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台風一過、爽やかな朝でしたね^^風邪は少し強かったけどね。いつものように、「のんびり」したひと時を過ごしていました。ところが、何気なく携帯のサブ画面を見ると、「プチスケジュール」のマークがでています。うん??今日はなんかあったかなあ?と画面を開いてみると「公民館」と表示されました。し・しまった!今日は「公民館利用団体会議」だったのです(--)開始は10時。気がついたのが9:30。まだ、パジャマのままだわ(><)ヒエー!(@@)慌てて着替えて慌てて化粧して、駆け込みました(セーフ)私が一番最後かと思ったら、始まってから来た人一人。おぉ~~!!平気な顔してお座りになられましたm(_ _)/私より上手がいたか!なんて、妙に感心してしまいました。今日ほど、「携帯の有り難味」を痛感したよ!夜は、サークルでした。太鼓を叩く前に、ストレッチとかするんだけど、結構きついのです(--)家に居るときはダラダラしている性か、日に日に身体が硬くなってるわ(><)足なんか全然開かなくなってるし・・・。嗚呼、もっと運動しなくてわねえ。だ、ストレッチがきつくなってくると、連絡なしに参加して無い人に「連絡するわ!」と、「携帯」もって、廊下に出て、サボってました(><)これも携帯に助けられたよ!最近は余り出かけることが無いので、「携帯もいらんかな?」って思ってたけど、スケジュール管理機能が役に立って、「こりゃ離せないわ」と、思いました。やれやれ~~~。
2004/09/30
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台風が来ると言う??ので、おっさんは仕事を休んだ(台風まだ来てない)「有給」のの連絡は電話で下らしいが届けの用紙をFAXで送らなくてはならないから、私に送ってくれと言う(自分で科よ!)と思いつつ送ってやりました。しかし間もなくして電話があり、何事かと思ったら、番号が一文字違っていて、全く違うところに届いたらしい(><)そこでおっさん「番号が間違ってるやんけ!この番号やど!」何を勘違いしてるの?だから自分ですれば良いのに(--)結局又私がし直しました。おっさんはそれからず~~と、「台風情報」をTVで見ています。午後から私は、新しいクライアントのお宅へ、「事前面接」に行きました。第3子のお子が「障害児」だった為現在は入院中なのですが10月末には退院が出来るので、第2子のお子の幼稚園のお迎えの依頼でした。話が済んで、買い物して帰ってきました。「今日は友 遅番やろ?(知らんがな!自分で聞けば!) ミッキー、迎えに行かんでも良いのか?」嗚呼!!勝手にしてよ!娘の勤務(デパート)は遅番と早番があって、早番のときは我が家に車を停めて自転車で行きます。今日は、遅番らしく、車はとめてありません。なぜ、連絡が来ないのかしら?と思っていましたが、おっさんがイライラするので、メールを打ちました。すると「お願いします」との返信。「迎えに行って欲しいらしいよ!」と告げると嬉しそうにすぐ迎えに行きました(ジジ馬鹿)「ただいま!」元気な声で孫ちゃん帰ってきました^^「おかえり!久しぶりやなァ^^ママはずっと休みだった?」「うん!月曜日まで」「パパにプレゼント何買ってもらったの?」「プリキュラ・・×△○」「なんや?それ!」「う~~ん、プリキュらのパソコンみたいの!」「パソコン??」「おもちゃやで!」「ふ~ん、チャァちゃんのはわからんわ(--)」「ママにはプリキュラのカード・・・ゲームみたいなもん や!カードの中で育てたり可愛がったりするのや!」「誕生パーテーは月曜日にパパと3人で一応ケーキにろうそくつけてしたの!^^」超ご機嫌な孫ちゃんでした^^ママは帰るなり「ミッキー、帰るよ!」と言うので「ご飯食べたら!」と進めると、今日はいやに素直に「ちょっとだけ食べていこうかな!」なんて言いながら短大時代の「○安○学院」から、OB向けの機関紙を開きながら「あっ!○○先生や!懐かしいなあ!」「誰々?」と孫ちゃんが覗き込むと「この先生!ママ好きやったの」ママも今日は機嫌が良いようです。「ミッキーもママと同じ学校に入れるように頑張ってお勉強 しなさいよ!」「無理無理ミッキーには無理やわ!」とママが言うので「そんなことないよ!ミッキーはママの子やから、頑張ったら行けるからね!ママも一杯お勉強して入ったんだから」と、大きくゴマ摺り台詞でママの偉大さ?を強調しておきました(ハー!お世辞も疲れるね)この機嫌のよさの後には「心の嵐」が・・・・。外は、段々風が強くなり始めてました。丁度その頃、台風が滋賀県を通過していたらしいです。おぉ~~怖いよ!(台風も娘も)
2004/09/29
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田舎から帰ってきてからはず~~~と、「今年の記念日は迎えたくない(--)」って思っていたんです。何故って、あの、舅の息子か(おっさん)と思うと嫌になって・・・・m(-。-)m>>>正直いつ市役所に「離婚届」の用紙を取りに行こうかと思ったり、(市役所には一杯同級生がいるので直ぐにバレバレになる)離婚しても今仕事をしていない私はどうして生活していこうかしら???なんて考えていたある日、黙って、テーブルの上にある温泉地のパンフレットが置いてあった。何を意味しているか直ぐにわかったが無視していた。すると、3日ほど前、ボソッと「温泉にでも行こうか!」と言う。実は数年前までは、毎年とまで行かなくても2・3年に一回くらい「記念日旅行」をしていたのです。「田舎事件」の後、義妹から失敬なメールが来ていた。私は「何であんたにそこまで言われないかんの!あんたは私たち夫婦のことまで、さらに、親子関係のことまでに立ち入る権利があるのか?私が舅を批判した事は事実のもとづいてのうえで、事件の原因が私たち夫婦や親子関係にあるが如く言うのはおかしいやろ。あんたは、おっさんと何年暮らした?10年ほどやろ!私は33年も一緒に居るのよ!娘の事だって、人にとやかく言われる筋合いじゃないのよ(怒)」との思いがあったが、私はグッと胸に閉まってきた。そうなんだ!自分にもっと自信を持ちましょう!と思い返したとき、おっさんとの温泉旅行をしようと思いました。おっさんの置いていたパンフレットはおっさんが春に職場の人たちと行ったところだった。旅館のHPアドレスが合ったのでアクセスしてみたが「ページが表示されません」って出る。もう、潰れたの?楽天の「旅の窓」ページにアクセスして、旅館名を入れて検索したら出てきました。しかし、これは、「トラベル会社」が取りまとめて出しているものだった。パンフレットにあった「予約専用電話番号」に電話をして、ウイークデーの秋を確かめました。土日は孫ちゃんが来る率が高いのでおっさんが「有給休暇」で行くといっていたので。本当の記念日よりちょっと遅めになるけど、行くことにしました^^そして気がついたこと一つ。今年のカレンダーは33年前とぴったり同じなんです。何故わかったかと言うと、33年前の、第一日曜日が結婚式だったから。楽しい旅行になりますように・・・。
2004/09/28
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何時の日からか、わから無いが貯金箱に小銭をいれてました。あまり、身近にあると、ちょっとだけ、とつい出してしまうので財布とは離れた場所においていた。先日結構一杯になってきたので、「いくら溜まってるかな?一度あけてみよう!」と思っていました。で、今日開けました。ほとんどが10円玉。次に1円。100円も結構入っていたなあ^^500円も有ったよ!暇人名私はまず金種別に分けて、100円玉から数えて並べて、計算しました。おぉ!結構あるじゃない^^誰かさんがATMでも入金できるって日記に書いてあったけど、硬貨は100枚単位でしか入らないって(--)とりあえず、それぞれ、50枚ずつ紙にくるくるとまいて、金種と枚数を書いておきました。銀行で100円一本=5000円というように。これ持って窓口に行くのも恥ずかしいなあ。と思っていると雨が降り出して出鼻を挫かれ状態に陥って、嗚呼あ今日は結局外には出かけませんでした。色々の金種の中に500円玉より少し大きいのが一つあって「これ、偽者?」と思いつつよーく見ると、確かに100円なのです。昔の100円ってこんなに大きかったのかな?更に目を皿のようにしてみると、何かの記念硬貨のようです。BANPAKUと言う刻印が見えました。多分、「大阪万博」の時のもののようです。「大阪万博」っていつだったかなあ?もう30年以上前のものだよね。マニアの方にはプレミア物かも。プレミアと言えば先日姉のとこに行った時「珍しいものを見せてあげる」と言って取り出したのが100円札。500円札のあったわ!100円札って見たこと無い人もいるでしょうね。姉はこんなのあるとややこしいから、nohohonにあげるわ!と言ってくれました。金券ショップでは額面道理しか買ってくれないしね。まあ、今は「お守り」代わりに持ってます。いつか役に立つかもしれないしね。たたないかも(爆)
2004/09/27
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孫ちゃんが誕生しました。私たち夫婦にとっての初孫です。しかし娘はその時既に心の病に冒されていました。妊婦健診と精神科通いが同時進行していたのです。そんな中での出産だったので事前に産科のDrや助産婦さんへのフォローのお願いなど、病院側の大きな協力の中での出産でした。陣痛が起こるたび人間の声とは思えないほどの声を出し、はらはらさせました。陣痛が始まって間もなく破水した為なかなか、生まれません。分娩台に行ってからも、体操長い時間苦しみました。いよいよの時は、助産婦さんが馬乗りになり子どもが下に下りるように助けてくれました。私は娘の姿を一部始終見てきたわけですが、23年前に自分が娘を産んだときのことと重なり正直何もできない自分が如何に不甲斐ないものかを痛感しました。まるで自分の姿を見ているようで胸が痛みました。やっと産声を上げた子どもは可愛く丸々と太っていました。女の子でした。実に子の瞬間までが自分のときと同じではありませんか。まだ、汚露の着いたままの赤ちゃんを「抱かせて!」と求める娘に、看護士さんたちはソート抱かせてくれました。ありがとう!おかあさん!私を生んでくれて!赤ちゃんを抱きながら娘はつぶやきました。私も、お母さんになったのね。赤ちゃん生まれてきてくれてありがとう!私は胸が一杯です。娘の出産に立ち会えたことの幸せをかみ締めていました。この日まで色々ありました。私はこのとき、まだ勤めていたのですが、「鬱」と診断された娘は妊娠初期から帰っていました。娘の部屋は2Fでしたが、いつも目の届くところに、また、大きな御腹で、階段の上り下りは大変だろうと言う配慮の上下の和室に休ませていたのです。神経性円形脱毛がひどかったので、毎日患部に薬を塗り頭皮マッサージをしました。若い頃忙しさのあまり娘の紙はいつもショートにしていて、毎朝、髪をといてやる事もせず、自分でさせてきました。娘の頭をマッサージしながら、こんな事ぐらいもっと早くにしっかりしておくべきだったと後悔もしました。妊娠初期は「鬱」の薬も安定剤や眠剤も飲めないので、症状は重くなるばかりと心配ばかりしていました。実際「死にたい!死ねば子の子も生まれてこなくて良いから、私には親になる資格など無い」などとよく言いました。ある日、キッチンにやってきて包丁を持ち出し「お母さん殺して!」と言いながら私に包丁を突き出したりしました。それからは、毎晩私が寝る前にはキッチンの刃物類を隠してから寝ました。毎晩場所を変えて、泣きながら・・・。数日後、どこで何時買ったのか枕元にかみそりがあって、「おかあさん」と呼ぶので行ってみるとリスカの後が2・3本着いています。「・・・死にたいの!・・・」右手にはかみそりを持ったまま言うのです。「死ぬ気で子の子を産みなさい!」と言って、かみそりを取り上げた事もありました。妊娠8ヶ月くらいになりとDrが薬を飲んでも良いと出してくれたのですが娘は、子どもが可哀想となかなかのもうとしませんでしたが、「寝れない時だけでも飲んだら」と薬を飲む事を進めては見ますが、強制的には飲ませられません。娘にとっても私にとっても苦しい時でした。そんな苦しみを共有しての出産でした。あれから8年もたったのですね。孫ちゃんの存在が私たちにとっては本当に癒しです。わずらわしい事も多いけど、孫ちゃんがいてくれたから娘もわたしもここまでこれたのだと思います。楽天でHPを開いてからは、沢山の娘も出来ました。実の娘が理解できない時娘と同年代の「楽天娘」たちの励ましの声が私を救ってくれました。「楽天娘」たち!感謝です!ありがとう!今後とも宜しくい願いします!
2004/09/26
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朝1で、娘にメールを打った。ミッキーの運動会見に行ってもいいか?デジカメのバッテリー充電しておいたし持って行くわ!返信が無い(><)でも遠慮はいらないわ私の孫でもあるんだし、ミッキーとは「見に行く」って、約束してたしと思い時間を見計って行きました。丁度グランドについたころ携帯が鳴り「どこにいるの!?」「今着いたんやけど・・・あんたはどこにいるの?」「カメラ持ってきた!??」「持ってきたよ!」「はよう来てえさ・・・サッカーゴールの辺りに居るから」はいはい、当てにしてタンやったら・・・(--)サッカーゴールってどんなんやたかいなあ??きょろきょろ、うろうろ、探しながら歩いていき、娘の姿を発見。私のバッグからカメラを取り出すと無言ですたすたいずこにや、消えていきます。なんか、機嫌悪いみたい(><)せっかく充電までしてきたのに・・・。その後は、1人で孫ちゃんの姿を求めてウロウロ。すでに、出番を待っている様子。探しているうちに、スタートラインのところへ移動が始まった。その後を追いながら、整列したころ見渡しながらさがしました。「ちゃあちゃん!」孫ちゃんの声、直ぐ前に居ました(^^)みんな、同じ体操服を着ているので探すのが大変です(--)今年は、タイム順に走ると言ってました。孫ちゃん余りかけっこが早く無いので、18組中15組目で走りました。3位でゴール。早かったね^^ママは、ゴールで待ち受けていたようです。午前の出場種目は二つでした。一旦お昼を食べに家に帰りました。ママを誘ってランチでもと思っていましたが、買えるときには姿が見えなかったので期限も余りよろしくないようなので探しもしませんでした。午後の開始時間には、ミッキーの応援席へ一直線に行くと、既にママの姿がありました。午後は団体種目が多くって、一旦グランドの真ん中に入るとマタマタ探すのが大変。「応援合戦」と「ダンス」はとうとうどこにいるのかわからないまま終わってしまった。フープの中に二人一組になりポールを3本くるくると回りながら走って、フープをバトン代わりにリレーをする競技だけは何とかカメラに収める事が出来ました。いよいよクライマックスはやはり、5・6年生による「組み体操」でした。この組体操は、オリンピックの種目を、クラスごとに、自由ひょげんする序章から始まり、最後に全員で中心部を構成し、回りはピラミッドの斜め部分を作ってました。子どもの、力に応じた部分を構成しているようで、見ていても安心できるものでした。中心部の3組はみごとな、3段立ち姿勢ピラミッドでした。今日はとても暑く、残りは閉会式と後片付けだったので、替える事にしました。かえる際、「暑すぎだね!お茶でもして行くか?」と娘を誘いました。断られるかな?と思っていたのですが、意外に素直に「そうやなあ!」と言うので、近くのファミレスでお茶しました。なるべく、娘の心に刺さらないわだいでさりげなく話していると、娘のほうから「今日はミッキーの誕生日やわ!」「そうやったなあ、皆でご飯でも食べに行くか?」「パパが来るからええわ!また、高いもの買ってもらうらしいよ!パパなら何でも買ってもらえるって思ってるのも困り者やなあ?」「まあ、ええがな、毎日じゃないのだし、パパもその事で、親してると思ってるんやろから」久しぶりに、和んだ顔をしている娘にほっとしました^^朝の、不機嫌はなんだったの?まあ、ええけど・・(--)家に帰って、おっさんに伝えると、ちょっと寂しそう!ミッキーにとっては、パパと過ごす誕生日は嬉しいはずだから私はいいけど。それにしても暑かったし、ほぼ、1日たっていたので腰が痛いよ!普段グーたらしているからね。
2004/09/25
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今にも雨が降りそうな中ポスティングに出た。出かける前は『これが済んだらハローワークにいこう!』と思っていたのに、済んだころには何だか意欲が萎えていて「午後からでもいいっか!」って思い、買い物をしにスーパーに入った。ウイークデイの午前中はスーパーも空いています。余り空いていると何をかっているかと店員さんが見ているようで何となく落ち着かない。2Fの洋服売り場にとりあえず行ったわ。2Fには洋服のほかに、靴やバッグも置いてあります。1ヶ月ほど前から孫ちゃんがカッコいいウエストポーチを持っていたので、私も欲しかったの!(私ってミーハーかしら)原チャにしか乗れない私は、いつも、「叔母さんリュック」なんだけど、ウエストポーチを付けて走っている若者に憧れてたの。で、買っちゃいました。(無駄な出費だったかな?)で、何気なく、秋物の洋服を見ていたんです。黒のフォーマルスーツがもう一着あってもいいかなあ?と思ったとたん目に飛び込んできた値札¥7000お安いじゃないですか(^0^)勿論、ノーブランドだけど・・・。その上、3Pものよ^^買ってしまったわ!でも、でも、バッグとスーツで一万円を切るお値段^^なんか嬉しくなってルンルンと家に帰りました^^バッグを開けて、叔母さんリュックから入れ物を移し変えて腰に付けてみました。ふんふん!なかなか良いじゃない^^スーツも試着。ふんふん良いじゃない。スーツはさっさと自室のクローゼットにかたずけました。午後にはもう、ハローワークの事などすっかり忘れて、ワイドショウ見てました。マジシャンのマギー司郎さんが特集されていて、苦労話などされてました。その中の言葉に「逃げ出す知恵もなかったのよねえ!・・・勇気も・・・逃げ出せないのが良かったのかも・・・」彼は、つらいときや、マジックに失敗した時いつも歌ったのが「♪明日がある~~さ」だったそうです。この言葉を私に当てはめた時「同じだわ!」と思いました。お金も無いのに欲しいと思うと何でも買ってしまい、「嗚呼、また、いらないものを買ってしまったわ!」って後悔している私ですが「お金は天下の回り物ーうちには殆ど回ってこないが」どうにかなるでしょう!今日が元気で過ごせれば明日は必ず来るのだから。
2004/09/24
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孫ちゃん朝からやってきました。ママがお仕事だから。午前中は私テンション上がらなくって(--)3人でゴロゴロしているうちにお昼になっちゃいました。休みの日はお昼ご飯の用意をしなくてはなりません。ウイークデーは私一人なのでわざに、作ることもなく残り物で済ますのに・・・。ご飯ばかり沢山合ったので『焼き飯』で済ませましたが、孫ちゃん静かだなあと思ってみると寝てましたzzzz!余り退屈すぎで寝るしかなかったのねm(- -)m何と2時間も寝てました。運動会の練習のお疲れかしら?午後もダラダラ過ごしていて、孫ちゃん本当に退屈そう!私は、鼻炎が激しくなっていたので、午前に薬を飲んだのがいけなかった。眠くて眠くて堪りません(><)またまた、今日も家から一歩も出ることなく、一日が終わってしまいました。夕飯を食べる頃になっておっさんがぼそっと「ママは『今日は早番』や言うてたよ。お風呂にも入れとけって・・・」なんではよう言わんの?それから慌ててご飯を食べながら、お風呂に給湯して、食事が済んだら直ぐにお風呂に入りました。食事中に孫ちゃんの携帯にママからメールが入り、7:30頃には帰ってきます。早番って何時に終わるのかも知りません(--)メールが入ったのが6:30を過ぎていて「7:15のバスに乗る」って書いてあったから、仕事は6時過ぎにおわってるのか?バスの時間までの間に何か食べてきたのか、今日は部屋の中には入らず「みっきー!かえるよ!」と呼んで連れて帰ったわ(溜息)いい訳が「しんどいから・・・」嗚呼また「しんどい」って言い始めたのか。デパートに勤めだして一ヶ月もたってないじゃない(--)化粧品の営業の仕事もしているらしいし、「やめる」と言っていたバイトにも先日行ったし・・・。いくら若いといっても、意地だけで、仕事が続くわけも無いのに・・・。彼女に人生だから私は口出ししませんが・・・。何もしないのになんか凄く疲れた日だったわ。
2004/09/23
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一ヶ月ぶりのCちゃん宅に「訪問保育」に行きました。ママはお出かけしたのですが、Cちゃん、ちょっと、後追いを仕掛けましたが、「大丈夫だよ^^叔母ちゃんと遊ぼうね」と話しかけると、素直にバイバイ!お利口だね^^ママは1時間もしないうちに帰ってきました。すこし休憩をして、ママが、お掃除をするというので、お外に散歩に行きました。ヨチヨチと上手にあんよが出来ますが、手を繋ぐのを嫌がります。車も良く通る住宅街なので「お手手を繋いで歩こうね。♪おてて、つないで♪ランラン・・・」とうたを歌いながら、歩きます。近くから、小学校かな?保育園かな?運動会の練習をしているらしく軽快な音楽が聞こえてきますが、歩いて行くには遠すぎ。住宅街とはいえ少しばかりの田畑があり、あぜ道で名も知らない草花を摘んで帰りました。Cちゃんはまだ、おっぱいをのんでいます。ママは一度は辞めようとしたのですが、おっぱいのほうが張って、どうも耐え切れなくなって受診したところ「乳腺炎」になりかかっていたらしく、助産婦さんも「今、暫く飲ませてあげなさい」と言う話だったこと。おっぱいを飲んでいる性か、食が細くってとママは心配らしいです。「食事は、一つのお皿に盛り付けたほうが良いのかしら?それとも、一品ずつ小分けにして出したほうが良いのかしら?」と言う質問を受けました。私的にはどちらでも構わないと思います。保育園では、自分で食べる意欲を育てる為に。あるいは、色々な食材が摂取できるように、と言うことで、一皿に盛り付ける場合もあります。一人で食べるという事は当然スプーンが充分に使いきれないので介助スプーンを使って食事介助をするわけですが、こぼす事も多いので、摂食量がわかりづらいというデメリットもあります。家庭では、一品ずつ盛り付けて(まず、食べきれる量の半分ずつ位を入れましょう!)食材の名前や味を知らせながら食べさせるのが良いと思います。子どもに食事をさせながらママも一緒に食べるのは大変ですがなるべく一緒のほうが良いと思います。大人だって、1人で食事をしても、余り美味しく無いでしょう!子どもと一緒に食べながら、「美味しいね^^○○ちゃんもこれ食べてごらん。おいしいよ!」などと話しかけながら食べれば子どもも楽しく食事が進みます。最初に入れた分量が全部食べられてから、「おかわり」として、再度、お茶碗やお皿に入れてやると、子どもは、「おかわりをして一杯食べた」と言う満足感が得られ食欲も増します。このとき、好きなものばかりを何回もおかわりしないように注意が必要です。こんな話をしながら、またね!と言って、予約タイムが終わりました。Cちゃんは、可愛い頭をペコリと下げて「ありがとう」を表現します。可愛いね^^バイバイと手を振ってお別れしました。
2004/09/22
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今日はネタが無いので、昨日ぉ墓参りの時の孫ちゃんとの面白い会話を一つ紹介します。墓石に居たかえるは「アマガエル」だったのです。8月の時は、しっかり緑色でしたが、昨日は、乾いた土のような色に変わっていました。さらに、ちょっと大きめのが、下に居てじっと身を潜めるように、また、墓石にとまっているかえるを見守るように居たのです。ひょっとして「夫婦蛙」?一匹は父で、もう一匹が母の化身?「ミッキー!アマガエルが大きくなったら何蛙になるとおもう?」「・・・・アマガエルはアマガエルやろ!・・・アマガエル・・・・絶対そうやわ!」「そうか??・・・アマガエルの子はアマガエルやなあ(笑)」かえるの子はお玉じゃくしだったよね(爆)アマガエルの子もおたまじゃくしだね(笑)アマガエルのおたまじゃくしが大きくなってアマガエルになる??大きくなったアマガエルはずーーーと、あまがえるなんだ。納得したようなして無いような会話をするおかしなばあばあと孫ちゃんでした。
2004/09/21
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敬老の日と言うのに我が家で一番年寄りのおっさんは、出勤でした。ご苦労様!昨日から孫ちゃんと約束していたお墓参りと映画に行きました。お墓は実家のお墓で、私の父母やご先祖さんが眠ってます。お盆前にも行ったが、今日はお彼岸でもあるし、孫ちゃんにも日本の伝統的行事(?)を知ってもらう為。ところが、おっさんがいない上、自転車ではとても移動できないので、バスでの移動となりました。最寄のバス停から乗ることも出来たのですが、実家方面へのバスの便は少ないので、とりあえず、駅まで出て、お花を買って、バスの時刻を確かめて。懐かしいバス便です。結婚してからはバスで実家に帰ることが無かった。バス停から5分ほどの道のりですが、田んぼの中を歩く事が私には懐かしく孫ちゃんには、新鮮であったようです。道端で見つけた彼岸花を見て、孫ちゃん感激! 夕べアニメのまるこちゃんに登場していたのと全く同じだからね。虚構の世界が現実化した気分だったみたい。墓前では、枯れた花を私が処分して新しい花を孫ちゃんが一本ずつ、花筒にさします。水も新しいのをかけて小さな手を合わせます。「このお墓には誰が入ってるの?」「これには、ちゃあちゃんのお父さんとお母さん=ママのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんだよ」「こっちは?」「こっちが、ちゃあちゃんのお祖父ちゃん。こっちが、お祖母ちゃん」お墓にいるおじいちゃん達がいたからミッキーが今生きているんだよ!わかるかな?お祖父ちゃんやお祖母ちゃんからちゃあちゃんが生まれて、ちゃあちゃんとじいじいからママが生まれたのよ、そしてママからミッキーが生まれたの。このお墓にいるどの人が居なくてもちゃあちゃんやママが生まれなかったし、ミッキーも生まれなかったのよ。だから死んだ人でも大事にしないといけないの。こんな話をしながら、お墓を後にしました。帰りのバスは丁度10分ほど待ってきました。途中で降りても良かったのだけど、映画に行く約束もしていたので再び液まで行きました。丁度、お昼を少し回っていて、2回目の上映時刻を過ぎてしまってました。次の上映時刻まで2時間近くあるのでその間に、ランチ(孫ちゃんのご要望で、マックでした)そして待望の『映画=NINNIN』を観ました。終演は16時過ぎでした。買い物をして、「お手伝いする」と言う孫ちゃん。メニューはカレーです。野菜も皮むきはちょっと難しそうですが、切るのは上手くなりました。二人だけの外出。それは7時間にも及ぶものでした。少し前なら、歩いたりバスに乗ってあちこち移動するたびくずくず行っていた孫ちゃんですがもうすぐ、お誕生日も来て8歳になるという自覚の芽生えか、本当にしっかりしてきました^^一つ忘れてました。先月ぉ墓参りした時、墓石にかえるがいたでしょう?今日も居たのです。 私の「守護霊」はかえるかもしれません。
2004/09/20
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TVの「ブヌヌでバナナ」と言う言葉遊びをしているの知ってます?孫ちゃんがお泊りをしていた夏休み、二人でよく見ていたのよ!で、昨日から、二人の間で「マイブーム」かしていて、五十音カードを作ってそれを見ながら何回も何回も問題を出し合って遊びました。問題を作るほうが大変です。作り方を間違えると答えが出ません(--)まあ、大学の入試問題ですら出題ミスがあるのだから、良しとしましょう。(ええかげんな私です)次は、背中に指文字を書いてなんと言う文字を書いたか当てる遊び。これは、私が幼いコロ母が寝る前に良くしてくれた遊びなんですが、孫ちゃんは人一倍くすがったりなので、なかなか問題が解けません。「もう一回もう一回」と要求しますが、余りおふざけが過ぎると、笑いすぎてか呼吸になり喘息を併発するので、控えめにしました。孫ちゃん今日はお泊りだったんです。前もお泊りのときに喘息出たので同じ状況になっても困りますもの!ママは土日も出勤して、今夜バイトに行って、又お疲れが出ないかと心配してますが、孫ちゃんは口には出しませんがやはり寂しいようです。夕飯前後になりとしきりに私の身体にすりすりしながら、寄ってきます。お風呂も「ちゃあちゃんと入りたい!」といいますが、じいじいが、「おいでおいで」と既にお風呂場から呼んでいます。「ちゃあちゃんとは、明日一緒に入ろう!約束するよ」「本間?約束守れるか?」「ちゃあちゃんはこれまでに、ミッキーと約束した事を破った事が有る?必ず守るよ!」結果、今夜はじいじいと入浴しました。就寝前のひと時寝室でTVをつけたら、「人間は何歳まで生きられるか」と言うような番組を観ながら、チャァチャンは何歳まで生きられるなんて話になりました。「敬老の日」の意味もまだ、充分には理解できて無いようですが「チャァチャンは『年寄り』じゃないと思っていてくれるのが嬉しい^^ミッキーにとってはおばあちゃんであることは認識しているのですが『年寄り』じゃないから、大したいたわりの気持ちも無いようです。(なんか悲しいような複雑な気分でした)
2004/09/19
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娘が再び、デパート勤めをはじめ(派遣)土日勤務になりました。今までは、婦人服扱いのメーカーだったのですが、今度は、子供服のメーカーです。先週から、孫ちゃんのダンスのレッスンに付き添っています。駅まではおっさんが送ってくれます。切符の買い方や公共交通機関の利用マナーを教える機会と思い、自分でコインを入れてボタンを押して買います。「子ども」ボタンを押しこともわかってきたようです。少しはやめの電車に乗ります。時間に余裕を持って行動する事の意味を話しながら。ママは、いつもぎりぎりセーフ的行動の為いらない慌てや、忘れ物が多いから、孫ちゃんにはしっかりと見通しを持ったスケジュールで行動できるようになって欲しいから。ダンスの講師が女性に代わっていました。ママさん講師です。同じような年齢のお子が集まるとおふざけもあってなかなか思うようにレッスンが進みません。しかし、さすがにそこは、ママさんだけあって、扱いも上手で、見ている私がイライラ感じても、しっかり言い聞かせながら目標を決めて指導される姿は安心できます。子どもの意見や要求も聞いてくれます。生き生きと踊る孫ちゃんの姿に感激です(ちとオーバーかな)来週は学校の運動会があるのでお休みしなければなりません。孫ちゃんは残念がってます。12月に発表会があるのでそれに向けた振り付けがワンフレーズずつ、加えられているので、1回抜けると解らなくなる事が不安のようですが、しかたないですよね。帰途はバスに乗ります。このときも、バス停の名前も覚え、ボタンをきちんと押して、料金を払って降りるまで、1人でできるようになりました。私の土曜日の楽しみが出来ました^^
2004/09/18
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あちこちの、保育園や小学校では「運動会」の練習が始まって、今頃は終盤の追い込みの時期?現場を離れて2年余り。運動会と言う言葉が懐かしい。私自身は運動神経が鈍いので、幼少のころは今の時期が一番苦痛だった。保育園に勤務するようになると、嫌いと入っていられず、若い頃は、地域ぐるみの運動会ゆえ、「見せる」為の練習を厳しくしていたわ。時代の流れとはいえあのコロの子供たちには可哀想な事をしてしまったかな?と反省もする。今日ニュース、組体操の練習中に下の段が崩れ、生徒が怪我をしたといっていた。昔にもこんな事故が多発して、一時危険を伴う競技「組み体操」や「騎馬戦」を中止するとこが出ていたが(この辺りの学校関係は余りやってないのよ今も)ずーと、続けていたところもあるようですね。現場を離れた当時は、辞めた保育園の運動会に招待されて良く見に行ったものですが、孫ちゃんが生まれてからは、孫ちゃんの通う保育園の運動会。入学後も小学校の運動会に行きますが、小学校の運動会は人数が多すぎて自分のこどもがどこにいるのか探すのに苦労したよね。去年の孫ちゃんの運動会もそうでした。やっと見つけたと思ったら、ゴールの後だったり(><)その点保育園時代は一クラスの人数が少ないので直ぐに見つけられたわ。スポーツといえば、プロ野球の選手会がストを決行するらしいね。野球の事も余りわからない私ですが、息子が少年野球をしている時には小さな試合でも応援に行ったなあ!球場にも2・3回行ったわ。観戦は楽しいが。プロ野球ファンたちは、楽しみにしていた人は観戦が出来ないわけだからストは嫌なのかもしれませんね。でも、野球選手もプロ=労働者だから、スト権は合って良いと思うのは何も知らない私だけかしら?スポーツはするよりも見るほうが好きなnohohonです。
2004/09/17
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思い切って、お義姉さんに電話をした。お互い『嫁』としての思いを解ってもらえるのはこの人しかいないなあ。先日はお義姉さんが、私に始めて舅の愚ちを話されていたので。なんか私一人が喋り捲っていた感じだが、それでもじっと聞いてくれて、少し私の胸も軽くなりました。義妹にも電話をして思いのたけをぶちまいた。義妹はやはり、『舅の娘』舅を養護知る発言を繰り返し、キレた。私は勝手にキレられて、腹の虫が治まらなかったので、メー理で追い討ちをかけた。返信は無い(><)少しは堪えたのだろう!そう思うだけでよかった。御腹の調子が悪いといっていた姉のところに行った。姉には子供も無く、夫に先立たれ寂しい思いをしているが、舅には姉も泣かされてきたので私の気持ちも良くわかってくれます。あちこちに怒りや愚痴を吐き散らしたら、気分はすっきりしたわ。舅や姑義弟や義妹の事はこれで、終止符を打つことにしましょう。***************************週末のポステイングに行って、私の大きなミスが発覚。ポステイング物は「会報」の一種で、新規会員さんのところに7月から入れていたのだが、途中で一回『入ってない』と言うクレー身が来ていて、可笑しいなあ??と思いつつ、アパートの集合ポストに入れるのは辞めて、3Fのドアーポケットに入れるようにしてからは、クレームもなくなっていたので安心していたのに・・・。今日も階段を登ってもって行こうとしていたときそこの、住人らしい人が(はじめてあった)「うちは頼んでないのに何で入れてくれてはるの?」と言われた。瞬間頭の中は真っ白よ(><)事情を話すがどうも人違いのようで、同じ名前のアパートが隣と言うか斜め向かいに裏側を見せた格好で建ってました。「郵便物もよく間違ってはいるのです。301号室は向こうの建物にもありますし・・・こちらは、○×ハイツ2であちらは1とは書いてませんが○×ハイツです。」と、親切に教えてくれましたが(汗^;フキフキ)隣のハイツに行くと確かに301号室がありました。大きな失態だわ!このことも、事務処理をしてくれている仲間に打ち明けて善処の仕方を相談しました。嗚呼、なんか、心ここにあらずで、集中できて無い自分に腹が立ちます。又、凹みそう(--)
2004/09/16
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はあ~~!!昨日と今日と家から一歩も出なかった。別に身体の調子が悪いわけでも無いのに・・・。全く、これじゃ、「ひきこもりおばさん」だわ(><)夕方、おっさんが帰ってきたわ!と思っていると、孫ちゃんが先に入ってきて「ただいま」って。吃驚したわ。おっさんに事情を聞くと、娘から電話があったらしい。ええけど・・。私だけ知らなかったのよ!続いておっさん「おやじ、今日手術したらしいわ」「えっ?今日だったの?何で知ってるの?」「わしが、弟に電話をしてきいたんや!」「そうなの・・・」「もう、身体の老廃物が排泄されない状態で腎臓が大分やられているらしいよ。全身麻酔らしいのでその後はボケる場合が多いらしいわ・・」「よう、生きたじゃないの!ボケだって、手術前から来ていたやない?時々わけのわからんこと言うてたし」二人の話を聞いていた孫ちゃん「だれ?・・・ああ!あのおじいか?」と、冷たい反応。あのおじいは、ママを泣かして追い出したおじいだから、ミッキーはすっかり、嫌いになってしまってるのよ!「それより、昨日叔母ちゃんとこに行ったら、御腹が痛いって言うてはったよ!」ミッキーの言うおばちゃんは私の姉の事です。暫く行って無いので暗に私に来てほしいことを伝えてるのだわ!「明日様子を見に行ってくるわ!あの人は1人やから何かあったら私が見ないといけないから」ここまで言って、自分の心の醜さに嫌になりました(><)舅のことは、どうでもよく、姉が心配だわ。と言ってるようなもんですから。おっさんもつらいのか、その後は殆ど喋りません(--)娘が帰ってきました。私には挨拶もせず、ご飯を食べて帰りました。ママを待ちくたびれて、ウトウトと仕掛けていたミッキーでしたが、頑張ってママと帰ろうとしたとき「ミッキー!明日も頑張って学校へ行きや!」「頑張って行ってるやない!いちいちそんなこと、言わんでもええのよ!」と、またもや冷たくおっさんに言う私。おっさん、しょんぼりとしながら、ミッキーを玄関まで送っていってまだ何かぶつぶつと言ってました。しつこいおっさんです(><)
2004/09/15
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「和太鼓サークル」を立ち上げて1年になりました。当初は15人くらいいたのに、今は新メンバーを入れて11人です。お互い「趣味」仲間として、集まってましたのでプライバシーについては殆ど無関心でいました。今はすっかり打ち解けてきて誰からともなく自ら個人情報をぼちぼちと離し始めてます。各人の個性も出てきて、1年前とは違った良い雰囲気になってきているのが嬉しいです^^メンバーに「自閉症」のお子が加わった事で、メンバーの家族の様子も見えてきました。お孫さんが「ADHDである」と言うことを話された人。ドラマ「光るとともに」による、「障害児」さんへの理解が深まりメンバーの自閉症児マー君への、暖かい接し方にマー君も嫌がらず毎回練習に来ます。練習の途中で投げ出す事もありますが、誰もとがめたりせず見守っています。前回の練習の時1人のメンバーの方が「体調が優れない」と言うことで、欠席されました。その方とより親しいメンバーが「彼女、実は神経系の病気なの。近頃元気だなと思っていたのに、急にしんどくなって、お薬飲んでもしんどいらしく今日はこれなかったのよ!」彼女と初対面の時、「綺麗な人だわ。でもちょっと、神経質なのかしら」と思っていたのですが・・・。先日は其々の年齢が話題になり、「さて、nohohonは幾つかしら?」と、何故か私に集中してしまいました。好き勝手に「一番年上?」と言う人もいましたが、いえいえ、私より10歳も年上の人もいましたわ。一番若い人は20代。30代、40代、50代、60代と年齢幅の広い事にサークルならではのよさがあります。世代を超えたこのサークルを大事にしていきたいなあ。
2004/09/14
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お財布が空っぽ状態(><)。出かけるつもりも無かったが、仕方なく銀行に行きました。多分おっさんの財布も同じだろうから。銀行と言ってもスーパーの入り口に設置されている「ATM」最小限の金額を引き出すと、場所が場所だけに、中に入りたくなります。今日は絶対に買わなくてはならない物も無かったのに(--)大した買い物が無いとき一番に行くのは書籍売り場。ウロウロと何気なく見て回り行き着くところは「教育」関係の本棚です。隣には、「エッセイ」と「福祉」の書籍もあります。「教育」のコーナーは「子どもの育て方」に関する本が多い。著者たちは、こぞって、「○×△な子どもの育て方」と、本を読めば、子育てが必ず上手くいくと言うような題名がついています。それが本当なら並んでいる本を全て読めば「完璧」な子育てが出来るのだろうか??子どもは1人1人違うのに、書いてあるようには行かない事を、自分の子育てで痛感しています。しかし、若いお母さんが見れば、どれも買いたくなりそう。更に不思議に思うのは、殆どの本には「母親のあり方」のノウハウを書いている。父親は子育てをしなくて良いのか??もっと、父親の存在が子育てに重要な立場である事を書いて欲しいと思うのは私だけだろうか。「教育書」=「教育論」をかたる人の多くが男性である。男性は「子育て評論家」で良いのかしら??一般には「教育評論家」たちも、父親なはずだが。アダルトチルドレン=ACを生んでいるのも母親として規定している。この類の本の著者が女性が多い。自分(著者)がアダルトチルドレンになったのは母親の性だ。母親の育て方が悪かったから私は「アダルトチルドレン」そして、女性著者自身も母親であるのだ。男性からも女性からも子育ては母親の責任を突きつけてくる。父親は仕事をしているから、当然の如く子育ては母親の仕事と思い込み、結果を見て、母親に「完璧な」母親を求めている。また、反対に「お母さん頑張らなくて良いんだよ!」なんて、甘い言葉で母親を子どもをあやすかのように「力を抜きなさい」という。かと思うと「強育論」。こんな名前のついた本まであるのよ。母親に子育てや教育を押し付けておいて結果で母親を批判し甘い言葉で油断させ、「これでいいのか?」と思えば「強育論」評論家たちの言いたい放題の本ばかり(--)確かな実践にもとずいたづいた、書籍の少なさに癖へきします。こんな事を思いながら、やはり、一種のわらをもすがる思い出直面している問題解決のために、私も何冊かの本を今までに沢山買ってしまってるの(--)今日買った本は、娘さんが中学3年生の時に発病した難病「脊髄小脳変性症」。娘さん自身も自分の病気のことを書いた「1リットルの涙」お母さんが「いのちのハードル」と言う本を書いています。私は、娘さん自身の本も買いたかったが、親の立場で、「こんな時は母、どんな思い出娘に接されるのか?」と言うことに関心が強く、母親の書いた本を買いました。まだ読んでませんが・・・。そして、もう一冊「人にやさしい住環境を提案する専門家」『福祉住環境コーデイネーターになる本』来月から地元の商工会議所が開く「受験対策講座」の申し込んだので、「福祉住環境コーディネーター」って一体何するの?講義を受ける前に予備知識を入れておきたいと思ったのですが・・・。思いついたら、考えもなしに講座に申し込んだはいいが果たして私に何が出来るのか???結局私は何でも形から入る癖があるので、と言うか「本道楽」厳しい財政事情にも拘らず2冊の本を買ってしまったわけです。精々無駄遣いに鳴らないように「お勉強」しましょう!***************************おっさん、やっぱり、仕事は定時に上がって孫ちゃん迎えに行きました。私は「太鼓サークル」に行かなければならないので、おっさんと孫ちゃんが帰ってきたときには夕飯の用意を済ませ、食事を済ませました。サークルが終わって帰ってみるとママも食事をして帰ってました。私がいなかったので、ミッキーの「ママもご飯食べたら」の声で、食べたようです。明日はママのお仕事はお休みだそうです。おっさん何だか残念そうに言います。「じゅあ、お迎えはいらないということなのね。いいじゃないの!こうして事前に連絡ができるようになったんだわ。なんで、今までそれが出来ひんたのやろね?」
2004/09/13
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昨日の「おや??」きのうは色々有りました。まず、おっさんが出かけて私も友達とランチの約束してたので出かけようとしていると(><)またもや、娘から、孫ちゃんを預かって!のお願いコール。なんで、前日に言えないのかしら??午後からも用事があるのに・・・。戸惑い声で生返事をしていると孫ちゃんが「ミッキーはどうすればいいの??」と悲しげに言うので友達との約束をキャンセルして孫ちゃんを呼びました。孫ちゃん着てから更に「ちゃあちゃん、今日、ダンスに行ける?」えぇ~~??!!ダンスに行くなら、2時半には家を出なくてはなりません。午後の用事は「市民の日」の打ち合わせだから抜けるわけには行きません。この、打ち合わせが13時半から始まるのですから、30分で終わるわけも無く。早めにお昼ご飯を食べさせていると、おっさんが帰ってきたので事情を話しとにかく「打ち合わせ」には、顔を出し、担当者に事情を話し、資料だけ貰って帰ってきました。駅まではおっさんが車で送ってくれたので予定の電車には乗れましたが。なんだかね??娘の「自己中」に振り回されっ放しです。孫ちゃんが可愛いから何とか過ごせたものの(--)孫ちゃんと乗る電車は嬉しいけど。車窓から孫ちゃんの団地が見えることにきづいて、孫ちゃん何故か感激してました^^昼間バタバタしたので孫ちゃんのリクエストで外食しました。外食の嫌いなおっさんも孫ちゃんのご要望とあれば嫌とは言えず、近場の「回転寿司」歩いていける距離なのでおっさんはビールが飲めるのも同行したのかな?私は、準備も片付けもしなくて良いので大助かりでした。**************************今日のおや??私は相変わらずの日曜日を過ごしていましたが、ママは今日も「お仕事」といって、我が家まで来るまで来て、おっさんが、職場まで送っていきました。三十路を過ぎた娘を何時まで送る迎えするのかね?親ばかなおっさんです(笑)お昼前にミッキーと二人でホットケーキやいて食べました。おっさんにもお皿に入れてやってるのに御口に召さないのか穂と口かじっただけでした。可愛い孫が作ったのだから「おいしいねえ」と言って食べられないものでしょうかね?ミッキーと「美味しいね^^」とパクパク食べました。夜7時過ぎママが帰ってきました。最近のママは私と顔を合わすのが嫌で玄関先から「ミッキー!」と呼び出していたのですが、今日は「何か食べるもの有る?」と言いながら部屋まで入ってきました。こうゆう事もあろうと私はいつも多めに料理を作っておきます。出来たものを自分で適当に食べている様子。私は口を出しません。帰っていった後の台所を見ると、てんぷら鍋のふたに乗ったまま食卓に運んで食べてあった。それを見たとき「信じられない・・・」って思いました。今夜は帰り際に「お父さん明日ミッキーもお迎え頼んで良い?」と聞いています。おっさんは、仕事の都合で、定時に帰ってこれるかわから無い。残業だったら電話するわ。バスで行ったらどうや?鼻から、私に行かせようとしてるのです(--)あんたが頼まれたのやからあんたが行けば何の問題もおこらへんのに。まあ、孫ちゃん可愛さにおっさんは必ず定時で帰ってくるでしょうがね。娘の行為にも変化が見られ「おや?」でした。しかし明日に予定が完全に把握しきれない娘は、やはり、集中力に欠けるよね??
2004/09/12
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午前中に病院に行った。待合室から、ぞろぞろとお年寄りが出てきます。この病院は、バスの便が少ない地域のお年寄りを車で送迎しています。8人乗りの車でまとめて送迎しているのです。丁度、1台分の患者さんの診療が終わったようです。待合室に私が入って行くと1人のお年寄りがぽつんと座って車をじっと見つめながら「だーれも、乗ってはらひんなあ!まだなんやろか?」と言ってます。「今沢山乗られましたよ!」と言うと慌てて乗りに行こうとされた時運転手さんが、「もう!一杯になったから○○さん、次のにしてね」「ああ~そうどすか」さらに、1人の老人が診察室から出てきました。この人たちは、毎日のように来ているのか顔見知りのようです。二人の会話Aさん「・・・そうどすか、△×園に行ってはるの!」Bさん「そこはなあ、ボケた人ばっかしなんやわ」とその時別の人が診察室に入っていかれたのです。Aさんは、その人がボケているとでも思ったのかAさん「あの人がなァ!そないには見えへんのに・・可哀想 やなあ」Bさん「ボケてても足はしっかりしてる人が多いから、うろ うろしははるからたいへんや」Aさん「本間にしっかり歩いてはるのになあ・・」Bさん「おんなじことばっかし言わはるのえ!ご飯未だかと か、おしっこに連れてとか」Aさん「ボケたらかなんなあ!ボケんようにしんとあかん わ」Bさん「朝ごはん食べたら直ぐにロビーに集まって昼ごはん まだか?言うて、何回も何回も同じこというてはる のやわ」ボケたらかなんなあ!と言っているAさん、ボケてると思いません?途中で話がかみ合ってないと気付いたBさん、私の顔を見て苦笑いをしながら以後の話は殆ど私に話しかけていました。私は口をはさみのも失礼と思いアイコンタクトでBさんに相槌を打っていましたが。ああ~~!将来は私もこんなになるのかしらね?午後は行きつけの美容院に行きました。髪の毛伸び放題だったし、お店が今月で閉店になるというので今行くと30パーセント引き。先月に「閉店お知らせ」のはがきが来ていたので今月中には行かなくてはと思い行ってきました。「ご指名」の美容師さんにカットをしてもらいながら何故閉店になるのか聞いたりしました。色々事情はあるようですが、今のお店のスタッフは全員やめるそうです。新店や合併店には誰も行かないと言う事でした。男子美容師は「独立」する人が多いとか。そんなわけで、既にやめている人もいてお店の中はさむ~~い雰囲気。今日は外も寒かったし「なんか、お店の中もさむ~いね」と言うと「わかります?」なんて、美容師さんも苦笑いしてました。これからは、どこの美容院に行こうかしら?と思案をしているうちカットも終わり頭はすっきりしたけどなんだか、さむ~い。お店を出るとき美容士さんが「今日までありがとう御座いました」と寂しげにお見送りをしてくれました。ドコの業界も厳しいんだね(--)
2004/09/10
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知人に電話をした。用件と疑問に思ったことを話していたら、突然キレられて、ガッチャン!と電話を切られたわ(--)これを、逆ギレって言うのだわ(--)それとも私が何か悪いこと言ったのかしら?そばで聞いていた人が居たんだけど、その人も「どうかしました?」「わからないわ!何故か電話切られたの・・」「どうしたのかしらね?」私が悪いこと言ったのならそばで聞いていた人も不思議には思わないだろうから、私は悪く無いわよねえ??まあいいか!その後別の知人宅に行きました。このお宅は、私が保育の仕事を始めた時初めて担任をしたお子の家なんです。お子のお父さんやお母さん、姉、弟さんたちとも、なが~~~いお付き合いをさせていただいてます。親たちも子供たちも「兄弟(姉妹)」のようにさせていただいています。こんなとき、「保育士でよかった^^」って思うわ!この御うちのご近所の奥さんが先にいらしてたんですが、御うちの奥さんと話をしていらしたので邪魔をしてはいけないと思い私はご主人とお話をしていたのですが、まあ、隣の部屋にいるとはいえ間仕切りが無いのに大きな声で、すっかり邪魔してました(><)ゴメンナサイ。一杯お喋りして帰ろうと失礼を詫びて「お客さん」の顔を見るとな、な、んと、この方も昔、私の勤める保育園にお子を預けていた元保護者だったの。大きい声で話していて恥ずかしかったわ(--)でも、偶然とはいえ知ってる方だったので安心しました。ご主人とは結構きわどい話(Hな話じゃないので念のため)をしてたので、知らない人だったらやばかったかも。一杯話したお陰で先の後味の悪い電話の一件は、忘れました。(と言ってもここで書いてると言う事は忘れてない。矛盾してるか?)買い物して帰って携帯見るとランプが点滅してる。娘からのメールでした。「今日は遅番なので、お迎えに行ってください」メール一通で、親が自分の思いのままになると思ってる(><)甘えないでよ(怒)返信はしないで、おっさんに電話をした。娘は返信の無いのを如何に感じたのかおっさんに電話がしてあった。おっさんは、嬉しそうに「迎えに行くよ^^」と言ってるわ!親ばかだねえ!孫ちゃんは運動会の練習のお疲れなのか不機嫌な顔をして帰ってきました。黙って入ってくるので「ただいまは?」と聞くと「今言うたやろ!」と反抗的です。何だか静かだなあと思っていると、座布団の上で寝てました。夕飯の用意は出来てたのですが直ぐ起こすのも可哀想と思い暫く様子を見て起こしました。すると、突然泣き出した。おっさんは、なんとか、なだめて、食事をさせようと、甘い声で「ぶどうも、バナナもあるよ^^はよう!ご飯食べよ!のりで食べるか?」などといっている。こりゃジジ馬鹿だわ。やっとの思いで食事を済ませるとまた寝ようとするので今度は見たくも無いTVをつけて、「マンガしてるよ。見るか?」いつもは、TVばかり見ている私を罵ってるはずなのに(--)さらに、「マンガ」が終わりかけると「お風呂の入ろう」攻勢。孫ちゃんも仕方なくお風呂に入ったよ。お風呂から上がった孫ちゃんは、へ~~??元気じゃないですか。訳わからんわ!更に更に、その後電話がママからあり、(孫ちゃんが出た)「後5ふんしたら変えるから準備をしておきやて!」「ママの5分は10分間の事よ!」その通り、10分ほどすると玄関で「ミッキー!」と呼ぶ声。孫ちゃん慌てて、ランドセル持って帰っていきました。これでいいのかしらねえ??
2004/09/09
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先日の「保育サポーターグレードアップ講習会」で「叱ると怒る」の違いについての話がありました。叱る=しつけ怒る=おしつけと言う話になるほどと思いました。「しつけ」と言う言葉は余り好きではなかったが、子どもに社会性や常識を身に付けさせるのが躾だと言うのを聞けばなるほど。怒るは、親の都合で悪い事を指摘することで、子どもには何の役にも立たず、親の都合を「おしつけ」ているのだという考え方です。今日斜め向かいのおうちにちょっと用事があっていきました。そのおうちは、若い夫婦と4歳の男の子と1歳の女の子がいます。ママは、男の子と女の子の性格が余りにも違いすぎて二人で喧嘩ばかりするので、つい、男の子を怒ってしまう。と悩んでいました。男の子は大人しいのに女の子は言うことを少しも聞かず、手を焼いているらしいのです。「毎日怒ってばかりで自分が嫌になるわ」「自分を責めなくても良いのよ!子どもって兄妹でも性格違うし、上と下でもおのずと、立場が違い其々自己主張するからね。」「お兄ちゃんが、この子を噛んだりするし・・・」「ふ~ん!何故噛んだかをしっかり把握する事が大事なんじゃないかしら。お兄ちゃんから理由をしっかり聞いてから、怒るのではなく、言って聞かせることが『叱る』ことで、わけも無く噛んだと言う行為だけで怒るのは『噛んではいけない』と言うことを「おしつけ」ているのかも。言って聞かせてお兄ちゃん自身を納得させる事が「しつけ」なんだよ!」「そうなんだ!「しつけ」と「おしつけ」「叱る」と「おこる」・・・難しいねえ。でも頑張ってみます^^」「ううん!頑張らなくても良いのよ!そんな話が合ったなって思っているだけでいいの!」こんな話を玄関口でしました。ママの悩みに応えられて挙げられたのかどうかわかりませんが、笑顔で「また、色々教えてくださいね」と言ってくれました。私自身話しながら、先日の「講義」の内容を確かめつつ、やっと、納得できたような気分でした。ありがとう!しょう君ママ^^。
2004/09/08
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ご近所のお婆さんが亡くなられて、告別式に参列いたしました。お葬式にも色々あるんですね。なんて今頃気がついたわけではないのですが、大層ご立派でした。お坊さんが4人も来て、なんだか、戒名も凄く長くて(戒名のお値段は文字数だそうです)妙なところに感心しながら、読経を聞いていると、バッグの中で携帯がブルブルとなってます(勿論、マナーモード)知り合いのお孫さん(小3と小2)が、「警報」が出たから、間もなく帰ってくるので参列できない。って言ってたので、「もしや」と思ったのですが、席を立つわけにも行かず、放っておきました。おっさんは、私が今何をしているか知ってるはずなのに何度も鳴るし、娘かな?まもなく、出棺となったので、会場を出て、携帯を開けるとやはり、おっさんが2度もかけてるわ(--)そしてメールが一通。娘からでした。やはり、「警報法が出たので迎えにいって欲しい」というものでした。3時までは学童にいるので、何とか間に合いました。しかし、小2の孫ちゃんを自転車に乗せるには体力の限界です。しばらく、団地の部屋で休み、おっさんの帰りを待ちました。少しの距離でも原チャで移動している日ごろなので自転車に10分も乗ると膝ががくがくします(--)台風もきついし、向かい風になると全く前に進みません(><)おっさんが迎えに来ても車に乗るのは孫ちゃんだけです。私は乗っていった自転車を持ち帰っておかなければなりませんから、また、えっちらこっちら、自転車で戻りました。明日は、筋肉痛かも(><)***************************「同棲」に対するご意見ありがとうございます。沢山のご意見を頂き少しは、「若者事情」が理解できたようです。年代を超えた楽天友がいるって、嬉しいですね^^私のような叔母さんの愚痴を聞いてもらったり、疑問に対して忌憚の無い意見を言ってくれてvvvwww.最近凹んでいたので、元気を貰いました^^今後ともよろしくお願いいたします。
2004/09/07
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結婚前の若い女性と話しているとき、私に問いかけられた大きな課題。結婚はしたいよねえ?同棲してからでも良いのとちゃうの?仕事に没頭できれば良いけど、それもねえ?nohohonさん、結婚って、何?結婚って人生の妥協かもよ!妥協?妥協で結婚するのもどうなのかしら?他人同士が一緒に棲むんだから、妥協がなければ一緒には生活できないでしょう?お互い欠点も弱点も一杯持ってるわけだから全部許せるかと言えば幾つか許せない部分があるはずよ!でも愛してるから、一緒にいたいと思うのは当然だから、愛の中に許せない部分が包みこめられるかどうかなのよ。包み込めるんだったら、良い意味での妥協が必要だと思うよ!女性だけが妥協する必要は無いと思う。男性のほうも同じような考えと価値観が一致する事が大事だと思うわ!ふ~ん!そうやなあ!お互いが許しあえるって事が大事なんやなあ・・・。結婚する前に一定期間『同棲』するというのはどう思う?同棲ねえ?私たちの世代としては『歓迎』出来ない事だけど、今は、そうゆうのもありかな?って思うよ!同棲と言うかたちが、私たちの若いときには社会的に良く思われなかったけど、私自身、今は少し考えも変わってきてるのよ!『夫婦別姓』が言われている時でもあるしね。『事実婚』=『同棲』=『夫婦別姓』と思うから、二人の関係さえしっかりしていれば『同棲』もOKじゃない?などと、話していたんですが、皆さんはどう思われますか?
2004/09/06
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3日ほど音沙汰無しだった孫ちゃん今日朝から来たのは良いのですが、その時既におっさんは、出かけた後だった。どうも、ママは、おっさんを当てにして送ってもらおうと思っていたらしいのですが事前にかけてきた談話の趣旨をおっさんが取り違えていたのです(--)玄関で、ミッキーを大声で叱り飛ばすままに孫ちゃんは泣き、私がとりなそうと声を掛けると「あんたの声聞くと気が狂いそうになるわ!」悪態をついていきました(><)何時までも厳寒で泣き続ける孫ちゃんを、家の中にいれ、落ち着かせました。まるで「台風」みたいな娘です。これから「台風娘」と名づけましょう!だったら、何が起きても驚かなくなるでしょう!これが我が家の今日の人災です。午後7時過ぎ、突然家が揺れだしました。地震です(天災)夕方となりの奥さんとこの辺は災害が少ないので助かるわねと話したばかりだったのに。長い横揺れ地震でした。ニュースでもここらは震度4だといってました。深夜のニュースでは先のと同じ大きさの余震が起こる可能性があります。といっていたので、おっさんと孫ちゃんは早めに入浴を済ませました。私はいつも通り、遅めの入浴を済ませ、いざ、PCの前に座ったとたん、グラグラと再び揺れだしました。既に寝室に入ったおっさんに「お父さん又来たよ!」おっさんは何故か揺れる壁を押さえながら階下に降ります。私もついておりました。なおも揺れてます。次におっさん食器棚を押さえています。私はリビングの真ん中に立ってました。何が倒れてきてもあたらない位置です。TVをつけると、即、テロップが出ました。その時の番組を中断して地震情報に切り替え、各地の震度や津波情報を放送し始めました。先のに比べると揺れはひどく感じたのですがやはり震度4でした。「2Fに居たからかしら?」おっさんは黙って頷いているのですが、揺れが収まるとさっさと寝室に行きました。いつだったか、スーパーで年配のおばさんたちが、「関東大震災の時も今年みたいに猛暑やったらしいで、今年は地震に気をつけてなあかんで!」と話しておられた事を思い出しました。浅間山は噴火するし、台風が来れば、大雨となり各地で水害になるし、「異常気象」といえども本当に不安になりますね天災だけは何時ドコでおこるかわから無いし・・。うちの家、何の防災対策もして無いから、明日にでも「防災グッズ」買わなくては。
2004/09/05
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NHKスッペシャル「子どもが見えない。大人の知らない世界」では、小学生や中学生が、ネットの中に何を求めているのか?を主題に、ネットを自分の生活の中に取り入れている子供たちを事前に登録した400人の子にTV局の掲示板に書き込みをしてもらって、送られてきたメールの中身に従い追跡取材をしたVTRも交えながら現場教師と親的立場の作家が参加して、今子供たちが何を思い大人たちに何を求めているのかを見ていこうという内容だった。教師の立場で参加している先生の1人に「ヤンキー先生こと、義家先生」が出演していました。子供たちが親にも友達にも言えない胸のうちをネットの中でなら何でも言える。子供たちは叫んでいた。「私たちのことをもっとわかってほしい!」「友達」とは学校の中のみでの共通場面を共有しているだけで、本音の語れる友達ではない事が浮き彫りにされていた。信頼できるのは親でも教師でも無いという。なら、友達なのか?そうではないという。ネットの中だけで1人の人間として生きている今の子どもたちの姿に心が押しつぶされそうになった。この番組が終了して「教育チャンネル」にすると、奇しくも連続性をねらったかのように、ETV特集「いいもんだ、生きるって」夜回り先生「水谷修氏」の活動が放映された。某新聞のTV聴評欄には「夜回り活動を13年間続けている水谷氏は定時性高校教師。仕事の合間に(終わってから)繁華街にたむろする子供たちに声をかけ続け、「薬物汚染の怖さを訴え多くの子どもを救ってきた」貧しさや、親による性的虐待を受けた、子どもが、薬物に走る。リストカットをする子どもも増えている。この子達は死にたいからリスカをするのではなく生きるためにリストカットをするのだ。子供たちが生きにくくなっている社会で大人が深く寄り添ってやる事が如何に大切かが力強く訴えられる。と、あったが、実写では、水谷氏が年間300回を越えるという「講演」活動の様子がVTR構成されていました。氏の講演は、主に中学生や高校生に対してなされるものでした。その口調は優しく子供たちに語りかけます。自分が今まで関わってきた「非行」といわれる行為を起こしてきた子供たちの話を具体性を持って話しかけられます。優しく話してはいても中味の厳しさに思わず涙する生徒の姿もありました。いくら優しく、いとおしく思って接して来ても結果亡くなった子どもが13年間の間に22人もいたことが、氏にはとてもつらく「私が殺したも同然です。・・・私が殺したのです・・・。」インタビュー役には「江川詔子」さんがあたられていました。江川さんは、「そんなに、ご自分をせめないでください!」といってましたが、水谷氏は「自分の力が足りなかったから・・・。社会の大人たちの力が足りないんです。・・・私の書いた本が売れるような世の中、私のようなものが何時までもいなければ成らない世の中。どうか、子供たちを抱きしめてあげてください。大人たちが子どもに寄り添ってやらなければなりません」と訴えられていました。死んでいった子供たちの殆どは薬物中毒が原因でした。講演先の子供たちに、誰に誘われても断りなさい。先輩の甘い言葉に乗ったら、薬が欲しくなります。辞められなくなります。買うお金ほしさに売人になり、女の子は身体まで売らなくてはなりません。誘う先輩の後ろには必ず「暴力団」がいる事を忘れないでください。と、切々と訴えておられました。「講演」を聞く生徒たちは真剣です。いじらしいほどに真剣に聞く子どもたちに少しは安心した私です。エンディングシーンでも夜回りをする先生の姿がありました。感想を書くほどの力量はありません。それほど重たいテーマーでした。もし、見た方があったらご意見を聞かせて欲しいなあと思います。
2004/09/04
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早朝といっても、9時半くらいだが、久しぶりに愛車(原チャ)で、大津まで走りました。ちょっと、涼しいので長袖を着ようかな?と思ったけど、早すぎ??と思い半そでで出かけたが、風はちょっぴり冷たかった(--)路肩の温度計は24度だった。途中で引き返すわけにも行かずそのまま、○江大橋をわたりました。1年位前までは毎月病院通いに走っていたのですが、近所の病院に転院してからは、殆どこの橋を渡ることが無かったのですが。冷たい風が気持ちよく、爽やかな気分になりました^^湖辺にあるシティーホテルの会議室で「保育サポーターグレードアップ講座」に参加してきました。「今、何故 子育て支援」という、演題で講義が進められました。少子、高齢化社会etcと聞きなれた言葉ばかりですが、元児童相談所の所長をしていたという講師の話は、具体的で判りやすく、より、理解が深まったような気がします。サポーターたちの交流会でも現代社会の歪の中で子供たちが如何に生きにくい世の中になっているのかが浮き彫りになりました。子供たちの生きにくさは、親たちの生きにくさの反映です。「家庭保育室」を地味でも続けていこうとの思いを強く感じた1日でした。夜は、パートをしていた時の若いバイトも娘たちの1人が8日から「PIB」というボランテア団体の一員として海外に行くというので「壮行会」をしました。集まったのは4人でしたが、3人の娘たちは皆お年頃。彼氏がいないとか結婚は死体が相手がいない。彼氏は要るけど、結婚はねえ??と若者にしか無い話だが、この娘たちは、決して私を置いてきぼりにはしないでコミニケーションの取れる素晴らしい娘たち^^大丈夫。あなたたちなら、きっと素敵な伴侶が現れ素敵なママになれますよ^^朝の爽やかな風が嫌な事を忘れさせてくれ、心地よい若者との絆を運んでくれました。
2004/09/03
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田舎から何の連絡も無い。お騒がせな人たちだわ。おっさんが帰ってきて「親父大丈夫らしいわ」「誰が言うてたの?」「兄貴から電話があった」「お義兄さん、あなたの携帯番号知ってた?」「いや!朝家に・・・おふくろが夕べ遅うに、兄貴と頃へ電話して、『言うといて』って」「何でうちに電話でけへんの?」まあ、いいけど・・・。あんたの、親はそんだけの人やから。「一週間ほど様子を見て胆嚢を取る手術をするらしいわ・・・手術に耐えられるのかなあ?」「耐えられるよ!・・・なかなか死ねんで、何回死ぬ死ぬ言うてるの。人騒がせ名人やなァ!そんなに何回も言うてたら、本当の時誰も行かないようになるで」「正月まで持つなあ・・」「もつもつ、何回もの正月までもつわ」今日は相当きつい事をおっさんに言ってしまった(><)おっさんは、一言も反論しなかった。誰もが疑問に思っているお墓の件ですが、元来田舎にあった墓なんです。舅、姑、義弟は数年前まで京都に住んでいました。そのときに、田舎にダムが建設される事になり、墓がダムの下になるというので、京都に移設したんです。その後、義弟夫婦の仲が怪しくなり、ごたごたして、結果的に離婚しました。義弟は、田舎へUターンしたのです。別れた妻に慰謝料払うのに済んでいた家を売らなくては成らなくなりました。家を売って、舅、姑も、義弟の後を追って田舎に帰ったのです。墓は、京都に置いたまま。その墓の、権利や後の管理をおっさんが引き受けたわけです。つまり、舅の先祖は教徒の墓にいるの(--)私たちが、権利を所有し管理もしているのだから、新たに墓を建立する必要は無いのですが、私もその墓に入るのは嫌です。今は、権利も放棄したいのですが。で、ないと、息子たちまで、孫にまで、その墓を管理し続けなければなりません。舅が死んだら、納骨して、その段階で、私は放棄の話をしようと思ってます。おっさんがどんな反応するかわかりませんが。
2004/09/02
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結婚して間もなく33年になる。この間、多くの友達や知人らが「舅、姑、問題」で悩んでいる話を耳にしてきた。正直私は少なくとも先月の初めまでは、舅、姑を憎いと思ったことが無かった。自分が愛した人を産んでくれだ人たちだから。ずーと、そう思ってきたのに・・・。さっき、義弟から電話があった。おっさんが帰ってくる前にもあって舅の意識がなくなって救急車で病院に運んだ。というものだった。その時私は、またか!と思った。まるで、狼少年のような人だわ。何回今までに「死ぬ、死ぬ」といって、足を運ばせたやら。おっさんが帰ってきて、その事を告げたがおっさんは私に気をつかってか、「ふ~ん」と言ったまま、普通に食事をして普通に寝ようとするので「ちょっと!電話位しておいてよ!私が、あなたに伝えて無いかと思われるでしょう?」救急車で病院に行ったと言ってるのに家に電話をする「留守やわ!」(あたりまえやろ!何考えてるの?あほちゃうか?)おっさんは、そのまま自室に行った。30分ほどすると電話が鳴った。義弟からだわ「兄貴いるか?」(この人もとぼけているわ!何時やおもてるの?この時刻にいないわけが無いやろ!)子機を持っておっさんのヘヤに行きました。電話のベルが鳴るまで部屋の電気がついていたのに私が行った時には電気を消して寝た振り狸(あほみたい)話が終わって、子機を下まで持ってきて「胆嚢に膿が溜まってるって、手術には耐えられないし、このまま放っておいたら時間の問題やて、・・・で、管を通して膿を出す処置をするらしいわ」「なんど言うたら、『胆嚢』が悪い言う病院やな。体力無いのに、管通したら、あかんやろ!」と、悪態をつく私。更に1時間くらいしてから義妹からメール。「兄と連絡がつかないって言うてるけど・・・・」「もう連絡済です。お義父さんは、とうとう、謝らずに逝かれますのね・・・」と、返信メールを打つ私。舅が死んでも行くつもりの無い私。危篤だからといっても悲しいとも大変だとも思わない私。お盆まで持つかどうか・・・。と言って来たのは義妹だ。孫や、ひ孫まで連れて行ったのに・・・。お盆は済み、もう9月。まだ、生きてるのか?って気分の私。おっさんがの兄、弟、妹も舅と同類に思えて、丸ごと許せない私。こんな自分が嫌に成る。舅が死んだら、こっちの墓まで持ってくる。その墓の世話をしたくない。舅と同じ墓に入りたくない。私が死にそうになったら、「離婚」して実の両親と同じお墓に入れてもらおうとさえ考えている私。こんな私は醜いだろうな。
2004/09/01
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