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今日はウィルウィンドの創立記念日。みなさまのおかげで7周年を迎えることができました。ありがとうございます!丸7年、存在し続けてこれたということは、それだけの間、みなさまに支えられ続けたということです。年月を重ねるほどにその事実が心にしみて、継続への責任と想いが強まるのだということを、会社を作ってみてはじめて知りました。今朝、植木鉢の中で枯れている花を全部切りました。すると、花に隠れて見えなかった次の花のつぼみがいっぱい顔を出しました。花を切るまでは、白と赤とピンクの鮮やかな花の寄せ植えでしたが、なんだか今はもっとエネルギーを感じる。次世代。未来。。新芽の力につぼみのパワー、そして子どもたちの笑顔。私たちを勇気づけ、前に進ませ、がんばらせる本能の力。世代を超えて想いをつなぎ、よりよい未来を創るために、ウィルウィンドは8年目も頑張ります。そのことを、支えて下さったみなさまと、そして終戦記念日に誓います。浄化の雨もあがり、青空が見えてきました。今年もどうぞよろしくお願いいたします!
August 15, 2012
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先日水曜日、ムハマド・ユヌスさんの講演をうかがいました。一番前の席に座り、ユヌスさんから1.5メートルの距離でかぶりついておりました。==【メモ】All the crisis is only coming from the role of human being; now we are only focusing on part of the role. Use full capacity of human being.「世界中で起こっているすべての問題は、人間の在り方を一面的にしかとらえずに作られたシステムに原因ある。現在のシステムは”人間は経済的利益を追求する生き物だ”という人間の一面にしか焦点をあてていない。しかし、人間はそうではない。人を幸せにするため、人の笑顔をみるためにも、私たちは動く。人間は多面的な生き物なのだ。我々は現在、我々の手によって構築したこの一面的なシステムのおかげで、ゆがんだ世の中を生みだし、貧困を含むあらゆる社会問題を生じさせている。しかし、その原因は、我々がシステムに踊らされ、人間として持っている能力のほんの一部しか使えていないからなのだ。だから人間として、人類として、我々のもっている能力のすべてを使って未来を切り拓いていこうではないか。」【メモ】Technology and creativity of human being is unlimited. All "impossible" will become "possible" if you can imagine. The distance between possible and impossible is shrinking and it is going to merge.「人間の創造力は無限だ。想像できる未来はすべて実現する。不可能だと言われていることも、もし、あなたの頭の中でそれを可能にするイメージが見えれば、それは実現可能だということである。我々がイメージできるものはすべて、現実のものとすることができるのだ。だから10年後どうなっている、20年後どうなっているという理想の未来を想像してみよう。可能と不可能の距離はどんどん縮まり、やがてそれは一つになるだろう。不可能なことなんて、この世には存在しないんだ。」==事前に著書を拝読し、思想は理解していたつもりでしたが、実際に目の前で熱弁(文字通り熱弁)を振るわれるユヌスさんは、想像以上に理想主義者でありながら、想像以上に現実主義者だとも感じました。ソーシャル・ビジネスの提唱者ではありますが、経済学者であり、グラミン創設前は、アメリカの大学で資本主義経済について教鞭を振るわれていました。それゆえか、経済的利益を求める人間を決して否定してはいません。ただ、それは人間の一面にすぎないとおっしゃっていました。「人が持つ、経済的利益を求める一面は、現行の資本主義の下、利益最大化ビジネスの一員として身を置き、そのシステムの中で今までどおり大いに働けばよい。ただ、人には別の側面、隣人を幸せにしたい、みんなで豊かになりたい、という欲求も持っている。それをソーシャルビジネスとして実現すればよい。現行ビジネスに加えてソーシャルビジネスをすればよいし、現行ビジネスの株式市場に加えて、ソーシャルビジネスの資本市場を作ればよい。」ソーシャルビジネスは、社会的な問題を解決することを目的としたビジネスの仕組みです。出資者に出資金以上の配当を返さない仕組みだけれど、出資者は社会問題を解決した、公共の利益となるビジネスに加担できたという「喜び」「満足」を配当として受け取ることになります。ユヌスさんは経済的利益を徹底的に追求する会社は否定しませんが、そんな会社がソーシャルビジネスを立ち上げるときには大いに応援し手を組むとおっしゃっていました。その場合は当然別会社として運営されることになりますが、ただし、現在の株式会社がおこなうCSRはまやかしだともおっしゃっていました。既存の仕組みの中に存在する以上、最終的には株主利潤を追求する方を選ばざるをえない。株主に出資金以上の配当金を支払っている(支払っていこうとする)以上、その会社は、社会問題を解決するための仕組みにはなりえないということです。これには納得感がありました。そんな中、私がさせていただいた質問は、「ソーシャルビジネスは出資者に出資金以上の配当は返さないものの、ソーシャルビジネスの経営者、従業員への待遇についてはどう考えるのか」という質問でした。事前に「雇用者は”良い”労働条件で給料を得ることができる」「経営者はそのビジネスの雇用者の最低報酬の7倍までの報酬しか受け取らない」とユヌスさんがおっしゃっていたことは知っていましたが、「良い条件」や「7倍」の背景にある思想やロジックをユヌスさんの言葉で直接お聞きしたくてさせていただいた質問でした。結果、「7倍」に関する直接的回答はお聞きすることができませんでしたが、「社会的問題を解決するのは重要な仕事だ。経営者が破格な報酬をとっては本来の意味をなさないが、市場価格より高い魅力ある報酬が必要だ。人は自分が幸せにならなければ、他の人を幸せにすることができない。ソーシャルビジネスだからこそ、きちんとした報酬が必要だ。」との回答をいただきました。「人は自分が幸せにならなければ、他の人を幸せにすることができない。」よく使われるフレーズではありますが、これを、バングラディッシュで本物の貧困と向き合いソーシャルビジネスという仕組みを30年以上育まれたユヌスさんご本人の口からお聞きできたことは私の胸に熱くしっかりと刻まれました。そして同時に、「人間の欲」に正面から向き合っている方だともますます感じました。実際、マイクロクレジットは、賛否はあるものの、そもそも5人組のグループチームに実施され人間の集団意識や羞恥心、向上心などを刺激したと言われています。また、一番の貧困層に起業家になることを後押ししたことなどを見ても人の向上心や自己実現、創造性の発揮を信じた仕組みです。多面的な人間の”欲”を全体としてとらえることで人類がゆがみなく進化・発展し、平和をもたらすことを可能にする。直接お目にかかって、理想主義者で現実主義者で、そして、肌つやがとってもよいユヌスさんを知りました。時間をオーバーしても伝えたいことが、ユヌスさんの表情から溢れていました。自分の可能性、みんなの可能性、人類の可能性に、今まで以上に大きく太い光が差し込んだ気がしました。
July 30, 2012
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久々に実家で夕食。父と母を見ているとコントのようにどうしようもない2人だけれど、いい夫婦だなぁ~と思う。2月の実家の引っ越し以来、親戚に囲まれて生活していた環境から、すっかり2人だけの老後に。認知症気味の母と、それを見守りながらも不自由な目が理由だけではないくらい元々なにもできない父。私:「最近パパとママは毎日なにをしているの?」父:「探し物。一日の大半が探し物でそれなりに忙しくしているよ。笑」母:(食卓を立って冷蔵庫へ)「…あら?ママは何を取りにきたのかしら?」私:「お漬物か何か?それともビールじゃない?」父:「もうビールってことにしとけ」父:「会社員時代に社内の賞の表彰式がわざわざ奥さん同伴で開催されたのに、どの受賞者のスピーチにも奥さんのことが一言もでてこない。俺は自分のスピーチのときに言ってやったさ。”○さんの奥さんはまるで女学生みたいに何を買うにも旦那さんに目を輝かせて聞く。×さんの奥さんは小学生みたいに無邪気だ。△さんの奥さんは頭が切れて◎◎さんはきっと心強いと思う。”みんなそんな賞を取れたのも奥さんの支えがあってこそ、2人でとったんだ。くだらないゴマのすり合いスピーチじゃなくて、どうしてそういうことをみんな言わないんだ。」3時間半の滞在で、父と母それぞれがそれぞれのメガネを探すこと2人で合計10分。大事な手紙を探すこと2人で合計10分。もう2年以上使っているはずのDVDレコーダーなのに、今さらドラマの録画の仕方に奮闘すること2人で15分。冷蔵庫にあったはずの海苔の佃煮を探すこと5分。父:「もうね、横に置いた領収証が瞬時に消える家だからね。油断ならないよ」父が探していた大事な手紙の1通は、15年程前に、父の会社の後輩の奥様からいただいたカードでした。そこには「奥様とのお二人の絶妙のコンビネーションには、お二人が前世からつなっていたのではないかと感じざるをえません」と書かれていました。そして、もう1通は、祖父が25年前に母の働き口のことで知人に宛てた手紙。そこには母のことが「次男の嫁というより娘です」と書かれていました。それらを私に見せたくて、大切にしまいすぎた上に目が不自由で探せなくなった父。祖父の手紙を読み返して、ぽろぽろと涙を流す母。親バカならぬ娘バカかもしれないけど、でも、いいのです。だって、父も祖父からの手紙を私に見せながら、「いやー、いい親父だった」と自慢してくれたから。
July 22, 2012
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新年あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。2011年、ウィルウィンドでは4年越しで取り組んでおりました企業様の社史の完成、2年越しで取り組んでおりました家族史の完成などを見ることができた、一つの区切りの年となりました。そして本年は家族史、社史に加え、従来から行っておりました企業研修にもより力を入れるべく、未来新聞株式会社とのコラボレーションで「未来新聞研修」も行わせていただくことになりました。「過去~現在~未来」をつなぐ役割をより強化し、転換期の今、よりよい未来づくりのお手伝いをさせていただければと思っております。◎未来新聞:http://www.miraishimbun.jp/また、2010年7月より代表を務めさせていただいておりますMEMORO「記憶の銀行」では、2011年2月2日に内閣府認証のNPO法人となることができ、秋にはウェブサイトの大幅リニューアルも完了、いよいよ本格稼働の準備が整った年となりました。そして年末には、新ウェブサイトを通じて、大正大学の40人近くの学生さんがメモリーシーカーとして身近な60歳以上の方の記憶を投稿して下さいました。今年は皆様も是非メモリーシーカーにチャレンジしていただけたら嬉しく思います。◎MEMORO「記憶の銀行」:http://www.memoro.org/jp-jp/◎メモリーシーカーについて:http://www.memoro.org/jp-jp/help_cercatori_memoria.phpここまで活動を進めてこれたのも、皆様からのご指導、ご支援のお陰だと深く感謝しております。2011年は社会的にも個人的にも大きな衝撃を受けた年となりました。ここでは社会的なことから感じた個人的なことを一つお話したいと思います。今までライフワークとして、そして仕事も通じて、多くの方から戦争のお話をうかがってきました。未来をどうつくるべきか、先人の想いをどう受け止めるべきか、そのことに向き合うためにもウィルウィンドの創立記念日は日本人にとって大切な日、8月15日にさせていただいています。そして、ウィルウィンドをはじめた当初、大衆がどうして戦争に向かってしまったのか、そのときの気持ちはどういうものだったのか、未来にそれを起こさないためにはどうしたらいいのかということを心の中の一つの課題としてお話をうかがってきました。自分は絶対戦争に加担しない、そんな気持ちがどこかにあったのだと思います。でも、今回震災が起き、原発事故を目の当たりしたとき、私たちはエネルギー効率という仮面をかぶった核を、ここまで沢山国内に持っていたのだということに改めて気付かされました。戦争とは少し違うかもしれませんが、自らを滅ぼす可能性のあるもの、それも核廃棄物は10万年先まで負の遺産として継承させざるをえないものです。それにも関わらず、そのことに正面から向き合わず過ごしてきた私に、50年後の子供たちから「どうしてそんな危ないものを持っていたことを容認していたの?」と聞かれたら、私はなんと答えるのか…。恥ずかしながら、今の私には言い訳しか思い浮かびません。2011年は、原発問題を一つの象徴として、それを含む多くの意味で自身の未熟さをまた一段と知った一年でもありました。ただ、物事には必ず表裏があるという通り、それと同じだけ力も湧いた年でした。いのちをつなぎたい、未来をよくしたい、この想いは、種を保存したい私たちの一つの本能なのだと思います。今こそ、自分たちで作る未来に、もっと意識と責任を持っていきたい。きちんと胸に手をあてながら、想いを繋ぐ、未来を創るウィルウィンドとして、そして冨田個人として、2012年も一歩一歩進んでいきたいと思います。みなさまにとって、よき年となりますことを、心よりお祈り申し上げます。共に手を取り合って、少しでもよい未来を創っていけたらと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
January 1, 2012
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今年も8月15日がやってきました。終戦記念日。そして、意を決してこの大切な日をウィルウィンドの創立記念日とした日。今年は、東日本大震災がありました。震災から4カ月後、南三陸町にボランティアに行きました。そこに広がっていた光景は写真や映像からは感じ得ない、想像を絶する空間でした。現地では「語り部の会」というものがあり遠方からやってきたボランティアにあの日のことを被災者が語って下さる時間がありました。まだたった4カ月なのに。。予期しない、場でした。震災の記憶を語り継ぐことは、後世に教訓を残すことであり被災者の心の整理にもつながるという趣旨でした。私がお話をうかがったのは今回、はじめて人前で話をするという羽賀たえ子さんの記憶。昭和35年、9歳のときのチリ地震の津波で祖母やいとこを亡くし地震がきたらどうするか、津波がきたらどうするか、そういうときにはなにがあっても自分の身を確保することだと、いつも話し合っていたそんな羽賀さんのご家族にふたたび津波が襲いました。後ろを走っていたご家族が、ほんの数秒後にいなくなった記憶。手を離してしまった人のぬくもりが、まだその手に残る生々しい記憶。。。羽賀さんは今回の津波で、お兄様を亡くされました。私はまだ、あの日、南三陸町で見たこと、聞いたこと、感じたことを総括することができません。仕事がら、多くの方の記憶に耳を傾け、それらを消化し、自己完結させる力を養ってきたと思っていましたがあの方のお話と、あの風景は、まだ自分の胸の中でさまよっています。ただ、あの日に受けた衝撃は66年前の戦争を、私にまた新しい視点で見せてくれたことも事実です。写真や映像で見る戦後の焼け野原が、また違った問いかけを私にしてきます。多くの人のいのちが、あの一面のがれきの中私が立っているその足元で、終わったということがいったいどういうことなのかと。今、願い、祈れるのは、「再生」の力です。戦争という人災と、津波という天災は当然違うことではありますがでも、もし今、私たちが自然の摂理に従って破壊されそしてその後の混沌に身をおくならば自然の摂理に従って次に訪れるであろう再生というステージを信じたい。私たちは常に産みの苦しみを味わいながら新しいいのちを誕生させてきました。世界が大きく変わる時。7年目のウィルウィンドも、再生へのプロセスを踏みながら進化を続けたいと思っています。南三陸町の福興祭で鹿児島から送られてきた支援物資の文房具を手渡した双子の女の子2011年7月31日
August 15, 2011
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今日は私が大好きなお二人が経営する会社、リリムジカさんの新体制をお祝いする会に参加しました。起業セミナーで出会ったという大学卒業したての男女二人が2008年に立ち上げたフレッシュな会社。その社長と取締役がお互いに入れ替わったという新体制です。創業者で6月末まで社長をしていた柴田萌さんは「音楽療法を仕事にしたい!」という想いだけで事業計画を作り起業セミナーでプレゼンしました。「社長になりたかったのではなく、音楽療法を仕事にしたかった」と柴田さんは言います。一方、「天才と仕事をしなさい」と学生時代アルバイト先のプロデューサーに言われたことを胸に、まったく知らない世界でありながら音楽療法士というスキルと、情熱をを持った起業セミナーの隣の席の柴田さんを「天才だ」と思って起業パートナーに名乗り出た管偉辰さん。リリムジカ設立後は取締役として、「音楽療法以外のことを全部やろう」と介護福祉の仲間と大きなネットワークを作り上げました。3年という月日を経て、二人の立ち位置を調整したら、音楽療法に集中したい柴田さんが取締役に、そして盛りたて役の管さんが社長になりました。もちろん仲が悪くなったとか、関係がこじれたとか、そんなことではありません。一番自然な位置に落ち着いた結果が、社長と取締役の交替です。あー、なんてしなやかな決断なんだろう。なんて素敵な関係なんだろう。私が大好きなお二人。とっても尊敬しているお二人。これからも新しい体制でより一層のご発展をお祈りしています。新体制、おめでとう!!!!!新社長の管偉辰さん(左)、創業者の柴田萌さん(右) リリムジカのページは→こちら♪
July 10, 2011
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MEMORO「記憶の銀行」のFacebookページを開設しました! http://www.facebook.com/Memoro.JapanMEMOROに投稿された人生の先輩方の記憶をさまざまな切り口で紹介します。MEMOROが開催するイベントやMEMOROの活動の様子なども発信していきます。皆様、是非「いいね」ボタンを押して参加して下さいませ!!!
June 24, 2011
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「きもちのゆいごん」のすすめ という公開講座を淑徳大学の池袋サテライトキャンパスで開講させていただくことになりました。想いを次の世代につなげる会社、ウィルウィンドでの6年間の経験と想いを大公開!震災を通じて、生きることを見つめ直された方も多いのではないかと思います。生きるってなんだろう、いのちってなんだろう。。つなげるってなんだろう。。5月10日(火)、5月17日(火)、5月31日(火)の3日間一緒にディープに考える時間を過ごしませんか?今よりも一段と前を向いて歩ける、今よりも一段と上を向いて歩ける、5月末にはそんな自分と出会えるはず!!!公開特別講座「きもちのゆいごん」のすすめ●日程 第一回 5月10日(火)15:15~16:45 第二回 5月17日(火)15:15~16:45 第三回 5月31日(火)15:15~16:45●場所 淑徳大学池袋サテライト・キャンパス●受講料 10,000円== 講座詳細 ==母は幸せだったのだろうか。父は自分と同じ年の頃、何を考えていたのだろうか。祖母が大切にしていたお守りの中身はなんだったのだろうか。祖父は戦争のことをどう思っていたのだろうか。一番聞きたかったこと、結局何も聞けなかった――そんな後悔をバネに、今、元気な両親には絶対聞いておきたいことを聴いておこう。子どもたちに同じ思いをさせないために、子どもたちが将来を生きる力になるであろうことを残しておこう。こうして「きもちのゆいごん」を残すという取り組みは生まれました。いのちをつないでしか生きていくことができない私たちが、未来を生きる次の世代に託せるもの、それは私たちの経験、想い、そして願い以外にはないのではないでしょうか。想いを次の世代につなげる会社、有限会社ウィルウィンドの代表取締役であり、世界15カ国に広がるNPO活動MEMORO「記憶の銀行」の日本代表である冨田直子が、あなたの「きもち」を次の世代に伝えることをつうじて、家族への愛を伝える方法、自分自身を深く振り返る方法を3回に渡ってお話します。あなたがご両親や祖父母様から引き継いできた生きる力の灯を、「きもちのゆいごん」という人生最高のプレゼントをつうじて、未来を生きる子どもに、孫に、まだ見ぬ家族へと、つないでいきませんか?== スケジュール ==第1回 5月10日(火)15:15~16:45 「きもちのゆいごん」とは 「記憶のゆいごん」 「気持ちのゆいごん」 「未来へのゆいごん」 第2回 5月17日(火)15:15~16:45 年表と家系図を作ってみよう 伝えたい「きもち」を見つけよう 第3回 5月31日(火)15:15~16:45 伝えたい「きもち」を掘り下げよう 伝わる「残し方」を考えよう == 講 師 ==冨田 直子(有限会社ウィルウィンド代表取締社長)慶應義塾大学総合政策学部卒業。朝日アーサーアンダーセンにて経営コンサルタント、GEにて シックスシグマのブラックベルトとして社内外のコンサルティング、及びプロジェクトリーダーを務める。AIGにて、日本・韓国地区団体保険担当の経営企画に従事後2005年8月退職。2005年8月「想いを次の世代に つなげるお手伝いをする会社」有限会社ウィルウィンドを設立。数多くの家族史制作に携わる。2006年、NPO法人「昭和の記憶」理事、USENビジネスステーション「想いが未来を創る」パーソナリティーを歴任。現在は、60歳以上の方の記憶を保管共有する無料オンラインアーカイブ、NPO MEMORO「記憶の銀行」日本代表。=================================★お申込み・詳細はこちら→ http://ext.shukutoku.ac.jp/course/detail/287/=================================
April 26, 2011
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祖母が日曜日に亡くなりました。お昼にはめずらしくパンが食べたいと言って、菓子パンを食べたそうです。昼までは、いつもの食いしん坊の祖母でした。入院もしていません。とくにどこが悪かったというところもありません。でも、昨年の夏に腰を痛めて10日間入院して以来、自宅で寝たきりになっていました。そして、私が実家を訪ねるたびに、祖母は少しずつ少しずつ弱っていました。お正月に「おめでとう」を言ったときの弱々しい声が、今でも耳に残っています。東京がこの冬一番の冷え込みに襲われた日曜日の夜遅く、93歳の祖母は自宅のベッドで静かに息を引き取りました。「おばあちゃまが、息をするのをやめちゃった」 父からの電話で知りました。あまりに急ではありましたが、でもこんな日がくることもわかっていました。タクシーで駆けつけて、まだ暖かい祖母と会うことができました。祖母とは、大学2年生のときから10年間、同居していました。本当は祖父とも一緒に同居の予定でしたが、二世帯住宅を建て替えている最中に祖父は亡くなりました。大学生のころは祖母と本当によく喧嘩をしました。「女の子なんだから!」が祖母の口癖でした。「女も男も関係ないのよ!」が私の反論でした。運転免許を取らせてくれて、そして車を買ってくれたのも祖母でした。当然、毎月返済をしていくことが条件でしたが、もうひとつ大切な条件がありました。「お墓参りに毎月一回、おばあちゃまを連れていくこと」中央高速を走って、祖父と叔父が眠る高尾まで、毎月一回、欠かさずお墓参りをしました。社会人になってからも、ずっと続けました。「帰りはどのお店でごはんを食べようか」、行きの車の中から食いしん坊の祖母はそんな話ばかりしていました。祖母と一緒のお墓参りは、10年は続いた気がします。そのうち、祖母が「おばあちゃまの分もお参りしてきて」と言うようになっていらないというのに、ガソリン代とお昼代を握らされて家族でドライブに出かける口実になりました。「直子ちゃん、ありがとうね」と感謝されましたが、運転好きの私にとっては丁度いい気分転換でそして毎回、東京を見渡す南多摩霊園の丘の上で、深呼吸をするのが好きでした。私は祖母の来し方を4年前に聴いて本にしていました。生まれたころから、結婚するまでのお話です。祖母にとってはそこまでがハイライトだったらしく、その先は「もう知ってるでしょ」で話してくれませんでした。以来、祖母は私をとても信用してくれました。「口ごたえする孫」から「おばあちゃまの話を全部聴いてくれた孫」に格上げされました。祖母がベッドの中や椅子に座って、何度も何度もその本を読んでいるのを見たことがあります。「おばあちゃまが死んだら、この本を一緒にお棺の中に入れてね」祖母から何度も言われていました。昨日の葬儀では、祖母との約束通り、本をお棺の中に入れました。周りにお花をいっぱいおいて、祖母の写真が出ているページを押さえました。人が亡くなると、いつも思うことがあります。「これで、いつでもお話ができるようになった」と。生きていると距離があって、言葉があって、事情があって、感情があっていろいろなものが邪魔をして、本当の話をできないことが多い。。。でもこれからは、私がいつも祖父とそうしていたように祖母とも自由に話すことができるようになりました。ベッドに入って、祖母に話しかけています。「おばあちゃま、知らなかったでしょ。直子はこういう人間だったのよ」これからは、祖母との会話が楽しみです。お墓参りにもお小遣いをもらわなくても行くからね。行って、祖母の分まで深呼吸をしたいと思います。今までよりもずっとずっと多くのことを祖母と話せるような気がしています。
January 21, 2011
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みなさま、新年あけましておめでとうございます!旧年中は大変お世話になりました。今年も「記憶をつなげる」「想いをつなげる」「いのちをつなげる」の三拍子でウィルウィンド、そして、MEMORO「記憶の銀行」ともに頑張っていきたいと思います。今年の幕開けは、母に聞きたてほやほや「お雑煮レシピ」。動画レシピ【我が家のお雑煮はおでん風】javascript:void(0);みなさまもこのお正月、ご両親からお正月レシピや昔の思い出話を、うかがってみてはいかがでしょうか?動画が撮れたら是非、MEMORO「記憶の銀行」に投稿して下さい! → 投稿の仕方今年もご指導ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
January 1, 2011
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なにから書いたらいいのかわからないほど、昨日は多くを考えさせられた一日だった。早稲田でジャーナリズムを学ぶ野中章弘ゼミの皆さまとご一緒させていただき多摩川のホームレス、佐藤さんを訪問、そして、夜は新宿中央公園の炊き出しに参加。自分の目と耳と足と時間とをつかって経験をするということの大切さいろいろなところに出向いてインタビューをする身としてわかりきっていたことだったがその大切さをあらためて痛感させてくださった野中さんとゼミの皆さまには心からの感謝。~~~みんなでぞろぞろ、土手の下の佐藤さんのお住まいにお邪魔する。郡山出身の佐藤さん。夜、9時過ぎから明け方5時頃まで空き缶を50キロから60キロ拾い、4000円から5000円の現金収入を得る。何度も自殺を考え、来年小学校に上がる孫のためにも早く仕事に就きたいと涙を流し、番犬と捨て猫を育てるためのエサに一番困っているという佐藤さん。現在本を執筆中。夢と希望は捨てていない。窓枠まで付いた一戸建ては「ツーバイフォー形式で一日で建っちゃう」とのこと。台風時、川を流れてくるベニヤを集め、釘を抜き、それが立派な家になった。元は建築関係のお仕事をされていたのだとか。いつも危険とは隣り合わせ。台風などの増水で昨年は3人の方が流され行方不明となった。放火や嫌がらせも絶えない。何度もテントが焼かれた。何度も場所を移動した。春はクワとカキの新芽をてんぷらで、秋はじゃがいもより美味しいというからいもを掘り起こし、野生のニラもいけるとか。四季で食べ物が違う。一人分ならなんとかなる。猪苗代湖のほとり、貧しい百姓の家に生まれた経験が生きている、と笑う。小学校一年生のときには、腰まで埋まる豪雪の中、学校に行く前に高野豆腐を売り、お金になるからと「生け花」用の冬の草を取った。多摩川の河原ならなんとか生きていけるだろうと、数多くの猫が捨てられる。河原に猫が食べられる食べ物なんてない。猫も缶詰しか食べない元は飼い猫。猫缶を買ってやるお金がないと目がしらを押さえる。猫は神様だ。体調を崩し、布団をかける気力もなく倒れていたとき、猫たちが佐藤さんを首から身体からとすべて覆って温めてくれたという。佐藤さんを育み、多くのいのちと出会わせてくれる多摩川の自然。佐藤さんにお礼を言って土手の上からお別れをする。となりの学生が「なんか上から手を振るのっていやですね」とつぶやいた。その後公園で、「あしがらさん」というホームレスの映画を撮った飯田基晴監督と車座になってディスカッション。「最初にホームレスの方に声をかけるとき、どんな気持ちでしたか?」「撮られる側への影響は考えましたか?」「今日、来ることを最後まで迷っていた。どういうスタンスで話を聞けばいいのか、わからなかった」「自己責任だと思っていましたが、佐藤さんには向上心があった」公園の芝生からしんしんと冷えが伝わってくる。まぶしい夕日があたたかい。一旦解散し、有志で新宿中央公園の炊き出しボランティアに参加。実際にボランティア参加できるのは人数制限があり6人だけ。他の人は見学。私も見学。この発泡スチロールの中に800人分の炊かれたご飯が。グリーンピースやベーコンが入ったご飯を学生たちがボールによそっていく。ずらり800人分。午後7時炊き出し開始。炊き出しを受ける人は、8人ずつ横一列になって並んでいる。「はい、次どうぞ!」の掛け声で一斉にご飯を頂く。そこを分ける大きな川のような、二人の腕の長さを合わせた距離。「施す人」「施されれる人」があからさまになった瞬間、カメラを構えながら、その場から逃げ出したくなった。昼間、佐藤さんと話をしながら、私は自分との違いを見つけることに終始した。税金を払っているかとか、不法占拠かとか、、、それが「孫のためにも仕事につきたい」という涙になっているのか。自殺を考えたという、木の枝ににかけた紐になっているのか。けれど、そうでない部分では、一体何が違うのか。向上心、生活力、夢、希望、悲しみ、苦しみ、、、みんなが持っているすべてを佐藤さんも持っている。違いが見つからない。どうしても見つからない。あえて言えば、きっと私の方が、なまけものだ。会社を退職し、ウィルウィンドを一人ではじめた。事業家になりたいという思いからはじめたのではなくいのちをつなげたいという活動のようなスタート。想いや志はある。でも資本金がなくなる。食べていけない。もっとがんばる。そこそこなんとかなる。でも明日のお米の保障はない。MEMORO「記憶の銀行」でボランティアをはじめる。夢がある、希望がある、でもますますお金はなくなる。どんどんなくなる。友人からごちそうしてもらう。お米をもらう。車を売る。ローン返済中の家から、皮肉にも眼下の新宿中央公園を見下ろす。何がなんでも、持続性のある活動にしたいし、そのためには事業にしなければならない。命をかけている。でも悲壮感はない。自身の能天気さに自分でも驚く。いのちをつなぐことの大切さを、みんなで考えていきたい。本気で、みんなでノーベル平和賞をとりたいと思っている。そんなときに見た、あの腕と腕との間の距離。炊き出しで支援を受けるホームレス。自活に意地をかけるホームレス。家族を捨てたホームレス。家がないハウスレス。「ホームレス」という言葉が、脳の中で一つの像を結んでいたのにちりじりばらばらに分解して、私自身と重なりあう。まだ何もまとまらない。ただ、一つだけ願いが生まれた。並んでいる方々も、どこかで誰かの役に立っていると思っていてほしいということ。腕をのばして受け取ったご飯、くるりと振り返って、次の誰かに渡していてほしいということ。少なくとも私は受け取った。生きることについて、たくさん教えていただいた。佐藤さんのお隣りさんは30代女性。お住まいはカナディアンログハウス風!?玄関口には朝顔のガーデニングと家庭菜園。いっぱいいっぱい受け取った一日。
December 6, 2010
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お世話になっている遺影写真家、能津喜代房さん(素顔館)の写真をこれまたお世話になっている未来塾21の山田常之さんにプレゼントしたところ…なんと、その写真が、富士フイルム営業写真コンテストにて12000点を超える作品の中から銅賞に選ばれてしまいました。現在、東京ミッドタウンの富士フイルムフォトサロンにて12月9日まで入賞作品の展示会が行われています。
December 5, 2010
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日本記録映像振興会の代表、左古様と対談をさせていただきました。>対談はこちらから胸に秘めていたでっかい夢を、公の場ではじめて語ってしまった、記念すべき?対談です(^^;ただ・・・、この対談の収録は9月でしたので、実は10月に滋賀大学で夢を公にしたのがはじめてかもしれません。「みんなでとろう、ノーベル平和賞!」
November 28, 2010
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日経新聞にMEMORO「記憶の銀行」の記事を掲載いただきました。>記事はこちらから記事を見たと思わぬ方から連絡をいただいたりと、うれしいものですね。ブログが相当滞っていますが、元気に生きています!
November 24, 2010
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終戦記念日をウィルウィンドの設立記念日にしてよかったと毎年思う。今年もまた、その想いは一段と強い。私が戦争について本気で耳を傾けはじめたのはお恥ずかしながら、ウィルウィンドをはじめてからのことだった。それまでは、戦争というものに「意識的に触れなければ」という「義務感」があった。戦争に人一倍興味があったというのではない。ただ、目をそむけてはバチが当たるような、そんな気持ちから、テレビの特集や戦争映画は努めて見るようにし、また本も読んだ。でも、なんだかちょっと苦手だった。まずは何より戦争は苦しくて悲しい。そして時にお涙ちょうだいになったり、制作者の意図を感じたりまた、「今の若いもんは」という枕詞を背後に少しだけ感じたりすると。。「戦争を知らないということをいったいどうしたらいいのだ」と、誰ともなしに恨めしく思うこともあった。ただ、そうはいっても、その苦手意識と向き合わなければその先がないことも、なんとなくわかっていた。日本の未来を想い、家族が幸せに暮らせることを願い、文字通り命を懸けた先輩たち。私にはもっと感じなければいけないことがある。知らなければいけないことがある。覚悟しなければいけないことがある。苦手意識を持ちながらもこの意識が私自身の発展途上の産物であることを知っていてその先には、恐らく私がまだうかがい知れない本質がある。。。そのことと向き合わずして、ウィルウィンドはないと感じていた。「人類このままでは滅びてしまう」という危機感からはじまったウィルウィンド。だから、真剣に「いのちをつなぐ」ことをみんなで考えようよ。そのためにも「想いをつなぐ」ことから感じていこうよ。そのことをライフワークにしようと思った時そしてウィルウィンドの設立登記日が8月中旬になりそうだということがわかったとき私自身にも、そしてお天道様にも絶対にごまかしのきかない「8月15日」という日を、ウィルウィンドの設立日にしようと決め、法務局に届け出た。「先輩たちの想いと向き合い、つなぎ、そして恥じない未来を創ります」と。あれから丸5年がたった。ウィルウィンドをはじめてから、ようやく戦争に生身の自分で向き合った。テレビを通じてでも、本を通じてでもない。自分のこの目と耳と、そしてその場の空気と湿度と匂いとで、戦争そのもののお話はもちろん、沈黙の中に潜む、言葉にならない多くの先輩方の想いをうかがってきた。この5年で、靖国には何度も行った。はじめて広島にも長崎にも行った。呉の戦艦大和のミュージアムにも行ったし、特攻基地であった鹿児島の知覧にも行った。今、5年経って、あの苦手意識は姿を消した。この5年間で戦争は「他人事」から「自分事」になった。もちろん、体験もせずに戦争がわかったなどと言うつもりはない。ただ、私自身、戦争から求めたいと思うものが変わった。先輩方の体験を追体験しようとするのではなく皆さまのお話から、私自身を見るようになった。私を変えたきっかけになったのは、むしろ戦争という非日常ではなく現在とほとんど変わりのない、戦前のごくありふれた豊かな日常を頭ではなく心で知った時だった。自分の学生時代とほとんど変わらない制服姿で笑う女学生の写真を見た時。演劇部だった自分の高校時代と変わらない豪勢な舞台衣装を身にまとった70年前の学生たちの写真を見たとき。その写真を見ながら、日々の暮らしや悩みの話を「直接」楽しくうかがったとき。50歳以上も年齢差のある方と、同じ笑いのツボをもって腹を抱えあったとき。。その感情が自分のそれと次第に重なり、その輪郭がぴたりと自分と合わさったとき自分と変わらぬ日常の中で訪れたあの戦争とはいったいなんだったのか。。。という疑問が自分自身に舞い戻ってきた。そして、戦争に巻き込まれたという感覚も、当時の世の中に対する抵抗感や違和感や無関心も、さらに愚かさや不甲斐なさややるせなさや悲しみも、そして高揚も、迎合も、戦争を引き起こした感情でさえも全部そっくり自分の中にある感情だということに気がついてきた。テレビを見る目も変わった。「他人事」のストーリーを聴く場ではなく自己対峙の場になった。戦争は誰のせいでもなくて人間の投影で、自分自身の投影で、自分がフタをしようとしているすべての感情の存在を表面化させ気付かせてくれる「自分事」になった。以来、以前感じていた義務感のような動機からではなく、これからも「自分事」として、自分のために、未来のために、戦争の話はもちろん、より多くの方の話に耳を傾け、そこから学んだことを元に行動につなげたい、という思いを強めた。自分事となったときに「想いがつながり」、そして、行動したときにはじめて「いのちがつながる」のだと。今、5周年を迎えたウィルウィンドにおいて、心境の変化を感じている。それは、新しい未来を行動によって創っていくためには、一人でも多くの人と一緒に、ウィルウィンドもやっていかなければならないということ。このことに気づかせてくれたのは、設立5年目にして出会ったメモロだった。ウィルウィンドはこれまで個人商店の域を出ずに活動してきた。一方のメモロは、責任を持って存続発展させていかなければならないもの、創設者や賛同者や仲間たち、そして未来の子どもたちから託された「預かりもの」だ。多くの人が自主的に動き、発展していくうねりを感じる。そう、「人類このままでは滅びてしまう」という危機感にみんなで立ち向かうためには、一人でも多くの仲間とともに一人でも多くの人の想いをつなぎ、バトンを引き継ぎ、そして未来を創っていかなければならない。一人でも多くの人とメモロのように、ウィルウィンドもやっていきたい…そんな感覚を今、掴みかけようとしている。【ウィルウィンドとメモロのドメイン】ウィルウィンド、メモロ共に、「世代を超えて記憶と想いを引き継ぐ」というテーマで共通している。ウィルウィンド設立5周年にして、ポストの表札を変更した。滅多にポストの表側などに回らないのに、たまたま8月15日当日、管理組合のポストに投函しなければいけない書類があって、表側に回り込んだ。そこには5年前に差し込んだ「有限会社ウィルウィンド」の文字が時を刻んでいた。そうだ、今日、これを新しく変えよう。「メモロ」を書き加えなければいけない。今、メモロにはお金がなくて事務所がない。だから一次的な間借り場所として、ウィルウィンドの住所を提供した。社会から、未来から、みんなから、大切な預かりものとして引き受けた「メモロ」とまだ社会の公器に脱皮させきれてはいないけれど、多くの方からご支援をいただきながら今後はメモロを見習って頑張りたいと思っている「ウィルウィンド」。ウィルウィンドで蓄積した5年間をメモロで活かし、メモロから得る新たな気付きをウィルウィンドに活かす。表札を入れ替えると、ウィルウィンドもメモロもすべてひっくるめて一層、私的な感情だけで動くわけにはいかないという覚悟が、腹の底から湧いてきた。これからも戦争を経験された先輩方、犠牲になった多く方々の心の声そして皆さまからのご指導ご鞭撻にしっかりと耳を傾け次の5年間をかけて、世代を超えて想いをつなぐ「仕組み作り」に一人でも多くの人たちと手を携えて精を出したい。そんな想いを新たにした、ウィルウィンド5周年と65回目の終戦記念日。今後ともメモロ、そしてウィルウィンドを、どうぞよろしくお願いいたします。
August 15, 2010
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ウィルウィンドにて「ご家族代々写真額」を制作させていただきました。依頼主様のご自宅の新築に伴い、家のインテリアとして、先祖代々からご自分につながるまでの写真を一つの額におさめたいというのがご希望でした。ひいおじいさま、おじいさま、おばあさま、ご両親、依頼主の方・・・ひいおじいさまなどは今から172年前の1838年(天保9年)生まれ。大隈重信や山縣有朋と同年です。写真額はイタリアの古典技法額縁を制作されるKANESEIさんとのコラボ。掛け軸などが中心だった日本にとって、額縁の歴史は浅く、一方イタリアではルネッサンス時代からの重厚な額縁が何百年と生き続けています。ご先祖代々の写真を保存する額として最適だと思いご提案させていただきました。写真額を掛けられたい壁と周囲のインテリアの写真、新築されたご自宅の外観の写真、そして重々しい感じではなく、明るい感じに仕上げてほしいというご要望をもとにご自宅の外観の壁の色に合わせたうすいベージュピンクの柔らかな額縁をご用意させていただきました。※KANESEIさんのページで今回制作された額縁が紹介されています。マットも壁に合わせて質感のあるベージュの布に決定それぞれの方の生まれた年とお亡くなりになった年をプレートに刻み写真は一枚一枚古い写真の複写修正加工を素顔館能津喜代房さんに依頼。同じモノクロやセピアでも、いろいろな色味でのプリントをしていただきながら額縁とインテリアとのトータルバランスを考えました。正式納品前に、ご自宅にお持ち帰りいただきいったん壁に掛けていただいてご確認。とても気に入っていただき、無事の納品となりました。幕末から明治を生きられたひいおじいさまのお写真。ひいおじいさまが見つめる先の風景と、ひいおじいさまの目の奥に去来する想い…そして、父系男性が代々皆、すっとしたシャープなお顔立ちで似ていらっしゃるということ…なんだかいつまでも見ていたくなる写真額となり、納品の際には手放すのが惜しくなってしまったほどです。素敵なお仕事をありがとうございました。
August 11, 2010
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7月30日、MEMORO(メモロ)「記憶の銀行」をNPO法人にすべく内閣府に設立申請書類を提出しに行ってきました。そしてこの日を境に、MEMORO「記憶の銀行」の代表に正式就任いたしました。「いのちをつなげる」「想いを世代を超えてつなげる」このことをライフワークに5年前に有限会社ウィルウィンドを立ち上げ一人で続けてきました。そして昨年10月30日、朝日新聞に掲載された”イタリアから広がる「記憶の銀行」”の記事を読んだ瞬間これってウィルウィンドだ!と衝撃が走り、即座にイタリアに電話。「日本でできること、お手伝いさせてください」と声を震わせました。それから約半年の間、右も左もわからないまま日本のメモロの立ち上げに邁進しました。日本在住のイタリア人女性、チンツィア・ドルチーニが代表、私が副代表。チンツィアも日本でこの活動を知ったわけですから頼りになるのはあの1枚の新聞記事だけ。イタリアが何を考えているのか、どうやって動画を増やしているのかどうやって持続可能な活動にしているのか…。あれもイタリアに聞こう、これもイタリアに聞こうとまだ見ぬイタリア創設者からすれば、私たちは大陸の向こうの「うるさい日本担当者」だったでしょう。見よう見まねで父を撮影し、叔父を撮影し、スタッフのご両親の昔話をビデオに収めました。はじめての編集、そしてアップロードには何日徹夜をしたでしょう。仲間のボランティアスタッフも10人に増えました。事務所がないので、毎週一回、喫茶店に集まりました。みんなで分担をして翻訳をし、チラシを作り、規約をつくりました。チンツィアとも進め方でいっぱいケンカをし、いっぱい仲直りをしました。定例ミーティングの議題はいつも山積みでした。議事録を作り、次の行動につなげていきました。2010年3月、日本語のウェブサイトが正式に立ち上がったころには私自身、手弁当のボランティアでこの活動を続けることに、いよいよ限界を感じはじめました。ウィルウィンドが、”老い”も”若き”もの想いを”公””私”ともにつなげていくことがその使命だとしたら、メモロは”70歳以上(老)”の方の失われゆく記憶をインターネットで”公け”にしてつなげていく活動。メモロがウィルウィンドのミッションの一部を占めていることは間違いないのですがあまりにもそれが重なっているためにメモロを使ってウィルウィンドが儲けようとしていると思われたらどうしよう、私がメモロを推進することはフェアな取り組みなのかと逆にウィルウィンドとしても身動きがとれなくなり、ボランティア生活とメモロ、そしてウィルウィンドとの狭間でいよいよ経済的にも立ち行かなくなりました。もう限界だ。4月末の第一回オフィシャルセミナーを終えたら一旦手を引こう。ウィルウィンドを頑張って、ウィルウィンドとして、外からメモロを支援しよう。そんなとき、当該セミナー出席のために救世主のように来日したのが、イタリア創設者の一人、ルカ・ノバリノでした。メールやスカイプで何度も話はしているものの、私たちも初対面です。聞きたいことはエベレスト並みに積み上がっています。もう限界だということも伝えなければなりません。膝を突き合わせてでしかできない会話を三日三晩行いました。メモロのミッションはなんなのか、私のミッションはなんなのか、この活動を持続可能な活動とするためにはどうしたらいいのか、企業にプロジェクトを提案する場合の価格計算の方法などを学びながらより一層イタリアのメモロに対する思想を理解していきました。そして来日最終日、日本での活動を広げられるのは、今は冨田直子であり、ウィルウィンドしかいないのだと、告げられました。冨田直子として関わろうがウィルウィンドとして関わろうがどちらでもいいが私がメモロの活動をするうえで、きちんとファンドレイジングを行い活動した分の給料をメモロからもらえる体制を作ればいい。ウィルウィンドが関わるのだとしたら、メモロから利益を吸い上げないよう、原価でサービスを提供すればいい。メモロは一般への有料動画撮影を行わないのだからウィルウィンドが有料撮影サービスを提供したければ、それで事業化すればいい。メモロは日本での活動を広げたいのだ。それを引っ張っていく熱き想いを本気で持ってくれているのは、今は冨田直子なのだから、どんな形でもいい、とにかくオープンに、フェアに、日本のメモロを頼む、と。ルカはチンツィアにも明快な提案をしました。チンツィアは昨年からイタリアへの帰国を考えており昨秋、日本のメモロに関わった当初から、メモロが軌道に乗ったらイタリアに帰国することを決めていました。ルカはチンツィアに、イタリアに戻ったら、メモロのイタリア本部でアジア担当として働かないか、日本立ち上げの経験を活かして、アジアを盛り上げてほしい、と提案しました。たくさんのメディアに紹介をしていただきながらもまだ内部的にはまともに立ちあがってもおらず、危うく空中分解しそうだった日本メモロが3泊4日のルカの来日によって救われました。私たちは腹を決めました。それから3か月。。。継続性で限界にきていた事務局作業を、あらたに事務局ボランティアを募集することによって素晴らしい方々に移管することができました。今ではボランティアスタッフの方も20名に増えました。まったく手をつけられずにいたメモロのブログも立ち上げていただきました。もう労力的に当分オフィシャルセミナーはできないだろうと思っていましたが7月23日には、学生向けのサマーワークショップを開催することができました。プロのインタビュアー、カメラマン、映像ディレクターの方も協力してくださっています。事務局が今の状況にふさわしい助成金情報を探してきて下さるので、それらにようやく目を向け、申請する余裕ができました。メール対応、お問い合わせリストの管理、マニュアル整備、編集作業と、みんなみんな自分の本業を抱えながらのボランティアですがみんなきちんと寝ているのか心配になるほど、夜中になるとメモロメールが飛び交います。メモロを持続可能な活動とするためのファンドレイジングにも、企業プロジェクトの提案にも私自身が少し時間をさけるようになりました。メモロを一般に広く知ってもらうための活動にも、より力を注げるよになるでしょう。まだまだ決めなければいけないこと、やらなければいけないことは山積みですがでもそんな状況を見ながら、チンツィアも今年9月、イタリアに帰国することを決めました。そして私は日本の代表としてのバトンをチンツィアから受け取りました。チンツィアの帰国は残念ですが、これは日本でもメモロが立ち上がる目途が立ったということの、嬉しき表れでもあります。一昨日の7月30日金曜日、小雨が降る中NPO法人設立申請書類の作成を担当してくれた仲間一人とともに内閣府に出向きました。書類提出の際、窓口の方に「写真を撮ってもいいですか?」と尋ねました。ここまで一緒にやってきた仲間と申請の瞬間を共有したいと思いました。ただ、残念ながら官庁内ということで撮影はNG。でも、心からみんなと共有したいと思いました。ウィルウィンドの設立申請をしたときととなんでこんなに気持ちが違うのだろう。。内閣府を後にしながら考えました。そしてふと、「預かりもの」という言葉が浮かんできました。そうか、ウィルウィンドとは違って、メモロはみんなからの預かりものなんだ。メモロはイタリア創設者からの預かりものであり一緒に立ち上げたチンツィアからの預かりものであり一緒に盛り上げている仲間たちからの預かりものでありそして、メモロの動画を見て、人生の先輩の記憶から何かを感じるであろう未来の子どもたちからの預かりものなのだと。。。ウィルウィンドのときは、社会的使命に燃えつつも、それは冨田直子個人の想いの枠を出ていませんでした。でも今は、メモロという社会の公器としての想いを、私はみんなから預かっている。いや、一緒に立ち上げていくみんなもそれを預かっている。大切な記憶を提供下さる語り手ボランティアの方も、つなぎ手として活躍いただく撮影ボランティアの方も、そしてこの活動の持続性を支えて下さる経済的支援者の方もメモロに関わるすべての人が、未来の子どもたちからの「ちゃんと記憶を残しておいてね」という想いを預かっている。。。メモロの代表として、法人申請書類を提出しながら気づかされた、新しい使命感でした。奇しくも、メモロの区切りと並行して今日からウィルウィンドの第6期目がはじまります。メモロの活動で感じる「預かりもの」としての感覚と責任感をウィルウィンドでも感じ、いつかの日かウィルウィンドも社会の公器となれるようメモロを見習って頑張りたいと思います。そして、世界中の老若男女の想いを世代を超えてつないでいく役割を果たしたいと思います。そのための第一歩としてまずは70歳以上の方の記憶にターゲットを絞った日本のメモロの代表として、一人でも多くの方と、この大切な預かりものを形づくり、育み、つなぎ、発展させることに力を注ぎたいと思います。みんなの想いを載せて、日本メモロという船が漕ぎだします。船は沢山の記憶を積んで、大きく大きくなるでしょう。関わる人々が、記憶をどんどん引き継いで、もっともっと豊かになるでしょう。みんなでこの大切な預かりものをしっかりと育て、未来につないでいきたいと思います。6期目に突入したウィルウィンドの節目の日に、また想いを新たにしました。「預かりもの」ってすごいですね。自分のものではないからこそ、こんなにもきちんと大切にしなくてはいけないと思う。今後ともメモロ「記憶の銀行」をどうぞよろしくお願いいたします。===MEMORO「記憶の銀行」とは、70歳以上の方の記憶を未来に伝えるために生まれた無料のオンラインアーカイブです。失われゆく記憶を広く一般から収集・公開することによって世代をつなぐこの活動は2007年にイタリアで産声をあげ、今では世界11カ国に広がっています。→ MEMORO「記憶の銀行」へ
August 1, 2010
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MEMORO「記憶の銀行」ではジャーナリストやアナウンサーを目指す学生の皆さん向けにサマーワークショップを7月23日(金)に開催します。プロのジャーナリスト、カメラマン、映像ディレクターさんからお話を聞けてさらに撮影動画の講評まで予定しているという贅沢なワークショップです。詳細はこちらから http://memorojp.wordpress.com/2010/07/06/workshop0723/皆さまふるってご参加ください!
July 15, 2010
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MEMORO「記憶の銀行」の立ち上げとウィルウィンドの仕事の両輪でブログを殆ど更新できずに申し訳ありません。いつ書くの?と周りから突っ込まれつつ、とにかくこの場をかりて元気であることのお知らせです。どれだけ元気かというと、「元気の源」というくらい元気で昨日も「元気な声を聴いて元気をもらおうと思って」と知人より電話をいただきました。私にアクセスすると元気になると言っていただけるなんて元気冥利につきます。そして、私はたった今、私の元気の源より帰ってきました。それは1歳半になる甥っ子。甥っ子は自転車で10分のところに住んでいて今日も夕方6時半過ぎ、ふと、元気をもらおうと仕事の合間に自転車でひとっとび。今日は英語攻撃で甥っ子に話しかけてみると、なんと甥っ子のツボに入ったらしく見たことのない大爆笑。甥っ子がものを落とすたびに"uh-oh!”と私が言うと甥っ子はもう笑いすぎてふらついてぶつかって尻もちついて、それでもヨダレを垂らしながら笑い転げてました。まだ一言二言しかしゃべれていない1歳半の子ってこんなに笑ったっけ?1時間くらい元気をもらって、私はのどをからして帰ってきました。あー、楽しかった。皆様の元気の源は誰ですか? なんですか?
July 10, 2010
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お知らせブログです!年末より立ち上げにどっぷりつかっているMEMORO「記憶の銀行」が明朝のNHKで紹介されます。===●NHK「おはよう日本」4月23日(金)放送のご案内 番組 NHK「おはよう日本」(関東甲信越地方のみ) 日時 2010年4月23日(金)午前7時45分~午前8時の間の約5分間 ※ニュース番組ですので、他のニュースの影響により 当日放送されない可能性もありますこと、ご承知置き下さいませ。==ご興味をもたれた方、是非、以下の無料セミナーにもご参加ください!==●第一回オフィシャルセミナーのご案内******************************************************************MEMORO「記憶の銀行」第一回オフィシャルセミナー詳細:http://www.fenoglio.net/public/jp/jp2.html******************************************************************日程: 2010年4月25日(日)時間: 14:00~16:00 (13:30受付開始)場所: 特別養護老人ホーム カメリア 1F 地域交流スペース 〒136-0071 東京都江東区亀戸3-36-5交通: 都営地下鉄浅草線・京成線・東京メトロ半蔵門線・押上駅徒歩10分 JR線亀戸駅・徒歩20分地図: http://www.camellia-kai.com/?cat=29参加費:無料******************************************************************参加お申込みは下記のお問い合せフォームから、「セミナー参加申込」及び、「参加人数」を明記の上、お申込み下さい。お問い合わせフォーム: http://www.memoro.org/jp-jp/contacts.php******************************************************************プログラム1.イタリア本部来日講演 2.公開インタビュー(戦争孤児の会)3.日本のMEMORO活動紹介 4.MEMOROへの参加の仕方 個人としての参加の仕方 団体としての参加の仕方5.動画撮影・アップロードの仕方6.質疑応答 ******************************************************************皆様とお目にかかるのを楽しみにしております!
April 22, 2010
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「医療法人財団百葉の会 湖山病院 20周年記念式典」に参加しました。MEMORO「記憶の銀行」の活動と、なにかご一緒することはできないかということで、今回ご招待いただいたのです。今まで、ウィルウィンドを通じて多くの高齢者施設を訪ね、また多くのお年寄りのお話をうかがってきました。しかしながら、今回の式典のように湖山病院の20年の歩みを学ばせていただき湖山病院での介護や看護のサービスのあり方を学ばせていただきまた荒木由美子さんの講演や、病院スタッフとの座談会を拝聴させていただくという広い視点で、高齢化社会や介護というものを考える機会はあまり持ってきませんでした。そのような中での式典参加。多くの学びと気づきをいただきました。まず感じたことは、結婚2週間目から20年間に渡ってご主人のお母さまを介護されてきた荒木由美子さんの「私と介護」という講演を通じて、そして、その後の座談会に出席された患者様ご家族代表の方のお話を通じて、患者様がお亡くなりになったとき、ご家族の方にどれだけ「純粋なるやりとげ感」を感じていただけるかということが、介護サービスの本質なのではないかということです。荒木由美子さんは介護14年目にしてお義母様を施設に入れることを決めその後の6年間、毎日施設に通い、毎日一緒に手をつないでお散歩をし、そして後半は毎日毎日今日が最後だという覚悟で話しかけられました。そしてついにお義母さまが「ありがとう」と言って旅立たれた日、荒木さんは涙とともに思わずガッツポーズをされたとお話されました。「ああ、やり遂げた」と。今回、湖山病院の患者様のご家族代表として座談会に参加された方は入院中のご主人が15年以上の寝たきりの闘病生活を続けそして以前から出演することが決定していたこの式典目前になって容体が悪化あと数日の命だという状況下での登壇でした。周囲のみなさんが座談会はキャンセルしてもよいとお話される中、他の家族が今はつきっきりでそばにいる上、湖山病院のスタッフの方にまかせておけば安心だからということで座談会をご主人がプレゼントして下さった機会だとご出席されていました。「湖山病院になんの不満もない。本当に皆さま良くして下さって幸せです」そう、涙を浮かべてお話になりました。「純粋なる」という言葉を使ったのは、結局病院や施設に入院入所することになってもそのことに対してご家族が罪悪感を感じずにいられるような充分な、心のこもったケアサービスが提供されているということ、そして、ご家族が毎日でも病院に通い、一緒の時を過ごしてて、心の面でサポートできたというその満足感を得られるような環境を提供するということ、さらに、患者様本人に、可能な限りの自立自尊を感じていただけるような環境を作るということ。それらがそろってこそ、入院入所させたご家族が、やれることはやったという「純粋なるやり遂げ感」、「達成感」を感じられるのではないかと思ったのです。そして、もうひとつ、式典を通じて得た大きな収穫があります。長いこと個人的にかかえていたもやもやが、式典の進行に従って、ある気づきに変わったという収穫です。私のもやもやとは、「医療技術の進歩によって高齢化が進み、 私たち人間が今まで経験したことのない介護や看護に直面しなければならなくなっている。 はたして私たちはここまで寿命を延ばす必要があったのか…」ということに対するものです。それが、今回の式典の中でスタッフの皆さまの心をダイレクトに感じることによって、ふと思ったのです。高齢化社会は、多くの人に介護という職を提供し、結果、今までにない数の人たちがいのちというものに真正面から向き合う機会を与えてくれている。その奥深さ、素晴らしさ、尊さ、を考えたら・・・もしかしたら私たちが自らの手によってもたらした高齢化社会は、人間をもう一度優しくし、そして人間がもう一度大切なことに気づけるようにと与えられた神様からのプレゼントなのかもしれない。。。と。若い人たちがどんどん介護業界に入っていく。老いと向かい合う。病気と向かい合う。認知症と向かい合う。死と向かい合う。生きるってなんだろう、いのちってなんだろう、ということに真剣に向き合う。一昔前までは耳にしなかった「介護業界」というものができ多くの人が、職業としていのちと向き合う時代になりました。家族の中の一ケースを見ただけではわからないことをもっと広い視点で見て感じていくことで、学んでいく。優しい気持ちをもっていなければできないこと。使命感を持っていなければできないこと。生きることの本質にせまらなければできないこと。それが、こんなにも多くの人たちによって成されているということ。スタッフの皆さまの真摯でひたむきな姿勢を見て、高齢化社会は、神様が私たちに与えてくれた本質に立ち返るためのプレゼントなのかもしれない。。。なんだかそんな答えがふと浮かび、心が温かくなりました。MEMORO「記憶の銀行」とのコラボレーションはもちろんなのですがそれ以前に、多くのことを学ばせていただいた一日でした。私が感じたことは甘く、間違っているかもしれません。過酷な現実の中には、もっともっと知るべき大切なことがたくさんあるのだと思います。でも式典を通じてその片鱗を見せていただいたことで、「みんなやるじゃん」「人間やるじゃん」、そんな希望をいただきました。もしMEMOROが関われるとしたら、患者様の自立自尊の部分かな。。と思いつつでもそんなおこがましいことではなくて、とにかく一人でも多くの方の記憶を人類の財産として、次世代につなげていくためのお手伝いができたらと思っています。素晴らしい一日にご招待いただきました湖山病院の皆さまに、心から御礼申し上げます。
February 27, 2010
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父の友人、野下靖久さんが、税理士開業40周年を記念して、本を作られました。40年の間に、野下さんは20人以上もの税理士を育て、独立させてきた素晴らしき方です。実家のピアノの上に飾ってあったこの本。父から時々聞いていた野下さんの書かれた本。。ふと手にとって読ませていただきました。タイトルは、「わたしを勇気づけてくれた珠玉の言葉 ~出会いは人生の宝もの~」ジャンルとしては自分史になると思うのですが内容の大部分が野下さんに影響を与えた56人の有名無名の方のお話で占められています。その方たちが発した力強い言葉、ユーモアたっぷりの言葉、優しい言葉、熱い言葉、豪快な言葉…そしてそこから得た野下さんの学びと感謝の気持ちが、本の全編を通して溢れ出ています。こんな風に、人のよい面、よい面を見て、学んでいかれる出会われるいろいろな方から、他の人が聞きもらしてしまうような言葉をも糧にする。ご本人も書かれている「尽きることのない人間への興味」と向き合い、人生を楽しまれている様子が随所にうかがえました。そして結果的に、周囲の方のことを書いているのに、そこから野下さんの人となりが浮かび上がってくるのです。野下さん、大学時代に原因不明の病におかされ、一時は全身が麻痺します。3か月後に、ぴくりと右足が動いた。そこからの懸命なるリハビリでなんとか復活されましたが、現在は年齢とともにまた車椅子が必要になっています。ご著書の中で、そのことにも触れているのですが、そういった境遇だから素晴らしいとか、特別だとか、といった感覚を読みながらもまったく受けない。多くの方の言葉から得た学びと同等に野下さんは病気を通じて「自分にあるもの(残された身体の機能)だけで勝負する」と学び、そして人生に腹を決めて挑んでいかれます。とにかく、自然体で、読後感が素晴らしく、はじめて、「いつか私が自分史を書くのだとしたら、こんな自分史が書きたい」という自分史に出会えた気がしました。いや…、「いつか」ではなく、もし「今から」というのであれば、今日のブログはその1ページ。人間の器をもっと大きく、もっと磨きつつ野下さんのようなすがすがしい読後感を目指して、これからの人生も感謝のページを増やしていきたいと思いました。
February 23, 2010
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伊豆半島の先端、石廊崎から満月を見た。海面に光を放ち、煌々と輝く満月の光は海から顔を出す大きな岩を、影絵のように佇ませる。月が眩しい。とにかく眩しい。私自身の影は、入り江を超えた反対側の岩壁に長くくっきりと映り込んでいる。美しく輝く月を今までなんど立ち止まって見てきただろう。そして、これまで生きてきて、今、この目の前の満月ほどきれいな月を見たことがあっただろうか。。。この美しすぎる光景に、私は何か意味を見出そうとした。これからの仕事の発展を示唆しているのか、入院中の甥への祈りの表れなのか、はたまた人生の転機を意味しているのか、世の行く末を暗示しているのか。。。でも、考えれば考えるほどすべての意味など、その満月の前では無意味だった。月が輝く。水面が輝く。調和。。。。そして感謝。意味を見出そうとした自分が恥ずかしくなった。
January 30, 2010
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昨日ある方とのお話の中で私がウィルウィンドよろしく「家族の中の想いをつなげていくということは一つの原点だと思う」というようなことをお話したら「”血か水か”ということですね(私は”水”のような気がする)」というたぐいのことをおっしゃられました。つまり、家族の想いなどつなげてもあまり意味がないということをその方はおっしゃりたかったのだと思いますが、それに関してはいろいろな意見があってよいと思っています。そういった意味では、家族だけでなく、企業も含めたいろいろな人の想いもつなげたいのがウィルウィンドの目指すところではあります。これはその方の言葉を借りれば同じ職場で働いた、同じ「水」を飲んだ人たち、ということになるのでしょうか。一昨日、冨田家本家の第十三代当主が亡くなりました。私の父の従兄です。本家は愛知県岡崎市本宿町にありますので、葬儀には父らが代表して出席ですが私の原点となっている祖父と親しかった叔父の一人としてもっといろいろ話を聞いておきたかったと悔やまれます。その本家では、冨田家系譜を今から20年近く前にきちんとした本として制作しました。系譜の最初は1575年長篠の戦いで徳川氏のために忠死した冨田助重(スケシゲ)から始まります。始祖はその三代後、冨田元右衛門重庸(シゲツネ)となっていて、本宿村で一家を成すとあります。そして二代目と五代目は養子です。また七代目の説明書きがおかしいのですが「明治維新に際し、代官職を離れ、変転試練に遭遇。 紺屋等を開業するも、武士の商法とかで成功せず」とあります。そして十代目は、養女が当主となります。私が生まれる五年前に亡くなっている曾祖母、志づです。そして曾祖母は、婿として曾祖父を養子で迎え入れ、曾祖父丈次郎が十一代目となります。(昭和十六年没)この曾祖父のところの記述もまたおかしいのです。「医業を開き家運隆昌、面目一新」そんなこんなの紆余曲折があって、冨田家は今も存続していますがしかしながらこうしてみると冨田家は多くの養子縁組によって成り立ちましてや十代と十一代は養女と養子のカップルです。血もなにもあったものではありません。それでも、私がこの系譜をおもしろく見、長篠の戦で戦士した冨田助重を想う時、歴史の一ページを我がことのように感じる不思議な感覚を覚えます。七代目が「武士の商法とかで成功せず」となれば私が汚名返上してみせる、などとど奮起したりします。そう考えると、そこにあるのは「血か水か」という議論ではなく、とどのつまり「縁」だと思うのです。家族ほどの深い縁はないのはないでしょうか。血が繋がっている繋がっていないとに関わらず儒教思想に影響を受けようが受けまいがそこには子供を育て、一つ屋根の下で共に暮らすといういいようのない時間を共有し、人間形成の元となる深い「縁」が存在する。これは日々いろいろな方に会い、影響を与えあい、同窓として学び、チームメイトとなり、一緒の会社で働く親友、同僚、仲間、上司、部下、パートナー、、、、その縁をいかに大切にするかに通じることでもある、、、そういった意味で、やはり家族は一つの原点だと思うのです。昨日お目にかかった方からの言葉をきっかけにして「血か水か」ではなく、「縁」について考えさせていただきました。私の及ばぬところでこれからも続いていくであろう冨田家ですが縁を教えてくれるもっとも身近で大切な原点としてこれからも大切にしていきたいと思っております。
January 19, 2010
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深夜0時半、妹から電話があった。「去年の今頃、陣痛が始まったんだなーと思ってさ…」と。それから12時間後の2009年1月14日12時05分カーテン越しに聞こえる絞り出す叫びの中から翔太がこの世におんぎゃーと誕生した。最初に腕に抱き上げたのは、唯一出産に間に合ったこの私だった。しばし、妹と1年前の奇跡を思い起こす。。。ウィルウィンドも今、陣痛を迎えているのかもしれない。新しく産み出される命を前に、大きなうねりが押し寄せる。今夜、仲間と集まって、すんごいサービス考えた。ウィルウィンドを立ち上げたときから温めていたアイディアだ。でも、まだ世に出ていなくてもここには確かに、命あるアイディアが存在する。翔太が去年の今頃、確かな命を宿して妹のお腹で脈打っていたように息づくアイディアも、確かに存在して私の腹の底をどんどんと突いてくる。私たちには産み出す力が備わっている。産みの苦しみがあろうとも、その先には希望がある。私たちの心を温めてくれるかけがえのない存在がある。だからがんばる。だからわくわくする。翔太。この一年でどれだけの成長を遂げただろう。どれだけの奇跡を見せてくれただろう。1歳のお誕生日というだけで、こんなに胸がいっぱいになるものだとは知らなかったよ。おめでとう。がんばるからね。1年前に、小さな小さな翔太を腕に抱きながら誓ったの。がんばるから見ててねって。
January 14, 2010
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公園の落ち葉を踏みしめながら打ち合わせに向かう。雪景色ならぬ、落ち葉景色。はらはらと目の前を散っていく錦の一片が辺り一面をおおう。銀杏の下に植え込まれたつつじには銀色の葉っぱが降り積もる。綺麗。。。と目を細めながらふと思う。この落ち葉たちは、人間でいうと死んでしまったということのなか。。。否。散ってなお、こんなにも鮮やかに美しさを際立たせる。皆、やがて土へと還り、豊潤な大地をつくるだろう。その土から養分を吸い上げた木々は、眩しい新緑を芽生えさせ、そしてまた夏に向けてわっさと成長する。そこにあるのは永遠の循環。私たちも同じだ。永遠の循環の中で生きていく。肉体は形を変えて、次世代のための土となるだろう。その土で作物を作り、作物を食べた子供たちは未来の大地を踏みしめる。そして大切に育んだ想いは、世代を超えて、人々の心の中に生き続ける。そこに「死」はない。あるのは永遠の循環。それも単なる循環ではない。世代を超えた想いが一人ひとりの心に蓄積しそれが叡智となったとき循環しながらも上り続ける螺旋的な進化へと発展する。。。そう、歴史は繰り返す。ではなく、「進化」でなければいけない。落ち葉に目を細めながら、人間を信じたいとまた思う。ウィルウィンドを頑張りたいと思う。Memoroを頑張りたいと思う。足取り軽やかに、こぶしを握った初冬の公園。
December 17, 2009
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ずっと怒涛の忙しさでした。Memoroの相棒、チンツィアがここ1カ月半日本を離れているのでかわりに引き受けたイタリアとの連絡も時差から夜中になって、ハイテンションが続いています。怒涛の忙しさの中、引っ越しさながらの模様替えなんかもしてしまってそして友達を家に招待してパーティーしたりとかなんで忙しい時には一気にいろんなことができるのでしょう。まだ年賀状やっていないしとにかく年末年始はゆっくりしたいのでそれに向けて頑張りたいと思います。さて怒涛といえば、怒涛の成長をしているのが、甥っ子の翔太です。先週、生後10か月にして歩きました。伝い歩きから、つかまらずに立てるようになって、立ちすくむ時間がが5秒から10秒から17秒になって。。そして一歩、一歩とよろよろと歩きだしました。5歩進んでは、目の前に人がいると満面の笑みで倒れこんできます。私の目の前で、人生初の方向転換をし、人生発のUターンをし歩く歩数が5歩、6歩、7歩と増えていきます。今日は妹から電話があって、床から手をついてそのまま立てるようになったとか。そして、この怒涛の成長の間に妹は断乳にチャレンジ。私は断乳3日目に甥っこを寝かしつけるという大役に名乗りをあげじたんだを踏んで泣き続ける彼の傍らでさー、もうおっぱいはないんだよ、大きな愛で包んであげるから安心しておやすみ、という特大オーラを醸し出そうとするも・・・まったく私にはスピリチュアルパワーがないんだということを思い知らされ結局45分間もの間、私は彼に恨まれっぱなし。。もう嫌われちゃっただろうな。。。ようやく寝かしつけ、部屋を出ると、妹と妹の旦那が拍手をしてくれました。すごいっ、45分で寝たとは!って。断乳一日目は4時間泣き続けたのだとか。そして昨夜は断乳4日目。どうだった?と訊くと、、絵本のお話を聞きながらすぐに寝るようになったと。翔太。おまえはすごいぞ。伯母も負けぬぞ。成長するぞ。人間のポテンシャルってすごいのだ。それを目の当たりにしてくれる翔太とともに伯母もまた明日、人生初を体験してゆこう。人間は成長する動物なのです。いつまでもいつまでも成長し続ける。成長したいという意思があれば、きっとそうできるのです。いや、まてよ。翔太を見ていると、成長欲は、きっと我々の本能の中に刻まれたごくごく自然な摂理に思えてきます。意思など持たなくてもいいのかもしれません。いくつになっても無限の可能性を自身の中に感じる。。。究極の幸せの一つなのかもしれません。
December 16, 2009
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MEMORO「記憶の銀行」のお手伝いをはじめてから、ほとんど毎日にようにメールや電話でやりとりをしているのがパートナーのチンツィア・ドルチーニというイタリア人。MEMOROはイタリア発祥のアイディアだから、イタリアとのやり取りはほとんど彼女におまかせ。ありがとう!さて、日本在住の彼女、来日4年半目で日本語は上手。小さい頃から日本のアニメが好きだったらしく、古武道も習ってきた。イタリアの歴史よりも、日本の歴史の方が詳しいかもしれないという。特に好きなのは戦国時代だとか。。。そのチンツィアと、ある方の名前を見て、この名前から察するとこの方は女性なんだろうか、いやいや男性という可能性もあるかな、などと悩んでいた。日本人の私が見ても、悩む名前である。二人で悩みながらも、実は内心、チンツィアは本当に悩んでいるのか、名前が表す性別の微妙ささえも理解しているのか、と半信半疑であった。すると、彼女が言った。「ほら、ガラスの仮面のあの男の人、あの人の名前もどっちでも使えそうだよね」「えっ!? もしかして速水真澄?」「そうそう、速水真澄! 紫のバラの人。」「・・・・・・・」参りました m(_ _)m !
November 26, 2009
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友人が画像を送ってきました。月が笑った口で、惑星が片目、もう一方の目はつぶっていて見えないんだそう。「大丈夫、うまくいくさ」と言っているウィンクなんですって
November 23, 2009
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今日は、サレジオ教会で親友の子どもの幼児洗礼式に出席させていただきました。その前に本堂の礼拝堂でミサに出席させていただいたのですが、荘厳ですね~。カトリックのミサというのは、世界中でその週に引用される聖書の箇所などが決まっているのですね。親友のパートナーはアイルランド人なのですが日本語がわからなくても、英語のミサの式次を見ながらあ、今、聖書はここを読んでいるな、あ、今、このお祈りを捧げているな、ってその日の式次を理解できるのだそうです。世界中どこにいてもミサに参加できる。すごいシステム!中学高校で学んだプロテスタント(メソジスト)とは全然違って、また勉強になります。さて、洗礼式は、ミサの後に本堂の横の小さな礼拝堂でおこなわれました。生後4か月の女の子。泣かなかったけれど、ちょっとびっくりした顔で固まりながら、神父様に3回ほど聖水を頭にかけていただき、神父さまが祝福して、みんなで祝福して、晴れてカトリック教徒!カトリック教徒にとって、幼児洗礼は、日本のお宮参りと同じくらいに当たり前のことのようです。でも宗教や宗派を超えたところで、明らかに赤ちゃんは天使だと思うしそのオーラからは(見えなけれど)すごい生命力を感じるし神様に一番近い存在なんだろうなってことだけは確かなような気がします。しっかり未来を作らなくっちゃ。天使の赤ちゃんを見ていると、そんな力をもらいます。
November 22, 2009
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ウィルウィンドがはじまった根っこの根っこは、私たち人類はこのままでいいのか、このまま未来に向かっていいのか、このままでは滅んでしまうんじゃないか、と思ったことでした。2004年12月、ニュージーランドの大自然の中で、動物や植物が必死にいのちをつないでいるのを見ながらそんなことを考えました。当時は自分もそうでしたがなぜ人は、滅んでしまかもしれないような選択肢を選んでしまうのかと思った時、そうか時間軸がないのだな、という考えが浮かびました。今をめいっぱい生きることは何よりも一番大切なことですがそれはいつか死ぬからこそであり、先祖のためであり、未来のためだからこそできるのだと思います。だのに世の中を見ると、死きちんと見つめていない、今さえよければいい。。。所説あるのかもしれませんが、昔生物には「死」というか「寿命」がなかったといいます。事故死はあっても、寿命が尽きて死ぬということがなかった。単細胞生物の時代です。でも、これでは環境の変化に耐えられない。何かが起こったらみんな一斉に死んで滅びてしまう。そこで生き残る手段として、突然変異を含めて、「進化」のスピードを早めることが必要になり、性別ができ、子供を産み、世代交代をしていく、つまり「寿命」を迎えるという「死」ができた。「種として生き残るために、死ができた」とは、なんとも興味深い話です。でも、そのことを見つめずに、私たちは漫然と生きてやしないかな、と、そんなことを大自然の中で考えていました。私たち、と偉そうな上から目線で申し訳ございません。もちろんそうでない方々がたくさんいるから、ここまで素敵な未来ができてきたのだと思っています。でも、もっと多くの人が死をきちんとみつめて、先人から引き継いできた想いというものをしっかりと感じ、そして自分もいつか死ぬけれど、次の世代に何を手渡していこうかと考えたとき、自身の中に、自分の人生よりも長い時間軸というものがはじめて生まれるのではないか、そうしてその時間軸を知った時、その持っている時間軸の長さの分だけ本気で未来を考えられるのではないかと考えました。だからwillwindは未来を本気で考えるためのきっかけづくりを提供したい。willwind自身、未来をどうしたいなどということはわからないけれどでもみんなで考えるきっかけくらいなら提供できるかもしれなくてそうすることによってみんなと一緒に未来を考え、創っていきたいと思いました。時間軸を感じるきっかけ、その方法の一つが家族の中で想いをつなぐ「バトン自分史」であり企業という仕組みの中における「想いの継承」であり、教育という側面で少しだけお手伝いをさせていただいた子供たちの「寺子屋」であり、そして最近お手伝いをはじめたMemoro「記憶の銀行」なのです。ウィルウィンドは、時間軸をみなさんに感じていただくために皆さまの想いを風になって世代を超えて届ける役割を担いたいと思っています。「風」イコール「つなぎ手」であるという意識でいます。みんなが、いのちをつなぐバトン走者なのですから、そのことを実感する、お手伝いをさせていただきたいと思っています。~~~ある方からのメールでの質問に答える形で上記をだだだっと打ちました。久々にウィルウィンドの原点に戻る言葉が並びましたので、今日のブログとさせていただきます。
November 21, 2009
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今日は大月短期大学で3年目となる「わたしと社会のハッピーな関係」という講演をさせていただきました。就職支援講座の一貫です。冒頭の質問は「あなたは幸せですか?」「あなたは支えられていると思いますか?」「あなたは誰かを支えていると思いますか?」結局、人は支えあってしか生きていけないということそして、会社もまた同じであり、そうやって関わりある人すべてと支えあって社会を幸せにする仕組みを提供するのが会社なのだと…配った図にいろんな人との幸せな関係を書き込んでもらいながらお話をすすめました。不況で就職率もガタ落ちだということです。でも、どんな会社の面接にいくときもその会社と社会のハッピーな関係図を一回整理してそしてハッピーをもっと発展させるために何ができるかということ考えて望んでほしいと思います。素敵な会社と出会うことはもちろんもし、希望の会社に入れなかったとしても一人ひとりが会社を、社会を変えていけるそんなハッピー要素をもった人になってほしいと思います。みなさんからの感想文がうれしかったです。 「 今、就職難で自分の希望する企業への就職が難しいかもしれません。 でも、そんな時にくさらず、 社会と自分が関係する要素(プラス面)を 今日もらった紙に書いて整理してみたいと思います。 そうすることで、社会と関わる自分の位置も見え、役に立つと思います。 」「 お話を聞いて、働くというのは、 ただ労働して給料をもらうだけではないなぁと思いました。 私も地域や支えてもらっている人達に恩返しをしているような そんな会社に就職したいです。 そして自分自身も幸せをもらって返せるような仕事をしたいです。 」「 自分の幸福は社会の中で生まれ、 自分が支えられて初めて"幸福"に気づくものだと思った。 リーマンショックが生まれた理由もわかりました。 儲けを重視しすぎて大切な事を失うと 会社まで失ってしまうことを知りました。 "本当の働く意味"を一人ひとりが見つけて みんなが幸せな社会を築けたらいいなと思いました。 」その他いっぱい、素敵な気づきをありがとうございました。
November 18, 2009
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28歳から36歳の4人のイタリア人がMEMORO「記憶の銀行」を立ち上げました。1940年以前に生まれた方々のお話をビデオで撮影し、インターネットでアーカイブ化していきます。すでにフランスでも、ドイツでも、スペインでも、アメリカでも、アルゼンチンでも活動が友人知人を介して飛び火してはじまっています。68億人の自分史があっていい…、そんな大きなことを言っていたウィルウィンドですがMemoro Japan 立ち上げのお手伝いをさせていただくことになりました。実際にビデオを掲載する日本語の公式ホームページアップに向けて、そしてNPO法人設立に向けて、活動をスタートさせました。ご興味ある方、ご連絡ください。Memoro International ホームページMemoro Japan ホームページ
November 13, 2009
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もう10日も経過してしまいましたが…10日前の諏訪湖のほとりです。
November 12, 2009
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今日は秋川でのBBQが予定されていましたが天気がぎりぎりまではっきりせず(予報では雨から曇りになるはずだった)主催者は朝、一旦決行のメールを流したもののその50分後にやっぱり中止の決断を下しました。最初の決行のメールを見て、家を出た人もいる可能性がある、、、主催者は、中止決断するも秋川まで行き、中止を知らず来る人がいないかと河原で待ちました。こういう主催者だから毎年春秋、40人、50人という人が集まるのです。毎回、参加者全員のプロフィールをご自分で書かれます。誰かが新規参加者を連れてくる場合も主催者の独自の視点でおもしろそうな人だとコメントされます。事業を持っている人のホームページもきちんと紹介されます。それでいてドタキャン、ドタ参加ありの河原での開催がまた参加のハードルを低くします。「こっちはなんもしてへん」とおっしゃりますがいえいえ、人が集まるのにはきちんとした理由があるのです。今日もありがとうございました。お疲れ様でした。
October 25, 2009
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時間との戦いで資料を作っていた。5時までに、ここから走って3分の郵便局から出したい。時計は4時48分。あわてているので、宛名書きに失敗して封筒を一枚損じる。もう一枚、封筒をがさがさと出し、油性マジックで郵便番号を書こうとしたそのとき、ピンポーン。「エコハイ」です。いつも頼んでいる宅急便屋さん。「ウィルウィンドさん、集配に来ました。」「あの、頼んでいませんけど」「えっ、そうですか?」「あ、でも3分待っていただけます? 出したいのがあります」封筒に宛名を書くのをやめ、宅配用紙に宛名を書く。袋が大きいのでもったいないなーと思い、「参考まで」として、他の資料も入れる。数分後、玄関でお待ちいただいていたエコハイさんに渡す。渡しながら、5時の鐘が夕闇に鳴り響く。神様の救いか、なんなのか。追加で入れた資料は、何か新しいことをもたらしてくれるのか。郵便よりも早く、明日の朝には届くだろう。。。
October 19, 2009
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大学2年の夏二つの条件付きで祖母に車を買ってもらった。毎月少しずつ返済すること。そして、毎月祖父のお墓参りに祖母を車に乗せて連れていくこと。あれから、20年近くが経つ。車は3代(台)目になり、92歳の祖母は、もうお墓参りには行けない。でも昨日もまた、高尾まで車を走らせ両親とお墓参りに行ってきた。今では毎月ではなくなったけれど、それでも2、3ヶ月に一度の家族のイベント。お墓につくと、ルーティンは決まっている。母が墓石を綺麗に拭きあげている間に私はお榊とお榊が入っている水入れを水場で洗う。戻ると、お墓の周りの枯れ葉を拾い、雑草を取り除く。そして母が足もとの石を拭き終わるのを手伝いながら私は桶水を替え、母が持ってきたお供えのお菓子を揃えている間に私はろうそくに火を付ける。お墓掃除はいつも、あうんの呼吸で進んでいた。ところが、昨日はたまたまお榊が枯れていたので母が霊園正門前の石材店に新しいお榊をいただきに戻る。そこでその間、私が、いつも母がしている墓石を綺麗に拭く係をした。柄杓で水をかけ、布巾で綺麗に墓石を拭く。墓石の下の大理石も綺麗に拭きあげる。布巾の水は植栽の上で絞る。つつじの植栽は祖父が生前、庭で大切に育てていた植栽だ。今までも一人でお墓参りに行き墓石を掃除したことはあるが考えてみれば5年以上も前のこと。今回、いつもの母の仕事をしながら思った。大丈夫、このお墓はこれからは私が綺麗にしていく。両親がこのお墓に入ることになっても私は母がしていたのと同じようにこうして丁寧に墓石を拭くだろう。「冨田家」と彫られた溝に入り込んだ水も布巾と一緒に指を入れ込んででぬぐい取るだろう。母が祖父に声をかけていたように私も「おじいちゃま、綺麗にしますからね」と言いながら同じようにお墓の顔を拭くだろう。。。母と同じ手順でお墓掃除をする自分がなんだかちょっぴりおかしくなった。世代を超えて守りたいものがある。お墓参りだけじゃなくて、お墓掃除の仕方もきっとそういうものだと思う。風が少し強かったけれどろうそくは一回も消えずに最後まで燃えた。祖父が喜んでくれているような気がした。
October 13, 2009
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昨夜、アルジェリアに住む友人とメールをして今夜は中秋の名月だという話をしたら…アルジェリアでも夜になったら見る、と言ってくれた。今朝、ブログにアップされていた。時間差名月。。。アルジェリアの空気とともに。。。
October 4, 2009
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今日は一日仕事をしようと思っていたが午後2時過ぎ、耐えがたき睡魔に襲われパソコンの前でこっくりしそうになる。そのままベッドへ…気づくととっぷり日も暮れた6時。驚きつつ、大好きなくせに見逃し続けている番組「人生の楽園」に合わせて目覚めたのかとテレビをつける。ふと目をあげると… あ、名月が私をいざなってくれたのだと、手を合わせる。いただいた新潟産のコシヒカリを炊く。シャケを焼く。れんこんを煮付ける。キャベツのお味噌汁を作る。テレビを消して、手を合わせていただきます。
October 3, 2009
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先週日曜日にちょいと大山の方にハイキングに行ってきた。ちょいとハイキングと思いきや、結構歩いたハプニングもまた楽し。ガイドブックの徒歩にて20分は、とてもじゃないけどそんな時間で登りきれない息切れ階段の嵐だし「伊勢原温泉までは歩いて20分くらい」と教えてくれて温泉の割引券までくれた親切なおじさん、結局45分くらい歩いたよー(T_T)だし、後半しびれをきらして聞いた庭木の手入れをするお父さんの言葉「伊勢原温泉まではすぐそこ、あと200メートルくらい」でも、結局そこから1キロ以上離れていたという、容赦ない勘違い。(^^;「田舎の人の言う距離は信じるな」という鉄則がわかっていながら信じてしまいたいのが人の情。それにしても、ハイキングから5日も経つというのに、まだ足に筋肉痛が残っているというのはいかがなものか。。。(^^;ただもう一つ、5日間残っているものがある。それは…心なしかまだもちもちの肌。伊勢原温泉上がりのもちもち感がいまだ肌に残っている。こんなに効果が持続した温泉って今までなかったかも!?ただもう一つ可能性がある。もしや温泉帰りに食べた厚木名物のシロコロホルモンか!? ご当地B級グルメ、B-1グランプリ2008で優勝経験したつわもの。精力旺盛!? 想像以上においしい。いやいや、美しき花を愛でたからかもしれない。 伊勢原温泉の近くは彼岸花の群生地。今回のイベントのメインは彼岸花を見に行くことだった。しかしハイキングあり、神社参りあり、温泉あり、シロコロありで盛りだくさん。何が原因でお肌がもちもちなのかわからないが楽しかった一日の複合的要素といたしましょう。ありがとうございました。===同じところに行ったとは、思えない報告ぶりに脱帽。RICARDOさんたけさん その1、その2、その3、その4
October 2, 2009
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最初は映画館で見たのか、ビデオで見たのか忘れてしまった。その後、しばらく経ってからまたどうしても見たくなり、2回見た。10年くらい前の話だったと思う。いつも心にあった映画なのにどうして好きな映画リストに入れ忘れていたのかどうして10年近く前からさらにもう一回見ようとも思わなかったのか理由がわからない。とにかく1週間前の明け方だったか、ふと無性にコンタクトが見たくなって目が覚めた。それもいてもたってもいられないくらいに、見たい。朝になったらすぐビデオ屋に借りに行こうそう思って、はやる気持ちを抑えてもう一度眠りについた。結局その後ばたばたと忙しく昨日DVDを借り今夜、ようやく観ることができた。あれをそうだと言うのなら私は人生で2回、コンタクトを受けている。ジョディーフォスター演じるエリーが受けたものと同じ証拠はないけれど、何よりも確かなる実感。3回目のコンタクトは、私をコンタクトに駆り立てた1週間前のベッドの中だったのかもしれない。どうしてあんなにもう一度見たくなったのか。なぜ、今なのか。理由はわからない。ただやることだけは決まっている。好きな映画リストに「コンタクト」を加える。自分の中の宇宙を感じて、眠りにつく。ウィルウィンド、がんばる。コンタクト、ありがとう。おやすみなさい。
October 1, 2009
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ひとつ決断したのでがんばろうと思った新月の夜。
September 19, 2009
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作、寺山修司、演出、白井晃「中国の不思議な役人」をパルコ劇場で観た。チケットを友人にプレゼントされての観劇でもあり寺山作品を理解できるかと少々不安だった。が、開演と同時にそこは瞬きがおしいくらいの異様な世界。パンフレットには芝居というより見世物、と書いてあったが確かにその言葉が一番あたっているのかもしれない。これが寺山修司か。帰ってきて、寺山修司を検索。いろいろな言葉が出てきた。「生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死も終わる。」「昭和十年十二月十日に 僕は不完全な死体として生まれ 何十年かかって 完全な死体となるのである」「どんな鳥も想像力より高くは飛べない」。。。。 今日の芝居の舞台は上海。その娼婦館で感じた陰鬱とした余韻が徹夜明けの私の神経を今もって尚、高ぶらせる。演出もまた異彩。友人にただ感謝。
September 14, 2009
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かぼすをいただきました。 サンマごはんを作りました。かぼすをたっぷり絞って味わいました。白茄子をいただきました。野菜と一緒に炒めました。味は普通の茄子と同じ、でもちょっと身がしっかりしているかな?ドライラベンダーをいただきました。 今夜はラベンダーを枕元に置いて、草原の風を感じながら、おやすみなさい…。
September 5, 2009
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民主の圧勝はすごいのですがそれにともなって、30代の民主党の新人議員が大量当選している。。。さきほど、開票前に大学のサークルの仲間が立候補しているということも知った。そして開票速報によると当確。政権交代を超えて同年代の人たちが日本を動かしていくということに身が引き締まる。想いを次の世代に・・・きちんとバトンを渡してバトンを受け取った人も中間走者であることを意識して継承するものと新しくするものをきちんと見分けて未来を作っていってほしい。一緒にがんばりたい。
August 30, 2009
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今日のお菓子
August 23, 2009
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昨日ご紹介したHistyというサイトのプロデューサーの方、もうひとつ持っているサイトが、eQuiz。この高橋様、東大でクイズ研究会を設立、アタック25などで優勝されたご経歴あり。でもって、その方らしいクイズで社会貢献のサイトです。クイズに一問正解すると、お米が20粒、飢えに苦しむ人々に寄付されるのだとか。昨日、高橋様にお目にかかる前に、試しにクイズにちょっとだけ挑戦。1問正解すると20粒のお米が画面にあらわれ、正解ごとに少しずつ増えていって・・・5問正解でなんと米粒が稲穂に!つまり、100粒の寄付で稲穂マークが出ました。うわー、楽しい!と思って、昨日高橋さんにお話しすると「1000粒になると”おにぎり”になるのですよ」と言われて俄然興味がわき、今日はおにぎり一個を寄付!執筆に忙しいはずが、結構遊んでしまいましたが、、、サボってクイズで遊んでも、お米の寄付につながっていると思うと自分への言い訳がしやすくなります。。。というか、いいのかそれで!?(^^;回答後にクイズの正解に関する情報も出てくるので、勉強になります。いろんな言い訳が立つクイズサイト。ご興味あればお試し下さい。→ eQuiz
August 18, 2009
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Histyという自分史や年表型のSNSサイトを作られた高橋様をご紹介いただき、お会いしました。マウスの真ん中の回すやつで、年表が縦にうにうに伸びたり縮んだりするのがすごいっ!自分の年表をいくつももてるから目標管理などもできて、仕事にも使えるかも!?自分史のインタビューをする前には必ず年表を書いていただくし、何かご一緒できることあれば考えたいなーと思っています。===今日もそうですが、そして最近人とも「縦のつながり」ってまだ少ないな、という話をしました。世の中、人とのつながりは大切でネットであればSNSの広まりや、そこから派生した交流会、そして手紙の復活など、温かい話もよく耳にします。つまり、これは横のつながり。でも、「縦のつながり」がまだ少ない。Histyもそこを考えられようとした、新しいSNS。そして先般、医者の友人と話していたときにも「縦のつながり」のために「遺伝学」の研究にももっと目を向けていきたいという話題に及びました。ウィルウィンドは世代をつなぐ、それも、今生きている世代ももちろんですがそこさえも超えた100年200年をつなぐ…、そんなことをしようとしています。100年200年の家族のつながりはおじいさんやおばあさんに昔話しを聞けばすぐに開けていきます。時間軸を持って、家族をいっぱい掘り下げる。思わぬ先祖の性格が、自分に「似ている」なんて思ってうれしくなることもあります。横のつながりがあって、縦のつながりがそこに加わると一気に時空を超えた広がりがもたらされます。老いも若きも、生きている人も亡くなった人もみんなでつながったら、過去も、今も、未来も、もっとおもしろくなる!遠くの星空を見ながら、今をきちんと生きる。横でも縦でも全方位的につながってそんな豊かで幸せな日々に向かっていけたらと思っています。
August 17, 2009
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我が家にナウシカがやってきた。ナウシカとは、堤中納言物語に当時する「虫愛でる姫君」がモデルとか。前々から、この人の虫好き、動物好きのみならず言動といい、ちゃきちゃき感といい、行動力といい、明るさといいみんなをどんどん巻き込んでしまうワールド形成力といい・・・あきらかに「ナウシカ」だと思っていた人物、アニコム獣医師、島村麻子。(適当なリンクがないのですが、とりあえず何年か前のこれかな? 元、アニコム・パフェ代表取締役社長。 http://www.anicom-page.com/column/profile_s.html)ただものではない獣医師。ただものではない経営者。ここ数カ月、島村さんより「想い」のインタビューをさせていただいている。そして今日はランチからあれやこれやと話がはずむ。食後、事務所前の公園を散策する。あ、アオアゲハだ、あ、トンボだ、と「ナウシカ魂」満開である。しまいには、「あ、セミのぬけガラだ」と葉っぱにくっついている抜けガラを収集しだす。私は自然が大好きである。それが私の人生をウィルウィンドへと導いてくれた。それほどの自然好きであれど・・・「虫」だけは、どうにもこうにも生理的に受け付けない。人からは「えせ、ナチュラリストだ」と言われたってダメなものはダメ。しかし、島村麻子の「歩み」「想い」を聴いているうちに”どうぶつと人との関係”、という意味において彼女は圧倒的に新しい価値観を私にもたらしてくれた。今の私は、自宅の観葉植物についたアブラムシをなんとか触って駆除することができるように成長した。「いのちあるものと向き合う」といううわっつらではない本当の意味を獣医師、島村麻子は私に教えてくれた。今日、セッションを終え、島村麻子を玄関から送り出すとき・・・ぎょっとして、体が飛び跳ねる。玄関脇の棚に・・・ナウシカの忘れ物。私のおののきように、彼女は「ウケル」と返すのみ。。。
August 16, 2009
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今日はウィルウィンドの設立記念日です。4年前、登記が8月の中頃になりそうだと思った時、私たち日本人が忘れてはならない大切な日、8月15日を設立日にしようと決めました。多くの人たちの「想い」に恥じないよう、決意と覚悟を持って、想いを次の世代につなげるのだという気持ちでした。ここ2年、つづけて靖国神社に参拝していましたが今年は静かに、一日パソコンに向かって執筆をつづけました。55歳の女性の闘病回復期と向き合い51歳の男性の波乱の仕事史と向き合い85歳の女性の女手一つの人生と向き合いました。なんだか、64年前の8月15日を感じたくて冷房を消して、窓を開け放ち、むせかえる蝉の声を聞きながらじっとりと汗ばむ体を椅子に沈めて丸一日、多くの方の想いと向き合いました。みなさんの想いに支えられて、4周年を迎えられているというこの感覚はどんなに言葉に表そうと思っても伝えきれないものなのだと知れば知るほど・・・この仕事と丁寧に向き合い、一生懸命に精進することだけが私のできることのような気がしてきます。4年前の私には頭でこそわかれ、心の側面では想像も及ばなかった「支えられてがんばれる」という、この心強い感覚。それを知ることができただけでも少しは成長しているのかなとうれしくなり、また、だからこそ、応援してくださっている方々にもこれからももっと頑張ります!と・・・お伝えしたい。夕刻になって、部屋を流れる風の涼しさと、今年もしかしたらはじめて聴いたかもしれない公園から響いてくる虫の音に囲まれて遠のきはじめた夏を感じています。
August 15, 2009
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