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私 :「 ダウンバースト 」という言葉があるが、俺はよく知らなかったね。
ある種の下降気流 で、これが地面に衝突した際に四方に広がる風が災害を起こすほど強いものをいい、この 突風は風速 50m を超える場合 ウィキペディア にある。
飯田 氏は、 1975年 6 月 24 日に発生したイースタン航空66便着陸失敗事故調査 を行い、 このときの下降流がそれまで考えられていた積乱雲の下降流と異なる ため、 downdraft outburst と呼び、このときより downburst( ダウンバースト ) の呼称 で呼ばれるようになったとされる。
今では 対策 が進み、 空の旅は格段に安全になった が、 かつては名前さえ知られていなかった。
この「ダウンバースト」の危険性を世界で初めて警告したのが本書の主人公、藤田哲也氏だ
A 氏 : 「ダウンバースト」 の功績で藤田氏は、アメリカの航空業界で長く英雄として扱われてきて、あのNASAでさえ彼を当てにした 。
天才 と呼ばれることも少なくないが、 肝心の日本ではせいぜい竜巻の大きさを示す藤田(F)スケールの考案者として言及されるくらい 。
どうして、 母国でこれほどまでに無名なのか 、 著者は忘れられた藤田像に迫るために費やした取材旅行は、日米両国をまたいで延べ三万キロに及ぶ という。
私 :もともと 藤田氏は気象学者ではなく、九州の専門学校の機械工学科出身の物理学者 で、 学閥とは無縁の存在 だった。
三十代にして独力でアメリカに留学 しチャンスをつかんだが、 研究を主眼に市民権を獲得し、日本国籍を失った。
だが、 藤田 氏が提唱した「 ダウンバースト 」は 当初、アメリカで全面的に否定 さ れ、地球規模 で考えられていた 気象学の主流 に対し、 危険を顧みず仮説を検証したとき、その幅はわずか三百メートルで、これでは地球規模の気象というより爆発 。
A 氏 :なぜ、 藤田氏は前代未聞の現象 に目を向けることができたのか。
それは、 24歳のとき藤田 氏は、 長崎に投下された原爆調査 に赴き、その後、 広島の調査にも参加 し、 爆心直下で生じる爆風と衝撃波の痕跡から局所的で猛烈な下降気流 、「 ダウンバースト 」 を着想 したという。
つまり、 日本に投下された原爆への藤田氏独自の調査と研究が、それを投下したアメリカの気象学に革命を引き起こし、多くの飛行機事故を未然に防ぎ、数知れぬ命を救った ことになる。
私 :我々もその恩恵を受けている。
飯田氏は、晩年は日本への帰還を望んでいた という。
1998年、78歳でなくなっているが、その名は復権のときを待っている と 評者 はいう。