2013年 アベノミクス~反動安~ラリー 0
2015年 不動産購入 投資意欲減退 0
2015年 チャイナショックで禁パチ宣言 0
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2010年は記憶の薄い年でした。すでに5年たっているのでもう証券会社の記録も簡単には見れないし、自分のブログを読んで思い出してます。「はじめに」欄で書いているように、アークランドサービス、DVX、コメ兵、日本GC、そして、日本レップ、10年のブログを見ると、幻冬舎を持ってたみたいです。また、いろいろな方のブログを今以上に参考にして勉強していた記憶があります。みきまるさんのブログを前のほうから読み返して、紹介があって半年経った銘柄を一つずつ単元買いしたりしてましたね。このころの銘柄の中に大化け株が結構ありますが、数を買っているので、信用担保にぴったりでしたね。(某証券会社での信用枠増額の際に「分散されてますね~~」と褒められました(笑)) なんかMBOがかなり当たった年だったと。結局、日本レップとか幻冬舎とか、MBOとかTOBとか私の中ではしょうがないか、と満足してたわけですが、後年になって、「不満はちゃんとぶつけなきゃダメでしょ」と言われました。そんなプロの人たちからも2013年には刺激を受けました。それもブログを書いてたからの効用です。どうもありがとうございます。話はそれましたが、いろんなショックがあったみたいですが、資産総額が大きくないこともあり、入金投資法が引き続き機能してました。2010年は、パフォーマンスが2倍を少し超えて、冬にかけて、幻冬舎のTOBとかいろいろあって、ついに1億円を超えます。気持ちが浮かれます。しかもまだ日経平均は、11000円くらいです。まだ、8000円からしたらそんなに上がってないわけです。私は単に信用で増幅しているので、底からすると、20倍近く、入金額でみても3倍程度にはなっているわけです。まだまだいける相場全体に対して、私は当たりまくってます。自然と笑みがこぼれます。どこかの震災時に有名になったブログ主のようだったと気づいたときには後の祭りでした。そして、あの、東日本大震災がやってきます。
2015.09.18
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自慢したかったからでしょうか。ブログを書き始めます。秋頃です。このときはすでにプラスになってたような。そうじゃないと恥ずかしくてブログなんか書けないですよね。で、ここで、ブログをなぜ書くのかという話があって、それが信用取引の恐怖を忘れずに、でも、今は続けて儲けたいという欲望に忠実にいこうと考えたからです。後々自慢したいと思ってたのが明白なのは、当時の持ち株を「はじめに」に書いているからです。そこはホント、人間だからしょうがないですね。秋にピークをつけてから、じりじりと下がりだし、4700万円くらい?で年末フィニッシュしたと思います。初めてのプラテンです。ここで私がやったことは、「今までの入金合計を計算して、どんだけ儲かったかを確認する作業(笑)」でしたね。2009年は、3倍になってたぞ!と喜びます。入金投資法の面目躍如です。ずっと何年も負けていても最後に勝てばプラスになるのです。で、ここでまた決断を求められます。「プラ転したから、もう、信用取引を止めるか?」いや、そんなわけはないですよね、そもそも信用取引を始めたときよりも株価全体が安いわけですし、大きなショックの後でみんな瀕死状態でしたから、続けることしか考えてませんでした。このあたりは、例えば5000万円の現物に7000万円くらいの信用でやってたと思います。もちろん入金投資法なので、じり安には入金で対応することになります。普通に利回り5%の株とかごろごろありました。このころが一番楽しかったかもしれません。いろいろな銘柄に目移りしながらも、リスクの少なそうなものをリスクを冒して信用で購入するというよくわからない方法で投資を続けてました。
2015.09.17
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どうも、株価が回復したときの記憶があまり残っていないんですよね。毎日時価総額を見ながら、ああ戻っているなとは思ってたはずなのですが、下がるときの記憶だけ鮮明に残っているわけです。人間の脳回路の仕組みから来る快楽とは真逆のことをしないと株式市場で生き残れないという説がある(たぶん)のですが、一面の真理をついていると思います。結局、変な人が強いというか、一本外れている人が有利な「ことがある」というか。覚えているエピソード記憶は以下のことくらいですかね。5月頃、株を初めて教えてもらった先輩が会社を訪ねてきて、「株どうよ?口座見せろよ」と言ってきます。まだ損してますよ、なんて言いながら、見せられる程度には回復してました。現物:2200万円、信用:3700万円だったと記憶してます。銀行員ってこのリーマンショックの後からは信用取引が禁止されて、その後にはさらに株の購入の際には事前に上司の許可を取らないといけないみたいなルールもできたそうで、転職していなかったら本当にやばかったと思う。資産激減タイミングで信用を止めろとかひどい。急激に株価が戻ってきてましたが、このあたりは非常に安かったので、まだまだぶいぶい言わせてました。結局値上がりすると、一部は売るのですが、残りはそのまま置いておいて現物が増えた割合だけ信用を増やす。そんな無茶苦茶なやり方で、資産は順調に増えていきました。増えてくると楽しいものです。銘柄研究が進みます。どんどん安くて、かつ、(グリーンブラッド読んでたので)カタリストのありそうな株を見つけます。本業のほうは相変わらず不況のあおりを受けて、苦しかったのですが給料を出し続けてくれた勤務先オーナー様には感謝してもしきれません。 あと、1000万円くらいで元に戻る。それまではやるぞ! まあこんな風に思いながらも、少しだけ迷いはありました。戻りが急速だったために、いろんな評論家は「戻り売りのチャンス」とか「ここから空売り」みたいな人も結構いました。私は、常にブルだったので、そんな人は無視し続けているわけですが、頭のいい人ほど、説得力のある言葉にやられてこの辺で降りた人も結構いたはずです。まあ頭のいい人がおりるくらいだから、今から見たら激安価格なのですが。需要と供給は常に一致しますからね。 バリュー投資が初めて楽しくなり、未来が見えてきました。視界もぼやけなくなり、ぐんぐんやる気が出てきます。順調に株価が戻り始め、ついにプラ転します。ただ、その日がいつかは覚えてません。ちゃんと計算してないからかもしれません。2年以上にわたるマイナスにようやく終止符が打たれます。
2015.09.15
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新興小型株オンリーで投資してきました。で、今で言うゲーム株みたいなものはまったく投資してませんでした。ケネディクスとかですね。そういういわゆる「バリュー投資」と称するグループの人たちが実感しているのは、「1年半TOPIXに先駆けて」2006年1月から下がりまくって(まあもともとやたら高かった)2007年7月にTOPIXが頂点になり、そこから下がりだすと、一緒に下がって(この辺からは生き残った会社にとっては安い値札がついていた)、2008年1月、TOPIXの下げが鮮明になるころに、「一番底」2008年9月リーマンショックでTOPIXの大底時には、「二番底」2009年3月のTOPIX最安値時には、「三番底」のような感じじゃなかったでしょうか。一番底がかなりきつくて、二番底もそれを少し上回るきつさ(でも連荘でくるからここでも死ねる)、三番底は「意外と軽かった」印象があります。事実、持っている株で業績のよい株は徐々にではありますが、株価が上昇基調に入っていたと思います。新興は先に下がって先に底入れして先に上がる。まあ前回はそうでしたと。 私も、2009年3月は確か、1100万円かそこらの現物でしたが、(信用が1500万くらい?)リーマンショックほど下がらず、むしろ、600万円からすると倍近くに戻してましたので(いや、ネットローンの100万も返済してたから、実質は500→1100か?まあどうでもいいけど。)「あと、2000万くらいで元に戻る(笑)」と3倍になる夢を見ていましたね。怖くていくら入金したかなんてメモはとってないわけですよ。確か損失確定で700万くらい確定申告して、含み損を抱えた建て玉なりがいっぱいありました。 投資を初めて5年目、信用取引を初めて2年経ったら財産が激減してました。ただ、株式数は値段が激安なのでかなりありましたし、成長株でPER5倍とかあったので、入金投資が非常に気持ちよかった覚えがあります。銘柄研究も絶好調で、この頃一番勉強してピックアップしてみたいなことがうまくできてました。あと、、、、、入金投資に必要なお金と時間捻出のために、きっぱりパチスロを辞めました。 決して、4号機がなくなったからではございません。。。 (現状)どうもこの当時の感覚があるので、「新興市場はTOPIXに先駆けて下がる」と思っている節が私にはあります。日経平均は堅調だけれども新興が振るわない時期が1年以上あったわけです。ただし、2006年と比べると、新興市場の中にはまだ安い株が転がっているように思えます。なんでもかんでも上がるわけではなく、新興市場に参加している人たちのレベルが着実に上がっているために全体としてバブルな値段はついていないと。凡人は経験から判断してしまうのですが、数字はまだいけると言っているような気もします。ただ、新興市場ってのは結局は人気が離散したら下がるもので、かつ、今まで大分上がってきたわけで下げる余地があるわけです。したがって、半分降りて、現物マックスが基準の投資に切り替えることにしました。
2015.09.13
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