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雪 nobody 藤井貞和 詩を読み直して、でたらめなことを考えました。映画の ウィリアム・ブレイク ですが、彼はアメリカの西部の荒野で Nobody と出会って、しようがないからピストルを撃ったり、馬に乗ったり、海の向こうに何があるのか知らないけれど、最後は、カヌーに乗せられて海に出て行っってしまいます。 ウィリアム・ブレイク である彼は、たぶん、最初から Dead Man だったし、友だちは Nobody だけだったんです。
さて、ここで視点を変えて、哲学の、
いわゆる「存在」論における、
「存在」と対立する「無」という、
ことばをめぐって考えてみよう。
始めに例をあげよう。アメリカにいた、
友人の話であるが、アメリカ在任中、
アメリカの小学校に通わせていた日本人の子が、
学校から帰って、友だちを探しに、
出かけて行った。しばらくして、友だちが、
見つからなかったらしく帰ってきて、
母親に「nobodyがいたよ」と、
報告した、というのである。
ここまで読んで、眼を挙げたとき、きみの乗る池袋線は、
練馬を過ぎ、富士見台を過ぎ、
降る雪のなか、難渋していた。
この大雪になろうとしている東京が見え、
しばらくきみは「nobody」を想った。
白い雪がつくる広場、
東京はいま、すべてが白い広場になろうとしていた。
きみは出てゆく、友だちをさがしに。
雪投げをしよう、ゆきだるまつくろうよ。
でも、この広場でnobodyに出会うのだとしたら、
帰ってくることができるかい。
正確にきみの家へ、
たどりつくことができるかい。
しかし、白い雪を見ていると、
帰らなくてもいいような気もまたして、
nobodyに出会うことがあったら、
どこへ帰ろうか。
(深く考える必要のないことだろうか。)」
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