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2022年02月22日
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名称:月読神社(つきよみじんじゃ)
場所: 京都府京田辺市大住池平​​
アクセス:JR学研都市線大住駅から徒歩17分

     JR学研都市線松井山手駅から徒歩30分
     松井山手駅から京阪バス10分宝生苑バス停下車徒歩6分
     松井山手駅から京阪バス7分大住ケ丘バス停下車徒歩12分

この月読神社には、月読尊(つきよみのみこと)と、その父・伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、母・伊邪那美尊(いざなみのみこと)が祀られています。
「月読神社」の名が付く神社は日本に80ほどあるそうで、京都市西京区(松尾大社の摂社)や、長崎県壱岐島が有名です。古代、中央政権は朝鮮半島との関係で対馬や壱岐を重要視し、壱岐・対馬の氏族が中央の祭祀にも携わるようになったといいます。壱岐から移ってきた氏族が京都・山城の地に月読神社を創建したと考えられます。
月読尊は天照大神の兄弟神で、月、あるいは夜を司る神と考えられています。「月を読む」とは月の満ち欠けのこととも考えられます。潮の干満は島の人々にとっては重要な関心事。月読尊を祀神とするのも納得できます。
一方、朝鮮半島からやってきた渡来人の秦氏は、山城や河内、摂津などに土着しました。秦氏は養蚕や土木のほか天文学にも秀でていたといいます。祭祀を司る壱岐の氏族と星に詳しい秦氏との関わりをいろいろ想像してしまいます。ちなみに先述の松尾大社は秦氏の氏神です。
さて、本題の京田辺市・月読神社に話を移しましょう。
この神社は延喜式神名帳にも載っており、大社に位置づけられていました。現在の本殿は明治26年(1893年)に設計されたものだそうです。
平安時代末期から室町時代末ごろまで、神社のある大住地域の周辺には、奈良興福寺の荘園が多くありました。鎌倉時代の初めには、源頼朝から神馬の献上があったと伝えられています。明治維新の鳥羽伏見の戦いでは、戦火を避けるために石清水八幡宮が一時、月読神社に遷座されたそうです。


約1300年前、九州南部の薩摩・大隅地方から京都府京田辺市大住に移ってきたのが大隅隼人(おおすみはやと)の人々です。この地区の名前「大住」は九州の大隅がもとになっていると考えられています。
天武天皇(672~686年)の時代に近習(側近)となり、宮中警護にあたるとともに、正月の行事や天皇即位の大嘗祭で「隼人舞」を奉納しました。その隼人舞の発祥の地を示す碑が神社の鳥居横にあります。
現地の説明板によると「隼人舞は岩戸神楽と並ぶ日本民族芸能の二大源流」だそうです。毎年10月14日、例祭の宵宮に奉納されます。
大住隼人舞は、昭和50年(1975年)、田辺町(現、京田辺市)の指定文化財に指定されています。(ちなみに鹿児島県霧島市隼人町の鹿児島神社では、旧暦8月15日の放生会で隼人舞が行われます。)





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最終更新日  2022年02月22日 23時50分38秒
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