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私 : 2009年春 、 東京都立石神井 高校の地理教諭、森一広 氏(40)は、 海外の教育現場 を見たくて、 有給の休職制度を使い、教員が海外の学校現場を1年間体験できる国際団体のプログラムに参加 。
配属先は高い教育水準で知られるフィンランド の首都から、北に電車とバスで8時間ほどの場所にあるソトゥカモという町の高校 。
最も驚いたのは、「教員たちの働き方」だった。
教科担任や進路指導、クラブ活動の担当者はそれぞれ別 で、 教科担任は授業の準備が仕事の中心 で、 残業はせず、平日でも家族で夕食を囲むのは当たり前 だという。
A 氏 : 森 氏は、 どの学校の教員室でも、教員たちでよく会話をしていたのが印象に残っていて、午後には20分程度のコーヒータイムがあり、校長も交じって気軽に声をかけ合う。
高校の卒業試験の前日には、校長が自ら事務員と一緒に試験会場の机を並べていて、教員同士のコミュニケーションが活発で、「ゆとりがある働き方」をしているな、と感じた という 。
森氏 は 帰国後 、 フィンランドで見た教員たちの姿 を思い出し、「 夜遅くまで学校に残って仕事をすることを是とするのではなく、働き方を選択できる雰囲気が生まれれば」と願っている という。
私 : フィンランドの教育の場は進路指導、クラブ活動の担当者はそれぞれ別で「分業」になっている んだね。
これが、基本的な違い だね。
これで日本の「タテ社会」を連想 する。
すなわち、 日本では、記者やエンジニアといった「職種」」よりも「○○社に所属する者だ」という意識が強い。
自分の「職種」をいわず、「ソニーに勤めています」「東芝で働いています」だ。
欧米やインドでは「職種」とそれに伴う「資格」が重視されるが、日本では会社などの「場」が重視される。
この体質 が、今、問題になっている 「同一労働・同一賃金」というヨコの横断的な「職種」や「資格」の明確化を阻んでいて根深い ね 。
日本の教員の職場も「タテ社会」発想で運用されていて、教員は「何でも屋」だ ね。
給食のカネの未払いの督促 までやる。
この「タテ社会」発想の脱却から教員の「働き方改革」が始まり、教師は生徒の教育に専念でき、教育の質も向上する。
A 氏 :そう言えば、 30年位前に米国に「暴力教室」 というのがあったね。
生徒が校則を守らず、教室が混乱し、「学級崩壊」 となる。
1983年にレーガン大統領は、「学校崩壊」でどうしようもなくなり、日本に教育を学べと視察団を派遣 している。
ところが、 その後、その日本に同じ現象が生まれ出し 、皮肉なことに、 その米国に日本が学ぶということになった。
私 : 「学級崩壊」で、米国でとった対策 は、このブログの 加藤十八著「学校再生の決めて」(アメリカの事例から学ぶ)・ゼロトレランス に詳しい。
このときも、 米国のやり方で日本と違って注意すべき は、 授業をする人と生徒指導をする人との「分業」だ。
ところが、 日本では、すべて担任教師に任せられている
ため、 問題生徒のカウンセリング研修を全教師が受けないといけない
ので 、一人の横暴な生徒のために、担任が長時間、医者並みのカウンセリングをするという不合理なことになる。
私
:その点、 マネジメントの国である米国は「分業」になっていて、担任が手におえない生徒は専門の管理側に任す。
これによって、 他の多くの生徒の授業を受ける権利を尊重し、教える内容が充実する。
日本
では、 依然として「タテ社会」発想の教育現場のマネジメントから脱却できないのは、何故だろう。
「働き方改革」が今年の政府の重要課題のようだが、 「タテ社会」発想の脱却まで踏み込まないと、スローガン倒れに終わるだろう。