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Ryu-chan6708

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2008.09.21
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カテゴリ: 歴史


                         
江戸の御触書

:この本は、「 日本人のリテラシー・1600-1900 知的街道 の流れだね。
江戸幕府 のときに、 庶民に幕府は法令を 文書 で示していたが、その内容と庶民にどのように伝えられたか、関心が生まれたね。

A氏 :映画やテレビの時代劇を見ると、庶民が「 高札 」の前に集まるシーンがよくあるね。
人相書 きも掲示されたりしているね。
  中には、字が読めない者がいて、読める者に読んでもらっているシーンもあるね。

江戸幕府 庶民 に公布される法令や規制を 伝達 するのが「 御触書 」だね。
 「 御触書 」は 老中 から出された「 惣触(そうぶれ)」 町奉行 から出された「 町触(まちぶれ )」とに分かれるが、 庶民に伝わるのはすべて町奉行経由 だから、庶民は区別がつかず、すべて「 町触 」と呼んでいたという。

A氏 :「 町触 」が町奉行から庶民に伝達されるのは「 高札 」に貼り出す方法なのかね。

:いや、 基本は次の経路 だね。

町奉行 町年寄 名主(なぬし)・月行事(がちぎょうじ )→ 家主(いえぬし )→ 店子(たなこ・庶民)

名主 は今の町内会長、自治会長。
月行事 は、 5人組の月当番。
  家主
までは、文書だが、 店子には家主が口頭 で伝えていたようだね。
店子 には 文字が読めない者 がいたからだね。

A氏 :「 高札 」はどこにいったのかね。

:重要なものは「 高札 」を併用して使ったらしいね。
  江戸には 40箇所 くらいあったという。

  この本は、 江戸時代に出た「 町触 」の例 を約100くらいあげているが、まさに、違った角度から 江戸時代の庶民の姿を詳しく知るには重要な史料 だね。
   とにかく、経済問題、いろいろな犯罪、風俗、飢饉、天災からあらゆる庶民の生活に「 町触 」が出ていてそれが残っている。
  原文では読みにくいので、この本では現代語に直しているので分かりやすい。

1853年(嘉永6年) ペリーが浦賀沖に4隻の黒船で来たとき には、庶民は陸はもちろん、 船まで出して野次馬見物 をしていたようで、それを禁止する「 町触 」が出ている。

A氏 :庶民は、黒船を恐れなかったらしいね。

犯罪捜査 には、 懸賞金 がやたらに出ているね。
内部告発も奨励 されている。

  ところで、 江戸後期 になると、幕府は農村の荒廃を恐れ、 農村から江戸への出稼ぎを制限 しはじめる。
  その「 町触 」が出ている。
出稼人 のなかでも 相模国出身 の「 下女 (げじょ )」、 信濃国出身 の「 下男 (げなん )」が有名だったという。
冬になると町に出てきて、春作になると山に帰って行く。
だから、「 椋鳥(むくどり )」と呼ばれた。

A氏 :「 日本人のリテラシー 」によると、 江戸から明治にかけて信濃国が山国なのにリテラシーが高い のは、そのせいかね。

:リテラシーと言えば、「 寺子屋 」についての「 町触 」がある。
 「 寺子屋 」は 上方 での言い方で、 江戸 では「 手習師匠 」と言われたという。

  その「 手習師匠」 に「 寺子屋に来る子どもをえこひいきするな 」という「 町触 」が 1843年(天保14年)に 出ている。
   要するに、 武士の子であろうと町人の子どもであろうと平等に教えよ ということだね。
親の自己責任にするな ということだね。

A氏 :さすがに、江戸期は、 教育重視 だね。
教育に「士農工商」はないね
フィンランド方式 だね

ところが、 今の日本は、先進国で教育予算は二十何位かで最低 だという。

教育格差も自己責任 となってきているようだからね。






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Last updated  2008.09.21 09:35:03
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