2023年02月22日
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カテゴリ: 企画 [特集]


​​
​​​●よく言われる、
若者の「音楽ソロ飛ばし」問題に付いて
「あり得ない」と捉えるのは間違い。
音楽ファンの立場で音楽ファンに向けて物申す。​


​​​​ ☆TOPページARCHIVE☆
​​『Wikiの写真で一言』
-第9回-
■2023年1月-2月■

​​​​​ ​■■■もくじ■■■​
​​​​ ■イントロ■

​​​​ ■2023年1月掲載■​
​​​​『wikiの写真でMarillionな一言』​​​​


■2023年2月掲載■​
​​​​『wikiの写真でジャンプな一言』​​​​



「ソロ飛ばし」をする若者に
「ガン飛ばし」をする音楽ファン


「あり得ない」という批判はあり得ない

速く観たくて倍速で
会話が無ければ即飛ばし、
鑑賞前にネタバレサイトで予習をし
映画ドラマを観る人達


間が持たない昭和のテレビ・ラジオ


レコードの演奏を助長と感じていた昭和世代 ​​​​


『おふくろさん騒動』に見る顕著な温度差

山下達郎はタダじゃない




▲目次へ▲
■イントロ■
こんにちはVoyager6434ですw

このイラストは9年前に 『​ ヘタレ絵日記23 ​』 で使用したものですが

こういう 「土突きネタ」
近年『痛みを伴う笑い』への 風当たり が強くなって来た事で
どつき漫才が売りの「カミナリ」などがテレビから消えた様に

かなり ギリギリ な所に来ている様な印象があります

ウチの場合もこの様な風潮は
当然考慮して記事を更新しているので

特に映画や音楽の記事を書く時は毎回本を軽く3冊は読んで調べたり
出来る限りの「ウラ」を取ってから更新はしておりますが

「解釈」を論じる点に於いては「想像」の入る余地が多分にあるので
というか殆ど「妄想」で記事を書いている事が多々あるのが

ウチの特徴だったりもしますので

それに関してはこれからも
「自己責任」での観覧を推奨する当サイトの方針は
変えないつもりでおります


話がちょっとソレましたがw
取り敢えず近年考慮が必要になってきた
「過激ネタ」 「下ネタ」 などの 「ギリギリネタ」 に関しては

毎日のアクセスが数千規模で、発言に社会的影響力がある
超人気サイトになった時にでも

社会的にも「間違った行為」と捉えて止めようと思う他は

現在その10分の1以下程度のアクセスで
通常ブログの数千倍の文字数の出版クラス記事更新で

社会に1ミリの影響も与えない

Googleのアルゴリズム次第で存在が消し飛ぶ程度の
隠れ家的埋もれ不人気サイトでいる内は

「消えつつある伝統芸」 の一環として
残して続けて行こう と考えており

こういう土突きネタを 「間違い」 として捉えるならともかく
「あり得ない」 という捉え方は

表現者の端くれとしては
してはならない と思う所でもあります



今回はそんな話ですw




さて、
今年は少しでも記事を更新しようと
毎月TOPページで更新している「wikiの写真で一言」を

「コレって記事にして更新すりゃ良いじゃね?」
と考えまして

これで少なくとも年間で確実に12記事増える見込みとなった
という様な

そんな小さな成果をいちいち記事に書く
そんな小さなひとときが嬉しい・・・

もうすぐ3月となり春の足音も間近な
2月をいかがお過ごしでしょうか


というわけで今回も、
使い回しのイラストを添えまして
トップページを飾る「小ネタ」として
2020年5月から2022年11月まで掲載した分は

後日 改めて更新するとして・・・w

今回は2023年1月~2月に掲載した
「wikiの写真でMarillionな一言」 「2月な一言」 を、

ちょっとした散文に妄想を添えてまとめてみました。

​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​​​​​

という訳でまずはコチラの「小ネタ」を御覧ください・・・


▲目次へ▲
​■2023年1月掲載■
​​​​『wiki の写真でMarillionな一言 』​​​
2016 Lieder am See - Marillion - Steve Hogarth - by 2eight - DSC4280
Brombachsee,Concertbüro Franken,Festival,Konzert,
Lieder am See,Livekonzert,Livemusik,Marillion,Musik,Steve Hogarth
(画像参照:wikimedia)


S.H​​​​​​『 ​ディンディンディンディンディン
ディディンディンディンッツ!!!​




​​​今年 ( きつね ) ​​​ って ​​
きつねダンスだっつ!!!​
』​​​














観客 そんな年はねえっつ!!!​ ​​



(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、
コレはフィクションのネタで
写真と、台詞と、Marillionと、きつねダンスとは
一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)





さて、
今年も当サイトがプッシュするイギリスのロックバンド
「マリリオン」をイジるシリーズで新年の幕開けとなりました

これに関しては今回もノープランで挑みましてw
取り敢えずボーカルのスティーブ・ホーガスの画像を
じ~っと眺めていた所

たまたま手付きが「きつねダンス」の振り付けに見えた事で
旬という事もありこんな感じでまとめてみたのがコレですw


昨年流行語大賞にもノミネートされた
「きつねダンス」

日本ハムファイターズのホームゲームでのイベント間で行われる
ファイターガールの応援パフォーマンスだったものが

ソフトバンク時代の松田宣浩が
そのダンスを真似る姿が放送された事がきっかけとなり

球団を超えて観客が一緒に踊る様になった事で人気が高まり
全国に広まった事で社会現象になった事でも話題となりました


しかしこの社会現象にまでなった「きつねダンス」の仕掛け人
尾暮沙織 がダンスに選んだ楽曲 「The Fox」

ノルウェーの男性コメディアン兄弟によるデュオ 「Ylvis(イルヴィス)」
キツネを題材にした コミカル な曲で

この曲できつねダンスを踊る事を尾暮沙織に勧められた
ファイターガールのメンバー達は

これまでのパフォーマンスで使用して来たものとは毛色が違う
コミカルな曲調に

当初は 難色を示した と言います

この曲を尾暮沙織が見つけたのは2020年の事
折しも日本ハムのメインマスコットが
キタキツネをモチーフにした「フレップ」に変更し

知名度を高め様としていた頃でもあり
満を持して投入したと言いますが

当初ファイターガールズが難色を示した通り
初披露では観客に全くウケなかったそうで

現在の人気を思えば考えられない
アウェイな船出だったと言います

それでも「これは絶対にいける」と感じて
この曲を投入した尾暮沙織の感覚は

時流を読む程の感性があったのかもしれません


そういう私も
マリリオンのファンが世界中に星の数程居る中で

マリリオンのボーカルの画像を観て「これは絶対にいける」と感じて
サイトの新年に投入しアウェイな年始を送ったブログ主の感覚も

マリリオンファンの中でも
随一の感性があったのかもしれません(多分)



▲目次へ▲
​■2023年2月掲載■
​​​​『wiki の写真でジャンプな一言 』​​​
Ornamentglas B - Ansicht 1
Ornamentglas B - Ansicht 1 (画像参照:wikimedia)

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​(変声した女性)​​​​​​『 ​​ ​はい、 ​息子​ の事なんです・・・​​​

​​​​​​


​あんなに ​バレない様に​ してきたのにっつ​
息子は・・・もう ​知って​ ​​ しまったんですっつ!!!

​​​​​​​

​​​もう もどうして良いのか・・・​​​



​​​あれから、もう・・・
何度 何度 忘れよう としたんです​​​


​​でも息子の アノ言葉
どうしても 忘れられなくて っつ!!!​​​



​​​今でも ​​ 焼き付い て​​ 離れない んです っつ​​





​​ ​最後に ピー (自主規制音) ​出 てくる​ なんて。。。
らなければ 良かった のにっつ!!!​​
​​​​​​














MM『 ​・・・あのね~ 奥さん ねぇ~​
最近の子 はみんなそうなの 分かる? ​​​







(変声した女性)『 ​​ なぜ ​​ なんですかっつ!!?​​
​​どうして 知ろう として
しまうんですかっつ!!?​​



​​​ これまでの ​​時間を 返して 欲しい​​ ですっつ!!!​ ​​



​​​ ​あんなに ​可愛かった​ のにっつ・・・
ううっつ ​​​​
(すすり泣き)


















​​ ベビーヨーダっつ!!!


​​​ ​もうっつあのっつ バカ息子 がっつ!!!​ ​​​
「マンダロリアン」の
最終回っつ!!!​​



ラスト ​で​ ピー ​​ 出てくる って​ ​​
言うんだもんっつ (泣声)





​​​​ もう ベビーヨーダ ​可愛くて可愛くて っつ
うっつうっつ・・・​
(泣)​​​​





​毎回 愉しみ にして
観てきたのにっつ!!!​​

​​​

​​ どーしてラストを
喋っちゃうのっつ!!! ​​












​​ ​音楽 ​だって​ そうっつ!!!​
​​

ヴァン・ヘイレン ​の・・・ああ​​
​​​​ ​になると​ ​かるやつ・・・​ ​​​​






​​あの・・・ああ あの曲 っつ!
ほらあっつ・・・何か




​​​ ​​あの ​​​​ ​​​​​っつ

ルルルルルルルルルルルウルッツ!!! ​(巻舌)​
って速弾き ギター の後


♪チャラララチャララ~w って
​​​ ​キーボード ソロ やって ​​​​​​ っつ!!!


​​ スキー で​ ぶっつ!!! ・・・​ ​​ ​​​​​​






! ​そう っつ
​「ジャンプ」っつ!!!​​
​​​​​




​​​​​​ 全部飛ばすのよーーっつ
アノ子っつ!!!





「ジャンプ」 ソロ をっつ!!!
​​
ジャンプ ​してっつ!!!​
どーーーするのっつ!!! ​​​​​​



アレが良いんでしょおお
おおーーーっつ!!!








​​​ もうっつ!!!
あり得ないですーーーーー
っつ!!! (号泣)​​​
』​​​










MM『 奥さん 、それが Z世代 分かる?​​​​ ​​​​​​​




(※よもやと思い、念の為に書いておきますが、
コレはフィクションのネタで
写真と、台詞と、マンダロリアンと、ヴァン・・ヘイレンと、み○もんたとは
一切関わりはありませんのでご注意を・・・w)




お昼と言えばこういう番組が定番でしたが

それがいつからかVTRをワイプの小窓で芸人が眺める
グルメ情報バラエティー番組だらけになってしまい

伴侶の浮気癖に憔悴した相談者が
変声した声で涙ながらに離婚の相談をする電話に対して

公演台に手を置いたみ○もんた辺りが
冷静になる様に相談者を叱咤するという

お昼時のリアルドロドロ愛憎劇を愉しみに観て来た視聴者には
何とも毒にも薬にもならないテレビの衰退ぶりを眺めるだけの

あっても無くても良い一時となりましたw



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「ソロ飛ばし」をする若者に
「ガン飛ばし」をする音楽ファン

Jimi Hendrix 1967 uncropped
Jimi_Hendrix_1967 (画像参照: wikimedia)



さてw
「あってもなくても良い」と言えば
今どきの若者の「ソロ飛ばし」行為ですが

Z世代と言えば 「楽曲ソロ飛ばし」「映画倍速鑑賞」 行為をし
ミステリーの様な作品を 「内容を知ってから鑑賞」 する

ものを作っている人々に対してのリスペクトの欠片も感じられない
傍若無人にも程があるこれらの態度に付いては

これまで映画、音楽を 鑑賞 するには
一枚単位でDVD、CDを 買う又は借りる

しか無かった所を

ネット社会に入ってダウンロード全盛となり
「サブスクリプション」 配信サービスが始まり

DVD、CD一枚の価格の半額程度の月額料金で

好きな作品を好きなだけ 大量
映画、音楽を鑑賞できる 環境 が整った事で

映画、音楽 作品に対する 価値観 が大きく変化して行く中で

充実したコンテツ数を誇る見放題配信 サービスを受ける のが
「サブスク契約期間内」 に限られるという

これまでディスク単位レンタルで
一度に何十枚も借りるヘビーユーザーでは無い一般ユーザーは
往々にして 期間内 余裕 で鑑賞できていた

作品鑑賞をする際に

これまで気にする事の無かった
期間的制約 という 新たな概念 が生まれた事と

それによってこれまで「作品」と捉えてきた映画や音楽が
「情報」 の様にしか感じられなくなった 感覚の変容 とが混合して


出来るだけ 速く大量に 作品を鑑賞したい 「欲求」 が生まれ
「倍速鑑賞」「ソロ飛ばし」が常套化し

無駄な作品に 貴重な時間 を裂きたくない 「要求」 が上回り
「内容を結末まで知った後からの鑑賞」が通例となる


「トレンド抑え」「時は金なり」 観点 で行動する


​​ 今も昔も 居る 一部 の層がやっているに過ぎない様な事を​​
​​​ ネット社会 になり 可視化 されて 話題化 したダケの​​​

​​正直どーーーで 事​​
で既に答えが出て語り尽くされたこの

『今どきの若者はけしからんシリーズ』の中でも
最たる例として語られる 『楽曲ソロ飛ばし』 問題を



今更 当サイトが​
​取り上げる はありませんw​



そこでシニアの音楽ファンが『若者はけしからん』と
ガンを飛ばし 一方的に責める のであれば

​​ シニア 音楽ファン​​

​​『 ​​ 若者 ​​ ​責​ められる』​​
べき点を上げなければ
​​​​ 「公平」 さを ​​​​
というわけでw



若者の『楽曲ソロ飛ばし』を問題視する中心的存在となる
「昭和のシニアの音楽ファン」

若かりし頃、どの様な音楽鑑賞をして
今どきの若者を責める事が出来る様な
理想的な音楽鑑賞をしてきたのかどうか


自身がシニア世代の音楽ファンで昭和の時代を知る
正に「生き証人」と言える当サイトのブログ主が昭和の音楽事情を取り上げ


むしろ我々シニアの音楽ファンは
『楽曲ソロ飛ばし』をする若者を
養護しなければならない立場ですらある事を

世間一般とは 「異なるレイヤー」
語ってみたいと思います



ちなみにこの記事を更新した時
いつもよりも全体のアクセスが上がっていたので
何事かと思って調べてみたら

Googleで「ソロ飛ばし」で検索を掛けたら何の間違いか
TOP10の8位でウチの記事がヒットしてましてW

「み○ミュージック」の下に4つ離れたソバに付き
「高○寛」より上という
それこそ「あり得ない」順位に


かなりドキドキしておりますW(別の意味で)



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「あり得ない」という批判はあり得ない


上のイラストは色んな所で良く見る感じの絵ですが
これは「いらすとや」がフリーで提供しているイラスト素材で
一度使ってみたかったので今回使ってみました~w


さて、『楽曲ソロ飛ばし』とは知っての通り

楽曲の1番、2番が終わり
演奏のみとなる「間奏」のパートに入った時に

主にギター、サックス、ピアノなどの楽器がアドリブ演奏をする
「ソロ」演奏パートを聴かないで飛ばしたり

本編のみを聴いたら
イントロ、間奏、エンディングを聴かない

今どきのZ世代の若者達のこの様な音楽の聴き方に加えて

音楽ファンの中でも最右翼となるシニアの 昭和世代
「あり得ない」 と反応している

一連の風潮を指した言葉です


これに付いては語り尽くされていて
「そんなのは昔から居た」
「一部の層の行いを全体の行いかの様に語っている悪い慣例」
「ギターソロを聴かないのならギターソロを配信するYouTuberをなぜ観る」


で既に答えが出ている事なので
今更これに付いてのウチの考えは書きませんが


この風潮の 問題 は実は若者にあるのでは無く
むしろこの風潮を 「あり得ない」 と捉える

我々 昭和世代 音楽ファン
「思考」 にある様な印象があります


「思想」では無く「思考」としたのは

楽曲のソロを飛ばすという「キャンセル行為」をする
若者達の感覚に対して

「音楽を聴く姿勢」としての理想を
「思想」の観点から問題視しているのでは無く

その「理想」を導き出した「思考」で 「あり得ない」 と反応し
昭和世代が若者達の感覚を 受け入れない

多様性 での観点に於ける 「思考」 の捉え方の 偏り
問題 があると思われるからです



簡単に言いますと
「音楽を聴く姿勢として 間違っている 」と言うのであれば

それは単に「理想」が「正解」だと思いこんでいる
今どきの若者disり をする 「シニア世代の苦言」 という事で

今も昔も変わらない
よくある話で

単に スルー すれば良いことだと言えます

しかし
「音楽を聴く姿勢として あり得ない 」と言う事になると

話は別で

それは「理想」を生み出す「思考」で
「正解」なるものを押し付け「否定」する
多様性を「受け入れない」行為とも取れる

姿勢の問題
になるので

これは「SDGs」を推進する世界的な取り組みが行われている
現在に於いては特に
社会的にも大いに 「問題」 がある言動だと言えます


これは何度も言っている事ですが

「SDGs」で語られる「多様性」とは 「受け入れるもの」 ではあっても
「理解までする必要は無いもの」 でもあるので


例えるなら
ガチャポンがコンプリートするまで 何回転 でもやる とか
シニアの大人になってもとんでも無い アニオタ  とか
好きなアーティストが居たら北は北海道南は九州沖縄まで 追っかけ る とか
楽器押しのフリをして平気で「けいおん」のフィギュアを買おうとし
最近では「ぼっち・ざ・ろっく」のフィギュア化を狙っている
シニアの キモオタ  とか


この様な層を 「理解する必要は無い」 ですが
「受け入れる」 べきだと言う事と同じで

これに対して「あり得ない」と 拒否 するのは
今の世の中、社会人の姿勢としては

「問題あり」 と言う事になる訳です



実はこれは今回の話とは関係ない
どーでも良い話で・・・w


逆に音楽鑑賞に 「正解」 というものがあったとして
我々昭和世代が若者に向かって本当に「正解」を問える 立場 なのか?

というお話をしますw


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速く観たくて倍速で
会話が無ければ即飛ばし、

鑑賞前にネタバレサイトで予習をし
映画ドラマを観る人達


この様な「音楽や映画を鑑賞する姿勢」を問題視する意見は
映画、音楽ファンが 映画、音楽から受ける印象に付いて

「鑑賞時間を含めて映画である」「演奏を含めて音楽である」
という一つの「解釈」から導かれる「定理」と信じられた

限りなく答に近い 「指摘」 によるものだと言えます


従ってこの「指摘」の性質は、多くは 「非難」 であり
加えて正しい捉え方を指南する 「意見」 によるもの

でもありますが

その多くは若者文化の一つの現われというこの様な行為を
「多様性」として 認めない
「否定」 するものでもあると言えます


しかし私はここに「疑問」を感じている
訳ではありません



以前 映画を違法に編集して十数分の動画にまとめた
「ファスト映画」 をUPしたユーザー達が逮捕され
話題になりましたが

映画ドラマの内容を早く知りたい 若者世代の要求が
その様な「ファスト映画」を登場させたり

動画を倍速で再生して鑑賞するというカルチャーが登場するだけで無く
音楽まで倍速で聴くという行為や

映画ドラマは
結末まで内容を知ってから鑑賞するという行為まで


これらの「核」となる 「話題に付いていく為の確認」 を目的とする
若者達が行っているこれらの行為に付いては


映画、音楽は鑑賞する 「時間」 を含めての
「総合芸術」 であると捉えている
多くの映画、音楽ファンの保守的な姿勢に対して


これらの創作物の鑑賞を
内容確認する目的だけの為に「時間短縮」して鑑賞する行為は

限り有る「時間」を「芸術」という不確定な概念を持ち出して
「無駄」にしない 「合理的」 な捉え方ではあります


その一方で、
「創作物」の鑑賞を通して感じる「印象」から受ける
「認識」 の観点から捉えると

これらの時短行為が認識に於けるある種の 妨げ になるとして
「情緒育成の弊害」 となる可能性が浮上する事になります


例えば なぜ楽曲にソロパートがあるのか という
音楽の 「様式」 を語る時などに

楽器演奏から受ける印象から様々なものを感じ取る中
日常の中で感じられる何かの 「時」 が投影された
演奏で表現される言葉の無い 「間」 があるとして

それが鑑賞者が色々な事を感じたり想い起こす為に与えられた
必要な 「時間」 だと言える


という様な一つの捉え方を 推測 すると言った

その様な 「思考体験」 に繋がる経験をしないまま社会に出て

それらの思考を司る為の情緒が幾重にも抜け落ちた状態で
今後日本の社会を支える人材になって行く事を考えた時に


何か新しいものを生み出したり
大きな困難を乗り切る時に必要な思考を支える
「想像力」 を欠如する事にも繋がって行く事から


「想像力」を生み出す 「発想」 を司る上でも
それらを司る 「情緒」 を育てる上でも

非常に憂うべき問題として

その様な若者が居るという現実に対して
来るべき未来と行末に 「不安」 を感じるものはあります




と評論家ぶって力説をしてみましたが
実はそれも どーでも良い 事としてw



実は
先に書いた「ファスト映画」が 違法行為 として摘発された事で

「ソロ飛ばし」や「倍速鑑賞」までが
「悪い行い」 をしている様なイメージが付いて

若者に対して上記の様な 懸念 を持たせる事となったのが
昭和のシニア世代に「あり得ない」と感じさせる
大きな理由となったという


そんな ​風潮​ がある所に 「疑問」 を感じている
というのが ​本当の所​ な訳です


なので「ソロ飛ばしはあり得ない」と指摘する側の 「我々」

過去、音楽を飛ばして聴き、
自分に刺さるワードのみを追いかけてそれ以外は聴かない、
「この演奏はいらない」 と感じる事を

一切経験した事が無く
そうして成長して成人となり「音楽ファン」となった
と言うのであれば

それは 「嘘」 だと言う事をまず証明して

当サイトはこれらの風潮に
大きな 「水」 を差して行きたいと思います


なぜそれを言い切れるのかと言いますと
私が生き証人・・・という事では足りないと思いますのでw

その様に若者に物申す世代の中心となる私を含めた 昭和世代
「TVラジオ世代」 である事が

「証拠」 であるというお話をして行きましょう


所でなぜウチが今そんな話をするのかと言いますと
アクセスも少ない、記事を更新した所で数人しか観覧しない

そんな隠れ家的不人気低アクセスサイトである事を 逆手 に取り
普通だったら炎上する可能性のある問題発言を
したいだけする という

「キャンセルカルチャー」が蔓延して
「言論の自由」が危ぶまれる現在に

一石を投じるという・・・


そういう理由ですが
もし万が一記事の問題を指摘されたら
その時は当然






​​「 っつ? そう ですかああああwwwww​​
​​ いやいや www
ど~も すいません んんwww​​」



と素直に認めて、
もし削除しなければならない事にでもなれば


​​「もうっつもうっつ!!!
速攻 削除 させていただきますのでっつ​​

​​​なにとぞ 平に 平にっつ!!!
ご容赦ください いいいwwww」​​​







と謝罪でも土下座でも何でもして
徹底的に猛反省する所存でおりますWWWWW



・・・という文章に
いらすとやのイラストを使いたかったというのが
本当の理由なのでした~W




さて・・・そもそも
「ソロを飛ばす」行為は興味ないものを排除し
不要なものを減らそうとする行為に過ぎません

「映画ドラマは内容を知ってから観る」
「ミステリー作品を犯人が誰かを知ってから本を読む行為」
などに付いても

作品の中に何か好まざる表現や描写があるかどうか確認し
「安心」 してから鑑賞したいという

当たり前な確認行為 をしているだけに過ぎません

つまりそういう行為は今の若者に限った事では無く
いつの時代にも居る

そういうヒト
というダケの事だと言えます


その様に、
奇異な行為 に見える 表面的 な所だけを取り上げて
若者のカルチャーに警鐘を込めて 社会問題の様に語る のは

フェアでは無い と思います

翻って
若者のカルチャーに警鐘を込めて社会問題の様に語る
シニア世代の中でも中心となる「昭和世代の音楽ファン」は

どの世代よりも長年に渡って 音楽の知識 を蓄積し
音楽の造詣の深い 世代だと言えるのであれば


過去音楽鑑賞で「ソロ飛ばし」を容認せず

音楽鑑賞に於いても
「この曲長いな~」とか「なんかソロ飛ばしたい~なあ~」とか

微塵も思わないまま音楽的成長を遂げたのかと言いますと
そんな訳は無く

むしろ、今どきの若者のこの様な「キャンセル行為」を
1番理解しなければならない立場にある程

過去、 日常的 に「キャンセル行為」のある中で音楽鑑賞をし
それに対して、何の 疑問 も感じなかったという中で

「普通」 に暮らしてすら居たと言えます



これは昭和の音楽ファンが 「TV世代」
「アニメ」がまだ 「テレビまんが」 と呼ばれていた頃から
テレビを観てラジオを聴いていた所に

その「 証拠」 があるのでした



▲目次へ▲
■間が持たない昭和のテレビ・ラジオ


「アニメ」がまだ「テレビまんが」と呼ばれ
音楽は「J-Pop」という言葉は無く
「ニューミュージック」という言葉が使われていた
「歌謡曲」 全盛だった昭和の時代の「音楽鑑賞」は

「アナログレコード」で聴いていたというイメージがありますが
実はそうではありません


「サブスプリクション」の配信サービスが全盛となった現在では
好きなアーティストの楽曲を好きなだけ聴ける様になりましたが

「ダウンロード」ですら数年前まで
曲単位 アルバム購入 をしない限り
好きな楽曲を聴けなかった事と同様で

レコードアルバムが当時の価格で2500円
2曲入りシングルでも500円もの高額のレコードを買わない限り

レコードでの鑑賞は出来なかったですし

日本では1980年にレンタルレコード店
中古レコード店が出来るまでは

一般家庭では頻繁にレコード鑑賞が出来る環境にありませんでした


つまりは70年代から80年代に子供時代を送った「第1次アニメ世代」に当る
我々シニア世代にとっての 「音楽鑑賞」

テレビ視聴 ラジオ聴取 「同一線上」 にあったと
言う事になるのです






ネット以前、携帯電話も存在しなかった昭和の時代は
動画配信も無ければ SNSで情報収集をする事も無い
外出先で電話をするには
要所要所に設置された公衆電話を利用し

外出した誰かを呼び出す方法は
呼び出し機能に特化した「ポケベル」が一般的になるのが90年代なので

ほとんど無理という

その様に 情報 一方通行 配信 される
TV ラジオ 雑誌などのメディアが全盛で

音楽を聴くにも ラジオやテレビ
放送局の タイムテーブル に割り当てられた歌謡番組の中で流れる
お目当ての歌手に割り当てられた 時間内 での放送が

一般人がヒット曲などの 楽曲を聴くデフォルト だったと言えます


その場合も楽曲の全長版が流れる訳では無く
放送の枠内に収まる様
ラジオの場合は適当な箇所でフェードアウトされ
テレビの場合は多くが生演奏で行われる事から
放送担当のアレンジャーによって短く編曲された
レコードの「カラオケ」とは異なるミュージシャンが演奏する
アナザーヴァージョンとなり

その様に楽曲をカットされた
短縮されたものが放送されるのが当たり前で

その様な地上波放送のテレビ・ラジオの番組を鑑賞し
時にはカセットテープレコーダーにリアルタイムで録音して
コレクションするのが

昭和世代の 「音楽鑑賞」 だった訳です


それはつまり
それが当時大ヒットしたゴダイゴの 『銀河鉄道999』 だろうと
テレビ出演での演奏はおろか映画本編ですら

ミッキー吉野のオルガン ソロはカット され

寺尾聰の 『ルビーの指環』 だろうと 間奏 のシカケが カット され

角川アニメの大ヒット作で
イギリスのプログレッシヴ・ロックバンドの大家で
ロックキーボーディストの キース・エマーソン が音楽で参加した
『幻魔大戦』 の主題歌を唄った ローズマリー・バトラー
夜のヒットスタジオに出演した時の 『光の天使』 だろうと
神々しい 間奏パート ゴッソリカット され

レコードサイズで放送される事はまず無く

TVサイズにまとめられた 「短縮版」
我々昭和の世代は 楽曲のデフォルト として
鑑賞していたと言えます


Rosemary Butler - Children Of The Light
ローズマリー・バトラー - 光の天使
音楽:キース・エマーソン 角川アニメ『幻魔大戦』より ​​

​​ THE神曲。 ​​
ですがw

原曲と聴き比べるとわかると思いますが

この動画の演奏は
ソロパートをチョットした演奏に差し替えて
唄に入って行きます

これは時間の関係でキーボードソロをカットしたと言うよりは
「歌番組でキーボード ソロ など入れても 間が持たない
と捉えた

歌番組では「歌手が主役」で演奏は「脇役」という

当時のテレビの歌番組の「空気」を感じさせる
改変行為だと言えます



これは映画ドラマや放送局の番組放送の時間上の都合から行う
編曲行為なのですが

その様な放送業界が行う編集に対して当時の音楽業界は
イントロ無しの1番のみ掛かってもリスナーの印象に残る様に

放送局が 編集カットしやすい 90秒程度でまとめて
当時のヒット曲は作られていたとの事で(確か・・・)

それは現在ヒットを狙って制作される楽曲が
早めに主題を聴きたいというZ世代の若者のニーズに応えて
サビから始まる楽曲が多くなっているという話と本質は同じであり


音楽に応える ニーズ
「昭和の放送局」から「Z世代の若者」へと シフト したというだけの

楽曲を鑑賞する観点に於いては
今も昔も 全く変わっていない 事が見て取れます


つまりはその様な「ソロカット」を当時の音楽関係者と同様に
「音楽番組の ソロ演奏 は観ていても 間が持たない から 要らない
と普通に感じていたのが

昭和世代 の音楽鑑賞での 「感覚」 であり

その様に 編集ソロカット された音楽鑑賞を 日常的 に行い
それは当然の事として 容認 してきた訳です


▲目次へ▲
■レコードの演奏を助長と感じていた昭和世代
Vinyl record close up
Vinyl record close up


さて、では次にレコード鑑賞に付いてのお話をします


そんな昭和の時代に少年だったブログ主が
気に入ったテレビまんがの主題歌の
90秒のTVサイズに慣れた調感に飽き足らず
フルサイズバージョンの「完全版」を鑑賞したくなり

ナケナシのお小遣いで貯めたお金で
レコードを買った時の事での例を

お話してみましょうw


テレビまんが主題歌のレコードを購入する時は
表のA面に主題歌、裏面のB面にエンディングテーマが収録された

30cmLPアナログレコードよりもサイズが小さい
17cmシングルEPアナログレコードを購入するのが通常で

番組のBGMとなる「劇伴」が収録されたアルバムが発売される事は
当時はありませんでした。

さて、そんなEPレコードを購入し帰宅しますと
家に置いてあるステレオの、なぜスピーカーが2つもあるのか
その本来の意味も知らずに

ターンテーブルのスピンドルに38mm径のシングルアダプターをはめて
EP版を設置して
45回転のスピードで針を落として当該の楽曲を再生します

するとテレビの時の音よりもクリアな演奏に
一時は「おっつ!!w」と驚きますが

それも束の間

テレビ放送とは異なる演奏が加えられた前奏が始まり
なかなか唄が始まらないなと気を揉む事数秒後

やおら始まったいつもの唄声に興奮度が一気に上がります

しかし曲がサビの終わりまで行っても
いつものエンディングが始まりません

これがレコードバージョンというやつかと
チョット考えれば当たり前な事を思いながら
音楽は2番に突入します

それは同じメロディーというだけの今一つ入りきれない
何とも微妙な印象の歌詞をいつもの歌唱で歌手は歌い上げて

曲は全く想像もしていなかった
「未知の領域」に入って行くのでした

それは全くの想定外な
預かり知らない演奏で始まった「間奏」でのソロパートで

当時はロックが嫌いでビートルズすら聴かなかった学童の耳には
余りにも「不良」を思わせるエレキギターの歪んだ音のアドリブが
部屋中に鳴り響く事が不本意極まりなく

ご近所に誤解されまいかと
思わずボリュームを下げる
まさかのハプニングに遭遇し

「これがロックかぁ・・・」と
自分が購入したものが意に沿わないサウンドを
自宅のスピーカーから発生させる事態に困惑しながら


かつては友達として一緒に遊んだ仲で
今はキャロルのファンとなり矢沢永吉のポスターを部屋の壁に貼る
クラスメートの顔を思い出し

彼はもう自分とは相容れない遠い場所へ行ってしまったのだと
そんなほろ苦い想いをラウドなギターソロ音に重ねながら
噛みしめる事数十秒

苦行の様な時間をようやくやり過ごし

そうして始まった3番の
やはり受け入れられない歌詞の唄も

ようやく聴き慣れたエンディングに入ったと思いきや
そのエンディングもテレビとは異なる演奏が加わった
聴き慣れない箇所と聴き慣れた箇所が混在した楽器の演奏が
2つのスピーカーを鳴り響きかせて

そんな 混沌 のまま曲が終わって行くという


この様な鑑賞感に
「正直1番とエンディング以外の演奏は要らない」

と感じたのは私だけでは無いと確信しながら



自分は決して一人ではないという
ネット以前の時代にはまだ無い何らかの「共有」の意識を感じつつ

それが馬鹿な学童だった私がレコードで完全版を聴いた
素朴な感想
だったという訳でした


テレビまんがの主題歌の多くは
主題が只でさえ短いものを1番2番と繰り返して
60秒か長くて90秒位のサイズにして流しているので

レコードにして商品にする時は
テレビ放送には無い3番、4番、5番、6番を加えて
3分程度の長さに調整したものに

更に間奏を加えて付加価値を与えたものを商品化するので

聴いた感じでは、同じ主題が何度も重複されたものに
輪をかける様にソロパートを加えている様な印象があるので

正直、聴いていて飽きるものがあった事は否めません


これは歌謡曲の場合も同じで

多くのレコードバージョンは
イントロがTV放送バージョンには無いパートが加わり
放送とは違った印象に感じるものがほとんどで

それが良い方向に向く事が、知る限り少なく

テレビ放送で流れるものに比べて
往々にして 「助長」 に感じるものばかりだった様な印象がありました


これはつまり昭和世代の音楽ファンは
TVやラジオの音楽番組の放送で

「放送では間が持たないから必要ない」という理由で
ソロや間奏パートを編集カットした音楽を

「そういうもの」だと普通に受け入れて
「自分も普通に要らないと思う」と同調し


購入したレコードからは
「要らないパート」の存在を常に感じながら

音楽を鑑賞していたと言えます


それが奇しくも音楽番組のテレビマンがカットした箇所が
潜在的 に必要ないパートを 摘出 している事に繋がっているという

言わば業界人がレコード毎に
鑑賞の 「正解」 を示している様な環境で
音楽鑑賞をしている事が

ある意味昭和の音楽事情であり

その様な音楽的環境で音楽を聴き続けてきたリスナーは

「キャンセル行為」 を誘発させる為の 「衝動」
公的に経験してきた 世代だと言う

ひとつの 「背景」 が見えてくる話だと言えます
(※あくまで個人の偏狭な意見の妄想です)



つまり 現在Z世代が行っている
「ソロ飛ばし」「イントロ飛ばし」とは

「ソロパートは間が持たない」と感じて
かつて昭和の放送局がやって来た
「番組放送サイズ用編集行為」と

本質は同じで

かつては業界がやって来た事を
現在は 個人レベルに落とし込んで やっているだけという
「流れ」も見えてきます



これに対して
「いや違う、殊更鑑賞者が望んでいる訳でもない状況で
放送局の都合 に付き合わされてきた中で刷り込まれた
風潮的感覚に過ぎない」

又は

「百歩譲って当時の歌謡音楽の編曲が洋楽に比べて
退屈なものがあったとしても
80年代以降のバンドブームで 各楽器 のメンバーに
スポットが浴びる 様になってからそれらが徐々に解消されて
譜面上では無く間奏やソロが有機的に楽曲の中に組み込まれる
ヘッドアレンジ が主流のスタジオワーク全盛となる
プロデュースに関心を持つ流れを生み
その様な感覚は既に 過去の価値観 に過ぎないものとなっている」

と反論するかもしれません

しかし結果、
コンパクトな形で、短時間に、楽曲の概要を知る事が出来る
これらの「TVサイズバージョン」「ラジオエディットバージョン」は

「TIK TOK」はおろか「ネット」も「携帯電話」すら存在しない当時に

音楽ユーザーが 流行を知る 為に
メディアが 時短で提示する 形で情報を取得する

便利な手段 として受け入れて来た歴史がありました


その考えが変わってきたのは
CD登場以降 の音楽市場の拡大によって音楽に対する 意識が変化

80年代以降の経済の大躍進が日米貿易摩擦を引き起こし
国内のみで経済を回す内需拡大路線へと切り替えた事が功を奏して

日本人の誰もがこれまでに無い 「裕福」 になって行った事が

一部音楽マニアのみがこだわってきた 高音質 の音楽鑑賞を
一般レベル にまで落とし込む事へと繋がった事で

もたらされたと言えます

それによって一般のリスナーから
音楽に要求されるクオリティーが上がり

高音質で音楽構成の優れた楽曲が好まれる様になった事で

それまで一般リスナーが気に留めていなかった
音楽プロデューサーの存在が注目される様になり

それまで「歌手」と呼ばれてきたシンガーソングライターが
「アーティスト」 と呼ばれる様になり

音楽鑑賞に関しても「アーティスト」に対しての
ある種の 「特別感」 が生まれて

それによって「音楽の在り方」「鑑賞の仕方」がリスナーの間でも
問われる様になって来た事によって

昭和世代の音楽鑑賞の在り方が
大きく様変わり をして行ったと言えます


その様な風潮の中で
アーティストが生み出した楽曲は
始めから最後まで 全部通して聴く事が当たり前 となり

途中を飛ばしたり他者が手を加える事は
「失礼」 という感覚が根付いて

「リスペクト」 という概念が
社会的に認識される様になって行くまでの

「昭和歌謡時代」からのこれらの積み重ねが

昭和世代のリスナーが「ソロ飛ばし」行為に過敏に反応する様になる
背景があったと捉える事が出来ます


同時にこの「リスペクト」とは「敬意」を表す言葉ではあっても
これまで日本人の心情としての「核」にあった
「人情」 アップデート され
「昭和」の概念が 切り離された 所に生まれた

「クレバー」 さの現れでもありました


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■『おふくろさん騒動』に見る顕著な温度差




それが良く分かる例としては
森進一の大ヒット曲「おふくろさん」での
作詞家 川内康範が訴えた著作権侵害問題で

2006年の紅白歌合戦でのパフォーマンスで
イントロ部分に原曲には無い「語り」を加えて歌唱した事に対しての

作詞家に無許可で行った事として
森進一が今後川内作品を唄う事が出来なくなるまでに発展した

一連の騒動に対しての 世間の反応 です


注目すべきは

演歌番組ではおなじみの
司会者がイントロ部分で短い言葉を語る
通称「イントロ」行為がポピュラーなものになっている現在で

本来​​​​​
楽曲の著作権の財産権的な部分のみの信託を
受けているに過ぎない音楽著作権管理団体JASRACが

川内康範の要請を受けて異例の改変版歌唱禁止令を出す様な

これが作詞家の同一性保持権[著作権法20条1項]を侵害する程の
行為と言えるものだったのかどうかという

​​​​​​​
「著作権侵害」の是非では無く

この騒動に対して川内を支持した 音楽関係者 の反応に対して

騒動の内幕の全てを知った後も
「何が悪いの?」と騒動そのものを疑問視した 一般リスナー との

温度差 にあります



これは音楽関係者の中でも作詞作曲に関わる立場の人間が
「音楽に手を加えられるのは生み出した人物のみの権利」
という考えを持ち
作品が無許可で他者の手が加えられるべきでは無いとして
川内康範の個人的心情が反映された歌詞が他人に上書きされる「不快感」を
当然の事として理解出来る事に対して


一般リスナーの考えは全く異なり

音楽を生み出し世に放つ「親」となる人物が居たとしても
その音楽が世の中に浸透するのは
音楽を聴いて「育てる」リスナー一人ひとりであり

大ヒットは育てられた音楽が社会に「寄与」された結果である
と捉えて

リスナーが好きになった音楽は「自分のもの」として
生活の中の一部となって
「消化」すらされるものであると考えている事から

折しもネット社会が浸透しつつあった当時
「共有」の意識が高まる中で

これが川内康範の作家としての「エゴ」だと言う事は
納得できても
それを具体的に歌い手に科す事は 著しい時代錯誤 として

「違和感」 を感じた所に

業界と一般ユーザーとの間の顕著な 温度差 が生まれた
理由があったと言えます



この捉え方の「差」とは「音楽」に抱く「意識の差」でもありますが
「音楽」を中心とした観点から捉えると

川内を支持する音楽業界には
「音楽は生み出したアーティストのもの」という原理が「核」にある事から

この捉え方は「著作権」に纏わる音楽を生み出す側から眺めた
「人間中心」な考え方であり

一見 ビジネスとしてのシステム的見地から捉えた考え方の様に見えても
実は仕事を通してしか社会を見た事がない業界にありがちな

社会的にも「本質」が見えない弊害からの
「音楽離れ」が出来ない現れで

非常に「人間的に偏った昭和的捉え方」だと言えるものがあります


対してそれまで一般人にとって 「音楽」
才能を持った一部の者だけが扱える 「特殊」 なもので

どの様に生み出されるのか 計り知れないもの だった所から

それらに関わる演奏者や作曲作詞家に対して
日常とは相容れない 「遠い存在」 として敬い

「先生」 と呼んでいた昭和の時代とは異なり

音楽を聴く環境が整い、音楽への関心が高まり
ネット社会によって 情報の共有が日常化
昭和の時代には知る由もなかった情報が
気軽 に手に入る様になり

人気ミュージシャンがヒット曲をどの様に作って行くのか
情報として知識が得られる様になるに連れて

一般人 にもミュージシャンの仕事が具体的に 計れる 様になり

「音楽」がどの様な能力と技術が必要で
どれ位 真似が出来ない 程のものなのか 理解 出来る様になり

そこから 「リスペクト」 する気持ちが生まれたという経緯があるので

音楽制作は企業が製品を作って販売する図式と何ら変わらない
「ヒット作」を生むための 「仕事」 に過ぎないという

「道理」 で理解する様になった 感覚の差 でもあると言えますし

川内の死後、
遺族によって森進一が再び川内作品を唄う事が解禁となった時に

「歌はもうファンのもの 作詞家が歌うなとは言えない」という
遺族側からの発言が全てを表していると言えます


只、
音楽が発表された時点で作者の手を離れ
パフォーマーの手すら離れて音楽ユーザーのものになって行く事は

川内康範程の人物であれば、 自身 が一番 理解していたはず であり
その上で

21世紀に入り世の中が様変わりして行く中で
消え去りつつある「昭和の価値観」に基づく
川内康範の 「個人的心情」 そのものが

『おふくろさん』という唄である事が

他ならぬ森進一に理解されていなかった事の 失望 から
「時代錯誤」と世間に謗られる事を覚悟の上で

自分が現役で居られる間に世の流れに 抵抗
「時間制限」付きで世の中に 「物言い」 をしてみせた

という事だったのかもしれません



それを踏まえた上でもう一度
「若者のソロ飛ばし問題」を捉えますと

我々昭和世代のリスナーが「あり得ない」という捉え方をするのは
音楽をどう聴くべきかという様な 「音楽的志向」 にあるとするならば

それは一部のごくマニアが「変人」と謗られながら
真髄として抱えていた 「こだわり」 に過ぎなかった昭和の時代に

子供時代に TVラジオが行うキャンセル行為を
普通に当たり前な事として鑑賞してきた風潮の中で

80年代の日本経済の躍進が高級志向へと向かわせ
音楽も良い音質で聴く機運が高まって

「フュージョンブーム」や「Hi-Fi志向」を経て
演奏のみの音楽が一般リスナーにも浸透して

音楽の聴き方に付いて語られる様になってから
時代の変化と要求と共にようやく 芽生え始めた「感覚」 だと言えます


そんな「音楽ファンが納得」という根拠に基づいた
音楽鑑賞の 「理想の聴き方」 という 手引 に過ぎない様な
「音楽的志向」を

まるで 社会の常識 かのように適用して
若者の21世紀スタイルを『あり得ない』と捉えて「認めない」のは


音楽的様式に則ったリスニング的にとか
アーティストへのリスペクト的にとか

それらの 理由 は恐らく 「後付」 であって


そんな昭和世代のリスナーが
子供時代から今に至る様々な音楽的な捉え方の 変移 を振り返って
どの時期もどれも 懐かしく感じる 中で

自分がこれまで色んな想いで聴いてきたそんな 思い出深き 音楽の数々が
今若い世代がおざなりにして 荒らし ている 失望 からクチにした

おふくろさん騒動での川内康範の 「個人的心情」
同じ ものを感じる訳です


▲目次へ▲
■山下達郎はタダじゃない

2月18日のニッポン放送のオールナイトニッポン55周年記念番組
『山下達郎と上柳昌彦のオールナイトニッポン』の放送内で

山下達郎がサブスクやらない宣言に付いての言及があり

世間で取り沙汰されている様な「否定」をしているわけでは無くて
現在の サブスク の契約ではアーティストが 割に合わない から
自分はやらないというスタンスを取っていると語っていましたが

この発言に付いて上柳昌彦が
(サブスクによって) 音楽はタダで聴けるもの と思われている
本当は物凄い労力で造られているのにと返し

そういう考えが前世紀の遺物と思われていると
山下達郎が答えて話を閉めるという一幕がありました

その後、誰が買うんだと謗られながらリリースした
自身のアナログBOXが今や何万円もの値段で取引されている事に触れ

レコードが消えるどころか
世界的にも売れている状況が理解できない
という話へと移って行き

山下達郎の音楽はやはりタダでは無かった事を
納得する訳ですが・・・


この会話から分かる事は
サブスクのシステムがアーティストに対して
現時点では 不合理 である事
そして サブスク によって
若者に音楽が タダ同然 で聴けるものに 思われている

この2点です

一見、ネット社会となった21世紀ならではの潮流
かの様に思われるこの事象ですが

かつて 昭和の時代
そもそも音楽家がレコードを出してそれだけで食べていける環境には無く
昼はレコーディングの仕事をこなして
夜はクラブでアルバイトの様な演奏をして稼ぐ

割に合わない 不合理な状況で活動を強いられる中で
ミュージシャンは 仕事 をこなしていました

そして一般リスナーはそんな音楽を
テレビ、ラジオでタダで聴けるものと思っていた という

昭和と令和では音楽を取り巻く側の 「状況」 は変化しても
音楽を消費する側の 「実情」

何ら 変わっていない 事が分かります

加えて21世紀に入り
音楽を聴く仕様がCDから音楽ファイルへと形を変え
ダウンロードからサブスクサービスへと変化して来た流れの中で

音楽を「データ」として捉える様になってから芽生えたのが
「音楽はタダ」という感覚であるのならば

アナログレコードの人気とは

溝を針で引っ掻いて音を出すアナログレコードの
物理的にそこにある圧倒的存在感に対しての

サブスクでは感じられなかった
音楽を「所有」したいと感じる
「モノ」として捉える認識から芽生えた
価値観だと言えます


只、ここで問題にしているのは
音楽的環境の推移と状況の変移

ではなく

「ソロ飛ばし行為」が「あり得ない」はあり得ない事を
立証する事だったので

昭和と令和でやっている事が
本質的に同じ事だと言うのであれば

この「ソロ飛ばし行為」とは

あくまで「興味」の問題から「聴かない」というだけの
「好み」から来る「判断」に過ぎない行為から来る
もはや 「性癖」 の様なものだと捉えて

「ソロ飛ばし行為」を若者特有の行為と捉えて
「あり得ない」とするのは

やはりあり得ない事が
立証できる事が分かります

つまり一番はじめに語った通り
その様な「性癖」は別に 理解する必要は無く ても
多様性 に於いては 認めるべき であり

「ソロ飛ばしはあり得ない」という捉え方は
多様性を認める観点からも

​あり得ない​ 事が分かります


​只それは に​

​​「多様性」に 則る という事は​ 同時 に​
個人的心情に於いて
「ソロ飛ばしはあり得ない」で ​構わない​
とも言える事になる訳です


つまりは やはりソロを飛ばそうと何だろうと
一番はじめに書いた通り

「どうでもよい事である」 というのが 正解 だと言う訳ですw


更に言いますと

​「多様性を認める事」​ とは結局
​「答を求める事を正解としない概念」​ である事が
これらの事から見えて来るのが分かります


ついでに言いますと

「持続可能な開発目標」をスローガンに
誰も取り残さない社会づくりが世界的な取り組みとなっている現在

その前身となる「MDGs」なるミレニアム開発目標が達成できなくて
2015年に採択された「SDGs」が果たして達成できるのかという事を

誰もが心の中で思ってクチにしない
達成を目指す事が目的のこのスローガンには

当初から 「多様性」 というワードを強調している所がありましたが

上記の様な理由で我々を哲学的迷宮に陥らせ
なし崩し的に達成を次の機会へと引き伸ばす様に出来ているのが
本質なのかも知れないと思った というか妄想したw

そんなお話でした☆


と言う訳で良い一日を☆








Leiji Matsumoto - Lucca Comics & Games 2018 01
​松本零士​
​1938 - 2023​



■2月のMarillion■
Marillion2
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最終更新日  2023年03月25日 07時36分06秒
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