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Ryu-chan6708

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2010.01.18
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カテゴリ: カテゴリ未分類


:戦後の日本の自動車は、 1970年代頃 までは、アメリカ市場に出ても故障が多く、「 安いが品質が悪い 」の時代があったと思う。
  俺は、 1973年10月 に初めて アメリカの工場視察 に出かけた。
  当時、渡米する人は少なかった時代で、親戚の人が羽田まで見送りに来たくらいだったね。  

   視察の合間に観光もしたが、 グランドキャニオン に行って、 頂上の土産物店屋 で簡単な土産物を買おうと思い、 裏のラベル を見たら、 メイド・イン・ジャパン とあったね。
  こんなところまで、日本の製品が来ているのかと驚いたね。

A氏 :今の 100円ショップ 裏のラベル を見るとほとんど、 メイド・イン・チャイナ とあるのと似ているね。

1960年代 の頃と思うが、俺が勤めている会社が アメリカと技術提携 した。
  工場長が、アメリカの工場を見て、 大きなプレスで中年の女性がある部品を1工程で加工 しているのを見てきた。
  俺の工場では、当時、 大の男が中規模のプレスで10工程 かかっていた。
  そこで、工場長は大きなプレスを買って、それにあう 金型を自作 した。
  しかし、うまく加工できない。
  皆、現場に集まって、議論して、いろいろ型を修正して、また、トライする。
  しかし、うまくいかない。
  型を新規に3型くらい作り直したりして、 数ヶ月で、アメリカ並みの加工が実現 できたね。

A氏 :すごい熱気だね。

日本の金型技術 は、次第にアメリカを越すようになるね。

1980年から90年代 になると、 日本車はアメリカ市場で優位 となる。
   「 安くて品質がよい 」となる。
   これに対応するため、 クライスラー 小型車 ネオン を発売する。
   しかし、皮肉なことに、 この車のボディの金型は日本製 で、日本からの輸出だね。
  当時はすでに 日本の製造技術 はアメリカを追い越していた。

  高度成長の「 坂の上の雲 」は アメリカの製造技術力 だったんだね。
  それが 1980年代 から、「 坂の上の雲」の中 に入ってしまう。

   今はどういう目標が製造業にあるんだろうね。






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Last updated  2010.01.18 21:01:56
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