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急きょの、お茶摘み
これは、5月5日(日)午前5時3分の富士山、小田原サービスエリアから見たものです。
天気は五月晴れで、朝日が山頂を照らし出していました。
本来なら、4月30日(火)-5月2日(木)のみかん作業を終えて、
搬送してきたみかんなどの農産物を、
3日(金)、4(土)の朝市での販売を済ませたところですから、ひと休みするところなんですが。
携帯に援農者から連絡が入りました。
『明日、5日(日)に畑作業に行くけど、何をしたらよいか?』と。
これで、日ごろの過ごし方が、一変しました。
5日(日)午前3時45分の八王子発で、小田原へ。
臨時のお茶摘みに、もうひと頑張りするということです。
今季のお茶摘みですが、JA久野工場の稼働が、5月1日から10日ですから。
1日には雨の降りだす前に、朝の茶摘みをして、
今季の依頼の一番のりの受付でしたが、JA久野の製茶加工を依頼してきていたんです。
この時、やはり雨降る前の日に甘夏を収穫しておいたんで、
それを東京に搬送して、4日(土)の多摩の団地での朝市をしたわけですから。
もはや、ヘトヘトだったんです。
援農者というのは、神様の声です
しかし、援農者が来てくれるとなると、
そうなると、事情は変わります。
天気予報をみると、5日の快晴のあとは、天気は下り坂です。
そうなると、その後の、通常の作業時間であれば、7火-8水のバターンでしたから、
その後の茶摘みについては、雨が降っては茶摘みは出来ません。
ですから、お茶摘みはへとへとで、あきらめていたんです。
ところが、その快晴の5月5日に援農が来てくれるとなれば、事態は変わります。
これで、私などの行動は決まりです。
前回の真鶴での茶摘みにつづいて、
5月5日に、小田原の石垣山みかん園で、第二次のお茶摘みを実行するということでした。
今が、小田原のお茶摘みの真っただ中
小田原真みかん園には、畑の境界にお茶の木が植えられています。
この5月のゴールデンウィークの頃が、その茶摘みの時期です。
みかんの花の香りをかぎながら、茶摘み作業が行われています。
「足柄茶」として、ブランド品になるんですね。
JAは、期間限定で製茶工場を稼働させてくれます。
そこへ私などもお茶摘みして、生茶をもっていき、製茶加工を依頼しているんです。
ことしも、今が茶摘みの、その時だったんです。
私なども励まされて、もうひと頑張りしました
5月5日は快晴の「五月晴れ」、お茶摘み日和でした。
「草刈りでくたびれた」なんてことは言ってられません。
実際に、隣の畑の農家の方もお茶摘みを、せっせとしていました。
私たちの方はというば、「一心二葉の手づみ」の原始的な手法ですが、
これが昔ながらの茶摘みの手法です。茶葉としては、最高級品なんです。
その代わり、手間が大変なんですが。
結局、午前10時から11時半までかかつて、
3人で生茶2キロを茶摘みしました。
これを午後1時に製茶工場に出して、
かわりに、前回依頼した生茶1キロを加工した製茶を受け取ってきました。
生茶1キロは、製茶すると400グラムですね。
農協の職員の方は、このわずかな量の袋を見つけ出すために、
棚に並んだ大きな袋の間を、なんどもなんども探しまわってくれて、
ようやくこの小さな袋を見つけ出してくれました。
これは、久野工場が受付した生茶の、今季の依頼の一番乗りのものでしたが、
しかし、それはもっとも少ない量のお茶の出来上がりでした。
まわりの袋は、大きな袋ばかりだったんです。
しかしですよ、今回2キロの生茶を出せたということは、
数日後には、この倍の量のお茶が出来るということです。
援農者も、その出来上がりを楽しみにしてくれています。
先人の知恵です
「夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る、
摘めよ、摘め摘め摘まねばならぬ。摘まにゃ日本の茶にならぬ」
この茶摘み歌ですが、
この歌というのは、だいたいお茶摘みというのは、
きわめて単純な作業のくりかえしですから、あきちゃうんです。
その手摘みのくたびれちゃう作業を励ましてくれる、
なんとも見事な、昔の人による応援の歌なんですね。
これが日本の近代化を支えたくれたんですね。
まさに、なんともすばらしい、宝の歌であり、貴重な仕事だったんですね。