ひたすら本を読む少年の小説コミュニティ

2006.04.08
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議論をしてどんなに素晴らしい理論を構築できたとしても、それを他人に強要するのならば、強者唯存の世界になってしまう。

理論は自らで証明せねばならない。良い考えも悪い考えもどちらも手段を間違えれば同じものになる。

だから相手を納得させるまで議論を展開することはとても難しい。

僕は議論で負けたことがない。

特に勉強もしていないのに模試で全国で百番代に入った。

いつも大人からは「頭良いね」なんて言われたりもする。 

でも高校はバカなところに推薦で入った。 

どんなに辛いことかこれが分かってもらえるだろうか。

確かに小学生の時は勉強ばかりしていた。

そのときは、自分のためじゃなくて、周りの人を喜ばせるためにやっていた。

あるいは、特技がないので自分と言う存在を認めてもらおうとしていたのかもしれない。

でも中学の時にそれがどんなに下らないことであるか気付いてしまった。

実際の僕は何も出来ないのだ。

社会で生きていけるわけでもない。

他人を喜ばせているわけでもない。

だからここでボソボソくだらないことを書いているわけで。

毎日サザンの音楽聴いて村上春樹の本読んで表参道散歩して絵を描いて。

どうしようもないことばかりだ。

僕自身金なんかになんの頓着もない。

日本を変えてやろうとかおせっかいなことも思わない。

自分が生活できるだけの金とちょっとの贅沢があれば充分なのだ。

大会社の数万人を引き連れる社長なんかにもなりたくない。

毎日何か考えて考えて考えて考えて 、ちょっとの文章を書いていれば僕は幸せなのだ。

小さい世界、と人には言われる。

世界に大きいも小さいもないだろう。

大きい世界に出られない人は不幸なのだろうか。

大きい世界に無理やり出て行くことの何が正しいのだろうか。

周りからみて頭の良い人っていうのはとても辛いのだ。

無神経な期待を毎日背負って。

学校の勉強なんてバカなことを毎日させられて。

でも、頭が良いことだけしか取り柄がないから、頭が悪くなると一気にバッシングを受ける。

「こんな子じゃなかった」

「昔は頭良かったのにね」

どうだっていいじゃないか。

本人がどうだっていいと思っていることに何故他人は加わろうとするのだろう。

僕はここで好きなことを喋って反論なんかが着たら踊りだすくらい喜ぶ、そんな人間なのだ。

少なくとも周りにいる僕の友達なんかは面倒くさい話をしたがらない。

僕は面倒くさい話をグダグダ聞くのが大好きなのだ。

その場の状況を話すなんてつまらない。

別に声を大きくして盛り上がる必要もないじゃないか。

あーなんてネガティブな人間なのだろう。






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Last updated  2006.04.08 10:30:23
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