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柴田 この会話を読んで、 「パルプ」 という、 ブコウスキーの遺作 を、20年ぶりに読み直したといっても、何のことかわかりませんよね。
高橋さんが激賞される作品は、徹底的に考えないというか、壊れている方ですよね。「パルプ」もそうかもしれないし、猫田道子の「うわさのベーコン」とか。
高橋
そう、フィジカルというか、体を通過してきた作品という気がします。「ニッポンの小説」のなかでも書きましたけれど、「うわさのベーコン」は、本当に頭が壊れた作者の作品だし、「パルプ」は頭が壊れたかのごとく書かれている、というか、ボディだけで書いているように見える。原理主義が破壊されずに、その本質を失わないままこの世に形を成すとしたらああいうものかな、と思っているのです。
高橋 実は、この所、 高橋源一郎 の 「日本文学盛衰史」 という小説を読んでいて、とても面白いのですが、 「なぜ、面白いのかわからない」 という、他人さまから見れば、まあ、どうでもいいことですが、本人には「困ったこと」が起こっていて、それを解決したいというのが、 「小説の読み方、書き方、訳し方」 を読んだ理由です。
ぼくの願望ははっきりしていて、ここ何年か、いかに下手な、ダメとしか思えない形の文章で小説が書けないかと、ずっと考えています。もちろんいま「下手な」とか「ダメな」と言いましたが、美しいものについては形があります。でも、ものすごく極端なことを言うと「下手な」「ダメな」にはかたちがない、というか、それは要するにコードに則っていないものなんですね。美しいものは、だいたいコードに従っていると思うんです。
「訳者あとがき」の中で 柴田元幸氏 は「パルプ」はタランティーノ監督の映画「パルプ・フィクション」同様、「無数の凡作が無節操に生産・消費された時代への賛歌と言えそうだが、安手の素材を洗練された作品に昇華させた「パルプ・フィクション」とは対照的に、こちらは安手の素材をあくまで安手のまま再現している感がある。タイトなリズムとテンポのいい会話に支えられた、さりげない反復と変奏が小気味よく織り合わされる「プルプ・フィクション」に対し、「パルプ」では、とりあえず酒場に入り、とりあえず競馬場に出かけるといったふうに、小便がたまったからトイレに行くのとさして変わらない無根拠な必然とともに、同じような行為がのんべんだらりとくり返される。タランティーノにはタランティーノの冴えがあり、ブコウスキーにはブコウスキーの凄みがある。」と書いているが、そのとおりだとぼくも思う。 おわかりでしょうか、 柴田元幸 は自分が訳した 「パルプ」 について、まともな小説の「まじめな」要素は、みんな捨てられているのだけれど、出来上がった作品には「凄み」があると言っているのです。
宇宙人ジーニーは地球の植民地化を断念する。その理由は地球はもはや救い難いほど「ひどすぎる」からと言う。「何がひどすぎるんだ?」とのニックの問いに対しジーニーは、「地球がよ。スモッグ、殺人、大気汚染、水質汚染、食物汚染、憎しみ、無力感、何もかもよ、地球でたった一つ美しいのは動物だけど、その動物も、どんどん滅ぼされてるし、しまいにはペットのネズミと競馬の馬以外みんななくなっちゃうわ。ほんとに情けないわよ」 探偵 ニック の事務所にやって来た宇宙人 ジニー の会話の、これは、ほんの一部ですが、これだけでは、何のことかわかりませんね。
「そうともジーニー。原爆の貯蔵量もわすれるなよ。」
「・・・あんなたち、どうしようもなく深い墓穴を彫っちゃったみたいね。」
「ああ。俺たちは二日後に消えてなくなるかもしれないし、あと千年もつかもしれない。どっちだかわからんから、たいていみんな、どうでもいいやって気になっちまう。」
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