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昨年暮れのある日の食事は「ピラフ」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃節分の頃が一番寒い季節だと個人的には思いますが、やはり子供の頃は2月頃に良く風邪をひいたものです。当時は風邪をひいて熱が出ると、必ず近くの診療所へ連れて行かれ、お尻に注射を打たれて帰ってきます。熱が引くまで風呂へは入れず、冷たい物を飲食することは御法度という時代でした。今でしたら熱が出て食欲が無くてもアイスクリームなら食べられると思ってガブガブ食べますし、寝込んで汗くさくなると熱い風呂に入る事も多いです。その方がスッキリしますし栄養も摂れますから理に適ってます。当時はスポーツで汗を掻いても水分補給は許されないような、デタラメな常識がまかり通っていましたね。
2013年01月19日
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ずっと前の昼食は「スパゲッティ」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃中学二年の時の大晦日の夜に、友人ふたりと私とで熱田神宮に初詣へと行った事がありました自宅から熱田神宮までの約7キロの道のりを三人が徒歩で赴いたのです。友人は同じ体操クラブの仲間で、道の途中でクラブの先輩などに出会ったりしました。熱田神宮が近くなるにつれて歩行者の数が増えて、目的地直前にはすでに行列、神宮内に入って行列に添ってズラズラとゆっくり神殿に向かいましたが、賽銭を投げる余裕もなく、そのまま押し出されるように門を出たのです。そんなに長い道のりを歩いた経験がなかった所為か、しばらく数週間は足裏に出来た豆が痛かったのを覚えています。
2012年12月27日
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有馬記念は7枠13番のゴールドシップだった。私の挙げたビートブラックは9位に沈み、オーケンブルースリは後方に退いた。先行逃げ切りの馬ではなく、後方から大捲りの馬が勝ってしまった。慰めは一押しのビートブラックと同じ枠の7枠が勝ったこと、そしてやや押しのルーラーシップが3着に入った事ぐらいだ。全然私の八卦は当たらなかった。修行が足りないようだ。また来年である。
2012年12月23日
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いよいよ競馬も大詰め、有馬記念の時がやって来ました。23日に発走ですが、早速占ってみました。天山豚の五爻の卦を得ました。これは喜んで逃げる、そして引退には良い時とされている卦です。それに当てはまる馬は、今回の有馬記念で引退を表明しているオーケンブルースリです。しかしこれは逃げ馬ではないので、オウケンがトップを切って逃げ切るとは思えません。入着が有力ですが一応2着としておきましょう。そして逃げ馬で有力なのがビートブラックです。春の天皇賞馬でもあるので実力はあります。あとは堅くルーラーシップ、逃げても強いダイワファルコン、本命の3歳馬ゴールドシップにも劣らない3歳馬スカイディグニティ。こんな所を推したいと思います。
2012年12月21日
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朝日杯FS(G1)の予想をする。今日は単純にどの数字が強いかだけの狙いで易をたててみた。水火既成から変爻で風火家人と出た。数字にすれば8・3・5・3である。馬番、枠番に3,5,8に関係する数字に印を付けてみた。結果次第ではこじつけの読み直しもしてみようと思う。
2012年12月16日
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明日のジャパンカップ・ダートの予想をしてみよう。山火賁の三爻の卦を得た。これは日没前の夕暮れ時の卦であるから、そろそろ引退間際の馬の事かも知れない。となると最年長馬のエスポワールシチーが有力となる。綺麗に着飾って品行方正であれ、という意もあるので女性を意味する部分もあるから唯一の牝馬ミラクルレジェンドとなる。数字で言うなら3か7。馬番7にはトランセンド。この三頭を推してみたい。 結果は7枠14番 ニホンピロアワーズが勝った。数字では3か7が勝つと思い馬番7を挙げたが、勝ったのは枠番7だった。惜しい。
2012年12月01日
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数日前の昼食は「お好み焼き」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃子供の頃に良く風邪をひきましたが、概ね頭痛やのどの痛みから始まり、高熱が出ます。咳も酷く肋骨が痛むくらい咳き込みます。長屋住まいで狭い間取りの中に兄弟姉妹が多くいるのに、大抵私だけが寝込み、他の家族に伝染することはあまりありませんでした。とにかく布団を頭を隠すように被って、汗をかけ汗をかけと言われました。確かに大汗をかいた後は身体がヒンヤリとして、熱を計ると体温も下がっていましたが実際に治癒しているわけではないので、再び菌との戦いによって熱が上がってきます。そしてまた汗をかこうと痛ましい努力をして、体力をドンドン低下させていったのです。
2012年11月19日
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昨日の昼食は「スパゲッティ(にんじん・ソーセージ入り)さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃子供の頃に風邪を引きますと最低3日間ぐらいは寝込みました。学校を多く休む事はイヤだったので完治していない状態で出校したものです。体がだるく風邪かなと思う日が2日ぐらい続き、熱を計ってみて38度を越している事が判って初めて診療所に行きました。注射を打って貰って粉薬をもらうのですが、大さじ一杯ぐらいの量がある苦い粉薬は、口に含んでもコップ一杯の水では口腔内を完全に洗いきる事ができません。オブラートに包んでも大きな塊になるので飲み込むのは苦しいものでした。砂糖を混ぜてこねた物を飲む方法もありましたが、やはり妙な苦みがあって気持ちの悪いものでした。当時は風邪を引くと冷たい物を食べる事は御法度で、熱いものを飲食して布団を被り汗をたっぷりとかいて熱を下げるというのが民間療法でした。寝込んで2日間ぐらいは食欲もなく、熱で味覚がやられておかゆを食べても味がしません。そのおかゆが好きで、風邪が治ってからもしばらくは「おかゆ」を作ってもらってそればかりを食べていました。
2012年11月11日
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本日の弁当は「SEPC(スクランブルエッグピーマンキャロット)&ハンバーグ)さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃かなり寒くなってきた今日この頃。子供の頃はこうした寒さに慣れていない体質だったので毎年冬前後になると風邪を引いて2~3日は発熱しておりました。子供なので酷いときは40度を超す高熱。近所の診療所で注射を打って貰うのですがその時は風邪で弱っているうえに「注射」というのは気の弱い子供にとっては大きな試練で、私はいつも脳貧血を起こして倒れる少年だったのです。
2012年11月04日
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昨日の弁当は「スクランブルエッグピーマン&キャロット」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃子供の時分に感じる季節の感覚は非常に素直なものだった思います。春の陽気、夏の暑さ、秋の気配、冬の厳しい寒さなど、心と身体にその記憶を幼い時に染み込ませましたが、時を経て大人になるとその記憶と現在の感覚がずれている事に気付きます。地球温暖化とか言い、人々はその所為にしますが私は違うと思っています。暑さや寒さに対する抵抗力が大人と子供では違うだけの事ではないかと思うのです。夏は何度迎えても暑いですし、冬の寒さもそうですが、慣れたと言うよりは抵抗力が付いて季節感を素直に受け入れられなくなっているのかも知れません。
2012年10月30日
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数日前の朝食と昼食は「たこ焼き&お好み焼き」「ネギ味噌丼」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃10月に風が吹くと夏の暑さや9月の残暑に比べて、急に寒く感じる事があります。また、11月もどんどん寒くは成るのですが、やはり本格的な寒さとなる節分前後と比べると種類の違った寒さに気付きます。小学生の頃の冬は、現在の冬と比較するとそれは雪国に居るような寒さに感じました。靴底から伝わる地面の冷たさは足の指を悴ませましたし、道端にある水道から滴る水がそのまま氷になっていた事もありました。普段は水たまりになる道の凸凹も氷がよく張ってました。エアコンの無かった時代ですから、教室にはコークスを燃料とするダルマストーブが据え付けられていました。その教室の窓の一角からはストーブからの煙突が突き出ていたのです。
2012年10月29日
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本日の菊花賞予想坤為地の四爻の卦が出た。これは控えめ控えめが功を奏するのであり、先陣を切って進むのは不利なのである。先行逃げ切り型の馬は勝てないだろうから、追い込み馬を四頭選んでみた。本命のゴールドシップ、エタンダール、ダノンジェラートである。また、坤為地は8を意味するので八枠の追い込み馬スカイディグニティも有力である。数日前の夕食は「味噌汁に御飯」にんじん入りの珍しい味噌汁を作ってみました。
2012年10月21日
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秋華賞の枠番連勝は1-7という結果となりました。因みに予想した2-8は4着と6着でした。日曜の昼食は「雑煮」 ベランダで栽培した小松菜を具として投入
2012年10月17日
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本日の弁当は「卵焼き&ハンバーグ」日曜の今日はドライブ先で食べる弁当を作りました。ハンバーグは毎度おなじみの「マルシンハンバーグ」です。さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃芸術の秋ですので小学時代も絵画や工作、読書感想文などといったものを作成する期間がありまして、優秀な作品には賞状が貰え、金や銀のラベルが作品に張られて金賞・銀賞などと褒め称えられるのですが、私は小学六年間で賞状を貰った事がありませんでした。図画工作や体育はクラスで1、2番を争うほど優秀ではありましたが、なぜか賞が関係してくると実力が発揮できなかったり、認められなかったり、もしくは賞を獲っても賞状をもらえる規則が無い時だったりしました。運動会のリレーで優勝して貰う賞状はグループでの受賞なので個人で貰った訳ではないしとにかく賞状には縁がありませんでした。私が初めて貰った賞状は習字塾から出した作品が「推薦賞」という賞を貰った時でした。誰かが推薦してくれなければもらえない賞でしょうね。きっと塾の先生の推薦だったのかも知れません。
2012年10月14日
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一昨日の昼食は「カレーライス(たまねぎ)」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃小学時代に限りますが学芸会・学習発表会・運動会といった行事だけは気分に反して活躍できる子供でした。しかし、どうしてもそれらのような日常とは違った学校行事はどうしても好きになれませんでした。遠足や社会見学などもそうです。遠足などはバスで行くのがお決まりで、私は一度もバスでの車酔いはしなかったのですが酔って吐く子や道ばたに汚物が点々としているのを観ると、自分も吐きやしないかといつも気にしながらバスに乗っていました。バスに乗るときは良く噛んで食事をしたり、バスの後部座席は揺れが激しいから避けるとかしていました。座席は勝手に決められませんから、時には最後部に座る事もありました。自分はビクビクしながらも大丈夫でしたが、隣で吐かれた経験はありました。
2012年10月14日
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一昨日の朝食は「おにぎり(塩昆布)」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃秋は「芸術」の季節でもあります。小学生時代も運動会が終わって秋が深まる頃になると学習発表会、学芸会が催されるので、それに向けての音楽演奏や演劇などの練習の日々となります。学年毎に音楽演奏と劇の2グループに分けられるのですが、私は演奏を希望したので運良くその班に振り分けられました。その学芸会は全校生徒の前で発表するものと、クラスだけでの開催の2種類あったのですがクラスだけの学芸会では幾度か劇にも出ましたが、四年生の時に自作シナリを完成させて総指揮をとった事があります。サンタクロースを題材にした物語を他の誰かが書いた物を手直しして、まったく別の話にし配役やセリフまで私が考案し、主役のサンタクロースも独断で私が演じました。他の生徒があまりやる気が無く、急遽シナリオが書き直されて一夜漬けのような練習をした後の本番は惨憺たるものでしたが、シナリオの出来だけは担任に褒められました。普段は引っ込み思案な児童だった私が、時折主導権を握る事が稀にはあったのです。
2012年10月13日
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一昨日の夕食は「シラス干し御飯」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃秋にはお月見を良くしました。団子を供えて満月を敬うのです。どこからかススキを摘んできて添えたりしまして、コオロギの音色などが加わると本当に風流なもんでした。普段はあまり美味しいとは思えない米粉を蒸して作った三色団子も、月見の時だけはオツな味がするので早く食べたくてお供えが済むまで待ち遠しく思ったものです。ところが今年は10月も半ばになろうとしているのに残暑が続いています。今は月見団子もすぐに食べないと腐ってしまうでしょうね。
2012年10月11日
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本日の弁当は「スパゲッティ」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃夏が過ぎていったのが実感できるのは、夜になると草場の陰でコロコロっとコオロギなどの鳴く声が聞けるようになった時です。風が人肌に与える刺激も随分と夏とは違って、バテて気怠い気分も何処へやら。食欲もわいてくるのも頷けます。ただ、私は子供の頃に食欲がわいたのが夏でして、秋になると真夏の暴飲暴食が祟ってろくなものではありませんでした。焼いたサンマや松茸ご飯、栗ご飯などのおいしさを知ったのは大人になってからです。当時は長屋住まいではあっても、洗濯物干場兼用の小さな庭があって、そこで七輪などでサンマを焼く風景をよく見たもので、それは近所でも皆おなじでした。多少の煙が出ようが苦情など皆無です。逆に町内には季節毎のおいしい香りが漂う時代でもあったのです。
2012年10月06日
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本日の昼食は「スパゲティ(自家製ミートソース)」自家製ミートソースはミートの代用としてシーチキン。玉葱と人参を微塵切り、コンソメとケチャップ、ウスターソースを加えて煮込みました。おろしニンニクも配合。さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃10月になると名古屋の下町界隈では町内毎で質素な「祭り」が二日間行われるのが慣習となっております。子供中心の御輿担ぎや獅子頭を数人で被って町内を練り歩き、ご褒美を貰ったりして過ごしました。そのご褒美のおやつが「三角ジュース」やビスケット、あられ類と言ったこれも質素な庶民的菓子類で、それを両手一杯に貰って喜ぶのです。私は人と競い合って緊張する運動会やスポーツ大会よりも、その質素で静かな祭事の方が好きな少年でしたので、出不精少年のわりには進んで参加したものです。
2012年09月26日
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本日の昼食は「豆腐とキャベツ、わかめの味噌汁」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃子供の多かった時代でしたので、町内会の子供に関する行事も多く、10月10日が体育の日だった事もあって、町内会の運動会も存在しました。せっかく学校の運動会が終わってもホッとするのもつかの間で、町内会運動会のプログラムパンフレットが配布されると再び心臓がドキンドキン。まったく食欲の無くなる秋でした。
2012年09月23日
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