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「共感」とは話す内容を理解するだけではなく、話す人自身の有り様を体験すること.ただ、相手をそっくり体験することは不可能である。当の本人は相手ではないから。そこにはズレが生じる。このズレを心理学では共感的態度という。 前文は、私が「傾聴ボランティア」を知ったとき、真っ先に浮かんできたもの。 人が生死を真剣に考えるときや老いに直面し、苦しんだときに耳を傾けてくれる人がいたらどんなに心強いことか。諸外国ではキリスト教系・仏教系の聖職者がその役目を担ってくれるが、国内では誰が担うのか。まだ浸透しているとまではいえない。 人は死を意識するとき、自分が置かれた「客観的な状況」(もう健康的な姿に戻れない)と「主観的な思いや願い」(健康になり、好きなことがやりたい)とのズレが生じ、それが深い苦しみとなるそうだ。「苦しみの構造」といわれる。そのとき、傍に「よい聴き手」がいれば、話すなかで自らの心の整理が行えるという。 T大学のM教授は、「傾聴」に必要な技術として反復と待つことを挙げた。「反復」とは相手の話を十分に聴いたうえでフィードバックすること。「待つ」とは沈黙のこと。拒否の沈黙ではなく、話す前のエネルギーの蓄積を意味する。そして私の語学の師、M先生は「相手に聴いてほしいことを聴く」というのを加えた。 実際にM先生のお母様が終末期を迎えられたとき、実感されたそうだ。誰にも心を閉ざした母が、自分に目を注いでくれる人がいるとわかってから笑顔が出たり、気持ちが安定し、穏やかになったそうだ。家族=傾聴する人とは限らない。むしろ、家族は利害が発生し、傾聴できないのではないかというのが議論の結論であった。また、医療・福祉従事者に対しても、本来は備えているはずの技術すなわち「心の援助」のあり方を問われるのではないか。 思い返せば、祖父が終末期を迎えたとき、私たち家族に見せる姿と動物を通じた友人に見せる姿とは異なったように思えて仕方なかった。その方が「傾聴」の技術をマスターされたということは聞かなかったが、医師に一度死を宣告され、その後復帰されたということは事実であった。、客観的な状況に沿うように、うまく主観を変えていくということを、きっと自らの体験から習得されていたのでしょう。 また何らかの方法で援助していく技術をもっておられたのだと思われる。「傾聴ボランティア」、早く私たちの身近となってもらいたい存在である。
June 3, 2005
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「世界の中心で、愛をさけぶ」 300万部を超える記録更新中の話題作である。 最近映画でも上映されて話題になった。 作家片山恭一氏の作品。なぜこんなにヒットするのか、最初は半信半疑で読んでみた。 大概本に付けてある推薦文には、何度か裏切られたことがあるし、商売の匂いがプンプンして普段あまり信用しない。だが今回は(この本に限らせてもらうが)大いに泣けた。 紹介文のように涙が出そうだったのではなく、本当に涙が出た。 読み始める前に、「私はミーハ-ではないぞ」と気合をいれた。時間が経つにつれて、そんな意気込みさえも無駄に思えてきた。2時間で一気に読めた。 しばらく読後の余韻にも浸った。 参考までに、これを50代~60代の人に薦めてみたが、満更批判の声はなかった。青春時代の擬似体験があるらしく、脳内でフィードバックしていたに違いない。 これは想像です・・・(笑) ヒットの要因に出版元が小学館ということがあるかもしれない。ついでに片山恭一氏や柴咲コウさんという女優さんまで知ることとなった。 どの世代にも受け入れられた理由って何だろう。 共感するものがあったに違いない。 益々探りたくなった。 この本は決してドロドロとした恋愛が描かれていない。むしろ、主人公は自然体で、早く好きな人をものにしたいと、内心願っているどこにでもいそうな平凡な青年だ。 会話も口説きの名文句がでてくる訳でもない。設定もごくありふれた日常的な環境の中。 筆者の好きな文学や哲学の世界観が主人公や状況設定とダブって出てくる。筆者は根っからの文学好き青年だったと思わせる個所があって面白い。 このありふれた日常での、ごく平凡な男女の自然な会話がかえって読者の心にスッと浸透してくる。 この小説はきっと泣かせるつもりで書いたものではなく、むしろ回想しながら時に本人も泣けるといえる位の心情に違いない。 そこに筆者と読者の共感が生まれた気がする。 筆者は作品の中で「生死」を中心に扱う個所が度々出てくる。「命の尊さ」を各世代の登場人物を介して表現しているところが、普通の恋愛小説では終わらない深みのある、強烈な余韻を残してくれる。 主人公と祖父の会話の場面はこの作品の醍醐味と思わせる程、鮮明に記憶として残った。一人暮らしで、インスタント食品にて済ます祖父が、孫のために特注のウナギ飯を横に最高の恋愛話を聞かせる場面は圧巻だ。 これだけでこの本の投資は惜しくなかったと思えた。 片山氏に感謝! 最近「恋愛」いや「純愛」というキーワードがやけに目につく。韓国ドラマが日本で受け入れられてきたのも要因の一つ。 今までは「純愛」を口にするとプッて笑われた。世代が後退するにつれ、恋愛=性的関係と密につながっていた。本能であるはずのものを道具のように扱う人も出てきた。 「相手を真に大切に思う」「相手が好きで好きでたまらない」「心から愛している」 死語になりかけていた。 だが、最近とらえられ方が違ってきたようだ。 恋愛相手に対するパフォーマンスが各国とも異なるのは当然だ。昨今欧米に追従してきた時代が去り、(日本マクドナルドの全盛期がすぎた頃だと想定している) 民族の本来の姿に立ち返ってきているのかもしれない。今後アジア人に共通するものが見出せる可能性も出てきた。 只今、この作品が映画公開している。 映画館の人がいうには、本を読まなかった人でも十分楽しめる作品だとか。世代としては若年層が主流になりそうだ。 かつて記憶に新しい恋愛小説の映画化「冷静と情熱のあいだ」と同じように、必ずとも小説と同じ設定にすることも無い。 むしろ、どこを視点にしたか原作と比べる楽しみも出てくる。また、新しい俳優さんや監督さんを知り、音楽とも出会える。 なんだか片山作品の紹介文のようになってきた。 でも、これを公開するということは読んでくれた人との共感が生まれることでもある。 私が片山氏を介してこの作品と出会えてよかった・・・と思えたように。今後とも共感できる人たち同士の新しい交流が生まれるかもしれない。 青春時代に心苦しい位相手を好きになった… 純愛ってなんだろう・・・ もう一度、青春のときめきを感じたい・・・ 祖父と孫の関係のあり方を見直したい・・・ 身近な(大事な)人との別れの経験がある・・・ 「生命」「生死」「人の魂」とは何か・・・ 胸を打つ小説とはなんだろうか・・・ 過去と現在が交錯した文章技法が与える衝撃とは・・・ 十代の清らかな心情が知りたい・・・ 男同士の友情のあり方とは・・・ 以上のことにひとつでも共感がもてれば、一読の価値があるのかもしれない。
May 29, 2004
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「くもの糸」と聞いて一体何を思い浮かべるのか?恐らく、古びた屋敷に巣を張ったクモの姿。暗い屋根裏のクモの巣を想像するだろう。米国人なら「スパイダーマン」をイメージするかもしれない。文学好きなら芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」の一説を思い出すに違いない。私も最近ある本に出会うまでは上のようなたぐいであった。まさか蜘蛛の糸に驚くべき機能が備わっているとは誰も知らないだろう。その本とは「クモはなぜ糸から落ちないのか」(大崎茂芳著)最近世に出た本。大崎氏は蜘蛛を研究して25年になるという。現在は奈良の医科大学で研究をされている。島根大学でも教鞭をとったことがあるそうだ。クモの糸に関する書物や論文は限りない。前に「ウンコ」を取り上げて環境問題に触れた本に出会ったがそれ以来の衝撃だ。でもなぜこんな本に興味をもったかといえば、くもの糸は簡単に切れるという固定概念が覆されたからだ。物理的にいえばそれは嘘になるかもしれない。人間が触れれば簡単に切れるからだ。しかし、賢い蜘蛛にとっては決して切れることの無い魔法の命綱なのだ。何重ものリスク管理が施されている。なぜかって?!それは、のちのち紹介していくことにする。もうひとつの理由は、最近まったく心が落ち着かない日々が続いていた。長編小説もろくに読めない。でも何かが読みたかった。そこで手にとったのが、芥川龍之介の短編集だった。偶然にも地獄に再度落ちた哀れな男を描いた「蜘蛛の糸」を選んだのだ。その話に出てくるくもの糸は確かに切れた。主人公がある邪悪な心を抱いた途端、真直下に地獄へ落ちて行った。あれは本人の目上でプツンときれたのだった。だがよく熟考してみると何か物理的におかしいのではと思えてきた。切れるとすれば、主人公の目上とは限らず、大勢の罪人付近でもよかったはずだ。もちろんそこに作者の意図的なものがあったことに異論の余地は無い。しかし、作家村上龍氏はある本で、芥川氏は「くもの糸」は切れないという事実を前もって知らなかったというようなことを書いていた。何故かそんな疑問を抱いていた矢先にこの本に出会ってしまったのだ。まさに偶然かつ不思議な出会い。ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」様様だ。大げさかもしれないが…さて、早速大崎氏のクモを中心とした不思議な世界に目を向けていく。そこには4億年の歳月を経た知恵の結集が詰まっている。人類にとって失いかけた本能を改めて気づかせてくれた。どんな危機管理のハウツー本よりも参考になるかもしれない。この続きはまた書くことにする。
May 4, 2004
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今日は私の通う医療・福祉系学校の入学式が行われた。今年は学校が創立してから、地元の医療・福祉系では最大規模になるそうだ。私の在籍するST科の他、介護福祉科、視能訓練士科、PT・OT科がある。いずれも各分野の専門家の養成機関だ。ST科は言語聴覚士といって言語を主とするコミュニケーション障害と摂食嚥下を扱う。最近、日本プロ野球の長島監督が心原性脳塞栓症で倒れられて、その後の言語療法が注目されたばかり。脳の中枢神経は一度損傷したら、回復は不可能だ。ただ、その部分は回復が無理でも別の領域が代役を果たすことがある。そこを評価し、訓練するのが私たちの役目だ。時には医師や他の医療スタッフと共同で行うこともあるが、STのみに委ねられることも多々ある。優秀なSTにかかれば、回復力も格段にアップする。それだけに専門性が強い。従って、あらゆる知識が試される。正直言って大変である。私は学校に入るまで、正直なめていた。何とかなるさと思っていた。勉強も試験期間中にすればよいと考えていた。働きながらでもこなせるとたかをくくっていた。すべて誤算であった。仲間に見る見る引き離されていった。後期試験前の授業ではそれが如似つに出た。間違える箇所のレベルが明らかに違っていたのだ。今回新たに25名が入ってきた。隣の新入生は大学院博士課程を終えたばかりだそうだ。層々たる面々。今年はほとんどが20代。頭も身体も成長段階にある。我ら30代も負けてはいられない。専任講師を含め、総勢約60人で資格取得に挑む。がんばるぞ!
April 5, 2004
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今日は、今年に入って初めて歯医者に行った。そこは城北で歯科医をしている級友のところでもある。昨年学校で偶然再会し、ついでに歯まで面倒を見てもらうことになった。彼は治療する前に「なぜそうなったのか」「結果はどうなるのか」「そしてするのかしないのか」事前に詳しく説明してくれる。いわゆる「インフォームド・コンセント」をしてくれる。なんか当たり前のようだが、意外と実行されていないのが現状だ。私が求めるからでもなく、友人だからでもない。待っていると、相手が子どもであっても中から説明のための大きな声が聞こえてくる。だから閉店まで引っ切り無しに患者がやってくる。私は飲食店に入る度に、ある特定の感覚が「ピクピク」働いて、どうして流行っているのかのポイントをメモに書きはじめる。医療機関でもその法則があるのではないかと思えてきた。「女性客が多い」「子どもさんも多い」「室内が清潔で、開放的だ」「トイレが清潔」「雑誌のセンスがよい」「意たる所に情報の開示がある」「受付の人が感じいい」「予約で一杯」「意たる所にお花が飾ってある」「AERA」を読みながら、すこし落ち着かなかった。子どもの頃、痛くて良く泣いた記憶があったので・・・恐る恐る治療をしていただいたのだが、まったく痛くなかった。レーザーを使った現代技術の進歩?それとも麻酔が効いたのだろうか。歯科衛生士さんに「どうしてなんだろう?!」と訊ねたところ、即座に笑顔で答えてくれた。「痛みを和らげたのは先生からの愛情ですよ。技術ではなく心。 ・・・さんもそんな医療人になってくださいね!」帰り際に花に囲まれたメガネ置き場を目にして、心にジーンときた。こんな日常の些細な出来事でも感動させられるとは・・・思ってもみなかった。今日はすばらしい「ひと言」に出会って気持ちがいい。
January 19, 2004
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いきなり直球な発言だとおもう。今日地元紙で大型スーパーの破綻記事を目にした。とはいっても1年前から噂が流れていたが、いよいよそれが現実になった。負債総額171億円。記憶では、旧佐藤造機(現三菱農機)に続く程のショックが地元に轟いた。小さい頃から、「マルマン」「みしまや」「原徳」は地元スーパーの代名詞のようなものだった。「ふくしま」は少しタイプが違う。他の2社は今でも、元気なお店だ。どうしてこんなことになったのか?!立地だってそんなに悪くないのに。お店の個性がなくなったからだろうか?そういえば、コンビニならって24時間営業してたなー。そういえば、夕方になるとやけに安くなってたなー。広くて歩き回るのに苦労したなー。高級イメージのようで隣に半額の商品が並列してた。なかに雑貨や洋服コーナーあったけど、種類今いちだったかなー。でも、お店のなかは生活用品全部そろってた。コンビニが米国から来なければ・・・豊かにならなければ・・・専門店が出来なければ・・・高齢化しなければ・・・個性重視の時代に突入しなければ・・・便利店はきっとまだ存続していたに違いない。とにかく38年間お世話になりました。今度はどんな「個性的な」お店に生まれ変るのか楽しみである。
January 14, 2004
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日記を開設してから、1度も食の話が出てなかった。フード・コミュニケーターと名乗っていながらだ。よく、小馬さんはどんな料理を作られるのですか?と尋ねられる。よくよく聴いてみると、フードコディネーターと思われたらしい。近所にTVで著名なコーディネーターさんがおられるので・・・。ところで最近の話題に「モー」大変なことが起こっている。USA産牛肉の規制である。つい先日、国内牛丼チェーン大手の「吉野家」が深夜営業中止の報道をした。99%が米国産だから。その反面、いち早くマクドナルドが新聞一面を使って「豪州産」をアピールし安全を謳った。対照的だった。山陰のでは、こちらが松江で唯一の牛丼専門店がなくなるショックで塞いでいる一方で、牛肉嫌いの家族がカレー丼に期待を寄せている。これも対照的だ。カレー専門店「CoCo壱番館」の前を通ると、なぜか「牛タンカレー」のたれ幕が目をひいた。今頃なぜ牛タンなのか?しばらくして新聞で牛タンが食べられなくなるかもしれないという記事を目にし納得した。最近牛肉がかなり安く食べられるようになった。そのおかげで、日本の食文化が魚貝類中心から食肉へとシフトした。アーきっと天が牛をモー食うなといっているのかもしれない。
January 11, 2004
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今日、久しぶりにドラマを見ていたら、ある青年が生けた花をみて、少女が「この花きれい!」とひと言。一流の華道家になる決意をさせたキッカケがその少女だった。確かに、その人にとって影響のある人からの「ひと言」は人生を左右することだってあり得ることだ。言葉のもつ魔力といえるかもしれない。そういえば、米子市で精神科クリニックを開業している飯塚浩先生も医師になったキッカケは医学系志望の同僚からのひと言だった。「飯塚君が医者になればいいのにね!」当時文系志望の氏を奮起させた「ひと言」は皮肉に限りなく近いものだったらしく、その年は自主浪人して医学部に入ったそうだ。最近、大阪市の助役になられた弁護士の大平光代さん(主に少年事件担当)もかつての堕落生活から脱出したキッカケはおじの喝!をいれた「ひと言」だったことは有名。(何だったかなー)この私だって、元上司の「ひと言」がなければ、今の道を選択しなかったかもしれない。朗読を国語の先生に褒められたことが嬉しくて、本を多く読んだりもした。何気ないひと言(言葉の魔力)が相手を勇気づけることもあれば、傷つけたり、時には絶望させたりする。あー怖い!でも、きっとタイミングやその人の存在感、声の大小・高低等も関係しているかもしれない。いつもと変わらないひと言でも、環境や状態によって相手の受け取り方が違ってくるしね。特に成長期や思春期は敏感に反応する時期なんだから。相手に伝えた「ひと言」が、後によい方向へと影響を及ぼしたとしたらどんなにすばらしいだろう。
January 5, 2004
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ついこの前、LVMH(モエ・へネシー・ルイヴィトン)のベルナール・アルノー会長が今後のブランド戦略の行方を発表した。ついこの前は、日本の景気が回復すると読んで、積極的に都心へ出店すると発表したばかりだ。ルイ・ヴィトンといえば海外ブランド企業では1人勝ちといっても疑う人はいない。グループの売上額だけでも1兆6500億円(そのうち日本が1/6の2500億円)にのぼる。他と桁違いだ。どうしてこんなにすごいのか?社内には、「ブランド保護」の部門があるそうだ。確かに都心から、ん百キロ離れた田舎でも、この柄を見かけない日はない。なぜか中学生まで持っている。また、どの層が持っていても様になっているところが不思議だ。ブランドに疎い人も、抵抗のある御婦人もこれだけは別だという。ここの直営店へ入ると、他にはない独特の雰囲気がある。 「持っているだけで幸せになる」 「持っていて優越感に浸ることができる」のは他のブランド品と同じ。でも、他に何か別のものがあるに違いない。文化や言葉の異なる世界中の人を惹きつけるもの。かつて、そのルイ・ヴィトンに魅せられて、グループの一員になろうと採用試験をうけたことがあった。結果は2次面接撃沈。でも、その後で感動した。不採用通知の材質が和紙だった。落ちたのに内容も十分配慮されていて、その衝撃は一生忘れられない程のものだった。こうして書くのも、忘れないでいたいからだ。それだけ相手に幸福感をあたえる企業は余りないかもしれない。だって、振られた本人が認めるくらいだから。最後に発表された内容を要約してみる。(LVMHグループ)の今後の展開・グループ内での連携を強化する・各ブランド間での人事交流・ブランド店の複数同居ビル・部門間のスリム化以上のことを世界に先駆けて日本で先行するそうだ。
December 28, 2003
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まちに待ったクリスマス!今年は午前中から人間の姿を消し去って、いつもの姿に変身。何だか気持ちがワクワクしてきた。今日は、天から試練を受けた方の待つ作業所へ顔を出す日。音楽仲間[fesutina lente]と一緒にパーティに合流し、カニ鍋やお寿司をいただいた。お返しとしてクリスマスソングや楽器演奏で応える。サンタはフィンランド人?なので、少々下手な日本語でお話。鍋を食べると、髭が邪魔でつい払いのけようとする・・・あっちの子の視線が妙に気になった。ジッとみてるから。今日はちょっと忙(世話)しないサンタだったと思う。あまり人が多くてどこを見ていいのか迷ってしまう。皆の視線が真っすぐに感じた。目がきらきらと輝いている。隣に座った子にジュースを注ぐ。円いメガネをかけた可愛い男の子だった。「サンタからだよ」と呼びかけたが、反応はない。すかさず手を出して握手をした。「ニコッ」と笑った。演奏が終わって、ゲームが始まった。子どもたちの視線はやはりサンタだった。全てが万全だった・・・はずが、なぜか初恋の話をする羽目に。そこで墓穴を掘った。なんと照れて、本当の話をしてしまったのだ。きっと子どもにはサンタにしては生々しい体験だと映ったに違いない。最後まで成りきろうと必死に現実と闘った。それ以降は、自然に振舞えた。帰りの挨拶では、別れ惜しむ子どもたちに向かって、トナカイが待っているんだよと伝えた。「次の場所に行かなくてはね」あの可愛い男の子が寄ってきて、何かを手渡してくれた。飴玉だった。家路に着く途中でそれを口に含んだ。サンタにお返しをくれた男の子の嬉しそうな顔が浮かんできた。甘さが増すにつれて、うれしさで涙がこみ上げてきた。あの子はきっといい大人になると思う。サンタにまでプレゼントをくれたんだから。
December 25, 2003
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22日、プラバホール(市民のための音楽ホール)で行われた「池宮正信ピアノチャリティーコンサート」に行ってきました。池宮氏は国内の高校を卒業後、すぐに渡米され、今では世界を舞台に活躍されているピアニストです。途中のトークは日本語でしたが、頭の中で英語を翻訳し、話しているときいて、少し驚きました。今はニューヨーク在住。40年以上も外国で暮らすとそうなるのでしょうか。ラグタイムの音楽はテンポがよく、独特のリズムがあって、面白かったです。今でもあの音が脳内で踊っています。またアンコールに応えての、リスト「愛の夢」は心に響きました。池宮氏は米国でも、ある貧しい地区でマザーテレサの遺志を受け継いだシスターの活動に深く感銘を受けて、チャリティーのお手伝いをされるそうですが、今回も主催者と出会った縁でこのコンサートや授産施設の建設をきっかけとして、日本ではまだ遅れている精神障害をもった人の理解が一層深まってほしい・・・そうおっしゃたことが印象にのこりました。松江にも大橋付近に「ラグ・タイム」という喫茶があります。かつて、お店ではラグタイムをBGMにかけていたそうですが、ある理由で止めてしまわれたそうです。(残念!)このコンサートを機会にまた行ってみようかと思います。休憩前に池宮氏が「縁」の話をされました。この会場に来ている人たちは皆結ばれているそうで、「ぜひ隣人と自己紹介してください」と呼びかけました・・その後、何とくにびきネットの仲間が京都から来ていた氏のお母様と知り合ったのでした。連絡先までも教えてもらったのです。(あとでわかったのですが・・・)まさに出雲ならではの縁結びなのかもしれません。サイン会で池宮氏とお話する機会があり、少し英語を交えてみましたが、氏の発音はとてもきれい。今度は現地で英語のトークと歌声を聞いてみたいな。会場の中はクリスマス一色の飾りもの、外は辺り一面のイルミネーション。帰りの並木道を友人と歩きながら、しばらく余韻に浸っていました。最高の贈り物を受けとった気分です。
December 23, 2003
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もうすぐ亡き父の三回忌がくる。日本の自衛隊が戦地に向かう日も刻々と近づいている。かつて自衛隊に所属していた父が今生きていたら、何ていうのだろうか。いつも正義感に燃えていた、父のがっちりとした背中がいまでも目に浮かびます。クリスマスの贈り物毎年子ども達に「サンタクロースっているの?」とよく訊かれる。その時は「いるよ。いい子にしていればね」と応える。中には賢くませた子がいて、「ウソだ。サンタはパパでしょ!」って言い張る。そんな時、こう対抗する。「違うよ。サンタは信じないものには現れないんだ。信じているものだけが、素敵な贈り物を手にできる。今日から信じてごらん!きっとワクワクするから」毎年Xmasには僕の中のサンタと会えるので楽しみ。この瞬間、僕の心にサンタをくれた両親へ感謝する。自分もいつかは本物のサンタになりたい。サンタからの贈り物ってなんだろうな。今年はホワイトクリスマスになりそうな予感。Xmasの日は世界中が「休戦」となりますように!
December 20, 2003
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もうすぐクリスマスですね!大人と子どもの心境の参考になればと思いを書いてみます。当時の絵日記にはクリスマスが近づくとサンタの絵とプレゼントの話題でいっぱいでした。毎年欲しい物を公言して、(就寝前には空に向かってもう一度お願いをして)枕元に靴下ではなく、デパート用の大袋をおいて寝ていました。朝起きてみると、希望のおもちゃがいつも袋に入っていました。その時は、両親と共に大喜びしましたよ。学年が上がるにつれて、希望のおもちゃもエスカレートしていきました。最後の年はテレビゲームだったと記憶してます。でも様々な発想をして、サンタや大人を困らせたこともあります。例えば、いつももらってばかりなので、今度はお礼にとお菓子(チョコレート)を靴下にいれておきました。朝起きたら、かじった後が残っていました。「サンタが食べたよ、サンタって人間かなー」と両親の前で質問したり、2日目も同じようにくつ袋をおいて、寝たこともあります。その時は、前日のお礼文ともう1つのプレゼントのお願いを書いた手紙をこっそり忍ばして・・・・朝起きてみると、丁寧なおことわりのメモと紙幣が入っていました。きっと当時のサンタは苦渋したんでしょうね・・・・そのメモと紙幣(なぜかN銀行だった^-^)を丁寧に絵日記に貼り付けて学校で自慢したのを憶えています。先生の困惑顔が目に浮かぶようです。そんな夢をみせてもらって、今の自分があります。ある時期になると、夢と現実の境が周囲から見聞きして理解できるようになります。(私の場合は小6だったかな・・・)その時期は薄々とはいえ、状況を把握しているから驚きです。たとえ友達が「サンタは架空だよ」といっても冷めたりしないし、かといって夢は夢として現実の中にひきずったりもしない。この微妙な時期が、成長の過程で共感できる気持ちを促進していくのかもしれません。それ以来、クリスマスの日が近づくとサンタを信じる子を増やそうっておもいました。毎年1回くらいはサンタになると・・・。現実と夢をうまく取り入れる微妙なお子さんをもつお?さん達の、クリスマスまでの対応(最高の役者として)期待してます!サンタはいつも私たちの心の中にいるのですから!毎年クリスマス近づくと読む本に「34丁目の奇跡」(V・ディヴィス)があります。本物のサンタクロースが登場します。いつも読み終わると、気持ちはサンタのおじさんです。
December 17, 2003
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テスト送信
December 16, 2003
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