2013年 アベノミクス~反動安~ラリー 0
2015年 不動産購入 投資意欲減退 0
2015年 チャイナショックで禁パチ宣言 0
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2008年夏、結婚式をすることになりました。毎月40万円入金してるんですよ、それでも1月に2000万円だった純資産は確か1400万円に減ってました。私は手元が減ればその分信用も損切りして、1:1.5くらいを保とうとしてましたからお金を入れては毎月損切りしてたわけです。すでに1000万円以上損しているはずですが、あまりきっちりは計算しようとはしませんでした。なぜか?それは精神を保つためです。で、結婚式にもやっぱりお金がかかるわけで、なんとかして工面したお金で払い込み、共働きだったので、半分でよかったのですが、ご祝儀はすぐに自分の分は回収し、新婚旅行は社割で新幹線の帰り道にある熱海激安ツアーにしたので、そこの熱海のATMで追証回避の入金をしました。これで一息ついたのは今でも内緒です。 結婚式のスピーチで社長が「彼はそんじょそこらの証券会社の社員よりも株に詳しい。本業のようだ。」なんて持ち上げて奥さん側の会社の人からどよめきが起きます。ウケ狙いで言われて私は苦笑い。本当は、結婚式どころではありませんが、幸せな顔をしなければいけません。2次会では、「いくら儲かってんの?」とか「給料高いんでしょ?」とか聞かれましたが、資金が溶けまくっているなんて言えるはずもありません。意外と株をやってる人って少なくて、今の辛さを誰にも言えません。 株1400万、損は多分1000万円をだいぶ超えてて、信用1800万円くらいで、リーマンショックに突入します。もうやけくそですよね。
2015.09.05
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2008年1月、怒涛の株価の下落に、頭ががんがんしている状態が続きます。 ここでプライベートな話が出てきます。結婚です。お相手の女性は、どうも、まじめなのか、仕事をやりすぎて「しんどい」と私に言ってきます。当時私は離れてくらしてましたので、携帯に夕方頃にかかってきます。今日も株がじりじり下がって、なんとか入金で追証を回避する目処をつけようと意識を集中しているときに、「しんどい、会社辞めたい」と愚痴られるわけです。するとどうでしょう。こんな経験は初めてです。電車から降りようとしたのですが、「頭がくらっときて、吐き気がするではありませんか。」自分の脳に限界があることに初めて気づきました。 なんと、対処法として、「パチスロ 北斗の拳」に逃げ込みます。何も考えたくなかったわけです。10時45分まで天井になりそうな台を徘徊したり、もう、一体何をやっているんでしょうか。 あの、優秀だった(笑)25歳の若者は、もう脳に新しい知識や情報を積極的に入れることができなくなってしまいました。それほど、2008年はきつかった。常に入金して追証回避の日々でしたから。パチスロのために、ATMで2万円引き落とすときに、「あと3日で40万入金できる」なんて思っているわけです。もう、傷が痛いからツネッてごまかすような感じです。 では、一体なんで信用取引を辞めなかったのでしょうか。結果としてみれば正解だったのですが、ブログなどを見てましたが一部の人々を除いてみんな辞めていきました。 おそらくそれは「負けたまま辞めることはありえない。」からだけでしょう。 今考えるとぞっとします。この時点ですでに1年近く、信用取引をして、ずっと株価が下がって毎月入金しているわけです。「株価は下がるのがデフォ」みんなの常識がそうなってしまってます。逆張り発想の私としては、ここは本当に心を落ち着けて、我慢します。もう大底を打ったわけですから。そう思ってました。夏までには少しですが株価が回復しました。
2015.09.04
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2008年1月は、昔の知識でも、今の知識でも、個別株式は「十分に安かった(または十分に安い株が存在した)」と思う。ただ、借り入れの多い会社には倒産リスクがあり、倒産すればゼロになるわけで、後にリーマンショックにつながりそうな「恐怖」を株式市場の参加者全員がここで一度味わったのだと思う。当時の私は、個別株の割安さを計算すればマクロなんて関係ないと本当に信じてました。もちろん、今でもそう思うのですが、信用取引との相性は最悪ですよね。そんなベアースターンズかなんか知らないけど、救済されたんでしょ。日本の内需の会社の業績には関係ないじゃん。そう思ってました。また実際にそうでしたしね。ところが、株っていうのは持ち主がいて、その人が金に困ると株を売って借金を返済するものだとは、よくわかってなかったわけです。文字面ではわかっていたのですが、なんていうか、こういうことなんだと実感することになります。 小型株を主に扱っていて、すこし下がった段階で「ちょっとした気分でナンピン」する。そうすると、次の日には、「売り気配。買い手ほぼゼロ」みたいな状況が朝おきる。気持ち悪い。で、結局安いところで信用を調節して、また、入金。この繰り返し。昔の追証のパターンをよくわかってなかったのがやられた敗因かも。知っててもプラスにはならなかったとは思うけど。これで2000万弱あったお金が1000強まで多分減った。持ち株自体はそんなに減ってない(なにせ勝つまで入金投資法)けど、もう本当に気持ち悪かった。損もずいぶんしてて「持ち株が何割上がったらプラマイゼロになる?」と毎日考えていた。2008年あたりによく見たブログは、新興市場の株式投資さん、バリュー消費さん、あと、しんさんのブログは1から全部読み直してまだいけるぞ、となんとか精神を保たせた。バリュー投資を掲げていたブログもいつのまにか、デイトレ道場に入門して勝てるようになったとか、有名な先生も変節したり、「え、このタイミングって一番バリューじゃないの?」と思ったけど、実際にお金が減り続けるとこんなに惨めな気持ちになるんだなあ、心の平安を保つためにバリュー投資をやめるのか、それともその理屈を追求するのか、信用をずっと損切りしながら、苦しい日々をすごしました。(MEANINGさんは正面からぶちあたって昇天されました。それでも日記を更新するのがすごいと思いました。じつはこの「むぎゅ」も何度も読み返してます。心の平静を保つためです。リーマンショックの時とかによくよんだ。) で、30歳になったとき「1400万円」しかなかった。倍は入金してますよ。2008年の夏です。金額は必殺の入金投資法で少し回復?します。でもまだくじけません。信用取引使用しているので株が5割増しになるだけで元通りです。 当時の主力株は、「3711創通エージェンシー」でした。チャートも二倍になって元に戻ってを繰り返してましたし、ずっと現金を溜め込んでいたし、無借金で自社株買いもしていました。ここを思いっきり信用で買ってました。これが一発倒産株だったら私の人生は変わってたかもしれません。リーマンショックで思いっきり損切りすることになるのですが、不思議と22万円付近で買いが出てきてくれて、損をさせてくれてありがとうという気持ちになりました。本当です。今考えると、この程度のお金(何年か働いて稼いだ可処分所得全部)が半分になっただけだったので、まだましなのですが、それでも、数年分が一気になくなるわけですから、頭がぐらんぐらんしてくるわけです。
2015.09.03
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たしかな記録がないので、(今見ても5年以上前には遡れないみたい。自分で売買記録をつけとくべきでしたか?)あれなんですが、「おれの調査によれば、次の決算で上方修正、しかも2倍の営業利益になりそうな会社がある。これにぶち込んでいくぜ!!」と信用で建てたうちの主力株については分析(笑)してたはず。今考えてみると、賢い人から私が高値で買い取っただけなんですが。。。 上方修正でPERが10倍になったら、やっぱり株価は2倍に上がって、PERは20倍になるんじゃね?と。 山崎元さんの書いた本に、「一応のPERの目安は20倍。だって、米国債の10年利回りとか、インフレとか、リスクとかいろいろ考えたらそうだし、バブルの影響のない時代だとこんなもんでしょ。」と書いてあった。至極真っ当な考えだと思った。 当時は銀行出身の豪快な社長にボスが代わってまして、ボスが「30歳で5000万円くらいは稼がなきゃ(貯金がなきゃ)だめだろ!」「君、株の極意を教えてやろう。株は需給だよ!」「社長、違いますよ、株はファンダメンタルですよ!」なんて、今なら絶対に言いそうにない強気発言を2007年にしてました。もちろん彼は30歳のときには他の銀行員と同様に借り入れ過多だったはずですが。私も恥ずかしい発言を結構してたと思う。 やっぱり小型株は崩れたが、日経平均は18000円程度だし、不動産の流動化はどこまでも続くような気がしてました。流動化銘柄は保有はしてませんが、勢いの象徴みたいなところがあったのでチェックはしてました。私は心の中で「俺のウォーズマン戦法があたれば5000万じゃなくて、2008年には一億ゲットしてるから。むふふ。」と考えていて、1年下がり続けて値段がこなれてきた(PER10倍)株がここから2年近くかけて8割減になろうとは思いもしなかった。 一応安い株は買えてたはずですが、業績はよくても株価は上がらない。むしろやや下がる。これを繰り返し、また、毎月40万円をぶちこみ、2007年12月で純資産2000万円が、500万円入金した結果、2000万円弱となっていた。。。信用も危ないと気づき始めて、4000万円ではなく、たしか3000万円くらいに抑えていたような。ここで始めて投資を始めて合計で「損」していることになった。何百万円か。「かっこ悪くて人に言えないなあ」、と思っていた。「絶対に損を取り戻したい!」毎月入金しつづけるのは苦しかったですが、特に私は無駄遣いもほとんどしなかったし、今の株価の下落はファンダメンタルが変化してないんだから逆にラッキーな現象で元の株価に戻るだけで、ずいぶん儲かるぞ。」という考えだったと思います。そして2008年1月の大暴落を迎えます。現物2000万(含み損500万)信用3000万円
2015.09.02
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