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私 : 女性天皇を認めるべきか というのは、 天皇制の一つの問題 だね。
このシリーズの2回目は 女性天皇問題 をとりあげている。
「 皇室典範 」では、 皇位継承は原則として男系の男子 に限られており、 過去に即位した女性天皇はいずれも皇位継承 に不都合が生じた場合の「中継ぎ」に過ぎない という考え方。
日本の歴史上 ではどうなのか。
専修大学の荒木敏夫・名誉教授(日本古代史) によると、 日本史上即位した女性の天皇は、重祚(退位したのち、再び即位すること)も含めて、8人10代 。
近世の明正天皇と後桜町天皇を除き、いずれも古代に活躍 。
古代の王位継承に際し、時に『中継ぎ』的な性格が付与された こと自体は否定できないが、 それは男女を問わずであり、性差を前提にして『女性だから中継ぎ』とする一部の議論には問題がある と主張する。
A 氏 : 女性天皇は、「中継ぎ」的性格という見方の否定 だね。
実際、 古代の女性天皇には「実力者」が多く 、帝京大学の義江明子・名誉教授(古代史・女性史)は、夫の天武天皇の跡を継いで天皇となった 41代の持統天皇 について、天武の息子の1人である大津皇子を倒すなど、 激烈な後継者争いを勝ち抜いて即位している ことから、 壬申の乱で王権を奪取した天武と同様にまぎれもなく正当な王者だった という。
私 :当時は大后(正妻)だったからといって夫の跡を継いで天皇になれるわけではなく、 その地位は自身の血統(持統は38代の天智天皇の娘)と、協力氏族の政治力で決まるものだった。
A 氏 : 日本史上初の「女帝」となった33代推古天皇の評価 も変わりつつあり、 推古天皇の治世は外交も含め、蘇我氏 や「聖徳太子 」が取り仕切っていたと考えられてきたが、推古天皇が外交儀礼の中心にあったことがわかってきた と 荒木 氏はいう。
さらに 荒木 氏は「 推古天皇の即位については従来の解釈を見直す必要がある。推古は29代の欽明天皇の娘でもあり、その血統に加えて、大王にふさわしい人格資質が評価されて即位に至ったのだろう 」という。
私 :また、 荒木 氏は、 古代の女性天皇は、6世紀末から8世紀後半の約200年に集中 し、 この時代は朝鮮半島の新羅や中国の唐でも女帝が即位しており、アジアは女帝の時代で
もあった という。
A 氏 : 女性天皇は48代の称徳天皇を最後に、約860年のちの江戸時代 まで途絶えた が、 その理由は、荒木 氏は「 律令国家の樹立後、継承に中国由来の父系原理と男性優位が浸透したため 」とし、「 女帝即位の可能性は残されていたが、その後は排除されるようになってしまった 」という。
しかし、 中国では清王朝末期にはまだ西太后が権力を握っていた ね。
私 : ジャーナリストの中野正志 氏は、 著書『女性天皇論』 で、 父子での継承は44例と全体の半数に満たないことを指摘。
これは、 考古学者や古代史研究者 の多くが考えるように、 6世紀までの社会 は現在、一般にイメージされているような 男系(父系)オンリーではなく、女系(母系)も並列する「双系社会」だった からだという 。
さらに古代は「母系社会」だね。
A 氏 : 荒木 氏は、「 明治時代に成立した旧皇室典範は、それまで成文化されていなかった皇位継承原理を『男系の男子』と限定したことで、皇位継承のフレキシビリティーを喪失させてしまった 」という。
私 :まさに、 皇位の安定的継承のため、「女性宮家」問題同様、柔軟な議論が求められている ね。