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日本語の「始まる」「始める」どう選んで使えばいいのかわからない、と昔言ってくれたフランス人の高校生がいました。「そう言われてもねえ」そう言えば、どっちもフランス語では同じ動詞だし。日本語教師はすごい、と思ったのはやっぱりその時。その時はぱっと答えることができなかったので、やわやわと調べてみました。「恋が始まる」「コンサートが始まる」「彼は法律の勉強を始めた」フランス語では「始まる」も「始める」も大体 commencerという動詞を活用します。英語ならstart や beginですよね。 「始まる」は自動詞で「○○が始まる」と目的語が要りません。something starts 「始める」は他動詞で「○○を始める」と目的語が要ります。start something● 学校が8時に始まる。La journée d'école commence à huit heures.My school starts at 8 o'clock.● 2型糖尿病はインスリン抵抗性で始まります。→ インスリン抵抗性は2型糖尿病の発病につながります。Type 2 diabetes begins with insulin resistance.これをそのままフランス語にできないわけでもないと思いましたが、一応、ぐぐって見て似たような表現を探したのが以下の二つの文例です。Le Diabète de type 2 commence par une résistance à l'insuline, un état dans lequel les cellules ne répondent pas correctement à l'insuline. 2型糖尿病は細胞がインスリンに正しく反応しないインスリン抵抗性から始まります。Le diabète de type 2 est un diabète résistant à l'insuline.2型糖尿病はインスリン抵抗性の糖尿病です。● 私は仕事を早朝2時に始めます。(パン屋さんかも)Je commence à travailler à deux heures du matin.I start work at 2 o'clock in the morning.できる時の今日の単語 英日仏- nepotism 縁故ひいき népotisme- When push comes to shove, いざとなればle moment venu,lorsque les choses s'aggravent, 状況が悪化した場合は、- oath = a formal promise, especially one made in a court of law 宣誓serment- to advocate 唱える、擁護する défendre, préconiser, prôner- to allude something 何々をほのめかすévoquer quelquechose, faire allusion à quelquechose働きながら60歳で慶應義塾大学を卒業した私の生涯学習法 [ 大森静代 ]15歳はなぜ言うことを聞かないのか?最新脳科学でわかった第2の成長期 [ ローレンス・スタインバーグ(LaurenceSteinberg) ]
November 18, 2016
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日光で今年2018年7月29日から消息を絶っているフランス人女性ティフェンヌ・ヴェロンさんの家族に対して日本からもフランスからもやや辛いコメントが投稿されています。ヴェロンさんのご家族が日本の警察に不満を述べている部分と、マクロン大統領に訴えた部分で、日本側だけでなく、フランス側からも、批判のコメントを寄せる人が多いこと。行方不明のヴェロンさんがてんかん体質だったことに対して、「今、騒ぐぐらいなら、何故、家族は病気持ちの人間を旅行に一人で行かせたの」という声は日仏両方から投稿されてしまいました。「マクロン大統領に、シャーロックホームズとして日本へ行け、ということか」というフランス側のコメントも投稿されていました。「日本はこの家族に税金を払ってもらうといいよ」とフランス語で書いている人など。「日本はフランスより30年進んでいるから」と書いているフランス人。確かに私も初めて大統領にあてたレターの中で日本の警察に不満を述べているのが、ちょっぴりカチンとはきましたが。と、いうのは、日本の警察が川に何人も入ってゆく様子を動画で見ていたので、あれっ?と思ったのです。あの映像はいつの映像なんでしょう。しかし、最初は来日した兄弟姉妹も警察の仕事にいろいろしていただいている、とは話していたようですが、以前として何の手がかりもつかめない状況に焦燥しきったのでしょう。妹さんが日本の警察への批判と言うより、不安は、 例えば、テクノロジーを駆使した操作などを通して頑張っていただいてはいるけれど、聞き込み捜査などされていなかった、あそこにいったのでは、という仮定は出すけれど、何故、そこに実際に行って捜査してくれないの、日本の警察は「行方不明者」に慣れていないのではないか、と不安を述べていたのですね。何故、すぐに公開してくれなかったのか、など。川に入って捜索している映像はいつのことなんだろう、とまた思ってしまう。公開捜査に踏み切るには家族の同意や犯罪に巻き込まれたことも視野の範囲に入れて慎重に決定するそうですね。家族もやはり相当の不安を募らせている故の日本の警察への不満だったのでしょう。誰に文句を言ってわからない時、人間と言うのは、目の前で自分を助けてくれようとする人に八つ当たりすることって何となくありがちな気がします。ティフェンヌさんの家族にとって日本の警察だけが頼りなんです。さらに家族にとって日本という国は言葉の通じない国ですから、それだけでも不安は倍増するのは想像がつきます。自分も言葉の全く通じない国に行った時は何もない日常の中でもふと危機感に襲われ、かなりパラノイアになりました。特に来日してみて初めて覚えた言葉にならない不安感がピークに達したのではないでしょうか。自分たちだけでは聞き込みもできず、積極的な捜査ができないという非常にもどかしい思いもかなり大きい、と思います。兄弟姉妹は行方不明のティフェンヌさんは日本が大好きで、日本の知人に手作りのコンフィチュールをプレゼントしたい、と持参もしていた、と話しています。 フランス人は手間暇かけてつくったケーキやジャムをプレゼントすることが結構多いです。やっぱり、心がこもっていて気持ちもあったまりますよね。ティフェンヌさんもそういう思いを日本で親切にしてくれた人たちにプレゼントしたいと思っていたことは想像がつきます。ティフェンヌさんはフランスでは障害者の子供たちの世話をする職業につき、精神障害の団体にも参加していたようです。時間があるとピアノを弾き、映画も好きで、ロシアと日本の文化に情熱を傾けて、日本には憧れていたそうです。ティフェンヌさんは日本が大好きで出発の半年前から旅行の準備をしていた、と妹さんは話しています。 てんかん体質を薬で抑えれば、そんなに問題は通常起こらないそうです。また、ティフェンヌさんはこれで二度目の日本だそうです。彼女も36歳ですから、自立していますし、自己管理のもとに日本観光に来ていたんですね。妹さんも持病があるので慎重だった、と話している様子が映っていましたし。2016年にフランスのブザンソンで消息を絶った日本人の若い女性、黒崎さんがいまだに見つかっていませんが、現地では確かに警察が聞き込み捜査をしている様子が報道されていたのを覚えています。テレビでも放映され、それで私も知ったニュースでした。それで若い女性の叫び声が聞こえたという証言をする人がいることがわかったり、ただ、それが黒崎さんの声であったかどうかは断定はできないのです。心痛いニュースです。まだ、あの若い女性の行方はわかっていないのですね。どこかで生きて戻ってきてほしい。日本側からの報道者がチリの容疑者の住む町まで行って容疑者は逃げまくっている、おそらく家族にかくまれているようだと報道していました。「行方不明者」の届け出がされた場合、警察がどういう行動を取ってくれるのか、私にもわかりません。日本では私立探偵に依頼することも多いようですね。たとえば、「家出人」はフランスの警察署に行くと、よく張り紙をみますが、結局、家族が必死になって探すしかないのではないか、と思います。事件性が出て初めて警察は動く、そんな気がします。ティフェンヌさんは29日、滞在先のホテルでドイツ人カップルと朝食を取り、この時に、天気が優れないので、美術館にも行こうかな、と話していたらしいという情報をティフェンヌさんの妹さんたちは得たようです。しかし、失踪から8日間経っても何の手がかりもつかめていない、と気丈な笑顔すら見せてフランスのテレビのインタビューに答えています。何故、日本の警察は基本的な聞き込み捜査をしないの、いろいろ情報を集めたにも係わらず、何故動いてくれないの、と。8月5日頃の報道でしょうか。現地ではボランティアで捜索に協力する人、通訳も出ていたんですね。警察もホテルからの通告を受けて、パトカーで回ったりしていたそうです。パトカーのことはそれは家族の方たちは知らないのかな。ホテルの人から「気をつけていってらっしゃい」と声をかけられ、出かけたティフェンヌさん。半袖姿に小さなバッグ、パスポートなし、遠出する気持ちはなかったでしょう。と、いうことは美術館に向けて歩いたのか。すでに日光市内では彼女のビラがたくさん貼られているんですね。それにしても当日はほかにも外国人の観光客も結構いただろうし、で、ほかの観光客と合流して予定を変えた?としても、その夜はやはりホテルには戻ってくるとは思います。パスポートもないし、着替えもないわけですから。まして恐らく限られた薬しか持っていってないわけだし。遅くなる場合は、ホテルには連絡の一つも入れると思います。だってホテルに戻って、鍵で閉まっていたら、部屋に入れないじゃないですか。フランスでも聞きますよ、ホテルに、何時まで戻らないといけませんかって。つまり、そういう状況になかった、と。どこかで監禁されている可能性も全くないわけではないのか。たくさん、観光客がいて、何故、彼女だけが戻ってこないのか。つまり、ホテルを10時過ぎに出て、天候が悪いから美術館に向かって行った、として、そこでどんな風にして、行方不明になるのか。誰かに車で連れ去られ、もう日光にいないのか。2018年7月29日に日光に日中からいらした方がいらしたら、どうか、もう一度、思い起こしてください。日光のお寺の方々ももう一度、よく思い起こしてみていただけませんか。身長162センチの明るい栗色の髪をもしかしたら、後ろでひとまとめにしていたかもしれないそんなヨーロッパ系の30歳半ばの女性を。ほんとうに早くティフェンヌさんが無事に保護されますよう祈ります。
August 9, 2018
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2024年11月21日、夫はいつもの列車に乗って、とあるノルマンディの小さな駅に着き、そこから車で帰宅する予定でした。この日は、後からニュースで知りましたが、ノルマンディは特に雪嵐に見舞われ、道路はスケート場なみの危険な状況になり、この季節にこの地方ではまだ滅多に雪は降らないので、多くの車は冬タイヤを装備しておらず、ノルマンディ地方ではトラック運転手たちに今夜は走行を禁止、道路脇にトラックを寄せ、一晩、そのままトラックの中で過ごすようにと通達がいったそうです。実際、不幸にして、人身事故も起こってしまったそうです。たった一晩の冷え込んだ夜のために。雪嵐は「カエタノ」Caetano だったそうです。この21日の夜はさすがに冷え込んで、時々緩やかなジェットコースターのような道路もあるので、夫が冬タイヤ無装備車で帰るというのが不安ではありました。そして、夫からの「今夜は帰宅できなくなった」というメール。間違って、違う町に向かう列車に乗ってしまい、しようがなく同じ列車が出発駅に舞い戻るので、それに乗り、その後、自宅に向かう予定の列車に乗ろうとしたが、運休になってしまった、と。夫の予定としては、と、あるノルマンディの駅に列車で着いたら、そこから車を運転して帰宅するものでした。間違って違う町に向かう列車に乗ったなんて、今まで確かなかったはず。よっぽど疲れていたんだなあ、珍しい、なんて思っていました。とりあえず、幸いにして、スケートリンクを走行する必要がなくなり、ちょっと安堵しました。もしかしたら、彼の守護霊がもうその夜は車を運転させないように、わざと違う列車に乗せたのじゃないか、とふと思ってしまうのでした。21日の夜は、ノルマンディでは、普通車に乗る予定だった人々には緊急に宿泊所が提供され、多くの列車も運休となっていました。運休のため、駅構内で寝泊まりする羽目になった人々には鉄道会社から食事も配られたそうです。しかも、多くの世帯で電気が使えなくなったりもしたそうです。Ouest France の記事によると、何と21日にはノルマンディ全域の7万世帯で停電があり、11月24日の時点でも、まだ5300世帯で停電が続いていたそうです。多くは、雪嵐で木々が電線を引っ張って倒れていったためだそうです。電車の運休も倒木が原因だったそうです。この間に石油ストーヴを購入した人がニュースで紹介されていました。普段は電気ストーヴ、調理も電気で、すべて電気が生活の基盤になっている人なんですね。そんなこととは知らず、自分は呑気な日記ブログを書いておりましたが。うちは幸いにして倒木も特に今回なく停電もなく、まさかそんなことが起こっていたとは想像すらしていませんでした。雪の深さはわずか20センチ程度だったので、そんな大事になっていたとは。うちの場合は、過去に台風のような大嵐の時に電話線を引っ張って倒れた木がありましたが。あの時も最初は呑気に、あ、大きな木が倒れた、迫力あるなあ、くらいで、まさか、それが原因でネットにつながらなくなったと最初はわからなかったんですね。11月25日には自宅付近はすでに雪は解けて消えており、小さな雪だるまも消えました。車の走行は凍った雪道はほんとうに危険ですよね。特にブレーキを踏んだ瞬間にスリップしちゃいますから。雪道では決してスピード出しちゃいけないんですね。気をつけましょう。
November 26, 2024
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2024年11月21日、初雪でした、低地ノルマンディ。フランス北西部。とりとめのなく、自分用のメモで書いてしまっています。ニュースではブルターニュ地方も雪だったとか。確か昨日か一昨日は良いお天気だったので、ま、天気予報も見ていなかったのでまさか雪が降るとは思わず。こちらに引っ越してしてから3年、雪は珍しいところなんだ、と勝手に思い込んでいたので予想外の雪景色。写真に収めるか絵に描きたいほど美しい。が、いったん、外に出ると、子供でもないのに思わず小さな雪だるまを作ってしまった。大昔、日本で、小学生の時に学校で雪の彫刻大会があったりして、船を作ったり、何かいろいろみんな無我夢中で作っていたなあ、なんて思い出したり。あれは、最高の遊びの一つだったと思う。どうせ溶けて消えてなくなってしまうのが、子供心にわかっていても、雪がほぼ無限大に自由に使って遊べるというのが、すごく贅沢と言えば、贅沢なことだった。あれは何か一つのイメージした形が先にあって、そこに向けて、形作っていくわけで、それが楽しく、途中で、多少形が食い違っていても、とりあえず、何かそれらしいものが出来た時のうれしさ、というか、わあ、こんな大きいものができちゃんだ、と眺めて、船の中に入ってみたりできた時の喜び。雪の船。たとえば、家の中で遊ぶ小道具が、みんなお金を出して買わないといけない、としたら、ひょっとすると、親から無駄な使い方しないで、みたいに言われて、ちょっと委縮してしまうかもしれない。子供が思い切り遊べないなんて。とは言いつつ、ものというか、道具を大事にする事をそうして学ぶのね、と言えば、そうも言えるなあ。両方を体験したほうがいいんだろう、つまるところ。もう、何年くらい雪だるま作っていなかったかなあ。南仏にいた時は、一度だけ例外的に雪が降って、雪だるまを作ってあれ以来。ちょっと道路、ほとんど人も車も来ない道路に積もった雪の上に大きなハートを描いたり、Paix (平和)と書いてみたり。つい、誰かが見るわけじゃないし、と思うと、数分そうして遊んでしまう。あ、近所に英国人カップルがいるはいるけれど。雪の上を歩く時の音も楽しみ、昔、パリに住んでいた時も、あそこは東京みたいに滅多に雪が降らないので、たまに降ると、誰もいない近くの公園にわざわざ行って、雪の上を歩く音を楽しんでいた。夕方近くになって、薪にする予定で、ちょっと太めの枝を近くの森から運び、太いのだけれど、中が乾燥しているので軽く、スーパーウーマンみたいに一本の木みたいな枝を軽々と運ぶ。暖炉をリニューアルしてから、ほぼ毎日、薪をくべている。直径8センチくらいの薪なんかは、160センチ前後の木だと二本分が軽く一日で消えてしまう。幸い、近くの森には、倒木ですでに乾燥したものが結構落ちているので、それを拾ってくるという作業がかかせない。電動のこぎりで、すでに乾燥したちょっと太めの枝を切り、薪にしたり。電動のこぎりには感謝。慎重に扱わないと大怪我しちゃいますから、と常に自分に言い聞かせて。のこぎりで切ると、ほんと、時間も腕も疲れる。昨日の午後は、本棚用の一枚の板をのこぎりで切ったので、のこぎりはやっぱり時間がかかるなあ、と。敷地内の道には枝も夜の間の嵐で落ちていたので、それも片付けたり。鉢植えのレモンに冬用のベールをかぶせたりして、あっという間に時間が経ってしまった。レモンは10個くらい実っていて、大きくなった半分くらいのレモンは摘みとり。と、いう初雪の日のノルマンディ。雪が文字通り風で舞い、川や森におちてゆくのを久しぶりに眺め、子供時代を思い出してしまった。今夜は夫は列車と車で夜の帰宅予定だったけれど、連絡メールがきていて、なんと、トゥールからシノンという町に間違えて行ってしまい、最終便の列車に乗り遅れ、明日の午後にしか戻れない、とのこと。例によってそそっかしい自分は、夫がシノンの町のどこかのホテルで一泊するんだと勘違いし、シノンのケーキ屋さんでチョコレート買ってきてね、とメールを送ってしまった。シノンには、ジャンヌダルクがシャルル7世に会った、という城もあるのよねえ、とか。で、夫のメールを再度読み返し、あ、シノンにはいないのか、ということに気が付き、またメールを送ったが、彼ももうネットのつながらない場所にいるので、読めるのは明日の列車の中。スマホを持たない夫婦、まだ世の中に残っているわけでございます。
November 22, 2024
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今回もメモ代わり、日記です。最近、日本の姉と姪家族にプレゼントを贈りました。と、言っても、楽天市場で選んで日本国内からの発送になります。以前は、郵便局にとにかく小包みを持ち込めば、そのまま送ることができましたが。数年前から、税関書類をあらかじめ自宅で用意して印刷もして、郵便局に提出して、ようやくフランス国外に発送するという流れに変わりました。自宅に印刷機がない場合は、印刷をしてくれる店に税関書類を入れたUSBを持ち込み、それから郵便局にいく、ということになります。なので、フランスから日本に小包みを送るのが若干面倒になりました。自宅の印刷機まだ使いこなしていないんです。コンピューターに接続したつもりなのに、印刷してくれません。村の印刷機を置いたお店は、そちらのオーナーが不在だと使えないこともあったので、何とかして、自宅の印刷機を使いこなせるようにならなくちゃいけないんですねえ。贈り物、姉や姪家族には毎年こうして送っているわけでもないので、できる時にしておこう、という感覚です。2000年頃は、日本円の120円で、1ユーロを買えました。2024年では、163円と167円の間くらいを払わないと、1ユーロが買えません。今だとユーロで、日本円が安く買える、ということもあって、フランスからユーロで日本のものを買う時にちょっと得した気分はあります。逆に、日本国内の人がユーロ通貨やドル通貨の国のものを買うとでたらめに損した気分になるはずです。これを日本側の貿易会社などの、欧米から輸入する立場にあるような企業の規模で考えたら、経営者の人はため息しかでてこないのでは、と思います。さて、私的には、すでにクリスマスを意識している感じでありまして、12月に入ると、おそらく日本も配送会社の人たちも異常に多忙になるのでは、と想像し、しかも日本は人口減少で、人手不足だと聞いているので、いろいろ考えて今のうちに、なんて先を読んだ気分になっているわけでございます。近所の村の中心ではすでにクリスマスの村おこし的な飾り物の準備を始めていて、多少、影響されやすい自分もフランスモードになっている感じもします。姪とはメールの連絡もできず、固定電話のない家族なので、フランスから電話もできず、過去に何度か、姪のご主人が丁寧なお手紙を書いてくださったことがありました。美しい手書きで。私が一度手書きで書いたものは、中に誤字脱字、ミミズ文字で、ほんとうに姪としては、叔母さん、恥ずかしいから、もう書いてこないで、と思われているに違いありません。手書きで漢字など普段書きませんから、さらに悪化しました。森の倒木を運ぶ生活。と、いうわけで、姪に、送るからねえ、と事前に連絡することもできず。で、姉にお願いして、姪に連絡をしてもらいました。姪からのSNSでのその返事なんですが、これが。「ええ~ええ~」だけだった、と。私は思わず爆笑しつつも、どう解釈していいのか謎に包まれたままです。それって、もう一歩で、ヴィクトール・ユゴーの世界。で、だから、それは嬉しい悲鳴だったの、それとも、忙しくて対応できないのよ、迷惑だわあ、の悲鳴だったの、どっちでごわすか、と。姉はさすがにいやあ、迷惑とは思わないんじゃあ。謎の「ええ~ええ~」まあ、姪が忙しいのは何となく姉の話しから聞いて想像はしましたが。子持ち、主婦、パート勤務か会社員か?で、ご主人もきっと多忙。働き盛りの夫婦。姪は、ほぼ秒刻みですべて予定を立てて、その通りに動こうとする人間で、私たちには絶対無理よお、と姉が話していましたし。予定を立てて、その通りに動く、若い時にはできたかもですが、今の私には確かに無理です。雪を見て、思わず雪だるまを作ってしまうような人間には。せめて迷惑に思われていませんように、と祈るばかり。
November 22, 2024
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