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いつも読んでたというメッセージや、新サイト教えてっていうリクエスト、嬉しすぎて、あなたにありがとうを100万回贈呈したい気分。本当は、書き込みをしてくれた方々、一つ一つ廻ってお礼したいんだけど、どうか気長にお待ちください(笑)。ちゃんと新サイトの報告に伺います。楽天メンバー以外の方で、あなたのメールアドレスを教えてくれた方々。あなたの見る目はヒジョーに正しい。そう、私は信用していいヤツです。悪用するヒマなどありませんから、どうか安心しちゃってくださいな。そして、そうあなたよ、あなた、市場ちゃん。「happydaysちゃんへ」だなーんて、なんとも心憎い配慮をありがとう。皆さんとも、この私の気持ち分かち合えるかしら。彼女のサイトをあるサーチエンジンで発見した2年半ちょっと前。もう隅から隅まで読み尽くしちゃって鼻血も出ない。だから、いっそのこと自分も作っちゃえ。私のサイトは、こうして始まったの。そんなきっかけを作ってくれた人が、最後の最後に私のために書いてくれた。信じられるぅ~。でも、私が特別な訳でも何でもないの。こんな超マイナーサイトの思いっきりマイペース管理人にも心配りができる、市場ちゃんだからできること。私みたいな不精者には、アクセスとかリンクとか気にしないで、書きたいことだけ書けばいいサイトが似合ってると思う。でも、市場ちゃんには楽天続けてもらいたい。私みたいに、彼女から元気をもらえる人がたくさんいると思うから。「H、復活するの巻」、そう堂々宣言して、閉鎖に追い込もうとするヤカラをひどくがっかりさせよう。(エイエイオー!)確かに、市場ちゃんの考え方とか行動の仕方は、ひどく私と似通っている。彼女の負けず嫌いで、直球ストレートで、まるで湯沸し沸騰器みたいなところもね。(顔はゼンゼン似てないと思う、フフフ)だから、サイトに惹き込まれたのは言うまでもないんだけれど、一番の理由は、同じ「匂い」がしたから。「匂い」ったってね、おんなじパヒューム愛用とか、そういうことじゃないのよ。彼女が、強くなろうとして強くなった人、人だったから。そして、弱い自分をきちんと自覚してる人だったから。国際結婚といったって、所詮はおんなじ人間同士、日本人もアメリカ人もないでしょ、って思うかもしれない。でも、やっぱり違うのよ。それは、日本人同士のカップルと国際結婚の場合の離婚率を比べればよく解かる。さらに、海外に移住して家族を作り、新しい社会の一員になろうとするのは、やっぱり大変なことが多いのよ。その一つ一つを、自分自身でこなしてきたからこそ生まれる自信が彼女にあったから。私も、その心意気だけでここまで来たし、嫌なことも悔しいこともいっぱいあった。でも、ちっとも自分がかわいそうなんて思ったことはない。人から思われようと思ったこともない。うれしいと思ったことは隠さず言うけど、実家の親に夫の悪口なんか、これっぽっちも言うもんかって思う。強くなった人は、自分が強くなかった時を知っているし、自分が完璧でないこと、100%正しくないことを知っている。だから、人に優しくできるのね。そういう「匂い」がしたからが一番の理由。世界各国の国際カップルの皆さん、ハワイ市場で元気をもらい、多少の事は笑い飛ばして幸せになろう!
2004年12月12日
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いきなりお下品なタイトルですいません。皆さんのあったかいメッセージの数々、ジーンと心に沁みました。お別れする気持ちが揺らぎそうなくらい、ホントーにうれしかったっす。で、何度も何度もメッセージを読み返し、それでもサヨナラするのに変わりはないのですが、書きそびれたことがあります。まるで、マイクを置いて去ったモモエちゃんが、「2番歌い忘れた、ポーウッ!」←ジャイケルって、ムーンウォークして帰ってきたような心境でカッコ悪うですけど、まあ、時にはモモエちゃんだけでなく、みゆきさんのように「あばよ」と言って強がってみたり、道に倒れて誰かの名を呼び続けるような最後のあがきも必要じゃないかと。で、話は横道に逸れまくりですが、私、この楽天サイトは閉じますけれど、新たなサイトを作成中でございます。実は前にも作りかけたんですけどねぇ、なんせ真っ白なページ一面に自分で、HTMLのタグやらテーブルやらCGなんたら、入れなきゃ何も始まんないフリーサイトなんで、思い出したくない過去と一緒に記憶の彼方に葬っておいたわけです。でも最近、ドライアイの処方箋が認可されたそうで、またやる気になってます。夜よなか、目ぇ充血させてがんばります。市場ちゃんにも新しいサイト先を教えてもらったので、リンクできたらいいなと勝手に願っています。なわけで、新しいサイトご覧になりたい奇特なお方はご一報ください。またまた、性懲りもなく国際結婚と家族がテーマなんですが、明るく楽しく笑えて、読んだ後にゴハン3杯くらいは食べられるサイトにしたいと思っています。夫や私が好きな曲を選んで、その歌詞を掘り下げたり、エピソードにしたりもして、「恋愛における文化の違いとその考察」など浅ーくお送りしたいとも考えています。それから、ここでのもう一つのテーマだったアメリカ生活の話は、違う媒体の方で続けています。コミュニティ誌なのでアメリカというよりちょっと地元ネタが多いと思います。しかも、強気に年間購読料60ドルだなんてあんまりお勧めできません。それから、それから、ここのコンテンツを新しいコンピューターに保存し終わるまでは消しません。誰か、いちいちコピー&ペーストしなくてもズバッと一気に保存できるやり方知ってたら教えてください(涙)。それでは、今まで書いたものを整理しながら、非公開日記として保存していた話があるので、「これは!」と思うとっておきのを見つけたら、3本締めならぬ、お別れの3部作として、シャン、シャン、シャンと更新してからサヨナラしたいと思います。それでは、感謝のチュウを込めて、happydays注※ もし「これは!」という物が無かった場合、更新せずに消えるので期待しないでくださいな。
2004年12月02日
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みなさぁーん、突然ですがっっ、私、このサイトを閉じることにしました。別に、何があったわけじゃないのでその辺はどーかご心配なく。いつも読みに来てくださった方、それからリンクしてくだすった方、そして心配してメッセージをくださった方、今まで本当にありがとう。ワガママをごめんなさい、ひとつお許しを。って、そんなに惜しまれるサイトじゃないこと、重々承知の上なんですが(笑)、皆さん、最後ぐらいはシンミリしてみましょう。しーーーーーんんん・・・・・、もいっかい、しーーーん・・・、ひつっこく、しーーーんんんん、ッウンガアアア(←叫びっ)、やっぱり私、シンミリはできましぇーん。まあ、とにかく何が言いたかったといえば、こんなちっぽけなサイトでも、自分の書いた物には愛着があったわけで、仕事が忙しくなってからというもの、すっごい不定期更新にもかかわらずに、ズルズル続けてきてしまいました。それにつけ、思い出すのは彼女のこと。あの日、モモエちゃんが、最後の「さようならの向こう側」を歌い、マイクを置いた時、私は小学生でした。自分よりずっとずっと大人だと思ってた21歳のモモエちゃんが、好きな恋人と結婚するという話は、当時子供心にも「ステキ」と思った記憶があり、私は8年前に、日本を発つ前の前の晩、何回目かの送別会の席でこの曲を歌った。うーん、かなり自分自身に酔いしれていたと思う。そして、あの時の百恵ちゃんよりも十ウン年も歳を喰ってしまった今の私には、自分が21歳だった頃なんて、ただ単に「若かったなぁ」って思い出だけがよみがえる。それにしても、私の21歳の頃には、「何億光年輝く星にも寿命がある」と教えてくれるような高知識な恋人はおらず、せいぜいが、「どこどこの焼肉の店、うまいよ」とかいう暮しの知識を教えてくれるだけに留まった。その何年か後に、「砂も地球のかけらなんだ」と教えてくれるサイエンティックかつロマンチックな彼がこの世に存在することを、アンルイスの歌で知ることになるわけだが、当時20代も半ばの私は、そんなこと言われた暁にゃあ、吹き出してしまうようなお笑い女になってしまってた。さらに結婚してしまった今は、そんなこと願っても仕方がない。なにせ、アイラブユーも滅多に言わない夫(アメリカ人なのに)だもの。けど、モモエちゃんと同じ2人の男の子のお母さんになれたことは素直にうれしい。じゃあ、みなさん、センキューフォーユアエブリシング、さよーならーのーかわーりーにー♪
2004年12月01日
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初めに断わっておくんだけどさ、私には小難しい政治の話なんか分かりません。リベラルがなんだ、ネオコンがどうしたとかを勉強するヒマがあったら、明日、長男のクラスで披露するプレゼンテーションの予習をして、そのためにたまった分の仕事を、今モーレツに片付けたい。私はお母さんなので、子ども達が風邪を引かないかとか、学校でうまくやれているのかとは気になっても、「人類の未来がどう」とかなんて、そこまで考えちゃいられない、とても狭い視野で生きている。だから、選挙たってさ、政策とかの演説聞いてたって、聞けば聞くほど、分かんなくなっちゃうわけ。情報が溢れ過ぎてて、ダメなのよ。同じ時間にニュースを見てもさ、民主党寄りと共和党寄りの番組じゃゼンゼン違う数字なわけ。どっちも選挙人獲得数と総投票数、出しててよ、どちらが正しい数字なのか調べるすべもない私には、ええい、こうなったら、フィーリング&本能で行ったるで、って結局それしかないのよね。私はブッシュやケリーがどうとか個人的には見てないのね。それぞれ二大政党の代表者なわけだから、あの人達がしゃべる中に個人の問題を入れて欲しくないわけ。まあ、大統領候補者自身の人柄、知性、経歴を責め合うのはいつもの事だからお互い仕方がないにしても、エドワードが全国スピーチで「チェイニーのレズビアンの娘」の事をわざわざ引き合いに出したり、ケリーのハインツ妻が、「ローラ・ブッシュは一体本当の仕事をしたことがあるのかしら」なんていう、家族の個人的な事までさらけ出すかの低俗な考えがちと気に障ったの。いくら頭がいいからって、ちょっとさ、イヤらしくない、そういう責め方?それなら、まだブッシュの間違えた英語を聞いているほうが私にはまし。う~ん、それもちと恥ずかしいか。でも、だからといって、私はブッシュが馬鹿とか頭が悪いとか、そういう事は子どもの前では言わない。子どもなんて結局は、大人から情報を刷り込まれるのがほとんどだから。うちの子は、大きくなって自分で判断できるようになってからすればいい。たとえ、馬鹿な学校の先生が小学生に「ブッシュかケリーか」のディベートを課題に出したとしても私はやらせない。子どもは無邪気に「お腹がすいた」と元気に走り回っていれば、それでいい。それより何より、相手をリスペクトする気持ちを教えたい。「自分の意見は正しい、相手は馬鹿」と批判するだけでは何も生まれない。批判するって簡単なことなんだよ、相手の言葉じりとか揚足取ってればいいんだから。反対に意見の違う人をリスペクトするって、とっても難しいこと。私の子どもにはそういう訓練をしてもらいたい。
2004年11月05日
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日本の実家から電話があり、妹に再婚話が持ち上がっていると母が知らせてくれた。まあ、知らせたというよりは、私の意見を聞きたいっていう感じだったけど。妹のことは、前に「私の妹」というタイトルで書いてある。その当時妊娠していた妹は、実家に戻り、離婚後子供を産んだ。その子ももう今年で8歳になる。うちの親にすれば、特に父には、「目の中に入れても痛くない孫」だ。「お母さんもさ、本音を言えば、そうなんだけどね。」自分も父と同じ気持ちだと言う母。それは、聞いてる私にもよく分かる。相手は、隣の地区(車で15分程度の距離と推定)に住む40歳前後の人で、結婚歴はないという。妹とは10歳くらい年が違うらしい。・・・らしい、というのは、この話が見合い話であるからだ。それでもバツ一のこと、子供の事は承知で来た話だから、冷やかしではないと思う。「私は賛成」と、姉である私は即答。母の迷いは、分からないでもない。手放したくないという父の気持ちも分かる。しかし、当の妹本人が「見合いをしてもいい」と言っているのだから、反対する理由もない。正直なところ、この8年間、「いつかこんな話が来ないかなぁ」と願っていた。不幸だった最初の結婚。しかし、結婚生活と呼べるほど、一緒に暮らした期間は長くない。もちろん、あせって結婚する必要もないが、結婚に対して臆病になって欲しくはないのだ。日本で、子持ちのシングルマザーが再婚するのはまだまだ容易じゃない。実際問題、養育費も貰っていない妹は、子どもが成人するまで実家を出るのは難しいだろう。いつだったか、アメリカの再婚率の多さを引き合いに、「アメリカに来たら」と誘ったことがある。けれど、予想通り、妹は妹らしく、「外人なんてイヤ、何話していいのか分かんないし」そう言って、いたずらっぽく笑った。私も本気で言ったわけじゃないけど、妹には誰より幸せになって欲しかった。相手の人が、いい人であって欲しい。妹の子どもの事も受け入れられる心の広い人であって欲しい。そう願ってやまない・・・・・。
2004年11月03日
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はあ~、やっといつも通りのアクセス数に戻ったようなのでホッとした。自慢じゃないけど、このサイトの一日の平均アクセス数って、せいぜい40~70がいいトコなのよ。それなのに、トラックバックしたためになんと、2000!だなんてっ。何となく場違いな感じがして、私、ちょいと気はずかしかったわ。皆さん、ご承知のように、私の更新はかなり不定期ですね。特に、仕事が忙しくなってからは、平気で1ヶ月も放って置くこともざらです。気分次第で書いているので、仕方がありません。せっかく書き込みしてくれた方への返事もゼンゼンまめじゃありません。すみませんねぇ・・・・・。だから、アクセスだってそんなものだよな~、って思ってるんです。まあ、人気サイトになってたくさんの人が読みに来たら来たで、いろんな人がいるものね。いいんです、このままマイナーなサイトのままで。メンドクサイしな。なんか、とてもやる気ナッシングな書き方で申し訳ないが、(↑死語)情報発信のようなスゴイ内容があるわけでもなし、思った事をを気まぐれに書いているだけなのでご容赦くださいな。それでも、私なりにネット上に書くという点で注意していることがある。まず、「例え家族のことを書いたとしても、写真など本人と分かるものは、一切載せない」誰かが悪用するとかそんな理由じゃないのよ。単に、家庭や子供の成長のことなんか書いているなら、あんまり心配する必要もないと思う。私の場合、うちの夫の天然ボケや物忘れなんかを面白おかしく書いちゃってるでしょ。わりと大きな日本人コミュニティのある地域で暮らしていて、それなりに友達や付き合いのある人もいるわけで、「ああ、あの人がhappydaysなんだ~」って知られるのがイヤなの。ウワサ好きな人たちに、私の夫とか子ども達の事をとやかく言われるのがダメなのね。夫は、私が彼のことを書いているのを知ってるけど、もちろん内容までは把握してない。(、と思う。汗っ)日本語読めないし、読めたところで、「ま~た~、ボクを笑い者にして~」ぐらいで許せる内容だと思う。(違う?)その位、彼自身のディグニティ(威厳)と私の彼へのリスペクト(尊厳)だけは、最低限守って書いてるつもり。(う~ん、でもスーツケースの一件はどうかなぁ、怒るかなぁ?)実生活はさ、書くこと以上に面白家族、面白夫婦的な事が起こるけど、せっかく書いても、載せずにお蔵入の日記が実はたくさんある。ここ1年は、特にそれが多いかな。私の胸の内を書くんだけれど、不特定多数の人に読まれるのもなぁ、っと思われるのはしまってある。これが、本当の意味での「日記」かなって思ってね。冴えないHPだけど、ホントのところ、私にはちょうどいい。
2004年10月30日
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私は、夫が再就職してからは、週に30時間ほどしか働かない。しかも、基本的に子ども達が学校にいる間しか働かないので、残りは持ち帰るか土曜にやる。これを、正社員としてやるのはかなり難しいのは分かっている。私みたいな契約社員だからこそできるのかもしれないし、アメリカの会社だから、需要と供給が合えば、ある程度フレキシブルに対応してくれるのかもしれない。先日、以前にレジュメを送ってあった日系リクルーターから電話があり、「フルタイムの募集が出たが、応募してみては?」と言われた。もちろん、応募先は日系企業だ。私は今回初めて、訳のわからない不届きな発言をしてしまった。「小さい子どもがいますが、それでもいいか訊いてください」こんなことを、面接する前から言っていて採用されるはずもない。「アンタ全く、何考えてるんダヨ」夫に言ったら、そう言って絶対呆れられるだろう。今までに、日系企業は何度か面接を受けたことがある。縁がなかったのには、もちろん私自身の能力の足りなさもあるだろう。しかし、だ、何度面接に行っても必ず訊かれる質問がある。「ご家族はいらっしゃるんですか」そして、しばらく間を持たせて、私にその質問の内容についてをくわしく話させようとする。けっして、向こうからは、「子どもはいるのか、何歳なのか」とは訊いてこない。アメリカでは、イリーガルだと知っているからだろう。だから、間を使って攻めてくる。話したら最後、「あ~、そうなんですかぁ、まだ小さいんですねぇ」とくる。1時間車を飛ばして面接に行ったにもかかわらず、こういう質問をされるとガックリ肩が落ちる。(じゃ、初めから面接に呼ぶなっ!)心の奥で、私は叫ぶ。(この面接のためにねぇ~、子どもエクストラでデイケアに預けてんじゃ、ボケェェェ!)だんだん、心の叫びも口が悪くなる。だから、今回は言ってしまった。言っておくが、こんなおマヌケなことを言うのは、今回が初めてだ。またまた、デイケア代を支払って子どもを預け、セッセとドライブして、あの質問に出会うのがイヤなのだ。だったら、最初から呼んでくれない方がいい。お互いにメンドクサクないしな。今の会社は、採用までに3人からの面接を受けたけど、そんな質問はゼンゼン皆無だったし。そんな訳で、あれから1週間たっても何の音沙汰もありません。きっと私は、どこかで誰かにさぞかし笑われていることでしょう。マヌケな応募者として・・・・・。
2004年10月27日
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うれしいね、市場ちゃん。楽天メンバーのあなたのファンが、続々と市場ちゃんへのタイトルで日記を更新しているね。あなたのサイトを通じて繋がった人と人との心の繋がりでもあるの。私は、何日前かに、「市場ちゃんと私」ってタイトルでもう書いてたから、今回は、コメントのみにしようと思ってたんだけど、他のメンバーの人のを読んでたら、うれしくなって書きたくなった。これが、あなたとあの人の決定的な違いよ。不特定多数のゲストや部外者からはコメントをもらえても、メンバーの人が、自分だと名のってあなたを惜しんであなたの事を書く。これは、あなたが口先や見せ掛けでないこと、分かる人には、ちゃんと分かってる。あの人にはできっこないわ。連日徹夜で「誰かに」お願いメールを出さない限りね。ああ、こうして、もっとメンバーの人、リンクしてる人が書いてくれるといいな。あなたの作ったこの繋がりは、こうしてまた先へと繋がっていくよ。嘘か本当、勝ち負けなんか、この繋がりに比べたらホ~ントウに些細なことなのよ。どうにもならない事が悔しいけれど、人生にはあるね。そんな時こそ、肩の力を抜いて、時間の流れに逆らわないように漂う。沈んでも、必ずいつかは浮かぶから。周りを静かに見回せて、一体あの喧騒は何だったんだろうと思える時が必ず来るから。そしたら、また、いつかどこかであなたと会える気がしている。泣いて笑って喧嘩して、それでも母として妻として働く女として前向きに進んでるあなたの話が聞ける。向上心がある人とは、そういうこと。向上心のない人は、いつも他人のせいばかりで、そこから抜け出せずにいる。そんなのあなたらしくないでしょ。さっ、ポンっと飛び出しちゃいなさい。一回りも二回りもさらに磨かれたHP引っさげて帰ってくるのを待ってるよ。
2004年10月26日
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うちの夫の母は、ノーフォークという海辺の町で生まれ育った。小さい頃から喘息持ちだったため、家の中で静かに本を読んでいることが多かったという。そして、19歳の時、その町にあった空軍基地所属のエンジニアと知り合い、結婚。それからの結婚生活は、ほぼ2~3年おきに繰り返される国内、国外転勤の連続。それでも、私の夫を含む3人の子供を立派に育て上げ、末っ子が、ようやく大学に通い始めて子育て終了という時に、長女が子供を出産したために、新たに子育て(孫育て)をすることになった。おかげで長女は、当時看護学生だったにもかかわらず、安心して子供を預け、レジスターナースになることができた。いつだか、夫の母が私にポツリ言ったことがある。「(外で)仕事をしてみたかった。」と。持病の喘息と、夫の転勤と出張の連続、それに孫の世話と、彼女にその機会は与えられなかった。まあ、転勤に関していえば、夫が空軍を20ウン年で退役したので引越しをしなくてもよくなったのだが、その代わりに、夫の実家のあるこの海のない土地で、ずっと暮らすことになり、海辺育ちの彼女にはちょっと物足りなかったことだろう。私と彼女は、この海のない土地で、よく新鮮なシーフードの話をしては盛り上がり、レストランに出かけた。うちの夫は、典型的なサザンの男で、食べ物に関しては至極保守的。それに比べ、彼の母親のほうは、海辺育ちだけあってシーフード好き。オイスターでもイカでも何でも食べた。私と夫が結婚する前から、彼女には結婚生活の破綻という試練があった。彼女の夫がガールフレンドを作り、家を出てしまったのだ。それだけではない、数ある弁護士の中でも「ブルドック」と呼ばれる凄腕を雇い、彼女は家も失い、明日の生活をも保証されない立場に追い込まれた。30何年、妻として母として、家庭の中で生きてきた彼女にとって、互角に立ち向かう資金も人脈もなく、信じていた人に裏切られるというショックから長く立ち直れずにいた。それでも、やっと意を決して、贅沢はできないが、家を買えるくらいの財産分与を得て、やっと、誰にも気兼ねせずに好きに過ごせると安心していた、その矢先のガン・余命宣告だった。この5~6年にわたるイザコザが彼女に強烈なストレスと与えたのは言うまでもない。他人には私のことを、「本当の娘のように思える」と言ってくれるが、実の私は何もしていない。何をしていいのか、わからない。ただ、親兄弟のいないこの土地で一番の理解者だった彼女を失う日が、こんなに早く来るとは思わなかった。信じられないくらいに動揺している私がいる。自分の子どものためなら、どこまでも強くなれる自信ならあるけれど、親をなくすということに関しては、いつまでたっても心は子どものままということなのか。
2004年10月24日
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夫の母がガンだと知ったこの1ヶ月は、心がざわざわして、落ち着かない毎日。目の前のやらなければいけない事だけをただ黙々とこなしている。それでも、ふっと立ち止まるたびにどうにも埋まらない空虚感が押し寄せる。夫の母、私の姑は、私が知る限りのアメリカ人の中でも、1番のいい人だ。これ以上、いい人なんかいないくらい。どうして、こんなにいい人がそんな若さで。先週の火曜、彼女は手術で食道にできたガンを摘出する、はずだった。仕事の帰りに病院に寄るはずだった夫が、急に呼び出され、家族中、そして彼女自身も全く予想していなかっただろう結果を聞かされた。ガンはすでに、大人のコブシ2つほどの大きさで、心臓の一部を含む周囲にも転移しているとの事だった。結局、切開したものの、何もできずにまた閉じただけで手術は終わった。日曜と昨日、彼女の家を掃除しに行く。あんなにきれい好きの人が、新聞、雑誌、手紙の区分けもできず、埃に埋もれた家具の中で暮らしていた。車で一時間ほどの所に住んでいる私達、一体何をしていたんだろう。もっと積極的に彼女の病気にかかわるべきだった。きれいになった部屋で、夫と2人、ベッドメーキングをしていても、口から出るのは後悔の念ばかり。「思えば、去年は何度かベビーシットしてくれたのに、今年は全然だった。」「そこで、なんかおかしいと気づけばよかったんだ。」そう言って、夫が部屋を出ていった。「私も何考えてたんだろう、まったく。」そう言いかけたところで、夫が泣いてるのが聞こえた。私は、こんなふうに夫が隠れて泣いているのを見るのがつらい。そして、余命を宣告されて、独り病室で現実を受け止めている彼女のことを思うと胸が締め付けられる。この世から消えるという悲しみの方が、この世に生まれるという喜びよりも、生きてる間についた付加価値の分だけ、上回るような気がする。愛する人と永遠に別れなきゃならない、ってのは、人生最大の試練だよ。煩悩の持ち主の私には、そうとしか考えられない。
2004年10月13日
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ハリケーン「アイバン」くんが通過した、昨日の午後にプッチーンと音がしたきり我が家の電気がすべて消えた。息子たちは、「マミー、ここのテレビこわれたから、マミーとダディのへやのテレビ見たい」と言いながら、リビングのテレビに向い、ナナメ60度の角度で今にも「アチョ~」と空手チョップしそうな気配。んもう~、やめなさい。どこもかしこもダメなものはダメなのよ。こんなに長い停電なんて何年ぶりだろう。まだ次男が生まれてない頃、ベッドのマットレスをバスルームに運び、家族3人でその下にもぐったのは、確かトルネード警報がでて停電した日の夜だった。それ以来、ピッチブラック(真っ暗闇)のキライな私。懐中電灯にでっかいロウソク、電池入りランタンなどなど、準備には余念がない。そこへ、夫が帰宅。帰宅後はいつも「書斎」という名のトイレに直行するのが日課な夫は、私の手からほのかに光るロウソクを奪い、「キャンドルライトだなんて~、せいぜいロマンティックなピー(おしっこ)してくるよ♪」どんなおしっこなんだか。(お食事中の人ごめんなさいね)そうして、キャンドルライトの下に遅い夕食をとり、ロウソクの火だけをたよりに本を読み、真っ暗闇の中でもギターの練習をする。アンタ、少しは動揺しなさい。私なんか庭の木が倒れるんじゃないかって気が気じゃないんだから。雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ何があっても、自分のペースはけっして崩さないうちの夫、きっと前世は宮沢賢治か二宮金次郎か、さてはジプシーの末裔だね。こんな夜は、たまった仕事のことなんてすべて忘れて、リビングにマットレスを敷きつめ、即席キングサイズベットを作ってから、キャンプ気分でお話しちゃうのがいい。話題は、「ハネムーンの行き先」、ムフッ。ウェディングドレスもハネムーンも、それどころでなかった私たちの結婚。今度、日本に帰省するときは、実家の両親に子ども達を見てもらって2人で旅行したいと思っている。夫が生まれたトルコにも行きたいけれど、現実的には小豆島に行ってみたいな、ってゼンゼン行き先かけ離れてるし。夫はまた、「シラサギ城が見たい」などと、どっかから仕入れた渋い城めぐりの旅なんか、フルムーン旅行のような提案するに違いない。だから、ハネムーンなんだってば、夫。キャンドルライトもキングサイズベットも、私たちをロマンティックにはしないらしい。
2004年09月17日
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ハワイ市場ちゃんと私、happydaysにはいくつかの共通点がある。彼女のサイトの読者というだけで、名前も顔も知らない人なのに、勝手に共通点もありゃしないが、知らないからこそ余計な先入観もない。その共通点とは、1.アメリカに行く事を自分で決めた2.アメリカ人の夫とは現地で出会い、 そして結婚3.夫が健忘症(これは外せない!)4.子どもとは英語でコミュニケイト5.アメリカで仕事をして学校に行く細かいことを言えば、キリがないけど、大まかにはこの5つかな?別にいいとか悪いとかの問題じゃなく、だからこそ彼女の話を読むとね、何だか自分の毎日と重なる事が多くて、いやでも親近感が沸いちゃうわけ。特に、ケンカした時のダンナさんのリアクションとか言い草なんかさ、手にとるように分かっちゃうわけよ、うちも一緒だから。そして、彼女の夫への態度とかもね、「ひょえ~、似すぎててコワイコワイ」とか思っちゃうわけ。1番の私が日本を飛び出した理由はね、めんどくさい人付き合いのしがらみと謙遜しないと妬まれるっていう、江戸時代の五人組制度的な土着精神が嫌だったの。全く会ったことのない人にまで、お祝いやら香典を出し合ったり、自分の幸せや頑張っている様子を堂々と表現せずに遠慮しないと、和が保たれないような周囲が、私にはとても退屈で仕方がなかった。誰も知らないところで心機一転がしたかったのよ。ただ、それだけ。2~4番は、その結果として自然とそうなったのであって、ゼッタイ国際結婚してやるぅ~とか、ハーフの子どもを持つのよぉ~などと、意気込んでいたわけではない。5番はね、その代わりの意気込みかな。もちろん、日本にずっと居たとしても仕事もしただろうし、勉強したい事があれば、大学でも何でも行ったと思う。ここで言ってるのは、アメリカだから「英語で仕事・勉強する」っていうこと。自分で選んだし、住むって決めたんだし、今更さ、「私って英語が苦手なんだ」とか悠長なこと言ってらんないんだよね。とりあえず、学校に行ってみる、仕事始めてみる、やらないでウダウダ悩むよりは、やってみて壁にぶち当たってオロオロする。そういう性分なの。だから、人のこと気にするヒマがないわ。私は、うちの夫と2人の息子と自分の事で毎日が精一杯。お友達の家の方が、うちより金持ちだとか、家が広いだとか、いい車に乗ってるとか、そんなことはもうどうでもいい。日本の家族の事だって忘れちゃうくらい。その代わり、自分が幸せなこと、がんぱっていることは、「幸せよ~」「がんばってるよ~」と気兼ねなしに言うわ。けっして、「いやいや、そんなことないよ~」なーんて謙遜したりしない。じゃ、妬まれる?そんなのはね、妬む人の勝手&都合だから、気にしないの、忙しいんだから。そういう、まどろっこしいのが堪んなくてアメリカくんだりまで来たんじゃない。この言葉、市場ちゃんの応援歌に捧げます。
2004年09月16日
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今から8年前、私のアメリカ生活は「レストラン」の仕事から始っている。叔父の店でマネージメントに就く前まで、サーバー、バーテンダー、ホステスに、それからキャッシャーと、みなオールラウンドに出来るようにと、シェフ以外の仕事はすべてやってみた。私の人生でウェイトレス経験と言えば、高校の冬休みの短期アルバイトぐらい。もちろん、アメリカでもフルタイムのマネージメント側を除けば、サーバーのほとんどはパートタイマー、学生のアルバイトも多い。ハタチそこそこの学生たちに混じって、英語の怪しい20代も峠を越えた私。それまで日本では、旅行会社でバリバリと英語を使っていた(と思っていた)私は、アメリカに来てウェイトレスだなんて、なんたるキャリアダウンだと嘆いてもみた。でも、そこで客商売というものを1から学んだ気がする。叔父の店から離れた後はレストラン業に就くことはなかったけれど、その後の会社勤めでも今の人間関係でも、私のアメリカ生活の原点はいつもそこにある。早口のマネージャーが言っていることが解からずに、お客さん用のカクテルをサーバーの私が飲んじゃったり、パーティ用の特製ケーキをピザのように見事ぺしゃんこにつぶしてみたり、今考えれば、非常に理解に苦しむヘマをやってのけた。そんな私を、そこのアメリカ人の2人のマネージャーはお客の前でかばってくれた。そして、その後サーバーの私もお客さんもみんなハッピーで過ごせるようにと、うまーく、しかもプロフェッショナルにその場を収めてくれた。マネージメント側についた後も、いつもこういう仕事が一番大事だと心に決めた。私が、納得いかないのは、今回の同席ファミリーがそのジャパニーズステーキハウスで最低な夜を過ごしたことで、「日本人は謝るマナーも持たないのか」と思われてしまうことである。ここ、南部の地方都市に日本レストランの数は100、200の単位でたくさんあるけれど、そのほとんどが、韓国人などの日本人以外のアジア人の経営である。いみじくも「ジャパニーズ」と看板を掲げるならば、nekomushiちゃんじゃないけれど、そのゼッタイ謝らない文化というのを何とかしてよ。
2004年09月01日
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(一昨日の日記からどうぞ)ワインとビールの飛沫のかかった顔を拭いて顔を上げたところで、気分的にゼンゼン浮き上がれそう、・・・も無い8人の客。そう、それは我が家とお隣の家族。子供の誕生日どころの話ではない。ここまで、ぶきっちょなサーバーはお目にかかったことはないが、この手の「粗相」はレストランには付きものである。しかしだ、起こしてしまった「粗相」をいかにうまく取り成すかが店の責任者の、腕の見せ所でもある。お隣ファミリーが、3度サーバーに頼んで、やっとこさ現われたのは、そう、あの前掛けオバちゃんだった。もう、ひっつめ髪がほどけかけてて、山姥(ヤマンバ)みたいな感じ?良い子にしないと食っちゃうぞ~、って、それはナマハゲか。目の前の肉焼きシェフにちょこっと聞いてみれば、オバちゃんは、「オーナー」だと言う。いいかげんにせいよ、てっきりバスボーイだと思ってたから声かけなかったけど、アンタ、ずっとそこに居たっしょお!出番遅いっていうかなんていうか、それじゃ、越後のちり緬問屋の隠居とか言って実は天下の副将軍だったっていう、水戸のご老公みたいなことすんな!(って、説明長いわね)そんでもって、そのヤマンバ風オーナーが出した、究極の腕の見せ所と言うのは、なんと「10%ディスカウント」、・・・いきなり、値段交渉かよ。これが上品そうな奥さんの闘志に火をつけた。「アナタ、すみませんの一言もなしになんなのかしら」「そんなちっぽけなディスカウントのために怒っているんじゃないのよ」「私たちのこんな姿をみて謝ろうという気持ちはおきないの?」・・・もう一気にまくし立てている。それを聞いたオバちゃんは、「だからこそ、ディスカウントを差し上げんです」この言葉に、今度は私がブチキレた。たかだか、1割引きをさも偉そうに言いやがり、そんなはした金をどうのこうのって、貰わないほうがずっといい。吼える妻たちに、夫どもは傍観の構え。これだからいざという時、役に立たない。(でも、うちの夫の目は私に「行け!」と言っていた)この時、すでにテーブルに着いてからゴハンにありつけぬまま30分以上が経過し、寝る子あり、かくれんぼする子ありの動物園のサル状態の我がテーブル。こんな私に誰がしたぁぁぁって感じのお手上げモードである。
2004年08月31日
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(昨日の日記からどうぞ)気を取り直した私たちと、うちと同じ2人の子連れファミリー。大きな鉄板グリルを囲んで、8人掛けのテーブルに並んで座る。ジャパニーズステーキハウスという名はついていても、日本には無いタイプのレストランなので、一言付け加えておくと、シェフがお客の目の前で、お肉や付け合せの野菜なんかを、お好みの加減で焼いてくれる。しかも、ファイヤーあり、ナイフさばきあり、タマゴやエビが空中を飛ぶ、パフォーマンス付きなんである。ワイワイガヤガヤと楽しく食べたいアメリカ人相手だから成り立つ商売、と、言っていい。聞けば、その同席のファミリーは上の子の誕生日だから来たと言う。誕生日だと言うと、タイコやドラ?(なんでドラ?)を、ドンドン、ジャンジャン打ち鳴らしてくれるので、これまたアメリカ人には受けがいい。それはそうと、サーバーが来てドリンクオーダーをとり始めた。飲まない我が家はソフトドリンクを、お隣はワインとビールをオーダーする。この辺で、皆のオナカは食べモードに。他のテーブルから、おいしそうな匂いが漂ってくるからして、もう。それなのに、ああ、それなのに、そんな食前の、束の間の心の安堵感は、「ガッシャーーーンッ」という、ぶきっちょサーバーの「ワインぶちまけ」の儀式で幕を閉じる。被害状況から言えば、うちもお隣も赤ワインを浴びたという50%50%の確率なんだが、家族4人が揃って白っぽいシャツをきていたという相乗効果を考えれば、お隣家族が、90%被害者である。奥さんの真っ白いTシャツも、女の子のクリーム色のドレスも、あっという間に赤ワインの水玉模様に変身した。もちろん、サーバーはすぐに謝ったが、私は、店のマネージャーなり何なりがさっと来て、この場をうまく取り成してくれるのを待った。・・・・・が、誰も来ない。ただ驚くのは、お隣のファミリーの忍耐の強さである。ワインを浴びても、「ノープロブレム」と笑顔で言えるアメリカ人が何人いるだろう。しかも、悲劇はこれだけでは終わらない。ぶきっちょサーバー、2度目のトライ。私たち8人の熱い視線をまっすぐに浴びて、ドリンクをのせたトレイを必死に支えている。そのフルフルと震える腕に嫌な予感がし、お隣のご主人が、「Do You Need Help?」と聞くか聞かないうちに、「ガッシャーーーンッ」またも、やってくれたのである。奥さんの真っ白いTシャツの、女の子のクリーム色のドレスの、赤ワインの水玉の数はさらに増えたのだった。そして、この後悲劇はクライマックスを迎える。
2004年08月30日
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ここは、アメリカ南部の地方都市。レストランの味もサービスの質も洗練されてるとは言いがたいけど、そう、お値段だけは一丁前なのだ。うちの夫の好きなジャパーニーズステーキハウスに行った金曜の夜、のこと、こんな展開になろうとは、ああ、全くもって誰が一体予想だに出来ただろうか。その店は、うちの近所に乱立してしのぎを削る同種の商売敵の中でも、わりとヒイキにしていた店である。他のジャパニーズステーキハウスと同じく、日本人じゃないアジア人の経営なのだが、ベ〇ハナやショ〇グン等といったチェーン店とは一味違った雰囲気がヨロシイと思っていた、のだが・・・・・。金曜の夜7時半というだけあって、比較的その店は込んでいた。スシバー辺りにたむろする他の客同様に、「少しお待ちください」と、白いポロシャツに黒い前掛け姿の一見オバサン風なひっつめ髪女性に案内される。私は、カウンターはあれども一向に姿の見えないホステス(案内係)を探そうと目をグルグルさせていた。込んでいる時は、入ってきた順にリストに名前を載せてもらわないと、テーブルが空いても後からきた客が先に案内されてしまうことがある。しかーし、ホステスは現れる気配すらなく、代わりにそのオバサン風の女性が、スシバー辺りをいそいそと、しつこいようだが「前掛け姿」で動き回っている。私は本気で、彼女をバスボーイ※だと思っていた。※客が帰った後にテーブル上の 片付けをする人だって、そういう格好だったし、第一、案内係を置くぐらいの店だったら、大抵カワイイ子がやってるものなんだけど。案の定、私たちのすぐ後に入ってきた、子連れファミリーが案内された。こっちも同じ2人の子連れである。うちの夫は温和でこういう時は、ひたすら待ち続けるタイプなので、いつも悪役を買って出る妻が、あのオバちゃんに交渉しに行く。そして、オバちゃんはハッとした顔をし、さっきのファミリーとおんなじテーブルに私たちを押し込んだ。はあ、何はともあれ、座れたんだからいいじゃないの。そんな仏心を出したのがそもそもの間違いだったのか、はたまた運命のイタズラなのか、悲劇は、第2・第3と手を変え品を変え、私たちとその同席のファミリーを襲うのだった。
2004年08月29日
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そうして、実家に戻った頃、私は取り返しのつかない恋をしていた。こっぱずかしい・・・。恋といっても付き合っていたわけではなく、また、その恋がどうにもならないこともよく知っていた・・・。ただ、別の誰かと出かけてみても、嫌でもその人のことを考えてしまう自分を少し、いや、かなり持て余していた。実に、恋とはこっぱずかしい・・・。渡米後、何年か後にその人にあった時は、なんであんなに好きだったんだろう?と、正直な疑問が湧いたのだけど。(女って、過去に対してそういうトコあるのよね)まっ、話を戻して、と。とにかく、その時はアメリカ行きが決まったおかげでその人に会わなくてすむと、内心、ホッとしたりもした。昔から折り合いの悪い父のせいなのか、そのどうしようもない恋のせいなのか、はたまた私自身の性格なのか、20代も折り返し地点を過ぎた当時、どうしても漠然とした自分の将来に、結婚とか子どもを持つという、いわゆる「家庭の設計図」が描けずにいた。そういう女が地元に帰って実家に住むと、かなり厳しいものがある。それなら仕事はどうかと言えば、私にとって3度目の職場を辞めるには、それなりの「大義名分」がいった。神様は、そのグリーンカード当選→渡米という「大義名分」を、絶妙のタイミングでくれたと言える。それまでのいろいろな心の葛藤も、渡米までの我慢と思えば少し気が楽になった。それでは、次回はグリーンカード当選物語~旅立ち編~
2004年07月29日
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グリーンカード当選通知を受けたのが、確か9年前の今日、95年7月28日。「DV96」というプログラムで、そのまま問題なく書類審査が通れれば、翌年早々にも大使館での面接を経て、晴れて渡米できる算段でいた。移民をすることに対して何の迷いも感じなかった私が、まず最初にしたこととは・・・、そう・・・実家に帰ることだった。高校を卒業して、夜間の短大に進み、昼間はフルタイムの仕事もあったし、ほとんど寝に帰る状態の実家ではあったけれど、19歳になったある日、父と大喧嘩をし、家出同然に飛び出した実家。その後、お互いほとぼりが冷めてから和解はしたものの、一度出てしまった家というのは何だか他人行儀な気がして戻らずにいた。そして、2度の転職、ほぼ1年置きの引越しを繰り返し、若さだけを武器に自分探しの毎日。それでも、本人は挫折や失敗も経験し、いつも自分のことだけで精一杯で、親の気持ちなど考えていなかったと、遅蒔きながら気が付いた。父の怒った顔、それから、引越しをするたび母が私に言った、「アンタはどんどん遠くに言っちゃうね」の言葉が嫌でも思い出されて。ごめんね・・・、お母さん、今度の引越しはアメリカだよ、しかも片道しか買わない航空券だよ・・・。実際、母に当選の件やアメリカ移民の話をしたのは、ある程度の書類が整ってからだと思う。「行くつもり」と私。「アンタの話はいつも事後報告だから」と呆れられた。それでも、一度言い出したら聞かない娘のことだから、「お父さんにまだ言わないほうがいいね、悲しむから・・・」、とだけ言った母。これ以上、心の底から「ごめんなさい」と思った夜は無かった。 ~続く~
2004年07月28日
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それは、95年の夏のこと、ある1枚の手紙を受け取った。「グリーンカードに当選されましたので至急下記までご連絡ください。」身に覚えのないはずはなかった。3年前から応募し続けていて、過去2回は落選していたから、今度もダメだろうと半ばあきらめていた。それが、まさに「3度目の正直」と、昔の人はよく言ったもんである。なんと私、受かっちゃったんであ~る!女25歳、不思議と迷いはなかった。決めたら最後、爆走(笑)しちゃうのが私のいい所でもあり、悪い所でもある。それからというもの、仕事の休みを利用しては、大使館での面接に向けて、提出書類を集めていた。そして月日は流れて、翌年の冬、朝8時半までに赤坂のアメリカ大使館へ着くため、早朝電車に飛び乗った。もちろん、目的は面接。いよいよ、最終関門なのであ~る。面接官の前で粗相があってはいけない。用意周到な私は、アルク「起きてから寝るまで英会話」の本を買い、こっそり勉強もしていた。(さらには、すっかり受かったつもりで、アメリカ暮らしQ&Aという本も買っていた)シーンと静まり返った大使館の窓口で、持ってきた書類を提出すると、確認するのでまた2時半に戻って来いと言う。「えぇ、あと6時間も待つのぉ。」と、ブツブツ言いながらもやっぱり、どこの誰ともわからない外国人に、「あんたは、もう一生アメリカに住んでもええねん!」(⇒なぜ関西弁?)などという実に太っ腹なお墨付きを、しかも、抽選であげちゃおうってんだから「アメリカよ、あんたはエライ!」と表彰状を高らかにあげてしまいたいほど、気分はハイになっていた。そして、少し早いランチを食べてから、面接官との質疑対応に備え、また例の英会話アンチョコ本に目を通す。まず、面接官と目が合ったらニッコリ笑って、「Hello,How Are You,Ma’am」なんて言っちゃおう。そしたら、「おっ、コヤツなかなかできるな」と思われて、かなりポイントアップかもしれない。(ハイ状態のときの私はかなりおめでたい)約束の2時半がきて、私が窓口に戻ると、さっきとは違って男の担当官が立っていた。緊張してきた私は、今まで練習した挨拶を「Ma’amじゃなくて、Sirに直さなくちゃ。」などど、超マイナーな問題に気を使っていた。その担当官が言った。「右手を挙げて。」宣誓しなさいという意味である。何を言ったかはよく覚えていない。アメリカの一員となるための心構えみたいな確認事項だったと思う。さあ、ここからが本番勝負の面接ね。練習した英語をうーんと使ってやれぃ!ところが、担当官は、すばやく私のパスポートにバン、バンッとスタンプを押したかと思うと、「Welcome To United States.(アメリカへようこそ)」と、言い放った。あれ? ・・・・面接ってこれだけなの?いろいろ問題もあるけれど、私は、この大雑把なアメリカが基本的に好きである。
2004年07月27日
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朝、寝ぼけ眼でチッキンでキチン?なんか・・・、いや、もとい、そうね、キッチンでチキンなんか、仕込んでたわけ。スパイス&ハーブたっぷりの、ケイジャンチキンウイングよ。最近、夜中にゴソゴソと起き出して、書き物するクセがついてしまい、7時までベットの上で粘ったにもかかわらず、眠いのなんのったら、この上なし!なにしろ、夜中の12時半から明け方4時頃まで起きてたからね。(それでも、5時間はしっかり寝てるんだけど・・・)で、何を書いているのかといえば、このスウィートホームの延長上の物。ふと、違う媒体で書いてみたいと思ってね、他のフリーのスペース使って、一からHTMLとにらめっこしてみたり、(あぁ、いかに楽天は簡単にレイアウトできるのかを思い知らされたね)インターネット上だけじゃなく、ハードの媒体のコラム募集に応募などしてみたり。(ほっ報酬など、滅相もございませぬ、ただ、ただ、書きとう存じまする~)って感じで、まとめてみたかったの、自己満足とは思いつつ。そんでもっての、2ヶ月もの永の暇をごめんなさいな。ハワイ市場ちゃん、更新待ってるよの書き込みありがとう。(いつもながら、あなたの気遣いには感心させられるのよ)他にも訪問してくれた方、それからリンクしてくれている方、こうして相も変わらず、happydaysは元気に生きておりまする。で、この眠気覚ましにゃ、もうコーヒーが不可欠なんザマス。スタバ(って、日本じゃいうのよね?)も真っ青の濃~いカフェイン入りのを一発!ガツーンと気合のブレンダーで作ってみる。しかも、スムージータイプのキンキンに冷えたヤツ。嗚呼、眉間の奥にしみ入るブレインフリーズがクセになりつつ妙に心地よいわ。どうでもいいけど、日本人て言葉を縮めるの好きよね~。じゃ、happydaysの私は略して「ハピデ」。このHP、スウィートホームは「スウィホ」。ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ。おもしろいから片っ端から思いつくまま、なんでも縮めてみる。英語も日本語も私の頭もごちゃごちゃよ。えっ、それでなんの話だったっけ?そうそう、コーヒーの話よ、カフェインよ。窓の外から差し込む朝の光に反射して、珈琲色に染まったグラス。片手に持てば、我、人知れず口ずさむナリ。「♪はぁ~まい、さぽぉーすとぅ、りぶ~、うぃざぁちゅ~」←ちょっと民謡っぽい?注※ちなみに歌詞はですね、「How am I supposed to live without you」(=どうやって君無しで生きていったらいいのさぁぁぁ)と、歌っております。そう、あのおケツあごが悩ましい、マイケルボルトン様の曲であらせられるの。寝ボケて熱唱する妻のいるキッチンへ、これまた天然ボケの夫が登場!「そうか、やっぱりボク無しでは生きていけないよね、うんうん」←超うれしげ「え~、っと、そうですね、」慌てて、グラスに向けてた視線を外す私。まさか、「コーヒー無しで生きていけない」などと、すっとぼけた歌を歌っていたとは言えない。
2004年07月26日
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日曜日に友達から電話があって、やっとアパートに引っ越せそうだと言う。彼女は、わけあって子ども2人を連れ、シェルター暮らしをもう3ヶ月以上も続けている。そこを通してハウジンクサポートを受け、彼女の収入の中から払える額の家賃で2ベットルームを世話してもらったのだ。本当に良かった・・・。彼女にとって、ここ何ヶ月間というのは、たぶん、今までの人生の中で1番の試練だったと思う。シェルター行きは、私が勧めた。もちろん、躊躇する気持ちは私にもよく分かってた。でも、心を鬼にして「行かないと友達やめるから」と、言って脅かした(笑)・・・・・のも、何だか遠い昔のことみたい。とにかく、そうまでしなくちゃ彼女は、あの夫との生活から、いつまでたっても抜け出せない、そう思ったから。私が、彼女の自立の道を応援した時、日本に住む彼女のお母さんの気持ちは複雑だったろう。「シェルターなんて」きっと、そう思ったに違いない。「離婚して日本に戻ってくればいい、親元が嫌なら別に住む場所も探すから」「happydaysちゃんの妹さんも、離婚して子どもを引き取って親御さんと暮らしているじゃないの」そういう風に私の妹のことまで言われたら、「そうですね」と賛成すればよかったのかも。でも、私は彼女の、「ここで自分でやれるまでやってみたい」という気持ちを尊重したかった。自立したのことのなかった彼女が、子ども2人を抱えた今、どこまでやれるか見てやろうじゃないのよ、そう思ってきた。日本でもアメリカでも、幼い子がいて離婚すれば、よっぽどの欠陥がない限り、母親の方が子どもを育てるケースが多い。でも、離婚した後のシングルマザーの自立の道援助というのは、やっぱり日本よりもアメリカの方がずっと進んでいると思う。日本で、離婚して子どもを育てる母親の、いったい何十パーセントが毎年きちんと養育費をもらい続けているだろうか。アメリカじゃ、養育費を払わない親は立派なジェイル(刑務所)行きの対象になる。日本で、母子家庭が優先的に入れる住宅やアパートというのはどのくらいあるんだろう。確かに、アメリカだって決して十分とは言えない。だけれど、私の周りに住むたくさんのシングルマザーが、実家に帰って親と暮らすというのを未だ聞いたことがない。ただの独立心だけじゃ生活は出来ない。それなりの経済的援助、就業・就学斡旋、精神的なサポート機関があるからこそ、できる自立だと思う。日本で、実家に帰り親と暮らせば、金銭的にも精神的にもまずは安心だ。子どもも寂しい思いが安らぐと思えば、一概に自立自立と言ってはいけない。けれど、本来なら国がもっと援助すべきところを親がサポートを肩代わりしていては、いつまでも、状況は変わらないと思う。とにかく、私の友達が踏み出す一歩をこれからも見守っていきたいと思う。これからも、彼女の苦労は続くだろう。でも、私は、ここまで1人で出来たなら後は何でも出来る、そう思っている。だから、これからもくじけそうになる彼女を叱咤激励するだけであれこれ世話は焼かない。苦労しているのは何も彼女だけじゃない。人に出来ることを自分も本当にやってみて、初めて「自信」て生まれるものだと思うしね。彼女には、もっともっと強くなってほしい。自信と強さは、彼女が子どもに見せられる最高の財産だもの。
2004年05月18日
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私はうちの夫より、10ヶ月歳が上。夫の誕生日が先に来て、私の誕生日はその2ヵ月後だから、その2ヶ月間だけは公式的に言って同い年な私たち。だから私は、毎年その2ヶ月間を「Precious2Months」=(最愛の2ヶ月)と、呼んでいつくしんでいる。が、当たり前の話だが始まりがあれば、いつか終わりはやってくるもので、今年もその蜜月が終わりを迎える頃と相成った。毎年、私の誕生日が来ると好きな人とサヨナラするような気持ちにさせられる。「ああ、愛しのプレシャス2マンス!来年も待っているからねぇ、約束よぉ!」そう心の中で熱くシャウトすると、BGMは、1.やっくそくさ、ハローマイシスタッ♪「太る前の徹さん」か、2.み~ち~に~たぁおれてぇ、誰かの名を~「明るくなる前のみゆきさん」か、さて、どちらでしょう?う~~~ん、・・・文体がハイになっているのには訳がある。だってね、たかが10ヶ月の歳の差をさも、私が年寄りだとばかりにからかううちの夫。いいかげん、違うアプローチはできないのかね、えっ?夫よ、そんなに余裕ぶっこいてていいんですかね。いくら、「もう誕生日は祝わなくてもいい」って私が言ったからって、そのあまりにも無防備な態勢は何ですか?いつにも増して、ど忘れが激しすぎる。先月末にもらったお給料の小切手を、会社の自分の引き出しに入れたままの夫。毎晩、「ペイチェック持ってきた?」とオウムのように繰り返す私。私が夫の仕事中に電話して思い出させてくれないとダメだとぬかす。「もう! 寝てる間にあんたのオデコに"ペイチェック"ってでっかく書くぞ!」って脅かしても、「オデコじゃ、僕には見えマセーン♪」だって。ダメだ、緊張感というものがまるで欠如している。ホントにやったら、同僚がオデコ見て教えてくれるだろうよ。そしたら、イヤでも緊張するに違いない。水性ペンでホントに書いて、ちょっとばかし脅かそうと思ってる鬼嫁。そう、プレシャス2マンスも終わることだしね、気を引き締めて、ついでに夫も引き締めて頑張ろう♪
2004年05月04日
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約1年半前に夫の一番上の姉が、胃を鶏卵サイズにする手術をした。英語で何というかは忘れたけれど、これは誰でもできる美容目的では無く、100パウンド(約45キロ)ぐらいの体重オーバーな人が医療目的で受ける、立派な手術なんだそうだ。(←建前はね)だが、はっきり言って究極のダイエット法であることに間違いは無い。そのお姉さんの手術後1年半が経ったけど、未だに私たちは生の彼女を見ていない。車で1時間ほどの所に住んでいるので、遠いからというわけではないのだが、クリスマスやサンクスギビングで家族が集まる日に好んで仕事をする人なので、なぜか会いそびれてしまっている。一度、写真を見せてもらったけれど、その痩せ方は「劇的」だったと言わざるを得ない。単なる「Before」&「After」の写真ごときでは無いのだ。もう私、別人かと思ったくらい、いつもはリアクションの少ないこの私が、「うえぇぇぇ~、うぉぉぉ~」、叫んだね。題して、「超ダイナマイトなウルトラ月面宙返り、愛は地球を救い、医学はデブを救う」の巻。夫なんかボケてるから、友人の何人かと写ってる自分の姉さん探し出せなかったし。彼女の近くに住んでいる夫の母によれば、お姉さん、週末、バーというかクラブ通いを始めたんだと。2番目のお姉さんと一緒に繰り出してるらしい。上のお姉さんも下のお姉さんもバツ一の独身。2人とも子ども引き取って育てているけれど、もうミドルスクールに通う年だからね、いいんじゃないのと思うけど、40を前にしてクラブデビューを果たす姉妹。なんかすごいよね、そのパワーと思う。夫の母に、私も行ったらって勧められるけど、どうして夫がいる私がシングルのお姉さんとクラブに行かなきゃいけないのか。夫の母は、クラシックで天真爛漫だから、お姉さん達はダンスが好きだから行ってる、ぐらいにしか思っていない。2番目のお姉さんが、なぜか弟(うちの夫)に電話してきて、今週の収穫(もちろん男関係)を報告するのを聞いたら、きっとお母さん、卒倒して、持病が悪化するに違いないよ。その2番目のお姉さんもお姉さんで、綺麗でスタイルがいいんだけど胸は豊胸もの。アメリカは、土葬でホントよかったよね。だって、お葬式の時に火葬されて、皆泣いてるのにシリコンとか燃えないで出てきたら、最高にカッコ悪いじゃない?それにしても、アメリカの兄弟・姉妹でも、とくに異性のきょうだいに、自分のセックスライフ語るってスゴイね。やっぱり、お姉さん達とは私、クラブ通い、できないっす。(泣)
2004年05月03日
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ここ最近は、取り立てて特別なことをしてるわけじゃないんだけど、時間の使い方の下手な私のことだから、けっこう忙しかったりする。基本的に、急な依頼が入らない限り、私の仕事は午後1時くらいまでには概ねケリがついてしまう。それから、それぞれ違う学校に通う2人の息子を時間差で迎えに行く。この送り迎えというのは、けっこうな厄介もので小一時間なんてすぐ過ぎる。その後、長男をスイミングレッスン、次男をジムレッスンに連れて行ったり、レッスンのない日は、公園やどこかで遊ばせないと、彼らのエネルギーとは留まるところを知らずに爆発するのだ。まっすぐうちに帰って遣り残した仕事をやろうなんて、間違っても思わないこと。我が家の2匹のおサルはピョンピョンと、ソファの上をジャンプしたかと思えば、ホールウェイをビュイーーンと駆け抜け、壁の角に頭をゴインッと打ちつけて、大泣きする羽目になる。だから、必然的に残った仕事をするのは夜しかない。その他にも、大学で1つ取ってるクラスの勉強があるし、週1のバイブルスタディの予習もしないと。おまけに、土曜も別の仕事をしているのでその準備も必要だったりする。まあ、書いているほどは切羽詰ってなくて、それなりに自分でこなせる量なんだけど、家の掃除に洗濯、ゴハンの支度というのもそれなりにこなさなくてはいけない。(あくまでそれなりにね)ここの更新をする時は、しばし我に返り、こんがらがった頭を整理したりする。職場の隣のキュービクルに座る同僚が、さも忙しそうにして、午後一で帰る私の背中に向かっていう。「今日はいい天気ね、買い物日よりよ、私リッチ-ズのセールに行きたいけど、このとおりだから行けそうにないわ」そして、お決まりのようにアメリカ人がやる、あの肩をすくめるポーズをする。彼女には25歳になる娘がいるのは知っている。彼女も、私に5歳と2歳半の息子達がいるのを知っている。うちのおサルどもとはじぇんじぇんシチュエイションが違いまっせ、アンタ。深く物事考えないでしゃべるアメリカ人の言うことだから、腹も立たないんだけど、私には、フルタイムで夕方まで働いて、1日10時間子ども達をディケアに預けてたときのほうがずっと楽だった。他のことに煩わされないで、仕事だけできるというのは案外簡単よ。だから、笑って彼女に言い返す。「うちのおサルどもも、カワイイうちにかまっておかないとすぐ大きくなるから」そしたら、彼女、「じゃ、おサルどもにヨロシクね」だって。
2004年04月27日
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愛の言語って聞いたことある?べつに松崎しげるが熱唱している歌のタイトルじゃないのよ。愛の言語ってのは5つあるらしく、1.ほめること2.ふれること3.クォリティタイム4.贈り物をする5.奉仕(お世話)することつまり、大切な人に愛情を伝える表現方法なんだって。言語表現の未熟な子どもが、「マミー、お花」って道端に生えてたタンポポをくれたりするのは4番。スキンシップが好きで、いつも横にへばり付いてソファに座ったり、ひざの上に乗ってくるのは2番。っていう具合に、基本的には親子の間のことらしいんだけど、これは、恋人同士や夫婦の間の愛情にももちろん当てはまるんだって。じゃぁ、「2人で良質な時間を共有する」という3番のクォリティタイムを除いた他の4つを受身形にしてみると、1.ほめられること2.ふれられること4.贈り物をもらうこと5.奉仕(お世話)されることてな具合に、相手にしてもらうことで人は愛情を感じるようにできている。面白いのは、愛情の表現方法や感じ方が人それぞれに違うこと。あなたなら1番から5番の中で、大切な人に、一番してあげたいことは?大切な人に、一番してもらいたいのは?どれに当てはまるかな。私の場合、愛情表現は5番ね、超世話好きだもん。それから、相手に一番してほしいことは、「全部」と言いたいところだけど(笑)、1番かな。べつに、「きれいだよ」とか「その服似合うね」とか、こっぱずかしいタイプの「褒め」ではなく、世話好きだけに、その行為が報われないととってもブルー入るわけ。だから、夫の背中を揉んであげたら「ありがとう」、食事の後に「今日のゴハンおいしかったね」、ややこしい書類を片付けて「よくがんばった」、こういう感謝の気持ちの意味の「褒め」言葉がないと一気にやる気なくすわけ。逆に、感謝されると以前にも増してやる気が出るわけ、単純よね、私。で、うちの夫にも聞いてみたのよ。どれが彼にとって一番してもらいたいことか。夫も笑って「全部」と答えたので、とりあえず無視していたら、そしたら、5番のお世話されることだって白状した。だいたい予想はしていたんでけどね、うちの夫は末っ子で、上には姉が2人、母親にも姉にも可愛がられて育ったからさ。そんなわけで、うちの場合は、「世話好きの妻」と「お世話され好きの夫」、ある意味「似合いの夫婦」と言えるかも。これが、お互い違うことに愛情感じたり、自分がどんなにしてあげても相手にとってピントのズレた表現方法だったら、すれ違っちゃうこともあると思うんだよね。あなたも彼や夫に聞いてみるといいよ。そんでもって、あなたのしてほしいことも伝えればいい。私は、アメリカ人にしては口下手な夫に、「感謝の褒め言葉だけは忘れないで」と、言ってある。「やって当たり前だと思ったらアンタ、鼻の穴に指つっこんで往復ビンタするよ」って脅かしも忘れずにね。とっさに鼻を両手で押さえる夫、笑える。
2004年04月10日
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「国際結婚したいんです」という人がいる。私もアメリカ人と結婚して、ハッピーな毎日をこうして送っているのだから、「そうそう、いいよー、がんばってぇ」と言いたくなる。去年1年間で日本人が外国人と結婚した届出が8000件だって。今じゃ、国際結婚もめずらしいことでは無いのよね。出会う機会はそこかしこに広がっている。海外で留学したり、旅したり、働いたり。日本国内だって、学校や職場が一緒ってケースももちろんあるよね。国際結婚をしている周りの人に聞くと、サークルとかイベントで知り合ったり、よく行くお店で会ったり、友人の紹介やインターネットっていうのも最近多い。その辺は周りのカップルと何ら変わりは無いように思う。けど、私が思うに(あくまでも個人の意見)、「この人じゃなきゃダメェ~、イヤァ!」ってくらい燃え上がって結婚しないとね。(たとえ、最初のうちだけでもよ)まあ、そう思ってもうまくいかない時はいかないものなんだけど。とにかく、始めから「国際結婚したい!」って意気込むのはいいけれど、「この人、外人だから」ってだけの理由で特別視したり、「この出会いは運命」とか決め付けるのは国際結婚にはリスクが多すぎ。他の国の人と結婚するって事は、環境の変化もそれだけ多くなるって事よ。相手の国に住むかもしれないし、そしたら言葉も習慣も違う生活が始まる。日本に住んだとしても、日本人同士なら普通に問題にもならない日常のことが、相手にしたらものすごい非常識かもしれない。一緒に住んでみて初めて気づく考え方や価値観の違いってのもあるかもしれない。そうなった時、やっぱり勝つのは愛よね。例えばさ、「君は好きなことをしたらいい、大学にも行ける、家の事をしてください」と、今時日本人でも言わないような事を言われて結婚したとする。でも、いざ結婚して相手の国に住んでみたら、ぜんぜん状況が違ったとする。特に、アメリカ人には理想と現実の差の大きい人が日本人よりも多い。挙句の果てに、こんなはずじゃなかったと嘆いたら、相手の親兄弟にまで、「なんでアンタは働かないの?」というような趣旨のことを言われたりする。そこで、あなたならどうするか。意地になっても働かないか、自分の親兄弟も引っ張り出してモメる?でもさ、「この人が好き、一緒にがんばりたい」と思えば、働くよね、とリあえず。「あなたはこう言ったのに話が違う」とか「私がここでは外国人なんだから」とか、そういうのを理由にして、相手を変えることにエネルギーを費やすくらいなら、相手を感心させるくらいがむしゃらに働いても損はないと思う。それで、相手が自分の収入を当てにするならば、さっさとオサラバすればいい。自分で経済力はついたんだから。逆に、相手に感謝されて結婚生活がうまくいくかもしれない。大事なことは、自分が臨機応変に対応できて、ある程度フレキシブルな人間かどうか。もちろん、相手もフレキシブルじゃないと公平とは言えないけれどね、やっぱり、「国際結婚したい」だけじゃダメだと思う。
2004年04月07日
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コメディ映画の女王ゴールディ・ホーンの娘、ケイト・ハドソンの映画、「How to loose a guy in 10 days」皆さん、見ました? 日本語でのタイトルは何だろか?まーたー、「あなたに首ったけ!」なんて、しょーもない邦題つけたら許さんぞ。(怒)(戸田さん、頼んだよ)「Loose」って直訳だと「失う」って意味だけど、どっちかっていえば「失う」っていう受身より、どうやったら「別れられるか」、っていう積極的・能動態なストーリーなので、そう訳すことにしました。まあ、主人公(ケイト)は、その「10日で男と別れる方法」ってタイトルでトレンド女性誌にコラムを書くために、わざとやるんだけどね、へえ~、こんなことアメリカの女の子たちもやっちゃってんのかなぁ、っていう角度から見たら、とってもおもしろかった。その1 ちょっとキスしただけの間柄なのに、その次彼の部屋へ行った時には、もう自分の存在でいっぱいにしまくる。例えば、テディベアのぬいぐるみを置くとか、勝手に部屋を自分好みにしてしまうのね。バスルームも彼女の使う物で埋め尽くす。その2とくに用もないのに会社に電話する。しかも、ミーティング中とかはお構いなしに、ラブラブ幼児言葉で話をする。そして、挙句の果てには仕事中に押しかける。その3相手の母親に電話をして馴れ馴れしく話したり、いきなり犬をプレゼントし、2人の子どもみたいに扱ってにわかファミリーを作ろうとする。その4とにかく、自己中にワガママに振舞う。男同士の集まりに首を突っ込んでかき回したり、相手が楽しみにしていたゲーム観戦中、ここぞという時に、ジュースを買いに行かせる。、とにかく、気に入らないと所構わずに泣く。「嫌いになったのね」とか何とか言って。その他にも、セリーヌディオンのコンサートに連れて行くとか、ベジタリアンレストランに行くとか、男の人の大事なところに、プリンセスだったか、フェミニンな名前を付ける、とかね、もちろん、アメリカ的に誇張されている部分もあるんだけど。相手の彼もまた、クライアントの広告で、自分がイニシアチブを取るために、「必死になって、別れようとしない」ところがウケる。スポーツ観戦が好き、肉が好き、男友達とツルむの好き、っていう典型的な強いイメージのアメリカ男っていう設定もまたウケる。でも、主人公(ケイト)の同僚が、彼と初めてセックスをした後に泣いちゃったから、「彼が連絡よこさなくなったのかな?」なんて、落ち込んで会社休んじゃうところなんか、恋愛に関しては、積極的なアメリカの女の子でも、そんなこと考えたりするんだと、ちょっと見方が変わったな。
2004年04月03日
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時々、思うことがある...いや、毎日かもしれない。「私は、どうしてアメリカに来てしまったんだろう」と。確かに、私はもっと若くて、好奇心だけを武器に生きていた。「アメリカに住みたい」という、ただ漠然とした夢に憧れて、英語だけは一生懸命勉強したあの頃。20代の始めに、留学費用にとそれまで貯めたお金をすべて使い、1年間のアメリカ生活をして、夢だけで生きていくには、到底厳しい現実を知ったのに。それでも、懲りずに、諦めずに、それから3年ほどした初夏の日に、私は単身、アメリカのとある空港に降り立っていた。「グリーンカード」という移民のステータスを手に入れて。あれから、今年でもう8年という月日が流れようとしている。その間に、アメリカ人の夫と出会い、ここに家族ができた。「もう日本に住むことは無いだろう」という思いが、かえって私に日本を意識させるのか。私の住んでいるアメリカは、私が憧れていた頃のアメリカとは何かが違う。昔、あんなに真剣に好きだった彼と、10年ぶりぐらいに再会したら、「あれ、私って、何でこんな人好きだったんだろう?」と思う気持ちに似ている。「私は、どうしてアメリカに来てしまったんだろう」けっして、アメリカが嫌いになったわけじゃない。ただ、あの頃好きだった彼への思いが、私の中でセピア色に色褪せてるみたいに、私の中のアメリカも、今、こうして目の前にあるのに、なんだか遠い存在すぎてピンとこない。
2004年04月02日
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前回の日記で、私の職場の同僚が彼女のいない息子さんたちを心配しているという話を書いた。その息子さんたちというのは、ここでは名の知れた大学に進み、容姿も悪くないという。それなりに社会経験もあったり、MBAを取るのに大学院にも行ったと聞いて、今時のアメリカの若者にしては、慎重か奥手なのかなと思っていた。しかし、このことをうちの夫に話した時に、その謎は解けた。夫の目から見た、「彼らに彼女がいない最大の理由」とは、「親と同居」しているからだという。そう、彼らは卒業間近とはいえ、身分からすれば学生。大学も自宅から通えるからと、まだ親元を離れてはいなかったのだ。これは、日本では当たり前のことだと思う。大学を卒業しても、就職をしても、結婚するまでは親元で暮らすのは、日本の習慣と住宅事情から言えば別におかしい事でも何でもない。けれど、アメリカは違う。高校を卒業したら、大抵は親元を離れて自分で大学の寮に入るなり、アパートメントを借りるなり、ルームメートとシェアして住むなり、とにかく、20歳を過ぎたいい大人が親と一緒に住んでいるのは、考えものらしい。けれど、最近のアメリカも、生活費や住宅の値上がり、学費や車のローンを抱える若者も多いことから、親側としては何かしらの金銭的援助をしなくてはならない状況で、同僚のように、大学を卒業するまでは家に住まわせておく家庭もあるという。私なら、どっちを悩むのを選ぶだろう?金銭的な援助をする悩み、彼女がいない心配をする悩み、別に、20年後の悩みを今考えなくてもいいのだけれど。(笑)生活費のために息子達がアルバイトをしなくてもいいように、大学生のうちは家に住まわせてもいいかなと私は思ってはいるけれど、うちの夫にすれば、そんなのは「もってのほか」と言いたげ。その代わり、大学には学生ローンで行ってもらう。18歳で「高校卒業したら独立」と家から出してしまうより、せめて20歳過ぎてからじゃないと、と思うのは、私が日本人だからだろうか。でも、アメリカの18歳も日本の若者とさして変わらないような気がする。18歳で将来の進路を決められるなんて少数派だよね。職業だって大学後半になってからじゃないとはっきり見えてこないと思うな。それから、家を出しても遅くはないと考えている私。そして、将来の方向性が見えてきたらそれに向かってがんばって、「自分で学生ローン返してもらう」(爆)けっして、甘い親でないつもりだけど。居座られても困るしな。架空の心配が尽きないので、この辺で止めにしとこう。
2004年04月01日
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明日、5歳のバースデイを迎える我が家の長男くん。性格は父親(うちの夫)に似て温和。ボーっとしているのもよく似てる。たびたび弟にお菓子やおもちゃを取られては泣いているし。(次男がすばしっこいのはどこも同じなのか)そのくせ、「草食恐竜は何を食べるか」という質問に対して、「イングリッシュマフィンッ!」とすかさず答えたりする、けっこうなすっとぼけ迷人でもある。まあ、私の子にしてはスィートに育っているのでよい事としよう。次男の方ときたら、そうねー、よく言えばマイペース、悪く言えば、超ガンコ者。2歳半という、自我が芽生えたての時期にいるため、とにかく譲らない。すでに、Preschoolの先生から、「言うことを聞かない」というお叱りノートを3回ももらってきた「強者」でもある。今日も今日で、長男を学校に迎えに言った先で次男が車に乗りたがらない。押さえ込んで、無理やり車に乗せることも可能だけれど、そんなワガママは通らないんだって身をもって体験することが必要。同じ歳の頃の長男なんて、「じゃぁ、マミー行くねー、バイバイ」と言っただけで、マジ涙目になって飛んできたのに、次男は、サイドウォークを歩き始めるという挑発行為に出やがった。しかも、こっちの反応をチラチラと見ながらの行動。母は、内心心配で仕方が無かったが、ここは一発、誰がボスかを教えねば。(ってアンタ、犬の調教じゃあるまし)母は車に乗り込んで、ドアを閉めてエンジンをかけた。と、次男は一目散に駆け寄ってきた。ふぅ~、かろうじて母の勝ち。もう、次からはこんなことはよそう。心配性の母は、心臓がバクバクして本当は気が気じゃなかったんだから。私の職場の同僚Aさんが、20代半ばの息子さんに彼女がいないと、心配していた。そしたら、一緒の席にいたBさんが「アラ、いたらいたで大変よ」と言う。私も、20年後はこんな心配をしてるのかもしれないと思って聞いていた。もともと心配性の私だし、こうして母の心配の種はずぅーっと、尽きないのかもしれない。
2004年03月30日
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日本では、1年の総締めくくりとして年末に大掃除をするけれど、アメリカは、「スプリングクリーニング」といって、あったかい日が増えてくるとやるのよね。家中の片づけをして出た不要品なんかを「Yard Sale」や「Garage Sale」と書いたサインを立てて売る光景も春に多くなる。うちも今年は、家のローンの金利を下げるリファイナンスをするために、査定人が家を見に来る予定だったので、いつもやらない壁や天井の手入れまでした。おかげで、夫も私もグロッキーのバタンキューってくらい死語連続でぐったりよ。グロッキーって言葉、英語から来てたのね。知らなかったわ、私。昔、タイムボカンっていう懐かしのアニメに出てた悪役の名前から来てるのかと思った。というのは、ウソだけど。とにかく、何年も放っておいた写真の整理もしたわけ。たくさんの子ども達の写真の中に混じって、私の「やせてた頃の」写真が出てきた。あの頃は、どんなに太っても108パウンドを越えたことなんて無かったのにな。夫に、「私がこんなに細かったときのことを覚えている?」って訊いたら、2秒ほどしてから、「うん、ちゃんと覚えてるよ」という返事が返ってきた。妻は、その2秒もけっして見逃しはしない。夫、そういう時は間髪いれずに返してよね。ちなみにその写真は、夫に会う前に付き合ってた彼がいた時の物。しばし、思い出がよみがえる・・・・・その彼とは、私の貧乏性が元で別れている。たぶん、ね。・・・貧乏性、それは私にとってかなーりアディクトなものだ。タバコよりも、アルコールよりも、今では、一応暮らしに困ってはいないが、ケチケチ生活は慣れているので苦ではない。例の彼に訊かれたことがあった。「なんで、happydaysはいつもセール品から見るの?」って。すいません、今でもそうです。ある年のクリスマス。彼が「プレゼントするから何でも買って」と言ってくれたことがあった。「何でもって言われても・・・どのくらい買っていいの?」そう聞き返したら、笑われたっけ。結局、600ドルくらいで全身をコーディネートして恐る恐る買い物から帰ったら、「えっ、600ドルで済んだの?だったら、いいコートでも買ったらいいのに」彼としては、洋服から靴から細々と買わずにでぇーんと一点物の高いコートとか時計とか買って欲しかったようである。戦々恐々としてた私は、おマヌケもいいとこ。そんなことを思い出しながら、1人ほくそえんでいると、夫がとなりに来て、「あっ、この着てる服(写真の私が着てる服)、まだ持ってるよね」と、指差しながらいう。「僕も、大学時代に着てた10年くらい前の服、いまだに着てるよ、物持ちいいからね、僕は」ああ、この人と結婚してよかった。と、思った瞬間である。
2004年03月27日
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今までに、アメリカ人シリーズってのをいくつか書いてきたけれど(左のコンテンツ参照)、今日はちょっと逆バージョンで書いてみたい。皆さんもご存知の通り、私の日記の記入率はものすごく低い。(30パーセント代だと思う)まあ、そんな低い数字をいばってみたところで仕方がないが、これでも書き始めた当初は、眠る時間を削ってまでもガンガン書いたし、書けないとちょっと落ち込んだりもした。仕事が忙しくなってからは、とくに書く時間が無くなって、いっそのこと閉じてしまおうと思ったこともあったけれど、結局、閉じなかったのは、「これは私の日記なんだから、書ける時に私のペースで書けばいい」と思い返したから。もちろん、リンクしてくれた方やいつも読みに来てくれる方には、「こんな不定期なサイトでゴメンよぉぉぉ!」と声を大にして言いたい。さらには、「感想やお返事を書く回数も少なくて遅くて、私はなんて不器用でのろまなカメなのぉぉぉ!」(↑Byスチュワーデス物語って、古すぎっ)と、自己批判してみたりもする。もともと、楽天を選んだのは、作り方が簡単だったから。何にも知らない私でもスイスイとHPが作れた。だけど、やれアクセス回数やら訪問記録やらリンクやら感想やらなんたらかんたらという機能には、あんまり興味が無かった。もちろん、あれば便利には違いないけれど、もともと「書ければいい」と思う私には、最近できた「日記を催促する」なんてのは、ちょっと大きなお世話じゃーんと思ってしまう。だから、このしょーもないHPにいつも来てくれる方々、ホントにホントにどうもありがとう。おまけに、感想を残してくれる人、リンクしてくれる人、あんたは、エライ!でもね、感想を書かなくたって、いつも読んでくれてるだけでも、私はゼンゼン幸せ。所詮、私はそこまで管理しきれないからさ、人のログ調べてまで、「あの人は最近お返事書いてくれないからリンクはずそう」などと、考えたことは無いから安心してねん。最近、他の人のサイトで掲示板のやりとりでいろいろあるみたいだけれど、私は、不特定多数の誰かのために書くのは、気を使ってちっともおもしろくないと思う。「自分の書きたいことを書きたいときに、常識をわきまえて書く」これじゃぁいけないんだろうか?私思うけど、日本人は掲示板が好きだよね。よくサーチエンジンで探し物をすると、掲示板だけで成り立ってるサイトや掲示板がメインみたいなサイトにぶつかることがある。これって、「やっぱり掲示板は日本の文化だ」と思わせる。アメリカ人も侃侃諤諤のディベートは好きだけど、掲示板ていう相手の見えない所で文字を使ってそれをやり取りするのってやっぱり日本人だよね、とつくづく思う。もちろん、自分が書いたことに対して、誰かがメッセージを残してくれるのはうれしいし、励みにもなる。決して、「私の掲示板に書いてくれるな!」と言ってるんじゃないのよ。だけど、時々「素通り禁止!」なんて書いてあるサイトを見つけると、「あんた、ちっと心が狭くないか?」と思ってしまうのは、私だけなんだろうか。
2004年03月26日
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思えば、1ヶ月も書かずにいたのね、私。リンクしてる方、読みに来てくれた皆様、筆不精をお許しくださいませ。アメリカは、というよりも、我が家はいつもこの時期、税金申告のラストスパートなのね。(アメリカは、基本的にみんな自己申告)今年は、去年が激動の1年だっただけにややこしいのなんのって。夫と私で、お給料をもらった勤め先が、合わせると6ヶ所バラバラだし、なんと言ってもスゴイのは、医療費に8千ドル以上(90万円以上)も使ってる事。夫が頚椎のヘルニアと2回の腎臓結石をやったのが大きいんだけど、健康保険だけで月に550ドルも払ってたにもかかわらず、その他に8千ドル出費とはね。やっぱり、アメリカの医療費はバカもバカ、大バカがつくほど、高い!まっ、ここで我が家の台所事情を嘆き悲しみ、一人静かに怒っていても仕方がないので、本題に移りますです、ハイ。(って前置き長すぎだよ、Happydays!)ところで、皆さんは「夫と妻、どっちが頭がいい」って思ってる?それか、「夫と妻、どっちが頭がよければ結婚生活がうまくいく?」と思うだろう。我が家の場合、私は「私(妻)の方が”断然”頭がいい!」と思ってるわけ。(笑)で、夫も夫で、「私(妻)の方が頭がいい」って思ってるのね。まったくイヤな妻だよねぇ、私ったら。でも、コレ本当のことだからさ。(自慢)この場合の頭の良さというのは、何も”二次方程式が解ける”とか、”大学では物理の点数がよかった”とか、そうゆう良さではないんだな。確かに、うちの夫は理系に強くて、コンピューターに関しては専門だから、私が逆立ちしようと太刀打ちできないし、(別に、対抗してるわけでも何でもないが)英語だって、私がどんなに勉強しようともそこは所詮外国語、たかが知れている。保険のことだって、税金のことだって、英語がきちっと話せて数学に強い夫がやれば、事はカンタンに済む。「英語だから、夫、任せたよ!」「あっ、終わったの? ご苦労様」って、何事も夫任せにできたならどんなに楽か。でも、私はできる限り何でも自分でやる。というか、やろうと努力する。夫が手をつけた書類にも必ず目を通して、なんの書類なのか、把握しようとする。もちろん、中には完全ギブアップな物もあり、そんな時は素直に夫の助けを借りるけれど、分からなければ、辞書を片手に朝の3時まで書類と格闘することも惜しまない。おかげで、税金の申告方法も持ち家のリファイナンスの件も、各種保険関係や病院とのやり取りもすべて、夫任せにして、なかなか腰をあげない事にイライラするよりも、自分でやっちゃったほうが早くて確かなの。それに、夫の間違いを発見した時のうれしさったら。グフフ、本当にイヤな鬼嫁だよねぇ、私。とにかく、私は夫に、「コイツ、侮れないヤツだ」と思われていたい。どうせ、英語が分からないだろうからって適当にあしらわれないようにしたい。これは、私の国際結婚してる上でのモットーの一つ。もちろん、優しくて誠実で何でもかんでもやってくれて、日本語を話してくれる旦那さんもいると思う。それはそれでラッキーなのよ、そこのあなた。一生お世話になりましょう。
2004年03月23日
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・・・・・・・くっ暗い、実に暗い話題だ。(涙)私は、アメリカに来て今年で8年になる。しかし、今現在、ここで「友達」と呼べる、それらしきアメリカ人は思い当たらない。う~ん、う~ん、う~ん、どんなに思い起こしてもいないものはいない。(開き直ってどうする私? 絶対ピーンチ!)ママ友なら、何人かいる。けれど、それは子ども同士が友達なわけで、会うときは必ず子どもを遊ばせるため。日本人の友達なら何人かいる。けれど、別に日本人のコミュニティだけに浸って暮らしているわけではない。なーんでだろう? やっぱり私は暗いのか、それとも根性がひねくれてるのか。結婚前だったら、自分からもっと積極的に「トモダチハント」でもしただろう。(↑この言い方もちょっと暗いぞ!)しかし、結婚した今は家族もいるせいか、そういうのはメンドくさくなってしまった。だって、私の場合は本当に気合入れないとアメリカ人女性と友達になるのは難しい。「友達ってがんばって作るもんじゃなく、自然と気の合う同士が集まるもんでしょ」日本にいた頃は、そう思っていたけれど、今までに知り合ったアメリカ人女性とは、自然に気の合う人がいなかった。英語力の問題じゃなくて、しいて言えば、性格や考え方の違いかな。例えば、親しくなってまだ間もないのに、一緒にお茶した席で、「うちはセックスレスなのよ」と、突然言われても困る。というか引いてしまう私、返答に困る。彼女は真剣に悩んでいたのかもしれないし、それか、そんなに特別な話題だと騒ぐ私がバカなのか。でも、あんまり彼女のこと知らないのに、突然セックスの話じゃねぇ、助走もホップ・ステップもしないで、いきなりジャーンプして月面着陸キマリ!みたいな感じで、私好きじゃないのよ。しかも、自分が期待してる返事が返ってこないとこれは「日曜討論」番組か?と思うほどのディベート吹っかけてくるし、親身になって話を聞いたまではいいが、前回の「この世の終わり」級の落ち込みは一体どうしたの?ってくらい、次回は超ハッピー×2でいたりする。他にも、たまたま電話した時やなんか、「私、今とっても機嫌が悪いのよ(怒)」と、自分の機嫌で物事を決める人がいたり、ベビーシッター毎週のように頼んでくる人がいたりで、私、本当にメンドくさいのは苦手なの。だったら、いなくてもいいかなって思う。いつも、ワイワイガヤガヤと人が集まる家で育った私としては、家族ぐるみで付き合いができる友達がいたらなと、ふと思うこともあるけれど、そのうち、アメリカ人女性でも私に合う「奇特な人」は見つかるだろう、ぐらいに、軽くかまえている。せっかくアメリカにいるんだし、もっとネットワーク広げなきゃと思うより、このほうが身も心も楽なのよ。
2004年02月23日
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あぁ三日三晩、いとし~い夫の帰りを只ただ首をなが~くして待っていても仕方がない。夫は夫で、今のところはこれといったヘマもやらかしてはいないようなので、妻は妻で安心して楽しむこととしよう。まあ、仕事して子ども達の世話をして、やることはあんまり普段と変わりがない。元気あり余りのやんちゃ坊主2人連れて、どこかへ行くのも気が引けるし。なにしろ、じっとしていないんだからさ、我が家の息子たちときたら。だから、家でできることは何かと言えば、それは「和食三昧!」 これに尽きるね、やっぱり日本人は!日曜の晩ご飯は、カツに味噌汁とご飯。月曜はシーフードカレーと枝豆サラダ。そして、火曜は親子丼にワカメスープ。なんてことはないメニューなんだけれど、うちの夫は純和食のみならず、洋食系の日本食も食べないという味貧乏。だから、ゴハンの支度もなんだか新鮮な気分だわ。ああ、明日は何を食べようかなぁ?(喜)キンピラとかいっちゃいますか?それともブリ大根、あっ、おでんもいいね。朝は朝で、普段はシリアルやパンケーキの息子たち。卵焼きとサケおにぎり出したら、怪訝そうに顔を上げて、母を見つめる。「マミー、僕はシリアルがいい」だってさ。シマッタ、こんな典型的な日本の朝ご飯メニューを不思議がるように母は育ててしまったのね。「ゴメン、ゴメン、マミーが忘れてたよ」と、知らんぷりして焼き海苔を添える。長男5歳、諦めておにぎりをほおばる。次男2歳、ワケ分かっちゃいないが、とりあえず兄のマネをして食べ始める。あぁ、食卓は「プチ日本の朝ゴハン」風景。これに日本のビデオが加われば、それはそれは素敵な、「日本のお茶の間的空間」が広がること間違いなし!そうとなったら、日本食料品店に寄ろう。日本のテレビ番組見ると、夫がいつも、「ねっ、今なんて言った?」「あの人はなんであんなことしてんの?」とか訊くからさ、メンドくさくて、もうずっと日本のビデオなんて借りてない。だから、お次は「ビデオ三昧」といきますか。でも、私はすでに「浦島ハナコ状態」だから、なに借りていいんだか分かんないかもね。
2004年02月21日
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前回にも、ちょっと書いたんだけど、次の日曜から4日間、うちの夫が、「はじめての出張」に行くことになった。前の会社でも、クライアントが他州にあれば、出張の話もあったんだけれど、なぜか、最終的には夫がいかなくてもいいことになって実現しなかった。きっと、「誰か代わりに出張になりますように」という妻の祈りが届いたに違いない。だって、うちの夫、毎度毎度の健忘症に加え、すっごい方向音痴なんだよ。ハイウェイだってね、いつもとちょっとでも違う乗りかたすると、ゼンゼン反対方向に行くし、降り口見逃すわ、油断もスキもないもうスッチャカメッチャカな男。ゲートまで行って、飛行機乗って、現地でレンタカー借りて、ちゃんとホテルまでたどり着けるか、妻は、心配なのよぉぉぉ!おっといけない、いけない、夫を子ども扱いしてはダメだった。でも、ホントに心配なのよぉぉぉ!本当に、変装して隠しカメラを持って後ろからつかず離れずに、こっそりとついて行きたい。「ほらほら、次の角で右に曲がるぅ!」とか、テレパシーを送りながら。まあ、とにかく、「泣いた、笑った、夫はじめての出張」感動巨編は帰ってきてから報告したい。もう一つ、私のここでのお友達が、「夫が出張先でストリップを見に行った」と、フンガイしていた時があった。うーん、夫のクレジットカードの明細書、ちゃんとチェックしとかなきゃだわ。しっかり、チクリと言っておいたけど、「そんな時間は無いよう~」と言いつつ、顔はニヤリと笑ってた夫。アメリカは、たいてい家庭持ちなら、仕事の後は、家族と過ごすのが基本。うちの夫も、本屋とかに寄り道する以外、6時半きっかりに帰ってくる。「アンタ、たまにはどっか行きなよ!」と、思うくらい家にいるヤドカリ男。それはそれで、家族にはいいことだし、贅沢な悩みなんだけど、夫も夫で、たまには家族と離れて、息抜きも必要かなとも思ったり、独りしみじみしながら長い夜は更けていく。朝は朝で、心配性の妻は、まだ出張前なのに、「夫、しっかりがんばるんだよぉ、そんでもって早く帰ってきてねぇぇ」と、毎日言い続けている。夫より、妻のほうがドキドキしている出張なのである。
2004年02月19日
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私がパートタイムに戻ったとはいえ、夫婦共働きの我が家、週末はお互いゆっくりしたいものである。おまけに、土曜も別の仕事がある私としては、「特に日曜はゆっくりしたい!」のだ。このせっかくの日曜に、日頃はボーっとしている夫が何故か俄然ハリキリモードになる時がある。ハラキリ(切腹)じゃありませんよ、ハ・リ・キ・リ!(分かってるって?! あっ、そう)何を張りきるかというと、突然思い立ってコンピューター部屋(別名、夫のガラクタ収納室)なんか掃除してみたり、カーペットにスティームバキュームかけてみたり、散々放っておいた庭いじりなんかをするわけ。それ自体はいい。誰だって汚いよりキレイな方がいい。いつも私の手が行き届かない箇所を掃除してくれるのは助かるし、それより何より、日頃はちっとも掃除しないうちの夫、「アンタね、ちっとは片付けなさいよ」と、眉間にシワ寄せてスゴまずに済む。我が家の結婚生活の場合、「夫が、一生懸命掃除してるんだから、妻もなにか手伝わなきゃだわ!」そう思って、疲れた体にムチ打ちつついそいそと動き回る時代は、・・・・・とっくの昔に過ぎました。(結婚生活には、それぞれ「段階」ってものがありますね、皆さん)今は夫がどんなにハリキリモードでも、その横でソファに寝っ転がれる時代。題して、「私は疲れてんだからね、夫頼むよ」、の時代。このくらいはまだカワイイ。(と、思って欲しい)そのうち、「私は疲れてんだからね、肩揉んでよ」、の時代もそう遠くないことを、うちの夫は知っているんだろうか?まあ、知ってか知らずか、「昼寝なら、ベッドルームでしたら」と、言ってくれるところをみると、「眠たい時に寝られない妻はコワイ」ということは、分かっているらしい。そんな夫が、来週の日曜、出張に行くことになった。夫、「はじめての出張」の巻。ダイジョブかなぁ?もう、変装して隠しカメラをバックにつかず離れず、後をつけていきたい、・・・・・心境である。来週の日曜は、どんなに疲れていてもゆっくりしたくても、いそいそ動き回って、夫がスムーズに出発できるようにしようっと。
2004年02月17日
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私の姑(夫の母)は、アメリカ人である。しかし、アメリカ人にしては何というか、奥ゆかしくてクラッシックな女性である。アメリカ南部の人は、保守的な人が多く、昔からの伝統やスタイルを持ちつづける。、と言われている。それは時に、自分たちの考えに固執して、新しいものや違うものを受け入れない、頑固で閉鎖的な面もあるけれど、それもまた、国は違うとはいえ、私の生まれ育った環境に似ていたりして、けっして嫌ではないのだ。まず、彼女がうちに来る時はゼッタイに、「手ぶら」では来ない。他州に住んでいてホリディシーズンにしか会えないわけではない。うちから、車で1時間ほどの、スープは冷めるが、適当に離れたところに住んでいる。なんだかんだで、月イチぐらいのペースで来るのだが、来るたび何かを持ってくる。花とか、ワインとか、そういうよそ行きのしゃれた物ではない。子ども達の服やキッチン用品など、かなり実用的なものをエッチラオッチラと袋にかかえてやってくる。それは私が子どもの頃、近所や親戚のおばさんが、畑で採れた野菜とか、もらい物のおすそ分けやら、やっぱり「何か」持参して来たのと似ている。彼女はまた、セール品買いが好きだし、質の良いものが特価になっているのを探し出すのも上手い。特に、彼女の長年のマイブームは、ベッドシーツや枕カバーなどのリネン品である。「このカバー、触ってみて、気持ちいいでしょ」「このキルト、綿100%だけど、安くなってたの」そう言っては、来るたび来るたび、4,5個ずつ持ってくるので、おかげで我が家、寝室やバスルーム周りのリネン品は充実してて、買ったことがありましぇーん。いくらセール価格になっていたとはいえ、良いもの買いの彼女のこと、積もり積もって結構な出費になるに違いない。「もう、十分もらったからお金使わないでね」そう言っても、毎回毎回きちんと忠犬みたいに忘れずに持って来る。たちまち、我が家のクローゼットは開けてないシーツやカバー、タオルにキルト、布・布・布でいっぱいになった。・・・たぶん、この先10年は買わなくていい。「気に入らなかったら、どこかに寄付して」と言われるのだが、不思議と彼女と私の趣味は似ていて、どれもこれも使いたいものばかり。だから、ありがたくもらっておく。一度、彼女の家に「眠る」セール買いの戦利品を見せてもらったことがある。あるわあるわ、お店が開けそうなくらい。きっとナンシーママ、買っちゃうんだろうな、これからも。あまり深く考えないで、節約したつもりでも結局はいっぱい散財しちゃってるところも、彼女らしくて、ちょっとほほえましい。
2004年02月15日
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今回夫の父親サイドの親戚に会うのは、なんと5年ぶりだった。長男が生まれるちょこっと前に、ベイビーシャワーのパーティを開いてもらった時以来だから。夫の両親は、その頃から別居していて、父親の方にはガールフレンドがいた。だから、ショックの癒えていない夫の母親のことを考えると、父親とそのガールフレンドが仲良く出席する集まりを、なんとはなしに遠ざけてきた。夫は男だし、何も言わなかったけど、おんなじ思いだったような気がする。けれど、昨日のゲリー叔父さんの60歳を祝う会には、夫も私もどちらともなく、「行こうか」という話になり、5年ぶりの再会とあいなったわけ。会場のレストランに向かう車の中で、夫はブツブツなにかつぶやいている。耳をダンボにして聞いてみれば、ソニーとエレン、ミルドレットにゲリーとエルキー、ゲイルとラリー・・・そう、自分の叔父さん・叔母さん達の名前を「復習」している夫が居た。おいおい、私は5年前に「初めて」会った親戚だけど、名前はみんな覚えているよ!夫よ、アンタは30云年も親戚やってるのに、いくら5年ぶりとはいえ、もういいかげん「復習」はないでしょう。「ねねっ、スティーブ叔父さんの奥さんてなんて名前だっけ?」だから、忘れるなってーのっ!(呆)さすが、うちの夫は必殺健忘症、身内の名前が思い出せない・・・、ってあのね、ヤバクないですか?夫よ、どうかボケないでください。レストランに着くと、真白いシャツを着た女性が夫を見つけるなり、ハグして挨拶した。「元気そうね、」「ああ、そっちも元気だった?」なんてったって、5年ぶり、ああ感動の再会だ。皆ひととおり話が済んで、席に着く。すると、となりの夫が私の耳元へ顔を寄せる。「ねねっ、さっきの女の人、誰だっけ?」「ええっ、知らないで話してたの?(驚)あれはテリーよ、デイビットの奥さんでしょ」「ああ、そう」「ああ、そう、ってアンタ、私が訊くのは分かるけど、自分の身内の名前を妻に訊くっておかしくない?」夫よ、どうかボケないでください。私は自慢じゃないが、1回会ったきりでもちゃんと名前を覚えている。5年前、初めて会う夫の親戚だから、ちゃんと名前ぐらい覚えておこうと思った。緊張したけど、なるべくたくさんの人と話して、私の名前も覚えてもらおう、そう思った。しかし、この男(夫)に緊張という文字は無い。向かいに座ったソニー伯父さんが、「なんていう会社で働いているんだ?」と訊いた。「・・・・・、う~ん、なんだっけな、ええと、」「〇〇〇〇〇(夫の勤め先の名)だよ」見かねた私、となりで助け舟を出してやる。「ああ、そうそう、なにしろそこで働き出してまだ2週間だからね、ど忘れ、ど忘れ」って、もう働き始めて1ヶ月経つんですけど。ソニー伯父さん、不思議そうに私達を見ていた。夫よ、お願い、どうかボケないでください。
2004年02月09日
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前回も書いたけど、うちの夫は「欲しい!」と思ったらもう最後、どうしても買わなきゃ気がすまない性格なの。本人いわく、子どもの頃、なに一つ欲しいものを買ってもらえなかった反動だという。確かに、夫の父親は高卒でミリタリー入隊。ベネフィットはいろいろあったけれど、お給料は安かったと夫の母親は言っていた。小さい頃の夫は、いつも姉たちのお古を着て、冷蔵庫を勝手に開けただけで怒られたらしい。でも、子どもの頃の貧乏話なら私だって同じ。誰でも、ビンボー自慢の1つや2つできると思わない?親だって、若い頃はたいてい余裕ないしさ。私の親は、冷蔵庫開けたからって怒ったりはしなかったけど、給食費を払うのが精一杯で、学校を通して買う学研の学習・科学の本とか、訳わかんないけど「かんゆ」※とか、そういうエクストラの物は一切買ってもらえなかった。クラスメートの名前が次々と呼ばれて、笑顔満面で学研の本を取りに行くのを横目でやり過ごすのは、子ども心に肩身が狭かった。まあ、そんなの本当の貧乏じゃないといえばそれまでなんだけど、私が言いたかったのは、夫の家だって、食べるのに事欠く生活だったわけじゃなし、ぜいたくができなかったのは私の家も同じだってこと。だからって、私は結婚して家庭を持った今、自分の買いたい物を優先したりはしない。自分の欲しい物を後回しにしても、それでも夫とか子どもたちのうれしい顔が見たいから、限られた予算の中では自分以外を優先する。うちの夫は、コンピューターにコミック雑誌、ギター関係のマガジン購読をざっと10種類はしている。毎月毎月3日に1冊の割合で、それらが届く。それだけでも結構な出費なのに、夫ときたらコミックに何百ドルもの大金をかけられる人。私にしたら、たかがマンが本にそこまで価値があるのかと思うくらい、言ってみりゃ無駄使い。「僕は、X’masに1500ドルもするギターを買ったことだし、3月の自分の誕生日は控えめにして、5月の妻の誕生日にドドーンと、なんか特別なギフト買ってあげよう!」このくらい思ってもバチは当たんないでしょ!アメリカ人夫のメンドクサイところは、これらのことをいちいちジェスチャー付きで、しかもドラマティックに説明しないと理解しないこと。「相手の心を察する」という美徳な訓練は、残念ながらされておりません。昔、なんでもかんでも言わなきゃ分からないことに疲れて、「そのくらい察してよ!」って言ったことがあるけれど、「そんなニンジャみたいなマネはできない」と言われたことがある。だから、お前は「子連れ狼」のマンガ読みすぎだってば!
2004年02月07日
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夫がこんなメールを会社から送ってきた。What do you want for your birthday? I want something big, REALLY BIG!!!(誕生日に何が欲しい?僕は、すっごくおっきいもの欲しいんだ!!!)読んだ途端、もう心臓がバクバクして、「救心」か「養命酒」飲まなくっちゃと思った。夫が言うおっきいものというのは、大きさのことじゃなく、値段のことなのね。つまり、バカ高い、値の張るものを欲しいと前フリ入れてるわけ。ヤバイ、本当にヤバイぞ。こんなときの夫は、もうすでに買う気十分なことが多いのだ。前にもちょっと書いたけど、夫は、早めのクリスマスプレゼントと称して、去年の11月にアコースティックギター買ったの。私が子ども達を連れて、他の州の友達のトコへ泊りがけで遊びに行ったその「鬼の居ぬ間に」、買いやがりました。しかも、値段を言わないんだよ!(怒)その前から、ずっと欲しい欲しいと騒いでて、私にメーカーのサンプルビデオ見させたり、そのギターがいかにすばらしいかを語る毎日。いいかげん、耳タコ状態だった私は、彼の若き過ぎ去りし日々の夢の「証言者達」を代わりに売ることを条件に購入を許可した。その「証言者達」とは、エレクトリックギター。クローゼットをずっと占領されてたし、バラの花模様がジャーンと入っちゃったりしてるヤツで、もう弾くとは思えなかったし。「800ドルで売れたよ~」って自慢げに言うから、新しいギターは消費税入れても、「1000ドル以内に収めなさい」と言っといたのに。ニコニコと超ゴキゲンにギター弾くばっかりで、肝心の領収書見せやしないわけよ。それ以上、値段をしつこく訊く気にはなれず、いつもの夫の行動パターンから、だいたい予算の1.5倍の1500ドルあたりではないかと思っている。私がいっくら頭を沸騰させたところで、「値段当ててごら~ん♪」てな調子で、ゼンゼン、この幸せ男、のれんに腕押し状態だったわけ。だから、今回は最初から先制攻撃を仕掛けて置きやした。攻撃は最大の防御なりってね。夫は、予想しなかった私の発言に目を丸くした。「私はねぇ、アンタがまたクリスマス時期に失業したからさ、おととしだって去年だって自分のプレゼントは辞退してきたんだよ。(怒×2)」「ああ、それなのに、それなのに」(泣きマネ入)「何を買いたいかは知らないけどさ、私は過去のクリスマス2回分と今年の誕生日分、合わせて、アンタの今回の予算の3倍のもの、買ってもらうからね~」散々、脅かしておきましたとさ。
2004年02月04日
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昨日も書いた、政府からベネフィットをもらう話だけど、それについてもう一つ。アメリカは生地主義の国だから、たとえ親が外国人でも子どもがここで生まれれば、その子は自動的に一生アメリカ市民なわけ。つまり、市民としてベネフィットを受ける権利がその子にあるということ。何年も前から、アメリカに来て出産して、生まれた子どもはアメリカ市民になるから、その子を養育するという名目で、親が永住権を取るケースを耳にしている。最近、代理出産で子どもを授かったというムカイさんてタレント?の人。代理出産のことはいいの。子どもが欲しいって気持ちは、誰にも止められないし責められないと思う。けれども、彼女が言ったコメントを聞いてぶっとんだ。「海外で出産して、子どもにアメリカ国籍をプレゼントするのも案外流行ってますから」だって。プレゼントって、季節はずれのクリスマスギフトじゃないんだよ、国籍は。あの人、もっと頭よさそうに見えたけど、うれしさのあまり浮かれちゃったのかねぇ。それが事実だとしても、本音だとしても、公共の電波で物事しゃべるならさ、もっと周りに与える影響考えてほしいな。何千人も何万人も、そのコメント聞いて、日本人なら流行り好きだからさ、お金出して、アメリカで出産する人、増えたらどうすんのさ、子どもに国籍プレゼントするために。私は、国籍ってそんなに軽々しく、あげたりもらったりするもんじゃない、と思うね。迫害とか、どうしようもない貧困から逃れるために来た難民ならともかく、愛着とか、ちょっとは愛国心とかあってこそのアメリカ市民じゃない?アメリカの子どもはアメリカ史を習い、大学まで行っても、それは必修科目。私なんか、訳も分からず、大学でアメリカンヒストリー取って、大失敗したことがある。←ドロップしたムカイさん、あなたの息子さん達、国籍取ったらね、将来戦争に行くかもしれないよ。戦争を放棄しそうにないアメリカは、将来ドラフト制度も有りの国です。市民としての権利もあるけど、ちゃんと義務もあること覚悟してよね。
2004年01月31日
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もうすぐ2月。今年はうるう年なのね、ってことは、オリンピックなのね、大統領選挙なのね。知ってますぅ。ブッシュ大統領ったら、メキシコからのイリーガルエイリアン(違法移民者)たちを3年間の条件付で労働を許可しますって言っちゃったらしいのよ。そんで、メキシコ大統領も、「歓迎します」とのコメントを発表。なんか、選挙意識してるのがバレバレ。じゃ、なに?今度は合法で仕事ができるようになった「元イリーガルな人たち」さ、3年経ったら、「お世話になりましたぁ、国に帰ります」って、あっさり引き上げると思う?ニールの朝のラジオトーク聞いてたら、言ってたよ。テキサス州とか国境ギリギリの郵便局に私書箱の住所作って、アメリカ政府から送られてくる小切手の入った封筒をね、毎週だか毎月だか知んないけど、国境を越えて取りにくるメキシコ人が、いっぱいいるんだってさ。小切手は、何かしらの国からのサポート。ソーシャルセキュリティーだったり、障害者手当だったり、失業手当だったり。なんで、メキシコ人なのにアメリカの福利厚生が受けられるのと思うでしょ。もちろん、合法じゃもらえるはずがない。アメリカ人になりすます方法があるのね。実際の話、私の義理の姉(うちの夫の長姉)の元夫は、メキシコ人だ。義理の姉(アメリカ人)と結婚したから、夫だった彼(メキシコ人)もアメリカ市民権取れたんだけど、なんとその人、自分のソーシャルセキュリティ番号、2つ持ってるんだな。1つの番号は、ちゃんと働いて税金納めてリタイヤ後の社会保障年金用。もう1つの番号は、現在働いてないことにしていて、失業手当だか障害者手当だかのサポートをもらうため用。国民総番号制度のアメリカ。つまり、ソーシャルセキュリティ番号は1人に付き、1つの番号のはず。つまり、彼はダブルライフをして暮らしているの。名前も2つあって、使い分けているかもしれない。と、私の姑(うちの夫の母)は言っていた。べつに、メキシコ人だけをやり玉にあげてるわけじゃないのよ。自分で必死に頑張って働く前に、何とかして国からの援助を受けようと、そっちのほうに情熱を傾ける人がいる。スーパーで、フードスタンプ(食費補助)を使って支払ってる人の方が、他の人よりもいい服着てるってのは、あながち、スタンダップコメディアンの作り話じゃないのよ。税金を払うのは、決してイヤじゃない。そのお金が、お年寄りや親のいない子や母子家庭とか、本当に必要な人のために使われれば。でも、みすみすそのズル賢い人のトコへいくかと思うと腹立つのよね。うちみたいな極々中流家庭にしたら、その月々1300ドル以上の税金は大きい。その辺、ちゃんと考えてよ、ジュニア!
2004年01月30日
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あっ、そうそう。うちの夫が1年ぶりに正社員採用されたこと、皆さんに報告したっけ?してなかったよね、つい、2週間くらい前のことなんだけど、更新もずいぶんとご無沙汰してたから。まっ、去年1年間もちゃんと契約ごとに、あっちこっちで働いてはいたんだけどさ、なんだか落ち着かない毎日だった、私が。(笑)合間に、頚椎のヘルニアと腎臓結石2回もおみまいくらったし。失業と合わせると、カウンターパンチどころかアッパーカットでダウン寸前かの去年1年間。立て! 立つんだ、オットぉぉぉ~。まるで、気分は「明日のジョー」状態だったわけ。そのわりには、「よくがんばったで賞」を夫のオデコにバフッと押してあげてもいいよね~。ついでに、妻である私は仕事を3つ掛け持って、どうにか夫を支えたから、「内助の功で賞」、「ヒョーショージョー!」の声も高らかに、自分で自分に授与してみました。(自画自賛)そんな独り芝居の妻に夫は、「happydaysさん、大学に戻ってはいかがか?」と、言ってくれたのだ。夫ぉ、そんなナイスなことを言えるまでに成長したのねぇ、したのねぇ、したのねぇ。←こだま夫と私、結婚したときはお互い学生だったのね。でもって、卒業見込みの早い夫の方を優先して、私が仕事を探して働き、夫は大学に残ったの。そんな経緯があるからね、夫が覚えててくれたってことにまず感動した。忘れん坊将軍か、必殺健忘症だかの異名を持つうちの夫だからね、もう忘れちゃってたのかとてっきり妻は思ってた。ここは、素直にそして心から「ありがとぉ」と言わずばならまい。←変かな、日本語?夫が、1500ドルのアコースティックギターを買ってクレジットカードの明細を見せないのも目をつぶってあげよう、ハイハイ。ええっ、なんか私、騙されてないか?夫め、そんな小技を使えるようになったんか。夫の成長、うれしくもあり小憎らしくもあり。
2004年01月29日
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子どもの頃にテレビでよく聞いたセリフ。バーバラ寺岡(?)って人が言う、「ワータシノクニデハ~」ってのがあった。本人が言ってたのを聞いたのか、誰かが物真ねしたのを聞いたのかは定かでない。第一そのバーバラさんが、アメリカ人かフランス人かイギリス人だかも判んない。でも、子ども心に思ったのを覚えてる。「アンタの国ではそうかも知んないけど、ここは日本なんだよ、バンバラさん」happydays、昔から小生意気な子ども。けど、おマヌケに名前間違えてたし。(中学生くらいまで本気で「バンバラ」さんだと思ってた私)まあ、バーバラさんとしても日本に住む外国人として、お国柄の違いをただ言っただけだと思うんだけど、アメリカ人と結婚して、家庭を持ち、アメリカに外国人として住んでる今、文化や習慣にのみならず、考え方の違いは至るところにあるもんだ。「日本人だったら、こうするよね」「日本だったら、こんな言い方しない」知らず知らずに、頭の片隅で日本人の行動パターンをシュミレーションして、目の前のアメリカ人と比べている自分。がいることに、ふと気が付いたりする。目の前にいるそのアメリカ人が、実際は自分の夫である場合も多々あり、「ワータシノクニデハ~」と、つい言ってみたくなることもある。それは、よく言う家で靴を脱ぐ習慣もそうだし、妻が家計を預かってヤリクリするのもそうだし、小さいことまで含めれば、結構あったりするのよね。でも、私はうちの夫に、「日本ではこうするのよ」とか、「これは日本の習慣なの」と言って何かを日本式?に変えたことはない。とくに夫ときたら、理系でなんでもかんでも理論的に考える節があるの。そんな人に、「日本式」を押し付けても、かつての私が子ども心に思ったように一蹴されてしまうだけ。逆に、「ここはアメリカだからどうのこうの」って言い方されたら、私も反発したくなりそうだもの。だから私は、家で靴を脱がない夫に、スチームバキュームで掃除した後の汚れた水を見せた。夫はその場で靴を脱ぎ、今うちにはドアの横に靴棚を置くほど、自然の習慣になった。こういう風に育った環境の違う夫と私。日本もアメリカも関係ない、自分たちの、我が家のやり方・仕方を見つけていけばいいと思うんだよね。
2004年01月28日
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遅ればせながら、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞ともにノミネートの「ラストサムライ」について一言。確かに、映画の中の侍・ケンさんは光っていた。太っちょな通訳者役の外人さんよりもトムの日本語のほうがうまかったのもよかった。それより何より、監督さん。本物の日本人役者さんを使ってくれてありがとう。「ライジングサン」のインチキ日本語。あれでは日本は語れない。まして、サムライ魂は語れまいよ。西郷隆盛の戊辰戦争を元にした話だと言われているけれど、銃撃のシーンは土方歳三の死に方のような気がした。って、そんな細かい話はいいんだけど、私がイチバン心に残ったのは、最後に天皇が言うでしょう。「自分たちの祖先が誰なのか、決して忘れてはならない」って。条約を結ばせようとしたアメリカの使者に向かって歯向かうシーン。あの天皇の一言に日本のサムライ魂、込められていたような気がするの。自分が信じるなら、どんな圧力にも屈しない、白か黒しかない選択の道。それを考えると、今の日本にはもう、そのサムライ魂、残っていないように思う。あんまり時事ネタ書かない私だけど、日本の自衛隊派遣にはがっかりした。今の時代、外交政策が不可欠だから、復興支援って名目で、白でも黒でもない灰色の選択が苦肉の策なのかも。でもさ、私が夫にいつも胸を張って言ってた、「戦争の放棄」を一体どうしてくれる。「日本は金だけ出して血は出さない」って言われたっていいじゃない。「金は出しても、大事な国民の血は絶対に流せません」くらいカッコいいこと言えないかね。純ちゃん、トムと写真撮ってないでさ、靖国参拝するなら魂見せて欲しかった。戦地にいったら、復興支援も何もない。テロリストが、「あっ、あれは日本の支援部隊だから攻撃しないでおこう」って思いとどまってくれる?やるかやられるかの選択しかない所で生きてきた相手に向かって、大した武器も持たずに派遣される、「戦争を放棄した」はずの日本人。どうせ行かせるならば、最新最強の装備と訓練をして行かせてほしいな。過激にそんなことを思う私かいる。
2004年01月27日
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近頃、車でドライブしてるときはもっぱら、ラジオ聴き流してる私。これでも若い頃(20代の頃よ!)はさ、(って言い方がもうババくさいけど)お気に入りの曲なんぞ聞いてたのに、こんなことじゃいけないかしら。とにかく、ここのFM750のステーションには、平日の朝8時半から夕方6時まで、3人のホストが入れ替わるわけ。1人は、アンチ民主主義のちょっと過激な発言の多い二ール。も1人は、消費者アドバイザーの神様、だけど気さくなクラーク。そして、こよなく共和党を愛するコンサバティブなショーン。個性はまるっきり違うこの3人の男。しかし、なぜか共通することがある。それは、なぜかと言うと、自分の奥さんのことを必ず話題にする。「僕のワイフがああ言った、こう言った」「僕のワイフがああした、こうした」「僕のワイフがどうした、こうした」ラジオ聴いてるって言っても、四六時中聴いてるわけじゃないし、それでも必ず耳にするのは偶然じゃなくて、ゼッタイ頻繁に言ってるに違いない。それを聞く度に、アメリカ人妻の、よく言えば「夫操縦法」、悪く言うと「夫の牛耳り方・仕切り方」って徹底してるなあ、と思うわけ。3人ともラジオトークの他に本職というか、プロフェッショナルな分野があるわけで、それぞれミリオネアには違いない。そんな彼らが、「僕のワイフは、飛行機は買わせてくれるが、チェーンソー(電動のこぎり)はダメと言う。買ったら、翌日彼女が誰かにあげちゃった」などと、平気で言う。すごいよね、ダメなものはダメらしい。おそるべし、アメリカンウォーマン、脱帽!私のような日本人妻も、夫の調教しっかりしとかなきゃと妙にコブシに力が入るわけ。そんな折、うちの夫が「夜、ジョギングする」と突然言い出した。「ずぇ~ったい、だめぇ~!」両腕をクロスしてバッテンサインで即却下。「じゃ、(恐る恐る)散歩だけでも・・・」「だめったら、だめ~、危ないでしょっ、朝にしなさい!」「だって、朝は起きられないよぉ・・・」夫も会社とかで同僚に言ってるのかなあ?「僕のワイフはジョギングさせてくれない」とかって。
2004年01月20日
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夢を見た・・・。そうとう悪い夢だった・・・。私の夢ってさ、後から思い出すと全然ツジツマさえ合ってないのに最後に必ずオチがあったりする。誰か私に催眠術かけてくれたらば、「故エドガー・ケイシー」みたいな予言は無理だとしても、ゼッタイ偉大な作家になれるかも。(妄想ももここまでくれば立派よね)そのくらい覚醒時の私の想像力は、自分でも呆れるほどマックス状態。(起承転結じゃないのが問題だけど)そんな無謀なストーリーの犠牲者になるのは、大抵きまってうちの夫。彼は、「看板スター」(→言い方古すぎ)だったり、単なるちょい役であったりするが、かなりの確立で登場する。(寝てる時でも、夫の存在は妻の頭の片隅にあるなんて何という夫婦愛か)だが、夫はいつも「夫」とは限らずに、違う「役」を演じてる事も多い。しかも、大体の確立で「悪役」である。日頃、性格の良さでは夫に勝てない妻が無意識に対抗しようとしている、・・・のかもしれない。とにかく日本ならば、「悪役商会」に入れて、アオ汁の宣伝も可能なほどの悪役ぶりなのだ。今回もお決まりの「悪役」で登場した夫。モロ感情移入タイプな妻は、寝起きにもの凄い形相でリビングに現れたらしい。それだけでなく、テレビを見てた夫の、「な、なにっ、僕が何をした?」というおののく顔を見るまで、本気で怒ろうと思っていたらしい。(かなり迷惑な性格でスミマセン)さて、ここまで引っぱっておきながら、気になる夢の中身は、また次回にということで。
2003年12月26日
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昨日は、元ルームメートの電話に動揺を隠せず、余計な心配をして悶々と眠れぬ夜を過ごした私。(大ウソ、しっかり寝たくせに!)寝る時間を削らずに、クリスマスに歌うソングの練習をキャンセルした。・・・ので、夫の機嫌が悪い。なぜかというと、今年は夫のギター弾き語りに合わせて妻が歌うという一大余興を計画してるから。といっても、観客は夫の家族のみ。(さみしー、きっと拍手もまばらね)今年は我が家がクリスマスのホスト。(4年に一度くるオリンピック方式)例年どおり、食う&しゃべるだけじゃつまらないだろうから、ここは一発サザンホスピタリティを見せてやれ!っつーことで、選んだ曲は、「なごり雪・・・」あのドルフィン、いや、イルカが歌った往年の名フォークソングでございます、です、ハイ。♪なごぉりぃ~ゆきぃもぉぉ~ ふるぅとぉきぃをぉしりぃぃ~どうです、魂を注ぐのにピッタリの歌ざんしょ。私の家族から送られてきた年末恒例お楽しみボックスの中に、なぜだか入っていたフォークソングブック。しばし時を忘れて、オフコースなどガンガン熱唱してみる妻。夫は、その昔本気でミュージシャンを目指していただけあって、絶対音感で歌を知らなくでも楽譜があれば大丈夫。我が家即興カラオケボックスに大変身。オフコースはもちろんのこと、そうそうチューリップですか、それとも井上陽水。フォークソングを甘く見たらいけません。なにしろ、望郷を誘うのにバッチリです。ああ、懐かしすぎて、歳がバレる。(涙)感傷に浸って泣いてばかりもいられない。いつもは優しい夫が鬼教官に変身する!やれ、最初の歌いだしが半拍早いだの、半音シャープはずしただの細かいのよね。そのうち、きっとカスタネット持たされて歌わされてるかもしれない。
2003年12月25日
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「No One Is Perfect.....」(人間誰しもパーフェクトじゃないから)久びさに電話してきた元ルームメートが言った言葉。「確かにそうだけどさ.....」私は、彼女が婚約したというおめでたいニュースに水を差したくはなかったのでそれ以上言わなかった。だけど、ゼンゼン腑に落ちてない。だってその婚約者、マリファナ吸うっていうんだもの。彼女のパーフェクトじゃない人間の基準て、「ちょっと優柔不断なところがねー」とか「ちょっとトイレが長いところがねー」じゃなくて、マリファナだよ、マリファナ。もちろん彼女も納得してるわけじゃない。「止めてほしい」と何度となく言ったけど、「僕は妻が欲しいんであって、別に母親が欲しいんじゃない」と平気で抜かすそうだ。彼女も好きな彼の事だから、説得は半ば諦めている様子。彼女はバツイチの台湾人で30代後半。最初の結婚で得られなかったシアワセと子どもを持ちたいという願望がある。私は、マリファナを吸うからといって人間性をすべて否定してるのではない。第一、その彼を見たわけでもなければ話したわけでもないんだもの。私の疑問は、結婚して子どもを産んで家庭を築きたい彼女が、彼女の忠告を聞き入れない男となぜ結婚しなければならないかということ。2人はマッチメイカードットコムというお見合いサイトで出会い、彼は42歳にして結婚暦はないという。そこまで独身生活が長いと、今までの生活や習慣を変えるのはきっと難しい。でも、結婚したいなら子どもを持って家庭を築きたいならマリファナ止めよ。マリファナを吸う人の一番の言い訳が、「たまにしか吸わないから、別に中毒になってるわけじゃない」でも、いい年こいてもまだ吸ってるならそれは十分な中毒なんじゃないか。若気の至りのティーンエイジャーあたりが言うのならまだしも、そんなオヤジはどうぞ家庭など持たずに、子どもなど持とうと思わずに、どうか若気の至りのままさみしく人生をお過ごしください。それから、もう一つのマリファナへの言い訳。「別に悪いことだと思っていない、どうしてタバコがよくてマリファナがいけないんだ」これまた始末に終えない子どもじみた発想。私はそもそもタバコも苦手だけれど、そんな大バカな発想を平気でする大人に言いたい。「マリファナが違法である理由を勉強しろ」と。ここで私が、いちいちマリファナの作用を調べて説明したところで時間の無駄よ。違法を違法とも思わないその麻痺した神経の持ち主は、大抵シートベルトもつけてない。そうして車を運転したりして、本人だけが死ねば自業自得でハイそれまーでぇよだけど、周りの誰かを巻き添えにしてしまうかもと考えたことはないのか。そんな大人に育てられる子どもが怖いぞ。元ルームメートよ、婚約指輪が5000ドル等と言ってる場合じゃな~い。大学で修士まで取って、プログラマーとして高給取りの彼女なのに、恋はやっぱり盲目?
2003年12月24日
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