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間取りの手帖remix ちくま文庫 / 佐藤和歌子 【文庫】古本屋さんで見つけました以前から気になってた本玄関の外にシャワーがあったりロフトにお風呂があったりどんな人が住むのかな?ドラマを感じる本です今日のお弁当は昨夜の残り物で夜「世界はほしいモノにあふれている」を見てると見られてました=^_^=変わらない笑顔がそこにあって(T_T)
2020.07.30
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毎夜のことながら昨夜もほとんど眠れずそれでもとりあえず布団の中朝起きてから女子サッカー優勝のニュースを知りいっそ起きて見ていればよかったと後悔。休日なんだものね。あー思ったことはやらないと、と改めて思う朝。台風が近づいているようですねアイロンがけがたまっていたのでせっせ暑つぅ電器店をのぞく10年以上になる冷蔵庫、健在だけどそろそろ買い替えかなぁ~携帯はほとんどスマホに移行しつつあるのね結局何も買わずにジムのプールへ4時間くらい、泳いだり、本を読んだり、携帯いじくったり。。。 【中古】【0719_used】文庫 細川ガラシャ夫人 下【10P22Jul11】【画】「細川ガラシャ夫人」を先日から読んでますタイトルは彼女の辞世の歌父である明智光秀がすばらしい織田信長を暗殺した悪者のイメージが強いけれど武だけじゃなく、知にも長けた人格者側室を持たず、妻を大切にした武人焼き討ち、磔、社中引き回し・・・残酷な場面もたくさんあって生きること、死ぬこと、考えさせられながらの読書次の章から高山右近が登場三浦綾子さんの文章は読みやすくて人物描写も鮮やか久しぶりにのんびり休日
2011.07.18
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おもちゃ屋さんの前でひっくりかえって「買って!!」と泣く子供をしらーっとした目で見てた子供でした注射もぎゃー!って泣いてる子を横目で見ては射される注射器を凝視してるような子供でしたかわいげない。。。【送料無料】泣かない子供タイトルは江國香織さんの本「私はいまだに、生きていくのに、行き当たりばったり以外にどんな方法があるかわかりません。」^^わりと思いつきで生きてきてて・・・あんまり具体的に近未来を想像することができない人でぼんやりと何年か先の景色だけが見えたりして後は(最近はとくに)その時やりたいことをやる方向へ歩いてくたぶん、これが一番よいんじゃないかとよく思う(もちろん人に迷惑をかけない範囲で)今日は伊集院静さんの「昨日スケッチ」を買ってきましたまたそのうち・・・ベース音を鳴らせながら高音が動くとこに中音域が加わるというアルペジオの練習がなかなか進みません指がつりそうです(T_T)とにかくパソコン閉じよあてどなくネットサーフィンしてしまふ^^;
2011.06.08
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【送料無料】おおきな木「おおきな木」本屋さんで立ち読みして困った年のせいか涙もろい先日、キーボード弾き語りのきえさんがライブ中に朗読した本題「Giving tree」学校で読み聞かせて生徒の感想を聞いた先生のレビューがいい「木はうれしかった。だけどそれはほんとかな。」ただ一緒にいたいレビュー↓中学一年生に読み聞かせたらきえさんのブログ↓ちいさなきえのうた
2011.04.15
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ジャズの歴史的な本の続きでキーワード編、と称される本を読み始める【送料無料】東京大学のアルバート・アイラー(東大ジャズ講義録・キーワード編)ブルースから始まっててそこの文章がおもしろかったのでちょい引用初期のブルースSon House "My Black Mama"を聴きながら…暗いものと明るいもの、悲しいことと楽しいこと、怒りと喜び、善意と悪意、生と死一般的には対立していると考えられるこういった要素が、係留し反復する時間の中で、グダグダに混在しているんだけど、しかし何か、はっきりとした手ごたえのあるエモーションで唄われてく。ー現実に世の中に存在しているものっていうのは大体において、こんなに簡単に二つに分けて考えることはできないものばかりだってのが、本当のところ。暗いものの中にも明るい部分があるし、男性の中にも女性的な要素がある。極端な二項対立とその統合っていうのは物事の記号的処理方法のベーシックで、近代ヨーロッパ文明が最も得意とした事象の捉え方なんですね。明じゃなかったら暗、聖じゃなかったら邪。みたいに二種類のカテゴリーを用意して、目の前の存在をどっちかにアサインするような形で記号化し処理していく。・・・・・今回は「ブルース」「ダンス」「即興」など時系列じゃない音楽のジャンル的なものみたい時々、ジョークやユーモアがたっぷりあって硬そうでやわらかくて読みやすいぼちぼち味わって読もう
2011.02.25
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月、火と夕飯を食べてちょっとしたら寝てしまってました久しぶりに野球を見てます日頃あまり見ないけど、ペナントレースが終わりに近づくとちょっと見るかも?一応、阪神ファンだけどだれが誰だかよくわかってない(^^;)日曜日に河内キリシタンの話を聞いてから戦国時代がえらく気になり自分が住んでる場所で昔あったこと人事でないような、なぜか身体に響くような…とりあえず「ブックオフ」で見つけた本「戦国武将・人間関係学」2000円以上送料無料!通常24時間発送!【中古】【文庫、新書】戦国武将・人間関係学 いまを生きぬく勇気と知恵 大和勇三 [4569260047]今の企業にたとえて比較してみるどちらかというとビジネス書でしたで、今日はこっちを普通の本屋さんで買ってきました「戦国武将」がよくわかる本「戦国武将」がよくわかる本こっちは117名の武将の図鑑みたいなもの絵があってわかりやすいです気になる人物の出身地ややったこととかコンパクトにまとめられてますおもしろそう
2010.09.29
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先日、機織まがいのことをやってみて思い出した本をひっぱり出して読んでる自然素材での染色と機織でいろいろ受賞されている志村ふくみさんのエッセイ「色を奏でる」井上隆雄さんの写真もすばらしい 色を奏でる価格:1,050円(税込、送料別)その中から…「灰色の世界」ジャコメッティは「すべての色の基調は灰色だ。パリが好きなものその灰色のためだし、人生そのものが灰色ではないか」と言った。それにたいして宇佐見英治さんは「人生はもともと灰色ではあるけれど、三日が灰色で、一日が薔薇色に感じられたら、それは最良の日ではないだろうか」と答えたという。その一日の薔薇色は灰色の磨りガラスをとおして見える薔薇色ではないか、とそう思ったのは私である。すべての植物染料の基調色もじつは灰色なのである。植物を炊き出した液の中に何が交ざっているのか。樹液か夾雑物か、アルファが交ざっていて、それがすべての色彩に灰色のヴェールをかける。植物染料の色がどこかしっとり落ち着いているといわれるのはそのためである。化学染料のようにきっちり割り切れるものではなく、どこかに不純物が交っているが、色そのものはそのために濁るのではなく、本来の色をきわ立たせる。不純物が交ざりながら純粋な色彩というのは一見矛盾しているようであるが、事実である。この場合、色が影を宿しているといえばよいのか。灰色はその影の部分、いたわりとやさしさの部分なのである。巻末で引用されてる文章もいい「如何なる理念も理想たりえぬ限りは、魂の力を殺す。しかし如何なる理念も理想たりうる限りは、すべてあなたの中の生命力を生み出す」(ルドルフ・シュタイナー)好きなものを掘り下げていくと別の点として好きだったものとつながることがよくあったりするシュタイナー…スピリチュアルな本を読みまくってた時に何度もであった人
2010.09.25
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最近は読書スピード遅い(^^;)「つめたいよるに」に収められてる短編お昼、公園で遊んでる子供が暗くなってきたら家に帰るんだけどもたもたしてると「早く帰らないと夜の子供たちが来るよ」って声がある夜、ベッドを抜け出して「夜の子供たち」を見に行くそこには自分のおとうさんやおかあさんがいて遊んでいるの帰って眠りについて目覚めたらおとうさんもおかあさんもいつもと変わらないただ、おかあさんのエプロンにどろんこがついてるのを見つけた子供の頃は年齢が高くなるにつれて大人になるものなんだと思っていた現在の自分の年齢、こんな大人でいいのか??というくらい中身伴ってません(^^;)学校を卒業して社会に出ると、社会のルールやしきたりにそれなりに慣れてくるそういうのがちょっと身についたら大人のように見えるけど逆にわずかに余裕が出てくると子供の頃にできなかったことに強く憧れるあんまり大人になれないねそれでいいんだよね文鳥ちゃんと遊んでギター弾いてる公園のシーソーに乗ってみたいさあ、今から夜の公園へ行こう私も「夜のこどもたち」のひとり昼間のたんぽぽは金色に輝いてるかもしれないぼんやり寝ぼけてた猫たちはきっと真剣な表情で会議をしているだろうではでは
2010.06.09
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読みかけの本を片付けます・・・モードに入ったようで(^^;) あらすじなのでネタばれ注意です ドイツが舞台のすんごく年上の女性との偶然の出会いから始まるラブストーリー 第一部はなんだかかなり官能的でありまして(*^^*)どうなることやら、と読み進めていると、ある日、彼女は姿を消してしまう 法学部だった僕はナチスの戦犯の裁判を傍聴することになり、そこでかつての恋人と再会する 彼女は収容所内で僕にもさせたように本を朗読させていた、その理由は実は彼女が文字の読み書きができなかったからなのだがその事実を隠すために嘘を突き通す 裁判は終わり、彼女にとって長い刑務所生活が始まった、僕は結婚をし、子供が生まれ、そして離婚した ある時、彼女にかつて行ったように朗読をしたテープを送りつけるようになる、手紙も添えずただ、あらゆる書物の朗読を録音して 18年経った時、恩赦から彼女が出所することになり、僕がその後の生活の環境を整えてあげた だけど、出所の前日彼女は自殺する 彼女が暮らしていた部屋を訪れ、刑務所内で読み書きを覚え、たくさんの書物を読んでいたことを知る。僕が送ったテープと同じ書物を読みながら勉強し、テープだけじゃなく手紙が添えられていないか、といつも尋ねていたという どれだけ肌を重ね、同じ時を過ごしても、互いに理解し合えているかどうかはわからないし、だれもがそれぞれの孤独を抱えてその部屋の鍵はなかなか開けたくはないのかもしれないね この小説は「朗読」という語り、聴く・・・という行為を通してつながる人間を描いているのですね 思っていることを説明したり、議論したりすることがなくても、確かにつながることもできる(音楽もそうだね^^) 気持ちを想像し、同化し相手のことを理解しようとするのはとてもむずかしい、でもそうしたい自分がそこにいる 小説の中で僕が15歳の時に書いた詩です ぼくたちが互いに開き合うとき 君がぼくにぼくが君に ぼくたちが沈みこむとき 君がぼくの中にぼくが君の中に ぼくたちが消え去るとき 君がぼくの中でぼくが君の中で そうすると ぼくがぼくになり 君が君になる
2009.08.17
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100回泣くこと新聞の書評で評判と聞いて読んでみました。でも、すみません1回も泣きませんでした。本を読んだのは久しぶりです、おまけに流行ものは普段あまり読まない。恋人が病の侵されてしまうというお話に自分の実家の老犬との思い出が絡み合ういい話ですが、うーん、ちょっと話題先行だったかもしれません個人的には『100万回生きた猫』の方に感動しました
2008.12.01
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こんな古本を読んでいます。先日、鏡リュウジさんのブログを訪問したら紹介していたので探してみました。今日届いたところで、パラパラと読んでいるのですが、12星座とその他の星座合わせて48星座と聖書を関連させて説明しています。「日本教会新報社」という出版社なのでたぶん、教会関連なのだと思います。最近時々、聖書を読んでいますが結構あちこちで星座のことは出てくるんですね、「ヨブ記」でヨブがさんざんな目に合わされていて、友人たちがやってきて横でいろいろ言うのですけど、神様の声が聞こえてきて、延々とこの世界を作ったのはだれか!って話す場面があるのです。そこでオリオンに鎖をつけたのはだれだ!とか書いてあったと思うのです、他にもちょくちょく登場する星座。そうそう、イエス・キリストが生まれた場面はとても有名だけど、3人の賢者がやってくるんですよね。なんでか、っていうと星をみてメシアの誕生を感じたからです。そこいら辺のことについて占星術の記事があったので、それをあっちのブログに書いたことがあるのでよかったら読んでやって下さい。占星術的には木星と土星が合になる時にメシアが誕生する・・・とか言われます。話をこの本に戻しますと、つまりは48星座が聖書の内容を表しているという。占星術では牡羊座から始まりますが、聖書的にはもちろん、マリヤ処女懐胎の乙女座からお話がスタートします。天秤座=裁き、とか南十字星=十字架とか牡羊座=キリストとか、蠍座=悪魔とか・・・なかなかおもしろい。でもね、この本、終盤にかけて徹底的に占星術批判なんですよ。悪魔の道具だとか、占星術師は火の池に投げ込まれるとか、占星術を信じたクリスチャンはいないとか・・・ほんまにぼろくそです。でも、先ほどの星座の説明あたりを見ると占星術の解釈とよく似てるか同じ。ではなんでいけないんでしょう?たぶんそういう神聖なものを罪人である人間にも適用したり、「なにかのせい」にして生きてはいけませんということなんじゃないかと。そうすることで神様への信仰から離れるのが一番、いけないぞ!ということかも?しかし、何号か前のAAAの雑誌にもあったけど、占星術師でかつクリスチャンは40%くらいいるのだそうです。星の動きを悪用するのはよくないけれど、神聖なものとして畏怖の念を抱きつつ、ある流れに身を任すあるいは乗りこなすことはそんなに悪いものじゃないと思うのですが。私がはじめて読んだ本格的占星術教本は「クリスチャン・アストロロジー」でした。序文はまず、祈りから始まります。何事も正しく使うのだ!と心しながら行えばええんちゃうか?こんなんでいいんでしょうか?まだまだ勉強不足なワタシ。さてさて、アマゾンの古本で購入しましたが、わが家にもどっさりある古本。家人がネットで物々交換を見つけ、50冊の古本と缶コーラひと箱を引き換えてました。たぶん、業者の方なんでしょうね!アマゾンだと手数料として340円かかりますがヤマトメール便とかを利用したら、送料は160円くらいで済む場合もあるから結構、いい商売かもしれないな、なんてことを思いました。
2008.07.22
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梅雨入りしたようですね、急に降り出した雨にコートの衿を立てて、肩をすくめて走る姿ジェームスディーンを思いだしますが、カッコいいですよね。でも以前、須賀敦子さんの「トリエステの坂道」を読んだ時、このポーズは貧しい生い立ちを表すものなんだというくだりがあって印象に残っています。ご主人は貧しいながらも苦労して文学を研究していたイタリア人急に降り出した雨に、傘を持ってバス停まで迎えに行ったところ妻に気づいているはずなのに衿を立てて走って行ってしまった。その時、何か寄せ付けない雰囲気があって入り込めない過去を背負っていると感じたのだそうです。なぜ、このポーズが貧しさを象徴するのか、たぶん本に書いてあったのですが、本がどこにあるかわからなくて(^^;)哀愁を感じさせる背中・・・内面からにじみ出るものなのですね、本来は。 トリエステの坂道
2008.06.03
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先日、買った古本(Tレヴィングクロフト)同じじゃないけどよく似た本がありました↓ ヒトラーとロンギヌスの槍あのヒトラーの世界観を作り出した原因ともなった「ロンギヌスの槍」について書かれた本。ロンギヌスの槍・・・というのはイエスキリストが磔刑になった時、そばにいた百兵卒のロンギヌスがその死を確かめるために突いた槍とされています。槍を突いた時に血と水が流れ、白内障だった彼の目が癒されたという。ロンギヌスはその後、クリスチャンになる。その槍を持つものは善であれ、悪であれ世界を制すると信じられ、2000年近くにわたり、権力者が所有することを切望し、実際に手にして世界を治めた者もたくさんいるそうです。建築や絵の勉強をしていた若く貧乏なヒトラーが足しげく通った図書館でその存在を知り、博物館で「ロンギヌスの槍」に対面し、啓示を受ける。槍だけでなく、ワーグナーの音楽、ニーチェ、ショーペンハウエルなどの思想を取り入れ、独自の世界観と征服の野望を膨らませるヒトラー。実際の歴史的事実の裏側でひそか息づいて力を増大させたオカルト的思想。なんか、恐いけどおもしろいです。とんでもない残虐な行為の陰でそれに賛同した者がいたのは事実で、どこかに人間を引き付けるだけの魔力があったと考えられなくもないですね。子供の頃、家にはそんなに本はなかったのですが、細くか弱い少年が岩に突き刺さった剣を抜こうとしているディズニーの絵本がすごく好きだった思い出があります。検索してみたら「王様の剣」というタイトルでアーサー王について書かれた絵本でした。「ロンギヌスの槍」についてはこの絵本と「エヴァンゲリオン」がまず頭にうかんだのですが・・・ 王様の剣家には他に「小公女」や「秘密の花園」や「赤毛のアン」とかいかにも少女が読みそうな本もあったのですが、どれもちょっと読んで止めてしまってましたね。好きだったのは「保元・平治の乱」とかシェイクスピアの「ベニスの商人」。この2冊はドキドキしながら読みましたっ。やっぱり子供の頃から、どーも女の子っぽいのは苦手だったようで(^^;)さてさて、読書に戻ってどうやってヒトラーがオカルト思想にのめりこんでいったのかを追ってみたいと思います。(教会の人にこんな本読んでいる、といったら眉間にしわを寄せられそうですが^^)徳川幕府を陰で操った天海上人とか呪術とか占いで世界を裏側から支えた歴史上の人物って昔からすごく興味があるんですぅ。マニアックかも???
2008.05.24
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会社の人に借りてた本を読み終えました。 しゃべれどもしゃべれどもひょんなことから若い落語家のもとに対人関係で問題を抱える4人が集まり落語を教わるという話。ひとりはテニススクールでコーチをしているいとこ。ハンサムで物腰がやわらかくいかにもいいとこのボンボン、なのにあがると吃音になり、うまく指導ができない。ひとりは元劇団の看板女優、美しいが、人を寄せ付けない雰囲気があり、恋人と別れたところ。ひとりは大阪から東京に転校してきたコテコテ大阪弁の阪神ファンの11歳の男の子、学校でいじめにあっている。もうひとりは球団を渡り歩いた代打の名手、しかし引退後解説をやってもぱっとせず、仕事がない。この4人が始めはバラバラだったのがだんだんと連帯感を持ち、少しずつそれぞれの問題を改善させていくのですが、11歳の男の子と元劇団女優が「まんじゅうこわい」の落語を関西弁と東京弁で披露するというのがクライマックス。いじめっこも聴きに来て、なんとなく和解するような、そして鼻持ちならない気の強いやつ!と思っていた劇団女優とこの若い噺家がいいかんじになるという結末です。・・・と筋書きだけだと面白味がよくわからないでしょ?でもこの小説、全編落語のノリでテンポがよくどんどんページが進みます。噺家は自分の落語に行き詰まりを感じていた時、べろべろに酔いつぶれるという場面があり、そのとんでもない二日酔い状態でやった落語が大うけ。彼もまた他の4人と同様に問題を抱えていたのでしたが、彼らとの関わりの中で、ひとつ成長するというところも見所です。話し方教室とかに通うよりもこうやって落語のひとつでも人前で披露できるようになる方がずっといいかもしれない、と思いましたね。先日、漫談をまたはライブ演奏を聴きましたが、人が目の前にいて芸を見せるというのはとても力の要ることだなあ、でもその緊張した空気というのが真剣勝負でそれを経験するとすごく成長できるような気がするし、観客もパワーをもらえるんですよね。相互作用ですかねぇ。いいですよね~やっぱり生は。さて来週の日曜日もライブに行く予定です。今回は定年退職した円熟のミュージシャンです。どんな音を聞かせてもらえるかな~と今から楽しみ!
2008.05.18
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またしても古本購入。今回は文庫本じゃないです(^^)鏡リュウジさんの「はじめての占星術」。もうかなり西洋占星術をやっているけれど基本的なことは今でも大切。どなたかのブログでこの本、あなどれぬ!と書いてあったことがあったのでそのうち・・・と思っていたところ。3分の1価格でゲットです。ぱらぱら見たところかわいいイラスト満載で「はじめての・・・」にふさわしい。これを読んだ子供たちがいつか大人になって本格的西洋占星術にのめりこんでくれることを願う一占い師であります。読んだら感想報告しますね~ はじめての占星術さて、他にも何かないかな~?と見てたら「ワールドアトラス」というでかーいオールカラーの世界地図を見つける。実はワタシなぜか世界地図をながめるのが好きだったのです。で今でも高校の教科書の地図帳が家にあります。世界紛争とかで国名やらは大きく変わっているけれど、山や川や国立公園や産物なんかはたぶん大きくは変わっていないだろうから時々引っ張り出して見てました。これじゃないんですけど、もっとでかーくて定価3000円とあります↓ 買ったワールドアトラスも1995年発行なのでその後の世界の変化はもちろん載っていないわけですが、ま、そんなに関係ない!!主人に「こんなん買ったで!」と見せたらなぜか「モスクワの中心部を流れる川の名前が知りたい」とパラパラ見てました。(理由はわからないけど!)ボルガ川あるいはドニエプル川のようです。で、ロシアあたりのページを見ていると美しい「サンクトペテルスブルグ」の写真があったり、ウォッカの原料が何なのかを今まで知らなかったことに気づく。みなさんごぞんじでしょうか?なんとじゃがいもなんですよ!2冊で千円でおつりがきました(^^;)と、世界地図ってなかなか遊べるのよね、と一度うたた寝をして起きた後、3時頃まで読んでいたのでありました。なので翌日の更新です(^^;)
2008.05.02
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お昼休みはうろうろしているのですが、今日はいいもの見つけました!古本屋には2日に1度以上通っているのですが、3日周期くらいで値段の変わるワクワク古書店、本日100円デーでした。で、おまけにほしいと思ってた本を3冊も見つけるという幸運!「デジデリオ」は先日、前世占いをしてもらった時に思い出し、また読んでみたくなった本ですが、近くの書店にもなくてそのうち・・・と思っていたんです。見つけた時、内心「おおっ!」と叫んでしまいました。 で、さらに物色していると他の本が上に積まれたすきまにちらりと見えるタイトル「魔女の1ダース」、こちらも「不実な美女か貞淑な醜女か」を読んだ時、次に米原さんの本を読むならこれ!と決めていた本。見つけた時には心臓ドキドキするくらいびっくり! さらに続けて三浦綾子さんの「この土の器をも」を発見!三浦さんの3部作のうち1「道ありき」と3「光あるうちに」を読むという『順番抜かし』をしてしまったため、気になってた本です。これで完結です(^^)古書店ではなんというか「めぐりあわせ」のような感覚を抱くことがあります。決めて探していたわけではないのにほしいものに出会うのはとっても楽しいもんですね!他にも買ってまだ読んでない本がたくさんあるのに、また増えました(^^;)
2008.04.18
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先日中途半端に紹介した本をその後読み終えました。地球外知的生命体の宇宙船(サジタリウスACB)に有人飛行機で接近する・・・というところまで書いたのですけど、宇宙人にインプラントされた(実はただの思い込みだった)精神科医が宇宙人に対する憎悪を募らせていて、その彼を宇宙開発反対勢力が利用していたのです。当初、地球上の宇宙人を母国(母星?)に帰すためだと思われていた「ホメロス計画」がこの宇宙船の出現により計画を急遽変更して追跡することになった時、精神科医はひとり暴走し、この宇宙船に突っ込んで行くんです。で、それまで無言を通していた宇宙船が反撃、爆破したのち、高速度で地球から遠ざかってゆくのですわ。その後、「ホメロス計画」は再開し、榊和人神父の脳とそれに接続させたコンピューターを搭載した飛行機で追跡していきます。地球ではブディストの科学者、クレメンタインが神父と連絡を取りあいながら宇宙船の行方を追っているのですが、21年経った時、榊神父はりゅう座のあたりで不思議な現象を発見し、そこにブラックホールに似た別世界の入り口を見つけるんです。サジタリウスACBはそこに消えて行ったのだ。そして自らそのゲートを突破すると言い残し通信は途絶えるのです。彼は虚無と思える宇宙空間で和声を聞き取り、神の存在を感じる。そして確かめるがごとく飛び込んで行ったのだ。もうかなり老いてはいたがクレメンタインもそこへと向かう決心をする。趣味のフライフィッシングを榊神父とあちらの世界でできることを望みながら。・・・という結末でした。さて、別の世界には何があるのでしょうか?そこに神様はいるんでしょうか??いや~、こういう小説を読んだ後は世界がものすごく広くて、地球は小さいのにいとおしく感じてしまいます。マクロコスモスとミクロコスモス。As above, so below.一番不思議なのは自分という存在かもしれぬ・・・なぁーんてことを思いながら(^^;)
2008.03.25
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新聞に3月19日にアーサー・C・クラークが亡くなった記事を見つけました。 クラークは言わずと知れたあの「2001年宇宙の旅」で有名なSFの巨匠。90歳と大往生ですが、それにしてもクラークが描いた未来図はほぼ実現している。SFってとんでもなく空想みたいなものもあるけれど、「こうなるんじゃないか」と思わせるものもたくさんありますね。今ちょうど「エリ・エリ」というSF小説を読んでいるんですよ。今日中には読み終わりそうなので読み終わってから書けよ!と言われそうですが、他にネタが思いつかなくて(^^;)それに、クラークの描いた世界観にもにているようなのでちょいと紹介しますね。時代は21世紀半ば。今から50年後くらい。人類は月、火星、木星などに宇宙ステーションを建設し、そこへと移住した人たちも数十万単位で存在するようになり、地球外知的生命体との邂逅を目指す「ホメロス計画」が立ち上がる。そこに関わる科学者、医師、また反対勢力、地球上では宗教の力が衰退している中、神の存在を確信したいと願う神父。そのような人たちの心理や理想などが描かれています。小説は終盤にさしかかっているのですが、大量のニュートリノと重力波を発する知的生命体の宇宙船へと有人探査機で接近するところなんです。今までのところで一番、衝撃的だった場面は講演会場でテロによる爆破で死亡した神父が脳だけを残し、それをコンピューターに接続させて生き返ったところ。彼は「ホメロス計画」に『宇宙に神を求めるプログラム』を組み込むためにその能力を発揮させるのです。さてさてどんな結末が待っていることでしょう。小説中、章が変わるたびに新約聖書の一部あるいはそこから想像した情景などが書かれてあるのです。宇宙は、地球は、人間は果たして神様が創造したものなんでしょうか?クリスチャンの人たちはもう素直にそのまま受け入れていますよね?平谷美樹さんは男性です。あとがきによるとワタシと同じ年。なんでもこの年生まれはSF作家がとっても多いそうです。
2008.03.22
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フランクルの「夜と霧」を読み終えました。夜と霧新版遠藤周作氏の本の中で「過酷な状況にあっても人間としての尊厳を示すことができた無名の人たち」について書かれた感動的な書物・・・として紹介されてありました。ナチスドイツ強制収容所で心理学者が経験したことを描写と精神学から淡々と時にはユーモアさえも交えて書き記したものです。21世紀に紹介された翻訳ドキュメントの第3位とあとがきにありましたが、読んでみてほんとに圧倒されました。アウシュビッツについて歴史で学んだことは外面的、社会的なことであって当事者の、そしてその心理については実のところ怖くて知ろうともしなかったというのが現実でした。支配する側とされる側といったふたつの対立する者にきっちり線引きがされるわけではなく、被収容者の中で選ばれた一番サディステックな者が班長となり、支配者よりも残虐な行為が行われたこと、逆に人間らしさを示した親衛隊員がいたことなど、つまりは個人のあり様が極限の状況の中で浮かび上がるのだという。ガス室を発明したのが人間であると同時にガス室の中でも毅然として祈ることができるのも人間だと。衣類をはがされ、持ち物はすべて奪われて文字通り裸になっても精神性の自由は奪うことができないと。作者はほとんど偶然あるいは奇跡的に生還したのですが、時には「死ぬこと」を覚悟した選択をしているのです。医者であった作者は収容所の病人の看病に当たることもあり、その病人たちの移送に志願することができる立場にあることもあったのですが、それが栄転であることも、時には移送団がそのまま、ガス室行きとなることもあったのです。栄転のように思えた状況で残していく人の冷たい視線に恥じ入った時、彼はとどまる決意をする。行くことがよいだろうと思われる状況であっても、人間として一緒に残る道を選んだのだ。そしてそのことが命を救うことになった。移送団の行く先は恐ろしい場所だったのだ。また、ある時は自分自身も発疹チフスにかかりながら病人の移送に付いて行くことを決意する。自らの病気による死を覚悟した時にたとえガス室に行くことになろうとも、医者として最後は病人の看護にあたりながら終えることができれば本望だと。そして移送団はガス室ではなくほんものの病人の収容所へと到着したのです。また、収容所に国際赤十字が到着して解放された時に脱出のトラックに乗り込めなかったことを悔しんでいたらそのトラックは前線で爆破され「乗り込めなかった」ために助かったことなど自分の意思や決定によっては生かされていないという経験を思いっきりします。そこでテヘランの死神という昔話を紹介してありました。裕福で力のあるペルシア人が、召使をしたがえて屋敷の庭をそぞろ歩いていた。すると、ふいに召使が泣き出した。なんでも、今しがた死神とばったり出くわして脅かされた、と言うのだ。召使いはすがるようにして主人に頼んだ、いちばん足の速い馬をおあたえください、それに乗って、テヘランまで逃げていこうと思います、今日の夕方までにテヘランにたどりつきたいと存じます。主人は召使いに馬をあたえ、召使は一瀉千里に駆けていった。館に入ろうとすると、こんどは主人が死神に会った。主人は死神に言った。「なぜわたしの召使いを驚かしたのだ、恐がらせたのだ」すると死神は言った。「驚かしてなどいない。恐がらせたなんてとんでもない。驚いたのはこっちだ。あの男にここで会うなんて。やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」コッペパン一個とうすい水のようなスープ1杯の日々。ある日、夕日が美しいぞ!と駆け込んできた仲間と共にその食事もほりだして皆で赤く染まる雲や空を言葉もなく心を奪われて眺めていた。だれかが「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」と言った。うまくまとめることができないのですが、当たり前に生きていること、ごはんが食べられること、寒いときにコートがあること、一日の終わりに熱いお風呂に入れること、あたたかい布団で眠れること、夕日を心行くまで眺めることができること、それらはとてもすばらしいことなんだと気づかされる。今の私たちを見たらなんと恵まれたことでしょう!と当時の人たちは思うに違いない。だから、感謝しなくちゃいけないのですよね。過去の大きな犠牲の上に今の世界が成り立っていることを。最後に短い挿話を紹介したいと思います。この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。なのに、じつに晴れやかだった。「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの」彼女はこのとおりにわたしに言った。「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした」その彼女が、最期の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。「あの木が、ひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友だちなんです」彼女はそう言って、病棟の窓を指さした。外ではマロニエの木が、いままさに花の盛りを迎えていた。板敷きの病床の高さにかがむと、病棟の小さな窓からは、花房をふたつつけた緑の枝が見えた。「あの木とよくおしゃべりをするんです」わたしは当惑した。彼女の言葉をどう解釈したらいいのか、わからなかった。譫妄状態で、ときどき幻覚におちいるのだろうか。それでわたしは、木はなにかいうんですか、とたずねた。そうだという。ではなんと?それにたいして、彼女はこう答えたのだ。「木はこういうんです。わたしはここにいるよ、わたしは、ここに、いるよ、わたしは命、永遠の命だって・・・」
2008.01.26
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最近ちょっと読書浸り気味。ちょっと前から気になっていたサラ・ウォーターズの「半身」という本。 鏡リュウジ氏のブログで紹介されていたのですが、あの、漫画家萩尾望都さん推薦のイギリスの19世紀が舞台のミステリー本。定価で買うのはなあ~と思っていたら今日ちょうど見つけました!もちろん古本で(^^)ラッキー!何度となく紹介している天牛堺書店、ここは相性がいいみたいで「ほしいなあ」と思う本によくめぐり合います。メガ古書店のブ○○オ○にも時々行くのですけど、たくさんあるわりにはほしい本が見つかりません。作者ごとに別れているから見やすいんですけどね。それから先日読んだ遠藤周作さんの本の中で触れていた「夜と霧」がどうしても読みたくなってこちらは昨日書店で購入。 夜と霧新版まだ途中ですが、重い内容です。でもとても考えさせられる本です。読み終わったらまた紹介します。先日「エリ・エリ」を読むところ~と書いたのですが、この本はとりあえず後回しで今、村上春樹訳「グレート・ギャツビー」も同時並行で読んでいます。なんか訳者の愛情が文面からものすごく感じられる文章です。こちらの感想もそのうち・・・ 仕事のことなど、ぶつぶつ書いてますが、こうやって好きなこともできるのは幸せなことだと「夜と霧」を読みながら思っています。
2008.01.23
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ちょっと遠ざかっていた古書店、(つーか、洋服店や雑貨店ばかり覗いていた・・・)にまた通っているここ数日。で、買ったのが遠藤周作の「走馬燈」「私のイエス」林望「おんなたちへ!」池田満寿夫と広中平祐の「数学とエロチシズム」平谷美樹「エリ・エリ」です。「走馬燈」は日本でのキリスト教の歴史に関連した場所を作者が訪れたエッセイ。キリシタン迫害についてものが多くてかなり残酷な場面もありました。思想の自由っていうのは当たり前のことのように思って生きているけれど、命をかけなければならなかった時代があったから現在があるとしたらほんとに感謝しなくちゃいけないなあとしみじみと思ったり。「私のイエス」はそのまんま遠藤さんの「イエス観」です。今年になって三浦綾子さんの「光あるうちに」と「新約聖書入門」を読んだのですが、同じクリスチャンでもまた違った書き方をしています。三浦さんは聖書の内容と現実的に人が経験することを関連させてわかりやすく説明していることが多いのですが、遠藤さんは謎の部分を大胆に推測しながらイエスが言いたかったことを想像したり、イエスが出現した時代のイスラエルの政治についての説明や聖書の問いかけをどう受け止めるか、みたいな内容です。でも、あんまり硬いお話でもないのですよ。ワタシはイエスが「できれば十字架にかかりたくないんですけど・・・」と3回も神に祈っている時に近くに待たせた弟子に「ここでおきていなさい」と言ったにもかかわらず3回とも寝てしまった話が好きです。人間の弱いところをそのまま書いてあるのですね。林望「おんなたちへ!」は1つだけ読んだところ。世の男の人にちょっとでもリンボウ先生みたいなところがあったらいいのにねぇ、とよく思います。お料理や家事をある程度サクサクできて遊び心を失わないのがいいわ~でも、お酒はちょっと飲んでほしいなあ・・・とか。 「数学とエロチシズム」はまだ全然読んでないのですが、どちらの著者の書物も読んだことがあったのでどんなんかな、と。平谷美樹さんの「エリ・エリ」はたぶん、ちょっと前なら「女性の名前の連呼」と思ったはずです(^^;)最近「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」って十字架上のイエスのことばだったのね、と知ったところで本を手にとってみました。神と宇宙と人間を絡めたSFです。おもしろそうなので今から読むところでーす。読書感想文をまたそのうち・・・(ちなみに各冊100円でした)
2008.01.19
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クリスチャンの人に貸してもらった本を読みました(^^) 体育教師になって2月でクラブ活動中、首の骨を折って、首から下が不随になった男性のお話です。事故後、しばらくは生死の境をさまよい、命は助かったものの自分では何もできない身体になりました。何の希望も持てない将来に悲観しながらも、同室になった少年のためにペンを口にくわえて文字を書こうとしたことから徐々に自分にできる「何か」を探すようになります。病院内で見かけた見舞い客の襟巻きに自分を重ね合わせるかのようにこんな詩を書いています。 ペンを筆に変えて絵を描くようになりました。元気な時にはそれほど気にもとめなかった小さな花の美しさに心を奪われ、一心にその花を描くことに没頭し、たくさんの花の絵を描き、それが人の目に止まり、展覧会を開くまでになります。花の絵には詩も添えるようになり、それがまたいいんですよ。 入院生活が9年以上になった時、故郷の自宅で療養をする決心をします。すごく田舎で山ばかりで両親も一日中畑で働いていて、高校を卒業と同時に離れた故郷が今はとてもすばらしい大切な場所だということに気づきます。自然が与えてくれる恵みに感謝しながら、花を絵を描いて暮らすようになります。入院中に大学の寮が同じだったクリスチャンの友人から聖書を贈られました。彼が紹介してくれた牧師さんの教会の女性が週一で訪ねてくれるようになりました。その女性と8年の年月を経て、結婚するところで話は終わります。絵と詩は星野さん自身が自分で書き、文章は奥様に口述筆記してもらっています。事故にあったのが1970年、第一回の展覧会が開催されたのは1979年。現在、星野さんの絵は海外でも紹介され、展覧会は日本各地、アメリカ、ポーランドでも開催されているそうです。星野さんが聖書を開いて最初にはっ!と目に止まったことばは・・・(マタイによる福音書11.23-30)すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところへ来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。私のくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。聖書ではあちこちで思いっきりどきっ!とすることばに出会います(^^)
2007.12.09
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クリスチャンの人に貸してもらった本を読み終えました。三浦綾子さんの「道ありきー青春編」です。三浦さんの本は読んだことがあったように思うのですが当時はそれほど強烈な印象を持たなかったように思います。この本は敗戦後に教師を自責の念から辞めた三浦さんがふたりの男性と婚約をしたり、酒やたばこに手を出したりと虚無的な世界観を持つようになったところから始まります。ある男性との結納の日に病に倒れ、肺結核となり、婚約を破棄し療養の身となった時に同じ結核患者の幼なじみ「前川正」さんが訪問することから人生が変わってゆくのです。簡単に言うと前川さんによって三浦さん(当時は堀田さん)がクリスチャンになっていく話です。といっても、多くの疑問や一種の抵抗感みたいなものがあってなかなかすんなりクリスチャンになったわけではないのですが。その辺りの迷いや疑問はクリスチャンじゃないワタシみたいなものには逆にとっても理解しやすいものでした。治る見込みのない病気から婚約者に断りに行った夜に自殺をしようと海へむかったのを止められたり、そうやって「死にたい」と思ったのに死ねなかったこと、なのに肺の気胸療法を受けた際に倒れ「このまま死んでしまうのかも?」と意外に冷静に受け止めようとしたこと。この世に自分の意志よりも更に強固な大きな意志が存在することに気づき、日々の暮らしの中でさえ自分以外の何かが加わっていることを認めないわけにいかなくなった・・・と書いています。時々死にたがる彼女を見て前川さんは「生きるということは、ぼくたち人間の権利ではなくて、義務なのですよ。義務というのは読んで字のとおり、ただしいつとめなのですよ」のことばに、はっ!となったり、遠くの病院で治療を受けることを決めた時にも「もうぼくなどを頼りにして生きていけないという時にきているのですよ。人間は人間を頼りにして生きている限り、ほんとうの生き方はできませんからね。神を頼ることに決心するのですね。」とか優しく言うのですよ。ふたりの付き合いは前川さんが亡くなることで5年で終わってしまうのですが、前川さんはほんとにいい人で亡くなる場面ではワタシもウルウル・・・またね、死期を察して残した遺書にも優しさがにじみ出ているんですよ。「・・・決して私は綾ちゃんの最後の人であることを願わなかったこと、このことが今改めて申し述べたいことです。生きるということは苦しく、又、謎に満ちています。妙な約束に縛られて不自由な綾ちゃんになっては一番悲しいことです・・・」と自分の死後も彼女の将来を心配しているんですよ。その後、三浦光世さんと出会うのですが、前川さんと姿が似ててクリスチャンで恋愛感情を抱いていくのだけどダブらせて考えてしまう時にこの遺書のことばに励まされるのです。またこの三浦さんって人もいい人でね~元カレのことを「忘れないということが大事なのです、あの人のことを忘れてはいけません、あなたはあの人に導かれてクリスチャンになったのです・・・」と。結核、カリエスと13年間、病気と闘ったのち、退院して三浦さんと結婚するところで本は終わります。それにしても綾子さんって人はとても魅力的な女性なんだろうな~いつも病室にたくさんの人が訪ねてきて多くの人からも慕われていたようでした。本では聖書からのことばがあちこちにあって、先日もらった聖書をパラパラとめくってみたりしてます。綾子さんが虚無的だった頃に前川さんに薦められた旧約聖書の「伝道者の書」ってのはかなり異質な感じがして、どちらかというと仏教的で、こんな書も含まれていたんだわ、と驚いています。(ちなみに空は「くう」と読みます(^^))空の空。伝道者は言う空の空。すべては空日の下で、どんなに労苦しても、それが人の何の益になろう。一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることがなく、耳は聞いて満ち足りることもない。昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。ね、虚無的でしょ?でも締めくくりは・・・結局ところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。聖書のあちこちで繰り返し出会う力強い言葉に最近ちょっと、いや、かなり励まされてます(^^)
2007.11.23
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今までの日記でたびたび触れた米原万里さんの本の紹介をちゃんとしておきますね! 読んだのは「不実な美女か貞淑な醜女か」という変わったタイトルのエッセイです。最初は日露同時通訳者のむずかしい言語学のお話かと思いきや~抱腹絶倒、下ネタオンパレード、ワタシは電車の中で何度も笑いをこらえるのに必死になり挙句の果ては3駅も乗り過ごしたことにも気づかなかったという本です。のっけから通訳者というのは「売春婦みたいなものなんだ。要る時はどうしても要る。下手でも顔がまずくても、とにかくほしい、必要なんだ。どんなに金を積んでも惜しくないと思えるほど、必要とされる。ところが用が済んだら、顔も見たくない、消えてほしい、金なんか払えるか、てな気持ちになるものなのだよ。」と師に言われたそうですが(^^;)そーゆー心理は理解しかねるけど師が付け加えた「だから売春婦にならって、通訳料金は前払いにしておいた方が無難だよ。少なくとも値段は事前に決めておくべきたね」という戒めはしっかり胸に刻んで数々の通訳をこなしていったそうな。というエピソードから始まるのですが、翻訳者と違い、常に時間という制約の中で2国間のコミュニケーションを繋ぎ、あらゆる分野の通訳を行うのだからそこにたくさんの誤解と理解が生じるんですけど。ある時はロシア美人になんとかヌード写真を撮らせてほしいという説得の通訳だったり、はたまた専門用語の飛び交うシンポジウムだったりとあっちこっちと忙しい。その中からいくつか紹介します。宇宙飛行士の候補を選ぶ際の身体検査の結果を日本の報道機関が取材に来ていて(その時身体検査をするのはロシアの医療機関だった)ガンの触診の結果を通訳した米原さん「陰嚢の鞘膜腔を検査した結果・・・」と何度言っても伝わらず、だんだん声も大きくなっていくのに通じず、ついには「えーとですね、○○さんのキン○マのしわをですね」と怒鳴ったとたん理解された。はたまた地殻に関するシンポジウムで「マンガン団塊」ということばが何度も登場するのだけど訳した人はずっと「マンガンダンコン」といい続け、ま、会議の趣旨をわかっている人ばかりの集まりだったのでそれは途中で誰かが指摘するということもなく無事(?)に終わったそうですが。これについては友人と話していてちょうど会社に保険の外交員がやってきて年金に関して新しい商品の説明をしていたそうなんだけど、「団塊の世代」ということばを何度も使っていたらしいのだけどやっぱり、ダンコンと言い続けていたそうな。言葉による誤解は別に同じ言語であっても生じるものですね。成句やことわざの通訳のむずかしさについてもいろいろ書かれているのですが、国は違っても同じようなことわざがあったりする。「風邪が吹けば桶屋が儲かる」というこじつけの因果関係を表すロシア語の言い方は「肉を食うと風邪をひく」というものがあるのですが、その理由わかりますか?「肉を食う→精力がつく→勃起する→寝ている間に毛布が引っ張られる→毛布が持ち上がった分、毛布に覆われていた足先が出てしまう→足が冷える→風邪をひく」なんだそうです(^^;)なんかエッチなネタばかりを米原さんは書いているような誤解を受けそうですが、もちろんまじめに言語を論じた部分もたーくさんあります。できるだけ子供の頃から外国語を習うのがよいとされる日本の風潮には眉をしかめる。8-10歳くらいまではしっかりと自国語で考える能力をつけることが安定した人間性を築く基礎となることを力説する。また自身が9歳から14歳までに受けたロシア語での教育に話が及ぶ。そこでの「国語」の授業では・・・まず、アルファベットを習い覚えた半年目でロシア語の授業は文学と文法にはっきり分けられ、3年までは1週間24コマの半分を占める。4,5年で30コマ中10-12すなわち3分の1以上、6年以降は4分の1以上を占める割合になっている。文学の授業は次の4点を特長とする。1.子供用にダイジェストされたり、リライトされていない文豪たちの実作品の多読。学校付属図書館の司書が学童が借りた本を返す都度、読み終えた本の感想ではなく、内容を尋ねる。本を読んでない人にも、その内容をわかりやすく伝える訓練をこうして行う。2.古典的名作と評価されている詩作品や散文エッセーの主なものの暗唱。低学年では週二篇ほどの割合で大量の詩作品を暗記させられていく。3.文章を朗読させられた後は必ず内容をかいつまんで話せと要求される。4.作文の授業では主題を決めるとそのテーマに関する名作を数篇読んできかせてそのコンテを書かせる。その上で自分が書きたいと思っている作文のコンテを書かせる。日本の国語の授業は今はどんなのだろう?でもきっとこんな風じゃないだろうな~子供の頃からこういう思考回路を持つように教育されると大人になったらずいぶん違ってくるよね。きっと。なんだか脈絡のない読書感想文になりましたが、とにかくおもしろい本でした。米原さんがもうこの世にはいらっしゃらないのが残念だけど、これからぼちぼち他の作品も読んでいきたいなあと思っています。
2007.10.17
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昼休みの半分くらいは古本屋さんを覗いているのですが、先日「ワンバーナー簡単クッキング」(シェルパ斉藤著)を見つけました。 「今度、お兄ちゃんにあげよう!」と思って購入。というのも兄はカヌーイスト(って書くとなんか格好いいですが、趣味であちこち漕いでます)ちょうど1年くらい前にカヌーに乗せてもらったけど、気持ちよかったし、琵琶湖の岸で沸かして飲むコーヒーがおいしかった。なのでこんな本があったら兄ちゃんも試してみるかも?とパラパラと見てると家でも試せそうなものがありますね~アウトドアなので基本は保存の効く食材と携帯しやすい調味料なのでラーメン、そうめん、もち、缶詰、スライスチーズなんてのがたくさん登場します。お茶漬けのり、パスタソース、チューブバター、ピザソース、コンデンスミルクも大活躍!コンデンスミルクに抹茶を混ぜてお湯で溶いた抹茶ミルクなんてのもおいしそうだし、簡単にコーヒーにマシュマロを入れたウィンナーコーヒーってのもいいなあ。そうめんをゆがいてオリーブオイルでちょっとかりかりするくらいに焼いてチーズを乗せたアイデアピザもいけそうです。写真家で長期山ごもりをされる方に聞いたレシピではインスタントラーメンに高野豆腐を入れるというのが斬新です。栄養不足になりやすいので高野豆腐を入れるとバランスがよくなるそうです。それからおもしろいところではスナック菓子の「じゃがりこ」を使ったマッシュポテト。お湯を沸かしていれてかき混ぜてつぶすだけの簡単料理。これ、本によるととってもおいしいそうです。ちょっと乾燥ネギなんかをいれるとよいとか。どの料理も簡単だし、材料もシンプル、やっぱり大自然の中で食べるということがいちばんの贅沢なんでしょうね~本日、古本屋さんは100円の日だったのですが、大ファンの須賀敦子さんの全集のうちの1巻を見つけて大満足!こういう掘り出し物が見つかるので、古本屋さん覗きは辞められません。注:BOOK OFFじゃなくて天牛堺書店です(^^)2007年3月発行、帯付でこんなに状態がいいです。色やけもなくて、たぶん読んでいないような??
2007.08.31
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「イギリスはおいしい」以来のリンボウ(林望)ファンのワタシ。でもここ数年は本を読んでなかったのですが、たまたま古本屋で見つけて、ちょうどお盆休みに読みました。お久しぶりのリンボウさんの身辺もかなり変化して大変お忙しそうですが、やっぱりいいですね、エッセイ。 イギリスのこと、文学のこと(それも結構歴史の古い)身近なことなど内容は盛りだくさん。山梨にログハウスを建ててそこですごす静かな時間、締め切りや講演に追われ、睡眠不足に悩まされ、睡眠薬だって飲んだりして、挙句、時には自殺なんてことも頭をよぎりながらもリセットできる時間を大切にしておられるのですね。(文筆業ってなかなかハードなお仕事なんだ・・・)紅茶好きのリンボウさんのうんちくは意外といい加減と言うか、楽しめておいしければいいのです、という姿勢がいいですよね。そばちょこに江戸時代のお皿をソーサー代わりにしたり。特別なブランドの茶葉でもないものをごく普通のマグでたっぷりミルクティーにして飲むのが一番とか。そうそう、学生時代ヒジョーにイギリスに憧れていたので、「絶対、最初に訪れる外国はイギリス!」と決め、初めてその地に立った時のうれしかったこと。でコンチネンタルブレックファーストで出された紅茶のおいしかったこと!!まあ、もう気分がブリティッシュだったもんだから舞い上がっていたのかもしれないけど、ほんとこれぞ紅茶!と感心。それがね、ただのティーバックだったし、たぶんリプトンかなんかで「日本でも見たことあるわ~」というパッケージでした。おいしかった理由をいろいろ考えたのだけど、たぶん水の違いなんでしょうね。それとお湯の温度。(シュンシュンに沸かさないとね!)イギリスのあともヨーロッパを巡るツアーで他の国でも紅茶は飲んでみたけどやっぱりイギリスの味が最高だったんです。含まれるミネラルのバランスとかが絶対イギリスの水が紅茶に最適なんでしょうね。同じティーバックを買って日本に持ち帰って飲んでもまるで違ってたし。リンボウ先生の本に戻りましょう。どれについて書いたらよいか迷ってしまうのですが、「失われし音」の中で取り上げる「砧の音」というのがものすごく気になっていて、「どんな音なんだろう?」と想像してます。板や棒の上に織物をおいて、砧という槌で柔らかく叩く、そういう音なんだそうです。その「砧打つ音」というのが平安時代からごく近い時代まで夥しい文学作品を作り出した趣深い音だそうで。「源氏物語」で源氏が夕顔の宿に仮の宿りをしたその夜の情景は「白妙の衣うつ砧の音も、かすかに、こなた、かなた聞きわたされ、空飛ぶ雁の声、取り集めて忍びがたきこと多かり」と表現されているとか。いずれにしてもなんとも哀愁のある音のようでほんと、誰か再現してみて下さい!(東儀秀樹さんあたりにやってほしい・・・)他にも「能の桜」では能の中での桜の役割から日本人の民族的桜観について書いてあって、実は桜って精霊とか天女とか神とか仏とか天狗とか亡魂とかそういった「この世ならぬモノ」が憑り来る樹木なのだという特殊の属性なくしてはこうした設定は説得力を持たないはずのものなんだそうです。単に一斉に咲き誇った後にはかなくも散る・・・というだけのものなんじゃないんだ。桜は超自然的な「あやしさ」を持っていると言われると、なるほどと思ったり。「俗を愛し、俗に溺れず」お料理だってサクサクできる、そういう暮らしぶりがステキなリンボウ先生。他にも先生の本が読みたくなりましたよ~(^^;)(古典もよいですね!日本人っていいなあ~繊細で・・・)
2007.08.21
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先日、銅版画家の山本容子さんの「マイストーリー」をざっと読みました。というのも途中で「ん?」と違和感を覚える文章があって、そのひっかかったことが後半にもたくさん書かれていてどうも苦手なタイプの本かもしれないとぱらぱら読んだだけで終わりました。出だしは幼い頃に過ごした生駒山にある祖父の家のことが書いてありました。ワタシの以前住んでいたところにも近く、親しみを感じ、また一代で財を成した祖父の筋金入りのしゃれ者の生活もなかなか興味深かった。芸術についてというよりもタイトルどおりに自叙伝でした。どういう結婚をしたとか、不倫したとか、どろどろだったとか、再婚したとか、不妊治療したとか。外見を拝見しただけで美しい人だとわかるから、自分ではあんまり言わないほうがいいのにね~美しさを保つ秘訣とかどんな恋愛をしたとか。うーん、もっと違う書き方してほしかったです。ま、銅版画家でありつつ、バツグンの文章力でうならせてくれる池田満寿夫さんの後に読んだのがまずいのかもしれないけど。作品は都会的でしゃれていてステキですが。5月にNHK「新日曜美術館」で菊池怜司という夭折の銅版画家の特集がありました。もう40年くらい前に腎臓の病で20代で亡くなった芸術家。独自の文字をぎっしりしき詰めた絵や手の絵などが印象的。しかし、彼の銅版画に対する取り組み方がなんともすごく、生き方そのものが芸術のようなすさまじさを感じたのでありました。病のせいで常に死についてのイメージを強く持ち、銅版画(銅板に金属で傷をつけて線を描き、その銅板を酸に浸して腐食させそこへインクを入れ、プレスで押して絵になる)にのめりこむ。傷をつけ、腐食させるという過程を自らの肉体と同一視させながら作品を生み出していったのでは?というようなコメントがあったように思う。実は以前にちらっと書いたのですが、半年ほど銅版画を習いに行ったことがあるのです。「エッチングがやりたい!」という高尚な(?)動機ではなく会社近くの公民館で市民のための格安講座のうちのひとつで「なんだかおもしろそう」という気持ちで(^^;)なので時々さぼったりしながらの不真面目な生徒でありましたが、2点作品を作りました。残念ながらどこかに行ってしまったのですけど、銅板に描く線ってほんとに細いので、ものすごく時間がかかります。一緒に通った友人は美術部出身だったからさらさらとデッサンして個性的なユニコーンの絵を描いたのには参りました。肝心の酸に浸す作業は先生(ホーロー画が専門)がやってくれたので先ほどの菊池怜司の心境はわからないのだけど銅版画というのは一種特別な絵という気がします。ものすごい細い線で何を表現するか、腐食の過程をどのようにするかとか。(専門的なことはわからないですけど)都会的な山本容子の絵、命を振り絞るような菊池怜司の絵、エロスを追及した池田満寿夫の絵。同じ方法を採っても作品に表現されるものは芸術家そのものなのでしょうね。リアルに繊細に描くべき・・・とたぶん当時のワタシは思いながらカリカリと銅板に傷をつけていたけれど、今なら何か違うものになりそうだ。それに酸につけた銅板がどんな変化をするのだろうか、とながめていたい気もする。年をとるということはそういうことかもしれないですね。
2007.08.08
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池田満寿夫の「男の手料理」という本を電車の中でパラパラと読んでいます。「男の手料理」の定義はカンタンで豪快なもの、なのでこの本でもひとつの料理につき3-4ページの紹介のうちレシピはほんの数行。ほとんどが池田さんのその料理にまつわる思い出なんですが、この短いレシピがなんとも「作ってみたい!」と思わせるものなんです。自宅で冷蔵庫を開けた時にあった材料で料理するのですが、そこがアーティストらしくどこかで食べた料理を大胆にアレンジしたものだったり、子供の頃に食べたなつかしの料理だったり、海外経験の豊富なパートナー、佐藤陽子さんのアイデアだったり。この本の目次を紹介しましょう。1.コロンブスの卵丼、2.関脇のエビ料理、3.揚げドウフ、4.ジャンボ茶碗蒸し、5.ナスの餃子、6.たまごのつくだ煮、7.オリジナル・パオピン、8.漬物の焼飯、9.カキの天ぷら丼、10.餅の茶漬け、11.石狩おむすび、12.チーズのステーキ、13.キューバのバナナ料理、14.大根と明太子のサラダ、15.カニとグレープフルーツ、16.アボカド・ライス・エーゲ海風、17.梅を酒で煮る珍品、18.スイカのウォッカ割り、19.フライパンのタコ焼、20.揚げないコロッケなどなど。13の「キューバのバナナ料理」なんてバナナは皮をむいて食べるか、バナナジュースにするくらいの我が家ですがそのうち作ってみたくなりました。だって料理用の赤ワインとバナナの輪切りを鍋に入れて煮るだけなんですよ。好みで砂糖を入れてもおいしいそうです。温かいデザートとしておすすめ!この中から先日「たまごのつくだ煮」を作ってみました。玉子料理が大好きな池田さんが絶賛しているので我が家のたまご好きさんのために腕を(?)ふるってみました。本では10個くらいの玉子を殻ごとしょうゆとほんの少しのだし汁だけで5時間煮詰めるだけでまるでアワビか!と思うくらいにおいしいたまごになるのだそうです。10個は多いので小さい鍋に入った4個だけ。で途中あまりに煮詰まりどろどろしてきたので酒を入れたりちょっとお水も足したりしてそれでも2時間くらい経つと「もうこれでいいのじゃないかしらん?」と思い、ガスを消しました。でもとりあえず煮汁に浸けておけば浸み込むだろうと5時間くらいはそのままに。さて、できあがりはいかに・・・「お・い・し・い!」辛すぎたらどうしよう?と思ったけど大丈夫というか、やはりレシピどおり作るべきだったかなあとか思うくらい色はうすい茶色でしたね~でもちょっとひびの入ってた玉子はいい感じの色と身のしまり具合になりました。おいしいことは認めたわが主人でしたが、とにかくワンパターンが好きなので「たぶん飽きるから普通のゆで卵でいいわ」と言いながら2個食べてました。(変化を愉しめよ~と心の中でつぶやくワタシ) そうそう、先週の土曜日「美の巨人たち」という番組で池田さんを取り上げていました。生前はあまり作品のことは知らなかったというか、佐藤さんとよくテレビに出ている人・・・てくらいの知識しかなかったんだけど、すごい芸術家だったんですね。細い線で描かれた銅版画がエロチックで「トイレの落書き」と評されることを喜んでいたとか。先ほどの本の中にもいくつか挿絵があってどれもユニークです。実は独身の勤め人時代、半年くらい銅版画を習いに行ったことがあるのですが、また銅版画についてはそのうち(といっても大したこともないけど)また書きます。偶然に今日は山本容子さんの自伝本を古本屋さんで見つけて買いました。読んだらまた紹介しますね~
2007.07.30
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とっても短い短編小説集です。カリフォルニア州サン・ルイス・オビスポの週間新聞「ニュータイムズ」の編集者スティーブ・モスが紙上で行った「55語の小説」コンテストの中から浅倉さんが157編選んで訳した文章ひとつひとつに和田誠さんが挿絵をつけています。たった55文字(英単語で)で書かれてるけどこれがめちゃくちゃおもしろい!短いから読みやすいのだけどしっかりそこにストーリーとオチがあるんですよ!その中からいくつか紹介しますね~ 臨終のメッセージ血まみれの包帯におおわれ、何本ものチューブを体にくっつけられたまま、交通事故の被害者は、ベッドの上からかたわらの司祭に狂おしく身ぶりした。患者はもう口もきけないので、必死にメモを走り書きした。書きおわり、ひとつあえぎをもらしたかと思うと、そのまま息を引きとった。死者のために最後の祈りを唱えおわってから、司祭は瀕死の男が書きのこしたメッセージを読んだ。「あんた、チューブふんでる」一般の読者だけでなく作家にも書いてもらっています。スヌーピーの作者、チャールズ・M・シュルツ 暗い嵐の夜だった・・・・「一度だってどこかへ連れていってくれたことがないじゃないの」と女はぐちをこぼした。「こんな暗い嵐の夜に、どこへ連れていけるというんだ?」と男は答えた。車のローンも、家賃も、滞ったままなのだ。飼い犬のレックスは、自分がひと肌ぬぐしかないと考えた。彼はタイプライターの前にすわり、ベストセラーを書こうとキーをたたきはじめた。「暗い嵐の夜だった・・・・」Oヘンリーの「賢者の贈り物」に対して・・・ 愚者の贈り物あのとき、ふたりは大きな歓喜を味わいながらクリスマス・プレゼントを交換したのだった。すべてがとても正しいことに思えてならなかった。最近の自分たち夫婦の経済状態を考えると、たいへん理にかなっているような気もした。つらい時世だが、愛は咲きほこる、と。だが、いま夫はふとこんな思いにかられた。「妻の髪の毛はまた生えてくるが、わたしの懐中時計はもうもどってこない!」外はきびしい十二月で雪が降っていた。ワタシが一番、大笑いした一編 登る三人の男がビルの九十階まで登りはじめた。エレベーターは月曜まで動かないというのに、サムはこの週末に整理しなければならない書類をとりに行く必要があったからだ。三人の男は際限なくつづく階段を登るうちに、いつとはなく悲痛な物語を交代で話しはじめた。九十階にたどりついたとき、サムの物語はこの上なく悲痛なものだった。「鍵を忘れてきた」サムはあえぎながらそういうと、ばったり倒れて息をひきとったのだ。原文が55単語以下という制約が厳格にあるので訳された浅倉さんも自分に制約を課し、200字以内におさめたそうです。今こうして写しているとひらがなの使い方も字数制限のための工夫かしらん?と思った次第です。なんだかとても楽しそうに訳されています(^^)55文字、日本語で200字、原稿用紙半分。ワタシも何か書いてみようかなあと思っているところ。やっぱり文鳥を主役にすべきか?カンタンそうですが、なかなかむずかしいもんですよね。作れたあかつきにはブログにて公開したいと思っています。(いつのことやら・・・)
2007.06.20
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「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という対談本を読みました。 対談は約10年ほど前で、村上さんがアメリカで「ねじまき鳥クロニクル」を書いた頃であり、社会的には阪神大震災やサリン事件、世界的には湾岸戦争がありました。内容は小説家と心理療法士がそれぞれの職業的な話と世界というものについて絡めながら気ままにおしゃべりした・・・というものです。とてもおもしろかったので一気に読んでしまったのですが、さてまとめるとなるとどうしたものか・・・と思っているところです。対談全体を流れるテーマは「コミットメントとデタッチメント」という感じがします。「コミットメント」は「関わり」、「デタッチメント」は逆に「関わらないこと」というか「離れているという状態」でしょうか?個人が何に関わり、何から距離を保つかみたいな。普段はデタッチしている若者が地震の時に大勢がボランティアに参加してコミットしたとか、理系のエリートたちがオウムにコミットしたとかそういうような表現で頻繁に出てきます。村上さんは日本のベタベタしたコミットメントから離れたくて海外に住んでみたのですが、外に出てみると日本を逆に強く感じてやはり戻って自分のやるべきことをしようということになったらしい。河合さんとの対談の中で「物語の必要性」が語られます。それも素朴だったりファンタジーだったり。10年経った今、その間にハリーポッターが出てきたなあとか、「世界の中心で愛を叫ぶ」とか「今会いにいきます」とか「東京タワー」とかシンプルで純な話が流行しているのも当たっているかな?なんて思ったり、オウムは沈静化したけれどスピリチュアリズムがかなり一般に広まったのじゃないかなあとも思ったり。(自分では見えないものも「ある!」と断定できてしまうのも怖いですが・・・)村上さんが小説を書き始めたのは自分の欠落部分を補うためだったかもしれないと言い、心理分析をしクライアントを治療するという、ともすれば負の部分を引き受けてしまう危険を犯してしまいそうな大変な仕事をしている河合さん。でもおふたりともそのことで自分が癒されるのだという。河合さんなんてこの仕事を「していなかったら」おかしくなっていたと思うとおっしゃる。以前参加した鏡リュウジ氏の講演の中で占い師をキーロン(小惑星)にたとえ、wounded healer=傷ついた癒し手と表現したのを思い出しました。癒す方もクライアントの痛みがわからないと癒せない、癒すことによって自分も癒される、ということでした。河合さんもそのような人なのでしょう。人はみなどこかに病めるところがあってそれを癒す方法を探している・・・対談の中で怖かったのは「殺す(自殺、他殺)ことのみで癒される人」というのがいるそうです。最近の事件とか見ていると、そういう人もいるのかもしれない。もちろん、分析や面談によってそうならないようになってゆくのですが治療が終わる時に「私の最大の不幸は河合先生に出会って自殺できなくなった」と言われて複雑な気持ちになったのだそうだ。うーん、人間はむずかしい。もうひとつ印象的だったのは「暴力」も必要であること。誰にでも暴力性があるのだからそれにフタをしてしまうのではなくて、小さな暴力性を経験しておくのは大切であること。そうしないとパァーっと大きな暴力として表れてしまう。どうもうまいことまとまりませんが、人間そんなに正しくも強くもないので弱い部分や病んだところも「あるもの」として吸収できる場というか機会がある世の中であれ!でしょうか?さて、村上さんがアメリカに住んでいた頃に雑誌の悩み相談のコラムにおもしろい記事があったことを紹介していました。ある主婦が裸で料理をするのが気持ちいいので家では裸ですごしていたところ侵入してきた男にレイプされてしまい、「裸で料理をするのが好きなのはおかしいのでしょうか?」という相談でした。「そんな格好でいるからレイプされるのですよ。」と回答したところ、「私も裸で料理をするのが好きですが、それが何か?」と大反撃があったらしい。こういうのは日本では考えられないな・・・と。なにやらやっぱりまとまらない。でもとてもいい本でした。ワタシは文鳥さんに大いに癒してもらっているなあとベタな結論に達したのであります。なんじゃそれ~!
2007.06.14
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池田満寿夫による美術評論の本を読みました。タイトルはピカソとゴッホだけですがモジリアニについても書かれてあります。芸術家を目指していた頃の自分自身と重ね合わせて3人の巨匠それぞれを評論しています。ワタシはゴッホの絵がとても好きなのですが、以前旅先で訪れた美術館で生の「オーヴェル教会」を見て引き込まれたのがきっかけでした。もちろん、ゴッホのことは知っていたけれど、特別な知識があったわけでもなく、「あのひまわりね!」くらいのものでした。でも生の絵を前にするとパワーというかエネルギーを感じてしまいますよね。その後、ゴッホについてちょっと本を読んだり、調べたりしたのですが、つらくなる人生です。生前は世間に認められることがなく変人扱いまでされて挙句の果てに自殺とは。でもね、残された絵がこれだけ皆に受け入れられていることをきっと喜んでいるでしょうね。モジリアニもまた若くして亡くなります。彼は生涯、2枚の風景画しか描かず、ほとんどが肖像画。人と向き合いながら絵を描くことに執着した人。アル中で結核。もう好きなように生きるしかない!って感じですか。ピカソはふたりと違い長生きしてたくさんのスタイルも異なる絵を描いたのですが、あのわけわからん絵を描く画家?だけではないのですよね。14歳の時に描いた宮廷画とも思える緻密で写真のように正確な油絵からは晩年の落書きのような絵を想像することができません。しかしいい加減に描いている訳ではないのですよ。簡略化されてシンボルのように描かれた牛の絵に至るまでに正確な牛のデッサンから徐々にデフォルメさせてゆき、最後にたどり着いた絵がそれなんです。(NHK新日曜美術館でみたのですが)ピカソは絵のスタイルを変化させ、「芸術は破壊の集積である」と言い、進化させて来た点がすごいです。なにやらまとまりのない感想ですが、印象的だったのはゴッホの絵が年月を経ても他の画家のものとは違い鮮やかさを失わないということ。油絵は何度も重ねて厚みをつけてゆくものかと思っていたけど、ゴッホの目指したように「靴職人のように自動的にすばやく描く」というのは絵の保存状態を左右するものなんだそうです。もちろん、絵の具の混ぜ合わせ方によっても違いが出るのだそうな。ゴッホの絵の瑞々しさはその職人的な技術にあったとか。そうそう、モジリアニが病気で亡くなった後、恋人のジャンヌは身重なのに投身自殺してしまうのです。芸術家の影に女性あり、ですがジャンヌもまた画家であり、ステキな絵を描いていました。どこかの美術館でふたりの絵画展を開いているとか。日本の佐伯祐三がパリで亡くなるまでの短期間にたくさんの絵を描いていましたが、家族も同行していたことが気になってネットで調べたら奥様もやはり画家。彫刻家のロダンにも美しいカミーユ・クロデールが助手として恋人として寄り添っていたのに名声はロダンだけのものになり、彼女は精神病院で生涯を終えたし、なんだかんだと言っても男性優位で世界は最近まで成り立っていたのですね。ま、ましになったとは言え、今もまだ同じようなものかもしれないけどね~池田満寿夫さん、文章がほんとにいいですぅ。画家が片手間に文章を書いたという感じがしません。(たしかその後、直木賞とかもらっていましたよね?わかる、わかる)自分の感情の表現がストレートなのに論理的でわかりやすい。アメリカでの生活を書いた「私のアメリカ」という本を会社の人に借りたのでこちらも読まなくちゃね!でも、池田さん「私の・・・」というのがかなり好きみたい!
2007.06.11
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去年の今頃「ウェブ進化論」という本を読んでかなり刺激を受けたのが記憶に新しいのに最近、また耳慣れぬIT用語を耳にするようになりました。「ウェブ進化論」ではgoogle,amazon,wikipediaあたりに注目していましたが、この本には書かれていなかったものでyoutube,second lifeがこの頃気になる。youtubeは動画を公開できるスペースで先日は「しゃべるスズメさん」をテレビニュースで見た後、探すとその映像がありました。 さて、second lifeですが、初めは団塊世代がいっせいに定年を迎えることが話題になっているからてっきり、そーゆー関係のものだと思っていましたが、実はインターネット上に3次元空間を作り出し、そこに誰もが参加できて好きなことができるというサービスをリンデンラボ社が始めたというもの。 本を読み終え、早速昨日、登録をしてみました!セカンドライフでは自分の分身、アバターというものが好き勝手に暮らすことができるのですが、最初にアバターの名前を登録して、自分自身の外観を選択します。(ここではあまり種類がないけどあとで変更もできるらしい)ま、普通の登録のように生年月日なども聞かれます。セカンドライフの中身はちょうどmixiのような感じです。ただ、3次元なのでリアリティがあります。まだ始めたばかりなのでどんなことができるのかこれから試してみますが、では本の内容についてちょっと紹介しましょう。個人が参加しコミュニティを作り情報を発信、共有するという点ではブログやmixiに似ていますが、ひとつ大きな特徴としてセカンドライフでは仮想通貨、リンデンドルというものがあってそれをこの世界内で使うことができるというもの。ほしいものがあったら購入できる。たとえばアバターに着せる服とか3次元だから自分の部屋の家具とか。しかし、買うためにはお金が必要ですよね!というわけで自分でお店をオープンして「何か」を売ればいいわけです。それは現実の商品でなくてもいいわけでアイデア次第では大もうけができるのですよ!「なーんだ!でもそれって単にセカンドライフの中だけで現実味がないじゃん!」と思われるでしょう?それがなんとこのリンデンドルは実際の通貨と換金可能らしいのです。で、アメリカの議会じゃ、それに課税すべきかどうかまで問題になっているそうな。まだなんだかピンとこないでしょうが、すでに参加している企業もたくさんあります。中でもNISSANが自動車の自動販売機なるものを公開したところ、大変な反響があったそうです。ヴァーチャルな世界であってもやっぱり家がほしいとか車がほしいとか思うものなんですよね~また、インテルがデザイナー数人をニューヨーク5番街が見える高層ビルの中に72時間閉じ込め、セカンドライフ上に現実の街をそのまま3Dで描き出していく過程をリアルに公開してこちらも大反響があったそうです。何もなかった空間に実際の街並みがだんだんと作り上げられてゆく過程を一緒に眺めるのはわくわくするものでしょうね!ある大きなホテルはまだオープンしていない建物の中の細部までをセカンドライフ上に公開しているそうです。さてその目的やいかに?もちろん宣伝でもある。しかし、多くの人の目に止まりフィードバックも得られるということは開店以前に変更可能なアイデアを企業が獲得できるというメリットがあるのも事実です。現在600万人以上が参加しています。普通のメンバーになるのは無料。プレミアム会員になるにはお金がかかりますが、企業などの広告費を考えると安いものだと思います。これからどんな展開をしてゆくのかおもしろそうですね!ただ、現在はまだ日本語に対応していないのが難点。それとアバターの外観もあまりかわいくないし、名前も限られています。まだまだこれからという感じですが、とんでもなく大きな流れがやって来るように思うのですが・・・セカンドライフホームページセカンドライフ参入支援サイト―メルティングドッツ(この本の著者が運営)
2007.06.05
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小澤征爾氏の「ボクの音楽武者修行」を貸してもらって読みました。昭和10年うまれの小澤氏が24歳の時に書いた本なので時代はかなり古いですが、とっても元気の出る本でした。今や世界の小澤だけど、ここに登場する青年は音大を出て指揮者になりたい!という夢は持ちつつ、具体的な計画を立てるわけではなく、ただヨーロッパへ行きたい!という願望から若いなりのアイデアを駆使して旅立つところから話は始まります。お金がなかったので貨物船に乗せてもらい、ヨーロッパに着いたら足としてスクーターを使おうと思い立ち、人づてに新品のスクーターを手に入れる。2月あまりの船旅で到着するといろいろな手続き上のトラブルも乗り越え、日の丸つきのスクーターに白いヘルメット、ギターを担いで街を乗り回し、街の人たちとも仲良くなり、そうこうするうちにスイス、ブザンソンで指揮者のコンクールがあることを知り、参加して1等賞をもらうんですよ。その後も数々のコンクールに参加しては優秀な成績を収め、日本を発ってから約2年のうちに、フランス、ドイツ、アメリカそれぞれで成功し、ミュンシュ、バーンスタイン、カラヤンの指導を受け、ニューヨークフィルハーモニーの副指揮者になって帰国するところで話が終わります。これだけ読んでいるととんでもない才能を持った一般人には縁のないような天才のお話のようですが、いえいえこれが、もーフツーの大学生かなにかの書いた日記というか、手紙のようなものなのですよ。実際に、旅先から家族宛に送られた手紙を基にして書かれた本なのでそうなのですが、身近なほほえましい若者なんです。行き当たりばったりのような旅ですが、行く先々にちゃんと知り合いがいたり、いなかったら大使館とかに通い、とにかくよい人脈を築くのだけど、それにはやっぱり彼自身がとても魅力的なんだわ~魚が食べたくて何匹もおろしているうちにうまくなって、ある人の自宅に呼ばれて「お願いがあるのだけど・・」と乞われ、てっきり音楽のことかと思ったら「魚をおろしてもらえる?」なんて頼まれたり。もちろん、音楽の勉強は一生懸命するのだけど、飲んだり、スキーをしたり、ドライブしたりと休む間もなく遊び青春を謳歌する。何の挫折もなく順調なようだけど、パリで体調が悪くなり病院に行くと「ホームシック」と診断され、その治療法がなんと「修道院で修行」と医者が紹介状を書いてくれるところがおもしろかった。ほんとに修道院に行かされ、おまけに冬の寒い時期でとにかく修道院が経営する農場の手伝いをしたりして動いていないと寒くてたまらない。そうやって「じっとしているわけにはいかない」状態がよかったみたいで無事「ホームシック」克服。敗戦の色が強く残っているドイツの街並みや情勢について書かれた部分もたくさんあって、ベルリンの壁崩壊以前の東と西の空気感が伝わってきましたね。もう40年以上前のことだけど。いろんな国を訪れ、国民性やそれが音楽に与えている影響とかを若者の視点で分析しながら成長していく小澤くん。さわやかな読後感。もちろん時代は違うけど若者はこーでなくちゃね!なんて思いましたわん。最後の方は「ふりかえってみると、そのさきどうなるかという見通しがなく、その場その場でふりかかってきたことを、精一杯やって、自分にできるかぎりのいい音楽をすることによって、いろんなことがなんとか運んできた。これからあと5年先、10年先にどうなっているかということは予測がつかないけれどただ願っていることはいい音楽を精一杯作りたいということだけだ」というようなことばで締めくくっています。当たり前のことだけど、その時その時を一生懸命に生きることで道は開け、将来を夢見ることができるのだろうね。ベタかもしれないけど、がんばることはいいことなのだ!(またしてもバカボンのパパ登場?)文章に何度か登場したことばで「場合」を「ばあい」とひらかなで、「ワイン」のことを「ブドー酒」と記したことがなんだかすごく印象的でした。ほんと、家族や友達に宛てた手紙のようで心温まる本でした(^^)
2007.05.29
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講談社の「家族の誰もが満足する間取りと外観デザイン900例」・・・という本というか図をパラパラとよくながめています。 もちろん!古本屋さんで見つけたのですが、なかなかおもしろいです。家族構成と家の図面と外観が1ページにひとつ描いてあるのですが、そこのお家に招待されて家の中を拝見しているような気持ちになります。リビングが真ん中にドン!とある家族団らんを重視した家、個人の部屋がたくさんあっておまけに廊下によって区切られた独立性の高い家、主婦の動線を考慮した家事がしやすい家などなど。玄関からずっと目を追っていきながらその部屋の家具なんかも想像するとなかなか楽しいものです。リビングから見える庭にはどんな花が咲いていたら似合うだろうかしらんとか・・・本の初めの方にはデザインが及ぼすコスト面での影響や同じ広さであってもその広さを感じさせるにはどんな間取りにしたらよいかとかなどの簡単なアドバイスがあります。自分たちでデザインして家を建てるなんてことは宝くじでもあたらぬ限り不可能なことですが、考えるのは自由ですものね~土曜日の朝、渡辺篤史の番組「建物探訪」をよく見ますが、あの番組に登場する人たちはちょっと遠い世界の人・・・くらいリッチですが、それでも住んでいる人の自分の家に対する思い入れや愛情を感じてほのぼのさせてもらってます。さてさて、こんな風に正しい家についての本もおもしろいですが、変わった間取りばかりを集めた本もなかなか笑えます。学生時代、よく「タカラ」などの無料賃貸物件カタログが街のあちこちにありましたが、あれに近いものです。変わった形のお部屋に1行くらいのコメントがついててそれがおもしろかった。(といっても具体的に思い出せないのですけど!!)機能的でないことも面倒くさいながらに楽しめたりしますよね!(この本だと思う・・・) そうそう、以前安藤忠雄さんの講演を聴いたことがあるのですが、若い頃に賞をとった「住吉の長屋」は雨の日は家の中の移動に傘が必要になるような部分があるとかおっしゃってました。そのことも生活の一部として主は楽しんでおられるそうです。家は建てられないけど、図面を描いて遊んでみようかな?そんな遊びのCADソフトなんかもきっとあるのでしょうね~(^_^)
2007.05.09
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ニューマン著「リトルターン」という本を古本屋で見つけてきのう読みました。といっても水彩画入りの寓話のような本なのですぐに読めました。この本が目を引いたのは主人公のリトルターン=コアジサシの挿絵が桜文鳥さんに似ていたからです。頭が黒くて身体は白いので帽子をかぶっているようなところが共通点。お話は空を飛ぶ鳥さんがある日突然、飛べなってしまいその理由について考えるのですが、どこも怪我をしておらず、外的な理由によるものではないから「内面的な理由」だと理解し、海辺での地上生活を送ることになるのです。星に話しかけたり、花が咲くのを見つめたり、拾ったものをコレクションしたり、そして気になるカニさんを見つけ、時間をかけて友人になり、いろいろな話をするのです。そしてある日、リトルターンは自分の影に気づくのでした。大空を飛ぶことに一日の大半を費やしていたころには気づかなかった自分の影を発見し、驚くのです。ぼくは影のことを考えた。飛んでいる鳥のそばに影がないことを考えた。着地した時にだけ、鳥は自分の長く伸びた黒い存在を思い起こすことができる。影は、そこにはなくても存在するものを思い起こさせるのだ。その時までぼくは、自分の影の存在に気づかず、その意味ではすべてのものたちの影の存在に気づいていなかった。鳥は、その羽や翼がどれほど価値があり素晴らしくかを知らなければ、本当に飛ぶことはできないのだ。高い空を飛ぶために、鳥は翼の下にあるすべての本質を見る必要がある。そうでないと、惑星の上をただ無目的に飛んでいるだけにすぎない。自分の影に気づいたリトルターンは自然に再び飛ぶことができるようになるのでした。カニさんの言った「君は飛ぶ能力を失ったんじゃない。ただどこかに置き忘れただけだ」という言葉を思い出して・・・ひたすら高く早く飛ぶことで新しい境地を開いた「かもめのジョナサン」と比較したあとがきがあり、引きこもってしまいがちな現代人にもあてはまるようなお話でしたが、なにより水彩画がほのぼのとしてよかったですね。あなたにとって置き忘れただけのものって何でしょうか?ワタシは・・・会社の傘かな???
2007.04.13
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ちょうど女性指揮者の西本智実さんが中居くんのバラエティに出ている時に読んでいた本。絶対音感・・・何とも言えぬ響き。すべての音がドレミで聞こえる才能。ワタシなんかの学校以外は全く音楽教育を受けていない者にとっては想像しがたい世界なのですが、あったらとっても便利だろうなあ~と思います。バンドやっていた時は吹奏楽部出身の子や子供の頃からピアノを習っていた子と違い、チューニングに時間のかかること!!音叉を鳴らして合わせようとしても正確ではないので、エレキギターのジャックを差し込むと針がふれてヘルツがわかるマシーンでなんとか合わせていたのでありました。それでも弾いているうちに狂うとまた合わせるのに時間がかかって大変でありました。絶対音感のある人はいいなあ~なんて読み始めたのですが、ところがどっこい!結構大変なものなんですよ。冷蔵庫の音や走る電車の音・・・すべての音がドレミで聞こえ、歌さえ歌詞よりもドレミとしてとらえてしまうので、歌詞の内容で感動するということが少ないとか。それに絶対音感は幼少時からの訓練によって獲得された才能であることが多く、将来音楽家となるために親によって与えられた教育によるため、音楽そのものを楽しむという機会があまりないように感じました。教育システムのおかげで日本人に絶対音感のある人は多いそうなのですが、彼らの奏でる音楽は無機質だというのが海外での評判だそうです。いろいろな音楽家にインタビューしているのですが音楽家にとって「あれば便利」というのが大方の意見でした。バイオリンの五嶋みどりが絶対音感があってアメリカに留学した際、440ヘルツでの音感だったため442ヘルツでチューニングされたオーケストラに馴れるのに時間がかかったそうです。絶対というゆるぎのないものを修正するのはそれはそれで大変なんですね~さて、冒頭の西本智実さんですが、もちろん音大を出たのですが女性の指揮者になるのはむずかしくサブとしての仕事をしていたところ有名な指揮者に認められ、ロシアに留学するのです。しかし、ものすごく過酷なレッスン!指揮者の楽譜ってすべてのパートの楽譜が縦に20くらい書かれていてそれを全部、パッと見て全体をとらえつつ、強弱をつけたり表情を出したりしながら右手で正確なリズムを刻むんだそうです。レッスンでは初見でその楽譜を見ながらピアノでアドリブの演奏を入れたりして、ま、とにかく大変で脱落者多数・・・音楽的素養のないワタシには?????です(T_T)しかし、この「絶対音感」の中では科学的なアプローチもあって、人間の聴覚の不思議さにも驚きます。その中で「カクテルパーティー効果」というのがあって、大勢の人が集まる場であっても限られた人との会話を楽しむことができ、かといってその会話だけに集中しているのかと思いきや、どこかで自分の名前が呼ばれるとちゃんと反応することができる。そういう効果のことなんですが、先ほどの指揮者にもそういう無意識の選択があるのではないか?というものでした。(都合の悪いことはゼンゼン耳に入らない人たちもこれかしらね~)本の終盤になり、五嶋みどりの弟の五嶋龍くんが登場します。お母さんが娘とふたりでアメリカに渡った時、みどりの先生の助手だった人と再婚して生まれた17歳下の弟です。みどりの時にはスパルタだったおかあさんですが、のびのび育てようとした弟は生まれながらに音楽的才能を発揮し、空手なんかもやりながらもバイオリニストとしてすくすく育つ。この本ではまだ小学生くらいですが、現在すでにデビューしていますよね~音楽とは関係ないかもしれないけど、みどりのお母さんのストーリーがなかなかよかったです。女性が自己実現することの苦労がひしひしと感じられてちょっと苦しくなりました・・・実は、最初に勤めた会社が楽器の商社でギター、バイオリンなどを扱っていて、ちょうど退社する頃に取引のあった楽器やさんと食事をした時、五嶋みどり親子が渡米前に懇意にしてたんだよ~お母さんが渡米を決意するには大変だったんだよ~と聞かされたことがあり、当時から注目していたのでありました。本の中でも、デビューの衣装はおかあさんの手縫いだったそうだし、今でも衣装を縫いながら龍くんのレッスンをしているとか書いてあって天才バイオリニストと呼ばれながらも派手さを感じない親子のつながりを感じたのでありました。女性指揮者の率は1パーセントにも満たないそうですが、西本さんはちょっと長い前髪をタクトを振る時に振り乱すところや男性的な衣装がさながら宝塚の男優のようでとてもかっこいいですね。でも自宅を取材した時に作っていた、なんのことない(?)やきそばがべたべたな大阪人らしくて一番よかったです。これからもがんばって下さーい! これこれ↓
2007.03.29
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佐野眞一氏の「東電OL殺人事件」を今日読み終えました。奇しくも今日は彼女の10回忌。かなり重い内容なので「ちょっと・・」と思う方はどうぞスルーして下さいね。 ショッキングな事件だったので記憶にある方もいらっしゃると思いますが、管理職にあるエリートOLが売春行為を行い、殺害された事件です。当時、スキャンダラスに報道されていた記憶はあるのですが、詳しいことについては知りませんでした。しかし、この本を読んで愕然としてしまいました。ひとこと「すさまじい・・・」彼女はエリートに疲れて、さみしさをまぎらすかのように夜の街を彷徨い、不幸にも事件に遭遇してしまったのかと思っていましたが、そうではなさそうです。一流大学を卒業し、社内でも異例の女性管理職として働いていた彼女はなんと平日、退社後に渋谷円山町に毎夜立ち、一日4人の客をとることを自らに課していたのです。相手も場所も金額すらかまわず、忠実に自らに課したノルマを達成するためになりふりかまわない。そして必ず終電に乗って母親と妹の住む自宅へと戻り、翌朝はちゃんと会社に出勤する。更に休日には午後から出かけクラブに所属し、客からの電話を事務所で待ち客を取り、夕方に事務所を出た後にまた円山町に立つ。年収1000万もある女性がお金のためにしているとは思えない。事件が事件なだけに同僚や上司や身近な人からの証言が得られていないので人物像がつかめず、ただその行動のみからしか想像するしかないのですが、尊敬していた父親が20歳の頃に亡くなったという以外にはこれほどの行動に駆り立てる要因がわからない。でも、上を極めた人がそこで何かにぶち当たり、そのエネルギーを普通の人には考えられない方向に向けたのだとしか言えない気がする。どこかで「普通の人のようには生きられない」と思った彼女が自分の限界を試すことに挑戦したのではないかと思う。頂点の正反対にあるものへ、頂点を目指すのに要したと同じ強さで突き進んだのではないでしょうか?39歳で亡くなった彼女の売春生活は10年以上にも及び、最後の2-3年は毎日街角に立っていたそうです。頭のよい彼女がいつか事件に巻き込まれるかもしれないと想像しなかったはずはないから、覚悟の上で立っていたのではと思うとなんだか辛くなります。「ヨタカの星」並みに舞い上がろうとしながら同時にジャックマイヨール並みに潜水記録に挑戦する、そんな芸当をどれだけ継続できるかと身体を張って試していたのかもしれない。くっきりと黒い線で引き立たせたビュッフェの絵のようにとんでもない人生を生きたのですね。10年経った現在、魂が安らいでいるといいですね。ネットや街にあふれるアヤシイものたちは10年前よりも多くなっていますよ。あなたが特別おかしかったわけではない。神様が世の中に突きつけるドラマの特別な主役にあなたを抜擢したのかもしれません。この本を読んでいる時にしばしば頭の中で鳴っていた曲、ポリスの「ロクサーヌ」の歌詞です。RoxanneYou don't have to put on the red lightThose days are overYou don't have to sell your body to the nightRoxanneYou don't have to wear that dress tonightWalk the streets for moneyYou don't care if it's wrong or if it's rightRoxanneYou don't have to put on the red lightRoxanneYou don't have to put on the red lightRoxanne (Put on the red light)Roxanne, ohI loved you since I knew youI wouldn't talk down to youI have you to tell just how I feelI won't share you with another boyI know my mind is made upSo put away your make upTold you once I won't tell you againIt's a bad wayRoxanneYou don't have to put on the red lightRoxanneYou don't have to put on the red lightRoxanne (Put on the red light)...
2007.03.08
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