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私は始めから相似象に興味を持ったわけではありませんでした。 日本で最初の書物が古事記であり、それがいきなり漢字で書かれていると、学校で習ったときに、大きな疑問を感じました。もしその当時の人が、いわゆる原始的な人で、そこに漢字をもった人たちがやってきて、その土地の人を征服したらどうなるでしょうか。現在のブラジルとかアルゼンチンのように2つの言語が使われるということになっていたように思います。仮に征服者が、自分たちの言語以外の使用を禁じていたら、いわゆる日本語はなくなっていたと思います。当時の人たちは、自分たちの使用していた言葉を、漢字で表記せざるをえない状況に追い込まれたことは確かなようですね。その漢字表記を当時の多くの人たちが理解するということは、すでに相当高い文化が存在していたということだと思いました。それで古事記以前にはどんな文字が使われていたのか興味を持ち始め、やがて相似象に出会ったわけです。
2008.08.31
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宇野先生が別荘でご子息とともにお亡くなりになって2年が過ぎようとしています。その死の悲しみがいまだ癒されることはなく、思い出すたび無念さがこみ上げてきます。ご高齢であったのでそういうことがいつあってもおかしくはないと思ってはいましたが、その最後の迎え方が想像の範疇を超えていました。 新聞記事を読みますと、おそらくなんらかの犯罪に巻き込まれたかのように思われます。最後に心をよぎった言葉は何だったのでしょうか。誰に何を伝えたいと思われたのでしょうか。かえすがえすも残念でなりません。先生の後継者となるべき人は、いらっしゃるのでしょうか。 どなたか先生の晩年をご存知の方、様子をお知らせください。
2008.08.30
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テレビやラジオから流れてくる言葉は、事件や事故の報道ばかりで必要以上に人の心に訴えようとしている。 また、通販のコメンテイターは、物欲に訴えて、なかば脅迫的な言葉を繰り返し、それを買わない人に、心理的ダメージを与えている。 隣の国のアナウンサーや、お国の役人は、他国を非難する言葉を、声高に叫んでばかりで、人の心の中に不快感を植えつける。 いったい、いつからこんなことになってしまったのか。人の発する言葉とは、こんなにも浅薄で、恣意的で、傲慢なのであろうか。 と、思っていたら、旅番組の中で、何気なく話されていたお年寄りの言葉が耳に心地よく響いてきて、心の中にスウッーとはいってきた。 心がその人の言葉を拒否することなく、むしろ積極的に聞こうとしていた。 相手をいたわる言葉、 愛するがゆえに、その切なさを吐露する言葉、 別れのとき、再会を誓い合う言葉、そのひとつひとつが、淡々としていて、温もりが感じられ、 その人の人生が言霊をともなった言葉として語られていました。 このとき、言葉が音楽のように直接心に伝わるのを感じました。少し落ち着いて自分の発する言葉に耳を傾けて見ようと思いました。
2005.11.28
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尾崎豊も山田かまちも、おなじ年代の若者にいまもって支持されています。私もとても好きですし、共感もします。痛いほどその気持ちが分かるし、 かつての自分もその激しさの中に身をおいたこともあります。その流れの中でそのまま突き進むと彼らと同じ道をあゆむことになったでしょう。 でも私は今生きています。そのときと同じ気持ちを持って、爺(じじい)になるまで生きてやろうと思ったのです。そうすればどんな人生になるだろうと思ったのです。 50を過ぎて振り返ると、他の人とそんなに変わらない人生を歩んできたのだろうと、思っています。でも、たぶん、他の人の気持ちを分かってあげたいと願い、分かりたいとも思い、努力をしてきたぶんだけ、少しは、何か違った人生になってきているのかなとも思います。 嬉しい事と悲しいこと、楽しいことと苦しいこと、どうもこれらは1セットになっているようですね。 どちらか一方だけが存在することはないようです。 二人が爺さんになった姿が見たかったなあー。
2005.10.16
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私は少なくとも、今の世代に失望も、悲観もしていません。いつの世でも、上の世代は下の世代を頼りないと思うものです。 ですから自分が年をとって、今起こっていることにすぐに対応ができなくても、まだ自分のほうが若いやつよりまだましだと思って権力を渡すわけには行かないと思うのです。 Y新聞のW会長がその良い例でしょう。 どんな有能な人間でも、その立場に立たなければ、理解できないことが多々あるわけです。一番難しいのは、世代交代であり、これが上手くいかないと、かつてのニッサンのようになります。 上の世代の本心は、自分をギャフンといわせるだけの若者が出てきて欲しいと願っています。若者の能力が自分より上であると、認めたいのです。認めたとき安心して身を引くことができます。 どうか皆さん、恐れずに、上の世代に戦いを挑んでください。もし何もしなくても、時間さえ経てば自然に自分たちの世界になると思っているならば、それは間違いです。 そのときは、日本人ではない、第3者が君たちの上に立つでしょう。そうなれば、残念ながら君たちの時代は来ません。いつの時代でも甘くはないし、平和でもないのです。
2005.10.10
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私たちの時代は、今よりずっとゆっくりと時間が流れていました。ですから意固地になって自分に向いているかも分からない仕事を、何とか一人前になろうと、バカみたいに頑張ってやり続けることができました。 今思えばやり続けることができたのは、決して自分に向いていないことではなかったのだろうと思えることです。 おかげで自分のままでいては到底知りえなかった、別の世界を知りえたことでした。 人が困難に遭うことの意味が分かる気がします。もしあなたが壁に当たっていると感じていたり、容易に開きそうもない扉の前で途方にくれていたりしているならば、 扉は開かれるためにある、と信じることです。もちろん、それなりの努力は必要です。今ある能力の全てを、出し切ることです。思いつくありとあらゆることを、試してみることです。そして後は、結果を恐れず、待つことです。 今の時代は、時間が滝のように流れ、知識も、流行も、明日には陳腐化します、でもその両方を作り出しているのは若い人たちです。 若い人には、時代を生き抜く力が、与えられています。それを信じてください。どうか、自分自身を腐らせないで下さい。
2005.10.09
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これといってやりたいこともなく、かといって、ブラブラしていてもまとまったお金が入ってくるわけでもないので、知人の家で働き始めました。 これがこの道に入ったきっかけです。始めは、分からないことばっかりで、当たり前ですよね、学校での知識など全く役に立ちませんでした。 なにせ、始めてみるもの、初めて手に取るもの、テストさえ良ければ何も言われなかった学生の頃とは全く違って、毎日何かしらの結果を出し続けなければならない、納まるものを作り続けなければならない、失敗は許されないという、環境の中で、 毎日が必死で、毎日が勉強で、遊ぶことや、休むことなどなど頭の中に、棲むところがなくなっていた。 きれい事ではなく、そうでもしなければ、他の人に追いつくことができなかったのです。他の人と同じようにできないのが悔しくて、切なくて、今まで自分が何をやってきたのか、自分が劣っているようで、情けなくて、自分に自信が持てなくて、今ここでやめたら、一生負け続けるような気がして、 そんな不純な動機でここまで来てしまった。でも今の若い人たちには、もっと純粋な気持ちで、何かしらの仕事について欲しいと願うのである。
2005.10.08
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