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Ryu-chan6708

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2007.11.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類


:俺たち世代は、敗戦後の中学、高校生時代のスポーツは 野球中心 だったね。
 だから、 当時のプロ野球は特別の思い入れ がある。
 特に 稲尾投手 はそのなかで 超人的な選手 だったね。
 何か 貴重な心のシンボル を失った気がするね。
 寂しいね。

A氏 :例の 昭和33年の奇跡の日本シリーズ逆転劇 は、事実は小説よりも奇と言うか、 考えられない感動的なドラマ だったね。
 稲尾投手は7試合中、6試合を投げている。
  稲尾投手がいなかったら、西鉄は巨人に対して日本シリーズ3連覇は無理だったろうね。

:このとき、 西鉄 魔術師 といわれた 三原修 監督 だね。
昭和25年 水原茂 氏の 巨人監督就任 とともに巨人を追われ、 福岡に行き稲尾、中西、豊田、仰木らの西鉄ライオンズ を育てる。
  そして、 怨念の水原巨人と日本シリーズで対戦 し、 昭和31年、32年と巨人を破り日本シリーズを2連覇 する。

A氏 水原巨人 は面目にかけて 西鉄の三連覇を阻止 しなくてはならない。

:実は、この 昭和33年 は、 西鉄ライオンズ 7月首位南海ホークスと11ゲーム差 あったんだね。
  苦しい戦いをするが、追い上げて 10月2日にリーグ優勝 が決まり、 平和台球場 で三原監督の胴上げ となる。
 かくして日本シリーズは、また、水原巨人との対決となる。

A氏 :この年は、 長島茂 が巨人に入団した年 だね。
 巨人はなんとしても日本シリーズの連敗から脱したかった。

10月11日 後楽園球場 第1戦 スタート。
巨人は後楽園で2連勝
 そして 3戦目は平和台球場に移動 する。
14日 第3戦 平和台球場 で行われたが、 また巨人が勝つ
もう西鉄には後がなくなった。

A氏 :ところが、 天は粋なことをする ものだね。
翌15日の試合 は、 前日夜半よりの雨 で中止となる。
 今の ドーム球場 のような 味気のない時代 ではないね。
 これが 西鉄にとって天の恵みの雨 だったのか、流れが変わったようだね。

私: 16日 、満員の平和台球場で 西鉄ははじめて勝つ
翌日の第5戦 9回裏まで西鉄は負けていた
 それが 9回裏で同点に追いつく。
俺の記憶に間違いがなければ 関口選手が同点打 をした。
 当時は 白黒テレビ なんで、この 同点打のシーンが未だに白黒で脳裏 にある。
  これから流れが一挙に西鉄に移る。
延長10回に稲尾のサヨナラホームラン で勝つ。

A氏 :この後、 後楽園球場 にもどるが 西鉄が稲尾の連投で連勝 する。
 まさに奇跡の4連勝で、 日本シリーズ3連覇を達成 したね。
 これはアメリカにもない奇跡であるというね。

:今から6年前の 真夏に 俺は 福岡 に仕事で出張した。
 泊まったホテルが 舞鶴公園 に近かったので歩いて 平和台球場の跡 を見に行った。
  十数年前に球場改修工事のときに遺跡が発見され、工事は停止され、今は 遺跡の博物館 ができていた。
 外野席であろうか、 取り壊しの途中の残骸 が残っていたね。
 その残骸を見ながら、この奇跡の逆転劇を思い出したね。

 当時の西鉄ライオンズは 野武士集団 と言われ、 管理野球 ではなかった。
 まさに、「 夏草や、強者『つわもの』どもの夢のあと 」だったね。

  今度、その奇跡のドラマの主人公が急逝して、しみじみ時代の流れを感じたね。  もう、こういう投手は出てこないだろうね。

A氏・私 :心からご冥福を祈ります。






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Last updated  2007.11.14 09:15:02
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