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Ryu-chan6708

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2006.09.20
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テーマ: 戦争反対(1189)
カテゴリ: 読書感想
八月の砲声
あの戦争は何だったのか


私: 知的街道は、 昭和の戦争街道
 上記の両書とも昨年の夏の刊行だね。
 津本陽は歴史小説の作家だが、珍しく昭和史の辻政信のことを書いているので興味持って読んだ。
 何とか連隊とか砲何台とかの箇所は、興味がないからとばして読んだね。

A氏: この前の日記 で辻政信の作戦のまずさから多くの戦死者を出したのは ノモンハン事変 ポートモレスビー攻略 ガダルカナル玉砕 とあったね。
 そのうちのノモンハン事件における辻参謀を扱ったものなんだね。

私: 津本陽氏は戦争中、中学校の先生がノモンハン事変で戦った人で、授業中にその戦いの話をしたというのがこの本を書いた動機のようだね。
 だから、戦国時代の戦いとの比較が出てくる。
敵の内情探索に力をつくし、二重、三重に謀略の網をはりめぐらし、敵と先端をひらくとき、わが術中に完全に陥らせたのちでなくては動かなかった

 著者は、 戦国百年のあいだに日本の戦力は、西欧に攻め込んだとしたら、全ヨーロッパをきわめて短期間に征服したであろうといわれるほど強大になっていたというね。

A氏 :信長が本能寺でやられなかったらね。

私: 津本陽はそれに比較すると、 ノモンハンの戦いは、まったく敵の状況を探索せず、戦えば必ず勝ちを得るという独断によって、何の成算もなくひきおこしたものだという

A氏 :この作戦計画に辻参謀がかかわっていたわけだ。
 それと保坂氏の「 あの戦争は何だったのか 」とはどういう関係にあるの?

:保坂氏の本は昨年読んだが、太平洋戦争を扱った本だから、ノモンハン事件はふれていないね。
 しかし、 この本は、他の太平洋戦争の本と違って、いきなり戦争の話から入らず、第1章に旧陸軍のメカニズムを説明している点に特長があったんで記憶していたんだ
 辻参謀は、 まさにこのメカニズムで育った参謀の典型 だからだ。
 そこに、何故、彼のような人物が育成されたかの謎を解く1つのカギがあったからだよ。

A氏 :日本の昭和の 陸軍の職業軍人 の育てられ方に問題があったわけだね。
 辻参謀はその産物というわけだ。
 そのメカニズムと辻政信の個性とが結びつくわけだ。

:保坂氏の説明によると、職業軍人になる第一歩は 陸軍幼年学校 から始まる。
 年令では満13才の時だ。
 高等小学校卒業者か、旧制中学一年生終了時に受験資格を得る。
 難関であるが学校は官費で金がかからない。
 3年の後、 陸軍士官学校 に進み、4年半の教育を終え、少尉となる。
 その上に 陸軍大学校 (陸大)がある。
 資格が厳しく、推薦が必要だし、 定員はわずか50人というせまき門であった
 そして3年の教育を受ける。
 成績優秀で卒業すれば幹部となる。

A氏 :辻参謀は、どういうコースをたどったのかね。

:辻政信は明治35年10月に石川県の貧しい農家に生まれる。
 小さい時から読書を好み 成績は抜群 であった。
 小学校を終え、高等科に進み、 成績は2番
 家の炭焼きなどの重労働をしての学習である。
 通常はそのままいくと師範学校入学となるね。
 しかし、偶然のことから、幼年学校受験をすすめられる。
 そして猛勉強する。
 名古屋の幼年学校を受け、一旦落ちるが、補欠で入学する。

A氏 :ここで大きな人生の岐路があったんだね。

私: 徹底的な天皇の軍隊としての教育が行われる。
体力もあり彼の猛勉強はすごかったという。
首席で卒業し、皇太子から銀時計を授与される

A氏: 体力もあるが、すごい努力家なのだね。

私: 士官学校予科に入るが、日曜も遊ばず勉強する。
 その後に士官候補生として金沢連隊に配属され、半年後、東京にもどり、 士官学校に入学
ここを一番で卒業し、第七連隊勤務となる

A氏 幼年学校首席卒業、士官学校首席卒業 だね。

私: しかし、連隊では、彼は同僚から遊蕩に誘われても絶対に応じなかった。
その勉強に励む姿は兵の間に辻信者を作った原因となったという
 しかし、 著者は辻の本に頼る勉強が彼を偏狭にした一因とみているね。
昭和3年、25才で陸大にはいる
 翌年、結婚した。

A氏 :結婚したのだね。

:面白いのは夫人だね。
 辻は気にくわないことがあると、夫人の頬に平手打ちをくらわせたという。
 夫人は殴られてばかりいてはたまらないと、留守中に、ひそかに近所の柔道の道場にゆき、足払いの技を身につけた。

A氏: それでどうなった?

:ある日、それを知らない辻が夫人に平手打ちをしようとしたら、 いきなり足払いをかけられ転倒した。
 そして、柔道を稽古していると聞くと辻は大笑いして、それからなぐらなくなったという。

A氏 :夫人もやるね。

:辻が陸軍大学校を卒業する時は首席でなく、 三番で、恩賜の軍刀を得た
 彼は、 陸大時代、その勉強の力を自己顕示するようになり、しばしば、教官をやりこめた。
 これがたたって、実力は一番だが三番で終わったと言われる。


A氏 :なるほど、まさに、 保坂氏のいうメカニズムのエリートコースをトップで走ったというわけだね。

私: 戦えば皇軍は必ず勝つという信念を骨の髄まで叩き込まれたわけだ
 軍事官僚の典型となった。
 陸軍の軍人は「 天皇に奉公する 」ことが使命であり、 天皇の軍隊(皇軍 であることを徹底的に教えられる。
 そして 強烈な精神主義 だ。
 物量的にかなわなくても、精神力で勝てるという 国家神道 からくる神がかり的な信仰だね。
そこには、津本陽が指摘した戦国の武将のような精神的なたくましさはないね。

A氏 :ある意味、 もろい純粋培養 だね。
サリン事件の林被告 のようだね。
 だましに弱いのは、オウムでもそうだが、例の 偽メール問題の永田議員 のような純粋培養型に多いね。

私: ノモンハン事変は、その後の 太平洋戦争のミニチュアモデル だったね。
 残念ながら反省はなく、繰り返した結果となっているね。
 狂信的な軍国主義は、サリンとは比較もできない死者を出したね。






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Last updated  2006.09.20 07:23:25
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