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Ryu-chan6708

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2006.10.17
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カテゴリ: 読書感想

私: この本は放送大学の教材だ。
 2000年に発行されている。
 日本文化の伝統の多くは明治維新で放棄されたんだと思って、もう一度、ざっとおおざっぱに 明治維新を振り返ってみたいと思って読んでみた。
 いろいろな角度から新鮮な知識を得られたよ。
 依然として 国家の品格」街道 だね。
 この本は明治維新をめぐる政治体制、外交が主で、俺の期待した 廃仏毀釈運動 などの説明はなかったね。
 これは別の本で読んでみたい。

A氏 :薩長を中心とする明治政府が内政、外交面で数年間のうちに行った改革はものすごいね。
四民平等、武士の解体、廃藩置県 など、次から次への改革だね。

:実は、 改革は江戸幕府の頃に種があるのだね
 それが理解できたね。
 例えば、廃藩置県までは、地方は藩と呼ばず、「 国家 」だったんだ。
幕府、藩、朝廷という言葉は、この時代の人は使っていないんだね
 江戸時代は薩摩藩でなく薩摩の国なんだね。
幕府が中央で藩が地方という関係や意識は明治政府ができてからとなるね
 大名は「国家」として政治的には独立していたんだね。
 だから、 江戸時代、日本国内には二百数十の小国家があった
 そして、その中心に「 公儀 」と「 禁裏 」があった。

A氏 公儀が徳川幕府 禁裏が皇室 だね。

:日本は不思議なことに、この ダブル体制 を長い間維持してきたんだね。
 これは、外国に征服されるという歴史がないためで 世界でも稀な国 だね。

A氏 :二百数十の小国家、すなわち 大名は、「公儀」から自分の領地統治を全面的に委任されていた。

:大名は国家の統治をするのだが、その「国家」は私物でなく、永続すべき実体なので、君主(大名)個人のものではないという考えだね。
これが明治政府のとき、「国家」という概念に比較的スムースにつながる要因だったようだ。

A氏 :武士の解体は一旦 士族 になるね。

:二百数十の小国家だから、 一口に武士と言っても日本全体を見ると、バラバラとなっていた
 したがって、 一旦、士族という日本全体の階層にまとめ、次に武士を解体したんだね。

A氏 :外交も大変だったが、国内の改革も大変だったんだね。

私: 明治になり、「公儀」は「禁裏」の下に来るが、明治憲法は、その関係を 立憲君主制 として消化したんだね。
公儀」は議会となり、「禁裏」は象徴となる
 その意味では、 明治憲法も現行憲法もその基本の考えはあまり変わらないね。

 話は変わるが、中国は伝統的に 中華思想 があり、他の国と対等を認めない。
徳」は「天命」を受けた中国皇帝が独占しているからだ
 ところが、徳川幕府時代に野蛮な下の関係( 夷荻 )にあった 満州族が明を倒し、清を建国する
 これは 清国の正統性 の問題を起こした。
 今まで従っていた周辺諸国に大きな疑念を引き起こすことになるね。
夷荻の政府を何故、中華として仕えなければならないのかということになるね

A氏 :朝鮮は国号を明から授けられたくらいだから屈折した状態となったろうね。

:朝鮮では、一時、 清国征伐論 まで出る。
 しかし、結局、面従腹背となるね。
 同時に、中国の周辺諸国は「 小中華主義 」をとるね。
 自分が清の代わりになるわけだ。
 しかし、興味があったのは、 朝鮮と日本の違いだね
 日本が入貢する使節を内部的に「夷荻」と呼んで下に見るのは 徳川の「武威 であった。
 だから、 幕末に西欧諸国が来たとき「武威」は、それが強い西欧には通じないので「華夷」差別の根拠がなくなった。
 ところが、 朝鮮は朱子学の正統を受け継いでおり、夷荻である清の皇帝より優れていると自負していたくらいだ
 すなわち、 朝鮮は「華夷」の差別を「人倫」、つまり儒教道徳の自覚の有無に求めた
 もちろん、西欧諸国にはそんな「人倫」はないから「 夷荻 」だ。
 隷属すべき者だ。
これが、朝鮮が西欧との対応で日本より遅れた大きな原因になったという。

 最近の 北朝鮮の反発姿勢 も伝統的に尊敬していた中国に裏切られたというプライド喪失の要素が底にあるのではないかね。

A氏 :明治の頃、中国と朝鮮は西欧に対して精神的なプライドが高かったのだね。
 だから、対応が遅れた。
日本人のほうが現実的な思考をしていたのだね。

朝鮮は 朱子学の影響 が深かったのだね。
 これはキリスト教も同じで、 日本人は信者が極めて少ないが、韓国は多いというのもその違いからかね。

A氏 :韓国や中国の反日デモを報ずるテレビなどをみると、 日本国旗や首相の写真を焼いたりするけれど、あのような熱狂は日本人にはないね。
 かなり違う点があるね。

:俺はずいぶん前に韓国に仕事で行ったことがあるが、俺と同じ年令の通訳の人が、通行人を指しながら「 日本の天皇は誰でもなれないが、韓国では今、目の前に歩いている人は誰も明日は大統領になれると思っている。それが日本と韓国の大きな違いだ 」と言っていたのを思い出したよ。

 いずれにせよ、明治維新というのは、徳川時代の政治体制の多くの遺産を受け継いでいることが理解できたね。
大名はかなり下の者に権限を委譲していたのもね。
 町人も政治に提言するなど、 かなり民主的な考えがあったんだね。
 次は、例の明治の 廃仏問題 に興味が湧いたね。

19世紀日本の歴史





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Last updated  2006.10.17 06:36:29
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