いドイツ語訛りで「PCが壊れました。修理屋が来るまで予約ができません。予約以外の用事の方~。」OOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!????チュニジア人らしき男性がいそいそと入室した。我々はしかたがないのでぶつぶついいながらイスに座りなおす。3番目の社長さんはアメリカでほとんどの人生を過ごしたひとらしい。「まったくイタリアという国は。。なんでイタリア人のわたしまでがこんな苦労をしなければならないんだ?」と大声でぼやいている。そしてわたしが日本人だとわかると「日本のほうがよっぽどいい国だろう。なんでイタリアなんかに住んでいるんだい?」わたし「。。。。。。」言い返せなかった。まったくだ、なんでこんな国に住んでいるんだろう?涙チュニジア人がまだ部屋にいる間にやっと修理屋が来て、修理して出て行った。1番目のルーマニア人の夫婦が駆け込むように入室する。待った。待った。。。長い。時計を見れば彼らが入室してからもう30分は過ぎている。クエストウラの予約だけ取るのに、こんなに時間がかかるものなのか!?やっと彼らが苦笑いをしながら出てきた。わたしたちが立ち上がるとすれ違い様に「まだPC、調子がよくないみたいだよ。」と言った。わたしたちはようやく入室することができた。(つづく)
2006.10.05
コメント(1)
昨日は南米的休日をはさんだが、今日は滞在許可証の話の続き。クエストウラから手ぶらで帰宅した日、おっとは「あの女、信用できないからやっぱりきみが明日市役所に行って予約してきて。」とわたしに言った。言われるまでもない。わたしはすでに会社にこの日取った有給休暇を次の日に変更してもらうようすでに届け済みだ。次の日、10時の市役所の外国人課の開館より少し前に出かけた。結局おっとも付いてきた。我が町の市役所は昔のこの土地の貴族の家を改築、というよりそのまま修理しつつ使っている、と言った感じで古ぼけた建物である。大きな前庭が駅前まで伸びていて、そこは市民の憩いの場になっている。しかし最近、ここを大手ホテルチェーンが買い取ったらしい。いつになるのかわからないがこの駅前の便利な一等地が私有地になるのが、惜しい。でもこんな田舎町、なんの見所もないのに、宿泊客がいるんだろうか?話はそれたが、磨り減った大理石のやや狭い階段をあがった2階に外国人課はあった。大きな棕櫚の植木鉢の向こうの待合イスに、すでに数人のガイジンが座って待っているのが見える。「マルちゃんさん!」という声の方向を見ると、今度はまるで南米人のおばさんのような雰囲気をかもし出した業者のお姉さんが座っているのが目に入った。クエストウラの時のジプシー姿といい、彼女はきっと、こうやって変装を楽しんでいるに違いない、と確信するわたし。業者「おいでになったんですか?わかっていたら、わたくしここまで来ませんでしたのに。」まさか信用ならないから来た、とはいえない。2人でしどろもどろになって「ああいや、通りすがりに様子を見に来ただけなんです。これから仕事に行かないと。。」業者「そうですか。。あ、ちょうどよかった。いくきーとさん、おふたりの滞在許可証のオリジナルをお持ちですか?」わたし「はい、持ってますが?」業者「考えたんですけどね、本人じゃないからコピーだけで予約できるか心配なんですよ。貸していただけますか?次回お会いしたときにお返しいたしますので。」わたしは一瞬迷った。確かにコピーだけで予約できるか心配だ。だけど、このお姉ちゃんにオリジナルを渡していいものか。。?しかしもう時間がない。今日市役所で「ダメ」と言われたら、まさに滞在が危うくなる。有給休暇も取った事だし、心配だから一緒に待つか?いやいや、そんなことをしたら払い損な気もするし、あんなに遠いところから来たお姉さんに失礼な気もするし。。結局はおっとの「おい。」とうながす声に即されて渡してしまったのだった。おっと「じゃあ、よろしく頼みますね。連絡ください。」とわたしの手を引っ張って階段を下りた。わたしは思いっきり後ろ髪が引かれた。わたし「大丈夫かなあ?」おっと「もうなるようにしかならないだろ。」滞在許可証のオリジナルを渡してしまったこと、非常にこわかった。だが、考えてみれば、わたしの書類は全て会社でコピーをとってから渡したのであるが、おっとの書類に関してはおっとは面倒くさがってコピーもせず、そのままオリジナルを封筒に突っ込んで宅配便で送ったので、同じことである。諦めた。お姉ちゃんを信用するしかない。この日もまたもや、有給休暇を消化することなく真面目に出勤した。このまま家に戻るとなると、心配のあまり気がおかしくなりそうだったからだ。夕方帰宅するとおっと「さっき、業者から電話があったよ。クエストウラのアポが8月18日にとれたって。その控えをFAXで送るってさ。」8月18日。カレンダーを見た。この日は金曜日だ。クエストウラは土日閉まるので、期限の切れるまさにぎりぎりではないか!?わたし「そんなギリギリ。。そこでこけたらどうなるのよ!?」おっと「エクアドルに行くか。」←それはそれはかる~く。OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!それだけは、絶対にイヤだ~~~~~!!!!!おっとは続けて淡々と「あ、それから君は今年、永久滞在許可証が取れるって市役所に言われたらしいよ。」え、どういうことだ?クエストウラのサイトを読む限りでは永久滞在許可証取得の最低条件として「イタリア国内に正規滞在6年以上、住民票を取ってから6年以上。」ということが書かれている。それにいろいろなひとから話を聞くと、それは「「労働」として滞在しているもののみ。」らしいのだ。わたしは7年前にイタリアに来た。(正確には10年前だが、その時はすぐに日本に帰国している。)最初、「留学」で来たし、そのまま「扶養家族」になったので働いているとはいえど、一度も「労働」で滞在許可証を取得したことがない。しかも住民票を取ったのは、結婚してからなのでまだ3年しか経っていない。それは、「永久」を取れるに越したことはない。でも今年も無理、と諦めていたのだ。実際お姉ちゃんも、依頼したとき、何も言わなかったし。だって条件をちっとも満たしていないではないか?あのお姉ちゃん、ちゃんと市役所に説明したのか??悶々としているとグッドタイミングにFAXが送られてきた。3枚あって、一枚はおっとの普通の「労働滞在証」、2枚目は「扶養家族滞在証」、3枚目は「永久滞在許可証」の控えだった。それは、アポの控えであると同時に必要書類が書いてあった。我が家のFAXは古いので写りが悪い。しかもゴマ粒のような文字が並んでいる上、つぶれている。「永久滞在許可証」の控えをなんとか解読しながら読むと、やはり必要書類の2行に「イタリア国内に正規滞在6年以上、住民票を取ってから6年以上の証明書。」と書いてあった。しかし、正規滞在が「労働」だとか、「留学」だとか、そういうことは書いていない。疑問に思ったのでおっとに業者に電話をしてもらう。おっとはまず自分の書類が全部揃っているか、FAXを読みもせず業者に聞くと、「大丈夫ですよ、全部揃ってます。」と応える。わたしは横でおっとを突付く。絶対不備があるはずである!業者「大丈夫ですよ、全部揃ってます。」うそつけ~!!おっと「家内が住民票が3年しかないのを心配してるのですが。。」業者「大丈夫ですよ、今までの古い滞在許可証のコピーをご持参ください。それだけで十分です。」そうなのか?。。ちょっと待て。 全部揃ってる、なんていいながら古い滞在許可証のコピーなんて、はじめて聞いたぞ!わたしが横でハワハワしているのに、おっとは電話を切ってしまった。わたし「どうして替わってくれないのよう!」おっと「相手は大丈夫だって言ってるんだ。なんなら自分で電話しろよ!」う。。。わたしはこの時点でこの解読不能なFAXが完読できていなかった。明日、会社の同僚に読むのを手伝ってもらってから改めて電話をしよう。次の日。我が社の会計士であり、そして全ての書類作成を担当するグラツィエラにFAXを読んでもらった。半分ほどの書類は業者に渡してあるので揃っている。しかしここで大きな違いに気がついた。それは永久滞在許可証を取るには「独立した「正規の労働者」でなければならない。」ということだ。つまりわたしは永久滞在許可証を取る時点でおっとの扶養家族を離れることになる。今年から各々独立した滞在許可証を取ることになるのだ。扶養家族に必要な書類は主に世帯主の所得証明書など、いわば「あんたは働かなくてもいい」書類ばかりなのだが、これは違う。やはり噂に聞いていた通り、過去6年間働いていた証拠となる職場のあらゆるの書類が必要となってくるのである!しかしわたしは入管クエストウラ的には不法だが、必要書類の種類を見れば、この6年、税務署的にはきちんと税金も年金も払って働き続けてきたので、おそらく問題なく揃えられそうである。でもまあ業者の姉ちゃん、「大丈夫ですよ、全部揃ってます。」なんて。。。全然ほとんど揃ってないやんっ!!だいたい業者に頼むガイジンなんて、言葉が出来なくて、こういう手続きが困難なひととか、滞在許可証を取ることが困難な状況にあるひとが依頼するものだろう?これで今まで商売が出来てきたのがすごい。よほどのコネがクエストウラにあるのか?でも、我々の「CAGNI大通り」のクエストウラの一件を思い出す限り、そんなコネはなさそうだが??わたしは怒りを隠しつつ業者に電話をかけた。「念のためにこの必要書類の一覧と照らし合わせて書類を確認したいんですが?」業者の姉ちゃんは意外にもあっさり「いいですよ。」と応じる。確認していくごとにお姉ちゃんも全然書類が違うことに気がついたらしい。それでも平然とした声で「これと、あれとあれは会社で、これは市役所で揃えてくださいね。」と言う。。。。。。。。ふう、電話してよかったよ。(ちなみにおっとのは確認なし。手元に書類の控えもないし、わたしの知ったことじゃない。)最後にしつこくわたしは「住民票6年の書類だけはどうしても揃えられないんですけど。。」と念を押すと「他の書類が揃っていれば大丈夫ですよ、とにかくトライしてみましょう。ダメなら普通の扶養家族で、という手もありますから。」と言われた。そうか、ダメ元でトライか。でもダメだったら?でもでもどっちもダメだったら??でもでもでもどうせなら、2度とあのむかつくクエストウラに足を運ばなくてもいい永久滞在許可証のほうが断然いいに決まっている。でもでもでもでもでも。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。大枚払って業者に頼んだと言うのに、なんでこんなに心配しなければならないんだ~~~っ?!
2006.08.08
コメント(16)
前回の日記ではみなさん、ハラハラしました?ハラハラついでに現在の状況を教えましょう。滞在許可証はまだ取れていません! きっぱり。え、期限は6月20日と書いてあったはず?その通り。すでにわたしたちは「不法滞在者」!!なのだが、一応現在の法律では「滞在許可証の期限が切れてから2ヶ月までは滞在可。」ということになっている。2ヶ月、といえば8月20日まで。つまりマジで秒読み段階である。汗あのうさんくさい業者を出た後、わたしはすぐに行動を開始した。おっとの代わりにおっとの会計事務所に電話をして、せっつき、1週間以内でおっと用の書類を作成してもらうように手はずを済ませた。次の日午前中は、市役所に出向いて結婚証明書や住民票などの必要書類を揃え、我が社に着いてから、業者にもらった一覧表と白紙の申請用紙を秘書課に持っていく。秘書のおばさんは「わかった、すぐやってあげる。」としげしげと書類を見つめ、あら?とわたしを呼んだ。「これ、おかしいんじゃない?この申請用紙は我が社があんたを正社員で雇用しているという証明書用で、しかもこれをペルフェットウラ(さまざまな書類を公認する役所)に提出しなければならないって。。。うちじゃ、それは出来ないわよ。文書偽造になっちゃう。あんた、ちゃんと業者にあんたが契約社員って説明した?」わたし「しましたよ。その上でこの申請用紙をくれたんです。」秘書のおばさん「ちょっとその業者に聞きたいから電話番号教えて。」とさっそく電話をかけた。数分後。わたし「どうでした?」秘書のおばさん「わたし、念の為にクエストウラとペルフェットウラにも確かめたのよね。クエストウラは返事がなかったけど。。。ちょっとこの業者、怪しいんじゃないの?ペルフェットウラに言わせると、そんな書類は契約社員にはないって。わたしが思うにあんたは扶養家族だから、こんな書類要らないんじゃないの?それを業者に言ったら「念のため」だって。しかも申請用紙を間違えていたから送りなおすって言って来たんだけど、そんな「念のため」にうちは書類は作成できないわ。どうする?」どうする?って。。。。わたしが最初に疑問に思った事は当たった。前回もわたしの会社の書類なんて要らなかったのだ。わたしは業者に、というよりもこんな業者にホイホイと前金を払ってしまったおっとと、それを許してしまった自分に憤りを感じながら「むむむ。。。じゃあいいです。」と答えるしかなかった。そんなハプニングがあっても1週間後にはすっかり書類が揃った。わたしたちは急いでおっとの所属する宅配会社の特急便で書類を業者に送ったのだった。特急便は出した次の日の朝に業者に届くはずである。わたしは次の日の午後に「書類は着きました?」と確認の電話を入れた。業者「ごめんなさいね、午前中は出かけていて不在票がポストに入っていたのを今見たの。すぐに受け取りの電話をしますから。」そうか、しょうがないな。わたしはそこから2~3日待った。先日の話だと「書類が揃い次第、すぐにクエストウラに行く日時をお知らせします。あなたたちは指定された時間に来て、署名していただくだけで結構ですから。」と言っていたのに一向に電話がかかってこない。4日目。わたし「あの~、いつクエストウラに行きます?」業者「ごめんなさい、宅配のひとが来るとき、いつも留守でまだ受け取れてないの。」ハア!?仕方がないな。わたしは焦りながらも「早く受け取ってくださいね。」と電話を切った。6月19日。滞在許可証の切れる1日前。宅配便を送ってから3週間近くが経過していた。かなり怒って電話をするわたし。業者「まだなのよ、まだ!いったいこの宅配便はどうなっているのっ!?」←逆切れわたし「この宅配は配達日時を指定できるんですよ?それなのになんでまだ受け取れないんですか?!」と負けずに咆える。業者「運が悪くてね、指定した時間内でほんの5分ほど外出して帰ってくると、もう不在表が入っているのよ。」そんなのウソだ!わたしは仕事中のおっとにそのことを告げた。おっとは珍しく「うお~!なんだとっ!?」と口から火を噴きそうな勢いで爆発した。無理もない。あんなに高いお金を払って、しかもそのことで毎日のように妻にネチネチ言われ続けている、というのにすぐに動かない業者に怒りは数倍になって向いた。おっとはすぐさま業者に電話をしたらしい。そんなおっとの怒りに押されて業者は宅配便にすぐ電話をかけ、いつもの5分の外出もすることなくその日のうちに書類を受け取ったのだった。(きっと今まで電話の1本もかけてなかったと思われる。)怒その夜には業者が「では7月4日朝8時半にクエストウラ前にお越し下さい。」と今までになく慇懃にわたしに電話をしてきたので、どれだけおっとが爆発したか、想像がついたのである。7月4日の朝。落ち着きなくクルマに乗り込んだのだが、クエストウラが近づいてくるとちょっと余裕が出てきた。わたし「なんやかんや言って、業者に払うお金の意義って、クエストウラの列に並ぶ為にあるのよね。だってあのお姉さん、ただわたしたちの書類を集めただけじゃん。」おっと「そうだよね、結局書類は自分たちで用意したんだし。これで書類不足なんかで追い返されたらあの女、ギッタギタだよ。」8時半きっかりにクエストウラの前に着くと、ものすごい長蛇の列である。クルマで業者のお姉さんの姿を探しながらノロノロと列の横を走るわたしたちをのぞきこむような荒くれ系ガイジンたちの目がこわい。幸い、そんなに離れたところでない場所にスペースを見つけてクルマを停めた。クルマを降りるとすぐさま、小汚いジプシーのような女性がふたり近づいてきてわたしは硬直した。しかしそのうちのひとりが「マルちゃんさん!」と呼んだので、彼女たちはただ、薄黒く日焼けしたあの業者2人組だ、と気がついたのであった。わたしは落ち着いて近づいてくる彼女たちを見つめた。こんなところに来るから、変装してきたんだろうか?それともただの日焼け?業者「今日はダメでした。」ハ?業者の弟子「クエストウラの規則ってコロコロ変わるから。。。」??業者「わたしたち、昨日の夕方から来て、1番の番号札を取って、夜中じゅう並んだんですよ!でもね、マルちゃんさんたちのお住まいの管轄はまず予約を入れてから出ないと受け付けてもらえないって言われてしまいました。」業者の弟子「寒かったわね。。」OOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO????????????????????わたし「。。。。そ、それご存知じゃなかったんですか?」業者「一応確認の為に、お宅の管轄の市役所には電話をしたんですけどね。いつも繋がらなかったものですから。。」おっと「ハア。。。となると今日は無駄足、と言う事で?」業者「そう言う事になります。その旨、6時ごろにマルちゃんさんの携帯に電話したんですけど、切れてましたし。で、ここでマルちゃんさんたちに管轄の市役所に行って予約を取っていただきたいんですけど?」おっとは怒った。「ちょっと!そういうことをしている時間がないから大枚払って、おたくに頼んでるんでしょ?あなたが行くのが当然でしょう!」業者「でも電話しても繋がりませんし、管轄の市役所は知りませんし。。。」こ。。これでプロ?このやりとりを聞きながら、こんな無能な業者に大枚をニコニコとして払ったおっととそれを許してしまった自分に怒りがこみ上げる。わたしは飽きれて手帳を取り出した。わたしたちの住む地区、というかミラノ郊外に住むガイジンのほとんどは予約制である。クエストウラに予約がいることなんて、業者としては当たり前に知っていて、わたしたちの依頼を受けてすぐに予約したものだと勝手に思い込んでいたから、滞在許可証の期限が過ぎても郵便物をなかなか受け取らない彼女の態度に怒っていただけで、それ以上のものはなかったのだ。当然わたしは、去年の時点で知っていて、市役所の外国人課の電話番号も開館日も手帳に控えてある。わたしはそれを書きとって業者に差し出した。業者「あら?わたしがインターネットで調べた番号とは違うわ。」とぶつぶつ言いながらそのメモをしまいこんだ。わたし「いつ行きます?」業者「今日はこれで潰れたわけですからすぐにでも行きますわ。」わたし「今日は市役所の外国人課、開いてませんよ。明日必ず行って下さい。もう滞在許可証の期限が切れてるんですよ?」業者「。。はい、明日は他に用事があるんですけど、お急ぎなので何とかします。」お急ぎなのでじゃねえっ!!ほんとにもうっ!しっかりしてよ!!この日は仕方がないのでわたしは気が抜けたまま、有給を取ったというのにそこからトラムに乗って真面目に会社に行き、おっとは普段わたしに頼んでいる会計士やら銀行への用事を済ます為にクルマに乗り、てんでばらばらで解散となったのだった。
2006.08.04
コメント(20)
マンロー見たぞ!あのグランデフラテッロの。 サンバビラで。昨日は裁判所に行くまで時間があったから、バービーちゃんのおうちのようなブリブリグッズばかり、しかも目の飛び出る値段で売っている店になにげに入ったら、マンローが顔の半分もあるサングラスをかけて、TVのような派手な服を着て、キテイちゃんのビニールバッグにキテイちゃんグッズをぽんぽん景気良く放り込んでいた。ああ、この生活はTVの中だけじゃなかったのね。*****さて、昨日も裁判だった。あの◎◎ちゃんのでもなく、前回の我が家のでもなく、1年前のもんで男くん事件 の裁判である。いったいいくつ裁判を抱えなきゃいけないんだ!?今回の裁判はミラノの中心地の裁判所にて、である。わたしはミラノの裁判所といえば政治家や資産家の汚職があるたびにニュースで映し出されるドウモの近所の白亜の大裁判所しか知らない。わたし「あの裁判所でいいの?」おっと「うん、あそこ。11時半始まりだから11時半に集合ね。」わたし「。。。おい、せめて11時15分に来やがれ。」怒わたしは半日休暇を取り、いつもと変わらぬ時間に起き出して、ミラノの銀行に行ったり、おっとの会計士のところに行ったりして忙しく奔りまわり、裁判所の前に11時15分ぴったりに着いた。裁判所への大階段の中腹に立って、目の前を走る大道路を見ながらおっとを待つ。ヤギなので当たり前なのだが来ない。後ろを見ると片目のつぶれた軍隊帰りのような男の子が大きなブルドッグを連れて座り込んでいる。ちょうど寝そべったオスのブルドッグのオシリがわたしのほうをむいていて、大きな◎玉がわたしの目を釘点けにしそうになったので、慌てて目をそらした。そこに「いようっ!兄弟。」とよれよれのポロシャツを着た目つきの怪しい男が近づく。片目男「おう!お前も出てきたのか?何年だ?」ポロ男「10年だった。罪状は「Phisico furto」だってさ。なんだよこれ?」片目男「知らねえなあ。」2人は連れ立って「あち~な、アイス買いに行こうぜ!」と消えていった。え~っと、え~っと。。。。。。本当にこの裁判所でいいのか?ここって、前回と同じく「刑事専門」ってやつじゃ?11時半ぴったりにおっとが着いた。遠くから近づくおっとを見て、階段を上ろうとすると「降りて来いよ!」おっと「ここじゃないんだ、あっち。」とわたしの手を引っ張った。おいおい、やっぱり違ったんだ。あんたがここやって、言ったんだろうが?わたし「本当のところ、裁判は何時からなのよ?」おっと「今はそんなことを言ってる時間がないんだ!早くしないと!!」おっとは走り出した。わたしは走れない。おっと「何やってるんだよ、早く!」わたし「うっき~、あんたがわたしに正確な住所と時間を言ってたら、そっちで待ってたよ!?」わたしはびっこを引きながら走り、やっと着いた裁判所は、待ち合わせのところよりもずいぶん離れたところだった。怒この裁判所は民事専門のようである。前回と違うのは、まるで市役所のような簡素な建物で、まるでガイジン専門警察クエストウラのようにたくさんのひとが長い列を作って待っている。おっとの携帯が鳴った。弁護士からだった。弁護士「遅いですよ、今どこなんですか?!」おっと「裁判所の前で列に並んでいます!」2階の窓が開いて、弁護士が顔をのぞかせた。「もう裁判は始まっています、列に並ばないで横入りして来てください!!」と叫んだ。その叫び声が効をなしたのか、わたしたちは横からすりぬけて裁判所内に入るが、誰も文句を言わない。大急ぎで2階に駆け上がる。ああ、しかしミラノにはこんなにも民事で揉めている人たちがいるのか??!!長い長い廊下の突き当たりにわたしたちの部屋があった。弁護士がドアを開けて走ってきた。弁護士「いいかい、君は何を聞かれても『加害者のクルマが突っ込んできたんだ。』と言うんだよ。それだけでいい。」と早口でわたしにささやいて部屋に入った。中に入ると前回同様、やっぱり診察室みたいだった。しかし裁判官は前回のような爺ちゃんではなく、もうちょっとしっかりした感じだ。今回は加害者側は誰もいない。わたしとおっとと我々の弁護士だけだ。全員であたふたと席に着く。裁判官「あなたは座る前に左手をあげて『わたしはウソの証言をしないことを誓います。』と宣誓をしてください。」わたしは初めてのことに目を丸くしながら手を挙げ、「ワタシハウソノ証言ヲシナイコトヲ誓イマス。」とオウム返しに言うと、弁護士がクスリと笑った。裁判官は弁護士のほうを向き「彼女、イタリア語が話せるのかね?」わたしが席に着きながら「たぶん。。。大丈夫だと思います。」と答えると裁判官は安心したように書類を拡げた。実はもんで男くんの裁判はこれが初めてじゃない。事故から1年も経った今、わたしは証人として呼ばれたのである!裁判官「7月◎日、ボローニャからミラノへの高速道路の途中、もんで男くんにルカ氏のBMWが突っ込んできたと。本当かね?」わたし「そうです。」当たり前じゃないか?裁判官「なんでそのことを知っているのかね?」わたし「なんでって。。。その場にいたからに決まっているからじゃありませんか?」裁判官「君はいったいマルちゃんのなんなんだね?」わたし「妻です。」そんなことも事前に知らなかったのか?裁判官「君の口からそのときの状況を語ってくれないか?」わたしは弁護士をちらりと見た。彼はこの口頭応議を書類に書き込むので必死でこちらに目もくれない。う~ん、どうしたものか?わたし「えっとですね。。。」と口を開く。あいつがウインカーも出さずに我々の車線に入ろうとして突っ込んできたこと、おっとはよけようとしたが、スピードが出ていてよけきれなかったこと、ぶつかった衝撃は凄かったが、とにかく怪我はなかったこと。。などを語った。本当は1年前の日記にも書いたような酔っ払いのようなフラフラ運転をしていたこととかも言いたかったのだが、先述の弁護士の「いいかい、君は何を聞かれても『加害者のクルマが突っ込んできたんだ。』と言うんだよ。」という言葉が引っかかり、それだけにとどめて置いた。裁判官「それじゃあ、怪我はなかったんだね。」わたし「はい。」裁判官「彼ら2人は事故後すぐにこの書類を作成してたかね?」と示談の書類を見せる。わたし「はい。」裁判官「君はこの書類を見たことがある?書かれた値段も知っていたかい?」と修理工場の見積書を見せる。わたし「はい。」裁判官「修理工場には同行したのかい?」わたし「いいえ。」裁判官「じゃあ、君は見積もりの作成された時点に関しては何も知らないわけだ。」わたし「はい。」裁判官「OK.奥さん、もういいですよ。退室なさってください。」と最後に弁護士が必死で書いていた書類にサインをさせられ外に出たのだった。待つこと10分ほど、やっとおっとと弁護士が出てきたのである。弁護士「では次の裁判は7月12日です。これは、わたしだけが出席しまして結果を報告します。」と去っていった。わたし「おっと、どうなったの?」おっと「う~ん。。たぶん大丈夫。賠償金、支払われると思うよ。」わたし「そう?1年経ってもどうにもならないなんて、なんかあんまり期待出来ないね。保険会社の弁護士、無能なんじゃないの?」わたしはいい加減、腹を立てていた。だってこんな証言、事故後もっとすぐにするもんじゃないか?それに、今回裁判が長引いている一番の理由は修理工場が作成した見積書がやや高値だったということで、それを不服に加害者が支払いを拒否、裁判となったのだ。しかし。1年前の日記でも記述したように、彼は我々のように、明日の食費にも困っているようではなく、ぴかぴかのBMWに乗り、いかにもリッチマン風だった。それに当然この修理代は保険会社から支払われるもので、彼にとっては痛くも痒くもないわけだ。なのにどうしてここまでごねるのか?イタ公リッチマンだから、どこの馬の骨ともわからないガイジン夫婦に負けるのがイヤで嫌がらせをしてるんだろうか?それともお金持ちの暇人で、こんな騒ぎを起こして楽しんでいるのだろうか?あ、書いてるうちにちょっと推理が出来てきた。自分が加害者の場合、被害者のクルマの修理代は保険でカバーされるけど、自分のはカバーされないよね?天秤にかけて、自分のBMWの修理代のほうが高くつくから(うちのクルマより激しく壊れてたし)、あくまでも自分を被害者にして、修理費用を出来るだけ安くあげる魂胆なのか??でもそんな差額。。。。リッチマンそうだったのだけども。???。。。。わからん。とにかく、腹が立つ。さっさと勝訴で終わりたいよ。
2006.06.15
コメント(30)
最近、特筆するような気持ちを揺さぶる事件がない。毎日のようにあった今までが異常だったか?というか、あまりに立て続けにいろいろなことが起こるので、だんだん神経が麻痺してきたんだ、と自己診断している。家の事は6月8日に裁判所に弁護士と出向いて、はじめての申し立てをすることになった。そして、もうご記憶の方は少ないと思うが、去年7月に追突された事故。あれもまだ保障が降りてない。事故直後、おっとが書きこんだ書類にたった一箇所、間違いがあったのだ。(チェックシートの一箇所を間違えて○した。)それを盾に相手は、被害者であるおっとに罪をなすりつけ、やつのクルマの損害賠償をしろ、と言って来たのである。最初、このニュースを聞いたときは、開いた口がふさがらなかった。あの時、急いでいたのはわかるが、おっとが自ら「示談にしましょう。」なんて言うから!!←またもや国際離婚を考えるわたし。壊れた助手席のドアはだいぶ前から錆が浮き始めたので、自腹で応急処置だけ修理屋にやってもらった。これも6月14日にわたしが裁判所に目撃証人、として出向いて証言をする。この件に関しては、おっとがかけている自動車保険で全てカバーされるので、わたしたちの懐は痛くはならないのだが、とにかくバカバカしい。きっとこれがわたしたちもイタリア人だったら、ここまでなめられた事には至らなかったと思うのだ。そういえば思い出した。以前わたしがマーベルと住んでいたアパートに住んでいる日本人の独り暮しのご婦人も、片言の日本語を喋るスリランカ人と行き付けの日本料理屋で親しくなった。ある日、彼の身の上話を聞いていると「本国にいる妻と子供を呼び寄せたい。そのために家を買いたいのだが、銀行が融資してくれない。申し訳ないが、代わりに家を買ってくれないだろうか?家の代金は毎月、あなたに払うようにするから。」と懇願された。彼女曰く、彼は品性があって礼儀正しいスリランカ人だったようである。彼女はわたしのようにイタリアに来てから、地を這うような生活は送った事がないようなお金持ちのご婦人である。心から同情し、彼の望むままのミラノ中央駅近くのアパートを(たぶん)一括購入してあげたのだった。つまりは名義はご婦人のもので、彼は家賃の代わりに少しづつローンを払って払い終わった時に自分のものになる、といった形である。銀行のローンとかじゃないから、きっとお得に違いない。彼は喜んで、すぐさま妻と子供を本国から呼び寄せたようだ。そして、まじめに彼は毎月、彼女にお金を持ってきて、彼女は彼持参の領収証にサインをし。。。とやっていたのだが、ある時から彼がお金を持ってこなくなった。ご婦人は「どこかにバカンスにでも行っているのかしら?」と思っていると、ある日いきなりこの男が雇った弁護士からレターが来たのだ。内容は「あなたはこの男への支払いを滞っています。至急支払わない場合は云々カンヌン。。」と書いてあるではないか!?どういうことかしら~~~~~~っ????とご婦人は気を失うようなショックを受けたらしい。そこで彼に問い詰め様にも「弁護士を通さずには話はしません。」とコロリと態度を変えた一点張りである。しかたなく彼女も弁護士を雇って調べたところ、わたしはちょっとここのところ詳しく理解できなかったのだが、どうやら過去にいつものように彼が持参した「領収証」なるものが、「所有者の名義変更」だか、とにかく立場を逆転する書類だったようだ。彼女はこの男を信用しきっていたので、ろくに目も通さずサインをしてしまったのである!つまり彼女はこの男にアパートを巨額のお金を出して買ってあげた上、ローンでこの男に毎月その倍になるお金を払っていかなければならなくなり。。。の形である。OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHH、NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!なんじゃそりゃっ!!??完全な詐欺に乗っ取りやんけっっ!!!!!完全になめられてる。平和ボケ金持ち日本人と思ってバカにしやがって~~~~っ!ゆ・る・さ・ん!!!!!!!↑彼女の心情をわたしなりに表現。ここから長い裁判が始まった。あの時期の彼女の疲れ切ったうつろな目を思い出した。「親切をした、というのにどうしてこんな目に遭わなきゃいけないの?バカなわたし、バカなわたし!」とお会いするたびに聞かされた。冬のある日に電話をすると、ひどい風邪を引かれてて「裁判にかかるお金を稼ぎに明日からドイツに行って参ります。」と弱々しい声で電話を切った。あの時、わたしはあの優雅なご婦人から「お金を稼ぎに。」なんて言葉が出るとは思わずショックを受けたことが忘れられない。とにかくどれぐらい彼女は荒波に揉まれたのだろう?ある日「とうとう裁判で勝利しましたよ!」と喜びを込めたメールをもらった時、わたしは「当たり前じゃん。」とそっけなく思ったのだが、今はその気持ちがわかる。(後日談:この後、この男はミラノの同国人を牛耳る闇のボスだと判明。妻と子供はとっくの昔から別のアパートに住んでおり、彼女の購入した小さなアパートの一室から10人以上も住みついていた、しがみついてなかなか出ていかないスリランカ人を追い出すのに警察を動員して苦労したようである。)このイタリア、「勧善懲悪」の図式が、そうそう簡単には成り立たないのである!そしてサイン社会のおそろしさ。。。わたしは日本にいたときは親元から仕事に通う、言って見れば「不完全自立」な大人だった。ということもあるが、「ハンコなんてお中元お歳暮が来た時の受け取り印と、銀行の開設にだけ必要なもの。」と思っていた。しかし、ここ最近はちょっとしたものにサインをするときも、いかに相手が急いでいようがじっくりその場で書類を読むか、相手に書いてある内容をしつこく聞くようになった。我々の家の諸々の書類に、不動産屋を信用してろくに目を通さずサインをしてきたものが多い。だって、それなりのお金を払っているんだから、それなりに向こうもちゃんとしてくれるのが、当たり前、と思っていたからだ。(←この辺まだまだ平和ボケの習慣が取れていないのである。)この過去のうかつさが、裁判で裏目に出ない事を願いつつ。。。。弁護士から連絡があるまではなるべくそのことを考えないようにしている毎日である。
2006.05.05
コメント(21)
ついこの間、「ネタが目白押し!」と宣伝文句を書いてみたが、それは「ネタが目白押し予定!」だったのだ。←うかつに忘れていた、ここはルイジの国。全ての予定ネタが現時点で延期である。汗ところでわたしは新居に引っ越してからすぐ、住民登録も、免許も、書き換えられるものは全てすぐに書き換えた。←真面目日本人ホームドクター(イタリアではホームドクターを決めることが義務付けられている。)も、訳がわからないまま、保健所にあった医者のリストの一番上に書いてあった名前を選んだ。しかしこちらに来てから今まで医者にかかることはなかったので、どこにあるかすら知らなかったのだ。日記には書かなかったが、年末前の日曜日には急なめまいと嘔吐で起きれなくなって、おっととコックさんに付き添われて隣町の病院の救急棟に運ばれはした。そのときに救急医者に「一度、ホームドクターに処方箋を書いてもらって、病院できちんと検査したほうがいいですね。」と言われたのだが、病院で今まで味わった長蛇の列、2~3ヵ月後の診察の予約、待合室の険悪なムード。。。。それを考えると足が重たくなって行かなかった。でも、ヤギたちが去ってからもまだしつこく続く胃の痛み。。。。。ようやく、重い腰を上げることにした。何ヶ月も前に保健所でもらった住所はとっくに紛失してしまったので、おっとにまたもらってきてもらった。開院時間表を見れば、週に2日が夕方、3日が午前中に開いている。夕方開院日の先週金曜日を狙って仕事を少し早引きして医者に行った。住所は大きなマンションの1室である。ひとつひとつ、60~70世帯はあろうインターフォンの名前から医者の名前を探すが見当たらない。とうとう困り果てて近くのバールに入ってたむろっていた若造たちに「ねえ、お医者を探してるんだけど、どこか知らない?」と聞く。すると幸運にも一人の若造くんが「ああ、あの先生なら引っ越したよ。おれも知らなくてこの前、行って困ったんだ。新しい住所は駅前の銀行の2階だよ。」わたしは保健所の古い情報に踊らされたことに怒りを覚えながらも「銀行って インテーザ銀行(大手都市銀)?」若造「違う、違う。◎◎◎☆▲◎◎◎銀行の上だったと思う。」うううう。困り果ててしまった。駅前には何軒か銀行があるのだが、インテーザ銀行以外、全てめちゃめちゃ長い名前の地方銀行でとりあえずわかった振りをしてしまったが、ちっともその名前を覚えられなかった。一軒一軒、銀行の周りを廻ってみるか。。。。と、とりあえず駅前に行くと、薬局のネオンが目に留まった。そうだ!薬局ならきっと知ってるよ!さっそく薬局に行くとお兄さんが「ああ、簡単だよ!」と一緒に外に出て「あの銀行の上さ。」と踏み切りを渡ったところの銀行を指差した。「今、電気が消えてるから閉まってるな。また開いてるときに来なさい。」おかしいなあ、時間表は今日は夕方開いてるはずなのに。。。。。しかし住所も保健所がくれたものと違ったし(怒)、今度電気が点いてるときに来よう、としぶしぶ家に帰った。そして昨日。電気が点いていることを確かめて、入り口を探した。わかり易く表示していなければならないような医者のマークも入り口も、どこにも見当たらない。しかたなしに下のブティックのお姉さんに聞いた。お姉さん「ああ、この銀行じゃないわよ!あっちの銀行!!」と踏み切りをはさんで隣り合わせの銀行を指したのだった。踏み切りそばの薬局で聞いたとき2つの銀行は並んでいたので、勘違いをしてしまったのであった。大汗慌てて2階を見る。あっちも電気が点いていた。わたしはいそいそと駆け込んだ。ああ、やっと見つけたよ。なんだか迷路のような、宝探しゲームのような気分だったな。。。。安堵の息をつきながら階段を上がって、モダンなドアを押した。改装したての医院は壁がエメラルドグリーン、イスが黄色となんだか、水族館のようなつくりである。めちゃくちゃ混んでいた。わたし「あの~、列の最後の方はどなたでしょう?」と声をあげる。なぜなら今までのホームドクターもいつ行っても混んでいて、そうやって聞かないと、横入りしようものなら、他の待っている患者からえげつないブーイングが飛んでいたからである!すると愛想の悪そうなおっさんがわたしをじろりと見やって「そんなのねえよ。ここは全部予約制だ。」はあ?受付なんてないし、じゃあ、誰に聞けばいいんだよ!?とじたばたしていると、すぐに一人の患者の診察の終わった女医が診察室から顔を出して「何か御用?」と聞いてくれたのでほっとして「診察を受けたいんですが。。。」と言う。女医は机の引き出しから小さな時間帯と電話番号の書かれた紙を出してきて「じゃあ、明日の朝、この電話番号で予約してね。」とそれだけ言い残して、次の患者と一緒にぴしゃりとドアを閉めてしまった。はあ。。。。。。。気が抜けた。ここまで苦労して、まだ診察にたどり着けないなんて。。。というかわたしにはただお医者のハンコが押してある病院での診察許可証みたいな、赤紙が欲しいだけなのだ。お医者なら30秒で書ける代物である!!しかしめげずに今朝、さっそく昨日もらった電話番号に電話するわたし。医院「診察ですか?午前と夕方とどちらがご希望ですか?」わたし「病院に行く処方箋が欲しいんです。夕方をお願いします。」医院「え~。。。と、今週はもういっぱいですね。来週も。。。。再来週の火曜日の5時。」わたし「えええええ!?そんなに待たないと診察してもらえないんですか!?」医院「それがダメでしたら再来週の月曜日の午前10時でもよろしいですよ?」わたし「。。。。。たいして変わらないんですね。じゃあ、火曜日の夕方をお願いします。涙」医院「ではこれはプライベート診察になりますのでお値段は。。。。」わたし「ちょ、ちょっと待ってください!!最初に申しましたとおり、わたしはただ、公立の病院に行く処方箋が欲しいだけなんで、プライベート診察は必要ないですよ!!」医院「あ。わかりました。では、来週の火曜日の夕方。」わたし「。。。。もっと早くならないですか?」怒医院「うう~ん、今週金曜の午前11時20分なら?」わたし「。。。。。それでお願いします。涙」やれやれ。魚屋の前の値引き交渉の気分であった。しかし我が社は金曜日は午後3時までなので、こんな時間に設定された日には年が始まったばかりなのにさっそく有給を1日使わなければならない。怒我が田舎町なんて、ミラノよりもっと人口が少ないから簡単だろうとたかをくくっていたのが甘かった。たかだか、1枚の赤い紙っ切れをもらうだけにこの時間の浪費。。。。しかしこれで終わりなのではない。これが始まりなのだ!しかし、高熱とか、ぎっくり腰とか、インフルエンザとか、急を要するけれど、救急病院に駆け込むほどじゃない程度の病人もこのプロセスを全て経て、診察にこぎつけているんだろうか?大いなる謎である。。。。。。というか、ますます医者から足が遠くなるな。はあ。
2006.01.11
コメント(42)
さっき、警察から帰ってきました。パンパカパーン!!夏のバカンス先、決定!イタリア国内です!!わー---んっ。うそ。日本、日本だよー。やったあーーーーー!!!!!!!普段は「週末PC接触禁止令」が出ておりますが、本日のみ、おっと首相の人道的配慮により、このことだけ書く許可が降りました。いままで、応援してくださった皆さん、ありがとう!では、月曜日に会いましょう。よい週末を!!
2004.07.10
コメント(11)
自営業妻から、正社員妻になっただけで、こんなに不幸。でも。ふ、とこのあいだの警察サマーキャンペーンのニュースを思い出した。ご存じない人はここです。http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200407010000/#2004-07-01 出身国以外であるおっとの滞在許可証が取れたから、だいじょうぶではないか!? 念のため、警官に聞く。「このあいだ出た期間限定法律だったら、この状態で、日本に行けますね?」 警官はバカにしたように「いけますよ、だんなさんはね。でも、あんたは行ってもいいけど帰って来れないよ。あの法律は労働滞在許可証を持つもののみで、学生からの変更にはダメなんだよ。」そんなのニュースには書いてなかった。。。ぷちっ。とうとう頭の中でなにかがはじけた!次に口をついて叫んだ言葉。「シエーテ デフィ◎ェンティ エ イン◎チッリ! ウン パエーゼ ディ カ◎オ ディ メ◎ダーーー!!!」(イタリア語習得中の方は、絶対覚えないでください。先生に叱られます。)署内の警官たちの顔つきが険しくなった。つかつかと詰め寄り、がっとはがいじめにされ、口をふさがれた!!。。。。おっとに。 さっきまで緊張でこちこちだったおっとが、落ち着いたはっきりした声で、「すみません、ぼくら馬鹿なんで法律がよくわからないんです。妻はなんどもやりなおしを去年の秋からしているのでいいかげん疲れているんです。3.家の見取り図の証書は家にあるはずなので、時間外になるとは思いますが取りに帰っていいですか?」と。 おっとはやっぱり、ふだんからでもひとつきあいがうまいと思う。子犬のような目でウルウルと警官を見つめたのも効いたのかもしれない。待ってくれると言ってくれた。 私たちは急いで家に帰り(私は泣きべそ状態)、取っておいた残りの1枚の家の見取り図の証書と、念のため、このあいだ出たばかりの個人の納税証明書を提出した。 そのころには私も少し落ち着いたので、悔しいけれど、おっとに言われるがまま窓口の警官にあやまった。警官も態度を崩し、「君らも法律の改正で大変だろうけど、僕らも同じく大変なんだよ。だから、ミスや見落としも多くなる。 この場合、3.家の見取り図は受け取っておくけど、だんなさんのほかの書類がOKがでるかどうかは、残念だけどなんともいえないな。 ここは駐在所だから、ぼくらは外国人から受け取った書類を ミラノ州の中央警察に持っていくだけ。 滞在許可証をつくるのは、中央だから、今回、うまくいかなくても、ぼくらの力じゃどうしようもないんだ。 とりあえず、来週の土曜日に取りに来て。君たちの運がいいことを祈るよ。」と。運。。。ですか?じゃあ、なんかのはずみに たまたま担当警官が「面倒くさいや、くれてやれ。」だったらいいってことですか。。。。?こんな調子じゃ、いつまでたっても無理です。おかしくありませんか? こんなこと??とりあえず、TOPには日本出発予定日までの残日数は表示を続けていきます。でも、もう90パーセントあきらめました。どういう形に出るにしろ、私の問題解決には、時間がかかりそうです。。。(泣)******************昨日の「家の見取り図証書」がなぜ必要か、というご質問にお答えします。 移民、難民が多いミラノは住宅難です。収入の少ないデカセギのひとたちがどこで寝るか、というと多くは1つの小さな2-3人用のアパートをひとりが借り、10人の不法滞在の同胞に又貸し、というケースが多いのです。 貸すイタリア人も悪どくて、そんなひとたちに地下室や、ガレージを法外な家賃で貸すのです。 そういうことをしていない証明のために、家の大きさをみる見取り図と市の役員の家庭訪問が必要なのです。 明日あさっては今、話題になっている「タイ人少女」でちょっと触発されてしまったので、週末に起こった出来事と重ねて思ったことを書く予定です。今週は語り終わるまで、社会派 いくきーとに徹します。笑えません。(笑)でも、皆さんの考えを聞かせてくれたらうれしいです!
2004.07.06
コメント(16)
誰かが言ってたとおりだ。。。不幸の日記なんか書いてたら、私まで極不幸になってしまった。だから不幸の日記はやめたいところですが、この週末、あまりにもいろいろなことがありすぎたので、開き直ります!(笑)今週は、語り終わるまで、週末に起こった本人たちや、それ以外の不幸事、変なこと、思ったことの連打にします!今日と明日は気になる本人たち日記です。先週のアクセス数UP強化週間のおかげ?リンクをしていただいた方々、またははじめての方々のためにおさらいです。(ご存知の方は**は飛ばして読んでね)*私たちは今、イタリアの滞在許可証の更新でやきもきしてます。 私は去年までは学生滞在許可証でしたが、今年から結婚して扶養家族の届けをしました。 問題の素は おっとが去年、正社員になってから1年未満に自営業に変わったこと。イタリアはここ3週間ほど、ヨーロッパ、イタリア総選挙でした。そのためか?移民法が改悪しつつあり、正社員になってから1年未満に自営業に変わることが出来なくなったため、警察から、「無職になるか、正社員雇用してくれるところを探せ。」と言われました。 おっとはしかたがないので、下請けで働いている会社に「共同経営正社員証明書」なるものを出してもらいました。 警察(日本の入管の役割をする課)で書類をみてもらい、OKだったので、先週土曜日に受け取りに行くことになったわけです。*************************いよいよ、土曜日。不安いっぱいで警察に行った。列に並んで待つ。今日は早めに行ったのに結局、私たちの番が来たときは警察の閉門時間ぎりぎりになった。2人の引換券を同時に出す。若い警官はおっとのファイルを取り出した。出来ているーーーーー!!!!!!!やったーーーーー!!!体中の力が抜けていく気がした。受け取りのサインをし、無事終了。そして私の番。ああ、やっと、やっと、やっと、やっと、あれもこれも出来る。目の前はバラ色になりつつあった。でも。警官は別のところから私の名前入りのファイルを取り出した。? おっとのファイルの中にこの間まで、入っていたのに??前回同様、メモが貼り付けてあり、警官はフンフンと読む。「奥さんは3つ、書類が足りません。扶養者であるだんなさんの1.会社の年間納税証明書、2.この3か月分の給与明細3.家の見取り図の証書、です。」ここで、私たちは大きな落とし穴に気付いた。そう、おっとは書類上は正社員にしてもらったが、実際は自営業なのだ!私たちが提出した関連書類は:1.個人の納税証明書(私たちが更新した頃は働いて1年未満だったのでこれに準ずるもの)2.この3ヶ月の収入明細3.家の見取り図の証書 (3.は、ローマの大家に連絡を取って、ミラノ州の建築課に行ってもらった見取り図を市の市役所に登録し、1ヶ月まって市の役員が家に訪問に来てOK出しの書類をまた市役所でやっと書類にしてもらった。もー、こんな苦労は2度とごめんな書類なので、提出し忘れているわけがないのだ!!)これでおっとはOKだったけど、古い書類のままの私が今度はひっかかったわけだ。でも。こんなこと、前回提出時、「これで全部書類はOKですよね?」と念を押したときにマリーさんの知り合いの警官は気付いてよさそうなものだった。(今回の土曜は居なかった。夏のバカンスに行ってしまったんだろう)1.会社の年間納税証明書、2.この3か月分の給与明細は 出しようがない。3.家の書類なんて忘れてるわけもないのに、大方失くしたのだろう。(以前は私の提出していたファイルまるごと、失くされた。)こんな苦い経験上、念には念を押して2枚オリジナルをつくっておいた。でも、1枚残ったオリジナルは、まさかこんな展開になると思っていなかったので家に置いて来た!なんなんだ、この展開は?しかも日本出発を直前にして、せっぱつまってるときに?!実は全部、書き終えたのですがあまりにも長くなったので、明日後半を語ります。さて、私たちの運命は。。。?*********************************ここまで至るまでの詳細を知りたい方は過去の関連日記を読んでね!はじめの滞在許可証更新 「滞在許可証 」 :2004年 03月 11日 http://tb.plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200403110000/ 許可証を取りに行く(初回)「ダメだったら。。。。どうしよう? 」 :06月07日(月)http://tb.plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200406070000/ 許可証の書類をやりなおす「朗報です!」:06月08日(火)http://tb.plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200406080000/ 許可証をやりなおしの決意 「無料!ミラノのインターナショナルなナイトライフ体験ツアー 」 :06月18日(金)http://tb.plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200406180000/ 許可証を取りに行く(2回目)「イタリアンナイトと 地中海の空賊たち 前編 」 :06月21日(月)http://tb.plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200406210000/ 許可証を取りに行く(3回目)「まただよ、また。(画像つき)」:06月28日(月) http://tb.plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200406280000/ こうやって整理すると、よけい虚しくなってきた。。。。はあ。
2004.07.05
コメント(13)
今朝、気づいたこと: 地下鉄の扉にもたれて、ふと目をやると扉の窓の内枠にほこりだらけのくもの巣があった。あわてて飛びのいた。 くもの巣なんてへっちゃらだけど、この扉、というか地下鉄、いつから掃除してないんだ!?汚―い!*******************昨日、ニュースでみたこと:「滞在許可証待ちの外国人へ朗報です! 暫定的な法律が出ました。7月1日より9月30日までにイタリア国外に出る予定のあるひとは、古い滞在許可証のコピーと警察の引換券さえあれば出ることが出来るようになりました。」期間限定法律。まるでどっかのサマーキャンペーンみたいだ。夏のバカンスを考えた人道的配慮、としているが、イタリア政府がみずから警察の仕事ののろさを認めているようなもんだ。でも、でも、やったー!!!!!これでもし、土曜日に滞在許可証が取れなくても、余裕で日本におっとを連れて行ける!いそいそともっと詳しい情報をみるためにネットで調べる。前記したとおりだ、本当だ!でも。「注釈:上記に該当する外国人の出身国のみ出入り可。」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。あかんやん。(泣)*******************昨日のアクセス状況の結果:昨日のエロいタイトルは、どうもダイレクトすぎたようで楽天メンバーの目をだませませんでした。よっぽど「ブロンド女性はピンクがお好き」の方がアクセス数が上でした。でも、週平均(土日を除く)より、ちょっと上だったかな? これからは更に姑息にこんな小細工を織り交ぜながらも、ご・イ・ぴうちさんの「新しい試み」ような、新しい技を開発したり、shanghai-kさんのように素でも多くのアクセス数が獲得できるよう、真面目に頑張りたいと思います。みなさん、きのうのおバカな日記にコメントしてくれてありがとう!!あさってに警察をひかえて、気がそぞろです。。。。まとまりのある日記が書けない。。。
2004.07.01
コメント(15)
さて、先週、TOPで予告していました警察行き(はじめてのかたへ:わたしたち、犯罪者じゃありません。)をおっとがどれぐらい期待していたかというと これぐらい。(おっとが朝早くから市場にでかけ、警察に行く前に、お祝いディナーの為に買いました。)そして、いよいよ警察へ!! 私たちは、いちゃもんをつけられても大丈夫なように、念のため書類も全部コピーし、考え付くだけのその他、提出しなかったものも持参。 ハアハア、ドキドキの胸を押さえながら門の前まで行くと、大きな張り紙が!「本日は選挙の投票日のため、外国人課はお休みします。」 はあ?過去の日記のあの警官は「来週、 土曜日に来なさい。」って言ったじゃない? 選挙の投票日なんか、先週の時点でわかってなかったの。。。。? とりあえず、警察の受付に行く。「あのー、先週急ぎで滞在許可証、お願いしてたんですけど。。。?」警官「張り紙みただろ?閉まっとるんだ。」「でももうすぐ、わたしたち日本に旅立たなければならないんです。」警官「張り紙みただろ?閉まっとるんだ。来週来なさい!!」まただよ、また。これで日本出発が明日だったら、どうしてくれるんだ!!よかった、まだ先で。 ここまで来ると、私のショックはいい加減、軽い。ダテにイタリア生活長くありません。 しかし、おっとのしょげようと来たら!(いまや、おっとにとって滞在許可証を取る目的は、日本行きの切符を手に入れるためになっている。)おっと「どうしよ、来週月曜(今日のこと)、日本領事館へ行くからって仕事の半ドン願い、出しちゃったよ。。。」わたし「ちょうどいいじゃん、その半ドンで家の掃除と銀行行くの、頼むわ。」おっと「実はびっくりさせようと思って黙ってたけど、今日の滞在許可証のお祝いに友達を夕食に招待したんだよね。」わたし「いつもそんなびっくり、うれしくないって言ってるでしょ!もっと、早く言えよ(怒)!!」そうしたバカバカしい言い争いをしていると、おっとの携帯が鳴った。先日、突然ジェノバに行ってしまった、ミッシェルちゃんのパパからだった。「今から兄と、ミラノの家に荷物全部取りに行くからついでにそっちに行くわ。」私はそばで、ゾウの耳になり、盗聴する。おっと「あと、どれぐらいで着くの?」ミッシェルちゃんのパパ「うーん、30分ぐらい。」わたしはおっとの袖をひっぱった。「ちょっと!わたし、警察とあんたとのバカなやりとりのおかげで 機嫌が悪いのよ。会うなら外で会ってちょうだい!」そうやっておっとはいとこたちに会いに外に出て行った。午後1時。まだ、怒っているわたしに「荷物の積み込み手伝うだけだから、2時間で帰るよ。」と言い残して。まただよ、また。わたしはわかっていた。おっとはわたしがイタリア語と似ていないスペイン語の単語はわかってないと思い込んでいる。が、電話のやりとりで「わかった、ビール5本ね。」と言っていたのがわかった。ダテに南米人の妻はやってないのだ。ってことは「飲んでくる」と言う事だから2時間じゃ効かないだろう。 案の定、おっとは夜9時ごろヘベレケになって帰って来た。私は実は今夜、来るかもしれない招待客のため、家を掃除して服を着替えて待っていたが、夜の8時をまわるとバカバカしくなってパジャマに着替えていた。 おっと「10時半になったらディスコに出かけるからねぇー。よういしなさぁーいっ♪」と言ってベッドに倒れこみ 大いびきをかきはじめた。まただよ、また。今夜の招待客は、どうなったんだ?そして、このありさまで、誰と、どこのディスコに行くつもりなんだ?まだ、話は続くんだけどもう、バカバカしくて書く気が失せました。こんなバカバカしい日記をここまで読んでくださった皆さま、どうもありがとう。というわけで、警察報告は 来週に延期となりました。はあ。。。
2004.06.28
コメント(19)
「町のねずみと田舎のねずみ」 私達はまだ、滞在許可証を手にしたわけではない。 なのに、このおっとの喜びようはなんなんだ? いい気になって、レストランで昼ご飯をごちそうしてくれた。そのあと、ショッピングセンターで新しいパンツを買ってくれた。 そして私を家に送り届けた後、「エクアドルの両親に報告してくる!」とひとりでインターナショナルフォンセンターへ電話をしにいった。午前中がバタバタしていたので昼ご飯はすっかり遅くなり、夕ご飯時が来てもちっともお腹が空いていなかった。今日はお腹がすいた時に簡単スパゲッティ。そう決めて 買ってもらった新しいパンツを鏡の前で試着していた。 おっとから電話があった。「今、家に帰るから、出かける支度をして!ともだちとアペルティ―ボしよう。」 おっとの外からのカエルコール「今、家に帰るから」は約2時間後がふつう。 おっとの言う「アペルティ―ボ(夕食の前にBARなんかで軽くアルコール入りのジュースを飲むこと)」は夜中の飲み会を意味する。 エクアドル人的イタリア語を理解するまで時間がかかった。今もなお、学習中だ。 うむ。訳すると、今回は珍しく支度かける時間がありそうだ。 今回のともだちも、過去のラテンディスコ日記と同じともだちと新しい彼女。彼女達と夜中のお出かけ、というと気が抜けない、と言うわけか。私は珍しくドレスアップし、おっとの帰りを待った。 きっかり2時間後、おっとが帰ってきた。「すっかり遅くなっちゃった。早く出かけよう!」 「すっかり」じゃなくて「いつも」でしょ? ともだちをクルマで迎えに行き、どこに行くか、のはなしになる。 実はおめでたいことに、このともだち、今日彼女と結婚を決めたのだ。だからすっかりお祝い気分。 「ちょっと遠いけど、お祝いだし、ジルダに行こう!」 」「ジルダ」とはマッジョーレ湖畔の高級ラテンディスコ。私達は高速に乗り、ジルダへ。 ジルダ専用駐車場にはフェラーリ、ロールスロイスなどの高級車が留まっている。前回、行った時は前の10年もののちっちゃなランチャY10で恥ずかしかったが、今はフォード。ふつうだ、ふつう。スーツ姿のお兄さんがドアを開けてくれる。うふ、リッチな気分。 そして入り口へ。 入り口には「Men In Black」のようなビシッとスーツを着こなしたいかつい黒人のお兄さんたちが立っている。 最初にともだちと彼女が門をくぐり、わたしもくぐって、おっとが入ろうとしたところ。。。 お兄さんのひとりが、スッとおっとの前にたちはだかった。 「申し訳ございません、我がディスコは気品をモットーとしております。スポーツシューズでのご来店は出来かねます。」と。 当たり前であった。友達カップルと私はドレスアップしていたが、おっとは朝、警察に行ったまんまのよれよれTシャツ、Jパン、スポーツシューズの格好。私が出かける前に気づくべきであった。でも、「アペルティ―ボに行こう。」としかいわなかったおっとが悪い。合掌。 しかたがない。私達は別のディスコを求めて車を走らせた。まわりはレストランばかりでディスコなどない。そのうち、ミラノのあるロンバルディア州が終わり、ピエモンテ州の山あいへと。もう、ディスコはおろか、民家さえもまばらになってくる。 不安になっているとまるで、魔法のように大阪ミナミのラブホテルのような色とりどりのネオンの御殿が目の前に現れた! 「ディスコ メディテラネェ(地中海人のディスコ)」。 イタリアには珍しいまばゆいネオンが私達をうっとりさせた。もう、選ぶ余地はない。駐車場に車を入れる。ちょび髭の背の低いおっちゃんが来た。私達が車から降りるのを待って「駐車代1ユーロだよ!」 そして入り口へ。 入り口にはシャツの胸のはだけた金のネックレスをつけたおっちゃんたちが立ち話をしている。 私達は門をくぐった。おっちゃんたちはチラッと見やったが、そ知らぬふりでお喋りを続ける。 よかった、入れた! そして入場料ひとり10ユーロ。高ーい、マチルダでも8ユーロなのに。。。きっと、もっとすごいのかな? ディズニ―ランドを真似たちゃちな遊園地のような宇宙空間を抜けてホールに出ると、そこは。。。 まさに、メディテラネェであった!! ものすごい! 今じゃめったにお目にかかれないいくつものミラーボールがキラキラとまわり、たくさんのゴージャスな織りの入った古ぼけたビロードのソファがあってたくさんのひとが談笑していた。ステージがあって生演奏中。ころころとしたチリチリ黒髪のおばさんが「Y M C A」を熱唱していた。 2つ、ストリップ劇場のようなお立ち台があって、これもボンレスハムのようなぴちぴち黒のミニワンピをつけたお姉さんたちが、歯切れのいい曲に合わせてくねくねとセクシーに踊っていた。 こんな山あいなのに、はやっていて満員。みんな ノリノリで手足をジタバタ、いや、踊っていた。 おおぶた、こぶた、ちゅうぶた、ちょびひげぶた。。。ここはもしかして「で◎専ディスコ」? 「たらったらったらた こぶたのダンスー♪」 「5ひきのこぶたが ラヂオをきくと いつも ぶうぶうぶーう♪」 「ぶたぶた こぶた おなかがすいた ぶう♪」 夕食を食べずに来たから幻聴かな?すべての曲がこう聞こえる。 ともだちと彼女は完璧に凍結していた。 おっとは、というと目を輝かせて「ねえ、はやく踊ろう!」 わたしとおっとは踊った。素晴らしい。近所のおくさまダンス教室の成果がこんなところで発揮できるとは! チャチャチャ、ロックンロール、80年代POPS,なんでもありである。 華奢で華麗におどる異国から来た私達はたちまち注目の的となり、拍手喝さいであった。おっとがこんな古い曲を踊れるのは新発見であった。 踊り疲れ、ともだちと彼女がしけて飲んでいるカウンターへ。 しばらく飲んで、喋った後、おっととともだちは「トイレに行ってくる。」と立った。 ちょっと彼女と2人で喋っていると彼女も「トイレに行くね。」と立った。 私は独りきりになった。この間、約2分。 -ともだちはトイレにおっとを呼び出し、彼女のいないところで結婚への不安を相談していたらしい。 おっとは「何言ってるんだ。結婚は素晴らしいものだよ。より信頼関係が強くなり、より愛が深まるんだ!!」と熱く諭したらしい。(ともだち談) -彼女は2人が戻ってくるのがあまりに遅いので悪巧みをしているのではないかと様子をみにいったらしい。(彼女談) この2分の間、 わたしはまず、ひとりのちょびひげのおおぶたにダンスに誘われた。断った。 次にすぐ、にかっと笑うと歯が1本黒い、顔色の悪いこぶたがダンスに誘ってきた。もちろん断った。 またすぐ、どこからともなく2人の筋肉むきむきの大きなぶたさん達が現れて、わたしのとまりぎを間にはさんでカクテルの中に入っていた氷を1つ取り出してキャッチボールをはじめた。 投げるたびにしぶきがかかるので、よけようと身体をずらしたところ、ひとりのお兄さんが私の手をグイッと掴み、氷を手に握らせてその上から私の手をギュ―ッと握って 「君の愛でこの氷を溶かして。(最後にハートマーク付)」 そこにタイミングよく(?)、おっととともだち、様子をみにいった彼女が帰ってきた。 そのとき おっとは頭の中がまっしろになったらしい。 ともだちは「おっとのことばなんてやっぱり信用できない。」と思ったらしい。 彼女は「あら、いいおとこ。」と思ったのか? これは聞かなかった。 言い訳をさせてもらうなら、私はこのお兄さんの顔さえよくみていない。とっさでびっくりした上にこの、メディテラネェなセリフ。固まったところでなんともタイミングのいいおっとたちの帰還。 あやまるべきか、わらうべきか、おこるべきか、泣くべきか? 私は混乱して、酔っ払ったあげく眠ってしまい、気がついたら おっとの運転する車の中で朝を迎えていた。 あれはなんだったんだろう? 本当にあった出来事か? まさにコテコテな夢のイタリアンナイトだった。 以上、ツアー報告 終わります。 *ミラノでは「メディテラネェ(地中海人) イコール 田舎もの」と呼びます。 地中海地方お住まいの方、または出身のパートナーを持つ方、ごめんなさーい!!ロッテンマイヤー いくきーと************ さっき、テストでメールの「22日の日記」から送ったらとんでもないことになってしまいました。文字化けもいいとこ。 誰か、いい解決法を知っていたら、教えてください!(たぶんイタリアンなPCから送信したのが原因)そのとき、みてくださったかた。ごめんなさーい!!
2004.06.22
コメント(18)
皆さんは、童話「町のねずみと田舎のねずみ」をご存知だろうか? 私に言わせるとミラネ―ゼは、町のねずみ。または「ハイジ」のロッテンマイヤーさんか? ミラノに住む私も、ロッテンマイヤーさん化が進んでいる。これに関する話は明日、語ります。とりあえず。 今回、催行いたしましたツアーには 前回、参加のおっとさまのほか、2名のエクアドル籍の方に参加していただきました。ありがとうございました。 今日と明日の2回に渡り、その報告を させていただきます。いきなりですが、おっとのいいところと悪いところ。1.すぐに誰とでも親しくなれる。(近所のおばさまたちから、ドウモの脇で酔っ払ってる浮浪者にいたるまで。)2.誰にも聞かれてもいないのに身の上話をしたがる。(特にイタリアに来てからの苦労話は悲壮感はないが、けなげに話すのでお涙を買う場合多し。) これを数少ない私の日本人の友達や、知り合いにもするときは、時に非常に恥ずかしい。私としては場合によっては、かっこをつけて、つきあいたいひともいるのだ。 おっとには、そんな間合いが通用しない。遭う人、遭う人に同じ態度で接するので、それで親しみが増すひとも増えれば、引かれてしまい、もう連絡も来なくなったひともいる。(涙) そんな調子で、ある日、おっとは仕事ででかけたとあるはじめての会社で待たされているとき、レセプションのおばさまに身の上話をしていた。 最近の話題と言えば、やはり滞在許可証のはなし。いつもの調子でけなげに。 「日曜の夜から並んで待つ覚悟です。でも、だめだったら、どうしよう。。。」 おばさんは気の毒そうにフンフン、と聞いていてこう切り出した。「うちの娘がね、実は警察前でBARをやっているのよ。彼女、そのおかげであの警察の警官とはみんな、顔見知りだし。。。何かあったら話してもらえるように言っとくわ。」と。 おっとは感激し、涙を浮かべて手を握り締め、「ありがとう!」と言ったのか?、とにかく帰宅後、私にうれしそうにその報告をした。 私はそんな話、信じられなかった。どうせ、お調子者のイタリア人が、そのときの感情で言っただけに決まってる。たとえ実際、娘さんに言ったとしても、彼女はおっととあったこともないのに、そんな親切なことを警察に言ってくれるもんか。 そして、いよいよツアー決行日の土曜日。私達は朝から書類を持って警察に出かけた。ツアーの予定表にはこの日は警察は予定に入っていないので、どうして?と思われるだろう。 土曜の朝はインフォメーションと、滞在許可証の受け取りだけができる。だから並んでいる人は多いけど、早い。月曜日に持っていく書類が正しいかどうか、聞きに行く為だ。おっとはまずBARに行こうと言う。行ってどうするの?絶対 時間の無駄ジャン?!とにかく2人でBARに入り、クロワッサンとカプチーノを頼む。おっとが「実は。。。」と切り出す。娘さん「あーあ、あんたね。母から聞いたわよ。そうそう、今朝、警官のひとりには言っといたんだけどね。」えー?ほんとに言ってくれたんだ??びっくり。でも、私は信用しないぞ。警官なんていいかげんだから、そんなどこにでもいる外国人の若造のために何にもしてくれるものか!と、そんなことは口に出さずお礼を言ってお金を払ってBARを出る。むすめさん「もし、何か問題が起きたら警官の名前を聞いといてすぐ、私のところに来て!!」 いっかいのBARのお姉さんなのに、偉いさんのような態度だ。わたしは思わず、ぷぷっと心の中で吹き出した。 警察に行って並ぶこと1時間。ぎりぎり閉門前に、私達の番が来た。 おっとは緊張でコチコチだ。彼は、BAR効果があるか、心配らしい。私はちっとも当てになんかしていない。 窓口の警官に引換券を渡し、アワアワと前回の説明をする。すると、この警官、引換券の名前をみて「あー、あんたがBARのマリーが言ってた。。。」と以前、提出してブロックされていた書類のファイルを取り出した。え?警官「書類をみせて。」彼はざっと目を通す。「OK。じゃあ、これはこっちで預かるよ。」と、ファイルにしまう。(普通なら土曜は受け取ってくれない!)これはしめた!コチコチおっとに代わり、ここでしっかりちゃっかりものの私が駄目押し。「私達、1ヶ月後に 日本に行かなければならず、急いでいるんですが。。。(本当です。)」警官「そう。じゃあ、1週間後に取りに来なさい。」と、ファイル棚にはファイルをしまわず、他の警官に「すぐ、やって。」とまわした。(意地悪な警官なら「おまえらみんな、おんなじことを言うんだ!」と構ってくれない。受け取りは更に3ヶ月後。)やったー!身体中から力が抜ける。今回は、前記したおっとの性格が、いい方向に出た!すぐにBARに飛んでいき、おっとははしゃいで報告をした。マリーさん「よかったね。」と自分の功績に得意げだ。本当にありがとう!おっとはシャンパンをお店のひとの分まで頼み、みんなで乾杯をした。 マリーさんのお母さんにも「やりましたよ!」とその場で電話で報告、そしてまたもやその場のみなさんに身の上話をし、マリーさんの弟が車の修理屋というので、このあいだ、換えたばっかりの車のオイル交換を頼む。まるで、イタリアの地中海地方のような持ちつ、持たれつ関係だ。私はそんな光景をちょっと、遠くから冷めた目でみていた。 来週行って、またもやダメ押しが出るかもしれないし、1週間で出来る、なんてコトバも信用できない。私は本物の滞在許可証を手にするまでは、まだまだ信じないぞ。 そんなわけで、ツアーは大幅変更。夜通し国際交流の時間はなくなり、警察見学は終了しました。しかし、ツアーはまだ続きます。その報告は また明日。
2004.06.21
コメント(19)
今日は旅行・海外情報の前日アクセス数、ぎりぎり50位入りを果たしました記念に、皆さんにビッグなツアーを計画しました!とても、ふつうのツアーじゃ味わえないスリルとサービス満点のツアーです。 しかも、ツアー代無料。(別途料金 別)自由参加制です。ぜひ、皆さんこぞって、どんどん参加してください!!開催!!「3日間 ミラノのインターナショナルなナイトライフと警察滞在許可証更新やりなおし 体験見学ツアー」予定表6月19日(土) 23時半 ミラノ ナビリオ運河沿いのラテンディスコ(クラブじゃないよ) 「マチルダ」集合 (入場料、ドリンク代は各自負担)皆さんにサルサ、バッチャータのプロ、おっと先生と、お店のお姉さんたちが懇切丁寧に踊りをレッスンいたします。(オプショナルツアー 屋台のパニーノ屋さんめぐり(別途料金))6月20日(日) 3時 マチルダ閉店と共に ワゴン車にてIkukito宅へ移動。5時 Ikukito宅着 Ikukito宅泊。(イタリアン式朝食(ビスケットとカフェラッテおかわり自由)込み 部屋にシャワー、トイレ付き。)18時 起床。19時 Ikukito宅にて軽い夕食。(季節メニュー メロンと生ハム 変更の可能性有り) 21時 警察前着。ここでは、アフリカ、旧東欧、南米、アジアなどのインターナショナルな人々との交流を夜通しお楽しみいただけます。(残念ながら席順に関しましては予約制ではないので、席を離れることなく、お待ちください。)*初夏とはいえ、夜は冷えますので 毛布の他に、ござ、おつまみ、お飲み物、ポケットゲーム、トランプ、書籍等をご持参することをお薦めします。6月21日(月)9時 警察の開門と同時にお入りください。(入場無料)外国人の滞在許可証更新の仕方を見学いただけます。厳正な場所なので、お静かに願います。警官にご質問の際には私が通訳いたします。もし、不都合が生じた場合は、ワタクシが責任を持って、キレさせていただきます。(この場合は天候しだいで、つまみ出しシーン、またはイタリア政府より、永久日本行きの飛行機のチケットの引換券をいただけるシーンがみられるかもしれません。)12時 警察より退出。解散。お疲れ様でした。ツアー変更のお知らせとおわび。 昨日催行しました1日ツアーでは、ワタクシの調査不足のため、警察前への到着時間が大幅に遅れてしまい、警察開門同日の 朝の5時になってしまいました。 すでに長蛇の列の為、ツアーに参加していただいたおっと様には、定員オーバーのため、その日のうちにお入りになっていただけなかったので、今回は調査を取って3日間ツアーに延長、警察前集合は前日21時必須とさせていただきます。遅れないようお願いします。申し訳ございませんでした。なにとぞ、ご了承願います。ツアーの主旨をよりよくお知りになりたい場合は、過去の日記一覧より滞在許可証 http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200403110000/ ダメだったら。。。。どうしよう? http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200406070000/ 朗報です! http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200406080000/ をお読みになってください。ついでにラテンディスコ「マチルダ」についてお知りになりたい方はラテンディスコの意外な夜 http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200405240000/ です。以上。敬具6月18日 いくきーと******************** 今日は、たった一匹の金魚なのにいなくなると、うちになんだか、ぽっかり穴が開いたような空虚感。ちょっとさびしい。 そう、昨日、帰宅すると 赤い金魚は最後に見たのと同じ状態で、もう息をしていませんでした。もう、そろそろじゃないかな?と覚悟してたのであまり悲しくはなかったです。 おっとに「なんとかしてね。」と言って様子をみていました。と、いうのは 私のまわりのイタリア人は 死んだ金魚をトイレに流したり、ゴミ箱に捨てたり。猫にいたっては過去の日記に書いたように、冷凍庫に長期保存するというあまりにもの デリケートなワタクシのメンタリティーでは理解しかねる行動をするので。 おっとは手でそっと金魚をすくいあげ、いとおしそうにソッとナデナデしてから、ベランダの一番大きなゼラニウムの鉢植えの土に埋めて、花を一輪、土の上に添えていました。 そして「こうすれば、金魚も花もよろこぶよね?」と。なんだかとてもうれしかった。おっとを見直しました。
2004.06.18
コメント(30)
昨日の日記を読んでくださった方、ご心配おかけしました。朗報です! 昨日、おっとは警察でもらった書類のリストを持って、険しい顔をして、さっそく会社にかけあいに行った。 ミラノの果ての果てーーの、超ど田舎の営業所とはいえ、とりあえず名の通った外資系企業。 ここのところ、同じ問題を抱える契約外国人社員からも「おねげえでございます。」が相次いでおり、会社としてもこれは無視の出来ない問題だったようだ。 さっそく話し合いが行われ、直訳すると「無期限 共同経営 正社員契約書」なるものを今週中に出してもらえることになった!なんか、ふつうの正社員契約書より、強そうだ。大いにこの契約書に 期待する! しかし、ここでちょっとは安心したが、今週末、警察に行って確認してもらわないかぎり、まだまだ 手放しでは喜べない。 おっとの同僚たちに 言わせると、私たちのケースはまだ、シンプルらしい。結婚前、私は自分個人の滞在許可証をもって自力で生活していたので、私については過去の法律のときに揃えた許可証の種類換えの書類だけでいいみたいだ。 だが、多くのおっとの同僚の奥様たちは、祖国からの呼び寄せや、(そういえば、昨日コメント下さった方も大変のようですね。)わけあり状態での結婚なので、これも手続きが 更にややこしいらしい。 まさにイタリアが、ありとあらゆる法的手段を使って 外国人を追い出しにかかっているのが ひしひし伝わってくる。もし、ここに訪れた イタリアに不法滞在している日本人の方、ひとごとじゃないです。滞在許可証の申請、更新はきっちりと!それと、この日記をここまで読んでくれたみなさん、お願いです、うまく行くよう祈ってくださいね!!(って 決して 新興宗教じゃないですよ。)* ****************************今日中に、更にえげつないことが起こらない限り、次回からは ふつうの日記を書きます。昨日、今日と重くてごめんなさい。予告 ひさびさのお料理きょうしつ。仮題「なんちゃってエクアドル料理 パート2と小アクマ、ミッシェルちゃんの話」です。
2004.06.08
コメント(13)
呪いはまだ 続いているようだ。(しつこいって?) 今、ミラノは総選挙の真っ最中である。今週末がその投票日。ここのところチビでブサイクのベルルスコーニ首相の写真合成で整形した天使のような顔や、どうみても腹黒そうな政治家の無理やりつくりわらいの顔のポスターをあちこちでみかける。 イタリアは日本みたいに「◎◎党のXXXでございます、どうか清き一票を!」なんてトラックで街をまわって騒音を振り撒かないからいい。 そのかわり毎日郵便受けは政治家のちらしやおまけの小さなお菓子の包みでいっぱいだ。(こっちは贈賄にならないんだろうか?) そのなかにひとつ、不愉快なものがあった。アパートの管理人は無差別に入れていくんだろうが。。。。「犯罪者、ジプシー、移民があなたの家に浸透しつつあります。我々で阻止しましょう!左派 XXXX」犯罪者、ジプシー、はわかる。なんで移民まで? 移民とはきちんとした手続きをとって在住しているんだよ? 私は政治はわからないけど 極右派ネオナチスがファシズムを復活させたがっていてイタリアを純イタリア人のみの国家にさせたがっているとか、EU統合を期にあちこちの党が純ヨーロッパ人のみのイタリアにさせたがっていると聞いた。だからか?最近、イタリアは留学に来るのも至難の業だと誰かが言っていた。本題に入ると。 土曜日、申請していた滞在許可証の受理に行って来た。イタリアにお住まいでない方、駐在員、イタリア人妻のかたはご存知ないかもしれないが、まさに至難の業で、去年から、3月の申請までに気の遠くなるような時間を費やし、書類を揃え、申請時にもめたものの、めでたく2ヵ月後の引換券を手にすることができた。(興味のある方は 過去の日記「滞在許可証」を読んでね。) 引換券を手にすることで私たちはすっかり安心していた。「2ヵ月後に来てください。」と言われたが、ここはイタリア。信用できないので3ヶ月待って、でかけた。 警察は毎朝、たくさんの滞在許可証のために訪れる外国人でいつも長い列が果てしなく続いている。列に並んで待っていると1人の警官が出てきて「今日は3月12日までに申請していた者しか受け付けない。それ以外はとっとと帰れ!」と叫ぶ。あいかわらず態度がでかい。 私たちの引換券は3月10日。やっぱり3ヵ月後に来て正解だった。3分の1ほどの外国人がブーブー言いながら 帰っていった。そしてわたしたちの番が来た。 今日の窓口はふつうの態度の女警官。私たちから引換券を受け取り、書類の棚から私たちの名前の書いたファイルを取り出した。やったー!出来てる。うれしかった。いままで滞在許可証がないために 私はクルマの免許もとれないし、お買い物をローンで出来ないし、不便なことづくめだったのだ。ところが。女警官「あら、まだ、出来てない?」え?どうして???彼女はなにか書類の上に書き付けられたメモに目を通す。「あ、わかりました。えーとですね、旦那さんは去年、正社員から自営業にかわられたんですね。」「そうです。」「ただ今、移民法の見直しがされておりまして外国人は企業の正社員のみに滞在許可証を出すか、出さないかで議論されているところです。今、確実な手は、どこかで正社員採用にしてもらうか、今はとりあえず「無職」(!!)の滞在許可証を取り、新しい法律が出るのを待って、それに従って、はじめからやりなおしてください。」なんじゃー、そりゃ?!去年から今までの苦労はいったいなんだったわけ?すぐに察しがついた。つまり、前記した選挙のころがり方しだいで私たちの運命が決まるのだ。クラクラした。いますぐ、どこかで正社員採用なんて、イタリア人でも失業者であふれているミラノ、神業に等しい。でも変だ、だからイタリアってやってられない。きちんと(今までの)法律に従って、正しく働いているのに。。。くやしいけど「無職」の滞在許可証を取って待とう。と、夫はその場で申請用紙に書き込みはじめる。女警官「あ、お待ちなさい。無職にしたら扶養家族の奥さんの扶養資格を失って、おくさん、日本に帰らなければいけないわ!」という。じょ、じょうだんじゃない。日本に帰れてうれしいのは バカンスの時だけだ!「じゃあ、いったいどうすれば。。。?」困ってわかりきった質問をつい、してしまう。「正社員しか道はないですね。」ガーン。まさに袋小路状態である。今日、おっとは契約で働いている会社に書類上だけでも正社員にしてもらえるかどうか、聞きに行く。たぶん、ダメだと思うけど、ダメだったら。。。。どうしよう?
2004.06.07
コメント(14)
昨日は警察に夫の滞在許可証の更新と私のはじめての扶養家族届けを出しに行きました。とにかくイタリアに住んで何がイヤかって、毎年の滞在許可証の更新。今回、私の滞在許可証は切れてから4ヶ月。なぜ、こんなに放って置いたかというと、保護者の夫の書類を揃えるのに超長い期間を要したから。しかし、3件もいろいろな警察をたらいまわしにされて全ての警察にイタリアで結婚した場合は切れて1年は大丈夫と言われてたので準備を万全に整え、朝の5時から列に並んで待ちました。8時半。警察が開いていよいよ待ちに待った手続きのはじまり。窓口には若い体育会系の警官。私たちの前の家族は「パスポートは!?」「だんなの給与明細は!?」と偉そうに叫ばれてあたふたと提出している。この家族、要領が悪いなーと思ってみていたが、実はそれは大きな勘違いだった。。。。 私たちの番になり、まず夫が全ての書類をまとめたファイルを取り出すか、取り出さないうちに「パスポート!!」「給与明細!!」と叫び始め、きれいに順序よくまとめたものがどんどん崩れていく。警官も最後のほうは「自営業の許可証のコピーは!」「さっき、渡しましたけど!?」と混乱状態。でも、やっとのことで終了。そして私の番。最初に私の4ヶ月前に切れた滞在許可証をみるなり、「あんた!これは4ヶ月も前に切れている!切れてからイタリアにいれるのは最高2ヶ月までだ。自分の国に帰れ!」と叫ぶものだからびっくりして「警察でイタリアで結婚した場合は切れて1年は大丈夫、といわれたんですけど。」「誰に聞いた?掃除のおばさんか?それともその場にいた黒人か?」。。。これにはすっかりあきれ、彼をにらんで、「あなたたちがたらいまわしにした各警察のインフォメーションで聞きました。」と答えると、なんと人差し指でクイクイっと窓口の近くまで招き寄せ、すごい顔で私をにらみ、小声で「ねえちゃん、おれをおこらせるなよ。」と。まるで、やくざじゃない!私も怒ってにらみ返し、夫をみると蒼白な顔をしてかたまっているので引き下がりました。このやくざな警官もどうもだんだん、自分が間違えてたことに気づいたらしく黙々と他の書類に目を通し、やっと新しい滞在許可証の引換券を手にすることができました。しかし、このやりとり、テープレコーダーを持ってきていたら、録音してTVの告発番組に投書してやりたかった。またこの更新が来年もあると思うと。。。憂鬱になります。こんどは絶対、全部録音してやる!
2004.03.11
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1