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私
:この本は昭和61年に興味があって買ったんだが、540頁からなる厚い本なので、つい「積読」になっていた。
昨年、 ちくま文庫
本で上下2冊で出版されているね。
「 閔妃暗殺
」など、朝鮮街道知的街道の一環として、ついに読んだよ。
山本七平氏が12年余をかけて調査して書いただけに力作だね。
しかも、感動する大作だよ。
私
: 創氏改名
をしていない。
敗戦間際にフィリピン俘虜収容所長に任ぜられるが、捕虜虐待の罪で絞首刑となった。
山本七平氏は、朝鮮人でありながら、天皇への忠誠はどうであったのか、何故、戦争裁判で死刑になったのかを鋭く分析していくね。
結論的に言うと、朝鮮人というハンディにかかわらず、それを示さず、実に人格的にすばらしい軍人だね。
穏やか人格者で、まさに 安倍首相
のいう「 謙虚さと質素さ、純朴で静かな心、質素でも立ち居振る舞いが美しい軍人
」であったという。
当時の日本軍人でもこういう人は少なかったろうね。
四書五経をほとんどそらんじていたという素養に加え、英語もペラペラという近代的な知識も持っていた。
敗戦間際にフィリピンでは食糧もなく苦戦するため、 多くの将校は自分を見失った例が多いが、彼は平常心を失うことは全くなかったという。
私生活でも温厚で息子が朝鮮人としていじめられて相談したときも穏やかに諭し、 アイルランド
の例をあげて我慢するように言っていたという。
A氏 :本当に捕虜を虐待したの?
私
: 彼が扱っていた捕虜は全員無事に帰国している。
だから、 彼の捕虜虐待は明らかな冤罪だね
。
山本七平氏は、詳細に裁判記録を載せてコメントしている。
A氏 : 戦争裁判 の限界だね。
私
:しかも、裁判では洪思翊中将は一言もしゃべっていない。
無言を貫く。
辞世を2句残している。
くよくよと思ってみても愚痴となり
敗戦罪とあきらむがよし
昔より冤死せしものあまたあり
われもまた これに加わらんのみ
A氏
:死刑前には「 自由時間
」というのがあるそうだね。
私
:それは「 魔の時間
」とも言われる。
死刑直前で少なからぬ人が落ち着きを失い取り乱すからだ。
フィリピン総指揮官
山下奉文
大将
は、最期が迫ったとき「 俺は東条の奴に売り飛ばされたんだ!
」と口走るように叫んだという。
しかし、 洪思翊中将は何一つ遺言めいたことも言わず、取り乱して何かを訴えることもなく聖書を読み終わって黙祷したという。
そして、「 何も心配するな。私は悪いことをしなかった。死んだら真っ直ぐ神様のところに行くよ。僕には自信がある。だから何も心配するな
」と、逆に日 本人牧師のほうが励まされたという
。
時間が来て、MPが近づくと、日本人牧師に「 君は若いのだから、身体を大事にしなさいよ。そして元気で郷里に帰りなさい
」と言って、死刑台に向ったという。
A氏
: まさに「
武士道
」の鏡
ではないかね。
日本人将校でなく、朝鮮人将校にそれがあったとはね。
私
:君のその考えにもう偏見があるかもしれないね。
勝海舟
は、 日清戦争に反対
だったが、彼が当時の日本指導層の考えと違うのは、 清や韓国を尊敬していたことだね
。
日本はいろいろな教えや文化を彼らから学んだ。
彼らの国は文明開化に遅れたが、伝統をしっかり守っていたことを評価しなくてはならないね。
日本は文明開化に成功したが、武士道的な何か東洋人としての精神的な支柱を次第に忘れたんだね。
人が個人として生きるときの固い信念というものが洪思翊中将にはあったんだね。
そのほうが近代的な精神と同じだったんだね。
A氏
:しかし、フィリピンで捕虜の虐待は実際にあったんだろう。
私
:あったのは事実だね。
しかし、 日本軍の組織は、欧米のような組織権限が明確なものではない。
それを アメリカの検察
はよく理解できなかったことだね。
それに日本軍はバラバラの指令系統だね。
硫黄島戦
だって、あんな狭い島で 陸軍と海軍は別の命令系統
で動いていたんだからね。
だから、 フィリピンの捕虜も海軍の捕虜はその管理下だし、空軍も別、陸軍も各部隊で管理している捕虜があった。
欧米のように
捕虜を一箇所に集中させるというシステムはなかったんだね。
だから、 洪思翊中将はある一部の捕虜しか管理下になく、他の軍の管理下にあった捕虜についてはまったく知らないシステムとなっていたわけだ。
A氏 : 捕虜の虐待は他の軍の指揮下であったわけか 。
私
:洪思翊中将の管理下の捕虜は無事、返されたが、これが 辻参謀
のような狂気の将校の管理でなくてよかったね。
もし、そうだったら全員虐殺で、 第二の南京虐殺
となっていたね。 洪思翊中将以外にも、 ある中佐が臨時にアメリカ軍と停戦協定を結び、捕虜を無事返還後、撤退した例があるという。
日本軍将校はドイツのユダヤ人虐殺のような計画性、思想性、統一性、システム性がなく、思いつきの感情で動くから、捕虜の扱いも軍の長の人柄によって違ったんだね。
問題は、山本七平死が指摘するように、戦後、 このような賞賛してしかるべき中佐が沈黙し、洪思翊中将のような人が死刑となり、辻参謀のような人が戦後国会議員となったという日本人の戦争責任・加害者意識の薄さだね。
被害者意識のほうが強い。
だから、 いまだにくだくだ南京虐殺を言われ、慰安婦を言われるのかもね。
洪思翊中将はフィリピンで処刑され、遺体は同地に埋められた。
しかし、1948年8月13日に「 戦犯処刑者の遺体を掘り起こし、焼却の上、灰は極秘裏に海中に投棄せよ
」というマッカーサー指令により、 遺骨・遺灰は太平洋の底
であろうという。
心より御冥福を祈る。
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