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こんどこそ大丈夫! まあ、チョット気合入ってましたね。何といっても、 シマクマ君 のここのところ数年の映画体験のなかでは ベスト10 に入りそうな作品ですからね(笑)。
「あのー、紅衛兵が主人公の二人と、覇王役の妻の三人をつるし上げるシーンを見ていて、この監督には、どこか、非人間的な残忍さというか、見るに堪えない精神的な暗さがあるんじゃないかという気がして、しんどかったですね。」しばし、 絶句! です(笑)。
「 あわわわわ・・・・ 」
「 非人間的 というのは?」 というわけで、 シマクマ君 、チョット、口調がやけくそ気味ですが、人の好みというのものは難しいですね。仕方がないので、ここからは独り言です。
「いわゆる、 人間性の否定 ですね。ああいう、表現というか、映像にも、もう、気分的についていけませんね。」
「うーん、あのシーンは、一応、 史実 なんですよね。 文革 での糾弾闘争という形式は、たとえば、著者は 鄭 義 という人だったと思いますが、 「食人宴席」(光文社) という本があります。その後、中国が買い占めて市場から消えたといういわくつきの本ですが、 カッパノベル です。そこで暴露していますが、凄惨極まりなかったということですね。まあ、事実かどうか、よくわかりませんが、ボクは、 四方田犬彦 がどこかで紹介しているのに促されて読んだことがあります。反革命だと糾弾された人を、最終的には殺してしまい、その肉を食らうという、まあ、中国ヘイトの人が喜びそうな、ほとんど猟奇的な記述がありましたよ。ついでに言えば、日本のなかでも、その闘争形式は、 70年代後半 の 反差別闘争 の中で模倣されたようで、もちろん殺すなんてことはしていませんが、批判の対象になる 「差別者」 のつるし上げは、公開というか、その人の住居を取り囲んでやってました。普段の生活での発言や生活信条に焦点を当てて糾弾し、人格の否定に至るという闘争(?)を、その人間が暮らす町や村の人々を 「参加しなければ差別者だ。」 という、暗黙の脅しで動員して大衆的(?)にやっていましたよ。村の有線放送で、糾弾会の動員指令が流されたりしていましたから。 文革 でもそうですが、その後、その闘争団体が自己批判した話は聞きませんから、50年という時間とともに忘れられるに任されているわけですが、正義を標榜したときに、 人間というのは酷いことをするものだ というのが、当時20歳だったボクに刷り込まれた人間認識ですね。人間性なんて信用できるんですかね?」
「 芸術表現とヒューマニズムの関係 はどうなんですか?」
「うーん、ボクはこの作品は主人公、 小豆子・蝶衣(レスリー・チャン) と 石頭・小樓(チャン・フォンイー) の、究極の 愛の物語 、だから、実に 人間的な作品 だと思うのですがねえ。」
力拔山兮氣蓋世 力は山を抜き 気は世を蓋う
時不利兮騅不逝 時利あらずして 騅逝かず
騅不逝兮可奈何 騅の逝かざる 如何すべき
虞兮虞兮奈若何 虞や虞や 若(なんぢ)を如何せん
漢兵已略地 漢兵、已に地を略す
四方楚歌聲 四方は楚の歌聲
大王意氣盡 大王の意気は盡く
賤妾何聊生 賤妾(せんしょう)、何くんぞ生を聊(やす)んぜん
史記
には、 虞美人の最期
は書かれていませんが、 京劇
では 項羽
の刀で 自刃
するようです。映画の中に 小豆子
が 「われは男にして、」
と、繰り返し間違えるセリフがあります。 「われは女にして、男にあらず」
が正しいのですが、そのセリフは 虞美人
の返歌の 賤妾何聊生
と響き合っていて、哀切です。
史実、芝居、現実、
という 三重に重ねられた世界
で、父親を知らず、母親に捨てられた 小豆子
は、生まれつきあった 6本目
の 指
を 役者
になるために切り落とされ、 「われは男にして」
というセリフの間違いを、相方の 兄弟子・石頭
によって暴力的に矯正されることで、 一人前の役者
として成人します。
その結果、 史実
でも、 現実
でもない、 虚構
の 芝居の世界
に閉じ込められて成人した 小豆子・蝶衣(レスリー・チャン)
が、 「お前は女だ」
としつけてくれた 覇王役の兄弟子・石頭・小樓(チャン・フォンイー)
の 賤妾
になることは必然というほかありません。
まず、現実の社会と古典芸能の相克を近代中国史を背景に描きながら、その世界で、演じるという「人間的なワザ」を奪われて、人形にすぎない役者の人生を生きるよりほかの方法を知らない、世間から見れば天才役者の悲劇でしかありえない人間の孤独な一生を描いた傑作だと思います。
映画は、薄暗い舞台で、 覇王
と 虞美人
の扮装で 再会
した二人のシーンで始まりましたが、次のシーンでどんな結末を迎えることになるのかを、 始まりからの50年
をたどるために 3時間
に及ぼうかという熱演で描いているのですが、じつは、その結末は、 1000年以上も前に予告されていたのでした
。
四面楚歌
の中、 大王の意気
が儘きた時、 姫
は死ぬほかなかったのでした。
賤妾(せんしょう)、何くんぞ生を聊(やす)んぜん
これを 小豆子・蝶衣(レスリー・チャン)の
人間的悲劇
といわずして、何といえばいいのでしょうか?役者でしかない命を舞台の上で絶つシーンに至るまで、悲劇を悲劇として演じ切った、 レスリー・チャンの妖艶さ
に 拍手
を忘れて目を瞠りました。
ボクは傑作だと思うのですがねえ(笑)
この作品で、役者としての頂点に立った レスリー・チャン
が、 2003年
、自ら命を絶って、この世を去ったことを思うと、やはり、胸が痛みます。
監督 チェン・カイコー陳凱歌
原作 リー・ピクワー
脚本 チェン・カイコー リー・ピクワー
撮影 クー・チャンウェイ
音楽 チャオ・チーピン
キャスト
レスリー・チャン
チャン・フォンイー
コン・リー
フェイ・カン
チー・イートン
マー・ミンウェイ
イン・チー
フェイ・ヤン
チャオ・ハイロン
1993年・172分・中国・香港・台湾合作
原題「覇王別姫」「Farewell My Concubine」
日本初公開 1994年2月11日
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