全4356件 (4356件中 201-250件目)
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ... 88 >
Tyhoon No.15,slope of Meguro ward No.2_ story (4411)2019.9.14The fierce typhoon No. 15 with a wind speed of 57.5 km hit Chiba Prefecture widely. Infrastructures such as electric and water have stopped . In my student days, I was researching technology to send electric power by radio waves (electromagnetic waves), but is there any way to deliver electricity from space to schools and hospitals? In each home and region, double or triple defense is required by such as solar power.I would like sympathy to those who still have inconvenience.風速57.5kmという猛烈な台風15号が千葉県を襲った。電気水道などのインフラが止まったままだ。家屋倒壊など甚大な被害を齎した台風。学生時代は電力を電波(電磁波)で送るというテクノロジーを研究をしていたが、宇宙からピンポイントで学校や病院に電気を届ける方法はないものだろうか。各家庭や地域で、太陽発電で凌ぐなど、2重、3重の備えが求められる。不便をいまだに抱える人々にお見舞い申し上げます。■今週の4枚slope landscape in Meguro Ward Tokyo(目黒の坂道 2019.9.10)1.別所坂(16°、階段18°)2.なべころ坂(10°)3.馬喰坂(8°)4.十七が坂(10°)人はあまりみかけない。目次徒然の記その1 ピアノ発表会と驟雨徒然の記その2 METオペラ「椿姫」は一部お流れ徒然の記その3 目黒run→武蔵小山温泉 清水湯 徒然の記その4 DVD『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』-6時間徒然の記その5 防災懇談会「十龍会」徒然の記その6 映画『蜜蜂と遠雷』に関係する藤田真央のCD発売イベント 徒然の記その1 ピアノ発表会と驟雨 2019.9.8(日)■孫がピアノの発表会に出るというのでカミさん代行を務めた。京王八王子から徒歩15分の八王子いちょうホールに急いだ。スマホのGoogle Mapのナビ通りに道路を渡ったりしながら指示通りに進んでみた。 小二の孫は5番目に出るというので、遅刻するわけにはいかない。台風15号が迫っている僅かの間隙を縫っての演奏会となった。12時半に開始し、無事16時半には全てが終了した。大変弾ける子も多いが、音楽大学に進むという人は今のところいないと聞く。皆趣味としてピアノを楽しんでいるようである。 音楽の楽しさを知って続けていければ幸いである。兄弟姉妹で出ている子も多く、家での影響も相当あるようである。それは当然のような気がする。だって家にピアノがあれば弾かなくては損である。 さて、帰りは大雨となった。前が見えないほどの土砂降りである。傘の用意がなかった僕は、息子一家に家まで送ってもらった。徒然の記その2 METオペラ「椿姫」は一部お流れ 2019.9.9(月)■台風15号・・未明の午前3:00頃、千葉に上陸し、960ヘクトパスカルという小型ながら猛烈な風雨を伴う恐怖の台風となった。千葉県では最大瞬間風速57.5kmという猛烈な風が吹き荒れ、ゴルフ練習場の鉄塔をなぎ倒した。停電や断水が金曜日になってもまだ続いている。甚大な被害を及ぼした。8日から9日にかけて成田空港に到着した1万人もの乗客は陸の孤島と化した空港から一歩も動けなかった模様。 そういう非常事態の折、運悪くMETオペラ「椿姫」の観劇が東銀座の東劇で10:30から始まろうとしている。そのための集合時間は10:00である。■台風15号のため計画運休が午前8時や9時と朝のラッシュ時まで続いている。10:00東劇(東銀座)の集合時間にはとても間に合いそうにない。2時間はかかるであろうから通常でも8:00迄には家を出ないと間に合わないのだ。 一旦欠席のメールを入れておいたが、台風一過で天気は晴れ渡ってきて暑そうな雰囲気。家で汗を掻いているいるよりも、劇場に駆け付けた方がよいのではないかと気が変わった。「遅刻」覚悟で行ってみるかと、これが実は甘かったのである・ 京王線が動き始めた8:30。この2時間も前から駅に来て、改札前で待たねばとても一番電車に乗れなかったようである。それも制限乗車で、始発駅からでも満杯にせず電車は発車する。途中駅でも乗客を乗せていくためである。 バスは比較的空いている。8時半ごろのバスがほとんど人を乗せないままやってきた。ルンルン気分で駅に着いた。しかしどうも様子が変である。ホームに入れない人達が、長蛇の列をつくりながらどこが最後尾かともわからない状態。京王線とJR横浜線の改札待ちの人たちで両方の列が、錯綜している。普通には歩けない状態なのだ。 あきらめてバスで帰宅しようにも、出発のバス停までたどり着けないくらいに混んでいるのだ。列に並ぶことを諦めてさらに外側に座り込んで待つ人など、かって見たことがない光景であった。2年前にもあったとあとで聞いた。■都心近くに住む4人がこのMETオペラ「椿姫」を観たというからすごいものだ。これは我々のように遠方から苦労して出かけようとしているその熱意にほだされて「近場の私たちが立ち上がらねば!」とゆっくり家で寝転ぶわけにいかず、押し出されてきたような雰囲気。歩いて臨んだ人を除いて、さぞかし混雑した電車で苦労したであろう。このリベンジに関しては、再度仕切り直しで別なオペラを観ようと幹事殿が新案を練った。徒然の記その3 目黒run→武蔵小山温泉 清水湯 2019.9.10(火)■1週間前の目黒run 再度挑戦。今回は分度器、水準器とスマホのみ。いつもの「カメラ、タブレット」という2本立ての道具はもたず、どれだけバッテリーが持つか、写真の操作性能は如何? などrunning中にチェックしたいと思い、さらに最後は銭湯で汗を流すというプログラムで家を飛び出した。 結果として猛烈な暑さにやられ、2,3kgまた痩せてしまったのではないかと、反省のrunningとなった。 苦戦の原因は、35.6℃というこの夏一番の暑さのせいである。あれほど32℃以上では走ってはならぬ と明言をしたのにも拘わらずである。 18.8km up +286m down -277km みなし距離=18.8+0.286x10+0.277x7=22km 平均速度3km/h 消費カロリー 1387kcal機内モード+Geographicaによる足跡トレース+メモ帳、時々インターネットでの5時間半。・・バッテリー消費は56% 残り14時間半。まぁ新規スマホは、電力的には十分すぎるほどの機能。1日の行動ではバッテリーの必要はなかろう。 カメラ操作・・・不慣れなためか、時々シャッターが押せない時(x1.7 などスケール表示が現れる時や、看板類は、文字読み取りのためのスキャンが先行されるのか、シャッターが押せないタイミングが多々。) これらは、Garaxyを使っている人など、スマホに得意な人に聞いてみよう。実際に使用する前に相当の勉強が必要であったことを身を持って体験。 今回のコースと計測結果・・別所坂(16°)、行人坂(15°)、茶屋坂(8°~18°)など、目黒川左岸の崖が総じて傾斜角が強かった。目黒川を何度も行き来するよりも、左岸は左岸で一纏めに坂を上り下りするほうが効率が良かったのではないだろうか。 日本坂道学会実測班・turbo717の目黒区一周(再)・・すこし解説を加えながら進める。(凡例・・[ ]・・地名、橋、川、交差点) (20°)・・角度、(:xxx)・・坂の由来など。( /・・)・・またの説。) [田園都市線・池尻大橋→玉川通り(江戸時代の大山道)→目黒川→氷川神社(↑、↓50段 35°)→山手通り]→松見坂(3°)→大坂橋(5°)→旧大坂(8°江戸から厚木まで48坂の内最も急で大きかった。坂の脇に道玄物見の松の古木があった。盗賊の道玄がこの松に登って旅人を物色し、手下に命じて衣服や携帯品を略奪した。)→相ノ坂(10°:大坂と新道坂の間に出来た坂)→[西郷山公園]→上村坂(11° 明治の海軍大将・上村彦之丞の屋敷が坂上にあった)→目切坂(6°:石臼の目切をする石工の名人・伊藤与右衛門が住んでいた。旧鎌倉街道。別名を「暗闇坂」という。)→旧新道坂(2~2.5°:目切坂と別所坂の間に出来た)→[中目黒駅]→小川坂(3°:坂下には小川田んぼが広がるのどかな田園であった。)→烏森小学校脇の階段(17°)→[蛇崩(じゃくずれ)伊勢脇道(蛇崩川緑道)]→半兵衛坂(3°)→謳坂(4°:平地に突き出た出崎を「うとう(アイヌ語)」という。ここから転じた。/近くに謳をよくした人が住んでいた。)→稲荷坂(4°:刺抜(とげぬき)稲荷大明神が近くにある。)→駒沢通り=けころ坂(4°)→→なべころ坂(10°)→別所坂(16°、階段18°:新しく開かれた土地を意味。麻布から目黒に入る古道。坂上に人工富士が築かれた。)→中山坂(恵比寿銀座:渋谷区)(3°)→ビール坂(3°)→[日仏会館]→[アメリカ橋→防衛省艦艇装備研究所]→新茶屋坂(6°)→茶屋坂(8°~18°:徳川吉宗が飲んだ茶屋の清水跡がある。落語「目黒のさんま」のモデル。)→[田道橋(でんどうばし)]→馬喰坂(8°:風雨にさらされ地面に穴があいた状態を馬喰(ばくろ)と言ってこの坂の由来になった。)→[庚申道(目黒不動と世田谷城を結ぶ道)→長泉院附属彫刻美術館]→なべころ坂(10°:昔は鍋がころがるほどの急坂。)→十七が坂(10°:17軒の集落があった。)→権之助坂(6°:菅沼権之助が行人坂の通行に難渋していたので切り開いた坂。幕府の許可を得ていなかった廉で処刑された。)→富士見坂(7°~13°)→[JR目黒駅→大圓寺]→行人坂(15°:多くの修行僧が大圓寺で修行した。)→[雅叙園→太鼓橋→五百羅漢寺→蛸薬師成就院]→石古坂(いしこざか 4°:石ころが多かった/坂下の旧羅漢寺川がかって石川と呼ばれ、石河坂の名が生まれ、石古に転じた。)→武蔵小山温泉 清水湯 ■武蔵小山(こやま)温泉 清水湯 2019.1.10(木)朝日夕刊の「訪ねる」にこの温泉のことが出ておりずっと気になっていたのだ。曰く・・東京は意外と湯どころが多く、2016年度末で253の施設、23区内に限って言えば、118か所と、30年弱で4倍近くも増えている。 大田区など臨海部の100m前後の地層から湧く「黒湯」は戦後、銭湯などで親しまれてきた。一方、近年増えているのが、1000m超の地層から出る「大深度温泉」。二つの天然温泉を味わえるのがこの「武蔵小山温泉」である。全国でも珍しい組み合わせである。 内風呂が「黒湯」、露天風呂風の外湯が「黄金の湯」。外風呂のは、1500m下から湧く湯で、ヨウ素を豊富に含む山吹色。美肌と育毛に効果がある。内風呂の「黒湯」は、褐色で肌にしっとりと馴染み、風呂上がりはヌルっと感じるほど潤う。色の正体は、「腐植質」。東京が大湿地帯だった氷河期の地層で当時の植物が熟成した物だ。「数十万年かけて地層から温泉に溶けだした奇跡の保湿成分」というのが当温泉の宣伝文句。 入浴料460円。12:00-24:00 日曜日は8:00-24:00.他にサウナ、女性だけの岩盤浴などがある。別料金。月曜日は休館。 国産黒酢ジュース1杯100円が旨い。 ■runningでは体力消耗のため都立大学前へは行かず、石古坂(いしこざか 4°)からまっすぐ南下。武蔵小山温泉 清水湯はその道の延長線上で近い。林試の森公園や、目黒不動の南にあたる。目黒線武蔵小山駅からは徒歩10分ほど。 近傍に、長さ800mの駅前商店街「パルム」が延びる。駅前は大開発の真っ最中。40階建ての高層マンション群がお目見えし、さらに開発が続いている。目黒線が地下に潜ったため、このマンション群がランドマークとなろう。■runしていて目につくのは、颯爽と歩く女性の姿。165-175cm、貫禄十分なるpowerfullな女性。”平坦”な、駅前近くで多くみる。徒然の記その4 DVD『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』-6時間 2019.9.9(月)■ジェーン・オースティン(Jane Austen 1775-1817)の長編小説「高慢と偏見(Pride and Prejudice)」(1813)のBBC放送版のBlu-ray Disc(NHK放送1996)を観た。タイトルの日本語訳として『自負と偏見』『自尊と偏見』というのもある。舞台は18世紀末~19世紀初頭のイギリスの片田舎。宏大な田園風景の中で展開される女性の結婚事情と、誤解。 当初高慢かと思われたフィッツウィリアム・ダーシー(Darcy:Colin Firth コリン・ファース)は実は口数少なき心優しい、友思いの好青年貴族であったのだ。周囲は偏見に満ちて彼を疎んじるが次第に心の内がわかってきて大団円を迎える。Elizabeth(映画ではLizzie ,Lizzy,リジーと呼ばれたりしている。) Bennet役のJennifer Ehle(ジェニファー・エイル)もまさにそれで最初は高慢さに顔を背ける。ダーシーの一途な思いは最後に結ばれる。その間に展開されるイギリスの風景が見事である。 第6章まであり、各章1時間、total 6時間ほどの内容であった。その長大で緻密な映像には感服するばかりだ。ちょうどポーランドの叙事詩「パン・タデウシュ」の景色も同世代であり当時の風景として参考になる映像であった。 METオペラが流れたその日、その浮いた時間で全巻を観終わった。長尺物と言えばハンガリーの映画、7時間18分の「サタンタンゴ」が13日に公開される。十分な睡眠と栄養を摂ってかからねばなるまい。徒然の記その5 防災懇談会「十龍会」 2019.9.11(水)■拙宅マンションの同じ階に住む人たちだけの防災懇談会が開かれた。当年は我家が幹事である。「天龍」というのが正しいのであるが、10階に住む8家族が対象の小さな懇談会を「十龍会」と名付けて、2010年から開いており今年で10回目となる。 中には、800超の戸数を抱える管理組合の長や各種委員会を経験した人もおり心強い。何か大事が起こった時に近隣の助けを求めるようになったとき、こうした小さなコミュニティーで、互いの顔を知っておくことは有益なことであろう。 樹木委員をやっている方は毎朝、敷地内の樹木や草花を診ているという。15号の台風では桜の太い枝が落ちたり、折れてぶら下がっているものを発見したという。早速市に掛け合って処分してもらったと。こういう熱心な人のおかげでマンションの秀麗さが保たれているようだ。広大な敷地の周りには電柱が一本もない。これは再開発事業の一環として地下に埋設させたもので、今回の台風の被害を見るにつけ最善の施策であったようだ。 水は地下タンクに1ヶ月くらいの貯め置きがあるというが、各家庭には階段を使って持ち上げなければならない。そういう意味で最上階34階でなく10階であったということにすこし安堵の気持ち。我々も来年か再来年には、こちらに常駐することになるであろう。マンション生活を享受する方向に次第に舵を切っていかなくてはならない。 庭仕事の代わりに、樹木委員の後を付けて行ってgreenに馴染むことも早速行っていかなくてはならない。ピアノを弾かれる方もおられこちらは弱音器付きの”最後のピアノ”を使っていて、さらに防音マットを敷いているとのこと。 こちらのはそんな生易しい話ではない。大音響なのでどう対策をしたらよいのか。今からその専門家にも助言をもらいながら調べていこうと思った次第だ。徐々に歯車が回りだした。徒然の記その6 映画『蜜蜂と遠雷』に関係する藤田真央のCD発売イベント 2019.9.12(木)■10月4日公開の映画「蜜蜂と遠雷」鈴鹿央士(おうじ)、ピアニスト藤田真央(まお)のピアノ演奏に酔いしれる/映画『蜜蜂と遠雷』「藤田真央 plays 風間塵」CD発売記念イベントが銀座YAMAHAで先週の9月4日(水)に開催された。その映像がYouTubeにupされた。https://www.youtube.com/watch?v=AEpyApP4_M8 5分ほどの映像であるが、3分50秒近くに「turbo717」そっくりさんが映っているという。カミさんが叫ぶ「貴方ってしょっちゅう出かけているのだから映っていてもおかしくはない!」と。発売イベントに本当に駆け付けていたのかはこの映像でお確かめあれ。この日は確か目黒区の一回目を駆けていた。 説明がややこしくなるが、映画「蜜蜂と遠雷」で主人公の風間塵(じん)を演じるのは鈴鹿央士( 2000-、岡山県出身、連続テレビ小説「なつぞら」で町田役 役)で、その音源を担当するのが、ピアニストの藤田真央(1998-)という次第だ。 氏の受賞歴がすごい。15歳(2013))の時、第5回ロザリオ・マルチアーノ国際ピアノコンクールで1位、17歳(2017)第27回クララ・ハスキル国際ピアノコンで1位、19歳(2019)第64回チャイコフスキー国際コンクール(6月)で2位(この時の1位はアレクサンドル・カントロフ(1997-)、父はヴァイオリニストの巨匠ジャン=ジャック・カントロフ、フランス人初の優勝)。 映画の撮影などはこのチャイコフスキー国際コンクール以前に行われた筈なので、非常にタイトなスケジュールであったろう。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Sep 14, 2019
コメント(0)
Grotta Azzurra(Blue Grotta )_ story (4410)2019.9.7These days are still hot, but it has become very cool in the morning and evening. The sound of the gathered insects relieves daytime fatigueまだまだ暑いが朝晩は非常に涼しくなってきた。集(すだ)く秋の虫の音に昼間の疲れを癒す。■今週の2枚2枚の"青の洞窟"2019.8.27だったか、夕刊のPhotoStory欄に西伊豆堂ヶ島の「天窓洞(てんそうどう)」の美しい写真が載った。説明には、イタリアの「青の洞窟」に匹敵する美しさだという。与謝野鉄幹、晶子夫婦も訪れ詩を詠んでいる。 堂ヶ島で洞窟巡りの遊覧船に乗ったことは覚えているが、この天窓洞に寄ったのかは記憶がさだかではない。一方カプリ島の「青の洞窟」はよく覚えている。 天候と波によっては中に入れないこともあり、小さなボートがくぐれる1mほどの小さい穴から中に入り、青の世界を満喫するのだ。底は見えないがキラキラと青く輝きこの世のものとおもえなかった。 このカプリには思い出が沢山ある。ナポリ港のタクシーにスケッチ道具が入ったカバンを持ち逃げされ(翌日そのタクシーが見つかり返してもらっている)、宿屋でパスポートの返却を忘れられシチリー島で無いことに気付き急遽往復しているのである。予定にない滞在のため2回は青の洞窟を満喫している。 思い出したり、新聞を模写したりして2枚の絵を較べてみた。目次徒然の記その1 朝餉徒然の記その2 目黒区の坂道徒然の記その3 天狗の集い 徒然の記その4 ガラ携 終焉?徒然の記その5 ミツキエヴィチ著「パン・タデウシュ」 徒然の記その1 朝餉 2019.9.1(日)■食べ方を変えた・・てんこ盛りにして食パンを齧ることをやめたのだ。自家製食パンの上にハム、目玉焼、キャベツ(ヘタや茎の部分を薄く切ってチンしたものにマヨネーズをかけて混ぜたもの)と3層にして、大きな口を開け、ポロポロと食材を落としながら食べる従前の、10数年来の、食方法を改善した。 つまり口の中がいつも満杯状態で、咀嚼に時間がかかり喉を通っていかない能率の悪い食べ方から、カミさんを見習って、常に1層のみにして上品に食べる方法へ。 この利点は、口の中が比較的空くため、咀嚼が早く、能率的であることと、副産物としてパンそのものの味が味わえるという点。 目玉焼きはパンといっしょに齧るように食べていたものが、ホークで小切りしながら口に運ぶという所作に代わり、キャベツは、野菜を最初に食べるという法則に則り、それのみをパリパリと食べ胃壁を保護する役割へという当初の目的に合致するようになった。 なにか悔しいが、カミさんの食べ方が正しかったのである。 ”フライング食べ”という悪い癖はそのままであるが、startからendまでの、口に溢れた食材を飲み込もうと涙をこぼすことなく楚々としてほぼ同時に朝餉を終わるという平穏な時が流れるようになった。 カミさんとの違いはコーヒーの濃さの違い・・16:1ほどの濃さの差がある。小さじ大盛り4杯と小盛り半ばいという調子であるが、これだけの差を付けても夜は寝つきが悪いのがいまだに続く。徒然の記その2 目黒区の坂道 2019.9.4(水)■港区、文京区に続いて今回は目黒区の全坂を踏破しようと25kmの旅を思いついた。参考にした本:日本坂道学会会長 山野勝著の「大江戸坂道探訪」目黒区(大橋~中目黒、上目黒~三田、下目黒~目黒) 日本坂道学会副会長 タモリ著の「タモリのTOKYO坂道美学入門」目黒区(相ノ坂、目切坂、別所坂、なべころ坂、行人坂、寺郷坂) 日本坂道学会踏破班・turbo717の目黒区一周案・・(凡例・・[ ]・・地名、橋、川、交差点)[田園都市線・池尻大橋→氷川神社]→松見坂→旧大坂→大坂→相ノ坂→[西郷山公園]→上村坂(10°)→目切坂→旧新道坂→[中目黒駅]→小川坂→[烏森小学校→蛇崩(じゃくずれ)伊勢脇道(蛇崩川緑道)]→謳坂→稲荷坂→けころ坂→[駒沢通り]→新道坂→別所坂→中山坂(恵比寿商店街)→ビール坂(1)→[日仏会館]→ビール坂(2)→[アメリカ橋→艦艇装備研究所]→新茶屋坂→茶屋坂→[田道橋]→馬喰坂→[長泉院附属彫刻美術館]→なべころ坂→十七坂→権之助坂→富士見坂→[JR目黒駅→大圓寺]→行人坂(15°)→[雅叙園→太鼓橋→五百羅漢寺→蛸薬師成就院]→石古坂→目黒不動・男坂(25°)・女坂→三折(みおり)坂→[林試の森公園→小山台公園→清水池公園→碑(いしぶみ)さくら通り→→呑川本流緑道→都立大学駅]→柿の木坂→どぜむ坂→[すずめのお宿緑地公園(古民家:栗山家復元屋敷)→碑文谷八幡神社]→鉄飛坂→寺郷坂→[岡田家の長屋門]→兵庫坂→[中根公園→都立大学駅]■とこんな壮大な計画を立てたたにも拘わらず、start地点で肝心のタブレットが動かず・・Maps.Meを起動させたままにしておいたからなのか、電源が30%になっており、手操作でPower On/Offをしている間にスクロールが出来なくなり動作不良。バッテリーのチャージだけは続けておいたままリュックにしまってしまった。 地図なし、参考本なしの「皆無」の状態で走り始めた池尻大橋。 頭にどれほど記憶に残っているかが勝負である。「地図」があったとしても、realな「現地」との違いにいつも戸惑うのであるので、コンパスだけが頼りとなる。ビル街を平面図に置き換えながらそろそろと走っていく。 先ずは池尻大橋から玉川通りを目黒川方向に走る。ここを最寄り駅として職場に向かう人たちが行き交う。ここは都心の真っ只中である。246号線の高架や大橋JCTがあり、ものすごい交通量と騒音。都市の息吹を感じる瞬間だ。左折して急階段を登り、氷川神社へお参り。ベンチを借用してrunning姿となる。 ここは旧上目黒村の鎮守の神社で朝早くからお参りする人も多い。稲荷など数か所に賽銭箱がありrunの祈願。別の階段を下りて、松見坂に向かう。 とまぁこんな調子で、紆余曲折を辿りながら幾多の坂をすっ飛ばしつつ、住宅街の新たな坂を上り下りするなどして目的地の都立大学駅に辿り着く。 目黒区内の4つの領域を「舐める」計画であったものはだいたいにおいてクリアしている。 寄る予定のなかった「目黒通り」に面した「寄生虫館」や、「元競馬場前」というバス停やその史跡(S8年に府中に移る前の競馬場)を通ったのは収穫。雅叙園がこんなにも大きくなって立派になっていることも知らず、目黒川の景観を見直す。■目黒寄生虫館(Meguro Parasitological Museum)・・世界で唯一の寄生虫標本文献の館。珍しい物という意味では、アイスランド首都・レイキャビックにある「ペニス博物館(Icelandic Phallological Museum)」同様で、名前も似ている。 まぁ目から鱗の展示館である。6万点の標本や模型。寄生虫を蝋人形のような巨大な模型にしてとにかく分かり易く解いているのだ。自然界の生き物で寄生しながら生きているという虫に焦点をあてた独特の展示。サナダ虫(tape worm 日本海 裂頭条虫)の8.8mの標本には驚くばかりである。■林試の森公園・・12万ha(東京ドームの3倍)・・目黒区と品川区・小山台にまたがる公園。旧林業試験場で、1978(S53)につくば市に移転したあと都立公園として整備された。ポプラ並木が美しい。山手線すぐ外側の住宅街に、これほど大きい公園があったとは知らなかった。西には小山台公園と隣接して憩いの場となっている。■すずめのお宿緑地公園(古民家:栗山家復元屋敷)・・目黒区碑文谷(ひもんや)にある7500平米の公園。竹林が美しい。雀のねぐらがあったことろから「すずめのお宿」と名付けられた。緑ヶ丘にあった古民家が移築され公開されている。 今回のrunでかなり土地勘が付いたので、最終目的地を武蔵小山の銭湯として再度行ってみよう。この目黒区、5冊もある「みどりの散歩道」からも分かる通りほとんど隈なく散策できるようにもなっている。今回の坂道と組み合わせるとかなり面白い見どころ満載の散策ルートがいくつか組み立てられるのではないかとほくそ笑んだ次第だ。 それにしても、日本近代文学館、前田邸、東大先端科学研究センター、駒沢公園、大岡山の東工大、自由が丘、・・・複雑な境界線によって大学や公園を取り込んだこの目黒区。なかなかの区である。「JR目黒駅」が残念ながら目黒区にはなく、品川区上大崎に位置する。これは渋谷から大崎までほぼ一直線の山手線の敷設状態と照らし合わせると致し方なかったのではないかと。徒然の記その3 天狗の集い 2019.9.4(水)■上記、目黒区巡りは、実はこの「天狗の集い」にひっかけて行動したもので、これがなければタブレットが起動しない時点で帰宅していたところであったのだ。夜までにはなんとしても地図なしで巡りたいと。このためにコンビニに入り地図を参照しようと思った。しかし最近の本はテープが貼ってあって開かないのだ。交番には人がいないし地図すら貼っていない。結局駅の案内板をみて地図を頭に叩き込むなどして駆け足。相当頭の鍛錬にはなった。 時間があったので、都立大学駅前のカフェのテラスでcocoaをすすりつつ、本を読む。なかなかゴージャスな気分である。■さて、今回の天狗。パリ帰りの男性からお土産話をもらった。・PBP自転車レース・・その男性の息子さんが走ったという自転車のサイクルイベントがPBP(Paris-Brest-Paris, パリ~ブレスト~パリ 1200km)で、4年ごとに開催されるブルベ(BRV:(仏:Brevets:意味は”認定”)。タイムや順位にはこだわらず、制限時間内での完走を認定するロングライドのサイクリングイベント)の世界最古で、かつ最高峰と位置づけされる自転車イベントである。 参加資格は、前年に1000or1200km→600km→400km→300km→200kmのいずれかのカテゴリーでブルベを走ると順番にエントリー資格が貰え、さらに開催年に、200km、300km、400km、600kmの4本のブルベを走れば本エントリできるという。今年度の日本からの参加者は500人。全世界で6000人の参加であったという。この6割が完走したらしい。この8月中旬。 貰ったレジュメにサン・ブリューという町が出ていた。ブルターニューのSaint-Brieuc(サン・ブリュー)と言えば、2016年の Cathedral Saint-Étienne de Saint-Brieuc (サン・ブリュー大聖堂)を起点とした海岸伝いの旅を思い出す。西海岸に向けて見渡す限りの麦畑の一本道がある。なだらかな起伏がある素晴らしい景色である。そこを自転車ですっ飛ばして来たというからすごい。この男性はパリの郊外のRambouillet(ランブイエ 実は長旅の歩き始めはこの町から歩いたのだ)のStart地点で息子さんを応援したという。・不思議のメダイ・・ポルトガルのファティマ(Fátima 1917年5月13日)やピレネーのルルド(Lourdes 1858年2月11日)と同様、パリ市内にもマリア伝説があった。時は1830年11月27日。7区にある修道院(パリ リュ・デュ・バック140)でカタリナ・ラブレという一人の女性の前に聖母マリアが出現したという。マリアは楕円形の枠の中に立っておられたという。それがくるりと裏返ると12の星の輪の中に、十字架と聖母マリアを示すMの文字とそれを貫くようなI(Immaculata;汚れない)の文字があり、その下の2つの心臓型の模様があったという。 聖母マリアは、これをモデルにメダイを作るように命じたという。『それを身につける人は大きな恵みを受けるでしょう』と。1831年からこのメダイが売られている。コレラを快癒させたりさまざまの奇跡があり流布していったという。現在も、不思議のメダイ(or メダイユ)として売られている。徒然の記その4 ガラ携 終焉? 2019.9.5(木)■docomoのFOMAのガラ携に限って言えば、2020年代半ば、3Gの電波が終焉するという。auなど他の3G対応機種は2022年ころまでというが、いずれにしろ「ガラ携」は早晩無くなっていく。4GやLTEであれば、10,20年はokであるが。 もうとっくに修理部品はなく、壊れたら終わりである。上記目黒区の項にあるように最近富に5年物のASUS(エースース)のタブレットの調子がおかしいのだ。頻繁にPowerOffとなってしまいその度に電源を入れなおして使ったりしていた。 カミさんにはガラ携の買い替えの案内が来た。この機会なので割引セールなどとうたったスマホを物色しに一緒に冷やかしに出かけた。 彼女のタブレットは”格安ASUS"で動作が大変緩慢である。気長に付き合わなければとてもやってはおれない。下6桁の電話番号が一致したというなにか詐欺めいたチラシは、「始めてスマホ」は1万円ほど安く買えるクーポン付きとなっている。こちらも「初めてです。」と言ったら5千円割り引いてくれるという。 なんだかんだ言いながら新しい機種を買わされて店を出てきた。 5時間もかかって新機種に乗り換えたのだ。要するに「タブレット+ガラ携帯(計550g)」→「スマホ一本(250gケース付き)」 という従前の生活に戻るのである。Garaxy 10のsc-03Lと、同 sc-04Lの2台。 驚いたことにいままでのコネクター;microUSB端子は使えないのだという。上下どちらからでも挿入できる最新型端子で横幅がすこしでかい(6mm→7.5mm)。なんということだ。バッテリーチャジャーも使えなくなってしまうではないか。 まぁこのバッテリーも一昨日から突然動作を終了してしまった。あらゆる物に寿命があるのだと痛感。経済は回るように出来ているのだ。 このスマホ「Garaxy 10」同志だと重ねるだけで緊急充電ができる。カメラの画素は1200万画素という。これだけのハイスペックを享受するだけ写真を撮っていくのであろうかと。こちとらはMaps.MeやGeographicaがサクサク動いてくれさえしたらokなのである。 さぁそれから大変。お互いに苦戦中。 画面サイズはタブレットの147平方cm(縦15.2cmx9.7cm)から103.6平方cm(14.8cmx7cm)と大きさが70%となってしまったのでものすごく小さく感じる。ただ防水仕様などがあり、いままでタブレットで苦戦してきた「汗」や「雨」による誤動作は避けられそうである。 音声入力が可能となったので、スマホに聞いてみようか(Fomaであったような羊のマーク。こちらでは紙のようなアイコン(My Daiz)がひらひらと動きながらこちらの様子を窺っている。)。それに「すみません。私は何をすればいいのでしょう。教えてください!」と。・・この時の回答が傑作・・「すみません」と謝り癖が付いているようです。と。よけいなお世話である。 なにせ使い慣れないものであるので習熟していかねばならない。「設定」ボタンが見つからず何回「設定!」と喋った事か。音声認識は抜群。一言も聞き間違えない。取説などを探し回って調べてくれる。なかなかの優れものである。 キーボード入力ではどうしてもQWERTYキーになってくれない。これもアプリをインストールすればokとなった。本当に世話が焼ける! いまだにお互い、「電話」ができないのだ。スマホで電話を掛けた経験がないためドギマギ。所感:携帯ショップは盛況!どこの店も満超員である。隅っこのブースでは、初心者のためのスクールも開催されていたりする。この買い替えの時期に日本国民全員がこういうショップに通い、説明員の思うつぼにまんまと嵌りながら機種を選んで行くのであろうか。徒然の記その5 ミツキエヴィチ著「パン・タデウシュ」 2019.9.4(水)■ポーランド最大の詩人とされるアダム・ミツキエヴィチ(Adam Mickiewicz 1798-1855)の生前最後の長編叙事詩「パン・タデウシュ」(Pan Tadeusz)を読んでいる(工藤幸雄訳 講談社 文芸文庫)。正確に言えば第一之書」から「第十二之書」と「エピローグ」の9842行+129行の半分まで行ったところ。 後半を探している最中である(現在は絶版となっているようで、しかも図書館などには置いていない)。 2000年には、ワイダ監督のもと映画化もされている(パン・タデウシュ物語 アンジェイ・ワイダ監督 ボグスワフ・リンダ ダニエル・オルブリスキ)。 リトヴァ(Litwa:リトアニア共和国)の自然・風物・風習・人情・気質・食事を詩的なというよりほとんど小説の文章のように詳述しているから当時の生活が手に取るようにわかる。 おそらくショパンと同時代のポーランドやリトアニアの牧歌的な風景が展開され面白い。狩猟の場面など実況中継さながら。熊を射止める場面もあり、手に汗を握る。 司祭、伯爵、判事、廷吏、僧侶・・・登場人物がポーランド語によくある「z」が多用される名前で舌を噛むが。朗読劇としても面白いのではと思う。10000行くらいの文を声色を変えて4時間ほどで演じたらどうだろう。何回も読んでみて挑戦してみよう。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Sep 7, 2019
コメント(0)
The remaining heat up to the Higan, Sankei Hara_ story (4409)2019.8.31お彼岸までは残暑、原三渓_ story (4409)2019.8.31It will finally be September from tomorrow. The remaining heat seems to be severe up to the equinoctial week(お彼岸), but the sunshine of scorching heat is somewhat soft and has become a dolce.The word "dolce" also appears in this blog. It is a wine variety(type).ついに明日から9月となる。お彼岸までは残暑が厳しいようであるが、カンカン照りの日差しは多少柔らかくドルチェになってきた。本blogにもdolceという言葉が出てくる。ワインの品種である。■今週の1枚 Downhill with an angle of 8 degrees between Sugamo St. and Otsuka St..(巣鴨→大塚間の約8度の坂道)山手線一周ランニングで見かけた坂道の景色。縦の線が多いとき竹ペンが役立つ。目次徒然の記その1 Violaグループ暑気払い 徒然の記その2 映画「天気の子」徒然の記その3 孫来る 徒然の記その4 英語番組「知りたガールと学ボーイ」徒然の記その5 横浜美術館へrun35km徒然の記その6 ミラノ会徒然の記その7 軽度の認知症?徒然の記その8 横浜美術館-原三渓の美術 徒然の記その1 Violaグループ暑気払い 2019.8.25(日)■所属する市民響のViolaには休団中を除いて現在9名が所属し、毎日曜日に集合する。日曜午後のパート練習に引き続き、京王府中駅前の居酒屋Doma-Doma(土間土間 府中市宮西町1-2-1 フラココビル3F)に繰り出した。 日曜日の夕刻なので店内は空いている。スパイシーステーキやホットチリポテト、アヒージョ、牛カルビ串、四川風麻辣(まーらー)ホルモンなど全世界メニューとなっているところが面白い。中にはカラメル味のチーズにビスケットなどと、凝ったメニューもありなかなか美味しい。しかも安い。さんざん飲み食いして2千円台で収まる。レストランのような場所以外にこういう居酒屋で談笑するのもなかなかよいものである。 過去には常時12名くらいのViolaメンバーが居て、アマオケではなかなか稀有な現象であることを誇っていたのであるが、休団や物故者など急に人数が減ってしまい寂しくなったが、最年少45歳、最長老75歳までの年齢幅があるものの、技術は小生以外皆一流である。ここで、「定年制」は敷かず、100歳までやっていこうと気焔を上げる。世界的に見て弦楽器をやる人口の割合が一番多いのが日本国であるという。米国など割合的にはわずかであるらしい。 切磋琢磨するメンバーに多く囲まれているこの環境を大切にしなければならないと感じた。ボケている暇はないのだと。徒然の記その2 映画「天気の子」 2019.8.26(月)■相模原市の小学校はすでにこの日から二学期が始まっている。隣接する八王子市の小学校は28日(水)からという。どこも時間が足りず、夏休みを早めに切り上げ秋学期に向かおうとしているようだ。シネマコンプレックスの「movix橋本」ものそのせいか何か閑散とした雰囲気。 話題の映画「天気の子」を孫たちと観に行った。すでに100億円以上の興行収入を上げており、前作『君の名は。』(2016年)に引き続き、新海誠監督、待望の最新作アニメ映画である。都心では、夜のサラーリマーン向け上映時間では、満席状態が続くという。 主人公・森嶋帆高を演じるのは、2000人を超えるオーディションを見事に勝ち抜いた醍醐虎汰朗(だいご こたろう 2000-)。陽菜(ひな)の声優キャストは森七菜(もり なな 2001-)。 15歳の物語ということで中高校生が聴衆には当然多く、小学生にはすこし難しかったのかもわからない。ただ画像はち密で完成度が高くそれだけでも十分楽しめる。エンドロールを見て驚いた、CG担当を含め総勢2000人くらいのアニメーターが映画製作に係わっている。 さもあらん、時間にして2時間弱の映画に26万枚の画像を起こした勘定。田端、新宿、代々木といった山手線沿線の詳細画像(先日走った山手線一周のrunで見た光景が出てきた。)に加え、「雲」や「水」といった難しいテーマーの変幻自在の物理画像が生き生きと描かれ、美しい映像が続き感嘆の声を発生し続けたくらいだ。徒然の記その3 孫来る 2019.8.25(日)-27(火)■水曜日8月28日が二学期の始業式だということで、駆け込むようにして日曜日から2泊3日のお泊り会。小5と小2がやってきた。■ゆりあん・・Eテレの英語番組「知りたガールと学ボーイ」(木 19:40-55)にゆりあんレトリィバァとお笑いコンビのミキ(昴生(こうせい)、亜生(あせい)の兄弟コンビ)で「我々が勘違いしている世界の常識とかをあれこれ検証していく」という番組に出ている。そのゆりあんを小生が注目しているのだ。英語が得意で、それをお笑いにしていけば新しい世界が開拓できると信じているからだ。 孫たちは、小生がゆりあんを好きだと言えば、それを冷かしていろんなネタで小生を攻めてくる。認知症テストもどきをやられて、いかに記憶力が劣ってきているかをチェックされるのである。長いセンテンスの中に、「ゆりあん」がいろいろ登場し、覚えたことを順番に文章に戻していく作業。ほんの10sec前のことしか覚えられず如何に記憶力が劣ってきているのかを如実に悟った次第である。メモを付ける癖が、頭を使わないことに拍車をかけているのではないかと。 今後はもっと言葉を覚えていくことにしたいと。この「知りたガールと学ボーイ」という番組名もやっと2日目に言えるようになった。すぐ忘れるのである。■ブルゾンちえみ・・この「ゆりあん」の前に好きな芸能人が「ブルゾン」であった手前、これも小生との会話によく登場し、大笑いである。どうも子供たちは語彙がpoorな反面、へんなことはよく覚えているので、忌避言葉を連発するか、バカの一つ覚えのようにそのような単語の羅列で「暗記テスト」を仕掛けてくるようであるので、その傾向がわかれば3分くらいの文章は空で言えるようになるのだ。心しておけ子供たち。■カードマジック・・YouTubeで、「カードマジックの初歩」などを検索すると動画が一杯出てくる。種明かし付きなので、子供たちにもよく理解できる。今回は1種類を小5と一緒に学習。マジシャンとお客と言うように交互に立場を変えて実演。そのヴァリエーションをいくつか自分で工夫し習得して帰って行った。 お客にカードの束から1枚を引かせてそれを覚えさせ、それをテーブルに裏返して置いてもう。あとは51枚と合わせてシャッフルし、5つくらいの山に分けたのをさらに順番を変えてもらう。52枚の組からお客の覚えた1枚を言い当てるのである。ヴァリエーションで面白かったのは、客の前頭葉を透視するような所作を加えて驚かすversion。先ずは、おでこに浮かんでくる絵柄を当て、続いて数字を当てる。 これは傑作なマジックである。客に一枚抜き取ってもらう時に、とっさに最下層のカードを記憶するのである。ゆるいシャフルであれば、重ねて置かれている2枚は順番が狂わないので、再度カードを全部記憶するなどの所作で、客のカード(記憶したカードの上にある筈)を覚えるのである。続いて完全にシャフルしてもらってばらばらにしても、すでに記憶している札を、言い当てることができるのだ。ただこの所作が長いとせっかく記憶したカード名を忘れてしまうという危険性がある。老人はどこかにメモをする!■婆と孫娘が百人一首の「坊主めくり」を始めた。これは坊主が出たら自分の獲得した札を全部捨てる。姫が出れば、捨てられた札を全部自分のものにする。殿の札では変化なしというルールで最後の最後まで勝敗が分からず大逆転することもありというはなはだスリルのあるゲームである。ただ実は、カードの束をテーブルに置いた時点で勝敗は決まっているのであるが。 天皇・大臣・武官など男性陣(殿札)は66名(天皇など7名、矢を持った人5人、普通の人54人)と最も多く、姫札は21名(偉い姫4人、普通の姫17名)、蝉丸を入れた坊主札は13名 計100枚。 殿札が多すぎて、2人だと戦況は殆ど変化しないのであるが、ここに姫札や坊主札がくると悲喜こもごもという次第で、孫娘が泣き叫ぶ状況となってしまう。どうもこの娘 勝てないと癇癪を起す性格でどうもいけない。負けるが勝ちという人生訓を教え込まねばならない。 さて、Excel関数を使って、坊主捲りを再現できないか思案した。乱数関数「=rand()」を使う。ランク関数「=rank(範囲)」を組み合わせれば1から100のカードを一義的に発生させることができる。1~100の数に関しては上から順番に姫、殿、坊主と定義していけばよい。 今の場合は、1~21を姫とし、22~87を殿とする。姫がくれば自分の枚数に1を加えると同時に「捨て場」に溜っているカードを全部もらう。「坊主」であれば、0とする。一方「捨て場」のセルには、先方、後方にかかわらず、その回の者が、「坊主」を引けば、前の回数のものを全部もらい合計して1を足す。どちらかが「姫」であれば自分自身をゼロとするという数式でよい。 IF文を駆使すれば、勝負を一瞬のうちに俯瞰することができる。なかなか興味ある関数式が完成した。手元持ち札と溜り場にある札の合計は常に100となる検証式も作って観察してみることとした。このExcel表はDropBox上に置いておいたのでお試しあれ。 手持ち40枚が突然0となるというような悲劇を、Excel上からも確認できスリル満点。https://www.dropbox.com/s/jbuzpn66yjnykm4/190828_%E5%9D%8A%E4%B8%BB%E6%8D%B2%E3%82%8A.xlsx?dl=0 爺と孫の2人は、トランプカード2組で、双方大きい数が出れれば勝ちというゲームをした。絵札はダイヤ、ハート、クラブ、スペードなどの順番で順位を付ける。同じ札同志であれば引き分け。さてこの勝負最終的には引き分けるのかとおもったが違った。Excelで解くと19対32(min19~max32)ほどの差でどちらかが勝つことが分かる。引き分けの26点同志も結構多い。ただ0対52勝なんて差は絶対出ないことが分かる。同じ札同志の回数は1~3回。 式を構築後は、F9のキーで更新させる。このExcelも上記ファイルの2sheet目に置いてある。■ジョギング・・朝の日課ということで、「毎日3km」と言い渡されてやってきたようで、さっそくマラソンに出かけた。小2はキックボードで付いてくる。最初は、上大島にある相模原清流の里までの往復4.1kmを走ってみた。次の日は、落合橋までの往復6.1km。 3人で走るという初めての経験である。久しぶりに集団でのジョギング、すなわち足音が複数あり、常にだれかに追われている、あるいは誰かを追いかけているという雰囲気を味わった。一人で走っているとそれが無いため、途中で止めようが、歩こうが、自由なので緊迫感はない。よい刺激となった。小5にしては、すこしきつかったかもしれないが。徒然の記その4 英語番組「知りたガールと学ボーイ」 2019.8.29(木)■Eテレ:19:40-55 毎週木曜。・・孫たちが見ている番組ということでこの日の番組を生で初めてみた。因みに4月からの全番組がnetでは見れるので参考になる。今日の内容は、町に溢れている「へんな英語」。 カラオケ屋の「ドリンクを自由にお選びください」・・「drink free」これはドリンクがタダという意味で間違っていると、正しくは「free take the drinks」。WiFiが自由に使えます・・・「WiFi free」これはWiFiがありませんという意味で、正しくは「Free WiFi」だという。 Tシャツのプリントにあった「私は 自分しか 信じない」・・・I only believes my・これは「my」がおかしい。正しくは「I only believes in myself」 、 公園で犬の糞を放置しないでください・・「dont throw dog」(犬を放り投げないでください!:代々木公園)・・正しくは、「don't leave dog's waste.」「Don't forget to take the poop with you」「行き止まり」の警告・・「The End」・・これは「先がない or ジ・エンド」という意味になりおかしいと。正しくは「the dead end」。だという。ゆりあんが外国人スタッフと一緒に渋谷界隈や代々木公園に繰り出しておかしな英語を探索していく。なかなか為になる内容であった。徒然の記その5 横浜美術館へrun35km 2019.8.29(木)■横浜美術館を目標として過去何回も道を変えてトライしている。ただ頭の中が整理されていないので、最短のルートを体に覚えこませ、帰宅難民とならないようにしたい。そこで今回は過去のルートでよさそうなルートを一本をとり、出来るだけ地図を見ないで走ってみることにした。 ルート・・自宅→横浜水道道路→峰山霊園(座間キャンプの北)→座間街道(県道507号)→八王子街道(国道16号 途中「横浜水道用トロッコ線」の遺跡がある。)→相鉄本線沿い(鶴ヶ峰---西横浜)→国道1号合流→横浜美術館 一つ一つが実に長いが、国道との合流pointや交叉pointを抑えれば簡単である。 朝は涼しくても、日中は32℃などと炎天下になる場合は、走るべきではなかった。相当の体力を消耗する。今後は午前中に上がることを目標に早朝4:00台でstartして、さらに距離を短めに。途中はワープするなどの柔軟な対応もそろそろ取り入れるべきではないかと「体」が叫んでいた。 これには傑作なおちがある。昼過ぎに汗だくで横浜美術館脇の交差点に到着。日陰で火照りを冷まし、着替えようとしているときに、チケットを調べた。「原三渓展」である。なんとこの美術館、木曜日が休館日と”冷たく”、明言しているではないか。いつも最後の最後にチケットをチェックするという悪い癖が災いした。9月1日までの会期なので、もう時間はない。徒然の記その6 ミラノ会 2019.8.30(金)■2014年8月22日に初めて参加した「ミラノ会」。会社時代の若かりし頃、ボストン、パリ、ミラノで大・中・小の電算機を同時に共同開発する国際部隊が構成され、小生はパリに飛んだ。このときのミラノでの部隊は、業務が終了した今でも同期会の集いを持っている。主に、イタ飯を食らう会で親交を保っているという感じである。同じように「パリ会」を設立させたいのであるが、今となってみんな散り散りとなってしまっており難しい感じがしている。 同期の友人がミラノ会に呼んでくれたのでこの年以来、都合をつけて参加している。2017年などはElio Locanda Italiana(エリオ ロカンダ イタリアーナ:東京都千代田区麹町2-5-2)で店員が全員イタリア人であった。 2年ぶりの参加である。場所は銀座2丁目のLoftがあるビルの8階で、金曜日の午餐という形であったが、どの店も空いている感じで、穴場ではないかと思うほどだ。 Bisteccheria enoteca osteria el moro (Bisteccheria:ステ-キハウス、 enoteca:ワインショップ、osteria:居酒屋・el moro:原野) 料理はフルコースメニュー。今まで経験の無い器で来た・・カップの上に煎餅のようなものが載っており、その上に野菜が飾ってある。それを突いて下に落としカラフルなソースと合わせて食する といった前菜。 パスタorリゾットでは、ペスカトーレ漁師風トマトソースなど。メインは牛と豚。アントレ:グラスの上に乗ったおかきをくずして下に落とす。Wineは2種3本。・エンツォ・ボリエッティ・ドルチェット・ダルバ(Enzo Boglietti Dolcetto D'ALBA)・・赤、ぶどう種:ドルチェット・・濃厚なルビーレッド色。若々しいフルーティーな、ドルチェットらしい香り。コクのあるリッチな味わい。タンニンが、ソフトで、フレッシュ。・・なかなかいけるWineであった。要注目。・ディエーチ・アニ・マルヴァジア・ネッラ・サレント(Dieci Anni Malvasia Nera Salent) ・・赤、品種マルヴァジア・ネーラ・ディ・レチェ100% これもおいしかった。徒然の記その7 軽度の認知症? 2019.8.30(金)孫の言った長文の文章が記憶できなくなった。これは認知症か、記憶障害か、と少し気になり過去のblogを検索していたら5年前のが見つかった。 認知症に関しては下記があった。2014.8.22の日記にEテレの番組が紹介されていた。そこでは下記症状のうち、3つ以上該当するものがあると該当するという。9つのチェック項目□この頃 もの忘れがひどいと思う 他の人からひどいと言われる□頻繁に もの忘れや探し物をする□何かしようと思っても何をしようとしたのか すぐ忘れてしまう□最近 おっくうで何事もやる気が起きない□覚えていたはずの漢字が書けないことがよくある□今日が何日だったかよく忘れる□家電製品やスイッチの操作にまごつくことが多い□会話で言葉が すらすらと出てこなくなった□字で読むことが面倒で新聞や本などを読まなくなった記憶障害に関しては、加齢と、太陽に当たりすぎたので多少頭が悪くなってきたのであろうか?徒然の記その8 横浜美術館-原三渓の美術 2019.8.30(金)■横浜美術館開館30年、原三渓(本名:富三郎 1868-1939)生誕150年、没後80年記念事業として、「原三渓の美術 伝説の大コレクション」が同美術館で7月13日~9月1日までの会期で開かれている。 昨日木曜の「失敗」のリベンジをミラノ会の帰りに実行。チケット売り場は長蛇の列でびっくり。横浜市民をはじめいかに注目度が高いかを示す。展示入れ替えが毎週のように行われたのでリピーターも結構多いのであろう。 まさに一大コレクションであった。茶人で、画家でもあった原三渓は、横浜の三渓園でも有名である。製糸業で財をなした大富豪である。館内ところ狭しと並べられたコレクションと茶器、自分の描いた水墨画など数百点が展示され圧巻。 展示ゾーンは「プロローグ」、「第1章 三渓前史(岐阜県 父 青木久衛や家族の写真群)」、「第2章 コレクター三渓」、「第3章 茶人三渓」、「第4章 アーティスト三渓」、「第5章 パトロン三渓」、「三渓関連文書」という7つのブースに分かれていたが、圧巻なのは「第2章 コレクター三渓」「第3章 茶人三渓」「第4章 アーティスト三渓」であった。またパトロンとして下村観山(弱坊師(よろぼうず)などの作品が展示されていた)、前田青頓(せいそん)らの多数の画家を支援した。 熱心な研究グループ「原三渓市民研究会」があり、横浜美術館レクチャールーム、アートギャラリーなどで毎月開催されている。馬車道散策などもあり横浜そのものを楽しむ会のように映った。次回runningは「ルノワール展(9/21-2020/1/13)」さて、どのルートを通ろう。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Aug 31, 2019
コメント(0)
Running around the Yamanote Line、Ayurveda_ story (4408)2019.8.24I finally runned aroud the Yamanote Line completely.It was like sightseeing in Tokyo,each station has unique atomosphere ,for example busiest st. of Ikebukuro. ,the most quiet and elegant st.of Mejiro.念願の山手線一周ランニング 遂に完遂。東京観光のような感じであった。駅駅がユニークな雰囲気を醸し出し、その変化が面白かった。最も混雑した駅が「池袋」、もっとも閑散としエレガントであった駅が「目白」と言うように。■今週の2枚 Iwa Fishing Port of Manaduru(真鶴・岩海岸 2019.7.28)手前がスキューバーダイビングスクールの一角。発祥の土地らしく、スクールが多い。漁港の奥まった一角に時期時間に応じて沢山のダイバーが集まってくる。橋は真鶴道路(真鶴ブルーライン)。2枚目はもう少し漁港寄り目次徒然の記その1 山手線一周running徒然の記その2 よそ様の孫徒然の記その3 アーユルヴェーダー 徒然の記その4 朝の空気入れ替え徒然の記その5 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 みなとみらいシリーズ第351回徒然の記その6 ヤモリ 徒然の記その1 山手線一周running 2019.8.21(水)■東京にやってきてからずっと目論んでいた山手線一周のrun ついに完遂した。 電車で一周なんて言う外国人も多いのであるが、今回は新宿から反時計回り(内回り)で一周をしてみた。線路際ばかり走ると思えばさにあらず。道がない場合も多く、できる限り線路に沿った道を探しては戻りという行為を何十回と繰り返しながら行く。totalは約38km。 山手線一周の営業距離が34.5kmであるので、随分紆余曲折を辿るものである。 以下にコースと到着時間を記す。(外)は山手線の外、(内)は山手線の内。 新宿駅(京王線出口成田行きバス発着場)7:30→(外)→代々木7:38-(内)→原宿7:49-(外)→渋谷8:01-(内)→恵比寿8:20 (外)→目黒8:40→五反田8:50 (内)→大崎9:12→休憩9:15-31→目黒川→御殿山→品川9:41→京急泉岳寺10:00=高輪ゲートウェイ→田町10:08→芝一丁目10:20→金杉橋南10:23休憩10:34→浜松町10:45→東新橋一丁目10:56→新橋10:58→有楽町11:10→国際フォーラム 休憩11:14-37→東京11:51→神田12:04→秋葉原12:16→御徒町12:26→アメヤ横丁12:30→上野12:30→cocoa休憩12:35-12:50 (外)→鶯谷13:04→日暮里13:17 (内)→富士見坂13:27→西日暮里13:30→田端台公園 休憩13:36-50→田端13:56→駒込14:06 ローソン水500ml休憩14:15 (外)→巣鴨14:24→(内)→大塚14:38 (外)→(内)→池袋15:02→目白15:20→学習院下コンビニ コーラ イートイン休憩15:25-40→高田馬場15:51→新大久保16:04→大ガード(外)→新宿16:16 所要9時間13 休憩時間など91分 run time=553-91=462 7時間32分 9時間もかかっているが、正味は7時間半程度。リュックの重みと信号待ちや混雑のために時間がかかっている。 各pointでの感想・代々木-(内)→原宿・・途中明治通りに面した千駄ヶ谷小学校を通る。「宮廷ホーム」は原宿駅開業110年記念イベントで2016.10.30一般公開された。・恵比寿 (外)→目黒・・「アメリカ橋公園」という面白い名前の公園を右折。これは恵比寿ガーデンプレイスの開発工事に伴い整備された公園で、公園名は、恵比寿駅の南にあるアメリカ橋(セントルイス万博に出展された橋)に由来している。・大崎→休憩→目黒川→御殿山→品川・・大崎駅あたりから異様な匂いが漂う。目黒川からのドブの匂いであった。夏場で水量が減っているうえ流れが淀んでいるためであるが、お台場同様、水の浄化に努めてもらいたいものである。「目黒川」のイメージが台なし!・品川→京急泉岳寺=高輪ゲートウェイ→田町・・・2020年春から開業する山手線の新駅「高輪ゲートウェイ駅」が姿を現した。京浜東北線と山手線が停車する。斬新なデザインである。・田町→芝一丁目→金杉橋南 休憩10:34→浜松町・・なつかしいNEC本社地区のビル群。徳栄ビルは健在。・新橋→有楽町→国際フォーラム・・意外と長いJRガード下の店舗群。新橋のずっと南から始まっている。・東京→神田・・東京駅丸の内側に夏限定の深さ5mmのWater Cooling System(浅い池)が2つお目見え。40x20mの四角い窪みに水が張られていた。この上は歩くことができる。なかなかの清涼感。神田まではガード下の道が一旦途切れ日本橋川を歩道専用の橋が架かる。初めての体験。・秋葉原→御徒町・・まさに雑踏である。「萌え」の服装で沢山の女性が街角に立つ。・大塚 →池袋・・・音楽教室が開かれる豊成小学校脇を通る。小学校前から山手線を跨ぎ、池袋に至る橋が無くなっていた。現在工事中である。地元の人にとっては一大事である。・池袋→目白→学習院下・・・明治通りを再度走るが、これに沿っていけばどんどん山手線から外れる。なかなかの難路である。この通り沿いにあった調理学校がすごい。秋学期の始まりであろうか。何千人というものすごい塊が校門のところで集まっている。あまりの人の多さに信号を渡り切れないのだ。何回かに分けて池袋まで帰途に付く感じ。この大渋滞で進めず。・高田馬場→新大久保・・・保善、海城という学校群の地区に、ガーデンタワーやスカイフォレストレジデンスという超高層マンションが完成している。この建物のおかげで、西日暮里と日暮里の間にある富士見坂から富士山が見えなくなったことを知っているであろうか。この一直線上に富士山があるからだ。カメラマンはそれでも「隙間富士」などと負け惜しみを言いながら裾野だけになった写真をビルの隙間に求めている。・新大久保→大ガード→新宿・・新大久保からは工事中の道。もうほとんど舗装を残すのみの新しい道。もうここまで来れば、地元である。毎月旧サラ文の集いがある「天狗」は大ガードに近い。 なかなか面白いコースであった。もう50年も住む東京でも、まったく初めての道ばかりの山手線周回道路。この道のKMLファイルをupしておくが、ファンが増えることを願っている。KMLファイル・・Google Earth、GeographicaかMaps.Meへインポートして楽しんでください。https://www.dropbox.com/s/2v3fjfeya1fjpnb/191002_%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B7%9A39km.kml?dl=0徒然の記その2 よそ様の孫 2019.8.22(木)■新聞の投稿欄の「若い世代」に「ピアニストの手 やわらかかった」というタイトルの記事が出ていた。7歳の男の子からの投稿である。コンサートでピアノを聴いたのであろう。終わってからのサイン会で握手したのであろうか。その感じ方がユニークであった。力強い色んな曲を何曲も演奏してくれたのだから、きっと鋼のように硬い手だろうと思ったのだという。握った感触が、暖かくて優しい手の感覚であったと。まず驚くのが、ピアノリサイタルを最後までお行儀よく聴けたであろうこと。それに感動してCDを買ったのであろうこと。サイン会に並んだこと。握手してその感じを忘れないで新聞社に投降したこと。ピアニストは牛牛(ニューニュー)さんであったっという。こういう男の子が将来ピアニストになって行くのではないだろうか。それにつけても我が小5と小2の孫と比べると雲泥の差である。こんな風にじっと音楽を聴くというのはありえないからである。まぁ元気でよいのであるが。よそ様のお孫さんはすごいと感心。徒然の記その3 アーユルヴェーダー 2019.8.19(月)■インド医学アーユルヴェーダーは中国医学、ユナニ医学(ギリシャ・アラビア医学)とともに世界三大伝統医学といわれ、主にオイルを使った予防医学に代表される。よく頭をマサージする図柄が紹介されている。人体の体液・粘液と病気を結び付けた学問で視覚・聴覚・嗅覚(きゅうかく)・味覚・触覚の五感のバランスを特に重視する。健康を保つには目・耳・鼻・口・尿道口・ちつ・肛門の10個の穴のケアを行えと経典にはある。 最近これに関する本を読んだがblogに書けないような禁句がいっぱい出てきて驚くばかりである。からだ全体にオイルを塗ってもよいのであるが、お風呂が汚れるという心配も無くはない。 オイルを使わず”念力”で施してしまうほうが早い。入浴時柔らかいタオルで全身をマッサージするなど。寝る前に白湯(さゆ)200ccを飲むなどもリラックスを促し身体には良いという。いろんな体操などを取り込んで刺激を与えるなど。■妄想・・だいたいにおいて男性は総じてエッチなのであるが、日本人男性は"理性"がありすぎて始末に負えない。どうも教育が行き届きすぎて罪の意識が高く、女性もタブー視し過ぎて下品だと言って忌み嫌う。(以下、忌避言葉があるとblogでは弾かれるため"性・"は「S」、"したい"は「do」で置き換える。) 我が家の例ではこうである。もう何十年も前から、doをせがむと、「もう卒業しましょう。」とお布団の中で、豚の尻尾の回転のように足をバタバタさせて逃げ回る。 60歳頃には「もう老人なんだから」と言われ愕然と。教育がなってないのではないかとへんな勘繰りをいれてしまう。そもそも最初の夫婦生活から何らの取り決めもなく闇雲に突っ走っしてしまったことが遠因で、無知無謀をさんざ詰(なじ)らてきた過去をひっさげているのでこちらも言い返せないところが弱いのである。 長い巡礼から帰ってきたときの最初の夜に「毎日do」とせがむと、「玉にね。」と相手はダジャレ気味に応え、いたって冷静である。千載一遇のチャンスを逃してしまった。まぁ高齢者になってくると世界的にこんなものかと思ったが、もう50年も前のイタリアの老夫婦は違った。「毎日doよ」と言っていたことを思い出した。これが基本なのであった。田辺聖子(1928-2019 享年91歳)も言っていた。女は灰になるまで現役ヨ。と。 男性が幾つになっても子を産ましめることが出来るという事と結び付けると、Sはいつまでも可能で、ひょっとして年齢限界を勝手にあまりにも若く設定しすぎているのではないかと思えてくるのだ。Sレスなんてもう うん十年!、忘れてしまったワ、などという人も少なくなく、枯れて干からびた高齢夫婦がしょんぼり縁側で居眠りをするという図式となってしまった。 男性側のトイレでの会話も嘆かわしい。「最近は排尿行為のみでまったく役に立たなくなってしまった!」と皆が言う。腰を振って、萎えてしまった一物の先端に付く最後の雫(しずく)を振り落としながら嘆くのである。小生は思うのである。こうなってしまったのは奥さんのせいではないかと。自ら誘いもせずのうのうと時を過ごしたために男をダメにしてしまったのではないかと。 人間は順応が早い。而して60歳以上の人たちが死ぬまでSレスのままで棺桶に直行することになるのである。 ところが待って欲しい。ここでアーユルヴェーダーが登場するのだ。つまりS医学的には大いにdoしなさい(パートナーがいればdo、いなければオイルで(マッサージ用オイル:スキン用セサミオイル、同スィートアーモンドオイル、ターメリックオイル、食用マスタードオイル、アーユルヴェーダーオイルなど))と謳っているである。「少なくとも」という最も大事な言葉を探しているのであるがなかなか見つからない。記憶では少なくとも週1か、月3で。恥ずかしいことではないと。別室生活50年であったとしてもたまには肌をくっつけて若返ろうではないかと。 このとき女性はまた嘆く「私の夫、EDなんです。」 これも無知なるがゆえに男性に恥をかかせているのではないだろうか。EDというのは病気のように捉えるのではないく、ストレスや奥さんが原因でたまたまその日に失敗しただけで十分まだ役立つことを知っておくべきである。 女は使わないと、黒ずんで固くなり委縮してしまう。肩こり、腰痛、便秘、尿漏れ、肌荒れ、乾燥、高血圧、骨粗鬆症の原因になるのだと。場合にはマッサージ機を活用してもよいかもしれない。 日本のレベルが世界最悪であるという現状を打破すべきではないかと思うのであるが。 参考書 原田純著「ちつのトリセツ」2017、経書房。 参考サイト:(英)A Woman's Touch Sexuality Resouce Center:https://sexualityresources.com (仏) Le périnée féminin https://www.youtube.com/watch?v=9psQO8RNfXw徒然の記その4 朝の空気入れ替え 2019.8.23(金)■日中クーラーを入れ放っしにしていた住空間を朝方は喚起・・最近の起床は5時。15分ほどをかけて一階のすべての窓を開け放す。冷気による喚起を行うようにしている。カミさんがピアノを弾く時間には再び、窓を閉めクーラーに移行する。 3部屋が仕切られ、余った部屋でViolaが弾ければ幸い。朝のひととき、ざっとおさらいが出来るのだ。チューニングはすべての弦を緩めて最初から行うように耳の鍛錬を行う。つづいてバッハ無伴奏組曲、オケの練習、音楽教室、ミニコンサート、Duo曲などふんだんにある曲を。徒然の記その5 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 みなとみらいシリーズ第351回 2019.8.23(金)■3月だったか、居酒屋「天狗」で日比谷高校のS42卒グループ「Ayaban(;怪しいバンド)」軍団に会った。その座長が一橋大卒ということで如水会館でその後親交を深めている。たまたま鎌倉支部にも所属しており、そこが神奈川フィルを応援しているという。彼からコンサートの誘いが来たのでみなとみらいホールに駆け付けたという次第。 石田 泰尚(やすなお 1973-)さん率いる神奈川フィル。カリスマのソロ・コンサートマスターでもある。この石田氏、自身がプロデュースする男性奏者のみの弦楽アンサンブル「石田組」、ピアソラを追及した「トリオリベルタ」、ピアニスト及川浩治の呼びかけで結成されたピアノトリオ「Bee」等、様々なユニットで活躍する。 使用楽器は、1690年製Giovanni Tononi(ジョヴァンニ・トノー二)である。 プログラム:小泉和裕(指揮)神奈川フィルハーモニー管弦楽団・ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 op.68「田園」・ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 op.67「運命」 この2曲はともに1808年12月22日に、ベートーヴェン(1770-1827)の指揮で初演されている。同じ年の10月6日に「ハイリゲンシュッタトの遺書」を書き、生きる道は芸術しかないという強い決意で難病に立ち向かっているときの曲で、これ以降「傑作の森」と呼ばれる時代がやってくるのだ。 「田園」はベートーヴェン自身が標題を付けた唯一の交響曲である。「運命」と双子の兄弟のような曲である。この2曲を一夜で聴けたということ、しかもものすごい熱演で会場は興奮のうず。1973年の第3回カラヤン国際指揮者コンクールで優勝し、ベルリンフィルを指揮していた小泉和裕(かずひろ )の指揮も迫力のあるものであった。 土曜日も同じプログラムである。続けて聴きたくなってしまったほどである。2階席、右側のDブロックからは正面に第一Vn族が一軍となして見える。同じ弾き方で揃っているので、14人が、一つの大きなヴァイオリンを演奏しているように聞こえた。管はsolo楽器なので1人や2人が当たり前であるが、Vn族は音が小さいため何人かで弾く。このように仮想的に大きなヴァイオリンを一人が弾いているという感想を持ったのは今回が初めてである。 これほど皆が一つになって弾いているのである。石田氏がそれをヴィルトオーゾ的にひっぱるのだ。もの凄い弾きぶりである。音が立っているという表現が正しいのか分からないのであるが、輪郭がくっきりとしていた。 Va、Vcよりもそれが際立っていたのは座席のせいなのかもわからない。■観客のマナー・・あまり口さがなく言う積りはないが今日こういう人が前席にいて焦った。 スマホの電源の切り方が分からないようである。画面のあらゆるところを触り、次から次へとアプリを立ち上げていく。そのうちに諦めて蓋をして胸ポケットにしまってしまった。スリープ状態になっただけで、けたたましい着信の音がしだしたらどうすのだろうと気が気でなかったのだ。隣の奥さんも手を貸そうとしない。「電源が切れていませんヨ」と声を掛けたが届かなかったようである。奥さんの夫の教育と言うのはこの程度のものかと。 スイッチは横のボタンにあるのだ。それも簡単には切れない。「いいですか?」と聞いてくるのでそれに「はい」で応えて初めてoffになる。それが面倒であれば、長押しでoffにする。そのスイッチの場所を会場に入る前に熟知させておいてもらいたいものである。高齢者よ! しわぶき・・あっちでも、こっちでも聞こえる。痰は100mも飛ぶことを知らないのであろうか。演奏前にハンカチを手に持っておくべきである。催しそうになったら、手を当てがって欲しいのである。これ見よがしのハクションは音楽を台無しにしてしまう。神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会 プログラム上へのスケッチ。石田氏が群を抜いて目立っている。しっかりと全員が同調し、素晴らしいハーモニー。■帰りの一杯・・終演後タクシーで中華街にある老舗のバー「ケーブル・カー(Cabel Car)」に向かった。18mのカウンター1本。無数の酒類。大人の空間があった。バーボンを飲みながら談笑。徒然の記その6 ヤモリ 2019.8.24(土)■朝、雨戸をあけると、ピョンと手に飛び乗った生き物がいた。ヤモリである。先日もお風呂場のガラスにへばりついていた。引き違いになっているガラス戸の向こう側にシルエットだけが見えていた。ガラス戸を交互に開けた瞬間、お風呂場に落ちて壁をすばやく登ろうとしている。一瞬目があった。なかなかかわいい動物である。指のウロコで壁を登れるのである。ニホンヤモリは危害を加えない。そのままほっておくとどこかへ行ってしまうであろう。家守とも書くので、家の守り神としてそっとしてあげておこう。本来は夜行性の爬虫類である。すこし大きくなって背中が青かったりする生き物がトカゲで、同じ爬虫類。 水辺にいるのがイモリで両生類である。井守と書くように井戸の守り神である。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Aug 24, 2019
コメント(0)
虚無主義者:金子文子、メタセコイヤの水元公園_ story (4407)2019.8.17It is most dangerous hot day in this summer,even inside the home it will be death without coolor.What a shame for the the water quality in Odaiba is poor ,as Escherichia coli(大腸菌) is twice as loager as Olympic standars .朝は辛うじて涼しいが、台風一過、災害級の暑さがやってきた。家の中でも危険な状態であると言われている。お台場の水質は劣悪。都市下水が完備されていても大腸菌が五輪基準の2倍であるという。国の恥ではないか。■今週の1枚 Metasekoia Avenue(水元公園のメタセコイヤ並木・樹林 2019.8.11)これを見たくて葛西臨海公園から走ったのだ。途中「葛西城址公園」に遭遇。目次徒然の記その1 葛西臨海公園→水元公園23km run徒然の記その2 映画「シークレット・スーパースター」徒然の記その3 渋谷散策 徒然の記その4 金子文子徒然の記その5 OpenTopoMap徒然の記その6 METオペラ・ライブビューイング「ランメルモールのルチア」徒然の記その7 中京学院大学中京高校 徒然の記その1 葛西臨海公園→水元公園23km run 2019.8.11(日)■昨年以来の葛西臨海公園。前回は歩き塾の「秩父巡礼」に先立って荒川を葛西臨海公園から北に走り、ついには秩父市に到達している。公園の近くに住む人たちに呼びかけても皆乗ってこないのが「running」である。しかもこの暑い日に! 今回は江戸川区、葛飾区の特に「中川」に纏わるrunとなった。コース:葛西臨海公園→首都高速湾岸線→新左近川親水公園→新長島川親水公園→清州大通り交叉→メトロ東西線交叉(くぐる)→都道308号線(船堀街道)→新川交叉(渡る)→都営新宿線・船堀駅→国道14号線(千葉街道)交叉→平和橋通り→小松川境川親水公園→南奥戸第2公園→都道318号線(環状7号線)→中川→葛西城跡→水戸街道→水元公園 なかなか複雑なコースであったが、概ね道を北にとる。道と言うのは逆にも走ってはじめて「通った」ということができる。いつか逆コースで走ってみよう。この時は地図を持たずに。 このコースで素晴らしかったのは、いくつもの親水公園があり緑陰を保証して呉れていたことである。小松川境川親水公園を例に取ると、新中川の大杉浄水場から水を引き、滝や人口の小川を暗渠の上に建造して目を楽しませてくれる点である。区民の格好の憩いの場となっている。かっては小川であったのであろうが、散歩コースとして整備したのであろう。昔の蛇行のままS字状の形跡があってトレースしていくのが楽しい。■水元公園・・・埼玉県側と東京都にまたがって続く水郷である。実にヨーロッパ的で、西洋ではどこにでもあるような広大な公園である。 近所に住んでいる人にはたまらないであろう。その一角にポプラの林や、メタセコイヤ、ラクウショウの巨木などもあり見晴るかすほどの広い公園である。地平線までその湖が続くかと思われるような広い造りとなっている。 ここも周遊だけでも1日は過ごせる。中にある小川では網で泥を掬い上げ中から色んな生き物を探している子供たちが多かった。夏休みの宿題にしようとしているのではないだろうか。■金町から浅草へ・・午後のあまりの暑さに、金町から京成電鉄に乗って、京成高砂→浅草と、迫ってみた。ビールを煽るため、日本初のバー「神谷バー」に駆け込んだ次第だ。ここはうるさ過ぎるが楽しいひと時。偶然隣り合った人たちと会話をする楽しさがある。隣だった男性は通らしく、ビール大ジョッキの中に電気ブランの小さいグラスを沈めたのを飲んでいた。これにはどんなオーダーがいるのだろうか。中ジョッキで普通の大ジョッキ並みの大きさがあった。徒然の記その2 映画「シークレット・スーパースター」 2019.8.13(火)■歌姫誕生の痛快な映画をヒューマントラスト渋谷で観た。突然現れた歌姫としてはイギリスの素人オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」第3シーズンの初回(2009年4月11日)に出場したスーザン・ボイルと似ている。ミュージカル「レ・ミゼラブル」の挿入歌「夢やぶれて(I Dreamed A Dream)」の最初のワンフレーズを歌っただけで審査員は目を丸くし、観客は一瞬息を呑んでから総立ちになり、彼女に割れるような喝采を送った。会場はスタンディングオベーションとなり、審査員は3人全員が「Yes(合格)」の札を出し、最高の賛辞を贈った。 この番組の模様がYouTubeなどの動画配信サイトに転載されると、9日間で1億回を数えた。この模様は小生の絵日記blogにも度々登場している。YouTubeの映像は下記。https://www.youtube.com/watch?v=RfzAAATAyCA&t=309s この動画でのhitからこの年の紅白にも出場している。■「パッドマン(Pad Man)」以来、9ヶ月ぶりのインド映画「シークレット・スーパースター」(2017年)日本:2019年8月9日公開。インシア(ザイラー・ワシーム 2000-)という14歳の女学生がブルカで顔を隠して歌ってYouTubeに動画を投稿し800万hitなど話題をさらって、賞を取っていくという物語であるが途中父親の娘に対するいじめや妻への壮絶なDV場面が入る。しかし落ち目の音楽プロジューサー:アーミル・カーン(Aamir Khan 1965-)が彼女を見出し話が進展していく。 インシアの母親:メヘル・ヴィジュ(Meher Vij、1986-) も好演。2時間35分という長い映画であるが、十二分に楽しませてくれる。泣き腫らした目のまま映画館を出た。徒然の記その3 渋谷散策 2019.8.13(火)■映画館を出て、ヒカリエをぶらっと歩き、東急ハンズへ。都心を歩く「散歩会」でも、渋谷ヒカリエを始め渋谷界隈をとことん歩くというイベントが予定されているぐらいに勉強のしどころの多い渋谷。 銀座線の新ホームが完成間際でかまぼこ型が明治通りを跨ぐようにでき上ってきた。11月openの展望施設・スクランブルスクエア(地下2Fから14Fまでは商業施設)はほぼ完成。 立体公園の新・宮下公園(10万ha=後楽園球場の2倍以上)のパースも組み立てられ半円を描くように何本もの鉄のアーチが組み立てられている。来年の完成を目指し階下は駐車場や商業施設、屋上は公園で、展望テラス、クライミングウォール、スケートボードパークやイベント会場など若者が喜びそうな施設の完成である。なかなかワクワクするような一角に育ちそうである。 ヒカリエ自身、レディスフャッション、アウトドアファッション、トラベルグッズ、アクセサリー、ビューティー、雑貨など所狭しと店が並び、各階を見て回る人達で賑わっている。9階まで上がれば大きなスペースが割かれ15日から「ねこ展」が開かれる。このビルで素晴らしいのが休憩スペースの多さである。トイレの前だって10個ほどのソファーがあり驚く。■東急ハンズ・・かって夢中になった「はづるキャストパズル(Hazzle Cast Puzzle)」は大体、町田、新宿のハンズで買ったものであるが、渋谷にもそのコーナーがあった。 超難解パズル・エニグマ(難易度6レベル)のhintを載せたのがこの絵日記blogの始まりである。2004年に遡る。ここのパズルコーナーでは外国人が挑戦していた。聞くと本国のフィンランドでも売っているという。そこに置いてあるものは冷やかし半分で出来るほど容易(たやす)くはない。しかも無理に操作して壊しているものもあり、パズルの試行には細心の注意が必要。力ずくで出来るものは一つもないのであるから。 ここで日傘兼用の折り畳み傘と、マイクロファイバー付き傘ケースを購入した。リュックに付けていたはずの傘はなくしたと思っていたのだが、カラビナで止めていたために落とさずに済んだようで家に帰ったらあった。これで、家に2setの傘とケースが揃った。前のは、梁が5つしかないが世界最軽量の90gの傘である。今度のは6梁。さてどちらが長持ちするか? 断捨離と言っておきながら物を買うという行為では、常にあるものを捨てていかなければならないが。日本経済に貢献するというスタンスで考えよう。徒然の記その4 金子文子 2019.8.15(木)■なんでこうまで仲が悪いのか韓国・・まぁ日本が韓国に対して戦前から散々酷(ひど)いことをしてきたその恨みは、1代や2代で消えるものではない。未来永劫かもしれない。日曜版の「みちものがたり」は歩くという観点で簡潔に纏めてくれているコーナーであるが、「金子文子のみち」として神田三崎町から有楽町までの道を紹介していた。 金子文子(身長140cm、体重40kgと小柄であったという。1903.1.25-1926.7.26 享年23歳)と朝鮮人無政府主義者の朴烈(パク ヨル 1902.2.3-1974.1.17)の夫婦を描いた韓国映画「金子文子と朴烈」(2019.2公開、現在も上映中なれど博多地区一軒のみとなっている、DVDは9月27日に発売)のことや、文子の獄中手記「何が私をこうさせたか」、瀬戸内寂聴の「余白の春」(共に復刻版はそれぞれ岩波文庫(2017)、岩波現代文庫(2019))が紹介されていた。 知らないことばかりであったので、まずは瀬戸内寂聴の「余白の春」を読んでみた。ここには、文子の「何が私をこうさせたか」が多数引用されており、かつ文子の生まれ故郷の山梨、韓国で暮らした芙江(ふこう)という町、朴烈と一緒に眠る韓国の墓、栃木の宇都宮刑務所跡などの訪問記を加え、多角的に文子を捉えた小説となっていて大いに楽しめた。 韓国の悲惨な歴史は、日清戦争の結果を踏まえた1910年の日韓併合条約により事実上の日本の属国となった時点から始まる。土地の略奪、搾取などで、利権を奪われた多くの朝鮮人が日本に渡り、虫けらのようにこき使われた。過酷な日々は筆舌つくしがたい。大正12(1923)年9月1日11時58分32秒の関東大震災発生とともに、朝鮮人の虐殺が始まっている。まさに朝鮮人が積年の怨みを晴らすために井戸に毒物を入れ、家に火を点けたとする流言飛語のためで、自警団などにより大虐殺(1000人~5000人)が公然と行われたというではないか。 そんな流言が蔓延するという背景には、朝鮮人をつねづね苛(いじ)め抜いていた日本人の姿が垣間見られる。 金子文子が9歳(1912)のときに祖母とともに朝鮮に渡り、金貸し業の岩下家に預けられ、16歳(1919)までの7年間を過ごしている。養女にするという甘い言葉で日本から連れ出されているが、実際には女中以下の惨(むご)い扱いの連続であり、祖母や叔母からのあまりの虐待(3日間食事が与えられない、学校に行っても遊ぶなと言われ、文房具を買い与えられないなど)から死のうとしたこともあったようである。 これには文子がもともと戸籍がない無籍者として幼少期を過ごしてきたということから来る差別で、父親を終生恨んだ。4桁x4桁の掛け算は暗算で出来たという。学校の教科書はすぐ頭に入るため復習する必要がなかったという。実に賢い女の子であったのだ。この時期にも日本人の統治の酷(ひど)さ、惨たらしさを見ているのであった。ほぼ同じく韓国にあって独立運動の急先鋒が1歳年上の朴烈(パク ヨル)であったというわけである。2人の劇的な出会いは日本に帰って働き始めた有楽町のガード下の「岩崎のおでん屋(通称社会主義おでん)」であったという。 ここで働いていた文子が、彼の書いた「犬コロ」という詩に感動して、どんな人物だろうと探していたのだった。人づてにそれが朴烈であることを知り、おでん屋で逢引の機会をずっと狙っていたようで実に行動的である。 文子は小さな躰に収めきれないほどの生命力を持ち、しかもその生命をいつでも白熱の炎をあげるまで完全燃焼させねば気が進まず、自分をかりたてて、がむしゃらに勉強し、猛烈な知識欲を充たそうとした。そのおびただしい生命力に太刀打ちできるボルテージの高い力を朴烈(パクヨル)に見出したのだ。 両人とも完璧な無政府主義者・虚無主義者として手を結び、不逞(ふてい)の輩が集まる「不逞社」を設立。朝鮮人を蔑(ないがし)ろにしてきた日本人のtopである天皇および皇太子を殺すという大義名分を掲げ行動に移る。所謂大逆事件で、幸徳秋水、大杉栄に次ぐ第3の事件である。爆弾がなかなか手に入らないうちに、彼らは捕まり、監獄生活を送る。これからがすごいのだ。この事件が関東大震災と前後しているため慌ただしいのであるが、朝鮮人虐殺の最中に、2人とも身柄を保護検束されるのであるが、ほどなく治安警察違反で起訴される。 大審院の審議では、40分に及ぶ弁明を原稿の無い中、理路整然と滔々と述べたという文子。天才的な明晰さである。これには判事も舌をまき、恐れをなしたようである。 当然死刑の判決を受けるも、事件は未遂であったという手前、外国にも範を示そうと昭和天皇の即位にあたって無期懲役へ赦免される。死を望んでいた文子にとってはそれが不服で、作業の一環で与えられた麻の紐を編み縊(くび)れて逝った。つまり自害した。朴烈は戦後は保釈され、1男1女を得て1974.1.17に死んでいる(享年 71歳)。 文子の獄中日記「何が私をこうさせたか」を読み始めた。驚くべき記憶力のもとに一心不乱で書き綴った手記は鬼気漂うものがある。大正史を知るうえで、また朝鮮人を蔑(ないがし)ろにしてきた日本人をどのよう敵視してきたか。瀬戸内寂聴の「余白の春」からもその一部が紹介されているも、その直(じか)の詳細な文章に触れていて涙している最中である。 朝鮮で祖母や叔母から受けた虐待の場面など「怨みつらみ」を詳細に書いているが全記録ではないという。全部を書けば読者が卒倒するとも書いている。よくそれに耐えたものである。虐待を受けた本人自身が詳細に書き綴った生の声で圧巻。彼女はこれをもって復讐の鬼と化したのである。「私自身を生きる」として強靭な生命力を持って闘争に向かっていくのだ。■徴用工、慰安婦問題、少女像・・・双方言い分はあろう。しかしその源流にある深い憎しみを忘れてはいけない。本筋を理解し、「反省」という誠意を示しながら歩み寄って行ってはどうだろう。史実を正確に捉え、認識し、陳謝の気持ちを伝えるのだ。 慰安婦は朝鮮人の業者が管理した。寒村からの婦女子の募集は日本でも行われていた。彼女達は親元への仕送りを行っている。日本人の従軍慰安婦は約20%(この事実から「日本人」の少女像もあってもよかろう。後世の反省にするために。) 朝鮮人40%。韓国国民いや日本人も知らない、教えられていない事実を、きっちり外交的に説明してこなかった政府や外交官。語学力が無かったのか無知だったのか? 戦没者310万人(内訳(単位は万人) 日本70、旧ソ連(モンゴル含む)5.44、中国東北地方24.54、中国本土46.57、北朝鮮・韓国・台湾9.54、沖縄18.81、硫黄島2.19、フィリピン51.8、中部太平洋24.7、ミャンマー・タイ・マレーシア・シンガポール・インド21.24、インドネシア3.14、ニューギニア18.6、ガダルカナル11.87 計307.9)のうち、軍人212万から、慰安実態に目を向けてみてはどうだろうか。 慰安所の内、国内のは、米国駐留軍用に流用したとして相当の日本人慰安婦が働いた。韓国内のは、1948年の朝鮮戦争において継続。 中国本土、アジア各地で慰安所数千か所。3000か所か? それも戦況によって絶えず移動。 今回の戦争・・兵隊さんたち、もともと勝つ見込みの無い聖戦。 最初から諦めていたのではないか。兵糧を一切考えなかったインパール作戦。バカも休み休み言えと声を荒げたいのだ。8月15日を向かえる度に腹立たしい。満州国と朝鮮半島と日本などすべて含んだ”大東亜共栄圏が盤石なものである”と勘違いした軍部があったのだ。■唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約を批准出来ない・・それもそのはず。あの2発の原爆が無かったら、国土が消滅するまで戦い続けていたであろうし、その意味で核の破壊力と、抑止力の強大さを同時に身を持って知ってしまった我々は、核保有国が1国でも存在する限り、地球滅亡という危機的状態になるまで戦い続ける危険性があるために、”同時にゼロにしなければならず” 他の国の顔色を見ながらの悠長な批准と言う現状の手段では無理であると考えるからではないか。 原爆資料館が新規openし、悲惨さを公開することが、「戦い続けているとこういう風になるんだ」という実例を示し、逆に”だから核兵器が必要なんだ”と思わせる材料にもなりうることも心しなければならない。米国民の多くは広島・長崎原爆投下を肯定しているのも事実である。それほど当時の日本は、狂気の日本であった。徒然の記その5 OpenTopoMap 2019.8.15(木)■OpenTopoMapとは、OpenStreetMap(OSM・・Wikipediaのように利用者がupdate出来る地図)に等高線が付いた地図。山岳部では有用。 これを、地図ソフトの「カシミール3D」で使用できるようにするためには、タイルマップ機能のプラグインを行い、URLから地図をダウンロードする。初期の設定では日本地図しか使えないため世界地図に対応にするためにはOSMやOTMをインポートする必要がある。 [ツール]→[タイルマップ]→[タイルマップ一覧]→タイルマップ一覧が表示される(最初は真っ白)。[追加]ボタンをクリック。[タイルマップの設定]ウィンドウが開く。 タイルマップの名前:OpenTopoMap(任意)、タイルURL : http://a.tile.opentopomap.org/$Z/$X/$Y (拡張子 : PNG、ポート : 80、最小ズーム : 5、最大ズーム : 17 これらは初期値のままでよい。)、okボタンをクリック。 今回このOpenTopoMapを使って、ルルドコース(Lourdes(ルルド)-Cavarni(カヴァルニ))の内、Pierrefitte-Nestalas(ピエルフィット=ネスタラ)とViscos(ヴィスコ)の山道をトレースしてみた。 このルートは車道(D921 リュス道)を通るのと違い、山すそを縫うため倍ほどの距離(15km→30km)がかかり、とてもCavarni(カヴァルニ)まで行けたものではない。point、pointのトレッキングはお薦めなれど、50km先の目的地に向かうときには、そのまま車道を通ったほうが話は早い。なかなか迷うところである。 日本のようにどんな道でもたいてい歩道が付いていたりするわけではなく、車道は車のspeedも速いので危険である。バスまたはレンタカーでpoint間の移動を行い、余った時間で周囲をトレッキングするというのが一番良かったように思う。 これもそれもこのOpenTopoMapで もっとしっかり事前のルート設定をやっておれば、Lourdes(ルルド)-Cavarni(カヴァルニ)の3日の歩行は「普通では無理」と判断を下せたのだ。反省。徒然の記その6 METオペラ・ライブビューイング「ランメルモールのルチア」 2019.8.16(金)■2/28「アドリアーナ・ルクヴルール」,3/16「カルメン」,5/16「ワルキューレ」に次いで、4回目のMET Live Viewing。今回はアンコールで、2011.3.19に上演されたオペラである。 ルチアの「狂乱の場」があるので有名なオペラ。高校の友人たち9名と観てきた。東北大震災直後にNYで上演されたわけで、インタビューでは「フクシマ」を応援するメッセージがあった。この時期にはワグナーのリング4部作を上映していたことが分かった。 今回は上映時間2時間27分、休憩2回(Intermissionの間、客席映像が流れる。場内がすこし明るくなる)をはさんで3幕。10:30-13:57。1回目の休憩時に家でチンをしてきた太巻きを皆で分け合う。 ドニゼッティ(1797-1948 イタリア・ベルガモ生・没)はなんと100曲くらいのオペラを書いているが改版したものや紛失したものも多く、現存78作のうちに「愛の妙薬」も含まれ、我々オペラファンには馴染みの作曲家である。 第3幕にルチアが歌う「狂乱の場」では、15分以上一人で歌う。当時ドニゼッティがルチアの破綻をきたすシーンとして、音色・音程で不安定なガラスでできた楽器であるグラスハーモニカを使用することを意図したが1835年の初演には叶わなかったという。2006.3のスカラ座上演では使われたりしていて、常に話題になる楽器であるが、2011年のMETでは使用されず、最初のフルートの歌いだしのあとは全部アカペラで歌われた。ルチアを演じたナタリー・デセイ(Natalie Dessay 1965-、フランス)の世界最高峰の圧倒的歌唱力には賞賛の嵐でこの時も数分拍手が鳴りやまなかった。最高音ミ(E)を歌い切ったあと、解き放たれたように安堵の瞬間がやってきて、男性4名に担がれ、昇天への道のりを辿る。その後は幽霊となって愛するエドガルドの自害に立ち合う。まさに悲劇中の悲劇であるが、2人はともに天国で結ばれるという結論へ導く壮烈なドラマである。 ルチアのデセイ(Dessay)は、階段で寝ながら歌ったりするときもまったく声量は変わらず、驚愕ものである。今まで観てきたようなコロコロと太った歌手ではなく、スリムであったが体力的にはこのほうが持つのであろう。メモ:指揮:パトリック・サマーズ、演出:メアリー・ジマーマン、ルチア:ナタリ・デセイ(so)、エドガルド:ジョセフ・カレーヤ(T)、エンリーコ:ルードヴィック:テジエ(Ba)、ライモンド:クワンチュル・ユン(Bs)、マルトゥーロ:マーシュ・ブレンク(T) 面白いのは、第1幕に領地を捜索する部隊に2匹の犬が登場する。マーフィーとエデン。飼い主のインタビューがあった。まだ9ヶ月であるのに堂々とした馬のように大きな犬であった。パレードや競技大会に出場したりして場を踏んでいるということであった。■遅い昼食は、銀座天龍で。昼は予約ができないということであったが、2,3分待っただけで8人分の席が用意されlukyであった。実に楽しい談笑。夏のオペラなんて!と今まで思っていたが、当期も含め過去のライブで人気の作品などをアンコールで応えるのであるから内容には絶対の自信があるというようなプログラムであった。再放送に関しても全くの編集は行われず、2011.3.18のままの放送内容であり、福島の事故から8日目のオペラ上演ということに感慨無量であった。■耳よりな話・・なかなか開かないペットボトルの蓋・・特に100mlなどの小さな容器のは蓋と本体と間の逆の回転力が付きずらく開けにくいことも多い。座布団の中などに入っているウレタンをタオル替わりにして添えるとすぐ開くという。家では出来ても外では? 小さいのを持ち運び?徒然の記その7 中京学院大学中京高校■3年ぶりに甲子園に出場し頑張っている。広島カープの菊池涼介選手の母校・中京学院大学中京高校が甲子園の高校野球で8強に入った。先日は強豪の神奈川の東海大学東海高校に勝っている。 菊池選手に関しては、ベストナイン:1回 (二塁手部門:2017年)、ゴールデングラブ賞:6回 (二塁手部門:2013年 - 2018年)、月間MVP:2回 (野手部門:2014年6月、2016年8月)、クライマックスシリーズMVP:1回 (2018年)など活躍している。 名古屋にも、似た名前の高校:中京大学中京高校があって常に混同されがちである。もともと梅村学園(愛知・中京大学)・安達学園(岐阜・中京学院大学)は創設者が兄弟であることから、似た名前の変遷を辿っているのだ。圧倒的に有名なのが愛知県の方であるが、岐阜県側も負けてはいない。高校の野球に関してはいつもtopレベルで競っている。 大学の方では、学部は、経営学部経営学科、看護学部看護科、短期大学部(保育科・健康栄養学科)で、瑞浪市と中津川市にキャンパスがあり、地域に根差した特色ある大学として手厚い学生へのフォローが自慢である。当方が、1998年から2012年まで、非常勤講師、教授 特任教授などの形で、お世話になった大学であり懐かしい。 大学の野球部では、硬式野球部が第65回(2016年)全日本大学野球選手権大会で優勝。軟式野球部が第41回(2018年)全日本大学軟式野球選手権大会で、準優勝と活躍している。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Aug 17, 2019
コメント(0)
厳しい"暑熱順化"、UDフォント_ story (4406)2019.8.10After the fall (the fall="one of 24 seasons", August 8th in this year), it is still continuing summer heat and tropical nights. I am a lack of sleep.Open all windows of downstairs and let cool before putting in the cooler.During the day, I am with towel wrapped around my neck including about 3 or 4 cold insulation agents.It has the effect of reducing the perceived temperature by a few degreesWhen the breakfast is over, it is a garden work while it is cool. Align the height of the shrubs and improve ventilation. 立秋(2019年は8月8日)を過ぎ、早や残暑の季節になった。猛暑が続き連日の熱帯夜で寝不足気味である。クーラーを入れる前に階下の窓は全部開け放ち涼をいれる。日中は保冷剤を3つほど入れたタオルを首に巻いて生活しているが、これは体温が2,3℃低くなる感じで涼しい。朝餉が終われば涼しいうちに庭仕事である。灌木の高さを揃え、風通しをよくしよう。■今週の2枚Jeju coast(済州島 中文海水浴場、中文観光団地 2019.7.23)数多くのサーファーが砂浜に群れている。100段くらいの階段を下りて行くと浜辺にでる。Hyatt Hotel 中庭からの景色。20mの断崖の上。柱状節理の岩肌がこの一帯に続く。ここは火山の島である。目次徒然の記その1 蜂 その後徒然の記その2 暑熱順化-吉祥寺まで33km run徒然の記その3 善福寺公園→吉祥寺 徒然の記その4 滝川クリステル徒然の記その5 漢字検定のような小説「葬送」徒然の記その6 文字フォント「UD」ー山追令さ 徒然の記その1 蜂 その後 2019.8.4(日)■顔の腫れは4,5日で収まったがその猛烈なことと言ったらない。刺された場所を中心として腫れあがり、左右対称であるべき顔の左半分が、木枠に押し当てて型を取ったように四角くく張りが出てしまった。このまま皮膚組織が定着してしまうと、顔の輪郭が変わってしまうかもしれないという恐怖に苛(さいな)まれた。人は「日に当ててはいけない。蟄居すべきだ。」「二度目の蜂が危ない。外出すべきではない。」 口さがない。 日曜日に再度巣をみてみた。あろうことか、一匹がどこからか帰ってきていて、慈しむように、誰も棲んでいない巣を舐めるようにしてチェックしている。まだ残っている蛹を探しているのであろうか。さっそくカミさんに「注意!」というメールを送っておいた。 駅に迎えに来た風体は「バスタオルを被ったまま」のドライバーとなって現れた。「貴方も被りなさい。」とバスタオルを被せられる。家に着くとちゃんとその蜂は同じような動作をしながら巣から離れようとはしない。金曜日の午前中にスプレーをしたのであるが、タイミングが悪かったのではないかと。朝方は、出かけている蜂がいて難を逃れたのではないかと。夕刻の一家団欒のタイミングでスプレーをすべきではなかったとか。 夕刻、車を動かし、その巣の撤収にかかった。netでは専門業者の出番であるという。また友も役場の人にやってもらえと警告を発するが、10cm玉のアシナガバチの巣なので、大丈夫だろうと。長そで長ズボンという万全の態勢である。高枝専用の剪定ばさみでそれを落としビニールに包み込んだ。家に持ち帰ろうとしたら、蜂が出てくる可能性がある。というので玄関先に置いておくことにしてゴミ出しの日に片付けた。 この蜂騒動と似たような事件が3年前にも起こっている。ヨーロッパ長旅の10日ほど前の2016.7.28(木)16:30に事件が起きた。傑作なのがカミさんの保護者ぶり。小生を皮膚医院まで急行同行しているのだ。似ているシチュエーションで笑ってしまう。https://plaza.rakuten.co.jp/turbo717/diary/201608050000/ 第4項目の「蜂の襲撃」がそれに当たる。徒然の記その2 暑熱順化-吉祥寺まで33km run 2019.8.7(水)■旧サラ文有志による夏の納涼大会をやろうと、「吉祥寺駅北口交番前に14時に集合。」のところこれを聞き違いし、13時に集まるものとして家を4時に出発。余った時間は井の頭公園の緑の湖畔の風景をスケッチという裁断である。 あくまでも計画のうちに、前夜は9時に就寝。2時半起床で、4時出発としたい。33kmを脱兎のごとく駆ければ5時間で到着できる。酷暑でも朝方到着と予定にすれば凌げるかもわからないと。 しかしその全てが甘かった。まず朝餉の準備と同時に洗濯に余計な時間がかかってしまった。カミさんも朝6時には出発と聞いていたので、まず室内干しの洗濯メニューを考えなくてはならない。普通に洗濯したあと、「風乾燥」を30分。 最新式の洗濯機ではないが、こういう機能があるため使わない手はない。1,2時間コースもあるが、分量が少ない場合は、最低の「30分」の設定で十分である。これを適用すると、部屋干しの段階でほとんど乾いた状態であるので匂いがつかいないのだ。 こういう準備のため出発が5時近くになってしまった。来年の五輪ではマラソンは朝6時スタートで8時ゴールという。沿道の応援が期待できるのかは疑問であるが、ビル影が、涼を誘い選手には都合が良いかもしれない。影が途切れる交差点など特定の場所は、横断幕でもよいので日陰を作ってあげたりミストを吹き付けるなどの工夫があれば助かる。車いすの場合は輻射熱が近いため、ミストの列で冷やしてあげてはどうだろうか。本日のコース: 自宅→橋本駅近傍→小山内裏公園→南大沢→大栗川側道→聖蹟桜ヶ丘→多摩川関戸橋→読売新聞→多摩川べり→府中市郷土の森公園→是政交差点(府中街道交叉)→新小金井街道交叉→東郷寺通り(小田分道)→多摩霊園駅→玉川石材店→多摩墓地→人見街道→近藤勇生家跡→野川横断→東八道路交叉→天文台通り交叉→三鷹市役所→井の頭公園→吉祥寺駅北口-東口交番前と33kmくらい。 昨年は5日に武蔵公園までの途中でダウン。今回は、途中で睡眠をいれたりと余裕のスケジュールと、関戸橋から新しいルートである。 最初は日陰であったが、聖蹟桜ヶ丘(16km point)で8:00。すでに太陽はじりじりと照り付け限界状態。スターバックスでアイスコーヒーを注文し、外で20分ほど休憩。■氷いれますか・・・庶民はここで悩む。氷を入れた分だけ、cocoaの本体が少なくなるのではないか、しかも氷の壁面にそれぞれcocoaが吸い付く分だけ本体を飲む量が減るのではないかと。氷が解ける分薄まるが多く飲めるという利点もあり逡巡する。「すいません氷なしでお願いします。」これでよかったのであろうか。 冷たいcocoaが五臓六腑に沁みわたるようだ。体のあらゆる器官がそれを待ち望んでいたかのように吸い込まれていく。これからの4kmが過酷な、日陰のない河川敷を走らねばならないため、あらゆる臓器がハンストを起こす態勢であることも知っている。しばし休憩し、駅へと急ぐ人の群れを観察。 気の急く人は、信号など待っていない。エスカレーターで2階にあがり、街道を跨いだペデストリアンデッキを渡り、再び地上に降りていく。信号待ちの場合は最長2分、上なら1分。さて皆さんはどちらを取る?■府中市郷土の森公園→是政交差点(府中街道交叉)→新小金井街道交叉→東郷寺通り(小田分道)→多摩霊園駅のコースはなかなか趣がある。緑道の道は昔は小川が流れていたのであろうか、暗渠にして木を植えたようで、"府中在住、在勤、通い50年"の歴史でも初めて通る道であった。googleの「経路」検索ではいつも想定外の新しい道を示してくれる。 小道が五差路のようになった場所からその一本を辿るというのはなかなか難しくコンパス必携となる。小さな公園もあるがベンチがないため休むわけにはいかない。緑陰に最適なベンチが欲しいところである。朝の9時をすぎれば30分置きに500mlの冷えたペットボトルを飲むという誘惑にかられる。真夏ではいたしかたない。■多摩墓地へ通じる南参道は石材店が軒を連ねる。人見街道と斜めに交差する場所の角にあるのが、今フジTV日曜にやっている「オフサイド」のロケ地で毎週火曜日か水曜日の夜に撮影が入り大変な賑わいであるという。■am10:00 この頃になると熱中症のリスクが高い。日陰を求めて民家の軒下を掠めるように走る。人見街道は舗道が少なく危ない、途中で三鷹市役所にかけこみ涼をとる。こういう公共施設では必ずベンチがあり助かる。あと3.3kmのpoint。ここからがジグザグなるも北向きに進路をとり狭い道を走る。12:45には到着しているのに交番前には誰もいない。炎天下のなかを昼食用の太巻きや野菜類を食す。 カンカン照りである。しばらく駅方向を眺めたが誰もこない。それもそのはず、集合時間が1時間 間違っていた。こんなことなら三鷹市役所でもっと休んでいればよかった。来年はもっと早く出て公園をスケッチしよう。徒然の記その3 善福寺公園→吉祥寺 2019.8.7(水)■やすらぎの刻(とき)~道の脚本家倉本聰(1934.12.31-)さんと旧サラ文のYさんは兄弟である。同じ敷地に家を建て住んでおられたが、一方は現在富良野に居を構え留守中である。100周年を迎えた東京女子大の裏手。昔は女子寮のふろ場があったという。善福寺の池側は10mくらいの崖となっており、2階からは夏場で茂る木々の向こうに湖面が見え隠れする。針葉樹林帯はメタセコイアだろうか。 この斜面に閑静な邸宅がS字状に池に沿って並び壮観である。かっては執筆に使用していたという部屋を見せてもらった。とにかくここで先ずシャワーを借りなければならないのだ。水シャワーが気持ちがよい。頭も洗ってさっぱりした様子で2階に上がっていったら丸テーブルを挟んで10人ほどがすでに談笑中であった。缶ビールという禁断のサービスを特別に受け、乾いたノドを少し潤す。 神田川源流である2つ河川、井の頭川と善福寺川や、それらが隅田川に注ぐこと。井の頭公園がいまやモネの絵のような緑滴る素敵な景観をなすこと。フランスでは実際にモネの庭園(ノルマンディーのジヴェルニー(Giverny))に行ったことがある・・など、key wordが次々と繰り出され話が回転していく様が面白い。女性が多いためか、一瞬も停滞が無いのであるが、乗り遅れたら大変。■さて場所を吉祥寺に移すべくバスで移動。ビアホ-ル「戎(えびす)」にどっと流れ込むも、店の人はキョトンとしている。予約されていないと言う。銀座のライオンに似たシックな感じのする地階の店であったが、そこをまたどっと「出て」、「天狗」に駆け込む。なんのことはない。予約した店を間違えていたのだ。 我々がいつも新宿で飲んでいる「天狗」と一緒のチェーン店である。味も代り映えしないが、盛んに杯を重ねる。小生酒で酔うと碌(正しくは「陸」)なことはないためお酒をすこし控える。徒然の記その4 滝川クリステル 2019.8.7(水)■居酒屋で騒いでいたらスマホにニュースが飛び込んできた。政治家の小泉進次郎氏(1981.4.14-、38歳)がこの日、首相官邸で安倍晋三首相と菅官房長官に結婚を報告し、その後報道陣の取材に応じた。 婚約を発表したその人は! 庶民には、おバカタレントの「滝沢カレン(父がウクライナ人で母が日本人 1992.5.13-、37歳)」かと思いきや、2013年の東京五輪誘致speechでの「お・も・て・な・し」宣言をした滝川クリステル(滝川 ラルドゥ・クリステル雅美 (Takigawa Lardux Christel Masami) 1977.10.1-、41歳)さんである。 父親がフランス人、母親が日本人のハーフである。抜群の知性をほこり2014年に動物保護・生物多様性保全を目的に一般財団法人クリステル・ヴィ・アンサンブルを設立。代表理事に就任している。年明けに出産という。びっくりする政治家がいたものだ。将来ファースト・レディーになるかも。徒然の記その5 漢字検定のような小説「葬送」 2019.8.8(木)■この日記に度々登場している平野啓一郎氏の小説は芥川受賞の「日蝕」から始まって難解な漢字が出てくる小説ばかりである。今回「葬送」(新潮文庫 2005)を読みながら難読漢字をメモしておいた。300単語ほどが抽出できたので意味や、同義語などを昇順に列記してみた。小生のHPに記載してある。「 http://turbo717.ciao.jp/190808_hiranokeichiro.html 」 例えば「錬稠(れんちゅう)」などnetで調べても意味すらでてこない。「はげしく練る」なんて意味になるのであろうか。錬・・ねる。稠・・込み合っている様。濃い。顴骨(かんこつ)・・ほおの上部、目の斜め下に左右一個ずつある骨。ほおぼね 怯懦(きょうだ)・・臆病で気が弱いこと。いくじのないこと。 また、そのさま。韜晦(とうかい)・・自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと。囹圄(れいご)・・こんな漢字を見たことがない・・囚人を捕らえて閉じこめておく所。牢屋 (ろうや) 。截然(さいぜん)・・物事の区別がはっきりしていること。滌除(てきじょ)・・抵当権を消滅させること駐箚(ちゅうさつ)・・外交官などが任務のためにしばらく外国に滞在すること。などなど。漢字検定1,2級レベルかもわからないが、あまりお目にかからない難しい意味や、普段はひらがなのものが漢字になってでてくるものだから大変。齷齪(あくせく)する、 翳(かざ)す、拗(こじ)らせる、 手を拱(こまぬ、こまね)く、齎(もたら)す、擡(もた)げる、踠(もが)く、漲(みなぎ)る、弁(わきま)える・・などなど。これほど語彙が多い「動詞」にあまり接したことがないくらいだ。なかなか書けない字でもある。一級なんか、四字熟語で「尸位素餐(しいそさん:位にありながらなんの責務も果たさないこと。)」が読めて、解読されねばならないとしたら、こんなものではないかもしれない。平野文学は谷崎文学に影響を受けていることも多く、単語も共通している事も多いが、しかし漢字のすべてを知り尽くしている感で、その知悉(ちしつ)の深いことは驚くべきものがある。国語辞書と漢和辞書のすべての語彙が頭にあるような著者である。 逆を言えば、われわれが余りにもそういう世界から遠ざかっているからであろう。パソコンやタブレットが容易に漢字に変換してくれるため楽をしすぎている。昔のように辞書に埋没していなくてはならないのだろうか。徒然の記その6 文字フォント「UD」山追令さ 2019.(木)■netで「山追令さ」を"画像"で引くと800万画像もhitする恐ろしい事態となっている。特別な熟語ではなく、書体の例を見比べるのに都合がよい文字を並べている。このほか顕著なのがa,b,p,dであろう。大阪市の書体メーカー「モリサワ」が作り出したというユニバーサルデザイン・フォント(UD)が話題を攫(さら)っている。このフォントの作者は『デジタル教科書をはじめとしたICT教育の現場に効果的なユニバーサルデザイン書体である。学習指導要領に準拠し、書き方の方向や点・ハライの形状を保ちながらも、太さの強弱を抑え、ロービジョン(弱視)、ディスレクシア(読み書き障害)に配慮したデザインで、読みやすさについてのエビデンスも取得した。今回のアップグレードでは、英語学習教材に適した欧文書体「UDデジタル教科書体 欧文」と、教材制作に必要な「UDデジタル教科書体 学習記号」も同時に提供。』という。 教育現場ではちょっとした革命である。この文字にしたとたん正解率が14%も向上したという。下の図のようにMS明朝体などと比べてみると格段に読みやすく、書き方、書き順も正しく反映していることが分かる。 いままで教育現場にいてこれを意識していなかったことが恥ずかしい。今では薬の能書きやバス停の表示もこのUDフォントに移行しているという。下記R,Kも最新の「新欧文フォント」では交点は一か所になっていてもっと改良されているということらしい。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Aug 10, 2019
コメント(0)
アナフィラキシー、真鶴合宿_ story (4405)2019.8.3I was attached by bees twice this summer. It will be same family who did the same face and his parent's jealousy as stabbed with a strong murderous intent.Anaphylactic shock death yes no?今夏、2度も蜂に刺された。同じ顔をした輩である。親の怨み!と強烈な殺意を持って襲ってきた。二度目など、刺されるときにブチッと音が出たような強烈な一撃であった。■今週の1枚Manaduru Fishing port(真鶴漁港) 2019.7.28)Sさん宅からの真鶴漁港。1分30秒しかなかったスケッチタイム。でも目には光景が焼き付いている。青いクレーンの右側あたりが、貴船神社の108段の階段。手前の華やかな彩の船が「お囃子船」目次徒然の記その1 歩き塾巡礼報告会2019徒然の記その2 真鶴合宿徒然の記その3 ドクダミ茶 徒然の記その4 Viola Lesson徒然の記その5 親が手伝う宿題徒然の記その6 暑熱順化徒然の記その7 Violin-Viola Duo徒然の記その8 Cantata BWV38徒然の記その9 珊瑚の会と蜂刺傷徒然の記その1 歩き塾巡礼報告会2019 2019.7.27(土)■3回目になる歩き塾の報告会を銀座の中小企業館で朝9時から行った。1階に守衛がいるがビルの8階へは15分くらい前にならないと入れてくれない。玄関でしばらく待つ。しかしサラリーマン風の男性がどんどん上がっていく。みるとより大きいC会議室はすでにそれらの人が集まり満席となりつつある。 我々も負けじと、プロジェクターを準備したりusbなどの持ち込み媒体のチェックを始めた。出席予定は23名ほど。9:00になると95%くらいが集まってきた。たいしたものである。9:05開会の挨拶をし、予定通り9:10から一人25分の予定でstart。 今回はキルギス→カザフスタンなど中央アジアの旅や、オーストリア・チロルのトレッキングや、Jacobswege Österreich(ヤコブスヴェゲ エステライヒ)というウィーンやドイツの道を歩いた人など、旅6題の発表があった。 『目的地はない、「道」こそが「目的地」である。』という言葉で締めくくった方もおられ、次回の歩く道も明確な人も多い。全員一題3時間はかかるほどの盛りだくさんな内容の筈であるが、それを25分という制約のなかできっちに纏めてくれて感激。 追加の申し込みもあったが、次回に回ってもらった。1分前の警告と、定時にはぴったと”切る”という約束の元、よくそれを守ってくれたものである。皆発表が上手くなった。時間感覚が出来てきたのだろう。会社の会議でも同じで、時間overしてくると『後の人はどうするのだろう』かと余計なことに頭が回ってしまい、その後のお話は誰も聞いていないのであるから。話したい事を1,2テーマに絞り、要領よくまとめ、レジュメを配っておくなどもよいかもしれない。 昼食は、N9Yというブッチャーズ グリルに行き2時間ほど談笑。そこで色々情報交換が出来たのではないだろうか。徒然の記その2 真鶴合宿 2019.7.27-28(土日)■貴船神社祭り(例年固定の7月27日、28日)では、海が荒れていなければ海上渡御(とぎょ)が行われる予定である。しかし生憎台風6号が三重県に上陸して関東に向かっているという。昨年もこの時期にちょうど台風に遭い海上渡御は中止になっているのだ。台風の時期だからしょうがいない。来年など五輪開催時の月・火の開催で人が集まるのかと今から心配になる。 "海上"が無くても神輿は町中を練り歩きスロープのある海岸では海に入ってひと暴れということも「有り」なので、祭りはいや増して盛んである。日本三大船祭りのこの担ぎ手たちはすべて真鶴の人達によるものであるという。他の祭りのように「通い」の人はいないという。1年間を通じてこの日のために身体を鍛えているようである。普段なら東西の小早船が進水し、神輿船、お囃子船、櫂伝馬の船が宮前海岸に向かい貴船神社からの神輿を待つ。発輿祭(はつよさい)では、神輿が貴船神社の108段の階段を駆け下りる。2日目はその逆で階段を駆け上り還御(かんぎょ)する。 同時に港では花火が打ち上げられ祭りのクライマックスとなる。夜の海上渡御(とぎょ)は見事で、電飾をほどこされたお囃子の船などが煌びやかであるという。ただ今年も台風の影響で漁港が避難港になったおかげで中止された。 お神輿に即して鹿島踊りなどが奉納される。先頭は竹で「X」の文字を形作る。そこからが神域を表すのだという。2階から見下ろすことも禁じられる。街中(主に太い車道)を神輿3台が巡る。JRの駅員も横断幕を持って乗降客を迎える。町が一つになるものすごい祭りである。ある場合には長時間国道を止めなければならないなどの処置など、綿密な行動計画が秒単位に進む。 担ぎ手は、それとはお構いなくジグザグ行動や何十回という出入りを繰り返しで仮殿という一夜の安置場所になかなか収まろうとしないなど祭りの雰囲気を盛り上げる。祭りの理事でもあるW先生はハラハラしながらも、隊列の先頭に立って歩いている。とくに階段が担ぎ手にとっては危ないという。 まぁこんな状態の「真鶴」へ、我々巡礼仲間数人と、出張料理人、ワイン教室女史、スペイン・タイル女史、ヒマラヤ・トレッキング主宰の女史、ヨット女史など名士10数名が集まった。 海上渡御(とぎょ)がある年に、再度全行程を見たいものだ。ちょうどテラスから180°南の方向に港を見下ろすことができるSさん宅。Sさんは合宿参加の一人とは30年来の知り合いであるという。間に28年ほど空いているのが面白い。思いがけない旧知を得たものである。■たくさんの邂逅・・・昭和39年に中学を卒業したという人の集まり・・今は68歳くらいであろうか。「39会」という方々とも邂逅を得た。駅前2階の「かわい」での昼食、Sさん宅での花火見物など。なかなか密度の濃い合宿であった。飲んだWineはドメーヌ・デュ・クレ・ド・ビーヌ(Domaine du Cret de bine)やジュゴンダス(Gigondas)など13銘柄。 傑作なのが大阪大東市からのヨット女史とこのSさん。ともにイグアナを飼っていたという共通点がある。Sさんのは最初は30cmくらいで可愛かったのに、1m50cmもの巨大爬虫類になり、自ら檻をあけて出て行ったという。近所に貼り紙をしたり必死に探したが未だに見つかっていないという。もう20年も前の話であるので今頃は新宿のゴリラの近くに身を寄せているのではないだろうか。ただ25℃以下では生存は難しいという。見たかったのに残念! パエリアを2つも用意してくれた出張料理人。極上チーズ「ブリー(Brie)」の差し入れや。美味しい料理に舌鼓を打ちっぱなしの2日間であった。■早朝マラソン・・当方は例のごとく早朝マラソンでMaps.Meの地図をみながら市内の”点線”の道を踏破すべく、坂道を上がっては下がるなどをしながら2時間くらい汗を流す。車の通らない細い道や階段、杣道を隈なく走るのである。全戸の前を通るには10年ほどかかるのではないかと思うぐらいに道は複雑である。さて7時10分、帰着すれどもまだカーテンが閉まっており、外でスケッチに着色したりと時間を潰す。 朝食後は合宿メンバーを海水浴に誘うが誰も乗り気ではない。海は一人では危険だろうと言うので30分毎に安否の連絡を入れるという条件で岩(源頼朝が船出した場所)海水浴場に向かう。この地域にある磯の「琴が浜」、「番場海水浴場」と違い砂浜があり、ブイの内側に浮島(ビニールで作った巨大パラダイス)が作ってあって楽しげ。磯遊びもできて子供向き。W邸から水着のままで500mも歩けば到着できる。ここで1時間くらい泳ぐ。パラダイスまで必死に泳いだがここはすでに水深10mほど。大きな浮き輪によじ登ることもできず引き返す。帰りはいくら泳いでも砂浜は遠い。足が地に着かないというのは一種の恐怖である。あぁ、このまま潮に流されれば帰らぬ人に! 陸上競技とちがって海はそういう意味では死と隣り合わせであると強く実感。ようよう足の着く浅瀬に戻り生還。次回はフィン、シュノーケルを持参しよう。この合宿で一つ成果があった。■凍ったレモンをアイス替わりに!レモンを縦4、横2の8つくらいの三角錐に小分けし、これを冷凍庫で凍らせる。水などを飲むときのこれをアイス替わりにして沈める。見た目にも綺麗で、溶ければレモンなども食べることができ食物繊維やビタミンCを補うことができ健康的。黄色がガラス瓶に入ると、華やぐという効果もあり美しい。徒然の記その3 ドクダミ茶 2019.7.29(月)■漸く梅雨が明けた。台風6号さえ来ていなかったら先週の土曜日には梅雨明けであったはず。土曜日から関東はほぼ30度をこえる暑い日が続く前兆が空の雰囲気からなんとなく認められた。現に神奈川南部ではほとんど台風の影響はなく穏やかな天候であった。 2w以上前に摘み取って日陰干しをしていたドクダミも「梅雨明け」を待っていた。根っこは繁殖のために残し、茎から上を採取したドクダミは洗い、クリーニングのハンガーに吊るして乾燥させていたのである。パリパリ音がする程度に乾燥していれば完成である。太い茎で葉っぱが付いていないものはこの時点で取り除いておく。これを中華鍋で炒める。発酵を抑え、風味を付けるという行程である。中火であるが裏返すたび蒸気が沸き起こる。次第にドクダミの玉は体積を縮めていく。この段階でも余りにも太い茎は捨てるがそれ以外は利用する。混ざていた根っこや他の植物は取り除く。茎の長い物はハサミで切って5cm以下にする。 山もりのドクダミも30分も熱を加えてへらで潰すように掻きまわしていたら、紅茶の葉のように細かくなり、良い感じに仕上がってくる。早速ドクダミ茶の抽出にかかった。 ホットップレートを60-70度あたりにし、湯煎で約1時間。5gあたり水200mlで煮る。水出し茶のような感じである。ガラスの容器2つで作ると効率がよい。約1.5Lくらいが抽出される。今年のは茶の濃い色に煎じ上がった。夏の期間これなくしては過ごせない。低温抽出なので、有効成分がすべて利用でき効率がよい。あとは濾して冷蔵庫などに保管。麦茶の感覚で飲める。なにせタダのお茶であるのでいたって経済的である。また効能もすごい、成分が半端でないからである。カフェインを含まないため小生は何杯でも飲める。■ドクダミの成分と効能クセルシトリン・・強い利尿作用効果、カリウム・・過剰な塩分を排出。高血圧の予防。血圧を下げてくれる、カルシウム・・ 骨を丈夫にする、マグネシウム・・ 血液中の糖をエネルギーに変える、フリン・・ 血液を中性に保つ 、ビタミンB2・・脳の働きに欠かせない 、ナイアシン・・ 体内のエネルギー代謝を促進する、、パントテン酸・・ 糖質、脂質、タンパク質の代謝に欠かすことのできない 、ビタミンK・・ 出血を防ぐ、コリン・・ 脂肪肝を防ぐ 、クエルシトリン・・消炎作用。胃の炎症や傷を直してくれる働きがある。 いいことずくめのドクダミ。おめおめ粗末に扱ってはならない!徒然の記その4 Viola Lesson 2019.7.30(火)■チューニング・・A(ラの音 442Hz)をチューナーで合わせた後は、各弦を(チューナーを見ずに)耳だけで合わせていく訓練を最近は行っている。このときこそビルトオーゾのような所作で合わせるのだと。完全5度の音程を隣の弦とで合わせていく。まずはD(レ)の弦で、先ほど合わせたA(ラ,442Hz)をドッペル(重音)で弾きピタリ D(レ 294.7Hz 純正律)を聞き分け合わせるのだ。ボーイングはup bowで(下から)弓の上半分ほどで行う。D音の低い領域から=弦を緩ませた状態から、弓の一往復くらいで。 この操作に失敗した場合には再度弦を緩ませ、この行為を繰り返す。小生のは、例えば280→ピタリを通り越して320へ、280へ、310へ。と何回も行き来をし、弓も弾きすぎていてとても”ビルトオーゾ”に見えず、ぶざまであると。 合っていないとハウリングが起こり気持ち悪いのであるが、合う領域にかなり幅があり上手くいかない。針の一点にピタリと収まるためにはかなりの訓練を要す。いつもチューナーを見ながらやってきたためで、耳が養われていないのだ。 低い弦、G線(ソ:196.4Hz)、C線(ド:131Hz)などこの調子で合わせていくと、誤差が生じていくため、すこし高めに合わせる。道路のイメージで行くと段差分すこしup。チューニングの指針では0.5目盛りほど高めという感じで。まぁこの所作がエレガントに見える範囲で、コンサートのチューニングのようにやるためには相当の耳の訓練を行わなくてはならない。音楽家は全員やっていることなのである。■さて、シベリウス:交響曲第5番Jean Sibelius:Symphonie Nr.5の練習へ移行した。今回は後ろからやって行こうというので3,2,1楽章とおさらいをしていく。最近は日曜日の練習は原則として、同じ曲を2週づつやっていこうとしているが、次の日曜日に練習する曲をさらうのが都合がよい。 その3楽章はViolaの刻みがメロディーとなっている重要な部分である。さっそく「弓を使い過ぎている」と檄が飛ぶ。本人は細かく刻んでいるが滑っているというのだ。弓のspeedと、弓に加える圧力に最適解があるというのだ。弦に噛むSpeedを越えていると滑って聞こえ、その波形が次の音を壊し、よい音が響いてこないのだと。 感じとしては7mmほどでよいのに、2cmくらいの高速奏法となっているようである。機関車のレールと車輪の関係はViolaを習い始めてずっと言われ続けている。うまく噛んでいる音を出すべきであると。 mf(メゾフォルテ)ながらcon grazia(コングラジア 上品に)と指示が出されている箇所である。 ここで困ったことが起こった。D5(レ 1の指)、Es5(ミ ♭ 2)、F5(ファ 3)、G5(ソ 4)、As5(ラ ♭ 4)を1234の指と4の半音延ばしで弾くとき、最初の123の指が微妙に上方向に引っ張られる現象が起こっている。これではG5(ソ)、F5(ファ)、Es5(ミ ♭)、D5(レ)と戻る場所では、狂ってしまう。 123を絶対に動かすなと。第3ポジションで高い音の運指である。あぁこれは人体欠陥かもしれない。お風呂で薬指(3の指)と小指(4の指)の間隔を開けるようにほぐす必要がある。 「123の指が、4に指の運動に影響しないように」人体改造をしなくてはならないのだ。 ホルンがB(シ ♭)→F(ファ)→Bとファンファンーレを2分音符で繰り返す部分は荘厳な響きでViolaも2重音(ドッペル)で奏でる部分であるが、繋ぎ目がなく朗々と弾かねばならない。このとき詰まっているように聞こえてはならないのだ。あくまで朗々と。ここは全弓で。転調し3重音になるところなど涙がでる瞬間があるが、圧力をかける弾き方ではなく音を鳴らし飛ばせと。 などなど。1楽章の9連符の刻みなどまだまだ課題が多い。3連符x3というような力の入った弾き方ではなく、あくまで9個の音を波のように弾いて行けと。なかなかの練習がいのある大曲である。 徒然の記その5 親が手伝う宿題 2019.7.31(水)■五嶋節の「「天才」の育て方 」(講談社現代新書 2007.5)を読んだ。天才・五嶋みどり、神童・五嶋龍の母親が書いた自虐ネタ「アホンダラ神童! くそたっれ天才!」の痛快な子育てドキュメントである。環境がそうさせたが、決して強要したものではないと言い切る。まぁ天分があったのであろう。確実に母親の影響を受けて育っている。この中にNYで生まれた龍少年の夏休みの宿題を母親が手伝った件(くだり)がありおもしろい。アメリカの小学校では山のような宿題が出る。親子のコミュニケーションが成立するという理由で、親が積極的に宿題を手伝ってよいのだ、むしろ命じられるといういう。 五嶋家にあってはみどりが6歳の時パガニーニのカプリースを、龍が7歳の時同・協奏曲を弾いてデビューを果たしているのであるが、学業では母親が実に微笑ましいほどの支援をしている。音楽以外のコミュニケーションを図る上で宿題を手伝うというのが必須であったようである。 我が家ではこれは少し違う。夏休みともなれば、母親が嬉々として全員の宿題をやってしまうのだ、工作なんて鼻に汗しながら必死でやっていた。神津島の立体模型などの力作はいまでも小生の部屋で埃をかぶっている。これは次女の宿題であった筈である。我が家では凡人の3姉弟妹の頂点に君臨してたカミさん。コミュニケーションは抜群に取れていたようであるが夏休みになるとその創作意欲が噴出し手が動いてしまうようである。子供たちは工作以外の宿題に没頭できたのであろう。いやこれも母親がやってしまっていたのではないだろうか。 今も孫を子供園までお迎えに行き、我が家で一夜を過ごす。孫までも育てようという勢いである。この孫、母親になぞなぞを出したらしい。「ピアノのおばあちゃんのところにいっしょに住んでいる人はだぁれ?」と。何と答えは「ラファウ君。」(PianistのRafał Blechacz ラファウ・ブレハッチ)」と言ったらしい。よくラファウの名前を憶えていたものだ。確かに、妻の"棲む"一階はブレハッチの写真が何十枚と飾られ、PCの壁紙もブレハッチであるから子供心にブレハッチが生きていると感じたのだろう。小生の影はゼロである。■4歳4ヶ月の”農業boy”来る・・その孫が帽子を被って熱そうな風のぽちょんとした姿でやってきた。こちらはViolaを枕にしてうたた寝をしていたのだ。一階にクーラーを入れるついでにViolaを練習していて寝てしまっていた。さっそくViolaを弾けと言う。楽譜を次から次に捲っていく。それが面白らしい。 さて翌日は横浜アリーナーへ、実物大の恐竜が戦い、吼え、迫り狂うというWalking Dinosaurs(ダイナソールス:恐竜)というライブのために朝早く出発しなくてはならないので、我が家を基地にした孫だけがやってきたのだ。当然、庭の茄子が順調に育っていないといけない。せっせと肥料と水をあげ過保護すぎるほどの手をかけて大きくしている最中であるが、それを第一に観察するであろう。 庭の雑草を毟ったりと蚊に刺されながら悪戦苦闘する毎日であったのだ。このイベントの後日談が傑作である。ものすごい期待を持っていった横浜アリーナ。床に平置きのイスに座り遠くの、張りぼての恐竜は、わずかしか動かなかったらしい。そこで眠気が襲ってきて孫が”恐竜が襲う前に”寝てしまった。もっと近くに来た時には夢の中であったらしい。終わってから「それが見たかったのに」と泣きわめいたらしい。風呂の後、ピアノの前にダッシュしたと思ったら椅子の上に飛び乗ってピアノを弾きだした。音が面白く、ピアノ譜面でViolaの譜面でも、"見る"より"ページを捲る"ほうが面白いらしい。まだまだ子供である。徒然の記その6 暑熱順化 2019.8.3(土)■熱中症対策の逆を行く訓練とは・・燃え盛る火の手の近くで、防火衣に防火ヘルメットなどを着けて行う消火活動は熱中症と隣り合わせの厳しい現場。このため着ぐるみのような状態で30分間消防訓練を日頃から行い、火災などの厳しい状態に対応するという。 やわな熱中症対策よりも前向きなこういう訓練が必要ではないかと思うのである。我が家を見よ。2階の小生の棲み処は、扇風機しかないのである。階下におりていくと冷房をいれた部屋で一人カミさんが"ぬくぬく"と快適なお部屋で昼寝をしている。部屋のなかで汗を掻いているよりは、外でマラソンで汗を流しているほうがよほどましである。小生にとっては、炎天下のマラソンが"暑熱順化"にほかならない。メディアでは絶対にお薦めしない内容である。徒然の記その7 Violin-Viola Duo 2019.7.31(水)■12時には34℃という今年一番の暑さを記録。焼け付く道路からの熱射と、太陽に挟まれ汗が噴出する。タオルで押さえながらも顳顬(こめかみ)に汗がたまってくる。したたり落ちる汗を拭いながら歩行する。こちらは普段着のまま半ズボンでバスに乗り込んだ。タオルを首に巻いたままである。自宅マンションに向かうためである。かんかん照りとはまさにこのことで頭上には遮るものがない。背負っているViolaも焼けこげそうな太陽である。10階の部屋からは丹沢の山並みが朧(おぼろ)に霞んで見える。陽炎(かげろう)のように真っ白に輝く。まずは部屋をギンギンに冷やす。 玄関から解錠の合図が知らされ、モニター画面にY氏のサングラス姿が映る。解錠ボタンを押す。友の到着も遅れた。もう真夏のDuoなど無理である。1.メンデルスゾーン:「私たちに平安を与えてください、恵み深く (Verleih uns Frieden gnädiglich(Da Nobis Pacem)」2.メンデルスゾーン:ヴァイオィン協奏曲 2楽章-アンダンテ 3.モーツァルトは、K424(・ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲)で、第3楽章 Var.3。 今日の練習は3曲だけなのでわりと余裕をもって進められた。何回も演奏することができるのだ。弾いては休み、休んでは弾きと。お茶を飲み、談笑。今回は富士山5合目までの先般の登攀が話題に。北アルプスを登る前の体の鍛錬にはこのコース最適であるという。だがtenki.jp(天気JP)のサイトでの雷予報では必ずといって午後に雷雲がわくというので躊躇している。山は午前中の登攀が鉄則であるのに聞く耳を持たない。まぁ人それぞれにこだわりがあるのであろう。徒然の記その8 Cantata BWV38 2019.7.31(水)■京アニを悼む声が全世界から届いている。支援金も7/30時点で10億円に達したたという。犯人はいまだ重篤な状態であると言うが次第に動機が解明されようとしている。 上記のY氏も深く悼み、バッハのカンターターBWB38(J.S. Bach, Kantate BWV 38: Nr. 1 Coro „Aus tiefer Not schrei ich zu dir")を弦楽五重奏に編曲して、スコアならびにパート譜を公開してくれている。すこし紹介しよう。 聖句はマルチン・ルター詩篇130篇をバッハが4声で歌う曲とした。コーラスの4声は、全員が常に半拍遅れで波状的に歌い続け、悲しみが高揚してくるような仕掛けである。バッハ・カンタータ(讃美歌)の神髄であろうか。 冒頭の「Aus tiefer Not schrei ich zu dir(深き苦しみの淵より、われ汝を呼ぶ)」から始まる歌詞は、”主なる神”に問いかける文言である。第6曲まである長いカンターターでは、罪の気持ちに己を激しく苛(さいな)み、最後に神の恩寵がすべてを包み込んで結びとする壮大な讃美歌となっている。 第1曲だけでも、YouTubeには https://www.youtube.com/watch?v=AQOcNXFfId0 など管弦楽が入る合唱団の演奏もあり音源が多い。第1曲は4分33秒ほどの曲であるが、Y氏の編集した弦楽五重奏版(Vn1,Vn2,Va,Vc1,Vc2)でもこの長さをkeepしている。「第1曲 合唱」の弦楽五重奏版はY氏のfacebookからリンクが張られている。徒然の記その9 珊瑚の会と蜂刺傷 2019.8.2(金)■東京芸術劇場B2のリハーサルルームLに14:00までに約30名が集まった。・Wolfgang.Amadeus.Mozart Piano Concerto No.18 in B-flat major,・K.456モーツァルト ピアノ協奏曲第18番の仕上げ。・Franz Schubert Symphony Nr.6 シューベルト交響曲 第6番の3,4楽章を中心としたが、1,2楽章に戻り、さらに全曲を通すという過酷な練習となった。 5月の例会(前回は会場予約の都合で6月14日(金))に続いての3回目の練習。なんとViolaは2人。芸大ではVnを弾いていたという女性1人と 2人で演奏。Vcは2人、ベース1人と中・低音陣営が薄い。 前回から1ヶ月半しか空いていないので助かる。次回はこれも変則的で10月11日(金)の予定という。 アミカルという打ち上げパーティーは芸術劇場の傍にあるいつものサイゼリアへ。16:55には全員集合し19:30頃まで。談笑。・・とこのように最後の行を書く予定であったがハプニングが起こった。■二度目の蜂刺され・・「アナフィラキシーショック死」という言葉あるくらいで蜂に刺された場合は2度目を注意しなければならない。この日、am8:30に自転車でゴミ出しをしたときの事である。普段は利用しないルートを通ったばかりに、蜂に刺された。駐車場の天井に直径10cmくらいの立派なアシナガ蜂の巣があり、自転車に乗ったときの頭の位置がその巣すれすれに掠めたようだ。 自転車に鍵を掛け、駐車場の柵としてあるチェーンをフックに掛けようとして戻ったときだ。真っ黒い物体が目の前を横切り、ブチッと音がするくらい深く、左頬を刺した。思わず自転車のカギを落としたほどびっくりした。見ると10数匹が興奮気味にその周りをブンブン飛び交っているではないか。 刺激をしなければ、目立たなかった巣である。今朝もカミさんと孫がこの現場に居て、車で出かけたのだから。スワ、大変と、蜂専用のスプレーでやっつけたことは言うまでもない。一網打尽である。巣の中の卵はまだ鼓動を続けている。 このままだと、親の仇としてまた襲ってくる可能性がある。7月初旬に一回刺されているので、2度目の刺傷である。その時のウラミであろうか。なぜ私だけが刺されるのだ! 水で洗い、ムヒなどの虫刺されスプレーを顔に吹きかけ応急手当て。 問題はその後である。東京芸術劇場での練習のあと様子がおかしい。鏡で顔を見ると異常に膨らみ始めているのである。アレルギー反応をおこし、体に毒素が回り、過敏反応が出てきているのであろうか。netで調べると、刺傷から1時間以内に死に至るという。こちとらはすでに8時間は経過している。屈強な体躯が必死に毒と戦っている最中なのであろうか。 アミカルをドタキャンして劇場の受付に急いだ。池袋界隈に「皮膚科」の医者がいないのかと。さっそく調べてくれた「エルクリニック」へ急行したが電話では別の人が出た。つぶれた”美容皮膚科のクリニック”のようである。続いて自力でも調べてみた。劇場の西側の西池袋3丁目にあるビル8F「○○皮フ形成外科」。ここも美容専門らしい。 受付で泣きついた文言が過激すぎた。「あのう、蜂で2度目にさされ、死ぬかもわかりません。」受付がDrのところに走っていった。「まことに申し訳ございません。当院では対応できません。都立病院などの大病院で往診ください。」な、なんと。 顔は膨らんでくるし、一刻の猶予もできない。では地元橋本にある皮膚科に。まぁここは七夕祭りでごった返すなかをペデストリアンデッキでつながっている医院へ。これが傑作。皮膚科の医院として上に看板が出ていたのでドアをpushし受付へ。4人くらいが待っていた。頬が膨らんでいたので虫歯かなにかと間違えたのだろう。過去に来院の記録はないか調べてもらったが無いという。初診なので住所や症状や既往歴を書き込めと。何処の歯が痛いのですかなど歯に関する別紙の小さいのが付いたりややこしい。おかしいとは思いつつ適当に埋めて、保険証を出したりしながら提出しイスに座って待っていた。医院に寄ってから家に帰る旨のメールを入れて置いたら車で迎えに行くという。Thank you。優しいところがある。こちらはカミさんに「今4人ほど待っている。」とメール。名前を呼ぶので順番が来たかと思い、「はい。」と大きく返事。受付が言うには、「もしや、医院を間違えていませんか?」と。「こちらは○○歯科ですが。お隣の皮膚医院ではないのですか?」な、なんと。いままでの20分は何であったのか。 外へ出てみると、たしかに隣が「皮膚科の医院」であった。紛らわしい! 道理でおかしいとは思ったのだ。飛んだ恥を掻いてしまった。 次なる皮膚科で、保険証を出すが、これ使えませんという。8月から変わっていますが。と。なんと後期高齢者用は、昔ながらの「紙」に戻ってしまったために財布のカードケースには入らず、折りたたんで小さくしてお札の間に挟んだのが仇になって探しずらい。すぐには出ない。 あぁ、万事窮す。財布の片隅からその紙片が出てきた。カード入れには入らないサイズなのでこういうことになるのである。そこへカミさんがやってきた。にこっと笑いながら「そんなに顔が膨れていないネ」と感想を述べる。隣にくっついてきた。保護者のような雰囲気である。そこでやっと往診。目が1mmしか開かないような、開けるのが面倒くさいような医師が、本人の顔に触れることはなく、淡々と語る。「患部を冷やしてダメです。蜂には今後注意してください!」と一言二言。 注意事項と薬の明細(セフカベン ピボキシル塩酸塩錠、フェキソフェナジン塩酸塩錠、ビトラ軟膏)を渡してくれた。たった2分で終わり。大丈夫か? 薬をもらうためにはAeon(イオン)の調剤薬局でさらに30分もかかった。 翌日はさらにパンパンに膨れ上がった顔! さてどうなるturbo717。今生のお別れか! 土曜日は灼熱の地獄である。2階で汗を掻いていたら、1階の部屋を1部屋あげるからクーラーを掛けてViolaをやったら。といつになく優しい。死が近いのか? ピアノ室とViola室とで音を出していると山中湖の合宿を思い出す。庭をみながら涼しい風に吹かれての演奏タイム。この家はまさに合宿会場であったのだ。孫が「同時にやれ」と明言したことは当たっている。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Aug 3, 2019
コメント(0)
韓国を走る_ story (4404)2019.7.27Bullet tour to Korea with my daughter, my grandchildren and my wife.Because grandchildren's father are very busy, My daughter thought to show her grandchildren abroad, our old couple are anly accessories. We can not say anything. Momentum, the early morning marathon was the only time allowed for me. Thanks.韓国へ弾丸ツアー。孫の親が2人とも忙しいため子供園から外にはなかなか遊びに行けない。娘の方が、子供に海外を見せてあげようと思い立ったが、ダンナは仕事で忙しいということで、われらが老夫婦が付きそうことになった。よって今回の旅は我々が付属品である。出しゃばったマネはできない。勢い、早朝マラソンのみが自分に許された時間となった。感謝。■今週の1枚Imaizaka slope in Bunkyo Word (今井坂 2019.7.10)竹ペン一本。濃淡のみで絵を描いてみた。右に緑色があるぐらいで、実際の景色もほぼモノトーン。文京区にはこのような風景が多い。目次徒然の記その1 台風一過の済州島へ徒然の記その2 一夜漬けのハングル徒然の記その3 済州空港から中文観光団地へ 徒然の記その4 西帰浦(ソギポ)半日観光徒然の記その5 オルレ市場へ徒然の記その6 真夏の済州島市 徒然の記その1 台風一過の済州島へ 2019.7.21(日)-24日(水)■台風5号が20日(土)に、韓国・済州島西沖合を北上大変な風が吹いたらしい。ただでさえ、雨量の多い島南部はびしょびしょで霧の中。土曜日に済州島から成田への便が欠航になっていれば日曜日は無理かもしれないと恐る恐る成田第2ターミナルのLCCカウンターへ。t'way(ティーウェイ)航空で済州島へ行こうとしているのだ。 娘一家のうち婿さんを仕事に残し、孫・カミさんと4人の小旅行・・韓国のリゾートアイランド 済州島(チェジュとう Jeju island)へ行こうとしている。旅行鞄の上にちょこっと乗ったKidsがやってきた。海外は既に経験をしているので慣れたものである。 今回の韓国。日本とあまり仲が宜しくないので心配。しかもこちらもあまり韓国の事は知らないと来ている。大丈夫かと。 最初に驚いたのは日本との時差0。何も知らなかったものだ。まん丸の島で一周は40kmくらいだろうと思っていたが、東西80km、南北35km、中心軸の長い方が北東に20度傾いた楕円体である。海岸線は長く一周200kmもあり、トレッキングコースが一本存在する。 五島列島から西北へ200km、沖縄の真北800km、韓国本土から60km、釜山から300km、対馬から270km、成田から2時間の飛行という、日本で一番近い海外リゾートである。 15世紀までは独立国・・耽羅(たんら: 탐라)。今は韓国最大のリゾートアイランドで気候は温暖。 中央に漢拏山(ハルラサン、한라산、Hallasan Mountain 1950m)が聳え冬は冠雪。溶岩が島を覆う。歩道には綺麗に旋盤した流紋岩が敷き詰められ、穴の開いた石は水捌けがよい。人口70万、南北2つの都市で、島の行政を担っている。北は、空港がある済州(チェジュ)市、南は断崖と滝が続く西帰浦(ソギポ)市の両市。 日曜日から水曜日にかけてのたったの4日間、4歳4ヶ月のCity-boy兼コミックboyを中心とした家族旅行を楽しんだ。旅の概要や感想を述べる。緑がTaxiによる西帰浦(ソギポ)半日観光(100km)、市内中心からHyatt ホテル方向へのTaxi。黄色と、赤色は、runningコース(合計30kmほど)徒然の記その2 一夜漬けのハングル 2019.7.20(土)■図書館で借りてきた多数の本。しかし見る時間がほとんどなく、一夜漬けの韓国語で、旅の日程だけが進行する。カミさんは3年も勉強し2,3回は韓国に行っているので片言には喋れるし文字が読めるらしい。こっちも負けてはおれない。必死である。 「あいうえお」さえ分かれば、韓国語は分かると思ったがこれは甘かった。文字の基本形は24文字しかなく2文字以上の組み合わせで出来ているだけと語学本は初心者を勇気づける。 ところがどっこい。基本母音10個。基本子音10個、激音4個(息を強く吐く) ここまでの文字数が24個である。〇やLや|の部品で組み合わさっているだけの単純な文字だという。これに濃音といって日本語の促音「っ」のように詰まった音を持つものが5個と、複合母音11個、これにパッチム(子音+母音+子音という形になった時の最後の子音。"支えるもの”)が、7音ながら28個(2重パッチムなど含む 많など。)も存在するため、ぱっと見どれくらいの文字数が出来るかを計算してみた。 なんと、(基本母音10+複合母音11)x(基本子音10+激音4+濃音5+無音1)x(パッチム26+パッチム無し1)=11,340。理屈上は、11,340種類の文字が生まれる筈で、これらの文字が雑誌や新聞や広告に”整然と”踊り狂っているのでとても半日では勉強できるものではない。瞬時に読んで理解していかないといけないのに、こちらは本と首っ引きで一文字1分も掛かっている。発音はもっと難しく、記号の組み合わせで音が変わる。 隣り合う文字の形で変わる発音のルールは9つほど。ただこれば面白いのかもわからない。英語など文字数が多くてもハングルで書けば2文字なんてのはざらである。cream・・크림 syampoo・・샴푸 語中の平音は濁音化、パッチムを母音と結び付けて連音化、平音を激音として発音、「h」の音を弱く発音、平音を濃音として発音、「L」の音を「ㄹ(リゥル)」音で流音化、パッチムの音を鼻音化して発音、パッチムの音を変えて口蓋音化、L(n)音を挿入して発音など。 逆に言えば、ハングルを他の言語に翻訳する場合は、多数ある「音」から可能性のある文章を組み立てるAI能力を活かせればほぼ完璧に翻訳される。徒然の記その3 済州空港から中文観光団地へ 2019.7.21(日)■空港から40分程度の島の南側、西帰浦(ソグィポ)にあるHyattホテルへ。「中文 Jungmum」という地名の場所に、観光団地ができ多数の巨大ホテルが森の中に林立する。2002年にあった国際会議に合わせ道路を整備した模様。ホテル群は、けっして風景を乱さず、ひっそりと建つが中に入って驚く。テーマパークである。その一つが、観光団地最南端のハイアットリージェンシー済州(Hyatt Regency Jeju)である。八角形をした丸いビルが特徴。15mの断崖上は広大な芝生でスロープが美しい。島一周のトレッキングコースが庭の一角を縫う。 空港からの「600」番の路線バスは、この地域にあるホテルを一軒一軒回りながら、市の中心へと向かうので利用するには便利である。 今夜はバイキングだというので夜のディナーを経験した。タラバガニがうず高く積み上げられたりと、豪華な食材がずらっと並ぶ。このホテル、宿泊客は99%韓国人である。みんな整形をしたような顔つきで綺麗。若い女性が髪を長くしている。髪の長さで年齢が分かるという仕掛けであろうか。実に単純明快。韓国の人たちはなぜか見てすぐわかる。きつい顔つきである。子供も親のcopyのような風情。今は皆裕福になったのであろう。戦後まだ、貧しい時代の時に結んだいろんな不利益千万の条約を、再度見直しているのであろう。戦後はまだ終わっていないという一部の人たちが炎のように叫んでいる筈。しかし度量は圧倒的にこちらのほうが大きい。そこはもっと仲良くしてもらいたいとは思うのである。海のはるか先に沖縄があり、長崎県があるのだから。 この島は観光と農産物で生きている。よって世界中からのさらなる観光客を待ち望んでいるかたち。徒然の記その4 西帰浦(ソギポ)半日観光 2019.7.22(月)■家族がいても一人でも、早朝マラソンは海外では欠かせない。真っ暗闇の4時半。hotelを飛びだした。雨は止んでいる。東の方向は人口密集地帯。明かりが期待できるので初めての「韓国マラソン」では、大通りを中心に走った方が無難。 途中犬の放し飼いがあり吠えられる。タイの犬は大人しいがこちらのは吠えるようで怖い。大浦海岸柱状節理帯のトレッキングルートを走る。 午前中は、庭の散策とプール。昼飯はコンビニの「キンパク:김밥 太巻きのお寿司」がよいであろうと往復2.2kmをダッシュ。ただこれは売り切れで、普通のお弁当をget。電子レンジは自分で使えという。袋から出して蓋も外してチン。店員がやるものと思っていたわれらが日本人。向こうはこれが常識。 午後は観光taxをチャーターして島観光。城邑民族村→表善海水浴場(표선해비치해변 ピョセオン Pyoseon beach )→天帝淵瀑布(천지연 폭포 チョンジェヨンポッポ Cheonjiyeon )という短距離4時間コース(約100kmの旅 下記地図を参照)。 島の至る所に、守り神のトルハルバンの石像が立っている。ガイドが弾丸のように喋りまくるのでタブレットで速記をしておいた。■石じいさん(トルハルバン돌하르방)は守り神で、昔は、東・西・南門の入口に立てられ村の災厄を追い払う守護神(道祖神)であった。現在は島のシンボルとして各地に立てられている。土産物としてトルハルバンを模した置物や、名産のみかんジュ-スの容器の形に模して売られている。 ■漢拏山(ハルラサン、한라산、Hallasan Mountain 1950m・)・・霊室ヨンシルなど7コースの登山ルートがある人気の山。韓国で一番高い山であるという。年間の2/3は曇っているが世界中からの登攀者は多いという。。■特産はみかんなどの柑橘類。生地が丈夫になるという柿しぶ染め。ビニールハウスが点在するがだいたいはミカン畑。稲作は溶岩台地なので水の吸収がよいため出来ないという。本土からの輸入。■住民は、10年間住み続けると永住権がもらえると言い、今は中国 インドネシア ロシア人が多く住む。■無数の小山は火山性のオルム(お山)で、360山もあるという。なぜか説明に「36」というのが多い。「沢山」という意味なのであろう。 ■茅葺きの家が残る民俗村:城邑民族村(성읍 민속 마을 ソンウッ ミンソッ マウル)、(「チャングムの誓い」のロケ地ともなった済州民俗村は海岸近くで別。)に立ち寄ったが、昔の暮らしぶりが窺え興味深かった。古風な家屋群には、門に3本の棒を掛ける石の柱が立っている。3本の棒がすべて地面に落ちている場合は「在宅」を意味し、1本なら「留守であるがすぐ帰る」ことを意味し、2本なら「1,2日留守」、3本なら「当分留守」だという印らしい。地面に落ちている棒を跨いで敷地に入る。納屋や居間が一軒づつ個別の四角い小さな家屋となっている。丸く屋根がしつらえてあり、萱が吹かれている。稲作ができないため藁は取れずカヤを山から取ってくるのだという。 厠は野外で、同時に黒豚を飼ってのいるのだという。観光用には陶器でできた黒豚を置いてあった。匂いがきついためだという。石橋の上で用を足すのだという。豚は地面に落ちるのを待ちきれず直接口に受けるのだという。男性は一物を間違えて食べられないように棒で追い払うのだと。なんとも原始的な、合理的なシステムである。 この萱の葺き替えは8年と言う。これを元にした漢方薬が生まれるのだという。貴重な「冬虫夏草」の茸が這えるのだという。精力剤として重用される。馬の骨(骨密度が高い)や五味子茶(오미자차オミジャチャomijacha)という茶などを売っている。朝呑むと体調が分かるのだという。酸っぱく感じると肝臓が悪く、甘く感じると食べ好きなど。目に良い薬だという。 水ガメに雨水を貯めていた。屋根と同じカヤを編んで幹に沿わせ滴る水を貯めるような仕掛けであるが、中に蛙を一匹飼うのだという。ボウフラなどの駆除のためだという。■島の売りは「三麗」と「三多」、および「三無」であると。「三麗」は、「美しい心」「素晴らしい自然」「美味しい果物」。「三多」は「石と風と女の3つが多い」という意味。火山島であるため、火山の噴火により流出した火山岩が多く、台風が度々通過する上、季節風の吹く地域であり、またかつては漁労のため海に出て遭難するなど男性の死亡率が高かったことから女が多い島として有名である。オムニが水甕を背負った像も象徴的。「三無」は、「泥棒がいない」「乞食がいない」「外部からの(泥棒と乞食の)侵入を防ぐ門が無い(必要無い)」という。■表善海水浴場(표선해비치해변 ピョセオン Pyoseon beach )・・200mx800mの真っ白い砂浜。遠浅1mの海水浴場で人気spot。■天帝淵瀑布(천지연 폭포 チョンジェヨンポッポ Cheonjiyeon )・・落差20mの滝。滝壺は深さ22mと、滝以上に深い。遊歩道が完備されていて平坦。このすぐ上を路線バスのルートが通る。信じられないような街中の滝。溶岩台地なのでいたる所に滝が出現する。■西帰浦潜水艦(観光用潜水艦で35mまで潜れる)は海が濁っていそうでパス。物騒な名前であるが海底を探索できる船であり予約が必要なほどの人気。■黒豚焼肉・・夕食にと、宿から800m手前にあるセブンイレブンのある一角。レストランがずらっと並んでいる一角に、黒豚を扱う郷土料理店があった。極厚の肉を焼いてくれる。それを各人へは食べやすいようにハサミでチョキンチョキンと小分けし、さらに丹念に焼いてくれる。野菜の葉っぱで色んな食材を挟んでいく。 炭火焼ながら煙がでない。円形の炉の周りにあるファンで吸煙し、水に溶いていく為か。水の代わりにお茶を入れていた。装置からエントツなどはでていない。不思議な炭火焼の装置である。徒然の記その5 オルレ市場へ 2019.7.23(火)■7月23日(火)・・早朝マラソンam4:30-7:10 柱状節理岩礁地帯のトレール。午前中プールで遊んだ後西帰浦のマーケット「西帰浦・毎日オルレ市場 Seogwipo Maeil Olleh Market」へお土産の買い出し。帰りはTax。 ホテルからは市内に行く「600」番のバスで40分ほど。値段は200円/1人 ほど。15kmくらいで200円とは安い。3人で600円。14:00-14:40 市場は道路4本くらいの範囲でぎっしり軒を連ねアーケードとなっている。みかんと魚介類や一般の雑貨などを露天販売のような勢いで店を通路に広げている。通路の真ん中にも野菜を売る老婆が座ったり雑踏中の雑踏。疎水が流れる通りには縁台がしつらえられ、アイスクリームを食べたり寛げるスペースも提供している。庶民のマーケットと言う感じ。■Taxiドライバー・・ホテルに戻るバス停でのこと。20分置きにくるバスが行った直後であったことも災いした。スーと一台のTaxiがバス停に滑り込んだ。カミさんがドライバーと話している。たったの330円だという。(3300ウォンであるがややこしいので円換算で記す。)15kmで330円、しかも大人3人で。安い! と乗り込んだ。だが、taxiのメーターはどんどん上がっていき、450円くらいになった時に、叫んだ。おろしてくれと。我々は騙されたのだと。以降はスマホを介しての通訳ソフトによる会話である。運転手「330円というのは基本料金である。」、私「貴方は330円で行くといった。我々を騙したのか。詐欺ではないのか! 我々を安い料金で吊ったのか」、運「初乗りが330円なのである。Hyattまでの金額ではない。」、私「ではどれくらいかかるのか?」、運「しょうがいない。1000円で手を打とう。」・・。ここで大笑い。少し打ち解けて、「こないだ家族で浅草に行ってきた。富士山にも登ったよ。日本のtaxiは高くてびっくりした。」、私「ほら そこの道まで今朝マラソンで走ったよ」、運「あの道は信号が多くて時間がかかる。まっすぐこの道を進む。なんとマラソンで? すごいものだ。」と言って足を抓(つま)む。 ホテルまでは1450円のメータとはなっていたが、正確に言わなかったという謝罪の気持ちもあったのであろう。交渉通り1000円でokという。バスの600円と比べては高いが、飛ばしてくれたおかげで時間も早い。得した気分になった。 それにして、すごい翻訳ソフトだ。「サムソンの翻訳ソフト」かもしれない。因みに中国のHUAWEI(ファーウェイ) の翻訳機能もすごいという。docomoなんて足元にも及ばない翻訳機能である。ハードウェアが凄く、ソフトも完璧なのであろう。日本が一番とふんぞり返っている間に何もかもがガラパゴスになってしまっているのではないかと。そういう意味で一番近い海外、済州島に行くことをお勧めする。■降ろして貰ったのはHyattより手前800mほどのセブンイレブン。ロッテホテル横である。巨大テーマパークのような済州ロッテホテルのプールが凄いというので見学しようということになった。ラスベガスのホテルを10倍くらいにした巨大なホテルである。道路わきの通用門から館内へ。ロビー階は回廊になっていて遥か先が霞んで見える。 ここにあるテラスから海を眺望。真下にディズニーシーを思わせる岩礁イメージのプールと2基の風車が目に飛び込んでくる。ここはビルのレベルでは8階にあたる。風車の横から中文海水浴場に階段150段で降りることができる。 孫たちは海岸に降りて行って長時間の砂遊び。こちらは階段上から海岸をスケッチ。カミさんはロビー階で休憩。この3方、お互いのに連絡の取りようがないことに気付いた。Wifiしか繋がらないタブレットしか持ち合わせないかったものだからこの一時間、お互いに逸(はぐ)れた状態。なるほどいつもくっついて行動していたのに、別行動となると電子機器が必要になることもあるのだなぁと痛感。 何時間経っても帰ってこらいものだから、小生 気になって砂浜に降り立って目を凝らすもそれらしい母子はいない。スワ。迷子になったかと、帰りはがけっぷちの急階段を上り、テーマパークとなっているロッテホテルの敷地内に入って、斜面にある迷路を進まなくてはならないのだ。別の道を帰っていってしまったかもしれないとカミさんのいるロビー階へ急ぐ。コンシェルジュが心配顔で探してくれる。カミさんがもといた場所に居ないのだ。あぁこれで完全に生き別れだ・・と思いきや柱の陰で、タブレットをいじっていた。 再度孫を探しに砂浜までダッシュ。と風車の陰から手を繋いだ親子がやってくるではないか。ずっと砂遊びをしていたらしい。無事4人が揃い、昨日の郷土料理やへ。外の水槽で泳いでいた大量のヤリイカが居ない。聞くと今日の料理に全部使ったのだと。石焼のビビンバやチヂミを食す。なかなか評判の店らしく、18:00頃から混みだす。 ここでコミック男子・・ミニトマトについて語りだす。こちらもナスの苗を育てているが一向に大きくならない嘆くと、茄子は週2回肥料をあげるべし。雨水か水やりを欠かさないこと。この孫、ミニトマト オオクワガタ ダンゴムシを育てている。ミニトマトなぞ数え切れない程の収穫を続け食べ続けているという。ダンゴムシは50匹くらいに増えているという。スイカの皮などものの見事にすっかり食べつくすようである。留守中は父親が代わりに育てている。帰ったらチェックをすると言う。言うまでもなく茄子の成長具合を時々報告せよと実に熱心だ。目を輝かせて説教。突然 「それ辛いよ!」と注意を挟む。 アグリカルチャーな男子である。これからは「農業男子」と呼ぼう。「ママ綺麗、ママ大好き」とおべんちゃらを得意とし、優しい性格なので将来女の子には持てるのではないか。徒然の記その6 真夏の済州島市 7月24日(水)■どうもこの島。南北で「真夏の北」と「梅雨の南」のような差があるのではないかと思うほど。天候が違っている。小雨模様の南部から北にある空港へと向かうと途中から天気が変わってきて真夏の日差しとなった。■早朝マラソン 4:15-7:00 西側に12kmほど。中国資本の新興住宅地街であろうか。倒産でもしたのか、途中で投げ出された雑草蔓延る住宅地街は1km四方くらい。トタンで囲われていた。断崖は開けイワゴロの汀が続く。中文観光団地への最短コースである、断崖中腹のトレッキングルートは閉鎖されていた。予想通り。住宅街の東端を上り詰めもときた道を帰る。ここでも犬に吠えられる。にらめっこをし「眼」を付けて帰ってきた。住宅で飼われている犬で野良ではない。朝食のバイキングはいつも凄いものだ。コックが調理をして卵焼きやオムレツを作ってくれている。ありとあらゆる食材が並んでスペインのパラドールにいる感じ。子供連れ韓国人が多い。こちらも夏休みなのであろう。部屋で、ボール遊び、鬼ごっこ、エレベータごっこなど孫の要求を一通りこなして退散。空港行きリムジンバス 10:40に乗り空港へ。南の西帰浦から北の済州市に戻り、成田へ。■この農業男子、今度は熊野古道レビューを果たすという。婿さんの実家が熊野市であるからであるが、自然味あふれる里山をこよなく愛し、東京へ帰るのは嫌であるとだだをこねる。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jul 27, 2019
コメント(0)
Abandonment (断捨離とは)! 文京区の坂めぐり_ story (4403)2019.7.20At least 33 people dead, dozens injured in suspected arson at Kyoto Animation studio(known as KyoAni) The miserable accident in KyoAni is frustrated. The open work space has added the momentum of the fire. Isn't the monitor able to monitor "persons who have murderous intent"? There is an urgent need to develop technology to draw attention and to prevent or minimize incidents. Carrying gasoline by hand is a common case in cold climates, but not in Kyoto. At that time, was it not possible to ring the first alarm around 1km? We lost a lot of young promising animators instantly. 京都アニメーションでの悲惨な事故には憤怒に駆られてしまう。openな職場空間が火の勢いを加勢してしまった。「殺意を持っている人」というのをモニタは監視できないものだろうか。注意を喚起し事件を未然に、または最小限に抑える技術の開発が急務である。ガソリンを手で持ち運ぶという行為は寒冷地ではよくあるケースであるが、京都ではないのだ。その時点で周囲1kmに第一の警鐘を鳴らすということが出来なかったものであろうか。若い有望なアニメータの多くを瞬時に失ってしまった。残念でならない。■今週の1枚Tea room of Korinin (香林院茶室-仰木魯堂の茶室 広尾 2019.7.5) 竹ペンによる下書きの上に着色。以前caminoで会った画家は、モノトーンのほうが、見る人が勝手に想像できるので面白いかもしれないという。一方小生としては高級透明絵具を使った極彩色の絵も描いてみたいが、ジレンマの生じる夏の風景である。目次徒然の記その1 お母さんいらっしゃいますか?徒然の記その2 文京区の坂つづき 21km徒然の記その3 桃の剥き方 徒然の記その4 第102回山谷ミニコンサート徒然の記その5 葬送徒然の記その1 お母さんいらっしゃいますか? 2019.7.10(水)■なぜか不動産屋が家にやってきた。カミさんが朝方パソコンから試しにnetで家屋の査定を申し込んでおいたらしい。市内に事務所を構える不動産の営業マンがいの一番で駆けつけたもよう。小生が門へと走った。午睡中のカミさんを起こしに行くと「別に来なくてもよいのに」と眠気眼で出てきた。 営業マンの最初に言った言葉が面白い。「あのう、お母さんいらっしゃいますか? 不動産屋のものです。」 半ズボン、縞々のTシャツ、髪ぼうぼう 自称45歳の風貌で、しかもあわてて裸足で飛び出して行ったものだから、てっきり今はやりの「ニートで、ひきこもりの息子」と見られてしまったようである。 さて、我々はついに重い腰をあげて、引っ越しの準備を始めなければならない。そういう年ごろとなってしまった。2年ほどの猶予はあるものの、カミさんが75歳になった時に免許を返上しようとしており、駅に近い”我らが豪華?マンション”に引っ越すということを真剣に考え始めないといけない時期に差し掛かった。山のようにある家財道具をどうするのか? netでオークションに出す方法なども模索しなければならない。タンスなど木材は家を壊すときにいっしょに壊してもらおう。とか・・。壮大な準備計画を? 断捨離なんて生易しい話ではない。老人ホームに引っ越すような具合で持ち物を「ゼロ」としなければならないのだ。 10万点あるとして週一回の資源ごみで捨てなければならないのは毎回1000点ほど。カミさんも思い立ったように紙袋を整理し始めた。かっきり1時間でやめてしまったが。「疲れた!」と。 今まで逃げ回っていたマンションの管理組合の当番も2年後くらいに回ってくることも追い打ちをかけることになっている。公平な抽選であるが、いままでやっていないので当たる確率は極めて高い。あぁ、重い歯車が回転し始めるのか。不動産屋の到来が、その最初の警鐘となったのではないか。引き籠もっている場合(ばやい)ではないのだ。 ふと考えると何か寂しい。多くの方々は先送りした山のようにある荷物に囲まれて、自宅の庭の手入れをしながらばたっと寿命が尽きるような人生設計をされているというのに、こちとらは老人ホームのような何もない環境で残りの人生を過ごすのかと。ノイローゼで”若禿げ”になってしまうのではないかと危惧するのである。「貴方! マンションの周りの公共スペースで雑草取りなど、いろいろすることが山ほどあるワ」と檄を飛ばすが、こちらはそのレベルではないのだ。 雑草と格闘しながら、蜂に刺されながら庭に降りることが楽しいのだ。ドクダミ草を集めればすぐ1kgの収穫となってしまうジャングルにおいて、クヌギの木の下にはフカフカの腐葉土が熟成されるようにとせっせと道路の落ち葉を集め、野生のクワガタの幼虫が何匹もまさに孵化を始めようとしている。夜中の土のモゾモゾ感をほくそ笑みながら楽しむ毎日が、そんなワクワク感が、マンションでは期待できないが、ここはぐっと堪え、outdoorに徹して、家に寄り付かないようにすれば解決かもわからない。まぁ諸先輩から意見を求め、生活の質をどう維持し、高めるかを考えてみよう。 難事業がまだある。マンションの貼り紙に「騒音に注意しましょう!」という文章に、比喩的な例ではあると思うが、なぜかピアノの絵が添えてあるというのだ。実際ピアノにまつわるいろいろ問題が起きていると思う。マンションで住民が臍を噛んでいるのであろうか。現在住む、丹沢辺境の我が家では、騒音問題など皆無であったのだ。この40年。住環境的には恵まれすぎていた我が家である。田舎住まいは不便でもそういう意味では最高であったのである。 引っ越す場合は、このピアノをどうするか。今弾いているのは恐らく、ベートヴェンが1804年に作曲したピアノソナタ第23番 ヘ短調 「熱情」作品57である。フィニュッシュはすごい重音の盛り上がりである。その演奏をそっくりマンションで弾くとどうなるだろう。何も対策を取らないと近所からブーイングの渦で、針の筵(むしろ)間違いなしである。 ピアノの防音は悲劇的序曲である。防音工事済みという親戚の家に行くと、効果ゼロで音は階下に筒抜けであった。グランドピアノとアップライトのピアノ2台を持ち込み、隙間で寝る覚悟のカミさん。ノイローゼでそれこそ”若禿”になってしまうのではないかと。今まで通りがんがんピアノを弾くためにはどういう工事をすればよいのだろう。 床と天井? 部屋全体? あぁ 難問である。これも諸女史から意見を聞かねばなるまい。そして近隣特に階下と階上の方々には今から付け届けをし懐柔を計るとか。徒然の記その2 文京区の坂つづき 21km 2019.7.16(火)■降り止まぬ雨。日照時間3時間以内が20日も続いている。後期高齢者枠1日前の7月16日。最高気温22度の雨の都内を駆けてきた。先週と少し違うのは、下準備に2時間をかけたことだ。「大江戸坂道探訪」という坂の本から3コースを選び、Google Mapを見ながら子細にチェックを始める。有名な坂道が既に示されたりしているので分かり易い。名所旧跡なども写真入りで示されているため、本に書いてある細かな道が特定できるのである。 それを今度はGoogle Earthの計測機能を使って、トレースしていく。マウスでpointすると標高が示されるため坂の向きや急峻の度合いが憶測できる。3コース分をつくり、一筆書きとなるように作戦をたてる。Google Earthの保存機能を使ってkmlフォーマットとして、Drop boxに保存しておく。 続いて、タブレットから、Dropboxをアクセスし、Maps.MeやGeograpjicaにそのルートを落とし込んでいく。こうすれば雨の日でも本を濡らすことなく、タブレット一個で走破できる。 3つのルートのタイトルは「春日~小石川」「本郷」「西片(にしかた)~白山」でそれぞれ6kmくらいのコースであり、単発に歩いても十二分な内容であるが、これを一回で回りたい。一筆書きルートを頭に描き、家を飛び出した。 今回の失敗は、タブレットが雨に弱く、ディスプレイに水滴が付いた瞬間動作が安定しなくなり、そのたびに乾いた布で画面を拭き取らなければならなかったことである。雨でスクロールもできず、しばしば立ち止まる。map無しの状態で住宅街の錯綜した道をrunすることほど難しいものはない。コンパスと感 頼りで行動しつつ、まぁ無地ゴールに到着できた。 さらなる失敗は、レインコートの防水がすでに不完全で、中もぼとぼとになってしまったことだ。防水スプレーは窒息事故を起こす危険性があるが、外でマスクをしながら風下から吹き付ける作業などをしなければならないだろう。この2点が今回の雨紀行で学んだことだ。今回のコースは:「春日~小石川」コース:茗荷谷駅→湯立坂(↓)→団平坂(↓)→石川啄木終焉の地→播磨坂(↑)→吹上坂(↓)→慈照院(辰巳屋惣兵衛の墓)→三百坂(↑)→この辺り「小石川台地」→国際仏教学大学院大学→徳川慶喜終焉の地→今井坂(↓)→金剛寺坂(↑↓)→安藤坂(↑↓)→牛坂(↑↓)→伝通院→善光寺坂(↓)→六角坂(↑)→堀坂(↓)→千川通り→礫川(れきせん)公園→富坂(↑↓)→西富坂(↓) ここまで7.2km「本郷」コース:春日駅→新坂(↑↓)→胸突坂(↑)→梨本坂(↓)→炭団(たどん)坂(↑)→坪内逍遥住居跡→樋口一葉旧居跡→→鐙(あぶみ)坂(↓)→本妙寺坂(↑↓)→真砂→菊坂(↑)→見送坂(↑↓)→見返り坂(↑)→本郷三丁目交差点(かねやす:兼康祐悦(ゆうえつ)が乳香散(にゅうこうさん)という歯磨きを売り出し江戸で大評判になった店)→順天堂大学→油坂(↓)→富士見坂(↑↓)→お茶の水坂(↑↓)→建部(たけべ)坂(↓)→忠弥坂(↓)→金毘羅坂(↑)→壱岐坂(↑)→新壱岐坂(↓)→新坂(↑)→旧東富坂(↑)→新富坂(↓)→春日駅 ここまで14.1km「西片(にしかた)~白山」コース:春日駅→西片→石坂(↑)→新坂(福山坂 ↓)→曙坂(↑)→胸突坂(↑↓)→中坂(↑↓) →浄心寺坂(↑↓)→ほうろく地蔵尊→大圓寺→向丘児童公園(ランチ)→薬師坂(↓)→白山通り→伊賀坂→指ケ谷(さしがや)小学校→蓮華寺坂(↑)→御殿坂(↑↓)→逸見坂(↓)→白山通り→一行院坂(↑↓)→京華女子中・高校→暗闇坂(↑)→妙清寺・薬師堂→薬師坂(↓)→白山駅 ここまで計21kmだいたい1コース7km平均であった。 本郷の菊坂が最も有名で全長640m。これとほぼ平行の370mの道もあり、炭団(たどん)坂、鐙(あぶみ)坂、本妙寺坂と繋がっている。昔、真砂町と言っていたあたりもこの炭団(たどん)坂の上あたりである。真砂図書館という名前で「真砂」が残っている。細い路地の雰囲気があり、57年前に3ヶ月ほどという短い期間下宿させてもらっていた懐かしい思い出。賑やかな商店街だったのは「菊坂」上部が、本郷通りにぶつかった辺り。 まぁこれだけ町々を縫っていると、過去の歩き塾で歩いた「春日通り(池袋→錦糸町)」「上野→小石川植物園」で、既に歩いており面白い。■坂道が多い場所に、マンションが立ち並び、豪邸や普通の家が連なる閑静な住宅街。これが文京区のいや、東京全体の今であろう。港区ではこれに大使館が加わる。丘を平坦に均してしまうほどの大開発はなく、よく起伏が保たれている。よってこれらの坂のほとんどは江戸・明治のものであるといっても過言ではない。坂道を走るということは・・これらの歴史を訊(たず)ねるという旅でもあり、史跡の看板を読み、墓石をなぞり、町名由来の伝記にも心して廻るという旅ともなり、普段なにげに歩いている町が道路がそういう歴史を纏(まと)っているのだなぁと深く感嘆した次第である。■雀は太巻きを食べない?3番目のコース「西片~白山」の途中にあった向丘児童公園で、そぼ降る雨の中でランチを摂っていたときだ。蟻と雀と鳩がいつも旅の慰みとなるが、この日は多数の雀が入れ替わり立ち替わりやってきてペチャペチャ喋っていく。何か呉れないかなぁと横目で注視しながら手持ち無沙汰に地面を啄(ついば)む。いじけているように見える。ひょうきんに気取ったりしながら。それでも諦めははやく足取りは軽快である。首を擡(もた)げたまま、スースーと二本足で進む。余ったご飯を投げてみた。その一匹がそれを咥(くわ)え、独り占めすべくさーっと飛び去った。太巻きに入っていた卵なども。餌を皆で分けるということをしないのだ。どんな大きなものでも、それを自分の物にしようと必死である。雨は降り続く。桜の木にとまった者や、近くの家に潜んでいた雀が寄ってきては去っていく。だれもいない場所に、太巻き一つを投げてみた。しかしである。御飯がいっぱい詰まった太巻きをだれも気付かないのだ。30cmまでは近づく。それ以上は警戒をして寄り付こうとしない。どうも、こんなご褒美は初めての経験で、海苔巻きというものを知らないのであろうか。黒いノリが爆弾のように見えて怖いのであろうか。しばらく様子をみたが埒が開かない。ここに何時間もじっとしているわけにはいかないので、それをほぐして食べやすいようにして公園を去ってきたが、その後どうなったのであろうか。雀にしろ蟻にしろ、ランチ時の邂逅は面白い。見飽きないのだ。左上の緑が小石川植物園。茗荷谷からお茶の水まで南下し、白山へと北上する21km。■文京区には、この他のコースとして、湯島、大塚~千石、向丘~千駄木と合計42坂も残っているが、これらは先の歩き塾「上野から小石川」や、独自の散策「田端から根津神社」や、「東京藝術大学近辺から西日暮里」などで既に歩いている坂であるため、省略してもよかろう。今後は近場の新宿区と目黒区の坂に軸足を移す。徒然の記その3 桃の剥き方 2019.7.17(水)■最近の毎朝の悪戦苦闘が「桃」である。りんごと違って、桃は剥きにくい。小生の今までの方法は、基本的に尻のほうから剥いていくのであるが、うまく皮が剥がれて行くものもあれば、頑として剥がれず、ジグザクか楔形の切片が剥がれ、あとは元の実に食らいついたままである。再びその位置に包丁を入れ、これを繰り返す。剥きにくいものになると優に5分はかかる。netでいくつか方法が載っていたので実験の結果と共に列記する。・方法A. 包丁の背で、優しく皮をまんべんなく擦る。くぼみに1周分の切込みを入れる。お尻の裂け目に両手の手のひらを添わせる。それを優しく左右に開いていく。綺麗に一気に剥ける。・・・何回もやってみたが未だ成功せず。よほど熟した桃でないとダメかも。・方法B. トマトの湯むきと同じ方法。熱湯に20秒くぐらせ、氷水で一気に冷やす。1同様、両側に裂けるように一気に剥くか、いつものように全体をきれいに剥いていく。・・・これは経費がかかるし、面倒。・方法C. 割れ目に沿って包丁を種に届くまで深く一周に入れる。(十字になるように同様に切れ目を入れても良し。) 割れ目に入れた最初の1周分に注目し、両手で優しく持って、反対方向に回転させる。種付きの半分と、種無しの半分あるいは、種そのものが半分にパカッと綺麗に分かれる。種付きの方は、包丁の先をそっと入れて種を外す。8等分になるように小分けする。 包丁を寝かせて、果肉と皮の間に入れる。そのまま、桃を回転させながらまな板から包丁が離れないよう平行にスーッと動かし、皮をむく。・・これはシェフのような仕草が必要である。包丁を動かさず、桃のほうを動かすのがコツ。 大きい桃では450gとパン一斤(400g)よりも重量のある桃となる。早生では今の時期既に熟しきっていて剥きやすいかもしれない。夏っこ、浅間白桃、川中島白桃など晩成はおそらく剥きずらいので「方法C.」が良いかもしれない。 贈答用の桃にはキャップがして着飾ったものとなるが、すでに痛み始めている可能性がある、一般的には常温保存で、食べる2時間くらい前に、冷蔵庫で冷やしておくといいかもしれない。 このすべての方法でもまだ問題はある。熟しきった桃なら方法Cでは、回転操作で桃が崩れてしまう。小さい桃は簡単に半分になるが、なかの大きい種を取り除く段階で、桃が分解をしてしまう。 小生の今までの方法は、皮を丸のまま、包丁で毟(むし)り取って表面がデコボになっていたのだ。そこから種にかからないように実を削いで行くのであるが、左右の切片の大きさがバラバラになり、不公平が生じる場合は、その切片ごとに、2等分し分ければ均等になる。 問題は、種の周りに包丁を入れて削(そ)いでいくため、切り取られる切片がだんだん小さくなっていき、ゴミのようなものまで千差万別の切れ屑となってしまうことだ。まとめ・・ 大きく、固い場合は方法C.。それ以外は従前どおり皮をまず剥く。種の周りの果肉を包丁で削ぎ落していく。この方法が最も果汁をこぼすロスがすくない。包丁を縦に入れるだけで、エキスが出てしまいロスが生まれるからだ。 究極の方法は・・熟した桃は、皮ごと食べる・・西洋では桃も皮は剥かずそのまま食するようである。丸かじりが一番旨いのではないかと。話は原点に戻ってしまったが。徒然の記その4 第102回山谷ミニコンサート 2019.7.19(金)■台東区日本堤にある「神の愛の宣教者教会」の集会所で20人くらいのおじさんやおばさんを集めて開催された。 チェロとVn演奏に続いて合唱タイム。(数字は詩の掲載や映画の公開年。)「われは海の子 1910、静かな湖畔 1969、ごらんよ空の鳥、高原の駅よさようなら 1951、アルプスの牧場 1951、お祭りマンボ 1952、山のロザリア 1961、山男の歌 1966、恋は水色 1966、365歩のマーチ」 夏向きの歌が並んだ。太字はViolaで2回目の伴奏時に分担した曲である。讃美歌の「ごらんよ空の鳥」はカルテット版なので、最初はViolinのみの伴奏で皆が歌う。2回目は、Vn、Fl、Va、Vcの変則カルテット。 なかなか楽しい企画である。今月はスタッフも入れて誕生月の人がおおく、ハッピーバイデーという曲をプレゼントしつつ、歌った歌を再度RQしてもらい2回目の合唱となった。ほぼ1時間ピッタリのプログラムで散会。8月は休みなので次回は9月20日(金) 徒然の記その5 葬送 2019.7.19(金)■旧サラ文の会員の方がお亡くなりになり告別式に参列した。東御苑のガイドを定期的におやりになるほどの植物通である。歌曲を専門的に朗誦し、ボランティアでも皆と歌われる。73歳という若さであったが、5年の癌闘病生活中も積極的に外で行動され前向きに生きられ、最後は家族に囲まれ笑顔のまま冥土に旅立ったと。小生が一部の元会員に追悼文を送ってあったが、それも棺に収納。 『N尾さん、安らかに永眠ください。あなたとの劇的な出会いは北京旅行の2010年2月下旬。北京飯店を根城に3泊4日のツアー旅をした時。ひっつめた髪を後ろにしばって芸術家風。現地の日本人ガイドの説明の一語一句にチャチャを飛ばすのでバスの中では大笑い。同行のもう一人の男性がピースボート5回のN原さんであった。当地で毎朝4時からマラソンをしたり、行く先々で忙しくスケッチをしていた変わり者の「小生」に声を掛けてこられたのだ。この二人からしきりに「サラリーマン」という言葉飛び出した。それがサラリーマン文化芸術振興会への勧誘であったのだ。爾来10年弱のサラ文との付き合いとなった。小生にとっては、N尾さんなくばサラ文との出会いはない。歌もお上手であの美声は忘れられない。 パソコン講座でWordをマスターされ、ワンチャンの愛くるしい写真を載せたWord文をお作りになったりとチャレンジ精神も旺盛であった。お孫さんたちとも仲良くされていてよいおじいちゃんではなかったろうか。早すぎるが、十二分にその人生を謳歌されたのではないか。 天国でも草花の解説をして無学の民をお導きください。ご冥福をお祈りいたします。』■平野啓一郎(1976-)の小説「葬送」(新潮文庫 H17(2005.9))をこの会葬に際して偶然読み切った。図書館で借りてきた本は分厚い上下2巻(H14(2002))で、あまりに重く(原稿用紙2500枚というから100万字もありちょっとした辞書である)持ち運びが不便であったため、カミさんの手持ちの文庫本4冊(計1700ページを)借り受けずっと読んできたのである。それが今日完遂した。この大作を齢26歳で著したことにまず驚愕。5月にこの本を下記のように紹介している。『・平野啓一郎「葬送」(2002)・・ショパンとドラクロアを主人公とする小説。ドラクロアの日記や、ジョルジュ・サンドの書簡集はフランス語での原文から読み解いている。このためか、1年間パリに過ごしたという作者。』 最後のショパン臨終の場面ではヘンデルのデッティンゲン・テ・デウム(G. F. Händel - Dettingen Te Deum, HWV 283)を聴きながら。小説ではポトツカ伯爵夫人がテ・デウムのラルゴのロ短調の中にある《ディニャーレ・ドミネ》を涙をこらえながら歌う場面がある。目を泣き腫らして読んでいた。 最終100ページは、もう涙なしには読めない。何枚ティッシュを目頭にあてたことだろう。目を真っ赤にしながら階下に進んだ。こみあげてくる嗚咽とともにカミさんに聞いてみたのだ。「泣けて泣けてしょうがないのだ。君も泣いたか?」と。もう14年も前に読んだというカミさんは「さて泣いたかしら? 」とつれない。 フレデリック・ショパン(1810.2.22 or 3.1の諸説~1849.10.17)とウジェーヌ・ドラクロワ (1798-1863)の交流の様子が当時にタイムスリップしたように微に入り細に入り記述されているため小説というよりドキュメンタリー風の語りとなっている。すべての登場人物が「私は・・」と語るように文章が綴られて劇のセリフのような構成となっている。ドラクロアの語る「天才」論もあり色濃い。ショパンに関しては終始繊細であり懐疑的でひ弱な一面と圧巻のピアノテクニックという二重の凄さで貫かれている。現在ショパンの再来ではと囁かれるラファウ・ブレハッチ(1985.6.30-)を彷彿とさせる。 1849.10.17 のパリはヴァンドーム広場12番地の南向きの一室での、ショパンの死にさいしての記述が延々十数ページに及び泣かせるのだ。 ベッドの周りにいて泣いた人が、クリヴェイエ博士、フランショルーム(チェリスト)、イェンジェイヴィチョヴァ夫人(ショパンの姉 ルトヴィカ)、ソランジュ(ジョルジュ・サンドGeorge Sandの娘)、グジマワ伯爵、オブレスコフ大公妃、チャルトリスカ大公妃、スターリング嬢、グートマン、マトゥシェフスカ夫人、ポトツカ伯爵夫人・・数多の人々が最期を見届けているのだ。 小説は1847年から1849までの3年間半を克明に追いかけている歴史小説とみなされるし、音楽史、絵画史の考証を得たリアルな日記でもある。目の前に実際のショパンが居てピアノを弾き、ドラクロアが天井画を描いているその瞬間が実に克明に書かれている。小説には数多くのルーブル美術館所蔵の絵画がでてくるが、1830年の7月革命を描いた「7月28日(民衆を率いる自由の女神)」も例外ではない。三色旗を掲げた自由の女神の脇にシルクハットを被り銃を手にした青年はドラクロア自身だという説がある。ドラクロアの絵の中で最も有名な絵であるがこの絵を回想するシーンもあり面白い。下院図書室の装飾画は南北のクーポラ、室内の5つの天井画と規模は格段に大きい。これもまた詳細に途中経過が記されているので画家の気分になったように日課としての画家の仕事ぶりを知ることができる。 片や小さなサロンで弾くピアノのリサイタル。一曲づつに解説がつくがこれまた音楽評論のように詳しい。一つ演奏会に100ページもの詳細な実況報告だ。いままさにそこに天才ピアニストが弾いている風にう感じでるのだ。 同世代の芸術家もこの小説に次から次へとでてくる。リスト(Franz Liszt 1811.10.22-1886.7.31・・最強音での弾丸テクニックなど実に対照的に描かれていて面白い)、メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy 1809.2.3-1847.11.4 このメンデルスゾーンも享年38歳という短命であった。)、ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz 1803.12.11-1869.3.8)、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770.12.16-1827.3.26 ショパンと17年間被っている)、アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres 1780.8.29-1867.1.14 アングル一派とドラクロアとはアカデミー会員投票を巡っては確執があった。) 死に際してのショパンの遺言は、病気(おそらく肺結核)の原因を探るため解剖を希望していること、心臓をポーランドに持って帰って欲しいの2点であった。最後まで使っていたプレイエル製のピアノはスターリング嬢(秘かにショパンを慕っていた)が入札し、それを、ショパンの姉のイェンジェイヴィチョヴァ夫人に寄贈した。これらの事実によって、現在ワルシャワのショパン記念館でそのピアノが見れるのであり、聖十字架教会の柱の下に心臓が眠っているのである。 ペールラシェーズ墓地の墓石は、ジョルジュ・サンドの娘婿の彫刻家オーギュスト・クレザンジェAuguste Clésingerの作である。葬式はマドレーヌ寺院に3000人が招待されて行われたが当然入りきれない多くの人々は外で式典を見守ったという。 生演奏は、モーツァルトのレクイエム、ピアノ曲、オルガンアレンジでショパンの曲といったかたちで、コンセルヴァトワールのオーケストラ(Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire:パリ音楽院管弦楽団(1828-1967)→現在はOrchestre de Paris(パリ管弦楽団)やソリストが係わった。 史実に基づいてこれだけよく調べたものである。難解な文字の羅列ながら文学的表現満載のこの本を一度は手に取って読んでみることをお勧めする。 (注;ショパンの作品にも「葬送」がある。ショパン:ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 Op.35「葬送」1839年の作はショパン中期の創作で、音楽形式に対する才能が開花した作品であると言われている。ただショパン自身愛称を嫌ったにも拘わらず「子犬のワルツ(ワルツ第6番(作品64-1)変二長調)」同様後世の人達が色々愛称を付けたものだ。)(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jul 20, 2019
コメント(0)
麻布十番、映画「新聞記者」_ story (4402)2019.7.13I visited temples in the city center of Tokyo-Minato Ward with guide and participants.Surprisingly, there are many temples and greens are maintained. The walk in the area where Edo and Meiji remain intense is really fun.都心の寺巡りをした。江戸時代検定のプロが主宰するランチ付きの都心歩きに参加したのだ。迸(ほとばし)り出る豊富な知識に圧倒された。速記録を載せておくのでご覧あれ。■今週の1枚 Zenpukuji Temple-Sanmon. Background is Motoazabu Hills Forest Tower(善福寺山門。背景は元麻布ヒルズフォレストタワー 2019.7.5)竹ペンによる作画。山門から見上げると巨大な和蠟燭状のシルエットが借景となるようにデザインされている。目次徒然の記その1 麻布十番から広尾まで江戸散歩徒然の記その2 映画「新聞記者」上映後に拍手が沸き起こる!徒然の記その3 Viola Lesson 徒然の記その4 竹ペン徒然の記その5 文京区の坂 傾斜15度徒然の記その6 映画:Cold War あの歌、二つの心徒然の記その7 JAXA見学-はやぶさ2徒然の記その1 麻布十番から広尾まで江戸散歩 2019.7.5(金)■「写真集食堂「めぐたま」ランチ散歩シリーズ第4回」という都心をのんびり歩く「散歩会」に参加した。江戸歴史検定1級のK氏がガイドを務める。氏は新撰組研究会「史誠会」を主宰し、かつサラ文(サラリーマン文化芸術振興会)の会員でもあった。浅草や駒込界隈を歩いたりと時々「初歩の初歩の江戸散歩」をしたものである。いまは会社を辞め、いろんなイベントを計画し実行しているプロである。小生は「港区の坂道なら任して! 」と言いたいところであるが、お寺について全くの素人である。 コース 麻布十番駅→きみちゃんの像(「赤い靴」の女の子の像)→善福寺(初代アメリカ公使館)→賢崇寺(佐賀藩主鍋島家の菩提寺)→麻布氷川神社(3代将軍家光誕生の守護神)→安藤記念教会(大谷石とステンドグラス)→有栖川宮記念公園→ナショナル麻布(インターナショナルマーケット)→祥雲寺(福岡藩主黒田家の菩提寺)→東北寺(米沢藩主上杉家・日向佐土原藩主島津家の菩提寺)→「めぐたま」でランチ。14:00解散予定。 東京メトロ南北線麻布十番駅4番出口で10:00に待ち合わせ。参加はガイドを入れて4人と少なかったが、説明を聞くには都合がよい。レジュメもあったが、さらに行間を述べていくので、最初はペンでメモを取っていたら、歩きながらのメモは文字が読めないという問題があることに気付き途中からタブレットに記帳していくことにした。 KBの打ち間違いが無ければこちらは読み返せる。見聞きしたことを箇条書きにした。 ■元祖更科そば(麻布十番通)・・江戸中期から200年続く更科蕎麦「堀井」が十番通りに面して建つ。道路わきの塀には「麻布十番」の名前の由来が標記されていた。すなわち「麻布」はこの地域一帯に麻が取れたこと、「十番」は工事組の名前で、五代将軍徳川綱吉の白金御殿を建築する際、土運びをする人足が一番から十番のグループに編成され、この地域の人々が十番目に当たっていた。 ■善福寺(824-)・・浄土真宗本願寺派のお寺。弘法大師の建立した真言宗のお寺であったが、後に改宗して親鸞の浄土真宗のお寺となった。きみちゃん像から雑式通りを下ると参道がある。山門の背景には元麻布ヒルズフォレストタワーが聳える。参道手前には、明治初期にタウンゼント・ハリスが住んだアメリカ公使館の記念碑が建っている。横浜からと海が近かったために他の国々の公使館もこの近くに設けられたようである。寺の庫裡、書院などは攘夷を唱える人々によって襲撃を受け消失している。バブル期に広大な敷地が売却され、元麻布ヒルズが建った。スケッチを参照。 境内の大イチョウは樹齢750年というから凄い。親鸞が寺を訪れたとき突き刺した杖から芽吹いたといわれ、「麻布山善福寺の逆さいちょう」として有名な木である。都内最大級のイチョウ。気根(乳)が垂れ下がり老怪ぶりを誇る。かっては母乳の出が悪い婦人が参詣した折、この乳を削って飲んだという。大イチョウの脇に、越路吹雪の記念碑がある。岩谷時子の写真を添えた立派なものであった。 ■賢崇寺(けんそうじ 1635-)・・佐賀鍋島藩の菩提寺。大黒寺がある大黒坂の途中に、急坂を上り詰める参道がある。突き当りなので戻ってこなければならないが、有名人の墓が多い。川島なお美(1960-2015)・・夫の鎧塚(よろいづか)俊彦(1965-)はパティシエ。墓のデザインが凝っていてワインを飲んでいる帽子姿となっていた。 黒い帽子がアクセント、ロマネコンテのワインボトル。すべてが墓石でつながっている。元財務相の与謝野馨(1938-2017 与謝野鉄幹・晶子夫妻の二男秀の息子)の墓がひっそりと。 ■麻布氷川神社(938-)・・一本松坂と仙台坂の一角。豊臣時代から一本松の松の木をご神木としている。周囲には宮村町、宮下町、鳥居坂町、一本松坂下町など麻布氷川神社を中心とした町名が広く存在した。江戸時代は鷹狩などの途中に参拝。2代将軍秀忠の正室お江が安産祈願したことによって誕生した3代将軍家光の守護神となっている。 ■都立中央図書館・・国分寺にある都立多摩図書館とともに2つある都立の図書館の一つで有栖川宮記念公園の中にある。S48に日比谷図書館の蔵書を引き継いだ。5Fのカフェテリア「有栖川食堂」からは東京タワーや六本木のビル群が一望できる。月替わりで日本のご当地料理と世界各国の料理が食べられる。 ■national azabu(インターナショナルスーパー 麻布)・・広尾(昔はつくしヶ原と呼ばれていた)と田園調布に店があるが、外資系ではなく映像制作や映画の配給を行っている東北新社の子会社が経営。店内にピーナツバターの製造機があり自分で作れる。 ■祥雲寺(しょううんじ 1623-)・・臨済宗大徳寺派。筑前福岡藩主黒田忠之の開基。港区の史跡となっている黒田長政の墓のみが屋根付きの小屋で囲われ風雨を避けている。広尾散歩通り(船橋屋(和cafe)、呉服屋、琴三味線の店なども現存)の突き当り。京都の小町を思わせ、池坊の拠点がある閑静な一角。 ■聖心女子大・・明治41年(1908-) カトリックの女子修道会「聖心会 (Sacred Heart)」の修道女たちによって創立された聖心女子学院が起源。現代のキャンパスは江戸時代には幕末の安政の五ヵ国条約締結時など重要な時期に幕府の老中首座を務めた堀田正睦(まさよし)を出した下総佐倉藩の第5代藩主正俊系堀田家の下屋敷だった。明治になって皇族の久邇宮(くにのみや)邸となり、香淳皇后が幼少を過ごした地。結婚される際にはこの地から宮中に向かった。正門とパレスと呼ばれる伝統的な日本家屋は当時のものがそのまま修復保存されている。 ■東北寺(とうぼくじ 1696-)・・出雲米沢藩2代藩主上杉定勝の側室(法名 生善院慶巌栄余)が中興開基。2人の間に生まれたのが富子で、吉良上野介の正室。元禄2年(1702)、12月14日の赤穂浪士の討ち入りで上野介が亡くなると落飾して梅嶺院と号しその菩提を弔った。 寺は、今立派な本堂が改築中。京都別離宮・二条城(1603-)本丸御殿にそっくりの形をした立派なもので屋根の上に煙出し(けむりだし:中央辺りに釜で炊く時の煙を出す役目)の塔が見える。 墓には立派な供養塔である五輪塔が建っているものが多いがこれは日本で考案されもの。上から空(宝珠型)、風(半球形)、火(宝形(ほうぎょう)屋根型)、水(球形)、地(四角い六面体)の5輪を表現する。一方法要の時に用意される卒塔婆(そとば:サンスクリット語のStupa ストゥーパから来ている)は4つの刻みをいれて5輪を簡略化したものと言われている。 ■広尾小学校・・関東大震災の震災復興小学校として1932年(昭和7年)に耐火耐震仕様で建てられて現存しており、国の登録有形文化財(建造物)に登録されている。 屋上に塔(望楼)があるのは当時は消防署を併設していた「火の見櫓」の名残。この一帯は、広尾中、広尾高、山種美術館、國學院大學、聖心女子大があり緑が多い。 ■上、中、下屋敷について(注):上屋敷は政治の中心で江戸城に近い場所に置かれた。中屋敷は妻子の住まいと接待交流の場、下屋敷は諸道具を保管する場所で郊外(当時の)に建てられた。特殊なケースでは国元の焼き物(高松藩)、特産の味噌(薩摩藩)、などを江戸で製造し便宜を図った。尾張藩のように村ごと抱えて生産(米醤油)に当たった藩もあったという。 まぁ、実に詳しい説明が縦糸に水を流すがごとく滔々(とうとう)と語られる。生き字引のような方であった。約5kmの散策の後、駒沢通りから入った洒落たレストラン「写真館食堂「めぐたま」」でランチ後、渋谷川を渡ってJR恵比寿駅に向かう。 頭脳シャワーを浴びた感じで心地よい。雨もなく14:00には解散。徒然の記その2 映画「新聞記者」上映後に拍手が沸き起こる! 2019.7.5(水)■観たい映画に「Cold War あの歌、2つの心 (ポーランドが舞台)」があったが、カミさんが「貴方は「新聞記者」を観るべきだと。」どうも体制派に流される嫌い(きらい)のある元企業人を揶揄しているためか。 都心散歩が終わったあと夕方までの時間枠で都合の良い映画館を検索したら、イオンシアスタ調布が都合がよく、そこに移動。 東都新聞社会部の記者と内閣情報調査官(内調)とがよく描かれていた。暴露記事を書いた記者と、それに加担した主演者に対して、最後に拍手が沸き起こった。こんな事って初めての経験である。 後日、多摩センターでカミさんが観たときには拍手はおこらず爺々婆々ばかりの集団でしーんとしていたらしい。誰かが拍手をすると自分もしたであろうと。「若い人にもっと観てもらいたい!」と友人が叫んでいたと。確かに。 原作は、中日新聞東京本社(東京新聞)社会部記者の望月衣塑子(いそこ)さんの「新聞記者(2017年刊)」(角川新書)。映画にも彼女が辣腕記者として登場する。東都新聞記者の吉岡エリカ(シム・ウォンギュン)と内調の杉原(松阪桃李)の葛藤を描く。新聞社の実名や加計学園そのものを伺わせる特区の大学新設問題を扱っているので関係者は冷や汗ものであろう。 まぁ参議院議員選挙前によくぞこんな映画が公開されたものである。投票結果に影響がでるのではと思うぐらいの内容。米国の機密情報もあったりして手に汗を握る、政権にすべてが利用されてしまっている現状を暴いていると思えば痛快である。6月28日に公開されてからすでに2億円の興行成績をはじき出しておりその勢いは止まらないのではないか。映画の続編が観たいところである。徒然の記その3 Viola Lesson 2019.7.9(火)■・レスピーギ:交響詩『ローマの噴水』 Ottorino Respighi:Poema Sinfonico Fontane di Romaの練習を願い出る。 第1部 夜明けのジュリアの谷の噴水、第2部 朝のトリトンの噴水、第3部 真昼のトレヴィの泉、第4部 黄昏のメディチ荘の噴水 この第2部に3連符、四分音符、2連符、3連符、16分音符、16分休符・・と言う変リズムながら美しいメロディーが続く箇所ある。讃美歌の響きを出せと。モノトーンで斑(むら)がなくと。いつも言われるようにペンキ職人の手の動きである。休止符以外は弓を止めず、塗り斑がないように完成させよと。これがなかなか難しい。"turbo717節"がどうしても出てしまう。さらに八分音符(♪)がなぜか速いという。何故であろうか。淡々と弾けないのである。 多分文章を打っているその"腕の力み"がどうしても出てしまうのだろうか。或いは何でも欲深いので、いきなり気持ちを「無垢」にして!とは成りずらく、讃嘆醇雅(さんたんじゅんが)な響きはとても俄かには醸し出せないのかと泣けてくる瞬間である。 こうなれば、仙人の境地に自己暗示で転換するしかない。Violaを持った瞬間からイメージを頓(ひたすら)に神の元へ昇華する気持ちとするなど、180度切り替えてかからねばならない。 西洋音楽とは讃美歌の調べのようでなければならない。と先生は言う。たしかに先生のViolaはそんな風に聞こえるのだ。 第3部 真昼のトレヴィの泉の超絶技巧を要する箇所であるが、運指では半音階の連続をうまく捉えれば難しくはないと勇気づける。とにかく正しい音程をと明言。最低音(C)からドレミファ 1オクターブ上のドレミファをド1 レ1 ミ1 ファ1、2オクターブ上のドレミファをド2 レ2 ミ2 ファ2 シャープを#、フラットを♭として、λξはそれぞれ8分休符、4分休符、スラーを「-」で音符を記すと次のような次第である。♬ミ-ソ# ♪3連符シ-ラ#-ラ、♪ソ# λξ、♬♬ミ-ソ-シ#-ミ1 ♬♬ソ#1-ソ-ファ#1-ファ1 ♪ミ1 ♪3連符ソ#1-シ1-ミ2 ♬♬ソ#2-ソ2-ファ#2-ファ2 ♪三連符ミ2-ソ#1-シ1 ♬♬ミ2-レ#2-ド#2-シ1・・。これが延々40小節ほど続くのだ。♬♬ソ#1-ソ-ファ#1-ファ1や、♬♬ソ#2-ソ2-ファ#2-ファ2が半音階の部分で4321と指をくっつける。後者は高音部なので指はより密着させる。 他にも♪3連符 ファ1-シ♭1-レ♭2 ♬♬ファ2-ミ2-ミ♭2-レ2 ♪ レ、λ レ♭2-ド2-ド♭2-シ♭2 ソ♭2-と。ここでも ♬♬ファ2-ミ2-ミ♭2-レ2やレ♭2-ド2-ド♭2-シ♭2が半音階である。この辺りを徹底的に練習。♩=60ほどのゆっくりしたspeedで。実際は♩=160くらいの3倍ほどのspeedとなり超絶技巧を要する。まぁ1万回くらい弾いて頭に叩き込もう。徒然の記その4 竹ペン 2019.7.9(火)■高校の同窓生で絵手紙を描いたり、金継ぎを行う女性から竹ペンをプレゼントされた。割り箸ペン(割り箸そのまま或いは先を削り細くしたもの)とは違う描き味を楽しんで欲しいと。そこで早速描いてみたのが、上に掲載した元麻布ガーデンヒルズの絵である。ペン先にインク溜まりが5段ほど掘ってあるため墨汁が途中で途切れることなくかなり長い時間線を曳くことができた。素晴らしい筆感である。 このBamboo Penの材料は、支那竹や矢竹や葦などから作られる。矢竹は熊本地方で自生しているというので製作工房があるようである。筆の太さなど数種類を持ち替えて絵を描くようである。この一本をデッサンしてみた。一本だけの竹ペンで「一本の竹ペン」を"見ながら"描くのは苦労がいるものであるが見る角度を変えて並べてみた。 ペン先の溝が特色。万年筆のような感じで、インク壺にどぼんと漬ければ、最初の大きい露粒を除けば、あとはスムースに線が運べる。湾曲した側を使えば相当太い線も描け、また薄めた墨汁で湾曲を使うと水墨画のような太く淡い線が出せるようである。netで調べると、この竹ペンを使って描く絵の教室が沢山あるようで、愛好家が多いのだろう。ボールペンと違って、ラクビーボールのような予想不可能な回転とはいかないまでも少し遊び気分の、ポップな線が描ける為、面白いと思われるのだろう。竹ペンによる「竹ペン」の作画徒然の記その5 文京区の坂 傾斜15度 2019.7.10(水)■日本坂道学会会長の山野勝著「大江戸坂道探訪」という本を握りしめ、コンパスとタブレットの地図を眺めながらのrunningを文京区で行ってきた。事前準備がほぼゼロという過酷なrunningである。本来ならGoogle Mapで子細に経路や坂道名を調べ、My Mapに作図し、Geographicaに経路を落とし込んでいくのであるが思い立ったのは2時間前でその暇はない。 とにかく、文京区約100坂のうち、関口-目白台16坂、小日向14坂、計30坂を目標として、JR目白駅に降り立った。コース表示で、↑は上り坂、↓は下り坂、↓↑はその往復を示す。今回角度は計測していなが、港区のよりも急峻であった。 文京区になぜこうも坂が多いのかを考えたが、神田川(標高8m)や音羽の谷と目白台(標高30m)、旧神田上水(9m 水道通り)と小日向(こひなた 標高28m)と言ったように、谷筋と台地とを結ぶあらゆる生活道路が坂道となってしまったためであると考える。文京区が武蔵野台地の海側の淵にあるため稜線の襞が幾重にも落ち込み、複雑な地形を形成したためである。さて今回のコースは下記のようなものであった。 JR目白駅→富士見坂(↓↑)→日無坂(↓)→小布施坂(↑)→豊坂(↓)→肥後熊本藩細川庭園・清河邸→幽霊坂1(↑)→胸突坂(↓)→関口芭蕉庵(「古池や蛙飛び込む水の音」直筆の句碑がある。(清澄庭園を始め、全国に多数の同様の句碑がある。))→椿山荘→江戸川公園(↑)→目白坂(↓)→七丁目坂(↑)→佐藤春夫旧邸跡→独協高校→鳥居坂(↓)→鉄砲坂(↑↓)→三丁目坂(↑)→清戸坂(↑)→日本女子大→幽霊坂2(↑)→聖イグナチオ教会→目白新坂(↓)ここまで7.5km 江戸川橋→鷺(さぎ)坂(↑ 「さぎ坂」は、この近くに住んだ堀口大学や佐藤春夫らの詩人仲間が命名。ここに下総(しもうさ)関宿(せきやど)藩主・久世家の下屋敷があり、万葉集「山城の久世の鷺坂 神代より 春は張りつつ秋は散りにけり」を引いている。)→八幡坂(↑)→鼠坂(↓↑)→小日向児童公園(ランチ)→大日坂(↓)→服部坂(↑)→横町坂(↓)→薬罐坂(↑)→水道通り→本法寺(夏目漱石菩提寺 夏目家は代々 江戸の名主を務めた。)→庚申坂(↑↓)→切支丹坂(↑)→切支丹屋敷跡の碑(宗門改役(あらためやく)・井上筑後守政重の下屋敷)→蛙坂(↓)→深光(じんこう)寺(滝沢馬琴の墓)→茗荷坂(↑)→メトロ茗荷谷駅 合計12.5km なかなかの文化の香りのする探訪runningであった。茗荷坂では、ベビーカーに乗った赤ちゃんが垣根の葉っぱに興味津々で一枚づつ丁寧に観察する微笑ましい姿があり付き添っていたご婦人と挨拶。こういう子供が将来、植物学者になるのであろうか。 この中で、一番の急坂は胸突坂。60mの幅で17mの高低差で傾斜は15度。階段、手すり、自転車用のスロープの3段構えの坂。これ以上角度が酷(ひど)くなると、もはやは生活道路としての歩行は無理で、ハイキングのように草木を持って登るという事態になってしまう。up-downの左側が、目白台の台地、左側が小日向(こひなた)の台地である。徒然の記その6 映画:Cold War あの歌、二つの心 2019.7.10(水)■都内ではヒューマントラストシネマ系2館でしかやっていない映画を渋谷で見てきた。驚きの渋谷である。11月openの高さ230mのスクランブルスクエアがすでに威容を天空に突き出している。銀座線の新しい半ドーム型のホームは明治通りを跨いで完成間近。宮下公園はNYのペデスリアンデッキ(廃線になった高架鉄道跡を、「ハイラン(High line)」として活用)のように空中の遊歩スーペースとして工事が進む。渋谷駅南西の商業エリアがそっくり無くなり、工事中だ。この渋谷駅すこぶる不人気である。湘南新宿ラインの渋谷駅など300mほど南にホームが付けらているので国道246号よりもはるか南側から本来の渋谷駅に延々と改札口までの通路を歩かなければならない。2012年に完成したヒカリエも今は孤立した状態で通路が少ない。埼玉から横浜地下街まで直行出来るようになってややこしい渋谷駅を嫌って途中下車しなくなってしまった人も多い。 しかしこの迷路こそ、脳細胞を心地よく刺激するものはない。多少のup-downにめげない若者はむしろこの迷路を楽しんでいるようにも見える。 ヒューマントラスト渋谷は宮下公園のすぐ傍にある建物で、8Fに受付がある。12.5kmの坂道探訪のあと、映画は14:30というので十二分に間に合った。 モノクロ映画と聞いていたので、受け付けにあったカラー写真の衣装姿(袖口にレースを飾った刺繍のブラウスに、刺繍やビーズで飾ったポディスを付け、やはり刺繍をしたスカートの上に青色や鮮やかなピンク色を基調にした様々な色の縞模様のエプロンを締めている)などを目に焼き付けておく。ポーランドはマゾフシェ県(Mazowieckie:Warszawa(ワルシャワ)を含む県) の小さな舞踏団が物語の発祥である。 冷戦期のポーランドの物語で指揮者と踊り子との恋を描く。歌手を夢見るズーラは、国立舞踊団での看板歌手となって成長していた。指揮者はパリに亡命し、ジャズピアニストとして生計を立てている。 この映画にでてくるマゾフシェ県の荒野がポーランドそのもので、母なる川 ヴィスワ川(Wisła 全長1047km)よりも東側の地区はロシアに度々占領された地域でありる。ポーランド独立までの悲惨な歴史は数多くの人の心に今も暗い影を落としているのであろう。観る人の心を離さない。「戦場のピアニスト」「家へ帰ろう」など沢山の名作がこの時期を舞台にして生まれている。翻って現在のポーランドはあまりに平和であるため映画の材料には乏しいような雰囲気であるのが気にはかかるが。1000kmの長旅をさせてもらった4年前の旅行はすっかり安定した真っ平の素朴なポーランドであった。徒然の記その7 JAXA見学-はやぶさ2 running18km 2019.7.12(金)■2014.12に打ち上げられた「はやぶさ2」は、小惑星リュウグウ(C型)に2019.2に着陸し、4月に再接近して人工クレータを作り、7月11日に二度目の到着を果たし、弾丸を発射して砂や石を採取したもよう。今回のミッションは、惑星の起源だけでなく地球の海の水の起源や生命の原材料をも探求することにある。 JAXA相模原キャンパスは、昨日は大いに沸いた。自宅から7kmしか離れていない宇宙航空研究開発機構である。見学は敷地内にある「宇宙科学探査交流棟」(2018.2にopen)で行うことができる。原則として月曜日が休館日。着陸直前の8-11日の4日間が特別に休館していたので12日は成功後はじめての見学日であり全国から多くの見学者があった。地元民として表敬訪問した。 リュウグウまでは2.4億kmも離れている(地球6000周くらい。光のspeedで13分)ため、着陸直前は地球からの制御ができず、自動制御に切り替わったという。探査機自身がレーザーを出し姿勢制御をしながら独自に着陸を試みるのだ。無理だと判断すれば、アボート処理を行い退避するようにプログラムされていたと。2020年12月にサンプルリターンの予定。サンプルは協力のあった米国にも配る予定。大切な資料なので長期保管を行う。アポロによる月からの石も50年たった今でも研究されており、新しい論文が発表されている。検査機器が新規に開発されたり、改良されたりしているからであると。 日本は10年のスパンで宇宙に拘わっている感じ。(2003. 5に打ち上げられた「はやぶさ1」は、小惑星イトカワ(S型)に2005.9に到達し、2010.6.13にサンプリリターンを果たした。)、2030年には火星探索MMX - Martian Moons eXplorationを行う。 2021年に小型実証機「SLIM」による月着陸を予定している。着陸点は発電効率のよい南極を目指しているという。 2040年にはNASAが火星往復を試みる。火星の表面は険しい崖なので着陸が困難。探索機にも命綱のようなものが必要になる。 「宇宙科学探査交流棟」はJAXAの歴史をすべて公開し、離着陸のシュミレーターや、リュウグウの模型が飾られ必見。はやぶさ2のかわいいキャラクター「はやツー君」がデザインされた「宇宙科学探査交流棟」の見学者証。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jul 13, 2019
コメント(1)
富士山五合目、ヘブライ語_ story (4401)2019.7.6I went to Mt. Fuji. However, until 5th station. The fifth station of Fuji Subaru-Line was just foreign. Tourists from all over the world who want to see just-looking Mt. Fuji from a close glance.There are few people who climb mountains. Foreigners in yukata and baby. Oh, is this a foreign country?この時期「富士山に行って来た。」と言うと殆どの人は山頂登山をイメージし声援を送ってくれる。しかし、今は山頂へは登れないのだ。五合目はまさに外国であった。富士山を近くから一目見ようと”見物”にやってくる世界中からの観光客。登山をする人は少ない。浴衣を着た外国人や子供たち。あぁ、ここは外国か?■今週の1枚 1st building of Faculty of Liberal Arts of Tokyo univ.(東大教養学部1号館 2019.6.30)イチョウ並木に圧倒的な重量を誇る木があった。10号館前からスケッチ。犬を散歩させる女性の姿。裏門にあたるここには一高の紋章(護国旗)が掲げられていた。目次徒然の記その1 元気塾の講演-ヘブライ語と日本語の共通点徒然の記その2 RIKI Philharmonisches Orchester徒然の記その3 再び、劇工舎(げきこうしゃ)プリズム 第72回公演「門」 徒然の記その4 待ち望んだ記事-光免疫治療徒然の記その5 ペン入力タブレット オークションでget徒然の記その6 富士山駅からrunning 15km徒然の記その7 天狗の集まり徒然の記その8 FILOかLIFOか徒然の記その1 元気塾の講演-ヘブライ語と日本語の共通点 2019.6.29(土)■大学からの友人で会社の同期でもあるK氏が関連する一般社会法人「元気をつなぐ会」で、「寺子屋・元気塾」が開催された。会自身としては、毎月最終の土曜日に情報交換を行っているが、そのうちの4回くらいを「寺子屋・元気塾」にあて、講演会やワークショップとして一般にも広く参加を呼び掛けている。場所は武蔵小杉駅に近い川崎市生涯学習プラザである。昨年は小生がリュックを担いで登場しヨーロパ巡礼の話を講演している。 約1年ぶりの「元気塾」への参加。今回の講演は「信じるか否かは、あなた次第です。」という刺激的なタイトルで、静岡県内の病院に勤務する診療放射線技師のI氏が話した。宗教/教育/経済の切口で、氏が興味を持って調査や研究を行っている内容を2時間にわたって喋った。タイトル通り、その内容に信ぴょう性はあるのかという疑問を拭えないことないがなかなか面白い内容でもあるので一部を紹介しよう。 ただこちらは、反論するための材料を持ち合わせないため一応は「なるほど。そうかも知れない。」と思っておこう。本当であれば、一つ一つは壮大な論文に至適する重要性を秘めている。 ・トルコ東部のDiyarbakir(ディヤルバクル)は古代「アミダ」という呼称であった。ここに聖母マリア教会があるが、阿弥陀如来の起源はこの場所ではなかろうかと。仏教がバーミヤン、ガンダーラー、長安、日本と伝来した同じ経路で、聖母マリアも宇宙スケールを意味する仏教界最高位の阿弥陀として伝わったのであると。母パドメ・アミダナ、父ダース・ベータ。西洋にはマグダラのマリアとして伝来。 ・祇園祭(八坂神社)の山鉾巡行の行われる7月17日は、ノアの箱舟がアララト山に漂着した日と重なる。山車の天幕の装飾は日本的なものではなく中東の景色やユダヤ教の世界観を表したものとなっている。神輿の担ぎ棒とその上の箱型は古代イスラエルのシオン(契約の棺)から来ているのではないか。Gion(ユダヤ教の神)やShion(神の住処)やYasada(ユダヤ教の神)は、「祇園」、「知恩院」「八坂」にそれぞれ名前が対応される。 ・お神輿を担ぐときの掛け声「わっしょいわっしょい」はヘブライ語で「神が来た。神が来た。」を意味する。 ・トーラスクール(ユダヤ教の立法)は虎の巻の語源となった Rebbe(旧約聖書のヤコブの三男)が角笛を吹き、トーラスクール(ユダヤ教の立法)を左手に持つが、修験者がほら貝を吹き、天狗が左手に持つ巻物と共通する。 ・三種の神器とは勾玉、剣、鏡であり、正確には八尺瓊勾玉(やさかにの まがたま)、八咫鏡(やたの かがみ)、草薙の剣(くさなぎの つるぎ) =天叢雲剣(あめのむらくもの つるぎ)を指すが、ヘブライの地にも失われた10支族(12支族のうち、ユダ族、ベニヤミン族を除くルベン族、シメオン族など)+レビ族には、三種の神器がありアークと呼ばれる四角い箱に納められている。中には「マナの壺」が入っており、横から見た形状は前方後円墳とそっくりな丸と四角である。この古墳を調査するとマナが出てくるのではないか。ちなみにマナはまな板の語源となっている。 ・イスラム滅亡(BC722 アッシリアによる。)と神武天皇即位紀元(BC660)が近い。”日出ずる国”へ彼らは脱出を図ったのではないか。諏訪大社の置かれている場所は、中央構造線とフォッサマグナの交点にあり、部族の地質学者が最重要拠点と見定めて興隆したのではないか。 ・諏訪湖の御神渡りの神事は、神の奇跡で海が裂けたところを通ったモーゼの十戒の話と符丁する。 ・御柱の祭りも。ユダヤに似た祭りがあり共通する。 ・しめ縄の「縄」は雲、糸の字の象形を成す「紙垂(しで)」は、雷、三角形の「房」は雨、鈴の「音」は雷鳴を夫々表すという。これと共通するものが中東にある。 ・稲荷神社は穀物・農業の神及び、現在は商工業を含め産業全体の神として信仰されている。神仏習合思想において仏教の女神である荼枳尼(だきに:梵語のダーキニー(Ḍākinī)を音訳)と混合。荼枳尼は狐に跨って現れる。赤い鳥居は、家の前に立てた2本の柱で魔よけの為に羊の血を塗ったことが起源とされる。 ・ヘブライ語と日本語に共通する言葉が多い・・ 「ハッケヨイ、ノコッタ!」・・「撃て、やっつけろ、打ち破れ」、「じゃん、けん、ぽん」・・「隠して、準備して、来い」、 「よいしょ」・・「イェシュ」(神よ救けたまえ=イエス・キリストの「イエス」と同じ語源) 「どっこいしょ」・・「ドケイシュ」(退かすので、神よ助けたまえ) 「エッサ、ホイサ」・・「神よ助けたまえ、運ぶ」 「伊勢」・・「イサ」(神、救世主) 「さあ、行こう」の「さあ」という掛け声・・「出発」という意味。 「ありがとう」・・アリ・ガド(私にとって幸福です) ・国歌である「君が代」の文言もヘブライ語にあるというのだ。(古今和歌集 巻第七 賀歌 (343)「わが君は千世にやちよにさざれ石の 巌となりて苔のむすまで」(わたしの夫君は、千世に八千世に歳を重ねられませ、さざれ石が巌となりて(盤石となって)苔の生えるまで):「わが君は」の箇所は後の世に「君が代は」となり、国歌となる。ヘブライ語との対比・・君が代は ⇒ クムガヨワ(立ち上がれ!)、千代に 八千代に ⇒ テヨニ ヤ・チヨニ(神の選民 シオンの民!)、細石の ⇒ サッ・サリード(喜べ・人類を救う、残りの民として)、巌となりて ⇒ イワ・オト・ナリァタ(神の予言が成就する!)、苔の生すまで ⇒ コ(ル)カノ・ムーシュマッテ(全地あまねく 宣べ伝えよ!) ・「かごめかごめ」の歌・・かごめかごめ ⇒ カゴ・メー カゴ・メー(誰が守る? 誰が守る?)、籠の中の鳥は ⇒ カグ・ノェ・ナカノ・トリー(硬く安置された物を取り出せ)、いついつでやる ⇒ イツィ・イツィ・ディ・ユゥー(契約の箱に納められた)、夜明けの晩に ⇒ ヤー・アカ・バユティー(神譜を取り、代わるお守りを作った)、鶴と亀がすべった ⇒ ツル・カメ・スーベシダ(未開の地に水を沢山引いて)、後ろの正面だあれ? ⇒ ウシラツ・ショーメン・ダラー(水を貯め、その地を統治せよ!) ・「さくらさくら」の歌・・さくら さくら⇒ SKR SKR(隠れた 隠れた)、やよいの空は ⇒ YYH YN SRH(唯一の神が迫害され、耐えて)、見わたす限り ⇒ MWT KGR(犠牲として死に、)、かすみか雲か ⇒ KSM KMK(くじ引きにされ、取り上げられた)、匂いぞ出ずる ⇒ NOH YZR(素晴らしい神の計画)、いざや いざや ⇒ YZY YZY(神の救い 神の救い)、見にゆかん ⇒ MN YK(捧げ物を決めた) 長々と記述してきたが、どうもこの狭い島国日本。日本語であっても我々のみが起源ではなく遠く大陸から伝わったものであるのではなかろうかと。秦氏(はたし)の役割も大きいと。その意味で、仏教や神道の起源を考察すると面白いかもしれない。 確かに、「ありがとう」のポルトガル語はオブリガト(Obrigado)で、日本語と似ていると以前記したが、ひょっとすると、このヘブライ語が起源であると考えるとへんに納得ができる。徒然の記その2 RIKI Philharmonisches Orchester 2019.6.29(土)■リキ・フィルハーモニッシェス・オーケストラRIKI Philharmonisches Orchesterの第8回定演が杉並公会堂で開催された。 招待状をこのオケ事務局から貰っていたので、上記元気塾の帰りに寄ってみた。指揮は、このオケの創設者の長野力哉さん。曲目は、・E.ダンベール 歌劇「低地」交響的前奏曲 Eugen d'Albert Synphonishes Vorspiel zur Oper"Tiefland"・ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調「ハース版」 Anton Brukner Simfonie Nr8 C-moll <R.hass> このRIKIは、演奏機会の比較的少ないブルックナーを全曲制覇するということを目標に2015年秋に三鷹で結成されたオケで、今回はブルックナー(1824-1896)最高傑作である第8番を演奏するとあって、ほぼ満席の会場。1884年には完成しながらもその後改訂作業を繰り返し、1892年(68歳)に初演し大成功を収めた。 歌劇「低地」交響的前奏曲はロンドンの王立音楽アカデミーから総譜を取り寄せ、団員の一人がパート譜に起こしてくれたものを使ったといい本邦初初演であった。 どの曲もよく響き渡り、特にティンパニが冴えわたっていたことが印象に残った。市民響の団員である。徒然の記その3 再び、劇工舎(げきこうしゃ)プリズム 第72回公演「門」 2019.6.30(日)■再度小雨交じりの東大駒場キャンパス内の駒場小空間に足を運んだ。14:00開演のマチネとして、27日(木)とは違う場所から鑑賞させてもらった。■演目「門」・・作・演出は岩下拓海さんで、兵隊「カジカワ」役で出ている。2回観てもまだ分からないところが悔しいが「夢」が錯綜する形で展開しているため、非を論(あげつら)っても無意味である。 小生が読み解いたストーリーは下記のような次第である。人それぞれ解釈が違ってくるのかもしれない。夢なのだから。 第二次世界大戦時代の戦友「カジカワ」と「オサム」。「カジカワ」の妻で精神科医「ユミコ」。「オサム」には戦前、妻と2人の子供が居た。キョウコ、アイ、ノゾミである。まずキョウコが暗闇に登場し眠気眼(ねむけまなこ)で朝を迎える。ノゾミは台所に出たゴキブリブリが次第に大きくなっていくと騒ぐ。カジカワは、オサムの息子コウヘイを家に預かっている。戦地には赴かなったオサム(本人は満州に出征したと思い込んでいる。)には、戦後、妻トモコ、娘マヤ、息子コウヘイが居る。コウヘイは頭がおかしい。家族で富士山に登る計画をたて、前日は河口湖でブラックバスを釣ることを楽しみにする。 しかしながら11人の登場人物全員は魚で、実は河口湖で「鯉」として行動している。美しい鱗の鯉「ハイボール」と「焼き鳥」が手前の岸に。オサムの戦前の元家族のキョウコ、アイ、ノゾミは、赤い斑点模様の魚三匹で対岸にいて赤い魚軍団を引っ張る。湖の汚染を嘆きつつ、「ハイボール」と「焼き鳥」に鯉の滝登りを勧める。龍になって人間を復讐しようと。湖底からBowingの飛ぶ雲上や富士山頂上などへと空間移動する。「最近夢を見るんだよ」「長い長い夢」「俺が兵士だった頃の夢」「音も無い朝が来る」・・ホール中央にせり出した舞台と客席との間の通路が主な行動範囲。たった11人なのに、服装を変えて何人もの赤い魚軍団が走り、乱舞し、行き交い、叫ぶ。 これは戦後の社会を正し、希望に繋げるというような「夢」のストーリーとなっている。「門」という題は、数多くの切口の展開がいろんな「門」から始まっているところから来ているのであろう。最後は龍となって昇華する。壮大なドラマである。 最後に幅1mの垂れ幕が何本も下り、ステージはその中で光を捉えさらに輝きを増す。オサムはユミコに対する浮気を責められるが、オサムと元の妻キョウコが20年ぶりに出会う。カジカワとオサムとの間の”電話”で謎が解けそうになる。長崎原爆のエノラ・ゲイの事も語られ、原爆被災の物語かなぁと思ったり。人間への声なき「復讐」(発音は"フックシュー"で、魚訛りとなって面白い)を果たしたのであろうか。巨大な龍の頭に物語は呑み込まれていく。その全てが夢の中である。 拍手喝采が起こった。「カジカワ」の慇懃な挨拶があった。公演を6回繰り返すわけでその5回目であった。約95分間。学生たちの舞台への熱い思いが伝わった。 徒然の記その4 待ち望んだ記事-光免疫治療 2019.7.2(火)■以前のblogで「癌がこの5年で克服されるかもしれない」と記述した(2018.10.21)。本日の朝日新聞朝刊に下記のような記事がやっと出た。・・ 「光免疫療法の頭頚部治験 30人中4人のがん消失」ーー光をあててがん細胞を壊す「光免疫療法」について、実用化を目指す米国の「楽天メディカル」は1日、事業説明会を開き、新たな臨床試験(治験)の結果を公表した。手術や抗がん剤などの治療で効果がなかった米国の30人の頭頚部がん患者を対象にした治験の結果、4人はがんが消え、9人は縮小していた。この治療法と関連があるとみられる重篤な有害事象は3人にあったという。 米国立保健研究所(NIH)の研究員が開発した。近赤外線をあてると反応する化学物質と、特定の細胞に結び付く性質があるたんぱく質(抗体)を結合させた薬を注射。抗体はがん細胞とくっつく。それに近赤外線をあてると、がん細胞に集まった薬と光が反応し、がん細胞が破壊され、免疫細胞は活性化する。2015年から治験をしてきた。同社は昨年から、さらに多くの患者を対象に有効性や安全性を確認する治験を、米国や日本などで始めている。」 待っていました。このニュースを。ただ『重篤な有害事象は3人にあったという。』にはまぁ全てが旨く行くことはないであろうと。人間が死ななくなることも恐ろしいのでこれは今後の検証に待つこととしまずは拍手をおくりたい。 楽天メディカルが実施する臨床試験は、次のサイトに登録をしているという。臨床試験情報に関する米国政府サイト https://clinicaltrials.gov/ 日本における臨床試験に関する医薬品情報データベース http://www.clinicaltrials.jp/・・以前書いた内容の要約を掲載する。「開発したのは日本人で米国立がん研究所の小林久隆主任研究員。癌細胞だけに特異的に結合するたんぱく質(抗体)を利用する。その抗体に、近赤外線によって化学反応する物質(IR700;フタロシアニンという色素)を付け、静脈注射で体内に入れる。抗体は癌に届いて結合する。 そこに近赤外線(波長は700nm)の光を照射すると、化学反応を起こして癌細胞を破壊する。近赤外線を当てることによって熱が生じ、癌細胞の膜にある抗体の結合した蛋白質を変性させ、細胞膜の機能を失わせるからだ。1~2分で死滅する。 この癌細胞を直接叩く方法の他に、癌細胞の近くいる免疫細胞が癌細胞を攻撃することを邪魔している「制御性T細胞」を叩く方法も特許申請をしている。 IR700を付けた抗体を「制御性T細胞」に結合させ、近赤外線を当てて壊す。邪魔者がいなくなるため免疫細胞が活性化して癌細胞を壊す。血流に乗って全身に運ばれるためわずか数時間で転移癌を攻撃し始める。 脳腫瘍のような場合にも脳細胞を残したまま癌細胞のみを叩けるので、脳組織にはまったく影響を与えず治療できる。iPS細胞でも、癌化リスクのある細胞をこの方法で取り除きより安全なiPS細胞を供給することが出来る。」光免疫療法の仕組みは下記HPに詳しい。藁をもすがる人たちには光明となろう。https://www.mugendai-web.jp/archives/6080徒然の記その5 ペン入力タブレット オークションでget 2019.7.2(火)■実は、お絵かきディジタイザー「Wacomのペン・タブレット Bamboo CTH-461」の調子が悪くなった。いつもは、ドライバーの再ダウンロードでなんとか復帰していたが、それもだめとなった。 Windows10のupdateによってもともとWindows8以下でないと動かなかったものがついに動作不良となってしまったようである。買い替えのタイミングが到来したと観念しチェックをし始めた。こんなものは1円から買えるYahooオークションが良かろうと。 カミさんが使っているディスプレイは2台ともヤフオクで安く買ったものである。最初のは1円で落札し、送料1000円でgetできている。 このタブレットは、絵日記の絵にあるサイン「turbo717、日付」や難解な漢字をペン入力で探すときに使うのが主な仕事である。出品されているものでも対応OSが無いものはごく安いので気をつけないといけない。 またアニメーションなどの本職が使うタブレットも多く、高額商品が多い。ものすごい数の商品が羅列される。【現在(価格)、入札(数)、残り時間(日、時間)、即決】などの情報から、残り時間の少ないもの例えば1日とか、4時間などというオークション出品商品を見つけ適当に入札していく。頭にくるのは、入札してもすぐ最高額が他人により塗り替えられてしまうことだ。これはある価格までは絶対に自分が入札したいと思うような場合で、常に「+200円刻み」などで最高額を入れていく自動システムが適用されている場合である。 一体どんな仕掛けであろうかと、高い金額6000円を試しに入れてみた。なんと1200円くらいだったものがいきなり6000円となって入札が成立してしまった。ひえっ! ギャンブルのようなオークションである。元々は3万円以上もするものであったので、1日くらい置いてみると、より高い価格で落札されたようで安堵。一時はどうなることかと。 誰が入札しているかなどはIDの一部を歯抜けで表示しているので分からないがその道のプロが居るのであろう。1円のまま低迷するのか、幾らでも値を張っていくのか。時間切れでも「自動延長」というシステムもあり出品者の意のままであるようなへんなオークションの世界である。 またこういう競争をせず、最初から”即決価格”を提示したものもあり、すこし高くつくが、安くてすぐ買えるものもる。ドキドキ感もなく。今回はWACOMの「 Intuos Pen & Touch medium CTH-680 PEN 」をAmazon価格22,400円のを中古ながら送料込みで5000円ちょいでgetできた。1円で買えなかったことは残念であるが、netオークションの闇に肝を冷やすこともなくあっさりと商品をgetできたのを良しとしよう。徒然の記その6 富士山駅からrunning 15km 2019.7.3(水)■富士山に行って来たと言うと、大体の人が富士山登山をイメージする。ただし今回は、麓から五合目まで。 吉田ルート以外の山開きは7/10であるが、どのルートからでも現在は8.5合目以降は登れない。 「富士山駅(旧富士吉田駅(~2011.7))」から富士吉田・五合目(富士急スバルライン五合目)まで吉田口登山道を0合目から登るということをイメージする人は少ない。非常にマイナーなコースであるからだし、もともとそんなコースが存在することすら知らない。到着地点の五合目からmessageを入れた場合、これから富士山を登るものと勘違いをし「頑張って!」と激励。こちらはもう終わっているのだ。 0合目を富士山駅と仮定すると、0-五合目の距離が15km、標高差1500m、五合目-山頂の距離が7.4km 標高差1500mと、ちょうど半分の距離と、同じ標高差。長大な登り15kmながら傾斜が緩やかな前半のコースはお勧めである。 五合目から逆のコースも面白い。たとえば富士急スバルライン五合目に来て、悪天候で富士山に登れそうにない場合、そのままバスで引き返すのではなく、五合目から吉田口登山道を下っていき、富士山駅まで歩くという選択肢もあることを念頭に入れておくと旅はずっと楽しいものとなろう。こっちは樹林帯で風雨は緩和される。 昨年9月の台風で9合目近辺の石垣が崩れており現在復旧工事中だという。それでも頂上に行こうとする無謀な登山者のために工事が遅れているという。期待値は7月14日の週というから、少しの辛抱である。 八王子から出発する場合は、大月→富士山駅の始発電車には間に合わず、2番電車ということになり、富士急・「富士山駅」到着が7時28分となった。この時間から出発すると、夕刻になってしまう可能性があり下見の予行演習でも厳しい状況であることは否めない。 当方はrunningなので、みなし距離を15+標高差(2305-805)x(1/100)の40kmとはじき、これを7で割って、5時間半として13時到着を目指す。富士山駅からはおよそ真南の方向に富士吉田口登山ルートが伸びるためコース取りは楽である。 馬返し(1合目)までは舗装道路を行く。山道も併走しているが、時間がかかるので自動車道を取る。1合目から五合目までは完全な山道で強烈。木枠の階段が延々と続くのである。九十九(つづら)折れに敷かれた道は、石段であったり、材木の階段であったりして標高を上げていく。 トレッキングrun用途にはもってこいの長い坂道である。走って往復していた人も多い。このコース昭和の初期までは、山小屋が1,2,3合目に一軒ずつあり、4合目、4.5合目と複数の山小屋で賑わっていたようで往時の写真が掲示板に示されていた。 ただ苦労したのは、このような登りが連続するケースを練習していないため早くも2合目あたりから足が吊り始め、ツムラの芍薬甘草湯で散らしては走り、走ってはまた吊るといったことを繰り返したことだ。最後の900mはrunningであったが、バス停で2時間あまり静養を必要とした。上の赤線が、「富士山駅」→「五合目」。■五合目で・・・吉田口登山道の5合目と、富士スバルラインの5合目は900mも離れている。前者は滝沢林道と交差する箇所であり、後者はスバルラインの終点である。この間の900mは、"富士山体験"をする外国人で溢れかえっていた。 バスターミナルはもう異様な雰囲気でまさに外国である。日本人を見つけるのが難しいくらいだ。写真を撮ってもらおうと日本語で話しかける。「日本人ですか?」と。相手も日本語が喋れて嬉しいというような表情。ここは外国そのもので、久しぶりに会った日本人!というような喜びようである。曇り空ながら山腹は7合目辺りまで見えて、夏の雪渓が美しい。そこを皆が写真を撮っているのだ。 バスターミナルでは、新宿バスタからの乗客を大勢吐き出していた。「あっ寒っ!」と言う日本人以外は全員外国人だ。あらゆる種類の外国人が詰めかける。もちろんツアー客の団体も。浴衣を着た人や子供連れなど、遊園地気分である。 新宿からは高速で2時間で、5合目まで来れるという簡便さが受けているのであろう。小生も夜の宴会としてこれで、直帰。あぁらくちんのバス旅。新宿へ着いて驚いた。 こちらは圧倒的に日本人が多い。富士では恬然(てんぜん)と歩くことが出来たのに、2時間後はバスタから大ガードへ向かって地下街の迷路の喧騒を縫っている自分が居る。不思議な感覚。徒然の記その7 天狗の集まり 2019.7.3(水)■旧サラ文幹事の集いが毎月第一水曜日にいつもの場所(大ガード近くの居酒屋「天狗」)で、いつものコーナーで。17時集合のところ、富士山から直行して16:30に一番乗りしたものだから、メニューを研究し始めた。毎回会計は一人3000円と決して安い金額ではない。10人くらいがすごい勢いで飲み食いするためであるが、一体全体何が悪さをしているのであろうかと大阪根性で分析をしてみた。 300-500円くらいの酒を6杯飲んだとするとそれだけで2,000円である。もっとゆっくり味わって呑むべしと思ったことと、刺身大盛りなどは、旬のものばかりを集めているのでこれも割高である。まぁ、月一回くらいは多少贅沢してもよし という気分で構え、あまり目くじらを立てないほうがよかろう。 ビールジョッキ 510、天狗の健康サワー 470、日本酒-いよよ華やぐ 390。 食べ物・・かつおのたたき 490、かつおのカルパッチョ 590、さっぱり厚揚げ豆腐 390、さつま揚げ 320、ジャンボ牛カルビ焼き・一本 350、ジャンボとり皮串・一本 160、国産ごぼうチップ 320、オニオンスパイシーフライ 320、若鶏の唐揚げ6個 390、サイコロステーキ 9片 490、自家製ソーセージ 4片 490、だし巻き玉子 390・・・。 ここまで分析していたら、2人目がやってきた。皆が揃ったときに、立て板に水を通すがごとく、ここに書き上げたものをほとん注文したことは言うまでもない。さらに、刺身大盛り! 野菜サラダなど。最後に鉄火巻きやお蕎麦などと、あぁ大食である。■近況報告ではご多分にもれず身体の不具合や闘病、入院事例など様々であるが、元気な人も多い。上海まで豪華客船で行き、帰りは飛行機などと豪勢な旅の話や、「一人語り」という真骨頂を切り開いた尺八人、ライブハウスで有料のコンサートを開く笛吹き老人、トキが時々飛んでくるという佐渡が郷里の人の家へ遊びに行こうと盛り上った。徒然の記その8 FILOかLIFOか 2019.7.6(土)■物を収納するルールに齟齬があると大変なことに・・FILO(First In Last Out)かLIFO(Last In First Out)か。洗濯ものを干して仕舞うときや使うときのルールは家族で決めておくとよいが、概してあまり連絡もなく、独自のルールを勝手に採用している場合が多い。 フェイスタオルや台所のお手拭きや 身体を拭くタオルなど数種類のタオルを機能別に仕舞ってくれるようになったわが天才少女・カミさん。台所のお手拭きタオル5枚(すべて色違い)がうまく回っていないことに気付いた。そこで恐る恐る聞いてみたのだ。 上から仕舞って下から取り出すのかと。「あら使い易いように、下から入れているわよ」。道理で、こちらは仕舞いやすいように上から置き、下から使っているので同じタオルが連続することとなってしまった。タオルの新規セットは朝餉の準備とともに行うため、タオルの配備者はいつも小生である。 妻がタオルを仕舞う掛かりだとすると、どういう悲劇が起こるか立証してみよう。タオル5枚が上から「12345」と並んでいると仮定する。私が下から取り出すので残りは「1234」となる。洗濯した「5」をカミさんが下に戻すので「12345」となる。 気付かない私は下から取り出すので「5」を使い残りは「1234」となる。いつまでたっても「1234」が回っていかないのだ。理想的には「12345」→「1234」→「51234」→「5123」→「45123」→「4512」→「34512」とうまく廻っていく。 bodyタオルの方にも悲劇が。私は洗濯ものは上に置く。カミさんは上から使っていく。いつまでたっても同じタオルがカミさんのbodyを拭くということになる。あぁ神様。何十枚もあるタオルがうまく回っていきますように。アーメン。 (編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jul 6, 2019
コメント(0)
オルフ室内合奏団、劇工舎(げきこうしゃ)プリズムの公演_ story (4400)2019.6.29While the rainy season was fine, I run along the upper Sagami River .The river surface had a dark green color reflecting gray based sky and flesh mountainThe river is moist green and beautiful like a mirror. As the ripples come in , several concentric circles come and go repeatedly, and the surface of the water constantly shakes.From time to time, the sun's reflections cause it to shine like a highlight.June is about to leave to July.In the garden, Suka Lily, Lincoln(薔薇), Hydrangea, Dokudami, Biyouyanagi and Agapanthus were in full bloom. I've always sketched these, but I missed this year. All flowers are fading. I will prepare to make Dokudami tea if the day when it continues to be sunny.緑したたる季節である。梅雨の晴れ間、久々に相模川上流を走ってみた。曇り空を映し灰色がベースになった川面に、緑色の山肌が映って、川はしっとりとした緑色に染まっていて鏡のように美しい。波紋が迫っては寄せていく幾筋もの同心円、反復を繰り返し乍ら絶えず水面は揺曳(ようえい)する。時々太陽の反射をうけてハイライトのように光る点々を鏤(ちりば)めて。見て飽きない。朧(おぼろ)げに6月が去ろうとしている。庭ではスカシユリ、リーンカーン(薔薇)、紫陽花、ドクダミ、ビヨウ柳(未央柳 or 美女柳(びじょやなぎ)、美容柳(びようやなぎ)、金線海棠(きんせんかいどう))、アガパンサスが満開であった。いつもはこれらをスケッチしているのに、今年は怠ってしまった。すべての花が色褪せつつある。晴れるような日が続けばドクダミ茶を作る準備をするのであるが今年は様子見である。■今週の1枚 The extraordinary cliff at Onigajyo in Kumano City Wakayama Pref.和歌山県熊野市にある鬼ヶ城の大岩壁(2019.6.5 pm6:30)5人で伊勢路を旅をした。疲れてはいたが宿から500mの世界遺産を案内。スケッチを描こうとして彼らは先に宿に帰ってもらった。描画後猛然と彼らを追いかけ、ホテル直前で跫音(あしおと)を忍ばせ、そっと彼らを抜いて玄関ホールへ。彼らのビックリする顔が忘れられない。目次徒然の記その1 シベリウス:交響曲第5番徒然の記その2 オルフ室内合奏団 サマーコンサート2019徒然の記その3 あぁ聖火ランナー応募は難しい! 徒然の記その4 Viola Lesson徒然の記その5 二子玉同期会徒然の記その6 Violin-Viola Duo徒然の記その7 朝餉を落語に!徒然の記その8 劇工舎(げきこうしゃ)プリズム 第72回公演「門」徒然の記その1 シベリウス:交響曲第5番Jean Sibelius:Symphonie Nr.5 2019.6.23(日)■シベリウスの初練習が府中の森芸術劇場平成の間であった。当団のコンマスが指揮を取る。演奏に粗いところがあるものの、一発で最後までいった。大したオケである。 要点などが分かったため今後パート練習などで密度を上げていくが、もう来週には正指揮者が登場するのでこの1週間で大体のところを仕上げなければならない。複雑なパッセージはすべてスラーを取り、八分音符などという単位で分解して弾いていくとうまくいく。多分当方としても次回のViola Lessonで指摘されることであろう。研鑽しなければ! 1楽章8分の12、4つ振りで3/8(♩+♪)が=43のspeedくらい。ここに3連符9個を刻んでいく。常に管楽器が入れ替わりsoloを吹くが、騒(ざわ)めきのような小気味いリズムである。ホルンが出るところから12個の刻みとなってさらに小刻みに呟(つぶや)いていくところなどぞくぞくする箇所である。 3楽章のViolaの刻み、con grazia(優雅に)と書いてある。Violin属も刻んでいて同じであるが、Violaだけがわずかにメロディーとなっているのだ。全章8000個の音符も随所に管などとハモる部分もあり以外に曲がうまく構成されていることに気付く。Violinのほうは高音部部分も少なく弾きやすそうに見える。徒然の記その2 オルフ室内合奏団 サマーコンサート2019 2019.6.24(月)■カール・オルフのカルミナ・ブラーナの演奏を契機として1997年に創立された合奏団である。毎年6月か7月の夏場に開催される無料のサマーコンサートが、聖蹟桜ヶ丘駅前のVita(ヴィーター)ホールで開催された。商業館であるVitaのビルの案内には7階までしかなく、いつも焦ってしまうのだ。エレベーターホールに行って初めて8FにVitaホールの案内が出る。管理組織が違っているのであろう。 今回のプログラムは合奏の前半が映画・ミュージカル音楽特集で、後半が弦楽四重奏曲で、その間にカルテットなどを挟むという室内合奏団ならではのスピリットのあるプログラムできっちり2時間。なかなかの演奏であった。曲目:【合奏】・ショースタコーヴィッチ:ワルツ第2番 、・ガーシュウィン:『ポーギーとベス』より「サマータイム」 ・レハール:メリーウィドゥ ワルツ ・ロジャース:シャル・ウイ・ダンス?(ミュージカル「王様と私」から) ・モリコーネ:ガブリエルのオーボエ ・ロウ:踊り明かそう ・【室内楽】:ロッシーニ:弦楽のためのソナタ第3番 ハ長調休憩【室内楽】:ハイドン:弦楽四重奏曲 ト短調 作品74-3「騎士」より第4楽章、 ・ドビュッシー:弦楽四重奏曲 ト長調 作品10より第1楽章【合奏】ボロディン:弦楽四重奏曲第2番ニ長調(合奏版)スケッチは下記のような次第である。今回は男性が少なかった。僕の隣一つ離れた席に座った太っちょ。首を胸に埋め込むほどの大男である。ガラ携で幾枚か写真を撮ったりとすこし迷惑振りを発揮し始めた。途中から鼾をかいて寝ていた。休憩時間に「すみません。鼾、うるさいのですが。後ろの席空いていますヨ。」と言ってみた。恐縮したような顔つきとなったが、はて?というような曖昧な顔つきになり、黙ってしまった。そのまま座り続け後半でも鼾をかき始めた。困った客である。徒然の記その3 あぁ聖火ランナー応募は難しい! 2019.6.24(月)■コカコーラの応募はポイントを貯められる自販機を探さねばならずお手上げであったので、次なるはどこか? と思いきや自薦他薦で応募ができるNTTが次なるターゲットに。messengerで仲間からも他薦が届いた。これには自薦も必要で、さっそく応募に取り掛かかったが。 しかし、何回やっても「ご入力内容に不備がございます」が消えず、「入力確認」ができないまま5日が過ぎた。最初の日は14:30から20:25までおよそ6時間頑張ってみたがどこにミスがあるのかを教えてくれないのだ。 郵便番号から一般的には自動的に住所が出てきてもよさそうなものだが、一回目には出てこず、再入力のときに限り「住所自動入力」ボタンが表示されるが、せっかく入れた県名が消えている。さらに緊急時の連絡先、障害の有無、単独走行の可否、介助者の有無など質問事項満載なのでエラーしやすい画面である。勤務先が無い場合は「なし」とinputしなければならない。どうもこれを見落としたためか、一回失敗すると二度と回復しないようで、その後何回入力し直してもダメであった。すこしその儘にしておいたら、時間が経過し過ぎているので1からやり直せと。それを一時保存ができたとしても、以前の"入力ミス"を執拗に覚えているようで何回やっても修正されないのだ。 4日後に再度見てみたら画面が少し改善されている。要するに緊急時の家族の「同意」の欄が追加され、勤務先が無い場合には郵便番号は自宅の郵便番号で良いとなった。おそらくクレームが殺到したのだろう。 たかだか200mしか走らないので何が"緊急時"かと。駆け付けている間に「妻」の方が危なくなったらどうするのか? 続いて、トヨタに申し込んでみた。こちらは入力事項も少なく、あっさりと申し込み完了。わずか10分で成功だ。企業によってどうしてこれだけの差が出るのであろうか。4日間対10分! 1440対1。我々は簡便なほうに軍配を挙げる。 7月1日からは各都道府県からの募集にも応募できる。まぁどこかで一つ当たればよい。当たらなければ、7,8月は静かに過ごしたいので海外逃亡としたいものだ。徒然の記その4 Viola Lesson 2019.6.25(火)■当然、シベリウス:交響曲第5番Jean Sibelius:Symphonie Nr.5の練習である。僕に取っては超難曲である。 国分寺の坂を下りながら今日の練習模様を想定する。あの箇所、この箇所と。だいたい怒られるところが想定できるのだ。だとすればもっと家で研鑽を積んでから出かけるべきではないかと。「研究」をしていた分、Violaを触る時間が少なくなっているが、想定箇所を集中的に御復習(おさら)いしての訪問となった。 3連符27個が28小節も続くところでは、頭できっちり3つをカウントしながら弓を指と同期しながら拍の頭に合わせ乍ら、すべてを弾き切る。合計756個の音符である。これは相当に難しい。9個づつ、up downのボーイングが変わる。「品よく」と檄が飛ぶ。下ばかり見て俯(うつむ)きながら千鳥足で進んでいるイメージだと”がり股”で歩いて再現してくれる。傑作なのが、だいたいそれに似た弾き方をしているようで笑ってしまう。 例え話が旨いのだ。いつも感心してしまう。品よくとは、フレーズを捉え、波や風のごとく爽やかに胸を張ってpoco flautato(ポコ フルータート:少し フルートのよう)に弾かなければならない。誠に品性が求められる箇所である。しかも途中でpoco cresc.し、meno f(メノ フォルテ fより弱め)まで音量は次第に上がっていくが、常に弓幅2cmくらいで。 シンコペというトラウマのような箇所に来ると、先生が笑う。苦手意識があることが分かっているからである。まず口で歌えと。これは想定問題集で家でやってきている。スラーを外して、因数分解していくのだ。ゆっくり歌えるようになれば、スラーを付けてと。 音符記号が旨いのが無いので ξを四分休符、γを8分休符、♬(1/2)を16分音符とし、、"ー"をスラー、( )を記号の塊、/を小節線とすると、/ξ+γ (♩+♪)-(♪ ♬(1/2)-♪ ♬(1/2))-(♪ ♬(1/2)-♪ ♬(1/2))/-(♪ ♬(1/2)-♪ ♬(1/2))- という連続パターンのあと、-♩ ♪-♩ ♪-♩ ♪-♩ とすこし間延びしながら♩+♪ ♩+♪ ♩+♪と3連符に落ち着いてくる所はp(ピアノ)の音量まで落ちてくる。 続いて、/ξ+γ (♩+♪)-♩ ♪-♪ ♩/-♩-♪ー♪ ♩-♩-♪ー♪ ・・の変化球があったあと、 さらに-/♩- ♪-((♪+♬(1/2)) ♬(1/2)-♪)-((♪+♬(1/2)) ♬(1/2)-♪) ((♪+♬(1/2)) ♬(1/2)-♪)/・・・ そのあとまた無限に3連符27個の小節が続くという次第であるが、まぁだいたいクリアした。さて6ページのlargamente e patetico(ラルガメンテ エ パテーティコ:よりゆったりと遅く そして感傷的に)のメロディーはVn1,2,Va,Vcの4つのパートが同じ音形で奏でる美しい所である。これが14小節くらい続く。美しい箇所なので時間までこれを習(さら)う。 あぁページにして1/4しか進んでいない。日曜日に全楽章を正指揮者で行うため、あとは練習あるのみ! 神様 時間を、時間をください。徒然の記その5 二子玉同期会 2019.6.25(火)■前回の二子玉会は2018.11.15(木)であったので半年以上の開きがある。主宰する男性の大腿骨大手術の影響であるが、今は医者に内緒でソフトボールなども始めているようでさすがアスリートである恢復が速い。前回の記録を見ると16名と最多の集合であったが、今回は10名と平均値。年2回ほど行っているこのグループの幾人かは、麻雀、ゴルフ、METライブ、府中のコンサートなどと色んな形で離散集合している。主宰者も音楽の会場で恋人を前に寝てしまったという失態から長くトラウマとなっていたらしいが、いよいよクラシックに!と思いきや中島みゆきの名前を挙げている。我々と合(ごう)するにはまだ時間がかかりそうである。 前回同様の17:00集合で、行きつけの海鮮料理の店・青柚子(Aoyuzu)店へ。ここは二子玉を出て、多摩川方向にある信号を渡り、246号の高架橋が風景の一旦となる細々とした飲み屋街の一角にある。ジグザグを数回曲がっていけば行きつくが、素人には難しい。 一人1分で近況を話し始めた。前回何を話したのか?と囁(ささや)いた人がいたので、サッとタブレットを取り出しメモ帳を開ける。各自の一言がbrieflyに書かれている。これは自分ながらなかなか面白い。それを伝えてあげると、それ以降のことを喋り始めた。 75歳で、免許更新のための認知症テストを受けたという人は「100点」であったと言う。16個の絵を覚えた直後に、数字塗りつぶしの問題があってかく乱作戦に合うのだと。そこで前の問題にあった「絵」を思い出して全部挙げなければならにのだという。答えられなくてもhintがあって解答に導いてくれるという。こんな"優しい"認知症テストでいいのかいなと少し不安になる。今日の日付、曜日などと聞き、「時刻」から時計の針の絵に描かせるという。サイトにも予想問題などが出ているという。あぁ嘆かわしい。ガンガン落として、少しでも怪しい人は、運転を諦めさせるべきであるのに。これでは「救いの手」に重点が置かれている。国民は挙(こぞ)って反旗を翻さなくてはならない。 心臓バイパスや動脈瘤の手術をした男性は、坂道も苦も無く登れるようになり、高台にある自宅へ辿り着くことができているらしい、暇なのでデイトレーダーとして大画面をずらっと並べ朝九時のご開帳で一喜一憂。これは健康に悪いのではないかと考えたりするが、億万長者ともなれば我々に還元があるだろうかと。暗号資産("仮想通過"の方が通りがいい)にも手を出して無一文? 大丈夫か!と。元気な75歳である。 スペインで墨刻(ぼっこく)のパフォーマンスをしてきた女性からは写真での紹介があった。無学の我々は次々と質問攻めしたり、「無限」という文字の解釈を聞いたりと。 それぞれ興味ある話をしてくれた。当初予定の12人分の料理を10人でつっついたので、満腹気味。さらに別腹に余裕のある人は二子玉駅構内のCaféへ。徒然の記その6 Violin-Viola Duo 2019.6.26(水)■Duoという発音が難しい。「ジュオに行ってきます!」と言うと、毎回カミさんが「Duo」でしょう。「Djú(:)ou」と発音を直すのだ。何を言いたいのか分かるのに、訂正する必要ななかろうと思うのだが。発音にはうるさいのである。 空き部屋のマンションから丹沢山系の全貌が見える。ただ黍殻山(きびがらやま)の頂が邪魔をして富士山の山頂が隠れている。"ダイヤモンド富士 point of view" からは、近すぎて無理がある残念な物件でもある。 久々のDuo。今日はしっとりとした曲の選曲である。野田市で虐待でなくなった小4や、令和早々に起きた琵琶湖畔での幼児の交通事故など痛ましい事件を悼む気持ちで選曲された3曲。1.モーツァルト:魔笛「恋の痛みを知る人は (Bei Mannern welche Liebe fühlen)」・・パパゲーノPapageno(Viola)とパミーナPamina(Violin)が歌う恋の2重唱2.メンデルスゾーン:「私たちに平安を与えてください、恵み深く (Verleih uns Frieden gnädiglich(Da Nobis Pacem)」・・原曲はオケ伴奏付きの混声四部合唱曲。聞かせどころを繋いでチェロ2部、Viola、Viloin2部の弦楽合奏版を作成してくれている。オケのメンバーと室内楽で楽しんでみたい。今日はそれをさらにViolinとViolaのDuoに仕上げてくれたものを演奏する3.メンデルスゾーン:ヴァイオィン協奏曲 2楽章-アンダンテ 魔笛の二重唱は、パミナーが「恋を感じる男の人、みんな心優しい」、パパゲーノ(鳥刺し)が「甘い恋のときめき分かつは女の務め」、重唱「私たち恋の喜び探して、恋に生きましょう」・・・この部分のフレーズは「こいいいいにぃ いいきいまぁしょ」と16分音符の連なりが見事である。ViolaでもViolinでもそれを醸し出すように弾かねばならない。16分音符の"音価分"を明示的に鳴らすようにする。モーツァルトの心意気が伝わるようで楽しい。この2人が朗々と語り合う姿が思い出されて懐かしい。パミナーが最後の方で歌う「気高い恋ーーーー。求めて」の「ーーー」はコロラトーレの部分でViolinが麗しく奏でるのだ。素晴らしい。「私たちに平安・・」は、62小節の短い曲ながら、シンコペが随所に折り込まれAndante(♩=60)でも複雑な音形で難物。四分音符♩が"間延び"、八分音符♪が"速い"との指摘で4小節目で早くも合わない。どうもスラーの音形が弾きやすくなっていることと八分音符♪で"走る"ようである。ここは各自正確なメトロノームで練習して来ようと約束。タブレットのメトロノームが全く音が出なくなってしまって焦る。翌日チェックしてみたら、メトロノームの音色のボタンを間違って押したらしく、何回か押すとミュートになってしまっていることに気付かず失敗をした。 さて、メンデスゾーンは名曲中の名曲である。Violinを弾いていた時はこの2楽章Andanteが好きで高音部に悩まされたり32分音符のトレモロの重音に苦戦したりとした曲でもあり懐かしい。今回はDuo版でViolaもトレモロを助ける。 J.ブラームス:Violinソナタ全曲を聴いたみなとみらいホール(2019.2.19)でのアリーナ・イブラギモヴァ(Alina Ibragimova 1985-)がやはりのこのヴァイオィン協奏曲を弾いているのがYouTubeにあった。全弓を使いながら一点の淀みもない。弓元は大変な荷重がかかる筈なのにいとも滑かな音を紡ぎだす。マジックのような弓使いである。日頃、弓を「使いすぎている」とViolaの先生から叱咤を浴びているが100%全弓というこの弾き方も大いに参考になる映像である、アリーナ・イブラギモヴァのYouTube (5年前):https://www.youtube.com/watch?v=b0EhBqVihEU&list=RDb0EhBqVihEU&start_radio=1#t=1124徒然の記その7 朝餉を落語に! 2019.6.28(金)■朝餉で傑作なのが、ソーセージのフライパン返しである。シェフのように、トントンとソーセージを小気味よく斜め切りにして10個くらいにしたのを、油を垂らしたフライパンで揚げる瞬間。油を溢すことなく、ソーセージを50cmくらい舞い上げて裏返すのである。中にはフライパンにへばり付いたソーセージは巌(がん)としてくっ付いたままのもある。フライパンを小刻みに震わせるのだ。イヤイヤを言ってへばり付いていたソーセージが観念する。左手がフライパンをしゃくり上げる。面白いようにソーセージが宙に舞う。右手は関係がないのにフライパンと一緒に動いている。あまり大きく跳ね上げると、フライパンに戻らず溢(こぼ)してしまうので気を付けなればならない。ソーセージがちょうど#(いげた)になった空隙に割入れるのだ。鉄のフライパンは平らではないのでちょうど卵が収まる。 そこに卵を2つ割り入れる。割入れるのに1個8secかかるが、最後の時刻を電波時計で記憶する。秒針に90secを足し、そこで火を止め、水を少し足して蓋をし蒸し焼きする。 さて、これらを食パンに載せるときがやってきた。トースター(余熱2分、焼き上げ3分)で綺麗に焼き上げた食パンを取り出し1枚はカミさんの皿の上に。目玉焼きは片割れをカミさんの皿に、一方を小生のパンの上に載せるのだ。 小生のは台所で盛り付けをしてしまう。ハムを置き、"ソーセージ付き目玉焼き"を載せ、チンをして柔らかくなったキャベツの刻んだものにマヨネーズを付けて掻きまぜたもの などをてんこ盛りに塗(まぶ)す。 これがstart pointである。これを落語なんかで表現できないものかと。ほとんどセリフはいらない。 相方は"上品"にキャベツを食べ、"楚々として"パンを割いて口に頬ばる。決して口を大きく開けることはない。一方小生は口をあんぐり大きく開けて食するのである。あまりの具材に噛み下せない場合は、ミルクコーヒで流し込む。それを数回試しているうちに、相方はパンをあっさりと食べ終わる。いつもなぜか敗戦である。可笑しくなってくる。 パンの形状と食べる物真似だけで物語は進む。一方は終始涼しい顔。他方は汗だくの大口、モグモグである。これを4,5回繰り返す。2人のコントラストを旨く表現する必要がある。一方は香淳皇后似であくまで品よく、冷静に。落語「そば清」で出てくる大蛇(うわばみ)のように苦も無く喉に入っていくのである。他方はあくまで下品に、大口を開け、顔についたご飯をティッシュで拭きながら。涙を流し、ボロボロとパン屑を床に落とし、テーブルに落ちたキャベツを手で掻き集めながら。カミさん・・(涼しい顔でヨーグルトに手をのばす。こちらは扇子で顔を扇ぎながら汗を吹きふき青息吐息である。)カミさん・・(食を終わり、両手を付き、こちらを伺う。) 「あらまぁ。貴方! まだ食べていたの? ホホホ。 涙まで流して!」僕・・「これは明後日(あさって)の分だい!」と強がり、「明後日は勝つと思いえば、笑みがこみ上げてこらあなぁ。」と泣く。徒然の記その8 劇工舎(げきこうしゃ)プリズム 第72回公演「門」 2019.6.27(木)■知人のお嬢さんが舞台監督をしているというので初日の演目を観に、東大駒場キャンパス内の「駒場小空間」に駆け付けた。 昨年、歩き塾の駒場コースとして、キャンパス内のLever son verre Komaba(ルヴェ・ソン・ヴェール駒場)のレストランを訪れていたので、約1年ぶりのキャンパスである。銀杏並木の一角にある一号館には時計台がある建物で古い。裏手には旧制1高の「護国旗」の紋章があった。 時間が早かったので学食で夕食。図書館や生協の購買部がある一角には何千人と学生が屯(たむろ)している。18:30開場のため食堂でしばらく読書をして時間を調整。圧倒的な学生の数である。popを踊る男女がずらっとガラス面に並んで自分を映し込んでいた。すべて「東大生?」と思っていたら子供や老人、犬を散歩させる女性など種々雑多な人が行き交っている。クラブなどでは他大学とコラボしている例などもありそのなかに少し東大生が混ざっているのかと思うほど学生が多いのだ。50年前には、この場所にあった「駒場寮」に寄宿している。大学受験で高校の先輩を頼って潜り込んだものだ。大部屋の空いたベッドは、洗濯ものが所狭しと干されており見通しが利かなかったのだ。あんな生活は今はない。 無料公演であるが、団員たちに差し入れとして自家製食パン一斤を焼いて持っていった。ナイフが無ければ千切ってでも食べればよい。終演後の空き腹には良いだろう。何も付けなくても美味しい食パンである。■演目「門」・・作・演出は兵隊「カジカワ」役の岩下拓海(たくみ)さん。1回観たくらいではわからないほど話は大変複雑である。壮大なドラマでもある。 創立40年もなるこの「劇工舎プリズム」。お茶の水女子大学と合同で営まれスタッフは95名というからちょっとした大学オケの規模である。クラシックならかなり前からプログラムの準備に取り掛かかれるし、曲の内容はスコアやnet,CDで聞けるしと。この演劇の場合は。3ヶ月前の脚本の完成で1ヶ月前からの練習というからほぼ突貫作業である。まぁ徹夜が続いたことだろうが、そこは皆はち切れるほどの若さでクリア出来ているのだろう。そんな若いエネルギーを貰った100分であった。 twitterでも(#プリズム 72)として情報を発信している。みごとな龍のアートが動画で描かれびっくり。客席は東西に45席x2.中央にせり出した舞台。中央に奈落からのセリがある。驚きの演出多数。■最後はカンパなどをしながら、キャストや舞台関係者全員が居並び花道のようになった中を退出する。ユミコ役の丸い可愛い女性と握手。 駅近くの赤ちょうちんに直行し、歓談。劇で大活躍のキャスト「ハイボール」と「焼き鳥」。それがメニューにあった。こんな所で脚本を書いたのに間違いはない。”劇的な”夕時であった。偶(たま)にはこんなライブもなかなか良いものである。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jun 29, 2019
コメント(0)
野川、シベリウス 交響曲第5番_ story (4399)2019.6.22We have taken a walk the Nogawa river from JR Kokubunji Station to Shibazaki Station just under the Kokubunji-cliff-line through the Musashi-Kokubunji park about 13km.There are stairs to tha riverbank,that river is so safety and nature that Kindergarten children were playing in the river.Even rainy season,it was fine day, we took the lunch in the woods for the break.自然が残る野川を武蔵国分寺公園を経由して皆と散策してきた。源流近くから国分寺崖線にそって13kmばかりを柴崎まで。梅雨の晴れ間であったため雨にも降られず、森の中で昼食したりと一時を楽しんだ。■今週の1枚 1000rice fields of Iseji (熊野古道・伊勢路/本宮路 丸山千枚田の風景)小さいものは数平米しかない段々の田圃。ものすごい段数である。最盛期には2400枚くらいあったという千枚田。今は1400枚。でも日本一! 手入れが大変である。田植え直後の里山の風景である。目次徒然の記その1 孫達(小5-小2) 来る 徒然の記その2 オケ練習・・あぁ難曲!徒然の記その3 シベリウス 交響曲第5番研究 徒然の記その4 イージス・アショア徒然の記その5 国分寺崖線(がいせん)、武蔵野台地の崖線(ハケ:方言)を行く徒然の記その6 パイプオルガンを聴きに10km-run徒然の記その7 第101回山谷ミニコンサート徒然の記その8 東京オリムピック狂騒曲徒然の記その1 孫達(小5-小2) 来る 2019.6.15-16(土・日)■孫たち来る・・「孫台風来襲」、「孫台風去る」などという言葉は本人が何歳ぐらいまでの期間を言うのであろうか。言い得て妙な便利な言葉である。その内容は大体、孫に振り回され、傍若無人なこだわりのない振る舞いも孫ならではすべて可愛く、笑いの種で疲れもしらず騒ぎまわるその姿に目を細め、上げ膳据え膳で接待をし、疲れ果て、早く帰ってくれと祈るばかりの精神状態を言っており、すべてを包含して語られる便利な言葉である。 微笑ましい言葉でも実態がわからないのでむやみには使えない。台風が来襲しそうにない老夫婦がいるとすれば、彼らに寂しい気持ちを抱かせないかとやっかむ。しかも自慢げに聞こえるのだ。その事実を最優先に出来てしまいすべてを一言のもとに断れる言葉でもある。「孫が遊びに来ます」でよいのではないかと。 今回来たのは小5と小2の2人だが、小2の方の8歳の誕生パーティーの帰りに家に連れ帰ったという次第である。近所でよく叱り叱られる親子の喧騒が聞かれるが、たまたまそれを見聞きした2人は、我が家のはこんなものじゃないとその激しさに軍配を上げる。父親の場合は、母親を含めて3人が震えあがるくらい厳しいものであるというのだ。誰かをいじめたりしたときなど不条理を働いたときに雷が落ちるという。こんなスパルタ教育から逃れるべく理由を付けては当家に避難してくるのではないかと思うぐらいである。 ただ、この2人。非常に明るく笑い上戸である。「今どきの子供」は皆こんな風なのであろうか。何の悩みもなく屈託がない。しかも羞恥心ゼロで素っ裸で駆けまわる。そろそろ成長してきてもらわねばと焦ってしまうのだ。 上の方は「神」がかりな少年となって我が家に現れた。小粒ながら運動神経は抜群らしい。鉄棒や縄跳びの超難度を披露する。「ピアノを弾けるF1ドライバー」というのが今のところの目標である。聴音ができるので、聞いた音楽をピアノで再現してくれる。鈴鹿のF1レースのファンファーレやJALの搭乗音楽(JAL Bording Music)「I will be there with you・・・」を小気味よく弾いてくれる。父親が70.3マイルのアイアンマン・レースに参加すれば、こちらもKidsトライアスロンに挑戦するという。 願わくんば、もう少し身長が欲しいと願っているがこればかりは当分叶えられそうにない。あまり食べないからである。学校では目立たない少年が、ピアノを弾くチャンスなんかあると、女子をあっと言わせる瞬間である。本人は韜晦(とうかい)し出しゃばることがない。 朝の食事時、5時半には準備のために起きだしても「一人残される」という雰囲気を察して2人とも眠い目を擦りながら付いてくるのだ。そこで子供たちと3人で早めの食事。小生の言動・所作をすべて真似をしオウム返しするには参った。 うんちやおしっこなどと汚い言葉を使ったら町を一周させるという厳命つきで、尻取りゲームなどをし、腹を抱えて笑う。■愚息の落書き家の廊下の板壁は茶色だから出来たのであろう。廊下の壁に30年間もそのままにしてある鉛筆の落書きが孫の目が止まった。愚息が小学生のときに母親に怒られたりしたときに腹いせで書いた文章はなぜか消されずに残っている。 孫たちにしてみればそれが「不思議」であるらしい。もし実家で白い壁に書きようものなら烈火の如く怒られるため絶対に出来ないようなことが、父親の少年時代には「出来た」という羨ましさも加わってむしろ楽しんでいる。 「○○は、ちほうしょうの しょうじょうがあるので近づかないでください。けいしちょう。」「○○は のうみそをもっていな宇宙人で、いわゆるエイリアンです。」「○○はげんごしょうがいじで、なんちょうで、しつめいです」・・・○○は家族のフルネームである。差別用語満載で発禁ものであるが、知りえた言葉を一生懸命綴ったという感じで、たどたどしいが笑えてくる。 よく残ったものだ。この母親が「貴方が書いたものヨ」と言うために消さずに残したのであろうか。度量がなかなか大きい! ただ消すのが邪魔くさかっただけではないかと。ほとんど家を留守にしていた小生にとっても貴重な記念碑である。徒然の記その2 オケ練習・・あぁ難曲! 2019.6.16(日)■秋の定演は下記3曲であるが、上2曲について早々と正式指揮者が登場しタクトを振った。・ジュゼッペ・ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲:Giuseppe Verdi:Sinfonia-I Vespri Siciliani・レスピーギ:交響詩『ローマの噴水』 Ottorino Respighi:Poema Sinfonico Fontane di Roma・シベリウス:交響曲第5番 Jean Sibelius:Symphonie Nr.5■「シチリア島の夕べ・・」のPrestissimo(プレスティシーモ:できるだけ速く)の最後100小節が超難度ときた!交響詩『ローマの噴水』(1916年)は『ローマの松』(1924年)、『ローマの祭り』(1928年)と共に「ローマ三部作」と呼ばれもので、2007年の第55回と2017年の第75回に『ローマの松』を経験している。『ローマの噴水』ははじめて。 第1部 夜明けのジュリアの谷の噴水 La fontana di Valle Giulia all'alba (夜明けの:all'alba) 第2部 朝のトリトンの噴水 La fontana del Tritone alla mattina (朝の:alla mattina) 第3部 真昼のトレヴィの泉 La fontana di Trevi al meriggio (真昼の:al meriggio) 第4部 黄昏のメディチ荘の噴水 La fontana di Villa Medici al tramonto (黄昏の:al tramontom)の4部からなるもので、1日の時間軸を4つに分け「各地の噴水」の光景が捉えられ、付近の情景や人の動きが音楽となって実にリアルであり、垢ぬけたイタリア風である。しかし、しかしだ。 朝から真昼にかかる楽章の98小節間に、♯や♭の臨時記号が171個もある壮絶な難曲である。ドイツ物が得意なこのオケ、弾けるようなイタリアの”のり”に乗っていけるかが勝負となろう。もっと愉快にならなければ。このためにはよりエネルギッシュでもなければならない。徒然の記その3 シベリウス 交響曲第5番研究 2019.6.18(火)■満を持してのシベリウスである。こんな曲に挑戦できるようになったかとわがオケに感嘆。3連音符などが無限に続くためお玉杓子の多い曲である。少し数えてみた。1楽章5041個、2楽章1061個、3楽章2047個 計8149の音符を弾かなければならない。高々31分の曲にこれだけ多くの音符が並んでいるということは・・1secあたり、平均して4.4個の音符ということになり驚愕する。 さらに難解なのは、Violaである。ほとんどメロディーラインが無く、下支えの伴奏として音符が連綿と続く箇所が随所にある。一旦落ちてしまうとどこを弾いているのかさっぱり分からなくなるという箇所が数ページに及んでいる。すこしアンチョコのようにメロディーを奏でる他の楽器群の動きを楽譜に追記する作業をし始めた。スコアを見ながら、音楽を聴きながらと。 まさに「研究」の領域である。フインランド独立という歴史が背景にあるこの交響曲は幾度か改訂されていてその経緯など、いかに素晴らしい曲であるかを物語るTV番組がYouTubeに残されていた。こちらも非常に参考になる。徒然の記その4 イージス・アショア 2019.6.17(月)■秋田市の陸上自衛隊・新屋(あらや)演習場がもめている。配備適地条件(1平方kmの平地、高い山がないこと(他の候補地は計算ミスで不合格とされた。)、住宅地から700m、インフラの充足、津波からの耐性・・)などの条件で問題があったからであるが、政府は山口県萩市むつみ演習場を含めてこの2カ所を動かす予定はない。 最初からこの2点ありきで、話が進められたからである。地元もメディアもそういうことなのか と知っておきながら反論の遡上には挙げない所が茶番劇のように映るのだ。うまい落としどころを狙っているようで痛々しい。 「そういうことなのか」とは、日本を守るためではなく、ひょっとして、北朝鮮北西部のミサイル基地・東倉里(トンチャンリ)とハワイ、北朝鮮東部とガム島を結んだ線上に、新屋(あらや)演習場と、むつみ演習場があり、米国のためのイージス・アショアであるかもしれないという点である。 口がさけても言えないのは、よしんばそうであっても、日本を守るという大義名分には反していないからである。仮想敵国である北朝鮮には無数のミサイル基地があるため、一点のみをミサイル発射基地と見做すことができないまでも、日本の上空をかすめる砲弾には、この2カ所からが最適としているのであろう。 Google Earthを使って作図してみた。アメリカは我々をうまく使い、コントロールしているかも。もっと猜疑心を持って臨まなければならないのではないか。徒然の記その5 国分寺崖線(がいせん)、武蔵野台地の崖線(ハケ:方言)を行く 2019.6.19(水)■多摩川が10万年に亘って削り込んだ河岸段丘が国分寺崖線(がいせん)で、その崖にそって流れる川が野川である。その野川にそって13kmくらい歩いてきた。周囲には史蹟が多い。 国分寺市の日立中央研究所の敷地内にある大池を源流とする「野川」は、都立武蔵国分寺公園に隣接する真姿(ますがた)湧水群からの水流と合流し、幾つもの湧き水を集め、周囲の緑地とも馴染んで自然味豊かな川と成長していく。幼児たちの歓声があがる低地にはしっかりしとした土道も付き、左右の岸辺から階段で降りられるような作りで実にやさしいイメージ。川床や護岸をコンクリートで固めた都市型の河川が多い中で、土道が残り、葦が生えたりして緩い流れがあり、ホタルが飛び交う環境が維持されている一級河川(*)である。 野川公園には、自然観察園や大芝生、アスレチックコースなども整備され広々とした空間が気持ち良い。■ハケ・・武蔵野台地に見られる高さ数メートル程の崖は、「ママ」あるいは「ハケ」と呼ばれている。これらはどちらも「崖」の古語で、現在も崖地形、あるいは丘陵・山地の片岸を指す地形名として残っている。■お鷹の道・・・国分寺は徳川御三家尾張藩の鷹狩の狩り場となった。武蔵野台地のハケに沿って流れる清流に小道が整備され、これを「お鷹の道」と呼ぶようになったという。この辺りの道は市道でもすべて「お鷹の道」とよばれ、紛らわしがどちらも間違いではない。■真姿(ますがた)の池湧水群に纏わる伝説・・・847年(承和14年)、当時絶世の美女と謡われた玉造小町は、業病(ごうびょう)とされた皮膚の病に冒され、その容色を失い、治療の効なく変わり果てた己が姿に、「御仏の慈悲にすがっても」と意を決し、小町は当地の国分寺を訪れ、薬師如来にぬかづいて一心に祈り続けたところ、三×七=二十一日目に一人の童子が忽然と現われ、小町をとある池の畔に誘い、「この池水にて身を洗うべし」そういいおいて童子は姿を消してしまうが、藁にもすがる想いで小町がいわれたとおりにしたところ、七日にして、元の美しい姿を取り戻した。■一級河川(*)と二級河川の違い・・一級河川は、私たちの暮らしを守り、産業を発展させるうえで特に重要なかかわりをもっている水系(一級水系)のなかの河川のうち、国が管理している河川。調布市発祥の仙川も一級河川で国が管理している。二級河川は、一級水系以外の比較的流域面積が小さい水系(二級水系)の河川のうち、都道府県が管理している河川。■近藤勇の生家・・野川公園の正面入り口近くの人見街道に面した場所。7000平米もあった広大な敷地であったが、家屋は調布飛行場からの飛行機の発着の妨げになるとして取り壊されいる。今は産湯に使った井戸が残されているだけである。胸像や石碑が近くの龍源寺にある。■大沢の里水車経営農家・・1808年ごろの古民家が残され、水車が回る。左岸では、6月上旬に田植え体験が できる。■出山横穴墓(おうけつぼ)群・・7世紀ごろ築造された横穴墓が公開されている。徒然の記その6 パイプオルガンを聴きに10km-run 2019.6.20(木)■J. F. Oberlin University(桜美林大学)は町田市常盤にあり、「境川」左岸の傾斜地に群を成して建物が建つ。その最上部に荊冠堂(けいかんどう)チャペルがある。カミさんがそこでパイプオルガンを市民講座として習い始めた。その先生が、15:00から始まる「アフタヌーン・ミニコンサート」でオルガンを弾くという。午前中のレッスンが終わったあと開演の15時までは学内に留まってお喋りでもするのあろう。こちとらはそこを最終目的地として家からの距離を10kmとはじいてrunningで迫ることにした。 はじめての経路をいくつか通るものの大体の方角は分かっているのでともかく家を飛び出した。一部返還された相模原の米軍総合補給廠跡地に新しい道路が敷設され驚いたりしながら大学に到着した。丘の上には、チャペルの他に図書館など閑静な建物が数棟あって中央に広場を形成している。その一つの洗面所を借りてすっかり着かえた。14:30とまだ早かったがチャペルに押し入ってみた。誰もまだ来ていなかったが空いた席に座ろうかと思っていると、ドアが開いてカミさんが入ってきた。職員のように慇懃に迎え入れてあげるも、他人行儀で分かれて座る。次第に人が増えてきた、職員がミニコンサートのプログラムを配りだした。 400人は座れ、授業でも使う教会には、30人ほどがパラパラと席に着く。上期に1回と下期に1回と数が少ないので広報が難しいのだろう。市民講座の参加者も数人居残って列席していたらしい。曲の解説とオルガンという形で40分くらい演奏された。 演奏・お話・・横山 正子・・オルガン教授である。 曲目:J.S.バッハ:《オルガン小曲集》より「われらの悩みの極みにて BWV641」「ただ愛する神のみ BWN642」「おお、人よ、汝の罪の大いなるを嘆け BWV622」・・讃美歌をオルガンに編曲したものである。最後はマタイ受難曲の中間部にも採用された傑作。 C.フランク(1822-1890):コラール第3番 イ短調コラール第3番 イ短調 : C.フランク Chorale No. 3 in A Minor ・・1890年の作で、バッハの再来といわれた有名な3曲のコラールの最後の作品。1872年にはパリ音楽院のオルガン科教授。■荊冠堂(けいかんどう)チャペルのオルガンは小粒ながら音が良いと評判である。3段鍵盤と33ストップを有するスイス・フェルスベルグ社製。オルガンケースは楓が使われ、チャペル内の聖壇や椅子と調和している。このオルガンは18世紀にドイツで活躍したオルガン建造家ゴットフリート・シルバーマンの理念に着想を得て建造された。第1・第2鍵盤と足鍵盤はゴットフリート・シルバーマンのパイプ設計を踏襲したドイツ・バロックスタイルを基本コンセプトにし、第3鍵盤のパイプ陣はフランス・ロマン派の音色を持つ。ドイツとフランスの響きを融合させた明るく艶のある響きはチャペルで開催される様々なキリスト教活動を支えている。横浜地区や町田地区では有数の響きをもつオルガンとして遠方から足を運ぶファンも多い。■Alfa Romeo・・カミさんとお喋りをしていたご婦人。同じクラスの方であるらしい。話をしながら駐車場に向かって坂道を下りていく。そこを30mほどの距離を保ちながら黒子のように付いていく。駐車場で「あらご主人がいたのね。失礼しました」と言いながらその女性はさっそうとアルファ・ロメオのBrunoクーペに乗り込んだ。ジュリア2.9 ターボ Q4 ヴェローチェ 4WD(Giulia 2.9 V6 BI-turbo Quadrifoglio)よりも車高は低く乗りやすそうだ。その車を駆動して去って行った。しかし信号待ちをしている間に我々の"景色に馴染む国民車プリウス"も追いついたが、さっと南大沢の方向に舵を切って離れていった。 聞くとこの女性、テニスと登山が趣味であるというアスリートであった。南大沢のマンションに住むも、ピアノの音が住居に漏れるということで協議を申し込まれ、その結果厳しく音出しを制限されてしまったという。神経質な住人がいたものである。それ以来ピアノを弾くのを止めていたという。本当はピアノの先生を目指していたのに。大学の副科で学んだことのあるオルガンにまた挑戦しているという。今足鍵盤のある電子オルガンを物色中という。 ヨハネスJohannusのOpus250や、バイカウントViscountのCantorum VI Plusの家庭用のクラシック・オルガンであれば、イヤホーンで弾けるので良いかもしれないという。八王子やみなとみらいに展示場があるらしい。 車中でカミさんが「私もパイプオルガンが欲しい。買って頂戴!」 とあっさり言う。数段も階級の違う人と交わるということは、末恐ろしいことであると痛感。徒然の記その7 第101回山谷ミニコンサート 2019.6.12(金)■台東区日本堤にある「神の愛の宣教者教会」の集会所でやや少なめのおじさんたちを集めて開催された。 チェロとViola演奏に続いて合唱タイム。(数字は詩の掲載や映画の公開年。)「てるてる坊主 1921、あめふり 1925、わたしをお使い下さい(*)、悲しき雨音 1962、夢は夜開く 1966、長崎は今日も雨だった 1969、遣らずの雨 1983、すずめの涙 1987、風に立つ 1999、365歩のマーチ 」(太字の部分がViolaによる伴奏)ブラザーのお一人が2日後にカンボジアに赴任するという。お別れの挨拶。徒然の記その8 東京オリムピック狂騒曲 2019.6.21(土)■Olympic入場券の応募は全部外れた。開閉式、陸上決勝など競争率の高いものばかりを狙ったため案の定である。秋から先着順というやつにトライしよう。■皆は僕に言う。では「聖火ランナーを!」と。6月17日からコカコーラが募集を始めた。24日からはトヨタ、日生、NTTが募集を始める。こちらは抽選ではなく、「自己PR」で思いが伝わらなければ、走れない。 コカコーラなどどのようにして応募できるかと調べてみた。まずスマホにアプリ「Coke ON」をインストール。カメラ機能があるアプリなので、示温センサー(冷えたら色が変わる)付きのコーラが買える自動販売機を探す。ひと瓶買って写真を撮り1ポイントをgetする。それを毎日繰り返す。ある程度ポイントが溜まった時点で自己PRを添えてスマホから応募する。 これだけの難題を熟(こな)す人はいるのか?と思うぐらい操作が複雑。しかもそんな自販機見たことがない。一般市民が付いてこれない企画をよく考えるものだ。スマホ世代のバリバリでないと応募は難しいのかもしれない。 期待できるのは、もうすこしましではないかと想像するトヨタ、日生、NTTの3社と都道府県が募集する枠である。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jun 22, 2019
コメント(0)
分身ロボット、大草原の小さな家、鴨川自然王国_ story (4398)2019.6.15 OriHime is a dividual-self-robot. It is an excellent realization of the concept of dividual-sharing. By using this、we can separate our body and mind (myself, heart), and even if we don't move, we can convey emotions that we can talk with using thas' alternate body (by sending it's body). Author HIRANO Keichiro's concept of "dividual people" (separating people) is that Avatar actually works at any place, but I am amazed at the similar idea that body and mind can separate as one step ahead. 分身ロボットという概念を実現したすぐれものがある。OriHime(おりひめ)である。これを使えば、体と心(自分そのもの)を分離でき、自分は移動しなくても、分身を使って(分身を派遣して)お喋りができる、喜怒哀楽も伝えることができる。平野啓一郎のいう「分人」という概念では(分人)アバターが自分に代わって方々の所で実際に立ち働くが、その一歩前の体と心を切り離した点に感嘆。■今週の2枚 Mikisato fishing-port view at evening and dawn(伊勢路・三木里漁港の夕朝2景) 熊野古道の伊勢路を尾鷲から八鬼山(やきやま)を越えて三木里にやってきた。夕食の19:00までは時間があったのでお風呂の火照りを鎮めるため漁港に寄ってみた。海は夕刻の山を映し濃い群青色を帯びていた。朝食を7:00に頼んでいるので、それまで漁港で寛ぐ。昨日のスケッチの場所を変え、橋に近い側から眺め返してみた。右端が昨日立っていた場所である。目次徒然の記その1 Tokiko Kato Concert 2019-LOVE LOVE LOVE徒然の記その2 大草原の小さな家ーLittle house on the Prairie 徒然の記その3 孫の指 徒然の記その4 Viola-Lesson徒然の記その5 珊瑚の会徒然の記その6 分身ロボットは救世主!徒然の記その7 2人の会話徒然の記その1 Tokiko Kato Concert 2019-LOVE LOVE LOVE 2019.6.9(日)■日曜日午前中のオケ練習の後は加藤登紀子さんが歌うオーチャードホールへ。4/7~6/23までの全国ツァー「加藤登紀子コンサート2019 LOVE LOVE LOVE 愛の4楽章」の一環で、東京・Bunkamuraで開催される。■その1(12:30-16:30)チラシ挟みのアルバイト要員として13:00前に到着。朝からの小雨もやんだようで井の頭線渋谷の後方の改札口から、最短コースを取ってBukamura オーチャードホールへ。道玄坂の迷路はすべて頭にある。そこを縫って行き、駐車場わきの階段を下ると東急本店の南側に出る。 ホールへは、館内を進みエレベーターで上がればすぐである。もう何回も来ているコースなので頭にインプットされている。チラシは17種類ほど。プログラムの間に挟んでいくのであるが、コツがある。チラシのうち、最上部にくるものを上に、どんどん順番に下部の方向に摘まんでいけばよいのであるが、持ち上げる時間が惜しい。次のを1枚だけ5mmほど少し持ち上げると同時に今までのものを横に滑らせて置いていく。1枚0.5secとして8secで終わり、2000枚を1人200枚やる計算では30分で終わる勘定。 しかし体育会系のこのような激しい動きは皆が出来ない。平均として30secはかかっている。8secの人は後ろについてゆっくり進むしかない。玉川大学の運動会のような跳び箱を30人くらいが一斉に順繰りに飛ぶ競技を見たことがあったがあれは凄かった。アニメーションを見ているように目が回ったが。 机の上の列を2列として各5名を配置し、流れ作業を行うとすると各人200setを処理するのに、200x30秒=1時間40分 緩慢による渋滞などがあってたとしても15時までには作業が終わるという算段である。 小生はこういう作業に熱(いき)り立つ性格がでるようでいけない。どうもspeedの遅い庶民は、弾丸トラックが後ろに来ることを嫌う性質があり、精神的な恐怖を感じさせ、甚(いた)く傷つけさせるようで反省しごく。 中には、逆走する人もいて変化球を飛ばし、笑いを生じさせる。同じ方向ばかりぐるぐる回っていると目が廻ってしまい、たまには逆走したくなる気持ちも分からないではない。Tomyの納豆撹拌機のように、ハンドルを回せばちゃちゃと挟み込んでしまうようなな「おもちゃマシン」は無いものであろうか。 開演は16:30であるので、作業の終わった我々caminoチームは昼下がりの街に繰り出しイタ飯を食しながら情報交換。■その2(16:30-19:10) 本番が始まった。今回はPiano 鬼武みゆき、Vn 渡辺剛、Bass 鳥越啓介、ギター/アコーディオン 告井(つげい)延隆、パーカッション はたけやま裕という最強のバンド陣営である。加藤登紀子の持ち歌(作詞・作曲 あるいは日本語訳したオリジナルソング)800曲から100数十曲が厳選されてCD6枚組のBoxセット「あなたに捧げる歌」で3月から発売されている。その中から20数曲が今回の「LOVE LOVE LOVE 愛の4楽章」と題したツァーで歌われている。いつかメドレーで数日を掛けて全曲を聴いてみたいものだ。 バックの音源は超絶技巧で演奏されたBassの最高音域から、これまた滑かで歯切れのよいVnの響きなど今まで同様 高度なテクニックを加え歌を盛り上げていく。オーチャードホールの全体が塊となって聴衆一人ひとりに届いたのではないだろうか。3階の最後尾の席と、休憩後は2階の席でと堪能させてもらったが、ぜいたくな音響空間であった。アンコールの最後の歌は歌詞カードにあった「あなたに捧げる歌」が歌われ口遊(ずさ)むことができた。 歌詞にあった「今夜ここで逢えたうれしさ 忘れずにいたい」という思いを胸に会場を後にした。■その3(19:10-21:30) 東急本店前にある居酒屋へ「ひもの屋」へ。黒のモノトーンの店内は全国から厳選した天日干しの干物を食する人たちで大賑わい。Camino仲間は、来年の相談など談笑が続く。旅行用のサンダルは何がよいのでろうかと。「Fitflopなどいかが?」と言う誘いあり。旅のデータベースに追加しておいた。 飲んだあとが一番心配。今日は朝からViolaを担いできているのだ。いつか電車を乗り換えた時に、Violaを忘れたことがあった。小学生用のKey finder(キーファインダー)が良いのではなかろうかと皆が言う。3m-8mくらい身体が本体と離れるとブザーが鳴り、忘れ物に気付くという優れものである。置き引きなどの警報に使え海外旅行でも有用。■その4鴨川自然大国・・鴨川市大山平塚にある農事組合法人。1981年、藤本敏夫らによって創立された。現在はYaeさん(加藤登紀子さんの娘:藤本八恵)の夫藤本ミツヲさんが代表理事。Yaeさんは、50%農業、50%歌手と話していて、大地からのエネルギーを歌にも還元しているようである。ブラジル音楽から啓発を受け独自のサウンドを創造するCHORO(ショーロ)Clubというユニットで多数のCDやライブ活動をしている。 90アール(9000平米)の水田などを含む広大な農地を全国から集まってくるサポーターと共に維持しておられるので、一度訪ねてみたいものである。さっそく経路をサーチしてみた。大山千枚田に近く、拙宅からは久里浜まで出てフェリーで浜金谷に渡り20kmのrunningか、JRで浜金谷から保田まで進み16kmのrunningで到着できる。・・最短コース、最安値であるが1日がかりとなる。徒然の記その2 大草原の小さな家ーLittle house on the Prairie 2019.6.9(日)■「欠かさず見ていたTV番組は何ですか。」という新聞のアンケートに答えた読者の記事が日曜日の新聞に出ていた。ちょうどBS4Kでは4月から、BSプレミアムでは、6月8日(土)からリメーク版の放送が開始されており注目が一気に昂じた感じだ。1974-82年の放送期間や2005年版、YouTubeなどでこの番組を見たかたも多いのだろう。 リメーク版の吹き替えは、父親のチャールズ・インガルスは森川智之さんが、母親のキャロラインは、小林さやかさんが、その娘でこの物語の原作作家でもあるローラ・インガルス・ワイルダーは宇山玲加さんが其々務めている。物語は明治初期にあたるアメリカ西部開拓時代のインガルス一家の成長であり、思いやりのある家庭生活という価値観が当時の日本の家父長制とは全く異なる社会であり新鮮であった。 新聞の読者もこのような家庭を築きたいと東京の郊外に居を構えたという。BSプレミアムでは土曜日の8:30からという見易い時間にやっているので、すこし見てみよう。新しい発見があるかもわからない。徒然の記その3 孫の指 2019.6.8(土)■孫の手・・英語ではBackscratcherというなんの変哲もない「其の儘」の名称で呼ばれているが日本のは言いえて妙な名称となっている。孫がおばあちゃんの背中の手が届きにくい場所を掻いてあげるイメージである。 形状も可愛らしい手の形となっていて、反対側にゴルフボールが付いているものなど多機能へと進化している。竹製からステンレス製、途中曲がったものなど痒いところに手が届くように数本を家庭に用意したりする。 先般など孫の手の代わりにガムテープで背中の南京虫を捕まえたという猛者も現れた。 さてカミさん。愛用のASUSのタブレット。老齢化のために指が乾いてきたのだろう。画面のタッチがスムースにいかず、入力に手間取ったときだ。「ちょっとその指 貸して!」と側にいた孫の手をひぱって、ポチン、ポチンと指を添わせて入力していったのだという。湿潤に富んだ小さな「孫の指」が静電気型のペンとして役立った瞬間である。 この孫と言えば机の前に置いた小さな郵便boxに嵌っているのだと。カミさんが時々ハガキを出しているので、そこに入ってくるのを楽しみにしているようだ。小生も「お元気ですか?」とか書いて送ってみた。 後日娘からカミさんにメールがあったらしい。「お父さん大丈夫? 脳梗塞?」と。なんと大きく書いた文字がみみずの這った文字で読めなかったというではないか。失礼な! なるほど全文平仮名なので文字の汚さが目立ってしまうのだろう。 そこで、今回から趣向を変えて物語を綴ることにした。「ダンゴムシの冒険」である、登場人物・虫はダンゴムシの2匹と孫、爺婆。孫もダンゴムシと一緒に家を一周する間に見聞きしたことを綴ろうかとおもう。孫は自分の知っていることを虫たちに教えたりして成長していく。家を反時計回りに大体30分刻みで24回シリーズとしてみよう。毎回「つづく」と期待をもたせる。これなら文字の汚さを話や絵でごまかせそうだ。徒然の記その4 Viola-Lesson 2019.6.11(火)■秋の定演は次の3曲。わがオケでは初めて演奏する曲ばかりである。・ジュゼッペ・ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲--Giuseppe Verdi:Sinfonia-I Vespri Siciliani・レスピーギ:ローマの噴水 Ottorino Respighi:Poema Sinfonico Fontane di Roma・シベリウス:交響曲第5番 Jean Sibelius:Symphonie Nr.5 すでに全曲、bowing(ボーイング:弓のup down)指示はコンマスが楽譜に書いてくれているので、それがスキャンされてDropboxで配信されパート内で共有されている。各自手持ちの楽譜に書き写す。初見からパート内全員が同じBowingで弾けると、まぁなんと効率がよいオケであろうことか。コンマスに感謝。 日曜日のオケでは、「シチリア島の夕べの祈り」と「ローマの噴水」を初練習で弾いてきたので、Lessonではまずはこの曲を教わろうとでかけた次第。 どうせ、最初はViolaを持たせてもらえず、ひたすら歌うことから始めるのであろうと覚悟の上での参上である。身構えてかかるが、今日はちゃんとViolaを弾くという。まずはチューニングから。 新調したピンセット(工具メーカーHozan(宝三)製。 ピンセットのシェアでは今では日本一という。高校の同窓生が社長である。)で弦のC線を微調整してペグを回し易くしたため、簡単にチューニングできるようになった。回転軸のある一点のみでピタリと音程が合う瞬間がある。そこを見つけろと。これは耳の鍛錬以外は無い。ディジタル・チューナーで安易に合わせていると耳が養われないのだという。5度上の隣の弦と同調するポイントはピンポイントでちょうど尖がった槍岳の頂上である。そこに来るようにペグをピタリと決める。 長いセンテンスでは32分音符や16分音符が連続しながら出てくる箇所があった。そこを完璧に歌うようにしてからViolaを弾く。休符で息継ぎなどをしながら音程を合わせて歌っていく。speedが次第に早くなっていく。 3連音符が歯抜けで、かなりの小節が続く箇所があった。「うん、タタ、タタタ、タラタ、タタタ」と休止符「うん」を入れた12個の音符を2拍の手拍子の中に収めるのであるが、これが難しい。太字で書いた2個の「タ」もちゃんと歌うのは難しい。途中「タラ」とあるのはスラーで歌い方も区別している。滑舌よろしくハッキリ歌わないと叱られる。弓で弾いても同じで最後まできっちり。拍にピッタリ収める(赤字が拍の頭)。31小節も続くのだ。 指揮者が本振りをする直前の動き(アーフタクト、余拍分)で時間間隔を読み取り、一発で12個を収めなくてはならないのだ。家では出来ているのに先生の前では出来ないという事は、そのspeed♩=60~90などを瞬時に読み取って頭で計算していないからと鋭い指摘。自分都合ではダメでどんな場合でも指揮にピタリと、過不足なくハマっていないといけないのだという。6個分の時間は1sec~0.6sec。老齢のため頭が滓々になっているのかもしれない。すこし油を注さないといけない。このためにはCoopの安い肉ではだめである。あぁ霜降り牛を! 首を揺らさず、肩の力を抜いてと・・・これが延々1時間。途中でダスキンの人がやってきて助かった。台所でごそごそしている間にも、ずっとViolaを弾いていた。そのうちに上手にできるようになりひと安心。「シチリア島の夕べの祈り」全体に目を通し、歌ったり弾いたりと。歌う時の息遣いは、Violaを演奏する時の息遣いとなるという。 詰まった演奏ではなく、余裕のある演奏と言うのは弓も呼吸している感じで心地よい。すこしルバート(たっぷりと)したりして歌ってみると楽しい。音楽とは結局こういうことなのであろうかと。ピアノ協奏曲でも弾く人によって違うのはこの歌い方の違いであり、そこが聴衆との共鳴の差となって現れ好き嫌いが判然となる。 続いて「ローマの噴水」の超絶パッセージはまず運指を決めた。オケ練習では、2週間毎に同じ曲を繰り返すスケジュールとなったので、今日勉強したことを次回の日曜日に試すことができる。メトロノームを多変させて、ピタリと拍の中で歌えるように練習をしてみよう。あぁ、時間が・・。途中で可変できるようにプログミングできる電子メトロノームがあれば生きているが如くピタリと棒に合わせる練習ができればよいが。徒然の記その5 珊瑚の会 2019.6.14(金)■東京芸術劇場B2のリハーサルルームLに40名が集まった。■Wolfgang.Amadeus.Mozart Piano Concerto No.18 in B-flat major, ・K.456モーツァルト ピアノ協奏曲第18番の2,3楽章。・Franz Schubert Symphony Nr.6 シューベルト交響曲 第6番の3,4楽章。 2月の例会に続いての2回目の練習。今日は30名が集まった。なんとViolaは 1人で重責である。Vcは2人、ベース1人と中・低音陣容が薄い。 前回から3ヶ月半も空いているが新しい楽章の練習である。シューベルトはゆっくり目で進んだ。次回8月も同じ楽章を練習する。このように6回分に関しては練習計画を明示してくれるとありがたいことだ。 ちなみにViolaを弾いてくれる若い方がおられないだろうか。このBlogで宣伝をしてみることにした。*********室内合奏団「珊瑚の会」 Violaメンバー募集********* 60歳以下のViola奏者。参考として、過去の練習記録・・http://turbo717.ciao.jp/concert_waseda.htm 応募は、上記ページにある「戻る」をクリックし、更にTopページへ進み、メールアイコンから応募ください。 アミカルという打ち上げパーティーは芸術劇場の傍にあるいつものサイゼリアへ。16:55には全員集合し19:30頃まで。談笑。■メンバーに新製品の開発者の他に、高校生の国際化学オリンピックに関連する人がいてびっくりである。 新製品ではフライヤー(天ぷら製造機。冷凍コロッケなどを美味しくフライすることが出来る。瞬時に1万ボルトを掛けて油を泡状にして天ぷらをあげる装置で、お豆腐のフライも出来るという。)がそろそろ佳境を迎えたとの報告。ファウンドが立ち上げられたら出資してみよう。億万長者を夢見て。 世界の高校生が競う国際科学オリンピックは数学・物理・化学・情報・生物学・天文学・地学・地学・言語学・哲学と10種類もあり毎年どこかで10日をかけておこなわれているという。 この中の化学の大会(International Chemistry Olympiad, IChO)に関連しては、2021年は日本・大阪開催であるためいまから準備に奔走しているという。徒然の記その6 分身ロボットは救世主! 2019.6.14(土)■以前、平野啓一郎の著作「ドーン」(2009年)を紹介したが、これは2036年のアメリカを想定した架空の長編小説であり、分人(dividual)という概念が導入されている。この時代ともなれば、小説のように個人(individual)に備わっている多様な可能性を”分人化”して別々の場所で活動させることが可能となっているのではないかと考える。 ところが日本で「OriHime(オリヒメ)」という分身ロボットがすでに開発され、現在300台が稼働中であるという。3分の2は在宅勤務用であるといい、教育現場への採用は20校に留まっており加速して行っていないのだ嘆くが、会社は、㈱オリィ研究所(OryLab.Inc)として2012.9.28にスタート。 学校に行けない不登校生徒が、自分の代わりに「OriHime(オリヒメ)」を教室に参上させたり、筋ジスで外出できない人が元の職場で、自分の分身を使って社会参加を果たしており、皆と会話ができるというものである。 individual(個人=分けられないもの)からdividual(分けられるもの)への変容という哲学のような機械である。分身ロボットにより、一体不可分であった体と心(自分)を切り離したのである。何か役割を果たすためには、体ごと移動しないといけない身体至上主義を改め、ここでは体(OriHime)だけを例えばNYに空輸し、自分は日本に居てNYの皆と議論し、うなずき、会議での遣り取りを進行させることができる。 TV電話との違いは常時繋がれているため周囲の雰囲気・雑音、雑談が手に取るようにわかる点にあるというのだ。点と点を結んだ糸電話ではなく、周囲と自分というまさにrealな世界がそこに醸し出される。ALS患者20人が使い”職場復帰”を果たしているというのだ。 開発者の吉藤健太郎さんは、小学校5年から3年半におよんで不登校・引きこもりの経験があったという。その時に感じた劣等感、焦燥感、無力感という孤独への葛藤が在宅と社会を結ぶツールやシステムの開発に駆り立てたのである。よく考えたもので、これを使えば「ひきこもり」でも外の世界と接触できる。 引きこもっていた女子学生はこれを通じてクラスの生徒と徐々に会話ができるようになり、実際に「会ってみたい」ということで、見事登校をはたしOriHimeが要らなくなったのだと。 何らかの障害で、移動(=外に出かける)、対話(=意思疎通を行う)、役割(=仕事をする)が出来なく、孤独に陥っている人達が社会参加する手立てを提供していくこの会社は将来にむけて無限の可能性を秘めていると考える。徒然の記その7 2人の会話 2019.6.14(土)■皆が"信じられない"と絶叫するのは食事時の2人の会話の少なさである。 Camino仲間や、Running仲間、旧サラ文、珊瑚の会などでは、「口 チャック!」と叫ばれるぐらいに饒舌なのに、家庭では物静かである。下記が朝食時の一幕。こんな調子である。(カッコ内)は双方が想定する独り言である。< >は注釈。相方・・・「戴きます。」僕・・・・「戴いております。<フライング気味に、リンゴ、キャベツなど目ぼしいものは大半が既に食べているのである。>」相方・・・「・・・」(ポーランドのミック・エヴィッチ(Adam Bernard Mickiewicz)の国民的叙事詩「 パン・タデウシュ」1999年版の文庫なので字が小さすぎて大変。だけど非常に面白いゎ。<小学生だった次女が昔、読みもしない本なのにカミさんがその時たまたま読んでいた塩野七生の「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」という本を夏休みの読書感想文のタイトルにしたものだからさぁ大変。カミさんがほとんど感想文を書いた。というのに似てタイトルだけでも覚えるのが大変> 今日はPianoのレッスンだゎ。10時頃になればベートーヴェンのソナタのおさらいをしなければ・・。出発は13時半頃なので、おやつを食べていこうかしら。 昨日のパイプオルガンのレッスンではまた苦戦した。エアーオルガンの積りで足用のペダルに新しく丸めた新聞紙を12個も置いてみたが。しっくりいかない。位置を変えてみようかしら。夕食は昨日届いた第2の生協「パル・システム」のsetメニューで手を抜こう。)僕・・・・「・・・」(国分寺駅からの野川散策の帰りの国領駅にサイゼリアがあるだろうか。終点を調布駅にしょうかなぁ。平野啓一郎の「ドーン」(2009年)という本に、「韜晦癖」(とうかいへき<自分の才能を他人にひけらかしたりはしない性格>)という難しい言葉がでてきた。有島武郎の「或る女」(1911年)に『何故貴女は自分をそれ程まで韜晦(とうかい)して居られるのか』という形で出てきた言葉であるが、100年も前に使われていた難しい言葉を突然よく使えるものだ。・・ 相方はキャベツを食べて始めている。胃に優しいということでまずは、キャベツを食べるようにしているのだ。こちとらは、ヘタや葉脈の硬い所ばかり集め、細かく刻んでレンジでチンしているので柔らかい。それをパンの上にまぶしてあるがポロポロ落ちて食べずらい。キャベツの一部は先に食べているので胃への作用は同じ筈。パンには、目玉焼きやハム、ソーセージの焼いたのが"てんこ盛り"に積み上げてあるので、口を大きく開けないと食べられない。これが問題なのだ。咬んでも咬んでも喉を通っていかないのだ。最後は薄いコーヒーで流し込んでいく。な、なんと、相方はすでにキャベツを食べ終わり、パンに手を掛け4つに割き始めた。パンの上には何も置いてないので、食すると速いのだ。)相方・・・「・・・」(あら、今日は果物にブドウを入れたのね。ホホホ。蒲萄の粒が6つほど転がっているのね。買ったときは2房あったので、これを毎日6個としてカウントしたのかしら。)僕・・・・「・・・」(こっちはあと3cmもてんこ盛りのパンが残っている。頑張らねば! あぁ、新聞に目を通している間に、相方はパンを終わって果物類の皿に移行したョ。こちらも最後のパンとキャベツと目玉焼きとハムとソーセージを口に詰め込み!! あぁ苦しい涙が出るよ。この調子ではやばい。蒲萄では、皮を食べない分、こっちの方が速いが。)相方・・・<始めて言葉を発する。>「いつも原稿を読んでいる首相。イラン外交は大丈夫かしら?」僕・・・・「お付きの人のを読むのではないかな。外交は難しいかもしれない。しかもホルムズ海峡での砲撃。」相方・・・「・・・」(貴方! やけにモグモグ、バリバリと煩く食べているのネ。ばらばらと滓を落としながら。! なんて下品! )僕・・・・「・・・」(相方はリンゴに手を伸ばした。向こうは10回ほど噛むと喉を通っていく、こちはその1/3の大きさでも30回も噛まなければ喉を通っていかないのだ。あぁ。あっと言う間に皿を平らげた。涼しい雰囲気である。次はヨーグルトだ。こっちらは苦労しながら呑み込んでいるというのに。そよ風が吹くがごとく静かで、しかも口の中は既に空っぽになっている。いつヨーグルトに手を伸ばしてもおかしくは無い。さて、今日はどうしたことか。こちらへの憐憫があるのであろう。一呼吸置いてくれているではないか。ありがたいことだ。)相方・・・「・・・」(ヨーグルトの蓋を開けるわよ。)プチッ!僕・・・・「・・・」(まってくれ! )プチゅ!<ほぼ同時に>僕・・・・「ご馳走様。」相方・・・「ご馳走様。」 こんな調子である。ほとんど会話がないのだ。他所(よそ)さんのようにベラベラと喋ることはない。あうんの呼吸である。音楽で言うところの「休符に言葉有り」という状況でお互いに別のことを考えているだけである。お通夜ではない。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jun 15, 2019
コメント(0)
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」・・伊勢路を行く_ story (4397)2019.6.8Dokudami(lizard tail , chameleon plant, heartleaf or bishop's weed)are already blooming in May. They are precious flower during the rainy season.Also Hydrangea(紫陽花) has begun to bloom. She opens her eyelids and blooms pale- white thick flowers cramped together. It has begun to dark color of purple and red. Biyouyanagi has many yellow roses. The rainy season was brought on 7th Friday. Just before this I walked in Kumanoji.庭のドクダミはすでに5月には咲き誇っている。紫陽花が咲きだした。蕾を開き、淡い白色の厚みのある花をお互いに窮屈そうに身を寄せ合って咲いている。紫色や赤色に映えてきだしている。ビヨウ柳はこの一週間で黄色い蕾を沢山こちらに向けて咲き始めた。金曜日に一気に梅雨入りを果たした。この直前に熊野路を歩いてきた。■今週の1枚 麻布十番・大黒坂/一本松坂 2019.5.15 am9:56坂の上から東80度方向の麻布十番街を見下ろす。奥にいくほど詳細になった逆遠近法。どこまでも店が続く界隈への思入れがそうさせている。じっくりスケッチをしたいところであるが、港区100坂を極める途上にあり時間の余裕はない。午前9:56といった一瞬を切り取った風景となった。目次徒然の記その1 第79回定期演奏会徒然の記その2 熊野古道・伊勢路をいく徒然の記その3 伊勢路その1:尾鷲・・八鬼山(やきやま)・・三木里 徒然の記その4 伊勢路その2:三木里・・二木島・・新鹿(あたしか)徒然の記その5 伊勢路その3・松本峠、丸山千枚田徒然の記その6 伊勢路その4:市木・・七里御浜・・新宮 徒然の記その7 80歳超「自分で運転」26%徒然の記その8 衣類の整頓徒然の記その9 迫真の演技徒然の記その1 第79回定期演奏会 2019.6.2(日)■ブラームス:大学祝典序曲 Op.80シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54シューマン:交響曲第1番 イ短調 Op.38「春」指揮:森口 真司 ピアノ:江崎昌子(EZAKI Masako)府中市民交響楽団第79回定期演奏会が6月2日に開催された。昭和54(1979)年11月に中央文化センター(府中町2丁目)児童ホールで産声を上げた府中市民交響楽団。小生はこれを機会に子供時代からのViolinを新規にViolaに持ち替えて参加。府中市民中心のオケではあったが、勤め先が中河原 or 分倍河原(今は南武線の西府駅が近い)にあったので資格を得たのだ。初めてのViolaでどこが「ドの音」とも知らず楽器屋で聞いてきた通りに音を出して、ベートーヴェンの運命を弾いた。35歳の時である。若かったものだ。 昭和55年5月31日(日)に第1回定期として守谷弘さんの指揮でモーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲、シューベルト:交響曲 第8番 「未完成」、ベートヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 「運命」を演奏したがそれから39年が経ち、来年が創立40周年を迎えるこのオケ、第1回演奏会からなかなか意欲的なプログラムに取り組んできている。大学オケの経験者達が集まってきたから言わずもがなであるが。 ブラームス大学祝典序曲は過去に1995年 第32回 指揮:川本 貢司。 シューマン ピアノ協奏曲は、1989年 第20回 指揮:福村 芳一 pf:森谷真理子。 シューマン 交響曲 第1番は当団初めての曲である。アンコールは、ピアノでは、シューマンの子供の情景7.トロイメライが奏じられ、オケではシューマンの「序曲、スケルツォとフィナーレ」Op52.よりフィナーレが演奏された。・・実にシューマンらしい曲であった。 なかなかの好評であったようだ。17:00頃からレセプションで指揮者、Solist、演奏委員長、代表、コンマスなどからコメント。19:00から2次会を居酒屋Hで。 いつものごとく、小生の関連するグループが大挙して聴きに来てくれていて二次会を居酒屋Hで開いてくれていると思い駆け付けるも、高校のグループはすでに帰途に付いたようであった。会社の上司陣や、camino仲間が集う部屋に顔を出す。それぞれ感想を述べあったり熱い歓談が続いた。驚いたことに、会社の上司の多くが「新宿高校」の出身であり、旧サラ文(サラリーマン文化芸術振興会)とも関係が深かったことである。その一人は今も古文書上級クラスに通っているという。おったまげた。徒然の記その2 熊野古道・伊勢路をいく 2019.6.4(火)-6.7(金)■梅雨に突入する季節の間隙を縫って熊野路を旅してきた。日本一の棚田と言われる丸山千枚田の田植えが終わった時期の青々とした田圃を見たいと思い、梅雨時の伊勢路・本宮道を計画した。 今回の旅で混迷を極めたのがバス便のややこしさ。まぁ全部歩くのであれば問題はないのであるが、途中「花の窟(いわや)」から伊勢路を外れ、本宮道(花の窟→本宮)に分け入って途中にある丸山千枚田を見ようとするものだから、そのバス便を調べまくるのに多大の時間を要した。 netで「バス時刻表」を引くと、大きく分けて2種類のページが示される。一つは全国版のNAVITIMEとローカルな路線バス。2つとも引き方が全く異なっていて非常に不便である。NAVITIMEなんて、バス停→バス停と現地の人しかわからないバス停名を入れさせられるのだ。全国には同じような名前も多いため、三重県から高知県などと、とんでもない路線を示し、それも電車、車などあらゆる交通手段を駆使して答えを出してくれるのだ。また熊野地方東南部にあるのは三重交通バスと熊野市バスの2本が通っており、内陸に行くのは熊野市バスを選ばなければならない。しかも似たような路線が2系統もあり素人目には混同しやすい。またpdfでの資料も多く、開けるのに時間がかかる。 熊野市バス・瀞流荘紀南病院線〔紀南病院-瀞流荘〕、熊野市バス(・熊野古道瀞流荘線〔木本高校-瀞流荘〕の2本は、ぱっと見同じ路線名に見えてしまう。文字として双方に「瀞流荘」が入っているので混同しやすい。1日4便くらいしかなく、JRの乗り継ぎもあって大変難しいものとなっている。 オールマイティーである筈のNAVITIMEがもっと使いやすくなったら100万馬力であるがまだマスターには至っていない。駅、バス停、住所、施設名を入れれば、自動的に最寄り駅を探してくれるのは都心だけである。バス便も含めて路線検索できる機能は一部大都市圏に限られ、田舎ではまだまだである。バス停の名前なぞ何を調べれば分かるというのだ。全貌が掴めるようになるため半日以上を費やす。 山の中では、まばらにあるバス停の位置を特定せねばならず、当日の歩行距離との兼ね合いで、バス停の正確な場所が必要となる。現地の人以外は無理で、はじめての旅には過酷な労力を要求する。必死にnetサーチを繰り返し、途中脱離する人も数人いるため要求に合うレジュメを作るのに相当の労力を要した。やはり自由気ままな一人旅に限る。徒然の記その3 伊勢路その1:尾鷲・・八鬼山(やきやま)・・三木里 2019.6.4(火)■コース:尾鷲駅口11:24→バス(三重交通56番熊野古道センター・三光南紀行き)→(11:30黒の浜)→・・登山口・・九木峠・・三木峠・・五十丁石・・(八鬼山627m)・・江戸道・・三木里(油屋民宿)10km尾鷲からのバスは2便。地元巡回バスというべき「ふれあいバス」・・こちらの方は駅前からでており11:32発。もう一つの路線バスは長距離のバスで松坂あたりから遠路飛ばしてくるバス。後者は徒歩で300mくらい離れた「尾鷲駅口」・・ここからしてややこしい。11:24発で熊野古道の八鬼山(やきやま)登山口に近い「黒の浜」に11:30到着できる。これはふれあいバスよりも30分も早い。山道10kmの登攀を挙行すべきか迷ったがこの「11:30」という”午前中”ぎりぎりの時間が重要な決め手となった。三木里という山の向こう側には日没前に降りる事が出来そうであるからである。このため"隊員"には車中で昼食を摂ってくるように伝令。 地元ボランティアで草刈りが行われ綺麗に石畳が整備されている。感嘆の声が上がる。北側の道はほぼ杉、檜といった針葉樹帯で、落ち葉が路面に散り敷くも石の隙間に入るため、石畳が綺麗に見える。樹林帯が「粗」の所は、日光もよく入り苔蒸すことも少なく古(いにしえ)の石畳が、美しい作品として残っている。籠立場(かごたてば)には樹齢300年と推定される檜の大木があった。紀州藩主や巡見使(じゅんけんし)などが街道を通過するときに乗っていた籠(かご)を止めて休息した場所である。 七曲がりという難所は標高差200mを沿面300mという急勾配で、濃い樹林帯に苔むす石段が653段という途轍もない九十九折れ。伊勢路最大の難関という。さも有りなん。標高をどんどん上げ遥か先にあった稜線が一気に近づく。頂上までにはいくつも峠を通るがここかしこに行き倒れ供養塔が立っており江戸期の厳しい往来を伺わせる。蓮華石、烏帽子石などと名づけられた巨石もごろごろし、この一帯が火山帯であったことを忍ばせる。石は遠くから運んだのではなく地産地消で切り出されたものであろう。何万何千という石をこれほどまでに敷き詰めることは不可能でる。頂上付近の峠を過ぎると、突然視界が広がる芝生の空間がった。「さくらの森広場」である。道から外れて丘を上がっていくとリアス式海岸の絶景が見え遙か先に目指す三木里の町が見えた。南西向きに標高を627mから一気に0mまで下げていく。 南面は落ち葉が石畳に散り敷き滑りやすい。針葉樹林から広葉樹に変化していることで俄然落ち葉が増えている。しかもボランティアがあまり入っていなせいであろうか。さらに雨水の流れも激しいのであろう。日本有数の豪雨地帯は梅雨明けが土砂降りであるという。石畳はよくそれに耐えるものの所々で崩壊し足元を悪くさせている。”隊員”も何度も転ぶようになり疲れが限界に達してきた。頻繁な休憩でも足の吊りは収まらずだましだまし麓に到着。10kmという短い距離でも上り下り627mを加算すると”みかけの距離”は優に20kmを越え6時間コースの厳しい道のりとなった。 逆に言えばここを過ぎればもうこんな酷(つら)い場所はない。男性3人女性2人はよく耐えたものだ。この区間のみで言うと、高尾山一般ハイクの積もりで入山することは許されない過酷な”伊勢路”であった。 途中新潟から来たという男性は伊勢を目指して三木里から登攀してきた。尾鷲まで7kmもあるというのに、16:30という遅い時間にである。信じられない。3日間の道中で出会った人は北向きに歩いてきたこの男性と、内宮からトレッキングで南下してきた2人の合計3人のみであった。今となっては貴重な出会いであった。 宿では到着を未だ遅しと待っていた女将が破顔一笑で迎えてくれた。もの凄い歓待である。実家をそのまま民宿にしたのだろう。部屋が幾つものありほとんど一人一部屋という和室が宛われた。 小さな浜と漁港という街道筋の町である。JRの駅を持つ数々の港も似たような感じで人口400名足らずで、もとよりコンビニはない。 夕刻、海に繋がる橋のうえから魚影を追う。近海魚を追う釣り漁船であろうか 長い竿2本を船尾にかざした船が10数隻もやっていた。スケッチを2枚ほど描きながら烏の行水のあとの火照りを冷ます。19時には全員の風呂も終わり夕食の宴。煮魚(イサキ)、焼き魚(サンマ)、刺身(鯛にマグロ)、卵綴じ、お豆腐、鶏のから揚げ・・どこまでが一人分の領域かと思うぐらいに数多くの皿が並ぶ。21時就寝。徒然の記その4 伊勢路その2:三木里・・二木島→大泊 2019.6.5(水)■コース:三木里・・熊野古道・・三木峠・・羽後峠・・賀田(かた)駅・・曽根次郎坂・・甫母(ほぼ)峠・・曽根太郎坂・・二木島駅→JR→大泊駅→1km→ホテルなみ→鬼ヶ城 15km 本日はup downが5つ。最高標高は362mと昨日の半分。三木里を8時きっかりに立ち湾を巡って古道に取り付く。いきなり森閑とした苔むす石畳。三木峠道である。息をのむほどの景観である。あまり歩く人はいないためか苔がよく保たれている。猪や鹿が田畑へ侵入するのを防ぐために作られた猪垣(ししがき)はが、万里の長城のように延々と築かれ、残っている。 鉄アレイを両手にした男性は羽後(はご)から賀田(かた)までを散歩で一周しているようだ。国道311号線とほぼ平行の農道に降り立ったすぐの所で出会った。甫母(ほぼ)の浦を見通せる場所から二木島(にぎしま)へは長い稜線を行く。トンネルの場所に古道への登り口があり石畳となる。トンネルの上が羽後(はご)峠(149m)で賀田(かた)まで一気に高度を落としていく。賀田の農協でトイレを借用。近くの八百屋で甘夏などを買って山上の楽しみとする。曽根次郎坂、太郎坂と称する長い登り道と下り道。その中間地点の甫母(ほぼ)峠(305m)を昼食ポイントと決め12:30到着を目指す。「ほうじ茶屋跡」や各種の表札がある開けた場所に東屋やベンチがあった。昨夜の宿ではサービスのおにぎりを用意してくれている。おかかや梅干しなどと3種類。午後は晴れという予報が当たり峠の広場で寛ぐ。16kmの山コースの丁度半分8.5kmポイントに当たる場所である。up-downが多いため半分の行程に4時間半を要している。昼間は4時間も間が開いているJR。次の新鹿駅16:24までには到着出来ないかもしれない。この伊勢路。ほぼJRの駅々を結ぶ道であるのでエスケープは容易である。目標を1つ手前の二木島(にぎしま)にし、そこで1時間ほど睡眠時間として東屋で寛ぐ。 二木島ー新鹿(あたしか)間をバスした分、大泊のホテルから近い「鬼ヶ城」を案内。ホテルから500m位のところにある世界遺産「鬼ヶ城」の絶景に感嘆。海風蝕と数回の大地震で隆起した凝灰岩が創り出した断崖が約1kmにわたって続く名勝である。北斎の「神奈川沖浪裏」の波形を刻印したような岩肌や、一枚岩に掘られた空洞・・。”鬼ヶ城”そのもののイメージ。徒然の記その5 伊勢路その3:松本峠、(風伝峠 pass)、丸山千枚田 2019.6.6(木)■コース:1.大泊→松本峠→獅子岩→花の窟(いわお)→(1.5km)→産田(うぶた)神社 計5.0km :2.産田神社11:33→熊野市バス(熊野古道瀞流荘線)→11:59後地→丸山千枚田→ 千枚田・通り峠入口 14:59熊野市バス( 熊野古道瀞流荘線 木本高校行)→15:34熊野市駅前 or 14:46熊野市バス(瀞流荘紀南病院線〔紀南病院-瀞流荘〕)→15:17七里御浜・ピネ100m→JR阿田和駅15:46→JR→15:49紀伊市木→はまのや旅館 8km (バスは2系統あるので注意) 計12.7kmorとあるのは、この日に東京まで帰る女性の利便性を考えて、風伝峠を省略するなどで、 17:50発の特急に熊野市駅に間に合わせるスケジュールを併設。朝方、大泊駅から一人離脱。4人での行軍となった。 松本峠登り口 8:14→峠 8:25。石組みが谷筋からも立ち上がっており重厚な構造物のように屹立した石畳となっている。熊野市側の登り口から海岸までは昔の街道の面影。間口が狭く奥行きの長い家々が犇(ひし)めく。海岸は低めの堤防で眺めがよい。ここでは1000年に一度の来襲に備えた重厚な堤防はない。裏山が近く逃げやすいという特徴があるからであろう。観光資源が海沿いに点在する。獅子岩や花の窟を見学。 旧道を通って、産田(うぶた)神社へ。弥生時代からの古い神社で、伊弉冉尊(イザナミノミコト)とその子の軻遇突智神(カグツチノミコト)を祀っている。さんま寿司発祥の神社という。バス停がありここから遠路丸山千枚田方向に向かう。本宮道としては、横垣峠道、風伝峠道。そこからの支線として「通り峠道と丸山千枚田」という感じで本宮を目指して山深く分け入る古道があるが、ここは時間の都合上一気に丸山千枚田を目指す。 後地(うしろじ)というバス停から通り峠入口を目指し登っていく。車道を伝って山一つ分大きく迂回して、丸山千枚田へ。ここは以前親戚に連れられ車で見に行ったところでよく覚えている。展望の場所も整備されていてよく見晴るかすことができる。狭い車道もところどころ幅を広くした待機場のような場所があって日陰で昼食。午睡などとしゃれたが、後でバス時刻まで駆け足。千枚田を上からS字カーブに沿って見学していく。田植えが終わったばかりで水面が光っていた。 「通り峠・丸山千枚田口」というバス停で、一人と別れ、3人は浜街道に戻る。阿田和(あたわ)から紀伊市木(いちぎ)まで一駅をJRで北上。16:00前に到着してしまい、旅館のおかみ大慌て。時間があったので今までの衣類を自動洗濯機にかけて昼寝。食事は17:30と早くしてもらい就寝。夜中ごそごそとタブレットで明日の作戦をあれこれと検証。なにせ明日は車軸を流した雨と言う。徒然の記その6 伊勢路その4:市木・・七里御浜(みはま)・・新宮 2019.6.7(金)■コース:紀伊市木・・(市木伊里塚跡・・七里御浜松原・・道の駅ウミガメ公園)pass・・横手延命地蔵・・粥森様(内宮から32個目の最後のスタンプ印の場所)・・熊野大橋・・熊野速玉大社・・(神倉神社)・・浮島・・新宮駅 18km 昨夕、1人が熊野市駅から離脱しているので、3人の行軍となった。ツアーコンダクターも臨機応変の対応で大変である。午後から土砂降りであるという。それもバケツをひっくり返したような。そこで紀伊市木から紀伊井田まで約8kmをJRでワープすることにした。「七里御浜」を堪能!という夢をあっさり諦め・・というより堤防の外の浜辺を歩くことはもとより不可能であった次第で国道や町中を縫って歩く所はパスしてもよかろうと。ただ紀伊井田という駅から未練がましく国道近くの施設にあったスロープから浜辺を眺望。 ここからは山の上の「浜街道その2」となる。横手地蔵を通る旧道は標高が高く七里御浜を眺めながら歩くことができる。見晴らしのよい道は今までとちがった趣。あまり人工物もなく、海岸までの傾斜地にはミカンや灌木類の緑のみ。すごい景観である。伊豆の別荘地を通っている感じ。 「井田の一里塚」あたりから住宅街に降りていく。篠突くような雨に見舞われる。ここらがcamino魂の見せ所で、われわれ3人は楽しむがごとく行軍し地元民を驚かせる。雨宿りをしていたら傘3本を差し出し持っていきなさいと。 とにかくこのあたりの人は親切である。軒下を貸してくれ、ガレージ下の雨宿りもみんなニコニコ顔である。世界遺産「熊野川」に9:00に突き当たり。ここから対岸には目指す新宮市が見えている。 橋の真ん中が県境で、北が三重県紀宝町、南が和歌山県新宮市で、幅420mという川には鉄橋が3本。JRと小型車両用、一般国道。丹鶴(たんかく)城址の山などが雨の幕に霞む。母親の生まれ故郷である。米屋で新宮市一の美人であったというのがおふくろについての伝説らしい。自分では言わないが周りからそのように言われていたらしい。帰省するたびに、大阪ではいまだに借家に住んで貧乏であることを涙していたようであるが。その息子は小学校6年間栄養失調であったために「太る」という文字を身体にしみこませることなく、現在に至っている。 河口の貯木場はHRの鉄橋下近くにありよく泳いだものである。熊野速玉大社の境内には佐藤春夫記念館がある。土砂降りのためお土産屋が張り出したテントのなかで作戦会議。特急は12:40なるもこんな雨では「神倉神社」の階段は無理であろうと。その替わり「浮島」を案内することにした。 この新宮市観るべきところが多い。5時間コースで言うと、駅→速玉大社→神倉神社→浮島の森→西村記念館→新宮(丹鶴)城址→阿須賀神社→徐福公園(秦の始皇帝の命により不老不死の霊薬を求めて渡来した徐福の痕跡がこのあたり随所にある)。 浮島の正確な名前は、「藺沢(いのそ)浮島植物群落で国の天然記念物である。新宮市のど真ん中。かっては海岸にあって熊野川の蛇行部分と重なり、沼沢(しょうたく)地帯であったという。泥炭が水に浮き、そこにオオミズゴケ、シダ類に始まってスギ、イヌマキまで200種類以上の植物が植わっているのだという。もう1700年も浮いたままである。 2年前の台風22号のときに接岸したあおりで底部の泥炭が剥がれて、浮いてきたものを今は「見える化」という小池知事の号令にならって始めたという実験を見せていた。説明係のおじさんは面白く、クイズを仕掛けてきた。蛇穴という穴からファイバースコープをたらし30mの水深を調査したのだと。そこから固いものが見つかった。さて何かと。「お賽銭?」「自転車?」と推定したあとで「貝ではないでしょうか。」と答えると「正解!」 貝の化石が見つかったのだという。昔は海であったことを証明するものであると。牧野富太郎博士が2度も訪れ、あまりの珍しさに感嘆したのだという。昭和2年に天然記念物に指定された。水は湧き水の他、市田川、浮島川に加え、熊野川からの取水もあり水質が確保されている。 昔は池はもっと広く1km四方もあったが、住宅地が押し寄せて5000平米と閉じ込められてしまっているのだという。都会の真っ只中の不思議な空間であった。 スーパーで買い物をしてワイドビューでの昼ごはんとした。乾杯!「歩き塾」のblog(イベント開催情報と実施報告(写真集))に、この旅の「実施報告-街道シリーズ 「熊野古道-伊勢路」」を掲載しています。徒然の記その7 80歳超「自分で運転」26% 2019.5.30(木)■5月30日(木)の朝刊に踊っていた文言! 『80歳超「自分で運転」26%』あれだけ悲惨な事故が絶えなにのに、高齢者は運転を続けるのか! 車依存症は病気なのか! と老人を貶(けな)したくもなるが、ここはぐっと抑え別の観点から訴求してみてみよう。狭隘(きょうあい)な考え方では世の中よくならない。 逆に車の運転を許容してあげるのだ。どうぞどうぞ今まで通りと。だって、車以外に外出する手段のない人も多い。交通が不便、急な坂道、悪路、過疎地域、多い荷物、なんでも理由は挙げられる。ただ認知症検査でひかかった人は残念ながらここでは除く。 以前から提案しているように、「事故を絶対に起こさない車」を与えてあげればよいのである。もうその年になってspeed狂はいまい。最高速度30kmの車でもよいのだ。とにかくどんなにアクセルとブレーキを間違えて踏もうが、逆走しようが、車の方が反応して危険と思う時はそれをさせない、人が居たり、車が左右に迫ってくるときはstopし、問題を起こさない車を提供すればよいのである。 backなんか、ハンドルを握った途端車の方が文句を言うしかけである「よけいなことはしないで下さい。今バックをしております。」と車が叫んでいる時代である。 優しい車を提供してあげれば問題は解決するのではないか。重い荷物を運べるし、坂道も登れるはずである。ゆっくりと北海道一周も無理ではない。老人から夢を奪ってはならない。要するに老人に生きる希望を持ってもらうための完璧な車の開発を邁進してもらいたいのである。、徒然の記その8 衣類の整頓 2019.6.8(土)■平積みから巻物に下着などはタンスに畳んで平積みにして置くケースが大半であろう。これを全てロール状((旅行に行く時スーツケースの中に入れるやり方))にして全部が見える状態にしてみた。毎日順番で着ていき、そのロールを順繰りに前に繰り出していけばよい。洗濯から上がったものは、最後尾に配する。倉庫で言うLIFO(Last In, First Out, 後入れ先出し)である。 下着の形状などにより種類分けしたりしてとにかくすべてが見える形でまんべんなく回転させていけば平準化ができる。平積みの場合は、どんどん上から重ねていくので、どうしても上から取り出すことが行われ、全部が順番で回わらなくなり同じものを毎回着るということになってしまう。 スポーツ用のTシャツなんか、5万とあるのだが、すべてロール状態に整然と並べてみた。何十着とあるTシャツが全部見えるので、選びやすくなっている。運動靴も、このやりかたで回転できている。徒然の記その9 迫真の演技 2019.6.8(土)■5夜連続ドラマスペシャル山崎豊子「白い巨塔(2019.5.26 最終回)」を観終わった。合計時間11時間。岡田准一演じる財前五郎が、大学病院の頂点を目指すも最後の最後で、医療裁判に負け、病魔に倒れるという壮絶なドラマであるが、迫真の演技であった。友人だが患者に対する姿勢が180度違う温厚な里見脩二(しゅうじ)役の松山ケンイチとのコントラストもよく描かれていた。手術内容は時代に即して変更されており、原作のS38-40(1963-1965)時代での胸部X線写真は、PET (陽電子放射断層撮影-ポジトロン・エミッション・トモグラフィー(Positron Emission Tomography))検査に置き換えられていたりと最新医学が取り入れられているものの、話の大筋は現代でも通用する「白い巨塔」そのものである。第一外科に教授は一人。わが大学のように経営学部経営学科に教授が何人も居たのとは訳が違い狭き門であるからこそどろどろとした戦いが生じるのであろう。次期教授に誰を据えるかは今でも最大のテーマである。「スパイラル 町工場の奇跡」(2019.6.3 最終回)の玉木宏、貫地谷しほり、「集団左遷!!」の福山雅治など皆の演技が実にリアルで素晴らしい。ドラマ展開よりも、その喋り方や所作に惹きつけられているのだ。役にスッポリ収まっており実に旨い!! 俳優はどんな風に難解な固有名詞が連なったセリフを覚えるのであろうか。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jun 8, 2019
コメント(0)
Dfree、ミケランジェロ・プロジェクト_ story (4396)2019.6.1The 51 year old, who had been drawn to society for a long time with a sense of alienation(疎外感), caused a weird incident(猟奇事件) and killed himself.On the other hand, so-called "normal withdrawal people=Hikikomori persons" are 610k people between 40 and 64 years old, 99.9% of them are kind enough not to cause affair. There are a lot of people who get out of school refusal or retirement opportunities for more than half a year and who can't get along with people other than their families. What is the background behind the occurrence of this thug? Was there no preventive measure?Even if we aim to take out their withdrawals on behalf of their individual parents and walk or travel, Is it possible to elicit a willingness to work? 社会に疎外感をもって長く引きこもっていた51歳が猟奇事件を起こし自らも命を絶った。これに対して所謂「普通の引きこもりの人」は、40歳から64歳で、61万人もいるという。その99.9%は事件を起こすはずのない優しい人だという。不登校や退職を機会に半年以上家族以外の人と付き合わなくなる人たちは実に多いのだ。今回の凶悪犯が発生してしまった背景に何があるのだろう。予防手段はなかったのだろうか。親御さんに代わってひきこもりの人を外に連れ出して、歩いたり旅をしたりすることを目指すも、就労意欲を引き出すことは可能なのであろうか。■今週の1枚 Distant View of Minatomirai district from Daikoku wharh(2019.5.13)横浜市の大黒埠頭からみなとみらい地区を遥かに眺望する。運河を上下する大型貨物船の立てる波が、忘れた頃になって静かに波打つ。その文様は常に動き、うねっては盛り上がり、退いては褪色し、それを繰り返しながら次第に収まっていく。見ていると飽きないものである。目次徒然の記その1 掃除ロボット徒然の記その2 テルテル会徒然の記その3 巡礼路データベース 徒然の記その4 Dfree(ディー・フリー)という優れもの徒然の記その5 BSプレミアム「ミケランジェロ・プロジェクト」2013徒然の記その6 野川源流から多摩川までrun徒然の記その7 川崎市麻生区徒然の記その8 ゲネプロ徒然の記その1 掃除ロボット 2019.5.27(月)■カミさんの唯一の手下というべきロボット・・家が狭すぎて実力が発揮できないのか、行ったり来たりしながら苦労している。なかなか目的のところまで来てくれないのだ。 特に椅子の下など、左右にぶつかって上手に間隙をすり抜けないでいる。前へもうすぐ抜けられるのに、角度が悪く足にぶつかってしまい、諦めて後退してしていく。 カミさんそれをずっと目で追いかけている。「困ったロボットだわ」と。本来は、ロボットに掃除させている間に別の用事をすればよいのだが、見張っているのでそれもままならず。 諦めてロボットは隣の部屋に進んでいったが、障害物があったようでそれもガーガー文句を言いながら乗り越えようとしたり幾度となく挑戦をしているようだ。おそらく昨日まではなかった新規の障害物である。 ピアノの下はペダル以外は、足3本だけなのに、今日はやけに多いと。まぁロボットが時々叫ぶのは「ごみ入れが満タンになりました。交換してください。」と人間に助けを求める時だけで、障害物に関するお喋りはない。「不特定物体を見つけました、撤去してください。」「椅子の足が多すぎます。これでは能率があがりません。」「マットの周辺のビラビラは掃除のじゃまです。どけてください」などと喋れば考えていることがわかるのであるが、終始無言である。ガーガーと異様な音をたてて、挑戦を続ける。 カミさんもオカシイとは思っいつつ、隣の部屋まで見に行くのは邪魔くさい。とほったらかしにしておいたら、ロボット。そこを諦めて別な方向に進んでいったようである。 部屋にある充電boxが鬼門である。ロボットはここに近づくと、「一休み」しがちであるという。boxには小さな接触端子が2個ついており、それに触れると充電されるしかけである。さっと充電boxに近づき接触端子の上に来て落ち着く。充電が始まったのだ。そのうちにうとうとと。作業の途中であるのに、自分の仕事をすっかり忘れて眠りこけるのだという。 物体の原因は、ピアノの下に並べた新聞紙の筒である。十何本も並べて置いてあるのが原因であった。これは小生が見つけたのだ。「あぁそれがそうだったの? なんかガーガーと音がしていたのは!」と呑気なカミさんがさけぶ。■パイプオルガン・・カミさんが4月から習い始めたパイプオルガン。家にチャーチオルガンがあるような人達が習いにきているのだという。ものすごい競争倍率で講座を受けるのは至難の業であると。カミさんそんなこととは露しらず。鼻歌まじりで大学の教会にいったら、「専用の靴はどうしたのですか?」「弾きたい曲の楽譜はもってきましたか?」と、園長先生が園児に聞くような感じで矢継ぎ早に聞いてきたのだと。 注意書きをあまり読みもせずに駆け付けたものだからえらい恥をかいたようである。そもそも申し込みの電話がかからないことで有名なのに、カミさんの場合は電波時計を使用して申し込み時間の2秒前には電話をかけ始めているためあっさりと掛かってしまい、さっさと受付を済ましていたのだという。8名ほど集まらないと催行できないプログラムで、その後音沙汰が無かったのでてっきり中止になったのだと思っていたらしい。 内情は逆で、申し込みが殺到していたらしいのだ。 何も準備をしていかなかった本人。大反省。さぁそこからが大変。家にパイプオルガンが無いものだから練習のしようがない。そこで編み出したのが、足ペダル用に、新聞紙を丸めたのを何十個も並べそれらしくして、プッカプッカと踏むようにしたのだ。 ところが残念ながらどこを踏んでも、音がしないのだ。巻く枚数を変えれば音階になったりするのか、または踏んずければ音がでるようなものを中に仕込んでやるか? 先生から貰ってきた楽譜は3段になっている。ところが足用の3段目をみると、左手が動いてしまい、悪戦苦闘だという。新聞紙が鳴らないため練習にはなっていないのだ。 そんなこんなで、失敗作の新聞紙の丸まったのが、置かれたままとなっているのだ。ロボットにとっては迷惑な代物となっている。 あぁハイソサイティーな生徒に混じり、苦戦をする無産階級の女子よ。背伸びはいけない。地に足を付けて歩こう!■ついでに言おう。「邪魔くさい」の極みが家じゅうにころがっている。ハミガキ、シャンプー、石鹸、洗剤・・・交換タイミングになるも、最後の最後、一滴もでなくなるまで夫婦どちらも自ら交換しないのだ。 さてどっちがやるか。ハミガキなど、チューブをぺっしゃんこにして逆さまにすると1滴くらい歯ブラシに付くのでまだ使えるのだ。チューブの先端から2mmほど顔を出しても、手を緩めたとたん引っ込んでしまうので、一瞬のうちに歯ブラシにそれを絡めとらなくてはならない。悪戦苦闘である。石鹸なんて、0.5mmほどの薄いかけらになっても工夫すればタオルを泡立てることができる。この切片はなかなか無くならない。 共通して言えることは、最後まで使わないと「もったいない」という精神である。如こうして我が家では、痺れを切らしたほうが負けで、新しいものと交換したり、補充をしたりと立ち働かなくてはならない。それがほとんど小生の役割となっている。敵もしぶとい!徒然の記その2 テルテル会 2019.5.25(土)■大学の電磁気学専攻の研究室卒業生による集いが毎年この時期に行われている。夭逝された先生の元に集まったゼミ生は総数200名。このうち30名ほどが毎回出席。あまり顔ぶれはかわらず、1年の息災を話し合ったり最近の研究を報告したり。先生のお子さんはもう69歳だという。その兄妹も参加。会の主宰はドクターコースで教授になられたKさん。 もう最近は余興にやるテルテル楽団の演奏がなくてはならないほど定着してきた。リコーダの男性82歳はこのために白馬の山小屋に籠って猛練習をしたという。ところがそこで風邪を引いてしまい、欠席だというではないか。急遽ギターでそのパートを埋め下記のような演目で演奏をした。1.アルムの歌 ・Brixlegg Östareich:Unt an Alpbachtal(ヨーデル アルプ13号より (Vn、Va、リコーダー→ギター)) ・Steirmark Östareich:O Jubel,o Freud(歓喜よ、悦びよ アルプ94号より (Vn、Va 、リコーダー→ギター)2.Antonio Vivaldi:Concerto for Guitart(ヴィヴァルディ:ギター協奏曲 (ギター、Vn、Va))3.Rimsky-Korsakow:He Betep, Beя c BыcotbiOp.43Mo.2(高みから吹く風が(Vn、Va))・・最後のレントのところでVaは落ちた! 次回から演奏終了まで酒を控えよう。 歌唱は、磯部 俶(ISOBE Toshi 1917-1998 )作詞・作曲「遥かな友に」を大合唱。この曲は、S26(1951)年にW大学のグリークラブの夏合宿が道志川の夫婦園で開催されたとき、合唱指揮をしていた磯部さんが即興で作曲したという4声の男声合唱曲の曲で、今や多くの合唱団が持ち歌としている名曲である。1992年からは発祥の地に近い相模原市・青根で毎年「道志川合唱祭」が行われている。第28回の今年は2019.9.29(日)開催予定。■データ基地の宇宙ステーション・・最近は"宇宙"と名前が付く研究発表も多いがこれもその一つ。宇宙で無尽蔵に獲得できる太陽光発電システムを利用し、2km四方の巨大なパネルを展開して電力を集め、軽量薄膜LSIを使用した宇宙コンピュータで、データ処理を行うもので、大容量データベース基地の構築を目指す。個片の技術は確立されているので実現は難しくないのだという。宇宙エレベーターを研究している友人もおり、絵空事ではなくなってきているのだろうか。■映画監督と脚本家が両親だという言う人は記念室長をやって、主に著作権の管理をしている。特定の日にはopenしているので訪ねることができる。自宅を改造して旅館をopenさせた同期の輩など多士済々である。徒然の記その3 巡礼路データベース 2019.5.18(土)■スペインで50コースほどある巡礼路をできるだけ網羅しようと4年ほど前からコツコツと作ってきたものが文字数で1万字もあり、すでに見ずらくなっている。宿泊情報や交通情報、世界の天気予報を含む便利なアプリなど大体7項目に分けて開示をしているのであるが、使えないという声が届いた。そこで第1項目の「コース情報」と第6項目の「旅の装束」については索引をつけリンクを張った。 2時間ほどの作業であったが、orderを受けてからの思案の方が長かった。ようするに手抜きをする方法がないものかと。「あいうえお順」に並べ替える便利な方法は? Excelを使うと一発である。 ただ漢字は音読みになってしまうため別に「ひらがな読み」の欄を起こして「カタカナ」で入れていく。それをKeyにして並べ替えを行う。縦1行では見ずらく表も長くなるので、3列くらいに折り畳む。その行列数を記憶し、ホームページのHtmlの文章に、全く同じ行列からなる白表を作成しておけば後はExcelをコピーして「テーブルオブジェクト→表の読み込み」を行うだけでExcel表が張り付く。 魔法のような機能で、便利。あとはそれぞれにリンクを張っていけばよい。作業の大半はこれに費やす。すこし見易くなったのかと自己満足。巡礼路データベースは、下のHPに載せてある。http://turbo717.ciao.jp/このページの右上の「Camino-guidebook-infomations 巡礼路一覧表、ガイドブックなどの参考資料」をクリック。(直接は)http://turbo717.ciao.jp/PilgrimRoute-Europa-Spain.htm今回はこの第1項「コース情報」、第6項目の「旅の装束」に索引を付けた。徒然の記その4 Dfree(ディー・フリー)という優れもの 2019.5.27(月)■若年性認知症などで、歩けるのに介護認定は「4」という方がいる。それはトイレの介護が必要の場合は、どんなに歩けても「4」になるらしい。それに比例して介護費用も高くなるので色んな負担が大変である。「家の中、どこでもトイレをしちゃうので目が離せない。」と。 クラス会では「下の世話を人に頼むくらいだったら死んだ方がましである」と息巻く御仁が居たが、元気なうちならそんな啖呵を切れても、いざという場合は実際はそんな簡単ではない。 介助者は24時間付きっきりで世話をしなければならないという。排泄予測デバイス・Dfree(ディー・フリー)はセンサーとBluetooth内蔵のバッテリーとの2体から成っていて肌と下着やズボンに装着する。 便意には2種類ある筈である。尿意と便意。前者は膀胱で、後者は直腸と内肛門括約筋の作用である。臍のほうから見ると、一直線に並んでいる。そこへ超音波をあて、どちらかが満タンになると知らせてくれる ウンコやおしっこを漏らすことなく事前に予測できれば、本人も介助者も助かる。老人だけではなく障害者にも朗報かもわからない。4万円台で手に入るという。開発した会社(トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社 http://dfree.biz)は来年度までに世界中に1000万ユーザーを目標としている。 眠り姫であるわがカミさんも時間がくれば忽然と起きてくる。これはDfreeなしでおしっこを検知しトイレへと促した脳細胞の確からさを証明する。思い出したようにピアノを弾くのであるが、何か精巧なおもちゃのようで面白い。徒然の記その5 BSプレミアム「ミケランジェロ・プロジェクト」2013 2019.5.27(月)■2013年のミケランジェロ・プロジェクという映画がBSで放送された。つい先日4/26に封切された「ヒトラー vs ピカソ 奪われた名画の行方」の前編のような感じの映画であった。ミケランジェロ・ブオナローティMichelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni(1475-1564)の「聖母子像」《ブルージュの聖母子像 (1501-1504の作)》は、、聖母マリアとキリストをかたどった大理石の彫刻。現在はベルギー・ブルージュの聖母教会に保管されている。映画はこのこの像を始めとして貴重な美術品をヒトラーから奪回しようとする戦時下の危険なプロジェクトの遂行のドキュメントである。 収集したものの中には路面電車も含まれて総数500万点にも及ぶという。故宮博物館のような壮大な総督美術館に納めようとしたものであろうか、ヒトラーの収集熱の異様なまでの貪欲さにあきれるほどだ。 戦局に応じ、それらは、方々の岩塩の掘削坑やお城の奥深くに隠していったようだ。 この聖母子像は、ドイツ軍が退却する時赤十字の荷物に隠されてあった。それを追跡するジープが誤って危険な森の中に踏み入れてしまい、退却途中のドイツ兵に集中砲火を浴びてしまい1人が亡くなっている。 最後に、「美術品を死を賭して奪え替えす価値があったのか? 30年後もその答えは変わらないのか?」とプロジェクトを推進したストークス中尉に尋ねる件(くだり)があった。 30年後、ブルージュの聖母教会で、孫といっしょに見学するシーンでの答えは、確信を持った「Yes」であった。一個の美術品は歴史そのものであり、人類にとって貴重な財産であるからである。徒然の記その6 野川源流から多摩川まで 20km run 2019.5.28(火)■野川は、国分寺市東恋ヶ窪一丁目の日立製作所中央研究所内の大池を源流として、近所にある姿見の池からの水や、武蔵国分寺跡に隣接した「お鷹の道」の真姿の池(ますがたのいけ)などの湧水群を合わせ、多摩川に注ぐ20kmの河川である。 JR中央線に接するあたりにある「押切橋」が最上流の橋で、二子玉川にある「兵庫橋」が最下流の橋ということになる。その1km手前で仙川が合流する。 川筋をいく旅としては、石神井川もあるがこちらは深い河川で川に降りることは出来なかったが、野川は河川敷に側道がついていて、川に降りることができ、水遊びもできる開けた優しい小川であった。 隣接する位置に公園が多く、なかなかの一級河川である。園児たちが川に入って遊ぶ姿もみられた。 国分寺跡も散策したいと思い、少々回り道をした今回のrun下記のようなコースである。【野川 全コース・・歩き塾では、2019,2020と2回にわけて実施したいと考えている。】JR国分寺→押切橋→都立武蔵国分寺公園→お鷹の道・真姿の池湧水群→前原小学校(暗渠)-旧野川→武蔵野公園→西武多摩川線→東八道路→人見街道→中央道→甲州街道(ここまで10km)→京王線(最寄り駅は柴崎か国領)→野川児童公園(野川合流地点)→谷戸橋(狛江市)→野川緑地広場→喜多見→小田急線→世田谷通り→荒玉水道道路(都道428号線-砧浄水場→東高円寺)→東名高速→仙川合流地点→二子玉川緑地→国道246号線→兵庫島公園→兵庫橋→東急田園都市線・東急大井町線・二子玉川駅 ここまで計21km最後は、グランドに接する兵庫島公園に足を踏み入れる。野川と多摩川との間にできた三角州である。足利時代(1358年)、この近くの戦いに破れ自害した由良兵庫助(新田 義興(よしおき)の家臣)の名に由来する。玉川通り(R246号)の橋の下をくぐれば小高い段差がある小川が流れる。 三角州の真ん中に兵庫池があり、そこへ導水する小川は雨水のみが流れる「枯れ流れ」と野川の浄化設備を利用した水を利用してちょろちょりろではあるが、優しい安全な流れなので、子供たちが遊ぶことができる。大きなポリ袋を持った学生が十数人ゴミ拾いをしていた。芝生では3組の親子連れがマットを敷いて寛いでいた。 野川の最下流にはこういった驚きの光景があった。ここにはさらに夏季限定で茶屋がopenする。徒然の記その7 川崎市麻生区 2019.5.28(火)■麻生区の登戸で通学途上の子供たちが襲われるという痛ましい事件が起こった。51歳の犯人は両手に2本の刃物、リュックにも2本、、計4本の刃物をもった無言の男性。十数秒以内に20人もの死傷者がでた。犯人は永い間就労していなかった所謂「引きこもり状態」であったという。人を道ずれにして自殺を企てた、という動機なのであろうか。最近富におかしな行動をとる人が増えてきた。同じ家屋に住んでいても会話が成立していないという異常事態だったらしい。今後は、集団で登下校するようなときの見守り役は「さすまた」が必携であろう。 さらに、監視カメラの映像でAIを駆使した発狂寸前の人物を特定し警報を鳴らすなどのシステムが研究開発が急務である。 話は変わるが、アナウンサーが「麻生区」のことを「あさおく」と言っていたのでカミさんに聞くと「あさお」で正しいのだと。いままで「あそう区」と発音していたが。では「麻生さん」はどうか。こちらは「あそうさん」でよい。 調べてみると、この文字17通りほどの読み方があり驚愕する。すなわち「あそう,あそお,あそ,あしょう,あざう,あさお,あさう,あさせい,あさみ,あさぶ,あざぶ,まお,まい,まき,ましょう,ませい,まそう」・・いったいなんなのだ。この数は!徒然の記その8 ゲネプロ 18:00~ 2019.6.1(土)■明日の定期演奏会のゲネプロが 始まったシューマン:シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54シューマン:交響曲第1番シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 Op.38「春」指揮:森口 真司 ピアノ:江崎昌子土曜日のこの時間、blog発行時間(18:00)には、会場の府中の森芸術劇場に団員100名が集まり、ステージのsettingなどが開始される。この15分後には、近隣のオケからチラシの挟み込みなどで関係者が集まり作業が開始される。 Pianoの調律はすでに終わり、GPが19:00から始まろうとしている。明日は午前中のステージリハーサルの後、13:30開場、14:00開演。当日券はまだあると思いますので、気軽に出かけて来てください。 なんといってもピアノが素晴らしい。協奏曲は出だしからピアノと木管Soloとの楽しい掛け合いであり、短調を感じさせない。美しい旋律が随所に散りばめられ、ある時はピアノすらも伴奏にまわる。クララとシューマンが戯れあっているようで楽しい。ピアノにオケが呼応する箇所がいっぱいあり、2人が手を携えたり、飛び跳ねたりしながら、野原を駆けていくような爽やかさが曲にあり、ため息が出るほどである。 明日当方は、お客様誘導係として、会場の外にいますのでお声がけいただければ嬉しいです。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jun 1, 2019
コメント(0)
紀尾井ホール-浜松入賞者披露演奏会、再び千鳥公園へ_ story (4395)2019.5.25It has suddenly become hot. I can't control my body ,so I spend all at home. Our Spanish pilgrims are walking along Camino del Norte(the north road). The remaining camino menbers in Japan are following carefully while referring to the past diaries etc..I also keep track of notes on my Excel book , traces on Googel Earth, Maps.Me, etc. It will be very happy!! 急に暑くなってきた。身体がついていけなく家でだらりと過ごしている。スペインの巡礼では北の道をそれぞれ歩いている。残留組は。声援を送りつつ、皆過去の日記などを取り足ながらフォーローをしている。小生も手記やMaps.Me,GoogelEarth上のトレースなどを見ながら追従し、Excelブックに記帳と忙しい。■今週の2枚 Spring Landscape of Doshi river(道志川の春 2019.4.19)From the the hill of Monument of Requiem at sumit of Osutaka (The Accident of JAL123 1986.8.12 )( 御巣鷹山・昇魂之碑から西側の斜面 2019.5.6)ここで姉を亡くしたという人に最近会った。家族でこの夏お参りすると言っておられる。スケッチは5月初旬の芽吹いたばかりの山肌で、まだまだ早春のイメージであった。目次徒然の記その1 第10回浜松国際ピアノコンクール 入賞者披露演奏会 東京公演徒然の記その2 立川いったい音楽まつり徒然の記その3 川崎大師から千鳥公園へ 徒然の記その4 Viola Lesson徒然の記その5 難字:平野啓一郎「マチネの終わりに」徒然の記その6 林京子「ミッシェルの口紅」徒然の記その7 二十四節気(せっき) 小満徒然の記その8 府中市民交響楽団 第79回定期演奏会 告知徒然の記その1 第10回浜松国際ピアノコンクール 入賞者披露演奏会 東京公演 2019.5.21(火)■土砂降りの雨の直後はすべてが瑞々しい。雑草には雫がのこり裾を濡していく。その中を紀尾井ホールに向かった。昨年11月24日(土)にFinalistの演奏を聴いてからの約半年ぶりに彼らに会えるのだ。コンサートに向かう人達が紀尾井坂を列となって下っていく。お堀端側の道は雑草の端が衣服に触るくらいに茂っておりすこし歩きずらいがこちらのほうが空いている。 開場は18:15。指定席ながらこれを待つ人たちの列が長く伸びて来ている。動き出した列の最後尾に並ぶも、それがどんどん長くなっていく。諦めて玄関口で列が切れるのを待つ人も多いが。 後で到着したカミさん。こんなのは始めてだったらしく当日券を買う列かと思い、前の人に聞いたという。「これ何の列ですか?」と。 800席のホールは満席で、興奮黄味に喋る人たち。浜松での審査員たちが招待席に譲りあいながら着くのを目ざとく見つけ、皆が注目したりする囁き声。「あの方が、審査委員長の小川 典子さんよ!」と言ったり。 小説「蜜蜂と遠雷」で一躍有名になったこのコンクール。さらにアニメ「ピアノの森」の感動を胸に駆け付けた多くの人たち。まさにこの会場がそれらの思いを凝縮させたような坩堝(るつぼ)となっているようであった。 カミさんも囁(ささや)く。「反田(そりた)恭平よ!」と。髪を後ろにひっ詰めた黒い服の男性が審査員と挨拶を交わしながら前のブロックに沈んだ。撓(しな)やかな足取りである。TVアニメでは、阿字野荘平(あじの そうへい)だけでなく、弟子で優勝した一ノ瀬海(カイ)の演奏を引き受けたと思われるその「人」である。機会があれば聞いてみたい。 開演のベルが鳴った。扉が開いて、安並 貴史さんがつつと進み出て、前触れもなく、いきなりピアノを弾き始めた。鍵盤を叩くように、掃くように指を滑らせていく。曲はバルトーク:「野外にて」。あまり聴いたことがない曲である。 これがガラコンサートのスタイルなのであろうか。使われたピアノはShigeru Kawai: カワイ最高峰のグランドピアノである。 今日のコンサートは第6位から登板していく。【】の後ろが使われたピアノ。1.安並 貴史(YASUNAMI Takashi)【第6位】Shigeru Kawai バルトーク:「野外にて」より 第1曲「笛と太鼓」,第2曲「舟歌」,第4曲「夜の音楽」,第5曲「狩」ドホナーニ :4つの狂詩曲 作品11より 第1番 ト短調2.務川 慧悟(MUKAWA Keigo)【第5位】Shigeru Kawai ドビュッシー:前奏曲集 第2集より第6曲「風変わりなラヴィーヌ将軍」,第12曲「花火」ショパン:バラード第4番 へ短調 Op.523.今田 篤(IMADA Atsushi)【第4位】Yamahaショパン:ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 Op.35「葬送」**休憩**4.イ・ヒョク(LEE Hyuk)【第3位】Yamahaストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」からの3楽章 第1楽章「ロシアの踊り」,第2楽章「ペトルーシュカの部屋」,第3楽章「復活祭の市場」5.ジャン・チャクムル(Can CAKMUR)【第1位】【札幌市長賞/室内楽賞】Shigeru Kawaiバッハ:イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV 811 第1曲「プレリュード」,第2曲「アルマンド」,第3曲「クーラント」,第4曲「サラバンド」,第5曲「ガヴォット1-2」,第6曲「ジーグ」メンデルスゾーン:幻想曲 嬰ヘ短調 「スコットランド・ソナタ」 Op.28 平均25分程度の長さで、演奏を披露していく。ピアノは2台で、隅に置いてあった交代のピアノがゴロゴロと引きずり出される。調律し直さなくてOK?と不安になるがまぁ頑丈なPianoで大丈夫なのであろう。ヴィルトゥオーソ ここにあり というような超絶技巧を披露していく。 ため息交じりのささやかな音色から、天井を揺るがすような大音響まで、空気を震わせながら一枚の絵を完成させていく。その絵は前に広がり、後ろに退くようにも思え、ふわふわとした塊のような立体的な構造体となって記憶されていく。 さすが頂点に立った人達である。ショパン国際ピアノコンクールと違って浜松のは多くの作曲家の音楽を聴くことができて楽しい。 牛田智大氏は今回は優勝するのではないかと前評判が高かったが、残念なが2位となったが、それでも「2018年浜松国際ピアノコンクール日本人歴代最高位の2位!」という称号が付いた。今回は都合がつかず欠席となったが。 務川 慧悟氏は、芸大の1年生であるというので驚く。カミさんと同じ県立高校からの進学である。反田恭平の愛弟子らしい。 イ・ヒョク(LEE Hyuk)は天才中の天才と噂の韓国ピアニストである。12歳のときにモスクワで行われたヤング・ショパン国際ピアノコンクールで優勝を果たして以来数々の賞を取っている。 さて、最後にジャン・チャクムルが登場してきた。昨年の最初の印象は余りに細いズボンを履いたひょろ長い青年であったのだ。 顔はアフロの髪で覆われているが、絶世の"美貌"である。お人形のような顔の持ち主ながら強烈な音をたたき出す。ものすごく旨いのである。緻密な音がピアノから紡ぎだされる。さぁっと会場に響きわたる音はあたかも芳香の匂いまでも醸し出す。 酔いしれた2時間半。最後は出演者全員がステージに上がり、手を繋いで万歳をやる。大学生の務川 慧悟氏は少しはにかみ乍ら。 4歳の孫は子供園に通っている。送り迎えなどの保育を頼まれているカミさんとは駅で別れる。こちらに来るのも、母親が帰っきてからという慌ただしい出発であったようであるが僅か20分で到着できている。やはり都心は便利である。その孫も傑作であったと。夕食を食べる時間が無いので母親が帰る前におにぎりを作って食べていたら、僕にも一つ頂戴という。さらに2つばかり握っていたら、「僕、おにぎりを見ると食べたくなるの。」とせがむのだと。 ピアノを習い始めたらしいが、手の動きがおかしい。左右の親指を立てて鍵盤に垂直に宛がうも、右手は左の方、左手は右の方に捻(ひね)っているので様子がおかしい。そうじゃないと直そうとするとこのように教わっているのだと聞かない。こちらはあぁ!ヴィルトゥオーソからほど遠い。ほほえましい"庶民のピアノ"の始まりである。徒然の記その2 立川いったい音楽まつり 2019.5.19(日)■午前中のオケの練習のあと、立川駅に寄ってきた。会社の走友会(昼休走会)のT氏がバンドで出ているのだ。「走り」をやめて久しく、バンドのほうが主体となっている男性である。ギターやボーカルを担当している。 立川駅も他の駅同様に中央コンコースがあり、あか抜けた駅の雰囲気となって往年のゴチャゴチャしたイメージはない。南武線と中央線の連絡地下道が無くなって久しい。全てが2階のコンコースで結ばれている。その後モノレールが立川駅に交叉して走るようになり、その北駅と南駅の間にペデストリアンデッキが繋がり広い舗道空間が出来上がった。 周辺のビルと結ばれているので解放的である。北口にある立川タクロスというビルの外側はちょっとした半円形のステージとなっている。30分単位に、ジャズやゴスペルのグループがセッションを繰り広げる。Coelho(コエリオ:ポルトガル語でうさぎ)というグループの後が、「The Lucky Lips」というバンドグループで、T氏が登場。懐かしのオールディーズポップスを繰り広げる。2人の女性シンガーがマイクを片手にピンク・レディーの曲などを披露しながら熱演を繰り広げる。強烈なビル風が吹きすさぶ中での演奏であった。 野外ステージはJRの音もする決して条件が良い場所ではないのであるがやんやの喝采を浴びていた。グループの皆と記念撮影。なんとリーダーの実家は小生の家に近いという。 T氏は、主宰するブルースロックやソウルバンドもあって意気盛んである。次回はそのライブにも行ってみたいものだ。その時のオープニングはWild cherryやPlay that funky musicだという。Bohemian Rhapsody ボヘミアン・ラプソディーのQueenのいでたちを彷彿とさせる氏の生きざま。驚愕である。ロックンロールそのもの。こういう人生もいいものだ。徒然の記その3 川崎大師から千鳥公園へ 2019.5.22(水)■何回か下見で走り廻っている川崎市。今回はその本番の「歩き塾」である。10名が集まった。時間を間違えて早く来た人、後半参加と表明した女性は早くも待ち合わせ場所に来ていて偶然その人と出会っている。その彼女は早々と目的地の千鳥公園に到着してしまい、牛歩のようにゆっくり歩くつもりでいた我々は途中から高速歩行に切り替えて進む。常に変化球を伴うのが愉快。 川崎大師は、沢山の建物があり薬師殿、大本堂などあちこちに点在。仲見世から入門すれば、真っすぐには大本堂が迎えてくれるのであるが、われわれは徒歩で裏口と言うべき駐車場から入ったものだから、境内の配置がつかめずウロウロ。 もう御朱印は貰うまいと。いちいち手書きをすることなく、プリンターでさっと印刷するほうが能率的であるが。こちらには日本百観音霊場や新四国八十八ヵ所の「お砂踏み参拝所」があり巡礼した気持ちにさせてもらうことができる。前者は手で観音さんの彫像に触れていくしかけ。 千鳥町は島で、千鳥、大師、京浜、塩浜といった東西南北を走る運河で囲まれている。通行は千鳥橋一本で結ばれ、京浜運河を挟んで東側にある東扇島(ひがしおうぎじま)とは海底トンネルで結ばれている。千鳥橋からは西側に水江町の工場群の屹立を眺めることができる。この橋うえで立ち止まり近隣を説明したりして先を急ぐ。千鳥島の先端で寛いでいた女性はしびれを切らし手前の交差点まで迎えにくる。隊列が通る道は一本。間違いようがない。 千鳥公園では童心に還り 羽田に降り立つ飛行機を数え、京浜運河を航行する船を観察。東扇島に横づけされている大きな船は、自動車専用船で、PCC(Pure Car Carrier)ということを教えてもらった。なるほど次から次へと車が船内に吸い込まれていく。 ヘリコプターの隊列が頭上を飛んでいく。7,8機くらいが、一直線になって飛行をしていた。後でこれがトランプ大統領の警備の予行演習であったことが判明。六本木にある米軍ヘリポートから飛び立ったものである。国立新美術館の真南のトンネルの上が秘密基地で敷地面積は3万1670平米もある。一辺270mの正三角形と思えば分かり易い。Google Mapなど地図には記載されていないものである。返還を強く求めても応じてもらえない都心唯一の米軍基地。 この歩き塾では4月-5月にスペイン巡礼を果たした人が3人も参加していた。これから出かける人もいて、情報交換の場となっているのだ。そのいくつかを紹介。・四国巡礼では、素泊まりの宿「お遍路ハウス」が47軒(徳島10、高知12、愛媛16、香川9)あり3,000円やドーネーションなど様々な形態。テントは基本xなのでこういう安宿を利用する外国人が増えているという。・simカードで失敗しないために。到着時間などの影響で買えない場合があるので現地調達はやめて、日本でnetなどから購入して準備していくとよいという。 インターネットのみの場合・・Threeデータ通信専用プリペイドSIM【3GBタイプ】【最大90日間有効】 1740円。 インターネット+電話の場合・・ Three 30日/データ12GB/通話3000分・イギリス他約60地域 2150円。 iPhoneの場合は・SIMロック機能(特定のSIMカードを差し込んだ場合のみに動作するよう携帯電話や通信モジュール等に施される機能制限)が付いているので注意。 sim交換に際してはアクティベート(初期設定)が必要で、渡航する前に済ませておいたほうがよい。 SIMカードロック(SIM PIN)の設定をしなおして、個人用に使えるようにするのだが、pin設定ミスを3回行うと「PUK(PINロック解除コード)がロックされている」というメッセージが出てスマホが使えなくなるという。この場合はshopに持ち込む以外に手がないという。なんと恐ろしい。 当方のAndroidのようにSIMフリーであってもPINコードが設定されている場合があるので注意。SIM PINの初期化はau・・0000,docomo・・1111,softbank・・9999など。 セキュリティ用のpinコードを外して使うのが便利であるが盗まれたら終わりである。徒然の記その4 Viola Lesson 2019.5.22(水)■直前特訓・・・というのに、弓の持ち方から直される。先生の持ち方は我流ながら最適だと言う。一方プリムローズの弓のホールドは魔法のように親指の支えなしで弓が持てる方法などもあり自在である。弓の手品として有名なシーンがある。芸大生の前で1970年に披露している写真が「プリムローズのViola奏法」という教本に出ている。 どの指で75gくらいの弓を支えるかという点については当方のは肩の力が入り、小指が突っ張り、親指が反り返っているという悪い癖が40年来付いてしまっているのだという。何も持たず、手をぶらりと垂れるその姿のまま、小指には力を加えず親指、中指、薬指の3指のみを弓のフロックや巻き線の箇所に宛がう。影絵をするときの狐の形がそうであると。親指と中指、薬指のみで弓を支え、小指と人差し指は上げたままで弓を持ってみる。 卵を持つように丸めて。小指は弓先に触れるか触れないくらいにそっと置く程度。それも突っ張らずにそっと落とす感じで。人差し指も最後にそっと添える程度で。 この基本形ができないとよい運弓がができないのだと。弦に乗せた弓のどの位置でも右肩の力を抜いて。これは家での今後の宿題となる。ものすごくスムーズによい音が出るような気配である。 弓が全体的に使いすぎてすべっているようである。もっともっと小幅でよいのだ。凝縮されたきっちりした音が紡ぎだせるようになる。毎朝1時間は運弓の練習をしよう。 さて、全曲に亘り、難解な個所を弾いていく。優等生的な弾き方では面白みがないのだと、音楽になっていない。音の繋がりとしてフレーズを奏でていくように意識を変えなければならない。弾けないところだけspeedを落とすのは間違っている。弾けるようになるまではkeep。 拍は正確に。ppではもっと音量を落とせと。檄が次々に飛ぶ。アクセントなども気持ち弓圧をすこし与える程度でよいのだと。下品にならずにとも。 繊細な音楽を紡ぎだす努力を「常に」せねばならない。精進のみが待っているのだ。こんなに詳細にblogを書いている暇はないのだ!徒然の記その5 難字:平野啓一郎「マチネの終わりに」 2019.5.21(火)■なかなか面白い本であった。2人が主人公である。一人は天才ギタリスト、一人は外国通信社勤務の女性。歓喜と悲哀の物語。東日本大震災後の世界も綴られノンフィクションのような本である。この2人が40歳だった頃以降の話は現在進行形である。何十年か後に続編が読みたいものである。紆余曲折を経て、2年半ぶりに2人がNYのセントラルパークで合うシーンなんかもう涙で霞んで文字がよめないくらいの感動シーンである。さてこの本、難しい漢字をよくも使うものだと漢和辞典を繰りながら読んでいた。 たとえば、漲(みなぎ)る、慰藉(いしゃ:なぐさめ労(いた)わること)、貶(おとし)めて、峻拒(しゅんきょ:きっぱりことわる)、訝(いぶか)る、縛(いまし)める、躁(さわ)ぐ、揺曳(ようえい:ゆらゆらと漂う)、齎(もたら)す、うち拉(ひし)がれる、縋(すが)る、眼を瞠(みは)る、拗(こじ)れる、胸の裡(うち)、疚(やま)しい、縹渺(ひょうぼう:ひろくはてしない様)たる響き、墨守(ぼくしゅ:かたく守って変えないこと=墨子の伝説に由来)する、畢竟(ひっきょう:仏語。究極、至極、最終などの意)忸怩(じくじ)たる(:自ら恥じ入る気持ちに駆られること)、目眩(めまい)、金融工学(=financial engineering=金融市場で資金を運用する際に生じるリスクを、数学・統計学・経済学・情報技術などの手法で分析・管理し、効率よく利益を上げる方法を追求したり、新しい金融商品を開発したりする学問およびその技術。) さらによく目にした言葉では、「酷い」があり、酷い(ひどい、きびしい、むごい、つよい)などと読める。音読みの「コク」だけの字であるが字義としての読みを宛がうが、幾通りにも読めてしまう文字である。徒然の記その6 林京子「ミッシェルの口紅」 2019.5.22(水)■これも面白い本であった。1937年から戦後直後まで、作者が少女時代を過ごした上海や長崎が舞台となっている。少女期の回想を再構成。被爆体験も最終章ででてくる。 上海の紅口地区にあった借家の「赤煉瓦の三階建て」に住んでいたという設定で書かれた日記で、「私」の目線から実に生き生きと戦時下の生活が書かれている。対日抗争さなかでも、陸軍の護衛付きで遠足を楽しんだりという事柄がよく描かれている。 小生は「大阪・少年期の上本町時代のこと」のような本を書こうと思ってもこれほどリアルに思い出せるものかは疑問であるが、記憶の片隅にある些末なことも章立てて起こしていけば面白いのかもしれない。そういう意欲を駆り出させてくれた本である。4人姉妹の3番目が京子さんで、8歳くらいから16歳くらいまでの記憶が本になっている。 上海のトイレ事情が一番面白かった。日本のような個室ではなく、持ち運びできる甕(かめ)を好きな所において用を足すのだという。朝、業者が中身を回収に来た後は、お手伝いなどがそれを貝殻などで綺麗にしてすこし水をはって家の中に運び入れるのだという。 京子さんは、窓辺で友達とお話をしながら用を足したりしていたのだと。傑作な文化があったものだ。徒然の記その7 二十四節気(せっき) 2019.5.24(金)■今週にあった5月21日は二十四節気の第8「小満(しょうまん)」にあたる。平均15.2日ごとにある節気でもあまり聞かない言葉である。2/4・・立春、2/19・・雨水、3/6・・啓蟄、3/21・・春分、4/5・・晴明、4/20・・穀雨、5/6・・立夏、5/21・・小満、6/6・・芒種(ぼうしゅ、芒=のぎ)、6/21・・立夏、7/7・・小暑、7/23・・大暑、8/7・・立秋、8/23・・処暑、9/8・・白露、9/23・・立秋、10/8・・寒露、10/23・・霜降、11/7・・立冬、11/22・・小雪、12/2・・大雪、12/22・・冬至、1/5・・小寒、1/22・・大寒以上24個。幾つぐらい知っていたであろうか。徒然の記その8 府中市民交響楽団 第79回定期演奏会 告知 2019.5.25(土)■いよいよ定期演奏会が迫ってきた。日時 2019年6月2日(日) 開場 13:30/開演 14:00 場所 府中の森芸術劇場 どりーむホールプログラム:ブラーム 大学祝典序曲 Op.80シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54シューマン 交響曲 第1番 変ロ長調「春」Op.38指揮 森口真司ピアノ 江崎昌子全席自由 前売り1,200円 / 当日1,500円********************************************少し解説。・シューマン(1810-1856)の交響曲 第1番は1841年に完成。シューマン31歳の時。・シューマンのピアノ協奏曲は、1845年に完成。シューマン35歳の時。共に、クララ・シューマンと結婚した1840年以降の充実期にある作品だ。シューマンの死後、クララ・シューマンは、ブラームスと共に全作品のメトロノーム(♩=90などの速度表記)を充実させたといわれていいる。シューマンと同じ年に生まれているショパン(1810-1849)を1831年「諸君、脱帽したまえ、天才だ」として紹介している。 ・ブラームの大学祝典序曲 Op.80は、昨年の第77回定期演奏会で演奏した「悲劇的序曲」と対をなす曲で明るく春らしい曲である。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
May 25, 2019
コメント(0)
100th Sanya mini-concerts,Die Walküre(Valkyrie) _ story (4394)2019.5.18On the day of the Sanjya Festival, at the church in Tsutsumi Taito Ward Tokyo,Sanya mini-concerts held by volunteers became the 100th anniversary to be commemorated.MET Live Viewing admires Die Walküre(Valkyrie). We watch the ninth work of 2018-19 series (those actually performed at NY-MET on March 30th) in Shinjuku Piccadilly.It was the extrordinary and meaningful busy week,三社祭の日に、台東区日本堤にある教会で、おじさん達と歌うミニコンサートは、100回目の記念演奏会となった。一方、METライブ・ビューイングは2018-19シリーズの第9作目(3月30日METで実際に上演したもの)を新宿ピカデリーで鑑賞。ハッスルした1週間となった。■今週の2枚Post town Manba Kanna Town Gunma Pref.(群馬県・神流川・万場(まんば)宿 2019.5.6)典型的な宿場町。この手前に人里はない。忽然と現れる宿場町。道は国道462号。JCT of Namamugi -Tsurumi ward Yokohama city Kanagawa Pref.(生麦JCT 2019.5.13)4重、5重に頭上でとぐろを巻く高速道路。下側の道も3車線でトラックがうなりを上げる。こんな幹線道路を見たことがない。左折、直進、右折の3本のレーンがあり、赤黄青の信号に加え、←、↑→、2段の信号機をとくと観察。目次徒然の記その1 大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」 徒然の記その2 東京オリンピック チケット購入・狂騒曲 徒然の記その3 横浜市・鶴見区へ 徒然の記その4 平野啓一郎「考える葦」徒然の記その5 港区坂道runその3徒然の記その6 METオペラ・ライブビューイング「Die Walküre ワルキューレ」徒然の記その7 山谷ミニコンサート100回記念 徒然の記その1 大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」 2019.5.13(日)■大河ドラマはもう長い間、お付き合いのように見ているTVであるが、しばらく前に堪忍袋の緒が切れて「観るのを止めた」という人が続出した。原因はマラソンと落語しか出てこなくて話が面白くないというのが理由である。 噺家が話の進行役を務めていてそれがよくわからないと反感を買っている。しかしこちとら、日常として「マラソン」をやっているので打ち切るわけにはいかず観続けているのであるが、なんと次第に面白くなりつつある。 池部幾江(大竹しのぶ)と四三兄・実次(中村獅童)とのやりとり、スヤ(綾瀬はるか)の出産、四三(中村勘九郎)の日本の街道を全部走破から箱根駅伝創設へ、日本女子体育大学の創立者の二階堂トクヨ(寺島しのぶ)などが登場し と次第に面白くなってきた。 見続けて良かったとおもう瞬間である。噂によれば、綾瀬はるかが行水をしたところから、一気に盛り返してきたという。超大物キャストもなかなかの役回りで奮闘しているのだ。昭和の体育界を知るうえでは必見かもわからない。 視聴率7%という最低記録を更新し続けている番組も次第に盛り返していくのではないか。去ってしまった友よ、早く帰っておいで。徒然の記その2 東京オリンピック チケット購入・狂騒曲 2019.5.14(火)■5/9(木)から始まった東京オリンピック チケットの予約は5/28(火)まで。当初netでも4時間待ちだった状況は14日現在完全に解消され待ち行列はゼロである。800万アクセスがあった模様。 ただ、申し込みは相当のテクニックが要る。競技が多いのに一切の詳細内容の表示がないのだ。予選や決勝のという表示があるだけである。陸上など予選や表彰や決勝などが複雑にからみ何が何時決勝かなどがチケット販売画面からは示されない。 別途膨大な競技一覧表を見なければ正確にはチケットは買えない。開会式や閉会式ならこれ一つしかいので簡単であるが、どの競技の決勝なのかも皆目わからない。普通のHPだったら、マウスを宛がうだけで、さっと競技内容が示されるのに。人間の行動心理と言おうか、使い勝手がうまくプログラミングされていないのだ。 チケットサイトは「https://tokyo2020.org/jp/games/ticket/」であるが、これもnetで「東京オリンピック」で検索してもなかなかhitしてくれないのだ。宣伝ばかりで肝心の購入サイトには一発で行けないのも問題。 8月2日(日)19:00-21:55のオリンピックスタジアムでの競技内容は、•女子100m表彰式、•男子走高跳決勝、•男子100m準決勝、•女子100mハードル準決勝、•女子砲丸投表彰式、•女子三段跳決勝、•男子800m準決勝、•男子400mハードル準決勝、•男子走高跳表彰式、•男子100m決勝である。 この内容は、チケット販売サイトにはなく、別途、「https://tokyo2020.org/jp/games/schedule/olympic/20200802_ATH.html」のサイトに行かなければならず極めて不便。また「競技スケジュールxチケット価格一覧」ではpdfで55シートもあり超膨大過ぎる。 E席でも「2020一般」とすごく安い席があるのだが、これは12歳以下や障害者や60歳以上の"高齢者"が同伴であれば3人以上のグループで1人2020円で席が買えるというものである。 開閉会式は20:00-23:00となっている。終了後7万人がどっと駅のホームに殺到するのであろうか。とても行けるものではない。よってもし抽選に当たったのなら帰宅手段を考えておかなくてはならない。甲州街道ぞいにテクテクと夜っぴて歩いて帰るか、マラソン姿に着替えてrunning帰宅をするのか? 各公共機関の輸送サービスはいつもより1-2時間延長して運行するようであるが、開閉会式はとても対応できないであろう。近くのホテルを取るのが一番。徒然の記その3 横浜市・鶴見区へ 2019.5.14(月)■川崎市にある16運河、横浜市にある8運河と、それらを形成している島々をrunningし尽くす企画。その第3弾として、今回は、鶴見川河口末広水際線プロムナード及び、大黒(だいこく)プロムナードを選んだ。歩行距離は20km。島々には連絡橋が陸地から一本しかなく、行っては帰りを繰り返すようにせねばならず相当の距離となってしまう。しかもJR鶴見線や南武線の支線は昼間は2時間に1本と極めて不便で、京浜東北線の鶴見駅や川崎駅からの往復のほうがよっぽど便利である。距離は増えるが。 コースは、川崎駅→八丁畷(はっちょうなわて)→国道15号線(第一京浜)→潮鶴橋→潮風大通→国立研究開発法人理化学研究所→横浜市大・鶴見キャンパス→鶴見川河口末広水際線プロムナード→鶴見川(鶴見大橋)→生麦JCT→大黒プロムナード→大黒運河(寿老橋)→宝運河(布袋橋)→恵比寿運河(恵比寿橋)→横浜線・大口駅。 港湾地区とて、大型トラックばかりの喧騒。水の音はかき消されている。よくもまぁこんな喧騒の中で生けていられるものだと感心する。住宅はなく工場群だけなので存続できるのであろう。川崎市川崎区には、浮島町、千鳥町、東扇島、水江町、扇町、大川町、扇島などの島が碁盤の目のように浮かび、中央を京浜運河が横切り、島と島、島と陸の間に多数の運河がある。東から行くと、多摩運河、大師運河、末広運河、夜光運河、千鳥運河、塩浜運河、水江運河、入江崎運河、桜堀運河、池上運河、浅野運河、南渡里運河、白石運河、田辺運河、境運河の合計16運河。このうち境運河は横浜市鶴見区との境をなす。 横浜市には扇島の西半分と、大川町、安善町、大黒町、宝町、恵比寿町などの島があり、鶴見区に安善運河、旭運河、大黒運河、中区に新山下運河、磯子区に鳳(おおとり)運河がある。川崎港から横浜港にかけて如何に多くの島が埋め立てられてきたかを物語る。 鶴見川河口にある鶴見川河口末広水際線プロムナードは、実に静か。入口に温水プール「ふれいゆ」の施設があり、バスの終点折り返し場となっている。突端からは湾岸道路の「鶴見つばさ橋」が優雅なシルエットを見せている。アナゴやハゼを釣る海釣りの客20人ほどが、のんびりと釣りを楽しんでいた。 生麦ランプは5層の高速道路が渦を巻く。K1(首都高速神奈川 1号線)やK7、B1(湾岸線)への分岐などでで、156年前に島津久光の隊列(江戸→鹿児島)とイギリス商人の騎馬の一行との間に起った生麦事件の現場であるとは想像できない。 大黒プロムナードは実はDHLの私有地であるが、鍵があるものの、一般に公開されていて中に入ることができる。対岸にある鈴繁町(すすしげちょう)にある瑞穂埠頭や風力発電の向こうに「みなとみらい地区」のビル群が林立し、その先に富士山が見渡せる絶景spotである。 道路自体は、頭上に大黒JCTと生麦JCTを結ぶ大幹線K5(神奈川 5号線)が通り、下道は各工場へのトラック便で物流センター等を結ぶ。舗道はあるが、歩いている人は殆どいないという港湾風景である。まぁ小生がこよなく愛している”殺風景な風景”こそ黙々とrunningするには向いている道でもある。徒然の記その4 平野啓一郎「考える葦」 2019.5.15(水)■芥川賞作家・平野啓一郎(1975-)の2018.9著作「考える葦」を読んだ。2014-2018間の批評・エッセイ集で、「文学・思想」「自作及び文壇・出版界への言及」「美術、音楽、デザイン、映画その他」「時事問題とエッセイ」の4つのテーマで論説や論評が綴られている。多岐にわたってものすごい数多くの本が出てくる。いままで何万冊をも読み込んだ論述が続くので面白い。紹介された本の中で面白そうなのが下記6点。・平野啓一郎「ドーン」2009・・2036年のアメリカを舞台にした長編小説。分人(dividual)という概念を導入し、個人に備わっている多様な”分人(キャラ、仮面)”が物語を展開していく。individual(個人=分けられないもの)からdividual(分けたもの)への変容に注目。・平野啓一郎「マチネの終わりに」2015・・作者とほぼ同年代の2人の男女が登場し物語を繰り広げる。一人は天才ギタリスト、一人は外国通信社勤務の女性。歓喜と悲哀がつづられている。映画化もされている。・林京子(1930-2017)「ミッシェルの口紅」1997・・1937年-40年代に作者が少女時代を過ごした上海が舞台。少女期の回想を再構成。・林京子「祭りの場」1975(芥川賞)・・長崎の投下された原爆直後の凄惨な光景を描く。東日本大震災を経験している今だからこそ読み返されるべき本かもしれない。・平野啓一郎「葬送」2002・・ショパンとドラクロアを主人公とする小説。浩瀚(こうかん)なドラクロアの日記や、ジョルジュ・サンドの書簡集はフランス語での原文から読み解いている。このためか、1年間パリに過ごしたという作者。2008年にはすでにカミさんが読んでいる。あぁ遅れること10年!・谷崎潤一郎「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」・・文豪の"未読"の名随筆。和洋の対比軸や文明発達批評の嚆矢(こうし:起源)だったのかもしれない。図書館から借りてきた本が机に山と積まれている。あぁ時間をください。神様。徒然の記その5 港区坂道runその3 2019.5.15(木)■100坂と言われる港区を走り回っている。その第3弾。残りの20坂をrunningしてきた。たかだか15kmなので午前中には終了したが。 今回は分度器と水準器を片手に傾斜角を計測しながらとなり測量技師が走る感じ。坂道で抜かした人が測量中に追い越していく。恥ずかしいったらありゃしない。今回のコース・・【品川-高輪】JR品川駅→柘榴坂(ざくろざか 5度)→二本榎通り→さくら坂→R15(第一京浜)→桂坂(5度)→洞坂(10度)→二本榎通り→天神坂(6度)→葭見坂(よしみざか)→伊皿子坂(いさらござか 4度)→泉岳寺駅→Uターン→魚籃坂(ぎょらんざか 5.5度)→幽霊坂(12度)→聖坂(4.5度)→潮見坂(5度)→蛇坂(7.5度)→赤穂義士史蹟碑(大石良雄(よしたか)外16人忠烈の跡=熊本藩細川家下屋敷)→安全寺坂(10度)→慶応大学正門→【麻布十番-六本木-青山】→綱が手引き坂→三田高校→綱町三井倶楽部→オーストラリア大使館→日向坂→麻布十番→大黒坂(だいこくざか 7度)→一本松坂(6.5度)→狸坂(12度)→宮村坂→テレビ朝日通り→中国大使館→紺屋坂→笄(こうがい)小学校→鉄砲坂→北条坂→中坂→狐坂(6度)→宮村坂へ(一周したことになる)→大横丁坂→牛坂(6度)→笄坂(こうがいざか 6度)→長谷寺(ちょうこくじ)→根津美術館→北坂→外苑西通り→六本木通り→霞坂→テレビ朝日通り→さくら坂公園→六本木ルーテル教会→元麻布→内田坂→六本木高校→階段(30度)→麻布十番新規27坂。計測をしない坂道はだいたい5-6度といった比較的緩やかな坂道であった。 今回階段の傾斜を始めて計測。六本木高校前の階段はなんと30度もあった。であれば御巣鷹の階段は優に45度、愛宕神社の階段は70度もあったのではないかと。20度くらいならば自動車で上がれるがそれ以上となると無理であり、階段は普通の坂道と違って格段の傾斜。怪我が多いわけである。 港区全域を走らせてもらった感想は・・・超セレブの界隈で、どんな家にもレクサスか外車。おったまげた界隈。大使館も多く、policeが半径500mにうじゃうじゃ居る。きわめて治安の行き届いた地帯である。元麻布、白金台といった台地に屋敷が多い。防災放送が英語であった。ここは日本か?徒然の記その6 METオペラ・ライブビューイング「Die Walküre ワルキューレ」 2019.5.16(木)■2/28,3/16に次いで、3回目のMET Live Viewing。2018-19シリーズの第9作目ワグナー「ワルキューレ」を高校のオペラファン10名で観るというので新宿ピカデリーに9:30に馳せ参じた。 今回は上映時間5時間10分、休憩2回ということで、10:00-15:10.2回の昼休み時間にすこしお寿司をほうばるくらいでぶっ通しの観覧である。 オペラ史上空前の超大作で、北欧神話を下敷きに人間の愛と欲望を極めたワーグナーの《ニーベルンゲンの指輪 Der Ring des Nibelunge》四部作の最高人気作。1 前夜祭 「Das Rheingold ラインの黄金」、2 第1日 「Die Walküreワルキューレ」、3 第2日 「Siegfriedジークフリート」、4 第3日 「Götterdämmerung神々の黄昏」 ワルキューレ第3幕では 地獄の黙示録で使われた「ワルキューレの騎行」が演奏される。ワーグナーは この作品はオペラと言わずに 楽劇とした。指揮:フィリップ・ジョルダン、演出:ロベール・ルバージュ、出演:ワルキューレの一人=ブリュンヒルデ:クリスティーン・ガーキー、双子の兄妹の兄=ジークリンデ:エヴァ=マリア・ウェストブルック、双子の兄妹の妹=ジークムント:スチュアート・スケルトン、神ヴォータン:グリア・グリムスリー、双子の妹の夫=フンディング:ギュンター・クロイスベッグ、神ヴォータンの妃=フリッカ:ジェイミー・バートン 2011年来の新演出で舞台は24枚の巨大な三角の板が束になった”マシン”と、プロジェクションマッピングで演出は多彩。騎馬になったり、岩山になったり、炎の包囲があったりと従来の舞台では考えられないほどテクノロジーを駆使したもので圧巻。 ヴォータン(バリトン)などは、第3幕1時間を歌いとおした。その迫力に圧倒された。小生はどうもぽっちゃりした俳優には弱く、ぞっこんになる性格らしく、ワルキューレの一人=ブリュンヒルデ:クリスティーン・ガーキーや神ヴォータンの妃=フリッカ:ジェイミー・バートン(肉饅のようだと小学校からの友が言うが)のチャーミングな所ばかりが強調されて脳裏に焼き付く。 第3幕が特に圧巻。なにせ、木製の”マシン”が大活躍するし、ワルキューレ(戦場において勝敗を決め、戦死した勇士を天上のヴァルハラ城に運ぶのが任務)が合計9人も出てくる。 この楽劇は、ジークムントとジンクリンデの間に出来た子供が活躍する第2日目の 「ジークフリート」に話が引き継がれている。ブリュンヒルデは、ヴォータンとエルダの娘で、ワルキューレの一人であるが、ヴォータンの命令に背いたために、岩山に眠らされている。眠っている間は歳をとらないため、後にこの2人は互いに愛し合うようになる。 やはり、ニーベルンゲンの指輪 《Der Ring des Nibelunge》四部作を全部観たいものだ。1876年に26年の歳月をかけて完成した楽劇、バイロイト音楽祭(Bayreuther Festspiele)で毎年演奏される。今年の会期は7/25-8/28。行きたいがここではドイツ語のみで字幕はない。 北欧と書いたが、現在のアイスランドも含まれている。今回の演出はそのアイスランドにある大陸間の裂け目にあたる火山がモチーフに使わたようだ。地面が割れて溶岩が吹き出す光景は神々しくまさにワグナーの世界である。ワグナーが実際にこの地を訪れたのかは定かで時はないが楽劇の舞台としてはこれ以上の図柄はない。そういう意味で新演出はまったくの違和感がなく受け止められた。徒然の記その7 山谷ミニコンサート100回記念 2019.5.17(金)■記念の第100回山谷ミニコンサートが、台東区日本堤にある「神の愛の宣教者教会」の集会所でほぼ満席のおじさんたちを集めて開催された。旧知が各方面から参加。三社祭の準備に追われる界隈ではお神輿の組み立てが行われていた。お祭りは17,18,19の3日間。 このミニコンサートは、2009年3月27日に第1回目を開催して後、8月と12月を除き、原則として第3金曜日に開催している。年10回として10年の歳月を経て今日めでたく100回目のコンサートとなった。 小生は2012年4月から参加であるが、西欧巡礼期間中の2015,2016年はお休みさせて戴いている。 チェロとViolin演奏に続いて合唱タイム。(数字は詩の掲載や映画の公開年。)「花1900、背くらべ1919、ごらんよ空の鳥、銀座カンカン娘1949、しあわせの歌1955、上を向いて歩こう1961、銀座の恋の物語1961、愛して愛して愛しちゃったのよ1965、世界は二人のために1967、365歩のマーチ」(太字の部分がViolaによる伴奏) 佐良直美が歌った「世界は二人のために」。彼女いまどこに? 那須で家庭犬のしつけ教室「Animal Fancier's Club」の経営者として活躍している。 古い歌が多いのだが、おじさんたちが声を張り上げて歌うことのできる曲ばかりが集められた。365歩のマーチにかかるまえに、中断があり、今月の誕生日の人には「ハッピーバースデー」を。あと今日の曲からリクエストを募って再度歌ったりと。今回は特別にFlでグノーの「アヴェ・マリア」、Violaで「コンドルは飛んでいく」(アンデス民謡で、ケーナーで演奏される曲であるがViolaでそっくりな音色を出せることを発見。それを披露。) Vilonのプロの方も助っ人にきていて、「ダニーボーイ」を、アンコールで「愛の挨拶」を演奏。会場内をViolinを弾きながら練り歩き、やんやの喝采。 反省会を兼ねた昼食会には、横浜から駆け付けて下さった神父、シスター、ブラザー(ブラザーはマザーテレサ系の教会からの派遣で、全員外国からの人である。韓国、インド、アフリカ)ら数名とカレー屋「フルバリ」で談笑。11:30-13:00。韓国からのブラザーの一人は2ヶ月前にフランス人の道を巡礼したというのでびっくり。コンサートでは2人でギターと歌を披露してくれた。今回の第100回で終わることなく、今後も継続し取りあえず次は150回を目指そうということになり、主宰者一同ホッとする。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
May 18, 2019
コメント(0)
Kanna river、Ueno dam、Ostaka memorial site_ story (4393)2019.5.11On the last day of the long holidays in May, I went to the old folk house more than 150 years built on the side of Kanna river in Gunma Pref.. At the same time, I climbed to the Ostaka mountain for the JAL 123 accident, 34 years after the crash. It is a course that is also used for training every year not to repeat that painful accident. The four survivors were age 8,12,25,34 at that time respectively. Even they were a life full of disturbances and turbulent, I hope their life is happily and quietly now. 5月の連休最後の日に、群馬県にある神流川の古民家に行ってきた。そのついでに墜落から34年が経った日航機事故の慰霊碑まで登山をしてきた。痛ましい事故を繰り返さないようにと毎年研修にも使われているコースである。生存者4名の女性は、現在それぞ42,46,59,67歳におなりになっている。波乱万丈の人生であったろうが幸せに静かに暮らしているであろうか。■今週の1枚 Reef of fury at Mituishi coast in Manaduru(怒涛の海・真鶴 三ツ石海岸 2019.4.3)琴ヶ浜の南側にあたる場所から三ツ石を望む。番場浦海岸から三ツ石海岸までは遊歩道が整備されている。この日は風速20mくらいの強風で、海がたけり狂っていたのだ。難しいスケッチとなった。目次徒然の記その1 神流川の古民家へ徒然の記その2 上野ダムへ徒然の記その3 御巣鷹山・昇魂之碑へ 徒然の記その4 松本記念音楽迎賓館徒然の記その5 Viola-Lesson徒然の記その6 またまた交通事故徒然の記その7 恒例の茶摘み徒然の記その1 神流川の古民家へ 2019.5.5-6(日、月)■5月の連休に鯉のぼりを求めて神流川に遊びに行った。この時上野ダムと御巣鷹山の慰霊碑を訪ねた。 旧サラ文(サラリーマン文化芸術振興会)のメンバーの実家が群馬県神流町生利(しょうり)にある。県立万場(まんば)高校と街道を挟んで向いの高台にあり見晴らしがよい。使われなくなったその家は築150年以上。2000年からその人の会社の同僚たちと協力して古民家「神流(かんな)いろり庵」として復活させ、原則として運営を担当する会員が同伴している場合に1日1000円で利用できるようにした。 2005年からはサラ文が毎年2回くらいの頻度でオーナーと共にここを訪れ近所の散策を楽しんでいる。別名「狸御殿」と呼ばれているのは、空き家に狸が棲みついていてピラミッド状の糞山が出来ていたことに由来する。蔵にも狸の剥製や置物がずらりと並び ようよう箔が付いてきた感がある。 行けば皆で雨戸を全部開けたり、バルサンを噴霧して殺虫したりと結構忙しいのだ。別棟の蔵の2階の土間にも電気を灯し一応 人熱れ(ひといきれ)を入れたりと久々に家じゅうに血を通わせる。時々そうしないと朽ちて行くばかりだという。 小生は、サラ文会員になった翌年の2011.10や、長旅巡礼前の2014.11というように秋口に来ている。1回目は関越を車で、2回目はリュックを担いで八高線の群馬藤岡駅から32kmの道のりを徒歩で。後者は下久保ダムサイトで寝たりしながら2日がかりで到着している。 3回目の今回は、始めてJR高崎線の新町という最寄り!駅から35kmもバスの乗ってやってきた。バス停か70個もあり驚愕した。その遠いこと。聞けばここは昔は上州から信州へ抜ける「十石(じっこく)街道」の宿場町として栄え、万場宿が置かれ交通の要所であったと。今でもその名残があちらこちらに点在している。 町おこしとして、5月の鯉のぼり祭り、お盆の納涼祭、秋の「神流 マウンテンラン & ウォーク」などが開催されている。50kmコースは西御荷鉾(みかぼ)山を登り下りする激しい専用のコースである。 その古民家になんと20名以上が集まったのだからびっくり。高々10名くらいだろうとの予想で、自家製パンを2斤作っていったが、全員には一口づつしか回らず残念なことをした。ただ作るのには時間がかかった。1斤で4時間、間を2時間あけて計10時間もかけて作っていったものである。 みんなメーカー謹製の食パンよりも美味しいといってくれたのは嬉しかった。 来ているメンバーが皆面白い。一人は85歳であるが、そんなお歳にはみえない。今まで5回ピースボートに乗船し世界一周クルーズを3回、オセアニアクルーズ1回、日本海クルーズ1回で合計すると366日を船の上で過ごしている。すべて71歳以降の話である。氏の人生を豊かに生きるための前提条件は「1.健康(本人は勿論 周囲の人も含めて)、2.好奇心と行動力(ポジティブ・シンキング)、3.幾ばくかのお金」と言う。 2000本あまり貯めたスコットランドミニボトルはこの秋には白州にあるウイスキー博物館に展示されるという。チャーチル皇太子とダイアナ妃結婚記念ボトルやウエスト・ハイランド鉄道の開通100年記念ボトルなどのマニア垂涎のミニボトルもあり展示を見るのが楽しみ。 海外語学留学も4回ということで英語が達者な紳士。面白いのは氏の終活で、タバコ、麻雀、ゴルフ、会社のOB会はとっくにやめており、それに続くものとして、年賀状、各種文化研究所の退会などと「線引き」を始めていることで、逡巡しているのが、テニス、スコットランド旅行。2019年を最後にするかとか。2020の東京オリンピックのボランティアに応募し英語学習の総決算としたり、2021年には米寿の祝いを開催したいと計画をしている。 まぁかっこよすぎる”青年”である。奥さんも同い年というからすごい。 氏が連れてきた2人もすごい。K氏は土木屋で全国の橋梁、トンネルなどの構造物に関係して2,3年単位の赴任で全国を飛び回っている。定年後10年経つが市の嘱託職員とし現役である。これから行く上野ダム建設では上野村にしばらく居たという。このあたりの地理には詳しく話が実に面白い。 もう一人は、ピースボートで知り合った人でBSプレミアムの「旅のチカラ」(2011-2013)の放送に関連したという旅行コンサルタントで年の半分は旅をするルポライターであった。 なかなか面白い人たちの集まりで深夜まで語り明かすが、みんなその姿のまま寝てしまったようでいかに泥酔していたかを物語る。小生は翌朝は早く起きだし鯉のぼり祭りの会場へrunning。相模川の鯉のぼりと違って、ここは南向きの山のてっぺんから8本のワイヤが下り、川の対岸のコンクリートブロックに結ばれている。その他2本が対岸の低い場所。このワイヤに合計800匹の鯉のぼりが結わえられている。 風が吹けば泳ぐであろうに、無風のため垂れ下がっている。春風に揺れる尾っぽと新緑をスケッチ。街道筋は昔の宿場の雰囲気を漂わせなかなかのものである。徒然の記その2 上野ダムへ 2019.5.7(月)■このダムの凄さは、麓で貰ってきたダムカードや、同行のK氏の話から伝えることができる。所在地:群馬県多野郡上野村、河川名:利根川水系 神流川、形式:重力式コンクリートダム、ゲート:鋼製ラジアルゲートx2門、堤高・堤頂長:120m・350m、総貯水容量:1,840万立米、管理者:東京電力ホールディングス㈱、本体着工/完成年:1997年/2005年 ランダム情報:ダムカード発行元:一般社会法人 上野村産業情報センター、神流川発電所見学(要予約):月水金午後1時30分より こだわり技術:長野県側の南相木ダムとの落差653mを利用し、最大出力282万kwの発電を行う純揚水式発電所(神流川発電所)の下部ダムとして群馬県に建設されたダム。 この「純」というのが重要で、このダムの基部から水が流れ出る仕組みはほとんど無いのである。すべて上部ダムへ水を還流させている。まず昼間は上部ダム(南相木ダム)→下部ダム間(上野ダム 直線で5km)の放流で地底で発電を行い、夜間は周辺の余った電力を使ってタービンを逆回転し水をすべて上部ダムに戻しているのだ。柏崎原発の電力を期待して47万kwの発電タービンは6基を設置する予定であったというが、現在は2基のみ(計94万kw)で運用しているという。 導水路は水平2445m、傾斜部の水圧管路1045mで、導水部の直径は9m、水圧管路は直径6.2mと若干狭くして発電に給している。 重力式ダムはコンクリートのみで水圧を耐えるもので、基部は80mという。例としては奥只見ダム6億100万立米、佐久間ダム3億2700万立米、宮ケ瀬ダム1億9300万立米がある。他の形式ではアーチ式ダムとロックフィルダム。前者で最大なのが奈良県池原ダム3億3800万立米で、黒四ダムは1億9900万立米で4位(堤高さは最大の186m)、後者で最大が岐阜県揖斐川の徳山ダム(6億6000万立米)や御母衣ダム3億7000万立米)である。上には上があるものだ。 このダムに至る道は、「徒然の記その3」に述べる御巣鷹山ルートともなっており、事故当時の1985年にはなかったダムであるが、鎮魂を兼ねた道路建設であったようだ。ループトンネルは直径800mと巨大。ループを描きながら高度を稼いでいく。K氏が監督をして造ったという。 ダムの建設母体は、国土交通省、電源開発、水資源機構、電力会社(民間)などである。上野ダムは東京電力の建設。徒然の記その3 御巣鷹山・昇魂之碑へ 2019.5.7(月)■日航機墜落事故(S60、1985.8.12)から34年が経ち、登山ルートは大変整備されたものとなっている。万場宿から38kmも奥まったところにあり長野県との県境に近い。事故当時は周囲には道がなく探索に時間がかかった。現在は上野ダムができたおかげでダム道が整備され、岐路として御巣鷹駐車場への道路が建設されてアクセスが容易になり、さらに第二駐車場ができたおかげでそこから30分で昇魂之碑まで登れるようになった。高齢者が増えたたこともあり道路が延長されたのだ。旧登山ルートは人が通らないので閉鎖された状態になっている。 524名の乗員・乗客のうち生存者は女性4名、520名の死亡。山腹には、発見された場所に慰霊碑や仏像が点々と置かれ、細い道が縦横に張り巡らされている。昇魂之碑には鐘が供えられ紐を引っ張って鳴らすことができる。 5月の奥山は、まだこれから芽吹くという早春の山肌であった。白樺が美しい。第二駐車場からの登りはクマよけの鐘が五ヵ所ほどありそれを叩きながらの登山。ほとん階段なので相当の脚力を要する。最後は工事用の足場のような急な手すり付きのステンレスの階段となった。傾斜は30度ほど。 生存者4名は全員女性で、当時34歳、8歳の親子、12歳、25歳ということであった。ともに最後尾中央に座っていた。事故原因は、後部圧力隔壁の修理部分の亀裂という。事故機は羽田から伊丹に向け18:12離陸、18:24相模湾上空で衝撃音発生で緊急事態発生、18:56墜落。その間30分間 機内は静寂が保たれた。右旋回し羽田に戻ろうとするが操作不能。途中横田基地まで25kmであったため緊急着陸の態勢が整えられたが、18:56御巣鷹山・山腹に墜落。上野村消防団などの捜索活動は映画にもなっている。徒然の記その4 松本記念音楽迎賓館 2019.5.8(水)■松本記念音楽迎賓館は、世田谷区岡本にあって、パイオニア創業者であり、公益財団法人音楽鑑賞教育振興会の設立者の松本望・千代夫妻の居宅として建築された。 2001年(平成13年)、夫妻の遺志を継いで、音楽教育の実践の場にと、一般にも利用できる記念館として開館した。5月8日はちょうど金スマ(中居正広の金曜日スマイルたちへ)の撮影が行われていた。 ここの迎賓館備品が半端ない。パイプオルガン は シューマッハーオルガン(Schumacher Orgelbau ベルギー)、チェンバロ はクラヴサン工房アダチ(日本)、ピアノ は ベーゼンドルファー(Boesendorfer オーストリー)とブリュートナー(Julius Blüthner Pianofortefabrik ドイツ:ブーニンが愛用したピアノ)、マリンバとヴィブラフォンはマッサー(Musser アメリカ)などで贅沢すぎる。ここで催される音楽会は毎回満席であるという。 練習会場として使う場合は格安の3000円ぽっきり。大学研究室の年一回の集まりが5月末にあるが、そのために我々「テルテル合奏団」は余興にViolin、Viola、ギター、リコ-ダーを弾くのでこの4人とギャラリー1名の5名がAホールに集まった。2時間くらいの練習とお庭拝見を済まし成城学園前に集結して反省会。徒然の記その5 Viola-Lesson 2019.5.9(木)■今日はいつもより30分早く練習を開始。「弾く前に歌うこと。」それを習慣づけることと明言があった。これは幸いである。楽譜を読む時間なら24時間いつでもできるからである。Violaの音はppp(ピアニッシモアッサイ)でもよく響くため夜間ではできないからである。 すべての楽譜を先に弾かされる。「貴方のは・・・」先生が誇張して真似て演奏し評価が下される。音が単語でしかないと。ディジタルな音の羅列で音楽になっていない。楽譜を読むということはそこからフレーズ(文章)を読み解くことであり、歌うところは歌い、泣くところは泣けと。棒読みでは感動は伝わらないのだと。作曲家は4小節か8小節でフレーズを作っている場合が多い。どこに切れ目があるかなど。そこでは息継ぎの時間として一瞬間を空けたり、思いを込めたりと。 また音の始まりが、パルス的な雑な音の立ち上がりとなっていたり、終わりがぶっきら棒な音の締めくくりとなっていたり。これらは絶対にないのだという。 恣意的な弾き方はやめるように雑念を払い淡々と弾けと。♪八分音符などを拙速に弾かない 飛び込まない。スラーに含まれる音符は移弦をしないのが原則。第1、第2、第3ポジションなどを多用してできるだけ一本の弦で弾くのが常識、これは運指の参考になる。明るい部分では一番響く開放弦(指で何も押さえない基本のC(ド)G(ソ)D(レ))を使うのがよい。A(ラ)音はD線で4の指で弾くのが基本かもと。 さて、3/4(3拍子1拍)のリズムで、2分音符(♩2つ分)と4分音符♩の連続パターンに差し掛かった。最初に裏拍の4分音符があるためタターンと裏拍で感じて正確に歌うこと。正拍でターンタ・ターンタ・ターンタと弾くと盆踊りとなってしまうのだという。 これにbowing(弓の上げ下ろし)が伴うのであるが、П(down)П(down)V(up)V(up)と弾くとちゃんちきおけさのように弓が踊る。 裏拍でやるとどういうことになるか。П(down ♩)V(up ♩x2)、V(up ♩)П(down ♩x2)、П(down ♩)V(up ♩x2)、V(up ♩)П(down ♩x2)、П(down ♩)V(up ♩x2)、V(up ♩)П(down ♩x2)、と送り弓で交互に弾いていく。最初の音形を強く、弓も長く、後の音形を弱く、弓も短くと逆転の発想で弾くことを求めらた。ななんとこれを1時間くらい絞られた!! あかん。 あとは難しいパッセージを運指を確認しながら練習。最初はゆっくり徐々にspeedを上げていく。ここでも「冷たい・・使った指をすぐ離していると」。人差し指「1」に対する思いやりがゼロだという。離すことが必要になるまで絶対に離すなと。今日も涙( ;∀;)( ;∀;)である。徒然の記その6 またまた交通事故 2019.5.8(水)■大津市の琵琶湖に面した県道(さざなみ街道、夕照(せきしょう)の道、びわ湖マラソンで通る道)の「大萱(おがや)六丁目」交差点(近江大橋の南東)で、散歩途中の近くの園児2人(2歳)が亡くなり、さらにもう一人2歳の園児が重体であるという。今度は52歳と62歳が事故を起こした。両車ともブレーキ跡がないという。衝突後1secで列に突っ込んでいる。逃げる間もない。制限時速50km(秒速14m)の道であった。(市街地でこれはないだろう! 30kmにすべきところ。) 右折しようとした52歳が前方不注意ということで逮捕された。そういえば、東池袋の事故。上級国民はその後どうなったのであろうか。 この交差点はほとんどの車が右折または左折をするT字路で「右折矢印」がある信号機であった。それにものすごい交通量。交差点にポールを立てるなどの安全対策も急務である。少なくとも警察側が事故が多そうな交差点を指摘し、市側がコンクリトブロックや頑丈なポールを設置をしていくという施策が必要ではないだろうか。 歩行者も左右の確認では足りなく、身の安全をどう確保するかも考えなくてはいけない。さて、問題の交差点。信号機は2段になったものであるが、これには2種類ある。どちらも注意が必要である。下側に「←(左折矢印)、↑(直進矢印)、→(右折矢印)」があるものと、「→(右折矢印)」のみが付いているタイプの2種類。 事故は、「→(右折矢印)のみ」の交差点で起こった。この点き方の組み合わせは2種類。青で右折矢印が点いていない時(左折、前進、右折)と、赤で→(右折信号)が点いている時(右折のみ)の2種類。正確には6つのパターン(青→黄→赤→赤+「右折矢印」→黄→赤)。右折が多い場合などの交差点でよく見かけるが、ここで問題が発生する。対向車がなければ何時でも右折が出来てしまう。今回は青の状態で事故が起こった、前方不注意で対向車と衝突し、はずみで信号待ちの歩行者を巻き込んでしまう事故。年数千件もあるらしい。「左折矢印、直進矢印、右折矢印」付きの交差点でも点き方は道路形態で様々。左折レーン、直進レーン、右折レーンの3レーンがある場合では、青→黄→赤+左折矢印+右折矢印→黄→赤 など(川崎市・生麦交差点など)。直進、左折レーン共用のレーンと右折レーンの2レーンの場合、赤+左折矢印+直進矢印→黄→赤+右折矢印→黄→赤。 この最後の場合でも早とちりで次のような問題が発生する。黄が2回でてくるからだ。右折しきれない車が停止線より進んでしまっている場合である。静かに次の機会を待てばよいのであるが、2回ある「黄」の状態を最初の「黄」と勘違いをし、次の瞬間「右折矢印」が出るものと思って前に進んでしまう場合である。左右の車がある場合などはそれに遮られ睨(にら)まれるためstopせざるを得ないが、そうでも無い場合は進んでしまい、歩行者をはねてしまうのだ。2段になっている信号機を含めると、「黄」の意味が変わってくる。黄色は「青が終わりますよ、危険ですよ。すぐ赤になりますよ。」という一般の意味から、「前の状態を終了しましたよ。」という広い意味となる。 完璧な交差点は、車と歩行者を完全分離し(歩車分離式交差点)歩行者はスクランブルで渡れるようにするか(渋谷の交差点のように:注意 スクランブル交差点以外は、歩車分離型でも斜め横断はしてはいけない。斜めに渡る時間が確保されていからである。)、エレベーター付きの地下道で中でスクランブル歩道にして地上では人の交叉は起こらないようにするか(「橋本駅南入口」交差点のように)のどちらかであろう。 さて、車同士の衝突もAI技術でなんとかならないのかと。交差点で電波を出し、瞬間に速度を落とすようにするか、双方ともぶつかることが予測できる場合はぶつかろうとする側を緊急停止にしてしまうという車の仕掛け。 痛ましすぎる事故はなんとしても避けたい。全ドライバーは、凶器になりうる車を運転しているのだという自覚をもって運転してもらいたいものである。奢ったり昂ったりしてはいけない。おどおどする必要はないが。徒然の記その7 恒例の茶摘み 2019.5.10(金)■お茶の木が沢山の若葉を付け丸まった葉っぱがみずみずしい。昨年より2wほど遅く茶摘み。 37年物の木とはいえ途中で強剪定を繰り返しているのでフィボナッチ数列上、15年くらいではないかと想定。F15=610「一芯二葉摘」の摘み方で1枝で3枚を摘むと、1830枚となる。この木が2本あるので収穫量は3660枚、こんなものか。 お茶の木の同じ葉っぱから、発酵のさせかたで、緑茶、ウーロン茶、紅茶が作られる。・緑茶は葉っぱを発酵させず、摘んだら熱を加えて作る。抹茶、玉露、ほうじ茶、番茶などが生まれる。中国茶は釜で煎って作る。・ウーロン茶は、摘んだ葉っぱを半発酵させて作る。ジャスミン茶やウーロン茶が生まれる。・紅茶は、十分発酵させて作る。品種によってダージリン、アッサムなどの紅茶となる。”turbo大島2019"紅茶を作ってみよう。1.紅茶の原料となる茶葉は、育った茶葉でなく開ききっていない新芽1つとその下の若葉2枚だけを摘みとる・・「一芯二葉摘」。 これでは少なすぎると思われた場合は、もう1,2枚 新しい大きめの葉っぱも加えてもよい。秋摘みでの葉っぱでもよい。2番茶でもよい。2.萎凋(いちょう)行程(withering)・・萎(な)え、凋(しぼ)ませる行程・・新聞紙などに広げ乾燥させ、摘んだ葉っぱの水分を半分程度に飛ばす。 水分を残した方がその後の「発酵」行程で深く発酵する。数時間ないしは1日~2日の萎凋。この時間で深い味~微発酵(ファーストフラッシュ)が決まる。・・”turbo大島2019"ではこれに1日24Hをかける。3.揉捻(じゅうねん)工程(Rolling)・・お茶をもむ行程・・茶葉を揉むことで、細胞を壊し酵素とお茶に含まれるポリフェノールを反応させ発酵を促進する。揉む方法・・手の中でボールを作り洗濯板で洗濯するように揉む。・・1時間ほど手もみする。4.発酵工程(fermentation)・・ジップロックのような袋に入れて天日で発酵させる。茶葉の色が変わってきたら止める。紅茶特有の香りが生まれ、色が決まる。・・1日をかける。 上記2,3,4の各工程の度合いにより深さ、色、香りが違ってくる。5.発酵止め(Drying)・最も重要な工程。中華鍋で水分を飛ばす。(ホットプレートを使ってもよい。)・・熱を加え始めた段階まで発酵が進む。カリカリになるまで、絶えずかき混ぜ、水分を飛ばし発酵を止める。・・中華鍋でゆっくり1時間かけてみる。6.完成・・紅茶缶のようなところに保管。 新茶の紅茶!は40gほどの分量となり、見た目はそっくり”紅茶”である。味は・・ほうじ茶の域をでていない!?。すこしは前進したかな。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
May 11, 2019
コメント(0)
日日是好日、ヒトラー vs ピカソ 奪われた名画の行方_ story (4392)2019.5.4It is the first picture weekly diary after becoming the era of Reiwa. It is high season of fresh green and leaves just come out . At Flower Park in Ashikaga City, Tochigi Prefecture, the big wisteria is in full swing, and purple curtains hang down over and over,It is so beautiful not of this world . On the other hand, Nezu Shrine in the heart of the city is in the midst of the azalea festival. I tried to walk from Tabata.新緑真っ盛りの季節である。栃木県足利市のフラワーパークでは藤が見ごろで、紫色のカーテンが何重にも垂れ下がりこの世のものとも思えない。一方都心の根津神社はつつじ祭りの真っ最中。田端から歩いてみた。■今週の2枚 相模湾と真鶴岬真鶴・琴ヶ浜 潜水博物館前の海岸から小田原、鎌倉方向を眺める、ここはダイビング発祥の海岸である。平らな優しい感じの岩礁が今頃は幼児たちの歓声が響いているかもしれない。真鶴・琴ヶ浜から。岬の緑は黒松で魚付き林を形成している。江戸時代から保存された森が素晴らしい。舟盛りの刺身を出す名店あり。目次徒然の記その1 平成最後のオケ練習 徒然の記その2 映画「ヒトラー vs ピカソ 奪われた名画の行方」徒然の記その3 日日是好日(にちにちこれこうじつ) 茶道入門 徒然の記その4 港区―坂道running 21km徒然の記その5 江崎昌子さんピアノリサイタル 徒然の記その6 田端から根津神社へ徒然の記その7 Camino仲間は西、仏、墺に! 徒然の記その1 平成最後のオケ練習 2019.4.28(日)■この週はなにかと、「平成最後」「令和最初」が叫ばれている。オケでもトレーナーが「平成最後の練習」と檄を飛ばす。禍根を残さない良い演奏をしようというわけであるが、付点8分音符と16分音符、8分音符x2の連なりの箇所は各人の感じ方が違うため音が濁っていると何回もダメダシ。16分音符を「1」とすると、3:1:2:2で、「4」を1拍として棒を振る。3が短く2.7、1が長く1.3となったり、あるいは3が長く3.3となり、1が短く0.7になったりして、2つ合わせれば「4」でつじつまが合っているのであるが、全員が正確にピタリと合えば歯切れがよく、音も澄んで、躍動感がでるのではないか。ターンタ タンタンと小気味よくリズムを奏でて行かなくてはならないのだ。4楽章ff(フォルテシモ)の箇所はもっと弓幅を付けて弾くと良いなどと、11:50に平成最後のオケ練習を終えた。 通常は府中の森芸術劇場の2階にある「平成の間」という415平米の広い部屋を使っている。もともとは会議室なので、通常は長テーブルが70卓(10x7)ほど綺麗に並んでいる。これをオケ100人が練習できるように壁際にすべて寄せる、イスを半円弧に並べ指揮台を置いてオケ会場を作るのであるが、机はあまりバラバラに寄せてしまうと、練習が終わった時に戻すのに時間がかかる。 Excel表の行列で言うと、列方向に7列、行方向に7行のテーブル49卓を前3行を前方の壁際、後ろ4行を後方の壁際とするように平行移動させておく。仕舞うときはそのままの位置で戻していけばよい。イスは各テーブルに3脚である。 カーペットにわずかに足跡が付いているのでそれを目指せばよい。コントラバス群は楽器を片付けるのにも時間がかかるためその部分は後回しにし、Violin、Viola、チェロ群が座っていた場所に次々とテーブルを戻していく。 大部屋の床には、カーペットの模様が5コマx5コマの市松模様で規則的に描かれており、その間隔が上下左右に「2コマ」分空いている。座標軸で捉える場合は「0,1,2,3,4,5」の色模様と「6」の間隙というように7進法とすると覚えやすい。机の大きさは3.5コマx1.5コマ、各机の間隔は、行方向に3コマ、列方向に5コマである。 第1列、第1行のテーブルの前足の位置は[2,2]で覚えておく。第1行のテーブルの前足の位置は、7列分で言うと[2][4][6][1][3][5][0](7進法、+2の数列。2+2=4 というように覚える。6+2=8であるが7進法なので11。一桁目の1を採用。あとは1,3,5,0。)となる。第1列の7行分の位置は [2][5][1][4][0][3][6](+3の数列。ここでも5+3=8で7進法なので11。一桁目の1を採用。4+3=7で7進法なので10。一桁目の0を採用。あとは3,6。)となる。セル[B4](2列目4行目)の机の脚位置は[4、4]となる。セル[C5](3列目5行目)の机の脚位置は[6、0]となる。このルールが頭にあれば、49卓のテーブルの位置決めができる。イスだけでも並べられる。 朝一番9時での場所づくりは当番の人などが行う。ガラーンとした大部屋であるが障害物が何もないので早い。11:50終了時の復帰作業は楽器が置いてあったり細心の注意が必要であるが全員で行うため4,5分で片付く。幾人かの整理整頓の得意なものが最終チェックを行っていく。テーブルのロックなどの忘れがないかとか。もとの整然とした配置に戻っているかなど。 四の五の言うものは誰もいない。皆大人の集団とおもってテキパキと作業を行う。楽器倉庫から指揮台や、譜面台、大型楽器を出したり仕舞ったりするのは、楽器パート毎に順番が決まっているのだが手が空いた者からそれを手伝うので、あっと言う間に終わる。水を打ったように静かになった会場を全員が後にする。 徒然の記その2 映画「ヒトラー vs ピカソ 奪われた名画の行方」 2019.4.26(金)■先週の港区坂道runningの日(4/26)に暇が出来たので、帰りがけに新宿武蔵野館で映画を観てきた。「ヒトラー vs ピカソ 奪われた名画の行方」。この映画ほど眠りこけた映画はない。ドキュメンタリー映画として観ればよかったかもしれない。 映画の最後はピカソがドイツ兵から「ゲルニカ」について聞かれる部分があった。どうもここがハイライトであったようである。「お前が書いたのか?」と。ピカソは応える。「私ではない。君たちが描かせたのだ。」「絵は飾るために描くのではない。盾にも矛にもなる戦うための手段だ。見るだけ、聴くだけが芸術ではない。無関心は許されない。芸術家はこの世の悲しみ、喜びに敏感な政治家であるべきだ」 寝ていてもよいが、最後のセリフだけは見逃すべきではない。 映画は、1937年の2つの美術展「大ドイツ芸術展」と「退廃芸術展」から始まる。ナチスによる「芸術の選別」の結果2つに分けられたのだ。前者は牧歌的な風景や家族と母性を主題としたものが取り上げられ、「健康で美しい金髪の子どもたち」を総統に捧げよ、というメッセージが込められていた。後者は、印象派やキュビズムといった当時新しいとされていた美術を退廃したものと評した展覧会だ。 ヒトラーやゲーリングらがヨーロッパ各地で略奪した芸術品は60万点と言われる。ピカソ、ゴッホ、フェルメール、マティス、ムンク、モネなど。 略奪品が戦後その場に戻らず、オークションにかけられたり死蔵されたりして散逸してしまったと関係者やその家族が嘆いている。戦後70年以上が経過した現在でも10万点の行方が分っていないという。闇で取引されていたり、こっそりとナチス・ドイツの末裔たちがどこかに隠し持っていたりするらしい。今なお行方不明の名画たち。徒然の記その3 日日是好日(にちにちこれこうじつ) 茶道入門 2019.4.29(月)■Violaを弾くとき、茶会に居並ぶ人たちに聞かせるように弾いてみたいと思った。ちゃちな音ではお客が帰ってしまう。豊かな朗々とした美しい音色を紡いで感嘆のため息が出るように曲を奏でたいと。そいういう気持ちでシューマンを、ブラームスを弾いてみたいと思ったのだ。どんな曲を、どんな部分を弾いても唸らせるような音色で弾きたいと思った。ピッチもピンポイントで合っていないといい音はしない。 Violaの音色への思いは、エッセイスト森下典子さんの『日日是好日(にちにちこれこうじつ) 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ『(新潮社文庫2008第1刷、2018年第30刷)を読んだからだ。■日日是好日(2008年) 因みに後編が「日日好日」(2018.10)として出版されている。2018.10に公開された映画「日日是好日」では、「武田のおばあさん」を樹木希林が、主人公(典子)を黒木華が演じている。田端の映画館でまだやっていたので勉学のために観に行ったりしている(下記 徒然の記 その6を参照)。 お茶をやったことのある人は知っている筈の言葉が、小生にとっては初めて聞く言葉が多く宙を舞うような感じ。筆者25年目にして漸く語った茶の世界。昔姉が習っていて、お点前の練習台になったりしたときに帛紗(ふくさ)をパチンと鳴らすところあたりまでは記憶にある。 お茶碗を回しながら飲んだりと。カフェイン100%の抹茶ではなく、デカフェ型の抹茶はないものだろうか。桑茶などが”ノンカフェイン抹茶”として売られているようである。色もウグイス色で変わらない。薄茶と濃茶の区別などもあろうか。 さてこの本にある用語をいくつか取り上げてみよう。メモしたりしたら怒られるという。頭でなく、体で覚えよと! 表千家の場合。■茶室・茶道具・・茶室、掛け軸、帛紗(ふくさ 表千家ではポンと「ちり打ち」を行う。)、茶碗、茶筅(ちゃせん)、茶杓(ちゃしゃく)、棗(なつめ)、柄杓(ひしゃく)、水指(みずさし)、風炉・炉、茶巾(ちゃきん)、水屋、茶通箱(さつうばこ)、こぼし■お点前・薄茶点前、濃茶点前、炭点前、■作法・・入るときは左足から、挨拶では扇子を前に。畳は6歩。■お点前・・薄茶の場合は「点(た)てる」、濃茶の場合は「練る」、飲む・・一服、二服■お点前の位・・唐物、台天目、盆天■配置・・亭主、客(正客、次客・・) 茶器、掛け軸などの会話をする。■茶碗・・塩倉新兵衛(萩焼き)、大樋長左衛門(大樋焼き)、夏場・・平茶碗、冬場・・筒茶碗■茶通箱(さつうばこ)・・即中斎好(そくちゅうさいごのみ)・惺斎好(せいさいごのみ)などの「好」の道具■茶名と「詰め(製造元)」・・松昔「能勢園」、若松の昔「一保堂」、■茶会、茶事(懐石料理+お茶)■懐石料理・・1月の例:(初春)、向付(小だい皮つきの角造り、芽かんぞう、わさび、だいだい酢)、汁(合わせみそ、一夜こおりどうふ、からし)、煮物(うずらたたきゆば包み、にんじん短冊切り、ゆず)、焼き物(いせえび素揚げ、大根おろし)、吸い物(ほんだわら、露しょうが)、八寸(ひがい登り焼き、かち栗甘煮)■和菓子・・あやめ饅頭、おとし文(ぶみ)、衣被(きぬかつぎ)、下萌(しもたえ)、紫陽花■老舗の銘菓・・場所・店名「銘柄」・・神田・さゝま「落葉」、赤坂・塩野「こぼれ萩」「千代菊」、銀座・空也「黄味瓢(きみひょう)」、日本橋・長門「ゆずまんじゅう」、北鎌倉・こまき「あじさい」「青梅」、長岡・大和屋「越之雪」、名古屋・美濃忠「初かつを」、福井・長谷川柳枝軒(りゅうしけん)「福和内(ふくわうち)」、島根・三英堂(さんえいどう)「菜種の里」「山川」「若草」、愛知・松華堂(しょうかどう)「星の雫」、京都・亀屋則克(のりかつ)「濱土産(はまづと)」、京都・松屋常盤「味噌松岡」、富山・五郎丸屋「薄氷」など。■茶花・・あわもり草、糸すすき、空木(うつぎ)、がまずみ、金魚草、金糸梅、くがい草、鷺草、さるすべり、縞葦(しまあし)、しもつけ、秋明菊、底紅(そこべに)、鯛釣草、土佐水木、鳴子百合、貝母(ばいも)、花筏(はないかだ)、姫百合、二人静、ぼけ、まんさく、虫狩(むしかり)、蠟梅(ろうばい)・・。1月に咲く花・・まんさくは「まず咲く」が訛ったものであると。■音・・松風(釜の中に漆で鉄片が貼り付けてあり沸くと音が出る)■掛け軸・・不苦者有知(苦と思わざる者は知あり--「フクワウチ」と読める)、 日日是好日(雲門文偃(うんもん ぶんえん 864-949)の禅語)・・毎日が好い日なのだ、人間はどんな日でも楽しむことができる。今実際に生きて在ることに感謝。「雨の日は雨を聴く、雪の日は雪を見る。夏には暑さを、冬には身の切れるような寒さを味わう。・・どんな日も、その日を思う存分味わう。お茶とはそいういう「生き方」なのだ。そうやって生きれば、人間はたとえ、周りが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇しても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれない。」と著者は読み解く。1日の終わりに「あヽ今日も1日好い日であった」と感謝の気持ちを添えてみてはどうかと思った。■和服・・桃色のぼかしの小紋(こもん)、辻が花染の訪問着+ウグイス色の扇面花鳥の袋帯、鮫小紋+塩瀬の帯のお太鼓、明るいグレーの一つ紋、・・何万とある単語。お茶の世界は深淵!お茶を習った人達は、一応において、動作や所作において気品がある。 小学高学年の期間、母親と一緒に習い始めたというカミさん。夏場の暑いときの正座は苦痛だったという。同伴して何十年にもなるが、物を放り投げることがない。静かに”置く”のである。ここが小生との大きな違いである。心せねば。徒然の記その4 港区―坂道running 21km 2019.4.30(火)■港区に100坂もあり、先週から網羅running作戦を実行している。今回は愛宕山、仙石山、麻布台、白金台など幾つもの山や丘がある地域。谷間を川が流れ、沢山の神社仏閣、武家屋敷が連なった江戸時代の高級住宅街。令和の時代まで続く一大絵巻である。■平成最後の雨の日に、事もあろうに、赤坂に行ってきた。周辺は、警視庁のお巡りさんがうようよ。検問などもありものものしい特別警備体制が敷かれていた。その間隙を縫って下記の行程で先日の残りの坂道を巡った。今回のrunningコース:「赤坂」赤坂見附駅→紀伊国坂→九朗九坂(くろぐ)→弾正坂(だんじょう)→(赤坂御用地)・(豊川稲荷)→牛鳴坂(うしなき)→丹後坂→円通寺坂→薬研坂(やげん)→(青山通り)→(カナダ大使館)→新坂→稲荷坂→三分坂(さんぷん)→本氷川坂→氷川坂→転坂(ころび)→(アメリカ大使館宿舎)→南部坂→「虎ノ門」・・榎坂→汐見坂→江戸見坂→(ホテルオークラの土塀)→霊南坂→(アメリカ大使館)→(六本木通り)→桜坂→三谷坂(さんやざか→(スペイン大使館)→(仙石山-六本木ファーストビル)-御組坂(おくみざか)→スペイン坂(1986年 アークヒルズ完成時に命名された新しい坂-途中にサントリーホール前広場につながる)→道源寺坂(どうげんじざか)→(麻布通り)→行合坂(ゆきあいざか)→落合坂→我善坊寺坂(がぜんぼうじざか)→三年坂(or三念坂)→雁木坂(がんぎざか)→西久保八幡男坂・女坂→「愛宕、芝公園」・・永井坂→切通坂(きりどおしざか)→愛宕神社男坂・女坂→(NHK放送博物館)→銀杏坂(いちょうざか)→富士見坂→(東京タワー)→土器坂(かわらけざか)→「麻布台」・・榎坂→(ロシア大使館)→狸穴坂(まみあなざか)→鼠坂→植木坂→(麻布通り)→「白金台,白金」・・(白金高輪駅)→三光坂→(聖心女子大)(東大医科学研究所附属病院)→蜀江坂(しょっこうざか)→明治坂→日東坂→(自然教育園)→(目黒通り)→(白金台駅)→桑原坂→(八芳園)→日吉坂→名光坂→白金高輪駅46坂もあった。繰り返されるup-down。愛宕山の階段が一番きつかった。聖心女子大脇の三光坂は高級感。ほとんどが都心の一等地でリッチ感がただよっていた。 週一で外国人などを案内する商売でも始めようかと思うほど、歴史散策には最高の場所であった。港区は「品川・田町」10坂 7.3km と「元麻布・西麻布」10坂 7.7kmの坂道を残している。文京区の坂もすでに歩き始めている。忙しくなってきた。徒然の記その5 江崎昌子さんピアノリサイタル 2019.5.1(水)■デビュー20周年 江崎昌子(Masako Ezaki Piano Recital2019)さんのリサイタル。ポーランド芸術祭2019 in Japan・・日本・ポーランド国交樹立100周年記念事業として。洗足学園大学・大学院準教授および日本ショパン協会理事でもある江崎さんは現在府中在住。6月2日の府中市民交響楽団第79回定期演奏会でシューマンのピアノ協奏曲を弾くソリストである。 今回は彼女からの招待券を貰って、上野文化会館に駆け付けたという次第だ。10連休のさなか、どこもかしこも人人で、大混雑。会館内の女子トイレなど30分待ちという"盛況"ぶり。小ホールも800席くらいが埋まって満席。曲目:ユリウシュ・ザレンプスキJulius Zarębski:バラと棘~ピアノのための5つの即興曲~Op.13ミウォシ・マギンMiłosz Magin:3つのポーランド舞曲フレデリック・ショパンFrederic Chopin:舟歌 嬰へ長調 Op.60フレデリック・ショパン:24の前奏曲 Op.28アンコール:ショパン:マズルカ Op41-2、ミハイロスキ-:子犬のワルツのバラード、ザレンプスキ:子守歌 「24の前奏曲」は、1839年ショパン29歳のときマジョルカ島で作曲された。男装の女流作家ジョルジュ・サンド(1804-1876)と過ごしている時期にあたる。緻密に計算されたPréludesで、#や♭の調が順番に出てくる形でかつ多様な速度記号・表情記号を絡めている。各曲は1分から3分と短く、全体でJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集にある前奏曲をイメージしながら24の調という革新的な要素を加味させている。基本調のハ長調から始まり#を一つづつ増やしたり、♭を一つづつ減らしたりしながら、長調と短調を交互に挟んでいったのである。 1番:ハ長調 agitato、2番:イ短調 Lento、3番:#ト長調 vivace、4番:ホ短調 Largo、5番:##ニ長調 Allegro Morto、6番:ロ短調 lento Assai、7番:###イ長調 Andantino、8番嬰へ短調 moltro Adagio、9番:####ホ長調 Largo、10番:嬰ハ短調 moltro Allegro、11番:#####ロ長調 vivace、12番:嬰ト短調 Presto、13番:#####嬰へ長調 Lento、14番:嬰ニ短調=変ホ短調 Allegro、15番:♭♭♭♭♭変ニ長調 sostenuto、16番:変ロ短調 Presto con fuoco、17番:♭♭♭♭変イ長調 Allegretto、18番:へ短調 Allegro morto、19番:♭♭♭変ホ長調 vivace、20番:ハ短調 Largo、21番:♭♭変ロ長調 cantabile、22番:ト短調 molto Adaguo、23番:♭へ長調 Moderato、24番:ニ短調 Allegro appassicionato。 第15番 変ニ長調 sostenuteは「雨だれ」で有名な曲である。最後の第24番 ニ短調 Allegro appassionateは凄かった。怒涛のような音楽で、ショパンの叫びのようなものが聞える。ピアノの最低音レ(D音)を3度強打して幕を閉じる。万雷の拍手。 彼女との初めての協奏曲練習は5月12日。非常に楽しみである。■一つだけクレーム・・上野文化会館小ホールで・・前の客の背が高くて、前方のPianoが半分見えなかったことだ。右目だけだと見えているが、左目だけにするとピアニストが半分以上頭に隠れる。両眼では焦点が合わずボケてしまうのだ。しょうがなく、首を20cmばかりずらしてずっと見ていた。こうすると今度は後部座席の人がさらに首をずらさねばならず、全体にずれていくのだ。 原因は座席が碁盤の目配置となっているためである。半分ずらせて配置するなど工夫が出来なかったものか。劇場の半分以上がこのように碁盤の目配置である。よほどの段差を設けないと後部座席の人はみずらいのだ。背の高い人、頭の大きい人は、沈み込んで座るなどの配慮が必要である。帽子を被るなんて言語道断。■令和の初日の記念すべき日にすこし家を早く出て、御茶ノ水から上野までの散策を楽しんだ。もちろん「文京区の坂道探訪」を兼ねて。コース・・御茶ノ水駅聖橋→相生坂→(湯島聖堂)→昌平坂→(神田明神)→明神男坂→湯島坂→樹木谷坂(じゅもくだにざか)→新妻恋坂→横見坂→清水坂→妻恋坂→立爪坂(たてづめざか)→三組坂(みくみざか)→ガイ坂→実盛坂→中坂→(湯島天神)→天神石坂→天神女坂→天神夫婦坂→切通坂→御徒町→アメヤ横丁→上野文化会館 湯島や本郷の丘と神田川や不忍池の低地帯との間にある無数の道は全てが坂になっており下れば上るという往復運動を繰り返すと以上のように膨大な数の坂道を行き来できるのだ。 最短コースを歩むということをやめ、縦横無尽に地図を舐め尽くすという感じで街歩きを行えばよいのだ。新しい街歩きの仕方を学んだ。徒然の記その6 田端から根津神社へ 2019.5.2(水)■映画「日日是好日」は昨年10月に公開されたが、現在日本でただ一軒、田端の映画館 ユニバーサルシアターCinema Chupki(シネマ・チュプキ)で5月17日(金)まで上映されている。 23席くらいしかない小さな映画館なので電話予約がよいだろう。満席の場合でも、当日席は5脚ほど補助椅子が出されるので諦めず行ってみることだ。 出演:黒木華、樹木希林(1943.1.15-2018.9.15)、 多部未華子、監督:大森立嗣。 表千家の茶道を余すことなく伝える珠玉の名作で、森下典子さんの『日日是好日(にちにちこれこうじつ) 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』を忠実に映像化した作品であった。■映画は110分で11:50には終了した。近くの麺飯中華厨房 八福食堂で満腹の昼食。なるほど毎日これだけ食べると太るわけであると変に納得。我が家の粗食を懐かしむ。腹ごなしには散歩が一番ということで、”文京区の坂巡り”を再開”。田端→(動坂)→不忍池通り→狸坂→(千駄木山)→(高村光太郎旧居跡)→大給坂(おぎゅうざか)→須藤公園(江戸時代は松平備後守の下屋敷)→団子坂→薮下通り(別名汐見坂(2))→(区立第八中)(汐見小)→汐見坂(1;階段)→(夏目漱石の旧居跡)→(日本医科大学付属病院)→根津裏門坂→根津神社→新坂→お化け階段→(サトウハチロウ旧居跡)→異人坂→弥生坂→暗闇坂→(東大・弥生門)(同・池之端門)→(東大敷地)榎坂→本郷三丁目駅 団子坂←薮下通り←(区立第八中)(汐見小)は、4/10の歩き塾で上野から小石川植物園に行ったとき通ったルートである。根津神社の 約100種3,000株のつつじが見ごろを迎え、今まさに「文京つつじまつり」が開催されて境内は大賑わい。ツツジ鑑賞のための長い行列が出来ていた。メトロの根津駅からゾロゾロの人の列。こちらは坂のup-downを繰り返すハードなコースでほぼ一人。 日暮里の朝倉彫塑館や谷中銀座を入れた谷根千(谷中・根津・千駄木)と言われる界隈を歩き塾でぜひ訪ね歩いてみたいと思った次第。■残念な人・・映画の上映中、何回もクシャミをする人が居た。小生は一段高い、後部座席から観覧していたので今回は「頭」の心配は無かったが、残念な結果であった。前の女性は何回も後ろを振り返り、困惑な表情。 静かなコンサートでも同様のシワブキが必ずどこかで起こる。ここでひとつ提案。突然のクシャミに備えて、各自がハンカチを用意することだ。手に握っておればよい。咄嗟の時に口を塞ぐのである。 音量はかなり抑えられる。ものの本によれば、咳をしたときの風速は時速200km-400kmという。くしゃみは320km。ほんの1秒でも100m先に拡散する。マスクでは抑えきれない。 あたり構わずクシャミする人達よ! どれほど迷惑をかけているのか自覚をすべきである。 徒然の記その7 Camino仲間は西、仏、墺に! 2019.5.4(土)■約15人のCamino仲間が今それぞれの巡礼を楽しんでいる。たとえば、1人は「オーストリアの道」をウィーンからリンツまで235kmを歩き、一旦中休みしている。1人はル・ピュイの道(Camino de Le Puy)のNagaroノガロ→Aire-Sur-L'Adourエール・シュール・ラドゥールあたりを歩き、何人かは 銀の道(Camino Vía de la Plata)やイギリス人の道(Camino Inglés )を、さらにモザラベの道(Camino Mozárabe)をメリダまで歩いた後銀の道に合流し、はたまた銀の道からサナブレスの道(Camino Sanabrés)に分岐してSC(Santiago de Compostela)を目指すもの、フランス人の道( Camino France's )ではLogroñoログローニョからNajeraナヘラまでバスなど刻々と情報が入る。 日本からfacebookの記事などを頼りにExcel Bookに記入したりなど追跡やモニターをしている。まぁストーカーのような感じで恐縮であるが。 時差は7時間なので、朝7時ころ記帳内容を確認する程度であるが。都市名はGoogle EarthやGoogle Mapで確認が可能である。世界中には同じような名前が多いため「ñ 、á 、â 、ü」などスペルを正確に書いてくれると嬉しい。ある時は気を揉みながら、ある時は励ましながら高みの見物? これが、5月から7月にも続くため日本に居ても、旅をしている気分になり気持ちは豊かである。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
May 4, 2019
コメント(0)
坂道探訪-港区、高齢者の自動車事故、「なぜ?どうして? ふしぎ366」_ story (4391)2019.4.27I wanted to walk around slops in Tokyo to explore the history.There are 500 slops with name plate indicate the origin etc.I visted a part of them in Minato word on rainy Friday.I thought strongly to measure the inclination of each slops by a protractor and a horizontal level.歴史探訪を兼ねて坂道を歩く。東京には名前がある坂が500もある。表札が立っていて坂道の由来などを知ることができる。雨の金曜日に港区にある坂道の一部を探訪してきた。次回からは分度器と水準器を持っていき、坂道の傾斜角度を測ってこよう。ころげ落ちそうな急なところも結構あるほとんどが江戸時代からの坂道である。転がり坂などという昔は悪路で人がよく転んだという坂まであり面白い。■今週の1枚Aestheticum in Koishikawa Botanical Garden(小石川植物園のスズカケノキ 2019.3.21)3月21日の小石川植物園。桜開花の宣言があった日の植物園は裸木が多く、巨木のスズカケノキ2本も例外ではなかった。白い肌の木は森の中でたたずみ気持ちよく青空に向けて複雑な枝を張り巡らせていた。まるで一面の空全部を捉えるように、隙間なく網羅させていた。目次徒然の記その1 高齢者の運転事故徒然の記その2 秩父観音巡りの結願徒然の記その3 家で 徒然の記その4 平野啓一郎著「ある男」徒然の記その5 Viola Lesson徒然の記その6 坂道探訪run 徒然の記その7 孫に「なぜ?どうして? ふしぎ366」の本を 徒然の記その1 高齢者の運転事故 2019.4.21(日)■19日昼下がり、東池袋で、87歳が運転する車が暴走し何人もの人を撥ね、2人を死なせた。21日日曜日には、三宮駅前で65歳が運転するバスが横断歩道に突っ込み、2人を死なせた。こんな事故が相次いでいる。前者は100kmの猛スピード。後者は30kmとノロノロであるが巨体のバスが横断中の多くの人をなぎ倒していった。そこで小生からの提案。 バスのように時速30kmであれば画像認識で人と見たらstopする機能があれば進まなくても済んだはず。そういう機能を有しないバスは廃車とする。「誤発信抑制機能」などがあるが、急なstopが乗客に危ないと路線バスには義務ずけられていないのだという。 都心の混雑した街であれば、横断歩道に人がいれば、赤でも青でも止まって ”轢き殺す”ことの絶対にない車というものが開発できないものか? 不思議である。技術大国日本はどこへ行った? 尊い命が奪われない策はないのかと。80歳以上からすべての車を一旦取り上げる。免許の更新を辞退したものは国民栄誉賞級の褒美を遣わす。 どうしても車が必要な老人には、少なくともワンペダル改造車(ブレーキしか踏み込めず、アクセルはバーを横にずらさないと踏み込めない)をあてがい、将来的には完全AI車を買ってもらう。政府補助があってもよいものだ。誰かさんの外遊費をまわせばよいのだ。 後期高齢者から先に続く終期高齢者、晩期高齢者、末期高齢者、終末高齢者、臨死高齢者達よ、車を手放しなさい。手放せば菩薩高齢者、如来高齢者と呼んであげよう。 運転する高齢者を持つ家族よ、完全AI車を買ってあげるか、取り上げなさい。さて、バスはどうする? 30kmくらいだったらAIで止まれた筈である。同時に60歳以上の高齢運転手には血圧・心拍の24時間ホルターを装着してもらい異常時には運転をstopする。さらにAIで完全武装する。徒然の記その2 秩父観音巡りの結願 2019.4.22(月)■先日の土曜日は、秩父では、小鹿野(おがの)町の歌舞伎見物や、三峰口から1泊2日で登山する人達でごった返していた。春シーズンの始まりを予感させた。この調子でいくと5月の連休中はどうなることかと不安がよぎる。 小鹿野町行きのバスは超満員。リュックを持っていたが後部座席に潜り込めた。この座席に並んだのは5人くらい。もうぎっしりである。隣り合った女性は、毎月のように小鹿野町に通うという。和服姿に地下足袋、ベレー帽という不思議なスタイルであった。 その隣のご婦人は男性2人と全国の流鏑馬を追いかけているマニアで、5月には京都の葵祭にも行くという。ベレー帽の女性も流鏑馬には詳しく、町田駅に近い芹が谷(せりがや)公園でも流鏑馬があって観に行っているのだ(昨年10月に2年ぶりで開催された時代まつり)。たまたま同席した2人の女性。その道の通のようで面白い。さっそくLineやツイターやFacebookの交換をする。ワイワイとうるさく騒いでいたのでバスの乗客には迷惑ではなかったろうか。■今回の秩父観音巡礼で結願となったが、昨年7月から歩き塾で6回、下見に4回は訪問して全コースをrunしたり、歩いたりと大いに秩父盆地を堪能させていただいた。 最初の感触は、秩父の蕎麦を食べながらのんびり! と思っていたが、34寺を回るということは100kmを効率よく回ることであり、途中で「蕎麦」などと言う余裕が全くなかったのだ。江戸巡礼古道を巡りながら、御朱印帳に記載してもらい次から次へと回る忙しい旅となった。 全コースの概要と、レジュメ、kmlルートファイルなどを歩き塾のHPにupした。参考願う。その1 2018.7.14コース・・和銅黒谷(わどうくろや)→1.四萬部寺(しまぶじ)→2.真福寺(本堂・標高380m)→光明寺(2番納経所)→3.常泉寺(じょうせんじ)→4.金昌寺→5.長興寺(語歌堂)→10.大慈寺(だいじじ)→11.常楽寺(じょうらくじ)→西武秩父駅 14.2kmその2 2018.10.13コース・・横瀬→7.法長寺→6.ト雲寺(ぼくうんじ)→8.西善寺(さいぜんじ)→9.明智寺→12.野坂寺(のさかじ)→13.慈眼寺(じげんじ)→14.今宮坊→15.少林寺→16.西光寺→17.定林寺→秩父鉄道・秩父駅 14.4kmその3 2019.1.14コース・・秩父→1.7km→18神門寺(ごうどじ)→19竜石寺→20 岩之上堂→21 観音寺(320m)→22 童子堂→23 音楽寺→24 法泉寺→26 円融寺→27 大渕(だいえん)寺→影森駅 15.8kmその4 2019.2.16コース・・浦山口→1.8km→25.久昌寺→2.4km→28.橋立堂→2.2km→29.長泉院→6.9km→30.法雲寺(374m)→1.1km→秩父鉄道・白久(しろく)駅 13.8km その5 2019.3.16コース:西武秩父9:20→(バス)→10:05小鹿野車庫→31.観音院(474m)→(大日峠401m)→32.法性寺→松井田 15.4kmその6 2019.4.20コース:西武秩父駅9:20→(バス)→9:49泉田→33.菊水寺→(札立峠 532m)→34.水潜寺→秩父温泉前 12.2km 以上6回の巡礼で歩いた歩行距離合計 85.8kmである。印象深い寺としては、鍾乳洞のある「28.橋立堂」、魔岩仏がある「31.観音院(474m)」、岩船に乗った観音様の「32.法性寺」など。「21 観音寺(320m)」は、大学OBオケの合宿で時々訪れていた秩父ミューズパークから近く、早朝runningで何度か通っていた。 今回の巡礼ではほぼ一筆書きであるが、その3の27.大渕(だいえん)寺からその4の浦山口の1km、その4の白久駅からその5の栗尾まで約10km、その5の松井田からその6の泉田の0.5km 計11.5kmが不連続となっている。敢えて言えば、最後の34.水潜寺からその1の出発地点、和銅黒谷(わどうくろや)までの道9kmを加えれば、完全一周を果たしたことになる。この場合の合計は105km。 ジョギングでは2日で果たした猛者もいるらしく恐れいる。この巡礼路は四季折々景色が違ってくるので、何回となく巡る人も多く、御朱印帳に重ね書きをしてもらったりしている。一回きりではなく、何回となく歩いてみたい魅力的な古道であったと思う。徒然の記その3 家で 2019.4.23(火)■階下からベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 Op.57 「熱情」の 第3楽章が聞えてくる。居ながらにしてクラシックのBGMがある我が家も、心配事がある。カミさんが運転する車は、小生の足でもあるが、これがいつまで続くのかと。駅前近くに終の棲家として購入したマンションのローンもあと数年。これが無くなれば今以上に羽を伸ばすであろうか。カミさんはコンサート漬け。こちらは巡礼三昧の生活!? いやいや。今秋から年金が減るというので取らぬ狸の皮算用で、いつものカツカツの生活は変わらないのであろうか。徒然の記その4 平野啓一郎著「ある男」 2019.4.23(火)■久々に平野啓一郎の著作を読んだ。1999年『日蝕』で芥川賞を取った作家であるが、とにかく難解で、2行に一回、読めない漢字が登場したと記憶する。 2018年9月に文藝春秋から発行されたこの本は、今図書館だと300人待ちの本であるが、たまたまピアノの上に積んであったので読んでみた。 人生の何もかも捨て去って別な人として生きた男を捜索した弁護士の物語である。こんなことがこの世の中で行われているのか。戸籍交換という違法な手段で。死刑囚の子供などの場合である。この物語は大変複雑で、A→B→Cというように複数回戸籍を交換した奇怪な事件を扱っているのだ。 平野ならではの文章表現があり新鮮だ。平易な文章もあるが、やはり光っている。一例を示せば・・・Xという戸籍を交換した「男」の正体を知ったときの弁護士の思いは・・『肩口(かたぐち)に兆した戦慄が、どこに駆け抜ければ良いかわからぬように何度となく背中を走り、腕や足に散った。』・リングで試合のためにトレーニングする場面では『青年は、現在と言う檻によって、その未来から隔離されている・・・・・』・戸籍を交換した谷口大祐(だいすけ)と以前好いていた美鈴との再会の光景を『若干(そこばく)とした悋気(りんき;嫉妬)を抱いていたが。』 本の中にもなぞなぞがあり面白かった。 主人公:城戸章良(きど あきら)が園児の息子から受けた質問が分からないというくだり。先生から教わったのであろう。ギリシャ神話を幼児向けに編集された絵本にあったお話「narcissusナルキッソスが水仙の花に変身する」のはどうしてかと。ギリシャ神話を元にしたオウィディウスの『変身物語』には色々な変身の話がでてくる。この話の一節が「水仙に変身」である。ナルキッソスはnarcissist(ナルシスト(自己愛))の語源となったり、水仙を意味するnarcissus(ナルシシウス)の語源となった言葉である。 ナルキッソスは、河の神ケピソスが「青い水に住む妖精(ニンフ)レイリペオ」を「うねった流れ」に巻き込み、「水の中に閉じ込めて乱暴を働い」て出来た子供である。その後、ずっと水を見つめて暮らすことになり、自分を見つめ続けた結果、自分を愛してしまったのだという。ナルシストの意味につながっていく。 そのナルキストに恋をしてしまうのがエコーであるが、女神ユノーによって相手の「話しの終わりを繰り返す」ことしか出来なくされている。自分しか愛することができないナルキッソス。他人の声を反響させるだけで、自分自身の存在を愛する人に知ってもらうことができないエコー。 孤独な二人は、ナルキッソスが死ぬ瞬間、ただ、「ああ!」という嘆きの声で呼応しあい「さようなら。」という別れの挨拶を交わすことができなかった。水辺に咲き、いつも自分の姿を眺められるように首を下に傾(かし)げた水仙に変身したというのだ。 岩波文庫にオウィディウスの『変身物語』上下があった。さっそく勉強して見よう。徒然の記その5 Viola Lesson 2019.4.25(木)■レッスンでは最初に調弦をする。Aの音を耳で聞けと。ディジタルのチューナーで合わせるなと。A(442Hz)の音をチューナーなどから発するアナログ音だけを耳に蓄え、それを頭で覚えてチューニングせよと。ディジタルチューナーに頼っているといつまでたってもそこから抜け出ることが出来ないのだと。 他の弦もすべてそこから音を合わせていくのが重要で、各弦をチューナーなどで合わせていると結局それに頼りきりになってしまい研ぎ澄まされた耳が育たないのだという。 低弦(C線やD線)は少し高めに設定をするのがコツ。A線から離れているためチューニングのずれ幅が増加するためでもある。・・これらは日常生活にあてはめられる。ちょうどパンを作るとき強力(きょうりき)粉を250g計量する場合などだ。秤の目盛りを見ながら粉を計るのではなく、目分量やピラミッドの頂点などの”図柄”からピタリと250gを計るのだ。いつもメーターを見ていると感性が養われない。 キーボードも同様。いつもKBを見ながら打っていると10年たってもタッチタイピングは出来ない。思い切ってKBを見るのをやめて文字を打ってみることだ。1w我慢すれば覚えられる。 シューマンのピアノ協奏曲イ短調Op.59を中心に練習 ミソドソドミソ-などまさにイ短調のメロディー。簡単な八分音符の繋がりであるがp(ピアノ)から次第にcresc.(クレッシェンド)していくメロディーがすばらしい。弓が滑ることなく美しく奏でる・ ♬♬の粒が15個ほど連なる場所でも、きっちり音を鳴らしていく。Duoになる部分(重音)では下側は少し弱めに弾くとうまく響く。fの強さのなかにsf(スフォルツアンド)がある。その音だけ強く。総じて黒玉♩が速いと。白玉が長く、黒玉が短く弾く悪い癖があるという。2楽章の美しい天にも昇るメロディーに差し掛かった。2017.7に言われた下記の言葉が思い出される。 弾きだす前に音楽の女神をイメージせよと。天井から音楽が降ってくるような心境でと。そこに音楽の女神がふわっと舞い降りるように、弓を自然にして最高の音を出せと。 音の進行は綺麗な運指で。そっと抑えること。この一連の動きは茶道と似ているのではないかという気がしてきた。「茶道のようにViolaを弾く」。これをやって見よう。無駄な動きをしないことだ。徒然の記その6 坂道探訪run 2019.4.26(金)■「日本坂道学会」会長山野 勝 さんの「大江戸坂道探訪 東京の坂にひそむ謎と不思議に迫る (朝日文庫) 」 と副会長タモリの「TOKYO坂道美学入門」という本を同時に読みながら港区の坂道を13kmばかり一筆書きに走ってこようと思いたった。両人の推奨コースを地理院地図やGoogle Mapなどで確認し、詳細なMy Mapを作成する。4.7cm=200m(約1/4300)という詳細地図である。これをGoogle Earth上で計測し、profileを見て坂道を確認。1コースに1.5時間ほどの作業なので毎日1、2コースと牛歩のような歩み。 runningによる実地作戦としては、下図の紫・黄・赤といった個別ルートをできるだけ一筆書きになるように走っていくのだ。今回は赤羽橋から赤坂まで。この中には何回も通っている坂道もあれば初めての坂道もあり油断禁物。高校のテリトリーで言うと、三田高校と六本木高校の脇を通るコースとなった。 赤羽橋駅→「綱が手引坂」(三田高校正面の坂)→「綱坂」(イタリア大使館と三井倶楽部の間の坂)→神明坂→日向坂→絶江(ぜっこう)坂→薬園坂→釣堀坂→奴坂→阿衡(あこう)坂→新坂→青木坂→新富士見坂→木下坂→南部坂(有栖川記念公園横の坂)→仙台坂→一本松坂→暗闇(くらやみ:東京には7ヵ所くらいある。)坂→あひる坂→鳥居坂→於多福(おたふく)坂→饂飩(うどん)坂→芋洗(いもあらい)坂→(六本木交差点)→不動坂→丹波谷坂→寄席坂→長垂(なだれ)坂→(氷川神社)→本氷川坂→氷川坂→転坂→千代田線・赤坂駅。 とこんな調子だ。500を超える坂道の内の29坂 約6%を制覇しようと考えた。 起伏は半端ではない。15-30mの坂を何十回もup-downを繰り返す。13km程度の距離なので、小雨とは言え3時間ぐらいで走り終わってしまった。感想としては氷川神社周辺の道路が一番良かった。ここは昨年のイルミネーション探訪の時に訪れている。アメリカ大使館宿舎の隔離された広大な敷地が氷川神社の向いにありこのあたりが樹木が鬱蒼としている。profileは紫の線、「六本木一丁目」→「赤羽橋」徒然の記その7 徒然の記その7 孫に「なぜ?どうして? ふしぎ366」の本を 2019.4.26(金)■2018.11 主婦友社から刊行された本である。「なぜ、どうして」に毎日一つずつ答えることで好奇心を育て、モノの考え方や見方など学ぶ力をグングン伸ばす というキャッチフレーズ。末の孫やその家族にどうだろうと思って買ってきた。プレゼントする前にまず爺さんが読んでみた。 驚いたことに3歳から低学年用ではあるが、大人でも十分面白い。 お茶の水大学附属小学校の教諭が10個の分野(言葉、数、自然科学、世の中、音楽、アート、生活、身体、世界の言葉、心)をそれぞれ分担し監修をしている。 小生は思う。9歳までが「天才」の期間で、その間大人がどう付き合うかで、一生が決まると。大半が凡人になっていくのだ。大人の責任重大である。「子供は皆天才」と思って子育てをする必要があり、ほとんどの親はそれに気が付かず、潰していくのだ。 お茶の水の小学校1年生を見よ。半年は教科書を使わないのだという。なぜ?ということを徹底して考えさせるのだという。上記にあった、「変身物語」であったように「なぜナルキッソスは水仙に変身したか?」を考えさせるような授業を行うらしい。 答えが無い問題を柔らかい頭で考えさせるのだ。末の孫はまだ子供園の年中ではあるが、こんな本になじませていくとよいのではないかと考えた次第である。 本の中に「数」の分野で、大学生にする質問のようなものがあった。「いちばん大きい 数って なに?」というのがある。答えは返ってこないだろう。しかしこの本を勉強した生徒は、1,十,百,千.万,億,兆,京・・。ここまでは誰でも知っている。この先は?この本には、ちゃんと出ているのだ。垓(がい 10^20),𥝱(じょ 10^24),穣(じょう 10^28),溝(こう 10^32),澗(かん 10^36),正(10^40),載(さい 10^44),極(10^48),恒河沙(こうがしゃ 10^52),阿僧祇(あそうぎ 10^56),那由他(なゆた 10^60),不可思議(10^64),無量大数(10^68)・・知っていました?「音楽」の分野では「ドレミはいつできたの?」があった。2500年頃前にピタゴラスが音階を見つけたとある。美しく響きあう音を数学的に解き明かしたのだ。すばらしい。音をドレミファと呼ぶようになったのは1035年頃のイタリアからだという。解説を追加するならヨハネ聖歌の頭文字を取って「ウトレミファソラシ」。ウトは発音いずらいので「主」を意味するDominusのドを当てたのだ。「心」の分野では、「いじめは どうしていけないの?」があった。大した本である。舌をまくほど内容が豊富である。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Apr 27, 2019
コメント(0)
ノートルダム大聖堂の火災、坂道学会_ story (4390)2019.4.20The large roof made up of 1400 woods and the tall steeple in Notre Dame was collapsed in the fire at 15th Apr. Was the rose stained glass and pipe organ safe? We want to expect restoration that sound effect returns.On the other hand, I played two jogs extremely different landscapes as Keihin Industrial Zone and Doshigawa-Canoe Range.パリのノートルダム寺院の大屋根(東西100m、南北50m 屋根裏は1400本の木材で組まれていた)、及び尖塔(90m))が火災で崩れ落ちた。バラ窓(南、西の2つのバラ窓は無事の模様)やパイプオルガン(15世紀、8000本)は無事だったろうか(聖遺物「いばらの冠(Holy Crown of Thorns)」は無事運び出された。礼拝堂にあった13点の絵画はルーブル美術館で修復作業の予定。)。銀色に輝いていたパイプは煤色になっていたが。音響効果がもとに戻るような修復を期待したい。一方、京浜工業地帯と道志川・カヌー練習場というコントラストのある2つの風景をrunした。■今週の1枚Koishikawa Botanical Garden(小石川植物園-日本庭園の風景 2019.4.10)3月と4月に、小石川植物園(正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」)に足を運んでいる。庭園の背景は20mほどの落差のある丘でスロープにベンチがおかれ寛いでいる人もいた。斜面の下側はマツや梅。上部にスダジイ、クロマツ。目次徒然の記その1 東京六甲室内管弦楽団徒然の記その2 TVアニメ「ピアノの森」徒然の記その3 島田荘司「最後の一球」 徒然の記その4 のどの腫れ徒然の記その5 川崎・京浜工業地帯から羽田を観察run徒然の記その6 秩父観音巡礼その6徒然の記その7 東京の坂徒然の記その1 東京六甲室内管弦楽団 2019.4.14(日)■”六甲”と名の付く2017年に設立された若い室内管弦楽団。三鷹市芸術文化センター 風のホールでの演奏会に駆け付けた。曲目はF.シューベルト「ロザムンデ序曲」、J.ブラームス:ヴァイオリン協奏曲、R.シューマン:交響曲第4番ニ短調。 103年の歴史がある神戸大学交響楽団OB及び家族で構成されたオケである。指揮者を置かず、コンサートマスター及びソリストが身振りや弓でアインザンツを出しながら演奏を進める。 ソリストは1985年に神大卒業の前田知可子さん。宮地楽器の音楽講師をしている。東京六甲フィルハーモニーオーケストラも同様の編成と歴史を持っているのでほぼ同等と思って間違いがない。室内楽のほうは指揮者を置かず、フィルハーモニーの方は指揮者を置いているという違いだろうか。 女性がカラフルな衣装を着ているのは共通ででこれは、オルフ室内合奏団とも共通する。自分としては全部黒に統一しておいてくれると落ち着いて聴けるという偏見があるが。老婦人がカラフルな衣装でViolinを持つと少し痛々しい。 驚きなのが、ソリストでコンサートマスターの前田知可子さん、グリニッジ交響楽団の団員でもある。2014年から毎年のようにViolin協奏曲を弾いているのだ。2014:メンデルスゾーン、2015:ブルッフ、2016:チャイコフスキー、2018:ベートーヴェンの各Violin協奏曲を弾いている。小生のViolaの先生と時々カルテットを演奏する仲らしい。 今日のJ.ブラームスも力強い演奏で感動である。イントロ部分はオケの方を向いてViolinパートを演奏しながら引っ張り、独奏部から身体を客席に向けおもむろにViolinを鳴らしていく。劇的な導入部はそんなこともあって楽団が一つになって音楽が奏でられていく。 日曜の午前中の府中オケの練習を終えて、仲間4人で聴きに行った次第である。徒然の記その2 TVアニメ「ピアノの森」 2019.4.14(日)■第二シリーズが終わった! 最終回は、2夜分で50分。NHK総合で日曜日の深夜24:10-25:00。なんと眠たい時間に長時間もやるものだと文句を言いつつ、その後に続くBS朝日の「Deep Planet」25:00-26:00を合わせて2時間分の仮眠をして拝聴した。 一色まこと原作のアニメ「ピアノの森」の第2シリーズが1月28日(日)から始まって足かけ4ヶ月の番組であったが美しい映像に魅了され、ピアノの澄んだ音に感動の連続であった。 原作まんがは途中までしか読んでいないため結末がどうなるのか知らなかったため、毎回手に汗を握って観れたことはよかったのではないか。 2005年のショパン国際ピアノコンクールの覇者ラファウ・ブレハッチがポーランド人であったのでこのアニメでもポーランド人のレフ・シマノフスキーが優勝するものと思っていたが、3位であった。2位はパン・ウエイ(Piano音源は牛牛)。1位は一ノ瀬 海(通称 カイ)。「イチノセカイ」を「セ」から読むと 「セカイイチノ=世界一の」になることを初めて知った。)。事故で左手が弾けなくなりカイの指導にあたったピアニスト阿字野荘平(あじの そうへい ピアノは反田恭平)が森で弾いた「きらきら星」がカイがピアノを始める原点になった曲である。ガラコンサートでのアンコールにその「きらきら星」を弾いた。また優勝者発表の会場には阿字野の手を治すドクターも呼ばれていた。優勝したら賞金を手術代に充てるという条件である。2人のPiano Duoで幕を閉じた。カイのpianoの音源は阿字野同様 反田恭平が弾いているのではないかとカミさんが言っている。 劇的な終わり方である。今後も活躍していく2人のドラマが展開されていく筈である。期待したい。徒然の記その3 島田荘司「最後の一球」 2019.4.15(月)■野球物の探偵小説! 2人の球児の友情のドラマであるが、今回ばかりは御手洗はお手上げ。1から16の章立てで構成される本の実に7割に当たる「5章~16章」が球児から御手洗に寄せられた「です、ます調」の長文の手紙で構成される。 プロ野球投手を目指して少年のころから血反吐を吐くような努力をしてきた一方の球児は社会人野球を経てドラフト14巡でプロ野球の二軍へ。天才球児であったライバルは会社は違うが社会人野球でのエースで、ドラフト1位で指名されスター投手へ登りつめる。 この2人が一度だけ社会人野球の時代に対決しているわけであるが、天才球児にあっけなく打たれてしまい、また会社から野球部解散という宣告を受け絶望のどん底へ。これを救ったのが天才球児。社会人野球の時の対決を忘れていなかったのだ。二軍に入れたものの、なかか活躍のチャンスはなく1年契約で首が切れそうになったときに、練習用「バッティング投手」として1年契約ながら延命。 そういう時に事件が発生したと。長い手紙にその顛末が綴られ事件の真相が別の角度から詳細に記されてい行く。 このミステリーでは、悪徳ローン会社の"無謀振り"が余すことなく述べられ息を呑む。訴える側が敗訴にいたる訴訟が100%だという。貸付稟議書、事由事項確認書、利息受取証書も捏造され、なかなかバレないのだと。裁判所もお手上げであるという。金を借りるときの十何枚のハンコに事由事項確認すなわち「返済に関しては利息制限法(貸付額によっては15%以上は罰則)の適用を主張しない旨、確認いたします」に承認印を押させられているのだ。 まったく気が付ないうちに。そんな恐ろしい手順があり、借金返済苦で何人も自殺に追い込まれているという。小生にとっては未知な世界が暴かれていく。TVドラマにあるそのものである。 また、プロ野球の世界でこれまた1軍と2軍の圧倒的な戦力の違いが記述され、驚愕する。徒然の記その4 のどの腫れ 2019.4.16(火)■先日の入れ歯騒動(2019.4.13発行の絵日記blog参照)直後から声が出なくなった。街頭演説で声を枯らしたようなガラガラ声しか出せなくなった。夜も咳き込む。16(火)にやっと近くの耳鼻咽喉科に行ってきた。「喉が痛い。咳が出る」と訴えたら、間違いなく「風邪」だという。4年ぶりの医者の顔。前回はなんと「ハウスダスト」が原因だと言われ慌てて部屋を掃除したことを思い出した。そのときのアレルギー検査報告書の紙を渡された。ハウスダストが0.56UA/mlでクラス1。スギ花粉が1.47でクラス2。ヒノキ花粉が0.10以下でクラス0、ブタクサ0.16クラス0、クラス3以下はアレルギーの問題はないという。 今回のは風邪であるが、原因として孫からうつされる例があるのだと。子供は元気に見えていても始終風邪を引いている生命体であるのだと。それに睡眠不足。原因はありませんかと。2つとも心当たりがある。2W前に孫と遊んでいたし、年中寝不足である。カミさんは睡眠過多であるが。 細菌の感染を防ぐ「ジェニナック錠200mg」(2錠/24H)、膿や痰を出やすくする「カルボシスティン錠250mg」(2錠/毎食後)、咳を抑え痰を切る「ツムラ麦門冬湯(バクモンドウトウ)顆粒」(1袋63gを毎食前)という3種類の薬をもらってきた。 おかしいのが、「ツムラ麦門冬湯」。「29番」である。日頃愛用している足が吊ったときの芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)はツムラの「68番」で同じデザインの包装。100番まであるのかしら。徒然の記その5 川崎・京浜工業地帯と羽田を観察run 2019.4.17(水)■川崎駅前から川崎大師までの経路を探ろうと再び川崎駅のコンコースに降り立った。ミューザ川崎シンフォニーホールに行く時しかJR川崎駅を利用していなかったようだ。近隣のことは全く知らないでいる。すこしこの際勉強しておこうと。 コンコースには時計台があり丸くベンチが置かれて絶好の待合場所。東側が開けていて太い3本の道が、駅の近くを通る。北側の「市役所通り」は国道132号でもありそのまま東扇島(ひがしおうぎじま)で首都高速湾岸線に合流する大幹線である。御堂筋のような広々とした快適な道がしばらく続く。 市街地を東に進むとほどなく、大師公園。ここまでくると川崎大師平間寺の八角五重塔が見えてくる。それを目指せばよい。12世紀建立(ノートルダム大聖堂1163年とほぼ同時期)の仏教寺院である。仲見世通りは浅草のより重厚。がっしりした建物が両側にあり比較的広い道に店を構える。 さて、ここからが前回と違って、多摩川河口に位置する「浮島公園(川崎駅から10km point)」へと駒を進める。羽田空港を観察するためである。まぁ京浜工業地帯の工場群を走るということはあまりrunnerがやりたがらない仕事かもしれない。歩道には人一人歩いていないし、頭上には「K6(首都高速神奈川6号)」が走り、地上には大型トラックが溢れる喧騒の道であるからである。川崎市推奨の散歩道であってもマスクが必携。この公園でしばらく休憩。この時メモに記録した数字の羅列は、(D滑走路で離陸用)「9:39 4146(41分46秒 以下同じ) 4300 4509 4610 4654 5086-5114-53 5200-5243-5314 5325JAL-5351-5419離陸 5521ANA-5540爆音-5603(23sec) 5638 5646爆音-5603-6711 100013-55 0117回転-209爆音-236離陸 334爆音-405離陸別の行には(A滑走路で着陸用)4234 4351 4600 48167 5004 5419 5411 100047 253ANAさらに別の行には4551(C滑走路で離着陸用) なかなか複雑な飛行動態であるが、羽田空港のA,B,C,D滑走路のうちD滑走路が目の前にあり、北風時の運行形態となっているようである。機体は橋を渡り、隊列を組むように静々と進み、離陸用のstart位置まで回転して一旦止まり、エンジンを全開して爆音を吐き、飛び立つ。上の数字はその秒単位の羅列である。 観察時間24分の間に16機が離陸していった。驚くなかれ平均1分半である。爆音から離陸に至る秒数は25秒。前機が離陸するまでは、後機は爆音を発することはない。ものすごい過密状態である。 皆こんな風に飛んだり帰ったりして慌ただしく過ごしているのである。Depatureなどの掲示板にほとんど同じ時刻で並んでいるスケジュールの実態はこのようなからくりである。用意できた機体から次々と飛んでいく。浮島公園に居るのは小生とハトだけであった。こんなところには誰も来ないのか? 多摩川河口・羽田真ん前、絶好の昼寝場所。 帰りは、「夜光町発祥の記念碑」がある国道132号の沿線へ。なんと川崎大師平間寺発祥にかかわる重要な意義を持つ土地である。浅草寺とも似ている言い伝えがあった。 尾張の誉れ高き武将であった平間兼乗。無実の罪でその地を追われ川崎にやってきて漁師になっていた。海にキラキラ光るものがあり村人が騒ぎ出した。ある日漁師の枕元に高僧が立ち、昔沈めた像を掬い供養せよと。 それが弘法大師の尊像であったという。川崎大師の出現した土地一帯は大師河原と呼ばれるようになり、夜々光明の輝いたといわれるところを誰いうとなく「夜光島」と呼び伝え受け継がれて今日に至るという。「夜光」という地名の他に「塩浜」という地名もあり昔は塩田であったという。■運河 川崎港には16運河もあり沢山の四角い人工島の間を流れる。ちょうお豆腐を8つに分けたように整然と島が区割りされている。一番大きいのが京浜運河で幅600m 長さ6km。他に大師、多摩、千鳥、塩浜、水江・・など。東西に長いため、一つ一つの島を攻略するためには何回と足を運ばないといけない。 羽田から横浜のYCATへ向かう時に見える壮大な石油関連施設やJFE工場群(2003年川崎製鉄と日本鋼管が合併してJFEとなった)の夜景は扇島(鶴見線・昭和)や、入江崎運河に隣接する工場群であろう。次回rununingの計画を立て始めた。徒然の記その6 秩父観音巡礼その6 2019.4.20(土)■秩父観音34寺の最後の2寺(33.菊水寺、34.水潜寺)を回ってひとまず結願とする。全国巡礼mapには四国八十八ヵ所、秩父三十四観音など23カ所の遍路道がある。このうち西国三十三観音、坂東三十三観音と秩父三十四観音を合わせた百観音巡拝で結願するのであるが、秩父だけでも「結願」という言葉が使えるらしい。近くに秩父温泉満願の湯があるぐらいである。我々は、お湯に入ってからまたバスで移動をすることを嫌い、西武秩父駅構内にある、「祭り湯」で打ち上げをやるつもり。この日の行程と時刻は下記。なにせ交通の便がわるいため選択肢は少ない。10.2kmではあるが高低差をいれて13.6kmの道のりとして時間配分。コース概要:西武秩父駅9:20→(バス)→9:49泉田→2.3km→33.菊水寺→8km(札立峠 532m)→34.水潜寺→10.2km実際は、みなし距離が14.9km(10.2km+(532-255)x/100+(532-253)x7/1000=14.9km)もあり、水潜寺到着が14:30と予想よりも1時間も遅れた。14:08のバスには間に合わず、次発の16:15のバスを捉えるように計画変更し、2km先の満願の湯まで歩いた。 この日は、キリスト教徒には重要な1日であり、翌日の復活祭を含む一連の行事と重なっており参加者が少なかった。が折しも小鹿野町では、小鹿神社の例大祭「春祭り」が開催されていた。屋台歌舞伎、神楽、剣舞、流鏑馬などがお祭りを盛り上げる。そのため通常は4,5人しか乗らない路線バスもこの日は超満員。暑いほどの陽気で汗ばむほど。秩父市吉田にある「道の駅龍勢会館(龍勢祭り:国の無形重要民俗文化財:火薬を詰めた竹筒をロケットのように飛ばす。10月の第2日曜日)」に立ち寄り、休憩と昼食。 満願の湯では、会館内にある自販機すら入場料900円が必要と酷なことを言われビールにありつけなく、バスで皆野駅にそのまま向かった。 池袋行き直交の電車であったため御花畑で降りる人とそのまま飯能に行き特急に乗り換える人が分かれため車内で解散式。皆さんお疲れ様。</font>徒然の記その7 東京の坂 2019.4.20(土)■先日小石川植物園の裏門から茗荷谷へ最短コースを取ったとき、湯立(ゆたて)坂という坂があった。占春園(徳川光圀の異母弟、松平頼元の上屋敷)と旧磯野家住宅(通称 銅(あかがね)御殿)などを左右に見ながら坂を上って行った。 この坂を後で調べると、「タモリのTOKYO坂道美学入門」という本では、湯立坂は【勾配4、湾曲4、江戸情緒5、由緒5で18点(max20点)】という最高得点の坂であることが分かった。何千とある坂道での最高得点である。そんなこととは露知らず、ダベリながら歩いていた。 まぁそういう訳でここらへんで永年の課題、東京の坂を極めてみようと「坂道学会」の門を叩いてみようと思い立ったのだ。会長は講談社顧問の山野勝氏。副会長はタモリ。2人だけの会である。3人目がturbo717? 入門書の地図はあろうことか、南北が逆さまになっているような見ずらい地図であった。タモリらしいのか? 磁石片手に動き回る場合は地図は北向きに書いてもらわねば。 そこで、この本に出てくる地図を書き直して、上が北になるように作業を開始した。 使う地図は地理院地図の1/10000程度の縮尺地図。うっすらと等高線がでているので坂の感じが分かり重宝。これに坂名などの情報を書き込んでいく。食事処やcaféも書き加えると、1枚1枚がデートコースのようになり皆で楽しめるのではないか。 「坂」の本は山野 勝 さんの「大江戸坂道探訪 東京の坂にひそむ謎と不思議に迫る (朝日文庫) 」 もありこれも読み解きながら、東京の坂道を極める。近い将来、「歩き塾」などでイベントを開催しても面白いのではないかと考えた。まずはざっくり1000坂くらいを下見Walkingしたい。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Apr 20, 2019
コメント(0)
Black Hall 発達障害児?_ story (4389)2019.4.13Big news came in.The Event Horizon Telescope (EHT) project team announced the succeed of direct shooting of Black Hall where even light can't escape ,taken using a global network of telescopes to gain insight into celestial objects with gravitational fields . Albert Einstein's general theory of relativity is proved visually and directly from first image of massive black hole. 11日(木)朝にすごいニュースが飛び込んできた。ブラックホールの直接撮影に成功したと。光さえ逃げ出せない「事象の地平線(The Event Horizontal)」が黒い穴として画像化されたとEHT研究チームが公表した。アインシュタインの一般相対性理論が可視的に、直接的に証明された瞬間でもある。ノーベル賞級の業績だという。 8台の電波望遠鏡による口径1万kmに及ぶ地球サイズの望遠鏡で、5500万光年にあるM87ブラックホール(以下B-H)と、2万6千万光年にある「いて座A*(Star)」のB-Hを撮影した。今回はM87にあるB-Hの画像が公開された。月面のゴルフボールを地球から見るほどの視力が必要で、視力300万という。 撮影されたM87-B-Hの重さは太陽の65億倍、真っ黒な穴の半径は200億km。 何億光年や何億kmといった単位のとてつもなく大きい値であるが、約138億光年という宇宙全体にあってはM87などは、まだまだご近所の天体である。今後は、宇宙規模の望遠鏡により、もっと遠くにあるB-Hを解明し、宇宙誕生のなぞに迫るという。■今週の1枚真鶴・荒井城址公園の枝垂れ桜(2019.4.5)枝垂れ桜が強い風に吹かれていた。池の向こうには鬱蒼とした竹林で、タケノコを収穫する斧の音が響いていた。目次徒然の記その1 島田 荘司「鳥居の密室」徒然の記その2 ドリアン助川「あん」徒然の記その3 呉座勇一「応仁の乱」 徒然の記その4 Viola Lesson徒然の記その5 再び上野から小石川植物園へ徒然の記その6 サクラダ・ファミリア徒然の記その7 カルロス・ゴーン氏徒然の記その1 島田 荘司「鳥居の密室」 2019.4.7(日)■「鳥居の密室 世界にただひとりのサンタクロース」(2018.8)島田 荘司(1948-)を図書館から借りてきた。予約された本が半年ぶりに用意できたと連絡があったのだ。まだ十人も待っている状況だから、「ご利用がすみましたらお早めにお返しいただければ幸いです。」という紙が挟まれていた。 尻を叩かれるように取急いで読んだ。おなじみの御手洗(みたらい)さんが活躍するストーリであるが、京都・四条河原町に近い「錦天満宮」や、国際会館のある宝ヶ池、鴨川にかかる「くいな(水鶏)橋」が舞台となっていて歩き回ってみたいものだと思った。 錦天満宮から延びる参道は、錦市場商店街へと引き継がれアーケードなどがある狭い通りが縦横に張り巡らされており感傷に耽る余裕などない繁華街であるが、小説ではその喧騒はない。むしろ落ち着いた街並みとして描かれている。日本でもここだけと思われるのは、参道にある鳥居が変わっている。真横に反り返る笠木(かさぎ)の両端が建物に突き刺さっているのだ。Google MapのStreep Viewからも観察できる。そこが、このミステリーの重要な要素となっているためぜひ見学したいと思った。 御手洗さんが浪人生に説得する次のくだりに同感。『アメリカ人は多くの戦争を経験して、そのこと(「東大や京大に入る人の多くは、記憶ゲーム的シンプルな高校生活で最も重要な手段と能力を見失っている」)をよく学んだ、だから入試をなくしてSAT(大学進学適性試験:Scholastic Assessment Test その他にACT (The American College Testing Program)がある。)とAP(大学単位認定: Advanced Placement 高大一貫の単位認定)、そしてボランティア活動やプロジェクト経験などの社会体験、スポーツ体験の有無、演劇とかスピーチ、音楽活動の才などを重要視するようになった。 日本の一流の大学は、プロジェクトやボランティア活動を軽蔑して受験勉強のみをやった勝ち組に、卒業後プロジェクト・リーダーの地位を与える。自分のためだけに努力してきた東大生を官僚にして、突然自分を捨て、世の中の人のために尽くせというのさ。できるわけがないから、99%が失敗する。そして建前的虚言ばかりを学ぶ。』徒然の記その2 ドリアン助川「あん」 2019.4.8(月)■2015.5に公開された河瀬直美監督の映画「あん」の原作小説を読んだ。ドリアン助川(1962-)の著作「あん」である。真鶴で潮騒を受けながら読んでいた小説であるが、最後の方は涙が止まらなかった。戦後の混乱期にハンセン病を罹病し、14歳で療養所に入れられてから62年もたつ婦人が76歳にしてやっと外の世界に触れる。療養所に送られる前の晩は、母親が卵焼きを作ってくれ、また徹夜で白いブラウス縫ってくれたのだ。その時点ではまだ少女は病名を知らされていなかったのだ。家族と隔離され、戸籍からも抹消され、入所後は氏名を変えたという。当時は今生(こんじょう)の別れであったのである。 母親がいかに涙してその服を縫ったであろうかと。ただ療養所では持ってきたものはすべて焼却の対象となったのだという。着てきた白いブラウスも例外ではなかった。少女は叫ぶ「それだけは返して」と。早い時期に完治したものの、療養所からは一歩も出ることを許されず、療養所内で結婚した元お菓子屋だった夫と「製菓部」で働いたという。50年間粒あんを作り続け餡作りの名手となっていたわけである。アルバイトの貼り紙をみて入ったどら焼き屋「どら春」で時給200円で働き始める。 餡(あん)が美味しくなったため店は繁盛しはじめ、客の中高生とも親しくなっていく。ワカナという中学生3年生と、「どら春」の店長辻井千太郎とが、療養所にその女性を訪ねて行く。何回目かの訪問のとき、ワカナの手には大きな荷物が。「白いワンピース」を贈り物にしようと。ところが数日前にすでに死んでいたのである。預かってくれていたカナリアはいまでは療養所内を自由に飛んで皆からエサなどをもらっているという。 この小説には、餡のレシピなど克明でに記されている。これをも元に作ってみたいと思ったしだいである。またハンセン病療養所の内側を克明に描いてくれている。4000体以上の骨はいまでも引き取り手がないのだという。1996年に法律が施行(らい予防法の廃止)されて10数年以上たつ小説の時点では、世間に融和できない世界がまだあった。小生も全く知らなかった世界であった。「らい病者」という社会的差別は今でも続いている。しかも所内でも、精神病病棟にある独房のような施設への移動もあったようで、悲しい。 この2015年の5月と言えば、ポーランドからParisまでの長旅に出かけた月であるので映画を見損なっている。キャストでは、50年も餡を作り続けたという婦人・吉井徳江(76歳)さんが樹木希林、中学生のワカナがお孫さんの内田伽羅(きゃら)、どら春の店長が永瀬正敏というキャスティング。朗読編であれば YouTubeで聞ける。「朗読 ドリアン助川「あん」。これは2017年に、NHKラジオの新日曜名作座で朗読された作品で、竹下景子、西田敏行が朗読し、名演である。朗読は6巻で全3時間くらいの長編である。徒然の記その3 呉座勇一「応仁の乱」 2019.4.8(月)■呉座勇一(1980-)著「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」(中公新書)を読んだ。今話題の”室町時代もの”である。まぁこの本に出てくる人物名は半端ない。しかもルビは一回しか表示されないため何ページが進むともう読めない。目で追っていくのみで飛ばしていく。音読もできないような難しい漢字も多い。2人の重要人物 経覚(大乗院経覚-きょうがく:1395-1473:九条経教(つねのり)の子)と尋尊(大乗院尋尊-じんそん:1429-1508)がkey man。禅僧の季瓊真蘂(きけいしんずい:1401-1469)、政覚(せいかく:二条持通(もちみち)の子)、古市胤栄(いんえい)、古市澄胤(ちょういん)、畠山義就(よしひろ)らの武力衝突、鬼薗山(きおんやま:現在の奈良ホテルがある丘陵)の動き・・。 最後に人名索引や関係略年表がついていたのは後で知った。人名を再度チェック。400名が登場していた。まさに漢字との闘いであった。1行に2名は出てくるため記憶力も必要とする歴史物であった、応仁の乱では大和がほとんど戦場にならなかったのは興福寺の権威が健在だったことと無関係ではない。現在の京都は、応仁の乱で灰燼と化した瓦礫の上に建造されたものであるという。戦乱や震災のあとでも永続的に都市が建造されるため地下を掘ればいろいろと痕跡をたどることができるのは東京やパリ・ローマでも同じである。徒然の記その4 Viola Lesson 2019.4.9(火)■2週間毎に行っているLessonが本番までは4回しかない、そこで定演曲目を中心にさらうことにし、宿題箇所を聞いてもらう。「できました。100%です。」と弾きだしたのにさっそくダメダシ。 3連符♪♪♪の3つ音の粒が均等にタタタと1/3になっておらず、♬+♪(1/4+1/4+2/4)タタターに聞えると。悪い癖で音符を速く片付けようとする姿勢が出ているためである。瞬時にでも音の配分には我慢が必要かもしれない。 例の9つのパターンが連続する箇所は完璧な筈なのに、先生の拍で一発ではうまく歌えない。振り始めからすぐに歌えるようにならないと「自立」できないと言う。音楽家として自立していくためには脳細胞全開で臨まなくてはならないのだ。【4-1234-123】x3、【4-1234-1】【234-12ζ】【λ234-12ζ】x2、【λ234-12λ】【412】【34-12-34-12】x4、【34-12】x3、【34】この9パターン。 これに加えて裏打ちだけのリズム・・λ♪λ♪ λ♪λ♪ λ♪λ♪ が続く。これをdown弓だけで弾いていく。ツタツタ・・・というリズムとした場合、タの部分のみに音があるパターンがものすごくある。これを2/4のリズムで足拍子(太字のツの部分)を取りながらタタタと弓で小気味よく弾く。長くやっていると拍の頭に合ってくる。これは結構難しい。この部分の70小節ぐらいを次回への宿題とさせてもらった。 さて、続いてシューマン交響曲1番「春」。「4/4 ♩=66」と比較的ゆっくりとした最初のテンポのところでmp(メゾピアノ)から始まる三連符の音形がacceland(アッチェランド)しながら加速していく箇所がある。Cis-Fisの完全4度の音型へは拙速に行かず、指幅の広い部分を余韻をもって進める方が音楽的であるという。浪々と音の響きをもって弾くとすばらしい。 λ♩♪-♪♩♪-♪♩♪-♪♩♪-♪♩♪-♪・・とシンコペが続き、小節線の箇所で一瞬正拍に戻る箇所がある。ここがミソであるという。どんなリズムでも正確に歌えなければならないという。■5連符 16分音符が5つで、4分音符となる音形があった。均等に1/20を5個弾いて1/4にするのではなく、2:3の原則で最初1/16を2個、1/24を3個というように(2/16+3/24=1/4)後の音の粒を速くすると、音楽的であると。タタラララ(ラララを速く)。 徒然の記その5 再び上野から小石川植物園へ 2019.4.11(木)■悩ましい天気予報9日は九州地方が大雨で、次第に東に移動し、10日水曜日は終日雨であるという。北からの寒冷前線も南下し、東京は最低気温4℃、最高気温6℃と2℃の温度差しかない冷蔵庫にいるような寒さであるという。 歩き塾の開催イベントを中止したいが、一人だけ連絡が取れない。そもそもこの歩き塾、巡礼のcamino道用の鍛錬をする場でもあるので、原則として荒天でも開催していたのであるが、寄る年波で、身体をいたわる方に軸足を移しつつある。 前日の午前中には「予定通り開催」としたのであるが、18:00にやっと連絡が取れなかった人と連絡がとれ、日程を変えたら参加できないという返答があったものの、雨は避けたい意見が過去にも多くあったため、1日ずらせた。 朝から天気予報に齧りついていたのである。どの時間帯が一番詳しいのであろうか。定時の直前の5分間やニュース番組の最後の天気予報はそれぞれ含まれる内容が違っている。一番見たいのは、雨雲のレーダー図面である。時刻と共に移動していく様が示されれば大体のところは把握できる。 秩父などは東京都の最西端の雲取山の東北東なので目でそこを凝視する。雪などは大丈夫なのであろうかと。■翌日の4月11日(木)は風が強いものの、快晴の1日となった。予定を変更して良かったと参加者皆で喜び合う。上野公園から不忍池には50種類ほどの桜があるがこれから盛りの「ウコン」などを鑑賞。横山大観記念美術館がある通りは谷根千(やねせん;谷中・根津・千駄木)の谷筋へ通じる道であるので、またいつか西日暮里あたりまで歩きたいと思った。 旧岩崎邸の塀脇を登り東大構内に入り、三四郎池へ。12日(金)が入学式であった東京大学。まだ学内は閑散としていたが唯一賑やかだったのは保育園園児たちが大勢散歩にやってきていた安田講堂前の広場。東大正門を経て、夏目漱石旧居跡、森鴎外記念館へ。特別展 「一葉、晶子、らいてうー鴎外と女性文学者」を鑑賞。 樋口一葉(1872-1896 24歳で没)、与謝野晶子(1878-1942 63歳)、平塚らいてう(1886-1971 85歳)の3人の女性文学者と鴎外が向けた眼差や交流が展示を通して伺えるようになっている。6月30日までの会期のなかで、文学散歩も含めさまざまなイベントが目白押しである。その一つに参加したいものだ。 「向丘」の界隈を歩いて、東洋大に向かう。こちらは4月2日には入学式が終わっており、各学部ごとに入学の手続きなどが継続され、履修登録などでことのほか学生が多い。国道17号線の正門から、白山通りに面した6号館に抜けるのに廊下に溢れる学生を縫いながら進むも、結局学食では空き席が見つからず断念。京華通りを通って薬師通りに出て、都営三田線の白山駅近くにある「あづま」で和食を堪能。 小石川植物園を散策し、裏ゲートから、占春園(徳川光圀の異母弟、松平頼元の上屋敷にあった庭園の名残り)、旧磯野家住宅(通称 銅(あかがね)御殿)などが面する坂道(湯立(ゆたて)坂:「タモリのTokyo坂道美学」では最高評価)を登って茗荷谷駅へ。放課後はサイゼリアで乾杯。1人合流。■失敗なんと、この9km弱の都心の旅で、また失敗をしでかし皆に迷惑をかけてしまった。入れ歯がなくなったのだ。! 数か月前に「一本入れ歯」の端を”齧ってしまったようで急に緩くなり食事中に外れるようになってしまった。これを修理しようと歯医者に行ったら別の歯を治療されてまだ緩いままだ。普段は外しているのであるが、皆に合う手前”見得”を張って装着して家を出た。食事処「あづま」で会食中やはり外れてしまった。そっと口から出し、テーブルに見つからないように置いておいたのが仇になった。 最後にトレーを片付け、お茶などをお替りしていざ立とうとする時に初めて気づいた。その入れ歯がないのである。レナデンチャー(lena-denture)(別名、スマイルデンチャー(smile-denture) or ノンクラスプデンチャー(non-clasp-denture))という樹脂製のピンク色をした小さな入歯である。装着すると歯肉と歯が一体となり付けていることが分からなくなるほどの優れものである。しかし9万円弱もした代物である。 すわ大変! お盆を下げたときにティッシュにくるんで捨ててしまったのかもしれない。会食をした2階には厨房はなく、配膳用の小部屋があるだけであったが、シンクやゴミ箱にまだ残っているかもしれない。係の人に漁ってもらう。しかしこれは大変な作業である。昼食時の慌ただしい時間。もう諦めよう! もし出てきたら後日取りに来ようと帰りかけた矢先に仲居さんが飛んできた。「これではありませんか?」と。 よく探してくれたものだ。掘りごたつの床に落ちていたのだと。失礼を詫びながら、飛びあがって喜んだのは言うまでもない。このまま薬師坂を一気に駆け抜けてもよいくらいだ。■発達障害児重いリュックを背負ったまま登りの坂道を駆ける人がいる。こういう人は尋常ではない。。「入れ歯騒動」を起こした人を見て、さらに小躍りして走ってしまうような人を見て、皆は一様に、「発達障害児」ではないかと疑う。よく物をなくす発達し過ぎの問題児。 なにか沸き立つようなエネルギーを体内にいつも感じるのも、Violaを弾き、絵を描き、家から走って横浜美術館に行くのも、すべて「発達障害の賜物」としたら妙に納得ができるのだ。僕って本当に「発達障害?」 アンバランスな発達障害? 通常の人の行動をしない人はすべて「発達障害」という名のもとに片付けるのは問題であるのかもしれないが、この日に遭遇したはじめての感覚であった。徒然の記その6 サクラダ・ファミリア 2019.4.11(木)■2026年完成!?なんとまだ160年はかかると思われたガウディのサクラダ・ファミリア(1882年着工 300年かかると言われていた)があと数年で完成するという。信じられない話である。「完成しない」というのがステータスではなかったのではないか不思議。なぜ先を急ぐ? ドイツはケルンの大聖堂Kolner Dom(大聖堂プロフィール(L)144m (W)86m H(157m) )は1248着工 1880年完成で800年もかかったというのに。 最近バルセロナを訪れた夫婦は、再度この完成を観るために訪れたいという。いろんな目標ができてよいものだ。小生なんか2027年のリニア新幹線まではなんとして生きたいと思っているのだが。徒然の記その7 カルロス・ゴーン氏 2019.4.13(土)■3月6日のカルロス・ゴーン氏の東京拘置所からの保釈風景には笑ってしまった。作業服は失敗? 一人だけ背が低く10名の署員に囲まれて出てきた。なにかスーパーマリオが歩く感じに似ており滑稽。報道陣かく乱作戦という名目であった他に狙撃対象から逃れるための一瞬のスキを作ったようであるが、どうせなら似た格好の人を10人くらい並べれば、もっと面白かったのにと思う。 誰が誰ともわからず、報道陣は泣いたであろうに。鉄道整備会社の作業帽、手術用マスク、蛍光反射付き作業服、屋根に脚立を積んだスズキの軽自動車(春日部ナンバー)、埼玉県にあるそれぞれの会社からものだ。ほうぼうからかき集めてきたようである。弁護団が仕組んだいたずらか。 そのゴーン氏が再逮捕される直前に撮ったVideoが4/9(火曜)に記者クラブで公開された。無実であると訴えている。今回の逮捕劇は、ルノーと日産の統合を阻止するために恣意的に仕込まれたものであると。いろんな不正の事実の暴露は、失脚させるために仕組まれたものであろうが、まぁそれは事実として、恐怖政治が限界値に達した時に内部から造反がスタートしたのであろう。いかに尻尾をつかむか? 解明には長い時間を要するのかもしれない。この裁判にかまけていると、ルノー・日産・三菱の屋台骨が傾くかもしれない。そっちのほうが心配になる。 中国市場の影響で。電気自動車へシフトが急激に行われておりモタモタできない時期であるからである。ツルの一声を飛ばすカリスマが必要とされていはいないか。合議制なんて悠長なことを言っておれないかもしれない。暴走しないカリスマなんていないのだろうか。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Apr 13, 2019
コメント(0)
New era Reiwa, Ground Son_ story (4388)2019.4.6 A new era issue "Reiwa" was published on April 1. This name taken from Mayosyu, the oldest existing anthology of Japanese poetry.The cheers went up in the middle of the banquet under the full bloom of cherry blossoms of Sotobori park near the Ichigaya station. In many bookshops, Manyosyu was sold out .This enthusiasm should continue for a while because this word touched heartstrings of Japanese. 4月1日に新しい元号が公表された。まさに外濠で満開の桜を愛でる宴会の最中で歓声があがった。巷では万葉集が売切れたり今までにないフィーバーぶりである。当分この熱狂は続くはずである。何か分からないが日本人の琴線に触れた言葉であるからだ。■今週の1枚The full bloom of cherry blossoms at Ichigaya(市ヶ谷 お濠ばたの桜 2019.4.1 am8:30)毎年恒例の外濠公園(市ヶ谷)でのお花見。黒々とした桜の木が、墨刻(ぼっこく)の文字のように見えてスケッチ。右手の道路には新入社員の隊列などがひっきりなしにあった。我々はいつもこの近くで花見の宴会。目次徒然の記その1 バレー団の公演徒然の記その2 下の孫来る徒然の記その3 新元号フィーバー 徒然の記その4 満開の花見徒然の記その5 Camino Primitivo(プリミティボの道) 260km徒然の記その6 RattlesnakeAnnieラトル スネーク・アニーさんのライブ 徒然の記その1 バレー団の公演 2019.3.31(日)■府中ステージアート協会の公演が15:30開演で19:00まで府中の森芸術劇場どりーむホールで開催された。その第2部は「春のささやき」と題してワルツをメドレーで演奏するというものであった。 趣向は大成功で大変な拍手。踊り手がうまいと途中で拍手が起こる。オケピットからは踊っている様子はほとんど見えないので、拍手などを聞きながら次々と演奏していく。Emperor Waltz(皇帝円舞曲)、Annen-Polka(アンネン ポルカ)、Fruhlingsstimmen(春の声)、Pizzicato-Polka(ピチカート・ポルカ)、Tritsch-Tratsch-Polka(トリッチ・トラッチ ポルカ) ヨハンシュトラウス2世のトリッチ・トラッチ ポルカはうわさ話やおしゃべりに興じる人々を描いた非常にテンポの速い音楽であるが、躍動感があってコミカルで軽妙なところが良く、全員での群舞に合わせて賑やかに踊っていたようである。頭上の舞台からの振動で感じた。 演奏するViolaなど裏打ちの楽器は大変である。目にも止まらない速さで曲が進行しダルセーニョ(最初に戻る)し、コーダに飛んで曲が大上段に終わる。このバレー団への伴奏は、オケ演奏とカルテットなどの小編成演奏を毎年春に交互に行っている。幼稚園から大人まで50名くらいが舞台で踊る。入場無料の公演が続けられている。徒然の記その2 下の孫来る 2019.3.31(日)■チビ助とカミさんが「梅の間」で寝ている。4歳になったばかりの孫が4泊5日の予定で我が家にやってきた。土曜日は母親が連れてきて泊まった。日曜日は近くの公園に皆で遊びに行ったあと夕食を食べから帰っていったようである。 要するに日曜日夕方からは「カミさんっ子」になっていて共に生活しているのだ。小生は、土・日・月と超多忙のため一緒に遊んであげられなかったが。日曜日の夜、バレーの公演があった後帰宅すると、寝床から伝達係の孫が「あばあちゃんが12時に起こしてと言っている。」とパジャマ姿でやってきた。自分がなかなか寝ないので、カミさんのほうが寝入ってしまう前に、伝達にやってきたのだ。こんどはこっちの番である。「Blue-Rayディスクは交換しているのか聞いてきて。」孫が飛んで行く。すぐやってきた。「まだだ。」と。 TVアニメ「ピアノの森」を専用ディスクに録画するためには普段使っているディスクを交換しなければならない。どのくらい長いセンテンスを「音」だけで覚えられるかを試すと面白い。聞いたことがない単語は発音があやふやになるのであるが、それでも意味は通じるようである。「○○・・なのか?お婆ちゃんに聞いてきて」といってカミさんに聞きにやると、ちゃんと応えが返ってくる。■後半の2日間は完全に「爺ちゃんっ子」になってしまった。「お爺ちゃん、お爺ちゃん」と5秒ごとに呼んではくっついてくるのだ。朝餉の準備、野良坊菜(のらぼうな)の収穫、食器片づけ、パン焼き、洗濯もの干し・・小生のあらゆるActivityに孫がからむこととなった。台所で洗い物をしていると、踏み台を利用して股の間からぬうっと顔を出してくる。水の飛沫(しぶき)を追いかけている。多少顔が濡れても気にしない。お玉のような窪んだ器具では水が噴水のように跳ね返るのが面白いらしい。残っている食器を指図をしてくれる。 洗濯ものの取り込みでは、タオルやハンカチを綺麗に畳ませる。これは難しい。端と端を合わせるのは容易ではない。くちゃくちゃだ。これも成果物としては面白いかもわからない。「家事ができる男子」として育ってくれればよいかと。■3ヶ月振りに近所の公園へ行った。驚いたことにまたゴミが落ちている。落ちていたビニール袋を使ってごみ取集を始めた。パンパンに膨らむほどのゴミ。公園に遊びに来る子供の親たちはゴミ拾いをしないのであろうか。ガラスの破片も結構多い。不思議である。■公園や、雑木林を走る・・ちょこちょことよく走るものだ。しかしこのCity Boy 都心では「歩き」はあまりやっていないのか、2kmが限度である。半ストを起こされ途中から抱っこである。このためまだ筋肉痛である。この孫の母親は3歳のとき高尾のケーブル頂上から山頂まで1.6km、琵琶滝コース2.8km計4.4kmを歩き通しているのだ。「もうちょっと」「〃」と言いながらチョコレートで釣ったことは確かだが。■知恵・・4歳児はもう何でも知っているという。本当かどうかわかないないが、○○知っている?と尋ねると、知っていると答える。英語でもなんでも。まさかと思うのだが、これが多国語としてポーランド語を長年勉強している方から見ると驚くべき状況である。たった4年でこれほど喋れる?と。国語の力は恐ろしい。 喋っている難しい言葉をメモってみた。「旬の食べ物は美味しい。」「全員集合、準備、専用、水分、失敗の連続・・・」。干したセーターを取り込んだ時に、袖口が重なっていたためそこだけ乾いていなかったのだ。「失敗!」と叫ぶと、「失敗の連続!」と言ってきたため噴き出してしまった。多分家でも親が頻繁に言っているのであろう。徒然の記その3 新元号フィーバー 2019.4.1(月)■4月1日 am11:41 全国民が固唾を飲んで待ち受けた新元号が「令和」と発表された。248番目の元号である。花見の宴では、さっそく乾杯! ラジオを聞いていた人からは最初に「えいわ」と聞こえたようであるが、スマホ画面には、いち早く元号の漢字が示された。「梅の花の歌 三十二首」の序文から引用した元号である。 万葉集4500首は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた歌で、額田王、柿本人麻呂、山上憶良ら代表的な歌人のほか、天皇から防人(さきもり)、無名の農民に至るまで幅広い歌人が含まれ、地方の歌もある。 備忘録的に、典拠を示しておくと以下のようになる。 万葉集 巻5、梅花の歌32首 并(あわ)せて序 天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。 =天平2年正月13日(太陽暦では2月8日。立春を過ぎている。)、師(そち)の老(おきな)の宅(いえ)に卒(あつ)まり宴会を申(の)ぶ。・・初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香(らんくんはいごのこう) =初春の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(かぜやわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす。加以、曙嶺移雲、松掛蘿兒倾盖 =加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾けて、夕(ゆうべ)に岫(くき:山の洞穴)に露結び 鳥は縠(こめおり)に封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭舞新蝶、空歸故鴈 =庭には新蝶(しんちょう)舞ひ、空には故雁帰る。於是盖天坐地、促膝飛觴 =ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきい)とし、膝を促(ちかづ)け觴(さかずき)を飛ばす。忘言一室之裏、開衿煙霞之外 =言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(ころものくび)を煙霞(えんか:煙や霞がたれこめている様)の外に開く。淡然自放、快然自足 =淡然(たんぜん)と自ら放(ほしいまま)にし、快然と自ら足る。若非翰苑何以、攄情 =若し翰苑(かんえん:唐の時代に張楚金によって書かれた類書)にあらずば、何を以(も)ちてか情(こころ)を述(の)べむ。詩紀落梅之篇古今夫何異矣 =詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしえ)と今とそれ何ぞ異ならむ。宜賦園梅聊成短詠 =宜しく園梅(えんばい)を賦(ふ:割り当てる)して聊(いささ:わずか、すこし)かに短詠を成すべし。 大伴旅人(たびと)が天平2(730)年春、九州・太宰府の公邸で宴を催した。招かれたのは九州一円の役人や医師、陰陽師(おんみょうじ)ら31人。 中西進さんの現代語訳では、「時あたかも新春の好(よ)き月(万事をなすのによい月。めでたい月)、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香りの如きかおりをただよわせている。」庭に咲く梅を詠み比べる歌宴の開宴の辞であった。これに続くのは「天空を覆いとし、大地を敷物として寛ぎ、ひざ寄せ合って酒杯を飛ばす。さあ園梅を歌に詠もうではないか」 である。 この序文に続き 第815首「正月(むつき)立ち春の来たらばかくしこそ梅を招(お)きつつ楽しき終へる(楽しき終へる=歓楽を尽くす) 大弐紀(だいにき:太宰府首席次官) 」から 第846首「霞たつ長き春日(はるひ)かざせれどいやなつかしき梅の花かも 小野氏淡理(うぢのたもり)」までの32首が続く。 新元号に込められた意味は、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」であるという。令一文字では意味として、「うるわしい」という意味だそうで、命令の令ではなく、令嬢・令夫人の令である。英訳は外務省発表では、「Beautiful Harmony」で、やはり美しい、麗しいという意味として解釈している。 他の5つは、英弘(えいこう)、久化(きゅうか)、広至(こうし)、万和(ばんな)、万保(ばんぼう)である。令和を含めて6つの元号候補が並べられたが、清音4、濁音2の割合でありローマ字の頭文字は「B,E,K,R」。 上記序文は、730年(1289年前)の文章とは思えないほど格調が高い。これを機に、西暦への潮流は止まるのかもしれない。本屋からは、万葉集関係の書籍が売り切れたという。嬉しいではないか。一過性にしろ、国民の感心を一気に奈良時代にひきもどしたのだから。 令和のローマ字綴りはLeiwaとするほうが発音が正しく伝わる。米国人のラトル スネーク・アニーさん(徒然の記 その6参照)がそう言っていた。難しい「L、R問題」の勃発か? ちなみに日本人の発音する「パリ」はほとんどが「Pali」だという。Parisをまともに発音できる人は少ない。 高校の中国通の同窓生は、万葉集の該当箇所は中国は漢の張衝(ちょうよう)の「帰田賦」を下敷きにしたしたものであると。そこには「於是仲春令月、時和気清」とあり乱れた政治に落胆して田舎に帰って穏やかな生活がしたいと漢詩を詠んでいる。当時の日本は中国文化の影響を色濃く受けていることを印象づけているのだと。 なるほど漢字を使う限り中国文化からは逃れられないのかもしれない。 ”日本独自”と余り威張ってもおれないのかもしれない。徒然の記その4 満開の花見 2019.4.1(月)■旧サラ文(サラリーマン文化芸術振興会)の20名くらいが、市ヶ谷の外濠公園に集まった。恒例行事である。昨年は4月2日で、葉桜の花見となったが、今年はまさに満開の桜の下で宴を行うことができた。 730名の累計会員のうちメール登録のある250名に開催を知らせたのであるが、60名くらいは届かなったものの190名には届いた筈である。珍しい客人を迎えるためもあり、会場には8時半に到着。 宴の予定は11時であるので、当然誰も来ていない。ベンチがある平らな場所は、すでに2グループが大きなブルーシートを広げ場所取りに余念がない。シートの端はペグで固定し万全を期している。 こちらは遊園地で使う小さなシートしか持ってこなかったために貧相な会場となった。しかし人が集まり始め、シートを適宜つぎはぎして増やしていく。差し入れがすごい。焼酎の獺祭(だっさい)、富山の五箇山のお酒「三笑楽」、新潟朝妻酒造 の大吟醸「雪の幻」、かぼちゃのいとこ煮(小豆とカボチャ)、など大量。 集まる人もすごい。なんと今まで4000回、年300回の脳トレのボランティアをする人は、クイズを出してすぐ次の施設に飛んで行った。江戸文化歴史検定(江戸検定)1級の人は、数多くの歴史散歩を主宰している。川柳を吟じる人は、あとで膨大な資料を送ってくれた。 ハーモニカを吹く人は「お座敷小唄」を編曲した「ボケない小唄」の歌詞を持参した。大合唱。「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪にかわりがあるわけじゃなし 溶けて流れりゃみな同じ♬」、「風邪もひかずに 転ばずに 笑い忘れず よくしゃべり 頭と足腰(あしこし) 使う人 元気ある人 ボケません♬」、「スポーツ、カラオケ、囲碁俳句 趣味のある人 味もある 異性に関心持ちながら 色気ある人 ボケません♬」、「歳をとっても白髪でも 頭禿げても まだ若い 演歌歌って アンコール 生きがいある人 ボケません♬」さぁて、当たっているかしら?備忘録・・持ってくるべきもの・・木槌、ペグ(敷物固定用)、タオル数枚(こぼれた液体をふき取る)、油性マジック(氏名筆記用 特に透明プラスチックのコップ)、「旧サラ文」の旗など(場所がわからない人用)徒然の記その5 Camino Primitivo(プリミティボの道) 260km 2019.4.3(水)■スペイン巡礼の道のルートmap作りがライフワ-クのようになってきた。Camino Sanabrés (Granja de Moreruela-SC 343km)に続き、Camino Primitivo 260km(Oviedo-Lugo-Melide)を作成し、データベース上に公開した。Camino友達が4月に歩くというので緊急に作ったものであるが、up-downの激しさを人から言われ(具体的にはOviedo 241m→100m→251m→413m→365m→786m→651m→903m→600m→800m→528m→1145m→809m→207m→1045m→1149m→840m→950m→850m→1026m→867m→386m→867m→598m→709m→429m Melide)恐れをなして計画を変更し、北の道の途中Aviles(アヴィレス)から歩くという。せっかく作ったのに! map作りは、ガイドブックの地図や、Camino関連のサイト(MapaCaminoSantiago.es)のHPで、詳細図面が載っているページから、Google Earth上にトレースする作業で、地図の縮尺は1/1000位にしてトレースをしている。1日分30kmのトレースだとコンピュータの画面上で30mも線を引くことになり20-40分の作業で目が疲れる。実は空を飛んでいるようなVideo映像では、実際に何キロを飛んでいるのか知りたかったことも作業を急いだ理由である。OviedoからCastroまでは130kmであった。 道をトレースするルールは道の左側を進むものとしてトレースしていく。市街地ではラウンドアバウトは正確に時計回りで進み、横断歩道は直角に渡るようにし測歩上、実測に近いものとなるようにする。ただ森林地帯のトレッキングコースはGoogle Earth上に経路が示されないため、木の茂みや岩陰の様子からpassを予想していく。随時「道不鮮明」などをマークしておき、完成したkmlファイルをMaps.MeなどにインポートしてOpenStreetMapに書かれた点線道(pass道)との差をチェックし補正ていく。 それでも毎回10か所くらいは、不明箇所が残ってしまう。これは現地からの詳細情報を得ての精査が必要になる。Maps.Meに支配されて歩くか、指標に支配されて歩くか? 後者でもよいのであるが、マークばかり追いかけるので精神状態がよくない。前者はそれがないが、しょっちゅうスマホを覗いていなければならない。そこで中間的な使い勝手としては、「MyMap」のような自分用の詳細地図を絵(Jpeg)にして持ち歩くことにする。分からなくなった時だけMaps.Meなどを見るというようにすればよい。大体は一本道なのでその間は何も見る必要がない。分岐点でのみMyMapを覗けばよい。そういう個所ではマークが出ている筈であるので、精神的には楽であろう。スペイン北部のcamino map(kml作成済のルートのみ)徒然の記その6 RattlesnakeAnnieラトル スネーク・アニーさんのライブ 2019.4.5(金)■4月の海を描きたくて久々に真鶴を訪れる。半島を一周してから、17:00開演のコンサート会場へ。Rattlesnake(ラトルスネーク=ガラガラヘビ)という名前は幼少の頃より付けていたニックネームである。テキサス西部に居住区があるコマンチ・インディアンの血を引くカントリー・シンガーソングライター。 ほぼ毎年来日。「さくらツアー」と称して国立などでコーサートを行う傍ら、「真鶴の地域と医療を考える会」にも昨年に続いて呼ばれて、情報センターでギター片手にライブをした。 キーボード(他にもピアノ、アコーディオン、ハーモニカその他)はセンチメンタル・シティ・ロマンスの細井豊氏。通訳女性もマンドリンで何曲か加わる。15曲くらいを歌う。声は大きく、カントリーやフォークで皆の手拍子も加わって盛り上がっていく。皆が口ずさむほど有名な曲も多い。 1時間ほどのライブの後、懇意としている駅前にある寿司屋で打ち上げ。歌手、通訳、キーボーディスト、ピアノ調律師などは医者宅に席を移し、お酒で囲みながら余韻に浸る。細井氏はそこでも電子ピアノで曲を奏でる。小生もそこに潜り込んで談笑。 真鶴 22:18発の電車に飛び乗れば日付が変わらないうちに帰宅できたのであるが、一宿をお願いして朝まで皆と過ごす。コンサートでの邂逅の証にスケッチなどPresent。朝runは少し寝坊したため1時間ほど。昨日とは違って無風で快晴の中、海岸伝いに土手を這う。 甘夏とレモンを急いで収穫し、お土産にも貰ってきた。■ライブの8時間前には真鶴に到着。荒井城址公園の枝垂れ桜を鑑賞。今年は花の付きが悪いと毎日来ている地元の写真家が嘆いていた。桜は画面上で増やせるためスケッチには支障がないが、困ったのはものすごい強風。背景の竹やぶに揺れる枝垂れ。この課題への挑戦が始まった。しばらく眺めてはスケッチに興じる。 10:30一旦、情報センターに寄り、会場づくりの打ち合わせなど。大阪と逗子に家を持つヨットウーマンが手伝いに来ていた。この方は翌日には佐世保に移動し、逗子まで瀬戸内海を経て航海するという。旅の99.999%を海で過ごし、残りの0.001%が陸でほとんど山には登らないというタフな女性で年齢不詳。真っ黒に日に焼けている。 15:40くらいに戻ることを約束して真鶴半島をスケッチなどをしつつ一周run。トンビに昼食をもっていかれないように注意をしながら海沿いの潮騒を十二分に楽しむ。磯辺にあるの階段に腰掛け、読みかけの本を読んだりしながら時を過ごす。 海の見えない町に住んでいるため貴重な時間である。情報センターの上は図書館になっている。万葉集を紐解き、元号のhintとなった件(くだり)を調べた。(上記)■ピアノ調律師・・相模原にすむ男性。ピアノ調律師の仕事は米国では「盲人」が担うと、ラトルスネーク・アニーさんは言う。耳が研ぎ澄まされているため調律に向いているのであろう。面白いことを聞いた。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp/
Apr 6, 2019
コメント(0)
Kosyu winery, the era_ story (4387)2019.3.30We walked around the grape production area in Koshu City, Yamanashi Pref.Farmers were starting to take care of the vine.The plum blossoms ,the weeping Japanese cherry trees were in full bloom, and We spent the day of the spring season. (Tokyo was in full bloom on Wednesday, March 27.)At KIZAN winery I took a strong brandy taste liquor almost 40% of alcohol made of grape pomace(marc in French ). I bought it as a souvenir.私たちはワインの里、甲州市を散策した。ぶどう棚の手入れが始まり、スモモの花が満開であり、彼岸桜が咲いたりして春うららの一日を過ごした。3月27日(水)に東京では満開になった。■今週の1枚Tochiyato park(八王子市みなみ野にある栃谷戸公園の雑木林)梢が芽立ち、薄緑の色に染まってくる直前の裸木。細い枝を何本も天に向けて手を広げている。薄紫から薄黄緑色に次第に色づいてくる雑木林は、これから毎日のように訪れないとその変化を見逃してしまう。慌ただしい春の装いの始まりである。右側のガラス張りの屋根は関東富士見百景に選ばれている絶景spotの展望台で、木々のはるか上 丹沢山系の向こうに富士山が聳える。目次徒然の記その1 オケ練習徒然の記その2 元号考察徒然の記その3 "桃源郷"の甲斐路 徒然の記その4 最近の食卓徒然の記その5 墨刻展徒然の記その6 バレーの伴奏徒然の記その7 Camino Sanabrés 徒然の記その1 オケ練習 2019.3.24(日)■3年ぶりに指揮者・森口真司さん現る・・直近では2016年春の第73回定演でのシューベルト 交響曲第8番「未完成」、ブルックナー交響曲 第9番 の指揮。 一番古いものでは、27年前の1992秋の第26回定期。ソプラノの天羽明恵ら歌手6人を迎えてのオペラ アリア集とベートーヴェン交響曲 第5番 ハ短調 「運命」、チャイコフスキー序曲「1812年」。 今回を含めて計30回の定演を振ってもらっている。加えて2回の「府中第九(2005,2007)」の指揮と。 府中在住であった期間が長いのであるが、2008年に大分(県立文化短期大学)に移られてからも、計4回の定演の棒を振ってもらっているのだ。 第79回の今回の定演では本番を含め計8回も練習に来てくれることになっている。まぁ、府中市民響の礎を築いた指揮者でもある。今日は、全曲を通し震えるような感覚をもった。すごいのだ。指揮ぶりが。発言が。 シューマンのピアノ協奏曲では団員が弾くピアノとともにオケの演奏が続く。本番でも使えるピアニストというほどピアノがうまいチェリストである。fp(フォルテ・ピアノ)の箇所は、「ため息」であるという。シューマン的な独特なオーケストレーションは当時では革命的であったものであるが、ベートーベンのような古典派の曲を愛したクララ・シューマンの父親からは嫌われていたのだろうと言う。 シューマンの交響曲第1番「春」は当団でも初めての曲であるが、繰り返されるリズムがシューマン的であるという。古典派にはない新しい感覚を感じるのだ。春らしい息吹を感じられるような練習であった。 今後が楽しみである。深く勉強していかなくてはならない。まずはスコアを読破し、楽譜を正確に読みこなすことが求められる。徒然の記その2 元号考察→絵日記決定 2019.3.24(日)■元号開示がせまり報道も慌ただしくなってきた。すでに各企業などのシステムの変更作業は進み、どこかに2文字打ち込めば、すべての必要箇所が修正されるような仕掛けを構築中だときく。まぁそのための各種プログラムの修正は済んでいるようである。 ある生命保険会社ではその文字として「安明」を仮に採用してシステムチェックをしたと25日に報ぜられた。これはフライングではないかとクレームが寄せられた。安倍の「安」を採用しているところが憎い。 今までの元号247のうち、使われた漢字は71文字だという。明治・大正・昭和・平成のそれぞれの頭文字はアルファベットのM,T,S,Hであるので、まずそれととだぶらない文字の「ひらがな行」が採用される筈である。「あ行のA,I,U,E,O」「か行:K」「な:N」「や:Y」「ら行:R」「わ:W」、それと濁点行からは「が行:G」「ざ行:ZやJ」「だ行:D」「ば行:B」 ただ、「な行」はM.Nとの類似から敬遠される筈。さて、「安」にこだわる政権がいる限りこの1週間は高枕安臥(こうちんあんが)不可!・・枕を高くして寝れません。 247元号の頭文字で使われなかった平仮名でかつ、ローマ字でMTSHに抵触しないのは「い、う、ぬ、ね、の、ゆ」の5文字である。「ぬ、ね、の」は、Nなので外すとして「い、う、ゆ」の3文字。濁音なら「ぎぐご、ざじずぜぞ、ばびべぼ」とかなり多くなる。ただ濁音が元号になったのは文治(ぶんじ)など34元号しかなく、圧倒的に清音が多い。「明治」からの4元号が全部清音なので、5つ目も清音となる可能性が高い。 清音であれば「あ行」か「や行」、たまには濁音をという場合には「が行」「ざ行」「ば行」の文字が選ばれるであろう。「5月1日からの新元号」が発表されるのは1ヶ月前の4月1日(月)11:30頃である。なんとエイプリルフール真っ最中の時間帯である。こういう発表があるかも。「平成(2)」ですと。これ冗談。4月1日am11:45頃ついに発表。「令和(れいわ)」という。Rの文字で始まる。■エイプリルフールの起源・・これが諸説紛々。一番有力なのが、1564年説。ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、フランスのシャルル9世が1月1日を新年とするグレゴリオ暦を採用したことに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。しかし、シャルル9世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝った人たちを処刑したという。その中に13歳の少女も含まれていたため以降、13年おきに「嘘の嘘の新年」としてその日は嘘をつかないということにしたのだと。だだこの史実は忘れ去られていったという。徒然の記その3 "桃源郷"の甲斐路 2019.3.25(月)■ひな飾りと桃の花まつり・・今山梨県甲州市では2/11-4/18の期間、JRの駅や甘草(カンゾウ)屋敷、恵林寺(えりんじ)武田信玄公宝物館、宮光園(みやこうえん-メルシャンワイン)などで展示が行われている。 JR塩山駅前の甘草屋敷のそれは約3000のひな飾りで圧巻。ぜひ行ってみてください。■塩ノ山 ・・この日は歩き塾の遠出シリーズで「山梨ワイナリー巡り」と名を打って、塩山-勝沼を散策する日である。小生は、集合時間よりも1時間も早く着いてしまっていたので、人工の山のようにも見える「塩ノ山」に登ることを企てた。Google Mapでは山道が出てこないため、GeographicaにあるOpenStreetMapを使い、登山道を克明に探しておいたのだ。目指すは登山口一点である。そこに「山」があるというのに、住宅が幾重にも塞がって行く手を遮るのだ。 温泉旅館脇に登山口があった。山に登る階段を一気に駆け上がっていく。3つぐらいの東屋が九九折れの山道にあり展望台となっている。富士の高嶺が見えるころには山頂に到着。歌碑を確認して直ちに下山。■古今和歌集345に「志ほの山 差出の磯に すむ千鳥、君が御代をは 八千代とぞなく」という歌がある。塩ノ山頂上に表札が立っていたが、山梨市駅から近い笛吹川に万力公園があり、景勝地「差出の磯」がある。「ちどり湖」もあり、歌でよまれた素材が揃っている。 歌番2つ前の343には、国家となった歌「千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のすむまに」があって「千ー八千代」という綴りが共通している。古来から幾歳も続く平安を祈った言霊がもてはやされたのであろう。 「差出の磯(突き出た半島のような形状を言う)」の枕言葉として使われた「志ほの山」が「塩ノ山(標高552.7m 、麓からは140mの小山)」で、北東と南西から見ると三角形のピラミッドに見え、西北と南東から見るとひょうたん型に見える優しい形状の独立峰である。大菩薩峠にある雷岩や神部岩からの位置から眺めることができ、暗示的な位置関係から人工の山とみる調査報告もあるくらいである。 広島県にある葦嶽山(815m あしたけやま)同様、この「塩ノ山」もピラミッド(飛来御堂:ヒラミドウ)伝説の対象となったりして興味がつきないのである。ともかく、「塩山(えんざん)」のもととなった山に事前に登ってきた。■甲斐路 武田信玄の御陵がある恵林寺を目指す。境内外れの草餅が美味しいと聞くが、11:30openということで諦め境内の茶店で売っていたヨモギ餅を皆で頬張る。 600mくらい南下すると、機山(Kizan)洋酒工業のワイナリーがある。信玄が出家剃髪した法名の「機山信玄」から名前を取ったという。笛吹川左岸の肥沃な大地で育った自家農園のぶどうを使ったファミリーワインが売りのワイナリーで人気が高い。我々もお土産や贈答用にと何本か買っていく。 キザンワインの赤白か、キザンセレクションのシャルドネなど試飲もさせてくれる。白は、白桃やカシューナッツのような香ばしさにアカシヤの花のようなアロマや青リンゴの香りが加味され、赤はプラムや熟したイチジクのような香りにフレッシュなチェリーやオレガノの様なフレーバーで豊かな香りがする。能書きの通りの深い味の美味しいワインである。さらに搾りかすから作ったアルコール度数40度のブランデー風の「マール(marc)」もget。オンザロックなどで飲むなどワインとは別の味を楽しめる。 ほろ酔い加減となった我々は、ころ柿(甲州勝沼特産の枯露柿 11月に干し柿にする。)の里を下っていく。白い球となって咲くスモモの木々の間を縫ったり、巨峰の枝を手入れする農家に声をかけたり、と人っこ一人通らない裏道を歩いていく。遠くにはまだ雪を被った山々が見える。近場では大菩薩峠、西には甲斐駒ヶ岳から始まる南アルプスの連峰が美しい。 「桃源郷」の風景となるのは4月中旬である。南アルプス市で開催の「桃源郷マラソン」がその最盛期であろうか。以前は勝沼マラソン大会が開かれていたがあまりの混雑で、開催を秋にし「甲州フルーツマラソン」などに名を変え10月下旬に開かれている。 鮮明に思い出すのは、勝沼中央公園をstart-goalとするハーフマラソンで、中央道の下を縫う起伏の激しいコースは、ぶどう棚やピンク色で満開となった桃の開花時期と重なり鮮やかであったことだ。人気のマラソン大会であった。世界には、ボルドーで開催される「メドックマラソン」のようにふんだんにワインを振る舞い、全員ベロベロになってゴールする面白いマラソンがあるが、甲州フルーツマラソンは名前からして真面目過ぎるきらいがあるが今はどんなだろう。 シャトー・メルシャンのワイナリーが火・水が定休日だったとは。資料館は開いていたのでトイレを借りたりしながら寛ぐ。広い芝生があって気持ちよさそう。次回はopen時に再度訪ねたいものである。ここは季節を変えて複数回こなければならない場所かもしれない。期待した「大日影トンネル(JR中央線の廃線を遊歩道に活用したもの)」は老朽化のため緊急閉鎖中で開通の見通しがたたないと聞く。さもありなん、1896(明治23)年建造から優に120年は経っているトンネルで通れず、2007年に一度補修をしているが、2017.12からは水漏れなどの激しさから安全度が低いと診断され遊歩道として使えなくなっているのだ。南側の深沢トンネルはワインセラーとして個人や企業に貸し出されておりこちらはまだ使えるという。 本日のコース:塩山駅→甘草屋敷(重要文化財)→信玄街道→古道→恵林寺→機山洋酒工業(KIZAN Wine)→ころ柿の里→メルシャン・ワイン・ビジターセンター→ワイン資料館→勝沼町勝沼界隈→勝沼ぶどう郷駅 17.2km この辺りは、「一葉の里コース(桃源郷 8.7km)」、「信玄の里コース(11km)」「さくらんぼの里コース(7.7km)」「ザセンゾウの里コース(12km)」「勝沼一日コース(11.7km)」など魅力的な散策コースがいっぱいある。我々のは、これらのコースをからめながらの最長コースであったようである。皆よく付いてきてくれたと感心する。■ハイクしながら語り合う博学な人たち・バラの実がいっぱい生っていた。ヒップと言うのだと。ローズヒップteaなどが有名。・モミザ・・黄色い花がいっぱい咲き、垂れ下がっている木があった。モミザアカシアあるいはモミザという。ニセアカシヤというのが拙宅にあったが、少し違うようだ。・シーター(theta)カメラ・・Richoの360°天球カメラ。ハイエンドは、120g。メタリックグレーのもので静止画では5376x2688、動画では3840x1920画素。魚眼レンズを付け全球の写真が一発で撮れる。見るときはスクロールしながら。部屋にいる全員が360°で写りこむ。・シーボルトハウス・・オランダはライデン(Leiden)にありシーボルトが日本で集めたコレクションの数々が展示されている。ライデン大学にはシーボルト植物園があると。この4月にオランダに行くという男性がおられた。Keukenhof(キューケンホフ)公園(32ha 因みにハウステンボスは152ha、昭和記念公園は165h。東京ドームは4.7ha)のチューリップやLisse(リッセ)のFlower Paradeを見るという。 我家こそが行かなければならない場所であった筈だ。忙殺されていて考える暇はなかった。徒然の記その4 最近の食卓 2019.3.26(火)■どうも所作が増えていく。オランダから届いたチョコレート味の”ふりかけ”とバターとバター用のナイフが加わった。De Ruiterのtraktaties(ご馳走)という。パケージの写真を見ると、一箱20gのチョコチップを食パン1枚の上に全部並々とまぶして食するようである。 そのままではこぼれてしまうため、バターなどを縫って滑り止めにしなけらばならない。いかにも甘い。こんな甘い食生活の果てに、成人男子平均身長が186cm、女子が172cmという国民が生まれるのであろうか。 ミルク(melk)味などもあり種類がおおいのだ。 まずはオランダ語を訳すことから始めなけれなならない。Chocoladehagelslag Ten minste 32 % cacaobestanddelen .Bevat soja.Kan sporen van melk en lactose bevatten.Koel en droog bewaren.Ten minste houdbaar tot einde: zie onderzijde verpakking De Ruijter maakt van elke boterham een ware traktatie. Chocoladehagelslag Puur voor op brood.Pure chocolate sprinkles for bread.Bitterschokoladenstreusel für aufs Butterbrot.Vermicelles de chocolat noir pour tartines. ココアの含有量などが正確に書かれていると思ったら全部が”だいたい”という言葉使われていて面白い。賞味期限はパッケージ裏を見よという。バターとバター用のナイフも忘れず食卓に並べる。 少し余談であるが。夕食時はTVを点けているが、「眞子さまと佳子さまが演奏会に行かれた。」と言っている。「曲が終わるたびに拍手をされていた。」と。カミさん叫ぶ「当たり前でしょう。」と。小生はなだめる「楽章の度に拍手されなくて良かったよ。」報道も言葉を埋めるのに苦労している。 辺野古埋め立て問題では、軟弱地盤の補強工事を急ぐとあり、これにカミさんが怒るのだ。「地盤問題で未来永劫終わらないのに、どうして工事を続ける?」と。いつまでたっても普天間基地移転は進まない筈であると。基地をなくすしか手がないのに貴重な自然環境を破壊かし続けている態度に業を煮やす。いくら国家予算をつぎ込むつもりなのかと。 大玉のキャベツがややこしい。これは2wで食べつくす場合、1.2kgを越えると秤が振り切れてしまうので、それまではその重さの1/14を食くそうと考える。春物のキャベツは葉っぱの枚数も多い。皮を3枚ほどむしり取り、食していく。1.2kgくらいに減ってきたら、それを残りの日数で割り算をする。1.2kg10日とすると、120gの葉っぱを2人で齧ることになる。 芯も残らず使うので、不定形なそれは包丁で薄くcutしておき小生用に食べ始める。カミさんは過保護にできているので、葉っぱの食べやすい部分のみを皿に盛りつけておくのだ。太い葉脈などはすべてこちらの分担にしておく。而してキャベツを食べるときの音が違ってくる。あっちはモンシロチョウのようにパリパリ。こちらは蛾のようにバリバリ、コリコリと。入れ歯も折れんばかりの音である。 食パンは常に手で割いていく。こちらはハンバーガーのようにこれ以上開けられないような口で齧り付いているのであるが。あっちは楚々とキャベツを食べ、パンを適宜食していく。バターを塗りオランダ製チョコレートの粒粒をばらまき。こちらは歯からこぼれ落ちた食材が床にバラまかれる。濃ーいコーヒーをすすっている。こちらはこれ以上薄められないようなコーヒに牛乳を入れた”薄(う)すcaffeeオレ”をすすっている。 毎朝が競争であるが、これが外にいくと仇になっているのだ。カレー屋で巨大なナンに挑戦したりしても、常に小生があっという間に食べてしまうのだ。皆はまだ1/3も食べていないというのに。外ではもう少しゆっくり食べよう。■粘性試験・・食器の洗いもので、常に疑問に思っていることがある。洗剤を流す水の量である。徹底的には流したとして、何ppmかは残っている筈である。50mプール一杯に目薬1滴が何ppmという単位である。よく言う汚染度という表現はそんな数字である。 水には粘性があるため滴(したた)っても、表面には薄い膜が付いたままである。乾くということは、それがすべて下に落ちてからではなく、落ちる前に数万分の1mmの水分が残ったまま下には落ちずにその位置で蒸発して、洗剤が残るのである。 あまり神経質にゼロにする努力をどこまでするかが国によっても違ってくる。オーストラリアでは水を節約するため洗剤は流さない。付いたまま立てかけておくと、粘性でもって下にストンと落ちてしまうと信じられている。 親父がよく言っていた。お酒の瓶も、底をくすぐると最後の一滴までが滴り落ちてくるのだと。これには訳がある。底を温めててやると粘性が弱くなって滴りおちてくるのである。 容器の壁面に付いた液体(牛乳やオリーブオイルや洗剤など)を最後の一滴まで搾り取る方法は。牛乳などもいつまで傾けておくと最後の一滴まで飲むことができるのかと。 傾けたまま一時間くらいしておくとすっかり内容物は出てしまうか、その位置で落下をあきらめ”乾き”の態勢になるか、勝負である。「もったいない」運動をするために、液体の粘性を知っておく必要があり、論文を書きたいくらいである。そういうことを考えながら食器を洗ったり、牛乳パックを分解している今日この頃である。徒然の記その5 墨刻展 2019.3.30(土)■太い筆を刀のように持ち、墨を付けて、中国古代文字を白い紙に書いていく(ここでは”刻んでいく”という言葉を使う)墨刻。第3回目とまだ若いが、はやくもこの5月にバルセロナとバレンシアで第1回海外展を開くという。高校の同窓の友がこれに参加する。7名が見にやってきた。 たとえば「楽」という字は、巫女が鈴を振りながら踊っていることを表す表意文字であるという。筆ではそのように楽しげに書くのである。漢字の原点はみなこのような意味のある言葉なので絵にはなるのであろう。「丸」 弓を射る形 石(丸という字の中央の点)をツルに添え飛ばす形。「羽」 2つの羽を躍動感のある太い筆で書いていた。「歩」 上部は足という字 + 後ろ足が前足について進む形 中央左右は、十文字。左右の角で道を表す。十字路の中に足を入れて、「歩む・歩み」という意味を持つ。 お寺の本堂では、部屋一杯に広げられた白い紙に、パフォーマンスを繰り広げていく。書道のようであるが扱うのは古代文字である。 海外展でもパフォーマンスを繰り広げるという。大量の墨はどうするのだろう。スペインではイカ墨を使うのかしら。16:30から本人が登場しパフォーマンスが始まる筈であるが、忙しい小生はここを後にしてバレーの練習会場に向かう。「第3回 墨刻展」は、3/30(土)~4/7(日)、台東区松が谷2-8-15 日限祖師 本覚寺本堂で。展示の入れ替えがあり、4/3から第2期。徒然の記その6 バレーの伴奏 2019.3.30(土)■5曲のワルツをオケで演奏することになった。生演奏で踊るというバレーの団体。31日(日)の本番公演は夕刻。オケピットでの演奏になるためバレーそのものは観れないのである。その練習が土曜日の夕刻から始まる。このためone-day caminoのハイキングの日に陣馬山へ駆けていけなくなった。残念である。朝走り、昼展覧会に行き、夜オケをやるという3本立てでもいいのであるが"正確さ"を要求されるクラシックでは心身の安寧が必要であろうと。ここはぐっとこらえた。Johann StraußやそのSohnによる曲でEmperor Waltz(皇帝円舞曲)、Annen-Polka(アンネン ポルカ)、Tritsch-Tratsch-Polka(トリッチ・トラッチ ポルカ)、Pizzicato-Polka(ピチカート・ポルカ)、Fruhlingsstimmen (春の声)ウィンナーワルツの拍の取り方は、3つの拍を均一(0.33、0.33、0.33(1/3))にはしないで、(0.28、0.38、0.33の)ように2拍目をすこし早めに取る。1拍目と2拍目がすこし詰まり、2拍目と3拍目が少し間延びする「ズチャッチャー」というリズムになる。これを各自バラバラに感じるのではなく、全員が息の合った演奏をする必要がある。ウィーン人になりきらなければならない。 徒然の記その7 Camino Sanabrés (Granja de Moreruela-SC 343km) サナブレスの道 2019.3.23(土)■スペイン巡礼路のうち、銀の道の最後の行程で、Granja de Moreruela(グランハ・デ・モレルエラ)から西に折れSC(Santiago de Compostela)を目指す343kmの道が、「サナブレスの道」といって、1257mといった山岳コースを抜ける道がある。 Camino仲間が銀の道のついでにこの道を歩くのかもわかないということで、このコースもkmlファイルとして作成した。"空"以外何も無いという「銀の道」より、こちらの方が村落も多く、緑も多いように感じた。山岳ルートながら面白いのではないだろうか。Google Earth上でトレースをしていたので、森を通るパスでは25か所ほど不鮮明なところがあった。Maps.Meへダウンロードし、OpenStreetMapで出来ている地図上でそのルートを検証していくとまずまずパスに沿った道となっていることがわかりほっとした。 このトレースや検証作業で、既に”サナブレスの道”を実際に歩いている気持ちにもなり旅人の気分であったことは事実である。目を酷使する作業なので長時間は続けられないことが悔やまれる。完成したルートmapは、小生のデータベース(topシートから「巡礼路一覧」→サナブレスの道))からダウンロードすることができる。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp 決定!
Mar 30, 2019
コメント(0)
Flowering of cherry blossoms 、Koishikawa Botanical Garden_ story (4386)2019.3.23I visited to Koishikawa Botanical Garden on the day of the declaration that "flowering of cherry blossoms was confirmed(21st March)",and I looked up a few hundred years old Ginkgoginkgo.I read on the bulletin board that the spermatozoid of Ginkgo biloba was first discovered in seeds obtained from this female tree by Sakugoro Hirase,who was a teaching assistant in the Botanical Institute,Imperial University,and was studying the fertilization and embryo development in Ginkgo. This finding is believed one of the most important contributions from the early days of Japanese botany.I felt heartwarming. It was good spring day. 桜が開花したとの宣言が出た日(3月21日 この日はイチローが引退を表明した日でもある。)に、小石川植物園の大銀杏を見学した。立て看板には「平瀬作五郎による世界で初めてのイチョウの精子の発見である。ソテツのそれとともに、この発見は初期の日本の植物学の発展に貢献した。」とかかれている。胸のすく思いをした。春の1日であった。■今週の1枚Early spring landscape of Sagami river right bank(相模川右岸の早春賦 2019.3.2)相模原市南区磯部からの風景。手前は厚木市の東部。左奥が大山。丹沢山系にあって孤立した山容となり宮ケ瀬南部の山々と連なる。目次徒然の記その1 TVアニメ「ピアノの森」徒然の記その2 如水会館にて徒然の記その3 camino「銀の道」のKMLファイル 徒然の記その4 Viola Lesson徒然の記その5 Violin-Viola Duo徒然の記その6 上野→小石川植物園徒然の記その7 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会巡礼報告会 徒然の記その1 TVアニメ「ピアノの森」 2019.3.17(日)■日曜日深夜(24:10-35)の総合TVは見逃すことができない。もう眠たくて目が潰れそうであるが、タイマーをかけておいて寝床から起き上がって行くのだ。すでにカミさんは臨戦体制に入っている。 BlueRayディスクを取り換えて、専用ディスクに撮り溜める準備が整っているのだ。字幕を見ていくと「下田幸二」さんの名前がどこかで出てくる筈である。音楽家で、奥さんはピアニストの高橋多佳子さん。このピアノの森の放送に深くかかわっておられる。音楽監修という役どころであろうか。 1/27から始まった「ピアノの森の第2シリーズ」は、早くもショパン国際ピアノコンクールのファイナル第2日に突入している。3/17の第20話は「パン・ウエイの真実」。実際は牛牛(ニュウニュウ 1997-)がピアノを弾くという「パン・ウェイ青年」が出てくる。当初は目標としていたはずの阿字野荘平(あじの そうへい ピアノは反田恭平)を過去の人として見下す横柄な所を憎々しげに描いている。いよいよ一ノ瀬海(カイ)が本選ステ-ジに姿を見せる筈である。来週の放映が楽しみである。この海をファイナルには落選した雨宮修平(ピアノは高木竜馬)が心を解き近づいていく場面が描かれていた。コンチェルトのオケ版をピアノで演奏したりして練習補助をしながら本番に臨むというしだいである。カイを実際に誰が弾いているかは発表されていない。 2005年の優勝者、ラファウ・ブレハッチではないかとカミさんはいう。または、阿字野荘平を模範にしているという海(カイ)だけあって反田恭平が一人2役を担当しているのかもしれない。優勝に近くなると、アニメでは画面が動かず、シャボン玉の動画が重ねられて動画的雰囲気を醸している。以前では実際に手が動いており、3D映像でよくつかうモーションキャプチャーという手法で実際のピアニストの手の動きを抽出してアニメ化した筈である。 ピアノに関するこんな高度なアニメを見たことがない。徒然の記その2 如水会館にて 2019.3.18(月)■居酒屋で出会った人の中に「アヤバン」という”怪しい楽団”の団員がおられた。そのSさんから後日声がかかり神田の如水会館で会おうというこになった。 路線検索では「駅、バス停、住所、施設」を入力すればその場所までの最寄り駅からの歩行時間も計算してくれて便利である。今の場合は神保町駅A8出口から3分と算出された。確かにその通りであるが、その前にA8までの遠い道のりがバカにならない。改札口から地下道を延々と歩くという計算式となっているようで「8分」をかけている。 さて、如水会館前の道路際に「東京外国語大学発祥の土地」であるという碑が立っている。Sさんが解説してくれた。こにはかって外大と一橋大(旧商科大学)があったが、1923年の震災で崩壊し、一橋は国立へ、外大は巣鴨に引っ越したのだ。外大はさらに府中キャンパスに移転しているが、一橋は国立という学園都市の発展の礎となったようだ。 小平と大泉学園と国立の3箇所が、西武創業の祖、堤康次郎氏により設立された箱根土地開発による学園都市開発であり多々共通点がある。ただ大泉だけは大学がないが、小平には津田塾や一橋大学小平キャンパスがある、 この如水会館は一橋大学を後援する如水会が建てた14階建てのビルであるのだと。学士会館の向かえにある。(「如水」は、、『礼記』の君子の交わりは淡きこと水の如し=才徳のある者の交際は水のようにさっぱりしており、濃密ではないが長続きする・・渋沢栄一が命名した。) この14階に招き入れられた次第である。 ということは、この方はH高校からI大に駒を進め、大企業の幹部におなりになり、定年後は北京にあるI大中国交流センターにポストを得たという大変な方であったという次第。 20日からパック旅行でスペインに行くという。スペイン巡礼に興味をお持ちであるが、少し足がお悪いので歩くというよりもお酒やグルメの方に興味があるという感じであった。 ボトルキープしていたニッカの「余市」を呑みながらの談笑は素晴らしいものであった。奥さんはすぐ傍のテーブルでスペイン旅行経験者と情報交換されていたようであるが先にお帰りになった。 御茶ノ水に本宅があるという。まぁ、東京の超ブルジョワであった。こういう恵まれた人が東京には5万といるのだなぁと感じた。 歓待を受けたお礼に定演のチケットを2枚渡しておいた。今後は旧サラ文と何らかの接点があれば色んな楽器とのセッションが出来そうで楽しみである。徒然の記その3 camino「銀の道」のKMLファイル 2019.3.18(月)■スペイン語で、金銀銅は「Oro Plata Cobre」である。今の今までCamino Vía de la Plata を「高原の道」と思っていた。「Camino Vía de la Plata 」は、その名もずばり「銀の道」であった(Víaは経路を意味する)。 夏が地獄であるという道をGoogle Earthで毎日毎日コツコツと経路計測をしてきたのである。Sevillaセビリアから Astorgaアストルガまで。ここでフランス人の道と合流する703km(小生のトレースでは710.3km)の道のり。途中、96.4km手前のグランハ・デ・モレルエラ(Granja de Moreruela)から西に逸れSCを直接目指すサナブレスの道「Camino Sanabrés (Granja de Moreruela-SC)」339kmを取るのが一般的のようである。 Facebookでは、毎日のように巡礼路を空撮したような動画を発信してくれる輩がおられる。何時間もかけて10数分の動画にするのはアプリ側の仕事とはいえ膨大な作業量と根気が必要だろうと感心をする。それにしてもところどころで現れる地上の写真が皆美しい。camino道の概要を掴むためにはよい情報だ。ただし観るのに少々疲れる。ありがとうHさん。 今回は、その動画に刺激されて、ディジタルデータを公開する作業に取り掛かった。いくつかのcaminoアプリでも表示してくれるルートではあるが、やはり自前でMaps.MeやGeographicaに経路を入れ込んで持ち運びたい。 camino仲間が4月に「銀の道」を歩くということもあり、kmlファイルを作成し小生のデータベース上で公開した。これからサナブレスの道「Camino Sanabrés (Granja de Moreruela-SC)」339kmのディジタル化を目指してみよう。 H氏の”空撮映像”の配信は、今ではアラゴンの道(Camino Aragonés (Somport -Obanos-Puente la Reina )に進んでいる。これも近いうちに追いかけてみよう。なかなか忙しいものだ。 小生のデータベースはHP topにある「巡礼路一覧表」をクリックし辿ることが出来る。項目1の該当caminoにdropboxのリンク先を貼り付けているので、iPhoneの場合はSafariを経由して、Androidの場合はご自身のDropboxなどに一旦ロードし、改めてファイルをMaps.MeやGeographicaにロードするという手法でスマホやタブレットで持ち歩ける筈である。徒然の記その4 Viola Lesson 2019.3.19(火)■萎縮・・Viola Lessonで先生の家に入った途端、どうも怖気ずいて萎縮しているようである。普段のturbo717の溌剌さはない。なぜだろう。 音程、リズム、音色の3要素の高度なレベルが要求され、日常の生活にはない"正確さ"が求められるからではないだろうか。これを払拭するために、耳の鍛錬と、正確なリズムを頭で刻む特訓が必要と考え、難しいパッセージをマスターしようと作戦を組んだ。 音楽の3要素といわれる リズム(律動)、メロディー(旋律)、ハーモニー(和声) 以前の話である。「リズム」に関しては、ちょうどブラームス 大学祝典序曲にとてもよい練習素材がある。 ζを四分休符、λを8分休符として表記する。4分の2のリズム・・♪♪♪♪ ♩♩ の繰り返しなど・・これはちゃんと拍子に乗ってくるためにまぁ簡単であり、これが無限に続けば問題はないのであるが、♪♪♩ ♪♪♩ ♪♪♩ と変化し、♩と♪にスラーが付き、前の小節と次の小節がリエゾンのように、♪♪♩-♪♪♩-♪♪♩ となると、タタターン、タタターンと歌う。これもokであろう。 畳み込むように続いて。仮に[]を一つの小節とみなすと、[♪♪-♩][-♩ζ][λ♪-♩][-♩ ζ][λ♪-♩][-♩ ζ]・・・と続く。これもなんとか歌えるようになり、さらに [λ♪-♩][-♩ζ][λ♪-♩][-♩λ♪][-♩ ♩][-♩-♪-♪][-♩ ♩][-♩-♪-♪]・・・[-♩ ♪-♪][-♩ ♪-♪][-♩ ♪-♪] となってくると次第に怪しくなってくるのだ。繋ぎの部分でつっかえるのだ。 この部分を手拍子や足拍子で歌えるようになってはじめてViolaを持つ。あぁ、これに2時間を要した。ショック。ややこしく書いたが1小節を1234とカウントして、繋げると、9つのパターンが存在しないことに気付く。【4-1234-123】x3、【4-1234-1】【234-12ζ】【λ234-12ζ】x2、【λ234-12λ】【412】【34-12-34-12】x4、【34-12】x3、【34】 楽譜をcopyして持ち運び、或いは風呂に入っても拍子を打ち・・涙ぐましい努力のおかげで完璧にマスターした。急いで遅れた時間を取り返そう。金曜日1日をかける。■多摩総合医療センター・・1952年に開設した「都立府中病院」が2010に全面移転し名称を変更した。最寄り駅はJR西国分寺で1.2kmの距離で非常に便利。 知合いが入院していたので、Viola-Lessonの帰りに仲良く「Violaの先生」とで、見舞いに行ってきた。病棟はN906というので、A-B-C・・と棟があるのか思いきや、North Southの略号で、南北を差す言葉であった。 いかに病院に行ったことがないかということがわかる無縁な2人であった。胃が痛いというので病院に行ったら「胃進行がん」と診断され、急遽十二指腸と胃の間を切除して接合したのだという。自覚症状がいままでいっさいなかったのであろうか。不思議である。 胃の定期健診では「ピロリ菌検査→精検→内視鏡」と進めば、保険が効くと聞く。氏はこのような定期検査を受けていなかったであろうか。またはキャベツを食べそこなっているのであろうか。原因はどこに? 早期発見の簡便な方法はないのであろうか。徒然の記その5 Violin-Viola Duo 2019.3.20(水)■春霞のたなびく丹沢全貌が見えるマンションの一室でデュオを楽しむ。ドヴォルザークやリムスキーコルサコフの歌曲や、ヴィヴァルディを演奏する。 モーツァルトは、K424(・ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲)で、第2楽章と第3楽章 主題、Var.1、Var.2を。 リムスキー・コルサコフの歌曲で「高みから吹く風が」というのがあるが、それをViolinとViolaで演奏するように編曲してくれているのがViolinのY氏であるが、弾いていて涙が出てくるのだ。こんな素晴らしい瞬間があっていいのだろうかと。恵まれすぎているのではないかと。素敵な音楽と友人に囲まれてほんとうに幸せ者だ。感謝をせねばならない。■音楽界における「ヴ」国名の「ヴォ」などの表記が「ボ」に変わっていくという。・・「セントクリストファー・ネーヴィス」というカリブ海の国の名前が「セントクリストファー・ネービス」に、「カーボヴェルデ」というアフリカにある島国が「カーボベルデ」に変わる。これで日本語の国名からは『ヴ』がなくなるのだという。音楽界においてはどうであろうか。「ベートーヴェン」もすでに「ベートーベン」に変わって久しい。ドヴォルザークもドボルザークで済みそうな感じ。「ヴィヴァルディ」など「ヴ」が2つもある。これも近いうちに「ビバルディー」という具合に変わっていくのであろうか。スペルが書けなくなってもよいのだろうかと。■メッセージ性のある写真を!・・写真家でもある音楽の友Y氏は、誰でも撮れるような風景写真は興味がないという。貴方だけしか撮れないような”メッセージ性のある”写真をとある冊子に使う写真を求めている。その結果、小生が画面に写りこんでいる碑文の写真を「貴方しか撮れない」・・いや、私がカメラを構えているのがたまたま御影石の碑文に写りこんでいただけなのであるが「とても良い」といって採用してくれた。 なんと、絵でも同じようなことが言えるのであろうか。自分しか描けない絵でも「メッセージ性」があるのだろうかと。人間が”操って撮った写真でも”、しょせん”カメラという機械が撮った写真”に過ぎないので誰でも同じ写真が撮れてしまうという世界だけの話であろうか? 深い示唆である。こころせねば。徒然の記その6 上野→小石川植物園 2019.3.21(木)■21日は結婚45周年の記念日である。2人にとっては2年目から普通の日であったのでさして変化なし。この記念すべき日!に、上野公園から植物園まで歩いてきた。この日漸く桜の開花宣言がでたが、早くも上野公園では宴会が1つ2つパラパラと開かれていた。強風下で小さなテントの中で暖を取っている若い2人の女性。誰もみんな桜の開花なんかどうでもよいのだ。そぞろ歩く人の視線を一斉に浴びても気にしない。桜の下でゴザを敷いて酒を呑む ただそれだけ。 しかもこの日は卒業シーズンの真っ最中。高校の卒業式が行われている傍を通って小石川に辿り着いた。広さは16ha。日光に分園があり合わせると26ha。正式名称は「東京大学大学院理学系 附属植物園」という。入場料は400円である。新宿御苑より200円も高い。家に帰って報告するとカミさんが言う。「東大生はタダのようだ。」と。義父が残してくれた「東京公園文庫」から「小石川植物園」(川上幸男著、郷学舎 1981年)を引っ張り出して持っていった。 江戸時代は千駄木上水などが流れていた南西部の低地から北東部の丘に達するのびやかな傾斜地に造られた300年以上の歴史のある官製の植物園である。世界的にみてもこれほど古い植物園はイタリアのパドア植物園(1543年-)や英国のキューガーデン(1730-年)ぐらいである。 薬草園の「小石川御薬園」と称していた時代の方が長いくらいである。もともとは日本でも各地に中国の漢薬の影響を受けて発達した薬園があったのであるが徳川時代になり、1638年に江戸に南北2つの薬草園が出来たことが始まりである。北薬園が現在の大塚護国寺、南薬園が現在の麻布四の橋の場所にあった。護国寺建立に伴い、1681年には北園の一部が、白山御殿(五代将軍綱吉の幼児期(松平徳松)に過ごした居邸)に引っ越し、他は南園へ、その南園も1711年には白山御殿に移され集約された。 青木昆陽がサツマイモ(甘藷)を試作して成功した場所でもある。関東大震災(1923)の時には罹災者の救護所が設けられ2千人を1年以上にわたり収容した。住民が4tの花崗岩を曳きあげた震災記念碑が立っている。種子を形成する顕花植物ながら雌木に受精する「動く精子」を発見したとする大イチョウが今も健在である。植物の画を描く画工がたまたま雌花の胚珠に精子の繊毛が動いているのを発見したとされる銀杏である。ソテツの精子発見とともに、植物界において最大の貢献であったと言われている。 園内にはまた「ニュートンのリンゴ」や「メンデルのぶどう」というものもあり、驚愕の連続である。ュートンが発見した万有引力の「りんご」の木の子孫は英国で記念樹として大事に育てられてきたが、その種子をもらい受け実生から育てた木が植わっているのだ。 ギリシャでは、樹齢2500年くらいになるというスズカケの木があり、この木の下でヒポクラテスが弟子に医学を教えたとされる世界的に有名な木がある。1955年にその種子をもらい栽培した株が各地にある。小石川のはその一つの枝を挿し木にしたという。「ヒポクラテスのプラタナス」として園内に植わっている。 ひときわ大きいスズカケノキが森の中にあって真っ白い樹肌を輝かせ、まだ裸木の枝を青い空に向かって手を広げていた。深閑とする森に佇み、固唾をのみながら見入ってしまった。崇高な木々である。モミジバスズカケノキは茶黒くそのコントラストが面白い。ここを描かずしてなんとする! しばしスケッチタイム。 小生は大学時代に訪れて以来、2度目の訪園であったが、すべてが良い具合に育ち、大きくなっているように感じた。日本庭園からの丘の上の眺めは素晴らしい。標本館(旧東京医学校本館)の赤い壁が周囲の清楚な庭園となじんで素晴らしい。新緑のころに再度訪れたいと思った。徒然の記その7 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会巡礼報告会 2019.3.23(土)■友の会主催の「巡礼報告会」が下北沢にある北沢タウンホール12Fのスカイサロンで開催された。6題の発表を11:00から14:40まで途中昼食と休憩を挟んで行われる。1人当たり20分くらいの発表時間。6題のうち、4題がフランス人の道Camino Francés 、1題が北の道Camino del Norte、最後にル・ピュイの道Camino de Le Puy の”区切りうち”という内容であり楽しみである。・・北の道Camino del Norteを歩いた夫婦は、すでにフランス人の道Camino Francés も歩いており、昨年はCamino Catalán(Montserratモンセラートからピレネー沿いにいく道)を歩いたという。caminoの魅力に憑りつかれてしまわれたようでうらやましい。今回の発表はグルメにかんする発表が多く、午前中の発表から食欲が促進され午後の発表からは文化にも酔いしれ、異文化にふれて心地よかった。13歳の犬と、34歳の愛娘とほぼ同時に亡くされたご婦人は、スペインの台地メセタで空を見上げて娘の名前を叫んで泣いたと。隣に座っていた女性も泣いていた。両親を亡くしたら過去を失い、連れ合いを亡くしたら現在を失い、子供を亡くしたら未来を失うという。どれほどの悲しみであったろうかと懇親会でも涙が流れた。みんなそれぞれの出会いは気付きがあり、一回りも二回りも精神的に大きくなり強くなって帰ってきているように感じた。caminoでは、「必要 needs」があれば必ず叶えられるとも。”サラメシ”をもじったような”サラカミ”(サラリーマン・カミノ)という言葉が飛び出した。働き方改革で5日の有休が取れるようになったので、前後の土日を加算して9日や連休と連動して11日の休みを取ることがそう無理ではない時代になった。大いに現役の皆さんもcaminoへ。という呼びかけは説得力があった。これにはひとつ条件があるようである。約束した期日に必ず帰ってくること。這ってでも帰ってくること! これがなければ翌年のcaminoはないのだと。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Mar 23, 2019
コメント(0)
11th March 2011,Kawasaki daishi,chidori park _ story (4385)2019.3.16Under the brilliant glorious sun with strond wind, I have been jogging 22 km from Azumino via Kawasaki Daishi to Chidori Park facing Keihin Canal. I passed from the residential area of Yokohama to the indusrial area of Kawasaki on the almost widestright road. It was a landscape full of dramatic changes !輝かしい太陽のもと、あずみ野から川崎大師、千鳥公園までの22kmをジョギングしてきた。ほぼ一本道の広い道で、横浜から川崎へ抜けたが、住宅街から工業地域へと。劇的な変化に富んだ風景であった。■今週の1枚Kita Park waiting for Spring(相模原市北公園 2019.3.12)北公園も春を待つ・・幼児たちが公園で楽しそうに遊び、老齢の人たちが散歩道を歩く。遊具のある場所は、2,3年前に池の端から引っ越してきたものだ。丘の上のほうが陽当たりはよく遊ぶのには都合がよい。目次徒然の記その1 3月11日生まれ徒然の記その2 あれから8年-2011.3.11徒然の記その3 川崎市・千鳥公園へ 徒然の記その4 METオペラ・ライブビューイング「カルメン」 徒然の記その5 高校の移転徒然の記その6 第99回 山谷ミニコンサート徒然の記その7 秩父観音巡礼その5徒然の記その8 詐欺電話050-5806-9556 徒然の記その1 3月11日生まれ 2019.3.10(日)■4歳になる孫の誕生パーティーを10日(日)にやるというので行ってきた。予定時間よりも5分くらい早いがチャイムを鳴らす。主人公は少しはにかみ気味であるがニコニコと笑っている。この日は普段は棚にあるおもちゃが部屋にワーと広げられていた。整然と種類別に配置されている。全部本人がやったのだという。 元気な孫は部屋を所狭しと駆け回る。布団の上にも、横跳びでジャンプしすぐ態勢を整え次の山へと転がっていく。段ボールで作られた滑り台も逆さまにすべり降りたりする。一応すべてのアスレチック動作を披露してくれる。プレゼントタイムが始まった。ジジババからは子供用のサッカーボールである。両親からのプレゼントもあり嬉しそうだ。あぁ小生など小さいときはおもちゃを買ってもらった記憶がないのというのに。今どきの子供は恵まれ過ぎている。 Viola伴奏付きでハッピーバースデーを歌ったり蝋燭を消したりとセレモニーが始まった。直前にはなぜかViolaのG線が緩み切っていたので調整しようと音を立てると孫が「近所にうるさいかもしれない」という。まぁそんなこんなで談笑をしたりサッカーボールで遊んだりと2時間ぐらいを過ごして帰ってきた。既に春休みになっているためどこか1日保育として、プラネタリュームや博物館でも連れて行ってあげよう。■早生まれ・・4月1日生まれまでは、前の学年である。民法では「歳を取るタイミングは、誕生日前日の深夜12時」であり、小学校に行くタイミングは「満6歳に達した翌日以降における最初の学年から、満12歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校に就学させる。」とされているため4月2日生まれから新学年が始まり、それまでは早生まれと言うことになる。 ただ4月1日生まれではあまりにも可哀想だと、役所へは4月2日に届けにするといったことが行われるらしい。男女でこの扱いに差があるという。小さい学年では1年の開きは大きい。孫の場合でも3月11日と同学年の子供達からは平均で半年ほどの開きがある。今はその差をどんどん詰めている最中である。ほとばしるような勢いで語彙力を駆使して話している。徒然の記その2 あれから8年2011.3.11 2019.3.11(月)■東日本大震災2011.3.11から8年の歳月がたった。16000人弱が犠牲になり、まだ2700人が行方不明だという。仮設住宅は無くなったと聞く。皆公営の住居に移り住めたようである。 リアス式海岸では、過去何回となく襲ってきた津波であるが、再び多くの犠牲が払われた。M9.0という巨大地震とそれに伴う津波で、チリ地震を教訓に造られた防波堤は灰燼に帰した。平地では高台だと思って逃げたのに波は5mも頭上に襲ったのだという。 施策はいつも後手後手である。しかも過去にないほど情報量の多い時代であったが、それをよいことに情報を待ち過ぎたり、情報に攪乱されすぎたりしてうまく逃げられなかったのではないだろうか。マニュアル通りに動かなければならないという縛りがなかっただろうか。指示待ちの人間が余りにも多く、車で逃げようとした人が余りにも多く、かってないほどの高齢化社会で動けない人もあまりに多く、それが家族のしがらみとなって自分だけが逃げることを許されない人が余りにも多かったせいではないだろうか。 記憶はすぐ忘れ去られてしまう。そういう意味で悲惨な震災遺産はこれでもかというように残したほうが良いと考える。ただこれを見てトラウマとなってしまう人もいるだろうから対応は難しい。 自分も一昨年から大船渡を中心に東北に旅に出ている。一昨年は大船渡から碁石海岸を。昨年は南リアス線を使って吉浜から大船渡まで。今年の秋は釜石を起点に前後2,30km位を歩いてきたいと思っている。海岸線を歩くにつけ徐々に復興していく様を目視することができ、希望の灯をともす。海辺に近い場所は重厚な防潮堤のみを残して更地となった。住居は高台へ引っ越しつつある。 海岸近い建物は、戦車並みの重厚な住宅街にしなければならないのに、紙と木の木造建築が増えていく。少々コストが高くても絶対壊れない家を見本で建ててもらいたいものである。世界のファウンドを集めて競争させるのである。よい見本市となろう。ハリケーンや海面上昇に怯えている人たちが見学に来るはずである。オランダでは海に浮く家や、超重厚防潮扉の建設がビジネスとなっているという。 さて、あの日の日記は毎日のように概略を書いている。当日の日記は2月に行ったベトナム・カンボジア旅行の回想記を伴った悠長なものであるが、14時46分にジョギング途中であったことから始まって計画停電なども刻々と伝えている。3月11日の日記。・・「新しい記事」のアイコンをクリックして進めていけばその後の日記が読める。今となっては貴重な記録である。 2011年3月13日にあった大前研一氏が運営するBBT(ビジネス・ブレークスルー大学)のonlineの講演は原発の電源システムの不備を叫んでいる。この様子は3月17日の日記に掲載したリンク先に詳しい。1時間13分の内容はYouTubeで聞くことができる。 東電への責任追及は難しいのであろうか。裁判で結審が下されようとしている。原告の会長達は、皆判で押したように無罪を主張して謝ることをしない。だいたい不審火を出して近隣に迷惑をかけたと、その長が直ちに謝るのであるが。想定外の津波を理由に無罪か?いやそうではないと思う、予備電源に3重の対策を施していたというが、机上の計算では信頼度はゼロであったのだ。同じような低い位置に置いたバッテリーや、ディーゼル発電や、変電施設が全部やられたのだから。駆け付けた50台もの電源車はほとんどすべて使い物にならなかったという。これを人災と言わずして何とするのか。こららを裁けないのかと思うと悔しい。 日本沈没に備えて、自給自足の生活のためには田畑を残しておいたほうがよさそうである。その意味で土地は手放さずに持っておこう。徒然の記その3 川崎市・千鳥公園へ 2019.3.13(水)■川崎大師を経由して千鳥公園に行こうとrunningプランを練った。夜景のViewポイントも事前に調べておこうと思ってパソコンを繰っていたらハプニング。「徒然の記その8」に書いた。気を取り直して仕切り直し。 夜景ではトワイライト時の絶景spotが京浜運河手前の千鳥町にもある。市営埠頭バス停近傍という。千鳥町東側の浮島町、西側の水江町、扇島(おうぎじま)町、北の「夜光町」、南の「東扇島」の工場群すべてに光が灯る様は壮観であろう。今回は自宅からという無謀はやめ、家からの近道探索で通過する田園都市線の「あざみ野」から22kmを走ることにして経路を特定させた。 新しい道を走るというのはぞくぞくする。横断する鉄路や道路ははんぱない。主なものでも、中原街道、国道246号、地下鉄グリーンライン線、第3京浜、東横線、新幹線、横須賀線、南武線、国道1号線、第2京浜、多摩川遊歩道、府中街道、東海道本線、京急本線、京急大師線、第1京浜(国道15号線 箱根駅伝runningの国道)、神奈川臨海鉄道(貨物線)・千鳥線。 10m以上の強風が吹く京浜運河は風に煽られた白波がうねっている。それに抗うように大小の貨物船がエンジンを全開して運航していく。運河の向こうには東扇島の工場群が見える。海底トンネルで人も渡れる。東側にある浮島は千葉に通じる東京湾アクアラインが始まるところで、川崎側には海底トンネルの中間地点となる位置に換気塔のヨットの帆のような人工島が浮かんでいる。木更津側にある人工島「海ほたる」は見えない。浮島の北側には多摩川を挟んで羽田空港があり、次と次と飛び立つ機影が。ここは動くものがすべて見える。 とまぁそんな風景を楽しんで島の最先端の道路を歩いているときだ。急に体が浮いた。海側の鉄柵に向かって5,6mと距離を飛んでいく。スローモーションの感覚である。身体が泳いでいるのだ。危ないぶつかる! 必死に手を突こうとするが、空を切る。ようやくコンクリートの地面に叩きつけられた。しばらく動けないのだ。仰向けに転がったままだ。何が起こったのかと。よろよろと立ち上がる。 全身血だらけである。相当の擦り傷である。大事なタイツはボロボロになり破れ肌が出ている。左手も3か所の擦り傷で血がしたたり落ちている。 頭は大丈夫であった模様。右ひじも打撲の模様。老人が骨折する瞬間というのはこういう場合なのだなぁと現場を観察。 足元を見ていなかったのだ。そこにはコンクリート面を繋ぐアスファルトが10cmくらい捲れあがっていた。それに躓いたようである。よく段差に気付かずに転ぶという現象である。骨格は日頃の運動と3時のおやつに必ず飲むスペシャルドリンク(黄な粉+蜂蜜+牛乳/或いはリンゴジュース)のおかげでなんのことはないのであるが、怖い瞬間であった。 ふらふらと夢遊病者のように、島の北側にあるバス停「市営埠頭」まで歩いて行く。炎天下で夏のようであるが風は強いままだ。工場群の広い道には昼休みを取るトラックがずらりと。バス停の所だけが空いている。マンハッタン島のはずれを歩いているような殺伐な風景である。 川崎の夜景なら圧巻はJFEスチール東日本製鉄所や東亜製油所などの巨大工場群を見据える京浜運河クルーズが一番だという気がしてきた。千鳥島へまたぐ国道132号の橋からの遠望は安上がりでよいかもしれない。徒然の記その4 METオペラ・ライブビューイング「カルメン」 2019.3.14(木)■2/28に次いで、MET Live Viewingの第7作 ビゼーのカルメンを再び高校のオペラファン9名で東劇に馳せ参じた。今回はブッキングは無いため、終演後ゆっくりできる。 カルメンについては、我らが市民オケでも1993.9.19と26に「TAMAらいふ21 多摩市民文化フェスティバル 市民オペラ劇場」の2回の公演に参加してオーケストラピットで演奏している。 このときは指揮:時任康文、カルメン:森山京子、ドン・ホセ:藤原章雄、ミカエラ:天羽明恵であった。天羽明恵さんの歌声にほれぼれしたことを覚えている。その他オケversionではカルメンの組曲(Carmen Suite N0.1,No.2)を今まで、1982、1988、2016と3回演奏している。 METの今回の公演では、指揮:ルイ・ラングレ 演出:リチャード・エア 出演:クレモンティーヌ・マルゲーヌ(カルメン)、ロベルト・アラーニャ(ドン・ホセ)、アレクサンドラ・クルジャック(ミカエラ)、アレクサンダー・ヴィノグラドフ(闘牛士)の布陣である。 ジプシー女に虜になる真面目な兵士の人生・・恋人ミカエラの嘆き。間奏の間に踊られるダンスやフラメンコ。新演出のカルメンであったが回転舞台を多用しMETならでは大がかりな仕掛けに圧倒された。 カルメンが歌うアリア「Habanera(ハバネラ)」、闘牛士エスカミーリョが歌うアリア「Votre Toast(闘牛士の歌)」、ホセが歌うアリア「la fleur que tu m'avais jetée(花の歌)」、ミカエラが歌う「Je dis que rien ne m'épouvante(私がかつて愛した人は汚れてしまった。)」など名曲揃いのオペラであった。 驚いたことに、ドン・ホセのロベルト・アラーニャとミカエラのアレクサンドラ・クルジャックはご夫婦で5歳の子供がいる。 ドン・ホセを演じたロベルト・アラーニャは、2013年のMETオペラ「アイーダ」でアラーニャ(T) (エジプト将軍)として演じているし、また2018の8月にアンコールのライブビューインされた「ドン・カルロ(2010年のMETオペラ)」のドン・カルロ役を演じている。またサムソンとデリラサン=サンーンスの「サムソンとデリラ」にも出ている。ひっぱりだこのテノールである。終演後はいつものように銀座コアにある「つばめグリル」で乾杯。■スペインにおける闘牛の現状・・動物愛護の観点から残酷なショーが行われなくなりつつある。スペインの国技なのであるが致し方ない。2011年からはTV放送が禁止。2012年からはカタルーニャ州では闘牛禁止。マドリードやセビリアでは土曜祝日、サン・イシドロ祭の1ヶ月は毎日と続けられている。カルメンに登場する闘牛士は、正闘牛士 Torero matadorで、闘牛競技の主役で、牛に止めを刺す闘牛士である。すこし紹介すると。1チームは6人。・槍士 (Picador:ピカドール2人)・・馬上から牛の肩の瘤に槍を突き刺し牛を弱らせ、頭を下げさせる。・助手で銛打ち士(banderillero:バンデリジェーロ、バンデリリェーロ3人)・・表はピンク裏が黄色の布・カポーテで牛を挑発する。 闘牛士に、牛の運動適正や性格を判断させるため競技前半に牛を操る。ピカドール登場の後、二本の銛をもった銛打ち士が登場。二人が交互に三回、計六本の銛をうつ。・正闘牛士(Torero matador(トレロ・マタドール、マタドール1人)・・赤い布・ムレータを持ってさらに牛を操り、剣で45度の角度で大動脈・大静脈を狙い止めを刺す。うまくいくと観客は白いタオルを回す。逆の場合は緑色 その他 用語・・逃げ込む柵・・「ブルラデーロ」・・徒然の記その5 相原高校の移転 2019.3.12(火)■神奈川県立・相原(あいはら)高校がこの4月から場所を2kmほど西に移動し、開校する。橋本駅前のリニア新幹線建設に伴う移転であるが、民主党時代に蓮舫さんが推し進めた事業仕分けの影響で能力開発大学校が閉鎖し、機能の一部が小平へ引っ越したためその空き地を利用する形となった移転である。 相原高校は、商業科と農業科を併置している全国的にも珍しい高校であり、敷地内に養豚場や畑があり非常に敷地面積の広い高校である。その規模は周囲1.5km 面積10ha(東京ドーム4.7haの約2倍)を誇る。例えば、県立相模原高校の場合で言うと、周囲1km、面積 5.3haの2倍の面積を擁している。 一方、旧能開大の敷地は、周囲2.4km、面積25haとこれまたとてつもなく広い。これを相原高校と、JA相模原協同病院の新病院移転新築で分割し、相原高校が、周囲1.5km、面積12haという東側半分を占有することとなり新装openという次第である。 新しい敷地は相模川の河岸段丘にあるためいたって見晴らしがよく丹沢山系が見通せる風光明媚な場所になっている。新校舎や体育館、その他の施設やグランドがピカピカの状態で生徒を待っている。校門への広い道路も主要道路から導かれ、このあたりの風景が変わってしまった。 カミさんが以前非常勤として能開大の国際部のコーディーネーターを務めていたりしたが、小平移転に伴いやめている。学生寮だった場所は畑などの実習農場に生まれ変わっている。 runningコースにはこの地域も入れて今後とも変遷を見守っていこう。今後は4月から工事が始まる新病院(2020年開院予定)の進み具合など。■フードの無い極薄の信号機・・running途中にフラットな信号機を見つけた。交差点の改良工事が終わった場所に新しく設置されたのだ。LED照明であるが、サンバイザーのようなフードがなく、ペシャンコな板で塗り絵のようにその部分が赤青黄と点灯するだけの厚さ6cmの信号機である。大型iPhoneがあって、その中に3つの丸が点滅していると思えば分かり易い。 こんな威厳の無いおもちゃのような信号機は初めて見た。世間に登場しはじめたのは2016年のようである。もともとは豪雪地帯用に開発されたものらしい。フードを設けず、薄くして傾け、雪が積もらないようにした。20度前傾している分、特殊レンズを付けて屈折散乱させ光を前面に届きやすくしているのだという。 わが相模原など雪なんか降らないのだが、見易く安価であると評判なのであろう。 国道ではまだお目にかからないが、徐々に浸透していくのであろうか。新しい信号機は、都会の景観が変わってしまうほどの大変革である。徒然の記その6 第99回 山谷ミニコンサート 2019.3.15(金)■第99回山谷ミニコンサートが台東区日本堤にある「神の愛の宣教者教会」の集会所で開催された。チェロとフルートSolo演奏に続いて合唱タイム。「春がきた、どこかで春が、わたしをお使いください、東京ラプソディー、青い山脈、街のサンドウィッチマン、北国の春、いい日旅立ち、花は咲く、365歩のマーチ」(太字の部分がViolaによる伴奏) 春らしい曲が集められている。「どこかで春が」は先日のH邸ホームコンサートで合唱の伴奏した曲であるが、その時の譜面は今回のを使わせてもらった。♭が4つある楽譜であったが、#3つの楽譜よりも半音低く歌いやすかったからである。■泪橋ホール:ミニコンサートの帰路といっても徒歩200mの場所にこの映画館がある。コンサートのギャラリー皆に2月9日openしたばかりの「泪橋ホール」を案内してあげた。昭和時代の映画が楽しめる喫茶店である。なぜかガラス戸からは中が全く見えない。不思議に思って鼻をこすりつけるように見ていた店である。皆で覗いていたらそのオーナーの妹さんという人が店を開け始めた。これ幸いと、店の中に入ったら、なんと黒かったのは、スクリーン用のカーテンで14:00からと19:00からの2回の上映をやるのだという。その間に喫茶を注文するのだという。喫茶ながら餃子が人気だという。映画が始まっている場合の入退場は、店の外側にある露地から入るのだという。なんともレトロな店が、この日本堤に出来たものだ。都道464(通称吉野通り )に面して泪橋交差点から100m南。 この辺りは安ホテル群がある場所で、傑作なのが、その入居募集である。「年金生活者、ドヤからアパート、生活保護、保証人不要」。”年金生活者”なら小生も立派に合格している。徒然の記その7 秩父観音巡礼その5 2019.3.16(土)■今回は、31番札所の観音院と、32番の法性寺の2寺のみ。30番の法雲寺からは16kmも離れているため、この歩行はパスし、西武秩父駅から観音院の最寄バス停までバスで向かうことにする。それでもバス停から往復6kmもある。 今回予定した2寺を徒歩ですべてを回ると19kmとなるためその間も、バス利用を図ったりと、なかなか戦略が難しい区間である。ガイド役としては相当の日数を準備に費やしたがどうだろう。 当初の予定は、「西武秩父駅9:20→(バス)→10:05小鹿野車庫→2.2km→栗尾→3km→31.観音院(474m)→3km→栗尾→(バス)*→小鹿野町役場→3.2km(大日峠401m)→32.法性寺→2.1km→長若**→1.9km→松井田 15.4km (バス)*に乗らなければ[+3.6km] 長若**から町営のバスに乗れれば[-1.9km]」と何パターンか選択肢を設けてある。これに雨が重なると峠道をパスしたりと。 今回が三度目の正直で、全員ちゃんと「西武秩父駅」に来れるだろうか。結果としてyes。西武特急「Laview(ラビュー)」(小田急版ロマンスカー)のデビュー日とぶつかり鉄道マニアが大勢押し寄せたために特急に乗れず遠回りしたり時間ぎりぎりの快速で来たりと集合時間に間に合わすために肝を冷やした人が数人。駅前は大変な人混み。太鼓連が出て一番列車の乗客を歓迎するなど。8人が9:20までに揃い15.4kmの旅を楽しんだ。雨模様の天気予報は”見事に”外れ時々お日様の差す早春の秩父路であった。徒然の記その8 詐欺電話050-5806-9556 2019.3.12(火)■「川崎・夜景」のあるサイトで無料の地図をダウンロードしようとした矢先にビープ音がけたたましく鳴り響き、画面がめいっぱいMicrosoftサーポートセンター「050-5806-9556」に電話しろという画面に切り替わった。 今思えば、「無料の地図」という文言がおかしかった。地図なんて無料に決まっているのだ。『このまま放置すると5分以内にPCがハッキングされる』という恐ろしい警告である。Ctrl+Alt+Deleteボタンを使ってタスクを終了させようとしても画面は切り替わらず、警告画面のままである。 しようがないので電源を長押しして切った。何と、どこからかそれでもメッセージが執拗に繰り返される。PCの電源が切れているのに、どこからか音がするのである。 こんなの怖くない? 慌てず騒がずこういう時はよくあるようにコンセントを抜くことである。「電源reset」という手法である。コンセントを抜くとやっとPCが静かになった。 電話番号は控えて置いたので、「050-5806-9556」に電話をしてみた。何回か試すと繋がった。busy状態が続いていたのだ。「Microsoftのセキュリュティセンター」であるという。他にもいろいろと話声が聞こえる。皆アクセスしているのだろう。 エラー番号を教えてくれと言う。電源を切ってあるので分からないというと、電源を入れて再度立ち上げてみてくれという。その間3分ほど。相手は言う。セキュリティソフトは入っているのかと。yesと応えるとセキュリティソフトが入っていても、ジャンクファイルなどゴミが溜まっているとセキュリティ機能が「弱くなる」のだと。 PCクリーンソフトなどを入れて永久的に整備する必要があるであろうと。例えば永久に使えて7万円だという。毎年5千円を20年間使ったとするとこちらの方が安いという。よもやま話をしている間にPCが立ち上がりいつもの画面がでてきた。 セキュリティセンターの男性は言う。Ctrlキーの横にある「Windowsボタン」と「R」ボタンを同時に押してくれと。「ファイル名を指定して実行」というウィンドウが立ち上がった。 そこへ「www.anydesk.com」と入力してくれという。リモートでパソコンの状態を見れるのだという。ここで、怪しいと思ったのだ。URLにmicrosoftの名前が入っていないためだ。一旦電話を切るといって会話を中断した。 そこでタッブレットのほうから「www.anydesk.com」を調べてみると、リモートでコンピューターを接続できるソフトでファイル転送機能を内蔵しているものだという。 続いて「050-5806-9556」を検索すると、なんと「ウイルス感染のサポート詐欺グループの電話番号」で、遠隔操作「TeamView」をダウンロードさせられるという。電話を切ってよかったのだ。このままいくと詐欺グループがパソコンの内容を盗み取ることが可能となり、ウィルスを植え付けて修復用に金を請求することになるやもしれず。桑原桑原。 やめておいてよかったと。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Mar 16, 2019
コメント(0)
H邸ホームコンサート、カップヌードル_ story (4384)2019.3.9The blue sky of Spring will not last for 3 days.This is the reason that the moving high pressure is influenced by storong westerly wind and it passes so quickly.Conversely, the dark rainy days will not last so long, so the shining sun will return soon and tell the flower's visit. In Tokyo it is predicted that the cherry blossoms will be on March 21 and the full bloom will be on 29th.春に3日の晴れ間なし。春の晴天は3日と続かず、天気の変化が早い。春は上空を流れている偏西風が強いため、高気圧や低気圧の移動速度が速く、高気圧に長時間覆われることが少ないためである。逆に言えば、暗い雨の日もそう長くは続かないということで、輝く太陽はすぐに戻ってきて、花の訪れを告げる筈である。東京では桜開花予想が3月21日、満開日が29日ということである。■今週の1枚Yanagibashi bridge from Asakusabasih bridge,Kanda riv. joins Sumidagawa riv.(神田川河口と柳橋 2019.2.20)浅草橋からの風景は、東京マラソンコースの目玉であるが、走りながら描いているため線がおぼつかない。3分スケッチと、割りばし画でまとめてみた。船の風景は子細に観察すると沢山の線が存在するはず。もっと近影だけを描いても面白いのかもしれない。pp(ピアニッシモ)、p、mp、mf、f、ff、アクセント、Sf、cresc.(徐々に強く)など音楽の要素がすべてこの風景にある。心して描かなければ!目次徒然の記その1 宮地楽器アンサンブルの集い徒然の記その2 旅の準備 徒然の記その3 加藤登紀子著「自分からの人生」 徒然の記その4 女性の認知症リスク徒然の記その5 天狗の集まり徒然の記その6 カップヌードル徒然の記その7 Viola Lesson徒然の記その8 栃谷戸(とちやと)公園へ徒然の記その9 H邸ホームコンサート徒然の記その1 宮地楽器アンサンブルの集い 2019.3.3(日)■府中駅前のLe Segne(ル・シーニュ)の5F・6Fに「バルトホール」なる多目的の会議室がある。全自動で、客席がせり出し、舞台が設定されて、300席のコンサートホールに生まれ変わる。そこで”音楽の友”が習っているアンサンブルグループの発表会があるというので、午前のオケ練習のあとブラリと寄ってみた。10年選手といった弾き手がいろんな曲を披露していた。 最後の「Ensemble Miyaji-Tokyo」はプロ集団のような団体で、3年毎にイタリアのクレモナに行って演奏するという20人くらいのグループが昨年の演奏旅行で弾いた曲というのを披露していた。半数がクレモナ製のViolinなどを持っているというから驚愕である。この中に「珊瑚の会」の方がおられびっくり。 別のは、宮地楽器の小金井センターで習っていたOB/OGというグループで、いまでも時々集まり施設などの訪問演奏をしているという。こちらは全員立っての演奏で躍動感があった。 彼らは膨大なクラシック音楽の中から、アンサンブルに適した曲を選び、編曲しなおして演奏会に臨むという姿勢で音楽を続けている。なかなか良い音楽のモチベーションではないだろうか。演奏曲目一部紹介:・小金井センターAMクラス・・ホルスト「ジュピター」、ベートヴェン「交響曲第6番『田園』より第1楽章」、・小金井センターOB/OG・・P.マスカーニ 「カヴァレリアルスティカーニ間奏曲」、R.ロジャース「サウンドミュージック・メドレー」・Ensemble Miyaji-Tokyo・・ベートーヴェン「ClとFgのための3つの二重奏」をクレモナ製のVnとVcを持った二人が弾く。ヴィヴァルディ「調和の霊感よりOp.3-11」、ヴェルディ「「ナブッコ」より「行けわが思いよ、黄金の翼に乗って」」徒然の記その2 旅の準備 2019.3.3(日)■どこかに旅立とうとした場合に、準備に要する時間は? 小生の場合は5分で十分である。ところが1週間もかかる人がいるというから驚く。コツは日頃の整理整頓にある。前の旅や、毎日の洗濯の仕舞い具合から準備が始まっているのである。 タオルにしてはその分別に10通り。フェイス、ボディー、バス、キッチン、手拭き、スポーツ、・・というように分類しておくのだ。スポーツの時はそこから取り出せばよい。 服装類などは、帽子、メガネ、手袋、アンダー、普段着、長そで、半袖、ロング下着、ショート下着、スポーツ靴下、普段靴下、ハンカチ、速乾手ぬぐい・・。 リュックの大小やポシェットや細々とした諸物なども分類して別々に収納しておけば、旅やスポーツの時はそこから一つ一つ取り出して順番に身に着けたり、スタッフバッグに詰めていけばよい。おやつなどは日ごろから補充しておく。 3分ですべてが揃う。最後に、スケッチブックを含める。忘れ物リスト(財布など30点)にさっと目を通しさえすればokである。熊野でも東北でも行先の天候などによって組み合わせは100万通りというように。頭を回転させれば、いや身体を回転させていけば360度一回転ですべてが揃う筈である。 あと、グラム数を計量して増減させて行く。合計時間5分で、旅の準備および装束が決まり、順繰に履いている靴を選び、玄関先につっと立つことができる。行ってまいります! 「あなた! どこに?」徒然の記その3 加藤登紀子著「自分からの人生」 2019.3.4(月)■3/2(土)にあった茅ヶ崎市民文化会館での加藤登紀子 百歌百会というコンサートで、終演後に1日に出たばかりの本「自分からの人生」を買った。朝日新聞の日曜日に連載されている「ひらり一言」という縦書きの欄に、詳細な解説がついて本になった。4章から成る本は、第1章が人生の0~25歳未満で「ひらく」というタイトルで子供たちに声をかけるような「ひらり一言」が並ぶ。以下、第2章が25~50歳未満で「はしる」のタイトルで思春期への一言が、第3章は50~75歳未満で「こえる」というタイトルで人生真っ只中の極意に関する「一言」が、第4章は、75歳以上で「めぐる」というタイトルで、今だから言える人生の醍醐味に関する「一言」が並ぶ。これらは人生訓のような形で新鮮であり、なるほどと感心する場面も多々。1~4は第何楽章として曲に喩(たとえ)てもよい。第4楽章など最終楽章として気合が入っている。 例えば、第4章にあった「力を抜くことに、力を入れていきましょう。」は即Violaに役立つ言葉であった。 第3章にあった「遊びを深めると仕事になり、仕事を極めると遊びになる」なども含蓄があることばである。なかなかいい得て妙であるが、線で示すと「遊び」→「仕事」→「遊び」となり、「好き」を仕事にしている音楽家のような人生を言うのであろう。 別の観点から論述すると、かって所属した学生オケの場合は、「音楽>授業」で、授業よりも音楽がなによりも優先された。会社生活においても、「趣味>仕事」で、仕事が忙しくて趣味を休むというのは言語道断で、趣味が忙しくて仕事を休むくらいの人が人生を上手に切り開いていくようである。こういう人は定年前に会社をやめ趣味一本の生活を送る。Violaの先生がそうである。 我々の仲間は大体において、趣味→仕事→趣味と変遷させ今日に至っている。 第1章にあった「ジッとしていない。黙っていない。放っておかない。」も大阪のオバチャンのようにお節介焼きの精神はもともとわれらが国民の特技ではなかったかと説いており面白い。小生そのものであるので驚く。徒然の記その4 女性の認知症リスク 2019.3.5(火)■認知症用の保険というのがあるらしい(認知症診断一時金保険)。掛け金は女性が高いのだという。女性の方が圧倒的に認知のリスクが高いという話である。長生きなので、リスクもそれなりに高いのがわかるが、「圧倒的」という言葉が使われるほどの差があるのであろうか。確かにご近所の例でも奥様がぼけている。 夫が独善的(自分が正しいと強く主張する男性)であったりすと、配偶者が認知症になる可能性が高いという。これは何かをするときに妻が必ず夫にお伺いを立ているようになり、女性が頭を使わなくなるからだという。これらの対処方法は、夫と妻が自立した生活をする。すなわち夫婦別々に趣味を持ち、お互いにあまり干渉しないようにすればokなのかもわからない。 その意味で拙宅は全く問題がないであろう。逆説であるが、台所は女性に任せておくほうが女性が頭を使い、家族に頼られているということを自覚させ、活き活きと生き、よってボケないのではないだろうか。少々上から目線になってしまったが。夫婦の場合はあまり男性がいばり散らすことのないようにしなければならないのだろう。心しなければならない。徒然の記その5 天狗の集まり 2019.3.6(水)■旧サラ文幹事の集いが毎月第一水曜日にいつもの新宿大ガード近くの居酒屋「天狗」で、いつものコーナーで。・・と思いきや、この日はそのコーナーが1ヶ月以上前から予約されていた。そこですぐ隣の席へ12名ほどが窮屈にも押しくら饅頭のように、いや雀の集団のように並んで歓談していたのだ。 なんと我々の定席には毎月第3水曜日に集まるという8人の”格好いいい男女”が座って歓談していたのだ。すこし気になりどんな団体なのかを聞いてもらった。なんと日比谷高校S42卒の集まりでバンドを組んで演奏活動をしているグループだという。全員4月以降の学年時で71歳になる団体である。Violinを持った女性もいた。Ayaban71という怪しい楽団だそうだ。”毎年進化する”といううたい文句は確かに。69,70,71というように名前が変わっていくようでギャグが利いていて傑作。なかなか日比谷高校卒だけあって諧謔に飛んだ楽団名である。チラシをメールで貰ったが卒業アルバムの写真が使われ、各自にバスコダ○○とかマリア○○などと芸名が付いている。そのライブが六本木の「サテンドール」で3/16(土)にあるというのだ。小生は行けないので残念であるが、こういう邂逅もまた楽しい。徒然の記その6 カップヌードル 2019.3.7(木)■朝ドラの「まんぷく」が活況を呈してきた。日清のラーメンはこの3月で過去最高の売り上げを記録したという。おそらくラーメンをすすりながらこのTVを見ているか、TVに影響を受けた人達が爆買いをしているせいではなかろうか。 TVに影響を受けやすい小生も例外ではない。今朝など、夢にまで出てきてしまった。カップ麺を生み出すストーリーが夢で延々と演じられているのだ。おかしい。登場人物が色々と工夫しながら製作にあたっている場面がそのまま夢になっているのだ。困ったのは小生の立ち位置で、どうもカヤの外のように、なすすべもなく同じ場所に居てうろうろしているだけで役づくりにはなっていない。何かをしたいのにさせてくれないのだ。このドラマは日常生活をそのまま映しているような作りとなっているためか、夢でも再現されていったのではないだろうか。台所を占拠してダシを工夫しているときに、他の家族が食べていたのは夢ではおしいステーキであった。その僕がよだれを垂らしながらそれを見守っているところで目が覚めた。不思議な夢である。 実際のカップヌードルの初体験は、野沢にスキーに行ったときバスが休憩に寄った道端の雑貨屋で買ってその場ですすった経験。お湯付きの自動販売機があったと記憶するが。1970年の思い出である。浅間山荘事件(1972,2)の時に、機動隊がすすっていたので一躍有名になった。徒然の記その7 Viola Lesson 2019.3.7(木)■今日も叱られる。一応年上なのでそれに歯向かう。もう漫才で大笑いである。 シンコペのリズムが♪♩♩♩♪・・の塊を弓順で弾く場合、弓の相対位置は次第にずれてくる筈で貴方のは変わってきていないと怒る。しかし帰りの電車で計算してみた。数列の固まりの最後は位置が「0.25」に戻っている。これは小生の方が正しい。 0.25 -0.25+0.5-0.5+0.5-0.25 +0.25-0.5+0.5-0.5+0.25 -0.25+0.5-0.5+0.5-0.25・・・・=0.25で位置は変わらないので小生が正しいことがわかる。先生のは小節ごとに弓の位置が根元側に寄ってきているのだ。数式のどこかに強調があるのかもしれない。この先生0.3mmなどの数値を嫌う。頭で考えよと言う。 弓の構え方が違うと。右手は卵を掴むように丸く弓を支えよと。貴方のは親指が反り返って掴み、小指もピンと張っているのだと。小指は先端が垂直にそっと弓に触れるだけでup弓の根元に来た時のみ触れる程度でよいのだと。このあたりはプリムローズのヴィオラ奏法「Playing the Viola /conversations with Wolliam Primrose」で写真が載っていた筈。チェックしてみよう。 初速度が乱暴であると。pp(ピアニッシモ)でそっと弾いている筈なのに、聞くと音が乱暴らしい。このあたり頃合いが難しい。力なく擦れたような音でも困るし、Sotto Voce(ソット ヴォーチェ)にということらしい。最も難しい。パルスのような立ち上がりを求めているf(フォルテ)の弾き方では、初速度0ながら急激な音の粒を生み出さなければならい。 音符が読めていない。そんな風に書かれていないと怒る。雪崩れ込むような音形ではない。単純な音の羅列でも音楽性を持って歌えと言う。 Johann Straußの皇帝円舞曲(ウィンナーワルツ;Kaiser-Walzer)も練習。3拍子リズムは均等ではなく2拍目がちょっと前に飛び出すようなウィーン風を。円を描くような円舞曲風に弾かなくてならのない。 足で便宜上取っているリズムのパタパタご聞こえない! 足の力が無いのかと。足までも文句を言われ! 音を出す前に音程をイメージしろ。口で声を出して歌うのではなく心で、頭で正確に鳴らせ! ハイポジションの音の羅列でも、1オクターブ下げてイメージを掴むなど工夫をしろ。 今までのを要約すると、「貴方は頭を使っていない」となる。徒然の記その8 栃谷戸(とちやと)公園へ 2019.3.5(火)■”段々畑のある里山”を実現した公園は今梅が満開。展望台があり、富士山を見る事が出来る。「八王子八十八景」及び「関東富士見百景」 に選ばれており、11月下旬と1月上旬にはダイヤモンド富士が見られる。 拙宅からは8kmと少々遠い。行って同じ道を帰ってくるだけで16kmもあるからだ。それを「相原」などを経由した大回りだと20kmを越えてしまうので午後から出かけるときは相当の覚悟が必要である。 なんと、自宅までの帰り道を走っていた時だ、カミさんの車が通りかかったようで救助されてしまった。「よろよろとつんのめるように走っている人を見た。貴方だったのね」と。プーと鳴らして車が止まった。娘と午後のお茶をしての帰りという優雅なご身分である。 栃谷戸(とちやと)公園は横浜線の「八王子みなみ野駅」から直線で1.2kmであるが、標高は40mほど高く、坂道が続く。相模原市から入る場合は、相武カントリーの峠をひとつ越える回り道となる。 「みなみ野」は、周囲7.6km、面積300ha。長軸2.5km、短軸1.5kmもある新興の大団地で住宅やマンションがびっしり立ち、さながらのニュータウンである。JRで通過する部分でも2.6kmもある。団地が見えてもなかなか駅に到達できない理由がわかった。地域を支えるのは循環バスなどであろう。起伏が駅前の124mから丘最上部の178mまでの50mの落差がある。その最北西端に栃谷戸公園があるのだ。 ついでに調べてみた。多摩丘陵には他に巨大なニュータウンが2つもある。歴史的に古いのが、永山から多摩センターにかけての多摩ニュウータウンで、周囲12.6km、1000ha、続いて、堀の内から南大沢にかけての「多摩ニュータウン西部地区」で周囲16.7km、583haで、驚愕するほどの広さで、合計すると、山林を合わせ東西15km、南北5km、2880haもある。東西に走る町田街道や南端の南多摩尾根幹線道路が小生のrunningコースでもある。徒然の記その9 H邸ホームコンサート 2019.3.9(土)■今日は気分を一新して楽しいホームコンサートを! ピアノを弾く方の家にフルート、クラリネット、ホルン、ヴィオラなどを持って11人が集まり、午後から音楽会が開かれた。 openingはクラリネットとViolaのDuoで、マスカーニの間奏曲を弾く。事前に2階ですこし練習。第一部はそれぞれ持ち寄った楽器やピアノでSolo演奏。二部は、バラエティー音楽会で、春の歌を歌う。一部で弾いた人たちが伴奏を務める。クラリネットのチャルダッシュ(Csardas)やピアノでの服部克久の「 ル・ローヌ」などなかなかの熱演.小生はビーバーの「パッサカリア」、ホルストの「ジュピター」などで遊ぶ。途中休憩を挟んで第二部へ。ギャリラリーも全員参加しての合唱タイム。最後に小謳い(こうたい)が飛び出した。「鶴亀」「高砂」「千秋楽」が吟じられびっくり。厳かな雰囲気。16:00位に散会。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Mar 9, 2019
コメント(0)
METオペラ「アドリアーナ・ルクヴルール」、ツィメルマン_ story (4383)2019.3.2Following last November, We enjoyed opera with MET 's live view in with high school opera friends. This time is Francesco Cilea's work ; "Adriana Lecouvreur " which isrequied high singing ability and heavy orchestra. I was fascinated by the stage directed the stage of Paris Comédie-Française(Théâtre-Français) in 1730.11月に続いて高校のオペラ友達とMETのライビビューインでオペラを楽しんだ。今回はチレアの作品で「アドアーナ・ルクヴルール」である。驚きの歌唱力。重厚なオーケストラ。新演出ながら当時の衣装や当時の”舞台”を再現した舞台に魅了された。■今週の1枚Nihonabashi bldg.(日本橋)日本橋左岸脇の展望台から日本橋を眺める。早春の光景になろうか。芽吹き前の枝が風に揺れている。ここを中心として1.5kmに渡って首都高速都心環状線の高架が地下化される運びとなった。この見納めに「鬱陶しい景観」をスケッチ。本来の日本橋が姿を現したらまた同じ場所から描いてみよう。目次徒然の記その1 ヘミオラ hemiola徒然の記その2 Violaパート練習と懇親会徒然の記その3 夕庭(ゆうにわ) 徒然の記その4 大江戸線ロングトレールその2徒然の記その5 METオペラ・ライブビューイング「アドリアーナ・ルクヴルール」徒然の記その6 クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル徒然の記その7 朝日新聞 ReライフFestival徒然の記その8 加藤登紀子 コンサートと30km走徒然の記その1 ヘミオラ hemiola 2019.2.24(日)■シューマン ピアノ協奏曲 第3楽章に 3拍子のリズムながら2小節をまとめて大きな3拍子のようにした”ヘミオラ”が出現する。今日のピアノ代奏を務めたのは当団のVcの女性である。♩ζ♩ ζ♩λ♪ ♩ζ♩ ζ♩λ♪・・・の3/4のリズムでは、第1小節の♩ζ♩と第2小節のζ♩λ♪(ここではζを四分休符、λを8分休符としている)とで大きな3拍子(1,2,3)と感じる。 強拍が本来の位置からずれるため3/2のシンコペーションのように聞こえるのだ。この「ヘミオラ」の例では、もとの4分の3拍子の拍節感は消え去って、突然テンポが半分になってしまったように感じる。音楽の上での遊びのように面白い。この大きな3拍子でも、3.1.2と裏打ちのリズムから始まるのでややこしい。3楽章ではこれが際限なく繰り返され、驚きの新鮮なリズムで頭が刺激される。■武蔵府中 Le Signe(ル・シーニュ:Sainサインを意味する仏語)・・京王府中駅に新しくできたshoppingモールであるが、地階に「府中の森芸術劇場」の分館ができたので、最近はここも練習会場の一つとなっている。東府中にある芸術劇場と違って府中駅徒歩0分であるので至って便利である。特急の止まる駅でもあるのでアクセスもよい。 5階には府中市民活動センター「バルトホール」があり、小コンサートを行える。かってここには電気屋や和菓子のお店が軒を連ねていたがそれが再開発されて高層の住宅兼店舗群の多目的ビルに生まれ替わった。府中がどんどん良くなるので「元府中市民」の小生には羨ましい限りである。 地下2階の練習室は、オケ全員が入ると多少窮屈であるが、弦楽器などの分奏であれば逆に余裕が出る。2重トビラで完全防音である。この扉が傑作。移動式の磁石付きのストッパーが2つもついているのだ。高さをうまく調整しないと、滑っていきストッパーの役割を果たさない。ゴムの足で踏ん張る様は、人間が頑張っている姿にそっくりで、つま先を地面に付き必死にこらえている。1mmでも滑り始めると支えきれないがその微妙な塩梅がなんとも言えない。笑ってしまった。徒然の記その2 Violaパート練習と懇親会 2019.2.24(日)■ピアノ協奏曲→大学祝典序曲→シューマン交響曲1番「春」の順でパート練習を「中央文化センター」で行った。13:00から16:30という時間でだいたいの譜面を通していく。Sf(スフォルツァンド)の処理がまずい。強く弾いた後急激に落とさなくてはならないのに、強いままとなっていると指摘。オケ全体でも言えるが、音が減衰していないとよく注意を受ける。逆にff(フォルテッシモ)の場合にずっとffでなければならないのに、keepされていなく、減衰することも多い、cresc.(クレッシェンド)はリニアに反応するのではなく、exponential的に(指数関数的に、最初弱く、後半で強くしていく)弾いていくなどドイツ音楽特有の正確な表現能力が求められる。どこもアバウトなところがないのであると。日頃のアバウトな性格がこういうときに仇になる!■懇親会・・メキシコ→ボリビア→中国と各国で英語を教えてきた米国人が日本に渡り現在Violaパートに居る。近くのアメリカンスクールの教師である。ご 主人が先生という人も含めて、Vaパートにはなぜか学校関係者が多い。元団員のご主人も参加された。英国文学が専門で特に辞書編纂にも貢献したSamuel Johnson(サミュエル・ジョンソン)の研究者である。 ロンドンで4年を過ごしたというご婦人は、Tudor Garden(チューダーガーデン)や West Acton(ウエストアクト)に居たということで話が盛り上がる。 大学の日本史の先生は「室町時代」が専門で呉座勇一が火を付けた形でブームとなっている。共著の本がよく売れると、何か得したような気分かもしれない。ここでも介護や「ピアノの森」のアニメの話しがでたり、話しは360°いや720°くらい回転し尽きない。唯2時間というタイムサービスのリミットがあったので、重い腰をしぶしぶ上げた。徒然の記その3 夕庭(ゆうにわ) 2019.2.24(日)■丸山健二著 萩原正美写真の本「夕庭(2002 朝日新聞)」を読んだ。芥川賞作家が、文学と庭を極めようとして作っている庭の写真と随筆である。ほうぼうにある庭園もまねできないような緻密な構成となっていることに驚愕をしてしまう。 北アルプスの借景や周囲の田畑にうまく解けこみ一大絵巻のような風景である。爾来17年もたつが、現在の庭を拝んでみたくなった。母屋が超近代的な造りとなっているので、安曇野に行けばすぐ探せる家ではないだろうか。確か海抜が700mと大町台地の標高である。白い花を基準に、庭一面に立体的な波を描くように何千種と秩序だって育てられている。朝の3時間の執筆活動の他は、日中のほとんどを庭仕事に費やしているという。・バラ類・・エル・ディ・プレス・ウエィト、同バル・カロール、マダム・ハーディ、ドゥプ、ステンレス・スティール、ウィンチェスター・カセドラル、グラミス・キャッスル、ヘベス・リップ、バロン・ジロー・ドゥ・ラン、シュロップ・シャイア・ラス、ザ・プリオレス、ダスキー・メイドン、ジャクリーヌ・デュプレなど20種ほど。・可憐な花類・・シラユキゲシ、ヤマボウシ、ケシ(メコノプシス・グランディス)、スカピオサ・コーカシカ、ミカイロフスキー、フリチラリア・メレアグリス、原産チューリップ・トルケスタニア、同アルボコエルニア・オクラータ、シライトソウ、オオヤマレンゲ、ジャーマン・アイリス、キキョウ、ボタン、シュウメイギクなど。・小灌木類・・ハギ、ベニバナヤマシャクヤク、ローダス・ホワイト(シャクヤク)、オオヤマレンゲ、サンショウバラ、クレマチス、ボケ、キンキマメザクラ、ユキヤナギ、ヤマブキなど。・山野草・・サラシナショウマ、ツユクサ、ソバナ、シラネオアイ、オオバナエンレイソウ、ヒトリシズカ、キバナアツモリソウ、タマノカンザシ、ハコネシモツケソウ、ヒメシャガ、原種シクラメン・アルバ、フジバカマ、ホタルブクロ、ミズヒキ、カタクリ、タツタソウ、シュウメイギク、マンネングサ、ニワゼキショウ、アッツザクラなど。 究極の庭とは・・「得もいわれぬ安らぎに包まれ、この残酷な世もまだ棄てたものではないと実感でき、こういうところで最期を迎えることができれば申し分ないと思えるような空間である」という。バラの植栽においても、「いい芸術作品というものは、パワーとボリュームに満ち、しかも気品によって支えられていなければならい」と手を抜くことはない。始終庭にはいって手入れをしているがさりとて欲張らない。抑制こそが気品を生み出す母親である。抑制だけが情念の噴火に直結する火道である。」としてこらえている。 このあたりが凡人の作る庭との違いになっているのであろう。これらはブナやイタヤカエデなどの緑陰のもとに多数植えられたものであるが、厳冬期には雪の下になり庭が静まり返る。降雪時でも絵になる風景があるという。 これを見ると拙宅の庭など、ヤマブキ、イチジク、キチジョウソウ、ドウダンツツジ、ドクダミ、スカシユリ、アガパンサスや野菜のノラボウナぐらいしかなく、とても貧相に思えてくる。芝生を山野草の庭に変えて小石の散歩道でもつくればよいのであろうか。こっちは庭越しに、近所の住宅か、植木屋の庭と丹沢の辺縁の山々を借景にしているだけで、圧倒的な北アルプスの山並みがない。徒然の記その4 大江戸線ロングトレールその2 2019.2.27(水)■大江戸線全42kmのうち、輪っか部分の30kmを2回に分けて歩いている。昨年10月17日の歩き塾「都内近郊シリーズ ロングトレイル大江戸線を行く」はその初回でループ状の路線を、都庁から反時計回りで六本木や築地経由でで門前仲町まで歩いた。第2回目の今回はその残りで、門仲から御徒町、後楽園を経由して新宿まで14.8kmを歩いた。 門仲ではトリュフを生地に練りこんで焼くトリュフベーカリーがあるというので集合1時間前の8:30に現地視察。しかしここでしくじった。9:00 openと同時に再度駆け付けた時には長蛇の列。人気の塩トリュフパンは開店時間にはすでに予約分で売り切れており、予約後半の分を新しく焼いているので待ってくれとのこと。20分ほどか。いかに人気が高いかというベーカリーである。パン奉行から熱いうちに食べたほうがペチャンコにならず良いであろうと電信が入る。買った客もイートイン形式に立ち食いをしていた。集合場所に戻るとほぼ全員が揃っていた。幾つか伝言をした後2,3班に別れて北向きにスタート。近くの清澄公園で、買ったパンをさっそく食べる。その美味しかったといったらない。 この日のコースは、3日にある東京マラソンのコースと一部重なる。「門前仲町」と「石原一丁目」(蔵前橋通りと清澄通りが交差するpoint)の3kmが同じである。9:00-14:00の間、交通制限があるなどの看板が立てられいる。先頭集団と最後尾で5時間の開きがあるということである。20-21kmポイントでこれほどの開きが付くということであるが、逆に言えば制限時間7時間以内に走り終わらなくてはならないため、21kmに5時間もかかっているようではゴールには到着できず、打ち切りになるという厳しいレースでもある。NYマラソンの場合は確か24時間以内という制限時間であったように記憶する。足の悪いランナーがサポーターを大勢引き連れて翌朝の朝にゴールしていた感動のシーンは東京では見られない。さて、話しを戻して、 清澄公園の手前で奥の細道出立の場所の採荼庵(さいとあん(荼=にがな、のげしの穂) ) を通る。一昨年奥の細道紀行の初回で訪れた場所でもあり懐かしい。両国駅北側の江戸東京博物館や相撲町公園(関東大震災の慰霊堂がある)などを経由して春日通りに左折し、厩橋を渡る。この辺りから礫川(れきせん)公園までは、以前「春日通りトレイル」で池袋から歩いたコースと同じである。まぁこのように都心歩きをしていると以前のコースと重なってくる場合がしばしばあり、起伏を含めて色んな観点から道を舐めていくので土地勘的には都心の地図が頭に浮かび上がってくるようになる。老舗の食処がいくつも残っており、例えばどうじょの「伊せ喜(高橋;たかばし)」、親子丼の「鳥つね自然洞(末広)」など。それを味自慢が次から次へと話しを展開していく。抜弁天から職安通りに入ると一気に韓国街となりオムニの店もあったりして面白い。 やっと新宿に着いた。このエリア半径1kmは目をつむっても歩ける。この日は「A18」という地下街の一角を案内。こんな場所にもサイゼリアがあるのだ。12名の席を確保できず同じフロアにあるLionで乾杯。信号で全員が揃うように待つというシステムで歩き続けたため後続部隊はほとんど休みが無かった点は反省。徒然の記その5 METオペラ・ライブビューイング「アドリアーナ・ルクヴルール」 2019.2.28(木)■フランチェスコ・チレア(1866~1950 オペラ「アルルの女」や今回の「アドリアーノ」によって、レオンカヴァッロやマスカーニらと並ぶイタリア・ヴェリズモ・オペラの旗手となった作曲家)のオペラ「アドリアーナ・ルクヴルール」はパリのコメディ・フランセーズ劇場に実在した女優アドリエンヌ・ルクヴルール(1692- 1730)の愛と死を題材にしたオペラで、1902年にミラノで初演された。今回は新演出である。1730年のパリが舞台。コメディ・フランセーズ劇場の裏舞台が第一幕。このオペラ、将来ポーランド国王になるような階級の人物から市井の踊子までの階級差の社会を描き、オーケストラが重厚に盛り上げる。所謂典型的なヴェリズモ・オペラとなっている。コメディ・フランセーズの有名女優が愛してしまった人物が実は伯爵であったという事実に、公爵夫人の不倫が重なるという構図で、恋の破綻と嫉妬がからみあって複雑である。劇で使う小道具の手紙と実際の手紙とがすり替わるなどの細かい仕掛けがあり舞台で歌以外にも目が離せないオペラとなっている。原作となった戯曲『アドリエンヌ・ルクヴルール』(1849;ウジェーヌ・スクリーブとガブリエル・ルグーヴェ作)を読んでおくのがベターなのであろうが、オペラをそれを3時間で見せるため一瞬の所作が重要なポイントになるのだ。こういうオペラは2回は観る必要がある。4幕のオペラは、それぞれ「劇場裏」、「公爵の別荘」、「公爵の屋敷」、「名女優アドリアーナの部屋(舞台裏のsetが背景に使われている)」となるが、新演出ではどんな仕掛けがあるのかとワクワクとするところである。一応、幕ごとに歌われるアリアなどと物語の進行を箇条書きにしたメモを用意しておいた。その紙をアンチィコ替わりして友人をロビーで待ったという次第だ。14:30集合でよいのに、予習のため1時間も早く劇場に行ったがすぐ3人が揃い勉強どころではなくなった。東劇には高校のオペラ仲間が10名も集まった。上映時間は15:00-18:19と約3時間19分。 昨秋のアイダーでは、アンナ・ネトレプコ(S)とアニータ・ラチヴェリシュヴィリ(MS)に魅了されたが、この2人ともまたこのオペラに出演するのだ。ここでも恋敵として。アイーダ役を演じたアンナ・ネトレプコがここでは、名女優のアドリアーナという役を演じ、アイーダの恋敵アムネリス役を演じたアニータ・ラチヴェリシュヴィリは、ここでは、ブイヨン公爵夫人役となる。2人とも並外れた歌唱力を聴かせてくれた。 ネトレプコ(S)はうっとりするほど魅力的だった。光沢のある歌唱。ラチヴェリシュヴィリ(MS)は溢れるほどの声量と豊かな色彩で歌い上げた。両人とも堂々とした体躯で胸が眩しい。■指の故障・・小学校2年からの学友が休憩時間の話で言っていた。日本でツアーするピアニストは東京にもどってくると大抵は指を故障してしているのだと。それを直す先生が日本に1人だけいるという。演奏会場の遠くからでも彼らの指をみればわかるという。その先生から「ピアノの森」というNHK総合のTV番組を教えてもらったというのだ。徒然の記その6 クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル 2019.2.28(木)■2月はダブルブッキングが3つもあり忙しい。この日はオペラ鑑賞とツィメルマンのピアノリサイタルが被っているのである。先週の東京マラソンリベンジ1人runで予習をしておいたように、東劇→東銀座→溜池山王経由でサントリーホールまでを20分で移動を果たす。18:40に座席に着いた。 かのラファウル・ブレハッチがポーランド人として30年ぶりに、2005年にショパン国際ピアノコンクールで優勝を果たした。何を隠そう、Krystian Zimermanクリスチャン・ツィメルマン(1956-)こそ、この30年前、1975年にポーランド人として優勝を果たしたのである。御年62歳、白髪のピアニストである。この方はピアノを自分で作ってしまうほどのテクニシャンで面白い。(2018.7.7のblog・・自作ピアノをNYに持ち込もうとしたところ、木材の糊に爆発物の臭いがしたとのことで爆破させられている。専用のピアノと調律師を伴って世界ツアー。奥さんが日本人と言うこともあって親日派。東京に家がある。) リヒテルのように、自分のピアノを持ち運んで演奏する人であるが今回はどんなだろう。舞台下手2階席からは小ぶりなピアノのように映ったが。今もっとも注目されているピアニストでファンも多い。プログラムA:演目:ブラームス:ピアノ・ソナタ 第3番 ヘ短調Op.5、ショパン・スケルツォ(全曲:第1番 ロ短調Op.20、第2番 変ロ短調 Op.31、第3番 嬰ハ短調 Op.39、第4番 ホ長調 Op.54) これにアンコールとしてブラームスのバラードやショパンのソナタの曲を3曲も弾いた。 2/16柏崎文化会館の演奏を皮切りに3/16横浜みなとみらいホールまで8公演は、前半はこのAプログラムで、後半がBプログラム(ショパン:4つのマズルカOp.24、ブラームス:ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ヘ短調 Op.2、ショパン・スケルツォ(全曲)である。3/5のオペラシティコンサートホールなどは人気が高く追加演奏になったぐらいでS席が16000円が残席僅少という状況でいかに人気が高いかを物語る。演奏は力強い。ピアノを叩ききる感じの強烈な音は、その手の動きから生まれる。はたかれた手はあるときは宙に舞い、ある時は、ピアノ椅子の後方まで振り下ろされる。左足なども のけぞるように後方に踏み出す。若者のピアノである。重厚かつまろやか。すごいピアノだ。正面で聞けば心臓を突き破っていたであろうが側面での響きはより充実した音に包まれる感の幸せがあった。 感動を生み出す音色は、鍵盤への押さえるタッチ、叩くタッチ(固い音がする)、レガート(2つの鍵盤のon-offの時間の重なり)など無限の組み合わせのなかから生み出されるのだと言うが、ツィメルマンの紡ぐ音は、鍵盤を押さえる柔軟なタッチと、激しく叩くタッチのコンビネーションから生まれるのであろうか。横で、香淳皇后似のカミさんが楚々と拍手をする。写真撮影、録画の禁止をしつこく言うピアニストなので嫌っているが。さらに言う。少し速かったのではないか。ブレハッチの方が良いと。■Krystian Zimermanクリスチャン・ツィメルマン(1956-)・・バーンスタインと15年以上も交流を果たしており100歳の誕生日に共演する約束をしていたという。2018年の生誕100年にバーンスタイン交響曲第2番「不安の時代」をロンドン響、フィルハーモニア管、ベリリン・フィル、東京・大阪など世界の主要な公演地で演奏を行っている。徒然の記その7 朝日新聞 ReライフFestival 2019.3.1(木)■Reライフとは「人生充実へ、生活に輝きを!」とでも訳したほうがよいのであろうか。50歳以上をターゲットにした朝日新聞主催のExpo風のお祭りである。警視庁、財務省、JR西日本を含め22の協賛会社や機関が参加しそれぞれ興味あるブースを設け宣伝に余念がない。それに14題の講演が3つの会場に分かれて10:30から19:00まで五月雨的に開催されている。水天宮駅と直結したロイヤルパークホテルで開催された。もっとも申し込み多数のため抽選に当たらないと入れないのであるが。 先週27日にFestivalの招待状が届いた・・と言っても自力で当選したハガキではないが、ひょうんな所から回ってきたのだ。このハガキでは14:30-15:30の磯田道史さん講演「歴史に学ぶ生き方」、18:00-19:00の加藤登紀子さんトーク&ライブ「ひらり一言 自分からの人生」が聴講可能となっている。席に余裕があれば、他の演目でも外で並べば入れたようである。 ”人生を楽しむアクティブ世代のための文化祭”に出席する資格があるのかと自問するわけであるが、まぁ話の種にと足を向けた次第である。 朝日新聞の社長による開会式では、今年で5回目となるという。3000人の募集に1万人が2月12日まで応募したという。三浦雄一郎さん、関口知宏さん 関根 勤さんなど有名人が講演者として出演する。三浦雄一郎さんなんぞ1月にアコンカグアから帰ってきたばかりの人である。 こういう抽選によく当たる家族と全く当たらない家族の違いはいったいなんだろう? 東京マラソンに今年も当たったという籤運の強い家族である。念力がどうも通じる家系ではないかと推測する次第である。 会場は人人々・・で大混雑。 貿易博や地球博のような賑わいであった。凡そ1000人くらいが入れる大広間のロイヤルホールで行われた2つの演目は満席であった。 磯田道史さんの「歴史に学ぶ生き方」では、膨大なスライドによる講座。到底1時間で終わならい。大学の講義のように方々に脱線し、笑わす。都市の人口比率の変遷を数字で示しながら歴史を読み解いたりと、話が縦横に及び面白い。人口と識字率の相関では人口の多い方が識字率が高くなると。江戸の寺子屋では女性教師がひらがなを教えたと。北欧ではプロテスタントは家で聖書を読まねばならなかったため、牧師の説教を聞くだけでよかったカトリックの南欧よりも識字率は高いと。日本の1900-1945や、1970-2000が工業のピークであったが今後は、カンブリア紀に初めて目を持った生命が出て爆発的な進化を遂げたように目玉を持ったAIが爆発的に進化していくはず。日本の活路は知的産業やソフト面での飽くなき貢献であろう。そこにしか人口激減の日本の発展はないと。数百枚のスライドを飛ばしながらの講義していく! 加藤登紀子さんの「ひらり一言 自分からの人生」では、3/1(金)発売の「自分からの人生」に沿った話。毎週日曜日に掲載された「一言」から80週分を取り上げて一冊としたという。付箋をつけたページを読み上げたりしながら話を進めた。「悲しみや悩みは漬物石みたいなものよ。それで心が潤み、旨味が出る」などの語録も含まれているという。 2/24(日)の新聞に掲載した「いつか歴史として語られる日を生きている」はちょうど沖縄の住民投票の日であったのだと。 今日3月1日は1919.3.1の韓国独立運動から100年の節目であり、1969.3.1の「一人寝の子守歌」作曲から50年という。このように歴史の話を織り込みながら歌い、ギターでの弾き語りを行う。大広間が人で埋め尽くされていた。こちらも終始和やかに講演がトークが進み、万雷の拍手。ものすごい人気。徒然の記その8 加藤登紀子 コンサートと30km走 2019.3.2(土)■加藤登紀子 コンサート百歌百会 ・・リニューアルopenの茅ヶ崎市民文化会館で開催されるコンサート。会場までは”徒歩30km”。格好のジョギングコースである。16:00開場に合わせ早春の相模川を河口近くまで走った。5月には芝桜が満開になる堤をひたすら南下。 市民文化会館前のAEONに15:07到着。リュックにはドレスコードが。重いままよく走ったものだ。芝桜公園では早咲きのものがすでに咲き誇り感激。16:00開場のホール前は大変な人垣。16:30ステージが始まった。1部の最後では2011.5.25 福島の飯館村で作られた「命結(ぬちゆい)が歌われた。2部の終わりはLoveLoveLove。ステージがはけ、最後にマイクが数本追加され、ピアノの椅子も交換された。いよいよ童謡グループの登場である。「茅ヶ崎童謡の会しおさい」の人たち60名がステージに上がった。1月のリハーサルを経ての大合唱。 山田耕筰「赤とんぼ」「この道(歌詞にでてくる「あかしあ」は「茅ヶ崎の花」である。)」の2曲を会場の人と一緒に歌う。大イベント。因みに山田耕筰は作曲活動をここ茅ヶ崎で行ったという。すばらしい。3/1発刊の「自分からの人生」を買い求めサイン会に並ぶ。これも長蛇の列。後ろに並んだ女性が声をかけてきた。私も茅ヶ崎を走っているのですよ。横浜マラソンには出ましたと。「明日も東京マラソンはしられるのですか。」と尋ねてきた。・・・などの楽しすぎる会話が! 60台の女性であった。 帰路は北茅ヶ崎駅から南橋本まで。ここから家まで4.1kmある。これを正直に家にメールを打ったら、「4.1km」に反応して「迎えにきましょうか?」と優しい進言。なるほど素人目には「4.1kmもあるのです。迎えに来てくれませんか?」と読めるらしい。私的には、「30kmも走った身です。4.1kmなんてへのかっぱです。」と行間に込めたつもりであった。素人対応は難しい。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Mar 2, 2019
コメント(0)
東京マラソン・リベンジrun、遺言_ story (4382)2019.2.23I ran the Tokyo Marathon course in advance. It goes through all wonderfull sightseeing spots including Monzen-nakacho and Kiyosumi Park, Ichigaya, Jimbocho, Ogawamachi, Morishita,so on. Even walking it is an interesting course. Everyone also challenges!都内を走ってきた。都営新宿線で通る市ヶ谷、神保町、小川町、森下や、大江戸線で通る、門前仲町や両国、清澄公園などあらゆる観光名所を通るので面白い。歩いてみても面白いコースである。ぜひ皆様もチャレンジ!■今週の1枚Urayamaguchi Sta.Chichibu-line(秩父鉄道・浦山口駅 2019.2.16)JRが寄居からの線が乗り入れている。上り列車が鉄橋を渡ってカーブする駅に滑り込んできた。高台の下の方では春待つ裸木が寒さに震えていた。目次徒然の記その1 秩父狂騒曲 徒然の記その2 Violin-Viola Duo徒然の記その3 アリーナ・イブラギモヴァ&セドリック・ティベルギアンのブラームス ヴァイオリン全曲演奏会 徒然の記その4 東京マラソン・リベンジrun徒然の記その5 珊瑚の会徒然の記その6 失敗後日編徒然の記その7 遺言 徒然の記その1 秩父狂騒曲 2019.2.16(土)■秩父は難しい!その1・・Yahooなどの「乗り換え案内」では到着時間に1時間の差が出てしまう。ヘタをすると前の日に出発しないと辿り着けない事態に。いつか紀伊田辺に行こうとした時だ。正午に到着する便を調べていたら、前日に出発しないといけないという案内がでてしまった。子細に調べると乗り換え時間に問題があることがわかった。「徒歩」などの要素が入ると2,30分は余裕をみるための計算式がうめこまれているらしい。阪急からJRなど800mくらい歩く例などである。土地不案内者用に余裕が見てあると考える。今回の例では、JR横浜線・橋本駅から北八王子経由、秩父鉄道・浦山口駅 9:00到着という便を探してみた。Yahooの検索では、1.橋本5:38-5:49八王子6:08-6:44東飯能7:21-8:18西武秩父8:20-徒歩-8:28御花畑(おはなばたけ)8:51-8:58浦山口・・自力では 2.橋本5:38-5:49八王子5:51-6:25東飯能6:36-7:19西武秩父7:20-徒歩-7:25御花畑7:45-7:52浦山口 3.橋本5:38-5:49八王子6:08-6:44東飯能7:21-8:18西武秩父8:19-徒歩-8:24御花畑8:25-8:32浦山口 なんと「2」と1時間、「3」と26分の違いが出てしまう。八王子乗り換えが2分しかないため、老人では無理かもしれないが、その一便後でも、26分早く着けるのだ。子細に見ると西武秩父駅に到着してから御花畑駅で乗るまでに33分もかかっているために極端に遅くなっている感である。 ”自力”の場合は、少し走るという要素が加味されているため、1時間も余裕ができる。乗り換えが多ければ多いほどその誤差が倍増し、前日出発などの奇妙な路線案内がでてしまうのではないか。区間ごとに調べなおし、自分に合ったダイヤを見つけ直したほうがよいと見た。その2・・あぁ歩き塾の「浦山口駅集合」のイベント。今回も3人が行方不明に。集合時間の9:30には間に合ったが 秩父鉄道に交通系ICカードの導入がされていないことに原因が。秩父鉄道に直接乗り入れている西武鉄道の場合、秩父鉄道管内では現金精算が必要になる。予め、池袋や、途中の東飯能など乗り換え駅でキップを購入しておくのが望ましい。それがないと、浦山口駅では「御花畑駅=西武秩父駅」からの運賃を現金精算し、ICカード後処理の手続き(西武秩父駅まで利用したという処理)を行わなければならないが途中下車する必要はまったくなかったのだ。3人は直通運転にも拘わらず、西武秩父駅で降りてしまったものだから間に合わず御花畑駅まで歩いて、秩父鉄道に乗り替えたという。 その他、三峰口行は前4輛と言っておいたが、飯能でスイッチバックするため、池袋では後ろ4輛に乗らなければならなかったと。周知徹底するのは限界がある。もうお手上げである。老人には「秩父鉄道」は難しすぎる。徒然の記その2 Violin-Viola Duo 2019.2.19(火)■1月に次いで、河津桜が早くも満開になりだしたオラリオンサイトのマンションにて音楽の友とデュオを楽しむ。・ドヴォルザーク:私をひとりにして Op.82-1 ・モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 K.424 第2楽章、第3楽章 主題、Var.1・ヴィヴァルディ ・ギター協奏曲 第1楽章・リムスキー・コルサコフ:高みから吹く風が ドヴォルザーク の「私をひとりにして Op.82-1」は、「チェロ協奏曲」の2楽章と3楽章にこの曲のモチーフが使われている。かって恋心を抱いた女性ヨセフィーナ・カウニッツ伯爵夫人(義理の姉)への想いが込められているという。20歳半ばの頃、金属細工商チェルマーク家の2人の娘の音楽教師を務めていた際、女優でもあった姉ヨセフィーナ(ヨゼフィーナ)に恋心を抱くも失恋。モラヴィアの詩人グスタフ・プレガー=モラフスキーの詩集に基づく歌曲集『糸杉』中の一曲『私を一人にして Laßt mich allein!』(『4つの歌曲』作品82より)を好んで聴いていたのでチェロ協奏曲の2楽章にそのモチーフを採用した。その後ヨセフィーナが重病と知らされたが1895年アメリカからの帰国後すぐに彼女が亡くなると、第3楽章で歌曲の旋律が現れる4小節を60小節に拡大している。 音楽の友は、これを61小節の長大なDuo曲として編集した。6分ほどかかる曲であるが、PianoとチェロのDuo曲だとYouTubeに音源がある。A.Dvorak : "Kéž duch můj sám" (Lass mich allein) - Yann Merker (cello) & Keiko Tamura (piano)。朗々とVcが奏でる素晴らしい曲である。徒然の記その3 アリーナ・イブラギモヴァ&セドリック・ティベルギアンのブラームス ヴァイオリン全曲演奏会 2019.2.19(火)■Violin-Viola Duoが終わって、みなとみらいホールに駆け付けた。16:50の便がよさそうとJRの駅でカミさんと待ち合わせた。指定は「ホーム中央」という。前の電車が行って誰もいないホームにポツンと立っていた。乗り換えの菊名駅ではこの位置が良いということを数限りないコンサート行きから学習をしたのだ。 タイトルが長い・・「アリーナ・イブラギモヴァ&セドリック・ティベルギアンのブラームス ヴァイオリン全曲演奏会」。開演時間が過ぎても、シーンとしたまま時が過ぎる。5分もたったのかと思う時に、上手から2人は登場した。アニーナはA4サイズのノートのようなものを引っ提げている。 Alina Ibragimovaアリーナ・イブラギモヴァ(1985-)は、チラシの顔写真とはまったく異なり、ロシア夫人によくあるビア樽ポルカ直前の丸い体躯と真ん丸な顔で現れた。あぁ何ということか。昔のやせた体形はどこへ行った? 2005年に20歳の若さで来日し、武蔵野市民文化会館でデビュー。NHKのBSクラシックで放映されたのだ。センセーショナルなデビューで聴衆をさらった。彼女のViolinは「1775年製アンセルモ・ベローシィオ」。ゲオルク・フォン・アペルからの貸与である。2016年に大英帝国勲章MBE(Member of the British Empire)を授かっている。 Cédric Tiberghienセドリック・ティベルギアン(1975-)は、1998ロン=ティボー国際コンクールの覇者で世界的に活躍しているピアニストであるが、室内楽にも熱心に取り組んでいる。アリーナー・イブラギモヴァの他にアントワンヌ・タメスティ(Va)、ピーター・ウィスペルウェイ(Vc)と定期的にパートナーを組む。今回の曲は、・J.ブラームス:Violinソナタ:第1番 ト長調 Op.78「雨の歌」(30分ほど) 休憩・J.ブラームス:Violinソナタ第2番 イ長調 Op.100(20分ほど)・J.ブラームス:Violinソナタ第3番 ニ短調 Op.108(23分ほど)・アンコール クララ・シューマン:「ピアノとヴァイオリンのための3つのロマンス Op.22」(Schumann, Clara:Drei Romanzan Op.22 ) ブラームスでは、第1音から のびやかで、とろけるような音色が紡ぎだされた。そこへ聴衆がふわーっと吸い寄せられていく。つややかな音色で圧倒的な音量がさざ波のように押し寄せる。ピアノのセドリック・ティベルギアンの強烈な連打にうまく乗っていく。ブラームスの円熟期にあるこの3つのソナタ。連続して聴くことに意味があるのかもしれない。物語が読み継がれる感じなのだ。■A4サイズのノートのような物とは・・楽譜タブレットであった。2画面のディスプレイで、Gvido(グイド)の“Mobius”13.3型フレキシブル電子ペーパー″Carta e-paper technology″かも分からない。1画面のタブレット端末としてはHuaweiのmediapad m3lite、AmazonのFire HD 10 タブレット、ASUSのZenPad 10、Appleのipadなども候補に挙がるかもしれないが。 4000曲くらいは難なく入るため、海外公演などの時は便利かもしれない。以前10数ページの楽譜を糊でつけ、譜面台から枝垂桜のように両方に垂らして弾いていた奏者を見たことがあるが、今後はこういう演奏形式が普及するのかもしれない。譜捲りはフットスイッチで行う。 ピアニストは普通の楽譜を見ていたために、助手が譜めくりを行っていた。アンコールでは、ピアニストもタブレット楽譜を使った。 オケなどでは譜めくりの音がうるさいと指摘されるため、こんな電子楽譜がよいのかもしれない。追記などが自由にできるため鉛筆書きの注意書きなども電子化され便利である。 ほとんどの曲はIMSLP(国際楽譜ライブラリープロジェクト)からpdfをダウンロードして持ち運べる。徒然の記その4 東京マラソン・リベンジrun 2019.2.20(水)■貴方、あれって走っていたのか、歩いていたのか?交差点で止まっている車からたまたま横断して”走る”僕を見ていたのであろう。あとで思い出したように聞いてきた。たぶん測歩しながら歩くように”走って”いたのでそう思ったのであろう。1km3~4分で走るとき(凡そ60歳台前半まで)は、徒競走のように”走っている"ように見えたのであろうが、リュックを背負ってゆっくりと1km9~10分で走るときは、一般人には"走っている"ようには見えない。むしろ時速6kmで歩くという感じである。ただし腕を振りながら。 速く歩く人と小生のような”ずり足走法”で走る人とはほとんど差がないのである。先日も朝早くこちらは必死に駅に向かって走っているのに、速歩で歩く人が僕を抜かしていった。負けじと僕もspeedを上げる。階段も走る。彼は歩く。しかし速い。ホームまでもつれこんだ。彼はホームの先頭車両の場所につっと立った。なんという人だ。まだたっぷりと時間があるというのに、そんな急ぐことはなかろう! たぶんあぁいう人は唯我独尊の人であろう。こっちはホームにある椅子に腰をかけて朝飯を食べ始めた。無駄な競争をしてしまったことを反省。さて話を東京マラソンに。■3月3日に開催される東京マラソン。恒例のごとく選に外れ、リベンジマラソンを前日に行うというのが例年のパターンであったが、今回は20日(水)に”1人フル”を挙行した。 走りのルールは、・歩道上の道路側を走る。・・自転車と歩道が色分けしている広い歩道では、その境界線上を走る。後ろからくる自転車への配慮である。・信号待ちはしない・・つまり赤にぶつかれば左折か、右折をして青になるまで時間を稼ぐ。100mばかりで戻ってくるということにしてnon-stopをkeep。コースはタブレットに入れてあるので、適宜チェックをしながら走る。・足跡は一本線とする。 最初の「歩道の道路側を走る。」件は、ビル側を走っていると、ビルから出てくる人とぶつかる恐れがあるからである。一般的には迷路(見通しが効かない曲がり角)では、大回りをすることが必須。これは「壁づたいに人は最短コースを進む」という特性があるため出会いがしらでぶつかることを避ける狙いがある。 東京マラソンのコースは2017年の第11回大会から変わっており、今年が新しいコースでの3回目となる。都庁から飯田橋を経由して西神田ランプまでは一緒であるが、そこで曲がらずに専大通りに進んで右折し靖国通りに出る。神保町、小川町、須田町と進んで、中央通りに出て日本橋まで一直線。三越からは箱根駅伝コースと合流。日本橋で左折すると、旧東京マラソンとほぼ同一のコース。茅場町一丁目から左折し、新大橋通りを北上する。浜町中ノ橋から左折し、明治座前を通り、清州橋通り、江戸通りを進み、浅草雷門へ。ここで大きくUターンし、江戸通りに戻り、蔵前橋を渡るべく左折。清州通りを南下。横綱町公園や、江戸東京博物館、森下(新大橋通りと交差する)を経由して、門仲まで。少し永代(えいたい)通りを富岡八幡宮の大鳥居まで。Uターンして蔵前橋まで戻り、あとは日本橋までは同じ。京橋、銀座4丁目、有楽町、日比谷公園を経て品川まで。Uターンして日比谷公園から丸の内仲通りを進み、東京駅前の行幸通りに至る42.195km。 ゴール近くでは、多重の人垣きのものすごい応援が期待できるような仕掛けで、この辺りが、過去の東京ビッグサイトでの寂しげなゴール近辺とは大いに異なる点である。 日本橋角は高島屋のビルなど複数の高層ビルが完成したおかげで景色は一変しているし、さらに中央通りが華やかになった。富岡八幡宮近辺のUターン場所は、中央分離帯としてのコンクリの盛り上がりが5cmばかりあってつまずきやすいので注意を要する。すこし先の信号まで行けば分離帯が途切れるのであるがそれでは42.195kmが狂ってしまうのでいたしかたなしか。 今回のリベンジランでは、日比谷公園近くで切り上げ東銀座に急いだ。total36kmくらいのrunとなった。28日(木)に東劇からサントリーホールまで30分間で行かねばならない用事があるため下見。日比谷線・東銀座駅で最後尾の車両→銀座線・銀座駅へ乗り換えは1分で最短。→前2両目2番ドア→溜池山王駅→11番出口→合計徒歩600mという調子で30分以内で到着できることを立証。今回のリベンジrunを終了。 家に帰って寛ぐも「どっこらいしょ。あ痛たた!」なぞ、カミさんと同じ呟きの自分を発見。徒然の記その5 珊瑚の会 2019.2.22(金)■Wolfgang.Amadeus.Mozart Piano Concerto No.18 in B-flat major, K.456モーツァルト ピアノ協奏曲第18番、Franz Schubert Symphony Nr.6 シューベルト交響曲 第6番 の練習が今回から始まった。東京芸術劇場B2Fのリハーサル室に行くのに合わせ、午前中は岩合光昭監督の映画「ねことじいちゃん」を観る。 ピアノ協奏曲の第1回目の練習であるが、最初からピアノが付くのが嬉しい。初回から完成しているように全員が弾く。うれしいことではないか。 シューベルトは6回の予定を組んだが、1,2楽章だけだったとは言え、これも完成度が高い。皆家で相当練習してきていることがうかがえる。アミカル(懇親会)では、今回の曲を3回で仕上げて次の曲にしたらどうだろうと相談し始めたのは酔っぱらっての勢いであろうか。モーツァルトの交響曲41番など。クラリネットがない分団員には了承が必要であったが、明るい声でokを出していた。また理事会で正式に決定するであろう。■Violaの長老がつぶやいた・・最近デイサービスに週2回通いだしたが面白くないという。子細に聞くと、どうもクラシックの「ク」の字も出てこない生活を送らされているらしい。幼稚な童謡を歌って手を叩くのだという。外に散歩にも連れていってくれないと。2ヶ月で嫌になったので、3月にはやめたいという。 カミさんにこの話しをすると笑っていた。どうも老人ホームでも同じような困ったことが起こっているのだ。レベルの低い(失礼な言い方ではあるが)老人ホームは幼稚な歌しか歌わず、値段の高い所は気位が高い人ばかりで打ち解けないのだと。 楽器を鳴らすなんてことは言語道断であると。な、なんということか。「珊瑚の会」のような環境は望むらくもない。こっちに練習にくることが素晴らしいのだという。 やはり趣味が共通している人たちがシェアハウスで共同生活するようなシステムが一番よいのではと感じる次第である。映画「ねことじいちゃん」のように島全体の”見守り”があれば安心である。猫も含めて始終誰かの目が届いているという環境でしたい放題のことが出来るというのが一番よく、元気なうちは老人ホームなどに入ることはおめおめあってはならないと感じるしだいである。徒然の記その6 失敗後日編 2019.2.23(土)■2月3日のblogに失敗談を書き連ねたが、その中で「忘れ物」に関しては後日談がある。先日、ある男性が、カバンを変えたときに渡すべきものを移し替えるを忘れ、後日郵送したなどという失敗事例にぶつかった。失敗を減らす便法が二つある。「気配り」と「感謝」の気持ちである。 新幹線の座席を立つとき、その席に感謝をする。そうすると座席の前のポッケに突っ込んだ帽子が目につく筈である。畦道に忘れそうになった筆箱も気づくことができた筈だし、カバンの中身も再度チェックできた筈である。 何でもそこにある「物」や「事象」に対して感謝するという優しい気持ちが、ミスを未然に防ぐことに繋がっていくのではと思うのである。 弁当を食べリュックを背負って立ち上がる時に、一礼をすると忘れ物をしなくなる。 スペインのcamino旅など、毎日毎日,膨大な荷物の出し入れがある。ひとつひとつに心の網を張り、「物」が、「事柄」が、呼んでいると思うような気持ちで"感謝"して行けばきっと響いてくる筈である。 立ち止まり、思いを馳せてみよう。すべての事柄に。「気配り」の方はアンテナであろう。細やかにすべてに気配りしてみたらどうだろう。失敗は激減するのではないだろうか。2つとも疎(おろそ)かにすぐになってしまうところが難しいのであるが。徒然の記その7 遺言 2019.2.21(木)■オケのヴィオラの仲間が、先週木曜日にお亡くなりになった。東京芸術劇場のホール内で急性心不全で急死した。まぁ人生、先はなにがあるかもわからない。「どうせ。すぐ死ぬんだから」と遺書などは準備はじめたほうが得策なのであろうか。 奥さんが突然亡くなったというケースでは、お米や通帳の場所が分からず路頭に迷ったという。こちらの方は遺書と言うより身の回りの種々雑多なことを「書き置き」することの重要性。 病死などという軟着陸の場合は、心の準備も可能であろうが、突然死という場合は死への準備ができていないため大変である。しかも生前に準備し始めるほど人間は真面目ではないところに問題がある。 そこで、少なくとも重要事項はReadMeというような形のテキスト文をパソコンの画面に貼り付けて置くのを提案したい。 誰に連絡してほしいのか、通帳の場所はどこにあるのか。種々のパスワードは何かとか。料理のレシピなど、味を継承するメモも含めて。■遺産相続2020.4月から 改正民法が適用される。1. 新たに「配偶者居住権」が設定され、2. 介護貢献度を寄与料として評価し、3 .遺留分を正当な権利として保障し、4 .自筆証書遺言の作成・管理がより容易になり5 .預金仮払い制度が創設される。 平たく言うと、夫の死後、土地家屋は奥さんに引き継がれる。今までは、妻1/2 残り子供たち。ということで住んでいた家も、財産分与の対象となり、売り渡して出て行かなくてはならない場面が発生するという不条理があったがそれが是正される。 これらを加味してお金などは生きているうちに全部使い果たすべくせっせと海外旅行している家庭が多いと聞く。「主人死んで3日後ホホと笑う妻」が理想的ではあるが、「5. 預金仮払い制度の創設」があれば夫の名義の貯金でも葬儀代や電気ガスなどの生活費はそこから工面できるようになる。これはありがたい。 作成済みの遺言があれば至急見直すべきである。1年間に死ぬ人はあまりにも多い。H30年の年間死亡者推計は136.9万人でさいたま市の法定人口131万人に匹敵する。これだけの人が年間に亡くなるのであるが、60歳以上の人で遺書を書いている割合は0.3%(千人のうち3人)と言われている。皆面倒なのであろう。法定相続だけで何も問題にならならなければよいのであるが。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Feb 23, 2019
コメント(0)
傑作な本2題_ story (4381)2019.2.16I read comical two books in this week.One is the essay "Viola Mammy" by Mari Yamazaki who is writter cartoon Thermae Romae other is novel "In any way I will die soon" by Makiko Uchidate.I was convulsed with laughter until my stomach ached. 今週は傑作な本を2冊も読んだ。一つは漫画テルマエ・ロマエの作家ヤマザキマリの「ヴィオラ母さん」、一つは内館牧子の「すぐ死ぬんだから」である。抱腹絶倒のエッセーや小説で、笑い転げて腹が痛い。■今週の1枚相模原市緑区大島の風景(その2)相模川はこの風景の屋根の向こうある河岸段丘の下を流れる。山は雪が降った直後の丹沢山系。手前が宮ケ瀬ダムの東側の相州アルプス。後方が宮ケ瀬ダムの西側の丹沢山系本稜となる。蛭が岳などの最高峰が連なる。目次徒然の記その1 ヤマザキマリ著「ヴィオラ母さん」徒然の記その2 Viola-Lesson徒然の記その3 第98回 山谷ミニコンサート 徒然の記その4 Le Chemin de Vézelay ヴェズレイの道徒然の記その5 内館牧子著「すぐ死ぬんだから」徒然の記その6 市街化調整区域のrun徒然の記その7 TVアニメ「ピアノの森」徒然の記その8 秩父観音巡礼その4 徒然の記その1 ヤマザキマリ著「ヴィオラ母さん」 2019.2.12(火)■ヤマザキマリ著「ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ」を読んだ。抱腹絶倒なエッセーである。文芸春秋社2019.1. 映画「テルマエ・ロマエ」2012、「テルマエ・ロマエ2」2014の原作マンガの作者がヤマザキマリさん(1967-)で、その母親(1933-)がリョウコ(山崎量子)さんである。現在はフィレンツェと東京を往復する多忙の漫画家で随筆家のヤザキマリさんが、母親にいかに育てられたかがその破天荒ぶりが包み隠さず書かれている。本文230ページのうち、60ページぐらいが漫画など(写真、幼少期の絵画を含む)であり分かり易く面白い。 母親のリョウコさんは、27歳のときに、札響オケの創設に参加するためにViola一丁を携えて東京から北海道に移り住んだという。湘南の鵠沼育ちの深窓の令嬢であったというが、札幌では、指揮者と結婚するもご主人がすぐ早世し、シングルマザーとして2人の子供を育て上げたという。 その育て方がワイルドむき出しである。動物好きは母親(マリさんからは祖母)譲りで、なんでも欲しがり狸も捉まえようとしたくらいであったという。そういう母親に育てられたもので、本人も川に潜ってはヤツメウナギを捉まえ木に登ってはミヤマクワガタを捉まえてはしゃいでいたというのでそのまま母親譲りであったのだろう。 演奏会には最前列に座らせて、”監視”をしたようで、モジモジと動き出すと"カー"と目を見開き子供の方を見るので、指揮棒を見ていないのではと子供心に不安になり、おとなしくクラシックを聴いていたという。オケではViolaを弾くが、家ではViolinを教え、北海道をあちこち教え廻っていたようで、車には、お弟子さんの家族から貰ったものがどっさりと積まれていたという。荷物の中に貰ったカエルも居たという。マリさんにはViolinとPianoを習わせたようであるが、長持ちせず、結局絵を描くのが好きだというのでその才能を思う存分伸ばすことができたようである。17歳のときにイタリア国立フィレンツェ・アカデミア美術学院に入って油絵と美術史を学んだ。爾来イタリア住まいである。この間13.5歳年下の青年と恋に落ち息子デルス君を設けているが、現在は母親と同じようにシングルマザーである。恋人の詩人は、歴史オタクで、漫画「テルマエ・ロマエ」の構想には大いに助言をもらったようである。「ヴィオラ母さん」リョウコさんの教育方針が面白い・・「あんたたちも大きくなったらいろんな所へいきなさい。世界を見てくるって素晴らしいことよ!」「いつもそばにいればいいというものではない。親と言うものは子供にとってまず強く生きる人間の手本であるべきだと思うし、手放しでも子供がしかっかり育っていけること、生きていけることを信じてあげるべきである」として娘のマリさんには14歳で単身ドイツとフランスに行かせたりした。かなり制限された時間ながら一緒にいる時が、凝縮された貴重な瞬間であったようである。忙しい中かでアップルパイを作り、子供服をデザインし、編みものをしたという。母娘の濃密な関係性をうかがうことができる。子供の世界は学校だけではないとして、演奏旅行に連れて行くことを選んだり、海外にも連れて行くといった生の教育がいかに大事なことであったかである。 こんな真似は他の人なら出来ないのではないか。リョウコの起こるすべてのことが、「人生の中で起こり得る事象のひとつ」だとし、呆れたり泣いたり笑ったりしつつも、毅然と前に進む。そういう母親であったと結んでいる。 このヴィオラ母さんとダブルのはわがViolaの先生である。まさに「ヴィオラ父さん」である。シングルファザーとして子供2人を育てあげ、娘はフルートの名手であり、孫は恐竜博士で4月から小学校にあがる。本人は、高尾健康登山を月に1回続けている。■「テルマエ・ロマエ」・・古代ローマと、現代の日本がタイムスリップして交差する奇想天外の物語。「顔の濃い人種」(映画では、 阿部寛(ルシウス役:古代ローマ帝国の浴場設計技師)、 上戸彩(山越真実役 普段は派遣社員として働く漫画家志望)、市村正親(ハドリアヌス役 - 第14代ローマ皇帝)、 北村一輝(ケイオニウス役 -次期皇帝候補)、 - 宍戸開(アントニヌス役-同次期皇帝候補)と、 これに対する「平たい顔族」としては、笹野高史(山越修造役 - 真実の父)、キムラ緑子(山越由美役 - 真実の母)、外波山文明(岸本役 - 棟梁)、飯沼慧(名倉役 - 長老)ら。 顔の彫りで、両軍を分けている点が面白い。徒然の記その2 Viola-Lesson 2019.2.12(火)■さて、その「ヴィオラ父さん」の教え子として、月2回は自宅にお邪魔している。上で書いた山崎量子さんは、黒柳徹子さんと同じ年であるがまだ北海道でViolin教師を続けているという。この年の人は皆元気である。おそらくViolaの先生もあと20年くらいはViolaを続けるであろう。ということは小生もあと20年はViolaを習い続けるのであろうか。だんだんレベルを上げて先生と本格的な合奏をしたいものだと思っているが。 今日も叱られた。Allesandro RollaのDreiDuoをもう1年以上も続けているのにまだ卒業できないのだ。曰く第三ポジションで弾くD(レ:人差し指)E(ミ:中指)F(ファ:薬指)G(ソ:小指)の音程が不安定であると。そこで分析してくれた。 貴方のは、左手全体が胴体から浮いているため音程が定まらないのだと。第3ポジションでは小指の付け根から手首にかけての部分(小指球(しょうしきゅう))を胴体につけてすこし窮屈な状態にして指を束縛してあげるほうが音程が定まる。これ常識だと。0.005mmほどの肉厚の部分で音程に差がでるのだという。)F(ファ:3の指=薬指)を押さえたまま、G(ソ:4の指=小指)を押さえようとすると、苦しい。3の指が0.03mmほどずれてしまうのだ。 悪い癖が30年もしみついているので直すのは至難の業である。さらにボーイングでは速度にむらがあるという。無の境地で弾けと。貴方のは恣意的なボーイングとなっていると。試しに同じ音だけで弓の上下をせよと。それが出来ているのに、音符通りに弾こうとするときになぜか弓が速くなるというのだ。不思議なものである。0.08secくらいの違いがあってせっかちに聞こえるのだという。難しいが逆に悪い箇所が明確になった。 Cantabile Scherzoso、Rondo Prestoなど新しい楽章に進んだあと、いつものAllegro espressivoの戻った時に、言われたのだ。行けるかなぁと思った矢先に問題の箇所で上記のようなダメダシ。惜しかった!同じ場所を慎重にもう1万回くらい練習してみよう。 Schumann Symphomy No.1のほうは3楽章、4楽章をさらう。3時間ほど立ちっぱなしの練習であったがなかなか実り多いレッスンであった。欠陥を知ったことで逆にまだまだ「伸びしろ」があるのではは。と前向きに捉えよう。穿った見方かもしれないが。徒然の記その3 第98回 山谷ミニコンサート 2019.2.15(金)■第98回山谷ミニコンサートが台東区日本堤にある「 神の愛の宣教者教会」の集会所で開催された。雪空の寒い日で観客は少なかったようである。出だしはsoloの演奏・・チェロ: ヴィヴァルディ作曲「四季」より冬、ヴァイオリンはカッチーニ作曲「アヴェ・マリア」のSolo演奏に続いて合唱タイム。続いて合唱タイム。(ナツメロ・唱歌等 ):豆まき、スキー、ごらんよ空の鳥、あなたひとすじ、冬の色、氷雨、細雪、越冬つばめ、津軽恋女、365歩のマーチ後半の6~9曲目(太字)で、伴奏にVaも加わる■「津軽恋女」は新沼謙治さんの大hit曲である。津軽では7つの雪が女に降り積もると歌う。太宰治の「津軽」が下地になっている。「粉雪」「粒雪」「わた雪」「ザラメ雪」「水雪」「堅(かた)雪」「春待つ凍り雪」。会社時代には青森出身の方が十八番で歌っていた歌である。しみじみと思い出す。雪の経験のない僕としては東北に思いを馳せる歌でもある。7つの雪には降雪と積雪が混ざっている。降る雪としては「細雪(ささめゆき 細やかにまばらに降る雪」「こな雪(1cmに満たない粉のようにサラサラした雪で積もらない)」「粒雪(つぶになっている雪、積る)」「わた雪(綿状に集まった雪で、牡丹雪、ぼた雪、もち雪など)」「水雪」など。雪の状態の細かい表現では、淡雪、薄雪、粉雪、細雪、どか雪、べた雪、ぼたん雪、綿雪など。積雪状態では「かた雪」「ザラメ雪」「凍雪」などがある。この歌でうたわれた7つの雪のうち、降る方の雪は、「粉雪」「粒雪」「わた雪」「水雪」の4つ。積る雪の状態を言うのは、「ザラメ雪」「かた雪」「凍り雪」の3つ。雪の表現は泡雪・淡雪・沫雪(あわゆき)などが100を超えると言う。徒然の記その4 Le Chemin de Vézelay ヴェズレイの道 2019.2.13(水)■フランスの巡礼路の「ヴェズレイの道」900kmをいつか歩きたいと、例のごとくKMLファイルを作成し公開した。このファイルはGoogle Earthを利用して計測しながら作成したもので、パソコンであればGoogle Earthに、スマホであれば、Google Earth、Maps.Me、Geographicaにインポートして持ち歩ける。 特にヴェズレイの道は迷いやすいというので、こういうデジタルmapがあれば役立つのではないかと昨年あたりから毎日コツコツと睡魔に襲われつつ入力してきたものである。いよいよ目的地のSt.Palais(サン・パレ=ル・ピュイの道と合流する地点)に到着したときには、実際の旅を終了した気持ちにもなり寂寥感にさいなまれたものだ。 このkmlファイル化の作業ほど苦労したものはない。ガイドブックLe Chemin de Vézelay Guide Pratique du Pèlerin(9782841822232) に載っている地図が南北逆に書かれているのだ。つまり本の下部が出発地点で,上部が到着地点として書かれたりしている。場合により、本を225度回転してたりしなければ実際の地図と合わないのである。"地図愛好家"にとっては最悪の地図である。 それをGoogle MapやOpenStreetMapやGoogle Earthから読み取っていくのである。最小の細かい地図ではないので、グラフィック状の言わば漫画チックな地図から詳細経路を読み取っていかなければならない。この場合は、道路mapの”絵”と道路番号(D941、N21など)、村々の名前が唯一の手がかりである。印字がすべて逆さまとなっているのでフランス語を反対読みしなければならず、頭を使う。それもあい路(分かれ道)が多すぎるのだ。 Vézelayの町から出る場所で、左右に2通りに分かれる。左に行ってもその先でさらに2通りに分かれる。ドイツのcamino情報サイト:http://www.jakobswege-europa.de/の詳細図面ともところどころ違っており、実際旅した人からよく迷ったと聞くのは、この経路にあい路が多すぎるため、標識も複雑で「迷う」という状態に至ったのではないだろうか。現地ではしかも矢印に誤りが多いともいう。これは「誤り」ではなく、いろんな教会を巡ってほしいとの親心でいろんな方向に矢印があるものと考える。俯瞰的にも、今回作ったような地図があれば分岐点でそれがcheckできので参考になるのではないかと思う。 スペインに入ってからのフランス人の道は大体西に方角をとればよかったのであるが、「ヴェズレイの道は大雑把には南西方向225度にむかって都市都市を結んでいけばよかろう」と考えるのは甘い。 ある場合には北東に、南東、北西に向かい、精神状態はよくない。しかも1日の行程20kmでも、30回以上の分岐があるので、口笛を吹きながらまっすぐ進んでいるととんでもないことになる。Google Earthの「定規」機能を使ってトレースしている時でも、道を誤ることがしばしば。正確な測歩が欠かせない。 よって、このVézelayの道は、地図に対しては相当の熟練者でないと耐えらない道であると考えた。900kmの道(正確には889.8km)でも描写した総計は1200kmを越える。あい路が合計300kmも存在するのだ。 心してかからねばならない道である。 kmlファイルは小生のデータベース(http://turbo717.ciao.jpのホームページ 右上)から辿ることができる。Google Earthにインポートできれば、居ながらにしてcaminoの気分を上空から確認することができる。 kmlをトラックデータファイルtcxにコンバートすれば、Google Earth上で、鳥観図の動画Movieを作成することが可能である。ただこの動画Movieで気を付けないといけないのが風景画像はGoogl Earthの作成日付け(画面の下部に表示されている)の映像となるため(平地では、木々の茂みが少ない冬に撮影が行われることが多い)夏と冬では印象が変わってくる点である。せっかく夏に旅をしていても、冬の映像Movieを見せられるのはたまったものではない。徒然の記その5 内館牧子著「すぐ死ぬんだから」 2019.2.14(木)■2/11(祝・月)のTV「徹子の部屋」は「内館牧子、舘ひろし」のコンビであった。映画「終わった人」の原作者と主演(その時の妻役は黒木瞳)という組み合わせである。その映画は、定年で銀行の子会社から去る日の光景が、定年=生前葬と位置付けた点がユニークであったが、一念奮起し、東北で活躍の場を見つけ去っていく。美容院の妻は2ヶ月にいっぺん髪を染めにやってくるというエンディングであった。 その次作という著作が「すぐ死ぬんだから」(講談社 2018.7)で、舘ひろしはこの本は「終わった人」よりも(失礼ではあるがと前おきをしながら)面白いと言っていたのだ。それから話は急展開。 な、なんと。このTVの影響もあってか、図書館で蔵書検索すると予約待ちが349人も居た。図書館で借りようとしている自分だが「皆、本をどうして買わないのだ!」と憤慨する自分がいた。Amazonで検索するとなぜか送料が600円以上もする。異常事態である。だめもとで、駅構内にある本屋を覗いてみた。店員に言うと画面で検索を始めた。それから5mほどダッシュして戻ってきた。また画面を覗いた。なんとレジ前にうず高く積まれていたではないか。 反響を呼んで7刷目となっている。さっそく購入して2日で読んでしまった。図書館で待てば1年後になっていたであろう。こんな本は早く読むに限る。老い先短いんだから! この本を読んで思ったことは、同期会なんて、75歳でstopすべきであると。同期を大事にする思いで、しみったれて80歳になっても開くべきではないと考えたのである。同年代の小汚いジジババの集まりとなり、病気と孫自慢ばかりの話の輪に出席しても意味がないのではと感じた。しかも全員がペンギン歩きでよちよちと。逆に言えば、この本は「品格ある衰退(老衰ではない!)」へ指南書となっている。それへの実践者の集いであれば意味があろう。どれだけ輝いているだろうかとワクワクするような同期会であれば面白そうである。 このため全老人が読むべき本かもしれない。内容は、上に掲げた「ヴィオラ母さん」以上に、抱腹絶倒の本であった。全年代の人物が小憎たらしく描かれている。 出だしから凄いのだ、年を取れば、誰だって退化する。鈍くなる。緩(ゆる)くなる。くどくなる。愚痴になる。寂しがる。同情を引きたがる。ケチになる。どうせ「死ぬんだから」となる。あぁ全部当たっている! 作家の内館さんは、六本木のけやき坂を降りている時に転倒し、足の指を5本も骨折したという普通ではありえないような事故を起こしている。その入院期間中に書き上げたのが、本作であるという。「転んでもただでは起きない」を地で行っているところが面白い。 フィクションだというが、実在している人物像のように活き活きと描かれている。フャッション表現がすばらしい。男の僕など分からない単語が目白押しであり刺激になった。髪の部分でも、ボレッタ、ショートボブ、シニヨンと。服装の表現では、色とのコンビネーション表現が豊富だ。ビリジャングリーンのセータ、キャメル色のダッフルコート、カシミヤのボルドウ、グレーのパラッツォパンツ、ポルカドットのセーター、アースカラーのワンピース。男性の作家では出てこないような言葉が並ぶ。ハナという主人公の夫には、オシャレも強要する。 そのハナはループタイは絶対に許さないという。あれは締め付けない分、ジジイサンくさく見えるのだという。ジャケットにアスコットタイか、派手目のネクタイが同期会などに着ていくのにはよかろうと。リュックに帽子でぞろぞろ歩くなと! 手厳しい。もっと自分を飾れという。中身とも連動するのだと。反発も大きそうであるが。バアさんの場合あまりに服装と肌ツヤにギャップがあると「痛い。」と言って蔑まれるので注意という。 後期高齢者の先の呼び名が色々でていて傑作!→終期高齢者・晩期高齢者・末期高齢者・終末高齢者・臨死高齢者はそれぞれ85,90,95,100,105歳と想像した。小生など140歳まで生きようとしているので、その先を、仙人・明王・菩薩・如来などの高貴な名前で呼んでもらえるのだろうか。徒然の記その6 市街化調整区域のrun 2019.2.10(日)■Google Earthの計測機能に「ポリゴン」というのがある。閉ループの線長と面積を求めることができる。皇居1周をポリゴン機能で計測してみた。線長と面積は、5.01km、164ha。この面積を正方形に直すと、1.2km四方となる。正方形の一周は4.8kmで、誤差は200mである。 実は驚いたことに近所の農地を同じように計測してみた。いわゆる市街化調整区域で、農地の周りには宅地が迫り、または巨大工場の敷地と隣接する。それがなんと、一辺1.2kmの農地であるので、ほぼ皇居と匹敵する。すこし膨らむ形でコースを取れば一周5kmのあたらしいマラソンコースとなる。 さっそく走ってみた。少なくとも毎日このコースを時計回りか、反時計回りに回れば健康増進には繋がりそうである。交通費ゼロで財布にも優しい。信号ゼロ。道路横断2か所。じつに安全である。 頭の体操として、同じコースは二度と走らないということにしているので、バリエーションをちまちま取っていけば何千通りの”5kmコ-ス”が出来上がる。徒然の記その7 TVアニメ「ピアノの森」 2019.2.10(日)■NHK総合で日曜日の深夜24:10-24:35に放映される一色まこと原作のアニメ「ピアノの森」の第2シリーズが、1月28日(日)からまた始まった。昨年の夏(2018.4-7)に第1シリーズが終了し、今期はその続編。国際ピアノコンクールの二次予選の場面からである。 前にも書いたように、当家ではカミさんがVideoを撮りながら毎回欠かさず観ているのだ。漫画本は2012-15年にかけて発売していた。娘婿の愛読書であったらしいので、カミさんとの共通の話題になっていた物語である。 物語には、ポーランドの新星レフ・シマノフスキーが登場してくるのだ。ショパン国際ピアノコンクールでは、1965年のツィメルマン以来30年ぶりとなるポーランド人覇者ラファウ・ブレハッチをモデルとしているらしいので、目が離せない。 二次予選には雨宮修平(音源として実際のピアノは髙木竜馬(1992- 第16回エドヴァルド・グリーグ国際ピアノコンクール第1位)も順調に進んでいる。龐 威(パン ウェイ)の演奏の音源は牛牛(1997- ニュウニュウ)である。次回(2/17(日))には、いよいよ一ノ瀬 海(通称 カイ)が登場する。徒然の記その8 秩父観音巡礼その4 2019.2.16(土)■歩き塾のイベントで「秩父鉄道・浦山口駅→25.久昌寺→28.橋立堂→29.長泉院→30.法雲寺→秩父鉄道・白久(しろく)駅 計13.8km 」を皆と歩いてきた。 今回は、秩父鉄道・浦山口駅に9:30までに全員集まった。今回から寺の見どころをレジュメニに書き入れるようにした。すなわち見所・・25.久昌寺・・山門(仁王門)、観音堂、弁天池、前立本尊聖観世音、28.橋立堂・・高さ65mの岩壁、鍾乳洞、馬頭観世音菩薩、29.長泉院・・本堂、観音堂、格天井の千社札、30.法雲寺・・本尊如意輪観世音。 かって秩父の海に棲んだという海獣パレオパラドキシア(化石は天然記念物)が名前の由来となっているSLパレオ エキスプレスが冬季の土日に特別運行している。SLが煙を吹きながら走るのだ。ちょうど巡礼古道と並行す車線では、武州中川駅近くの踏切から12:35頃写真撮影。すでに大勢がカメラを構える。直前の下り電車からもドッと人が降りてくる。さすがマニアである。遠く新潟ナンバーの車も止まっていた。 西武線芦ヶ久保(あしがくぼ)駅に近い場所では人工の氷結が見られた。冬でも色々仕掛けがあり楽しい。巡礼は3月、4月で34寺全部を回ることになる。一筆書きだと120kmくらいになるが、最後の4寺はバス利用で短縮予定。春が待ち遠しいが、今日は一番の寒さ。終了後は新宿で用事があるため、打ち上げをやらずお暇をさせてもらった。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Feb 16, 2019
コメント(0)
映画「家へ帰ろう」_ story (4380)2019.2.9 I have been increasingly shouting "Failure!" or "Oops" or "Mistakes!" or "Fizzled!" son on.Is it due to aging? I am shame,regrettable.Today I mistakenly dropped a cup of skim-milk to sugur box. Oh No!失敗! と叫ぶことが次第に多くなってきている。加齢のせいだろうか。悔しい!■今週の1枚 横浜水道道路・・トロッコ道道志川→津久井湖→横浜へと水道管が何本も南下をしている地域に住んでいる。こういう道は大概住宅街を斜めにまっすぐに10km、20kmと伸びて居るので、緑道となっている場合が多い。米軍キャンプなども横断しているので面白い。いつか皆を案内したいものだと思っている。目次徒然の記その1 音泉室内合奏団徒然の記その2 映画「家へ帰ろう」徒然の記その3 ポーランド人:カシャ・マハウク個展 徒然の記その4 失敗徒然の記その5 チャーチルと原爆徒然の記その6 天狗の会徒然の記その1 音泉室内合奏団 2019.2.2(土)■音泉(おんせん)室内合奏団 ヴァイオリニストで各地のオケのトレーナーである三溝(さみぞ)健一氏が設立したオケ。氏がトレーナーを務める東京、長野、新潟各地からプロ級のオケから団員が集まり2回の合宿で本番を迎える。指揮者を置かないというスタイルであり、非常にユークで面白い。 演奏会の度に集まるというスタイルのオケは故宇宿允人(うすき まさと 1934-2011)さんが率いた管弦楽:フロイデフィルハーモニーと似ている。宇宿オケは公開リハーサルも有名であった。 さて、音泉(おんせん)。語感が面白い。 今回が第56回の演奏会。年に3回ほどの演奏である。小生は2016.2の上野学園 石橋メモリアルホール、2017.2の紀尾井ホールに次いで3度目の鑑賞で、今回は川口総合文化センターリリア 音楽ホールへ向かった。曲目:フォーレ(1845-1924):パヴァーヌウィリアム・シューマン(1910-1992):交響曲第5番「弦楽の為の交響曲」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827):交響曲第3番「英雄」アンコール・・ロベルト・シューマン(1810-1856):トロイメライ■W.シューマンの曲は恐らく初めて聴く曲であった。NY生まれの作曲家である。バーンスタインや、「4分33秒」の休みのある作品(1楽章 Tacet(タチェット 音を出さない)、2楽章 Tacet、3楽章 Tacetだけの楽譜で演奏会場に響く雑音や聴衆のざわめきだけが聴こえる)を発表したジョン・ケージなどと共に、アメリカの音楽界には欠かせない存在である。 1943年にピューリツァー音楽賞の最初の受賞者に選ばれ、歌曲、室内楽、管弦楽、吹奏楽、歌劇などジャンルを問わず作品を発表。1946年にジュリアード音楽院の校長に就任。1961年にはリンカーンセンターの音楽監督に就任。交響曲は10曲作曲しているが最初の2曲は世に出ていない。 交響曲第5番「弦楽の為の交響曲」は1943年の作品。三楽章(1.Molto agitato ed energico 2.Larghissimo 3.Presto)からなり、ジャズの要素を巧みに取り入れて親しみ易い旋律感を醸し出している。出だしからコンサートマスター(三溝(さみぞ)さん)の強烈な弾き振りに圧倒された。全員の呼吸がピタリと合って躍動感溢れるリズムが進行していく。■ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827):交響曲第3番「英雄」・・1804年(34歳)の作品であるが、難聴の病魔に襲われて書いた遺書「1802年のハイリゲンシュタットの遺書」の後の作品である。1810年頃(40歳)の全聾(ろう)へ向かう病状の中での最初の作品である。革新的な作品が次々と世に送り出されることになるが、この曲はソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)した曲として特徴がある。最高度難聴者ながらよくぞこんな曲を作曲できたものだと感嘆しつつ曲を聞く。 このオケを聞くたびに、指揮者が居なくてもこれだけの演奏ができるものだと感心すると同時に、もしここに指揮者が居ればどんな風に変わるのだろうかとそんな風に曲を鑑賞している自分が居ることに気付くのだ。指揮者がいない分、コンマスが余計に動くというような風にも思える。ベートヴェンが言ったように、「音楽のドラマを伝えるためには演奏家は役者であるべきだ。音楽を感じ、顔と身体で感情を表現しなければならない。」 これを具現化するために、弦楽奏者たったの31人、管打楽器12人の小編成の全員が、顔と身体で見事な演奏をし終わったときには、鳥肌がたった。こんなことが出来るとは! という感動とベートヴェンが乗り移ったような演奏に酔いしれたコンサートであった。 みんな余りにもうまい。市民オケの当団からコンマスとフルートのご夫婦が参加していた。徒然の記その2 映画「家へ帰ろう」 2019.2.4(月)■映画「家へ帰ろう / 監督:パブロ・ソラルス」は、東京ではシネスイッチ銀座(銀座四丁目)と、新百合ヶ丘の2館でしかやっていない。 銀座に出かける用事があったので14:30の上映に間に合わせるべく、月曜日にやって来る生協の積み下ろし作業が終わった直後に家を飛び出したのだ。 これほどのシリアスな映画(頭が研ぎ澄まされる感のある映画)があっただろうか。ホロコーストを生き抜いた一人の老人が故郷のポーランド・.Łodź(ウッチ)の町に帰ろうとする映画である。2014年のiPhone6発売に88歳という設定から1926年生まれ。1945年には19歳だったということが推定される。) 言いたいことをすべて包含させた上でぜい肉を削ぎ落した珠玉の90分の映画である。最後の最後に泣かせる。とめどもなく涙があふれ出てしようがなかった。 エンドロールの間中、涙が乾くのを待った。思えば、3年半前の2015年、ポーランドをウッチ市を通り抜けて1000kmも歩いていた当時を思い起こしていたのだ。懐かしいポーランド、Warszawa(ワルシャワ)の街と、Łodź(ウッチ)の路地裏を。 主人公アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)が娘たちにより老人施設に入れさせられる前日から物語が始まる。1945年(当時18,9歳)に出国した生まれ故郷へ帰るという主人公と共に、アルゼンチン(ブエノスアイレスス)→スペイン(マドリード)→仏(パリ)→独(ベルリン(?))→ポーランド(ワルシャワ→ウッチ)と物語が展開する。各地で出会う様々な女性が味を付けていく。 この映画、ポーランド語に関しては字幕がでない。アブラハムがかって住んでいたŁodź(ウッチ)に辿り着いてからはポーランド語だけの世界となる。最後の瞬間に涙がどっと出るしかけ。見事なものである。 今思い出しても涙が出る。 カミさんも後日新百合ヶ丘でこの映画を観ている。それまでは家の中でも箝口令を敷いていたのだ。「いい映画だった。」と言っていた。徒然の記その3 ポーランド人:カシャ・マハウク個展 2019.2.4(月)■ポーランド人Kasia Machalekカシャ・マハウク(1989- )は新鋭の女性グラフィックデザイナーである。その個展がアートスペース銀座ワン(Art Space Ginza-One 奥野ビル202)で2月4日から開催された。初日にはレセプションが開かれ大使館の人達も駆けつけるというので参加した。 知り合いのフラクタル画家(雲や木々の形状が数学的にフラクタル理論で解析できるように絵画でも実践している画家)が自分の部屋を提供し、隣接する画廊も借り切っての個展である。 人や動物や自然をテーマにした作品30点ほどが並ぶ。作品の一つ、「Chermoula Aubergine with Bulgar and Yoghurt(プルームとヨーグルトのシェムラ茄子)」という料理のレシピをイラストにしたジグレー版画(「吹付け」を意味する仏語:ディジタル版画の一種)を買ってきた。 今年は日本とポーランドとの国交100周年であるので、ポーランド政府が若い芸術家を招聘したのではないだろうか。その女性(背が高く超美人の30歳)としばし会話。tak,tak(ターク、ターク=yes、yes)と鳴くKuropatwa(ヒヨドリ)ような返事だけを返しながら。■ギャラリー暁・・銀座6丁目にある画廊にも足を向ける・・ここでは「第13回東京展・春季会員展」をやっていたのだ。2/4-9の会期ということでマハウク展と同じ会期。大部屋に10号くらいの絵が50点ほど並び、その画家たちもその数だけ来ていてopenningのセレモニーをやっていた。抽象画がほとんど。■銀座中央ギャラリー・・奥野ビル4Fでは「アール・ブリュット展(アール・ブリュット:(仏語)加工されてない「生のままの芸術」)」が開催されていたのでそちらにも顔を出す。1940年代、精神障害者らの自己表現が刺激となってフランスで生まれた芸術潮流で、「アウトサイダー・アート」とも呼ばれる。 自閉症作家 玉川宗則さんが居たのですこしお話をする。エネルギッシュに絵を描いている。本の装丁なども最近では手掛ける。林航平さんなどとの共同展示。昨年はパリでアール・ブリュット・ジャパン展を開いておられる。■同潤会ビル:銀座2丁目にある奥野ビル・・中央通りにはシャネルの新しいビルなど革新的な壁面を誇るビル群が林立するのに、2本通りを異にするだけの裏通りには、蔦の絡まる同潤会ビルがまだ残っているのだ。 築85-87年の、かっての銀座屈指の「銀座アパートメント」である。新旧のビルが左右対称で並んでいる。現在は奥野ビルとなっているが、中の造りは従来のままである。エレベータなぞ、蛇腹式の古風なもので歴史的価値がある。知人がここでアトリエを展開しているから驚く。 多数の芸術家の一大”巣窟”である。どの部屋でも個展などの催しをやっているのでカシャ・マハウク個展をきっかけに皆さまも気軽に訪ねて見られてはいかがだろう。徒然の記その4 失敗 2019.2.5(火)■なんと失敗の多い人生か!「失敗」を分析するといろんな事柄がある。1.本当の失敗・・財布を無くしてしまった失敗、Violaを電車に置き忘れてしまった失敗。(気をつけないといけないのに、気ずかなかったというミス。不思議なことにだいたい無くしたものは後で出てきているのであるが。)各種粗相の失敗。2.時間的失敗・・1秒違いで電車に間に合わなかった失敗。偶然の要素も多い。3.戦略的失敗・・1円玉を何枚も出す人が何人もいるレジに並んでしまった失敗(天声人語の記事から)、空いた車輛もあるのにわざわざ混んだ車両に乗ってしまった失敗。乗り換えるとき、きまってホーム側にエスカレータなどの障害物がある車輛にのってしまう失敗。4.不可抗力の失敗・・山歩きを計画した日に雨が降ってしまった失敗。5.不注意ミス・・ドブに落ちる、ものを落とす、家を間違える(似たような家が並んでいると間違えやすい。3歳頃か?)、リュックを盗まれた失敗・・悔やんでも悔やみきれない失敗でいまだに尾を引いている。見落とし・・分岐路、矢印。6.操作ミス・・これが一番多いのだ・・手順を逆にしたり、飛ばしたり。種々のパソコン操作ミス。計量ミス。7.食べ過ぎ、呑みすぎの失敗・・試験中はあまり食べてはいけないのだ、眠たくなってしまった失敗。8.忘却の失敗・・買い忘れ。鍵を忘れ、カードを忘れる。ハンカチを忘れる。人の名前を忘れる。タブレットを忘れる。「検便」を玄関に置いたまま診療所に。スリッパが無い。どこで脱いだか覚えていない。カミさんに尋ねるも「知らない」と言われ、未だに出てこないのだ。種々の物忘れ。9.寝坊の失敗・・夢の中では返事をしたのに、実際に寝坊してしまった失敗。10.勘違い・・道を間違えた失敗。これは山ほどあろう。時間、場所、日時、・・。枚挙にいとまがない。11.出来なかったことの失敗・・受験に失敗。試験、試作機、手品、スピーチ、パフォーマンス など諸々。12.選択のミス・・A・B・C・・。Aを選べば良かったのに! 今更変更できない。13.伝達のミス(伝達精度など 待っていても来なかったなど、計画したが途中で気が変わった・・、コミュニケーション・ミスなど)14.病気になる・・風邪をひく。15.悪に手を染める・・多すぎる。世の中失敗だらけである。「上手く」いかなかったものは悉く「失敗」の領域に入れることが出来る。その時に発する言葉も「失敗!」の2文字で済むところが面白い。今日など新種の「失敗」をしでかした。 パン作りで、スキムミルクを大匙1杯を図ったまではよかったのだ。いや少し状況がいつもと違った。新しい袋から足りない分を少し足していたのだ。それを250gの強力粉がはいった容器に入れないといけないのに、そっくりな形の砂糖の容器が蓋を外して傍にあったものだから、その中に落とし入れてしまった。砂糖の容器にスキムミルクを入れて何とする! 砂糖の容器が開いたままそこに置かれていたこと自体がおかしい。 さぁ大変。スキムミルクにまみれた砂糖から上の部分をそっと掬おうとしたがうまくはいかない。瞬間に砂糖とスキムミルクが混ざってしまっているのだ。黄色くなった砂糖をこれから料理に使い続けるのか?カミさんの顔が浮かんだ。ここはきっぱりと。砂糖を全部捨て、新しい砂糖を容器に詰め替えた。残っている砂糖が少なくて助かった。作成中のパンはスキムミルクを計り直して容器に。多少スキムミルクが多くなってしまったがお味のほうは? 少しモチモチ感が。まぁ食べられなくはない。 リベンジの効くものも多いが、不可逆なものもある。まさに人生である。「7.」なぞ人生を変えてしまった。あぁあのとき、空腹に耐えかねて腹いっぱいの昼食という極楽が、午後からの地獄を招いてしまった。徒然の記その5 チャーチルと原爆 2019.2.3(日)■NHK BS1 14:00-16:00 「チャーチルと原爆ー投下極秘戦略とスパイ ヒトラーとスターリン(再)」をたまたま見ていた。 ここでは、原爆投下をチャーチルとトルーマンで合意して決めたのだと言っていた。 日本からソビエトへの天皇からの和平の打診電文は暗号解読で米英に筒抜けであった。米国に向けてのそれも悉く無視され、「和平」なぞもっての他で、なによりも日本を懲らしめる必要があったのだと。 原爆実験は7月16日にニューメキシコ州アラモゴード砂漠のホワイトサンズ射撃場での成功を見て、弾頭が船に積まれて出港した。実戦適用はわずか2w後の8/6(広島 ウラン型)と8/9(長崎 プルトニウム型)の2発の投下となった。 最後まで、爆撃が行われていない ”まっさら”な”大都市”(京都、広島、小倉、長崎・・)が残されたのは、核の威力を確かめるための最重要要件であったようであるが、その投下の決定にチャーチルが大きくかかわっていたとは。 結果として原爆投下により日本は無条件降伏をし、直前の(8月9日)ソ連の対日参戦が開始された。東西の冷戦はチャーチル、トルーマン、スターリンで始まった感がある。徒然の記その6 天狗の会 2019.2.6(水)■映画「マスカレード・ホテル」・・新宿は大(おお)ガード近くの居酒屋「天狗」に行く用事があった。どうせ新宿に行くのなら、別の用事とひっかけたい。2時間ぐらいの余裕を見て家を早く出れば映画の一本が観れるとの裁断で、検索を開始。ボヘミアン・ラプソディーなどは、通の人達の会話に「何回観たか?」というのが挨拶がわりになるほどでこれは大音響映画館を探して観るに限る。そこで今回は「マスカレード(仮面舞踏会)・ホテル」というミステリィーを新宿ピカデリーで観ることにした。 驚いたことに平日の水曜日だというのに満席状態である。すでに観客400万人弱を動員している超hit作である。ホテル一館のみで話が進むグランドホテル方式の映画は、2006年の三谷幸喜監督の映画「THE 有頂天ホテル」と似ていて面白い。両映画に共通しているキャストは松たか子、生瀬勝久ら。ホテルのあらゆる部署が撮影に使われていて勉強になる。 話しを戻して、この天狗の会。面白いのは、毎回違う話が聞けることだ。サラ文(サラリーマン文化芸術振興会)時代、つまり現役のバリバリのサラリーマンであった時代の話が一番面白い。草野球で打者の振り下ろしたバッターが頭に当たり大きく陥没したのに生還を果たした人が、その傷跡を見せてくれた。1cmくらい陥没しているのに、今まで気づかなかったとは。 西荻窪を拠点として活躍している漫画家の東海林さだおさんと同じ草野球のチームだったという。出席者の中に野球をやっていた人が3人もいた。自動車販売会社や保険会社が自前の「グランド」を持っていたよき時代の話である。 サラ文の累積会員は800人以上。中にはポーランドに語学留学した人や、けん玉日本一という人などもおられる。一芸を持つ人たちが新聞の記事「この指止まれ!」を見て集まったのだという。4月のお花見に全員に声を掛けてみようということになった。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Feb 9, 2019
コメント(0)
大坂なおみ 驚きの成長、日本丸_ story (4379)2019.2.2Early in the morning of February 1st, it rained .The daffodis and wintersweet (Chimonanthus praecox) bloomed in my garden and others. Buds of plums gradually become bigger. In February ,it is the coldest of the year, but signs of spring are felt from the atmosphere. I want to" survive " taking care of my health.1月31日深夜にようやくおしめりがあった。庭には水仙がさいている。蝋梅が咲き、梅がほころび、春の兆しを感じられる2月は一年で一番寒い時期である。健康に気をつけて乗り切りたいものである。■今週の1枚Nippon Maru in dry dock(日本丸と干されたドック 2019.1.25)航海練習船の日本丸(2278t、97mx13m、喫水5.3m)は1930.1.27に進水して以来89歳(1984年引退し横浜メモリアルパークに停泊中)となった。現在20年ぶりに船体・船底、甲板やヤードなどの大規模修繕が行われている。海水が抜かれたドック(このドックも国の重要文化財である。石積みの船渠(せんきょ)は明治期のもの。)は今の時期であれば全体が見渡せる。3月中には水が満たされ、5月になれば29枚の帆が拡げられる総帆展帆(そうはんてんぱん)が見られるかも知れない。船体は灰色の覆いの中で見えないが透視的に想像して描いたものである。目次徒然の記その1 大坂なおみの凄さ!徒然の記その2 Violin-Viola Duo徒然の記その3 奇跡の天才ピアニスト 紀平凱成 徒然の記その4 カラスの行水徒然の記その5 多摩森林科学園 徒然の記その6 こころの時代~宗教・人生~「山の人生 山の文学」徒然の記その7 相澤冬樹著「安倍官邸 vs NHK」 徒然の記その1 大坂なおみの凄さ! 2019.1.27(日)■1/26(土)は、歩き塾主催の「地図講座」と多摩森林科学園での散策があったのであるが、皆そそくさと帰ったものだ。夕刻から始まるテニスの全豪オープン・女子シングルスの決勝で大坂なおみとチェコのペトラ・クビトバとの試合を観戦するためであった。18:45からは第二チャネルに切り替わり放送が続けられ、NHK総合では19:30からのブラタモリの放送は取りやめとなり試合が実況中継された。このため相当数の視聴率となった筈である(32.3%)。第1set 7-6、第2set 5-7、第3set 6-4で下して初優勝し、4大大会2連勝を果たした。28日発表の世界ランキンギで文句なしの1位。いや胸が空く思いである。すごいのは、精神年齢が「やっと5歳になった」というぐらいで、無限の可能性を秘めている点である。まだまだ伸びしろがあり、素晴らしい人物が世界に躍り出たという感がある。 第2セットでは3連続のマッチポントを握っていたのであるが、連続で3ポイントを奪われブレークを許してしまった。このあたりがクビドバの気迫である。つんざくような歓声を聞きたくないと、耳をふさいだ。 1分50秒弱のトイレブレークで大坂はまるで別人になっていた。、晴れやかにコートに戻ってきたのだ。本来のキレを取り戻し、ジュースからアドバンテージを奪いバックハンドのウィナーを決め、そのまま逃げ切った。「インナーピース(内なる平穏 or 心技体のバランスが取れた「平常心」)」を心して。 まだ21歳であることを考えると、「大坂時代」が到来するのではないだろうか。 型にはまらない言動も世界を魅了している。ユーモアあるインタビューも毎回楽しみになってきている。■大阪と大坂・・・総合TV「日本人のお名前」でさっそく取り上げていたのが面白かった。大阪という地名と大坂という苗字。関係があるのか?という問いである。大阪生まれの「大坂なおみ」は「大阪で生まれた人は全員、苗字がオオサカなの」などとおちゃめな発言をして笑わしていたが、「坂」の文字は「土を反す」というように解釈できるので地名としてはそれを嫌い「阪」という漢字を当てたと。北前船で日本海を経由して大阪と北海道とが結ばれていたので、大阪人が北海道に移住し「大坂」を名乗ったのだという。「おおさか」の苗字では、9割が「大坂」で1割が「大阪」であるという。徒然の記その2 Violin-Viola Duo 2019.1.29(火)■現在瞬間的に空き家になっている本宅のマンションで月1回の音楽の友とのDuoを楽しんだ。今回は弾く曲が多い、・リムスキー・コルサコフ:ズライカの歌 Op.26-4、ほんの一瞬だけでも Op.39-1、雲は流れ Op.42-3、高みから吹く風が Op.43-2・モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 K.424 第2楽章・ヴィヴァルディ:ギター協奏曲 第1楽章・ブラームス :恋人を尋ねてOp48 No1 、愛しい人よ WoO.33(ドイツ民謡集) No.12■楽譜Violinの友が歌曲を編曲(ViolaとのDuoに合うように移調することもある)してくれて、A4の紙にViola-Viola(ト音記号とハ音記号の楽譜:ピアノで言うと右手と左手)の楽譜を4行くらいで1枚として、それを1~4枚くらいの長さになるような曲に仕上げてくれていて逐次送られてきている。各曲には表紙と歌詞に加え、歌の意味や、作曲背景など膨大な資料が添えられる。 その中からDuoで実際に弾く曲を選曲するのである。1ヶ月前くらいに決まる。小生はそれらをコピーして製本して1冊としておく。合奏の時はDuo楽譜だけの薄いものである。その冊子を日程までに練習をしていく。ViolinとViolaの2段で書かれた楽譜はお互いの譜面を見ることができて合わせやすい。カルテットなどは普通はパート毎に印刷されているため、相手のパートがどこを弾いているのか分からず小節線や練習番号で合わせていく。この方が紙の分量が少ないのであるが、我々のはもともと短い曲であるので両方を書いても支障はない。■Finale PrintMusic(フィナーレ・プリントミュージック)さて、氏から送られた楽曲はフォルダーと個別のもの合わせて計800を超える。2012年から音楽大学の図書館に通ったりしながらせっせと楽曲を集め編曲作業をしてくれたものだ。バッハ、モーツァルト、ブラームス、チャイコフスキー、リムスキーコルサコフ・・多々。楽譜には歌詞をふり歌えるようになっていいる。ロシア語は読めないが。 作成に使っている譜面作成ソフトは「Finale PrintMusic」である。プロ用は「Finale(フナーレ)」であるが、Finale PrintMusicのほうも負けてはいない。最大24パートまでの五線の作成、数に制限のない歌詞グループ、出版譜並みの高精度で、歌詞が自動的にスペーシングされる、あらゆる楽器を任意のキーに移調、強弱、速度、パーカッション記譜、コードネーム、ギターのフレットボードとタブ譜、アーティキュレーション、ハンドベル記号などの挿入も可能である。 再生もできて音を聞くことができる。友はこのソフトをもう8年以上も使いこなしベテランの領域である。 趣味の領域とはいえ、おそらく食事を抜き、睡眠時間を削って、没頭してきたのであろう。何年も。 ひょっとして残された人生を通してこの編集を続けることができるほど奥が深い作業なのであろう。Violinを弾きながらよくできるものである。小生もお試し版を実行したことがあるが、もう少し時間ができるようになれば購入してマスターしたいソフトである。徒然の記その3 奇跡の天才ピアニスト 紀平凱成君 2019.1.25(火)■紀平凱成(きひら かいる Kihira Kyle 2001~)君は、13歳の時、東京大学・日本財団が共同で進める「異才発掘プロジェクト」第1期ホーム・スカラーとなり、16歳で英国トリニティ・カレッジ・ロンドンの上級認定試験"advanced certificate"に高得点で合格し奨励賞受賞。17歳で同大学のディプロマ取得。 2018年には、全日本ジュニアクラシック音楽コンクール全国大会で難曲のウクライナの音楽家N.Kapustn(カプースティン)の作品を完璧に演奏し、審査員賞受賞という輝かしい経歴の持ち主である。 2歳の時に自閉症と診断されるが、数学と音楽に異才を発揮。5歳の時には√(ルート)の計算を始めたという。書いた楽譜を見たことがあるが記号が怒涛のように並んだもので音楽を数学的に読解しているようだ。一度聞いた歌や音楽をピアノで再現することができるという。天才中の天才である。■「ザ! 世界仰天ニュース」29日(火)日テレに 出演・・・『スタジオ騒然!天才イケメンピアニスト自閉症の困難と奇跡』。 幼児の頃から数字やアルファベットなど、記号や、コード(和音)名に興味を持ち、お絵かき帳に書き始める。人とは違う才能を次々発揮。困難を乗り越え「ピアニストになりたい」という夢を叶えたのだ。スタジオでは世界が絶賛するピアノを生披露! お風呂上りでたまたま点けたTVでやっていて思わず録画。最近は会場の人達に面と向かって挨拶ができるようになった。音には非常に過敏で耳に吸音マフを付けて生活をしている。ここまでの努力は相当のものだったのだろう。これからは、特徴が取れて丸くなるよりとんがったままでいて欲しいとも思う。2019.4.7(日)に浜離宮朝日ホールでのリサイタルはすでに完売となっている。■上記TV番組の時は入浴中であったカミさんにVideoを見せてあげた。もう一人別の女性のピアニスを知っているという。この彼のこともあとで調べたらしく、英国トリニティ・カレッジの情報をgetしていた。「すごい青年なのよ!」と。 アインシュタインも自閉症だったという。その他アスペルガー症候群や発達障害など難題を抱える多くの少年少女はひょっとして天才の才能を有しているのかもしれない。 要するに何かする人は変わっていないとだめなのであると。「普通」はしょせん普通なのであると。 では小生何かリュックを担ぎながら走っているのは、鬼才なのであろうかと問いただした。「昔から言う、バカと天才は紙一重なのよ。」と。徒然の記その4 カラスの行水 2019.1.31(木)■カミさんが”目力”で言う。「貴方、このお玉 ワカメが付いたままよ。」と。これは口で言ったのではない。目で言ったのである。別のを使いだした。 さもありなん。小生、なにもかも速いのである。ちゃちゃと洗うときに、みそ汁の鍋用のお玉にワカメがくっついていたのを見逃しそのま乾かして引き出しにしまったようである。TVコマーシャルを2分と予想して台所に飛び出し片付けることが多くその弊害であろう。反省。 例としては、先を急ぐときのお風呂は3分であがってくるのだ。カラスの行水のように。合宿では、Violaの先生も速さでは負けないとは言っても5分とすこし長い。勝負になっていない。温泉など有料の場合は元を取るべく、手がふやけるまで長く入っているのはどうも”大阪根性”が抜けないためであろうか。 そういう時に皆の洗い方を湯船から観察して驚くのである。な、なんと。10分も同じ場所を洗い、頭なんかも何十回も湯を使っている。そのうちに禿茶瓶になるであろうに。あぁー。あまり洗うと皮膚がダメになることも知らず。今度はシャワーを使いだした。徹底的に身体にかけている! こういう人に限って後ろに人がいることにはお構いなしだ。シャワーのお湯が湯船にも飛んでくる! あぁ、教育をしなければいけない。「お風呂の入り方」など学校教育では教えないのであろうか。 「後工程に人が有り。」という教訓で、時間的に後の行程には、そこで待ち受けている人のことを思って行動をしなさい。であるが、ここではまさに「後ろに人がいる」という物理的な場面でも役立つ言葉である。 お風呂で体を徹底的に洗ってなんとする! そこそこで良いのだ。カラスを見よ。わずかな数秒である。見たことはないが。(YouTubeに12secの映像があった) 野外ではいつ敵が襲ってくるかもわからず悠長にお風呂など入れないのであろう。 少年のときに笑い話がある。皆で銭湯を競争したことがあった。風呂屋の10m手前から走って暖簾をくぐり、靴を脱ぎ、番台にお金を払い、脱衣場で裸になり、湯船に浸かるまで。誰が一番か?と。 少年Aは、25秒。少年Bは、30秒。少年Cはズボンでもたもたして1分10秒。O少年は8秒! なんとシャツを着たままであったので失格。このO少年が私であった。徒然の記その5 多摩森林科学園 2019.1.26(土)■樹木園は凡そ7ha。周囲にある試験林を合わせると100haとなり、高尾街道と隣接する武蔵陵墓地の64haを含めるとそれこそ何山にもなる広大な森である。高尾駅からその連山が見える。 両方とも宮内庁の管轄であったが、1940年から林業試験場となり、1988年に多摩森林科学園と改称。 以前は桜の開花時期だけ一般公開されたが、いまは樹木園に限り通年で公開されている。昭和の初期から、国内外の樹木約500種、6,000本を植栽。園内では775種の野生植物が記録され、季節の植物を楽しめる。特にサクラは全国各地の1500本が集められており、2月から5月かけて順番に咲き誇る。このため至る所にベンチが用意され寛げる。 また野鳥観測のメッカで多くの愛好家が訪れる。5月から翌年の3月までは入園料300円、4,5月は400円。4月は9:00-16:00。それ以外は9:30-15:30。月曜日が休園。3月から5月連休までは無休。 その広大な樹木園を歩き塾で散策を始めたのであるが、「夫婦坂」「釣舟草通り」「柳沢林道」の3分岐点で道に迷った。地図の講師失格である。”地図が読める女性”から「間違っていませんか!」との声がかかった。なんとスタートした「森の科学館」へ戻る方の急坂を登っていたのである。 どうもMaps.MeやGeographicaにインポートした元の地図がGoogle Earthからのあやふやな園内のルートmapであったためややこしい分岐で方角を誤った。これは地理院地図を元にしたカシミール3Dによる正確なトレースにすべきであったのである。少し手を抜いたために恥をかくことに。また南北が反転したままのコンパスを持ち歩いているのもとっさの判断を狂わした。 道を間違った場合はいつもどうして間違ったのかと必ず地図を見直し再発防止に役立てる。世界中でいままで間違った場所はすべて特定できている。その多くが実際の道の曲がり具合と、地図に書かれた線が違う場合に起こっている。地図ではまっすぐなのに、実際は曲がりくねっていて見通しが効かないということはよくある。 何分の1という地図であるかぎり、微妙な曲がり具合を反映できないのである。しばらく進んで、コンパスなどと照らし合わせながら正しい方向を模索するといった慎重な行動が必要になる。あとはずんずん進んでいけばよい。要注意pointをいかに切り抜けるかに研ぎ澄まされた感性が必要になる。徒然の記その6 こころの時代~宗教・人生~「山の人生 山の文学」 2019.2.2(土)■Eテレ 2/2(土) 13:00-14:00 「こころの時代~宗教・人生~「山の人生 山の文学」」・・熊野古道・中辺路の近くに暮らす作家の宇江敏勝(1937~)さんは、果無山脈や十津川などを舞台に、山の民の信仰や伝説を描いた民俗伝奇小説を書き継いできた。「熊野木遣節」、「黄金色の夜」、「七はぎの産着」、「鹿笛」、「山びとの記」、「山びとの動物誌」などの作品である。今回は「はるかなる山の人生と文学」という題でディレクターのインタビューに応えるという形の撮影。 幼少のころは山で炭焼きの父のもとで暮らし、長じてから林業に携わってはその合間に小説を書き、文学界に認められて作家になった人である。今は中辺路の熊野古道の近くで暮らす。 中辺路・継桜(つぎざくら)に残る「野中の一方杉(那智さんの方を向いて一方方向に伸びた枝を持つことで知られる)」の巨木9本は南方熊楠(みなかた くまぐす)が保存を提唱して残った杉であるという。それを除いて、現在熊野にある杉は植林された樹齢70年くらいの若い木が多い。宇江さんらの森林組合が植えたものであるという。将来は、自分しか書けない炭焼きの話を長編小説としたいという。 自宅の材木は、自分で植え育てスギやヒノキであるという 小生もお袋が熊野川河口の新宮市の生まれの関係で、熊野川周辺の話はよく聞いていた。山をいくつ持っているかが地元ではステータスであった時代である。今は二束三文であるが。 当時は、伐採した木を「狩川」という手段で谷筋から本流まで運んでいたという。その時男たちが声を合わせて歌った木遣り歌をテーマにした小説が「熊野木遣節」である。「黄金色(こがねいろ)の夜」は備長炭になるウバメガシや、鍛冶屋が使う杉の炭など炭焼き釜から燃え滾(たぎ)った木を取り出すタイミングの色が主題となった小説である。真っ赤に燃えた色がちょうど黄金色になる瞬間があるという。夜中に燃えた材木を取り出し、灰にまぶして炭を作るという。 川まで担いでいき、舟に載せて運ぶのだという。竹かごなどを編むのは麓の人達であるという。傾斜のある山林を登ったり下りたりする大変な重労働であった筈だ。素朴な熊野の山の自然にふれたいと思うならば、氏の小説を読むに限る。さっそく図書館の数冊を予約した。徒然の記その7 相澤冬樹著「安倍官邸 vs. NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由(わけ)」2019.1.30(水)■森友学園問題で数々のスクープを飛ばしたNHK辣腕記者相澤冬樹氏(1962~)が左遷された。人事異動で記者を外されて考査部に配属になった機会で辞職し(2018.8.31)、9月から大阪日日新聞の記者になり、真相究明を続けようとしている。その悲願のもとに書き上げた初めての著書が「安倍官邸 vs. NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由」(文芸春秋 2018.12.25)である。 首相の「学園に関係していたら即刻辞める」と言う無責任な発言(2017.2)で、財務省関係者の文書改竄が始まったようであるが、この本はそれを匂わせる十分な内容となっていて面白い。近畿財務局上席官の自死に関する背景も1章を割いて詳しく書かれている。事実は闇から闇に葬られたあげく財務局関係者全員が不起訴処分となった。 さて、最近のNHKはAbe放送局となり下っていないであろうか。反骨の記者がこうして飛ばされていく背景から推測出来てしまう。首相の答弁はすべてが事前に用意されたフリガナ付きの文章である。外遊の際、読み上げるページを間違え相手側から指摘される迄気が付かなかったという。恥ずかしい限りである。しかも、中央省庁のあらゆる部署で不正が蔓延し、またそれを隠そうとする。 一向に国民が怒らないのが不思議なくらいである。あきれて物が言えない状況か。好景気は6年以上続いているというが実感がない。経済界からは歓迎されている政策だから企業人からはあまり反発がないのであろうか。年金がどんどん減らされていく老人たちは手を挙げる力もない。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Feb 2, 2019
コメント(0)
横浜美術館へrun_ story (4378)2019.1.26 I ran to Yokohama Museum of Art from my home at 25th Jan. I made KML files(Keyhole Markup Language)on Google Earth beforehand ,and imported to offline map Ap-Maps.Me and Geographica. I often stoped at points of the signal and checked the screen for having correct roads.On the 34 km route there is a way to go through the residential area , but even 1 mm is not confused. Enjoy the game.久々に横浜美術館までrunningをした。Maps.MeやGeographicaに走りたい道をインポートしておいた。走っている最中にちらちら見ては「走りスマホ」になってしまう。信号の要所要所で確認。34kmの道には途中住宅街を通り向ける道もあるが、1mmたりとも迷わない。ゲーム感覚を楽しむ。■今週の1枚Bukosan from Seibuchichibu St.(西武秩父駅跨線橋からの武甲山)この武甲山。手前の東側半分が石灰岩で出来ているという。1900年当初の測量では1336mあったが、1940年からの石灰岩採掘で、低くなってしまい、現在は三角点がある場所は1295m、西側の高い場所が1304mとなっている。4億トンの石灰岩を取り終わったら東側全部が削り取られて絶壁となってしまうのであろうか。頂上からは秩父地域全域が見渡せる。日本二百名山であるうちに登山しておきたい。西武線・横瀬駅と秩父鉄道・浦山口駅が登山口の最寄り駅となる。目次徒然の記その1 ミニクラシックコンサート徒然の記その2 あなたの若さを殺す敵徒然の記その3 Viola Lesson 徒然の記その4 イサム・ノグチと長谷川三郎展-変わるもの、変わらざるもの-横浜美術館徒然の記その5 地図の講座と実践徒然の記その6 ラーメン まんぷく徒然の記その7 シャコバサボテン徒然の記その8 眠り姫徒然の記その1 ミニクラシックコンサート 2019.1.20(日)■市民オケ+α メンバーによる毎年恒例のミニクラシックコンサートが府中の森芸術劇場ふるさとホールで満席のもとに行われた。 新しい試みによる楽器編成などで大いに楽しむことができて年々好評。500名という狭い会場が立ち見もでるほどの盛況となった。団員であるが出場しない人も最初は座っていたが、お客様に譲ったりしながらだんだん端っこに追いやられていった。 グループを組んで日常からアンサンブルを楽しむ人が大半で、演目は沢山手持ちのがあるという状況であろう。みんなうまい。プログラム:1.ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネルラ組曲」より シンフォニア セレナータ ガヴォットと二つの変奏曲 メヌエット 終局2.A.ソンガー:エンジェルフォーズ(ホルン6人)3.ヘンデル:「水上の音楽」より、ドヴォルザーク:スラブ舞曲 第10番、J.シュトラウス:喜歌劇「こうもり」より「シャンパンの歌」Ob,EHrn,Fg4.モリコーネ:映画「海の上のピアニスト」より Ob,Cl,Fg,Vc,Kb,グロッケン&カホン(箱型打楽器)**********休憩5.ダマーズ:ホルンとピアノのための三重奏曲より 第1,4楽章6.ショパン:ピアノ三重奏曲ト短調作品8より 第1楽章7.ブラームス:ピアノ五重奏曲ヘ短調作品34より 第1,4楽章 終わってから4時間ほどしかたっていないのに、アンケート全数がスキャンされてメールで送られてきた。お客様の声を全員で共有するためである。感想などがつぶさに読めて参考になった。徒然の記その2 あなたの若さを殺す敵 2019.1.21(月)■丸山健二のエッセイ『あなたの若さを殺す敵』朝日新聞出版 2010年を久々に手にとった。「生きるとは」(2005年)と同様、丸山流辛口人生論ノートである。 寡作の作家なので近作など図書館の書架に載ったのをみたことがない。いつも誰かに貸し出されているからであろうか。 ミステリー作家の島田 荘司の本「鳥居の密室 世界にただひとりのサンタクロース」など予約してもまだ10人以上待ちの状態が年末から続いている。みんな如何に本を買わないか 驚くばかりである。根負けして本を買いそうになってしまう。いや図書館には依存せずどんどん本は買うべきなのであろうか。本屋大賞を取った「蜜蜂と遠雷」などカミさんは1年も待った。市に10冊あっても250人待ちなら1年かかるという計算である。本屋大賞なのにみんなケチで買わないのである。不思議な本だった。 さて話を戻そう。庭に一匹の雀が死んでいたところから話が始まる。ここがポイントである。短い命であったが輝かしく精一杯生き抜いたことを称賛しつつ一方人間とは。という論説が展開されていく。スズメと違って、我々人間はいかに醜いか。まず若さがないというのだ。その若さを殺しているのは、甘やかしすぎて子供の独り立ちを阻害している母親であり、才能の目を摘んでこき使っている会社であり、他者に依存し、他力本願である己自身であると説く。 野生動物と違って、精神の若さを追求できるのが人間の特質であり特権であるとする。肉体も、精神も、命の輝きを放つ存在になっているのかと尋ねる。人間も一介の野生動物に過ぎないことを忘れてはいけないと。本来ならとっくに死にていとなっているのにも拘わらず、生きながらえている人間たちには目もくれないほど辛口の論述である。あくまで体の芯から滲み出てくる自立の若さを持って、溌溂として生きることこそが素晴らしいのだと説く。この作者はまた理想としてそうありたいと願う。 今大分に向けて東京から1100kmを歩いておられるスーパーボランティア尾畠春夫さんの颯爽とした生き様はまさに、まさにこの言葉「あくまで体の芯から滲み出てくる自立の若さを持って、溌溂として生きる」を地で行っているという感じである。当年79歳。 Violaの先生なんかもこれに相当するのかもしれない。颯爽とブラームスのピアノ五重奏曲を弾き、聴衆を魅了し常に高い目標をもって邁進しながら、お節料理を全部作り一つ一つの味は専門割烹の女将からも驚かれ、高尾山には月一度登りと健康体の72歳。気鋭の青年である。 小生の周りには、いま世界中で活躍している人が多いのであるが、そういえば皆、本物の若さを持った人たちである。すべての行動が自発的なのだ。感服するまでに。皆 孤高にむかって突き進んでいるのであろうか。そういう人たちからはオーラが飛んでくるので分かる筈である。・障害者、社会的弱者、病弱者などへは、優しい言葉の一つも、柔らかいまなざし一つも投げかけてくれていないのであるが、巻頭に述べている通り、溌剌と生き貫き、生を謳歌した生命体であるためには、個々人が自立の若さを維持すべきとする論説となっている点に特色がある。徒然の記その3 Viola Lesson 2019.1.22(火)■Allessandro Rolla :Drei Duosの3 Allegro espressivo176小節 全部をDuoで初めて通す。♩=80のspeed。・F5→C4→C5→C5→B4→A4→G4→A4など31443212と運指を押さえるのであるが123、1、1234、1234、123、12、1、12と読み替えるとすると「1」の指は常に押さえていることになり、他の指も同じでそれが必要でなくなるまで押さえ続けよと。 そのほうがバタバタとすることなく綺麗であり、音程も定まると。しっかり音程が定まるまでは♩=60などとゆっくり目から練習をすべきであると。・まだ弓を使い過ぎていると。しかも等速でないと。・ppへ移る場合は拙速に移らずに。などまだまだ阿吽の呼吸が掴めていないという。 家でメトロノーム片手にやっているときと、Duoではまったく難しさが違ってくる。こちらは機械ではなく人なので聴きあうことが重要である。場合にはたっぷりと弾かねばならないところなどスースー先に行くことは許されない。 まさに音楽である。楽しんでやらねばならないと言う。 シューマンのPiano協奏曲を初めてLessonで練習。Vcと美しいメロディーを協奏する場面など、音が立ちすぎていると。エッジがかかりすぎ、この場面の音楽ではないと。音の角を取りソフトな出だしにするためにはs.v.(sotto voceソットボーチェ) 音量を抑えて、dolce(ドルチェ 優しく)で弾かなければならない。それがガリッと音が立った弾き方であったのだ。反省。 また言われた「パンツの紐が緩んでいる」と。なんですか? と聞き直したものだ。先生曰く。「音程が低く聞える」のだと。さらにリズムが正確ではないと。語彙がなかなか豊富な先生であり。笑ってしまう。弾いている間に弦の音程が下がってきたことも原因している。昨日弦を張り替えたばかりであった。 そうこうするうちに2時間半があっと言う間に過ぎた。牛歩のごとく進んでいるような感じ。もっと本腰を入れなければ!徒然の記その4 イサム・ノグチと長谷川三郎展-変わるもの、変わらざるもの-横浜美術館 2019.1.25(金)■横浜みなとみらい21のドッグに浮かぶ日本丸が”干された!”(ドッグの水を抜いて船底の補修を3月まで行う)と聞いて駆け付けた次第である。久々の横浜市内に向けたLong Run34km。どこにも立ち寄らず、最短コースを行くからには、住宅の裏道も掛けていく気概が必要。たじろいている暇はない。道路新設などで、微妙に毎回コースが変わるのである。これも地図の勉強にはよい。 早速KMLファイルを作成して、Maps.MeやGeographicaに保存。16号線(八王子街道)を保土ヶ谷区、旭区などと走って。・・・あぁ疲れた。着替えの荷物や弁当・水・スケッチ道具など家財道具をすべて詰め込んでリュックに詰め走り通すというのは実にしんどい。 午前中には目標の美術館には着きたいものだと思って頑張った。結果は11:55分美術館前に到着となりまずまず。何回か休憩を取りながら来たので、この時点で弁当は空となった。 美術展の紹介記事:『彫刻家イサム・ノグチと画家長谷川三郎が共に歩んだ1950年代を中心に、ノグチ作品約50点、長谷川作品約70点を通して戦後の日本美術が進むべき道を切り拓こうとした、ふたりの芸術家の交流と創作の軌跡を辿る美術展。』 イサム・ノグチ(1904-1988:アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家、画家、インテリアデザイナー、 造園家・作庭家、舞台芸術家。)と 長谷川三郎(1906-1957:日本の洋画家。 旧制甲南高等学校(現甲南大学)を経て東京帝国大学美学美術史科卒。 数々の抽象絵画の作品を残した現代抽象絵画の先駆者。)とが1950年に出会い、意気投合して日本の古典美を探訪した。そこから生まれた美術品の多くが会場に展示されている。会期は1/12から3/24.その後は場所をNYに移したりしながら世界各地へ向かう。まさにその最初の開催地での美術展であった。作品は多く、120点ほどの彫刻と絵画や写真。圧倒された。 イサム・ノグチの作品は、イサム・ノグチ財団・庭園美術館(NY)からのものや、横浜美術館所有の「死すべき運命」、「チャイニーズ・スリーヴ」、「下方へ引く力」、「真夜中の太陽」など、どれもブロンズや石や鋼鉄で重そうな作品ばかりである。よくこれほど多くの作品を会場いっぱいに並べたものだとまずそのほうから感心をしたほどだ。美濃和紙を使った照明器具はどれも可愛い。 金曜日の会場は混んでいず、理想的な状態。じっくり抽象画や彫刻を見、これが”芸術”なんだなぁと感慨に耽ったしだいである。ノグチの方は大阪万博にも足跡を残していた。■日本丸・・あぁ残念。船底が見れるのではと期待が膨らんでいたのに、すべてビルの工事現場のように灰色の布で覆いかぶされており船底どころか船体が見れないのだ。しかしスケッチはしてきたのでいつか公開しよう。抽象的に船底を透かして見るようした新作としてみよう。こうご期待。徒然の記その5 地図の講座と実践 2019.1.26(土)■歩き塾で「地図」の講座を八王子市の公民館で開くことになった。そのための下調べを行っている。スペイン巡礼路のうち、Chemin de Vézelay (ヴェズレーの道:ヴェズレーのサント・マドレーヌ聖堂を起点としSJPP(Saint-Jean-Pied-de-Port)までの900km・・ベルギーのNamureからも続いている。)の道をGoogle Earthの上でトレースをしてKML(Keyhole Markup Languageの略称であったが現在は「kml」で通じる。三次元地理空間情報)ファイルを作ろうとしている最中なので都合がよい。その作業工程も開示できればよいかなぁと思っている。 磁石の使い方、地図の見方、アプリの使い方など多岐にわたるが、本人すらもまだ分かっていないことが多く敷居が高い。 地磁気極、磁極と磁北の関係など。(地磁気極 (Geomagnetic pole・・地球中心に1個の短い棒磁石があると近似した時のその棒の延長線と地球表面が交わる点で地磁気北極(S)と、地磁気南極(N)の2つ)、磁極 (Magnetic pole 地球中心に向かう方向の”鉛直方向”に動ける磁石があったと仮定したとき、磁石が鉛直になる地点 一般的には複数個。卓越した点を、磁北極(S)、磁南極(N)と呼ぶ。一般の磁石の北側・・磁北 (Magnetic north) は局所的な地球磁場の影響を受けるので、 地磁気北極と磁北極の向きのどちらとも異なる。現在日本付近で見ると地磁気北極、 磁北極どちらも地理北極から東にあるにもかかわらず偏角は負である、 すなわち磁北は地理的な北よりも西を向いている。東京では-7.0度。このあたりがややこしい。 そもそも地図なんて知らなくても旅はできないのかと。歩く塾の毎回のイベントで、レジュメに詳細地図を載せているが、それを見る人は限られる。そもそも地図を読める人と、読めない人の差はどこから来るのであろうか。 狩猟民族と農耕民族、或いは男と女の違いであろうか。狩りをするために山谷を駆け巡る人には詳細な地図があったほうが便利だろうし、近所の樹木で果実の成る木をさがすためには、「右行って左」など、自分を基準にした絵解き図で十分であろうし。前者が男性で、後者は女性という役割分担が古来からあったからではないだろうか。 「地図」がテーマになった書籍としては、2001年に発刊されベストセラーとなった「話しを聞かない男、地図を読めない女」Why Men Don't Listen and Women Can't Read Maps: How We're Different and What to Do About It 2001 Allan Pease (著), Barbara Pease (著)がはあまりに有名である。 男は話を聞かず、女は地図が読めないというのである。余談になるが、夫婦のアラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ(Allan Pease&Barbara Pease)には多数の著書があり、100か国以上で出版され、55の言語に翻訳され累計発行部数は2700万部を超える。「嘘つき男と、泣き虫女」Why Men Lie and Women Cry 2003、邦訳されていない著作「筋道が無い男、靴を欲しがる女」Why Men Don't Have a Clue and Women Always Need More Shoes 2006 その他。現在オーストラリア在住でいろんな事業を展開している。 講座では、1.どんな地図があるか、2.地図アプリ、3.磁北について、4.myMapを作成してみよう、5.planning(ディジタル行程)、doing(行程中)、result(ディジタルログ)の章立てとしてPowerPointにし、図解を示した。Google Earthの「定規」機能を使ってのトレースの実演や、事前に送っておいたコースデータをDropbox(クラウド的保存場所)を介してMaps.MeやGeographicaにインポートを実演。 午後は、それをトレースしながら実際に公民館に隣接する多摩森林科学園を歩くという実践講座を行った。 時折雪の舞う寒い園内であったが、トラツグミを撮っている野鳥観察の人に会ったりと楽しい1日であった。参加者は合計10名。徒然の記その6 ラーメン まんぷく 2019.1.23(水)■朝ドラ「まんぷく」は、漸く今週からラーメンの話に突入した。なんと引き延ばしてくれたものだ。即席ラーメンの開発に着手する「S33年」というKeyWordは先週のblogの「山谷ミニコンサート」の項目で少し触れておいたのをご存じだろうか。石川さゆりの生まれた年として。 あとは3/30の最終回までインスタント・ラーメン一筋の展開になっていくだろう。大阪市内に住みながらそんなラーメンのことは1mmたりとも知らなかのである。当時はチャルメラの音を聞いて、流しのラーメン屋からの一杯を注文し、家族でその一杯を啜った大阪の懐かしい思い出。あの美味しい味は今でも忘れられない。その後同じような味に出会ったためしはない。インスタントの方は、小生の記憶では、野沢温泉に行く途中に街道の店でカップラーメンを啜るまで「カップ」の思い出は無い。 それまに10年はかかっているので、開発から販促にいたるまでは紆余曲折があるのであろう。カップラーメンの方は、あさま山荘事件で機動隊が食べてから一躍有名になったのである。徒然の記その7 シャコバサボテン 2019.1.23(水)■20年もの長きに渡ってダイニングルームの端っこに葉っぱだけ実らせた鉢が置かれていた。それが今50個ほどピンクの綺麗な花を咲かせこの世の春を謳歌している。突然の変化はいったいなんだったのだろう? 水やりをせっせとやった甲斐が実ったのであろうか。徒然の記その8 眠り姫 2019.1.24(木)■この日は焦った。カミさんが起きないのである。まず中二階にある部屋へ通じる階段の下から「〇〇さん」とカミさんの名前を呼ぶ。通常はここで夢の途中の登場人物のキャラクターで返事がある「はーい。」声色は毎回違う。ドスのある声での返事はおっさんの夢を見ていた筈である。明るい声は、野山を旅するハイジの夢であろう。 この日はいくら呼んでも返事がない。しびれを切らしてドアをノック。返事がない。部屋に入り込んで大声で呼んでも返事がない。気持ちよさそうにグーグーと。寝ている。まぁこのままにしておこう。これを繰り返すこと10回。「ぐっすり寝込んでいる」ということは夜中に起きて西ドイツ放送からのブレハッチの音楽を録画していたやも知れず。このまましばらくおいて置こう。まぁそれから10分ほどして「自立の若さ」を持って起きてきた。だしぬけにチェックが入った。「あなた洗濯機が止まっていた」と。水道の栓を開けるのを忘れたので洗濯機が反ストをしていたのである。普段はカミさんが洗濯機を回すのでこれはよしとしよう。どんな夢を見ていたかを聞いたが「忘れた」という。 日中にも良く寝るカミさんである。犬も猫も死にぎわにはよく眠る。ついにカミさんにもその時がきたのではないか。本人曰く「もうずっと眠ってしまいたいと」。こっちは臨死体験をしたような感じで肝を冷やしていたのに何を言うか。ずっと輝き続けて、生きながらえてもらいたいものである。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jan 26, 2019
コメント(0)
Repaired Viola,秩父駅、小網神社_ story (4377)2019.1.19My Viola was repaired to make pegs to rotate smoothly,sound is improved very clearly .Tosa Buntan orange arrived through my wife's acqaintance,she says to eat quickly,but I beg her to eat for a couple of days untill the sour decrease ,big fruit insists on existence.Violaの修理が済み、ペグが廻り易くなり、よい音が出だした。知人を通じて土佐ブンタン(文旦)が届いた。早く食べたいとカミさんが言うが酸味を飛ばすため2,3日置いておく。その大きい玉といったらない。もう食べたくて食べたくて。■今週の1枚Fukuura port in Manaduru(真鶴・福浦港 2019.1.3 15:00)15:00の港は西日の日差しを受けハイライトが海面にあった。対岸は熱海。目次徒然の記その1 秩父駅徒然の記その2 大きくなったら徒然の記その3 修理完了のViola 徒然の記その4 第97回 山谷ミニコンサート徒然の記その5 写真展「 中国少数民族地帯を行く」徒然の記その6 超多忙の朝餉徒然の記その7 七国峠 徒然の記その1 秩父駅 2019.1.14(月・成人式)■歩き塾blogに「秩父鉄道・秩父駅集合」と書いたのに約半数が「西武秩父駅」と間違えた。こんな分かりにくい駅名がどうして生まれたのか不思議である。そもそも東京人には同じ駅名に聞こえてしまう。 調べてみると地元では、「西武駅」と略称していて間違えないのだという。さて次に難しいのが土曜休日ダイヤである。”西武秩父駅”のひとつ手前の「横瀬駅」から車輛が4両ずつ分断され、前4両が、”西武秩父駅”経由の三峰口行き、後ろ4両が、”西武秩父駅”を経由せずに、御花畑(おはなばたけ)駅→秩父駅経由の長瀞行きとなって、このアナウンスに気付かず、前4両に乗っていると、”西武秩父駅”で降ろされることになる。それにもまだ気が付かず、「影森」のほうに行ってしまうと、もう「秩父駅」には戻れず帰らぬ人となってしまう危険性がある。1.横瀬駅→西武秩父駅(スイッチバック)→影森→・・・三峰口、2.横瀬駅→御花畑(おはなばたけ)駅→秩父駅・・・→長瀞 ガイド役としてはそのあたり注意を喚起しておくべきだった。失態である。■さて御花畑駅と西武秩父駅・・この2つの駅が100mほどしか離れておらず接触するほどに隣接している。これもややこしさに拍車をかけている。普通の日は、「西武秩父」止まりで、徒歩で「御花畑」に行き、秩父鉄道線に乗り換える。土・休日ダイヤは、相互に乗り入れていて便宜を図っている。御花畑駅にある2番線に西武線からの直通電車が止まるようになっており東方向(長瀞方面)へは単線で合流する。 御花畑駅(2009年に副駅名「芝桜駅」が設定)開業は1917年と古い。駅舎は国登録の有形文化財となっている。一方西武秩父駅は県立秩父農工高(現 県立秩父農工科学高)の敷地跡を利用して1969年に開業。 歴史としては御花畑駅と較べて52年も新しい駅である。1989年に秩父線との乗り入れが開始された。 乗り入れ線路の敷設内容として「西武秩父駅=御花畑駅」として一本にまとめてしまえばよかったのであるが、秩父鉄道側から反対があり、別々の駅として存続することになったようである。西武線がなければ今のように秩父が発展しなかったかもしれず、かといって秩父線も三峰口、秩父、長瀞といったドル箱の駅運営を持続させる必要から西武線とは独立したものとしたかったのではないだろうか。 西武秩父駅は改築され2017年にグッドデザイン賞を受賞している。駅舎内の仲見世通りや隣接する「祭の湯」やフードコートの賑わいは、「御花畑駅」とは比べ物にならない。 御花畑駅と西武秩父駅の間にある踏切は、秩父夜祭のときは山車(だし)が線路を横断するため架線が外される構造となっているなど他に類を見ない仕掛けとなっている。 秩父鉄道の各駅にはSUICAやPASMOといった交通系ICカードが利用できないためこの相互乗り入れの場合は注意が必要である。例えば、池袋→(直行)→秩父駅という乗車の例では、秩父駅で全額の運賃を現金で支払い、交通系ICカードの事後処理(「start」駅の処理を取り消し)を「初めてカードを使用する駅」で行わねばならない。少し残念な路線である。■この日の巡礼コース:秩父鉄道・秩父駅9:11→1.7km→18神門(ごうど)寺9:45-55→1.2km→19竜石寺10:11-20→0.8km→20 岩之上堂(いわのうえどう)10:50-11:00→0.7km→21 観音寺11:10-11:15→1.6km→22 童子堂11:35-11:45→1.2km→23 音楽寺 昼食+コーヒブレーク 12:10-13:00→3.8km→24 法泉寺13:40-13:55→3.0km→26 円融寺14:33-41→1.0km→27 大渕(だいえん)寺15:00-15:10→0.8km→秩父鉄道・影森駅 15:20 15.8kmで、超快晴の中を楽しく散策できた。徒然の記その2 大きくなったら 2019.1.15(火)■前回のblogに大きくなったら何になりたいか・・。というくだりあったと思う。孫娘の通った保育園では、ある園児が「紫色」と答えたという。「餅」などの固有名詞に加え、色名などもユニークな答えで面白い。頭が柔軟なのであろうか。高貴な色でもある。 そこへ今度は「お医者さんと、仮面ライダーと運転手さん。かっこいいのはどっち?」と選択型回答を3歳の孫がカミさんにしてきたと言うのだ。「仮面ライダーじゃなぁい?」と応えておいたと。「将来は馬になりたい」と言っていた娘の子供である。孫の方が少しまともであろうか。徒然の記その3 修理完了のViola 2019.1.13(日)■すり減ってしまった糸巻(Pegs ペグ)の交換と駒を1mmほど削ってもらって指板と弦の間をすこし狭くする修理を後楽園にある「文京楽器」に依頼してあったものが修理を終えて帰ってきた。2wほどの入院であったが、その間代替えのViolaを使って練習をしていた。Pegについては家に持ち帰ってみてはじめてスムーズには動きにくいことが判明。糸巻を回転させようにも、カクカクという音がしてスムースに決まらないのだ。これでは調弦に相当の時間を要することがわかり再度楽器屋に持っていった。柘植(ツゲ)で出来ているペグに塗った薬剤の乾燥度合いの影響で、ペグボックスの穴の壁面に摩擦が生じたのではないかという。再度調整をお願いした。3時間ほどの時間を見てその間本郷三丁目界隈をぶらつく。 最終的にはまずまずのpeg操作ができるようになったようで安心。秩父に行く用事があったので本当の家での音出しは2日後となった。今回はなんとか調弦が出来るレベルであることが確認できた。一般的にはペグに何回か弦を巻くのであるが巻きすぎると回転がきつくなる傾向がある。ペグの角度は「天地」を向いているのが最適で、巻き付ける長さが2,3mm違うだけで、ペグの角度が90度も変わってしまう。ペグ1度の回転で弦の長さ0.02mmが糸巻に巻き付けられる。引っ張り強度は約56kgであり、音程としてD4(ドレミーの「レ」の音)=295Hz時(ラ音が442Hzの場合)、約+/- 2-3Hzの微調整を行う。ペグの角度に関しては、弦を張り替えるときに1日くらいかけて最適な巻き具合を調整してみるのが理想である。 さて、待望の音出しである。うなりをあげてViolaが鳴ってくる。借用していたViolaとは雲泥の差である。ものすごい良い音が出る。音もでかい。pppからfffまでの幅で音を鳴らしてみる。がんがん音が出るではないか。駒をすこし削ったので前の音ではない。新しい音である。 弦に付いた松脂を、新調のString Cleanerで綺麗にしたことも幸いしているようである。友からの情報でgetしてあったものだ。:Royal Oak String Cleanerロイヤル・オーク・ストリング・クリーナー デンマーク・ラーセン社(Larsen Strings A/S) 大人一人が弦にぶら下がっているくらいの張力を有する弦を巻き上げるのであるからペグがギシギシ言うのは当たり前であるが、すこし潤滑剤を塗ると回転がスムースになる。 この潤滑剤としては、W.E.Hill & Sons社のペグコンポジション(糸巻チョーク:The Original Hill Composition) を新たにgetした。こげ茶色のチョークのような形をしている。弦を張り替えるとき ペグボックスとの摩擦の部分に適量を塗ってみよう。 駒や、ネックの弦が当たる部分に、鉛筆の6Bや、色鉛筆の銀色でなぞっておくと、弦の調弦がやり易くなる。まぁ、弾くことも意外にこまごまと裏技があるものだ。 Violaの小道具にはその他、 Popote Millant Le Canu(仏製の艶出し剤) や String Instrument Polish(Yamaha)(ヤマハ製の同剤)や松脂、替えの弦(A,D,G,C線)など結構多く、すべてはViolaケースに入っている。一度楽器ケースをお見せしたいものだ。徒然の記その4 第97回 山谷ミニコンサート 2019.1.18(金)■チェロ、ViolaのSolo演奏に続いて合唱タイム。合唱(ナツメロ・唱歌等 ):「雪、かあさんの歌、わたしをお使いください、君恋し、津軽海峡・冬景色(S33年(インスタントラーメン誕生の年)生まれの石川さゆりが19歳の時のhit曲)、北酒場(細川たかし S57)、雪国(吉幾三作詞作曲 S61)、海峡(同 S62)、酒よ(同 S63)、365歩のマーチ」。太字は2回目の合唱のときのViolaでの伴奏役。Violinのシスターが不在のため分担が多いのだ。12月はお休みだったので2ヶ月振りのコンサートである。 終わってから皆で南千住で反省会と思いきや・・。教会を出てしばらくしてショルダーバッグを忘れたことに気付いた。取りに行ってUターンして帰るときに皆とは違う道をイダテン走りに走ったものだから皆からはぐれてしまうというハプニングがあり、反省会開始が遅れてしまった。 いつものインドカレー店「フルハリ」に到着してもまだ誰も来ていない。行き別れてしまったと思い、一人で注文して早々と帰ろうとしていたら、ドアから覗いてくれたメンバーが小生に気付いてくれて助かった。長い間別な道で待ってくれていたようである。 さて10分ほど遅れて全員集合! ある人は、「ナンブクロ!」と叫びながらビニール袋を取り出した。全員の頭に「?」マークが灯る。小生は集まるのに難儀をしたので「難ふくろ」という漢字を連想し。ある人は南北の「南」を当てて「南ふくろ」と解釈し。カレーに付いてくる巨大な「ナン」を家に持ち帰るために用意した「ナン袋」であったので全員卒倒。用意周到であることを言いたかったのであろうが、まぁ早口の展開に付いていけない年齢となりつつある。 この状況下に4月に100回を迎えるにあたっての”記念事業”を相談。4月の第3金曜日(19日)は復活祭前の聖金曜日(「受難日」、「受苦日」とも)にあたるため、教会の諸事と重なり、5月の第101回目で食事会などを開いたらという意見などがでる。 インドカレー店を退出すると強風が吹き荒れ体感温度3度くらいの寒さであった。コートの後ろからなにかテンプレートのようなものがスルスルと垂れてきた。な、なんとカレー店のメニューである。今日はいろんな事件が起こるものである。年の初め、気を付けなければ! 帰りは、日比谷線で皆と途中で別れて人形町で降り、日本橋七福神の一つでパワースポットでもある「小網(こあみ)神社(福禄寿(幸福・封禄(財産)・長寿の三徳の神様)」にお参り。 この神社の凄い所は、「社殿は東京大空襲の戦火に会わなかった」、「第二次世界大戦では、戦地に赴く兵士がお守りを授かって行くと全員帰還」など。鳥居にくぐる場所から、90度の最敬礼でお参りをしている。よほどのご利益があるのであろう。そのパワーを貰って、銀座一丁目へ。(下記)徒然の記その5 写真展「 中国少数民族地帯を行く」 2019.1.18(金)■日本中国友好写真協会 第2回公募写真展 第10回ゲーサンメド写真展「 中国少数民族地帯を行く」が銀在一丁目にある富士フォトギャラリー銀座でopenした。中国人口の8% 約1億人を占めるという55の少数民族が暮らす自治州や自治県を旅行し人々の暮らしぶりを伝える写真展である。民族名は、アチャン族(阿昌族)から始まってワ族(佤族)まで”あいうえお”順で全部存在する感じで55集団に分類されている。 たとえば、イ族 (彝族):雲南省 昆明市 石林イ族自治県 彝族第一村、プイ族(布依族):貴州省黔西南プイ族ミャオ族自治州貞豊県、ペー族(白族):雲南省大理ペー族自治州南潤イ族自治県といったように民族ごとに数か所の自治州や自治県が割り当てられている。 写真毎に、場所が示されていた。一例は、・チベット自治区チャムド地区ロロン県、・雲南省文山チワン族ミャオ族自治州丘北県、・雲南省シーサンパンナタイ族自治州景洪市、・雲南省大理ペー族自治州巍山県・・。 いずれもカラフルな民族衣装をまとった少女、6000m級の白銀の山々を背に暮らす人たちの素朴なまなざし、印象深い写真がずらりと展示され感動。 25人の写真家がそれぞれ何人かで旅をし撮りためた写真の幾つかをが示されていた。この会の人達は頻繁に中国奥地に足を運んでいる。知り合いの女性が展示していたので足を運んだ次第であるが勉強になった。上の住所をGoogleMapで検索するとちゃんとエリアが示される。徒然の記その6 超多忙の朝餉 2019.1.17(木)■室内温度7℃という冬の朝はとくに忙しい。すべての所作が同時に発生するのだ。1.ストーブが燃料切れで、プープーと音がした。→空になったタンクを灯油boxところに運び満タンにする。これは電池で作動し自動で停止する仕組みであるので楽ちん。2.真鶴産のオレンジが残っているので、朝餉に一つを出す。8等分し、左右に切口をいれ、剥きやすいようにしておく。3.パンの残り枚数が1枚以下の場合は明日のための食パン作りをスタート。バターを使うので、ついでに1mmくらいの幅でcutし、カミさんの皿に置いておく。(De Ruijter:オランダ製cacaoチップ甘味のタブレットが現地から届いているので、パンに薄くバターを塗ったあと、それを塗(まぶ)すのである。)4.リンゴ、バナナをいつものようにcut。5.キャベツがややこしい。最近は2wで1玉なので、残り日数をみてキャベツの食べる量を計測。木曜日は450g残っていた。月曜日までに5日間。これを食べつくすためには当日分90gの葉っぱを計測。だいたい葉っぱ2枚程度。芯のほうに近づいているためやたら茎の部分が多くなってきている。噛みやすい葉っぱの部分をカミさん用に。茎は0.5mmくらいの細切りにして小生が食べる。 大玉の最初のほうだと秤が振り切れてしまうので、目分量で葉っぱをむしり取る。6.コヒー。粒は3つの容器に移し替えているが、それが無くなる瞬間がある。新しい袋(およそ500g)を開け、3つのガラス容器に移す。この時の鉄則はコーヒー粒が一粒も外に零れ落ちることがないようにそっと早く分配する。それにはコツがある。コーヒーの袋の端を3cmくらい三角形にハサミを入れる。穴の端を指でつまんでガラス容器の穴の大きさによって調整。サーッと入れる。最後はまだ粒が10個くらい残っているのを片目で確認。指で底をポンポンと叩く。襞部分に隠れていたコーヒー粒が踊るようにして飛び出てくる。その最後のコーヒー粒までもガラス容器に移し替えるのだ。作業の終了時、台所のステンレス板に一粒もなく完璧な作業ができたかをチェック。あぁこれほど慎重にやったにも関わらず何粒か落ちていることがある。それを拾い適当に瓶に詰めて置く。7.雨戸4枚分の最後の雨戸を開ける。カミさんの寝室に一番近い方は、ガタガタを音を立てないようそっとあける。8.フェイスタオルや台所の拭きタオルはローテーションで毎日別のをかけておく。我が家には3種類のタオルが存在するのだ。普通のタオル、フェイスタオル、台所用。色や肌触りで分けている。ローテーションは厳しい規律が! 9.すべての準備が終わったら、寝入っているカミさんを起こしにいく。悲劇はここで起こる。細心の注意をしているにも拘わらず、不意に台所に来てしまうカミさん。グーグー寝入っていて一向に起きないカミさん。ハーイと返事したのにも拘わらず2度寝をしてしまったカミさん。 よその人は言う「うちなんて、別々に朝食を取っているワよ。」「お互いに別々にごちそう様なのよ!」「あら、夫のリンゴの咀嚼する数なんて数えたことはないワ。」「なぜ合わせる必要があるのか?」「一人落ち着いてゆっくり食べるべきだ!」と姦(かしま)しい。 うちだけなのか。同時に朝食を終わることに固執する夫は? 世の中の夫婦ってどんな感じだろう? 一緒に寝ているのか? 一緒にまだお風呂に入っているのか? 一緒に手を繋ぎなら散歩しているのか? 一緒に山登りをしているのか? 当家はこのどれにも当てはまらない。この45年間! 小生死亡の3日後にはもうコロコロと笑い転げているカミさんを天国(地獄?)から想像できるのだ。望む所である。徒然の記その7 七国(ななくに)峠 2019.1.17(木)■八王子市と町田市の境に多摩丘陵(標高150-360m 長さ25km)が横たわり、南北を貫く七国峠古道や御殿峠古道の切通しの土道が残っており近隣にすばらしい散策路を提供している。 この日はその丘陵道を含めて15kmのrunningを計画した。 高校の友達が家から6km弱の丘の上に住んでいることが前から分かっているがまだ氏の家を特定できていない。家は国道16号(東京環状)・八王子バイパスの上にかかる跨道橋に近く、そこからはダイヤモンド富士が見られるというので日時を計算してあげたことがある。 今回はガラケイをポケットに潜ませてのrunning。町の一角から電話してみた。数秒後に通りに飛び出してきた。こちらも手を振る。その橋からは、拙宅がある高層マンション群が手に取るようにわかるし、相模原から丹沢山系が見渡せるすばらしい景観である。 彼はこんなところに住んでいたのかと改めて感動。本宅からは直線で1.5kmしか離れていない。 この七国(ななくに)であるが、かっては相模、武蔵、甲斐、上野(こうずけ、かみつけ)、下野(しもつけ)、安房、下総の7州が見えたという。「七国(ななくに、しちこく)峠」の由来となった。丘陵地帯の住宅街が起点となって散策路が縦横に張り巡らされている。ブルーベリー農園などもあり楽しい。「みなみの野」にある栃谷戸公園にもアクセスは便利である。本宅に移ったらここが主要マラソンコースとなろう。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jan 19, 2019
コメント(0)
左手のピアニスト_ story (4376)2019.1.12This is the year of the boar and the twelfth in Japanese zodiac and Tsuchinotoi 36th of the sexagenary cycle.It is interesting that interpretation of zodiac animals varies in each coutry for example the pig instead of boar in China .2019年は、12支では、12番目の亥(いのしし)、干支(60年周期のかんし(えと))では、36番目の 己亥(つちのとい)である。12支に動物を当てはめるようになったのは秦朝(紀元前221年から206年)からである。国によって当てはめられた動物が異なる。顕著なのが亥(い)で、中国では豚で、日本やロシアでは猪である。猪を改良し家畜化した豚は弥生時代にやってきたが、仏教伝来で肉食が嫌われ日本から消えた。そこへ干支(えと)が伝わって「亥」に野山に沢山いる「猪」を当てるようになったようである。■今週の1枚Scenery of Torohaccyo upstream(瀞八丁の上流の景色 2018.11.23) ここから上瀞(かみ とろ)がはじまる。崖の上の方から太陽の強烈な光線があった。谷間はもっと紫色を呈していたような記憶が。瀞峡ジェット船の休憩時間は短くゆっくり絵を描いている場合ではなかった。この川は北山川で熊野川の支流。上流に十津川(村の名前)筏下りがシーズン中運行される。目次徒然の記その1 新年会徒然の記その2 左手のピアニスト徒然の記その3 Viola 徒然の記その4 天狗の会徒然の記その5 ローラの発言徒然の記その6 上大島キャンプ場 徒然の記その1 新年会 2019.1.6(日)■当家はカミさんを中心に回っている。この日の午後は、市民オケの年一回の総会がある重要な日なのに午前の練習の終わる直前で消えるように会場を後にした。まぁしかたがない。こちらは灯台の光が届かない辺縁を駆けずり回っているので、たまには家の都合に合わせよう。正月は孫たちは父方や母方の田舎に帰るのが常となっているので日程としては丁度いいらしいのだ。 オケに行っている間に、押し寿司とキャベツを素材にした料理が準備された。13時頃にはほぼ全員揃った。記念撮影のあとはお屠蘇を全員で回し飲み。古来のしきたりに沿って3歳から7歳、10歳などと年齢の小さいもの順でお屠蘇を回していく。 その後はお年玉の儀式。お屠蘇を飲んでいる間にそっと手前のランチョンマットの下に隠しておいたのだ。一瞬の静寂。おもむろにお年玉を取り出す。指先に皆の目が注がれる。子供たちが待ち望んだお年玉である。3歳児はまだお金の価値なんか分からないであろうがまぁ儀式として渡しておく。いずれ数万倍くらいにして返してくれるであろう。 食事がすむと談笑になるのであるが、早くも公園に行こうと皆が言い出した。子供たちと駆けていく。ここでゴミ袋を忘れた。3歳児、とにかく綺麗好きのため、公園のゴミを拾うのである。吸い殻が落ちているのを目ざとく見つけ指図する。彼にとってみたら、タバコを吸っている人は「悪い人」となっている。吸い殻をよく目にするからである。 あとはガラスの破片なども1mm角でも転がっていると拾う。トンネルの中で砂を高くしてピラミッドを作る作業に没頭していてもゴミを見つければ報告にくる。このためゴミ袋を家から持ってきてそれらを回収したのだ。この子供たちが遊んだあとはゴミ一つないピカピカの公園になった筈である。 大人であれば、「来た時よりも綺麗に」という標語があるのであるが、子供たちや付き添いで来た親たちにはそういうエチケットがないのであろうか。■皆にとってのカミさんは? ビアトリクス・ポターの児童書にでてくるピータラビットの世界ではないだろうか。ピーターのお母さん:ベンジャミン・バニーってところか。 とにかく、思い出すと笑えて来る存在である。柔和で角がなく欲もない。あまり細かいことには気にせず、おおらかである。子供たちがそういう性格を写し取ってすくすく育ってくれたことは嬉しい限りである。小1の孫娘の将来の夢は・・「お餅になりたい」 と答えるところなぞはお婆ちゃんゆずりなのであろうか。また友達のようによく会話をしていたものである。 息子などはカミさんを脳タリンの「ターさん」と呼び、カミさんも息子のことをくるくるパーの「パーさん」と呼び合いながらぐちゃぐちゃとよく話をしていたものだ。カミさんのピアノを聴きたくないと京都の大学に行ってしまった後はもう一緒に住むことはなくなったが、少年時代に廊下に書いた落書きは今も残ったままである。「○○○○は ちほうしょうの しょうじょうがあるので近づかないでください。」怒られたときに腹いせに書いたのであろう。 娘達からは「お母さんを大事にして」と厳命されているためこっちとしてはどうも過保護に”育て過ぎた”きらいがある。日常の些末なことを全部こちらがちゃちゃとやってしまうことと、車での移動をもっぱらとするため、ますます運動不足に陥り体重を支える足が弱くなりすぎている。 生協の「おうちCoop」に加えて、今週から「Palシステム」というCoopが来ることになった。週一回の配達を2分し、より新鮮な食材をgetするのが狙いであるが真の声は、配達日を含めて2日以内に食べきらないといけない「料理kit」が週2回となるという点である。袋から出して炒めたり鍋にぶっこむだけで完成してしまうやつだ。生の食材が使われているために日持ちしないのだ。 常日頃からいかに手抜きができるのかを腐心している様子がうかがえるが、柔軟な頭の持ち主に感心をしたりして。徒然の記その2 左手のピアニスト 2019.1.6(日)■NHK BS1で「左手だけで演奏するピアノ国際コンクール 超絶技巧! 意外な歴史」と題する放送があった。昨年11月に大阪府箕面市で、左手だけで演奏するピアノ国際コンクール(International Piano Competition for Left-Hand)が世界で初めて開催された。音楽の専門教育を受けたプロやそれ以外のアマ計49名の応募があり、部門を分けて3日間で競われた。 ピアニストで活躍しながら途中で交通事故や局所ジストニア(=筋肉の不随意運動で、四肢が脳にうまく反応せず固まったりする病気)を発症した人たちが短い曲ながら熱演を披露した。ブラームスが、右手を痛めたクララ・シューマンのためにバッハのシャコンヌ(Chaconne BWV1004)を編曲して贈ったという。20世紀にはいって戦争の犠牲となったピアニストのための曲が生まれだしたという皮肉な実情がある。第一次世界大戦で右手腕を失ったピアニスト パウル・ウィトゲンシュタイン(18887-1961)の依頼に応じラヴェルが左手のためのピアノ協奏曲を作曲し、プロコフィエフが続いたりした。 だがその後は廃れてしまったようである。放送には無かったが現在、左手で演奏するピアニストで有名なのが、フィンランド在住の舘野泉(たての いずみ 1936-)さんである。当年82歳の高齢であるが、66歳のときに演奏中に脳溢血で倒れ右手が使えなくなったピアニストである。ほうぼうに作曲依頼をしてレパートリーを増やしていった。 今回のコンクールは、左手のピアニスト 智内威雄(ちないたけお 1976-)さんが、世界中に3000曲は存在する左手のためのピアノ曲を発掘し、ピアニストの交流の場として励ましたり刺激しあうという目的で創設したという。ピアニストが夢を取り戻し、活躍していけるようにと願う。 両手で弾く普通の曲は、メロディーラインが右手、伴奏が左手という感じであるが、左手だけで演奏する場合は、親指がメロディー、他の4指が伴奏ということになる。だけれど、一音一音の豊かな音色、厚みのある立体的な響きが左手から生まれるのだという。技術的には、多重音の感じを出すためにペダル操作も重要になり、バンパーを上げて、隣り合う弦を響かせるのだという。 カミさんは叫ぶ。どうして右手だけのがないのかと。小生は答える。あるにはあるのだが、もともとメロディーラインを弾いているので、聴衆に訴えるものが少ないのではないかと。左手だけで原曲のように弾きこなすことこそ超絶技巧が必要でなのではないかと思うのだ。 さらに反論する・・・右手だけでも同じ事情があるのではないかと。伴奏部分を主に分担する左手の部分を右手でメロディーを弾きながら多重に鍵盤を押さえて弾くのにも同様の超絶技巧が必要になる筈だと。調べてみると、樋上眞生(ひのうえ まお)さんが「右手のピアニスト」ということで活躍されていることを知った。「源氏幻想」やゴトフスキー「革命エチュ-ド」などの演奏音源がYouTubeに存在する。 心配することがある。「片手のピアニスト」が指の酷使で正常な方の指たちにジストニアという病気が発症することはないのであろうかという点。適度な休養や関節の冷却などが演奏の合間に必要ではないかと考える。いずれにしろ超絶技巧を貴ぶ風潮が彼らを追い込んでいるのではないだろうか。心に響く音楽は 舘野泉さんが弾くような 暖かな 静かな音楽である。■指圧の心は母心・・ここではっと気がついたのであるが、全容が解明されていない「ジストニア」という疾患は浪越徳次郎開発の指圧療法で改善できるのではないかと。脳と神経、あるいは筋肉という微妙な関連をどこか指圧のツボを押さえることにより一気に改善できないだろうかと。心配なピアニストは一度「浪越指圧」の門を叩いて見ることをお勧めしたい。ピアニストの50人に一人はなるという病気への朗報に繋がればよいが。徒然の記その3 Viola 2019.1.8(火)■小生の43cm(胴体部分の長さ)のViolaは現在修理中で1月12日に戻ってくる。それまでは代替えViolaによる練習。Lessonの先生のは一足先に修理を終え元通りに復旧している。音自体は”新しいViola”の音がするというが、駒は交換はされていないという。小生のも、駒を変更せず、糸巻の交換など多少のメンテナンスを依頼した。 さて、Allensandro RollaのDrei Duosの3曲目 Allegro espressivo を完璧に仕上げたつもりで訪問し、宿題のパッセージをまずは見てもらおうと気色ばんだが、開口一言、今年の目標は・・と切り出された。 先生のViolaを試しに弾かせてもらったときだ。この試奏でも一発で見抜かれたのは、弓の速度が一定ではないと。最初が速く、途中がゆっくりで後が速く等速ではないと。 そこで年間目標を2つ設定されてしまった。1.「弓の等速運動」・・・全音符、二分音符、四分音符♩、八分音符♪、16分音符など、どの音符も弓のspeedを等速に保てと。つまりアンダンテやプレストという速度記号が変わらない限り、その中では弓速度を常に一定で弾くべきであると。音符で弾く長さを変えていくのだという。どんな細かい音符でも、数㎜の長さ分弾けば済むため原理的に可能である。 たとえば全弓を2分音符2つ分に割り当てると、♩は「全弓/4」の弓幅で弾く。その時のspeedを変えずに、弓の幅を変えていくだけですべての音符を弾くことができる。この30年間、16分音符は弓を速く動かすという誤った技法が刷り込まれてしまっているのでこれを直していかなければならない。まずこの調子でAllensandro RollaのDrei Duosの一部の楽節を弾いてみた。2.「興奮しないこと」・・・小生のはとくにクライマックスでは走る傾向にあるとのこと。いつも沈着冷静でなければならないと。平常心で。 この2つを心せよと。さらに、これは基本中の基本であるが「西洋音楽は」・・音程が命であると。 ppでも委縮してはならないし、透明感のある音で奏でる必要があると。重要になるのが音楽性であり、棒読みではいけない。譜面をよくよみ句読点などをこころしながら息継ぎを行っていく。 これを胸に、シューマンの交響曲1番をさらう。特に2楽章を2回くらい通す。ぶっ通し2時間半。なかなか楽しい練習であった。やはりもうすこしViolaの練習量を増やさなければならないだろう。徒然の記その4 天狗の会 2019.1.9(水)■ほぼ第一水曜日に開催している旧サラ文幹事会のメンバーが9日に新宿大ガード近くの居酒屋「天狗」に8名が集まった。三味線を習っての帰りだと言う女性は、百何十万円もする象牙のバチを見せてくれた。汗を吸い取る性質や見た目の美しさでは象牙にかなうものはないという。 代替えに使われるべっ甲も含めて、ネコの皮に至るものが、すべてワシントン条約や動物愛護に抵触するのだという。なかなか難しい楽器に魅せられたものである。 日本橋七福神で回る中に「小網神社」がいま長蛇の列であるという。パワースポットになっておりここだけお参りする人もありこの界隈を取り巻く行列がすごいというのだ。こんど行ってみよう。 77歳にして起業をしようとする女性がおられ驚愕した。高円寺の阿波踊りをもう40年も演奏者として引っ張っているご仁など、この集まりは話題が尽きない徒然の記その5 ローラの発言 2019.1.10(木)■辺野古移設(新基地建設)に反対する声がNYにも届き、全米でも署名活動で当初目標を大きく上回る20万票を集めホワイトハウスの見解を待つという。少なくとも県民投票の2/24まで土砂搬入を停止するように求めている。 本土においてこういう問題には馬耳東風型で構え、メディアに毒された一市民(小生のことである)は基地問題を「-普天間+辺野古=0」という数式で等式が成り立つなら致し方ないのではと考えてきていた。しかし、なにかオカシイともっと早く手を挙げるべきではなかったのか。ローラの勇気ある発言で「はっ」としたのだ。そもそも沖縄に基地が多すぎる。引き算と足し算でゼロとするのではなく、「-(マイナス)普天間」だけの数式を強く主張すべきではなかったかと。国際世論はむしろそちらの方向に賛同してしている。国土の形を変えてサンゴ礁を潰していく。ケシカランことをしでかしているのだ。 NYでは、Rob Kajiwara(日系4世のミュージシャン ロブ梶原氏)が立ち上がっている。氏の署名活動:「URGENT: Please SIGN and SHARE this petition in order to save this coral reef from destruction! Petition closes Jan. 7! We need more signatures! 」http://bit.ly/StandwithOkinawa … #SaveOurOceans #SaveOurSeas」徒然の記その6 上大島キャンプ場 2019.1.10(木)■拙宅から2kmのところに上大島キャンプ場がありその広さは3万平米もある。今は休止中であるが、3月から10月までと、11月の土日が使える。利用者協力金という名目では10人まで日帰り1000円、1泊2日で2000円とえらく安い。この周囲にはいろいろな設備がありなかなかのものである。 相模川自然の村公園、相模川清流の里(相模川自然の村)、相模川ビレッジ若あゆ(相模川自然の村 野外体験教室)。この広い河川敷は“相模川自然の村”で一括りにできる。すべて市役所管轄。 最高気温6℃という寒い日にマラソンをしていた時だ。たまには河川敷を走ろうと、「大嶋」という相模川に浮かぶ小島を一周していたとき突然小学生が湧くようにして群れをなして歩いてきた。手に手にノートブックを持ちなにか地面を探している。そこら中に生徒がいた。展望台というはずれの場所にも。一体何をしているかを聞くと「オリエンテーリング(OR)」だという。 なるほど。松林にあるキャンプ場や、河川敷のあちこちに番号札をおいてORの実地訓練を行っているのだ。なかなかやるではないか。この小学校! 寒さをものともしない若いエネルギーに触れた感じ。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jan 12, 2019
コメント(0)
A happy New Year 鵐窟(Shitodo no Iwaya)_ story (4375)2019.1.5A happy New Year.! I and my comano friends spent the New Year in Manazuru. It was a luxurious banquet and Onsen. I met a lot of people and it was a wonderful beginning.あけましておめでとうございます。真鶴で正月を過ごしました。豪華な宴会でした。沢山の人とも出会え素敵な始まりとなりました。素晴らしい1年になることでしょう。■今週の1枚瀞八丁田古という船着き場で陸にあがり休憩。晩秋の瀞であるが、あまり紅葉木がなく全体に青い感じであった。目次徒然の記その1 新居訪問徒然の記その2 米料亭 八代目儀兵衛徒然の記その3 正月のご来光と参拝 徒然の記その4 こんな夜更けにバナナかよ!徒然の記その5 湯河原・鵐窟(しとどのいわや)徒然の記その6 新年会in真鶴 徒然の記その1 新居訪問 2018.12.29(土)■知人が練馬に新居を建てたということでカミさんと訪問してきた。 住所さえ分かれば、こっちは迷わず一発で行く自信があるのに、カミさんときたらGoogle Mapの経路検索で得た膨大な情報を印刷して何枚もの紙を持参している。小生を信用していないところが悔しいではないか。 明大前から井の頭線の乗り換え、吉祥寺駅で降りたところからでも、「東に30m進め」「北に20m」などと経路は非常に複雑である。井の頭線ホームから階段を降りたところがJRの2階改札口と繋がったL字型のフロアとなっている。 駅前のバスロータリーに降りるとそこが西武バスの乗り場があった。関東バスとすみ分けているため4番乗り場などは目の前で便利。「61-1」がすぐ来た。見ていると乗客の1割くらいがシルバーパスで乗ってくる。東京都は、125万円以上の"高額"所得者には2万円、非課税あるいは低所得者には1000円で無料のシルバーパスを配っている。神奈川県と何という差であろうか。さてここで次にどこで降りるのかが問題で「14個目」だという。 バスは人が居ないとバス停を通り過ぎるため止まる回数を数えても無駄である。詳細な地図もターゲット近くになると北30m、東20m、などと言われても測歩は狂ってくるのでほとんど使い物にならない。すぐ近くに来ていても迷子になる理由は詳細なマニュアルに原因がある。スタート地点が狂っていると一生辿り着けないのだ。 さて、今度はこっちの出番である。バスに乗っている時から、現在位置をタブレットのGoogleMapでトレースしており、目標の位置も分かっているので、カミさんを路地から路地に誘導する。 初めての場所でも、何年も住んでいるかのごとくさっさと人を案内できるのは日ごろの鍛錬のおかげであろう。ついに新居が見えた。メールで新居の写真が届いていたので、それに間違いはないと言う。 ピンポーンとドアベルをならす。そこに3人がまず笑顔で迎えてくれる。キャッシーとイギリスからの両親。彼女とは4年ぶりである。2004.3に石垣島で会い、2012と2014(7月13日のblog参照)には子供2人を連れて我が家に遊びに来てくれている。 彼女とはおよそ25年来の付き合いである。彼女の学生時代、我が家に1ヶ月ほどホームステイしてくれていたのだ。イギリスはヨークシャ州のSheffirldシェフィールド大学に在学中、日本語研修生として日本の大学に来ていた時に滞在したのだ。その後は、ロンドン近くの実家に我々も訪問したりと家族ぐるみの付き合いとなっている。両親はBBCの幹部だったが早期退職しいまや全世界を旅してまわっている。時々日本にも来る。今年はタヒチに行くと言っている。 彼女の方はその後日本に住むようになり日本人との間に2人の子供をもうけた。中1のアントニーは塾通いで忙しく、高2のオリビアは友達とエレキのドラムで遊んでいる。英国からその両親も新居訪問ということで10日ほど滞在中。 家具はほとんどが作り付きのもので収納スペースがふんだんに確保されていて素晴らしい。台所仕事をしながらTVが見られるようにと自在アームでTVの位置や角度を自由に変えられる。居間用のでかいTVも同じようにアングルなどを変えられるように太いアームが壁に固定されていた。今は翻訳業で身を立てている。■彼女が嘆く・・中1の男子アントニーが塾かけもちで忙しい。どこか進学高校に行くためであるのかと思いきや。さにあらず。中学の先生が行かせるのだという。行ってもらわなくては困るのだという。すべての授業が塾任せであるらしい。進路指導も塾。なにもかも塾。いったい公立の中学校では何を教えているのだろうか。上の子オリビアの高校進学の時も、塾の成績が優先され塾に聞いてくれであったらしい。不思議なシステムである。■シェイクスピア登場人物が駅名になった地下鉄路線図・・ランチョンマットの4倍くらいの大きな布をお土産にもらった。台所で使う食器拭きとして利用している。 最初はロンドンの地下鉄mapかと思ったが、登場人物の分類別毎に路線になっており、複数の分類名を持つ場合に路線が交差するようになっており地下鉄路線図そっくりのmapになっているのだ。 路線には、Fools(愚か者)、Lovers(恋人達)、Lovers undeconstruction(恋人たち-工事中)、Mothers(母親)、Fathers and Doaughters(父親と娘たち)、Villain(悪者)、Heroes(英雄)、Strong and Difficult Women(芯の強い女、難しい女)、Warriors(軍人)、Peak Hour Lovers(ピーク時の恋人)の10路線があり、複雑に交差する。 例えば、 Villains(悪党)線には、Edmund(「リア王」のエドマンド剛勇王)駅、Lago(「オセロ」の旗手イアーゴー)駅、Mariana(「尺には尺を(Measure for Measure)」のマリアナ)駅、Claudius(「ハムレット」の叔父クローディアス)駅、Don John(「空騒ぎ」の悪党ドン・ジョーン)駅、Shylock(「ベニスの商人」に登場するユダヤ人の金貸しシャイロック)駅、Lavinia(「タイタス・アンドロニカス(Titus Andronicus)」のラヴィニア)駅などがある。 Hero線には、Hamlet(ハムレット)駅、Henry4(ヘンリー4世)駅、Henry5(ヘンリー5世)駅、Richard2(リチャード2世)駅などとあり、悪党路線とは交差しないようになっている。 Warrians線には、Titus(Titus Andronicusのタイタス)駅、Lavinia(Titus Andronicusのラヴィニア=Villains(悪党)線と交差)、Talbot(ばら戦争で活躍した軍人タルボット)・・。Fathers and Doaughters線には、Polonius(「ハムレット」のデンマーク王国の侍従長ポローニアス)、Lear(リア王)、Pericles(戯曲ペリクレーズ)・・。 Fools線には、Lauce,Dromio(「間違いの喜劇」のドローミオ)、 Puck(「夏の夜の夢」のパック)、 Bottom(同 ニック・ボトム)、 Gobbo(「ヴェニスの商人」のゴッボー)、 Falstaff(「ヘンリアド」の肥満老騎士ファルスタッフ)。 Jacques、 Touchstone、 Feste、 Sir Toby、 Sir Andrew、 Lavatc Parollesなど。 Strong and Difficult Women線には,Cleopatra(「アントニーとクレオパトラ」のクレオパトラ)、Gertrude(「ハムレット」の母ガートレット=Mother路線と交差)、Desdemona(オセロの妻 デスデモーナ=Warrians路線と繋がっている)など。 Lovers undeconstruction線は、Isabella and Duke Vincentio(「尺には尺を」の主人公やその兄の名前)の駅が一個あるだけである。 Lovers線にはいわずとしれたロミオとジュリエットなどが出てきて興味が尽きない。などなど、この布を見ているとシェイクスピアの作品の全貌が分かる仕掛けである。恐れ入った。逆に言えば、シィクスピアを知らない者にとってはただの図面に過ぎない。大変知的なお土産であった。徒然の記その2 米料亭 八代目儀兵衛(ぎへいえ) 2018.12.30(日)■貴方その服なぁに。銀座に行くのよ。 銀座にディナーを食べにいく16時頃の話である。縞々のセーターを羽織り、あとは冬もののコートを上に着て階下に降りて行った。一応カミさんの服装チェックを受けようとして聞いてみた答えがこれである。 running姿で銀座を通り抜けることもあるのにかしこまったディナーではシャツとジャケットというスタイルが良いのだという。次女に誘われて銀座5丁目にある「米料亭 八代目儀兵衛」に馳せ参じた。丸の内線の銀座駅は丁度首都高が有楽町で緩いカーブをしている場所の真下にある。銀座四丁目で交差する形のメトロ日比谷線や銀座線の「銀座駅」と地下で繋がっているため大変構造は複雑である。出口番号「B9」がもっとも近い。ソニービルが一新されてSony Parkになっている場所は地下でもちょっとしたイベント会場に使える。 洒落た運動場といった空間で真新しい。昔からの地下通路とは異なり雰囲気が現代っぽい。別空間といった地下となっている。この「銀座」駅は「日比谷駅」とも連絡されているため、日比谷ミッドタウンの地下とも繋がっていることとなってmodanとoldが混在している感で面白い。 さて、18:00ジャスト開店の店でしばらく外で待ったが、玄関際のショーウィンドウには、お米に金箔があしらって飾ってあった。この店のコンセプトは主菜、副菜、デザートなどすべてがお米から出来ているという点で統一されている。京都が本店で、もともとは米屋であったという。お米の文化を継承し伝えていくことにあり、美味しいご飯を提供しているということでTVでも紹介されているという。店は14人が入れるくらいの小さいものであるが、板前は4人と豪勢。いくつかディナーのコースがあるが、「祇園」コースは下記のようなメニュー。全てが精進料理のようにミニチュアサイズであった。最初は大丈夫だろうか、家に帰って何か補充しなくてはと思ったが、どんどん料理が運ばれてくるうちに満腹になってきた。【米酒】オリジナルのライスワイン、【粥】八穀米を使った師走のお粥、【米菜】前菜と米のソースを京野菜に添えたもの。パン(銀シャリパン)とともに戴く。【鮨】儀兵衛の鮨米で握った鮨、【米八寸】季節の彩りを儀兵衛の米に添えて(米+たらこ。あん肝、かぶら蒸、稲穂をポップコーンのようにしたもの)、【瞬米】銀シャリの誕生(炊きあがる直前のご飯)、【米主菜】土鍋炊飯釜Bamboo!!で炊いた儀兵衛オリジナル米「翁霞」の「銀シャリ」ごはん、【師走の御飯のお供盛り合わせ】特選お魚のお供(甘鯛、ブリの照り焼き)、特選お肉のお供(黒豚)、塩海苔、香の物 お味噌汁、【おこげ】出来立てのおこげとだし茶漬けで食べるおこげ2種、【甘み米】米甘味2種とお抹茶■土鍋炊飯釜BambooはNET通販でも買える。2,3万円というところ。今回の米主菜が土鍋で炊かれたもので実演しながらのおこげなどの掻き出しを行っていた。【鮨】【米八寸】はパナソニックのスチーム&可変圧力IHジャー炊飯器 SR-SPX6シリーズで炊かれたお米が使われている。各メニューは凝ったお盆の造り(垣根や三角屋根、かぶら剥きの大根を屏風に使ったろうそく灯り)を添えてあって、一大絵巻のような食事。圧巻であった。■ノンアルコール酒? ビールにはあるが、酒にはない? こういう日本食には酒があう。しかし帰りは運転が控えているという御仁も多かろう。こういう時のためのノンアルコール酒というものが無いことにはたと気が付いた。 調べてみると現在3種類の日本酒があるようだ。宴会気分(福光屋、2002年発売)、零の雫(福光屋、2012年発売 米(国産酒造好適米100%)、米麹)、月桂冠フリー(2014年9月8日発売)。徒然の記その3 正月のご来光と参拝 2019.1.1(火)■高尾山、江ノ島、日の出山・・。ご来光を拝む場所は数多くあれどわが方は、近くの市街化調整区域に出て行けば、100haくらいの農地が広がるため格好の日の出観測場所となる。家から歩いて10分。しかし1月1日6:30頃から待っても東の空に厚い雲が横たわっていて期待薄。わずかに切れた地平線が赤くなってきたので日の出と分かる程度であった。真鶴や、江ノ島では雲の間から赤い日が射したようでまずまずの日の出となったようである。1月2日(水)はよく晴れた。夜が白み始めた時に東の方角を眺めると雲一点もない快晴の兆し。三脚とカメラ2台を持って昨日の場所へ行ってみた。もうこの日は地元で安上がりのご来光をしようとしていたカメラマンの列はない。帰りに「日比神社」に寄ってお参り。■神社の正しいお参りの仕方・・チコちゃんに叱られそうであるのですこし纏めてみた。「2礼2拍手1礼」など神社に行くと能書きがあるので助かる。・鳥居 帽子を取り軽く会釈。神域に入るということであり、神様をイメージすることが重要。帽子は境内では被らず手に持つ。・参道 神様が通るので真ん中を歩かない。・手水 右手で柄杓を取り左手にかける→左手で柄杓を取り右手にかける→柄杓ですくった水を飲み干す。(淡々と行うのではなく身体が清められているということをイメージ)・お賽銭→鈴→2礼 お賽銭を入れ鈴を鳴らし2礼する。鈴は神様を起こすという意味も込められている。お賽銭は無理なく払える額を。お辞儀は神様への敬意と感謝の意味を表す。 お賽銭でのゴロ合わせ・・・5円(ご縁)、11円(いい縁)、25円(二重にご縁)、41円(始終いい縁)、45円(始終ご縁)。50円(ご縁が10倍)、1万円(えんまん)。 避けた方がよい硬貨・・10円(遠縁)、500円(これ以上大きな硬貨(効果)がない。)・拍手 2拍手など(出雲大社などでは4回)。打つときは右手を少し引き、両手を合わせないで、ずらして打つ。理由としては、神様と人はまだ一体ではなく、神様より一歩下がることで、神を敬い讃える心を表す。・願い事 心の中で唱える。願望をしっかりイメージする。 ・最後に1礼。 このルールに従わなくても、敬意をもって参拝すれば良いとは思う。毎回どうも「家内安全」「夫婦円満」などと4字熟語で済ませているきらいがある。ぶつぶつとあまり長いこと念じていると後続の人の迷惑になる。ようするに常日頃願望を心にもって敬虔な気持ちで「神様 ありがとう御座います。」の一言でよいのではないだろうか。徒然の記その4 こんな夜更けにバナナかよ! 2019.1.2(水)■「こんな夜更けにバナナかよ~ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち 」渡辺 一史著( 2003/3 文春文庫)が映画化され、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』のタイトルで2018.12.28から公開されている。大泉洋とturbo717の雰囲気が似ている? と言われているのでそのキャラを堪能しようとしてrunningかたがた駅前のシネマに馳せ参じた。 大泉洋(鹿野靖明役(1959-2002 享年42歳))、高畑充希(美咲) 、三浦春馬(医学生田中)と中心的ボランティアの3人の計6人が主役のような形で話が展開されていく。2001年当時の医療器具が忠実に再現されており実に為になる映画であった。 介助なしでは1秒たりとも生きられない障害者が、社会へでて自立しようとする意気込みはすごい。夢は米国へ行き、同じ病気で苦しんでいる人やその周りのボランティアと会いたいという。周りがそういう前向きな方向性に巻き込まれていくのだ。活力は生きるのを諦めず、また人との関りをあきらめないとする強い意欲である。そういう意欲をもつことは、障害者であろうが健常者であろうが関係はない。同様であるという。 全員が観たい映画である。 徒然の記その5 湯河原・鵐窟(しとどのいわや) 2019.1.3(木)■湯河原駅後方の城山(563m)に登り、しとど窟へ行ってきた。湯河原には以前runningチームで会社から走ったことがある。国道に面する宿屋から相模湾が、眼下に波しぶきが見えた場所である。近くの温泉までも往復で走ったことがある。その温泉はこごめの湯であろうか。今回は、鎌倉時代初期の武将 土肥実平(どひ さねひら)を祀る城願寺、その城跡、石橋山での戦いで源頼朝が敗走したときに隠れたという鵐窟(しとどのいわや)などを巡る20kmのrunningを計画した。 ぐるっと巡って、夕刻5時に新年会の会場に行くためにはどうしても午前2時半には起床せねばならない。朝食とお弁当と用意。最寄り駅4時34分始発の電車という予定で出発。湯河原駅到着6時38分。 この時間は日の出直前であるため急いで湯河原駅裏手の城山に取り付くべきであろうと考え駅までは特に休みを取らず、住宅街をひたすら登っていく。標高150mくらいの一本道から、ご来光を拝む。6:58。 途中、こごめの湯で汗を流したあとさらに10km走って「うに清」へ。新年会がsetされているのである。 幕山(まくやま)は11月3日に登っているのでちょうど2ヶ月ぶりの湯河原であった。真鶴までは毎回コースを変えているのでしだいにこの辺りが詳しくなっていく!■鵐窟(しとどのいわや)・・このあたりには2つある。共に源頼朝伝説にまつわる。■湯河原の鵐窟・・標高550mの山の中。源頼朝が14歳のときに父義朝の平治の乱で捕らわれて伊豆の「蛭が小島」に流され平(=山木)兼隆の監視で20年間を過ごした。治承4(1180)年 高倉宮以仁王の平氏追討の令旨を受け8月16日に三島大社の祭典の晩、恋敵でもある山木兼隆を討ち源氏に組する者たちを集め挙兵。しかしながら石橋山の戦いは平氏3000騎、源氏300騎で敗走し、湯河原の豪土肥実平(どひさねひら)に助けられ山中に逃れる。このとき富士山外輪山の溶岩からなる岩窟に5日間身を潜めたという。実平の女房が飯を運んだとも。洞窟には水がしたたり落ち800年の今も変わらない。この洞窟が「鵐窟(しとどのいわや)」と呼ばれる。 高さおよそ8m、横幅20m、奥行6mくらいの巨大なもので今は沢山の仏像が鎮座する。入口から400mの参道には90体以上の地蔵様が祀られている。 史実ではその後、更に自艦水(じかんすい)、真鶴港にもある鵐窟(高さ2m。奥行10m)や、岩地区の海岸(船出海岸)から7隻で安房(館山)に逃れた(1180年8月28日)。その後軍勢を立て直し、鎌倉幕府を開いた。湯河原駅には土肥実平とその妻の功を顕彰し像が土肥会によって1980年(挙兵から800年を記念)に建立されている。■真鶴の鵐窟・・こちらの方は海岸線。関東大震災で海岸線が隆起したため今は陸側にある。青木をもって入口を塞ぎ、食料を手配し、身を守ったという。これらの人々に名前が授けられた。「青木」「五味(ごみ)」「御守(おんもり)」の3つの姓は今も真鶴に多いという。■藪こぎ・・正月早々この日は3回の藪漕ぎ!(藪漕ぎ:道が無く、灌木が前を塞ぎ前方が見えない状態で身をかがめそれらを掻い潜っていく。地図をにらみ、地形を把握しながら前進する。下り坂ではわりと簡単。登りは3歩進んで2歩ずり落ちと苦労が多い。)、詳細は下記で白の点線が藪漕ぎ。壮絶であった。湯河原駅6:38→城堀ガード下→城願寺→城山563m 8:14-8:30→「662.6m峰」→藪漕ぎ→鵐窟(しとどのいわや)入口9:19→400m→鵐窟9:34→再び城山10:00-10:30→藪漕ぎ→湯河原温泉11:13→こごめの湯11:30-駅伝実況中継をTVで観戦13:53→国道135号14:37→福浦漁港15:20→真鶴マリンバース15:38→藪漕ぎ→貴船神社15:52→海鮮料理店「うに清」16:50 19.2km 累計高度+1114m、-1180m。「662.6m峰」に登る必要はなかったが帰りも城山を目指すため別の道がよかろうと杣道を進んだのがいけなかった。地理院地図にはちゃんと山道が書かれているのであるが実際には道はない。電波用のケーブルであろうか、所々黒いケーブルが見え隠れしていた。up60m-down60mの稜線を西へ。白銀林道トンネルの上から30mdownへ。 帰路では、城山563mから標高420m pointまではバス停の「城山登山口」への山道を進む。そのpoint近道を取り谷伝いに1,2km藪漕ぎ。バス道路では湯河原温泉までは遠すぎるため短絡。しかしこれは失敗。難渋を余儀なくされた。谷筋には灌木の「青木」がびっしり。途中砂防ダムがありそれを巻く。 福浦からの真鶴半島稜線への登りも杣道的な小道。真鶴マリンバースから→貴船神社までの竹やぶの道を住宅街に向けて藪漕ぎ。 以上3点は、地理院地図に道があるが、2,30年使われることがなかったため原生林へと変遷していく過渡期にあった。今後人口が減ると、このような事態が日本中で起こってくるのではと思う。教訓としては無謀はやめ「人いきれする道=人が通常通っている道」のみを歩くように!徒然の記その6 新年会in真鶴 2019.1.3(木)-4(金)■磯料理店「うに清」で17:00開宴。NYに在住し国連に勤務されているご夫婦は真鶴にも別荘を持つという。その方と三浦半島にあるスペイン製タイルを扱う女社長、幼稚園の経営者やcamino仲間が総勢12名集まった。料理の内容はすごかった。ウニ、アワビ、サザエ、黒ダイ、ヒラメ、アジの叩き・・。お刺身の巨大な船盛である。4人で一隻。それがドーんと3隻も並ぶ。この他に塩辛やキンメダイ。お酒に御飯、お茶漬・・。 魚の骨などはスープの出汁になるため刺身などの余ったものなどをパックに入れてくれる。 女社長が収めた先はすごい。銀座7丁目にあるスペインクラブ「ボデガ」など。外壁や内装や飾り、テーブルのコースターまでもスペイン製タイルの明るい模様や色彩が映えるのであるという。もともとはスペイン語通訳。 NY、日本、アフリカを5,5,2ヶ月の割合で飛び回っておられるご夫妻はひょっとしてNYマラソンで会っているかも。今度走ることがあったら応援を頼もう。会話の中では、お互いに何らかで繋がっていたのが面白い。■真鶴合宿・・海からのご来光を拝もめるとあって3-4日は真鶴合宿。camino仲間4名が寝袋を持って集った。これに女社長が加わって話が盛り上がる。朝6:54、雲間ながらばっちりとご来光をカメラに収める。朝はお雑煮、お汁粉、ビールにワイン。午前中に再度「こごめ湯」へ。午後はイタリア直送の、ミラノ発祥のクリスマス・お菓子「パネットーネ(or パネトーネ)」に舌鼓。16時前に散会。 一宿一飯のお礼に、皆で酢橘(すだち)、オレンジを収穫。合計で300個くらいあったのではないか。庭に入る時にもブドウなどのツルを掻い潜っていく。第4の藪漕ぎ! 原野に遊んだ2日間であり、贅沢三昧のお正月旅行となった。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Jan 5, 2019
コメント(0)
ボヘミアン・ラプソディー、パッドマン_ story (4374)2018.12.29I watched two movies in rush in the end of the year.Speaking of Bohemian Rhapsody,although it passed two months from the publication, there were still amazing number of audiences.A lot of peaple seems to be more impressed by rock music than callasical one.Rock music grabbed peaple's heart? 年の瀬の慌ただしい中で、実話を元にした映画を2つ鑑賞した。ボヘミアン・ラプソディなんて公開から2ヶ月も経つのに満席の状態である。ロックミュージックの人気が高いことに驚くとともに、クラシックではこれほどの盛り上がりがないことに寂しい思いをした。心を鷲掴みにする音楽であるからであろうか。■今週の1枚埼玉県小鹿野町小判沢の風景道を上がっていくと通りの向こうに紅葉の風景が広がった。暗い峠道を歩いてきたものだから輝くような瞬間があり急いでスケッチブックを広げた。目次徒然の記その1 きじまりゅうたの小腹すいてませんか徒然の記その2 子犬のワルツ徒然の記その3 リキ・フィルハーモニッシェス・オーケストラ第7回定演 徒然の記その4 コーヒーが冷めないうちに徒然の記その5 ピアノに腰掛ける?徒然の記その6 映画:ボヘミアン・ラプソディ徒然の記その7 映画:パッドマン徒然の記その1 きじまりゅうたの小腹すいてませんか 2018.12.22(土)■たまたま総合TVでやっていた木曜日(12/20)22:45-23:10の「きじまりゅうたの小腹すいてませんか」を観た。そこでは名古屋編をやっていた。町行く人への突撃番組で、八事(やごと)近辺の名誉教授宅や、守山近くの学生の家にあがりこみ冷蔵庫などにある食材だけで、小腹を満たすという内容である。レシピはどれも超簡単で大変ためになる。「さつまいものレモン煮」では、さつまいもとレモンだけで作れるおやつであった。芋を1cmの輪切りとし、レモンを添えてザラメ砂糖や水をあしらって電子レンジでチンするだけである。 先日の高尾山ダイヤモンド富士のツアーに持って行こうとこれを試してみたのだ。さつまいも1個、レモン半分、砂糖大匙3、蜂蜜大匙1、水は芋が半分ほど浸る程度に、ラップしてレンジで8分。途中芋をひっくり返す。台所に芋のほのかな香りが立ち込める。朝食用にも2,3切れ使い、残りをタッパーに詰めた。小仏峠での昼食にちょっとしたおやつに役立ったのではないだろうか。芋というと固く直ぐには火が通らない代物であるが何かの準備のついでにささっと料理できるのは助かる。 これを利用した「さつまいもヨーグルト」なども超カンタン。さきほどの「さつまいものレモン煮」に ヨーグルト、 グラノーラ(フレークしたシリアル食品。オーツ麦やアンズ、マンゴーなどを顆粒状にしたもの。)をあえて、きな粉をまぶすだけである。 その他「小松菜とピーマンのみそ卵炒め」という本格的なおかず。まずみそ大匙1、酒大匙2、蜂蜜大匙1/2を混ぜてみそだれを作る。ベーコン4枚を1cm幅に切り炒める、そこに卵2個 +塩少々を入れてかき混ぜ、ふわっと固まったら取り出す。 小松菜を茎を先に葉っぱを後にして炒め、斜め切りにしたピーマン2個を加える。 みそだれを加え、炒り卵を戻す。皿に盛り、黄な粉をかける。台所の余り物で、なんでも作れちゃうという内容がすごい。バリエーションは無限である。徒然の記その2 子犬のワルツ 2018.12.24(月)■「音楽の友」12月号に音楽作品の愛称についてコラムがあった。”平野昭先生の「ワンモアポイント ベートーヴェン」”である。後世に付けられた愛称に曲の”全体”のイメージが左右されてしまうのは困ったものであるというような内容であった。 例えば「ピアノ三大ソナタ;《悲愴》、《月光》、《熱情》」、ソナタ《田園》、《夫婦喧嘩、または(男女の対話)》、《葬送》、《告別》、《狩》・・。 このなかでベートーヴェンが付けたものは《悲愴;ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13》だけであるという。《告別;ピアノソナタ第26番 変ホ長調 作品81a 》に関しては各楽章のそれぞれに付けられた標題ー「告別」「不在」「再会」の短縮形として作品成立背景と音楽内容に関わる重要な曲名となっているのでよかろうと。《月光;ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27の2》は、その第1楽章の印象を詩人のルートヴィッヒ・レルシュターブ(1799-1860)が「スイスのルツェルン湖を照らす月光のもとで浪間に揺らぐ小舟のようだ」とベートーヴェンの死後5年語ったことに由来する。この曲が作曲された1801年はレルシュターブはまだ2歳であったと。愛称としては最大に罪深いものであると手厳しい。《熱情;ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 作品57》の由来も、ベートーヴェン死後10年以上経た1838年にハンブルグの音楽出版社クランツから出版された「4手連弾版によるベートーヴェンのヘ短調ソナタ」の表紙に印刷されたSonata Appassionataが初出である。《葬送;ピアノソナタ第12番 変イ長調》は第3楽章標題の「葬送行進曲」に由来するのみである。《狩;ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 作品31の3》は第4楽章のなかの6/8拍子のプレストの中に馬を駆って森を駆け巡る狩りを連想したものであるが先行の3楽章をまったく無視したもので曲のイメージをミスリードしたものである。 こんなことをカミさんと話していると「あら、ショパンにもあるわよ。」と言う。 ショパンのピアノ曲全般にも言えるわけで、彼自身愛称を嫌ったにも拘わらず後世の人達が色々愛称を付けているのだと。 例えば、《子犬のワルツ;ワルツ第6番(作品64-1)変二長調》は日本だけにしか通じない名称で、海外では「1分間のワルツ(Minute Waltz)」として呼ばれているんだと。 (実際は1分42秒ほどの長さがある。ここでは「とても小さな」を意味する英単語"Minute(マイニュート)"が時間の「分」を意味する「Minute(ミニット)」と同じ綴りから誤解されて広まった。」)子犬がじゃれ廻る様が音楽となっているのに不思議である。実際に「子犬のワルツ」を英訳すると「Minute Waltz」と訳される。 《別れの曲;練習曲作品第3番(Op10-3)》も、ドイツ映画の邦題『別れの曲』の主題曲であったところから愛称名となったのであると。(英語では" Tristesse(悲しみ)"、英語圏で「Farewell」や「L'Adieu」(別れ、別離)、フランス語圏で「L'intimité」(親密、内密)などと呼ばれる。)愛称名のほうが呼び易いのであるが、その愛称名でインプットされた曲のイメージは今後はresetして臨まなければならないだろう。徒然の記その3 リキ・フィルハーモニッシェス・オーケストラ第7回定演 2018.12.24(月)■RIKI Philharmonisches Orchester(リキフィル)第7回定期演奏会が、クリスマス・イブの日に杉並公会堂でマチネで挙行された。 招待状をこのオケ事務局からと団友から2枚貰っていたのでそそくさと出かけた次第である。指揮は、このオケの創設者の長野力哉さん。曲目は、・E.フンパーディク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」・R.シューマン:ピアノ協奏曲 P:遠藤綾美・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 このRIKIは、演奏機会の比較的少ないブルックナーを全曲制覇するということを目標に2015年秋に三鷹で旗揚げ公演したオケである。6/30の第6番に続く。交響曲第7番ホ長調は各楽章最後にクライマックスがあるものだから4曲を聴いている感じで濃密。この曲を含めてブルックナー後期(第7-第9)の曲に用いられているワグナーチューバーは、当初はこの楽器の調達が難しく演奏機会が少なかったといわれる。次回は2019年6月29日でいまからまた楽しみである。我が市民響から7名が参加していた。アンケートに住所を書けば、次回の演奏会のチケットが戴けるという面白いシステム。そのためか会場は毎回満席の状態である。未就学児入場に関しては何も書いていない懐の深さがよい。比較的若い人たちがオケに足を運ぶ原動力にもなっているのではないだろうか。 開演前に、喫茶のサービスがあった。これはクリスマス・イブの日の特別な計らいであるという。缶ビールがテーブルに何本も並び、紙コップに少しずつ注がれたものが置いてあり2杯も飲んでしまった。粋なおもてなしに感動。 ■ブラービエ! R.シューマンのピアノ協奏曲が終わったあと、ブラーボーという歓声とともに、すぐ後ろの席から大きな声で「ブラービエ!」と叫ばれたのでびっくりした。 独奏者とオケ全体に歓声を送ったようである。ブラーボーBravoは対象者によって語尾変化する。男性単数形では「Bravo!」、女性単数形の「Brava!」、男性複数形・男女複数形の「Bravi!」、女性複数形の「Brave!」 叫ばれた「ブラービエ」はスペル的にはどれに当たるのだろう。徒然の記その4 コーヒーが冷めないうちに 2018.12.25(火)■川口俊和「コーヒーが冷めないうちに」サンマーク出版(2015年12年第1刷、2018年現在85万部。)を読んだ。(2018.9に映画化され、現在でも地方3館で上映中。) 過去に戻れたり未来に行くことができるという都市伝説があるカフェ「フニクリフニクラ」で展開される4話がオムニバスとなって綴られている。内容がごく平易であるにも拘わらず頭がエラーとなってしまい複雑。物語の構成が、表計算ソフトの循環関数のように自己回帰するような物語に仕上がっている。時間の進行で第二の物語が生まれていくような不思議な感覚になった。 24時間ずっと座り続けている女性(一旦過去に戻って死んだ夫と会えたのであるが戻れずに幽霊になった女:作者本人かも分からない?)がトイレに立った時だけ、その席に座って念じると過去や未来に飛んでいけるのだという。新しく淹れてもらったコーヒーが冷めないうちに。その時間はほんの10分くらいしかない。 第1話の『結婚』では、結婚を考えていた彼氏と別れることになった女が、その席に座って1w前の出来事を再現させるシーン。別れ際に、彼氏が言おうとして言えなかった「3年待ってほしい。必ず帰ってくるから。その時は・・。」という言葉を耳にして現実に戻る。現実は変えることはできないが本心を聞き出すことができたわけで勇気100倍ではなかっただろうか。 『夫婦』では、アルツハイマーを発症した夫と、妻の物語である。認知症の症状が進んでいく夫が渡しそびれていた手紙があるというのだ。それをぜひ読んでみたいと思い、3年前のまだ症状が軽い時に書かれた手紙を読むシーン。実は夫はすでに自分の病気のことを知っておりこのままアルツハイマーが進んでいき、妻を誰だかわからなくなる前に自分の気持ちを手紙にしたためたのだ。記憶を失っても、同情だけで生きているのはやめにして、夫婦として辛かったら離れてくれたってよいのだ。」という内容の手紙だ。過去に戻っておきながら現在を未来として捉え「治っているよ!」と励ましても現実を変えることはないが、本心が分かってより親密に見つめあうようになった。これもこれでよかったのかもわからない。 『姉妹』では、旅館の跡継ぎとなって女将をやっていた妹が交通事故で亡くなった。姉を説得に訪れた帰りの事故である。過去に戻って、妹の本心を聞き出したのだ。そこで分かったことは、姉妹で旅館を一緒にやりたいという切望であったのだ。姉は天国にいる妹のためにも旅館業を継ぐ決心をし立派な女将として成長していくという物語である。このタイムスリップで得たものは大きい。 『親子』では病弱の妊婦が、赤ん坊と引き換えに自分の生命が途切れることを予感し、15年後の未来を尋ねるという。成長した子供と向いあいお互いに生まれてきてくれてありがとう、お母さんありがとう と声を掛け合うシーン。もう涙なしでは読めないくだり。 4つの物語で、過去や未来に行っても何一つ現実は変わらないのであるが、「心」は変えられると説いている。現実は変わらなくても、人の心が変わるなら、この椅子にもきっと大事な意味がある。と結んでいた。 考えさせられる面白い小説であった。facebookで紹介下さったSさんありがとうございました。徒然の記その5 ピアノに腰掛ける? 2018.12.27(水)■NYに住んでおられ国連に長く勤められている婦人と1月3日に会う機会がある。その人は、みんなが椅子に座ってるのに机にひょいと座っちゃう人だという。いかにもNYらしい立ち居振る舞いであったという。その話をカミさんに言ったときだ。「あら、外国ではピアノの上にひょいと座っちゃう人もいるのよ。」と。どうも西洋ではお行儀の悪さの基準が日本と違うようである。CDのジャケットなんかでも、ピアニストとソリストというDuoのとき、ソリストの方をピアノの天板に上げて写真を撮ることも多いのだと。 2月発売のブレハッチのCDがそれであるらしい。ファンの一人が憤慨していたという。どうもその怒りは、ヴァイオリニスト韓国美人キム・ボムソリとの2ショットであったからのやっかみも含まれているらしい。徒然の記その6 映画:ボヘミアン・ラプソディ 2018.12.27(木)ロックの名曲「ボヘミアン・ラプソディ」誕生の物語が中心。■映画「ボヘミアン・ラプソディー(Bohemian Rhapsody)」はライブエイド( 1985 Live at LIVE AID)の大観衆の前で歌われる強烈なロックバンドの音楽で幕が開く。イギリスのハードロックグループ「クイーン」のボーカリスト:フレディー・マーキュリー(Freddi Mercury 1946-1991 享年45歳)の半生を描く。 この曲の構成は、アカペラ、バラード(Piano)、オペラ(4人のVocal-レチタティーボ)、ハードロック、再度のバラードという5部で構成され、6分と長く当時はラジオやTV向きの曲ではなかったがアルバムは世界中にhitした。 歌詞は平易だが内容は強烈である。「Is this the real life- Is this just fantasy- Coaught in a landslide- No escape from reality- Open your eyes, Look up to the skies and see- I'm just a poor boy,I need no sympathy- Because I'm easy come,easy go, A little high,little low, Anyway the wind blows, doesn't really matter to me,-to me-,--- Mama ,just killed a man, Put a gun against his head, Pulled my trigger,now he's dead, Mama,life had just begun, But nowI've gone and thrown it all away- Mama,ooo」(これは現実か、空想か。地すべりに巻き込まれているのか - 現実から逃れることはできない。目を開いて空を見上げて見よう - 私は哀れな男だ、だが同情はいらない - だって僕は ふらりとやって来たかと思えば ふらりと出て行っちゃったり ちょっといい気分になったかと思えば ちょっとウツな気分になったり どんな風が吹いたところで 僕にはどうでもいいことなんだ。 母さん、人を殺してきたよ そいつの頭に銃を突きつけて 引き金を引いたら そいつ死んじゃった 母さん、僕の人生は始まったばかりだってのに もうお終いなんだ、自分で自分の人生を投げ捨てちゃったんだよ 母さん、ああーー 僕にはーー」)と歌う。少々過激なpoemが続く。歌となると強烈なロック調となり言葉のスパイスが効いたものとなるから不思議である。 このボヘミアン・ラプソディーを歌ったQueenのライブ「 Live at LIVE AID」(1985/07/13)のYouTubeは1億3000万回も再生されている。このライブそのままが映画でそっくり再現されているのは驚きである。彼に扮した俳優ラミ・マレックの歌唱力は圧倒的なものがある。本人そっくりの風貌ときている。ライブや曲作りの詳細が公開されているので感動。徒然の記その7 映画:パッドマン(Pad Man) 2018.12.28(金)実話をもとにした映画の第2弾。こちらは主人公が実在している。■「パッドマン 5億人の女性を救った男」12/7に公開になった映画を日比谷シャンティで観た。前に座った大柄の女性の頭がじゃまで肝心の字幕が読めず苦労した。席の段差が少ない構造になっているのも一因である。新しい映画館の筈なのに残念である。しかもnetチケットの端末が1台しかない。なにか田舎の場末の映画館に行ったような感覚。 しかしこの映画には泣かされた。もっとも良かったのが国連ビルにおける演説である。主人公ラクシュミ(アクシャイ・クマール)が喋る拙い英語(リングリッシュと言って笑わせていた。:ラクシュミEnglish)で、発言の内容がすべて通じてしまったことだ。大喝采を浴び講演を終わる時に、TED Conference(TED=Technology Entertainment Design)と同じく全員のスタンディングオベーションがあった。実際の映画の撮影でもワンテイク(cutや中段なし)で撮られたようである。 観衆は超満員で女性6割、男性4割といったところか。市販用ナプキンの値段が55ルピー(日本円で約90円)で驚くシーンがあったが、これはインドでは1日の食費以上もする価格であったようだ。そのため普及がすすまなかようで、これを2ルビー(約4円)で売れるように安価な製法を工夫していくという物語。下町ロケットの1人版のような孤軍奮闘が面白かった。偶然、完成品の第1号を試すことになった最初の顧客パリー(ソーナム・カプール)の協力で、貧しい女性が工場で働きつつ訪問販売をするというビジネスモデルを確立させ販路を徐々に広げていく。各村々でその製造機を置き、女性たちがそれを操作し売っていくというようにして価格を抑え雇用を生み出し、全女性がハッピーになるという驚くほど単純で高度な仕組み作りを広めてインド中の女性5億人を救った。 主人公ラクシュミの実際のモデルはアルナシャラム・ムルガナンサム氏で現在は、世界的に有名なインド人起業家となっている。実際は開発から完成までに6年を要したとされる。その間のTrialとErrorは何十回、何百回と繰り返されたようだ。今はインド24州758村で女性グループが製品化し、海外8カ国にも展開している。日本のユニチャームがアフリカで展開したナプキン事業と相似するところがあり興味深い。 しかしまだまだタブーとされる問題で、パキスタンでは上映中止となっている。◆今年最後の絵日記blogとなりました。皆様 よい年をお迎えください。This is a last picture diary of blog. Have a nice year..(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Dec 29, 2018
コメント(0)
フェルメール展とオランダ、ダイアモンド富士_ story (4373)2018.12.22Even if it was the cloudy day, we climbed up to Mt. Takao as the last mountaineering this year,with hope of watching the diamon Mt.Fuji at 16:13:55. 曇り空でも一縷の望みをもって高尾山に皆で登ってきた。16:13近辺に見られるダイヤモンド富士山を拝むため。拝めなくても、今年最後の登山として。■今週の1枚 上野恩賜公園の風景(2018.12.17)フェルメール展をやっている上野の森美術館前の風景。上野の森が光であふれていた。午後3時。目次徒然の記その1 新・作庭記徒然の記その2 フェルメール展徒然の記その3 オランダ 徒然の記その4 あぁViola!徒然の記その5 ワインバー Shin's(シンズ)徒然の記その6 ダイヤモンド富士2018at高尾山徒然の記その7 納豆攪拌424回徒然の記その8 紀伊半島が世界5位徒然の記その1 新・作庭記 2018.12.16(日)■丸山健二の著書を読み返した。昨今は、runningよりも庭師として働くことが多いので、久々に「新・作庭記」を図書館から借りてきた訳である。著者の庭は、安曇野の里、標高700m位に位置する場所に350坪の敷地と建屋がある。すべて自分で庭造りを行っておりその経緯が随想されている。面白いのが、良かれと思って植えた黄金ヒバ、ドイツトウヒ、カイヅカイブキなどの大量の樹木は、場所が合わず処分されたり、害虫にやられ淘汰されていた庭は、サンショウバラという品格のあるバラ(樹木形のバラ)や、ダンコウバイやイタヤカエデの秋の黄葉、ルリトラノオの白い花やバラ(オールドローズ、イングリッシュローズなど)の低木で統一し、石を配して作庭を完成しつつあるというくだり。垣根としてはコメツガやブナなどで形を整えているだけで実に光が燦々と注ぐ庭となっているようである。こんど大町に行ったら見学をさせてもらいたいものだ。 この「作庭」ということばに我が家の悪戦苦闘の40年を重ねてみた。同じように害虫との戦いの20年と、恐怖のような繁茂の20年の戦いがあった。子供たちがまだ小さい時分に、いつも庭と格闘していた懐かしい思い出である。サンショの棘には子供のサッカーボールがやられたりしたため育てるのを諦めたりしている。 オニグルミの大木には、クスサンという毛虫が毎年大量に発生し、駆除にはさお竹の先に油をしみこませたタオルを巻き付け、一匹づつ火あぶりの刑で殺戮していた悪夢、サルスベリには、カミキリムシの幼虫が樹幹を食い荒らされ、トベラにはカイガラムシ、クチナシにも毛虫、・・。もう思い出しただけで寒気がする。害虫駆除剤を常に使い、それに対抗するようにカイガラムシが蔓延りと。 白樺などもとっくになくなっている。ただその戦いはこの10年まったくない。実は殺虫剤を止めたのである。自然が一番よいということで自然淘汰に任せ、庭に最適な植物のみが育つようにしたからである。自然体でいこうと。 今は主に「繁茂」との闘いである。電動ノコギリの威力をかって、高さ2mくらいに全部木を切り揃えた。45Lゴミ袋15杯分の葉っぱや枝を捨てたことになる。ずいぶんすっきりした庭を見よ! といっても今や冬で閉ざされた窓から家人の誉め言葉が飛んでこないのが寂しいが。徒然の記その2 フェルメール展 2018.12.17(月)■上野の森美術館で、10/5~2019/2/3まで開催されている「フェルメール展」を観に行った。金曜日に行った娘は、19:00-20:00の時間帯であって非常に空いていて、ねらい目であると言う。 日時指定入場制で混雑を避ける狙いがあるが、もともと2500円と高いので悲劇的な混雑にはなる筈がないと踏んでいるが。15:00-16:30の時間のチケットを予約して上野公園に駆け付けた。会場の外には大きな看板があり、今回のフェルメールの作品8点(1点は入れ替え制で、「赤い帽子の女」が10/5~12/20、「取り持ち女」が12/21~2019/2/3。他1点「恋文」は大阪会場のみ。)の絵が示されていた。 皆これをカメラに収めていた。フェルメール(Johannes Vermeer 1632-1675)は寡作のバロック画家で、真贋の決着していない作品を含めて全37点のうちの9点がアムステルダム国立美術館、ベルリン国立美術館、メトロポリタン美術館、ワシントン・ナショナルギャラリーなど全世界から集めらて展示されているため看板には「9/35」とあり35絵画のうちの9点が来日したとあるような数字。 標題は、「Making the Difference:Vermeer and Dutch Art」で中身は「1.オランダ人との出会い:肖像画」でフランス・ハルスの「ルカス・デ・クレルクの肖像」など7点、「2.遠い昔の物語:神話画と宗教画」でヘンドリック・テル・ブリュヘンの「東方三博士(マギ)の礼拝」など6点、「3.戸外の画家たち:風景画」で、アブラハム・ブルーマートの「トピアと天使のいる風景画」など10点、「4.命なき者の美:静物画で」ヤン・デ・ヘームの「書物のある静物」など3点、「5.日々の生活:風俗画」で、ユーディト・レイステルの「陽気な酒飲み」など13点、「6.光と影:フェルメール」で「マルタとマリア家のキリスト」など8点の計48点が展示されていた 10cmx15cmくらいの小さな冊子と、音声ガイドが全員に配られているので、絵には一切の説明掲示がなく非常にシンプル。展覧会のナビゲーターである石原さとみさんが音声ガイドをしていた。 この「日時指定入場制」の美術館は、2016年にパリで経験している。Fondation Louis Vuitton(ルイビトン財団)のLa collection Chtchoukine(シチューキン(ロシアの実業家)・コレクション:)展である。 エルミタージュ美術館やプーシキン美術館やトレチャコフ美術館から何百という名画が里帰りしていたためにパリが大騒ぎとなっていた美術展である。その時はNet予約の待ち行列と、一見(いちげん)さんの2列ができていた。一見さんは、いつ入れるかも不明で長蛇の列。時間指定の客も、その時間になっても混雑していてなかなか入れない状態。この雑踏をどのように処理するのかが見ものであった。一般的に入れ替え制でないため、一旦入ってしまえば何時間でも滞在することができることもあり、作品数が膨大過ぎて見学の時間が長時間に及んでしまうことからの混雑であった。しかし一見さんの列でも30分も待っていれば入れたときには嬉しかった。 今回のはオランダの他の画家の絵を含めてたった49点である。世界中に散ってしまった美術品を一堂に集めるのは至難の業であったのだろう。会場shopでは、「牛乳を注ぐ女」の原画サイズをリコーのコピー機で一枚2時間かけて作ったという超精細複製画が7、8万円くらいで売られていた。なんと予約数は12/17時点で100枚くらい。1/2サイズで製作時間は1時間の小型版1万円のものを600人以上が予約していた。配達されるのは4月以降になるという。richな人達がどっと来ているのであろう。左の窓から射す光を受けて手紙を読み、牛乳をそそぎ、ペンを走らせる人物像にこれほどあこがれを持つ日本人。■未就学児の扱い・・フェルメール展では未就学児は、無料とだけしか書いていない。入場は妨げられないのでOKなのであろう。一般に美術館・博物館・水族館などでは未就学児童の入場は自由で無料である。フェルメール展でも子供がいたがそうは気にはならない。 一般的なコンサートでは、「未就学児お断り」というのが多い。小中の割引などもないものが殆どである。一体全体この違いはどこから来るのであろうか。子供は「騒ぐ」「じっとしておれない」という概念からくるのであるが。 では美術館は大丈夫なのか?「おもちゃを持って借り物の美術品に傷をつけないか?」「手でさわったりしないであろうか。」「倒れて作品をダメにしてしまう可能性はないのか」「バタバタと駆けっこをしないのか」ということで係員が執拗に子供を付け回すという事態となっているようである。 なかなか音楽にしろ、美術にしろ、子供連れには苦労が多い。均等な機会を与えてあげるにはどうすればよいのだろう。会場雰囲気、内容(オペラ、バレー、合唱、オーケストラ、美術、パフォーマンス・・)など多岐にわたる条件下で、親御さんへの要求事項が相当多いのであろうが、日ごろの躾でやっていけるのであろうか? 考えなくてはいけないのは、幼児を一時間も座席に座らせたままでいることは虐待に近い行為であることかも知れず、混雑した暗い美術館に連れ出すことは人混みの恐怖を味わわせて美術嫌いにさせてしまう行為になるやも知れず。難しいところである。 親御さんはよほどの覚悟が必要である。キッズ何とかというような子供向きのイベントで十分訓練してからのデビューとしてみてはどうだろう。イベント側は門戸を開くが、それなりのルールを設けるなど。徒然の記その3 オランダ 2018.12.17(月)■オランダの国名コードはNDLである。国名がNederland(ネーデルランド:低い土地)であるからである。なじみの「オランダ」という土地名はアムステルダムが位置するNoord-Holland (ノートドランド:北ホラント)州から来ている。 Netの翻訳で調べてみるとポルトガルがオランダを「Holanda;オランダ」と呼んでいるようである。各国はどのように「オランダ、オランダ語」を発音しているのであろうか。・韓国:네덜란드(発音:nedeollandeu(ネーデルランド))、네덜란드(同)・中国:荷蘭(発音:Hélán フーラン Hollandaの漢字音)、荷蘭人(Hélán rén フーライレン)・オランダ:Nederland(ネーデルラン)、Nederlands(ネーデルランズ)・ドイツ:Niederlande(ニーダランド)、Niederländisch(ニーダーレンディッシュ)・英国:Netherlands(ネダランドゥ)、Dutch(ダッチ)・フランス:Pays Bas(ピーバ:Pays(国)、Bas(低い))、Néerlandais(ニアロンデ-)・スペイン:Países Bajos(パイーセス バホス)、Holandes(オランデス)・イタリア:Paesi Bassi(パエジ バッシー)、olandese(オランディージ)・ポーランド:Holandia(ホランディア)、Holenderski(ホランデルスキ)・ポルトガル:Holanda(オランダ)、Dutch(ダ-チ)オランダ(ネーデルランド)を”オランダ”と発音しているのは、ポルトガルと日本だけのようである。ポーランドがすこし掠(かす)る程度。■オランダの不思議・・◇図体がでかい・・必要以上にどうしてでかくなったのであろうか? とにかく世界一背が高い人種である。成人女性の平均171cm、男性の平均184cm。こういう国の選手とスケートで勝つには至難の業である。◇けちである。・・・客人のもてなしは、ビスケット1枚が決まり。客が食べたら箱ごと仕舞う。子どものズボンの膝はすぐ抜ける。それをあてがうのは後ろのポケットだ。どうしてこんなに質素なのであろうか。Dutch(オランダ)式割り勘とは等分ではなく、自分の食べた分は自分で払うことを言う。 昼洗濯をすると夫が怒るという。夜洗濯をするべきであると。夜間の方が電気代が安いからである。トレットペーパーは50cmしか使わない。いやっー節約家が多い国なのだ。◇スケートが速い・・運河が凍るので幼少のころから滑っているからであろう。フェルメール展でもニコラス・ベルヘルムの描いた「市壁の外の凍った運河」という絵があった。1647年の絵である。徒然の記その4 あぁViola! 2018.12.18(火)■もう半年にもなるのに、たった5小節の楽節が卒業できないでいる。きょうは1時間もかけてどうして上手くできないのかを徹底的に分析。結論としては、♩=55くらいからしっかり音程を取っていき、徐々に75~85くらいのspeedに上げていく。常に正確に1/1000の狂いもなく。いきなり♩=85や90などのspeedで弾こうとしたのが早かったのかもわからない。装飾音符も攻撃的にチャッと弾くのではなくその「音」も大事に「そっと」当てるように弾けと。第3ポジションでの音程では指板の上で指を123などとすべて固定させてから弾くようにと。 また、小生が弾くとやはり「せっかち」な音楽に聞こえてしまうようである。どうも16分音符を見ると「急がなくちゃ!」と本能的に頭に刷り込まれているようで、先生には見え見えであるというのだ。先日も仲間とパエリアを食べた時だ。アツアツを食べるべきだと思い1/4と自分の分だけcutし、皿に取置いた時だ。どうもその行為が、慌ただしく見えたようだ。その人は言う。取り皿にとる前に、上の具材を下のご飯とかき混ぜるべきではないかと。これは、そうではない。ピザのように取り分けてから、食べる人によっては皿で混ぜればよい。こういうことも含めて余韻の時間が必要であったみたいだ。わが方はそんな暇などなく、さっさと食べてしまいたいのに。まぁそういうシチュエーションと似ていて、どうも忙(せわ)しく感じさせない慌ただしい行為を改めないといけないようである。 そこで♩=55にしてゆっくりと丁寧に”楽しく”家で練習してみた。なんとメトロノーム通りに音程も正確に弾けるようになった。1万回くらい練習してみよう。もうすべて暗譜で弾き、音程も100点が取れるように頑張りたい。 定演の大学祝典序曲のほうも同じくシンコペの箇所があり、相当絞られる。ここでの注意は上記とおなじようにテンポは変えず、4/4から2/2にするというステップを踏みながら、徐々に演奏speedを本番用に上げていくという練習方法を取れと。■文京区・後楽園にある文京楽器へ。・・先生のViolaと小生のViolaは共に文京楽器の工房で作られた同じ製作者による楽器でいわば兄妹楽器である。音色が抜群によく上等。そのため、小生としては何としても1mmづつ先生に近づきながら研鑽を積んでいきたいのである。 この先生のViolaがクラッシュし、今この文京楽器に入院中である。全治40日という重傷の壊れ方をしてしまったらしい。今必死の修理が担当者によって行われている。 小生のViolaも実は、糸巻の部分がすり減ってしまいうまく固定されずチューニングが難しくなりつつある。そこでこの様子を診てもらおうと予約を取って馳せ参じたという次第。ついでに先生のViolaの進捗状況も見せてもらった。 表板のみの部分に分解され、魂柱が突き出た穴は塞がれ木片を当てがわれたりして元通りに復旧している。あとはこれを組み上げ元の楽器に戻していく。膠(にかわ)のみで組み上げていくのだ。この楽器が出来上がるタイミングで今度は小生の楽器の短期入院となる。お互いに数奇な運命をたどっているものである。こちらのは駒が4mmほど高いのが使われていることもあり糸巻と駒の交換作業。 ただ、さらに指板の角度が弦のそれと若干の誤差があることでそのあたり微調整すると3週間の入院となる。どちらを選ぶか。12/28までに決定したい。徒然の記その5 ワイン・バー Shin's(シンズ) 2018.12.19(水)■渋谷は井の頭線の西口改札から徒歩3分の所に、ワインバー Shin's(シンズ)がある。そこに12人のcamino仲間が集まった。今年始めて巡礼道を歩いた人も含めて全員camino経験者である。メキシコ料理の小皿を突きながら特上のワインで親交を温めた。時期的には忘年会のような形であるが、広島から「フェルメール展」を観に来られた人を中心にして皆が再会を果たしたという感じ。この方驚いたことに、当日は「横浜・戸塚→茅ケ崎」16.5km、翌日は「茅ケ崎→平塚」7kmと寸暇を惜しんで旧東海道を京都に向けて歩き続けておられる。turbo717をコピーしたような女性がこの世におられた! できればいつか皆で広島・しまなみ街道などを歩いてみたいものだ。 さて、このワイン・バーとは以前、知人が蒐集したスコッチウィスキーのミニボトルの活用を人伝てに相談したことがある。土産に一本づつあげていくというアイディアもあったがそれでは寂しいと。それがこのワインバーであったのだ。現在は1633本のミニチュアボトルとミニチュアカー17台と解説ノートを洋酒メーカーに寄贈している。来秋にも白州蒸留所の「ウイスキー博物館」に展示される予定だという。徒然の記その6 ダイヤモンド富士2018at高尾山 2018.12.22(土)■冬至に近い昨今はなにかと「ダイヤモンド富士」で浮足立つ。家からは15kmとほどよい距離に「高尾山」がある。16:13近辺の数秒間、ダイヤモンド富士が拝めるとあって雲の状態を睨みながらそわそわとしている。歩き塾として計画した22日(土)は曇りの予報。しかし前日の金曜日は快晴の空模様。 とあらば糸の切れたタコのようにふらふらと山頂に向けてrunningとあいなった。その近くにある公民館にも立ち寄る用事があるので一石二鳥である。着いて見て驚いた。続々とケーブルなどで上がって来る人の列。凡そ1000人くらいが、山頂からもみじ台に向かってカメラを構えていたのではないだろうか。雲一つない最高のショットが取れた。 このように天候に左右されるイベントでも、皆と行くためには日時を指定しなければならず難しいところである。快晴の写真を土産としたい。当日は16:13:55(午後4時13分55秒)からの5秒間、瞬間的に晴れれることを山頂で祈ったがダメであった。コーヒを沸かしたりして暖を取ってはいた。夕焼けをすこし眺めて下山。徒然の記その7 納豆攪拌424回 2018.12.22(土)■タカラトミーアーツの納豆撹拌機「究極のNTO(なっとう)」。傑作である。この機械の説明書には「納豆は424回かき混ぜるべき。醤油は305回で、蓋が開き差し入れる。」究極モードでは倍速回転ギアで1分半で完成するという。14年発売の「魯山人納豆鉢」のリニューアルversion。17年発売の「究極のTKG(たまごかけごはん)」の第二弾。今の今まで、納豆をそんな多くかき混ぜたであろうか。まわせば回すほど、うま味とコクが出るというのである。この企業、「遊び心を食卓に」ということであろうがこの424回には驚いた。こんどこそ真面目に手回しで攪拌してみよう。徒然の記その8 紀伊半島が世界5位 2018.12.11(火)■日経2018.12.11 朝刊に和歌山特集があったと友人からメールがあった。世界的な旅行ガイドブック「ロンリープラネット」は2018年の「訪れるべき地域」として第5位に「紀伊半島」を挙げている。記事には『熊野や高野山は、日本の歴史や精神文化に強い関心を持つ欧米系の観光客らに人気が高く、和歌山県を訪れるインバウンド(訪日外国人)は増え続けている。17年の宿泊客数は47万5628人で12年(11万7359人)の4倍以上。世界遺産に選ばれたエリアの高野町、田辺市、那智勝浦町は過去最高を記録した。 熊野古道が通る田辺市は、キリスト教の巡礼路のあるスペイン北部ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラと「巡礼の道」のつながりで観光交流協定を締結。共通巡礼手帳を発行し、2月には両方の道を歩いた人が1000人に達した。』と。小生が行った11月には共通巡礼者が1400名以上となっていたので、指数関数的に増えて行っているのであろう。観光行政や地元の熱意によるものである。ガイドブックの統一や英語表記の徹底化がされ格段に利便性があがっている。観光案内所(田辺ツーリズモなど)の充実などもあり外国人が安心をして旅行ができる環境となってきている。喜ばしいことである。日本人よりも外国人が価値を見出している地域であるといっても過言ではない。因みにTop10は下記で、7位の南部アメリカは、ニュー・オーリンズ(ルイジアナ州)が設立300周年となり、様々な創立イベントが企画されていることと関連し「2018」特有の順位なのかもわからない。第1位 Belfast & the Causeway Coast(Northern Ireland)ベルファースト&コーズウェイ/北アイルランド第2位 Alaska(USA)アラスカ/アメリカ合衆国第3位 Julian Alps(Slovenia)ジュリア・アルプス山脈/スロベニア 第4位 Languedoc-Roussillon(France)ラングドック=ルシヨン地域圏/フランス 第5位 Kii Peninsula(Japan)紀伊半島 第6位 Aeolian Islands(Italy)エオリア諸島/イタリア 第7位 Southern USA南部アメリカ ・・第8位 Lahaul & Spiti(India)ラホール&スピティ県/インド 第9位 Bahia(Brazil)バイーア州/ブラジル 第10位 Los Haitises National Park(Dominican Republic)ロス・アイティセス国立公園/ドミニカ共和国 (編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Dec 22, 2018
コメント(0)
イルミネーション散歩、オンラインViolin教室_ story (4372)2018.12.15We enjoyed some sights of illumination-spots of Tokyo center.Different decoration and the hue come from coloring of LEDs,shape,arrangment,some were blue light and white conbination ets.It seems that bonn sounded when Blue cave(street of NHK hall )lighted up at 17:00 just.Big roaring blew up at once.Pehaps it is just a moment in a year,we go out to look these illumination like invitation message.東京のイルミネーションの名所を幾つか楽しんだ。場所ごとに色合いがちがうのはLEDの配置や形と発色によるものである。そのどれも木の高い方まで覆いつくし贅沢な装いとなっている。青の洞窟では丁度17:00に点灯した時、ボンと音がしたようだ。一斉にドーとどよめきが起こった。一年のほんの一瞬であるが街へ人を誘う起爆剤になっているのではないだろうか。■今週の1枚Autum road-ogano-town,Saitama Pref.(小鹿野町の菊水寺への道)赤平川の向こうは照葉樹林帯の紅葉。関東では全山紅葉と言う風景はめずらしい。目次徒然の記その1 音楽スコア徒然の記その2 バイリンガル徒然の記その3 ボケ防止には包丁を! 徒然の記その4 鶴瓶の家族に乾杯 東秩父村徒然の記その5 オンラインViolin教室徒然の記その6 都内のイルミネーション徒然の記その7 オルフ室内合奏団 第21回定演徒然の記その8 ほろよいコンサート 徒然の記その1 音楽スコア 2018.12.9(日)■日曜日のオケではシューマン 交響曲第1番 変ロ長調 「春」を練習。スメタナの「わが祖国」に比べ、臨時記号などが少なくパート譜は見易い。ただ注意が必要なのはスコア的には全部の楽器が常に鳴っており上から下までびっしりと音がある点である。 トレーナーからは、自分が今メロディーラインなのかそうでないのかなど位置をしっかり見極めておかないとシューマンの音楽にはならないと厳しい指摘。「初見」というレベルの練習ではなくスメタナで培った技術レベル、築いたポテンシャルを落とすことなく、その上を目指す必要があるとのこと。初回であってもかなりの完成度を求められた。楽譜は3週間前には手元にあったわけで、読譜の勉強をし、かつスコアで自分の置かれた位置を確認しておかなくてはならない。そういう意味で全パートが書かれたスコアが必須である。さっそく定演の全曲を揃えた。徒然の記その2 バイリンガル 2018.12.10(月)■忘年麻雀会なるものが開かれた。成城学園の一角にある豪邸に高校の仲間13名が集まった。フルートやViolaで、合奏やソロ曲を弾くという余興が入っての忘年会である。今年で5年目となる。今回も、何日も準備にかけたという手作りの料理の数々。秘蔵のウィスキーなどが振舞われ夜が更けていった。 話しのなかに、米国に住む孫のバイリンガルでの悩みというのがあった。日米ハーフの4歳児であるが日本語がおぼつかないので、夏休みに1ヶ月ほど帰国したときに保育園の語学講座に入園し日本語を教えてもらったという。短期間で日本語が上達したと喜んだのもつかの間、米国では英語がその分おろそかになったのであろうか。英語力の低い方のクラスに入れられてしまったという悩みである。 バイリンガルとして成功するためにはどうすればよいのだろうか。日本での例では、父親が日本人、母親はポーランド人という親の子育ての仕方が参考になるのかもしれない。 子供に接するとき母親はポーランド語しか喋らず、父親は日本語しか喋らないように接したという。頭の中には、日本語の言語領域とポーランド語の言語領域がきれいに2つ育っていき、喋るときは相手よってスイッチが切り替わり、両方をマスターできたという。学生時代は時々、母親のポーランド語教室のアシスタントを務め、日本人をフォローしたという。今は、ポーランドの大学を卒業して英国に勤めているという。3ヶ国語を自由に扱えるようになっているというのだ。 母国語と違う環境においては、どうも鍵は母親にあるようで、家庭ではいかに母国語で子供と接してあげるかという点である。その分上記米国の例では、母親がピアニストと来ているので、多くの時間を母国語で接することが出来なかったのではないだろうか。 6ヶ国を同時に話すという人もいるが、頭脳には言語のコップがいくつも用意され、それぞれが満タンになればそこから溢れるようにして言葉が喋れるという。日本語から英語に一旦翻訳しておいて、思考し、その後、日本語で応える、またはその逆を行うというようなまだるっこしいことを行っていては生活できない。日本語は日本語で考えて答えを出し、英語は英語で考えて答えを出さなくてはならない。」ではいかにして、性能のよいコップを育んでいくかと言うことがポイントになる。 米国におけるバイリンガルな子供の育てた方は、このHPに詳しい。 https://www.us-lighthouse.com/study/bilingual/raising-bilingual-children.html ここでは、話し言葉の発達はコップにインプットされる言葉の量によって決まるといっている。徒然の記その3 ボケ防止には包丁を! 2018.12.11(火)■知り合いの男性は、1日に3度台所に立つという。朝は全部を行い、昼と夜は包丁仕事など雑事を一手に引き受けるのだという。みじん切りや皮むきなど。頭の活性化のためには失敗すると血が出る包丁が良いのだと力説する。「男子 厨房に入らず。」では老けるのみであるという。男子大いに厨房に入り、カミさんの子分となって立ち働くようにするべきであると。女性も旦那を立てるつもりで全部やっていると旦那をダメにしてしまうのだと。 一方我が家では・・・いつか台所で米櫃に米を入れたり、リノリューム・ゴムでステンレス台をピカピカに磨いたりして嬉々としてたち働く姿を見たカミさんが「貴方、主婦やらない?」と交代願望の口調。すかさず「めっそうもございません。」と立てておいた。 台所に2人が立つ? うちのところでは考えられないのである。カミさんの動線は複雑である。食器を出し、冷蔵庫を開け、パックをハサミで切りプラスッチックゴミを捨てる。台所の隅で作業をしていても動線は必ずぶつかるのである。しかも超アナログ人間と超ディジタル人間が2人台所に同時に立ってうまく行く筈がないのである。あっちは全てが感に頼りアバウト。こっちは全てがmsec、mm、mgなどのミリ単位で動くディジタル人間である。ピーピーとアラームが鳴る中でロボットのように働く男とは相いれない。 どちらかの基準で、全てを任したほうが円満である。しかも包丁さばきをカミさんから取り上げると、カミさんがボケる可能性があり、ここは今まで通りとしたい。■2年ほど前に冷蔵庫に洗ったばかりのお皿が置いてあった。食器棚に仕舞うのを間違って置いたものである。いまだに犯人がわからない。その時点で、どちらかがボケ始めているのである。 このように2人が生活しているとボケ出す瞬間が分かって面白い。知人の例では正月に、同じ内容の電話が何回も掛かってきたことがあった。おかしいと思ってその家の奥さん聞くと、主人が朝餅をたらふく食べたのにも拘わらず、昼に「今日は餅を食べたか?」と聞いたのだという。その記憶があまりにも鮮明で家人はよく覚えているらしい。それを皮切りにボケが進行していったようで、かかりつけの医者に相談したら、「若年性の認知症」と診断されたという。 こんなことを話しているうちに、こっちも「あれ、寝酒を飲んだであろうか?」とうっかり口にする所であった。くわばらくわばら。徒然の記その4 鶴瓶の家族に乾杯 東秩父村 2018.12.10(月)■10日月曜日・NHK総合の「鶴瓶の家族に乾杯」は、「永遠の若大将!加山雄三と埼玉県東秩父村ぶっつけ本番の旅」で、雄鶴コンビで埼玉県にある唯一の村「東秩父村」を訪れていた。録画して後で見たのであるが過去にこれほど笑い転げた番組があったであろうか。傑作な映像にくぎ付けになった。松を剪定していた家には、和紙が置いてあり水墨画が飾ってあった。その和紙に書をしたためたり、ピアノがあった家では「海その愛」を弾き語るなどもうお宝映像のオンパレードである。 実は小生も5月に「東秩父村」を訪れている。ポピーの花が高原に咲くころ、東武線つきのわ駅から西武秩父駅までの36kmを山岳マラソンした時に通っていたのがこの東秩父村であったのだ。そそとして流れる川沿いにどんどん山に入っていき最後は粥仁田峠で皆野町へ抜け、南下して秩父市に至るコースであった。 関東ふれあいの道を横断する形で峠を越えたのだ。その思い出の場所が「東秩父村」であったのである。映像の風景から幾つかが特定でき、まさにこの街道を走っていたなだなぁと懐かしくなった。 細川紙という和紙の産地で江戸時代から極上の和紙を生産する場所であったようで、隣町の小川町とともに最盛期には750軒もの漉き屋があったという。楮(こうぞ)と槻川(つきかわ:都幾(とき)川最大の支流)という清流にめぐまれて発展したようである。 妙栄山浄蓮寺の住職の奥澤文靖さんとの会話もよかった。村人の多くが集ってきていて聞き入っている。皆の和で、繋がって生きているのだというような締めくくりであった。感動した。徒然の記その5 オンラインViolin教室 2018.12.15(土)■葉加瀬太郎のオンラインViolin教室というのがあると聞き、さっそく体験入学してみた。『Violinというのはヴィオラ・ダ・ガンバ時代の小さなViolaという意味の「Violino」から転じた言葉である。』などの歴史からViolinの各部の紹介や値段など。曲の解説や弾き方など無数の講座が開設されている。Violinの各部の紹介では、『表板がSpruseスプルース:松で、横板と裏板がMapleメイプル:楓、糸巻ペグは黒檀や柘植(つげ)が使われる。』、『弓はフランス製では、Torte(トルテ)、Pecatte(ペカット)、Sartory(サルトリ)があり、しなりや重心が違い、奏者によって好みが分かれる。』、Violinの値段では、『場所、製作年、製作方法で決まる。場所は、ドイツ(チェコ、ハンガリー、ルーマニアを含む)/フランス/イタリア。製作年は、オールド(1800年以前)/モダン(1800-1945)/新作(1950年~)。製作方法は、量産/分業製作工房(弟子など)/手作業工房(マスターメイド)によって価格が決まる。例えば【ドイツ】・【新作】・【量産】の組み合わせでは10万円。【ドイツ】・【新作】・【分業】の組み合わせでは30万円。【ドイツ】・【新作】・【手作業工房】では100-200万円から。』その他チューニングの仕方など。非常に丁寧に、こっちが知らないこともどんどん教えてくれる。 神戸に住む元”Violaのお弟子さん”(と言っても今は大学教授である。)から「Violaの先生が近くに居ない。Violinのnet授業ならあるがどうだろう?」との相談を受け調べ始めたのであるが、かなり参考になった。楽譜がViolinのト音記号で書かれているためViola用には読み替えが必要となるが、伴奏用の音楽も流れ実に楽しいものである。月額2000円弱であるので、すこしここで学ばれてはどうだろうかと勧めてみたい。徒然の記その6 都内のイルミネーション 2018.12.12(水)■「歩き塾」の開催イベントとして、原宿から東京駅までの9.4kmをUの字型にイルミネーションを見ながら歩いた。今や都心や近郊はイルミネーション真っ盛りである。18日までなど期間限定が多く、12日(水)という日程が一番良かったようであるが、風が強かった。 目印にと100均で旗を探したが見つからず、拙宅の棕櫚の葉っぱを持っていった。長い柄が特徴であるが、大きな葉っぱを丸く切り揃え、所々裂け目が出来るが、その部分にヘッドランプを結わい付け、「光付きの棕櫚」として翳(かざ)しながら歩く。 このコース、表参道を抜けると根津美術館までは服飾関係のブティックが並ぶ。月収1000万円以上のセレブが通う街である。そこを棕櫚を掲げた庶民が通るので笑えてくる。道行く幼児らがその光の旗に注目するがこっちは暗闇を必死にナビゲート。あまりの強風でその棕櫚の茎がしなるのである。しかしながら一人の迷子も出さず、東京駅まで歩き通した。詳細は歩き塾blog:(http://blog.livedoor.jp/arukijyuku/archives/2018-12-13.html)を参照ください。 この散策で下見の時から気になっていた不思議な街の一角があった。赤坂氷川神社の前の200m四方の閉ざされた空間。柵で道が仕切られ一般は入れない。四角い箱が多層に積みあがったマンション群。テンプルタウンハウスといい、ハリー・ウィーズというアメリカ人建築家によって設計された米国大使館職員がすむマンション群。年2回はガレッジセールということで公開される。2箇所に守衛が立ち、高さ3mほどの鉄の柵があり、用事があるたびに開閉している。こんな排他的空間が必要なのかと不思議な気持ち。人気で20位までのイルミネーションは下記。毎年夜の企画を設けたいものだ。1. ミッドタウン・クリスマス2018、2. Marunouchi Bright Christmas 2018 ~北欧から届いたクリスマス with Yuming、3. 青の洞窟(NHKホール前)、4. カレッタイルミネーション(汐留)、5. 丸の内イルミネーション、6. 東京ドーム、7. White Kitte(Kitte館)、8. Roppongi Hills Christmas2018(六本木ヒルズ けやき坂)、9. スカイツリー。10. 恵比寿ガーデンプレイス、11. お台場、12. 新宿テラスシティ、13. 表参道、14. 天空のクリスマス(六本木ヒルズ)、15. 赤坂サカス、16. 新宿パークタワー、17. 目黒川みんなのイルミネーション、18. 東京タワー、19. 東京movieミチテラス(行幸通り)、20. 南青山ル・アンジェ教会今回は、上記人気スポットのうち、1、2、5、8、13、19 の6か所を巡ったことになる。3、7、14はニアミス。次回は集合時間を30分早くして廻ってみよう。徒然の記その7 オルフ室内合奏団 第21回定演 2018.12.15(土)■パルテノン多摩での定演。家から13kmの距離なので、いつもはランニングで向かうのであるが、今日に限っては終わってから読売ホールに急がなくてはならないので公共交通機関を利用しての参上。14:00開演 プログラムは、ヤナーチェク:弦楽のための牧歌組曲1.Andante 2.Allegro 3.Moderato 4.Allegro 5.Adagio 6. Scherzo 7.Moderatoドボルザーク:弦楽四重奏曲第12番 へ長調「アメリカ」(弦楽合奏版):1.Allegro ma non troppo 2.Lento 3.Molto vivace 4.Finale Vivace ma non troppo1楽章の冒頭のViolaや4楽章はまさに広軌道の汽車がばく進する様子を表している。耳が良かったドボルザークは汽車の音を聞いただけで、今日は誰が運転手なのかを言い当てたという。この合奏団、いつもこのような弦楽合奏版を使っている。カルテット版を編曲してKBパートを設け、多人数で弾くように編曲したものを使う。徒然の記その8 ほろよいコンサート 2018.12.15(土)■17:00開演の読売ホールで始まる加藤登紀子のほろよいコンサートに急ぐ。年末が恒例であったが、今年は月半ばの開催である。チラシ挟みのアルバイトをしつつ、学生席で鑑賞というのがいつものパターンであったが、今回は少々イリーガル。 演奏風景のスケッチも、オルフ室内合奏団に続いて行っているので忙しい。ペンを走らせると横の人が気にするため、アンコールなどの一瞬の限られた時間に行わなくてはならない。歌っている時に色彩などを記憶していくのだ。blog up予定の18:00 just はコンサート中。すこしずらせます。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Dec 15, 2018
コメント(0)
4K,8K BS are started. Yabusoba? 藪蕎麦のなぞ_ story (4371)2018.12.8Commemorating the start of 4K-Ultra High vision(4098x2160) and 8K-Super High vision(7680x4320) broadcasting, commercial Broadcasting Satellites(BS-Fuji,BS-Asahi,BS-TBS,BS-Tokyo) aired specail program of 16000km connecting railway from Tokyo to Paris was commercial. Actually it was a excite one I had never seen.A bout 3weeks travel were compressed to only 8 hours, but maybe it was good enough to be able to enjoy it.Gingko is beautifully colored in Tokyo. Our garden also gets enthralled like a golden shine receiving sun light. It began to fall off this weekend. Akake and figs are starting to ripened.4K放送開始を記念して、東京からパリまでを鉄道で結ぶという番組が民放であった。実際は3週間ほどの旅を8時間に圧縮しての番組であったが、十分堪能できてよかったのではないだろうか。都内ではイチョウが美しく色づいている。当家の庭も光線を受けて黄金に輝いている様にうっとりするほどだ。それが週末には散り始めた。アケビやイチジクが熟し始めた。■今週の1枚River of Hinosawa Minanomachi Chichibu Saitama Pref.(秩父路 奥瀞・満願の湯の紅葉)眼下の日野沢川を2km遡上すると秩父霊場34番札所の水潜寺(すいせんじ)に至る。目次徒然の記その1 大いなる鉄路16,000km徒然の記その2 藪蕎麦徒然の記その3 Viola Lesson 徒然の記その4 最近の朝餉徒然の記その5 街路樹徒然の記その6 天狗の会 徒然の記その1 大いなる鉄路16,000km 2018.12.2(日)■4K放送開始を記念したBS民放4社(BSフジ、BS朝日、BS-TBS、BSTV東京の共同企画の紀行番組『大いなる鉄路 16,000km走破 東京発→パリ行き』。2夜連続で計8時間も観た。(BSフジ(東京→モスクワ)、BS朝日(→ブダペスト)、BS-TBS(→ジュネーブ)、BSTV東京(→パリ))。 東京からパリまで鉄道で結ぶ旅で、ポーランド、チェコ、イタリアなどを巡ってパリまでの16,000kmを旅している。先頭車などからの風景はさながら現地を旅しているような感じであった。BS放送ならではの贅沢な企画である。ワインとおつまみでゆっくり時間を過ごせた。 東京→境港(さかいみなと)→Vladivostokウラジオストック→イルクーツク→Moscouモスクワ→Warszawaワルシャワ→Krakówクラクフ→Pragueプラハ→Budapestブダベスト→Linzリンツ→Zuerichチューリヒ→Grand Train Tour of Switzlandスイストラベルパス(Mittelang Panorama氷河急行→Churクール→St.Moritzサンモリッツ→Zermattツルマット→Wengem/G'waldグリンデルワルト→Jungfraujochユングフラウヨッホ→ゴールデンパス・ラインで→Geneveジュネーブ)→Milanoミラノ→Genovaジェノバ→Torinoトリノ→Lyonリヨン→Beauneボーヌ→Dijonディジョン→Parisパリという遠回りのコースで、後半は地域の観光を兼ねている。スイス山岳鉄道では氷河輝く3454mの駅へ。歯車レールのアプト式で急勾配を進む。Bourgogneブルゴーニュのワイン産地の色とりどりの紅葉は素晴らしかった。あぁこういう楽ちんな旅を本当はしたいのだ。今から子供たちに言っておこう。いつか我々にこういう旅をプレゼントくださいと。 Vladivostokウラジオストック→Moscouモスクワは1週間のシベリア鉄道の旅であった。戦前・戦後と文人や政治家が何度と通った鉄路である。小生も若い時に一度ここを通って西洋にいく計画を練ったことがあった。昭和44年の夏である。会社から夏休みとリンクした長い休みを取りパリまで旅する予定であったのだ。ただ入社1年目の身としてはかなり無謀な計画であったらしく、夏季休暇を返上して行う大型コンピュータの現調作業とぶつかってしまい、作業者の士気にかかわるとの理由で会社側から中止をさせられてしまったのだ。3年間は会社で働きその後はカナダに移住する計画を持っていたためもあり無茶苦茶な社員であったようだ。爾来何十年とその会社に縛り付けられたわけであるが。 さて、この映像の中で最初のシベリア鉄道が面白かった。香港からの乗客は食料品を全部持ってきており山のように膨らんだ荷物から食材を次から次へと取り出しては食べていた。逞しい女性に驚いた。 スイスの山岳鉄道のなかには、出発時は20度くらい前のめりで傾いていた車輛が、山に差し掛かると水平を保っていたという思い出があるが、ちょうどワイングラスが20度ほどかたむけて作ってあり、登攀時にワインの水面が水平になるというワイングラスが映っており懐かしく思えた。アイガー3454mの駅は、ヨーロッパ最高地(世界最高地はラサ近くのタンダラ駅の5068m、アンデスのガレラ駅の4781mなど。)であるという。アイガー頂上3571mの真下の展望スペースは10月では氷点下5度であったようだ。そういう旅も楽しめた。このvideo、永久保存しておこう。徒然の記その2 藪蕎麦 2018.12.3(月)■藪蕎麦の会! caminoメンバーで、たぶん都会派の人達が集まる会なのであろう。42kmも離れた丹沢の麓に住む小生には声がかからない。僻(ひが)んでばかりもおられないので少し調べてみた。■「藪蕎麦」とは。■「やぶ」が付く言葉を。□藪蕎麦とは・・藪蕎麦・・蕎麦の実の甘皮を使う蕎麦屋。雑司谷一丁目付近の竹藪が繁茂した場所は「藪の内」と呼ばれ、そこに甘皮を使う蕎麦屋があった。更科、砂場と並ぶ蕎麦御三家のひとつ。(更科蕎麦・・蕎麦の実の中心部分のみを使う純白の蕎麦・・信州発祥。砂場蕎麦・・ざるともりでそば粉が違う。ざる蕎麦・・蕎麦の実の中心を使い卵水でといた蕎麦を使う。海苔を載せて食す。もり蕎麦・・甘皮を含む粉と水だけで練る。海苔は載せない。大阪発祥)□「やぶ」が付く言葉・藪へび・・藪を突いて蛇を出す・・余計なことをする・やぶさかでない・・吝かでない・・喜んでする、努力を惜しまない。・やぶ医者・・江戸時代、丹波の養父(やぶ)に住んでいた名医。その評判は各地に伝わり多くの医者の卵が弟子となった。「養父の名医の弟子」と言えば病人も家人も大いに信頼し薬の効果も大きかった。(江戸中期の俳文撰集「風俗文選」から) しかしながらそのブランドを悪用する者が現れ大した腕もないのに「自分は養父医者の弟子だ」と口先だけの医者が横行した。養父医者の名声は地に落ち、いつしか「藪」の字があてられヘタな医者を意味するようになった。 又の説・・野巫(やふ)医者・・呪術を使う医者。あやしい呪術で治療することから、藪の字が当てられたとも。■兵庫県養父市。Netで調べおったまげた。市内を流れる円山(まるやま)川とその支流の10か所にWebカメラを置き水位を2分ごとに更新しながら発信しているのだ。平常時の風景と、現在値、橋げたまでの水位など。防災意識の高い町である。さすが養父先生輩出の地だけある。徒然の記その3 Viola Lesson 2018.12.4(火)■久々のViola Lessonである。やる曲は多い。シューマン 交響曲第1番「春」、シューマン ピアノ協奏曲、ブラームス 大学祝典序曲など次回定演の曲と、Alessandro RolleaのDuo曲 第3番の宿題部分! あぁ、またまた宿題となってしまった。シンコペの後の16分音符6個分が速いという。弓の上下を変えて練習することにした。さらに今頃になって記譜のミスが見つかり半音階分を修正。しかしここを飛ばし、まだ未踏破の小節まで進んでみて次回までの感触を得た。あと一息である。頑張らねば。 シューマン 交響曲第1番「春」全楽章を、Duoで弾きながら通す。こんどの日曜日がトレナーによる初練習なので、助かる。4時間にも及ぶ練習で、あたりは真っ暗となっていた。 個人練習・・その他、やらねばならない曲が山のようにあり発狂しそうである。成城学園で行うクリスマスパーティ、Violin-ViolaのDuo、1月の山谷ミニコンサート、2月の珊瑚の会。楽譜の製本作業を行うためコンビニへのダッシュ。ボケている暇はない。徒然の記その4 最近の朝餉 2018.12.5(水)■巨大なキャベツ・・最近天候がよいためか、生協で届くキャベツが巨大化の一途をたどる。どうも2kgもある大玉が届くようになった。そこで我が家では2週間に一個としてそれを日割りして1日142g分 およそ葉っぱ3枚分を食べることにしたのだ。朝餉の段取りがややこしくなってきた。7:30 キッチンへ。食卓に置かれたカミさんの諸物(Coffee Cup、急須など)をキッチンのシンクに下げ、魔法瓶に残ったお湯で濯(すす)ぐ。雨戸をそっとあける。梅の間の木戸は最後にあける。距離的にここがカミさんの寝室に一番近いので邪魔な音が届かないようにとの配慮。ガタガタ音を出してカミさんをおこしてしまえば元も子も無くなるのだ。)7:32 ヤカンにお湯をわかす。沸かす量はカミさんが家に滞在する時間によって変わる。Fullに家にいる場合は満タン。散歩に出かけお昼ご飯を外で食べる場合やコンサートの時は半分にするなど。7:35 次の日のためのパンを焼く準備。焼きあがるまで4時間かかるので、取り出すタイミングに家人が居る時に限ってこれを行う。本日分のパンを2枚切る。一斤400gのパンを5枚に分けるため1枚80gのcutとする。その誤差は+-10g。2枚のうち、小生の分は薄く切ってあり、さらに端を2cmくらい切って既に食べ始めている。7:36-45 バナナ、柿、リンゴなどその週に配達された食材を7で割り算をし、その日の分を使う。大体はリンゴ3個、バナナ6本、柿4個などと7で割り切れない。火曜日・水曜日はバナナ半分、リンゴ半分などと微調整。それらをさらに2で割って2つの食器に並べていく。冷蔵庫に化石が存在することのないように他の食材たとえばミニトマトやパプリカなどもあれば彩としてあしらっていく。リンゴはこの時期、中央に蜜がたまるので捨てることはしない。これも口に含んでいく。7:45 フライパンで粗びきポークのスライスを焼き、その上で目玉焼きを作る。卵を割り入れる時間は凡そ8sec。最後の卵を割り入れた時刻を頭に記憶。60-70sec後に火を止め、水を少々加え蓋をして蒸し焼きにする。半熟程度の目玉焼きが完成する筈である。7:52 トースターに5分のタイマーをsetする。パンはまだ入れない。7:53 雨戸をあける。7:54 余熱から開始して2分後に2枚のパンを焼き始める。90sec後に裏返しにすることを忘れない。7:55 キャベツを冷蔵庫から取り出し、142g分の葉っぱをむしり取る。キャベツの葉っぱの付き具合は右回転と左回転の2種類があるのでそれを見極め、大きく葉っぱを抜き取ることが必要。葉脈の固い所はカミさんは食べないので、その部分を綺麗に取り去り、小生の皿へ。このように過保護にしていいのだろうか? 山のようにカミさんの皿には積み上げる。小生のは葉脈のような固い所だけと少々の葉っぱが残るのみ。7:55:30 パンをひっくり返す。7:57 パンが焼きあがる。皿にのせる。薄い方で先がすでに食べられ少なくなっているほうが小生のである。ハムや出来上がったばかりの目玉焼きから、ソーセージが多く載った方を切り分け小生のに載せる。energy上小生の方が多く摂取しなければならない。カミさんはパンの横におく。齧(かぶ)り付くことをせずパンを切り分けて食す女性であるので基本的にパンの上には何も載せない。7:59 カミさんを起こしにいく。8:01 いただきまーす。小生は「いただいております。」カミさんは山のように積み上げられたキャベツを上品かつ高速に食べ始める。こちらはキャベツのヘタ部分や目玉焼きうやハムで盛り上がった食パンにあんぐりと大きな口を開け食べ始める。パン屑やキャベツのヘタの部分が床に散乱しないように気を付ける。カミさんはキャベツが終わると、おもむろに食パンに手を伸ばす。 しかしこの瞬間が至福の時である。フライング気味で食しているので負けるわけがないと。油断は禁物。こちらはパンを半分くらい食べた。うっすらと目を上げると! あろうことか、カミさんはすでにパンの最後の部分を食する程度に進んでいる。厚く切った筈のパンが敵の口にかかれば一瞬である。バナナや柿は朝餉を準備中に半分は食べてしまっているので負けるわけがないと思うであろうが、家人は3噛みですべて口の中。 こちらは30回噛んでもまだ胃袋に入っていかない。すべてを牛乳を入れた薄いコーヒーで流していく。もう涙顔になっている。このレースは400mトラックと似ている。Start時点で半周ほど先行しているのにかかわらず、油断しているとあっと言う間に追いつかれGoalを許すはめに。 カミさん、ヨーグルトに手を伸ばした。ほぼ同時にこちらも。8:25。すべてが終了した。8:41には物干し台で洗濯を干している。近所にデーサービスの車が到着する時間である。「あはようございます。」と甲高い声が聞こえる。奥さんを送り出す旦那の姿。その頭だけがちらちら見える。 とこのような朝の風景が、すこししずつ内容を変えながら、展開されていく。一つとして同じものはない。徒然の記その5 街路樹 2018.12.5(水)■原宿から、六本木、溜池、日比谷、東京駅と都心部の道を12kmばかり歩いてきた。翌週に都心のイルミネーションを見るための下見をかねて。昼間は並木を見上げながらの旅となる。この時期イチョウの黄葉がまだ散りもせず残っており美しい。トチノキ、プラタナス、モミジバフウなどいろんな樹木を見上げながら歩くのは楽しい。 都内に植わっている街路樹は凡そ100万本。多い順でいくと、ハナミズキ イチョウ サクラ類 トウカエデ プラタナス類 であるが、道幅の広い国道や都道では樹形の大きな木が植えられ緑陰を作るように工夫されているため順位が変わってくる。国道では、イチョウ プラタナス類 マテバシイ ケヤキ ハナミズキ の順。都道ではイチョウ ハナミズキ トウカエデ プラタナス類 ケヤキ の順となる。 今回歩いたコースは、原宿→表参道(ケヤキ)→根津美術館→けやき坂-TV朝日(ケヤキ)→朝日神社(法典寺)→六本木→ミッドランド(ハナミズキ)-Starlight Garden→溜池山王→内閣府前、潮見坂(ケヤキ)→桜田通り(トチノキ、トウカエデ)→警視庁前(クスノキ)、法務省→日比谷公園→丸の内仲通り(ケヤキ、カツラ、アメリカフウ、シナノキ)→行幸通り(イチョウ)→東京駅 圧倒的にケヤキが多く樹幹や箒型の樹形にイルミネーションを付けるのは適しているのかもしれない。メディアによく出てくる警視庁は”植木”として敷地内にクスノキの巨木が2列、街路樹としてトチノキ、トウカエデが植わっており低層部の景観を際立たせている。いままでビルの上ばかり見ていたが迂闊であった。これほどの緑陰があったとは。まず報道されることはなかったのであろう。「東京の並木道」S54年発行の古い本では、本数の順位がイチョウ、プラタナス、トウカエデ、ヤナギ、サクラ、エンジュ、ケヤキ、アオギリ、モジバフウ、マテバシイ(常緑樹)、フウ、ユリノキ、クスノキ(常緑樹)・・となっていて東京都調べの現在値と若干異なっている。 冬の陽光を欲するために、落葉樹が植えられるのが基本であるが、警視庁の例にあるように空間が広く確保できる場合にはそれにかかわらずクスノキなどの常緑樹が植えられる。樹形や公害への耐用性で選ばれるのであろう。 公園にある並木道も含めて、東京都の美しい並木のベスト10は? 上記「東京の並木道」S54編という古い本で申し訳ないが、これに葛飾区・水元公園のメタセコイアを加えてみた。1.表参道(都道413号の一部)・・ケヤキ2.神宮外苑・絵画館前・・イチョウ3.内堀通り(日比谷交差点-大手町)・・ヤナギ・イチョウ4.千鳥ヶ淵・・サクラ5.桜田通り・・トチノキ、サクラ、プラタナス6.明治神宮裏参道(裏鳥居-明治通り-信濃町(=国立競技場北側の道)・・イチョウ7.新宿御苑・・プラタナス(スズカケノキとアメリカスズカケノキの交雑品種であるモミジバスズカケノキ)8.東大内外・周辺・・イチョウ9.田園調布駅西口・・イチョウ10.迎賓館前・・ユリノキ、水元公園・・メタセコイアその他・・隅田公園・・サクラ、駒沢公園・・イチョウ、目白通り・・プラタナス、世田谷通り・・イチョウ、トウカエデ、聖路加病院周辺・・ポプラ 美しい並木では圧倒的にイチョウに軍配が上がっている。晩秋の黄葉が見事であるからなのであろう。雌雄異株なので、ギンナンの成る雌株を少なくして植える工夫などがされている。 このイチョウ。葉っぱに薬用成分が含まれている。認知症予防に「イチョウ葉(ば or リーフ)エキス」が売られている。7月から11月初め頃までの青い葉にフラボノイドやギンコライド、ビロバライドという物質が含まれていてこれが血管壁を拡げたり縮めたりする作用があり高血圧や低血圧や老人ボケに効果があるとされている。侮ることなかれ。イチョウ葉さまなのである。中国、韓国、日本にしか無い木は今や全世界から注目されているのである。徒然の記その6 天狗の会 2018.12.5(水)■第一水曜日に新宿大(だい)ガード近くの居酒屋「天狗」に集まる旧「サラ文」の面々。今回は13名が集まった。17時前から既に4人が揃い、乾杯の練習など言いながら杯を重ねる。徒然に集まって来てはそれぞれ談笑が続くが、近況報告というタイミングでは、一人の会話に絞る。それに野次が飛ぶという風にまたまた賑やかになる。・出不精になったという人には、椅子に座っていても運動ができることを教え、・嚥下障害の人には「パパのお宝なぁに?」と大声で発声すると治るのだといい、・太極拳とヨガをやっている人には感心をし、・手鏡で自分の老け顔を見て驚き、それから毎日12kmほどを歩くようにしたという顔ツヤの人、・丑三つ(うしみつ)時に起きだしカミさんに内緒で晩酌を始めた人はスペイン語・韓国語など多言語の語学放送を聞きながらうたた寝をし、起きては杖をつきながら歩くも、一旦尺八を取れば普化宗(ふけしゅう)の虚無僧姿となり、新宿はシアターPoo(ポー)でライブをするという驚愕の長老、・ピアノを始め最近では毎日2時間弾くという人とは、来年2月にはViolaと合奏しようと話が弾み。まぁ皆それぞれ頑張っている。小生からは、12日のイルミネーション,22日の高尾山ダイヤモンド富士を宣伝しておいた。(歩き塾のHPをご覧ください) (編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Dec 8, 2018
コメント(0)
熊野古道の雲海、秩父路、シューマン_ story (4370)2018.12.1The Chichibu night festival is approching at 2nd and 3re Dec. IT is considered one of Japan's top three hikiyama festivals to feature floats(the others being Kyoto's Gion Matsuri and the Takayama Matsuri.Its floats are ornately decorated with lanterns, tapestries and gilded wood carvings and are accompanied by wooden whistle and drum music.) I enjoyed Chichibu Road in the late autumn just before this festival. While Momiji grew the autumn leaves and the color of the trees gradually became brown, these were making the red color stand out. I wanted to paint these for challenge. I aslo began studying Schumann's music a little from this week .日本三大曳山祭のひとつ、秩父夜祭(12/2-3)が迫ってきた。晩秋の秩父路を楽しんだ。モミジが紅葉を迎え木々の色が次第に茶色になっていく中にあって、ひときわ赤を目立たせていた。これを絵にしたいと思い挑戦をし始めた。音楽では今週からシューマンが始まる。すこし勉強をした。■今週の1枚sea of clouds at Takaha of Woild Heritage Pilgrimage Route-Nakahechi(熊野古道・中辺路 高原からの雲海 2018.11.21(水))紀州の山々は幾重にも折り重なり果てしなく広がる。冷えた朝、高原からの高台から雲海が見られた。麓は栗栖川地区。目次徒然の記その1 二つの道の巡礼者(Dual Pilgrim)徒然の記その2 ネコ目ネコ科徒然の記その3 冬薔薇 徒然の記その4 秩父観音完走徒然の記その5 孫たち徒然の記その6 シューマン徒然の記その7 映画「かぞくいろ」 徒然の記その1 二つの道の巡礼者(Dual Pilgrim) 2018.11.27(火)■1460人以上が11月27日までに、スペインの巡礼路と熊野古道の2つを歩いたという証明書を貰っている。 人数は「dual-pilgrim.spiritual-pilgrimages.com」のサイトに写真掲載で示されているので掲載ページ数から割り出した。dual-pilgrimの登録サイト(https://dual-pilgrim.spiritual-pilgrimages.com/)には11/27現在で146ページもあるため、少なくとも1460人ぐらいが写真掲載されている。写真掲載をしない人も居るため実質はもっと多いだろう。 田辺市観光センター(田辺市熊野ツーリズムビューロ)の公式HP(http://www.tb-kumano.jp/)からはリンクされていなのでなかなか上のページをアクセスするのが難しい。 YouTubeで「Dual Pilgrim」で検索すると、中辺路の様子が10分物などのVideoで紹介されていて実際の熊野古道を歩いているような感じで参考になる。これらの紹介から今や世界中から古道を歩く人が押しかけてるのであろう。高原や継桜の民宿で聞くと9割が外国人であるという。 和歌山の奥深いところにあるからだろうか、素朴な里山や杉並木、石畳の古道、清流などが愛でられているようである。道の管理なども常に行われているようで完璧なまでに歩きやすいものであった。日光街道にある樹齢300年の巨木からなる杉並木は中辺路にはない。皆それよりも細いのは樹木として活用され世代交代を繰り返しているからであろう。その意味で植林が蘇生された瑞々しい街道として映った。 Dual Pilgrimの条件は、先のblogでも書いた通り、熊野古道では下記4ルートが設定され、複数の証明を受けることが可能である。 1、滝尻から熊野本宮大社 38km 2.熊野那智大社から熊野本宮大社間 30km 3.高野山から熊野那智大社 70km 4.発心門王子から熊野本宮大社 7kmかつ熊野速玉大社かつ熊野那智大社 を参詣した人。 その証明は各王子(行幸の休憩場所で、熊野権現の神社が建つ)や宿坊、旅館に置いてあるスタンプ印から行われる。専用の冊子は観光案内所にあり、それらに順番にハンコを押していく。スタンプラリーのような楽しさがあった。熊野本宮大社と大斎原(おおゆのはら)の2箇所は金色のスタンプで特別であった。 スペインの巡礼路を多数回歩いて、複数のコンポステラ(巡礼証明書)を貰っている人は、熊野古道の違った場所を歩けば、複数のDual Pilgrimの証明書を貰え、それらを集めているマニアもおられる。郵送はだめなので現地で調達する必要があり、事務手続きにかかる時間を見て余裕のある旅をする。中には1日2コースを達成する強者もおり、この世界のフィーバーぶりを窺わせる。徒然の記その2 ネコ目ネコ科 2018.11.27(火)■犬は、ネコ目犬科で、肉食のネコ目からの分岐であって、もともとの祖先は同じところからきているようである。TVドラマ「僕たちは奇跡でできている」の11/27の映像に、大学の動物学の講義の黒板に系統図が書かれ犬が「ネコ目犬科」であることに学生たちが驚く様子が描かれていた。 ちょうどその日の朝刊に、ネコの舌は「高性能ブラシ」であるという面白い記事が出ていた。あのザラザラの舌である! 驚くなかれ。 表面に付いた無数の突起は毛づくろいのときに、毛に覆われた体の奥深くまで届き、1回舐めるごとに最大で唾液4μl(目薬の約1/10)を毛や皮膚になすり付けることができ、体を清潔に保ち、体温を下げる効果もあるのだという。 犬はどうだろう。カミさん曰く「犬の舌ってベチョベチョなのよ。」と毛嫌いするように言う。犬嫌いなのかもわからない。ネコが好きなのは、1,0がはっきりしてるからもあろう。カミさんと似ている点である。 さらに利点を一杯述べ立てる。跳躍ができて木にも登れる。細い線の上を歩ける。昔は熊のように犬も木に登れたのかもしれないが、愛玩化したためにその必要はなくなった。ネコはそこらをほっつき歩くので必要性から退化しなかったのであろう。徒然の記その3 冬薔薇 2018.11.28(水)■庭のクヌギの黄葉は特異日の11/22を過ぎてやっと美しく輝きだした。1週間ほど遅い。蝦夷イチョウは巨大な銀杏葉を道に落とし始めた。昨日はこの2本の枝を切った。電動ノコギリで作業は能率化している。沢山の赤い実が成っているクロガネモチはオナガが食べに来るまですこし待ってみよう。およそ30万粒の赤い実を、何十匹という小鳥たちが食べつくす日を待って枝を切るつもりである。 梅の徒長枝は2階の物干し台から、柄をのばして刈り取ろう。落葉樹の場合は葉っぱなどの処理は別立てて行う。ゴミに出すのは忍びないのでどこかにウズ高く積み上げ土に帰るのを待つようにしている。 向かいの家のモミジもついに散りだした。道路際の落葉をすこし掃いていたら、全部散ってから枝を切るつもりであると言う。モミジの落ち葉は枯れてすぐ丸くなるのだという。これこそがよい腐葉土の条件であるという。この点でイチョウはだめであると。 照葉樹でも薄い葉はすぐ腐るため腐葉土には最適だとおっしゃる。この方は農地にもっているブルーベリー畑の肥やしにするのだという。ハクモクレンやクヌギの茶色の落ち葉はたしかにモミジのような具合にはならずかなり長い間枯れ葉のままであるため良い腐葉土になりえないのであろう。ツヅジなど常緑樹の落葉なんて論外なのだ。落ち葉にもランクがあったとは。 さて、冬にも花が咲くバラ「リンカーン」の赤黒い花ビラが芝生に落ちている。香りもよいため切り花にして花瓶に差してみた。ちょうどその時である。すこしの振動でも外側の花弁がひらひらと床に落ちた。ゴミとして捨てるのは忍びないほど、きれいな濃紅色である。この色彩は絵にはなかなか描けない。3原色を混ぜてはこの色が出ないのである。特別のこのバラ色を表現できる絵具1本で描かねばならない。片岡鶴太郎が描く椿の「赤」と似て一筆でこの色を出せる絵具を買い求めたいものである。この写真よりももっと深い赤。ビロードのような肌触り。3原色の水彩では絶対出せない色である。徒然の記その4 秩父観音完走 2018.11.29(木)■秩父34観音巡りの一筆書きrunを第32番 法性寺、第33番 菊水寺、第34番 水潜寺で行い、完遂した。この日のrunは25.5km。 最低高度129m、最高高度536m(札立峠)、累積高度+911m、-964mの見なし距離換算で41.4km。タイム6.5h。av.6.4km/h。 最後のrunでは前回と第33番 菊水寺で重なるが、他は初めてのお寺である。3寺とも不便な場所にはあるが、小鹿野町営バスや西武観光バスを使えば難はない。 巡礼古道を辿るときは、峠を幾つか越える。32番から33番へは敢えて、31番→32番のときに越える大日峠390mを逆ルートで越え、33番から34番へは札立峠526mを越えるなど今回は山岳コースが2か所入った。中でも大日峠の古道は熊野古道・中辺路の三越峠のそれとそっくりな面影であった。 特に西武バスは1時間に1本以上は出ているので1日2寺などと制限すれば無理な巡礼歩行ではない筈である。雨の後は天気になるという予報のもと5時台に家を飛び出した。秩父はすでに晩秋の景色で何かもの寂しい。これだけ走ってもまだ武甲山には登れていないのだし、長瀞も観光の余裕はない。秩父夜祭もまだである。まだあと何回かはこちらに足を運ばなければならないが、次第に土地勘が出来てきている事は嬉しい。埼玉県小川町とは山越えで結ばれ、山梨県山梨市とは国道140号で、雲取山-三峰などの県境越えなど広範囲な領域で秩父を知り、丘の上にあるミューズパークでの音楽合宿などの機会を経て日ごとに詳しくなって来ていることは嬉しい限りである。さらに研鑽を積み物知りとなって、秩父検定などがあればぜひ受けてみたいものである。 第34番の 水潜寺は特別なお寺で、西国33観音霊場(1番は和歌山県那智山の青岸渡寺から33番華厳寺(岐阜県揖斐川町)に及ぶ近畿の広範囲)、坂東33観音霊場(1番は杉本寺(鎌倉市 鶴岡八幡宮に近い。)から33番那古寺(館山市 717年建立)の関東一円)を合わせた100観音成就のための寺でもあり参拝者が多く訪れる。山越えで来る巡礼者はまずいない。全員バスか車である。 34番の近くに「満願の湯」という温泉施設があり、つかったあと、バスで秩父鉄道・皆野駅まで帰るのがよいかもわからない。とにかくここのモミジは最高に美しかった。徒然の記その5 孫たち 2018.11.25(日)■11月22日の「いい夫婦」の日に生まれた孫が10歳になったので、誕生パーティーを我が家で行った。下の7歳の孫娘と3歳半になる孫が次女とともに家にやってきた。 3歳半は、掃除ロボットとして家に置きたくなるほど綺麗好きである。その孫の仕草を観察しているとなかなか面白い。皆でどやどやと階段を降りていた時だ。最後の足が廊下に届き歩き始める態勢になって目は前方を向いているのに、右手だけが階段のスイッチに手がすーと伸びた。降り際に一瞬の動作でスイッチをoffに電気を消したのだ。節約観念もある孫である。その実家には階段はないのによく気付くものだ。 孫たちはピアノで遊ぶ。嫁も鬼教師になりきって熱心に教えるからだろうか皆なかなかうまい。10歳になる孫が一番心配であったのだ。「つ」を数える歳、すなわち9つまでが絶対音感を養える時期でそれ以降は無理であると言われている。F1ドライバーを目指す孫であるが、音感維持ができているようで安心した次第である。ソナチネなどを高速に弾きこなし宿題をさっさと切り上げた。学校では来年1月に「半成人式」が行われるという。 3歳半は、彼らを見て当然ピアノを弾くものだと思った筈である。自宅ではエレクトーンで「ノクターン」の音源を聴いたりして、弾き真似をしているようだ。今までは指が全部ひっついて鍵盤をこちょこちょと押さえていたのに、指が独立して動くようになり左右の手を最高音から最低音まで弾いているようなそぶりで鍵盤に触れている。いっぱしのピアニストである。 上の2人がさんざん遊んだ山のようなおもちゃを、「もう卒業」ということで3歳半用にお土産として持ってきた。プラレールなどもう部屋中に展開して余るほど大量のレールや車両が揃った。どうも両家、我が家を要らないものの置き場所と勘違いをして何でも持ってくるようである。しこうして断捨離も進んでいない我が家が次第にゴミ屋敷と化していく。助けて~!徒然の記その6 シューマン 2018.11.30(金)■ロベルト・シューマン(1810.6.8-1856.7.29)ってどんな人だろう? 徹底したこだわりをもつ情熱家であったようだ。11/30のEテレの「らららクラシック」でも4/20の再放送の「とことん音楽!わたしのシューマン~仲道郁代」をやっていた。クララとの愛への「憧れ」と永遠への「憧れ」をトロイメライや幻想曲に込めたのだと。結婚後の31歳、35歳の作品「交響曲第1番」「ピアノ協奏曲」を第79回の創立40周年記念の市民響で演奏する。 18歳のとき、ピアノ教師のフリードリッヒ・ヴィークにレッスンに行ったときに彼の娘であった9歳のクララと会っている。爾来30歳になるまでの12年間、クララと結婚するため父親との葛藤は壮絶なものがあったという。この間「こどもの情景」にある有名な「トロメライ(;夢見心地)」が作曲されている。 幻想曲などの曲に強烈なクララへの憧れが表現されている。ミのフラット(Es エス)からド(C)までの6度の跳躍がそれだという。シューマンの頭文字(エス=S)からクララの頭文字の(C)への思いが込められているのではないかと仲道さんは解釈する。 同時期の音楽家にベートーヴェン(1770-1827)、シューベルト(1797-1828)、ベルリオーズ(1803-1869)、メンデスゾーン(1809-1847)、ショパン(1810.3.1-1849.10.17)、リスト(1811-1886)、ワグナー(1813-1883)、ブラームス(1833-1897)らがひしめいている。絢爛たる音楽史上の1ページを飾るシューマンであるが、当初は無名であったが次第に名声を博していく。結婚に反対したヴィークの理由が「無名音楽家」だったというから皮肉なものである。なかでもショパンと同い年。シューマンがショパンの天才に気付き、世に送り出したとも。同様にヨアヒムの紹介でシューマン邸を訪れたブラームスを優れた作曲家として音楽出版社ブライトコプフ・ウント・ヘルテルに紹介し、世に送り出してもいる。 ピアノ協奏曲に、とろけるような愛のメロディーが散りばめられているのは一番幸せな時期の作曲であったからだろう。8人の子供(1人は早世)は順調に成人したという、音楽家随一のおしどり夫婦であったようだ。40代で早世した夫の作品をクララは77歳で没するまでそれを弾き続け、もっとも権威ある解釈者と評価された。楽譜には各章毎にメトロノーム表記がされていて正確に再現できるようになっているが、シューマンの死後、作品全集が編纂されたときクララとブラームスによりわずかな見直しだけで済んだようである。徒然の記その7 映画「かぞくいろ」 2018.11.30(金)■有村架純、國村隼主演の映画「かぞくいろー―RAILWAYS わたしたちの出発―」の公開日に映画館に行ってきた。鉄道物語であるがよく泣いた。鹿児島県阿久根市を走る第3セクターの「肥薩おれんじ鉄道」や薩摩大川駅、大川小学校などローカル色満点の映画である。線路のシーンでは、たびたび池袋駅北側にある「池袋大橋」の歩道からの列車の行き交う様子が描かれ物語の重要なシーンとなっている。鉄道ファン必見のロケ地であろう。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Dec 1, 2018
コメント(0)
秋の熊野古道、浜松国際ピアノコンクール本選_ story (4369)2018.11.24In the excitement of B.Smetana's "my fatherland(Má Vlast)", I began packing for Kumanokodo-pilgrim road. Backpack became full of clothing as Germanic big migration against cold weather and for attendance to the Hamamatsu International Piano Competition スメタナ「わが祖国」の興奮がさめやらない中、月曜日には熊野古道出発の荷造りを始めた。南紀への旅であるが気温は18℃~10℃と変動するため防寒対策も必要でありウィスキーの差し入れやコッヘルなどの湯沸かしセットや、帰りに立ち寄る浜松国際ピアノコンクール出席のための服装などと民族大移動のような旅装となってしまった。■今週の1枚Doshi river's Autumn leaves(夫婦園の道志川 2018.10.3(水))谷間に紅葉した木々が光を受け輝いていた。目次徒然の記その1 スメタナ連作交響詩「わが祖国」全曲演奏徒然の記その2 浜松国際ピアノンコンクール 本選へ 徒然の記その3 晩秋の熊野路 徒然の記その4 熊野古道・中辺路1日目徒然の記その5 熊野古道・中辺路2日目徒然の記その6 熊野古道・中辺路3日目 Dual Pilgrim徒然の記その7 熊野古道・中辺路4日目 水の熊野古道徒然の記その8 孫たち3人 わが家に泊まる 徒然の記その1 スメタナ連作交響詩「わが祖国」全曲演奏 2018.11.18(日)■市民響の第78回定演が大盛況のもとに幕を閉じた。燃え尽き症候群のような形でふらふらと黄昏の府中をさまよった。レセプション会場を後に、毎度の「花の宴」へ。いつもcamino仲間が待っていてくれるのである。全曲を生で聴くのは初めてだという。プログラムの解説を読んだりして曲を楽しんでくれたようである。 プラハでは1946年以来スメタナの命日である5月12日に始まる春の音楽祭で毎回演奏される曲である。冒頭の、ハープ2台が奏でる美しい吟遊詩人のメロディーはオケ全員も魅了され聞き入ったほどである。この主題が全曲を通じて現れるので壮大なオペラを見ているような感じであった。 6ヶ月にも及ぶ長い練習期間も、実際の演奏ではあっという間に終わってしまったというのが正直な感想である。チェコフィルが使っていた楽譜を参考に、手直しがあり、手書きの譜面による読み替えの場所もあったりして当初は当惑もあったが、パート譜面の作り直しを数回行って最終の冊子に完成させたり、分厚いスコアを読み通して曲を理解したり、今までの曲ではなかった新たな作業も楽しい思い出となった。 翌々日からの熊野古道中辺路の旅の期間ずっとこの音楽が鳴っていた。小生にはそれほど影響を及ぼした曲であった。聴きに来てくださった多くの方々へも感謝したい。徒然の記その2 浜松国際ピアノンコンクール 本選へ。2018.11.20(火)■Finalistは6名となり、23(金)、24(土)の2日間でピアノ協奏曲を演奏する。内訳は、日本4、韓国1、トルコ1 計6名姓名で示すと・・10 ジャン・チャクムルCAKMUR Canトルコ 11/24 15:55 リスト P1 12422 今田 篤IMADA Atsushi 11/24 14:00 チャイコフスキー P1 op.2341 イ・ヒョクHyuk LEE韓国 11/24 14:55 ラフマニノフ P3 op.3050 務川 慧悟MUKAWA Keigo 11/23 18:00 プロコフィエフ P3 op.2679 牛田智大USHIDA Tomoharu 11/23 20:00 ラフマニノフ P2 op.1890 安並 貴史YASUNAMI Takash 11/23 18:50 ブラームスP2 op.83 このうちの本選2日目24(土)を浜松で聴くために、熊野古道の帰りに浜松に立ち寄った。実は、オケのGP(11/17(土))の最中、Semi-Finalistが発表されていた。日本5、ロシア2、韓国2、中国1、トルコ1、アメリカ1の計12名で、19(月)、20(火)の2日間で室内楽を含むピアノ曲を演奏する。2次予選での課題曲であった委嘱作品「SACRIFICE」作曲家の佐々木冬彦さんからは、アジア人のメンタリティーにシンパシー(sympathy;共感・共鳴)を感じたとのコメントがあった。6割強の合格者がアジア人であったのはこの作品への感じ方が影響したのかもしれない。 本選会場では聴衆賞投票券が配られ最も良いと思った演奏者に投票できる。演奏終了後数時間で優勝者が決まる。2200人入りの大ホールは満席。すごい熱気である。 コンクールの様子は来年1月中旬にNHK BSプレミアムで放映される。そのクルーが撮影に来ていた。本日1番目のチャイコP1は超絶技巧が40分も続くコンテスターにとっては過酷な選曲であるが、感動的な演奏であった。2番目のラフマニノフ P3は盛り上げ方がうまく、本日で一番よかったのではないだろうか。3番目のリストP1は25分と短くあっと言うままに終わってしまった。しかし会場からは万雷の拍手。(1,2,3選からの総合評価で1位を獲得した。) 演奏者のジャン・チャクムルCAKMUR Canは20歳の気鋭のピアニストである。鉄棒のような細い脚の持ち主にこれほどのエネルギーが備わっていたのかと驚愕した。18:00に予定された発表を待たずに帰途に着く。家に帰ったら下記結果となっていた。第1位、札幌市長賞、室内楽賞・・10 ジャン・チャクムル CAKMUR Can トルコ 第2位、ワルシャワ市長賞、聴衆賞・・79 牛田智大 USHIDA Tomoharu 日本第3位・・41 イ・ヒョク Hyuk LEE 韓国第4位・・22 今田 篤 IMADA Atsushi 日本第5位・・50 務川 慧悟 MUKAWA Keigo 日本第6位・・90 安並 貴史 YASUNAMI Takash 日本日本人作品最優秀演奏賞・・78 梅田 智也 UMEDA Tomoya奨励賞・・21 アンドレイ・イリューシキン ILIUSHKIN Andrei ロシア徒然の記その3 晩秋の熊野路 2018.11.20(火)~23(金)■熊野古道・中辺路(なかへち)を滝尻から熊野本宮まで37kmを3泊2日半という行程で7人が挑戦した。この絵日記blogでは準備までの作業や苦労を綴る。 まず台風の影響でう回路が数か所設けられているため田辺市のHPのイラスト図面から、正確な場所を割り出す作業に相当時間を取られる。こちらは1万分の一以下の詳細図面(地理院の電子版)から道を割り出しているのにかかわらず、イラスト図面ではなかなか場所を特定できない悩みがあった。昭文堂の山と高原地図「高野山・熊野古道」は、8万分の1という信じられないほど広範囲の地図で、熊野古道の全貌を納め過ぎて、詳細がさっぱり掴めない。 1.カシミール3Dの中に入っている地理院地図の山道をディジタイザーで正確にトレースしていく。3日の行程を日付毎に3本トレースをし、それをkmlファイルで、Dropboxに保存する。 2.タブレットにあるオフラインmapアプリ:Geographica、Maps.MeのそれぞれにkmlファイルをDropboxからダウンロードする。 3.レジュメを作成・・カシミール3Dでトレースした地図を拡大し、1万分の1くらいサイズとして、行程分をスクリーンコピーし、Wordに貼り付けていく。 4.参加者にはあらかじめこのレジュメをmessenger、メールなどで配信。予習しておいてもらう。紀伊田辺12:30の現地集合としたが、参加者の半分は、夜行バスで早々と7時には到着してしまっている。その他は前日大阪泊や名古屋泊から、当日新幹線で、或いは白浜空港から という形で三々五々参集した。 1日目・・熊野古道・中辺路・・・紀伊田辺→バス→滝尻→徒歩→高原 2日目・・熊野古道・中辺路・・・高原→徒歩→継桜 3日目・・熊野古道・中辺路・・・継桜→徒歩→熊野本宮→バス→湯峰温泉 4日目・・熊野古道・水の熊野古道・・湯の峰温泉→瀞八丁→新宮・・・帰途。 熊野古道・中辺路のコースは朝から滝尻を登ったほうが確実に3日間が取れ良かったのではないかと思うが、逆に夜行バスという手段に固定してしまうこととなり今回のような集まり方のバリエーションは生まれなかったであろう。1人旅行と違い難しい所である。徒然の記その4 熊野古道・中辺路1日目 2018.11.20(火)■紀伊田辺12:50→バス→13:38 滝尻・・・→高原熊野神社 4.2km 宿:囲炉裏の宿 天空のさと山築20年という比較的新しい民家一軒丸々(6DK)を借り切っての素敵な夜を過ごした。北西に面した山の上で標高はおよそ300m。朝は雲海がたなびいたという。夜は気温3℃ 自炊の宿のため食材を麓まで宿の車で買い出しに行く。料理担当は"歩き塾 統括本部長"のA氏。"キムチ鍋"、朝食、弁当用の食材をしこたま買う。お米は無洗米で2kg約一升。炊飯器で一気に炊いたものだから固いご飯が出来てしまった。しかし鍋3個を使って雑炊という手で切り抜ける。残ったご飯に水を足して保温。弁当用に作ったおにぎりは21個。大量である。麓の明かり以外は漆黒の夜更け。早々と就寝。徒然の記その5 熊野古道・中辺路2日目 2018.11.21(水)■高原熊野神社→近露→継桜 13km 民宿 つぎ桜高原の囲炉裏の宿「天空のさと山」を7:45出発。大門王子、十丈王子、大坂本(おおさかもと)、牛馬童子、近露(ちかつゆ)王子、継桜王子(つぎざくら)、秀衡桜(ひでひらざくら)のスタンプ印を押す。Geographicaログでの記録は13.2km。累計高度+1027、-841、 見なし距離28.2km 7.5時間。見なし距離レベルの平均speedは3.8km/h 普通計算での平均speedは1.8km/h 。 この中辺路。9割が外国人である。我々は朝早く出発したが後から続々と登ってくる。弁当用のおにぎりを2個しか持たない人も多く余った分を全て担いだものだからリュックは重い。大門王子で休憩中にそれらのおにぎりで"お接待"。半ズボンのトレイルランのような風貌の人など一様ではないがやる気満々の外国人パワーに驚かされる。食べて貰ったおにぎりの分 荷物は軽くなる。「つぎ桜」の宿には14:40くらいの着。 夕食は8品が出るというグルメ民宿である。大阪、京都で修行したシェフが宿の主で土地のものを使った食材に意匠の丈をつくす。この宿の人気のほどは来年の11月まで予約で埋まっていることからも想像に苦しくは無い。 この宿に手前の近露(ちかつゆ)で会ったご夫婦が遅れて到着。タヒチ島からやってきたと言う。ビックリ。ボラボラ島などで遊んだ当方の新婚旅行先であるので話が弾む。ご主人はパリ人、奥さんはゴーギャンの絵にあるようなタヒチ人。ケラケラと笑い実に陽気。明日の行程を相談し5kmほど短縮し負担を減らすこととした。宿泊地は我々と同じ湯の峰温泉である。徒然の記その6 熊野古道・中辺路3日目 Dual pilgrim 2018.11.22(木)■継桜→小広峠→発心門→伏拝→熊野本宮大社20.4km→バス→湯の峰温泉 民宿あづまや荘この行程は、最低高度56m、最高高度672m 累計高度+1691m、-2117mで、高さx10などを加ええる「みなし距離」を算出すると50kmとなり、健脚でも7時間以上もかかるこことなり多人数では無理かもしれない。1,2日目の経験から、バス利用の選択肢も設ける。発心門まで本宮経由でバスで向かい、本宮までの7kmを歩くというものである。 山コースを選択した3人は下記のコース継桜→道湯川橋(5.1kmほどを宿の車で短絡)→岩上峠(671m)→蛇形(じゃがた)地蔵→湯川王子→三越峠(555m)→音無川源流→林道分岐をそのまま進む(船玉神社→猪鼻(いのはな)の本道は台風の影響で通行止め)→発心門王子→水呑王子→伏拝(ふしおがみ)→三軒茶屋跡(小辺路合流点)→祓殿(はらいどの)王子→熊野本宮大社→世界遺産熊野本宮館→熊野本宮拝殿「共通巡礼達成大太鼓の儀」→大斎原(おおゆのはら)16.2km→バス→湯峰温泉(民宿あづま荘)(平面距離16.2km 沿面距離16.5km 最高高度672m 最低高度57m 累計高度+937m -1307m) 野中の清水(名水100選)から汲んだ水をペットボトル2本に入れ出発。極々弱い雨の中を岩上峠へ登る。ここは3年前も迂回路であった場所で本道は通れないままが長いこと続いている模様。タヒチからの夫婦も行動をほぼ共にする。 世界遺産熊野本宮館で念願のDual Pilgrimの証明書・記念バッジを貰い記念撮影。拝殿へ再び登り太鼓を打たせて貰う。「共通巡礼達成大太鼓の儀」。大3回+連続打(36回くらい 強→弱)、大3回 一人ずつ 5人が打つ。サンティアゴ巡礼路の写真展を見たりして16:45のバスで湯の峰温泉へ。注)二つの道の巡礼者(Dual Pilgrim)の達成条件・・それぞれの道において次の中から何れか一つを達成した人は、世界遺産熊野本宮館、田辺市観光センター、サンティアゴ・デ・コンポステーラ市観光局から達成証明書を発行してもらえる。・サンティアゴ・デ・コンポステーラの道、徒歩、馬で100km以上/自転車で200km以上を達成した人。・熊野古道の道 滝尻から熊野本宮大社 38km/熊野那智大社から熊野本宮大社間 30km/高野山から熊野那智大社 70km/発心門王子から熊野本宮大社 7kmかつ熊野速玉大社かつ熊野那智大社 を参詣した人。徒然の記その7 熊野古道・中辺路4日目 水の熊野古道 2018.11.23(金)■湯の峰温泉→志古→瀞峡(とろきょう:瀞八丁:川の熊野古道)→新宮(速玉大社、神倉神社(巨岩の神社))→東京 湯の峰(峯)温泉 民宿あづまや荘ではバス停の前にあった「あづまや旅館」でもお風呂に入れるというので皆でそぞろ歩きしながら温泉街の一本道を上がっていく。源泉が川面にあるため蒸気が常に上がっており情緒のある光景である。大風呂の部屋にある「ひやし湯」や露天風呂で十二分に温泉になじむ。折しも雲間から満月が顔をのぞかせた。およそ1時間半ほどそこで寛ぐ。 翌日は8:40発の新宮駅行きに乗って志古へ。「瀞峡めぐりの里 熊野川」の志古ではあるが先月の台風の影響で川底が浅くなったため、シャトルバスで小川口へ。2013.8に大峰奥駈の帰りにこの志古から瀞峡(とろきょう)探勝ウォタージェットに乗り田子まで行っている。2011.9に熊野地方を襲った台風の影響では熊野川が氾濫し国道の上10mまで水に浸かったという。田子あたりでは高台にある旅館あたりまで水流があったようである。奈良と和歌山を結ぶ吊橋はその時から使われないまま朽ち果てている。今回はその思い出の田子で15分間の休憩があり更に上流へと瀞峡の観光が続く。望月岩、狛犬岩、松茸岩などを巡り反転して下流へと帰途に着く。紅葉真っ只中の瀞峡、快晴の瀞峡。あぁもう言い残すことはない。新宮駅で解散式。歩き塾初めての3泊4日の旅は終了。長旅のガイド 満足して戴けたであろうか。 ウォータージェットが10月の台風の影響を受け川が浅くなりすぎたため途中の行程をシャトルバスに頼ったからか運賃が安くなっていた。全員に千円のバック。 参加者7名のうち2名はそのまま東京方面へ。他はまだ旅が続く。1名は串本観光。1名は那智へ。1名は新宮の速玉本宮・那智本宮へ。1名は名古屋観光。1名は浜松国際ピアノコンクール本戦へ。お疲れ様!■熊野古道の旅 放課後& next day その日の宿は浜松駅から2.7km離れた遠州鉄道・助信(すけのぶ)駅に近い「365BASEアウトドア ホステル」。テラスのある緑の庭に暖房付きのテントがあったりする3階建てのアパート風ホテル。パンを焼こうとキッチンに入ると先客が2人。広島からのご婦人はお産の手伝いに長期に泊まるためにここを利用し始めたばかり。東京からのイケメンは日本で育った2世。赤坂でセミプロとしてオペラを歌っている。広島市は西区に知り合いがいると話をむけカープの話に及ぶと興味あることを喋り出した。広島の人は殆どがカープファンなので球場前のマツダ通りから赤く埋まっている。球場は真っ赤に染まり違う色の服だと恥ずかしいくらい。かと言って家から赤いユニフォームを着ていくのは恥ずかしいので球場の近くで着替える。皆 家に7,8着持っていて、今日はどの選手を応援するのかによって着ていく服が違うのだと。それほどのものだったのか! 恐れ入った。歌手の方は、今日会う友人に薦められここを取ったのだと。ジム室で朝ドラを見ようと入っていくと女性誌を見ていた3人はインディアンテントに泊まった方達であった。3ケ月前から予約したのだという。ハンモックなども多数ぶら下がりおったまげたホステルである。駅前にあるアクトシティー浜松まで広々とした市内を歩く。駅前のMayOne(メイワン)で黒い運動靴をgetし、登山靴と交換。アクトシティー自由席の列に並ぶ。開演前3時間ですでに10名が並んでいた。実際の本選の感想は「徒然の記その2」に述べている。徒然の記その8 孫たち3人 わが家に泊まる 2018.11.24(土)■2家族の孫(10歳、6歳、3歳)たちが泊りがけでやってきた。さぞ賑やかになるであろう。日曜日にはこのうちの最長年の孫の誕生日パーティーを我が家でやろうとなったのである。日曜がお休みというのは、オケ本番の翌週の日曜日であるから。小生は荷ほどきする間もなく喧騒の中に身を沈めることとなるであろう。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Nov 24, 2018
コメント(0)
Má Vlast わが祖国、浜松国際ピアノコンクール1,2次予選_ story (4368)2018.11.1710th Hamamatsu international Piano competition began at Hmamatsu city.Now 24 competitor participated in the second preliminary contest.Who is finalist at 24th Nov.浜松で国際ピアノコンクールが始まった。netで詳細情報が発信されている。94人が一次予選に出場した。さて、24日の入賞者発表はどの方に。みんな超絶技巧の持ち主である。感動を与える演奏であるかによって優劣が付けられる。将来有望なピアニストという選び方ではなく、即戦力のあるピアニストが選ばれる筈である。彼らは来年のチャイコフスキーや2020年のショパンコンクールに出場していく。さて、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の演奏会が明日に迫った。日本中でも2年に1回くらいしか演奏されない名曲である。ぜひ足を運んでもらいたいものである。無料公演 於:府中の森芸術劇場 どりーむホール 11/18(日) 14:00開演。■今週の1枚Arakawa valley from Shirakawa bridge(三峰口に近い白川橋から下流の眺め 2018.10.31(水))白川橋から下流方向を眺める。ささやかな紅葉があった。目次徒然の記その1 ピアニストの脳を科学する徒然の記その2 浜松国際ピアノンコンクール徒然の記その3 Viola Lesson 徒然の記その4 二子玉同期会徒然の記その5 第96回 山谷ミニコンサート徒然の記その6 珊瑚の会徒然の記その7 わが祖国 GP徒然の記その8 一発芸徒然の記その9 ボケる徒然の記その1 ピアニストの脳を科学する 2018.11.13(火)■古屋晋一 著「ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム」を読んだ。カミさんに「本」のことを言うと、ピアノを弾く人を英語で「ピアニスト」と言うのだという。よって私もピアニストであると。「カミさんを科学する」というタイトルの方が面白そうである。タイミングよく、第10回浜松国際ピアノコンクールが11/7(水)から始っている。それに出場するピアニスト(以下Pst)に思いを馳せた。恩田陸さんによる直木賞、本屋大賞同時受賞の小説「蜜蜂と遠雷」はこのコンクールをモチーフに描かれた長編小説である。2019年秋には映画化(主人公の栄伝亜夜(えいでん・あや)には松岡茉優(まや)さん、謎の天才Pstの風間塵には新人の鈴鹿央士(おうじ)さん、サラリーマンPstには松阪桃李さんがキャスティングされている。彼らが会場の雰囲気を知るために演奏を見に来るかもしれないと地元では期待を膨らませている。その影響か、今年は聴衆が多すぎて、アクトシティ浜松の3,4階席も開放したとのこと。 音楽をする人の中でもピアニストは左右の手が独立して1分間に1800打鍵を行うというからには脳の運動前野(ぜんや)、聴覚野(や)、視覚野、前頭前野の背外側部などの各領域の神経細胞が相当発達しているようである。 音を聞き、音符を記憶し、ピッチを正し、リズムを刻むといったあらゆる脳の領域が大きいのだとこの本は解くのである。卑近な例が我が家にもある。 台所で朝餉の洗い物をしているときだ。こっちはザァザァと音があるので気付かなかった。新聞を読んでいたカミさんが戸を開けて入ってきた。何事かと思ったがひょこひょこ私の後ろを通り過ぎていく。廊下側のドアを開けてさらに進む。洗濯機が止まった音が聞えたので、水道の栓を閉めに行ったのである。本来は小生の仕事なのに。 洗濯が終了したとき、最近は水道の栓を占めるようにしているのだ。2014.4に買ってまだ4年しかたっていない洗濯機ではあるが、最近は翌日までに洗濯槽に水が10cmほど溜まるようになってしまったのだ。そこで手動で水道の栓を閉めるようにしたのだ。洗濯が終わって直後にそれをやる必要がないのであるが、ブザーがなると反射的に洗濯機に駆け寄る癖が付いてしまっている。洗い物に気を取られてそんな終了のブザー音なんて聞えなかったのに、カミさんには聞こえたらしい。 ピアニストは耳が良いのである。パンが焼けたときに発する「完了」のビープ音、焼けたパンを容器から取り出すタイミングである。これに気付かなくてホームベイカリーに入れたままにしておくと、余分な熱がパンに加えられパン生地が固くなるのである。ピアノをがんがん鳴らしていても、これも多分問題なく聞こえているのであろう。 さて、この本を読むと音楽と脳の働きの関係が分かって面白い。脳はオーケストラであるという。音程や音色は第一聴覚野。メロディーは第二聴覚野、ハーモニーは左右のブローカ野、リズムは運動前野。大脳基底核、小脳がそれぞれつかさどるのだという。 両手を独立して動かすのは左右の脳を繋ぐ脳梁の働きであり、読譜できるのはタツノオトシゴの形をした海馬が大きいのだという。音符を動きに変換するのは「上頭頂小葉」の働きによる。 鳥肌が立つという演奏には、「島」、眼窩前頭野、腹側線条体などの報酬系が作用し、側坐核がドーパミンを出しそれを促す。これら頭の働きに加え、腕、肘の高速回転、連打する指や腱間結合の柔軟さや、あらゆる部分を総動員して超絶技巧が生まれるのだという。 感動を生み出す音色は、鍵盤への押さえるタッチ、叩くタッチ(固い音がする)、レガート(2つの鍵盤のon-offの時間の重なり)など無限の組み合わせのなかから生み出されるのだと。 ピアニストは1日練習しないと自分が気付き、2日練習しないと評論家か気づき、3日練習しないと聴衆が気付くといわれるほど練習をするものであるが、平均1日3時間45分するのがよいのだと。1回の練習時間は長いほうがコンサートスタイルに合致するようである。プロの世界は厳しいものである。 ピアノのみならず、多くの音楽家も同様なのかもしれない。KBに齧りつくことなく、練習をせよ ということかもしれない。徒然の記その2 浜松国際ピアノンコンクール 2018.11.17(土)■3年ごとに開催される浜松国際ピアノコンクール、4年ごとのチャイコフスキー国際コンクール、5年ごとのショパン国際ピアノコンクールが完全に重なった年が2015年である。60年に一回しか重ならない勘定になるが、浜松は10回目(1991~)なので初めての出来事であった。それから3年経つ今年が、浜松国際ピアノコンクールの年、来年がチャイコフスキー国際、再来年がショパン国際ピアノコンクールと続く。 浜松では11月7日から13日まで一次予選があり88名(辞退者7人を除く)の出場者から24名の二次予選に進む人の発表が14日にあった。15日から17日までが二次予選、19日、20日が三次予選、23日,24日が本選。三次予選では室内楽が課題となり、本選は協奏曲が課題である。ショパン国際ピアノコンクールと違って、協奏曲はチャイコ、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ベートーヴェンなど多岐にわたる作曲家から選ぶ。二次予選に進む24名の内訳は、日本8、ロシア5、ウクライナ2、韓国2、中国2、トルコ1、クロアチア1、アメリカ1、オーシトリア1、フランス1 計24名姓名で示すと・・10 ジャン・チャクムルCAKMUR Canトルコ15 ドミトロー・チョニCHONI Dmytroウクライナ17 タチアナ・ドロホワDOROKHOVA Tatianaロシア21 アンドレイ・イリューシキンILIUSHKIN Andrei22 今田 篤IMADA Atsushi 27 アリョーシャ・ユリニッチ JURINIĆ Aljošaクロアチア30 兼重 稔宏KANESHIGE Toshihiro35 キム・ソンヒョンSong Hyeon KIM韓国40 ブライアン・ルーLE Brianアメリカ41 イ・ヒョクHyuk LEE韓国 50 務川 慧悟MUKAWA Keigo58 太田 糸音OTA Shion62 佐川 和冴SAGAWA Kazusa65 ポリーナ・サスコSASKO Polinaウクライナ66 フィリップ・ショイヒャーSCHEUCHER Philippオーストリア73 アレクセイ・シチェフSYCHEV Alexeyロシア74 マルセル 田所TADOKORO Marcelフランス78 梅田 智也UMEDA Tomoya79 牛田智大USHIDA Tomoharu89 イワン・ヤルチェフスキーYARCHEVSKIY Ivanロシア90 安並 貴史YASUNAMI Takash94 ザン・シャオル―Xiaolu ZANG中国95 アンドレイ・ゼーニンZENIN Andreyロシアこのうち、79 牛田智大さんが前評判が高い。徒然の記その3 Viola Lesson 2018.11.13(火)■先週に引き続き本番前の特訓。叱咤激励の3時間の練習であった。立ちっぱなしである。椅子に座っているよりも体のバネが生かせるので楽な感じ。早速檄が飛ぶ。「甘いチョコレート」のような味で弾けと。先生小生の音を聴いていて、しばらく頭をひねっていた。「貴方のは。」 来た~~!。「うすぺっらなチョコのようである。中に酢が入っていて、表面が白く変色している。」なかなか上手い表現をするものだ。弓のせいにしてもよいのであるが(先生のは仏製の上等なやつで、しなりも抜群で軽い。)、こちらは技術でカバー。音を弾く前にイメージして何回もやっているとそのような音が出だした。なかなか良いものである。「常に、その気持ちで弾け」と。難しいパッセージが随所にあり指が混乱するがそれでも弾けるspeedでまず練習をし、徐々に上げていくという基本訓練が重要である。貴方のは、弾けるところを速く、弾けないところが遅くなっており、拍が感じられないと。このとき拍を意識せよと。 よく言われることであるが、指が最小の動きで弦を押さえる必要性はパッセージが速くなる時に発揮されるので綺麗なフォルムを保つことが必須であるという。バタバタの見苦しいとその分遅れていくのだという。弓も同じで5mmほどの動作で弾かないと高速パッセージには付いていけない。肝に銘じよう。 最終章のVivaceの箇所にやってきた。弓を小さく使うだけで随分弾けるようになってきた。イメージトレーニングも含めて練習に継ぐ練習だ! 徒然の記その4 二子玉同期会 2018.11.15(木)■実に忙しい1週間である。教育(今日行く)と教養(今日 用がある)がボケない秘訣というが、用が有り過ぎてボケることがないのであろうか。いつもより1時間早く17:00集合はありがたい。 この同期会に北海道からの1人を合わせて過去最多の16人が駅前に集合し、いつもの海鮮料理の店・青柚子(Aoyuzu)店へ。大病をした人達の生還を祝うとともに、ゴルフなどでの痛み止めの対処療法やヘルペス予防についてなど医療のお話が多い状況。 1人1分では話しが終わらないところが面白い。小生は歩き塾を宣伝しておいた。皆もだいたい2kmは歩けそうなので、将来に向けていろいろコースを用意しておこう。徒然の記その5 第96回 山谷ミニコンサート 2018.11.16(金)■第96回山谷ミニコンサートが「 神の愛の宣教者教会」台東区日本堤2丁目の集会所で開催された。チェロ、ヴァイオリンのSolo演奏に続いて合唱タイム。合唱(ナツメロ・唱歌等 ):虫のこえ、紅葉、ごらんよ空の鳥 、有楽町で逢いましょう、見上げてごらん夜の星を、夜霧よ今夜もありがとう、圭子の夢は夜ひらく、おもいで酒、ふたたびの、365歩のマーチ。太字は2回目の合唱のときの伴奏役。12月がお休みなので、クリスマスや正月の歌が添えられた。 終わってから皆で南千住の行きつけのインドレストラン「フルバリ」へ。 この道すがら、スペインに先日、孫の世話で行ったご婦人が「12歳までは親の付き添いが必須。」と言っていた。なるほど先の旅行ではVejer de la Frontera(ベヘール・デ・ラ・フロンテラ)ではまさに下校時間大勢の親が学校正門に迎えに集まっていた。日本では集団下校くらいで塾にも一人で電車に乗って行く。安全度の違いなのであろうか。 ナンがお替り自由なるも1枚で十二分と量が多い。日替わりメニューで、初めて「4辛」を注文。吹き出す汗を拭いながらの食事となった。 徒然の記その6 珊瑚の会 2018.11.16(金)■大学OBオケ・・年4回の集まりで、2,5,8,11の各月の終わりごろが例会となり、東京芸術劇場の練習室に集まる。今期のプログラムの3度目の練習で完成とする日である。・Wolfgang.Amadeus.Mozart:Piano Concerto in D Minor(ピアノ協奏曲20番)・・13:55-15:10・Franz Schubert:Unfinished Symphony (未完成)・・15:10-15:50 ・Johann Straus:Overture zur Operette Die Fledrmaus(こうもり序曲)・・16:00-16:20 どの曲も素晴らしい。特に未完成は天上と地底を表す旋律が交互に出てくる音楽である。明暗のしっかりした曲で実に分かり易い。今日はコントラバスの助っ人や、VcやVnにも新人が加わって総勢40人ほどが合奏を楽しんだ。一発勝負のような形で全曲を通す。 次回からは、「シューベルト交響曲第6番」と「モーツアルトピアノ協奏曲第18番」「同第23番」。シューベルトの方は6回の練習とし、ピアノ協奏曲は今まで通り3回の練習とするなど若干の変則ルールが適用される。 懇親会の「アミカル」はいつものサイゼリア! 17:00からと20名の予約を入れてあるので即宴会が始まる。19:00頃に退散できるので至極能率的。新規に作成した名刺などを配ったり、オケのチラシを配ったりと余念がない。手が動きっぱなしの1日であった。徒然の記その7 わが祖国 GP 2018.11.17(土)■Smetana(スメタナ) Má Vlast「わが祖国」の全曲をハープ2台を入れてGP(Generalprobe:ゲネプロ)。市民響では本番の前の日の夜、3時間をかけて最終練習を行う。プロのハーピストなど全員が揃う瞬間である。「1.ヴィシェラド(高い城)」、「2.モルダウ(ヴァルダヴァ)」、「3.シャールカ」、「4.ボヘミアの森と草原から」、「5.ターボル」、「6.ブラニーク1」 プラハ音楽祭では毎回演奏されるが日本で全曲を通して演奏される機会は少ない。こんな壮大な曲に今まで接したことがない。ぜひ明日府中の森芸術劇場(pm2:00 開演)に足を運んで貰いたいものである。「モルダウ(チェコ語ではヴァルダヴァ)」は、16日(金)の「らららクラシック」で取り上げていた。チェコでは有名な童話の「コチカ・ レゼ・ディーロウ(Kočka leze dírou/Kocka leze dirou(=子猫ちゃんは穴を這って通る")」の旋律がモチーフとして使わているのだという解説があり参考になった。最後の長調に転調するところは未来への希望を表すのだと。圧政に苦しんだチェコがこれからの進むべき道を音楽で表現しているとも。チェコの第2国家となっているのだと。チェコスロバキア独立100年の今年にはうってつけの音楽である。徒然の記その8 一発芸 2018.11.17(土)■道具を何も持たないで一発芸をやるとしたら・・?巡礼の道中、”世界”を沸かした芸がある。「ワインの瓶を(斜めに)立たせる」というものである。先日、日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の創立10周年記念行事でスタッフ達に、”空き瓶”を使ってその手順を教えておいたが皆できたであろうか。 種も仕掛けもなく、ただ100円玉があるだけで瓶が立つのである。 今回、初めて栓を開けていない新品のワインボトル(ココ・ファームで買ってきた「山のルージュ」)でやってみた。封を切っていない新品の瓶で初めてできたのである。今までボトルの内容量70%という先入観があったために試してはいなかったものである。 これが出来たのなら今後は、練習のために中身をこぼす心配はない。容積70%くらいだと、安定はするが、倒れた時に液体がこぼれるという心配があったのである。 100円の表でも裏でもよいのであるが、「100」と書いた面の方が成功率は高い。机や部屋の傾きで瓶がどちらの方向に倒れるのかは予め試行しておく。 立たせるコツは、100円玉の中央くらいのところに瓶を置き、それを20°くらいに傾ける。一般的にはどちらかに倒れるのであるが、一瞬19.128°のような安定する角度が見つかれば手を放してもそのまま何時間でも立ち続けるというものである。 瓶の形や、内容量によって重心が異なるので角度のほうはその都度変わってくる。手は爪の先ほどの微妙な触れあいのみで瓶を支え、両方に突き合いながら、立つ瞬間を待つ。ピンポン玉のようなやり取りの後、スパッと立つことがあるのである。 1瓶立ったら、2瓶目を行うという離れ業も可能である。手はその瞬間蜘蛛の糸を引いているような感触になり、あたかも高名な手品師になったような錯覚を覚える。 ここで注意が必要。小生外国でやってみたが、外国のコインでは成功したことがない。日本の10円玉や100円玉を携帯しておくことをお勧めしたい。皆の注目の下では、3分ほどやって出来なければ諦める。場が白けるため。出来たときにそっと皆を呼ぶのが無難である。どかどかとやってきた場合はその振動で瓶が倒れるので注意。徒然の記その9 ボケる 2018.11.13(火)■カミさん2階に向かって叫ぶ・・あなたゴミ出しは? な、なんと。火曜日は「燃えるごみ」の日であった。熊野古道ハイクのためのレジュメなどに没頭している間にすっかり忘れていた。さらに一言多く叫ぶ「最近よく忘れるようになった!」と。 書斎の出口に貼り紙をしておこう「月(資源)、火(可燃)、金(同)、土(プラスチック)」と。忘れ物チェックリストなども貼ってあるし、だんだん膨大な量になってきた。 若年性痴ほう症を抱える家族が「治療法はないのですか?」と医者に聞くと「何か趣味を持つことです。」と答えたと。こんな回答を貰っても家族は嬉しくないのである。そこで考えた。 夫婦共業で、何か一つのことをやり遂げるというのはどうだろうかと。掃除、ゴミ出し、庭仕事、台所、洗濯の片づけ・・。 家事を全部奥様がやっていると旦那はボケる。台所の掃除や、ステンレス磨きなど小さなところからやらせ、徐々に料理まで手を広げてみよう。結果を褒めるのではなく過程を褒めるように。小さなことに目くじらを立てず、粗相があっても叱らないことである。そうすれば男性はもう有頂天になって何でもやるものである。我が家のように。それでも忘れてしまった場合には、優しく「貴方。今日はゴミの日ではなかったのですか?」と。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Nov 17, 2018
コメント(0)
ヘールト・マック「ヨーロッパの100年」_ story (4367)2018.11.10I read Geert Mak '100 Years in Europe' that it form of travel stories among the 20th century European history.What a miserable 100 years in Europe. How many people were murdered or refugees on the continent of Europe traveled wanderers? What a detailed historical story! I learned tremendously from this book including that I walked from Krakow to Gibraltar. In Germany, however, there is an expression that the birds are singing beautiful song so I did same experience. ヘールト・マック「ヨーロッパの100年」を読了した。数ある20世紀ヨーロッパ史関連書籍のなかでも旅行記の形をとった特筆すべき本ではないだろうか。悲惨な戦争の歴史の100年を旅日記風に書いた詳細な歴史書は、人物描写がすごい。ほとんどインタビュー形式で綴られ、教科書にはない史実が赤裸々に描かれている。ものすごく勉強になった。■今週の1枚Autumn leaves of Arakawa valley from Shiralawa blige(晩秋の秩父-荒川 白川橋からの紅葉 2018.10.31(水))眼下53mに荒川が流れる。ささやかな紅葉が始まった景観。目次徒然の記その1 湯河原→真鶴run-その2徒然の記その2 METライブビューイング2018-19徒然の記その3 グスターボ・ドゥダメル(Gustavo Dudamel) 徒然の記その4 ヘールト・マック「ヨーロッパの100年」徒然の記その5 Viola Lesson徒然の記その6 天狗の集い徒然の記その7 ドレスコード徒然の記その8 ワイナリー「ココファーム・栃木」徒然の記その9 わが祖国 無料公演徒然の記その1 湯河原→真鶴run その2 2018.11.3(土)■幕山(まくやま)→南郷山→真鶴駅11/3(土)に湯河原のハイキングコース幕山→南郷山をrunningしてきた。 湯河原駅の北西には、土肥(どひ)城跡(城山、537m 地元の名士 土肥実平(どひ さねひら)などを輩出した土肥氏の居城跡)や、幕山(625m)、南郷山(611m)など丸い山がポコポコと連なっている。 幕山に登る場合は、JR湯河原駅を降りて真鶴方向へ東に進み新崎川にぶつかれば北に折れ、JRや新幹線の線路くぐって標高を上げていくと、湯河原梅林があるのでそこから散策路に沿って登っていけばよい。 しっかりした登山道が付いているので登りやすい。海抜ゼロ近い場所から高尾山(599m)より高い625mを一気に登るためまぁ覚悟は必要であるが。途中湯河原市街地や真鶴半島を一望できるpointが2か所あり絶景を楽しめる。 稜線とは別の山となる南郷山へは、途中に源頼朝ゆかりの自艦水(じかんすい)という小さな池がある。石橋山の戦いに敗れた頼朝が、土肥実平に導かれて山の中をさまよっているときにこの池に辿り着いたという。水面に映る自分の姿を見て、髪の乱れを正し、心機一転勇気を奮い起こしたとされる池。やつれた顔をみて自害を決意したともいわれまたの名を「自害水」ともいわれる。 追手を逃れて隠れたという鵐窟(しとどいわ)が城山近くにあり、この自艦水(じかんすい)と、真鶴港にもある鵐窟や、岩地区の海岸から房総に逃れたまさにその跡を追って走っている形となった。 地理院地図には、南郷山から林道に降りて、そのまま交差する形で下り坂がある筈なのにガードレールで塞がれていた。廃道となって使えない道も地図には残っているので注意が必要だ。湯河原CCの境界を辿っていく。「五郎神社へ」と書かれた道標を右に見ながら真鶴駅の方向へと進む。しばらく走れば、早川→白銀林道→貴船(きぶね)神社という7月に走ったルートに合流する。■真鶴駅→浮根十字架を発見・・観光案内所では絶対教えてくれない穴場がある。危険な場所は教えられないという。Geographica上のルートマップを見せた。案内嬢の震える指先を辿ると、どうも尻掛(しっかけ)海岸の南であるようである、当たりかもしれない。計画した場所は「入窪」地区から降りていく「浮根」という岩礁地帯。そこへまっしぐら。 崖沿いに少し菜園を歩いていくと外れに小道が一本通じている。そこを辿っていくと落ち葉の下に僅かに階段のようなものが見える。幅30cmくらいの細い道が崖の下まで通じているようであった。昔海岸に降りた記憶があり、オケ仲間も言っていた通りである。ようようにして海岸に降り立つことができた。しかし其処には先人が居た。釣り人である。海釣りをしているのである。対岸には湯河原市街地が見える。白波が立っているものの風はあまりなく、よい天気に恵まれ別世界のような陽だまりとなってる。すこし窪んだ箇所に断崖があった。目を凝視していくと、なんと十字架が彫られているではないか。 九州のキリシタン大名の石材船が往来していたとする説があっため見つかりにくい場所に十字架を掘ったのでないだろうか。縦1.5m横0.8mくらいの立派な十字架が一枚岩に彫られていた。■浮根→貴船神社→岩「第5回 湯河原・真鶴アート散歩」の会場にもなっているW邸へ、目をつむってもいける坂道をup-down。「5番」という会場は、11/4(日),10(土),18(日),24(土)の4日間の14:00-17:00の3時間がopenということで、「レコード演奏会&オーディオ機器/織物」がテーマとなっており、オーナーのWさんは目の回る忙しさである。ここへ6人ほどのcamino仲間が東京から駆けつけて合宿。 料理の腕はミシュランの3星レストランのシェフ並みでなにもかもが美味しい。この日の「もつ煮」など、小生うん十年の人生で一番美味しかった。この味は絶対真似ができないかもしれない。それもそのはず。自家製みそは、オーディオルームで音楽を聞かせながら熟成させたものであるから。■タラマ(鱈子マヨネーズ)のレシピは秘密である。ふんだんに出されるワインにとても良く合うのである。鱈子を使うか、taramaという瓶詰を使うかは謎。レモンを輪切りにして載せてある。想像するに材料は、生クリーム(or Cream of wheat(小麦クリーム))、玉ねぎ、パン、にんにく、オリーブオイルなどなど。相当の材料が仕込まれている筈である。ピンク色をした粒々状で全体としてマッシュポテトのような柔らかさに仕上がっており、スプーンですくってパンなどに付ける。20時すぎの「白菜と豚のミルフィーユ鍋」(これまた絶品)を最後にお暇。徒然の記その2 METライブビューイング2018-19 2018.11.6(火)■2018-19シーズンが開幕した。米NYのメトロポリタン歌劇場(METメト)で上演された最新オペラを映画館で字幕付きで上映する「METライブビューイング」の新シリーズが11/2から始まった。現地では、舞台そのものやその準備で4作くらいが同時進行で進んでいくというからすごいものである。第1作はヴェルディの「アイーダ」で、10月6日に上演されたオペラがもう世界70か国へ「METライブビューイング」として配信されているのである。 日本では19館、そのうちの東京は、東劇、新宿ピカデリーなど5館で、神奈川では109シネマズ川崎、横浜ブルグ13など3館で上映される。初日に高校の同窓生達がいつものように東劇で鑑賞している。 まぁ遅ればせながら我々も桜木町にある「横浜ブルグ13」で鑑賞というスケジュールとした。ここは家から最も近い。歩く歩数がほぼゼロと便利。11:00開演で夕方までに家に帰れるところがみそである。 途中休憩となるIntermissionが8分間で2回。この間でお昼ご飯が食べられるようにとサンドイッチを用意した。冷凍の丸いパンを5個トースターで2分ほど焼く。10分ほどそのままにしていおけば熱が通って食べられるようになる。厚切りのハムをフライパンでソテーし、キャベツなどを挟んで一個づつラップに包む。魔法瓶に各自のお茶を用意する。小生は慈眼寺の「眼茶」ですでに出来ている。カミさんは紅茶をset。■ジュゼッペ・ヴェルディGiuseppe Verdi(1813-1901)の「アイーダ」は、指揮:ニコラ・ルイゾッティ 演出:ソニア・フリゼル、出演は、アイーダ(エジプトに捕らわれたエチオピアの王女):アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)、アムネリス(エジプトの王女):アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(メゾソプラノ)、ラダメス(エジプトの将軍):アレクサンドルス・アントネンコ(テノール)、アモナズロ(エチオピア国王、アイーダの父):クイン・ケルシー、ラムフィス(エジプト国王):ディミトリー・ベルセルスキー(バス)他。 古代エジプトの首都メンフィスを舞台にした大スペクタクルで「オペラの中のオペラ」と言われる。壮大な舞台装置はMETならではであろう。第4幕は墓場と地上の2重構造となり7基のリフトを総動員しての舞台となっている。 アリアでは、「おお、わが故郷(O patria mia)」、墓の中で歌う「天国での永遠の愛の誓い」(O terra, addio)など。4人が別々の歌詞を同時に歌う場面が随所にあるが、字幕が4人にそれぞれ割り当てられる。心の内を表現する場面では、字幕に(カッコ)が表記されると言った風に実に分かり易い。 A.ネトレプコとA.ラチヴェリシュヴィリの声量がものすごく、大音響下でも轟く感じであった。 今年新音楽監督に大抜擢されたのはヤニック・ネゼ=セガン(43歳)で、40年以上音楽監督を務めた世界的指揮者ジェームズ・レバイン(75)の後を継ぐ。次世代を担うと目される気鋭の指揮者である。■10回分を纏めて書くと下記のような上映予定となる。1.11/2(金)~11/8(木) 東劇のみ~11/15(木)までの2W上映 ジュゼッペ・ヴェルディ「アイーダ」 指揮・ニコラ・ルイゾッティ 演出:ソニア・フリゼル 出演:アンナ・ネトレプコ(現代topのソプラノ)、アニータ・ラチヴェリシュヴィリ他2.11/16(金)~11/22(木) サン=サンーンス「サムソンとデリラ」(新演出) 指揮:マーク・エルダー 演出:ダルコ・トレズニヤック 出演:エリーナ・カランチャ(メゾソプラノのプリマ)、ロベルト・アラーニャ他 3.12/7(金)~12/13(木) プッチーニ「西部の娘」 指揮:マルコ・アルミニアート 演出:ジャンカルロ・デル・モナコ 出演:エヴァ=マリア・ヴェストブルック、ヨナス・カウフマン(キングオブテノール)他 4.2019/1/18(金)~1/24(木) ニコ・ミューリー「マーニー」(MET初演) 指揮:ロバート・スパーノ 演出:マイケル・メイヤー 出演:イザベル・レナード、クリストファー・モルトマン他 (ヒッチコックが映画化したグラハム原作の心理サスペンス)5.2/8(金)~2/14(木) ヴェルディ「椿姫」(新演出) 指揮:ヤニック・ネゼ=セガン(METの新音楽監督) 演出:マイケル・メイヤー 出演:ディアナ・ダムラウ(*ソプラノ)、ファン・ディエゴ・フローレンス(*テノール)他 (2大スターが揃う)6.2/22(金)~2/28(木) チレア「アドリアーナ・ルクヴルール」(新演出) 指揮:ジャナンドレア・ノセダ 演出:デイビッド・マグヴィカー 出演:アンナ・ネトレプコ(アイーダを歌った歌手)、ピョートル・ベチャワ他 7.3/8(金)~3/14(木) ビゼー「カルメン」指揮:ルイ・ラングレ 演出:リチャード・エア 出演:クレモンティーヌ・マルゲーヌ、ロベルト・アラーニャ他 8.4/12(金)~4/18(木) ドニゼッティ「連隊の娘」 指揮:エンリケ・マッツォーラ 演出:ラロン・ベリー 出演:プレティ・イェンデ、ハヴィエル・カマレナ他 9.5/10(金)~5/16(木) ワグナー「ワルキューレ」 指揮:フィリップ・ジョルダン 演出:ロベール・ルバージュ 出演:クリスティン・ガーキー、エヴァ=マリア他 10.6/7(金)~6/13(木) プーランク「カルメル会修道女の対話」 指揮:ヤニック・ネゼ=セガン 演出:ジョン・デクスター 出演:イザベル・レナード、カリタ・マッティラ他 9.のワルキューレは5100円、他は3600円。3枚券は9300円とお得。まぁどの作品も世界最高峰の歌手が勢ぞろいしており実に見ごたえがある。全てを観たいが!徒然の記その3 グスターボ・ドゥダメル(Gustavo Dudamel) 2018.11.4(日)■ドゥダメル(1981- ヴェネズエラ生まれ)がすごい人気である。オケの仲間が先日ベルリンに行ってマーラーを聴いてきている。 音楽監督兼指揮者を務めるLosフィルを率いて来年3月に来日するが、各コンサートは2万円以上もするのにほぼ完売となっている。日本でもファンが多いことが分かる。クラシックを彼の指揮で初めて聴いて虜になったという人がいるほどである。分かり易い指揮で覇気がある。氏は2004年にバンベルクで開かれた第1回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールに優勝し、一躍脚光を浴びる存在となった。 ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2017にて指揮者を務めたので皆さんもご覧になっていると思う。YouTubeにはウエストサイドストーリーの『mambo』がある。演奏スタイルがよくわかって面白い。ロナウジーニョばりの独特の髪型も特徴。ムチうち症になったぐらいにハデに振ったこともあるがとにかく天才指揮者である。ハシビロコウ(嘴広鸛)のように目をつむって微動だにしないカラヤンと対極にある。徒然の記その4 ヘールト・マック「ヨーロッパの100年」 2018.11.9(金)■ヘールト・マック(1946- オランダ)の著書を読んだ。「ヨーロッパの100年 何が起き、何が起きなかったかのか」(徳間書店 2009.6 ISBN-13 : 9784198627485,--492)である。上下900ページもある大著である。オランダでベストセラーとなり2004年にNS文学大衆賞を、2009年にドイツでライプイチヒ文学賞を受賞。同年、本書によってヨーロッパへの関心を高めた功績が認められフランスのレジオン・ド・ヌール騎士賞を受勲。 章立ては、20世紀の夜明け(1900-14)、第一次世界大戦(1914-18)、ロシア革命と虐殺(1917-24)、ワイマール共和国とヒトラー台頭(1918-38)、ファシズムからスペイン内戦(1922-39)、第二次世界大戦勃発(1939-41)、ヒトラーの絶滅収容所とスターリンの強制収容所(1940-42)、戦場の街・戦火の村・そして抵抗運動(1942-44)、終戦の黙示録(1944-56)、戦後を吹き荒れた悲劇(1956-80)、ソ連崩壊・東欧圏の解体(1980-89)、ミレニアム直前の地獄(1989-1999)。 まぁ教科書で読んだ世界史の100倍くらい面白い。目次のタイトルにかかわる都市のモニュメントやわずかな痕跡や人物を訪れるという旅紀行のような形をとり詳細な歴史を述べている。 1999年の1年をかけてほぼヨーロッパ全土を訪れている。パリ、ストックホルム、ペトログラード、リガ、ピーレフェルト、バルセロナ、ゲルニカ、プラステッド、ヒムラーシュタット、アウシュヴィッツ、ワルシャワ、スターリングラード、ルルド・・・。 大戦下では、民族浄化の名のもとにいったいどれくらいの人が殺されたか? ラトヴィアのユダヤ人で生き残ったのは1.9%であるという。衝撃的な数字である。大戦後でも地獄の歴史がバルカン半島にあった。スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、コソボ、マケドニア、セルビアなど。小国の独立の裏に何人の犠牲があったか。日本からは想像もつかない民族闘争、イデオロギー闘争があった歴史を微に入り細に入り伝えており衝撃である。 徒然の記その5 Viola Lesson 2018.11.7(水)■弓の角度・・先日の日曜日の弦分奏で新しい指揮者が登場した。木村康人さんである。Violaを弾いていた指揮者である。全員に直されたのが、弓と弦の角度である。今まで斜めなどバラバラに弾いていたのであるが、最高に良い音は直角に弾く時だとおっしゃる。楽器店で働いているオケ団員も、Violinの音楽教室では習い始めの生徒に弓が弦と直角になるような冶具を付けて弾かせているのだという。コントラバスの方を窺ってみると一人だけ全くぶれもしないで直角に弾いている女性が居た。これが正しいのである。 鏡で見て矯正するのだという。チェロは弓が見えているので割と楽だという。 さて、本番直前練習としての個人レッスンである。全楽章を通しで練習する。さっそく直された。貴方のは「アスファルトの綺麗な道であるべきところが、ボコボコしていて、しかも途中で亀裂が出来ている」と。なかなか分かり易い表現である。弓の圧力にムラがあるということと、音が途切れているというのである。どうも演歌調のこぶしの癖がついてしまっており、しかも音をぶつ切りで弾いているようである。 さらに文句を言う「目で2,3音先を追いかけ、指はちゃんと現在の音を丁寧に鳴らせ。貴方のは、指が2,3音先を押さえ、弓が付いていっていない。慌てすぎる。拙速である。音の飛びがあるときに一呼吸おくようにすればチャチャチャと前に進んだり、ころばない筈である。細かい音符があると急ぐ傾向にある。」なるほどよく観察しているものだ。「音符を口でタラタラタラ歌うときでも、音程通り歌え! 貴方のは音程が上がっているのに、下がったままで歌っている!」「半音階でスラーの音符は指をスライドしてはだめで12,34と指を変えること。その意味で目で音符の先を追いかけなくてはならい。」「指がやはりバタバタとして見苦しい。2cmまでと高さ制限を設けろ」なかなか手厳しい。 Duoでパッセージを通していく。残りは来週とした。 徒然の記その6 天狗の集い 2018..11.7(水)■第一水曜日に旧サラ文の幹事のメンバーが新宿大ガード近くの居酒屋「天狗」に17:00には集まっている。今回は旧会員で生ハムを作るYさんと、写真家のHさんが来店。彼女は79歳にして社長というので驚きである。Yさんは鎌倉に住み、別荘での生ハム作りから、競技ダンスに転向するだという。H夫人はシンクロをやってみたいと。誠にお若い人たちである。徒然の記その7 ドレスコード 2018..11.8(木)■服装規定があるのかと身構えたが、「平服」という指定。まぁあまり凝らないでという意味であろうか。スペイン大使館で開催される「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会 創立10周年記念式典」にいそいそと出かけた。招待されたのはいつもの常連さんやスペイン関連の多くの外国人。スタッフ達は全員ダークカラーで統一。 17:00-18:00はオーディトリウムで祝賀式典。スペイン大使、友の会代表らの挨拶が続く。年間1400人の日本人がcaminoを歩くまでになったという。世界で300の友の会があるが日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の存在が大きいと。Clean stepの活動などが継続、継承されていくようだ。今年は日本スペイン修好通商航海条約締結150周年、ガリシア州と和歌山県の「熊野古道」・「サンティアゴ巡礼道」姉妹道提携20周年にあたる。 18:00-19:00はサラ・デ・エクスポジショネス(展示室)でレセプション。ピンチョスを摘まみながら談笑が続いた。赤・白・シャパンが振舞われ会場は終始賑やか。友の会の今後の10年が楽しみである。徒然の記その8 ワイナリー「ココ・ファーム・栃木」 2018.11.10(土)■サミットで話題になったワインの醸造所を見学に栃木県は足利市へ。COCO Farm & Wineryである。2000年の九州沖縄サミットの晩餐会ではスパークリングワイン「NOVO」が、2008年の北海道洞爺湖サミットでは赤ワイン「風のルージュ」が振舞われた。世界レベルに達したワインだという。 1950年代に特殊学級の中学生とその教員が山の38°という急傾斜地をすべて人力で開墾した時点から始まる。そこに「指定障害者支援施設こころみ学園」が誕生し、まず食べる葡萄を植え、つぎにワイン種を栽培し醸造し販売まで一貫して行っている。今度の土日11月17-18日が35回目の収穫祭Harvest Festival2018であるという。 歩き塾で企画し、数人で散歩を兼ねて足利駅から7km弱を歩いてきた。途中足利氏邸跡などを通っていく。およそ50mの高低差がある傾斜地にびっしりと葡萄だながひろがる。完全有機栽培のブドウ園であり、醸造・熟成のトンネルを持って素晴らしいワインを熟成させていた。土産に「風のルージュ」を買う。帰りはよいバスがなく結局かなり遠回りをして東武伊勢佐木線の足利市駅まで9kmほどを歩きいた。今度は足利学校跡を通る。上品な街並みに全員感嘆の声。徒然の記その9 わが祖国 無料公演のお知らせ 2018.11.10(土)■こんどの11月18日(日) 演奏会が開催される。小学生以上どなたでもご来場できます。小生turbo717はViolaを弾いていますので、ぜひおいでください。**************************************府中市民交響楽団 第78回定期演奏会 曲目 スメタナ 連作交響詩「我が祖国」全曲 日時 2018年11月18日(日) 13:30/ 開場 14:00 開演場所 府中の森芸術劇場 どりーむホール(京王線 東府中から徒歩10分)指揮:大井剛史、管弦楽:府中市民交響楽団少し解説を。第1曲:ヴィシェフラド・・廃墟となったヴィシェフラド城を吟遊詩人が訪れる。第2曲:モルダウ・・ヴィルタヴァ川(モルダウ川)の源流からプラハ市内へ、ドイツへと流れる川の表情が生き生きと表現されています。途中農民の踊りのシーンを見ながらも川は流れ続く。第3曲:シャールカ・・男たちと死闘を繰り広げた伝説の女性シャールカの物語です。この当時に使用された石の武器で戦う様などが表現されている。休憩第4曲:ボヘミアの森と草原から・・深い緑の森の木々の葉っぱが風に揺れる様から曲が始まり、牧歌や祝祭があるといった大変リズミカルな曲である。第5曲:ターボル・・15世紀のフス戦争を描いており、馬を鞭で打つ様を弦楽器全体が演奏する。全体が戦いのテーマとなっている。アタッカ(連続)で第6曲に入る。第6曲:ブラニーク・・戦いはまだ続いているが、休戦と平和が訪れ、最後のクライマックスでは第1曲目のヴィシェフラドのテーマが鳴り響く。チェコ国家の勝利を黙示している。(編集後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Nov 10, 2018
コメント(0)
真鶴、秩父_ story (4366)2018.11.3I enjoyed a marathon in the quite Chichibu Road on the day of Hallooween .Autumn leaves advanced and the moutain was beautifully colored.What on earth was the horrors of Shibuya.Plese keep moderational attenion. ハロウィンの騒動は一体何だったのか。群集心理がそうさせるのであろうか。世界的に注目されているスクランブル交差点が人を惹きつけるのであろうが、節度を守って欲しい。■今週の1枚Nezu garden(根津美術館の庭園 弘仁亭・無事庵 2018.10.3(水))前の池は4月ころ燕子花(かきつばた)が咲き誇るという。10月3日にスケッチしたときはわずかにモミジが色づき始めていた。向こうの大屋根が根津美術館本館。現在はどんな様子だろうか。再び訪れてみたくなった。目次徒然の記その1 剪定徒然の記その2 晩秋の秩父路徒然の記その3 G画伯の個展 徒然の記その4 湯河原→真鶴run 徒然の記その5 驚くべき癌特効薬・・こうとうすぎ 徒然の記その6 ハローウイン狂騒曲徒然の記その7 未就学児童お断り徒然の記その1 剪定 2018.10.29(月)■この日は朝から大変であった。高枝を切る電動道具がコマーシャルに出ていたというのでこの2、3日、昼時のTVを見続けていたのに一向に出ない。あまり売れない商品を何回も宣伝するほどメーカーもバカではない。 netでKeyWordで引き始めたのである。「高枝用剪定ばさみ」でAmazon、楽天やYahooのサイトで検索してみた。5万とでてくるではないか。 カミさんの記憶を辿るとどうも、電源コードが25mのものだという。チェーンソー型で、2万円以上するものだったという。 これを買いたいと思ったのは、庭師に頼むと10万円以上するので、電動のこぎりで自分でやれば安くつく。買おうではないか!と。検索で絞ってきたのは下記6種類。「1、2」がのこぎりタイプ、「3~6」がチェーンソータイプ1・・山善 10.8V 充電式高枝ガーデンポールソー LPS-1025 リチュームイオンバッテリー 2kg ポール長54cm-188cm-254cm 切断能力8cm 14,665円2・・YARD FORCE 高枝切り電動のこぎり 高枝/手のこ2WAY 14,980円3・・YARD FORCE高枝切りチェンソー 2018年最新型 Y3LS-C20-PTD0 切断能力17cm 3.4kg 伸縮式230cm-280cm 21,384円4・・(株)トライハーツテレビ通販モデル 高枝切りチェーンソー 延長コード20m 165~280cm、 19800円5・・(株)ポニー 充電式 電動高枝切りチェーンンソー YSGT-0513(高枝健太郎君)12,800円6・・ブラックアンドデッカー(BLACK+DECKER) 18V 高枝ポールチェーンソー (本体のみ) GPC1820LB 15531円 まぁ同じような製品が多く頭が混乱する。使う場所が極く限られた製品なので、OEMなどもあり、全体として似た製品が多くなるのであろう。カミさんに相談してみた。答えは「貴方が切るんでしょう。好きなように!」とつれない。カミさんは自分で枝を切るという進取の精神が全く無いことがわかった。さてと。最終的に選んだのは「1」の山善の電動ノコギリ。軽いことと、ポールが短く収納場所が嵩張らない点である。本体だけでも切れる点。 netで注文したら翌日配送された。試しに庭のクヌギに挑戦してみることとした。当初は2本植わっていたが、中津川に単身赴任して留守の時に庭師が入り太い方の一本が無くなっていた。生き残った一本が、時を経て太陽を燦々と浴び、切られた片方と同じように太くなりだし手が負えなくなりつつある木である。毎年11月22日が紅葉の特異日で、葉っぱがまっ黄色に輝く瞬間である。この日を境に葉っぱが茶色になりだして落葉を迎える。一気には散らず、来年の3月くらいになるまで徐々に葉っぱを落としていく。最後の方になると新芽の成長に合わせて散っていく。なかなか律儀な木であり、常緑樹でいうとユズリハのようである。 ポールの長さが254cmしか無いためやはりキャタツが必要。キャタツにまたがってなおかつポールを持つという態勢では枝は切りにくいということが判明。鋸の刃先が見えないのである。まずは手動のノコギリ作業のように本体のみで作業にかかった。 太さ8cmくらいの枝を数本落としていく。太い枝をcutする場合に問題となるのが枝の方向である。 最もやっかいなのが切り株から垂直に成長してしまった枝。左右から切れ目を入れていき、丁度真ん中で切れ目が合致したとしても枝の自重で持ちこたえているのだ。どちらかに揺らすとそれがドーッと倒れていく。半径10mに人を近づけてはならないという警告があった。まさにその通りである。下の方から適当に斜めにcutしてもだめである。 揺らす方向を間違えると自分の方向に倒れてくるという失態を犯すため油断はできない。いつかキャタツを支えている枝も切り払って危ないこともあったが。 さて、何本か枝を切り払い、それらを燃えるゴミとして袋に入れていく。適当に切って裏庭に積んでおき、焚火をした懐かしい時代があったが、CO2削減で煙は御法度、腐葉土になるまで何年も待つということもカミさんが許さない、ゴキブリの巣になるという誤った考えを持つからである。 長くても30cmくらいの小枝にして袋に詰めていく。太い丸太だけは見つからないように棕櫚の陰に隠しておこう。この袋詰めでコツを発見した。分岐が全く無くなるまでcutを繰り返した枝葉は何山も出来ている。それらの枝を太い方を先に袋に順番に丁寧に置いていくのだ。100本くらい袋に整然と並べた後は、それを左右に押しやり真ん中に空隙を作る。そこへさらに枝を詰め込んでいく。薄いビニールの袋は少しでも枝に触れたら穴が開くのであるが、真ん中の空隙は何をしようが袋には関係がない。どんどんそこへ無茶苦茶に詰め込んでもokである。パンパンに膨らんだ袋でも2,3日もおけば葉っぱは萎んでくるため余裕で縛ることができる。 小生の場合は、包の上から足を踏み入れ体重を掛けて容積を圧縮していく。45リットルの包が2日間で9つも出来上がった。 木を見上げた。どんなに空いたろうかと。なんと風景に変化はなかった。2,3本 切ったところで樹形が変わらないのだ。まぁ、毎年100万枚の枯れ葉を落としていく木である。末永く枝を一本一本落としていこう。トホホ。高枝が無くなると、次からはポールを使ってその年生えた枝だけを落としていけると思うのであるがどうだろう。蝦夷イチョウ、黒金モチ・・高木が僕の作業を待っている。後者は、赤い実がオナガなどの鳥たちに食べられた後に、枝打ちを行う。徒然の記その2 晩秋の秩父路 2018.10.31(水)■また秩父にやってきた。これには深いわけがある。先週のblogでザクロの絵を掲載した。そのスケッチが欲しいという御仁がおられる。Yesと即答したもの、考えてみればそのスケッチブック。貧しいがゆえに裏表(うら・おもて)で絵を描いているのである。ザクロの絵の裏には、三峰口に近い白川橋からの風景の絵があったのである。まだ完成はしていない。どうせならその裏のページも完成させたいと。先週より紅葉が進んだその絶景を描きこみたいと。 前回スケッチした時刻は13:00頃。その同じ景色を、午前7時半に見た。当然光の感じが違うため修正しなければならないが。おりしも秩父鉄道から降りてきた沢山の小学生の集団登校があった。彼らは一つ前の駅から通っており三峰口から白川橋を渡って荒川左岸にある「荒川西小学校」に通っているのだ。あたりは紅葉の真っ只中。高さ53mの大橋は吹き抜ける風で、朝の気温は5度くらいと寒い。服を一枚多めに羽織りスケッチを続けた。橋の上流と下流の2枚の絵を仕上げる。 前回宿題としたように、今回は秩父観音札所31番の観音院、32番の法性寺、33番の菊水寺、ともに8-10kmくらい離れている。その3寺を回ろうと思い、三峰口を起点として31-33-32番というように時計回りに34kmのrunningコースを考えた。 歩き塾ではバス→徒歩→バスとなる予定であるが、下見runでは区切り打ちでも一筆書きとしたい。三峰口から歩いてもなかなか風情のある巡礼路であることがわかった。小鹿野(おがの)町の領域に、31番の観音院と32番の法性寺があり、途中両神温泉・薬師の湯、四阿屋(あづまや)山の山稜をみながらのrunningとなり秋真っ只中を走るのは気持ちが良い。 33番の菊水寺は秩父市と言えども一山を越えての離れた場所にある。やっと32番法性寺へ分け入る交差点に辿り着いた。ここまでで既に30km走ったことになる。寺までは往復4kmの道のりであったため、予めバスの時刻表を見ておきたかったが、上り方向のバス停がない。「長若(ながわか)」駐在所でそれを尋ねようとしたが留守であった。階段のところで思案していたら、たまたま通りかかった町営のバスが止まってくれ「西武秩父駅」に行きますが乗りませんかと運ちゃん声をかけてくれた。まぁ2時間に一本くらいしか出ていないバスである。この小鹿野町営バスに飛び乗ってしまったのである。 歩き塾のコースはこれで決まった。31→32→33と同じ地域ではあるが3寺を回ると長過ぎる。31→32と2寺に絞ると17kmでちょうどよい。その後の最終回は、33→34の2寺をsetとし、最寄りバス停の泉田から北上するとして34番(日本百観音結願寺)を経由して皆野(みなの)駅までは17.4km。これもちょうどよい距離となる。 これらは来年の3月、4月の巡礼の旅となる予定で早春から春真っ盛りの秩父路となろう。今回のrunningの絶景ポイントはやはりなんといっても荒川を跨ぐ白川橋からの景色。荒川左岸の西小学校までの素朴な里山。絵になる景色が満載の地域である。何回も通いたいくらいに景色がよい。 この小鹿野(おがの)町営バス。驚くべきことに秩父ミューズパークの南側の入口を通るのだ。2013年まで毎年のよう大学オケOBで合宿を行っていたのだ。さらにこのバス、第13番札所の慈眼寺の前でも止まった。ここのお寺の名物「メグスリの木」から作ったという眼茶を買ってきて今まさに飲んでいるのである。カフェインが入っていないお茶と言うことで我が家では小生専用のお茶となっているのだ。■秩父湾・・このrunningでは33番の菊水寺へ行く途中でブラタモリの好きな岩石露出帯に出会った。海底地すべりの跡を言う「スランプ褶曲(しゅうきょく)」である。武甲山、三峰口、小鹿野町、吉田町、長瀞町を囲む領域が2500万年前の海岸線であったという。その海底には砂や泥が堆積しており地震によるショックが加わって海底の斜面にそって流れ出し、その際に地層が折れ曲がって褶曲したものが地表に現れている場所である。秩父市の天然記念物になっている。秩父盆地一帯から眺められる三角形の山、武甲山(当初1336m、現在1295m)自身も石灰石の山で、海底のサンゴ礁が持ち上がったものであるという。アルプス・ヒマラヤ地帯の山脈が形成された同時代の地球史を辿るようなrunningとなった。徒然の記その3 G画伯の個展 2018.10.31(水)■その2で書いた、秩父巡礼runningの帰りを急いだ理由は、知人のサンティアゴ巡礼の絵の個展を観るためであった。 Gallery Freak Outというギャラリーで、中野区の美容院の玄関先で開催している(10/31-11/5までの6日間)。この方は巡礼路をスケッチして歩くという人で、今回は「ポルトガル人の道」を描いている。旅は2016年に行っているので、個展としての準備に2年を要した感じ。展示を元とした絵葉書と2年分のカレンダーを売っていた。2014年には四谷のcafeで個展を開き、「フランス人の道」を絵にしていた。今回はリスボンの市電やCoimbra(コインブラ)、Ponte de Lima(ポンテ・デ・リマ)の絵があり懐かしかった。 画用紙はF4の大きさに統一され、ワトソン300を使っている。透明水彩であっさり描いたどのスケッチ画もすばらしく何枚かの絵葉書を買ってきて家に飾った。氏が描く絵の特徴は、人物が入る点と輪郭を極細ペンで現地で描き切ってしまう点と、にじみ出るほのぼのとした淡い水彩である。観る人の心を打つ。徒然の記その4 湯河原→真鶴run 2018.11.3(土)■今年に入ってもう何回目の真鶴になるであろうか。秩父もそうであるが通いだすと何回でも通いたくなる場所の一つである。前回7月に白銀林道を小田原から走っているので、今回は起終点の湯河原から絡んで見たいと思い立ち、独自のrunningルートを策定した。 湯河原のHPからハイキングコースをチェックし、イラスト図から実際の道を地理院地図をもとにして割り出していく。図面には標識が載っているが、地理院地図にはもとよりそんなものは無い。このため現地でチェックすることも必要となるが初めての道ほどワクワクするものはない。 あぁ、こういう準備作業中が一番好きな部類なのであろうか。”免疫力アップ”には好きなことをやることが一番であるという。病気にならないコツである。 さて、今回は真鶴にもある鵐窟(しとどいわ)が小田原にもあるので行こうかとも思ったが谷筋がひとつ違い遠回りとなるので諦め、幕山→南郷山→横浜YMCA跡地→真鶴十字架遺跡探訪→W邸というコース。会社のrunningクラブでは湯河原合宿を行っていたのでこの土地も懐かしいのである。夜までにはまた何人か東京から終結する筈。続報は来週。徒然の記その5 驚くべき癌特効薬・・こうとうすぎ 2018.11.3(土)■紅豆杉(こうとうすぎ)とは? 大腸がんの末期患者がこれを飲み見事に蘇生したという。netで調べると地球最古の植物で中国雲南省の標高4000mの高地に自生しており樹齢は3000年という。これをお茶にしたのが紅豆杉茶である。抗がん物質を含有しており、米国では「タキソール」が、科学培養して合成されている。 これも先週の光同様の免疫療法である。 仕組みはこうである。紅豆杉には、癌細胞にもともと備わっている細胞死プログラム(アポトーシス)を誘発する働きがある。紅豆杉の働きにより癌細胞に栄養補給する経路が遮断され飢餓状態になるという。自然死した癌細胞は患者が持つ貪食細胞(マクロファージ)によって捕食され、自然な体内細胞として癌細胞を除去、減少することができる画期的なメカニズムであるという。こちらは糖尿病にも効果があるという。これもまたすごい。 光免疫治療の場合は癌細胞を焼き切ったが、これは飢餓状態を作るという漢方薬的な効能であろう。三越や高島屋で買えるという。お茶の方は、netでも手にはいるため常備しておいてもよさそうである。溺れる者藁でもつかもうではないか。徒然の記その6 ハローウイン狂騒曲 2018.10.31(水)■渋谷の騒ぎは一体何だったのか? 秩父市や相模原市ではぜったい起こらない騒ぎである。メディアが騒ぎ立てるため、皆が渋谷に集中するのである。TVに映るために。 若者がお酒を飲んで我を忘れる。しかし感心なことに、翌朝は早朝からゴミ拾いで罪滅ぼしをしている。 来年からは、一定の地域で、仮装する人たちを登録制として、胸に背番号を掲載するようにしたらどうだろう。自制できる若者だけが、行列に参加できるようにする。またはマナーを競うようにし表彰するなど。火は消さず、良い形に育てていけないだろうか。せっかく生まれてきた新しい文化に大人が目くじらを立てる前に。徒然の記その7 未就学児童お断り 2018.11.2(金)■コンサートなどで、よく目につくお断りの紋切り型の口上は果たして正しいのだろうか。4歳児でもおとなしく聞ける子供もいれば、10歳でも落ち着きがなく騒ぐ子供もいる。 画一的に線引きするのはおかしい。「未就学児は分かる筈がない」という上から目線なのか、あるいはどうせ大人しく聞いておれないのだから初めから断ってしまえという裁断なのか。 ただクラシックで言うと、40分もの長い曲をじっとして聴ける子供なんてむしろ異常である。楽しい積りで親に付いてきたのに、長い曲で飽きてしまったという場合や、親が嫌がる子供を引き連れて入場してしまった場合にはすでに騒ぐ気配が見えてしまう。また小学生でも、じっとできないため廻りに迷惑をかけてしまい赤恥もので、途中から帰らざるを得ないことに。 鍛錬のつもりで連れてこられたことがトラウマとなり一生音楽嫌いとなる可能性もあり難しい。 そこで考えた。入場は親やこどもの裁量にまかせ、赤ん坊以外は自由に入場できないだろうか。少なくとも4歳以上はOKとしてあげたい。3歳からピアノを弾く子供たちにはできる限り生のコンサートも聴かせてあげたい。家に帰ってきたら聴いた曲を弾き始めたりして。 ガラス張りの親子ルームなんてものは臨場感がでないためむしろ逆効果だろう。幼少の頃から入場できていればマナーも自然と身に付くはずである。(後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Nov 3, 2018
コメント(2)
秋の秩父路、驚異のがん光免疫治療_ story (4365)2018.10.27I catched increduble information from my friend that Japanese doctor developed immunotherapy for cancer diseace by using infrared light .It has already been published in 2012, that's operation is proceeding with clinical trials now. It is so wonderful if it can be realized. 友人から日本人が開発したという驚異のがん近赤外光線免疫治療法について聞く機会があった。調べてみると2012年には公になっていて、今治験を進めているという。実現できれば素晴らしい。■今週の1枚Pomegranates and Persummon(ザクロと柿 2018.10.20(土)) ザクロは10/20(土)に開催された日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の報告会の会場で、真鶴のドクターから戴いたものである。かなり熟成が進んでおり皮がいい形に色づいていた。小さなかわいいザクロも枝にくっついており、ひっくり返してもスケッチしたみた。画面がすこし寂しかったので、庭の柿を添えてみた。紅葉がまだの都会では貴重な色達である。目次徒然の記その1 癌がこの5年で克服されるかもしれない徒然の記その2 快晴の秩父路徒然の記その3 竹の花が咲いた 徒然の記その4 晴れた明王峠徒然の記その1 癌がこの5年で克服されるかもしれない 2018.10.21(日)■衝撃的なニュースが知人の口から発せられた・・近赤外光線免疫治療法が実用化されれば、「癌がこの5年で克服されるかもしれない」と。 開発したのは日本人で、NCI(National Cancer Institute 米国立がん研究所)の小林久隆主任研究員。ノーベル賞級の発明という。眉唾(まゆつば)物かもしれないと斜めに構えて聞いていたがnetで調べてみると、既に2012年のオバマ大統領の演説でも紹介された画期的手法で今世界で注目されている免疫療法の一種だという。 オプジーボよりも安価で、汎用性があり、どの癌にも効き目があるという。しかも癌細胞が数分で消滅し、治療にかかる時間はわずかでその日のうちに退院できてしまうというのだ。 米国ではすでに治験が始まっていて、日本でも国立がんセンター東病院でいよいよ始まるというのだ。癌が転移してても効果があるというのである。その仕組みとは。 癌細胞だけに特異的に結合する抗体を利用する。近赤外線によって化学反応する物質(IR700;フタロシアニンという色素)を静脈注射で体内に入れる。抗体は癌に届いて結合する。そこに近赤外線の光を照射すると、化学反応を起こして癌細胞を破壊する。 波長700nm(ナノメートル)という近赤外線を当てることによって熱が生じ、癌細胞の膜にある抗体に結合した蛋白質を変性させ、細胞膜の機能を失わせるというのだ。ものの1~2分で死滅するというのだ。 癌細胞を直接叩く方法の他に、癌細胞の近くにいて、免疫細胞が癌細胞を攻撃することを邪魔している「免疫制御細胞」の中でも主要な細胞である「制御性T細胞」を叩く方法も特許申請をしているという。 IR700を付けた抗体を「制御性T細胞」に結合させ、近赤外線を当てて壊す。そうすると邪魔者がいなくなるため免疫細胞が活性化して癌細胞を壊す。血流に乗って全身に運ばれるためわずか数時間で転移癌を攻撃し始める。 後者はマウスでの前臨床試験を終わっている。臨床試験の認可はFDAから2014.4に取得し、頭頚部の扁平上皮癌の患者10名を対象に毒性テストを調べるフェーズ1は好成績をもって終了し、30~40人に治療効果を調べるフェーズ2に入っている。 脳腫瘍のような場合にも脳細胞を残したまま癌細胞のみを叩けるので、人格などに深くかかわるとされる脳組織にはまったく影響を与えず治療できるのだという。放射線治療では健康な細胞まで痛めてしまい治療で完治しても瘢痕(はんこん)が残りそのしこりが食道などを詰まらせるのだという。 iPS細胞でも、癌化リスクのある細胞をこの方法で取り除きより安全なiPS細胞を供給することが出来るのだという。 また治療機器は近赤外線発射装置(300万円)だけでよく日帰り治療などのように医療費の軽減にも貢献できるという。 小生は思う。良いことずくめのこの手法であるが、進行癌によくある大きく固い塊の内部まで抗体が届くのは難しいような感じがする。この場合は、手術で取り除いたあと残っている癌細胞を叩くという手法が有効であろう。日本が得意なナノテクノロジーなどを駆使した新たな抗体やいろんな波長の組み合わせなど、この原理を応用した分野の発展が期待される。日本も含め世界ではステージ3の臨床治験に向かっていくという。■まてよ。癌で死ななくなると人間の寿命は? 自然淘汰のチャンスがなくなるためより高齢化社会の到来が予想されるというのはマイナスであろうか。小生が主張している”人生140歳”という時代が到来するかもしれない。それをユートピアと呼ぼうか。 または別の難病が蔓延する機会を与えてしまわないか。適度な運用が望まれるのであろうか。難しい問題であるが、まず5年間待ってみよう。癌で苦しんでいるいる人たちへ。光明を期待しようではないか。 癌で早く死んでいった友よ! あなたより若い人たちが生き続けられる世の中が到来したかもしれない。それによって貴方の無念が晴らされる時が来たのではないかと。徒然の記その2 快晴の秩父路 2018.10.25(木)■晴れが木・金2日間と予想されていたので、空いている日の木曜日、秋の秩父巡礼古道を歩いて見ようと思い立った。目的地まで3時間もかかる行程であるが、このように天気がよいと気分がウキウキする。カミさんはぐっすりとお休みである。8時ころ自力で起きる態勢は整っているので食卓に朝餉を並べて置けばよい。自分でパンを焼き、コーヒーを淹れてもらおう。。 コーヒーは小匙で超大盛の3杯半である。これは瓶を横に置いておけばフィルターにsetするだけでよい。3個ある小瓶の一つを出しておく。いつか小瓶の残りが少なく、新しい袋から3個の小瓶に分けなければいけないタイミングがあった。最後のコーヒーのみをフィルターに注いでおき、追加すべき新しい瓶のコーヒーは自分で注げるように匙を瓶の上にそれらしく置いておいたのにも拘わらず、それをせず薄いままで飲んだようである。 帰ってきてから尋ねると「あらそうだったの?」と。なかなか以心伝心が難しいものである。この日も布団カバーを洗濯機に放り込んでおいて、羽布団の中身を干してもらおうとわざわざ物干し台の上がり框(かまち)に置いておいたのに、「邪魔だわ。」とどけて干していないのだ。あぁ神よ! さて前置きが長くなった。本日の秩父路は「影森駅」に近い26番の円融寺や、次の「浦山口駅」に近い25番の久昌寺や、「白久(しろく)駅」に近い30番の法雲寺とほぼ秩父鉄道を西に行くルートで、終点の三峰口駅までの18kmと、そこから北に16km離れている31番の観音院までの合計34km。まぁ丁度いいrunningの距離である。平坦であれば! 「西武秩父駅」から歩いて秩父鉄道の御花畑(おはなばたけ)駅へ。土日であれば、直接三峰口や長瀞へ行く列車が運行されるのに、平日は不便である。土日は雲泥の差でサービスが行き届く。西武秩父駅からは、17時台に一本(17:05発)横浜・中華街までの直通電車「S-TRAIN」が運行されるという具合に。 秩父鉄道はのんびりしたものでだいたい一時間に一本。線路の土盛が浅いせいか非常に揺れる車輛でワンマン運転、ICカードは使えず駅に着いてもドアは半分しか開かず、駅長が一人で改札をしている。経費を極限までに節約した路線である。 今回はコースがなかなか難しい。荒川を往復したり山を登ったり、江戸巡礼古道を谷筋から藪漕ぎするというおまけまで付いた。もうへとへとである。まずいことに中間地点で、丁度「三峰口駅」という終点駅にさしかかってしまった。正午近くで「駅」を見てしまったため足がstopしてしまった。先へ行こうとしないのだ。確かに観音院までは車道ばかりで簡単ではあるがまだ3時間も走らなければならないということと、2日後に高尾山が控えている。まぁ今回はしぶしぶ足の意見に賛同してここで打ち止めとした。 最近は楽な方へ楽なほうへと考える悪い癖がついてしまっていけない。次回は三峰口からstartと決め紅葉の秩父路を堪能しよう。そこで荒川の橋まで350mを進みスケッチタイムとした。たっぷり時間があったはずなのに13:25の電車は行ってしまった。次は14:37である。本を読み、ひと眠り。 今回の探索を踏まえ、歩き塾での「巡礼路」を決定する。 三峰口駅は、「関東の駅百選」に2005年「SL・モノレールに乗ろうコース」というジャンルで多摩センター駅とともに選ばれた栄えある駅である。 駅前がなんともレトロ。江戸時代の街道筋といった広々とした空間。Weekdayの昼間、通りには3人しか見えない。バス停でしゃがんでいるお婆さんと工事現場の監視員と炎天下の影を追ってトボトボ歩く男性。車も宅配便の車と自販機の詰め替えの車とタクシーの3台だけ。 三峰神社や中津川といった山間に行くバスがここから出ている。この辺りの荒川は道志川と似ていて50m以上の渓谷をなしている。白川橋という大橋を跨ぐと対岸の国道140号線の幹線に出て山梨県へ行くことが出来る。大学オケの秩父合宿の帰りこの道を岐阜県まで帰ったことがる。 荒川で思い出すのは44年前の1974(S49)年9月1日(日)。前日JR奥多摩線の奥多摩駅から雲取山まで登り大雨の中、三峰のキャンプ場で会社の絵画クラブの合宿に合流したその次の日。 多摩川が氾濫したのである。「岸辺のアルバム」というTVドラマにもなったあの決壊事件。荒川上流も例外でなく渡ろうとした橋が濁流に呑み込まれるのではないかと思うぐらいに猛り狂っていたのである。これほど凄まじい川の流れがあったであろうか。何本ものとぐろを巻いた水流は丸太を抱き込みながらゴーゴーと流れ下っていくのである。足がすくむ思いであった。 今は水の少ない荒川である。眼下53mの谷底を流れている。橋の補強工事の作業員は橋脚の下25mを工事していると言っている。橋すれすれに水が流れていた時と比べるとその落差に驚く。濁流の断面積は、高さ50m幅100mの凄まじい水流であったのであろうか。三峰神社から三峰口へ行くバスは当然のように止まったままである。しかたなく川筋の道を三峰口まで歩いた記憶がある。秩父鉄道はその時は動いていたのであろう。現在ほどはどこも止まらず運行していたようでその日のうちに家に辿り着くことができた。帰宅すると、TVでは多摩川が氾濫して家が流されている映像を流しておりびっくり。新婚時代であるがすでに身重のカミさんは編み物でもしながら国立(くにたち)の家で一人留守番をしていたのであろう。どっしり構えて慌てず騒がずのカミさん、その頃から無謀な亭主にあきれ返っていたのである。徒然の記その3 竹の花が咲いた 2018.10.26(金)■ポストに近い黒竹の茂み。白いゴミのようなものが付いていたので見るとそれが竹の花であった。竹の寿命は種類にもよるが数10年~百数10年で、稲に似た花を咲かせて枯れるという。眞だろうか。 今年の新しい竹も、何年も植わっている竹からも一様に白い花が咲いている。来年は新しい竹が芽吹くことはないのであろうか。我が家では44年。そろそろいい時期なのかもしれない。bamboo flower徒然の記その4 晴れた明王峠 2018.10.27(土)■日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会主催のワンデーカミノが雨の予報で前日昼頃中止が決定した。このワンデーカミノへの申し込みが遅すぎて15名の枠に入らず、家の近くだからと途中で遭遇するような出会いを設定して臨む所だったのに。残念である。 今回のワンデーカミノは17kmの陣馬山コースではあるが、確かに朝方9時頃までは小雨であったが!その後晴れてきた。予報がすこし早めにずれたようである。 本来のcaminoであれば雨でも歩かなくてはならない。そのため装備の点検のこともあり決行が望ましいと思うのであるが。まぁ集団行動なので致し方がない。 山梨県、神奈川県、東京都の県境にある峠が三国峠(さんごくとうげ、別名三国山(さんごくさん) 960m。みこくさんと呼ぶ三国山は、静岡県、神奈川県、山梨県にまたがる三国山(みくにさん 1328m)など都道府県の数くらいある。)、陣馬山はそれよりすこし東寄りの東京都と神奈川県との県境にある山で、レーダー画面を見るときはその1点のみを見つめておかなければ決断が狂う。午後は確実に晴れるのでそういう意味でも決行すべきであった。 ”通行人”として集団に絡むためには逆走するか短絡ルートを取って合流するかのどちらかであった。カシミール3Dというアプリを使って行程を予想し、彼らとどこで出会うかを詳細に計算してみたのだ。 彼らのコース(凡例 標高とstartからの距離)は高尾駅北口→バス→陣馬高原下(325)→和田峠(694 3.6km)→陣馬山(857 4.3km)→明王峠(731 6.4km)→堂所山(どうところやま 731 7.7km)→景信山(727 10km)→小仏峠(548 11.4km)→相模湖駅(189 16.6km)であり、水平距離で16.6km、累積高度+1090m、-1216m。予想時間健脚5時間、一般7時間。 みなし距離は16600+1090x10+1216x7=28351m 4km(みなし距離を使う場合は4or5が一般的 )/1Hとして、7時間と踏んだ。もし陣馬高原下を9:40出発したとすると、陣馬山山頂着11:30 昼飯後12:20出発した場合、明王峠を13:30通過と予測。景信山までは比較的平坦な山稜で過ごすことになる。 相模湖から明王峠まで4.3kmという最短コースから正方向で後を追いかけ堂所山(731 7.7km)で出会うというシナリオを考えていたのだ。堂所山(731 7.7km)は山道から見ると高く聳えている山なので巻き道を行く筈である。よってこの山頂あたりから一行の到着を望遠し、巻き道を出たところで、最後尾から50mほど離れて付いていくという作戦であったのだ。今週最大の楽しみを奪われた感じだ。 しかし私は予定通りに出発。本日のルートと実際は、相模湖(200)10:00→明王峠(731 4.3km)11:30→堂所山(どうところやま 731 5.6km)→景信山(727 7.7km)12:30→小仏峠(548 9.3km)13:00→甲州道中(4kmの下りは悪路)→相模湖駅(189 14.5km)14:00。 本日の感想は、明王峠から景信山までは比較的平坦な道で歩きやすい。道は高尾-陣馬縦走コースであるのでよく整備されている。普段は大勢が行き交うのであるが今日はさすがに空いていた。 ハイクの人達を分析してみた。「雨でも予定通り行動する」若者が大半。ロートルは皆無。トレイルランが11/4に開催されるが、縦走路では陣馬-明王峠以外は通らないコース設定が行われており嬉しい。そのための下見のrunnerが何人もいた。彼らは 転倒する前に足を出すというスタンスで、猿のように飛んで行った。た。日中は暑くホームではそれらの人や僕など半袖で十分であった。(後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Oct 27, 2018
コメント(0)
Violaを弾くと鳥が囀る、京都、大阪の旅_ story (4364)2018.10.20I play viola and birds sing a song!I have been traveling to Kyoto, Osaka . It was truly a busy day, but some of my friends worked more vigorously and energetically ,eating a nice dinner at Kitayama's retreat resutaurant in Kyoto previous day , walked around Nakanoshima area in next day. I want to visit frequently in the future.久々に新幹線に乗って京都、大阪を旅してきた。ほんとうに忙しい日であったが、東京からの友のうち何人かは前の日に京都に入り北山の隠れ家で食事をしている。大阪では中之島界隈を散策した模様。時間の使い方ではなんとでも工夫ができる便利な大都市。今後も頻繁に行き来したいものだ。■今週の1枚It rains at Hanzomon of outside of Imperial Palace(雨の桜田濠 2018.9.29(土))半蔵門からの下り坂も好きなスケッチポイントだ。雨が降っていたので傘を差しながら鉛筆画でのスケッチ、その後また皇居一周マラソンを続けた。目次徒然の記その1 オケ分奏練習徒然の記その2 ここを綺麗にしてくれると嬉しいんですが徒然の記その3 Viola Lessonと小鳥 徒然の記その4 歩き塾・・都内近郊シリーズ ロングトレイル大江戸線を行く徒然の記その5 珊瑚の会運営員会徒然の記その6 京都-大阪の旅徒然の記その7 第95回山谷ミニコンサート徒然の記その8 報告会徒然の記その9 TVドラマ徒然の記その1 オケ分奏練習 2018.10.14(日)■弦パートと管打楽器パートが分かれて練習するのを”分奏”と称している。スケジュール表では弦パートの指揮者はSさんと出ている。誰かと思ったら、打楽器のSさんで皆びっくり。打楽器奏者から見た見解をいろいろ聞かせてもらって為になった。やはり楽譜と首っ引きで弾いている様が窺えると。もっと余裕をもってという。周囲をよく聞いてとも。 面白い練習を始めた。Vn1、Vn2、Va、Vcのトップ4人だけで、指揮者に合わせて順番に手をたたいていく。♪で一回。パン、パン、パン、パンと小気味よい音が回っていく。音色も違っているので音楽のようだ。指揮棒は緩急をつけていくのでそれにつれて遅くなったり速くなったりと。音の強弱も合わせていく。先生から教わった方法であるという。一人だけ大きな音だとX。相手を聞きながらも自分も鳴らしと。なかなかの脳トレになる。こういう練習を全員ですればよいのかもしれない。「歩き塾」でもやってみよう。絶対うまくいかない事が予測され抱腹絶倒となろう。徒然の記その2 ここを綺麗にしてくれると嬉しいんですが・・ 2018.10.15(月)■メールなどでよく書く「○○してくれると嬉しい。」は、婉曲に、「○○してください。」と言っているのだが、決して強要ではなく、「もし○○してくれたら」という婉曲的な勧誘を指す。 台所のステンレスなど毎回ピカピカに磨きたてている現場をカミさんが通り過ぎようとした。飲み薬の小さなプラスティック屑を捨てに来たのだ。その時一言「あら、ピカピカにしているのね。上の台も綺麗にしてくれると嬉しいわ!」。 他人行儀での婉曲的督促である。僕だけが知っているのだ。普段何を言いたいのかを。おそらく言いたいことがいっぱい頭に詰まっているはずである。その場所にくると、決まって言うことが。庭では「高くなったクヌギ。台風で折れるかもしれないわ。半分に切ってくれると嬉しいけど肋骨でも折られたら困るから庭師に頼もうかしら。」「黒金モチの木も、シュロ4本も、杉も同じく。みんな切ってしまいたいのよ。」「玄関の黒竹なんぞ全部無くしてしまいたいくらいよ。」「裏に積み上げた枝を片付けてくれないかしら。」・・・・ 大体において、庭のジャングルは、当初目隠しが欲しいというので植えたものや、鳥が運んできた種から生えたものであり、当方に責任はないのであるが、植物と言うものは放っておいてもどんどん成長するものなのだ。 北を掃除している間に、南が育ち、東を片付けている間、西が茂りと、目の回る忙しさなのである。稗(ひえ)つきバッタのように飛び跳ねながら仕事をこなしている昨今。 忙しさにかまけ、歩き塾では坂道プロフィールを示さなかったため、「これが最後の登りです。(「ここが一番の標高です。」という言うべきであった。今後「これが最後の・・」は禁句とする。)」と言ったがために、舌の根も乾かないうちに、また登りがやってきたといっては頭に来たと言って女性陣から怒られ。一体私はどこに行けばよいのか。徒然の記その3 Viola Lessonと小鳥 2018.10.16(火)■わが祖国のLesson・・運指(指使い)の確認・・相当直される。しかもあまり楽譜に書き込むなと。頭で考えろ と言う。本人かなりボケが進んでいるので書かないと覚えられないのであるが。Cis,C,Cis,H,C,Cis,A,C,Cis 4,3,4,1,2,4,1,3,4・・ほとんど半音階であるがうまくいかない。これで1時間。なんとしたことか。3連符の連続から普通の16分音符♬連続に切り替わるところが、スパッと切り替わらず垂みがあると。Sf(スフォルツァンド;その音だけ特に強く)がなっていない。音符分延ばせと。貴方のはアクセントになっておりギャッと弾くだけで音が鳴っていないと。 音程は頭でイメージしそーっとその音に指をもっていくような感じで。3点位置決めや、第3ポジションに上がるときは、手がViolaケースに当たる場所を第3ポジションとする。これ常識。な、なんと次第に要求が増えてきた。問題山積である。今日中に家で練習することという厳命を受け帰ってから21:00までおさらい。これをやり続けなくてはならないのだ! 日中、家での練習で面白い。オナガやその他の小鳥たちがクヌギの枝や黒金モチの木に止まりながら、Violaに合わせて合唱することだ。Violaを弾くまでは何も鳴かないのに、弾き始めると、皆が寄ってきてピーチクパーチク鳴く。音色に合わせて囀るように聞こえる。文句を言っているのかしら? なかなか楽しいものである。そうだ、音楽は楽しくやらねば意味がない。 無限の可能性、伸びしろがある、というように前向きにとらえ切磋琢磨しなければと考える。徒然の記その4 歩き塾・・都内近郊シリーズ ロングトレイル大江戸線を行く 2018.10.17(水)■そもそも大江戸線は42kmもある長大な都営の地下鉄である。リニアモーター方式の最新式車輛は床が低く、小さなトイネルで済むところから、掘りすぎて深く長くなったのではないかと推察する。 しかもややこしい。光が丘→都庁前→六本木・大門方向、都庁前→両国方向。ネクタイのように「都庁前」に結び目があるので、行く方角によって乗り換えないといけない。 その真上を歩こうと企画したのはわがCEO。小生は光が丘から始めて、先日2回のrunningで全コースを制覇している。「歩く」には余りに長いため、3回に区切って都心を満喫しつつゆっくり歩きたいと思いその第1回目を実施した。コースは都庁前から反時計回りで国立競技場前、六本木、麻布十番などを経由して門前仲町に至る15km。豊洲市場に引っ越したばかのりの築地跡地も通過する。小田急の「開かずの踏切」は、小田急ホテルセンチュリーサザンから階段を上りう回路を行くように新しくコース取りを行った。しかしこれは失敗、余りに高い階段の上り下りで、踏切を渡った方が楽だった。築地場外市場でランチ。門仲の15:00というのは、もんじゃ焼きの店がどこも閉まっているという時間。残念!■新宿までの経路 小田急が複々線となったので、通勤の流れが変わった・・京王相模原線の橋本から新宿へ向かう通勤客がどっと多摩センターで小田急に乗り換えている。小田急の方が1,2分早いのだ。そこで小生も倣って多摩センターで小田急多摩線急行に乗り換えてみた。どうせなら先頭車両で、線路をみながら旅を楽しみたい。そこで驚いた。登戸付近から見る複々線の面白さ。横を「鈍行」がごいスピードで走っている。ほぼ急行並みである。前には鈍行しか走っていないので路線上のすべての電車を高速化できているのだ。メトロやJRの車両までが走っているのである。これらは代々木上原から綾瀬や我孫子に向かう。スループットの良さに感心する。複雑なレールの分岐やポイント切り替えを見ていると飽きない。鉄道オタクになった気分である。立ちっぱなしでも先頭車両は愉快である。徒然の記その5 珊瑚の会運営員会 2018.10.17(水)■年1,2回でよかったはずの運営員会が事情により9月に次いで10月も行われることとなり歩き塾を終わって駆け付けた。次回に演奏する曲について再度熟慮しようという。そもそも楽器編成や過去に何をやったかのデータベースがない状態での議論は無駄が多い。作曲家の交響曲やピアノ協奏曲の楽器編成や演奏時間のリストは予め作っておくべきではないかと。 そこでハイドン、ベートヴェン、モーツァルト、シューベルトなどの曲、150曲くらいをざっとExcelで表にし運営委員長に送っておいたのだ。今日はその表を使って、演奏曲目を決めるという。時間があったので、浜松国際ピアノコンクールでファイナリストが弾く可能性のあるピアノ協奏曲全曲もリストアップしておいた。これは配らない。すべてにトロンボーンやチューバーが出てくるので「珊瑚の会」には向かない曲たちである。 遅れて到着したら曲目は決まっていた。6回の練習でおよそ1年半で仕上げるという。来年の2月から始めて2020年の5月が仕上げの時期となる。作成した表は活用され嬉しかった。徒然の記その6 京都-大阪の旅 2018.10.18(木)■この日は3つ用事があった。自分ながら笑えてくる。カミさんだったら絶対こんなには詰め込まないだろうと。京都・大阪の旅・・1 9:00am頃~ 京都清水寺上にあるの東山浄苑へ両親の墓参り2 11:15am頃~ 大阪豊中市内の友人宅の仏前供養3 12:30pm頃~ 大阪城 KKRホテルオークラでの高校同期会受付■計画・・京都駅到着は8:30京都駅から清水寺上東山浄苑までは4.8km。開苑時間9:00、ここはTaxiで登苑。東山浄苑から四条河原町までは5.2km。ここは速歩で山を下りる。四条河原町から豊中市内までは阪急で1時間。最寄り駅から友人宅までは600m 忍者走りで5分。■実際・・京都駅8:30 taxi →8:50 東山浄苑 9:05→徒歩(ほぼrunning)5.2km→(清水寺→三年(産寧)坂→二年(二寧)坂→八坂神社→祇園→南座→四条大橋 経由)→四条河原町 着9:52 四条河原町発10:00→豊中 市内10:56■お墓参り途中観光客でごったがえす清水寺を通過するのに失敗。いつもと違って「舞台」側から行ったために更に抵抗を受ける形に。朝9時を回ったばかりなのに続々と清水寺に向って登ってくる何千人も修学旅行生徒や観光客。ここから通勤しているような人は毎日大変であろうと同情した。■故人宅へ友人宅では奥さんと少し会話。2017.4.11に大腸癌でお亡くなりになっている。末期癌であったが最後の2ケ月くらいまで精力的にボランティアや教育活動出来ていたのだと。驚異的な精神力である。それを聞いて逆に嬉しかった。その奥様にスマホの操作を少しお教えしたり。ただ長居は出来ない。半時ほどで辞する。故人が読んでいた本が積んであった。どうぞという。いくつかを選び送ってもらうことにした。■同窓会会場へ豊中11:47 →阪急 12:03梅田 大阪12:15 → 環状線12:27 森ノ宮→700m→KKRホテルオークラ大阪 12:30 受付開始時間 Just in time 東京からも続々と同窓生が集結。大阪勢や全国からの参加者は80名ほどか。談笑の中でここで驚きの展開 小生が管理人を務めているHP「大手前高校三八会(東京)」を多くの大阪人が認知し見てくれていたことだ。そのHPから親睦のページへと個人のページを辿り小生の絵日記blogやヨーロッパ旅便りを見てくれている人もいた。同窓会のHPを知らなかったという人もままあったがそういう人達には宣伝する機会を得たということで大いに励みになる。今日の写真の内幹事が撮った写真はすでにSDメモリーで貰っているので即作業が出来る。今日の勢いのまま即日処理をしてしまったほうが効率がよいのだ。クラス50人で8組なので総勢400人の同窓生のうち物故者は62名( 16%)このうち15名がここ2年間で亡くなっている。 家業を継いで、まだ現役という人も多く頭が下がる。能楽堂で下足番のアルバイトをしながら上方演芸全般に知己を得、招待状まで届くというこの人はS52(1977.3.4 19:22 )ルーマニアで大地震に逢っている。ちょうどアパートのエレベータを降りようと足を一歩踏み出したタイミングでM7.2の揺れに逢ったと生々しく語る。家庭料理を教えて50年という女性、油絵を習っていたが最近抽象画に転向したという女性、人物画が京都の料亭で飾られているという人など。皆活発に活動。根掘り葉掘り聞いた結果かも知らないが絵を描いている人が結構いて驚くほどだ。 16:30ころ二次会を中座をしつつ東京への帰路についた。大阪での同窓生は、3年生のクラスで1組から当番を順繰りに引き継ぎ16年経った今年で終わりとするが、会長が立ち上がってアンケートを始めた。今後もやっていきたいと思うかと。全員元気に手を挙げる。誰かが次回(2年後)からは文科系クラス+理科系クラスの2組で幹事を引き継いだらどうだろうかと。少なくとも80歳リミットまで続けようではないかと。もし1組(文科系)+5組(理科系)という2クラスが幹事ということになれば5組だった小生の番ともなる。■ライバル大阪府立のK(北野)高校と O(大手前)高校 スポーツ交流は現在でも続いている。淀川を挟んで対峙している形であるが近年富に差が付いてきたのはT大医学部現役合格者数。全国トップレベルなのである。K高校が抜きん出ているのだ。 小学校からの悪友が言うことには鉄道沿線の違いではないかと。K高校は阪神電車、阪急電車・神戸線・宝塚線・京都線を学区に。一方 我がO高校は京阪線や環状線、片町線や地元上町台地という庶民、商業エリアが学区に。 教育レベルでは淀川以北である阪急沿線が格段に高いのではないかと。 まぁ関西の場合は地域がコンパクトなので考察が単純だ。これを東京で考えるとすると広すぎてまたは薄まりすぎて路線による差異をつけるのは至難の業である。 関西と関東の決定的違いはこうした地域性ではないかと。関西のほうがコンパクトであるが故に分かりやすく味わい深い。関東は広すぎるが故に平準化されすぎて面白くなくなっているのではと。敢えて言うなら中央線、山手線内側、田園都市線に集まっているのではないだろうか優秀な高校生が。 徒然の記その7 第95回山谷ミニコンサート 2018.10.19(金)■第95回山谷ミニコンサートが「 神の愛の宣教者教会」台東区日本堤2丁目の集会所で2ヶ月振りに開催された。 今日のSolo曲はVc「波濤を越えて」、Vn「365日の紙飛行機」の演奏。続いて合唱(ナツメロ・唱歌等 )は、「村祭、月の沙漠、わたしをお使い下さい、学生時代、小指の想い出、好きになった人、ブルー・ライト・ヨコハマ、ガラスの林檎、愛人、365歩のマーチ」 秋にまつわる曲が集めらている。太字がViolaで伴奏をする曲である。「わたしをお使い下さい」は2回目がカルテット演奏になるが、歌い手がそれだけ減るため歌声が小さくなった。 次第に100回演奏会(2019.4の予定)が近づいてきた。2010年3月から続いてきたこのミニコンサート。ささやかな火は消さずボランティアを続けたいものである。楽譜係の主宰者は大変であろうが気力で頑張ってほしい。 反省会は、南千住の行きつけのカレー屋へ。ここのナンがなんと言っても美味しいのである。巨大なナンをちぎっては食べ、汗をかきながら完食も、さらなるナンを貰っておなか満腹。辛さを「3辛」にしたため鼻から湯気が出てくる。早くホットチャイを持って来てくだちゃい!とダジャレを言ったが苦笑を買ってしまった。ある人は用意よろしくビニールの袋をカバンから取り出し余ったいやまるまる一枚のナンをお土産にもって帰る。冷凍して温めて食べるとまた美味しいのだという。毎月のカレーが定着してきたようだ。徒然の記その8 報告会 2018.10.20(土)■日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の報告会が下北沢で10:30受付であるというので、馳せ参じた。6件の発表者で、午前~午後とお昼を跨いでの発表会。すごいものだ。caminoを旅する人がどっと増えたこともあろう。・フランス人の道自転車巡礼・・60台男性・スペイン巡礼1500km50日の旅・・同。ル・ピュイからサンティアゴまでの全コース・巡礼者は幸いである・・30歳の女性・・現地で出会った友人が九州からも駆けつけていた。・フランス人の道制覇を目指して・・50歳台男性でこちらも自転車・ムシアの岬に着くまでの6年間について・・20台の男性・・会社を辞めてcaminoへ。就活は成功して次の職が決まっているという。・桜美林大学のプロジェクトを説明。大学3年生の2人の男女 「ミニ地球」というテーマで2、3月を歩いている。2年前から学生主体でサンティアゴ巡礼を行っているという。単位は出ない。なぜ行くのか 自分を変えたいとの思い。その経験を繋ぎたいという。リーダー2名が選考した学生11名を率い教員1人の総勢13人。若い人の発表が3件もあり素晴らしい。学生までもが春休みを利用したりしてcaminoを経験している。素晴らしいことではないか!徒然の記その9 TVドラマ 2018.10.15(月)■秋ドラマ・・・大変なことになった。もう見るまい と思ったTV番組。面白そうな番組が目白押しなのである。困ったことになった。日曜日:TBS 9pm-下町ロケット(原作池井戸潤 阿部寛、土屋太鳳、吉川晃司、杉良太郎、初回から傑作。ボーリング場でのクシャミが面白かった。)月曜日:フジ9pm-*SUITS/スーツ(織田裕二、中島裕翔)、TV東京10pm-*ハラスメントゲーム(唐沢寿明)火曜日:フジ9pm-僕らは奇跡でできている(高橋一生、榮倉奈々 初回はウサギと亀の物語が出てくきてビックリ。)水曜日:日テレ10pm-獣になれない私たち(新垣結衣、松田龍平)木曜日:朝日9pm-*リーガルV~元弁護士小鳥遊(たかなし)翔子(米倉涼子、向井理、高橋秀樹)、フジ10pm-黄昏流星群(佐々木蔵之介、中山美穂、黒木瞳)金曜日:TBS10pm-大恋愛~僕を忘れる君と(戸田恵梨香、ムロツヨシ、松岡昌宏(まさひろ TOKIO))、TV東京11:45pm-忘却のサチコ(高畑充希)土曜日:日テレ10pm-ドロ刑ー警視庁捜査三課(中島健人、遠藤憲一)太字のドラマ(*)3つではドラマで弁護士が活躍する。 春から夏番組にかけて彗星の如く現れた佐藤健(たける;もっとも映画「るろうに剣心」シリーズで主人公を務めている。)、ものすごい人気だ。 NHK連続テレビ小説『半分、青い。』での青年・萩尾律、連続ドラマ:ギボムス(『義母と娘のブルース』)の奇想天外な麦田章。 昨日10/19公開の映画『億男(Million Dollar Man)』の冴えない司書 一男。ギボムスのパン屋「麦田章」が佐藤健であったとは。「律」と真逆なキャラクターながら、どっかで見たと人物では思っていたが不覚であった。(HP)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。)http://turbo717.ciao.jp
Oct 20, 2018
コメント(0)
遥かな友に_ story (4364)2018.10.13I visited the Doshigawa(道志川) Valley in Kamagawa Pref.. There was the stone monument of song "Harukanatomoni". That place was Meotoen(夫婦園)-garden camp down the cliff of about 150 m from National road 412.The river surface reflected the green layer of the mountains, and was flowing fleshly. The sound of water is also the sound of life and is babble, but somehow it calms down and solencre.Hold silence 道志川渓谷へ、ある歌の石碑があるというので訪ねた。そこは150mほどの断崖を下ったところにあった。川面は、山肌の緑の層を映し、楚々と流れていた。水の音は生命の音でもあり騒がしいがなぜか落ち着く。静寂の自然を独り占め。■今週の1枚It rains at Chidorigafuchi of outside of Imperial Palace(雨降る千鳥ヶ淵交差点 2018.9.29(土))雨の日に皇居一周を走った。途中千鳥ヶ淵交差点でスケッチ。傘を出し、鉛筆を取り出しと結構忙しい。割り箸画として仕上げた。雨で路面がぬれる感じや、モノトーンの秋雨の景色は、墨汁で描く割り箸画が似合っているかもわからない。絵は、土曜日の午後3時40分といった空間を切り取った感じとなった。目次徒然の記その1 大学オケ同期会徒然の記その2 歌碑「遥かな友に」を訪ねるrun徒然の記その3 光州市立交響楽団日本公演 徒然の記その4 歩き塾 秩父観音巡礼 その2徒然の記その5 Windows10へのup徒然の記その6 夜の運転 徒然の記その1 大学オケ同期会 2018.10.8(月)■S44卒の大学オケメンバー30人のうち12名が集まった。その他に頻繁に会っている人が居るので、かなり消息が取れているということになる。物故者は3人。生き残りはかなりの割合で音楽活動を続けている。 獅子会と名付けられたオケの同期会の集いは、2016年の浜離宮、2017年の汐留(シティーセンタービル42階の寿司屋「えん」)に続いて、3回目。今年は大学近辺の「リーガロイヤルホテル東京(戸塚町一丁目)」と立派な会場である。中国料理の「皇家龍鳳(こうかりゅうほう)」。 其処へいそいそと出かけたわけであるが、せっかく外出するのであるから近所を見て廻ろうと、大学に行っているときでも通ったことのない道をGoogleMapは経路として最短コースを推奨してくれた。1.9kmのコースである。 高田馬場から神田川沿いを歩き、都電荒川線の通り(新目白通り)に出て、途中甘泉園(かんせんえん)公園で一服しつつ、都電の終点「早稲田」経由でホテルに到達するというものである。有名どころでは途中「面影橋」という交差点を渡る。小高い丘には関口芭蕉庵、椿山荘があり、なかなかの名所めぐりである。この散策でひらめいたのは「歩き塾」で「神田川を下る」というのも面白いテーマではないかと。 隅田川に注ぐ一歩前にある柳橋は当方のスケッチ上の定点ViewPointになっていることもあり井の頭公園からは25.7kmの散策となろうか。2,3回にわけて優しく、ルートを設定してみよう。■神田川・・井の頭公園を源とし、中野区方南町で善福寺川、下落合で妙正寺川と合流し、早稲田、飯田橋、御茶ノ水、浅草橋を経て隅田川に至る。都心を流れる川であるのにも拘わらず全区間で開渠である珍しい河川でもある。散策路としては、高田馬場駅のガード下付近を除いてはだいたい両側で確保できそう。海抜50mから0mにかけてのゆるい下りとなる道。 前置きが長くなった。12:00の集合に向け、高田馬場駅からのシャトルバスで、或いはそれに間に合わずTaxiで、或いは王子から都電でと、みんなそれぞれの手段で集まってくる。今回は社会科学部の教授であったVnのH氏も参加。名古屋からは蟹江吹奏楽団を率いて来年50年になるというクラリネットのS氏なども昨年に続き参加。丸いテーブル2卓という感じであったが、相互交流しあって談笑が続く。 昨年も話題になったPSA検査(prostate specific antigen(前立腺特異抗原):前立腺から分泌されるPSAタンパクという物質が血液中にどれだけ存在するかを測定 正常値は0.1ng/mL以下)を行うべしと。 男性の場合血液検査に加えて+2000円の追加費用で済むので全員受けた方がよいであろうとのこと。マラソンでも病院を避けて通る小生にとっては耳が痛い。 前立腺がん摘出から15年たった男性は今でも女性ホルモンを3ヶ月に一回注射されているというがもうそろそろ止めることができるかもという、保険が7割適用されるため自己負担毎回3万円。この15年で180万円もかかったことになる。生命維持としては安かったのかもしれない。turbo717にしてみればこれだけあれば海外旅行などとすぐ計算してしまうのだが。 個室は予約の関係で取れなかったというので、次回は同じ場所とし、日程と幹事を決めて来年の予約を早々と済ませ個室を確保。大隈庭園を借景として建っているホテルなので個室であれば最高であろう。もう来年が楽しみである。15:00頃散会。放課後は学内散策。■学内散策・・8日は祝日の月曜日であったが、休みではなく授業があったようで構内には沢山の学生が居た。月曜日があまりにも祝日や振り替え休日が多いため授業のコマ数確保(だいたい15コマ)のために休みにできないという事情があるのだ。小生が教員時代もそうであった。 H先生の研究室があった14号館や、坪内博士記念演劇博物館(雑誌『早稲田文学』の成立に貢献した英文学者坪内逍遥(1859-1935)の古稀と、彼の1909年(明治42年)から19年間の歳月をかけた『シェークスピヤ全集』全40巻の翻訳事業の完成を記念して、1928年(昭和3年)10月に早稲田大学早稲田キャンパス内に設立された。 )を見学したのち、戸山キャンパス(文学部)へ。 記念会堂やその裏のグランドがあった箇所は、創立150年記念事業で建設中の多機能型スポーツアリーナが建設中であった。五輪会場候補とも言われたが残念ながら間に合わなかったようである。正面の”国連ビル”と言われた高い建物は今はなく、16階立てのスリムな33号館ビルが聳えるのみ。 歴史は3回転くらいして変遷している。昔の建物は全く残ってない感じである。グランド脇にあった音楽長屋にはモダン・ジャズ研究会の部室がありタモリが通っていたが。おそらく30号館(学生会館)のビルの土台となったのであろう、跡形もなかった。文学部サークルの個室が連なり、交響楽団の部屋はB133号であった。 そこは楽器置き場として使われているようだ。ドアはあけ放たれ、学生たちが出入りしていた。ドアには大きくコンサートのポスターが貼ってあった。管の学生たちは廊下で練習していた。トランペットを吹いていた女性に聞くと、3年生だという。同じ楽器の部員は20名ほどで、総勢200名のオケであるという。ドイツへの演奏旅行はと尋ねると2021年であるらしい。大学院学生は参加せず学部生で構成するという。今は2月の公演に向けて練習しているという。地下にあっても楽器の積み下ろしが便利なようにスロープの出口に近い場所のようであった。総合練習は別の場所らしい。 いやあ後輩の練習する現場に初めて足を踏み入れたというわけだ。三味線を弾いているのは別の部活という。音がすごい。昔は狭い部屋に3,40人がぎっしり入って練習していたものである。 楽器運びが頻繁にあるため力仕事も多く、音楽部でありながら体育会系的な要素も必要とした時代である。殆ど授業に出ず楽器を吹いていた諸先輩。そのままプロになった人も多く、すべてが懐かしい。■学生時代の話で誰かがポツリと「真鶴」という懐かしい合宿の場所を口ずさんだ。当時は春は真鶴、夏は八千穂村へと合宿を行っていたのだ。その真鶴の合宿場所からは、目の前に熱海の街並みがあり夜はネオンが煌めいていたという。GoogleMapを見せると場所を特定してくれた。 半島の幹線道路から中に入り、崖の方に下っていくのだという。真鶴ボートハウスの角を海寄りに入り、「入窪」の方向へ曲がったあたりであろうか。かっては横浜YMCAのキャンプ地であったらしいが、早い時期に取り壊されて今は無いというが今度訪ねてみよう。 このあたりをnetで調べると、最近、十字架を訪ねるツアーというのが実施されている。「入窪」から海辺方向に降り立った「浮根」という浜辺の石切り場跡に十字架が彫られているというのである。真鶴へは九州のキリシタン大名の石材船が往来していたとする説もあり、近くにもう一つ彫られている小型の十字架もあって興味がそそられる。■甘泉園(かんせんえん)公園・・東京都新宿区西早稲田にある新宿区立の公園。元々当地は徳川御三卿(ごさんきょう:田安家、一橋家、清水家)の一つ、清水家の下屋敷があったところで、当公園は屋敷にあった回遊式の大名庭園であった。当地から湧き出ていた湧き水がお茶に適して評判であったことから、「甘泉園」と呼ばれ。明治時代には相馬子爵家の邸宅になったが、昭和13年に近隣にある早稲田大学の施設となった。戦後は東京都に売却されて都立公園となったが、1969(S44)年に新宿区の管轄となって現在に至る。 当方が大学を卒業したS44(上記獅子会の由来)に区立の公園となったのである。今のいままで通りもしなかった公園を今回初めて散策できたことは収穫である。徒然の記その2 歌碑「遥かな友に」を訪ねるrun 2018.10.10(水)■ボーニジャックスがレコーディングし、2年後にはNHKみんなの歌で取り上げられて以来、日本中でいや世界中で歌われている歌「遥かな友に」を記念する歌碑が誕生の地、道志川渓谷の「夫婦園(めおとえん)」や、さらに毎年音楽祭が開かれているという青根キャンプ場・緑の休暇村にあるというので、歌碑巡りrunningを企てた。 9月に行けば良かったのであるが、折しも台風24号の影響を受け、現在道志みち(国道413号)は封鎖されているというのでその実情もさぐりにJR藤野駅から道志川まで12km南下するルートを選んだ。 道志渓谷は丹沢の北に位置し、深い谷筋を形成する。相模川の流域とは違って深山幽谷の地で山々が折り重なる場所にある。中央道を避けて山中湖に抜ける唯一の道で通過する車両も結構多い場所であるが現在は迂回ルートのみ通行可能。藤野から南下し、青根で折れて西に行くルートのみが利用できる。行きたい場所は、青根から東の方向である。交通が遮断している場所にあるため諦めてUターンしなければならないリスクを抱えてのrunningとなった。 もう少し後になると広葉樹林帯の山々であるので紅葉が美しいだろう。谷は150m-200mの深さがあり、その上を県道なり国道なりが通っていて生活道路となっている。等高線の高い場所に建設された車道からは遥か下に流れる川は見えない。沢筋はすべて橋が架けられ、稜線にはトンネルが穿かかれ山また山という景観。この沢筋の一本が今回の大雨でやられたのだ。急峻な沢筋を流れ下った土石流は国道と県道の両方を呑み込んだ。青根に住む沢山の住人は現在は川の左岸を大回りするう回路のみで生活をしなければならない。 さてそのような状況であることはnetでは伺えない。あまり詳しく伝えていないのが実情である。どんな様子なのかをreportするためには現地に入ったと言えばかっこがよいがただ石碑を見たいという一心でrunningに及んだ次第だ。 道志川谷底にある奥津久井ダム高さ38mもあり青々とした淵に向けて真っ白い放流が怒涛のような音をたててを流れ下っていた。吸い込まれるような水の勢いである。ダムの反対側の水面はそれとは知らず悠長に流木などと戯れている感じでそのギャップがなかなか面白い。潜水夫であろうかゴム水着に身を固めた人が堰堤を歩いて来た。工事の車が2台止まれるスペース以外は県道には空きがない。こうして歩行者以外はダムをゆっくり鑑賞できないのである。このダムを越えたあたりにあるキャンプ場が、青根の緑の休暇村で今回の目的地の一つである。なかに「いやしの湯」という名湯がある。500万年前の結晶・固化した石英閃緑岩の裂け目に沿って、長い年月をかけ涵養された最高の天然温泉が湧き出てくる。 歌碑があって、楽譜まで彫ってあった。男声4部(Tenor1,2,Baritone,Bass)。スケッチブックに五線紙を書き、写譜したり写真を撮ったりと忙しい。来年の研究室の集まりで皆で歌うためには詳細な譜面が欲しかったのである。今回のrunningの目的の一つが叶えられた。 問題はそのあと。対岸から見えていた巨大なクレーンは国道413号を補修していたのであろう。場所的には青根から東の方向になる。ここから3km東にある「夫婦園(めおとえん)」に行きたいのであるが。そこが真の「遥かな友に」の発祥の土地であるのだ。行かねばならぬ!止めてくれるなおっかさん。 要所要所に警備員が張り付き手をあげて阻止しようとする。「あのぅ、「遥かな友に」の歌碑を見るだけなのです、夫婦園まで行かせてください。すぐ戻ってきますので。」と。 まぁ 物見遊山で工事現場を見るというのではなくちゃんと目的をもっているのだ。しかも時間限定で。交渉の結果「歩行者はよろしい。」ということになり第一関門を通過。2本ある道でも県道のほうは泥は片付けられて綺麗になりつつある。トラックの運ちゃんが”X”のジェスチャー。今まで歩行者を通したことがなかったのだろう。事情を説明するとOKに。 トンネルの手前でも制止されるが、事情を言い帰りは藤野に向かいたいというと、その先を「伏馬田」から藤野に抜けるルートがあるので立っている警備員に聞けとこちらは前向きな応答である。 夫婦園の降り口で一台の軽自動車が止まった。ほとんどそれで道が塞がれた状態である。路肩を進んでいると車からノコギリを持って人が出てきた。邪魔になった木を切るのであろう。「どこに行くのか」と尋ねるで「歌碑」を見に行くのだというと、それは私の家の前にあるという。キャンプ場の主であった。 本来なら旧道から山道を行く予定であったのに、予想した通り途中で藪こぎの道となり竹が折り重なる道となってしまった。10年は人が通ったことのない様子である。無理に突破するのを避け、一旦は国道へ上がりかなり遠回りにをして夫婦園の入り口へ。 夫婦園には大きな看板が挙げられていた、歌が出来た顛末を記したものだ。宿の宝となっているのであろう。キャンプ場になっているので河原近くには炊飯の施設などがあり、折り重なって増設を繰り返してきた山小屋風の建物の前の小さな広場。池のほとりに立派な石碑が建っていた。青い水を湛(たた)えた淵や谷筋からの水流など常に水の流れるる音がこだまする。そこでしばし休息。スケッチを一枚仕上げてきた。 さて、150mの崖道を戻り国道へ。青野から、はるか先の西野々という地点までは地元民だけの通行であったようで、そこにも警備員が立っていた。東京方面からくるすべての車はここで制止される。亀見橋まで下り、「伏馬田」から藤野へ回るか、途中の菅井という場所から青根まで南下し、山中湖に向かうかの選択肢か、Uターンするしかないのである。 まぁこういうわけで、藤野から来た道を再度通ることもなく、道志川に沿って東の方向に帰ることが出来た。要するに崩落個所は一か所でそれが、新道から旧道にかけて谷筋を下り落ちたものだから2本同時に通行止めとなってっしまったという次第。 県の災害情報では、そこまで書かないし、神奈中の路線情報でも「三55(三ヶ木~東野)」、「三56(三ヶ木~月夜野」の2路線で、西野々以西が通行できないという報告のみで要領を得ない。 開通までに相当日数がかかるかもわからないが、旧道のほうは小生が通れたくらいに復旧が進んでいる。その道を使いながら片肺運用を行うのではないだろうか。この地区の方はいましばらくの辛抱である。■今回のコースJR藤野駅→(run)→藤野芸術の家→やまなみ温泉→菅井→奥津久井湖(道志ダム)→緑の休暇村(楽譜付きの歌碑)→国道側の平丸トンネルは修復中、県道側の道は(歩行のみ)通れる状態→夫婦園(めおとえん)→青野原→run→三ケ木→(バス)→浄水場→run→自宅 計30km。■磯部 俶(とし 1917-1998)・・「遥かな友に」を作詞・作曲した磯部は、東京都大田区大森生まれ。W大グリークラブOB、指導者。男声カルテット「ボニージャックス(1958年結成)」の名付け親である。■「遥かな友に」の誕生の経由:W大グリークラブはS24,25,26の3年間、夏10日、秋5日の合宿を道志川渓谷の夫婦園キャンプ場で行っていた。このクラブのOBでありかつ指導者であった磯部が、メンバーと共に神奈川県の道志川沿いの津久井渓谷(現:相模原市緑区)の夫婦園で夏合宿をしていた時、なかなか寝ない部員たちを鎮めるために即興でつくった曲である。「静かな夜更けに いつもいつも 思いー出すのはおまえーのこと おやすーみやすらかに たどれー夢路 おやーすみ楽しく こよいーもまーた、 明るい星の夜は 遥かな空に 〃 寂しい雪の夜は いろりのはたで 〃 」「合唱の碑」には”渓流の音に耳を澄ませながら静かに友を想うやさしい心がこの歌の主題になっている。道志川のせせらぎの中から生まれたこの歌が、今では日本中といわず世界中の合唱愛好者に歌われ親しまれている。この「遥かな友に」を愛するひとびとの誠意が実って「合唱の碑」をこの地に建てることとなった。S61(1986)盛夏・・発起人一同、世話人一同、全国の賛同者一同”と刻まれ、ボーニジャックスの当時の4名の名(西脇久夫(Top tenor)、大町正人(second tenor(2003年からは吉田秀行))、鹿島武臣(baritone、玉田元康(Bass))を記して尽力を讃えている。 1982年、津久井町(現:相模原市)でボニージャックス公演が開かれたとき、地元に呼びかけ、早稲田大学グリークラブのOBらも協力して、1986年7月13日に「遥かな友に」の詩碑が建てられた。running route徒然の記その3 韓国 光州市立交響楽団日本公演 2018 2018.10.12(金)■パルテノン多摩 大ホールでの公演に車で出かけた。18:50 滑り込みセーフ。市民オケの方からタダ券をもらっていたのでかけ参じた次第。なかなかの名演、フルートの女性がうまかった。指揮者の金 洪才さんとは、2001年の第九、2016年の第74回定演(サン=サーンス:交響曲 第3番 ハ短調 「オルガン付」他)で市民オケを振ってもらっている関係。指揮:金 洪才(Kim Hong-Je キム・ホンジェ)、Piano:近藤 嘉宏、管弦楽:光州市立交響楽団金 大城(Kim Dae-seong キム・デソン):交響詩《民主》ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 作品88 他アンコールはイムジン河(1978 管弦楽用に金 洪才が編曲。1978年に「朝鮮管弦楽集」で日本初演。1987年京都市交響楽団が訪朝公演で披露)交響詩《民主》は、1980.5.18の民主化運動で戒厳軍と市民の衝突を描いた作品で非常に劇的な展開で感動。ラフマニノフのピアノ協奏曲はいつものことながらPianoが聞えない。一つのパートとして存在するような音の効果もあろうか。他のPiano協奏曲とは一線を画する。ドヴォルザーク:交響曲第8番は美しいメロディーのオンパレードである。お昼寝の足りなかったカミさんはついに寝ないで聴きとおした。それほどすごい演奏だった。徒然の記その4 歩き塾 秩父観音巡礼 その2 2018.10.13(土)■秩父観音札所巡りの2回目は、6,7,8,9,12,13,14,15,16,17の10寺と頑張りすぎたか。距離は15.7km。札所で20分かかるとすると、それだけで3時間。合計7時間はかかる強行軍である。総勢13名が行軍を開始。今日のコースでは8番札所の西善寺(さいぜんじ)が一番標高が高い(274m)。あとは多少の起伏がある程度で割と楽なコースではなかったではないだろうか。昼食を40分ほど入れても15時30分には17番札所の定林寺を打つことが出来た。西武秩父駅までの距離2kmをさらに歩いて4時に到着。祭りの湯フードコートで乾杯。次回を2月と仮決めし、16:35に散会。楽しい1日であった。徒然の記その5 Windows10へのup 2018.10.11(木)■カミさんが使っているPCはいまだにWindows7である。2020.1.14にサポートが終了することが決定している。ところがWindows7→Windows10への無償アップグレードのキャンペーンは2017.12.31に完全終了している。 最近富にウィルスや詐欺まがいの更新勧誘などのノイズが多く、やっとWindows10へupしてみたいと言うようになった。買うと2万円弱もするという。 netで調べると、無償アップグレードの期間がすぎても「MediaCreationTool」なら2018.9でもup出来たというではないか。これもひょっとして詐欺かもしれないがびくびくしながらトライしてみた。準備中に「このコンピューターはウィルスに侵されています。下記へ電話ください。MicroSoft。」とけたたましい警告がでた。これもnetで調べると、個人情報を盗む詐欺であるという。 出直しである。頭を冷やながら数日が経過した。いよいよ頻繁にウィルス警告がでる。これでは使いものにならない。意を決して再び、https://www.petitmonte.com/windows/windows10_update.htmlというサイトに繋いでみた。音声メッセージには耳をつむろうということでボリュームを0にして。 16:30作業開始。「PCをチェックしています。」16:31、「更新の準備をしています。」16:32、「更新プログラムをダウンロードしています。」17:06、「インストールに必要な作業領域を確保しています。」17:07、「Windows10をインストールしています。」19:30、「Windows10 セットアップ、PCは数回再起動します。PCの電源は切らないでください。処理にしばらくかかります。」21:23、「更新プログラムがあります。」21:26、「この更新プログラムはオンライン時のユーザー保護に役立ちます。」21:29、「すべてお任せください。」21:31、「アプリの準備が出来ていることを確認しています。」21:45「もうすぐです。」22:00完了。 なんと更新に5時間半もかかった。しかしうまく行ったようである。これで機嫌がなおれば幸いである。「買うと2万円!」と言っていたカミさんにお駄賃を強請(ねだ)ってみた。 getできたのは・・1,000円!ぽっきり。まぁよしとしよう。 朝方、Windows10として初めて電源を入れたカミさんさわぐ。「JavaScriptを有効にしてください。」という警告が出るのだという。さもありなん。IEのインターネットオプション設定で、セキュリティレベルを「高」にしてカミさんに渡したこのシステム。それではインターネットでは制約がでてしまうらしい。 カミさんなにかすべての方法を英語サイトで検索したらしくメモにはlevelだのzoneだのと単語が並んでいた。Tool →Internet Option →Security →Custom Levbel →Securit Setting→ Internet Zone→ Scripting →Active Scripting →Enable→ warning →Are you sure →Yes →ok→ Reflesh 呪文を唱えるような文言。最初のtool→Internet optionで作業が止まっていたのだ。 「オプション」の設定にはコツがいる。IEの最初の画面で、F10キーを押すのである。そうすると、メニューが表示され、「ツール」タブが出てくる。→[インターネットオプション]→[セキュリティ]→ゾーンのレベル設定を「中」にする。「ok」ボタンをクリック。これですべてが解決である。徒然の記その6 夜の運転 2018.10.12(金)■夜、車の運転をしていた時のカミさんの呟(つぶや)きを代弁すると以下の2点である。日本国に物申したいというのである。このblogの持つ力を信じて。1.歩行者諸君へ・・あなた方の服は黒すぎる・・車から全く見えないのである。これでは轢き殺してくれと言わんばかりである。黒を着たければ、蛍光反射付きのワッペンがベルトが必須であると。2.交差点の標識が小さすぎる・・「橋本5丁目 HASHIMOTO5CHOME」 この文字が見えないのである。ローマ字はもっと小さい。外国人には読めない。交差点名を目印に運転する者にとってはまったく不親切な標識である。ランプを付けて見やすくし文字も大きく! これでは不案内な場所では、夜に運転するなと言わんばかりである。3.付け加えて言うなら、大きなスーパーなど全く電気を消してしまわないようにと。目印にしているランドマークがまったく見えないのである。危うく交差点を曲がり損ねるところであった。せめて看板だけでも光らせろと。夜の景色は、昼間とは全く違った風景であり驚いたしだいである。(後記)その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Oct 13, 2018
コメント(0)
好奇心(Curiosity)、太田記念美術館、根津美術館_ story (4363)2018.10.6Mr Tasuku Honjyo was awarded the 2018 Nobel Prize in Medicine and Physiology. The impressive point was the frequent saying of the word "curiosity" at a press conference. In addition to that, in the morning newspaper, he said that he came through six "C( Curiosity,Courage,Challeng,Confidence,Concentration,Continuation)" as a motto from his school days. It is different from my company’s slogan as C of C & C (Computer and Communication).本庶 佑さんが2018年のノーベル医学生理学賞に輝いた。印象的だったのが記者会見での「好奇心」という言葉を多発されていた点である。朝刊でではそれに加え、6つの「C」を学生時代から座右の銘として貫いて来たという。C&C(Computer and Communication)の2Cとは訳が違う。■今週の1枚Ofunato bay from Jyugemutei(寿限無亭からみた大船渡湾 2018.9.23(日))奥行5kmほどの湾の入り口に突堤がある。7年前の津波はこの堤防を越え、18mの高さとなって町を襲った。この狭い航路から漁船が外洋に出ようとひしめいた。全ての船が転覆し、帰らぬ人となったという。鎮魂の湾でもある。朝の静けさの中を一隻の船が戻ってきていた。目次徒然の記その1 オケ練習徒然の記その2 ノーベル医学生理学賞 本庶 佑徒然の記その3 Viola Lesson 徒然の記その4 歩き塾「静かな美術館巡り・・太田記念美術館、根津美術館」徒然の記その5 居酒屋「天狗」の集い徒然の記その6 だれでもアートこくぶんじ 2018作品展徒然の記その7 エッフェル塔のライトアップ徒然の記その8 秋の収穫徒然の記その1 オケ練習 2018.9.30(日)■しーっ。オケ練習で前列の人が口に手を当て振り向く。分奏でお休みの瞬間、Violaのパートをぼそぼそと呟いていたようである。本人には聞こえないほど小さい音なのに、前の女性には音圧が伝わったようであり耳障りであったようである。しばしば経験するやり取りであり恥ずかしい。今後は確実に口をチャックし、心で音を刻むようにしよう。大体において音楽をやる人は耳が良い。カミさんも実は耳がよいのである。台所でボソボソと言ってもだいたい内容が分かるらしく、「うん」と頷いたり、応えたりする。 さて正指揮者 大井さんの練習は実に楽しい。イメージを膨らませるような指導方法で端的によくわかる。息も切らずに長い小節を弾いているとどうしても身が固くなっているようである。もっと力を抜いてリラックスしてと。余裕のある時によい音楽が奏でられる。しゃかりきに弾くばかりでは、音楽になっていないのだと説く。 また呼吸についても。全員が止まる瞬間があり、その次の音が息が詰まったように聞こえるのだという。呼吸をしてスーと音を出す。その音を出すために全員が止まったのだという意識でと。 木の葉の揺れ。霧がかかっている中で引いては寄せる波。時々浮かび上がる影。全てが分かり易い表現なのだ。情景がイメージされ途端にいい音となる。喜びの瞬間である。徒然の記その2 ノーベル医学生理学賞 本庶 佑 2018.10.1(月)■19:00にニュースでTopニュースが飛び込んできた。本庶 佑(ほんじょ たすく)さんが、米テキサス大学MDアンダースンがんセンターのジェームズ・アリソン教授と共に、ノーベル医学生理学賞が贈られるという。両人ともすごい高齢のおじいさんかと思ったら本庶さんが76歳で、アリソン教授が70歳というではないか。小生の年齢とあまり変わらないお二人であった。ただただ驚くばかりである。免疫学の研究がさらに進むことによって、がんが今世紀末で無くなるかもしれないという期待を抱かせる。現に多くの人々が、日本製の治療薬「オプジーボ」や、米国製の「ヤーボイ」で命を取り留めている。記者会見で印象に残ったのは、研究に必要なのは「Curiosity」(好奇心)であると何回も強調されていたことだ。「教科書を鵜呑みにせず疑えと」。 次の日の朝刊には、学生時代からモットーにしてきた「6つのC」が時代を変える研究には必要だと説いておられる。Curiosity(好奇心)、Courage(勇気)、Challenge(挑戦)、Confidence(確信)、Concentration(集中)、Continuation(継続)。素晴らしいではないか。徒然の記その3 Viola Lesson 2018.10.2(火)■Alessandro Rolla Drei Duosの3、難しいパッセージは完全に暗記した。鏡の前で弾いたり、運指だけを見て弾いたり、メトロノームのあらゆる速度(♩=80から90)で弾きこなせる自信がついた。意気揚々と先生のところに飛びこんで行った。 し。しかし、玄関に入るか入らない所で、バッサリと斬られてしまった。あっと言う間もなく、Violaが宙に浮く。先生曰く「ばか者、♩が長く、♬が短く急いでいる。何を勉強してきた。1からやり直せ!」「は、はーっ。」 剣道の道場のような記述になってしまったが概略は間違っていない。「出直し」ということだ。ただhintをもらい光明がさす。1/100秒も狂いがあってはならぬと。人間国宝が作る作品の仕上がりに似て、そこが甘いというのだ。 メトロノームのspeedを落とし、正確に音を紡いでいくやりかたで、徐々にspeedをあげていけば、よい。これは出来そうである。正確な拍を刻み、邪念もなく、ただ音のピュアーさを求めて、研ぎ澄ましていけば、okかもわからない。 遠出のマラソンは控えて、すこし家に籠ってみよう。 後半は、スメタナの「わが祖国」をおさらい。ViolaでDuoができる部分が多々あり、4,6章を一緒に弾いていく。これは楽しい。時間オーバーで3時間半も練習した。徒然の記その4 歩き塾「静かな美術館巡り・・太田記念美術館、根津美術館」 2018.10.3(水)■この歩き程、楽なものはない と朝早く原宿駅に着いた。たった2.4km歩くだけで、くだんの美術館が見れてしまうのだ。都心の散策でも超一流どころのブティック街を歩く。このような華やいで気持ちであったが。しかし結果として12kmも歩いてしまい最後はビールのジョッキを一気飲みしなければいけないほどの喉が渇き疲労困憊。 前後がよろしくなかった。まず手順どおり、下見をしておこうと太田記念美術館へ。ここは250mの徒歩でよい。超簡単。裏通りを戻り、次なるは明治神宮へ。これは9:30集合でも、記念館は10:30にしかopenしない。ならばこの時間を、森閑な明治神宮過ごそうと。根津美術館が隈研吾の設計なら、2019年10月にopenする「明治神宮ミュージアム」も隈研吾の設計であり、和の小屋風のデザインも似ている。それを見物しない手はないだろうと。ちょうど神橋(しんきょう)の袂で建設がすすめられ、見ることができるのだ。さらに酒樽の置いてある場所から20mほど手前の左側に、モチの木が並んだ場所に札が立っている。これが「代々木」という地名の起こりとなった木であるという。荒野であった場所に明治神宮が造営されて2020年で100年となる。この鬱蒼とした森も100年に及ぶ造園の結果であるという。代々木公園と合わせて22万haという広大なサンクチュアリーである。 神橋の下を流れる川は、原宿駅をくぐってのち暗渠となり渋谷川に注ぐ。小学唱歌の「春の小川」はここから来ている。さて、本宮までの道のりは、清々しい。掃き人が長い竹ぼうきで、参道を清めている。落ち葉が両脇に、掃き集められ所々山になっている。参拝する人たちが次第に増えてくる。半数以上は外国人参詣者。 個人的なガイドも散見される。この同じ道を再度原宿駅から、「歩き塾」として歩いた。総勢7名。本殿の柱は、確かにお賽銭の当たる方に無数の黒い傷があったが、反対側は無垢であった。初詣客がぎっしりと広場を埋めるためお賽銭が勢いよく遠くから投げ入れられ、柱に当たった痕跡という。大きな楠が、本殿脇に立っている。左側に2本、右側に1本。その1本の方には、ぐるりと取り囲むようにして絵馬が掲げられていた。さすが国際所豊かである。その一つ一つを読んでいく。 これを趣味にしている人と、そうでない人との間に時間のギャップが出てしまったようである。後ろを振り返ると、さっきまで居た2人が居ないのだ。すわ迷子に? 広場をかけめぐり、楠を一周し、探すも見当たらない。あぁまたしても失格である。添乗員を置いてお客が先に行動するとは。あとで分かったが彼らは絵馬には寄らずとっとと先に帰ってしまったようである。原宿駅前で我々後続部隊を待っていてくれた。そうとは知らず、愚かな添乗員は、本殿と第1鳥居の間を何回も往復するはめに。参道をゆっくり戻る皆に合流したところで、messengerに伝言が入っていた。あぁ、電話番号を聞いておくべきであったと。今後はこのように人ごみに入る場合は、旗を持たねばと強く決心した次第である。■太田記念美術館・・企画展としては「没後160年記念 歌川広重」。「東海道五拾三次」、「名所江戸百景」の歌川広重(1797-1858)の作が中心であるが、役者絵 美人画の歌川国貞(1786-1865)や武者絵、魚類画、風刺画の歌川国芳(1798-1861)ら、同世代に活躍した浮世絵師の作品も展示され圧巻であった。 広重の「名所江戸百景」では、春の部、夏、秋、冬の119画のうちの幾つか、「猿わか(若)町よるの景」、ゴッホが模写したことでも有名な「大はし(新大橋)あたけ(安宅)の夕立」などが展示されていた。「東海道五拾三次之内 庄野 白雨」なども。奇抜なデッサンは、西洋の画家をどれほど驚かせたことであろうか。 秋の部にあたる、「猿わか町よるの景」なぞ煌々と照る満月の夜に芝居のはけた人々が帰路につく感じと、人影が面白い。洋画にかって月と人の影を同時に描いた画家はいるであろうか。そもそもあまり「月」を描いた油絵を見たことがない。日本人は誰より月を愛でる人種であるようだ。店じまいをする店の明かりの風景は、ゴッホの名作「夜 のカフェテラス」のモデルになったという。こんな見事なデッサンがあったであろうか。驚愕ものである。■根津美術館・・始めての入館である。枯れた竹が壁面を覆い、長い廊下がづっと続いた先に玄関がある。いかにも隈研吾の設計らしく粋な計らいである。東武鉄道の社長などを務めた実業家・初代根津嘉一郎(1860~1940)が蒐集した日本・東洋の古美術品コレクションを保存し、展示するためにつくられた美術館であるが、今回の企画展では「禅僧の交流 墨蹟と水墨画を楽しむ」と、テーマ展示の「仏教美術の魅力」などが公開されていた。 内容は非常に格調高く、今回の「墨跡」に禅僧の重鎮がたくさん出ていた。退耕徳寧(たいこうとくねい)、無学祖元(むがくそげん)、虎関師錬(こかんしれん)、物外和尚(もつがいおんしょう)などの「墨跡」と、賢江祥啓(けんこうしょうけい)、 仲安真康(ちょうあんしんこう) の観漠図(かんばくず)や山水図、布袋図。雪村周継(せっそんしゅうけい)の竜虎図屏風はとくに迫力があった。 ■皆と別れた後の課外授業として、近所の岡本太郎記念館へ。アトリエがそのまま保存され、展示されていたのには驚く。南青山の住宅街の一角に芭蕉が植わり、小さな庭に面してそのアトリエがあった。居間では、蝋人形の岡本太郎が出迎えてくれる。帰りの南青山では「Granny Smith 青山店」のスィーツの店が長蛇の人であった。青山三丁目→表参道→神宮→代々木→新宿とすべて徒歩で帰路につく。今日はよく歩いたものだ。合計12km。■歩き塾発祥の土地・・この原宿、表参道界隈は、わが「歩き塾」発祥の土地である(下図 黄色)。2014.5.10の日記に下記のような段落があった。『「スペイン料理を作って楽しむ会」・・日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会主催の料理を作って楽しむ会が渋谷区神宮前の区民会館であった。・トルティージャ(tortilla スペイン風オムレツ)・レンテハ・コン・チョリソ(Lentejas con chorizo レンズ豆の煮込み・・豚肉の腸詰のソーセージ付き)、・タルタ・デ・サンティアゴ(Tarta de Santiago:「聖ヤコブのケーキ」・・・ アーモンドケーキ)3品が完成し、皆で食す。ワインやビールが振舞われ、camino談義や料理の話に打ち興じた。原宿表参道から道一本東に入った閑静な住宅街。表街道とはうってかわって庶民の香りがする界隈。都心でもこんな所があるのかいなぁとベランダから眺めていた。この会が終わって、食事で席を同じくした4人が近くのcaféでさらにcaimno談義。 「メインの森をめざして アパラチアン・トレイル3500キロを歩く」平凡社(2011.7.7)の著者でその後ジョン・ミューア・トレイルを歩いた加藤則芳氏は、筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis、略称:ALS)を発症し闘病生活の後2013.4に亡くなっているとその中の一人は言う。2人から「ブエン・カミーノの会」を紹介された。caminoという巡礼路だけではなく、マチュピチュなど全世界を歩いているグループだという。恐れ入った。さっそくfacebookの仲間に入れてもらった。ポーランドからフィステーラまで4000kmの情報が集まるのかもしれない。期待が膨らむ。』 この記念すべき2014.5.10の出会いと、翌年2015.12.15のBarbacoa(バルバッコア)青山本店での「ブエン・カミーノの会」の忘年会(このChurrasco(シュラスコ:メキシコの串刺し肉)の店に臨むにあたり、空腹への備えを伝えておいたが、みんな宣言通りにはならずそれぞれ手を抜いた形で実行してきたのが面白かった。その記事は2015.12.15の日記に詳しい。この帰りの喫茶で、「歩き塾」の構想が語られたのである。 この2点が、わが「歩き塾」の原点である。そういう意味で、今日歩いた表参道は思い出の多い場所である。根津美術館への道がまさにその道であったとは!Meiji-Jingu, Ota Museum of Art,Nezu Museum and ralation spots of Arukijyuku (歩き塾コースとゆかりの地点(黄色))黄色が「歩き塾」発祥にかかわった場所。徒然の記その5 居酒屋「天狗」の集い 2018.10.3(水)■旧サラ文幹事を中心に17:00から居酒屋「天狗」に集合した。月一回の飲み会である。歩き塾からの帰りの2名を含めて最終的には10名となった。よもやま話に花が咲く。このなかでは10月9日に喜寿(77歳)を迎えるKさんがいる。ホノルルマラソンを駆け抜けたりする一番気が若い女性である。オードリーヘップバーンに変装して撮った小さな写真集を見せてくれた。こういうフォトスタジオが都内にあるという。変装したい人物の写真を持っていけば、望みが叶えられるという。奇跡の一枚を御自分の誕生日プレゼントとして奮発したという。あっぱれな女性である。 続いてノーベル文学賞の話に及んだ。今年は別途設定される「文学賞(10/12)」になるが、どうせ貰うなら来年以降にもらいたいと文学青年は嘯く。これにノミネートされていた村上さんの作品では、短編が特に光っているのだという。「ラオスにいったい何があるというんですか?」が一番気に入っていると仰る。 この中で一番ノーベル賞に近いのは? 小生だと皆が言う。さてどおする! 手っ取り早く「イグノーベル賞」を狙おう! 「誰が弾いてもうまく聞こえるViola」、「手を抜いてやっているのに教官にはしっかりやっているように見える体操服」なんて面白そうだ。徒然の記その6 だれでもアートこくぶんじ 2018作品展 2018.10.4(木)■国立駅前にあるギャラリー悠(ゆう)で、10/4(木)~9(火)まで開かれている作品展を見に行った。大通り裏の路地の角にある店はガラス張りで、遠くからも綺麗な色彩の絵が伺える。入るのが楽しくなるような作品展であった。 障害を持つ人達を中心にしたアートスクールで誰でもワンコインで参加できる。教室の先生は芸大出身のステンドガラスの大家。何人かアシスタントがおられ道具を準備したりと手を焼く。当方も第2、4の日曜日のオケがはけた午後何回か通い、割りばし画や、コーヒー画を描いていた。皆はアクリルや透明水彩で大きな画用紙にそれぞれ好きな絵を描いていく。先生は質問があれば応える程度で指図はしない。よって皆が伸び伸びと筆を運び、素晴らしい絵を描く。もくもくと紙粘土で動物を造ったりする男性も。 この2年間の成果発表のような形で、スクールの皆が、1枚か2枚の絵を展示していた。大体が抽象画で鮮やかな色と伸びやかな線。じつに格好よい。徒然の記その7 エッフェル塔のライトアップ 2018.10.5(金)■Japonismes 2018/Special Light-Up エッフェル塔・日本の光を纏(まと)う(2018.9.13(木)-14(金)) ・・鉄骨だけで表面積の少ない鉄塔に、日本画を投影する? 信じられないことが起こった。富士、月、桜に加え尾形光琳の「燕子花(かきつばた)図屏風」までもがエッフェル塔に描かれたのだ。しかもボレロの軽快な音楽に乗って光が揺れる。エッフェルの輪郭線までも仲間に入れそれが左右で交差するという信じられない演出も。隙間だらけの鉄組に絵が描けるものか?と疑問を抱くが見事に演出を成功させた。仕掛けはこうだ。光の照明が動くことで、その隙間が埋められ、一枚のキャンパスが形成される。塔の上部はさらに骨組みが緻密に組みあがっているためそれこそ壁面として浮かびあがり、絵が投影されていいく。音楽の効果もあり圧倒的な演出であった。日本を題材にしたエッフェル塔のライトアップは初めてであるという。照明デザイナー石井幹子(もとこ)さんと、パリを拠点に活躍する娘の石井リーサ明理(あかり)さんの企画が成功した瞬間である。誰もが最初は無理だろうと思った鉄塔への繊細で極彩色の絵の投影。目の錯覚もあいまって、動画にすることにより解決させたのだ。優れた演出であったと思う。この経験を名刺代わりにしてさらに世界に飛び立つであろう。この親子。徒然の記その8 秋の収穫 2018.10.5(金)■拙宅では昨年に続き柿が豊作である。今朝は9つも柿を収穫。高枝用の剪定ばさみを使う。まだたわわに枝に付いている。味は生協の柿と遜色なし、むしろこちらの方がおいしい。 昼には、カミさんが叫んだ。「無花果(イチジク)。まだ食べられないの?」と。窓から見えているのだ。たわわに生っているイチジクの実。大きくなってお尻の部分が赤くなりだしている。これがはち切れんばかりに赤く熟れてくると食べごろである。今しばし待てと。 アケビの実もずいぶんついた。これはパカッと割れて中身の白い果肉が見えてくるまで待たなくてはならないのだが、待ちすぎると赤いまま萎びてくる。表面が赤くなりだしたらokである。小生の個人用HP(http://turbo717.ciao.jp)の扉にアケビとザクロを描いた絵があるが1月20日に描いたものであるので、3ヶ月の辛抱である。 久しぶりの「カミさん」だ。朝の怒涛のような食事は変わらない。朝餉は連敗に継ぐ連敗である。どんなにキャベツを大盛にしても、パンを厚く切っておいても、小生を追い越していく。こちらはバナナやりんごの半分はすでにフライングして食べているし、パンにも手を付けて口の中にあるというのに。カミさんの登場で始まる「いただきます」「いただいております。」の掛け声とともに始まる正式な朝食。 気付いたら、いつもカミさんが涼しい顔で最後のヨーグルトに手を伸ばしているのだ。こちらは30回噛んでも喉を通っていかないという摂食嚥下障害のような感じで目には涙さえ浮かべながら薄いコーヒーで流し込んでいるというのに、敵は10回噛めば喉に入っていく。あぁ、8時25分43秒ですべてが無くなった。「ごちそうさま!」という瞬間か? いえ、こっちがまだモグモグと口を動かしているので遠慮しているのだ。本当は「お互いに相手が口をもぐもぐさせている間は「ごちそうさま」を言わないこと。」というルールを正式に敷きたいのであるが。なかなかこの文言が切り出せないままうん十年。8時26分18秒。やっと食べ終わった。「ごちそうさま。」「々」。 直後にお片付けが始まる。カミさんは朝刊に目を通し始める。政治・経済、週刊誌の吊広告などを隈なく読んでいく。あぁ怒涛のような朝の時間が過ぎていく! ”熱海の海岸を眺望するテラスで”といった寛いだ雰囲気でもっとゆっくり、食事をしたいものだ。 ピアニスト・ブレハッチの演奏がボストンの放送局から流れた。相方はそれを録音し、専用の音楽プレーヤーで聞くためCDに焼いたりと忙しい。拡張子は「.mp3」でないといけないと。パソコンではWindows Media Playerではだめで、Real Playerでないとうまく音楽CDが作れないというのだ。それも3回に1回しか成功しない、CDに印刷する文字がにじむ と言って泣く。音楽CDにはコピーの関係で難しい制約があるのか四苦八苦しながら老齢の時を刻んでいる。
Oct 6, 2018
コメント(0)
全4356件 (4356件中 201-250件目)