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昨年末に退院して、自宅生活に戻った父。骨折する前からデイサービスには通っていたのだがどうしても週1回以上は行かない!と言い張りどんどん脚力が低下していっての転倒だった。今回は、介護する母の負担を軽減するためにどうしても父には週3回デイサービスに行ってもらわなくてはいけない。父とは何度もそう約束したが果たして、本当に週3回通うことができるのだろうか…母も私もケアマネさんも、内心…ではなくはっきり口に出して(笑)とても心配していた。ところが。意外にも。4か月半の入院生活で、他人と過ごすことに慣れたのか古巣のデイサービスに戻って、ちやほやされて嬉しかったのかデイに行く日は、母よりも早く起き出し自分で着替え、準備をしているという優等生ぶり。1か月たっても、調子よく通っている。家での様子も、以前よりも怒鳴る回数も減り穏やかになって、母の精神的負担もずいぶん減ったとのこと。一番気になっていた おしっこの失敗も1か月に2回というから上出来ではないか!なんだかんだで週1回程度は実家に顔を出すがtabirinの負担もずいぶんと減った。で、tabirinは新しくお仕事を始めました。その話はまた次回。
2011年02月02日
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父の骨折からちょうと3か月目。次から次へといろんなことが起きてブログを書くのが間に合いません…入院して1週間もたたないうちに入院中に口腔ケアもしてはどうですか?と言われまぁ特に異存もないので古くなっていた入れ歯を作り直すことになっていた。何度か歯科受診し新しい入れ歯ができたものの慣れないので痛くて食べられないと言う。次の歯科受診日は1週間後。看護師さんと相談して食事時だけ古い歯を使って食べてもらおう、他は少しでも慣れるために新しい歯で過ごして受診日の前の日は、痛くても1日新しい歯をつけてもらうことにしましょう、ということになった。はずだった。受診日の前日。母が行くと、「お父さんがどっちの入れ歯をしているか見てもらえませんか?」なんのこっちゃ?いやいや、そちらに残っている歯を見たらわかるのでは?「いえ、昨日、ご自分で管理すると言われるので、 2つともお渡ししました」はい??そんなん、痛い方をするわけないやん!果たして、父は古い歯をつけていた。しかも、新しい入れ歯は、水につけて保管もしておらずポケットに入れたまま。認知症なんだからさぁ。どうして渡すかなぁ。「ちょっと言うと、怒鳴られるので…」父が大きい声を出すのはわかる。申し訳ないとも思う。でも、そこは看護師さんなんだから!立場があるんだから、毅然とした態度で接してもらわないと。なめてかかってちょっと大きな声を出してみてるんだからきちんと理由を説明して叱られたら言うことを聞くのに。リハビリのOTさん(小さい女性)が新しい入れ歯をつけるように言うと文句も言わず、すぐにつけましたよ。さらにリハビリ終了後、母にビシッと叱られて「こんなんつけたら今日の晩も明日の朝も昼も飯が食えんやろが!!!!」(←をを、ちゃんとわかっている(笑))とブリブリに怒って母が帰るときも無視!!という子どもじみた怒りの表現だったようだけど、翌日、病院へ行くとちゃんと新しい入れ歯をして「だいじょうぶなの?痛くないの?」「痛いけどな、つけとかんと意味がないんや」だって。無事、歯科受診して痛いところを削ってもらって少しはマシになったよう。今回は、直接クレームを言うこともなく収まったがなーんかちょっと、なこの病棟。思い返せば、いろんなことがあった。一番感じるのは、良いこと言ってくれるのにやることは中途半端。最初に来たときになんて和やかな雰囲気の病棟だろう!と感じたのはひょっとして、ぬるい?生死に関わるような重病人は来ないから仕方ないのかもしれないけれど。睡眠剤のようなことには、きちんと話をしていくが他のことには目をつぶらないといけないなぁとあきらめモードなtabirinなのでした。
2010年11月14日
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事件の「起」事件の「承」事件の「転」のつづきです。翌週、ドクターからの説明があるというので母と2人で行ったところ睡眠剤は、専門家が処方しても難しいもので私のような整形外科医がやってもなかなかうまくいかないんだとか (だからこそ観察が必要なんですよね)この病院ではネルボン散がベーシックなんだけどもちろん合わない人には、薬を変えますだとか (ネルボンがベーシック???薬価が安いのか?)ここは、リハビリをやらなくては意味がないので夜寝てもらって、リハビリを受けられるように睡眠剤を使うこともままあるんですだとか (リハビリできないような状態になってたけど?)突っ込みどころ満載の説明を早口でたーくさんされる。黙って「はいはい」と聞いていたんだが最後に「これぐらいで許してもらえんでしょうか」だって。思わず隣の師長を見てしまいましたよ。なんて報告してるんですか?私のこと?思いっきりクレーマー扱い!?まぁいいんだけど。で、やっぱり夜眠れないと言うようで今度、処方されたのはマイスリー。超短時間型。極端な・・・・(;^_^Aでも、父は快調そうなので良しとしましょう。が、ホッとしたのもつかの間。またもあきれる事態発生・・・・なんだかなぁ。基本的に重病人は来ない病院だからプロ意識が希薄なのかなぁ。いやこれは、病院というより病棟の問題かも。本当にリハビリには全く文句ないのになぁ。なんだかなぁ。
2010年11月12日
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事件の「起」事件の「承」のつづきです。病室へ戻ったtabirinのもとへほどなく師長がやってきた。tabirinさん、今回の件、大変申し訳ありません。この1週間の様子を見ると、どうも薬が体に溜まっているようなので2晩、休止して様子を見ることにします。ご家族にお知らせしなかったのはこちらの落ち度で本当に大変申し訳なかった。観察ももう少し気をつけて丁寧にするべきだった。等々。ありがとうございます。こちらも若い看護師さん相手に大人げなかったです。申し訳ない。いえいえ、そんなことは全くありません。こちらのミスですし。おっしゃっていただいて良かったです。と、tabirinもちょっと反省してみたりしてその日は帰ったのでした。家に帰って調べてみると睡眠剤は、一般的に4型に分類されるらしい。 超短時間型(2~4時間) 短時間型 (5~10時間) 中間型 (約20時間程度) 長時間型 (30~60時間)ネルボン散は中間型の眠剤で作用時間は20時間!なんでいきなり中間型を使ったの???抗不安とか、鎮静の意味合いで使ったんだろうか…とも思ったが、後日ドクターの説明で単なる眠剤として処方されたことが判明。よくわからない…ちなみに、tabirinが入院中もらってたのはリスミー。短時間型(10時間)だったよ。そして翌日の夕方様子を見に行ってみるとわーん!元の父に戻ってる~~!顔つきも全然違う!こんなに違うんだ!写メを撮って、母にも送信話すこともしっかりしてる!よかったー\(^o^)/面倒な患者(家族)と思われたかもしれないけど言ってホントによかった!と思った事件だったのでした。まだ「結」があるよー
2010年11月11日
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事件の「起」よりつづく(抑えて、抑えて)あの~父なんですが睡眠剤はいつから飲んでいるんでしょう?「ちょっと待ってください。 18日の夜からですね。 隣の方がちょっと…で、眠れないとおっしゃるので」あ~なるほど本人は睡眠剤を飲んでいるとわかっているんですね。でも認知症ですので、家族にもお知らせいただいていたらいろいろ気付いたこともありましたし、よかったかなぁと思ったんですが…「ご家族には最初に医師から睡眠剤使用の了承を得ています」(はい? なんかすごくムカついたぞ?)それは、わかっています。でもね、これ見てください。19日の日誌です。ね、夕方にふらふらしてるんですよ。もし、睡眠剤を飲んでいると聞いていたら看護師さんに報告しているんです。知らないから、筋力が落ちているのかな、という間違った認識になってしまったんです。飲み始めた翌日から、夕方まで残っているのに1週間も飲み続けて、その間、家族は認知症が進んだのかとかいろんなことを心配したんですよ。本人だって、どれだけしんどかったことか。で、睡眠剤の種類はなんですか?「ネルボン散です」わかりました。(φ(..)メモメモ 後で調べよう)で、昨日 母が「考えてください」ってお願いしたかと思いますがどうなりましたか?「主治医が11月1日まで出張でおりませんので ちょっと難しいですね」(ブチッと何かがキレた音が…)ちょっと!あと1週間飲ませ続けるってこと?この病院には看護師裁量はないの?すぐに師長と相談して!!(ていうか、この子1回も謝らないし!!)久々にtabirinぶちキレてしまいました。つづく
2010年11月10日
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父の様子がおかしいな、と最初に感じたのは10月19日だった。母との連絡帳に書いている。「ベッドに座る際にふらふらして 後ろに転びそうになる。心配」前の病院にいた頃から、ベッド脇に座ることは安定してできていたのに、やたらフラフラする。どうしたんだろう、筋力が弱ってるのか?やっぱりあのハードなリハビリからマッサージ中心のリハビリばっかりだから?とそっちの方に疑問を持ったりする。翌日、母も異変を感じていた。起き上がるのも大変で、目もうつろ。認知症が進んでいるのでは?と、今度はこっちの方を心配。リハビリ中もうつらうつらしているような状態で翌週25日、母の目の前でベッド脇に座っている状態から後ろへひっくり返ってしまった。柵に頭をぶつけただけで事なきを得たがほかの相談にきた看護師さんから耳を疑う言葉を聞く。「夜のトイレなんですが、睡眠剤を飲んでいるのでフラフラして危ないからポータブルを使ってもいいですか?」はい~??おっとりしていて永遠のお嬢さんな母もさすがに声を荒げたらしい。(荒げたつもりらしい)「昼間もこんな状態なんて睡眠剤が効きすぎているのでは? ちょっと考えてください」翌日、ムカムカしながら病院へ向かったtabirinはまずはOTの先生に意見を聞いた。睡眠剤を飲み始めてからちょっとよくない…という。で、ナースステーションへ。抑えて抑えて…と唱えながら向かったのだが…つづく。
2010年11月09日
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10月4日に転院して1か月あまり。回復期リハビリの病院なので朝の着替えから始まり洗顔、ひげそり、歯磨き、とすべての日常生活がリハビリ対象となる。PTさんやOTさんによるいわゆるリハビリも一日に、1時間×2回、3回これが土日祝日関係なく、毎日ある。すごい!でも1日合計3時間もリハビリってどんだけハードなの?と思っていたんだが急性期病院でやっていたリハビリとは全く違って「あれはリハビリじゃない」と父が言うほど。(あんなにリハビリ嫌いなくせに)1時間のうち30分は、患者は横になった状態で患部を中心に関節や筋肉をマッサージ&ストレッチ。そして正しい姿勢で座る、立つ練習から。手術からずっと痛くても必死で動かして、歩かされてってやってたリハビリはなんだったの?と思ったが、あれはあれで正しかったらしい。関節が固まってしまうと困るので最初は嫌でも応でも動かないといけなかったんだって。それぞれの時期に合わせてリハビリの方法も違うんだそうだ。そして一番の心配だった尿意と便意も、転院した途端にきちんとわかるように。なんだったんだろう。前の病院では、おむつ当たり前、みたいなところがあったからだろうか。ともあれ、よかったよかった、これで少しずつ病院に任せて私も母も、倒れないように病院に来る回数をちょっとずつ減らそうね、と週に2回、父には1人で我慢してもらうことに。そんなときに事件は起こった。
2010年11月07日
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そろそろ回復期リハビリの病院に…と切り出したのが9月17日。週明け21日に、県内でも有名なリハビリ病院に紹介してもらい30日に「家族面談」というものに行ってきた。ドクターとソーシャルワーカーさんとでこれまでの経過や、父の状態、家族の状況など2時間弱も聞き取りをしてもらった。で、転倒したのは、筋肉の低下だけが原因ではない脳梗塞の後遺症もあるはず、だからリハビリをして、元通り歩けるようになっても転倒・骨折の危険性は変わらずあること、とか認知症があるので、軽く考えず歩けるようになった → 家に帰れる!と喜ぶのではなく全体の状態を見て、家で看られるかどうかよく考えるように、とか退院後のことまで考えが行ってなかった母と私にとっては、なかなか厳しいことを言われた。でも、今はいろいろな方法があるから家で看ることにしても、うまく施設やサービスを使ってとにかく、共倒れにならないことを一番に考えていきましょうと、ありがたい言葉で面談を終えた。それにしても整形外科のドクターって誰もかれも、どうしてあんなにせっかちで早口なんでしょ?たまたま?
2010年09月30日
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弱気なブログを書いたっきりサボっていたのでブログのコメントを初めメールやらお電話、おハガキ!直接会いにきてくれたり。皆さんにたくさんたくさん励ましをいただきました。ありがとう~~みんなに支えられてるなぁと感激でした。心配していた自分の検査結果は横ばいでホッとしたのですが先週末から胃がおかしくてぜーんぜん消化してくれない。食べないと楽なんだけど、そうもいかないので胃薬にお世話になる日々。もう、昼・夜と病院に行くのは限界だなーと母と話して今日から、昼間だけ病院に行くことにしました。元々歩かず動かずで筋肉が弱っていたから転倒したんだけど骨折・入院・手術でますます筋肉も体力も落ちてしまった父。足だけじゃなく、腹筋、背筋も含め全身の筋肉が弱ってる。今入院している急性期病院では3カ月の入院がMAX。たぶん、リハビリ専門の病院に転院することになると思う。そうなると、遠くて今のように毎日は行けないので少しずつ父に慣れてもらうことも必要だと普段のーんびり頼りない母が言って(驚)それもそうだなぁ…と妙に納得してしまいました。なんだかんだ言って、母はやっぱり母だなぁ。父のリハビリは既に歩行器を終え、四点杖で歩く練習に入っています。送料無料 【 安全 杖 】 アルミ製 4点支持杖 低重心 S10(-R/-L) つえ 《 カワムラサイクル製品 》 【 ステッキ 】 【smtb-k】【w1】以前は10~20分座るのが精一杯だったのが今では、1時間ぐらいは平気で背もたれ無しで座れるようになりました。介護士さんとハイタッチしてみたり看護師さんに「サンキュー」なんて言って大ウケされて喜んだり。昨日から大相撲の中継が始まったのでやっとテレビを見る気にもなりテレビっ子の本領発揮か?といったところの入院1か月目です。
2010年09月13日
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入院してからちょうど2週間。土日はリハビリがお休みなので振り出しに戻らないように自主トレ。ベッドから車いすへの移動は、なんとか自分の力だけでできるようになった。(とても危なっかしいので見守り必須だけど)車いすでウロウロするのは楽しかったらしく洗面所でひげ剃りをしたり冷蔵庫まで行ったり1階へ降りてテレビを見たり4回もベッドー車いすの移動をした。髪の毛くしゃくしゃだけどオリックスー日ハム戦を楽しむ父。これで、尿意や便意の感覚がもどればトイレに行って用を足せるのになぁ。どうしたのかなぁ。看護師さんたちは「だいじょうぶ!」と言ってくれる。来週には戻るかな。
2010年08月28日
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傷もリハビリも順調とのことで予定の2週間より3日早く、本日抜糸。このあいだ見たと思った傷は血を抜く管を抜いた跡で本当の傷は結構なものだった。汗汗閑話休題。大部屋の病室というのは、居合わせるメンバーで雰囲気がずいぶん違ってくる。最近は、カーテンを閉め切ってしまうところが多いのであまり関係ないのかなと思っていたがこの病院は、年寄りが多いせいもあり比較的オープン。そして、この間の救急日に賑やかなじぃさんAが部屋に入院してきた。同じ日に入院してきたじぃさんBも話し好きらしい。なんといっても入院患者は暇なのだ。2人で話し飽きたら、当然父にも話しかけてくる。父には良い刺激でありがたい。驚くのは、じいさんABの全くおもしろくない冗談に父が大笑いするのだ。受け答えも比較的まとも。じぃさんずトーク、おそるべし。やっぱりコミュニケーションは大事なんだなぁ。
2010年08月27日
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昨日は母にさんざん悪態をついて困らせたようだが今日はご機嫌の様子。リハビリでは自分でベッドから足をおろして座る体勢になったり歩行器を使って立ち上がって車いすに移動しリハビリ室では平行棒を使ってぴょこぴょこ歩く。痛いと言いつつ、先生に言われたことはなんとかこなしていく。1日見なかっただけでこんなにできることが増えているのかと驚かされる。その割にベッドでは自分から何かをしようという気はないらしく全く動こうとしない。ひたすら横になっている。足の運動も、言ったらやるけど自分からやろうとはしない。しんどいことはイヤなのだ。認知症もあるが生来のノラな性格のせいもあると思う。困ったものだ。と、ドクターに言いつけると「ま、そんなもんです」そんなもんなのか。(笑)
2010年08月26日
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一昨日、昨日と熱が出て顔もぼんやりしていた父だが今日はうってかわってご機嫌。病室へ行くなり「今日は(調子)ええで」看護師さんや介護士さんにも「熱がないと顔色もいいね!」と声をかけられる。今日の回診で初めて傷を見た。え?どこが?というぐらいきれいな傷跡でびっくり。最近の技術はすごいなぁ。リハビリは、こんなのを使って横に歩いたり前に歩いたり。コンパクトタイプのスタンダード((MD)タイプと(HI)タイプの2種類からご選択ください)固定歩行器ささえ(2段グリップ)【OUTLET】【介護用品】【敬老の日】ちょっと動くたびに顔をしかめる父。痛みは大丈夫ですか? ちょっと痛いです。痛いですか、我慢できないぐらいですか? だいじょうぶです。そしたら、少し様子を見ながらやっていきましょうね。 ちょっと痛いねぇ。そうですか…。(30秒ほど休む)どうですか?痛み、治まってきましたか? ・・・・はい。じゃあ、もう1回やってみましょう。こんな感じで30分。リハビリのイケメンのお兄ちゃん先生はなかなかに厳しいのだ。でも。調子が良いと、話をする。話をすると、認知症が進んでいるなぁと感じる。入院するときに、認知症は入院で必ず悪化するのでできるだけ家族が一緒にいてあげてくださいと言われた。とりとめのない、害のない勘違い的なものはかまわないのだが、私も母もいないと看護師さんに怒鳴ったり、いろいろやらかしているらしい。早く歩けるようになって家に帰れるようになればいいのだが。
2010年08月24日
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この日も、10時半頃病室へいくと氷枕で頭を冷やしてぼんやり顔の父。熱が38度あるという。あまり水分を摂っていないのでおそらく膀胱炎だろうとおしっこの検査をしようとするのだがこれがおしっこが取れない。出るのがよくわからない、という。導尿を1週間した後でもわかったのに…やはり膀胱炎のせいか。それでもリハビリはやるのだなぁ。少しペースは落ちたが、痛みをみながら、脈をみながら30分。家族だと、熱があるから休みましょうね、と言ってしまうが、整形外科の先生もリハビリの先生もお休み、とは言わない。父もやらない、とは言わず(言えず?)仕方なく頑張っている。この日は、途中で母とバトンタッチ。水分も摂れていないし、尿量も少ないので夜に点滴、ロキソニンも再開したとのこと。そして、翌朝おしっこがとれたので検査に出し膀胱炎と確定。飲み薬で抗生剤(クラビット)も出ました。早く体が楽になったらいいね。
2010年08月23日
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泊まりはしなくてよくなったがしばらく日中の付き添いは続きそうなのでとにかくネット環境!ということでWindows7搭載のネットブックにも釣られドコ○のデータ通信を契約した。メモ帳に書きためた日記を更新するぞ~♪と、11時頃、病院に来てみると調子が悪そう。少し傷が痛いという。そういえば、昨晩から痛み止めのロキソニンが中止になった。足を上げる運動も今日はやらない、という。うーん、昨日がんばったから痛くなったと思ってる?困ったな。お昼ご飯もいつもよりは少なめ。どうしたのかな。痛いのかな。午後の検温でそれがわかった。37.7度。氷枕をあてたが、1時間後には38.6度。座薬を入れる。その1時間後も38.6度。変わらず。座薬を入れてから何度もおならをしていたので出てしまったか?とりあえず塑頚部を冷やしてもらう。ベッド脇に座ることにもならない。一進一退。焦らず、がんばろう。
2010年08月22日
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家でぐっすり寝たので復活!今日は母が日中、父についているので家でゆっくりしようかと思ったが気になるのでとりあえずちょこっと顔を見に行くことに。というのは、土日はリハビリがお休み。せっかく3日間続けてがんばったのに2日もなーんにもやらなかったら、ふりだしに戻る、となってしまう。ご機嫌はどうかな~と病室をのぞくと超不機嫌顔の父。いや~ん。どうして?術後、ずっと便が出ていないので2晩連続で飲んだ下剤が一気に効いているらしい。おむつを替えてもらっても、すぐにまた出るので気持ち悪く、しんどいのだそうだ。しばらく待っていたが、キリがないのでリハビリを強行させてもらう。(←オニ)右足は昨日は1センチもあがらなかったのにどうしたことか!4回目ぐらいから10センチ近く上がり始めた。自分でやってみたんだろうか???そして、夫に手伝ってもらって父をベッド脇に座らせ、昨日の8分の記録更新をねらう。窓から見えるマンションの話や、なんやかんや話してなんと20分!すごいかも!この調子でがんばって、家に帰れるように歩けるようになってほしいな。がんばれ、父。
2010年08月21日
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午前中の回診で、足の包帯がずいぶん短くなった。足先までぐるぐる巻いてあったのが太もも周りだけになった。着圧ストッキングを右足にも履く。導尿の管も外してもらってこれで体についていた管は全部外れたことになる。やれやれ。動きやすくなったから、とベッド脇で座る練習をしてみたが8分で限界。くたくたになってしまった。今日の採血でヘモグロビンが8.6だったのでちょっとしんどいのかもしれない。大好きなご飯も息切れしながら食べた。それでも9割方食べるのはえらい。リハビリでは、ベッド上で足を上げる練習から始まりベッド脇に腰掛けて立つ練習。リハビリ室でも、腰掛けた状態から左足で踏ん張って、手の力も使ってなんとか自分で立つ練習を何度もした。立った状態で、手を離して自立する練習も最初は30秒、まだできる?じゃあ、もう30秒とできるだけ伸ばす。なかなかバランスが取れず、下を向いてしまって腰も引ける。それでも最終的に1分半ぐらいは立てた。今のところ、リハビリの時間は先生のいうことをよく聞いて一生懸命がんばっているがリハビリの時間だけがんばったのではよくならない、ということが、なかなか理解できない。認知症で理解できないのかもともとの性格がなまけものだからなのか微妙。夕飯前に、なんとかなだめすかして右足を天井に向かって上げる運動を1セット。今晩から付き添いの泊まりは勘弁してもらえたので看護師さんの言うことをちゃんと聞いてくれるのか心配しつつ帰途についた。19日の11時から36時間、病院にいたことになる。家に帰って、シャワーを浴びてお腹は減っていたのだが、睡魔に負けて朝まで寝てしまった。病院で何をしているわけでもないのにかなりの疲労感。一晩寝たら復活するので体が、というよりは気持ちが疲れるのかも。
2010年08月20日
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昨晩の泊まりは、なかなかきつかった。この病院は夜12時で冷房が切れるので寝苦しいことこの上ない。認知症のおじいさんは「うぅーうぅー」と唸り、新しく入った患者さんは、多動性の人だと思われ目が覚めたら始終がさがさがさがさ。父は汗だくになってそれが冷えて「寒い!布団かけてくれ!」と訴え、1度は着替えさせてもらったがすぐにまた汗だくに。ナースコールまで押して「寒い!窓閉めてくれ!」着替えさせてくれたらいいのにな…と思うが忙しそうで大変そうで何度もは頼めなかった。汗をふいて、乾いたタオルを病衣の中に入れ冷たくないようにし、父をなだめる、を繰り返す。夜中も少し温度を上げてでもいいから冷房つけといてくれないかな。看護師さんも介護士さんも汗だくで気の毒。病院で熱中症で死んだらシャレにならないと思うんだが。
2010年08月20日
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昨晩は母と交代して家に帰り、爆睡。病室では30分ずつとか細切れにしか眠れないのでやっぱり疲れている。母が泊まると、父は甘えが出るのか夜中の体位交換では「痛いからせんでええ!!」と看護師さんを怒鳴り朝ご飯も、パンは嫌だ、サラダはいらん!と言いたい放題だったらしい。(;´_`;)それでも、お昼前には傷口からの出血を抜いていた管を外してもらい「楽になった」とご機嫌に。お昼ご飯もほぼ完食。これだけはいつもほめられる。午後からのリハビリは、急テンポで進む。ベッド上で両足の運動をした後ベッド脇に自力で座り(ふらふらしたけど)先生につかまって立ち!(がくがくしたけど)車いすに移動し、リハビリ室へ。いすから立ち上がる練習を何度かやった。丸5日間寝ていたので正直、座れるとは思わなかった。やっぱり家族だと甘えさせてしまうのかなぁとちょっと反省。この日は頭もはっきりしていて「あんた、あきちゃん(夫)のご飯はちゃんとせんといかんで」と言ってみたり「もう帰ってええよ」と言ってみたり。「今日は帰らんよ、泊まるんよ」と言うと「そしたらあきちゃんはせっかく帰っても飯もないんか」人の心配もご飯のことだねぇ。(笑)
2010年08月19日
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ゆうべは1時間ごとに看護師さんがきて点滴を変えたり様子を見てくれたりした。腰椎付近に微量の麻酔を入れているせいか言動がおかしかった。のどが渇いたというのでお茶をストローで飲ませようとするのに全然吸えない。何度か試したあげくに「ぶくぶくぶく」と吹いてるし。朝には、術後の反応で38度台の熱が出てこれは朝ご飯は無理かなぁと思ったが食い意地が張っている父は延々むせながら1時間かけて7割も食べた。午前中に回診にきたドクターに「7割食べれる人はなかなかいないよ」」とほめられた。^^今朝のヘモグロビンは9.4比較的、術部からの出血も少なそうなのですぐに輸血は必要ないとのこと。腰椎に通していた麻酔のチューブを外し、足先も動いているので、エアーも外した。昼から少しずつ自分でご飯を食べるようにしたところ右手が左手以下の不器用さになっていて唖然。折れた部分に響くので全く右手を動かしていなかったらしい。おそろしいことよ。午後には、早速理学療法士の先生がきてくれてリハビリ開始。手術していない左足が軸足になるのでそちらを主に動かすのかなぁと思っていたら両足をごんごん動かしていった。もちろん、父にも自力で動かすように号令がかかる。汗をにじませ、がんばる父。デイサービスのリハビリの方が断然ラクじゃないか?なんでしっかり受けとかなかったかなぁ。^^;夕方には、血栓予防の注射をお腹にブスッと。なかなか痛そうだ。これは2週間毎日この時間にするそう。そして、持続点滴が終了。だいぶ自由がきくようになってきたけどあまり動く意思はなさそう。
2010年08月18日
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母と私とドクターと当事者の父をはずして三者面談。(;^_^A16日朝に捕ったレントゲンで骨折部分は、少しズレていた。(やっぱり)ズレが少しなので、1.ボルトを入れて、骨がくっつくのを待つ2.人工骨頭を入れるどちらの選択もできるという。1の場合 良い点…手術時間が短い。(30分) 傷も5センチ程度。 出血もほとんどない。 リスク…骨がくっつかない可能性がある。 術後のリハビリが父には難しそう。 (片足移動、片足加重、20%加重など)2の場合 良い点…術後すぐにリハビリが開始できる。 両足一度にリハビリができる。 リスク…手術時間が1時間強。 傷が10センチ強。 体への負担が大きい。 出血が増える →輸血が必要になるかも→心臓への負担 父の場合、理解力の衰え・無気力という認知症症状があるのでリハビリが難しいと、やらなくなる可能性が高い。それでなくても、しんどいことはやらない、やりたくないやらないとどうなる、が予測できないのが認知症。1を選択したとして、父が予想外に頑張ってリハビリに励んだとしても片足で立っていて、バランスを崩し、手術した右足に一気に体重がかかったとしたらボルトが支えきれず、大きくずれてしまう →きっとすごく痛い・再手術母、私、ドクターで顔を見合わせ決定。 「人口骨頭を入れましょう」
2010年08月16日
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早晩、こうなることは目に見えていたのだ。母もヘルパーさんもケアマネさんも口を酸っぱくして言っていたのに歩くことも、運動もせずどんどん筋肉が落ちていた父は家の中で何度目かの転倒。今まではけっこう激しく転んでも打ち身程度だったのにとうとう骨折してしまった。右股関節骨折。幸いスパッと折れていて、ズレてないので、30分ほどのボルトを入れる手術で済むそう。が、手術は3日後の火曜日。それまで座ることも寝返りもできない。食事はベッドを30度あげて、要介助。誤嚥性の肺炎に気をつけなくては…そして一番心配なのは高齢者に多く見られるパターン。入院で一気に認知症が進んでしまう父の場合、確率は高いと言われてしまった。認知症が進むとリハビリにも支障をきたす。そうならないためにも家族の方が付き添って…と言われ泊まり込み体制に入る…ために、準備に帰っていたら骨折のせいか高熱が出てわけがわからなくなったらしく骨折部分がずれないように引っ張られていた足を、抜いていた・・・・_| ̄|○痛かったろうに…。前途多難の予感。
2010年08月14日
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その1はこちらその2はこちらその3はこちらその4はこちら前回のご報告から1ヵ月以上も経ってしまった・・・汗皆さまのご声援を励みにたびチチ、無事にメタボ教室を卒業しております!!さてその結果は・・・■全身構成要素■部位別脂肪量(単位はkg)これ・・・結構がんばったんじゃない!?筋肉量をキープしたまま目標体重62キロを切って脂肪が5キロも減ってるお腹周りの脂肪が3.5キロも減ったんだね~。内臓脂肪レベルはやや過剰の11 標準の8に!後半に入って、ペースが上がった理由を聞いてみると消費カロリー < 摂取カロリー 太るということが本当にわかった!そんなに運動できないから気をつけて食べるようになった。んだって。メタボ教室で1時間 筋トレをしてその後1時間 プールで走らされてもポテトチップスを1袋食べたら、プラマイゼロ!と聞いて、身に沁みたんだそう。出張中、コンビニでお菓子を買い食いするのもやめたようだ。 (全く目を離すと何をしてるかわからん!)あとはコレをいかにキープするか。そして問題の中性脂肪はどうなってるのか。本当の最終章は4月の検査結果次第か!?
2009年03月30日
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その1はこちらその2はこちらその3はこちらさてさて、間が空いてしまいましたが 『週末解毒断食』たびチチのジュース断食の結果をご報告しまーす。■1日目 朝、昼は普通の食事、夜だけ和食で腹七分 (9時までに食べ終わる)ジュース断食をやってみよう!と思いついた金曜は大阪出張からスーパーシートでちっちゃいお弁当を食べて帰ってきていた。普段なら、家に着いてからちょっとお菓子かなんかをつまんだりするのだが幸い、まだお茶しか飲んでいない。なんとなく物足りないお腹を抱えて寝るのじゃ寝るのじゃ!■2日目 野菜と豆乳のジュース を朝昼晩 水、お茶など水分はたっぷり摂るいよいよ断食当日の土曜日。まずは体重測定。 64.4キロ (あら?既に減ってますね)本には、野菜、バナナ、果物、豆乳などをミックスジュースに、とあったが、なんとなくおいしくなさそう・・・なので、いつものフルーツミックスジュースに豆乳を加え小岩井の野菜ジュースを別に用意。これを、朝昼晩。バナナを2本、豆乳を200cc使ったので1日の総カロリーは500kcal前後だろう。どうせなら、とカフェインも抜いてほうじ茶とか水、ハーブティーでお腹をごまかす。昼過ぎまでは、思ったより平気!と言っていたチチも夕方にはさすがに辛そう。でも、たった一日で味覚が鋭くなったのか今まで好みじゃない、と言っていたハーブティーを「すごくおいしい!」だって!■3日目(ここが一番大事) 朝 ゆるめのお粥 昼、夜は肉や脂は避けて腹七分 刺激物や甘いものも控えてねさぁさぁやってきました!やっと固形物が食べられますよ♪の前に、体重測定! 63.6キロ! おぉ~何ヶ月ぶり?何年ぶり?に見た63キロ台!土鍋で炊いたお粥を上機嫌で食べるチチ。すっかり胃が小さくなってるらしく半分も食べないうちに「あ~おいしかった~」何がおいしいって、塩と梅干しだって。そう、この断食は塩分抜きの効果もあるのでむくみがある人は面白いように2~3キロ落ちるのだそう。ま、チチはすこぶる健康体なので驚きの減量ではなかったけど停滞していた体重が1キロ近くストンと落ちたのは嬉しかった様子。昼、夜とまぁまぁ普通に食べたものの翌日の体重も全く変わらずキープ!その週、焼肉を食べに行ってさすがにその翌日はドーンと増えたものの (ハハはBUNがドーンと増えた)また徐々に落ち着いて、今朝の体重は63.6キロをキープ1月初めから約3キロ落としている。ボタンが飛びそうだったパンツのウエストも普通になった。顔もこころなしか、スッとしてきた。とりあえずの目標、62キロまであと1.6キロ。メタボ教室も折り返し地点。頑張れ!チチ!
2009年02月18日
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ダイエット計画その1はこちら その2はこちらその後、脱メタボ!水泳教室にまじめに通うチチ。よくよく聞くと、プールに入る前に30分、40℃程のサウナ室で筋トレをしたり踏み台昇降をしたりするらしい。なかなかハードですな。その後、最近は流れるプールに逆らって 馬のように走らされるそうだ。うはは。そして、この教室では家での宿題も出ている。・腹筋その1・腹筋その2教室に通い始めた当初は全くやる気なし!な毎日だったがいつの頃からか腹筋だけじゃなくウォーキングも週に1,2回するようになった。それに連れて順調に減っていた体重だがどうしても65キロの壁が越えられない。そこでハハは悪魔のささやきをしてみた。「これさぁ、即効性があって効くらしいよ。 体の大掃除にもなるし、内臓も休まるし」それは… 『週末解毒断食』■1日目 朝、昼は普通の食事、夜だけ和食で腹七分 (9時までに食べ終わる)■2日目 野菜と豆乳のジュース を朝昼晩 水、お茶など水分はたっぷり摂る■3日目(ここが一番大事) 朝 ゆるめのお粥 昼、夜は肉や脂は避けて腹七分まぁやるとは言わないだろうな、と思ってたんだが意外にも「やる!」と乗り気のたびチチ。ほぉ~。それなら喜んで協力しましょう♪先週末敢行した断食の思わぬ結果は次回!乞うご期待!
2009年02月11日
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そんなこんなで「脱・メタボディ」なる水泳教室に週1回通うことになったチチ。初日の感想は… 「まだぜんぜん大丈夫だった」ははは教室が教室だから…夫より大きい人ばっかりだったらしい。まずは己を知るところから!ということでマルチ周波数体組成測定というものをして体全体のチェック、部位ごとの筋肉量、脂肪量などを測定。ちなみにチチの身長は168cm。(縮んでますな)体脂肪と筋肉量による体型判定は 標準+内臓脂肪レベルは 11(やや過剰)基礎代謝量は 1443kcal(ごく標準)筋肉も脂肪も体幹部、左右腕足ときれいに平均ゾーンで正五角形。う~ん。見た目は本当にぜーんぜんメタボじゃないのにねぇ。だけど内臓脂肪レベルはやっぱり やや過剰中性脂肪撃退のためには頑張るしかあるまい。そしていよいよプールに入ったらばみんなで輪になって・・・馬のように走らされたんだそうだ。ひざを水面に上げて! はい!右回り! はい!左回り! たびチチさん、顔が怖いですよ!はい!笑顔で!翌日のたびチチは全身疲労。翌々日のたびチチは太ももとお尻の中間、体の真横部分の激痛に驚き、泣き、耐えながら仕事に行ったのでした。効いてますな。まだまだ序の口。次回へ続く。
2009年01月15日
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たびチチさんは、たびおに襲われていた写真からもわかるようにそんなにおデブには見えない。友人・知人にも「ぜーんぜん太ってないや~ん」と言われる。だがしかし数年前から立派な脂肪肝を持ち健康診断では常に中性脂肪で引っかかる。しかも一時期は尋常な値ではなくアンダー150の値が、なんと900だの600だの。知り合いの薬剤師さんに「早く治療しないと急性膵炎で死ぬよ!!」と言われ、青ざめたものだった。理由は問診ですぐにわかった。その頃はほとんど毎週、月曜~金曜までの出張生活で残業してホテルへ帰る前に食事をとる、またはコンビニでお弁当を買って、寝る前に食べる。お酒は飲まないけどコーラが大好き。お菓子も大好き。そして一日一箱のスモーカー。中性脂肪増産体制な生活習慣だったのだ。・夕食は寝る3時間前までに摂ること。・白糖類(ジュース・お菓子)は厳禁!・週に3日は運動をする。・禁煙という課題を出され、食事時間を改善し、禁煙にも成功したもののなかなか運動が長続きせず頑張って頑張って、食後12時間で中性脂肪値250。昨年8月にとうとうお薬が処方された。直近、12月1日の検査結果では食後4時間半で中性脂肪値280。増えてるし・・・そこで先月、市の広報で見つけた3ヶ月コースの水泳教室に応募した。定員10名だったが、この寒い季節にプールに通おうと思う人は少ないらしく見事当選♪出張が少ないこの時期しか通えないから本当にラッキー!その名も 「脱!メタボディ」ネーミングからして想像に難くないきつそうな教室。果たしてたびチチの運命やいかに。次回へつづく。
2009年01月07日
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たびチチは御年83歳の義父に似て兄弟の中でも一番の健康体だ。あ、最近は中性脂肪が高くって食事と運動を科せられているけれどどこでもいつでもあっという間に眠れるししんどい、とかあんまり聞いたことないし。唯一弱い腰は、25歳の頃、バイクで事故ってふっとんだ挙げ句、腰で着地した後遺症だという。(その時も入院さえしなかったらしい)それで、腰にキタなぁと思ったら鍼に通っている。今回も初日に鍼の先生には電話して動けないうちは鍼の効果よりも動かすことによるデメリットのほうが大きいから歩けるようになってから来るように言われた。急性期にはとにかく湿布で冷やして安静にとアドバイスをもらう。土曜日に発症日曜日に救急搬送月、火と休んで水曜日、今日は絶対に鍼に行くというチチ。骨盤ベルトとウエストベルトを巻き、玄関を出る。 おお!歩けるじゃないか!車に乗るのはどうなの?ひとりで乗れるの? おお!なんとか乗れるじゃないか! うちの父(実の)よりスムーズかも。^^;鍼では、足から腰を中心にチチ曰く「脳天から足先までビリリとくる1本」を打ってもらったようだ。来た時よりも数段軽い足取りで帰宅し翌日にはリビングに出てきてテレビなんか見たりして。そして、今日、金曜日。2回目の鍼に行き、ますます復調の様子。家では骨盤ベルトもはずし、きつめの腹巻だけで過ごせるように。この調子でいくと来週には仕事にいけそう!治り掛けに再度グキッなんてならないように気をつけてくださいよ!にゃんずも待ってますからね♪ あら…ちょっと大きさがヘンですが ^^;
2008年08月22日
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私は、介護の勉強もしていないし、経験もほぼない。だけど、みっちり介護されてた経験がある。まだ古き良き時代に、2年間も入院していたことがある。う~ん、もう15年も前になるか。そのうち最初の1ヶ月はベッド上に起き上がることさえ許されない、重病人だった。食事も着替えも清拭もトイレもすべてベッド上。肺に水がたまっていたのでベッドは常に10度ぐらい上がっていたが、腹水もたまっていたのでそれ以上は辛くて上げられなかった。でも、やろうと思えばほとんどなんでもベッドの上でできるということに驚き、それをさささっとやってのける看護師さん達にえらく感動したものだった。私をベッドに寝かせたまま、シーツ替えだってできちゃうのだから。その頃のことを思い出しながら夫の介護をする。やっぱり何でも経験というのはいつか役に立つもんだ。なーんて思いながら。一方、たびチチ。痛みはもちろんだが、恐怖感が強かったらしい。病院で処方された痛み止めのおかげでとりあえず、少しでも立てて、ちょっとでも歩いたということで自信がついたのか、その日の夕ご飯から座って食べると言いだし、ベッドに、ではあるけれど腰掛けて食事をとれるようになった。寝たままだと、食欲も失せてあまり食べられず、ちょっと心配していたのでこれは良かった。座れるということは体を拭くにしても、着替えさせるにしても労力がぐっと減る。歯磨きだって、楽にできる。「とにかく痛みをコントロールして 安静にしてたら2週間で必ず治る」病院からは追い返されたけど、決して嫌な感じではなかったドクターの言葉を思い出しながら頑張るチチ。2週間もは休めないしね~チチが寝たきりでもにゃんずは楽し。
2008年08月19日
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帰れって言われても…と夫と顔を見合わせてボーゼンとしている間にもドクターはどんどん患者さんを捌いていく。反対隣のストレッチャーでは交通事故で「膝のお皿粉々です」って言われた青年が手術日まで日があるからとりあえず自宅で、なんて言われている。ひゃ~ん オニじゃん!だめだこりゃ、たびチチ入院できるわけないわもう少し小さな個人病院なら入院させてくれたかもしれないけど。だけど、ドクターの見立てはダテじゃない。痛み止めの内服と座薬をして30分。無理やり起こされたチチ、立てた!すかさず骨盤ベルトを締められる。車いすに座らされて、はい終了!だけど・・・どうやって帰る?一番切実なチチ、知恵を絞る。介護タクシーってあるんじゃない?自宅の近所のタクシー会社に電話すると予約がちょうど空いているので、すぐに来てくれるという!ラッキー!でもタクシーの車いすが使えるのはマンションの入り口まで。通用口につけてもらったとしても…歩けるか?でも他に方法も思いつかない。病院の車いすからタクシーの車いすに乗り換える時点で立ち上がることがものすごく困難。やっと立ったチチを運転手さんが支え、私が車いすを入れ替える。「お宅、うちの会社のすぐ前でしょう。 車いす、玄関まで使ってもらっていいですよ。 後で会社まで持ってきてくれたらええですから」うわ~ん なんていい人なんだおかげで無事に我が家に到着。玄関からベッドまでは自力で歩いた。そして、私は介護生活が始まった。じゃじゃじゃん。 ~まだまだ続く~
2008年08月18日
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動けなくなった たびチチ。何が困るってトイレが困る。男の人だから、ちょいと横向いて、ぽいっと出して、ジョ~っとすればいいのだが、これが出ない。あぁそういえば、私も腎生検の後、寝たままどうしてもおしっこが出なくて結局、導尿したんだよなぁ…なんて思い出す。いや、ここは病院じゃないから導尿はできなくってよ。何とか、歯を食いしばって、ベッドから降りて1回。翌朝、普通なら5歩でたどりつけるトイレまで脂汗ダーダーで何分かかっただろうか、1回。もうね、家で生活できないと思う。病院にも行かないといけないし。入院しようぜ!入院!ということで 119番に電話。こんなんで救急車呼んでいいのかなぁと思いながら、こうこうこうで、と状態を話すとすぐに来てくれるとのこと。いいんだ、呼んで。程なくピーポピーポとサイレンが近づく。いいですか、少しだけ我慢してくださいね。救急隊員3人で夫を担架に移す。そしてストレッチャーで救急車へ。う~ん、救急隊員って格好いい!!本日の救急病院は赤十字マークの大きな病院。「足や手にしびれはない?」「腰の感覚はある?」「頭がぼーっとしたりは?」ドクターの矢継ぎ早の質問に「ありません」「あります」「ありません」すぐに「緊急度・ 低」「命に別状なし」と判断されたようでチチのストレッチャーは奥の方へ押しやられ、どんどん後回しに。やっと来たドクターが足を伸ばしたり曲げたり横を向かせたりして診察。「X線も見たところ、まぁ多少軟骨が減っている程度で 間違いなくただのぎっくり腰でしょう」「申し訳ないけれど、うちね、様子見の入院はできないんですよ」「これから先に痛み止め出しますから、それで立ってみて なんとか家に帰りましょう」えぇぇぇ~?救急車で来たんだよ?歩けないのにさ~帰れないよ~マンションの玄関から5階の我が家まで結構あるんだけど…。どうすんのさ!!
2008年08月17日
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叔母の訃報やその後の親戚関係のつまらぬごたごたに右往左往したお盆休み。さぁ残り2日はのんびり楽しくやろうぜ!なんて言っていた時だった。2にゃんず生活になってから日課となった毎朝の掃除。この日はたびチチが掃除機をかけてくれた。納戸にそれをしまおうとしていたのだ。チチは。後でチチが言うには、その時ナツかたびおが何か楽しそうに遊んでいたらしい。で、ひょいっっと振り向いたんだな。 「うぁっ」 最初はふざけてるのかと思ったが、額の脂汗で、あぁあ、やっちゃったか、と思う。ここ数年無事に過ごしてきたが、チチはぎっくり腰がクセになってるのだ。このところの疲労がとうとう出てしまったのだろう。だけど、なんだか様子が違う。いつもと違う。これは・・・ただごとじゃないかも・・・。ベッドにたどりついたチチは横になるのにもものすごく時間がかかって、ものすごい汗をかいて痛みと格闘している。そして横になったチチは二度と起き上がれなくなってしまったのだ。
2008年08月16日
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珍しく、瀬戸内地方も土砂降りの中本日、父が退院しました。帯状疱疹が治ってからの父はもしや「老人性ウツ病」だろうか…と思うような気力のなさで心配していたのですが今日はにこやかに病院を後にしました。自分の入院生活を思い出してもそうですがやはり病院というのは気力が萎える場所なのでしょうね…。体力も気力もすっかり衰えてしまった父ですが元気で過ごしてほしいと思います。皆さんにはいつも励ましていただき本当にありがとうございました。
2007年05月25日
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昨日の父は、痛みが引いた後のかゆみと戦っていました。右目からおでこの辺りだけかと思っていたら頭頂部まで右側はほとんど湿疹が広がっていて特に頭がかゆいようで、血とかさぶたと抜けた髪の毛が散らばっていて…見ているのもかわいそうな状態。コロコロを買ってきて、ベッドの上を掃除しましたがなんとも言えない気持ちになりました。親が年をとっていくというのは哀しいことだなぁ。ま、いずれ私も老いていくのだけど。今日は、かゆみも少しおさまったようでご飯もしっかり食べていたので一安心。と思ったら、今度は左目が腫れている!でもこの腫れ方はなんとなく見覚えがある。^^;ドクターの所見も同じだった。「これは浮腫みですね」父は右肩が痛いので左を下に寝ることが多く浮腫んでしまったらしい。尿タンパクは出てないんだろうなぁ…とちょっと頭をよぎる。そういえば、尿検査の紙コップがいつまでも棚の上にあるけれど。(いつもトイレに行くときに忘れていくらしい)今日のたびおくん。ベランダに出たいと抗議の顔。の巻。
2007年05月10日
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GW、特に予定も立てず、ぐうたらな日々を送る予定だったのだけれどなかなかこれがだらだらとは過ごさせてくれない。GW後半、父が具合が悪いというので急患センターへ運び、「嘔吐下痢症の初期段階」との診断を受け、見た感じもまぁ大丈夫そうと思ったので自宅に帰った。昨日。右目が腫れて湿疹らしき物が出ていると電話。救患センターで、とにかくすぐに救急病院へ行って検査と処置をしてもらってくれと言われ病院へ。「帯状疱疹」と診断された。即、入院。目の回りに出ているので処置が遅れると網膜に後遺症が出るそうで、早い処置ができてよかったようだ。この日も、吐き気であまり食べられていない分、多少元気がないかなという程度で「1-10までで言ったらどれぐらい痛い??」と尋ねると、大きな声で「8!」と答えていた父なので、大丈夫だろうと思い母も私も帰宅したのだが…。今日病室へ行ってみると昨日以上に腫れた目!右目はほとんど開いてない。広がった湿疹。おでこの方まで帯状疱疹。念のため眼科に受診するように言われ、付き添おうとすると、もうほとんど歩くのもままならなくなっている。(後でわかったことだが高熱が出ていた…)幸い、眼科での所見は、黒目には炎症がないので大丈夫だろうとのこと。処置は早かったのにどうして湿疹が広がっているのか不安だったので聞いてみると一度、全部出てしまわないと治まらないらしい。でも処置が早ければ、痛みが残ることもないとのこと。処置が遅いとずっと痛みが残るのだろうか…。おそろしい。帯状疱疹は疲れやストレスで免疫が下がると出てくるようだ。3月に倒れて、4月の始めに退院した後父は「要支援2」の介護認定を受けデイサービスに週2回通うようになった。4月中は数ヶ所の施設をお試しで行ったりして10数年、家に籠もりがちだった父には相当なストレスだったのかもしれない。でも、社交ダンスなんかもしてみたりして結構楽しそうだったんだけどな。引きこもっているよりも外で刺激を受け、ぼけ防止にもいいかと思ったんだけどな。何が本人のためにいいのか、本当に、難しい。
2007年05月07日
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この1週間、次から次へといろんなことが起こりました。めまいを起こした日の日記で、「理解を超える人」と表した彼女は非常識なところはあるけれど話せばわかるまだかわいげのある子でした。あんなのは序の口だったと知ることになったのは2月末から先週にかけてもっと年齢も立場も上の方と話さなくてはいけなくなったとき。正論が通じず、結局こちらが謝らなくてはならない。仕事ならまだ我慢もできるけれど、ボランティアのサークルでこんな思いをするとは…。そして、ちょうどそんなときにデパートの医務室から電話があり父がエスカレーターで意識を失い倒れたとの連絡。意識は戻っています、とは言われたものの震えるような気持ちで迎えにいきました。幸い、後頭部にたんこぶを作っていて意外に元気そうでしたが、昨年入院した病院へ連れて行き、検査と経過観察のため入院。その日は興奮も手伝ってか元気そうにしていた父も高熱を出したり戻したりめまいがしたり数日間大変な目に。幸い今のところ脳に異常はないようなので気温差と血圧でふらっと倒れたのかもしれません。大事にいたらなくて本当によかった。相変わらず悪?運の強い父である。そして、今度は…元気が取り柄の夫がインフルエンザA型に。中学生になった頃から数えてもトータル2回しか熱を出したことのない夫。もちろん初インフルエンザ、初の39℃台の熱。病院でタミフルをもらって少し落ち着いています。幻覚は見てないようです。あまりにいろんな事が起こるのでもしかしてワタシってば大殺界!?と調べてみたけれど、天王星人(-)の今年の運気は達成 月運:安定めちゃいいじゃん♪まぁ確かに私自身はそこそこ元気に過ごしているけれど…。う~む。父は…天王星人(+)げっ、一緒かようわっ減退!大殺界のラストの年だぁ…。てことは去年はど真ん中かぁ…なるほどね~。夫は…土星人(-)わわっこの人も減退!あんまり信じてなかったけどもしかして当たってる!?こんないろんなことが起こる中でも愚痴を聞いてくれる友達、支えて協力してくれる友達に囲まれてあぁワタシってば最近イケてないけど幸せ者だなぁと感じる日々なのでした。
2007年03月11日
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先日、父から電話がありました。しかも私の携帯に。これ、私の中ではドッキーン!とする出来事なんです。なぜなら結婚して約10年。父から電話がかかってきたのは後にも先にも一度だけ。母が倒れたときだけです。そのときだって、家の電話にかかってきました。父が携帯に電話してくるなんて…なに?いったい何があった??不安でドキドキしながら「もしもし?」「あのなぁ」「何?なんかあった?」「テレビが壊れたんよ」「はぁ?」「テレビがな、プチンと切れてウンともスンとも言わんなったで」「・・・」ぉぃぉぃ。それだけなのかい?テレビが壊れたって報告だけ?10年間で2度目の電話がそれかい?父・75歳・テレビっ子。テレビが壊れて大慌ての巻、でした。
2007年02月18日
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すこぶる健康、元気がとりえのうちのだんなさま。昨日のこと。久しぶりの3連休で釣りに朝早くから釣りに出かけていたのだけど昼前に「今から帰るよ・・・」と重い声。どうしたどうした?釣れなかったにしては声が暗い。「腰が・・・おかしい・・・」車で帰ってきた夫は・・・あきらかに要介護者になっていた。荷物なんてもちろん持てないし、歩くのが精一杯。アタタタタ(>_
2006年11月05日
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今日、お昼過ぎに父が無事退院しました!入院中は皆さんにあたたかい励ましの言葉をたくさんいただき本当に支えられました。ありがとうございました。最初の頃は、歩けるようになるのだろうかとか一人でお風呂に入れるようになるのだろうかと不安要因がたくさんありましたが入院後半の父は、リハビリの先生と相性がよく行くたびに元気になっていました。ホソホソだった足にも筋肉が付き、腹筋や腰の筋肉も付いてきたようであぐらをかくと後ろに倒れそうになっていたのも全くふらつかなくなりました。リハビリといっても、毎日たった15分のメニュー。足首を回したり、つま先に付加をかけて力を入れたり仰向けに寝転んで腰を上げ下げしたり、片足ずつ垂直に上げたり長椅子に手をつきながらスクワットしたり・・・。それだけで、およそ1ヶ月で肉体改造・・・までいかなくとも信じられないほど回復するんです!75歳で!人間の筋肉って幾つになっても鍛えられるとは聞いていましたが、恐るべし、ですね。でもそれも父に何の病気も麻痺もなかったからこそ。言い換えれば元々歩けなくなるほど筋肉が弱るまで体力維持の努力をしなかったということ。今回のことで父には多いに反省して欲しい。退院後、散髪に行き、ウォーキングシューズを買いました。これから自分で努力できるかどうかが大問題。「次は入院もさせてもらえないし、私も何にもできないからね!」と念を押しておいたけれど・・・・。そして私の大問題は、禁煙できるかどうか、なのでした。
2006年07月08日
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最近ブログの更新もせずに何をしているかというと父の看病・・・ではなく、実家の片付けなのだ。両親は昔ながらの畳に座る生活を通してきた。ごちゃごちゃした茶の間に、こたつにみかん。今のリハビリ状態を見ると畳に座って立ち上がるのはなんとかできるようになりそうだけど座ったが最後、すぐごろんと横になって動くのが億劫になるのは必至。これを機に椅子とテーブルの生活に変えようと十数年も模様替えしていなかった部屋を大改造。脱衣場もごちゃごちゃ置いてあるものを片付けて椅子が置けるように。と、書くと簡単そうなのだけど我が母上は「片付けられない捨てられない」代表選手。何十年もために溜めた使途不明物がどこもかしもこ山積み・・・。茶の間にソファーを置く場所を空けるだけでたいへんな作業だった・・・ようやくゴールが見えてきたが、まだ先は長い。。。要らないものは捨てよう。1年に1回は取捨選択していこう。と心に誓う日々である。
2006年06月22日
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これまでの父の話はこちらリハビリが始まって10日。ようやく父の気持ちに変化が起きたようだ。ここまでくるのに一進一退。やっと自力で起きあがり歩けるようになってきた時に夜中にトイレで転倒、誰にも気付かれず小1時間倒れていたらしい。ショックとまた転んだら・・・という怖さでリハビリ以外で歩くことをやめてしまった。 (これは可哀相で涙が出た)が、心を鬼にしてそんなことじゃ帰れなくなるよ、と言うと「もう帰らんのじゃ!!」と怒鳴る始末。おいおい・・・。数日後、頑張りはじめたと思ったら、ふくらはぎが痛い・・・。そりゃぁ痛いさぁ。何年も縮こまってた筋肉を伸ばしてるんだからぁ。でも少しずつ入院している患者さんとも話をするようになって意識が変わってきたようだ。一緒にリハビリを受けていたおじいさんは一見80歳ぐらいにしか見えないのだが、話をしたらなんと93歳!息子ぐらいの歳の父は頑張るしかないよね。そして病院なので当然「どこがお悪いの?」と聞かれる。どこも悪くない・・・(^_^;) 返答に困る父。自分が健康であることのありがたさに気付いたかな?昨日は私に向かって 「何でも食べるようにせないかん」ほぇ~偏食児童の父に言われるとは思ってなかった・・・今日は患者さんと話している最中に 「やっぱり歩かんといかんですな」はぁ~やっとわかってきましたか~そして自分から病棟内を歩き、看護師さんに褒められるとニコニコし、(本当に外面がいい)手すりを持って、脚の上げ下げの運動もしっかりやったりして。母や私は身体も精神的にも疲れ果てたけどこの入院は父にとってはとても意義のあるものになるかもしれない。
2006年06月11日
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これまでの父の話はこちら1週間、CTやMRI、エコー、レントゲン、血液検査などいろいろな検査を終えて、風邪がようやく治った母も一緒にドクターから説明を受けた。・年齢相応に小さい脳梗塞の後はあるけれども問題はない。・首の血管にも異常はない。・話をしてみても認知症の兆候は見当たらない。 (もしあるとすれば、老人性うつ病の可能性のほうがあり得る)よかったぁ・・・と思う反面・脱水傾向にある。・心臓が小さいこの2つが重なると入浴時、かなりの負担がかかり、血圧が急激に低下、それでふらふらしたのではないかとのこと。 心臓が小さくなってるってどういうことなのだろうか? 聞きそびれてしまった。でも日毎に元気になっていく。ベッドから起き上がるのも随分楽にできるようになった。今日からリハビリが始まった。若い女性の療法士さんでご機嫌な父。「やさしかった?」「うん、やさしかった♪」よしよし。その調子で頑張ってね。
2006年06月02日
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これまでの父の話はこちら水曜日、病院に行くと父の名前が病室にない。容態が安定してきたので、静かな病室に変えてもらっていた。よかったね。が、日頃の運動不足で衰えた足腰は丸3日間の寝たきり状態で全く仕事を忘れてしまったようで歩くのはおろか、ベッド上で起き上がるのにも介助がいる状態。MRI検査から帰ってきたときには車椅子からベッドに座った状態に移してもらったのだけど看護師さんが行ってしまった後、そこからどうしても自力で横になれなかったらしく「(体が)思うようにならんのはしんどいなぁ」と。だからあれほどウォーキングとか寝たきり予防体操とか言ったじゃん・・・と思うことはたっくさんあったけれど「そうだねぇ」としか言えなかった。ここでガツンと言っておくべきだったかなぁ・・・笑車椅子で病棟内を散歩。少しずつ回復に向かっているからだいじおぶ(*^_^*)
2006年06月01日
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これまでの父の話はこちらドクターの診断も「急性胃炎」血液検査の結果も脳CTの結果も特に以上はないという。よかった。でもとても帰れる状態ではないし、よく転倒するのも気になるので少し入院して検査もしてみてはどうかという話になった。それは願ったりかなったり。m(__)m絶飲食でずっと点滴につながれて眠る父。翌日、日曜もずっと眠っていた。明けて月曜。お、目を開けてる。 「大丈夫?調子どう?」 「叫ぶやつがおってうるさくて眠れん!!」か、開口一番にそれですか・・・。(ーー;)いや、叫ぶ人がいるのは知ってたけど、お父さん、あなた爆睡してましたよ、ずーっと。(^_^;)看護婦さんと相談するとこの病室はナースステーションから一番近く、要観察の人が入るところらしい。少し元気になったら病室を替えてもらえるとのこと。父もまぁ納得。翌火曜。昼頃病院に着くと、ベッドを起こしてもらってご飯を食べている。 「あ、絶食終わったんだ?」 「うん、朝もおかゆが出た」よしよし。食べ始めたら力も出てくるね。 「お風呂に入った(嬉)」 「え?本当?自分で入ったの?」 「寝たまま入れてもらった。あれは簡単や。」 「へ、へぇ~よかったね~」父は無類の風呂好きなのでとても気持ちよかったらしいがそ、それでいいのか?父!と、とっても不安な私。
2006年05月30日
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土曜の夜、携帯に母から電話。父が居間で倒れていて(ていうか転んでいて?)汗びっしょり、熱が38度超、気持ちが悪いと言って動けないという。手を「むすんでひらいて」しているらしい。救急車呼ぼうということになり急ぎ、実家へ。たまたま実家寄りのスーパーへ遠征してきていたときだったので救急車と前後して到着した。救急隊の方々の手際のよさに感心しながら私が同乗。夫が車で後をついて来ることに。母はひどい風邪をひいて寝込んでいたので家で待機。救急車って初めてだぁ・・・とちょっと観察。へぇ・・・結構広いかも。父のことは心配だったのだけれど手をグーパーするのはたぶん脱水症状だなぁ、と思ったので・・。(^_^;) (患者歴13年の私って・・・)でも思ったより揺れて、横になっている父にはそれがダイレクトに伝わったらしい。最初の揺れで頭を必死に起こし、振り返った顔が忘れられない。「地震かと思った(後日談)」 んだそうだ。その日の救急指定病院に搬送され処置室へ。次から次へと運ばれてくる患者。年寄り、年寄り、年寄り、事故、年寄り・・・って感じ。 (高齢化社会・ニッポン)処置室から検査室へ検査室から再び処置室へ処置室から待機?ベッドへここまで約2時間。夫が一緒にいてくれて本当に心強かった。感謝。点滴に繋がれた父はベッドに移っても苦しそうに吐いている。ん?その吐き方と、その色は・・・覚えがある。うんうん、しんどいんだよ、その吐き方は。結構最近じゃなかったっけ?そうだ、戻しながら運転したアレだ!ウィルス性胃炎だ!
2006年05月28日
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脳外科で脳に問題ないと言われ一安心。血圧は朝晩測ってメモしておいて、来週内科へ行くことに。「明日、ケアマネージャーさんが来るからね。 私も間に合うように来るから」と自宅に戻った。やれやれ。翌日。約束の10分前に家に着くと、えらくご機嫌ななめ・・・。昨日の疲れが出て相当しんどいらしい。更に、母がお客さん準備をしていると「誰か来るんか?」昨日言ったことを一から説明し直すと思い出したのだが、忘れていたことがやはりショックだったようでむっつり・・・。ケアマネージャーさんが来ると一応ちゃんと挨拶もできたので安心したけど・・・(子どもかっつうの)介護保険の内容を説明してもらって申請書には父が署名をした。もし、申請が通ればデイケア施設でリハビリが受けられるそうだ。それまで1ヶ月。この期間が問題。この状態で1ヶ月経つと歩けなくなるかもしれない。ネットで探した「転倒予防の運動プログラム」を持って行ったがやろうとしていない。こんなに簡単な運動なのに・・・・。自分が空回りしているようで悲しくなる・・・。どうして、先が見えないのだろう・・・。私はどちらかというと父親っ子だったので本当に悲しい。孫の顔でも見せることができたならもう少し生きがいなんかも感じられたのかもしれない、と思っても仕方ないことも考えてしまう。考えても仕方ないか・・・ってすぐに思い直すけれど。父のことをブログに書くのはかなり葛藤があったのですが皆さんから励ましやパワーをいただいて、そして似たような悩みを抱えている人がたくさんいることを教えてくださって、本当に書いてよかったと思っています。また折に触れ経過を書いていこうと思っています。楽しい内容ではないのに、読んでくださった方コメントくださった方、本当にありがとうございました。tabirinは本当に感謝しています。・°°・(*/_\*)・°°・
2006年05月21日
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病院嫌いの父もさすがに不安だったようで脳外科には素直に受診した。気が張っているのか、歩みは遅いがふらふらはしていない。診察室でドクターにいろいろ聞かれることにはきちんと答えている。とりあえず頭部CTを撮ることに。以前一度だけCTを撮ったことも覚えていた。そして結果。脳は歳相応の萎縮はあるものの出血も梗塞もなし。アルツハイマーの兆候もなし。\(^o^)/あぁ、本当によかった。ここ数日、もし・・・・と不吉なことを考えてしまって胃が痛くなっていたから。でも。血圧がとても高かった。(>_
2006年05月20日
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頻繁に転ぶようになった父はのことで母からもっとショックなことを聞かされた。これまでのお話はこちら家から車で5分程度のスーパーへ行くのに道を間違えた、というのだ。帰りも。なんとか目的地には着けるのだけれど、道がわからなくなる。これって、これって、ただの物忘れ!?まず保健所の相談室に電話。父の状況を話し、リハビリをしてくれるような所がないか聞いてみる。リハビリ施設のある整形外科なら個人の状態に合わせてプログラムを組んでくれるだろうとのこと。4月から介護保険が改正されたので、申請すれば補助も受けられるかもしれないという。 この改正については、批判も多々あるけれど 介護になる前になんとかしようというのだけは正解だと思う。次に、家から比較的近い、小規模の総合病院に電話をかけた。事情を話すと、「介護相談室」というところに繋いでくれてケアマネージャーさんが電話口に出られた。同じような説明をされ、一度家に来てくださるとのこと。一歩前進。一息ついたところで、友人に話をした。自分の親のことなので、ちょっと恥ずかしかったりもしたが話してみると、意外にもみんな親のことでそれぞれ似たような悩みを抱えている。そういう歳なんだなぁ・・・。アルツハイマーでお父さんを亡くした友人が貴重なアドバイスをくれた。足がふらふらしたり平衡感覚がなくなるのは「小脳こうそく」の場合もある。とにかく一度脳外科に行って、CTを撮ってみたら?そうだ、認知症かどうかもわかるはず。実家に電話すると病院大っ嫌いの父が、二つ返事で「行く」と言った。その3へ続く
2006年05月18日
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ここ数日、父のことで頭がいっぱいでした。私の父は特にどこかが悪いということもなく、常用している薬もなく若い頃は剣道やら野球やらをしていたのでしっかり筋肉もあった健康体。それが生来の出不精も災いし定年後ほとんど家でTVの番をしているような生活をし、母や私がどれだけ言っても運動をしませんでした。当然、どんどん筋肉がなくなりやせ細り歩くのが遅くなり、少し歩いただけでもしんどい、と言うようになり1年ほど前にはとうとう家の中で転ぶようになってしまったんです。それでも運動はおろかウォーキングをするわけでもなく母が体を動かすために家事を頼んでも楽なほうへ楽なほうへと考えている姿は情けないものでした。あげく「もうどこもかも弱ってしまった」なーんて私に言うんですから、びっくりです。私のほうが体なんて終わってるし・・・病気と闘っている人たちをたくさん知っている私としては父の姿はたまらなく情けなく、許しがたいものでした。が、先日家族で食事に行ったときに歩き方の危なっかしさと、母が支えたのを振り払いもせずにいる姿を見て、呆然としました。そして、ここ1週間で3度も転んでいると知ったんです。もう、ウォーキングをしろとかそういうレベルではありませんでした。そして、もっとショックなことを母から聞きます。その2に続く・・・
2006年05月17日
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