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私 : 保守の論客・京大 名誉教授 佐伯啓思 氏 が、 今月の氏のコラム でとりあげたのは、 森友・加計問題 だね。
佐伯教授 は、 加計学園 問題がそれほど重大問題だとは思われない が、ここで 教授が関心をもつのは、この問題が「事実」をめぐってどうにもならない泥沼に陥ってしまったように見える点である という。
A 氏 :とりわけ、 メディアは「事実」を御旗にしている と 教授 はみる。
「 事実 」といえば、 一見、客観的で確定的なものに見えるので、野党もメディアも、文科省 の内部メールを持ち出して、これを「事実」とし、官邸が文科省 に圧力をかけたという 。
そうでないなら、「ない」という「事実」を出せ 、という。
出せないのは、安倍首相が「お友達」の便宜をはかるために圧力をかけたからではないか 、という。
メディアが連日、そんな報道をしているうちに内閣支持率 が急落 していった。
私 : 教授 は、 現状では、確かな「事実」などどこにもなく、安倍首相が加計学園の便宜をはかり圧力をかけたといった「事実」はでるはずもなかろう という。
すべて藪の中 なのであるが、 野党もメディアも、政府側が説明できないのは、「事実」を隠蔽しようとしているからだ 、というが、 教授にはまったく無謀な論理だ としか思われないという。
そもそも 「口利き」や「圧力」は証拠など残さないだろう という。
A 氏 : 「事実」報道の客観性を唱えるメディアが頼っているのは、「事実」ではなく「推測」である と 教授 はいう。
この推測を突き崩す「事実」を提出できない政府を攻撃する 、というのだが、 政府からすれば「ない」という「事実」を証明することなど不可能 であろうという。
安倍首相が言っていた「悪魔の証明」 だね。
私 : 教授 は、政府を弁護しようとしているわけではなく、 「事実、事実」といっているメディアが、実は、「事実」など本当は信用してはおらず、ただそれを利用しているだけではないか、と言いたいのだ という。
森友・加計問題に示されたメディアの報道 は、 「事実」をめぐる検証の体をとりながら、実際には「疑惑の安倍政権 」というイメージを醸成する一種の「世論」操作 のようにみえると 教授 はいう。
A 氏 : 教授 は、 論争は、不確かな「事実」をめぐる駆け引きではなく、世界観や政策をめぐる意見の対立にこそあるからだ という。
私 : 俺は、 森友・加計問題は、別の見方 をしているね。
例えば、 森友問題で、国有地の払い下げで、官僚側が「記録は破棄してない」と堂々と答弁 したことだ。
大幅な値下げ をしたら、 その「説明責任」を問われるのは明らかだ 。
だから、 自信のある官僚は「説明責任」をきちんとすべく、書類を残す 。
「事実」を争うことなどない。
聞かれて「記憶にありません」は最低 だね。
A 氏 : このブログ でも 「説明責任はどこへ」東大教授・井上達夫氏、早大・公共経営大学院教授・片山善博氏、コラムニスト・小田嶋隆氏の3氏に聞く・ であつかっているね。
私 :「 説明責任」という意識 をもって、 責任ある地位にある政治家も官僚も行動しない から、 「事実」があいまいになり、野党やマスコミの「推論」となっているだけだ。
安倍首相の「悪魔の証明」という言い訳 も、 「説明責任」の無知 からきている。
だから、 支持率が低下してから「李下に冠を正さず」と反省している 。
李下を歩くとき 、「 正していない」という写真でもとるくらいの「説明責任」感 を持つべきだね。
教授 には、 「事実」論 でなく、 民主政治に不可欠な「アカウンタビリティー(説明責任)」は日本には根付かないのかという観点 から論じてほしかったね。