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アンソニーは、洋服や靴等をほとんど買わない。おしゃれに興味がないので、着れるもの、履けるものがあれば、それでいいタイプ。職場にも、ティシャツとジーパンで通っているので、ラクチンだ。ティシャツや靴下に穴が開いていても、気にしない。さすがに、職場には、穴の開いたティシャツは着ていかないが、私の友達が来るときぐらい、気を使ってくれよ~穴の開いていないのがあるだろうが~。本人は『通気性がいいのさっ!』と、おかまいなし。そういう感じなので、彼に黙って、穴の開いた衣類を始末しなければならない。そんな、アンソニーが、ついに夏のスーツを買わなければいけない時がやって来た。教え子が大学院の学位発表をするので、その審査員を勤めなければいけなくなった。今までも何回か、そう言う機会はあったのだが、いつも秋か冬で、一丁裏のスーツで間に合って来たのだった。今回は、夏なので、冬のスーツでいく事は出来ない。しぶしぶ、リスボンの南部のアウトレットモールにお買い物に出かけた。彼は、洋服を選んだりするのが、大嫌い。ちゃんと吟味するのも嫌みたい。自分のカメラなら、とことん吟味するくせにー。アンソニーは、スーツ、シャツ、ベルトをお買い上げ。更に、靴を2足買った。私は、何も収穫なし。意気込んで行っても、何もめぼしいものもなく、人の買い物している姿をみるのはつまらないものだ。彼の場合、洋服や靴を買いに行く事は滅多に無いので、この際、いろいろ買って欲しかったのだ。靴は、aerosole。男性部門が製造中止になると言う事で、80ユーロ(11200円)の靴が30ユーロ(4200円)だった。アンソニーは、2足のうちどちらにするか悩んでいたようだが、『安いし、折角なので、2足かったら~』という私の勧め通り、2足買った。翌日、アンソニーはそのうちの一足を履いて、職場へ行った。帰宅後、靴の縫い目がぱっかり開いていた。『不良品じゃないー!お金返してもらったら?』と、私は言ったのだが、彼はあのメーカーの靴を気に入ったらしい。底がやわらかく、ぴったり足にフィットして、よかったようだ。店に電話をかけたら、同じ色同じサイズが、まだ残っていたので、翌週取り替えにいくことになった。それが、昨日。アウトレットモールは、家から30キロ弱のところにある。そんなに遠くないが、わざわざ靴のみを取り替えにいくのは、損をしたような気分になる。それに、先週、私には何の収穫も無い事が分かっているし、、、目的の店に行って、靴を交換。すると、私の目に、『10ユーロ』という値段表が飛び込んで来た。男性の靴が80ユーロから、10ユーロ(1400円)に値下がりしている。先週は30ユーロだったのに。。。アンソニーも、わざわざここまで来たんだから、この機会にもう一足買おうと思ったようだ。前回買った色違いの靴を購入した。一気に、靴の数が増えたアンソニー。イメルダ婦人か、君は。。。帰宅途中、車の中で、『10ユーロだって、アンソニー。安かったねー。もし、今度靴が壊れても、もう戻ってこない方がいいんじゃない?ガソリン代の方が、高くつくんじゃない?』往復60キロ弱なので、実際は、そこまでかからないのだが、冗談でそんなことを話した。帰宅し、アンソニーは靴をしまいに、靴置き場の方へ行った。しばらくすると、情けない声で『小町ちゃ~ん、またあのモールへ行かなくちゃいけないよ~。』と、言った。何を冗談を言っているのか?彼のところに行くと、同じサイズなのだが、二つの左足用の靴が並んでいた。がびょ~ん。。。確認しなかったお店の人の責任だと思うけど、、、、前回彼の買った靴と同じタイプだったと言う事で、試し履きはせず、箱を開けて見ず買ってしまった我々の責任でもあるのか?お店に電話したところ、多分、右と右を買った人がいるはずだけど、未だに連絡は無いとのこと。同じタイプで別の色を確保しておいてくれるという。てなわけで、、、我々は、来週、3回目のアウトレットモール参上となる。うえーん。嬉しくないよお。。。
2006年07月16日
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日本は暑いようだが、ポルも負けてはいない。リスボンで36度、友達の住んでいる南部では41度だそうだ。いつもなら、昼間は、雨戸を閉めて、涼しくなる夜になって窓を開けて、家を冷まし、クーラーが無くても快適に寝れる。石造りの家が多いので、この方法でも、室内は十分ヒンヤリしている。しかし、ここ最近、夜も暑い。ポルの田舎では、クーラーなんて無い家が多いと思うので、皆、寝苦しい夜を送っているのではないだろうか?アンソニーは、分厚い肉襦袢を着ているので、冬は暖かいが、夏は非常にやっかい熱い存在だ。寝る時に、ちょっとでも肌に触れていたら、こっちまで汗をかいてしまう。だから、寝る時は、ベッドの端と端。絶対に触れない。時々、一人で寝ているような気分になる。冬には、彼の肉襦袢で暖をとるため、密着度が高いが、夏はそう言う訳にはいかない。なんたって、家にはクーラーなる文明の利器がないのだから、、、夏には、クーラーの無いカップルの親密度が減るのは、我々だけではないはずだ。。。
2006年07月14日
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ポルでは、6月の下旬から長ーい夏休みが始まっている。街やスーパーにも、お子様達があふれている。新学期は、9月の初め頃。こんなに長い夏休みに、ポルのお子様達は何をするんだろう。退屈になってしまわないかな?今日、大きなスーパーマーケットに買い物に行ったら、女性店員の後に続く可愛い女の子を発見。7、8歳の女の子は、母と思われる店員さんのお手伝いをしていた。精肉コーナーで働く母と一緒に、パックに入った肉をきれいに並べていた。乳製品コーナーでは、10歳位の男の子が、牛乳を荷台で運ぶ女性店員のあとをちょこちょこついて行ったいた。この男の子も、手伝いをするのだろうか?ポルは、経済的な理由から、夫婦共働きが多い。子供を見てくれる場所が無い場合や、おじいさんおばあさんが近くにいない場合は、大変だ。家に一人で幼い子供を置いておけないので、母が職場につれてきたのだろう。ポルでは、よく学校の先生がストをするのだが、そういう時も共働きの家は打撃を受ける。前も、ニュースで、先生のストで学校が閉鎖になった時に、クリーニング店で働く女性が、子供を仕事場に連れて来ていた映像が流れていたっけ。。。もちろん、子供をしょっちゅう仕事場に連れて来ている訳ではないとは思うが、ポルでは、そういうことには寛容なのかなーと思ったりする。今は、とても暑いので、冷房の効いたスーパーで、お母さんと一緒に手伝っている方が、涼しくていいのかもしれない。巷では、親にとって大変な、子供の夏休みが始まっているのだ。
2006年07月13日
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ニュースで、ポルトガル国籍取得を申請していたインド人女性の要求が却下されたことを取り上げていた。このインド人女性は、リスボン市内に住んで、10年目。二人の子どもも、こちらで産まれた。ポル国籍取得にあたって、担当の弁護士のインタビューがあったらしい。質問は以下の内容。『現在の首相の名前は?』『現在の大統領の名前は?』『ポルのクリスマスの代表料理は?』ここまでは、まあまあの質問。『カモインスって誰?』(ポルの有名な詩人)彼女は答えられなかった。『インドまでの航路を発見したのは誰?』(バスコ・ダ・ガマ)インド人の彼女は知らなかったようだ。『最初のポルトガルの王は誰?』これは、外人には難しいな。そして、弁護士は彼女に『国歌を歌ってください』と言った。彼女は歌えなかった弁護士の判断で、彼女はポル国籍を取得出来なかった。知り合いのドイツ人女性は、あっさりポル国籍を取得した。人種差別?ま、ポルでは、役所の変な弁護士に当たると、こういうことになる。そう我々の結婚も、担当弁護士のお陰ですったもんだしたもの。可笑しいのが、ニュースの続き。街頭で、道行くポル人に、同じ内容の質問をした。バスコ・ダ・ガマを答えられない。最初の王も、みんなあやふや。大統領、首相の名前を間違う人までいた。国歌は、年配の人は歌えたが、若い女性は『歌えません』と言っていた。1974年に起こった革命前までは、学校で国歌を歌わされていたが、その後は、その傾向は薄れて来たようだ。ポルトガル国歌ねえ。。。もちろん知らないし、知ろうと思った事も無いなあ。。。私は日本国籍のままでいいですーー。
2006年07月12日
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アンソニーは写真が好き。貧乏だったにもかかわらず、昔から良いカメラを買って、様々な写真を撮り続けて来た。撮った写真、スライドの数はすごいものだ。今は、デジカメで、コンピューターの中に保存出来たり、CDまたはDVDに焼き付けて保存出来るから非常に便利だ。古い写真やスライドは、年々痛んで来るので、どうにかしなくてはいけない。今、我々は、昔撮った写真やスライドをスキャンして、コンピューターに落とす作業をしている。すごい時代がかったファッション、若かりし頃の見知った顔がどんどんでてくる。すっごく可笑しい。大笑い。誰ですか~、このスレンダーでハンサムな男性は?アンソニーさんでしたーそこには、20年前のアンソニーが!!そのまま行ってたら、ポル版、アントニオ・バンデラスだったかも(ちょっと、嘘ついてますね、私)今は、西郷ドンと呼ばれるアンソニーも、お腹がでていなくて、とってもハンサム。信じられない。当時に出会っていなかったのが悔やまれるが、出会っていても、お互い好きにはならなかったかも、、、お腹の出たアンソニーを好きになってしまったのだから。。。人生は分からないものだ。アンソニーの元パートナーとの写真もたくさんあった。唯一悔やまれるのが、ニーナの子犬時代を知らない事。小さくて真っ黒けなニーナちゃん。階段を一段も上れないぐらいの赤ちゃんニーナ。今では想像出来ない。。。今は、亡くなってしまった近所のお年寄り連中、31歳にして亡くなったアンソニーの大親友、連絡を失ってしまった当時の友達達、旅行の話等、アンソニーはいろいろ説明を加えながら、懐かしそうに眺めている。彼と一緒だと、全然、作業が進まないので、彼が居ない時に、私が機械的にスキャンだけすることにした。私の知らないアンソニーの過去を見て、『すべてはtempoなんだなー』と思った。ポル語で『tempo』とは、『時間』という意味の他に『空間』という意味もある。今ここにはない遠い時間と空間。良い言葉だな。
2006年07月11日
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ポル対ドイツの試合のあった日、我々は、ポル南部、アレンテージョ地方にドライブに出かけた。途中、友人の家を訪問して、お喋りをしているうちに、帰宅が遅くなってしまった。当初は、ポル対ドイツの試合開始前には、家に戻って来るはずだったのに、試合は、車の中のラジオで聞くはめになった。テレビの試合中継は、そんなに喋らないし、目で見て、何が起こっているのか分かるから、アナウンサーが喋る言葉は、あまり気にした事はない。しかし、ラジオのサッカー中継は、非常に大変だ。すごい喋りまくるし、集中力が必要だ。早口だし、未だに理解出来ないところがたくさんだ。ひとつだけ、気になった事があった。ポル対ドイツ戦の主審は、日本人だったようだ。ポル側が一方的に喋っているし、実際の映像を見た訳でないからよく分からないけど、主審がドイツ側に有利な判断をしていると、アナウンサーは言っていた。これは本当かどうか分からない。テレビを見ていた人だけがわかるのだろう。怒ったアナウンサーは、『日本人は、bicoのような目を持っているから、反則が見分けられないのかーー!』みたいな事を言っていた。『bico』とは、とりのくちばしのこと、先端の尖っているものなどのことを言う。『ふーーん、どうせ日本人は、目が細いわよ』と、憤慨してしまった私。主審の判定とは関係なく、ドイツ側がゴールを決めて、結局勝利したらしい。ポルが負けたのは残念だったけど、ドイツが自力で点を取ってくれたので良かった。もし、日本人主審がドイツ側に肩入れして、PKでも決められた日には、私は外出出来なくなる。石を投げられるかもしれない。。。やはり、いつでも日本人は『目が細い』ということで、いじめられるのだろうな、と思った瞬間である。ふ~ん!!
2006年07月09日
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朝、庭に出ると、疲れきった表情のニーナがいた。『あ、こいつ寝てないなー。』というのが、すぐ分かる。何が原因か探らなくてはいけない。ニーナの誘導のもと、庭の隅っこにいくと、『にゃー、にゃー』と、小さな可愛らしい声が聞こえて来た。ニーナは、この存在が気になって、一晩中パトロールを続けていたのだ。アンソニーに報告すると、『昨日、大きなネコが、隅から飛び出して行くのが見えた。メスネコだったら、あそこで子猫を生んだら困るなーって思っていたんだ』との返事が返って来た。庭の隅っこには、スプリンクラーがあり、その機械を保護するように、犬小屋を小さくしたようなものが被さっている。音の主は、その中にいる。アンソニーと恐る恐るその小屋を取り除くと、一匹の子猫がいた。メスネコだった。ニーナを飼うまでは、ずーっと何匹ものネコを飼っていたネコ博士のアンソニーによると、・生後2週間位・栄養状態は良い・母ネコは、飼い猫で、ノミ対策をうけているようだ(子猫には一匹のノミもついていなかった)・今いる状況が悪くなったので、子猫をつれて別の場所に来た・他の兄弟もつれて来るはずだったが、途中でニーナに見つかり断念したのだろうと言うことだった。母ネコは、ニーナが怖くて、小屋に近づけず、ミルクも与えられず、放置してしまったらしい。子猫は、空腹からか、独りぼっちで怖いのか、甲高い声で『にゃー、にゃー』鳴き続けた。アンソニーが、子猫を抱くと、ニーナが嫉妬する。非常にきれいなネコだったので、アンソニーは家で飼いたかったようだ。子猫とニーナを対面させてみたが、ニーナの嫉妬で、子猫が攻撃されるかもしれなかったので、断念した。ニーナは、アンソニーが触れる動物は皆、敵と思っているから、、、とりあえず、子猫を家に入れ、注射筒を使い、ミルクを与えた。飲んだ事は飲んだのだが、まだまだ、母親のおっぱいが必要なようだ。うまく飲めない。我々だけでは、育てられないということも、分かった。ミルクを飲んだら、アンソニーの肉厚の手のひらの上で、丸くなって寝始めた。一晩中、眠れなかったのかもしれない。暖かい手のひらで、すやすや寝ていた。しばらくして起きると、アンソニーの腕づたいに這い始めた。毛深い腕を母と思っているのか、アンソニーの腕をぺろぺろ舐め始めた。大笑い。あまりに甲高い声で鳴くので、アンソニーが『尿がでないのかな?』と、尿の出る部分をマッサージして、排尿を促してやると、おとなしくなった。(アンソニーの手の中で排尿完了)さすがネコ博士。小さな箱に入れると、恋しがって鳴き始める。アンソニーは家で仕事をしていたのだが、その声が気になって、集中出来ないようだ。何回も、覗きに行っていたっけ。夜、隣の家の庭に、子猫の入った箱を置かせてもらう事にした。子猫の鳴き声を聞いて、母ネコが迎えにくるかもしれないからだ。うちの庭に子猫の入った箱を置いたら、ニーナの攻撃を受けてしまう。夜、お別れの前に、また2人の共同作業で、子猫にミルクを与えた。『さようなら~』アンソニーは一人で、隣の家に、子猫の入った箱を置きに行った。ちょっと、寂しそう。その後、夜中の3時まで、甲高い声で、 『にゃー、にゃー』鳴き続けていた。可哀想だったけど、『母ネコが迎えに来てくれますように』と祈りながら寝た。翌朝、子猫の姿はなかった。隣の人も、朝早く、庭を探したが、どこにもいなかったと言っていた。道路で、事故に遭った様子もない。子猫は、まだほとんど歩けなかったし、何しろ、あの箱は、高さがあり、子猫一人では、到底越えられない。我々は、絶対母ネコが、つれに来たのだと、確信している。箱には、尿の後が、3カ所あったことを報告すると、アンソニーは『我々が与えた水分は十分だったんだね。』と言っていた。なるほど。。。なんだか、2人で寂しくなってしまった。でも、家では、ニーナがいるので飼えない。まだまだ、母ネコが必要なぐらい小さかった。以上の事を考えると、これでよかったのだ。今は、母ネコと一緒なのだ。それが一番だ。よかった。。。いつかこの辺りで、また会えるだろうか?それにしても、可愛かったなあ~。
2006年07月07日
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昨夜、ポル対フランスの試合があった。わくわくドキドキしながら、皆、日中を過ごしたに違いない。お昼のニュースを見ていたら、面白いことを言っていた。心血管系の専門医が出て来て、『今夜の試合は非常に危険だ。』と話し始めた。ポル人は、塩分のきいた食事が好きなので、それに伴う高血圧症の人が多い。それに、サッカーの試合のテレビ観戦中も、ビールを飲み過ぎたり、煙草を吸いまくったりしているだろう。そこに、異常な興奮が加わると、心血管系の機能に破綻をきたすと言う訳だ。これは『心臓発作注意報!』だ!!日本では、光化学スモッグ注意報や大雨洪水注意報、高波注意報など、自然災害関係の注意報ぐらいしか聞いた事ないぞー。心臓発作注意報なんて初めて聞いた。これは、すぐかーっとなりやすい『ラテンの血』のことを言っているのかな。昨夜は、試合前半で、フランスにPKを決められ、そのまま終わってしまった。これが、前回のイングランド戦のように、延長の末のPK戦になったら、異常な興奮状態のもと、ラテンの血が騒いで、危ない目にあっていた人も多かったのではないか。。。もしかして、あの日に、病院に運び込まれた人が多いから、ニュースで医者が警告を出しているのかもしれない。昨夜はあっさり負けちゃったけど、命拾いをした人もいるのでは、、、試合を見るため帰路を急いで、事故に遭った人もいたみたい。ラテンの血は、いつでも熱いのだ。
2006年07月06日
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前回の美容院の続きなのだが、、、カット予約の電話はかけずに、買い物帰りにぶらっと美容院に立ち寄って、直接予約を取った。そのとき、美容院の内装が新しくなっているのに気が付いた。その後になって、きっとカット料金が値上がりしているような気がした。案の定、すべての料金が値上がりしていた。その値上がり具合は、ひどいものだった。な、なんと、23%の上昇ですよっ、奥さん!!これって、ひどくない?ここは田舎なので、値上がった金額も、リスボンの美容院の値段に比べたら安いのだろうけど、値段を聞いてびっくりした。最後にあの美容院に行ったのは、3月。その時は、まだ前の値段のままだった。日本帰国時に、美容院にいったので、今回は4ヶ月ぶりにその美容院を訪ねた訳だ。4ヶ月で、23%の上昇なんて聞いた事がない。バスやメトロの値段だって、一年でいつも5%以下の上昇のはず。突然の23%の値上がりも、市の許可をもらっているので、違法ではないようだ。4年前にここに来た時から比べて、物価は非常に上昇している。物価上昇のわりには、給料はそんなに変わっていないのではないか?大丈夫かな?ポル経済。。。
2006年07月05日
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近所に行きつけの美容院がある。田舎のサロンといったところか、、、客だか友達だか、いつも大勢がいて、楽しそうにお喋りしている。今日は、がら~んとしている。そこの美容院を経営する太った女主人しかいなかった。私の担当のもう一人の美容師さんは、足を手術したとかで、長期のお休み。シャンプーをするアシスタントは、すでに夏休みを取っていた。しょうがないので、その女主人に髪を切ってもらう事にした。そこの女主人は、非常にデブなのである。今は死語である『百貫デブ』と言う言葉を思い出す程。ちなみに、百貫とは、375キロらしい。もちろん彼女は、そんなに太っていないが、130キロは超えていたように思う。(他の130キロの女性を知っているので、、、)暑い狭い場所で、彼女が作業中、彼女のおっぱいやらお腹にバフバフあたるのが嫌だなー、と思っていた。でも、今回はそんな事はなく、いつも暑苦しく見えた彼女が、すっきり見えたのだ。顔が痩せたのかな。髪の毛も、ショートで、栗毛色にきれいに染めている。太っているのだけど、すっきり見える。他に客もいなかったので、彼女が私にいろいろ話し始めた。彼女は、痩せる為にオペをしたのだ。『胃のバイパス手術』、簡単に言うと、胃のある部分にバンドを巻いて、食物が入る胃の大きさを小さくするのだ。これは、ポルでもよく行われているオペらしい。ダイエットでもどうにもならない極度の肥満に対する最終手段かな。彼女がオペをしたのは、3ヶ月前。オペ自体は、簡単だったようだ。腹腔鏡でオペをするので、傷は小さくて済んだ。オペは外科医の他に、栄養士、精神科医などがチームとなって、オペ前後の患者をフォローする。オペ後一ヶ月は、食事が厳しくコントロールされている。1週目は、液体ものだけ(ヨーグルトドリンクやスープ)、2週目は、柔らかいヨーグルトのような固形もの、などなど。現在は、この厳しいコントロールはないが、ある量を食べると、すぐお腹がいっぱいになるのだそうだ。そんなに食欲が湧かないらしい。もちろん、毎日歩くなど、運動もしている。このオペ後、31キロ痩せたそうだ!すごい。ま、何せ、もとの体重がすごいからね、31キロ痩せた今でも、おデブなんだけど、、、かなり痩せたのだ。その前は、極度の肥満で、かがむ事が出来ず、家事などは、ほとんど出来なかったようだ。今は、出来る事が増えてきたそうだ。そばにいた娘が、口を挟んだ。『お母さんの機嫌もいいのよ。』なるほどね。前まで、苦虫をつぶしたような顔をして働いていたっけ。。。髪の毛も、明るめに染めて、口数も多い今日は、素敵に見える。それに、美容院の内装をがらっと変えた。今までは、田舎のサロン風だったけど、今は、美容院って呼んでもいいかもしれない。肥満対策オペは、体重減少だけではなく、彼女の精神状態に良い効果をもたらしているようだ。よかった、よかった。ポルは、このオペを待っている患者がたくさんいるそうだ。公立病院でのオペは、3年待ちとも、5年待ちとも言われている。肥満に悩んでいて、オペを受ける決心がついても、すぐオペ出来る訳じゃない。何事も大変なのだ。その女主人の20歳の娘さん、顔は可愛いのだけど、体が母そっくり。オペまで、同じ道を歩まないように、注意してね。
2006年07月03日
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昨日のポル対イングランド戦は面白かった。延長戦に入り、興奮して応援している時に、電話がなった。『こんな大事な時に、電話をかけて来るなんて、どこのバカちんだ?』と、アンソニー。本当に面白い最中だったので、2人で電話を無視する事に決めた。すると、一度切れて、再び電話がなった。あまりにしつこいので、私が『どこのバカちんか見てみるね』と、電話のディスプレイ表示を見に行った。すると、バカちんは、アンソニーの実家だった。あわてて受話器をとると、お義母さん『元気かい?』私『げ、元気ですけど、今、お義母さんテレビ見ていないんですか?』お義母さん『見てるけど、今はインターバルだろ。突然、あんた達のこと思い出して電話しているんだよ。元気でやっているかどうか知りたくてー。』私『ううーっ!ありがとうございますー。こんな大事な時に』今は、試合の真っ最中。彼女は、インターバルと言った。彼女の住んでいる田舎とここで、テレビ受信に時差があるのか???頭の中は『???』だらけだったが、アンソニーに受話器を投げ渡して、急いでテレビに戻った。アンソニーから聞いた話は以下の通り。お義父さんとお義母さんは2人でサッカーを見ていた。延長戦に入る前に、コマーシャルが始まったので、お義母さんは、トイレに行った。お義父さんは、チャンネルを変えて、他の番組を見始め、サッカーの事を忘れて、別の番組を見続けた。何も知らないお義母さんは、トイレから戻って来て、いつ試合が始まるのかなーと思いつつ、2人で別の番組を見続けた。はああ~。。。延長戦前の休憩が30分とでも思っていたのだろうか?でも、お義母さんが、うちに電話をかけたから、急いでチャンネルを変えて、試合の最後だけを見る事が出来た。よかったですね~、お義母さん。もし、彼女が電話をかけなかったら、すべて終了していただろう。老夫婦で醜い言い争いになっていたことは、間違いない。お義父さんも、いい感じでボケてるし、、、お義母さんも、それを知りながら、旦那のことを信じちゃう。老夫婦とはこんなものだろうか?
2006年07月02日
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我々は、毎晩ワインを開ける訳ではない。だから、ワインを開ける時は、ワインに合うつまみを、何皿か作るよう心がけている。最近のヒットはこれ。ベーコンエピ。日本だったら、近所のパン屋さんで買っておしまいなんだけど、ここではお目にかかれない。ないものは作るしかないのだ。パン作りには、全く興味がなかったが、ベーコンエピの作り方を見て、『ほほ~う、こうやって作るのかー』と感心した。いつも、料理そのものより、作る過程の方に興味がある私。アンソニーは、その形がお気に入りのようだ。『食卓を演出する効果がある』とのこと。そりゃそうだよね。ポルの田舎では、丸いパンしかお目にかからないもの。デザインとか無縁なのだ。ひとかけらずつちぎって、それをおつまみに、ワインを飲む。アンソニーは、いつもより多く喋っている。楽しい気分になっているようだ。ちょっと手間ひまがかかるけど、食卓がにぎやかになって、会話が弾めば、苦労も報われるのだ。
2006年06月30日
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夕飯に、餃子を作った。餃子を作るときは、皮からつくるので、覚悟がいる。長時間の作業だ。一枚ずつ、棒でのばして、餃子の皮を作る。途中でへこたれそうになる。ドイツ時代には、フランクフルトの日本食材店で、冷凍した餃子の皮を買い込んだっけ。。。リスボンでも買えるとか聞いたけど、未だに買いに行った事が無い。料理嫌いの私が、わざわざ餃子の皮を作るようになるんだから、よほど餃子が好きだと言う事がわかるだろう。先日、日本から来た友人の、行方不明になったスーツケースの中に、納豆の他に、餃子の皮と生ラーメンが入っていたのだった。彼女からのお土産のリクエストに、『生ラーメンと餃子の皮』を頼んだ。一番恋しい食べ物だったからだ。スーツケースを受け取ったのは、6日後だったので、もちろん食品はすべてゴミ箱行き。泣く泣く、生ラーメンと餃子の皮にお別れをしたのだった今回の餃子作りは、そのリベンジだ。疲れたー。でも、ずーっと食べたかったので、大満足。自家製キムチとビールで、オヤジの晩酌のようだった。だがー。ふと考えたのだ、パスタマシーンがあったら、この両方はポルでも作れるのではないだろうか?餃子の皮は、パスタマシーンで薄く伸ばしたものを、コップで丸くくり抜けば簡単だ。ラーメンは、次回日本帰国時に、本を買って研究しよう。パスタマシーンがあれば、自家製ラーメンを作る気が起こるかもしれない。餃子が食べたいっ、生ラーメンが食べたいっ!私の二つの欲望を、一気に解決してくれるパスタマシーン。夢のパスタマシーン。アンソニーよ、ボーナスも出た事だし、買ってもいい?
2006年06月28日
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昨日、近所に散歩に出かけた。今ポルが、ワ-ルドカップで快進撃を続けているので、家のベランダには、たくさんのポル国旗が掲げられているどの家も、熱心に応援しているのねー。うちは、国旗なんてないけどさ。この季節では、ちょっと暑苦しくみえるポル国旗(グリーンと赤でクリスマスカラーっぽい)を眺めながら、歩いていると、一つだけ違う旗が、目に飛び込んで来た。それは、虹色の大きな旗。ポル国旗と一緒に、玄関に飾ってある。なんだ、これは???しばらくしてから、その日の朝に見たインターネットのニュースを思い出した。ゲイパレード、世界各地が虹色に染まるという記事だった。レインボーフラッグ(虹色の旗)は同性愛のシンボルらしい。そう、うちの近所には、男性二人で家を建てて住んでいる同性愛カップルがいるのだ。話には聞いていたが、どこの家か分からなかったけど、あそこだったんだー。その家は、一階建て平屋、こじんまりしているが外から見ると、ガーデンや置物がとてもかわいい。いつも、可愛い家だな、どんな奥さんがすんでいるのだろう、、、って思っていた家なのだ。男性二人で、あのかわいい家に住んでいるのか。中の生活ぶりも、ちょっと覗いてみたい。。。近所にそんなに親しい人のいない私が、唯一お友達に慣れるとしたら、あのカップルだとずーっと思っている。それは何故か?共通点としては、子無しということと、コミュニティーの枠から外れているということ、、、(私、アジア人。彼らはゲイ)お友達になってくれるだろうか?
2006年06月27日
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先日日本から訪ねてくれた友人が、『ベルサイユのバラ』愛蔵版を全巻置いて行った。う、うれしー。。。この漫画が週刊マーガレットに掲載されていた頃は、私はまだ小さく、歳の離れた姉が愛読していた。私は、漫画を読む前に、実は宝塚を見てしまっていた。母の友達が宝塚ファンで、その流れで、小さかった私は、母の膝の上に座って、何回も宝塚のベルバラを見た。若い人には分からないだろうが、鳳蘭のフェルゼンや安奈淳もオスカルなど、宝塚ベルバラ黄金時代を見た生意気ながきんちょだった。姉のベルバラ全巻を初めて見たのは、中学生になってからだろうか?ベルバラには、フランス革命を舞台に、王妃マリーアントワネットとフェルゼン、オスカルとアンドレの命をかけた愛が織込められている。フランスの歴史は面白いなとおもったけど、恋とか愛等言われても分からない。ふ~ん、、、で終わってしまった。若過ぎたのだ。今回読んでみたら、どうだろう。号泣!ストーリは知っているはずなのに、、、涙もろくなったのは、おばさんになった証拠かな。。。ま、いいや。今読み返すと、アンドレはなんていい男なのかとため息が出る。オスカルを長年影のように添い、愛し続けるアンドレ。貴族オスカルと平民アンドレは結婚出来ない。それでも、命をかけてオスカルを愛し続けるアンドレ。こんな風に思われたら、女も本望だな。はあ~。。。このような漫画に目を腫らしている私に、時々ちゃちゃを入れに来るアンソニー。『あっちへ行ってよ!一人で、没頭したいのよ!』今度は、彼のいない時に、読まなくては、、、ああ、アンドレ。。。ちらっと、横を見ると、西郷ドンと新たなあだ名がついたアンソニーが、、、現実の世界に引き戻される瞬間である。
2006年06月26日
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昨日の昼頃、近くのスーパーに行ったら、国道の両側で、警察のコントロールが行われていた。免許証、車検証など必要書類をチェックするものらしい。過去何回も、車を止められたが、今回は免れた。でも、帰りに同じ道を通らなくてはならないので、帰りに車を止められる可能性もある。嫌だな~。もちろん必要書類はすべて揃っており、やましい所はひとつもないのだが、、、悪い事をしていなくても、職員室に行きたくないのと同じだ。いいことを思いついた。もうすぐ午後1時だ。ポル人にとっては、大切なお昼ご飯。警察は、1時にはいなくなるはず。時間をつぶすべく、かねてから聞きたい事があったので、近くの保健所に行った。ポルでは、住人に破傷風とジフテリアのワクチン接種が義務づけられているらしいのだ。アンソニーは、予防接種ノートを持っていて、すべての記録が残っており、公務員採用の時に、そのノートを提出しなければいけなかったようなのだ。ここに4年も住んでいるけど、何も知らなかった。アンソニーの情報も古いので、自分で行って確かめてみようと思ったのだ。保健所の看護婦に、ポルに住んで4年になること、日本から来たこと、今までこちらで予防接種を受けていないことなどを話すと、『日本での接種の記録は持っていないのね。それでは、最初からね。』と言い、私のデータを入力し始めた。一枚の印刷した紙を渡され、『この紙を持って一ヶ月後に来てね。』と言った。この会話の流れからして、『そうか、これで予防接種の予約完了』と思うでしょ。すると、別の看護婦が、『そこに座って。』ノースリーブを着て、腕がむき出しになっていた私の腕に、突然ぶすーっと注射をしたのだ。痛ーーーい。なななんと。。。なんの説明もない。私の体調を聞く事もなかった。この国には、インフォームドコンセントというものはないのか!座った私を囲んで、太った3人の看護婦がいろいろなことを言って来た。『痛い?』(心構えが出来ていなかったからです)『あら、震えているわ。』(あなた達に囲まれて怖いだけです)『顔面蒼白よ。』(何の注射か分からないから、不安なんです)『あなた、日本で何をしていたの?』『旦那は、何をしているの?』これは尋問か?この田舎で、アジア人は珍しいらしい。最後に、『あ!腫れるかもしれないから、その時は、氷で冷やしてね。』とだけ説明。私『ところで、この注射は一体何だったんですか?(すっかり過去形)』看護婦『ああ、あれは破傷風のワクチンよ。今度は、一ヶ月後ねー。』何がなんだか分からないまま、よろよろと保健所を出た。分かった事は、破傷風ワクチンをうたれたこと、費用はタダだった事。来月は、ジフテリアなのだろうか。。。夜、腕がかなり腫れ、痛みが増して来た。微熱もあって、体が非常にだるい。警察をかわそうと思ったばかりに、こんな事になってしまった。悪い事は出来ないものだ
2006年06月24日
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昨日は、ワールドカップ、ポル対メキシコ戦があった。その日の午後は、アンソニーが家で仕事をしていた。私に『僕は、論文書きの途中で試合が見れないけど、君が見たかったら、テレビを見てもいいんだよ』と言った。しかし、論文に頭を抱えている彼を置いて、一人テレビを見る訳にはいかない。それに、ポルは、既に2勝決めており、その先に進める事が分かっていたので、そんなに重要な試合ではなかったはずだ。庭のテラスで、本を読んでいると、大騒ぎが聞こえて来た。至る所から『ゴール!ゴール!』と、雄叫びがあがった。どうやらポルトガルが、1点入れたらしい。テレビやラジオをつけなくったって、試合の進行具合は分かってしまう。それから、近所へ散歩に出かけた。近所に幼稚園があって、その前を通ると、大音量でサッカー中継が聞こえて来た。どうやら、先生と園児達が、皆でポルトガル戦を観戦しているらしい。園児たちも、大騒ぎで応援していた。日本だったら、幼稚園では、こういうことはしないだろうな。。。びっくり。帰って来て、幼稚園の話を、アンソニーにすると、彼の勤務先では、なんと、学部長が教職員を、大講堂に招いて、大スクリーンで、ポルトガル戦のサッカー観戦をしていたらしい。もう、学生の授業はなく、試験期間だったとは言え、いいんですか?学部長殿。その後のニュースで、国会も機能しなかったと聞いた。議会は延期。議員は、それぞれ自分の部屋で、サッカーを観戦していたそうだ。他の職員達は、別の日に、仕事の埋め合わせをすればいいとか、、、すごいな、ポルトガル。こうやって、すでに幼稚園から、そして将来の仕事場に至って、サッカー狂は、出来上がって行くのである。こうみると、やはり日本は、サッカーに関しては、まだまだなのである。
2006年06月22日
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日本で頼んでいた、結婚報告ハガキが出来上がったようだ。ハガキを送りたい友人の住所を、印刷して、母に託しておいたので、母がちゃんと送ってくれたようだ。ご無沙汰していた人々から、ほぼ同時に、メールをいただいたので、ハガキが着いた事が分かった次第。何人かの人から、同じ感想のメールをいただいた。それは、『アンソニーが、西郷隆盛に似ている』ということ。目のぎょろっとしたところ、お腹の出具合かしら?そう言われれば、昔、歴史の教科書で見た西郷隆盛の肖像画に、似ているかも。。。ということは、私は、西郷ドンの妻か?調べてみると、西郷隆盛の写真は一枚も残っていないし、皆が知っているあの肖像画も、彼と面識のない画家が、弟や従弟をモデルに描いたものらしい。本物の西郷隆盛の姿は、分かり得ない。相撲部屋の親方、西郷隆盛など、いろいろなあだ名をつけられて、日本では、南蛮人の婿は語り草になっているのだろう。ま、皆さんの話題作りに、役立ったね、我々の写真。皆、アンソニーの和服姿が、板についているって、評判だったよ。よかったね、アンソニー。彼のお母さんには、額に入れて写真をプレゼントしよう。まだ見せていないから、泣いて喜ぶかな?それとも、見た事のない異国の衣装に身を包む息子を見て、笑い転げるかな?そして、村中の人に、見せびらかすに違いない。。。
2006年06月21日
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出会い、別れの挨拶で、ほっぺにチューをしたり、抱きしめ合ったりするポルトガルに比べて、日本の挨拶は、素っ気ない。今回、日本へ帰国した時、母が、駅で出迎えてくれた。『アンソニーさん、いらっしゃ~い。待ってたのよー。』と、言いながら、アンソニーと抱き合っていた。一方、その後ろで、私はポッツリ立っていた。『あら、小町ちゃん、元気そうね。』と、素っ気ない母。なんなのよー、この歓待の違いは!実家に行ったら、父が待っていたけど、アンソニーとは、固く握手をし、肩を抱き合ったりしていたけど、私には何も無い。。。帰るときだって同じだ。姉は旦那の仕事の関係で、ブラジルに6年も住んでいたので、アンソニーとの別れの挨拶では、ほっぺにチューをして、抱き合っていたっけ。あっちで生まれた姪も、アンソニーのデカイ腹に、抱きついていたなー。姉の旦那も、固く握手を交わしていた。でも、私は、、、駅まで送りに来てくれた両親は、アンソニーとは、スキンシップをしながら、別れを惜しんでいたけど、私には何もなし。『じゃあね。小町ちゃん、元気でね。』のみ。なんか、独り、銀河系の外にでも、放り出されたような感じ。ぽっつり、独り。。。外人パートナーがいる人、日本での挨拶はどうなんだろう?こんなものかな?ラテンの熱い挨拶に慣れると、日本の挨拶は、ちょっと寂しく感じられる。
2006年06月20日
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今回帰国した時に、父から、今までの荷物を始末するように、命令が下った。大学入学で、親元を離れてから、ドイツに渡るまで、ずっと一人暮らしをしていた。ドイツ行きが決まって、アパートを引き払い、全ての荷物は実家へ送り込んだ。一人暮らしと言えども、かなり荷物があった。ドイツで、ポル人の彼と出会い、そのままポルトガルへ。取りあえずは、一緒に暮らしてみるとの話で、いつ日本に戻るか分からないから、置いて来た荷物はそのままにしておいてもらった。今回、結婚して、初めての帰国となったので、父も、待ってましたとばかりに、お片づけ命令をだしたのだ。しょうがないので、日本滞在中の1日を、アンソニーと片付けにあてることにした。段ボールが、何箱もあり、どこになにが入っているか分からない。一つずつ開けて、中身を確かめてみる。やばい!昔の写真が出て来た。化粧がどぎついのか、今よりも老けて見える。アンソニーは、大笑い。そそくさと、アルバムを隠す私。これ以上の恥は、さらせないその後、わんさか、ブランドの靴やバッグが出て来た。自分でも、『まあ~、よくこんなに買ったものだ。』と、感心するほど。今は不要なブランド品たちだ。すっかり忘れていたブツ達だ。多くのものは、あまり使っていない状態で、もったいない。でも、今の生活には、まったく不似合いなものばかり。中学生になったばかりの姪が、大学生になる事に、また流行が来ないかしら?あ、新品のエルメスのベルトを発見。未使用。こんなものを、買って使うつもりだったのか?全然覚えがない。昔は、お金があったんだ~、としんみりする私。その横で、アンソニーが『君は今幸せなのか?』と、真面目な顔で聞いて来た。『ぶっ、ぶははは、、、』と、笑ってしまったが、ブランド音痴のアンソニーも、これらの品々をみて、私の今と昔の生活のギャップを悟って、心配そうな顔。『そういう生活が良かったら、もう日本に戻っているはずだよ。』と、素っ気なく答えた。それ以上の、とろける言葉は、恥ずかしくて言えなかったけど、アンソニーは分かってくれただろうか?
2006年06月19日
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我々が、日本に行ったのは、4月上旬。黒いスパッツに、ミニスカートをあわせて、素足にパンプスを履いている若い女性が目立った。20歳前後位だろうか。『ふ~ん、今はこういうのが流行なのねー。』と、おばさんな私。アンソニーは『脚の形が悪い女性が多い。O脚内股で歩く、若い女性が多い。』と、指摘。そうね、スパッツは、脚そのものの形が丸見えだものね。さらに、彼は『現代日本女性、特に若い女性の脚に、形態的な変化が起こっているに違いない』と言う。街を歩くと、女性の眉毛の薄さ、歯並びの悪さを指摘。『昔は、眉毛を剃ってずいぶん上の方に、描いていたんでしょう。(平安絵巻や公家眉毛のことらしい。)いらないと思っていたから、退化して無くなったのではないか?』『口だって、小さく見えるように化粧をしていた(おちょぼ口のことらしい)ようだから、希望通り、口もどんどん小さくなって、歯が並ばなくなったのではないか?』彼独自の説を展開する。眉毛の薄さは、中国人や韓国人だって同じよ。あの辺一体は、眉毛は薄いのよ。ポル人みたいに、眉墨が必要ない位の、濃い眉毛の女性なんて、そんなに見た事ない。おちょぼ口願望が、歯並びを悪くするという新説は、いつか専門医の友達に聞いてみよう。それにしても、、、日本人女性の外見を、彼独自の見解を交えて、考察してくれてありがとー、アンソニー。余計なお世話ですっ!
2006年06月18日
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友人を送って、空港に行ったときの事。一人の女性が、私に話しかけて来た。『あなたは、ポルトガル語が喋れますか?』見ると、ジプシーみたいな感じ。見える範囲で、歯が、上下4本ずつしかない。デンタルIQが低い=低教育ということが、すぐ分かる。彼女は『1ユーロありますか?』と聞いて来た。私は『来た来た~』と思い、『どうして?』と聞いてみた。以前のように、どんなビッグなストーリーを展開するのか、興味があったからだ。彼女『家まで帰るのに、1.2ユーロ足りないのよ。』携帯電話を持っていて、口にはくわえ煙草。これは、新種のお乞食さんだろう。教会前や、地下鉄の入り口近くに座って、缶を前に『小銭を恵んで下さい』と、言っている人たちのほうが、どんなに正直者か。。。彼女は、嘘つきだ。もちろんお金はあげなかったが、その後、彼女が、空港内のいろいろな場所で、活動しているのを見た。結構、流暢な英語で、外人に話しているのを聞いた。(私の座った席の、2つ向こうの男性に話しかけていた)そのストリート系の英語を武器に、就職活動でもしたらいいのに、って思った。友人と別れて、バスでリスボンの中心地に向かった頃には、雷雨になっていた。ひどい豪雨で、傘なしの私は、店の軒先で、雨宿りをするはめになった。昼から飲んでいる酒臭い退職者のおじーさん達と、雨があがるのを長い事待っていた。すると、ひどい雨の中、一人の中国人女性が、傘を売りに来た。『傘はいりませんか?5ユーロですよー。丈夫な傘ですよー。』ニコニコしながら、あのひどい雨の中、歩きながら商売をしているのだ。突然の雨の時、地下鉄入り口などで、傘を売り始める人もいるが、歩きながら傘を売っている人は、初めて見た。さすが『商売上手な中国人』。我々の雨宿り集団の中で、2人が彼女から傘を買った。また、彼女は、豪雨の中を、傘を売りに歩き出した。その日は、両極端のお金の稼ぎ方を見たような気がする。一人は、嘘をついてまで、何も無いところから、お金を得ようとする。詐欺って、こう言う行為?そして、この中国人女性。嘘つきの女性に、会った後だったので、すがすがしい気持ちになった。やはり、お金はこういう風に稼がなくては、、、あれから、もうしばらく雨が降り続いた。あの後、また何本か売れただろうか?
2006年06月16日
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私の友人が、ここでの2週間の滞在を終えて、昨日帰国した。帰った後は、寂しくなってしまった。いつも遊んでもらっていたニーナも、落ち込んでいる。離れていても、短時間の会話で昔に戻れる。共通の旅の思い出等に、花が咲く。あ~あ、友達っていいよねー。私たちの歴史も、もう18年だよ。お互い歳をとったもんだ。気心知れた友達に、出会えた事に感謝した2週間だった。ポルを発つ前夜から、すごい雷雨だった。雨の音もすごかったけど、雷の音がすごくて、夜中に何回も起きた。今までに、聞いた事がないぐらい、大きな雷の音だった。彼女の為の、涙雨かしら?翌日、彼女に聞いたら、そんな事は知らずに寝ていたそうだ。信じられないー!大胆不敵な人とは思っていたが、、、ポルでは、バカリャウという干しタラを、料理によく使う。スーパーのバカリャウ売り場は、かなり臭い。彼女には、そんなに臭くないらしい。ええ~!!家で、干しタラを水につけて戻すときは、かなり臭いので、鍋に蓋をする。その蓋をとって、ニオイをかがせてみても、あまり感じないらしい。『ちょっとー、あんたの鼻、おかしいんじゃないの?音も聞こえない、鼻も臭わない。大丈夫?』そんな彼女は、大きなクリニックに勤める歯医者。専門は、口臭外来。私『それって、適職じゃない?嫌なニオイを感じないのだから。。。』彼女『ううん。原因追及の為に、口臭が気になる患者の口腔内を診査し、実際にニオイを嗅がなくてはいけないのだけど、私じゃあまり感じないかもしれない。。。』笑えるー。そうか、腐った納豆入りのスーツケースは、彼女にとっては、なんでもないことだったのか。妹さんの方は、納豆の入ったビニールを開けたとたんに、大騒ぎしていたのだが、、、恐るべし、我が友。『今度は、納豆を腐らせないで、持ってくるわね。』と、約束をして、彼女は一人、旅立って行った。
2006年06月15日
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週末に、月桂樹をとりに山登りをした私たち。先頭は、ニーナ隊長。そしてアンソニー、私の大学時代の友達、かなり遅れて私が続く。その山は、自然公園に指定されていて、本当に自然のまま。道は、獣道のような感じ。道無き道を突き進む。登山口は、木が生い茂っていて、分からなかったが、ニーナはちゃんと知っていた。ちょうど一年前に、山登りをしたときの事を覚えているのだ。分かれ道も、彼女は、迷わず進んで行く。犬の記憶とはすごいものだ。お陰で、我々は、迷わず進んで行く事が出来た。ニーナは、我々のチームの、隊長と呼ぶにふさわしい存在だ。田舎育ちで、山好きなアンソニーと、友達は、ずんずん進んで行ってしまう。もう誰も見えないー。軟弱ものの私は、かなり遅れをとってしまった。すると、ニーナ隊長が、私の様子を見に来てくれる。ありがとー、ニーナそして、私が、まだ歩けるのを確認すると、また先頭に戻って、チームを引っ張って行くのだ。これを、何十回も繰り返していたっけ。隊員を気遣うニーナ隊長。すばらしいっ!下山途中に、ニーナがいなくなった。いつも、行ったり来たり、隊員の把握に忙しかった彼女の姿が見えない。不安になって、アンソニーが、ニーナを呼ぶと、道ではないところから、バンビのように飛んで来てくれた。どうやら、我々が、道を間違えたらしい。ニーナは、ニオイを辿って、行きと同じ道を選択したのに、分かれ道で、アンソニーが、間違った道を選択したのだ。こうして、ニーナ隊長のお陰で、無事下山することができたのだ。帰宅後、ニーナの前足の爪が、割れている事に気が付いた。隊員を気遣い、行ったり来たり、何往復もしたニーナ。石だらけの場所もあったから、さぞかし痛かったのではないかな。ありがとう、ニーナ。写真は、出来の悪い隊員の、無事下山を確認し、役目を果たしたニーナ隊長。
2006年06月13日
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日本から来ている大学時代の友達と、アンソニー、ニーナそして私の4人チームで、山登りをした。田舎育ちの友達とアンソニーは、山が好きらしい。ニーナも、お出かけに、かなり興奮気味。下町っこの私は、山は苦手。汗をかくことは、嫌いなのだ。一人だけ、かなり消極的。でも、ローリエをゲット出来るのなら行っても良いって思ったのだ。もう、家のストックは、そこを付きそうだったから。。。うちの近くの山では、少々高いところに行けば、月桂樹がある。裏の野原では、ローズマリーを少々いただく。なんて、カントリーな暮らしなのだ!アンソニーの田舎でも、月桂樹があって、彼の家族も、その辺の山に入って、枝をとってくる。アンソニーが小さい頃は、近所の子供達で、ローリエを売ってお小遣いにしていたとか、、、田舎暮らしって、こんなものなのね。登山途中、軟弱ものの私は、力つきて、日陰で休憩。友達と、おばさん会話を始めた。おばさんチーム、脱落。アンソニーとニーナちゃんチームは、もう少し高いところまで登って、月桂樹の枝を持ち帰ってくれた。ありがとうー!料理には、少しずつしか使わないけど、無いと困る。スーパーで買うと、結構高いのよね。本日の収穫。これで、一年はもつだろう。と言う事は、山登りも一年後でいいってことか?この山登りで、一年分の汗をかいたような気がする。
2006年06月12日
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行方不明だった友達のスーツケースが、ついに発見されたと連絡があった。税関で止められているようなので、本日、午前中に空港に取りにいった。彼女たちが、金曜の夜中に着いてから、3回目の空港。こんなに短期間で、空港に何回も行くのは初めてのことだ。とほほ私の友達と、その妹は、あまり英語が得意ではない。税関で、スーツケースを開けられて、荷物についていろいろ聞かれると困るなー。私が頼んだ薬は、大丈夫かな?2人で、税関に入ったまま、なかなか出てこない。心配になって、うろうろする私とアンソニー。やっと出て来た!彼女たちの話は、以下の通り。税関で係員が、ひとつずつ、荷物をとっては、『これは何ですか?』と、いちいち聞いたらしい。ビニールに入ったものを取り出して、『これは何ですか?』と、係員。友達『フードです!フード!』ビニール袋を開けた係員は、鼻をつまみ、『くさーい』と、ジェスチャーで、表現したそうだ。それからすぐ、『もう行って良いです。』と、許可が出た事は言うまでもない。腐った納豆のお陰で、チェックがすぐ終わったのだから、納豆さまさまなのだ。幸い、洋服には、ニオイは付いていないらしい。よかったー。今日受け取ったスーツケースの中の洋服を、妹は、明日日本へ、そのまま持ち帰る。洋服よ、何をしに、ポルトガルへ来たのか?そして、明日、我々は、1週間で4回目の空港へ向かうのだ
2006年06月07日
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日本から帰って来て、あっという間に一ヶ月が過ぎた。まだ、アンソニーの日本行脚を書き終えていないのに、、、我々が日本滞在中は、アンソニーの家族が、このうちに来て、ニーナの世話をしてくれた。姉夫婦が1週間、弟夫婦が3週間、休暇を取ってくれた。彼らの家は、同時に、家を建て替えている最中で、ニーナの居場所が無い。さらに、二家族が、アルゼンチンドッグという、50キロにもなる犬を、実家のお母さんの家に預けているので、ニーナを含めて、大型犬3匹を、庭の無い狭い家に預ける事は出来なかった。彼らは田舎に住んでいるので、リスボン近郊の我が家に滞在して、新しい家の為の家具や照明器具を見に行ったり、時間を有効活用していたようだ。それにしても、贅沢なニーナ。アンソニーの『ニーナは、広い自分だけの場所が必要。家族にここに来て欲しい。』と言う希望通り、大人がニーナのために、休みを取って世話をしに来たのだから、、、ニーナよ、ありがたく思いなさい!しかし、アンソニーは、4週間も飼い主に去られて、ニーナを不憫に思っていたようだった。帰国したアンソニーを見た時は、声にならない声をあげて泣いていたニーナ。アンソニーは、ニーナを抱きしめ、精一杯の愛情表現をしていた。二人だけの世界に浸っているようなので、私は、庭の隅っこで、腰痛体操をしていた。帰国時に、重いリュックを背負ったため、腰が痛い。後ろに、足を振り上げる運動をしていたら、『ばしっ!』と、足に何か当たった。前を向いていたので、それが何か分からなかった。ニーナかな?でも彼女は、今は遠くにいるぞ。翌朝、ニーナの右顎下部から頸部にかけて、異常に腫れ上がっている。アンソニーは、『これは大変だ。悪性の病気かもしれない』と、非常に心配していた。取りあえず、様子を見ようということになった。夜になっても、腫れは更に増すばかり。もともと、安楽死を選択するかどうかという遺伝疾患を持っているニーナ。さらに、悪性の病気で苦しむなんて、不公平だと、アンソニーは嘆き悲しんだ。その日の夕食は、非常に重い空気に包まれてしまった。夜、庭に出て、腰痛体操をし、思い出した。昨日の晩、足に当たったものは、ニーナだったのではないか。。。アンソニーに、恐る恐る告白。手持ちの、腫れうちみなどをおさめる軟膏を、アンソニーがぬってやった。翌日には、ひどい腫れは、峠を越えたようだ。毎日毎日、アンソニーの手厚い看護で、腫れは引いた。やっぱり、私が原因だったんだ。ニーナの右顎に、アッパーカットを喰らわしてしまったようだ。す、すまぬ、ニーナ。飼い主には、4週間も置いてけぼりにされ、それからアッパーカットを喰らわされるなんて、踏んだり蹴ったりのニーナ。『何でこんなひどい目に遭うのかしら?』物思いにふける今日この頃。
2006年06月06日
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金曜日の夜中に、大学時代の友達が、彼女の妹とともに、ポルトガルへやって来た。飛行機が到着してから、なかなか出てこない。夜中だし、すべての客、お迎えの家族など、皆立ち去ってしまった。どうやら、預けたスーツケースが出てこないというのだ。えええーーー。彼女たちは、何も持っていないのだ。しかも、2人でひとつのスーツケースで来たので、本当に何も無い状態。スーツケース捜索願を出し、その日は退散。すぐ出てくるものと鷹をくくっていた。というのは、ドイツから、ゲルマン君がくる時も、スーツケースが届かなかった。誰も間違うはずのない、真っ赤なスーツケースは、翌日、なぜが香港で見つかり、すぐ我が家に届けられた。そんな感じで、すぐ見つかるだろうと思っていたのだが、、、3日経っても見つからない。どうやら、スーツケースの紛失って、頻繁に起こる事のようだ。24時間以上見つからなかったら、身の回りのものを買う為に、100ドル出すと言うのが、国際的な協定らしい。空港まで、とりにいったけど、100ドルなんて、たかがしれている。しかも、2人分の下着や洋服を買わなくてはいけないのに、、、昨日、空港に行って分かった事は、荷物は、乗り継ぎ先のパリで、行き場を間違ったらしい。パリで発見されたところまで分かった。その後、荷物は、リスボンへの直行便に乗らずに、なぜか、バルセロナへ向かい、リスボンにくる予定らしかった。しかし、行方をたってしまった。彼女たちは、我々にたくさんの土産を買ってくれたそうだが、何も渡すものがなくて、心苦しい状態。そんなの、気にしなくて良いのに。。。こちらが心苦しくなるから、ワインでも飲んで忘れよう!妹さんの方は、高価なブランドの服が、たくさん入っていたらしい。がっくり来ている様子。このまま見つからない場合は、保険に入って来たので、保証はされるようだが、もう二度と同じものを買えない場合もあるし、思い出の一品もあるかもしれない。可哀想。。。私も、友達も、結構前向きで、『滞在中には、見つかるのではないか』って思っている。しかし、突然思い出してしまった。『納豆が入っていたんだった!』がーーーん。彼女は、お土産に納豆を用意してくれたのだった。う、うれしいポルは、最近30度を超える暑さ。スペインに荷物が放置されているとしても、同じような気候だろう。いったい、どんな状態になっているのか、想像をすると恐ろしい。スーツケースが見つかったほうがいいに決まっているけど、、、それを、開けるのも怖い。ブランドの洋服が、素敵なニオイに包まれているはず。見つかった方がいいのか、このまま見つからなくても良いのか、、、悩むところである。
2006年06月05日
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買い物に行ったら、ぐぐっと目を引きつけるものを発見。 左上のほうに、歌舞伎っぽい絵が入っている、ファンタ。日本版の限定バージョンらしい。同じ缶の裏は、こんな絵。今度は、浮世絵っぽい。日本語が書いてある。味は、スイカだって。他にも、別のフルーツを使った、タイバージョンのファンタもあったなあ。でもさ、日本の味ってスイカなの?限定バージョンって本当は好きじゃないけど、買った以上飲まなくちゃ。ぐびーっ、、、???スイカの香りはしたけど、、、日本を、懐かしく思い出すことはなかった。ま、連想ゲームのように、夏の暑い日=スイカ、位しか思い浮かばない。なぜ、日本がスイカなのか?調べてみたら、スイカの原産地は、アフリカだそうだ。そして、スイカを持ち込んだのは、ポルトガル人という説もある。(他にも諸説がある)知らなかった。そうか、カステラだけじゃなく、スイカにも、ポルー日本の関係があったのか。面白半分で買ったファンタだけど、ひとつお勉強になった。日本チックな缶を眺めながら、ポルトガル人が日本にもたらしたものは多いなーと思う私なのだ。
2006年06月02日
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今回の日本旅行で、アンソニーのお目当ては、望遠レンズを買う事だった。去年は、一眼レフのデジカメ、ニコンD70というのを買った。いろいろ写真を撮り、望遠レンズが欲しくなったのだ。彼は、カメラのこともちゃんと勉強しているし、写真は上手い。望遠レンズが欲しくなるのは、当然の成り行きか。欲しい望遠レンズは、ヨドバシ価格で、19万8000円。ひえ~。D70なんかより、全然高いじゃん!それでも欲しいのなら仕方が無い。結局、同じものを中古で見付けて、状態が良かったので、それを買った。それでも、13万円なり。その後、アンソニーは、日本滞在中に、メールでポルの同僚と、D70を売る交渉を成立させてしまった。ポルで、この手のカメラを買うと高いらしい。中古でも、彼がカメラをちゃんと管理している事を、同僚も知っているし、ちょうど、ニコンで分解掃除もしたあとだったので、買いたいとのことだった。売り手と買い手で、お互いにとって、都合のいい値段が決まったようだ。で、売ったら、またカメラを買わなくてはいけない。で、次は、更に上のが欲しいようで、ニコンのD200を買うと言い出した。な、なんですって~!ま、D70を売って、また同じものを買うのもバカらしいけど、それって、プロが使うようなカメラでしょうが!前回の、2倍位の値段ですぞ。結局、帰国間際に、買ってしまった。私は、ヨドバシで気分が悪くなって、顔面蒼白だった。日本人の給料だったら、そうでもないかもしれないけど、なんせポル人の給料で、あのカメラは高過ぎ。しかも、すでに、望遠レンズまで買っちゃってる。すべて、一回払い。この旅行中に使ったカードは、すべて1回払い。どーすんのよっ!先の事を考えると、気分が悪くなって、貧血気味になった。専業主婦だったら分かってくれるだろうか?この気持ち。。。アンソニーに諭されて、休憩コーナーで、ジュースを飲み、糖分補給して歩けるようになった私。もちろん、アンソニーは大満足。帰りの飛行機の中で、曝睡する私の横で、一睡もせず、分厚い取扱説明書を端から端まで、読みふけっていたアンソニー。D70についていない、いろいろな機能があるらしい。さらに、買った望遠レンズで、遠くからいろいろなものを撮っては、私に見せる。室内から、庭の鳥を撮ってみせるのはいいけど、遠い窓に張り付いているハエを撮って見せる事はなかろうっ!!折角の高いレンズなのに、、、がっくり。喜ぶアンソニーの横で、一人ため息をつく私。生活が、どん底大ピンチになったら、白米だけよっ!覚悟したらいいわ、アンソニー!あ、ポルトガルなので、白米というよりも、茹でたポテトと言う方がいいのだろうか?
2006年05月31日
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昨日の、気持ち悪い『ジンギスカン味のキャラメル』の汚名挽回。ドイツでは、『さきいか』『乾燥ほたて』などの珍味は、『げっ!魚のニオイがする』と不評だったが、魚をよく食べるポル人には好評だった。ドイツ人、魚をあまり食べないもんね。『柿のタネ』は、どこでも受け入れられるようだ。思いのほか好評だったのが、昔ながらの『金太郎あめ』。アンソニーが金太郎あめを買ったときは、『私なら買わないかも』と、思っていたのだが、、、彼の職場で、いろいろなお菓子をお土産に持って行って、広げた時に、『金太郎あめ』がヒットしたらしい。味ではなく、珍しいのだろうな。小さな子供のいる同僚たちが、みなひとつずつ、家に持ち帰ったそうなのだ。そうだったのか~。子供がいないから、そういうことに疎い。そんなに好評なのだったら、もっと持ってくれば良かった。『キティーちゃんの金太郎あめ』もあったのに、、、今回もって帰った『金太郎あめ』は、すでにひとつずつ、食べやすい大きさに切れていた。次回は、長いままの『金太郎あめ』を持ち帰ろう。目の前で切って、その場で顔が出てくるのを見るのは、面白いだろうな。ふと、不二家のペコちゃん千歳飴を思い出した。一時期、はまって、七五三のときに買いだめしていたっけ。割り方を失敗すると、ペコちゃんのほっぺたが、びよ~んと片方だけ大きく見える。懐かしいな。まだ、売っているのかな?今年の七五三に、母に頼んで、買ってもらおうかな?ポル人にヒットするお土産は、まだまだあるはず。でも、日本のすべてのものが、当然に見える日本人の私より、ガイジンであるアンソニーが選んだ方が、珍しくて喜ばれるお土産を、見付ける事が出来るのだ。ま、アンソニーの選んだ、不評だった『ジンギスカン味のキャラメル』も、珍しかったし、話題を振りまいた事には間違いなかったのだけど、、、
2006年05月27日
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去年、帰国した時は、雷おこしや、あん入りの人形焼きなどを、アンソニーの職場にお土産に持ち帰った。ま、下町出身の私の選択だったのだが、、、アンソニーは、今回は、何か変なものを持ち帰りたいと思っていたようだ。というのも、悪友が、ネットで『日本には、こんな変なものがある』というのを、何回も送りつけて来たからだ。とても気持ち悪く、すっかり記憶から消し去りたかったので、忘れてしまったが、例えば、イカやたこの入ったアイスクリーム。日本から、アイスクリームを持ち帰るのは無理だけど、悪友の期待に応えたいと、アンソニーは思っていたようだ。北海道に行った時に、彼は、げてものを見付けてしまった。『おいっ!小町。これは何だ?』それは、ジンギスカン味のキャラメル、イカスミ入りのキャラメル、イカスミ入りのグミだった。やめてーーー。そんな、げてもの!!アンソニーは、買う気満々。『日本には、たくさんのおいしいものがあるのに、どうしてそんな変なものを、買わなくちゃいけないのよっ!もっとまともなものを買ってよ!』さらに、財布のひもは私が握っていたので、『絶対、買わない!』と、強く出た私。『買ってくれ!』『嫌!』押し問答が続いた。ポルに住んでから、私は物怖じせず大声で議論するようになった。お土産やの店員さんも、言葉は分からないが、目の前で繰り広げられている光景に目が点になっていたようだ。日本では、そんなに大声で、人前で議論することなんてないか。しかも、何百円かの商品で、、、恥ずかしいカップルと思われていたかも。しばらくして、私は折れた。『買いたいならどーぞ。でも、私に味見させようとしないでね。絶対、いらないから。』別の土地でも、うなぎの骨の珍味を買っていたっけ。。。とほほ。日本の悪いイメージが生まれたら、アンソニーのせいだからね。結果。イカスミ入りキャラメルと、イカスミ入りグミは、色だけで、味にはなんら問題なく食べられたそうだ。でも、色が強烈だわね。しかし、ジンギスカン味のキャラメルは、、、肉の味がしたそうだ。とっても不評。やっぱりね。もちろん、ゲテモノだけではなく、他にもいろいろお土産はあったのだが、ゲテモノたちのイメージが強すぎる。次回は、もっとまともな、おいしいものを買って、汚名挽回してくれっ!
2006年05月26日
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あ、東急ハンズがあるー!これで納豆菌が買えるー!名古屋駅で、新幹線までの時間があったので、納豆菌を買うべく、東急ハンズキッチン用品コーナーに入った。無事、納豆菌をゲットし、お勘定を済ませる間、アンソニーは、足手まといだったので、『ここにいるのよ、動かないでね』と、一人置いて来た。お勘定を済ませて、戻ると、アンソニーがいない!おいおい、迷子か?遠くに、人だかりがあって、その中に、彼が紛れ込んでいた。どうやら、東急ハンズで許可をもらった業者が、一角を借りて、商品の説明を行っていた。その商品は、『刺身のつまが作れる皮むき器』。かねてから、刺身のつまを家で作りたいと思っていた彼は、その商品に釘付け。ボックスタイプのスライサーではなく、本当の皮むき器。業務用だけに、大判で、すごく良く切れる。皮を剥いた人参は、切り口が鏡のよう。街頭販売歴が長そうなおじさんは、喋る喋る。息を付く暇もない。それと同時に、手も動く。皮むき器の、別の替え刃で、大根の表面をなぞり、一塊となったそれを水に入れると、水の中で大根がバラバラになり、刺身のつまが出来上がった。魔法みたい。トマトの皮が剥けるのもすごい。次から次へと、大根で作る花など、芸術品が出来上がる。その場で、いろいろなアドバイスをくれて、メモを取りたかった程。アンソニーと私は、おじさんの口述を聞きながら、魔法にかかったようだった。そう、お買い上げ。アンソニーをその場から、連れ去ろうとしていたのに、、、大根のつま用の替え刃、人参のきんぴら用の替え刃もお買い上げ。とほほ。東京に帰って、ほくほくしながら父に見せると『ばかだなあ。おじさんはプロだから、上手いんだよ。』と言われた。街頭販売で騙された客なのか、我々は?悔しいので、すぐさま大根を買って、試してみた。すると、うまく出来るではないか!やったー。いい日本のお土産が出来たね、アンソニー!ポルトガルに帰って来てから、大根がサラダに登場する機会が増えた事は、言うまでもない。大根を、刺身のつまとして使う日は、来るのだろうか?
2006年05月24日
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日本に到着して、最初の何日間かは、遠出する事もなく、都内で買い物をしたり、ブラブラ散策をしたり、、、アンソニーは突然、『日本人はよく喋るなあ』と言った。な、なんですって~私は、あまり喋らない方。私の家族も、大人しい方だ。日本の友達だって、ポルトガル人ほどお喋りな人はいない。なんで?彼曰く、『サービス業に従事している人は、よく喋る』らしい。あ、なるほどね。店に入ると、『いらっしゃいませ~。こんにちはー。』物を買うと、『この2点で、合計○○円になります。一万円お預かり致しましたので、お釣りは○○円でございます。本日はお買い上げありがとうございましたー。』等々。息もつかずに、一気に続ける。日本人の私だって、舌が回らないぞ。アンソニーは、日本のサービス業に、痛く感心したようだ。お店は感じがいいし、洋服の在庫を走って確認してくれる店員さんもいた。そりゃそうだよねー。こっちのサービスなんか、ひどいものだ。サービスとは、何か分かっていないのではないか?私自身、何度か経験があるが、店員が私用電話を切らずに、客の対応をしたりする。レジを打って、お釣りを出して、おしまい。『こんにちは』どころか、物を買った客に『ありがとう』の一言もない。電話で話し中だから、そんな挨拶も無いのは、当たり前か。どの店でも、『いらっしゃいませ~』というので、彼はこの言葉も習得したようだ。よしよし、日々学習なのだ。町中で、信号待ちをしていた時、アンソニーが、『おいっ!今、車が喋ったぞ。何と言っているのか?』と、聞いて来た。左折をする運送会社のトラックが、『左へ曲がります。左へ曲がります。』と、繰り返していた。ウインカーを出すと、その放送が流れる仕組みになっているのかな?大型トラックの、歩行者や自転車の巻き込み防止に役立っているやつだ。アンソニーに説明すると、また感心していた。どこでだったか、タクシーに乗ったら、車内に放送が流れ始めた。本日のタクシーの利用を感謝する挨拶と、安全運転で目的地まで行く旨の放送がながれて、びっくりした。やはり、アンソニーの言う通り、『日本で、サービス業に従事する人、物はよく喋る』のだ。
2006年05月22日
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4月の中旬に、札幌に行った時、大倉山の『札幌ウインタースポーツミュージアム』に行った。大倉山は、スキーのジャンプ競技が行われる場所だ。そのミュージアムに、スキージャンプをバーチャルリアリティで体感出来るマシーンがあると言うのだ。父が、ぜひやってみたいと、駄々をこねたので、仕方なく、母、アンソニーと私は付き合った。そのマシーンとは、2階から1階にゆっくり斜めにおりてくる間に、かぶったヘルメットのスクリーンの中で、景色がどんどん変わっていき、滑走を体験出来(どんどんスピードがでてくるような気がする)、そして、踏み切ってジャンプ!着地。スキージャンプ競技が体験出来るものだ。視点を変えると、競技を観に来ている人々が見えるし、遠くを見ると、ジャンプ台向こうの景色が、ヘルメット内のスクリーンに見えてくる。観客の歓声や、アナウンスの声等も聞こえてくる。まさしく、ジャンパーになった気分なのだ。マシーンには、すごい前傾姿勢で、安全ベルトで体を固定し、足も、スキー板にがっちり固定。ジャンプ地点で、斜め上方に伸び上がる。このタイミングが飛距離を決めるらしいのだ。足も開かなくてはいけないらしいが、スキー板に固定された足は、すごく重い。何よりも、あの窮屈な前傾姿勢でから伸び上がるのは大変。うちの年老いた両親には、無理なのではないかと心配した。両親と我々、4人でそれをやったのだが、誰から先にするかでもめた。結局、70過ぎで、一人で初めての海外旅行に行った、勇気ある母が一番手となった。その後、父、アンソニー、私と続いた。終わった人は、階下のスクリーンに自分のジャンプが映し出される(バーチャルなのだが、、、)。アンソニーにも、必死で通訳し、彼を送り出し、最後は私。なんかドキドキして来た。機械の中は密室で、怖い。滑走していって、ジャンプ地点が来た。ここで、ジャンプだわ。一生懸命伸び上がった。機械が重くて、足なんて開けない。すると、ヘルメットのなかで、『おーっと、小町選手、まさかの失敗ジャンプですっ!』と、聞こえて来た。な、なんですって~。終わって、ベルトを取り外し、外に出ると、3人がスクリーンの前にいた。スクリーンには、飛距離が出るのだが、男性陣の顔色が冴えない。2人とも失敗ジャンプだったようだ。アンソニーは、バーチャルの中でのアナウンスが、日本語だったので、訳が分からず、踏み切りに失敗したらしい。可哀想に。。。私も、どこでジャンプすべきが分からず、落下した模様。情けない。納得がいかないのが、うちの父。自分より、飛距離のいい母に向かって、『おいっ!どうしてお前のジャンプ風景だけ、繰り返し放送されているんだ?』そういえば、母の名前が何回も、スクリーン上に出て来て、繰り返し放送されている。よく見てみると、彼女は、本日のチャンピオンだったのだ。だから、繰り返し放送されている。飛距離は、136メートルだとか、、、私は、65メートル、アンソニーも父も70メートル台。たぶん、踏み切りのタイミングが良かっただけなのだろう。しかし、あの思いマシーンを背負って、窮屈な前傾姿勢からタイミングよく、ちゃんと伸び上がれたなんて、たいしたものだ。すごい、スーパーばあさんだ。表彰台があったので、記念撮影をしてあげた。それからしばらくの間は、アンソニーと私で、母の事を『チャンピオン』と呼んでいたのは、言うまでもない。
2006年05月20日
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アンソニーは、日本語を知らない。今までも、これからも、学ぶつもりも無いし、私も教えるつもりも無い。彼が、知っているのは、『おはよー』『ありがとー』『おいしー』『おやすみー』の、4単語のみ。これで、英語の喋れない家族と、4週間過ごせたのだから、十分だ。もう一つ、彼のお気に入りの単語がある。それは『オヤジ』。『オヤジ』の習性を、とことん教え込んだので、食後にゲップをするニーナにも『オヤジだー』って言ってる。よしよし、分かっているじゃないか。私の前でおならをするあなたも、立派なおやじなのに。しかし、彼は『オヤジ』を、いい風に解釈しているようだ。例えば、酒の肴を作り、『これはオヤジのつまみ』と説明すると、『オヤジ』のポイントが、ぐぐっと上がる。たくさんのつまみのある居酒屋は、オヤジバーと思っている。日本で一番古いバーと言われる、浅草の神谷バーに連れて行ったら、感動していた。たくさんの『オヤジ』(おじいさんが多い)たちが、昼から、つまみを食べ食べ、皆で楽しそうに酒を飲んでいる。すごい盛り上がっていて、グループで来たのかと思うと、そうではない。『それでは、さようなら。またいつかお会いしましょうー。』って、帰って行く。その場で、お友達になって、楽しく過ごした『オヤジ』たちなのだ。うちの父も、一人でふらっと神谷バーに行く事も多い。でも、絶対誰かとお喋りして、寂しくなる事なんて無い。浅草で勤めていて、退職後、毎日一杯飲みに来る人ともお友達になったようだ。あそこは、『オヤジ』たちの社交の場かもしれない。アンソニーは、『オヤジ』は、人生を楽しんでいる生き物、と思っているようだ。今回、大阪に住む友達に会いに行ったのだが、彼女が、『アンソニーさん、大阪のオバサンは恐いから、気を付けてね!』と、言った。『オバサン???』アンソニーは分からない。し、しまったー。私が、教えるのを避けて来た単語だ。自分が、『オバサン』の範疇と判断されるのを恐れて、ひた隠しにしてきた単語だった。英語の達者な彼女は、『オバサン』の特徴を、延々抗議してくれた。その甲斐あって、アンソニーは、『オバサン』を理解したようだ。しかし、『オバサン』の強烈な行動を目撃する度に、『あれはオバサンか?』って、相手に聞こえるように、私に質問をしないでおくれそうよ、あなたは『オバサン』を習得したわよ。私はいつ彼に『オバサン』のお墨付きをもらうのだろうか?今は『オヤジータ(ちいさなオヤジ、女性名詞)』と呼ばれているけど、、、
2006年05月18日
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リスボンに行くときは、最寄りの駅の駐車場に車を止めて、電車で行く。リスボンでの運転は恐いし、何よりも道を知らないと、パニックになるので、電車で行くのが安全だ。私は、リスボンより南に住んでいる。リスボンより土地が安いので、リスボンに通勤する人のベッドタウン地域と言っても良いだろう。去年だったか、沿線が伸びて、我が家により近いステーションが出来た。今まで、最寄りの駅まで、25分から30分だったのが、その半分になったので、我々にとっては画期的な事だ。リスボンが、より身近に感じる。今日は、昼食会があったので、うきうきしながら、最寄りの駅まで車を走らせた。駅の駐車場周辺は、路上駐車でいっぱいだ。交通費もかかるし、駅の駐車場に止めると、さらにお金がかかるので、ケチって、路上に止める人も多い。毎日の事なら分かるけど、たまにしか、リスボンに行かない私が、路駐をして、たまたま警察に罰金を喰らったら、アンラッキー。いつも、お金を払って、駅の駐車場に止めていた。のだが、、、今日は、ゲートが開かない。見ると、汚い字で、『駐車場は、通勤定期券と込みで、駐車場を月額払っている人のみ』と、書いてあった。今までは、そんな事は無かった。これは、新しく出来たルールだ。入り口の、かったるそうにしている係員の女性に『どこに止めたらいいの?』と、聞くと、『さあ?外じゃない?』だって。彼女の対応にも、腹が立ったけど、路駐して、違反切符を切られた場合、鉄道会社は、責任を取ってくれない。あまりに無計画の鉄道会社に腹が立った。結局、時間もなかったし、しょうがないので、路駐する事に、、、でも、気が気ではなかった。。。この周辺に住んでいて、リスボンに働きに行っている人は多い。私のように、バスの無い様な辺ぴな場所に住んでいて、駅まで車で来て、電車でリスボンに行く人も多い。駐車場のキャパがないのだ。そういう調査は、なされていないようだ。その逆に、二つ先の駅では、大きな駐車場を二つも作り、一つは、誰にも使われていないものがある。この駅では、駐車場のキャパがないくせに、駐車場込みの定期券を売るだけ売って、駐車場に車を止められない客から、文句が出たに違いないことは、容易に想像出来る。お粗末ですなあ。ポルトガル人は、計画を立てるのが苦手らしいけど、、、これはあまりにも無計画。ポルに、未来予想図は描けないのだろうか。。。
2006年05月17日
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奈良の興福寺に行った時、我々は、一人の日本女性から英語で話しかけられた。『レッツゴー、ティセレモニー。スリーパーソン、オッケー。』50歳を過ぎた品の良さそうな女性だった。後で分かったのだが、興福寺関係の婦人会が、イベントをやっていて、抽選会やお茶席などを催していたのだ。その女性は、和菓子付きのお抹茶が飲める券を持っていて、3人まで入れるから、ガイジンを連れているカップルを誘った様なのだ。ありがたく、その誘いを受けたのだが、、、その女性は、私が日本人であるということに、少々びっくりしていたようだった。ポルトガルから来た事等を話すと、『あなたの方が、どちらかというと、異国の人に見えるわ。やはり、水や食べ物が違うと、変わって来るのか知らねえ。。。旦那さんは、うちのお寺の住職さんに似ているわ。』ど、どおーいうことですかっ!確かに、小さい頃は、フィリピン人っていじめられたけど、大人になってからは、そんなことないぞ。来ているシャツの色が派手だったんだろうか?出で立ち?分からない。。。その後は、平城宮跡へ。普通の人なら、何も無い!って思うかもしれないけど、考古学者になりたかった私は、こういうところで、発掘作業をするのが夢だった。うきうき。ここは、至る所に、ボランティアがいて、質問出来るし、資料館でも詳しい説明をしてくれる。とても素晴らしい場所なのだ。遷都1300年記念の2010年に合わせて、再現工事が行われている。私が近くのボランティアのおじさんに、質問したら『あんた、日本語上手いね。』『私は日本人ですっ!』『冗談、言っちゃいけないよ。』と、おじさん。アンソニーは、大笑い。ポルでは、簡単だが、日本の雑踏の中では、私を見付けるのが難しい、という彼。つまり、それだけ私は、アジア人なのだ。彼らは、私を何人と思っているのか?アンソニーは、寺の住職と言われたり、結婚写真は、相撲部屋の親方と言われた。去年、日本訪問の際、電車の中で寝る日本人を指差し、バカにしていたくせに、今年は、彼が毎回、電車の中で曝睡していた。こいつは、日本人かもしれない。。。その後、アンソニーの希望で、名古屋のトヨタテクノミュージアムに行った時の事。彼の為に、英語のイヤホンガイドを、借りることにした。親切な受付の女性は、アンソニーに、イヤホンガイドの使い方を、あれこれ教えてくれた。その女性は、『あのう、他の言語のイヤホンガイドもありますけど、、、』私『は???』女性『韓国語のもありますけど、いかがですか?』あ、そっか、そういうことか。これで、謎が解けた。皆は、私を、韓国人だと思った訳ね。でも、よくよく考えてみると、顔の見え方より、私の日本語のレベルに、問題があるような気がしてきた。ちょっと、心配。。。
2006年05月16日
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旅行って、準備は嬉しいけど、帰って来たら、持って行ったものを、元に戻す作業が嫌い。行った先々での、パンフレットを見付けては、思い出に浸ってしまう。こんな調子で、1週間程、だらだら後片付けをしている私。いい加減、きれいにしなくては。。。ついでに大掃除をして、ぐったり疲れてしまった。ということで、アンソニー日本行脚の続きは、また明日。日本へ行っていた間に、見逃したもの。。。季節の移り変わりかなあ。植物が、花を開く時。いつもは、庭で花のつぼみを見付けて、春を実感し、花開くときをわくわく待っている。しかし、今回は、それを見逃した。旅行前は、小さなつぼみをたくさんつけていたオレンジの花。帰国したら、全ての花を咲かせて、花が散った後だった。白いオレンジの花は、可憐で、匂いが素敵なのに、残念。小さなバラも、狂ったように花を咲かせて、春前の弱々しい感じはない。そっか、季節は移り変わっているのねえ。。。近所のスーパーマーケットで、フランス語が聞かれるようになった。ポルから、フランスへ移住した人たちが、ポルにお里帰りして、バカンスをするのだ。そこは、自然公園である山を越えて、海に行く途中の、ラストスーパーマーケットなので、ここで買い物をして、山の中のキャンプ場や貸しアパートに行く人が多いのだ。今回、フランス語を話していたグループは、退職者の様な感じ。彼らは、夏の混雑を避けて、今の季節に、遊びに来たのだろう。本当のバカンスシーズンは、もう少し先かな。あのスーパーで、フランス語が聞かれるようになると、もう夏なのだ。
2006年05月15日
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札幌に叔父がいる。折角なので、叔父に会いにいこうと言う事になった。我々は、ジャパンレールパスを使い陸路で、私の両親は空路で、札幌で落ち合う事になった。札幌には、3日間の滞在だったが、おいしいものを毎日たらふく食べて、毎日が宴会だった。最後の夜は、叔父と父のゴルフ仲間を宴会の席に呼んでいた。我々は、その人とは初対面だったけど、お酒も入っていくうちに、楽しい気分になったようで、一次会のあと、行きつけの『すすきののナイトクラブ』へ誘われた。『ナ、ナイトクラブ?』話には聞いていたが、行った事の無いアンソニーは、興奮気味。我々の貧乏旅行には、そんな計画はもちろん入っていなかったから。。。(当たり前か、、、)日本で働いている時に、仕事上おじさまたちと、何回かナイトクラブへ入った事があったけど、今回のナイトクラブはすごかった。格が違うって感じ。雑居ビルの二つのフロアーを続けて店にしてあり、店内はシックでいい感じ。着物を着ているホステスさんが多い。着物ってお金がかかるけど、その分ペイはいいらしい。その分、客がお金を落とす仕組みになっているのね。高そうな店だった。誘ってくれたその人は、すすきのの開業医。店の『顔』らしく、我々が行ったら、わあーっと何人も女性が、接客してくれた。叔父の意地悪で、アンソニーと私は離れた場所に座らされた。アンソニーの隣には、小柄な着物の女性が座った。京都弁と英語を巧みに使いこなすホステスさん。可愛い人だった。アンソニーがあまりに嬉しそうなので、写真を撮ってあげた。彼女の両手は、アンソニーの太腿の上にあった。『ちょっとー!!』私が、初めて、嫉妬した瞬間だった。(彼女は、我々が結婚しているとは知らなかったようだ)今考えると可笑しい。ドイツ女性にも、ポル女性にも嫉妬した事が無いのに、、、、歌った事の無いカラオケを、ホステスさんとデュエットしたり(しかも2曲も!)すすきのナイトライフ満喫したアンソニー。ホテルに戻ってから、『あのような職業をしなくてはいけない状況が可哀想だ。』って、あのホステスさんの事を思って、涙ぐんでいるしんみりしている。こういう人が、すすきので身ぐるみはがされて、すってんてんになるのだろう。。。よかった、日本に住んでいなくて、、、私の嫉妬に気付いたアンソニーが『たくさん女性がいたけど、小町ほど奇麗な子はいなかったね♪』と、おべっかを使った。なにいーーー。鼻の下をのばしてたくせに!『早く寝なさいよっ!!』それ以上の会話はせず、彼に背中を向けて寝たのだった。
2006年05月14日
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朝、起きてメールをチェックすると見慣れないメールアドレスから、メールが届いていた。何だろう?そこには、一行だけ。『小町 お誕生日おめでとう ももよ』そう、今日は、私の誕生日だ。これは、母からの初めてのメールだった。実家近くの、区の施設で、コンピューターの使い方、インターネットの使い方を、無料で教えてくれているらしい。今回の帰国の際、インターネットが無料で使えると言う事で、私も母について行った。行ってみると、常時3人程の若者がいて、年寄りにも親切に使い方等を教えてくれていた。我々が、インターネットをやっている間、母は一人で、別のコンピューターに平仮名の入力を頑張っていた。若い世代のご両親なら、インターネットで、メールなどやっているのだろうけど、うちは70歳過ぎで、いままでコンピューターなんて、無縁の生活だった。平仮名を、ローマ字で入力するのも難しいようだ。彼女は、平仮名をローマ字表記にしたお手本を片手に、ポツポツ入力していた。一度、彼女に呼ばれた。『きょう』という入力が出来ないというのだ。『kyou』ではなくて、『kiyou』と入力してしまうのが原因だった。我々にとっては当たり前のことが、彼女に取っては、大変みたい。漢字の変換ができるようになったある日、『お手本だけ見ながら入力しても、つまらないよ。メールアドレスを作ってあげるから、これでメールを送って頂戴。少々無理しないと、出来るようにならないから。』と、無理矢理、アドレスを作ってあげた。彼女は、どうやってメールを送るか、その手順を書き留めていたようだ。でも私は、彼女からメールなんて当分来ないだろうと思っていた。それが、誕生日にあわせて、初めてのメールを送ってくれたのだ。きっと、担当のお兄さんにいろいろ助けてもらったのだろう。たった一行のメールだったが、すごく嬉しかった。彼女の努力した姿が見えるようだ。私が生まれたのは、母の日だった。病院では、『親孝行の娘になりますよ』なんて言われたらしいけど、どの子どもよりも、一番遠くに住んでしまった私は、親不孝なのかもしれない。すまぬ。。。メールがつながって、日常の写真も送れる事だし、ポルー日本間の距離がぐぐっと縮まりそうだね、ママちゃん。
2006年05月12日
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今回の旅の目的は、新婚旅行もかねて、『和装で結婚写真を撮る』事だった。私の変身風景を、是非見てみたいとダダをこねるアンソニー。『普通は、旦那様には、そういう所をみせないのですけど。奥様がそれでよろしいのでしたら、、、』と、特別に許可をもらって、美容室に入れてもらった。頭にはネットをかぶり、どんどん厚化粧になって行く私。口紅は、朱色でべったり。こめかみには、濃いピンクのチーク。まるで、京劇の猿の様な感じ。アンソニーは、化け物でも見ているかのような面持ちだった。傑作だったのが、アイラインとマスカラ。目を閉じて、付けてもらったのだが、担当の人が、『目を開けてくださーい』といわれた時に、バッチリくっついていて、剥がれなかった。『目が!目が開きませーん。』と言うと、メーク担当が、両手で、上まぶたと下まぶたを引きはがしてくれた。ああ、びっくりした。とにかく、すごいメークだった。でも、かつらをかぶると、そのメークも、派手すぎない。化け物みたいに見えていたのは、頭がネットで覆われていたからなのね。ヘルメットみたいで、大きさ調節自在なかつらは、全然痛くなかった。カチカチって、締めると、頭にぴったり合ってしまうから不思議。姉が結婚した時に、かつらが痛くて、頭痛がするって言ってたなあ。あの時から、かつらも技術進歩したんだ。私のメークが終わり、アンソニーも着付けに入った。カーテンを仕切った向こう側で、なにやら笑い声が聞こえて来る。私の担当者が『よかったですね!旦那様、楽しんでくれているようで。。。』あとで聞くと、『父から借りた新品のズボン下やシャツが、ぴちぴちで大鏡に映った姿が可笑しかったこと』、『着付け担当の女性が、すごく小さな人で、ひもを後ろで結ぶのに、アンソニーのお腹が大き過ぎて、前から全然届かなくて、彼のお腹を抱えて四苦八苦していた』ので、二人で笑っていたそうだ。以前の日記にも書いたのだが、私は、着物が似合わない。しかし、相手は、ガイジン。どう転んでも、日本人の私が、負けるはず無いと、タカをくくっていた。だがっ!むちゃくちゃ似合うじゃないか、アンソニー。私なんかより、全然似合う。きーーーっ!口惜しい!普段は、リップサービスをしない姉が、絶賛していた。姉は、『お腹がでていて、貫禄があるし、何よりも堂々として写真に写っている。日本人に、なりきっている。』と言うのだ。ますます口惜しいー!と言う訳で、南蛮人に負けて悔しいので、写真は載せられないっ!完敗宣言なのだ。とほほ。。。追記写真館が、刀を用意してあったので、アンソニーは一人で写真を撮り、念願だった侍になることが出来た。しかし、結婚記念の写真が、『さやから半抜きの刀を持っている仁王立ちの旦那』って、どうよ?
2006年05月10日
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帰国して、二人ともへろへろ。やっぱり、年齢的なものかなあ。体が疲れているのは当たり前だ。だって、2週間ほとんど休み無しで、日本中を駆け巡ったんだもの。お世話になったのは、これ!!ジャパンレールパス。表紙が日本ぽくって、かっこいい!観光で日本に入国した外人や、外国で外人と結婚している日本人、または永住権を持っている日本人等が購入出来る。つまり、日本に住んでいる日本人と、日本で働いている外人は購入できないって訳だ。これを持っていれば、日本全国、『のぞみ』を除く新幹線からすべてのJR電車に乗ることが出来る。しかも、指定席が予約出来る優れものなのだ。使用期間は、1週間、2週間、3週間と選ぶことが出来る。また、普通車かグリーン車を選ぶ。普通車使用で、1週間で、お値段は28300円。一回、東京~京都を新幹線で往復すると、もとがとれてしまうらしい。1週間、毎日京都に通ってもいい訳だ。今まで、私は列車で旅行なんて、考えても見なかった。『タイムイズマネー』で、少々お金を払っても、早く目的地に着きたかったのだ。しかし、アンソニーの『日本の田舎の風景が見たい』という要望で、このパスを買うことにしたのだった。我々は2週間のパスを買って、東京から仙台、函館、札幌、青森、日光、京都、奈良、大阪、高山、名古屋と駆け巡った。忙しい旅だったけど、アンソニーに、なんとなく日本の様々な都市のイメージを持ってもらう事ができたようだ。北海道に住む叔父家族とも会えたし、函館や大阪に住む友達にも会えた。アンソニーを知ってもらう事が出来て良かったなー。列車の旅は、思ったより良かった。特に、青森から函館にいく辺り。昔は、栄えていたのかなーなんて思われる、うら寂しい土地。よく演歌に歌われていた場所。昔は、よく分からなかったけど、今だったら、あの歌詞の内容が、少しだけ理解出来る様な気がした。飛行機では見る事が出来ない場所を、列車は進んで行ったのだ。ガイジン、アンソニーの意見で、この列車の旅を選択し、私が知らなかった日本を見たことは、今回の旅の大きな収穫かもしれない。2週間、普通車利用で、45100円。この値段で、あれだけ廻ったのだ。あっぱれ、ジャパンレールパス!ガイジンと結婚して、外国で生活している日本人の特権って、これぐらいだと思うのは、私だけだろうか?
2006年05月09日
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日本での4週間の滞在がもう終わる。明日の朝、日本を発つ。今回も、いろいろな思い出がまた増えた。楽しい思い出が増えるのはいいけど、買ったお土産の品も増えていく。これからスーツケースに、お土産を詰め込むと思うと、頭が痛い。全部持って帰れるのかな。。。しばらく、日記の更新をサボっていたので、来週からまたゆっくり再開だ。日本の良さは、みな周知のことなので、いまさら、われわれの日本旅行記を書いてもしょうがない。日記には、アンソニーの初体験、日本での発見、面白かった出来事などを、少しピックアップして書いていくつもり。乞うご期待!してないかー。。。
2006年05月05日
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日本に帰国してから、実家にネットがないし、ホテルにネットがあっても、旅行と通訳疲れで、日記もご無沙汰だ。今、我々は高山にいる。ジャパンレールパスを使った、2週間の列車での旅行が明日終わる。仙台、函館、札幌、青森、日光、大阪、京都、奈良、高山と、駆け巡った。友達の家を訪ねたり、ホテルに泊まったり、、、楽しかったけど、疲れたー。明日は名古屋から、東京へ帰る。でも、まだ旅は終わらない。名古屋で、トヨタのテクノミュージアムに行きたいと、アンソニー。さすが目の付けどころが、科学者っぽい。その後は、両親と、鎌倉、熱海に行く予定。とほほ。。。着物で結婚式の写真を撮ったり、すすきのナイトクラブへ行ったり、カラオケをしたり、日本文化を満喫しているアンソニー。通訳ガイドの私は、疲れているのだ。次回は、一人でのんびり帰国だなっ!
2006年04月26日
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ここ2日間の日記を見れば分かるように、私の頭は『日本』でいっぱい。と、言う訳で、これからアンソニーの日本行脚・第二弾が始まる。アンソニーの為に、サクラを追いかけて、東北へ、それから北海道。その後は、西に、京都、奈良、大阪。前回は、福岡、広島といったので、今回の旅行で、日本列島縦断ということになるかな。和装フォトウエディングも予定に入っているのだが、どうなることやら。。。果たして、アンソニーは侍になれるのか?本当は、いつでも熱い南蛮人を、一週間ほど禅寺にたたき込んで、修行させたいのだが、無理のようだ。残念。でも、日本の寺を訪れて、『心の静寂』を学ばせたい。しばらく、更新は出来そうにないけど、帰国したら、『アンソニーの新しい発見・イン・ジャパン』を日記に書きたい。私の頭の中は、もちろん、日本食でいっぱい。この旅行は、私的には『食いしん坊小町の日本縦断食い倒れツアー』がメイン。冬眠前のクマのように、食いだめしなくちゃ!アンソニーは、ポルに戻って来て、新たな日本食の再現をしてくれるかもしれない。頑張ってくれたまえ~。我々は、しばし、日本の春を楽しんでこよう。皆様、お元気で!
2006年04月08日
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次回の、日本帰国時に、結婚の記念になる写真を撮りたいなーと思っていた私。南蛮人のアンソニーに、着物を着せたいのだ。ガイジンとはいえ、黒髪に黒い目だから、そんなに違和感は無いはず。ネットで、いろいろなフォトウエディングを調べて、なかなかよさそうな写真館を見付けた。メールでの回答も迅速で、とても親切。そこに決めようかなー、と思って、アンソニーに相談してみると、こんな答えが返って来た。『衣装のサイズが合わなくて、間抜けに見えるようなら、写真は絶対撮らないから!』本当は、侍になりたいアンソニーが駄々をこねた。しまったー!!アンソニーの体系のことを、写真館に相談するのを忘れていたー。彼は、身長は182センチなのだが、お腹が出ている。胸も厚みがあるほうかな。ポル人の中年なら、お腹が出ている人が多いだろう。このお腹は、ポル人のDNAなので、避けられない哀しい性なのだ。私は、彼の事を太っているとは思わないが、きっと普通の日本人女性からみたら、太っているのだろう。デブには寛容なので、デブ男友達の多かった私は、大学時代の友達から『デブキラー』と、あだ名を付けられた事もある。さて、写真館に、メールで彼の体型を説明し、彼に合うサイズの着物があるか問い合わせをした。この時、私は、『太っている』という言葉を、ひとつも使わなかったのだが、その返答を見て、いたく感動してしまった。『恰幅の良い方の和装は、着付けがしやすいので、ご安心ください。』 『太っている』とは言わずに、『恰幅の良い』という、心の細やかさ。素晴しい!日本語の表現の豊かさ、日本のサービスに感動した出来事だった。
2006年04月07日
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ああ、今年も東京のサクラが見れなかった。実家は、隅田川の近くで、小さい頃から、隅田川沿いの桜並木が、お花見の場所だった。サクラは、季節限定なので、ちょうど花見の時に、日本へ一時帰国するのは難しい。年によっては、一週間早く開花したり、遅くなったり、、、サクラの季節に合わせるのは難しいけど、温泉なら季節に関係なく入れるなー。やはり、外国に住んでいる日本人にとって、『温泉に入る』は、帰国したらぜひ考慮に入れたい事柄だと思う。学生時代は、九州で過ごしたので、時間があれば、友達たちと、九州内の温泉巡りをしたものだ。クラスの女の子の集まりが、そのまま『温泉サークル』みたいなものだった。懐かしいなあ。アンソニーは、温泉が苦手。ガイジンなので、人前で裸になって、知らない人とお風呂に入るのが嫌なのかと思ったら、そうではない。熱いお湯が苦手なのだ。40度以上の湯船の中に、何分も入っていられないらしい。一度、両親と温泉付きのリゾートマンションに行って、父が共同浴場の温泉を彼に見せた。お湯の温度を確かめた彼は、『入れません。。。』と、断って、部屋に付いている小さなユニットバスのシャワーを使ったのだった。私は、日本へ一時帰国したら、どこかの温泉宿に泊まって、温泉につかり、浴衣を着て、いい気分で部屋で、何皿も目の前に並ぶゴージャスな夕飯を食べたいのに、、、気分を味わうだけでも、温泉宿に泊まるのはいい事なのかもしれないけど、やはり、温泉に入らなければ、意味がない。『アンソニーよ、君がその肉襦袢を脱がない限り、温泉という日本文化を味わう事は出来ないのだ!』そんな訳で、アンソニーと温泉宿に泊まるのは、夢のまた夢。。。 とほほ。。。
2006年04月06日
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いつもニーナと一緒に行く、裏の雑木林。松の木、コルクの木が多いのだが、木が生えていない野原もある。羊が草を食べに来るので、ころころした羊のウンチが転がっている。散歩するときは、要注意なのだ。今は、花が満開で、春爛漫という感じ。踏みつけないように、隙間を見付けて歩かなきゃ。ローズマリーも、きれいな色の花をつけている。花には、ミツバチが群がっている。彼らは、ローズマリーのはちみつ作りに貢献しているのだ。私も、少々拝借して、乾燥させて、料理に使っている。ニーナの散歩は忙しい。花のニオイをかぎ回ったり,うさぎの巣穴に鼻を突っ込んでみたり、、、彼女にとっては、我々より何百倍もの情報が、その野原に広がっているのだろう。でも、とっても楽しそう。我々も楽しい発見をする。蟻が、巣穴から砂を運び出して、大きなお城を造っている風景を観察したり、ふんころがしが、羊のフンを処理するところをじっと眺めたりする。二人で、そっと眺めているところに、ニーナが割って入って、踏みつけたりすることもある。『こら~、ニーナ!』これも、自然界の法則か、、、雨が降り続いた後に行くと、何種類ものきのこが、にょきにょき生えている。食べられないんだろうけど、見るのも楽しい。ニーナちゃん同様、我々にとっても楽しい散歩なのだ。
2006年04月05日
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『きゃああ、、、なんですかー、その鼻?』ニーナの間抜けな顔を見て、叫んでしまった。これ↓。最初は、ハトの糞が、ニーナの鼻を直撃したのかと思った。でも、彼女はそこまで、のろまではない。よくよく見ると、それが何かすぐ分かった。2、3日前に、芝生に、肥料を撒いたのだった。その一部が、溶けないで、庭のすみで、だまになっていた。そこに、ニーナが鼻を突っ込んだらしい。多分、もぐらなどのニオイを嗅ぎ付けたからだろう。がびがびになった鼻の上に、落ち葉が張り付いている。『おもしろーい。写真に撮っちゃお!』あまりに、可笑しかったので、そのままにして、アンソニーに見せてやろう、と思った。その後、すぐ帰宅したアンソニーは、びっくりして『可哀想に!すぐ水であらいながしてあげるからねっ!』ニーナに話しかけ、2人で鼻を洗いに行った。その後ろ姿を見て、これが、本当の父親(生まれた時からの飼い主、アンソニー)と、継母である私の違いなのかと思った。私は、『面白いからそのままにしておこう』と思う、悪い継母なのだ。ごめんよ、ニーナ。
2006年04月03日
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