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私 : 経営が悪化している東芝の株式 が 8月1日、東京証券取引所第1部から2部に降格 され、さらに 上場廃止のおそれもある という。
A 氏 :実は、 東芝には約70年前にも危機があった ね。
この「 波聞風問」欄 の記事は、 石坂泰三氏の活躍 を書いているが、 その後の東芝再建にあたった土光敏夫社長のことはふれていない ね。
私 :俺は なまなましく覚えている 。
それを書いておく。
1966 年(昭和41年)、光文社から出版された「東芝の悲劇」という本 が出て俺も読んだが、 著者は財界のご意見番とも鬼検事とも称された経済評論家・三鬼陽之助 氏。
第一生命保険社長から東芝社長に招聘された「大物社長」の石坂泰三 氏と 東芝重電部門生え抜きの岩下文雄の対立抗争 が 不況に際しての東芝の大幅な凋落 を招いた。
A 氏 : 現在の東芝の抱える問題の原因と当時の東芝の問題は、似ており 、 ともに社内人事の対立で風通しが悪くなったというのが共通点だ というね。
私 : 石坂泰三 氏は 後任社長を土光敏夫氏を推 し、 岩下氏退陣を迫ったが、結局、東芝重電部門内に強固な地盤を築く岩下の抵抗に折れて、岩下氏を後任社長 としたが、これ で東芝は岩下社長に媚びへつらうイエスマンだけとなって真に有能な人材の抜擢が行われなくなってしまった。
結局、 東芝は経営難になり、1965年(昭和40年)、再建のため土光氏が社長に就任 。
A 氏 :「 もーれつ経営 」が始まるんだね。
私 :俺は、ある用事で、 東芝本社訪問 したことがあってそこで、「 もーれつ経営 」を目の当たりにしたね。
本社の9時の始業時刻は、工場と同じ8時半に繰り上げ 。
前の岩下社長 は、 10時頃、鞄持ちの秘書と同行で出社 していたが、 土光社長は、タクシーで鞄持ちなしの一人で8時には出社 し、 8時半までは、社員は自由に社長室に話に来れるように、ドアをオープン にした。
A 氏 : 平社員でも社長に直訴できる わけだ。
私 : 部長は個室だった が、 「もーれつ経営」で廃止 され、 部長は皆と同じ大部屋の机に座るようになった。 。
岩下前社長 は 10時に社用車で出社 すると、 専用エレベーターで最高階の社長室 に行く。
そこには、 スタンドバーがあった という。
そこで、 ワンドリンク して、 3時頃には退社 していたという。
俺が最上階 に行ったとき、 「もーれつ経営」でバーは撤去 され、 会議室の一部 なっていた。
俺の先輩 が、 専務に会いに専務室 に行ったら、 部屋が暗いので、窓際で話しましょうと窓際で話した という。
A 氏 : すごい節電 だね。
私 :話は、 今の東芝 に移るが、 債務超過を逃れるため、2兆円で 虎の子の半導体を売ってしまえば 、 上場会社 として残っても、 東芝に残されるのは、巨額損失を招いた「お荷物」の原子力事業や、小粒なものが目だつ社会インフラの事業が中心になる 。
このままでは東芝はまた衰退の一途をたどる 。
半導体を残して再起を期するか、再び「伸びん」と欲すれば、どう縮まるのか考えどころであると
堀篭俊材
氏はいうが、 今回の「東芝の危機」はいくとこまで行きそう
だね。