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金本、恩師・三村氏告別式で涙の誓い
元広島の監督で楽天の編成部長を務めていた三村敏之氏(享年61)の告別式が7日、広島市内で行われた。教え子代表として阪神・金本知憲外野手(41)が涙ながらに弔辞を読み「自分の野球人生も長くはありません。アグレッシブで勢いのある三村野球の神髄を、見せていけるように頑張っていきます」と全力プレーで恩返しすることを誓った。 ≪サンスポ≫
憧れの 田淵幸一 がホームラン王を獲得した75年、まわりの友達はみな赤い帽子をかぶっていた。俗に言う赤ヘル旋風。広島で生まれ育った 徳虎 にとって 小学校の頃のカープは大嫌いだった。その中心選手が 山本浩二 、 衣笠祥雄 で そこへのつなぎ役が 2番ショートの 三村敏之 だった。
徳虎の縦縞応援人生も 11/7をもちまして、開設1周年を迎えました。これもひとえに いつもご訪問いただいている皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。普段はタイガース中心のブログですが、今日はカープ中心の話題です。
先輩 大下剛史 の引退でセカンドにまわった 三村 。その後 高橋慶彦 の台頭でセカンドにまわった 木下富雄 に押し出されるように、代打&守備固め要員にまわる。
中学の時だったろうか、代打で出てきて 勝ち越しタイムリーを打つ 三村 。 広島テレビ 加藤進アナの実況 『 いこれぞ いぶし銀 の働き!! 』 このとき 人生はじめて いぶし銀 と言う言葉を知った。
そして 江夏豊の21球 。9回裏無死満塁から 佐々木恭介 の放った サードを守る 三村 のすぐ横を抜ける3塁線ぎりぎりのファール。実はグラブに触れてたとの説もあるが「俺の身長があと5cm高かったら負けていた」とは本人談。
現役引退後、指導者として2人の名選手を育てる。入団当時から幹部候補生として帝王学を学んだ 野村謙二郎 や、天才打者 前田智徳 といったエリートではなく、ひとヤマいくら・その他大勢組(少なくとも入団当時は...)の、 緒方耕市 と 金本知憲 。
前者は、褒めて褒めて褒め抜いて育てた。仲人も務め 現役時代 自身が付けていた背番号9も譲り与えた。後者には 厳しく厳しく務めて厳しく接した。反骨心を上手く刺激し育て上げた。 金本 は超一流にまで上り詰めた。
そして昨日。洋子夫人たっての願いで「教え子代表」として弔辞を読んだ 金本知憲 。
自分の野球人生もそう長くない
三村野球の神髄を
みんなに見せていけるように頑張る
確かに 03年以降 アニキがタイガースに来てチームは変わった。勝つために何が必要かを浸透させてくれた。
そして今。また新たなる変革が望まれる阪神タイガース。自らの体力の限界との戦いの中で、 来年 アニキは チームに何を与えてくれるのだろうか? 今から楽しみである。
(静かな声で)
突然の不幸に心からお悔やみ申し上げます。(7秒間の沈黙)きのう三村さんと対面しました。(声が詰まり、涙ながらに話す)なんと安らかで今にも起きあがってきて「お前何しにきたんや。はよ練習にいけ」と今にも言いだしそうな表情でした。
やりたいことはやった。好きなように生きてきた。いっぱい頑張ってきた。そういう悔いのないような人生を送ってきた顔をしておられました。しかし、去年僕と約束しましたね、ミムさん。
「いつかまた2人が、俺とお前とがどのチームでもいいから、どこでもいいから俺とユニホームを着てカープのように強いチームを作ろうや」と...。「お前手伝うてくれ」と、「文句なくついてこい」と。ミムさん、僕もどうなるかわからないですけど、できることがあればさせていただきます、と...。そういう約束をしたんですけど...。(涙で声が震える)突然のことにビックリしています。
誰もが知っている通り、僕はプロ野球選手として、ミムさんなしでは語れません。ファームで2年間、1軍で5年間。プロ野球に入ってから計7年間も、ずっと監督はミムさんでした。
(泣いて鼻をすすりながら) いつもいつも強く当たり、いつも僕を突き放して、ボロカスに痛めつけられて、僕も悲しくて何回か涙したこともありました。(少し力強い声で)そのたびに必ず見返してやると、いつかミムさんにほめてもらえる選手になりたいと、そう思って頑張ってきました。でも、その強い言葉の裏側に何倍もの期待や愛情が隠されていることに気付いたのは、ミムさんの辞めたあとでした。そのとき、ミムさん、僕に言いましたよね。「お前よう、ついてきたな。俺もいろいろ悪かったな。だけど、お前にはこのやり方が一番伸びると思った」と...。「カネ、許してくれ」と。何を言っているんですか。当時、体のひ弱だった僕は甘ったれた、ひ弱な選手でしかなかったのですが、おかげさまで少しは強くなれました。ミムさんがいなかったら、今の自分は間違いなく、ないと思います。
(少しの間を置いて、ハッキリとした口調で、) もう自分の野球人生もそんなに長くはありません。最後に僕がユニホームを脱ぐときには、もう一回だけミムさんに「お疲れ。ようやったな」と、ずっといってもらえるのをすごく楽しみにしていました。これから、またアグレッシブで勢いのある三村野球の神髄を、みんなに見せていけるように僕も頑張っていきます。最後の最後まで「俺は大丈夫だから。大丈夫だから」と一切弱みを見せず、体調の悪さも隠し続けて、亡くなる前日まで仕事を全うしたその姿、その精神はいかにもミムさんらしく、かっこいい死に方だったんじゃないでしょうか。
これからは、天国からしっかり応援してください。また僕が甘ったれたりしていたら、いつもの口調で「なんしよんや。なに、たるんどんや」といってください。また当時、毎日のようにいっていた「お前の代わりはナンボでもおるんじゃ」と強くいってください。そして、天国で、もう一度強いチームを作ってください。
(10秒間黙ったあと、歯を食いしばるように、涙をこらえながら) それと、もう一回天国で『2番・ショート・三村、背番号9』でもう一回プレーしてみてください。本当にいろいろ、ありがとうございました。
三村敏之氏のご冥福を心より申しあげます 合掌
後半戦の星 July 23, 2009
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準備の準備 明日キャンプイン January 31, 2009 コメント(2)