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昨日、私を罵倒して帰った娘。今日はさすがに罰が悪いのか何も言ってきません。2時頃に孫ちゃんから電話がありましたが。これが娘のずるさでもあり弱さでもあります。「ママはどうしてるの?」と聞くと「ママはしんどいって!」と孫ちゃん。だからどなんでしょう?自分から「助けて!」っていえないのかしら?こうしておいて、けろっとして、夕飯に来るのかしら?と思っていましたが、来ませんでした。来れないのでしょう!ただ、孫ちゃんご飯を食べているか心配でしたが・・・。おっさんは、定時に帰ってきました。「なんか、言って来たか?」「ミッキーから電話があったけど・・・」食事をしながらどうしたものかと思案はするものの、結論は出ません(溜息)公営住宅を申し込む事、アパートを借りる場合はおっさんの名前で借りる。入居時の費用は出しても良いと思っている事をしっかり、おっさんの口から言うことを確認しましたが・・・。
2004/01/31
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最近は落ち着いてきているなあ!と思っていたのに・・・。いつものように、夕飯を食べにやってきた娘と孫。孫ちゃんは可愛く「こんばんは!」って入ってきます。ママは「ご飯まだ出来てないの?」この時点で私はムッカ~!!(>~<)そこを、ぐっとこらえて「今ご飯炊いてる!」ママ「○○湯に行こう思ってるのやけど、今日は金曜日やし一杯かしら?」私(心の叫び)「それで、はようご飯が食べたいんかい?空いてるか満員か知らんわよ!勝手にしたら!」炊飯この笛が鳴りました。今日の食事は精神的にまずいわ。黙って食べ終わるとさっさとコタツにもぐりこみながら、今住んでいるマンションの家賃が高いので引越したいが、転居に伴う費用がない事。自分は「自律神経失調症」で働けない。近くのアパートに引っ越すにも働いてないと入居できないらしい。公営住宅は空きが1軒しかないので当たらない確立のほうが高いから・・・。等と私に背を向けてぐだぐだといっていた。私が何を言っても、素直に返事をしないのはわかっているので黙って聞いていると、突然床に伏して「ゼイゼイハーハー!!」と荒い息をし始めた。演技ではない事くらい判ったが、正直どう声を掛けて良いかわからない。ちょっと様子を見ていたが、治まりそうにないので「どうしたの?お母さんはどうしたら良いの?しんどそうやし、救急車呼ぼうか?」と声を掛けると、そばで心配そうに見ていた孫ちゃんが泣き出すし・・・。「ミッキーは泣かんでも良いよ!」もう1度「救急車呼ぼうか?お母さんではどうしようもないし・・」と声を掛けると、むくむくと起き上がって、黙って座り込んでいます。私「お金の事やったら、はじめの費用くらい、出してもいいよ!」娘「そんなこと言うてへん!」私「ほな!この家で一緒に住むか?」娘「そんな事出来るわけないやろ!」私「お金がのうて、仕事も出きひんのやったら、ここですまな、しょうがないやろ!」娘「あんたにはわからひんのや!私のことなんか、一生わからひんのや!あんたには!死ぬまでわからひんのや!」私「わからんかも知れんけど、あんた呼ばわりされとうないわ!そんな言い方ないやろ!」娘「ミッキーかえるで!」とバタバタと帰っていきました。私の心の中は無力感と屈辱感が入り交ざったなんともいえないものが黒い雲となって残りました。そして、この間、じっと固まったように身体を小さくしていた孫の姿に胸が締め付けられます。最近おっさんの帰りが遅く、帰ってきたかと思ったら、食事をして、入浴 就寝なので、昼間の思いをなかなか話す事が出来ません。でも今夜は話しました。明日も仕事だというおっさんですが、今日ばかりは聞いてもらわないと、私が眠れません。一部始終を話しました。「ここに住んだらえぇがな!」「でもあの子は住みたくないって言うてるやんか!」「・・・・・」「私が何を言うても聞かへんのやから、あんたから、きちんと話してよ!」「・・・・・」こんな娘を、どう見守ったらいいのでしょうね(溜息!!!)
2004/01/30
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「天の瞳」少年編を読み出して、すっかりはまってます。主人公の倫太郎の成長に目が離せません。「少年編Ⅱ」で倫太郎は中学生になったのです。小学校の4年くらいから少林寺拳法を習っている倫太郎。と、その仲間たちが、中学校になって、小学校にはない理不尽な校則や教師のあり方に辛辣なほどの反応を示しながら成長しているのですが、はらはらドキドキで読んでいます。あと少しで、少年編は終わりです。今夜中に読みたいので今日はここまで。
2004/01/29
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先週につづいて、アスペルがー症候群思春期編だった。私は、常々「映像よりも活字」を大事にしていて、この、アスペルガー症候群についても何冊かの書物を読んだが今1理解に苦しんでいた。先週のも本当に良くわかりやすい話や、実名による出演(ビデオ)で障害を抱える子どもの生の姿や声を視聴することができました。今日のも、匿名ではありましたが、少年自信が「自分はいらない人間なんじゃないか」「小学生の時授業中に何度か自殺をしようとしたこと」を、語り自分が自閉症(本人が表現していた言葉)だから、直ぐにないたり起こったりしてしまうのだという事を知った時の気持ちを率直な言葉で話していました。ご両親も「治りはしないだろうけど、障害であるという事がわかって、有る意味安心した。ゆっくりと見守っていきたい」と語られた事に感動しました。私の参加しているクローバーの会の人たちも「どこかおかしい。私の育て方が悪いのか?」と思っていたときより、ADHDと診断された事により「やっぱり。という思いとショックはあるが、今後の方向性が見えてほっとした」と語られていた事を思い出しました。第3者的な私は、それまで、「あえて、障害の診断を貰わなくても、個性として育てていけばよいのでは」と考えていたのですが、それは間違いであった事を、今日改めて感じました。放送の中で今日の少年は、学校で、自分がアスペルがーという障害が有るので急に泣いたり起こったりする事もありますが理解をして欲しいと訴える場面では、胸が熱くなりました。14歳で同年齢の友達にカミングアウトする少年は、学歴詐称で騒がれている国会議員より偉いと思います。K議員よ!潔く詐称を認め議員を辞めて欲しい!と思っている国民の声に耳を傾けなさい。今日は、楽天さん重いのでメール更新にしました。せっかく書いてもどこかに飛んでいってしまうの何とかならないかしら?-----Original Message-----From: [mailto:]Sent: Wednesday, January 28, 2004 4:32 PMTo: ??????@attglobal.net; ??????@jp-k.ne.jpSubject: 28日の日記
2004/01/28
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いつも日記に娘に対する愚痴を書いている私。知ってる人は知っている。娘は孫が生まれて半年くらいで離婚しました。原因は娘の鬱です。出産後半年くらいは一緒に住んでいたのですが、鬱の性とは言え、その我侭ぶりはひどいものでした。正直私までノイローゼ気味になり精神科に通う羽目になりました。このまま同居を続けていたら共倒れになると思いました。すでに、アパートは借りてあったので、娘自らその、アパートへ居を移しました。それでも私が、洗濯、食事はしていました。毎日食事を届け、洗濯物を持っていったり着たり。頭の中では「この子を親にしなくてはならない。その為の別居」とわかっていても、切ない思いはぬぐいきれない数ヶ月でした。孫は、生後半年から保育園に入れました。しかし、送迎は私がしていました。保育園入園前後から、娘も働き始めた事もありました。母子2人の生活の中で、働かなければとの思いが出てきたのだと思います。最初の仕事はリフォーム会社の営業でしたが、ここで、なれた頃に社長によるセクシャルハラスメントが出始めたので1年余りで辞めました。次の仕事は、販売でした。デパート勤めです。仕事が終わるのが20時21時は当たり前。どんなに遅く帰ってきても、よほどの事がない限り、夜は連れて帰りました。しかし、今まで、食事は殆ど我が家で済ませてます。娘にとっては当たり前?昨年の9月に鬱再発。仕事を辞めました。今は失業状態です。失業保険ももう終わりです。この段にならないと、仕事をしようという気が起きないのでしょう!やっと動き出しました。こんなに苦労をしている娘をじっと見ているのも辛いものが有りますが、ここで甘い顔をするのは簡単です。しかし、してはいけないのです。可愛い娘だからこそ、自分の足で歩いていって欲しい。焦りの証拠とでもいうのでしょうか。最近は毎日来るたびに「しんどい!頭が痛い」などと、身体の不調を訴えます。二つ目に「お金がない」といいます。しかし、「援助」はしません。毎日の食事代がそんなにかかるわけではないですが、その事に感謝する姿勢が出てこない。私にとって、これが最大の援助だと思っているからです。まだまだ「親」になりきれない娘をはがゆく思います。私の目から見て「親」になったなあと思う日はいつ来るのかしら?きっといつまでも来ないでしょう!なぜなら、子はいつまで経っても子だからです。病気の克服と、仕事復帰が果たせた時、本当の親になれるのかしら。付かず離れずで、見守っていくしか出来ない私たちです。今日も、じいじーの帰りが遅いとなると、ミッキーはお風呂に入れてもらえないので、ご飯だけ食べて、早々に帰っていきました。こんな我侭な娘ですが、こないとなると心配して、毎日来ると、わずらわしくて、私も相当勝手な親ですね。
2004/01/27
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今月は、2週連続で、月2の太鼓の日でした。だからと言うわけでもないが、朝は早めに起きました。体育館の鍵を午前中に取りに来てと言われていたの。早いといっても8時だわ。寒い寒いと思いつつグズグズしているまに10時になって、身支度して出かけました。鍵を受け取ってから、買い物をしに、2軒のスーパーをうろうろしてました。100均で又いらんもん買ってしまいました。買おうと思っていたのは1品だったのに、レジに付いたら手には5品ほど持っていた(><)太鼓のときはくパンツを探しに用品売り場に行ったが、適当なのがなくて、パンツは買わず、手にしたのは孫ちゃんのタイツを2速買っていた。2軒目のスーパーでも、自分の欲しいものはなく、おっさんのパンツを買ってしまった。(溜息)ハァ~ハ!次は食品売り場で食材を買ったら、荷物が両手一杯になってしまいました。出かけるときは、炊飯器が空っぽだったので、ランチでもしてこようと思っていたが、両手一杯の荷物を持って、喫茶店にも入れず、何も食べずに帰ってきましたわ。家でカップラーメンで昼食でした。まあ、昨日昼間から、結構なものを食べたので、今日は節約になりました。夕飯のメニューウはシチューにしようと思っていたので、早めに準備にかかりました。出来上がった頃、娘から電話。「しんどいから、こっちで食べとくわ!」なにがしんどいのでしょう?私んちにきてもな~んにもしないで、食べるだけの人なのに。深く考えると腹が立つので、考えない事にしてるんですが???1人で夕飯食べてでかけました。1週間前に習ったリズム覚えてます?って講師の先生が聞くんですが、はあ??だめですねえ!で、講師の先生が叩いて見せてくれると、おぉ~!そんなリズムやったなあとかすかに遠いところから甦ってくる。(爆)辛いね。での、ドンドコドンドコたたいていると、昼間の出来事や悩みもドコやらへ飛んでいく気がします。ストレス解消!2時間びっちり、思いっきり叩きまくり爽やか気分で帰りました。おっさん1人で夕飯食べてました。「今日はおそかったんやね」「帰ったのは8時半やった」「ご苦労さんやったね!ミッキーたちは娘がしんどいからってこなかったよ!」「なにがしんどいの?しんどかったら来たらええやんか」「何がしんどいか知らんわ!あの子らはあの子らでどうにかしたらえぇのや!毎日ここに来るのがおかしいんやから」「・・・・・・・」おっさんは、何もこの先は言いません。私が言ってる事のほうが道理があってるからでしょう!娘は娘の道を歩いて欲しい。と思う私は冷たい母親かしら?
2004/01/26
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寒さに弱い私は今日も一歩も家の外に出なかった。あっ!お昼過ぎに灯油の販売者が来たので、ポリ容器を出して灯油を買ったときに、5分ほど外に出たなあ。外気に当たったのはこのときだけだわ!おっさんは、朝のお掃除が済むとズートコタツに居るしうっとしいなァ。それでも、今日はお昼ご飯作ってやった?昼間から、焼肉だよ(ハハハ!)TVでは「大坂国際女子マラソン」半分見ながら、半分読書。私もコタツに入って。長い事座ってるとお尻や腰が痛くなるよ(爆)あっという間に夕方になる。なんせ、お昼に焼肉食べたので、胃が重い。冷蔵庫の中は???夕飯はとんかつ。さすがに食べられない。「これ、明日のおべんとうのおかずにして!」と、私の半分は取り置いた。おっさんの、弁当のおかずはいつも残り物(爆)夕飯が済むと、おっさん「ミッキーお風呂に入って帰るか?」まごちゃん「うん!」よかったね!素直に返事をしてくれて。こんな、他愛もない1日でしたが、おっさんは満足げ。先週の日曜日は夕方まで姉の家に居たので不機嫌だったのを見ると、なにもしなくても、じっと家に居るほうがいいのかしら?私は退屈だわ!(--)
2004/01/25
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孫ちゃんが算数で困っていると言う。計算カードを暗記しなければならないらしいが、なかなかできない。カードを暗記しても仕方がないと思うのだが・・・。ママとしては気が気でないらしい。(親としては当たり前かも)で、先日の参観日の時に、友達ママから100目ます練習が良いと聞いてきた。今日、私は、「天の瞳」少年編を買いに書店に行きました。今日は間違わずにK川文庫の本棚を探して見つけました。「少年編」の横に「成長編」のⅠ Ⅱもあったので、都合4冊買いました。帰ろうとしたとき、100目ますのことを思い出し、参考書売り場に行き、「ドリル」コーナーでみつけました。私までがこんなの買って帰ったら、孫ちゃんにとってはプレッシャーかな?と思いましたが、やはり、出来ないよりはできるようになってもらいたい思いが募ります。夕飯食べにやってきた孫ちゃんたちに「買ってきたよ!」と、見せると、「えぇ~!?」と言いつつ、「やってみるわ!」と、早速はじめました。足し算から、引き算 掛け算まで載っていましたが、とりあえずは足し算からはじめました。これで、ママは孫ちゃんを追い込まなければいいのですが。孫ちゃんにはいい迷惑だったかしら?すこしずつでいいから、がんばってね!-
2004/01/24
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今週のワイドショウは向井あきさんが、代理母により子どもを授かった と言う話で持ちきりでした。そして、今夜のTVでは、ここに至るまでの経過を一挙公開されてました。私は毎日のワイドショウで何度も同じことを視聴しているので、改めて模様とは思ってなかったのですが、娘がTV番組を見ながら「是非論」を唱えたので、私も少々意見を言ったんですがどうなんでしょうね?子どもが欲しくても出来ない人。子どもはいらないという人。(大地真央さんは子どもは要らないということで、結婚生活が破綻した?とこれもワイドショウネタ)生んではいけない人が遊びの中で子どもが出来て平気で中絶する人。人それぞれ、様々ですが、私は「代理母」を否定しません。日本にはそれを認める法律がないので、出生届けが保留に鳴ったらしいのですが、こんやのTVを見て、明らかに向井さん夫婦の子どもであるし、分娩者が必ず実母になる必要性はないと思いました。子どもを出産して直ぐに母親がなくなったり、」事情があって育てられない人も多い中、子どもにとって、おばさんやおばあちゃんが、実子として届けている人もいると思うのです。その方たちは血液的には親子でなくても実際の親子以上に子どもを愛し育てられていますもの。向井さん親子はDNA的にははっきりと親子なんですから、出生届に実の両親の名があって当然じゃ有りませんか?二人のお子さんは今アメリカ国籍になっています。代理母がアメリカ人だからでしょう!自国で生まれた子どもは自国の子とする心の広い考え方から日本人が生んだとしてもその子はアメリカ人。私は、向井さん夫婦が固い絆で結ばれていれば、戸籍上「養子」と言う結果になっても良いと思っています。様々な困難があることを覚悟の上で選んだ道です。自信を持って、二人のお子さんを育てていかれる事をお祈りします。私も娘の出産に立ち会いました。それは感動でした。向井さん夫婦も代理母の出産に立会い、寄り添って出産に望まれた姿は偉いと思います。代理母の方も素晴らしい!今後も両家はお付き合いをされるそうです。このことだって、本当に心の広い考えだと思います。日本だったら、会わない 会わせないなどと物議を呼ぶところでしょう。愛する人の子どもが欲しい産みたい。この気持ちが大事にされた代理出産です。勇気と感動です。-----Original Message-----From: [mailto:]Sent: Friday, January 23, 2004 4:38 PMTo: ??????@attglobal.net; ??????@jp-k.ne.jpSubject: 23日の日記
2004/01/23
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さっき、「日記を書く」ページから日記を書いたんだけど、なかなかUPされない。最近こんな日が多いけどどうなってるの?本題に入りましょう!今日は凍えるような寒さに、一日コタツにもぐりこんでいました。夕方から、仲間たちとの「懇親会」があるので、早めに夕飯の用意をしたのですが、原チャしか乗れない私は隣の駅まで行くのには不安があり、何人かの仲間に電話をして「車で一緒して!」とお願いしたのですが誰もが「飲み会」なのでバスや電車で行くというのです。仕方がないので私もバスで行こうかと思いつつ夕飯準備を済ませました。娘たちは最近ご飯を食べにきていないので今日も来ないのかなあ?と思いつつ来たら・・・・・。私の願いが届いたのでしょうか!寒そうな顔をしてやってきました。まずは、孫ちゃんにご飯を食べさしながら「お母さんこれから出かけるんやけど、寒いしバスで行こうかと思ってるの」と、言うと「この時間帯は道が混んでるからバスって時間通りには走らないよ!何時から?」「7時から・・・。出来たら送ってほしいなあ」「ほな、ミッキーはよ食べ!」「友も食べたら?」「私は何か気分が優れないからちょっとでいいわ」と言いながらご飯を食べました。娘は自分が食べ終わると「ほな、行こうか!車のエンジンかけてくるから用意して」「送ってくれるの?うれしいなあ!」ということで、送ってくれました。お陰で楽しい懇親会でした。帰りは仲間の1人が家まで送ってくれました。行く時も彼に頼んだんですが彼は準備があるので迎えにはいけないけど帰りは送るよ といってくれていたのです。常々人を当てにしたらあかんと思っていたのですが、今日ばかりは寒くってしかたなかったので、あちこち頼んだのですが、最後の砦はやっぱ、娘でした。今日ばかりは、身内のありがたさを実感しました。娘たちにはこれからも色々悩まされるでしょうが、共同協力関係で頑張っていけばなんとかなるでしょう!娘に車の免許を取らせて置いてよかったよ!車はおっさんの名義だけどね。娘よありがとう!娘を産んでよかったねえ!
2004/01/22
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我が保育室の初のお客様。来室です。Uくんは、すっかり常連さん。待ちどうしくって(^。^)やってきました。11時ごろ。それまでに、お部屋を暖めておきました。U訓の来室は何ヶ月ぶりかしら。それでも、私の顔を覚えてくれていました。うれしいね!お昼前、娘が 歯医者さんに来た。と待ち時間にやってきました。娘の歌謡は医者さんは私の家の直ぐ近くなので、車を停めに来るのです。U君を見て、すっかり母の顔になる娘でした。いつも、神経質そうに、眉間に皺をとせている顔ではないのが私も嬉しい!実は娘は幼児教育課を出ていて一時幼稚園に勤めていました。今日は、私にとって娘は助っ人でした。歯医者での治療時間はわずかで、済むと直ぐやってきて、Uくんを抱っこしたり、あやしたりしてくれます。ミッキーが帰ってくるまでの時間、Uくんのママの大変さや、自分が保育していた障害児さんのことを話したりして、母娘で保育の話が出来るようになるまでに気分がよくなったことが何より嬉しかった。雇用保険もそろそろ終わりに近づいてきて、保育現場に戻ってもいいかなあとまで言います。Uくんのおかげです。Uくんありがとう!娘の心を癒してくれて。Uくんは、我が家にとって「天使」です。ミッキーはパパが近くで仕事をしているらしく、先週末から1度も来ません。「いつまでいるんかしら?うっとおしいわ!」と娘は言っています。「ミッキーは毎日パパが居て喜んでるのと違うの?」「別に・・・。たまに来るから喜ぶけど、毎日となると・・・」と言いますが、そんな事も明るく平気で言えるようになってくれたことに安堵した日でした。久しぶりのお仕事だったけど、心が安らぐ一日でした。
2004/01/21
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昨年の秋ごろ買った本が読まずに放ってあったのです。お正月の退屈しのぎに、思い出して読み出した本の題名です。著者は灰谷健次郎さん。幼年編ⅠとⅡを読み終えました。読み出すと、ぐんぐん引きつられてました。書店でこの本を見つけたとき、裏表紙に書いてある「年少組なのに年長組の子を泣かせたり、突拍子もないいたずらを考えついたりと、いつも保育園の先生を手こずらせてばかりの倫太郎。大人たちからはとんでもない悪がきだと思われる事が多いが、実は鋭い感受性とさりげないやさしさを持った個性的な子だ。(後略)」という文面に惹かれて買ったのです。灰谷さんは私の好きな作家だったのも「買いたい!」と思わせました。2巻とも読んでみて、小説の中とはいえ保育士の真髄をついた作品に感動しました。主人公の倫太郎を取り巻く大人たちの素晴らしさは(やはり、小説かな?)と思いましたが、子どもを取り巻く大人たちは(こうでなくちゃいけないのだ!)と言う思いも強く感じさせられました。今日、「少年編」を買おうと書店に行ったのですが、出版社を間違えていて、見つからなかったのです。K談社と思っていたのに、K川文庫だった(--)後日、再度書店に出かけましょう。この本を読み始めたときは主人公の倫太郎はアスペじゃないの?と思いながら読んでいたのですが、Ⅱを読み進める内自分の浅はかさに、打ちのめされました。浅はかな知識で直ぐに判断してしまう前に、倫太郎を取り巻く大人たちの姿をもっと深い眼で見るべきだったのです。この「幼年編」は倫太郎が3歳で新設の保育園に入園してから、小学校の高学年にいたるまでの成長過程の中で、起きる様ざまな出来事に倫太郎が同対処していくのか。倫太郎の行動を大人たちがどう関わっていくのかが克明に描かれています。就学前後のお子さんをお持ちの方にお奨めです。保育園や、小学校の先生にも是非読んでいただきたいと思いました。子どもに寄り添って保育や教育をする事の大切さとむつかしさがわかりやすく書かれています。実際の教育保育現場で実践が可能か?と問うと厳しいものを感じますが、可能か?と思う前に実践へ足を踏み入れる事が大事だと感じました。
2004/01/20
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2004年になって今日は、最初の「太鼓サークル」の日でした。昼間はいつものようにダラダラと過ごしてたんですが時刻が近づくにつれ、身体はスムーズに動き出し、夕飯の用意も済ませ、食事もして出かけました。それにしても、体育館は寒い。この寒さの中で、暖かくなる春まで続くかなあ?新会員さんも見えて、レッスン内容は基礎打ちからでしたが私たち古参も前に習ったリズムなんかすっかり忘れてます。基礎リズムを打っているうち、少しずつ記憶を取り戻しなんとか、今日のレッスンは終わりましたが。14人の会員のうち皆出席者が少なくなってきました。寒いからかしら?辞めていく人も居て、新しい会員を募集しないと今後の運営が難しくなってきました。そこで、次回(来週の月曜日)には、お友達に声を掛けて「体験レッスン」をしてもらおうと言う事になりました。お近くの方で和太鼓に興味をお持ちの方はいらっしゃいませんか?いい、ストレス解消になりますよ!是非1度覗いて見てください。K市以外の方でもかまいません。PM7:00からなので、小さいお子さんのいるかたはでにくいかもしれませんが。月に2回です。ご主人に協力をしていただいて是非きてくださいね。お待ちしています。
2004/01/19
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休みの日でも早起きのおっさん。今日も、私がおきていくともう掃除機の音がブンブン(-。-)まあ、掃除が趣味みたいな人だから・・・。私は小1時間ほどPCで遊んで、出かけましょう!といっても、食材の買出しだが。「買い物して、姉のところへ行って来るわ!灯油買っといてね!お金はテーブルの上に置いてあるから」と言って、テーブルの上には灯油代と今週の小遣いをおいておきました。家を出たものの、買い物して姉の家に行くにはちょっと早い時刻です。とりあえず、駅前のスーパーに原チャを置いてぶらぶらして、隣のデパートの喫茶ルームに行きました。家では、コーヒーを1っ杯飲んだだけなので、そこでモーニングをしました。モーニングをしながら、読書。人が見たら何と置き楽な事でしょうね。でも、こんな時間が、私を癒してくれるのです。それから、原チャを置いたスーパーに戻って、買い物をして、姉の家に行きました。スーパーで買ったレトルト食品で姉とお昼をしました。老姉とは日常茶飯事の事をとりとめもなく話すだけなんですが、お互いなんでもないことに相槌を打ち合うことで話が発展するからいいんです。おっさんとは、ただ向き合ってるだけですから、私にとってはストレスですわ。おっさんは掃除はするけれど、ほかの事(家事や世間話)には関心のない人ですから。おっさんは、夕べの残り物で昼食を済ませます。(私は悪妻かも)夕方帰りました。「遅うなってごめんね!」一応言いました。でも、おっさんは、相変わらず無反応です。(もう!慣れてますが)
2004/01/18
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何と寒い日でしょう!外は雪がチラチラ降ってます。朝からヒーターをつけて、コタツにもぐりこんだら動けません。1日、家から一歩も外へ出ませんでした。夕方になると主婦の習性でしょうか、冷蔵庫の中を覗きながら夕飯の献立を考えますが・・・・・・・。そうこうしているとき、娘から電話がありました。夕べからパパが来ているので今夜は来ないだろうと思っていたのに「お母さん何か食べるもの有る?」「買い物に言ってないから、たいした物はないよ!」「ほな、ええわ!こっちで食べとくから」「えっ?なんか、あったら取りに来るつもりだったの?」「まあーな!」「おかあさんですら、なに食べようかと思ってたとこや!」「ええよ!こっちで食べるから!」あきれた娘である。どうせ、外食か、コンビに弁当で済ますんだろう!おっさんは、とにかく、外食が嫌いな人です。出前も嫌い。子どもの小さい時なんか、ほとんど、外食なんかなかった私たち。そんなおっさんの為に、冷蔵庫の中の魚を焼いて、味噌汁作って、あとは昨日の残り物とおつけものです。何か心まで寒くなってきました。「今日はあの子ら来ひんから、これだけよ!」「・・・・・・・・・」食べ物の中身については文句のない人なので助かります。明日は買い物に行かなくてはと思いつつ、あとかた付けをしました。-----Original Message-----From: [mailto:]Sent: Saturday, January 17, 2004 4:41 PMTo: ??????@attglobal.net; ??????@jp-k.ne.jpSubject: 17日の日記
2004/01/17
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ママが今日ファイナルバーゲンに行くので私は孫ちゃんのお迎えを頼まれました。予定の時刻に孫ちゃんから電話があり直ぐ迎えに行きました。まだ着替えてなくて「着替えとかなアカンやんか」と言うと「怖い絡まってたの」「ほな、はよう着替え!」お着替えをして、宿題持って我が家へ。今日も感じの宿題でした。新しく習った漢字を使って言葉を作るのです。孫ちゃん自分で考える事はしないで、答えを上手く私から引き出して、それをノートに書いてました。要領の良い子です。判っていて、それにまんまとはめられている私ですが。宿題が済むと、眠たくなってきました。コタツにもぐりこんで寝る体制に入ったと思ったら、むくむくと起き上がって、何かを探し始めました。「なんや?」「たおる!スヌウピーのたおる!」そうなんです。孫ちゃんミニハンドタオルがないと寝れないのです。お気に入りのスヌウピーのタオルを出してやると、それをくちびるにそーと当てて寝るのです。そろそろ起こして夕飯にしようとした時、ジイジーが帰ってきました。娘が居なくて孫がいる光景に「ママは?」「お買い物よ!」と話しているとママが帰ってきました。パパが来たらしいので、すぐ帰っていきました。じいじーはがっかりです。私達がいくら孫を可愛がってもパパには勝てません。寝起きの悪い孫ちゃんでも「パパが来てるんやて!」と言うと、素直に帰っていくのです。仕方がないといえばそれまでなんですが・・・・・・。
2004/01/16
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ある男が40年前に事業を立ち上げました。しかし、その男は貧乏家の長男。「資本金」なんてありません。そもそも事業を立ちあげなければならなくなったのは、それまで勤めていた飲食製造業の親父さんと喧嘩をしたのがきっかけだった。人の良い男は、はじめのうちは順調良く商売をしていたが、なんせ、「資本金0」からのすっぱちだった事から、その資金繰りに終われるようになっていきました。今日手形を落とす為、賭け事をはじめます。賭け事は勝つ事もあれば負ける事もあるわけでして、負けた時には、手形の穴埋めどころか、賭け事に負けた金まで払わなければならないわけです。そして、そこに待っているのは「やみ金」です。こんな資金ぐるでは商売も続きません。10年目には倒産。男の家族は、離散しました。男は失踪をしました。そしてこれまでに、途中で病に倒れて、1度は帰郷したのですが、病気が治ると誰にも何も言わず再び失踪先へ行ってしまいました。男は、父親や母親の死に目にも会わず、葬儀にも来ませんでした。失踪してから3お年近くなるというのにいまだにひとり立ちも出来ず、借金生活らしいです。もう、年齢は、70歳になろうというのに、一体何をしているのでしょう。お金に困るたびに、男のたった一人の姉に無心を言ってきます。男の姉は、その都度、お金を用意してやっていたらしいのですが、夫をなくした姉は、今度ばかしはどうしてよいか判らず、有る人に相談しました。相談された人は話を冷静に聞いて、「これは、俺折れ詐欺的な、でたらめを言っているから放っておけ」といいました。男の姉はそれでも、金は送らなかったが手紙を書いたといってます。いくつになっても、弟は可愛いのでしょうか。親が子を思うような気にさせられるようです。男は、どうするのでしょう?断りの手紙を貰って、諦めるでしょうか?男は失踪後も悪い仲間に上手く利用されているのです。人が良いというのも考え物です。つまり、優柔不断なんですから。だまされている事にも気が付かないで知らない土地で優しい言葉を掛けられるとその気になった、いつの間にか悪の深みにはまっていくのでしょう!男は残された最後の人生も、郷里で終える事はないでしょう!借金をし続ける人間の弱点を全て持ち合わせているのですから。
2004/01/14
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余りの寒さに、今日は1日家の中でTVとこたつのお守?をしてました。でも、夕方には孫ちゃんと娘がやってきて、ほっとする。心もホットになりました。冷たい風が吹いた昨日でしたが、孫ちゃんの運んでくる笑顔は我が家をホットにしてくれます。おっさんも、昨日は言いすぎた、と思ったのか今日はいつも言わない「ただいま!」と言って部屋に入ってきました。「おかえり!」こんな一言が私は嬉しい。夕食が済んで、娘と孫ちゃんのじゃれあいが微笑ましい!孫ちゃんはママの背中に馬乗りになりながら、せっせとママの髪をブラッシングしたり、ピンで留めたりして遊んでいます。「ミッキーは大きくなったら、美容師さんになるの?」「う~ん、わからんけどな」「ちゃあちゃんの髪もして!」「うん!ちゃあちゃんの髪、サラサラやなあ」といいながら、私にもブラッシングしてくれました。孫ちゃんは大きくなったら何になるのでしょう!何でもいいです。自立して生きていける道を見つけて欲しいと思います。
2004/01/13
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おっさんの3連休がやっと終わりました。ここ半年ほどは、土曜日も祭日も出勤していたので、久しぶりの3連休。あっ!正月は年末から9日間も休んでましたが。私は、仕事を辞めて1年間休んでました(--)3連休の2日間は私が遊びに出かけてましたが、今日はさすがに 家に居なくちゃ!と思いじっとしていたのですが、寡黙なおっさんとの1日は辛いものがありました。別に嫌いなわけではないけれど、共通の話題もなく黙って向き合ってる事が・・・。夕方からは、私たち夫婦が所属する「会」の新年会があり出かけたのですが、家を出るのも帰るのも別々でした。おっさんは飲むので歩いて行ったんです。私は飲まないので、少し後から原チャの乗っていきました。会場では参加者全体の中で普通の夫婦で居ましたが・・・。帰宅すると又同じシーンが展開されます。静かな家の中です。夫婦って一体何なんでしょう?30数年も一緒にいると、話さなくてもわかってるとおっさんは思ってるようですが・・・?私も思うのです。一緒の部屋の空気を吸っているときは何となく煩わしいが、居ないと寒いものを感じるのも事実なんです。夫婦って空気のような存在って言う人を居ますがそうなんでしょうか?お互い必要なんでしょうが、はっきり言って他人なんだから少しずつの思いやりや労り、気遣い、が必要だと。おっさんは遠慮がなさ過ぎます。その、遠慮のなさが私の心にグサリグサリと刺さるのです。さし返せばけんかになります。私は喧嘩はしたくないので黙って自分に刺さったとげを抜くのですがこの時いつも「夫の存在」を問うのですが、いつも答えは返ってきません、と言うより見つからないのです。見つからないのがいいのかもしれませんが・・・。
2004/01/12
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昨年は町内の「女性部」があったていて、その中の消防隊員でした。消防隊員の任期は今年の出初式までなんです。消防隊員といっても子の2年間各種訓練には全く参加してなかったのでその罪滅ぼしのつもりで今年は参加してきました。撮っても寒かったです。霙も降ってました。私たちの町内は式典の後放水任務が当たっていました。会場に行く前に町内の川でちょっと練習してから行きました。開場には、他の町内からも沢山の消防隊員が参加しておられました。挨拶や、消防音楽隊による演奏があり、その後いよいよ、放水訓練でした。ホースの先を持つのは若い人にお願いしました。私は、開栓の役をしました。「放水はじめ!」の合図で栓を開くのです。無事出来ました。そして、どこの自治会よりも先に見事に放水できたのです。次は、「放水終わり!」の合図で栓を締めます。これもできました。寒い寒いを連覇治してたんですが、男性たちは「今年の正月は暖かすぎたけど、今日は、出初式にふさわしい寒さやったなあ!」とご満悦でした。式が済んだ後に「反省会」と称して「打ち上げ」がありました。ところが子の食事がまたまた冷たくて、食べるたびに身体の心から冷えるようで堪りません。小生陣は寒さの為か黙々と食べます。男性人はお酒を飲むのでそんなに寒くはないのでしょうか?私は午後から用事があったので、食べ終わると急いで帰りました。2年間、あづかっていた「消防グッズ」を返却して任務終了です。最初で最後の隊員活動でした。私達が隊員だった2年間に町内に火災がなかった事が幸いでした。
2004/01/11
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M市時代の元同僚2人に会った。M市では3年保育士をしていた時の仲間だ。そして、お互い1.2年くらいしか一緒に仕事をしただろうか。沢山の仲間がいたが今も付き合いがあるのはこの2人とは何故か、気が合い付き合いが続いている。1人は今も、保育士として仕事をしている。もう1人は、転職し介護の仕事についている。共通点はここにあるのかもしれない。私も含めお互い人間が好きなのである。仕事は決して楽なものではないが工場の機械や物を相手の仕事が出来ないのである。良くも悪くも、いつも人と関わっていたい。「家庭保育」を始めたのも、私はやっぱり人間が好き。とりわけ、未来を担う子どもが好き。社会の子どもとして、全ての子どもが好き。全ての子どもが輝く瞳で成長して欲しい。今日、二人の同僚と会って、お互いの子どもの成長の喜びと悩みを話したり、今の子どもの置かれている社会情勢をうれいたりしながら、限界も感じさせられました。4時間余りのたわいないお喋りだったが、現場を離れても、職種は違っても共通な思いが、合えなかった長い時間をすっかり忘れさせてくれました。「明日から、頑張ろう!」そんな勇気と元気を貰いました。友よ!素敵な時間をありがとう!又会いたいね!
2004/01/10
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久しぶりに、高校時代の後輩から電話があった。本当に久しぶりだったので、長電話になってしまったが、彼女は、人付き合いがいいので、同窓生たちの情報通でも有る。同級生や先輩後輩の近況から、自分たちの子とも含め、次から次から「話の泉」の如く受話器をとおして、色々聞かせてくれます。話題が恩師のことになりました。今は、80歳くらいかしら。私達が高校生の時は、勿論もっと若かった(当たり前)その、先生は「大学教授」でもなれるのに「そんなとこは、自分に向いていない」といって、長年定時制高校の教師をしておられたのです。地域の自由民運動の先頭に立ち、私たち生徒に身をもって「民主主義とは何か」を説いてくださいました。そんな素敵な先生も、年齢には勝てず、今では、要介護4と言う状態だそうです。殆ど寝たきり状態だということは以前に聞いていたので、1度お見舞いにと思っていたのですが、余りのお姿に奥様が、教え子であってもなかなか合わせてくれないらしい事。オムツをしている、自分の夫を見せたくない気持ちは判らなくはないが、誰もが行く道である。必ず行くのである。恥じる事はないと思うのですが・・・。さらに、痴呆も出てきているようです。暫く会ってない者が行ってもわからないかもしれない。私は、わかってもらえなくてもいい。会いたい。奥様自身がそうなった時、誰にもあわなくて言いのだろうか?人間死ぬまで、外部の人と交流し社会や地域の中にいたいと思うのは、若いと思っている者のおごりなのかしら?恩師の容態を聞きながら、「老いを生きる」事のあり方を考えさせられました。私にも必ずやって来る老い。怖がらないで、真正面から受け止めていかなければと思いますが・・・・。難しい問題ですね。
2004/01/08
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だらけた生活を送っていながら、夕方になると「今日はミッキーはご飯食べに来るのかな?」と習性的に思う。しかし今日もPM6:00になっても電話はありません。「もう、こうへんから食べよう!」と、おっさんと有り合わせの物で食事を始めたら、玄関の開く音が。(えぇ~?今日はお前たちの分がないよ・・・)そんな気持ちも知らずか、リビングに入るなり「ご飯有る?」「ご飯はあるけど、おかずが・・・」「私はあんまりお腹空いてへんから・・・」「今日は、七草粥の日やから、お粥さんは有るけど・・おかずは皆で分けて食べよう」孫ちゃんに会うのは4日ぶりです。先日、4ヶ月の孫ちゃんを見てきただけに、ミッキーがとても大きく見えました。ママもすこぶる機嫌が良いようです。食事をしながら、この4日間の話を聞いてみると、やっぱり、パパが来ていたのです。ミッキーはその、パパに買ってもらったという洋服を嬉しそうに着ていました。これがパパのお年玉だそうです。おっさんも嬉しそうに、食事が済むと早速「ミッキー、じいじーとお風呂に入ろう!」と誘います。TVに夢中のミッキーは、はじめ、渋っていたのですが、子達の中で戯れているうち、「入る!」ということになり、じいじーとお風呂に入って帰りました。ミッキーとジイジーが入浴中ママが、いじめをする子の対応を学校にいいに行ったとか、始業式の場で、ミッキーが、学年を代表して「冬休みに頑張った事と3学期頑張る事を」発表した事。一緒に住んでないパパの存在が、皆とは違うらしい事にミッキーが気がついてきて色々と質問すると言う事。など、母親としての悩みを話してくれました。いつも傍にいると気づかないが、娘も少しずつ「親」になってきているなと思いました。私が、ミッキーのお洋服を褒めていると、ミッキーにとってはパパが買ってくれた服をちゃあちゃんが褒めている事が嬉しかったのか「ちゃあちゃん、パパの顔知ってるの?」「知ってるよ!」「ほな、なんで、あわへんの?」「えぇ~!!別に会わんわけではないよ!パパがここへ来うへんから、会わんだけやで。パパが北らええやんか」ふ~ん、そうか!なんていう会話も飛び出し、今度は何を聞かれるのやろ?と、ドキドキさせられます。思わず、(ママ!しっかりしいや!)と心の中で叫んでいました。
2004/01/07
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日本列島はいつでもどこでも地震が起きる。今日、PM2:40頃、お友達が来て、お喋りをしていると、来ました。地震。結構強めで私は思わず立ち上がりましたがどうすることもできず、ウロウロするばかりでした。お友達は「震度3くらいだったね!」「TV TV!!」とTVをつけました。2.3分するとNHKで地震情報がテロップで出ました。「近畿地方に12:40頃地震がありました。各地の震度はごらんの通りです。・・・・」滋賀南部はやはり震度3でした。お友達が居なかったら私1人でどうしてたかしら?怖い怖い!!孫ちゃんたちは、昨日、今日と何の連絡もなく、夕飯を食べに来ません。私達が、彼女たちを放って息子のところに行った事が気に入らないのでしょうか。私にとっては、娘も息子も大事な子どもです。息子は遠くにいるので、気がかりな事があっても何もしてやれません。年に1・2度の訪問がやっとです。娘は毎日でもやってきて、それでも不満不平をぶちまけて、好きにしているのだから・・・。と思っているのは私だけのようです。しかしこれ以上の過保護はしてはいけないと私自身辛い場面もタタ有りますが我慢することによって娘が満足なら・・と思っているのですが。いつまでこの我慢比べは続くのかしら?「どうしたの?」と、声を掛けて欲しいのでしょう!わかります。でも今は我慢です。娘から、何か行ってくるまでこちらから声は掛けません。それが娘の自立を促すと考えるからです。冷たい母親でしょうか?私は。娘を愛すればこその洗濯と思いますが。しばらく、私の心の葛藤(マグマ)がおさまるまで。
2004/01/06
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おっさんは今日から出勤です。私は行くところがない。(--)朝からPCで遊びながら、ビジネスの「案内ビラ」をつくり年賀状の中から、「この人には届けたい」と言う人に、近況報告の手紙を添えて発送しようかと思ったが切手がない。この段階で挫折感を味わい、動きが取れない。(明日できる事は明日すればいい)と、だらけた生活に戻った。買い物に行くのも億劫で、夕飯は残り物で済ませる。昼食も、お持ちの残りでぜんざいを作って食べたたよ!夕飯の後、さらに、あん餅を2個焼いた。おっさんに「食べる?」と聞くと「いらん!」と言うので私が2個とも食べました。さすがに苦しい(><)孫ちゃんたちは今日は何の音沙汰もなく来ませんでした。パパでも来ているのかしら?食事はいつきても言いように準備はしているものの、来ないとやはり心配になります。何も行ってこないのは元気にしているのでしょう!冬休みも後わずかになってきましたが、宿題はできたのでしょうか?これも私が心配する事ではないですね。ママがちゃんと見ている事をいのります。
2004/01/05
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昨日の朝早い新幹線で息子の住む埼玉に行ってきました。年末に分譲マンションをかって引っ越したんです。引越しの時も手伝いに行かなかったので、新居拝見と年賀の挨拶と孫の顔をみがてらの、訪問でした。あのややこしい東京駅を無事クルアして、「有楽町線」に乗り、目的の○光市駅に着いたのは、11時でした。息子のとこの孫ちゃんは男の子です。丁度4ヶ月になりました。ミルクを一杯飲んで大きく成長してました。はじめは、私たちを見て「誰かしら?」と言うような顔をしてましたが、抱っこしたりあやしたりすると大きな声を出して笑います。やっぱ孫は可愛いですね^^そして、新しいマンションは気持ちがいいほど快適生活空間が広がってます。機密性も高く、セキュリテイもしっかりしていて、良いのですが、この機密性とセキュリテイの高度さが、母親を孤立化させているのではないかと思います。嫁はお天気のいい午後はベビーカーで近くの公園まで散歩にも行っているので「ママ友」も出来ているようで少し安心しました。息子は、今休みなので積極的に育児や家事を手伝っている姿も微笑ましく思いました。息子は姉の様子を聞きます。正直に答えたのですが、息子には、鬱という病気が今ひとつ理解できてないようで、仕事をしてない姉を疎ましく思ってるようです。同様に、嫁も、病気がわからないまま、自分は姉に嫌われていると思ってるのでしょうか?娘の話になると、明らかに不機嫌になります。私がいくら娘のことを代弁しても、それは母親だから娘を庇っているとでも思うのでしょう。今日、帰り際「娘は一度家を出た娘、あなたは、家の人って思ってるから遠慮はいらないのよ!」と慰めておきましたが・・・。遅い昼食を駅前で食べて、早めに東京駅まで帰り、少しのお土産を買ってきました。帰宅は今日の19時過ぎです。帰りの新幹線も満員でお弁当も買う事も出来ず、帰宅して直ぐ、二人だけの夕飯の支度をして食べました。おっさんも機嫌よく過ごせたようです。自分の息子が20代でマンションを手に入れ、妻と子どもをしっかり育てている姿に満足だったのでしょう。私たち夫婦にとって、娘も息子も大事な子どもです。どちがどうのこうのといえるものでは有りません。二人とも、自分の信じる道をしっかり歩いて欲しい。その為に、私達が必要なら手を差し伸べよう!孫も二人、どちらも健やかに育てと祈ります。二日間息子夫婦のところで過ごせた事の幸せを嬉しく思います。
2004/01/04
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なんじゃ?このタイトルは?姉にとって1人で迎えるお正月は2度目である。私は、息子が居ないお正月は今年が初めてです。昨日、孫たちが来るまでは、おっさんと二人っきりだった。寡黙な、おっさんと1日一緒は、しんどいものがあった。今日は、そんな雰囲気から抜け出したい気持ちと、姉は1人で昨日どうしていたのかしら?との思いが重なって、お昼前、「買い物に行って、姉の様子を見てくるわ!」と、いって出かけた。買い物は、夕飯の食材だけでよかったが、皆が騒ぐ「福袋」ってどんなんかな?と思いながら、洋服売り場や、そのほかの売り場も見て回ったが、今すぐ欲しいものもなく、何故か、電卓なんか、買ってしまった。夕飯の食材と、お昼用に、お寿司を買って、姉の家に行きました。一応、新年の挨拶をして、買って行ったお寿司を二人で食べました。思ったとおり、昨日は尋ねてくる人もなく寂しく過ごしていたようでした。私が行くと、嬉しそうにしてました。色々の話の中で「一緒に住んでもいいけど、毎日一緒に居たら、きっと上手く行かないと思うから、・・・・」「そう!これでいいの!私もそう思うから・・・」「必要なら、毎日でも来るからね」「いいや!nohohonには旦那さんもいるからそんなことしたらあかんよ!空いた時間に来てくれたらいいの・・・」「お姉ちゃんも、お義兄さんの思い出にいつまでも慕ってないで、前見て一人で歩いていく事考えなあかんよ」「うん!わかってる・・・」こんな話をしながら、夕方まで過ごしました。姉には子どもが居ません。だからこそ、しっかり1人で歩いていってもらいたい。と、思うのですが・・・・。まあ!しばらくは、「訪問介護」で、乗り切ってもらいましょう!後半年で、「3回忌」です。これを機に、少しずつ、義兄の霊から溶き離れてもらいたいものです。夕方帰宅すると、出先を告げていっていたのでか、おっさんは、流しの荒いものをしておいてくれました。いつもは、渋い顔をしているのですが、心なしか今日は穏やかな顔でした。直ぐに夕食の準備をして、いつもどおり孫たちが来て、夕飯を食べました。
2004/01/02
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何事もない、いつも通りの日常が戻ってきました。これが我が家のお正月。朝の遅い私は、お昼に「お雑煮」を食べました。関西は味噌仕立てでいただきます。おっさんの田舎は、すまし汁なんですが、ここ3.4年は関西風で我慢してもらってます。3が日のうち1日くらいはすまし汁を造りますが(--)おせちは、今年は全く作りませんでした。黒豆と、レンコン、たたきごぼうだけ、市販のを買ってきました。それを袋から出して、一応、重箱に詰めました。今年は息子夫婦も帰らないので、気楽なものです。孫ちゃんたちは夕方いつも道理やってきました。孫ちゃんは、親戚のおばあちゃんに貰った「お年玉図書券」で、早速本を買ってきて大喜びです。年賀状も「2つも来たよ!」と喜んでました。じいじーと、私からは、○千円 お年玉を上げました。「これは貯金するんやで!」といいました。「銀行にいって通帳をつくろうな」ということで、納得してかえっていきました。子どもは素直でいいです。ママは、早々機嫌悪く、膨れています。触らぬ神にたたりなし。膨れているままにはなるべく逆らわないように、言いたい事だけ言わせておくことにしましょう!今年は元気になって、仕事にいけるのでしょうか?鬱という病気が治るのは、私にはわかりません。娘の顔色で判断するしかないのです。娘の心にも「春」が来る事を祈るばかりです。
2004/01/01
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