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「芸術家は、自分の作中人物や彼らの話の内容裁判官であるべきではなく、ただ公平な証人であるべきです・・・・・・私の仕事はただ才能ある人間であること、つまり重要な供述と重要でない供述とを分け、人物に光をあてて、彼らのことばで話すことにあります。」一見、劇的人物ではなく、市井の人間をただ記述するだけで戯曲を書いたチェーホフと岡田の思考は同一に見える。しかし、サハリンへの旅を経て「中心の喪失」ではなく「中心の偏在」という真理を目の当たりにしたチェーホフは、それまでのロシア文学では表現できない新しい形式を持ち出す必然性があった。( 現在形の批評#19 参照)それは演劇史的にも社会史的にも革命であったのだが、岡田の方法は膨大に横たわる演劇史の重みを容易に無視し、単なるスタイルの新規さを探した結果生まれたものでしかないのではないか。確かにスタイルとしては全く新しいが、そこに岡田の人間存在への思想が透けて見えてこない。以上の理由から、私は睡魔に襲われたのである。舞台上の「死に体の俳優」から、そんなに簡単に演劇史って無視できるのか、人間をそんなに容易に信頼してもいいのかとの思いを抱いた。