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私
:戦後の日本の自動車は、 1970年代頃
までは、アメリカ市場に出ても故障が多く、「 安いが品質が悪い
」の時代があったと思う。
俺は、 1973年10月
に初めて アメリカの工場視察
に出かけた。
当時、渡米する人は少なかった時代で、親戚の人が羽田まで見送りに来たくらいだったね。
視察の合間に観光もしたが、 グランドキャニオン
に行って、 頂上の土産物店屋
で簡単な土産物を買おうと思い、 裏のラベル
を見たら、 メイド・イン・ジャパン
とあったね。
こんなところまで、日本の製品が来ているのかと驚いたね。
A氏 :今の 100円ショップ で 裏のラベル を見るとほとんど、 メイド・イン・チャイナ とあるのと似ているね。
私
: 1960年代
の頃と思うが、俺が勤めている会社が アメリカと技術提携
した。
工場長が、アメリカの工場を見て、 大きなプレスで中年の女性がある部品を1工程で加工
しているのを見てきた。
俺の工場では、当時、 大の男が中規模のプレスで10工程
かかっていた。
そこで、工場長は大きなプレスを買って、それにあう 金型を自作
した。
しかし、うまく加工できない。
皆、現場に集まって、議論して、いろいろ型を修正して、また、トライする。
しかし、うまくいかない。
型を新規に3型くらい作り直したりして、 数ヶ月で、アメリカ並みの加工が実現
できたね。
A氏 :すごい熱気だね。
私 : 日本の金型技術 は、次第にアメリカを越すようになるね。
1980年から90年代
になると、 日本車はアメリカ市場で優位
となる。
「 安くて品質がよい
」となる。
これに対応するため、 クライスラー
は 小型車 ネオン
を発売する。
しかし、皮肉なことに、 この車のボディの金型は日本製
で、日本からの輸出だね。
当時はすでに 日本の製造技術
はアメリカを追い越していた。
高度成長の「 坂の上の雲
」は アメリカの製造技術力
だったんだね。
それが 1980年代
から、「 坂の上の雲」の中
に入ってしまう。
今はどういう目標が製造業にあるんだろうね。