売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2022.10.14
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先月カッシーナ・イクスシー社長の 森康洋 さんから携帯番号変更の案内を受け取り、なんの疑問も感じずアドレス帳を書き換えました。そして数日前、 WWD ジャパンが森さんの社長退任記事、こういうことだったんですね。退任理由は「一身上の都合」、詳しくは分かりません。アクタス社長からカッシーナに移って 10 年余、コンランショップジャパンなども傘下におさめて事業を拡大した功績は大きいです。ご苦労様でした。



上の写真は数年前に建築学生ワークショップを主宰する建築家の平沼孝啓さん(右)と森康洋さん(左)と一緒に南青山のレストランで会食したときのもの。このとき、カッシーナ青山直営店を若手デザイナーのイベントに利用させて欲しいとお願いし、ビューティフルピープル熊切秀典さんを紹介。以下の写真は熊切さんとのコラボが実現した模様、コレクションでも使った小さな粒入り服と同じクッションが予想以上に売れたと森さんは喜んでいました。








私が森さんと初めて会ったのは、彼がレナウン米国法人社長だった頃でした。松屋の若手社員を連れてニューヨーク研修する際、森さんには当時レナウンが提携関係にあったJ・クルーの直営店視察をお願いし、開店時間前に大型ショップを案内してもらっていました。私の部下だった松屋ファッションディレクター関本美弥子はニューヨーク州立ファッション工科大学卒業後米国レナウンに就職、森さんは関本の上司でもあり、少なからずご縁のある方です。

あれは1999年だったでしょうか、私はレナウン副社長に就任したばかりの 小野寺満芳 さんから突然電話をもらいました。レナウンのメインバンク住友銀行からアパレル名門企業再建に送り込まれた剛腕経営者というふれ込みでした。「レナウン再建でご相談したいことがあります」と言われ、私は明治通り沿いのレナウン本社に出かけました。

「会社整理するために銀行から送り込まれたとあなたは思っていらっしゃいませんか」、これが初対面の挨拶でした。住友銀行が常務クラス以上の人材を送り込んでマツダやアサヒビールを建て直したように、レナウンを再建して来いと頭取に命じられての出向と小野寺さんからは伺いましたが、失礼ながら私は会社を整理するために送り込まれた人物だと思っていました。

そして1枚のメモ書きを渡されました。そこにはレナウンが販売している全ブランドの名前が書いてあり、「今後レナウンに不要と思うブランドに印をつけてください」。私は「全部」と申し上げました。ブランドの名前しか書いていないリストを手に無責任に答えられるはずありませんから、あえて「全部」と答えたのです。

続けて、私は「明日からパリコレ出張、1週間ほどで帰国しますから、それまでにリストにある全ブランドの当初想定したターゲットと現状の顧客像をまとめてくれませんか」とお願いしました。せめてそれくらいの情報がなければ求められた答えは出せませんから。さらに、私は小野寺さんにこう申し上げました。

「ニューヨークにレナウンらしくない面白い男がいるじゃないですか。どうしてああいう人材を海外に駐在させているんですか。あなたが本気で改革するのであれば、ニューヨーク駐在所長のような人材を本社に集めるべき。前回ニューヨーク出張で森さんに会ったとき、米国グリーンカードを取得し、会社はゴタゴタしているので辞めて米国で転職しようか悩んでいると彼から相談されましたよ」、と。

パリコレ出張から戻って再び小野寺さんを訪ねたら、もう森さんはニューヨークから呼び戻され、本社で仕事をスタートしていました。このスピード感があるならレナウンは再建できるかもしれない、小野寺さんに協力を約束し度々会って友人のファッションディレクターやデザイナーを紹介しました。森さんは当時ニューヨークで人気急上昇中の新人デザイナーブランド、レベッカテイラーとの契約締結とその日本展開が担当業務、すぐに執行役員に指名されました。

小野寺さんには「レナウンの売上を展開ブランド数で割ってください。平均値はかなり小さい、つまり小さい売上規模のブランドそれぞれに多くの人材が関わっている。これでは利益は出ません。多くのブランドを大胆にスクラップ、人材と資金を集中させるべきです」、さらに「(習志野の)大型パワーセンターを処分すべき。倉庫が大きいとどんどん在庫が膨らみ、いつの間にか在庫過多が平気になります。倉庫は小さければ小さいほど良い」とも言いました。

小野寺さんも副社長着任直後に東西の大型パワーセンターの視察に出かけ、あまりの在庫の多さにびっくり仰天だったとおっしゃっていましたが、アパレルメーカーの破綻の始まりは過剰在庫に鈍感な体質、そして低いプロパー消化率に社員の多くが「売上取るためには仕方ない」と慣れきっていることだと思いますが、レナウンの在庫も半端なかったようです。

さらに、柱になるブランドの発掘、育成は急務、そのためには外部の人材を活用して時代に合った魅力あるブランドを1つでも2つでも作ることだと薦め、いろんな人材を紹介しました。

ところが、銀行から再建を託された小野寺さんは口が悪かった。あえて強烈な言葉を発することで社員を刺激したかったとも言えます。しかし、これが原因で会社は意外な方向に向かいます。

アドバイスを求められる我々の前でも覇気のなさそうな男性社員のことを「こいつらバカなんだ」、「うちにはバカしかいない」、「若い女性の方が優秀なんだ」と強烈な言葉を連発、いまならパワハラ発言に当たるキツい言い方でした。発言の裏にある愛情は確かにあったと私は思うのですが、これに耐えられない社員と組合がグループの長老やOBたちに働きかけ、小野寺さんを銀行に戻す画策を仕掛けたようです。詳しい背景は分かりませんが、結局小野寺さんはレナウンを追われ、小野寺さんに希望の光を見ていた森さんはこの動きに失望、レナウンを退職してインテリア業界に転じました。

もしもあのまま小野寺副社長が大改革の指揮を取り続け、森さんたちのようなファッションビジネスに不可欠な面白い人材が手足となって動き、我々が紹介した外部のプロ人材が活かされていたら、名門企業は別の道を歩んでいたかもしれません。カッシーナの経営で手腕を発揮した森さんを見ていると、こういう人材があのまま改革に従事していたらなあ、と思います。

倒産してしまったレナウンは日本のファッションビジネスの真のリーダーでした。自社のノウハウを惜しげもなく同業他社に公開、優秀な人材もたくさん在籍しました。米国人気ブランドだったペリーエリス事業、米国のホンモノよりもレナウン製のライセンス商品の方がクオリティーが高かったし、それに関わった人材はほんとに優秀、米国サイドもペリー本人以下みんながリスペクトしていました。そんな企業があっけなく消滅するんですよね。

1978年のVAN倒産時、創業者石津謙介さんはレナウン中興の祖である尾上清さんに相談に行きました。再生あるいは破産、どちらを選択するべきか悩んでいた石津さんの問いに対して、「石津くん、ファッションは虚業だよ。潔く散った方が良い」と破産をアドバイスされた、と石津さんご本人から伺いました。尾上さんが指揮した名門企業も儚くも完全に消滅してしまいました。虚業なんですかね、ファッションビジネスは....。






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Last updated  2022.10.21 23:53:16
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