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友人・岬麻呂氏からの旅便りです。前回の北東北の紅葉の旅に続き、今回は宮城県、福島県、山形県の紅葉を巡る南東北一人旅であります。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。(旅・岬巡り報告334・南東北の紅葉)※画像をクリックすると大きいサイズのフォト蔵写真が別窓で開きますので、それでお読みください。(同上・添付写真1)(同上・添付写真2)(同上・添付写真3)(同上・添付写真4) 上掲の添付写真については、いくつかのその他写真も含めて、別途Eメールでそれぞれの写真を送っていただいて居りますので、以下、旅程に従いこれらをご紹介させていただきます。11月12日関西空港→仙台空港・レンタカー→秋保温泉(泊) 関西空港を午後遅めの便で発たれたのでしょうか、宿泊のホテルに直行されたのみと見え、この日の写真はありません。11月13日岳温泉→(あだたら高原)→裏磐梯五色沼→猪苗代町・土津神社→会津若松市滝沢浄水場→会津松平氏庭園(御薬園)→鶴ヶ城→東山温泉(泊) この日は、先ず福島県は二本松市、安達太良山の麓に広がる温泉郷「岳温泉」へと向かいます。(岳温泉・鏡池)<参考>岳温泉・Wikipedia 鏡池というと、東大寺大仏殿前の鏡池や大伴家持伝説が伝えられる新潟県は松之山温泉の鏡ヶ池などが思い浮かぶヤカモチであるが、各地に色んな鏡池があるのでしょうね。(裏磐梯五色沼・毘沙門沼) そして、裏磐梯は五色沼の紅葉であります。 毘沙門沼のもみじ綺麗ですね。雁がねの 声聞くなへに 裏磐梯 五色の沼は かくぞもみてる (偐家持)<雁の鳴き声を聞いたのに合わせて、裏磐梯の五色沼はこんなにも紅葉したよ。>(本歌)雁がねの 来鳴きしなへに 韓衣からころも 立田の山は もみち始そめたり(万葉集巻10-2194) <雁が来て鳴いたのと時を同じくして、(韓衣)竜田の山は黄葉したよ。> 先日の若草読書会でヤカモチは「もみぢの万葉歌」と題して講話したばかりであり、その中でも触れたことであるが、万葉人は雁の鳴く声が木の葉を色づかせると考えていたようです。(同上・柳沼1)(同上・柳沼2)<追記注:2024年11月23日> 2024年11月21日フォト蔵スタッフからのメールにより、この柳沼2の写真が「フォト蔵ピックアップ写真」の一つに選定されたということを知りました。 その旨を岬麻呂氏にメールでご報告すると、この沼は柳沼のすぐ近くにある小さな沼で、母沼という名前の沼だという、同氏からの返信メールがありました。 写真のキャプションを変更することも考えましたが、これは行わないこととし、この<追記注>の説明で済ませることとします。 フォト蔵写真の方の写真説明欄にもその旨の説明を記載するにとどめ、写真タイトルの変更は行っていません。 裏磐梯から猪苗代町へ。 土津神社に立ち寄ります。(土津神社)<参考>土津神社・Wikipedia 土津神社の参道脇の紅葉でしょうか。 こういう紅葉には、この歌が似合いかも(笑)。我背子(わがせこ)が 白たへ衣(ころも) 往き触(ふ)れば 染(にほ)ひぬべくも もみつ山かも (万葉集巻10-2192)<我が夫の白い着物が通って触れたら、染まってしまうばかりに色づいている山であることだ。> 磐梯山遠望。 もみじの赤っぽい画像が続いたので、この写真は何やらホッとする清涼感がありますな(笑)。 (磐梯山) 少し青っぽい画像で気分を一新したところで、再び紅葉であります。 会津若松市内に入り、国指定名勝会津松平氏庭園(御薬園)の紅葉を見て来ようであります。(御薬園)<参考>国指定名勝会津松平氏庭園・御薬園 此処の紅葉も見頃です。 池の水面に映る紅葉もいい風情。 大伴家持の歌で、水に映った藤の花影が水底にあるかのように見えることを詠んだ歌は、「藤波(ふぢなみ)の影なす海(うみ)の底清(きよ)み沈(しづ)く石をも玉とそ我(あ)が見る(万葉集巻19-4199)」であるが、水面に映ったもみぢ葉の影もこれに劣らないだろうと思われるから、前三句を「もみち葉の影なす池の底清み・・」と言い換えてもよいのではないか。(同上) なお、会津松平氏庭園に先立ち、滝沢浄水場を訪ねて居られますが、これはこの4月の「桜旅」の際に、車が脱輪するというアクシデントに遭遇、この折に手助け下さったお方が、此処の職員のお方であったということで、あらためて感謝の意を伝えるために立ち寄られたとのこと。まあ、こういう気遣いも岬麻呂氏のお人柄というものですな。 そして、鶴ヶ城へ。(鶴ヶ城・麟閣<茶室>)<参考>茶室麟閣・鶴ヶ城・一般財団法人会津若松観光ビューロー この日の宿は、東山温泉。 夕食には、例によって「地酒・栄川を楽しむ。」とあります。11月14日塔のへつり→大内宿→喜多方市・新宮熊野神社→米沢市・上杉神社→蔵王温泉(泊) この日は、塔のへつり、大内宿、喜多方の新宮熊野神社、米沢の上杉神社を巡って蔵王温泉に宿泊であります。(塔のへつり)<参考>塔のへつり・Wikipedia 「へつり」はさて置き、紅葉旅にしあれば、その駐車場の紅葉美しく、これで十分に目的達成であります。「へつり」へ行くまでもない(笑)。(同上・駐車場) そして、大内宿。(大内宿) 大内宿から北上に転じ、喜多方市の新宮熊野神社へ。(新宮熊野神社・長床) 山形県に入り、米沢の上杉神社です。(上杉神社) それにしても長い参道ですな。 1306歳の超々高齢者にして腰痛持ちヤカモチ、腰に応えそうな参道であります。 「はよ、切り上げて蔵王へ行こ。」と呟くヤカモチであります(笑)。 しかし、蔵王は紅葉が終わっていて、ロープウェイで紅葉を楽しもうという目論見は当て外れと相成りました。11月15日山形城址→天童公園→立石寺・芭蕉記念館→仙台空港→関西空港 旅の最終日は、山形城址、天童公園、山寺・立石寺(芭蕉記念館)などを訪問されました。(山形城址)(天童公園)(山寺・立石寺遠望) 仙台空港に立ち戻り、午後の便で帰阪。 紅葉堪能の全596kmのドライブ旅でありました。 素晴らしい紅葉の写真、ありがとうございました。
2024.11.20
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昨日(11月17日)は、久しぶりに若草読書会の集まりがありました。 前回が7月1日の開催でありましたから、4ヶ月半ぶりの開催ということになります。 講話をしていただくお方を募りましたが、どなたも名乗り出ていただけなかったので、ヤカモチが不承不承これを引き受けることとし、万葉関連のお話をすることとさせていただきました。 この読書会の開催の案内は、以前は凡鬼さんが案内葉書によってご連絡くださっていたのですが、いつからか偐山頭火さんがこれを引き継ぎ、Eメールで連絡するという形に変わりました。その後、これもいつの頃であったか判然としませんが、偐山頭火さんが入院されたか何かがあって、ヤカモチがこれを代行するというようなことがありました。 偐山頭火さんはその後お元気になられたものの、ヤカモチの代行はそのまま継続となり、最近はヤカモチがこれを行うのが当然というような運びとなってしまって、現在に至っているのですが、ズボラのヤカモチ、前回開催の7月1日から2ヶ月以上も経過した9月12日になって、次回開催日の日程調整のメールを発信、9月30日になってようやく11月17日開催と決定したのでありました。 この日、9月30日までに、予想されたことではありましたが、どなたからも講話を引き受けるというお申し出がなく、ヤカモチの講話となったという次第。 今回は、さして日数も余りなく、万葉関連の故地を訪ねて、現地取材をして、話をするというようなことも出来かねるということで、当ブログの過去記事から何か題材のヒントを得ようとしたところ、下掲の記事が目にとまりました。<参考>もみぢの万葉歌 2013.11.25. 続・もみぢの万葉歌 2013.11.26. もみじの万葉歌を万葉集から抜き書きした記事があったのでした。(大阪城公園の銀杏・2010.12.1.記事掲載写真の再掲載) もみじなら季節的にも合致しているから好都合。それにレジメを作るのも、この記事をコピーして貼り付ければいい。残念ながらその記事では、現代語訳を付けていなかったので、これを書き加えるという作業が必要となるものの、さしたる作業ではない。 加えて下掲の過去記事もこれをコピーして参考資料として使うことができると判断しました。<参考>若かへるでのもみつまで 2020.5.7. そんなことで、レジメ作りは簡単に出来てしまいました。(レジメの一部)(同上) かくして、もみじの万葉歌を鑑賞することとし、レジメ掲載の全71首の歌からその場の思い付きで適当な歌10数首ほどについて、思いつく話をすればよかろうと考えた次第。取り上げる歌の数によって話す時間の調節も自在であるから、気が楽というもの。(もみぢ葉流る) この日の参加者は、凡鬼・景郎女ご夫妻、恒郎女さん、めぐの郎女さん、槇麻呂氏、利衣郎女さんとヤカモチの7名。 午後1時開会のところ、定刻20分前には珍しく全員が集合。12時45分から講話を開始。3時頃まで講話。(エノキ) 柿本人麻呂の泣血哀慟歌の短歌2首を始めとして、レジメ記載の71首の万葉歌の中から、適宜に目にとまった歌を取り上げて、解説することとしました。(カエデ) カエデとかへるでのことや紅葉と黄葉のことなど当ブログの過去記事でも何度か触れている事柄や「らむ」と「らし」との語の使い方の違いとか、「見まく欲りせむ」や「散らまく惜しも」などの、形式体言「アク」と結合した、万葉歌によく登場する用語法の説明など思いつくままに解説。 紅葉と黄葉については、既に下掲記事でも触れているのでご参照ください。この日の説明も概ね似たような内容であったかと。<参考>もみぢめでつつ 2019.11.22. なお、上記の「もみぢめでつつ」の記事で作家・五木寛之氏が「黄葉はクォウヨウで・・」と記されているのは、この本です。(五木寛之「百寺巡礼第四巻」・講談社文庫) 講話終了後は、茶菓子などをいただきながら珈琲&雑談タイム。 槇麻呂さんは、ヨーロッパ旅行のツアーでご一緒されご昵懇になられたという岡山総社市ご在住のご夫妻からのお招きで、先般、備中松山城や鬼ノ城など吉備をご旅行されたようで、そのご紹介話もあったりしました。 鬼ノ城などはヤカモチも銀輪散歩で立ち寄ったことがあるので、懐かしいことでありました。<参考>吉備路自転車散歩・鬼ノ城へ 2013.10.31. 吉備路自転車散歩・鬼ノ城 2013.11.1. 最後にはクリームソーダも出てきたりと喫茶「若草」(?)のおもてなしを受け、楽しい座談でありましたが、午後4時を過ぎたので解散することとなりました。 (余談) 帰宅後、加熱式タバコ(最近は普通のタバコと併用している。)を喫わんとするも、スティックが見当たらない。(加熱式タバコ・IQOS ILUMA ONE スマートコアスティック) 最後に使った場面は・・と思い返すと読書会解散時のことであったことを思い出す。 若草ホールの道路を挟んでの向かいにあるポケットパークに置き忘れたに違いないと、恒郎女さんにお電話で、そこに置き忘れがないか見て貰ったところ、そこに「ありました」とのこと。 「明日、受取りに伺いますので」とヤカモチ。 ということで、本日(18日)これを受け取るため、恒郎女邸再訪問でありました。(ポケットパークのベンチ) 忘れ物をしたのは、右側のベンチです。 若草読書会の折に喫煙場所としてヤカモチが利用しているのがこの場所であります。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。
2024.11.18
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毎月第一、第二水曜日が囲碁例会の日となっている。ということで、昨日(11/13)はこれに出席すべく、自宅から片道20km余の梅田スカイビルまでCB(クロスバイク)で銀輪散歩を兼ねて走って来ました。 午前10時に自宅を出発。 未だ努力義務で罰則はないということですが、最近はヤカモチもヘルメット着用で自転車に乗っています。 中央大通りを西に向かって走っていて、横枕西交差点に差し掛かった時に信号が青から赤に変わってしまったので、スグ「横」の、囲碁例会の帰途に小休止でよく立ち寄ることのある横枕南公園を覗いてみた。(横枕南公園) 公園では、保母さんに伴われた保育園児たちがブランコ遊びなど、元気に遊んでいました。 大阪環状線森ノ宮駅前で、中央大通りから大阪城公園に入ります。(大阪城公園・森ノ宮入口) 噴水広場を横切り進んで行くと、またまたちびっ子の行列に遭遇。(同上・ちびっ子たちの行列) 行列をとめて道を空けてくれたので、進みます。 銀杏並木も先週よりも少し黄葉が進んだように見えます。(同上・銀杏並木) 北外堀の石垣の紅葉です。(同上・北外堀の石垣の紅葉) 公園を通り抜け、大川(旧淀川)に架かる天満橋を渡り、滝川公園へ。 ここで、小休止。水分補給とタバコ一服。 滝川公園でもお母さんや保母さんに付き添われたちびっ子たちの姿をよく見かけるが、この日は人影もなし、でありました。(滝川公園) 桜の木が紅葉し始めています。 滝川公園ではちびっ子の姿を見かけなかったなあと思いながらCBで走り出すと、こちらに向かって3人の保母さんに連れられてちびっ子が数人やって来る。 多分滝川公園で遊ぶつもりなんだろう。 四つ角を渡る時、「道を渡る時は手を上げましょう。」と保母さん。 保母さん3人は大きく片手を上げていましたが、それにならって手を上げているちびっ子が一人もいないのが面白い。 それにしても、この日はよくちびっ子たちに出会う日でありました。 梅田スカイビル到着は11時45分前後。 駐輪場、精算機に近い82番のケージに駐輪。 先ず、昼食です。 全席喫煙席という店、CAFFE PIAZZA POPOLOへ。 店先にプラスチックの折に入った各種お弁当が並べられている。プラスチック製カップの味噌汁付きで500円ワンコインを代金箱に投入することで、これを買い求めることができるという無人販売システムである。 これを購入して店内に持ち込み、店内の席でこれを食べることができるようになっている。 前々回にこの店で昼食をとった時に、パスタランチを食しながら店内を見渡すと何人かの客がこのお弁当を店内で食べている光景を目撃したのでありました。なるほど、この店はこういう方式も可能なのだと知り、早速この日はヤカモチもそれを真似してみたのでした。 珈琲、紅茶、ジュース、コーラなど飲み物を別途注文することが必要であるが、お弁当はレンジで温めてくれるし、味噌汁もお湯を注いで飲めるようにしてくれるから大いに助かる。 加えて食後のタバコが喫えるというのは有難いこと。梅田スカイビルの喫煙コーナーや喫煙室は立ったままで済ませなければならないので、腰痛持ちのヤカモチとしては、ゆっくり坐って一服と参りたいという次第。 昼食を済ませて、囲碁会場に使っている部屋に行くと、ヤカモチの一番乗り。碁盤、碁笥の設営をして待つこと10分位か、平〇氏と村〇氏が一緒に入室して来られました。 最初の1局は、平〇氏vsヤカモチで、村〇氏は観戦に回るということになりました。 これは序盤で平〇氏に悪手ありで無理筋の手が連続し、云わば自滅の形で投了、ヤカモチの中押し勝ち。 次は村〇vsヤカモチ戦。平〇氏は観戦。 これは当初はやや優勢にヤカモチが打てていたかと思うが、勝負所の中盤の急場で、白石5子を当たりにして取って置けばよかったのに、それをせず、右上隅の白石6子を手を抜くと取るぞと上辺に圧力をかける。上辺から盛り上がった白の模様が大きくなることを危惧して打った手であったが、これが甘かったようで、手抜きをされて、その5子と白2子とをつながれてしまった上、上辺での戦いにも敗れて、結果として白の地を却って大きくしてしまうこととなり、10目余の差でヤカモチの負け。この日は1勝1敗に終わりました。 最後は、平〇vs村〇戦。ヤカモチは観戦。 これは、村〇氏の中押し勝ち。 2連敗のままでは終われないと思われたのかどうか存じ上げないが、平〇氏はもう1局村〇氏とやりたいと仰って、両者の再対局が始まることとなりました。しかし、ヤカモチは観戦を切り上げ、退室、帰途につきましたので、勝負の結果は存じ上げずであります。(大阪城公園の銀杏並木・復路) これは帰途に撮影の銀杏並木。前掲の銀杏並木の写真は往路に撮ったもので、上掲の写真の奥の方からコチラ向きに撮った写真です。 大阪城公園を通り抜け、森ノ宮駅前から中央大通りを東上、途中JR大阪東線の高井田中央駅裏の公園で小休止後、花園中央公園経由で午後4時半頃の帰宅でありました。(花園中央公園の夕照)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.11.14
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(承前) 飛鳥川銀輪散歩二日目は、八木駅前から長谷寺方面へ走るということも考えていたのだが、天気予報で午後から雨となっていたことから、これを取り止め飛鳥川沿いを下流に向かって走ることとする。 先ずは。多神社にご挨拶。(多神社) この神社は、これまでにも何度か立ち寄っているが、2012年4月28日、友人・偐山頭火氏との銀輪散歩の折に訪ねたのがその最初である。<参考>田原本から桜井・忍坂へ銀輪散歩(その1) 2012.4.29. 三輪山登拝・大神神社から多神社まで 2018.3.27. 多神社というのは通称で、多坐弥志理都比古神社というのが正式名称。(同上・由緒)(同上・説明碑)(同上・鳥居)(同上・拝殿)(同上・手水舎)(古事記献上1300年記念碑)(同上・小社神社) 太安万侶を祭神として祀っているのが、この小社神社の祠である。(同上・多皇子神命神社)(同上・多皇子神命神社説明碑) 太安万侶の墓がこの近くにあった筈とその探索を開始したが、見つけられず諦めることにしました。 それもその筈、下調べもせずにやって来たので、飛鳥川畔と思い込んだのが間違いで、一つ東側を流れている寺川畔にそれはあるのでした。帰宅して過去記事を調べた結果、判明しました。<参考>太安万侶の墓(松の下古墳) 2012.5.1. 参考までに同記事掲載の写真を再掲載して置きます。(太安万侶墓 中央の丸い塚がそれです。撮影者:友人の偐山頭火氏) 12年も前の写真ですから、現在どんな風になっているのか確かめたかったのですが、残念。まあ、元々、多神社を訪ねる予定ではなかったので、下調べなしということで止むを得ません。(二上山遠望) 二上山を遠望して、飛鳥川銀輪散歩再開ですが、ひとまず多駐輪休憩所でタバコ休憩であります。 この休憩所の写真は撮っていませんが、過去記事に掲載していた筈と調べてみると、果たしてありました。現在と少し様子が変わっていますが、再掲載して置きます。(多駐輪休憩所※)※上掲は、2018.3.21.記事「飛鳥から結崎まで(ペリカンの家小旅行番外編)」に掲載の写真の再掲載です。 飛鳥川下流へと走ります。(飛鳥川) カンナが咲いていました。(飛鳥川畔のカンナ)(同上) アキノノゲシは綿帽子、絮となっていました。(飛鳥川畔のアキノノゲシ)(同上) そして、柿がたわわになって・・。 その手前の畑ではホウセンカが咲いていました。(飛鳥川畔の柿) 上掲の柿と鳳仙花は、正確には飛鳥川畔の畑地の柿と鳳仙花であります。(飛鳥川畔のホウセンカ) そして、こちらは間違いなく飛鳥川畔の花と茸であります。(飛鳥川畔のタマスダレ)(飛鳥川畔のカラカサタケ) これは勿論、毒キノコであります。(同上) 遠目には、古墳か何かのように見えた公園らしきものが目に入りましたので、立ち寄ってみました。 やすらぎ公園と、銘板にはありました。(やすらぎ公園) 隣接する建物は田原本町やすらぎ体育館。町立の体育館を建設するに当たり、その隣接地を整備して公園としたのでしょう。 ここで、小休止しているうちに、ポツリ、ポツリと雨の降り出す気配。進むか引き返すか迷ったが、昼食のことやトレンクルを宅配便で送り返すことなどを考慮すると、大和八木駅前に引き返した方が都合よかろうと、銀輪散歩を切り上げて、引き返すこととしました。 ということで、不本意ながらこれにて銀輪散歩切り上げであります。 駅前到着まで本降りになることもなかったのは幸いでした。(完)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2024.11.11
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先日(10月31日~11月1日)久しぶりに飛鳥川畔を銀輪散歩しましたので、遅ればせですがこれを記事アップします。大和八木駅前の「宮廷飯店」という店でラーメン&餃子で昼食を済ませ、軽量小型折りたたみ自転車・トレンクルにて出発であります。 耳成山公園から醍醐池へと向かいます。(醍醐池)(醍醐池西側のコスモス) 醍醐池に向かったのはコスモスが目当てであったのだが、もう花の盛りは過ぎていたようで、咲き残っている花は僅かでありました。 コスモス畑の後方の畦道に植わっている木の一つにヤドリギが見てとれましたので、ズーム撮影。(ヤドリギ) 同じ木であるのかどうかは不明であるが、3年半ほど前の飛鳥川銀輪散歩の記事にヤドリギの写真が掲載されていることが過去記事を調べてみて判明しましたので、再掲載して置きます。 両者が同じ木であるとすれば、上掲の写真は南側から撮影しているのに対して、下掲の再掲載写真は多分北側から撮影していることになるかと思う。(2021年4月12日記事に掲載写真の再掲載) 3年半で木がどの程度成長するものなのか、よくは存じ上げないが、両者の違いは、再掲載写真のヤドリギは高い枝の辺りに存在するのに対して、今回撮影の写真ではそれほどでもない高さの枝に取り付いているように見える。 3年半で木の枝が高く成長したのであれば、以前は高い位置であった枝部分に寄生したヤドリギも相対的に低い位置に見えるから、同じヤドリギであるとも考えられるのだが、再掲載写真のそれが撮影された場所についての明確な記述がないので、何とも言えない。しかし、多分同じヤドリギなのではないかという気がしています。 ヤドリギは万葉では「ほよ(保与・寄生)」と呼ばれる。あしひきの 山の木末こぬれの 寄生ほよ取りて 插頭かざしつらくは 千歳ちとせ寿ほぐとぞ (大伴家持4136) 大伴家持のこの歌や万葉では「ほよ」と呼ぶことなどは2021年4月12日の記事に記載しているので、これをご参照ください。 醍醐池から飛鳥川畔の道に出るべく、醍醐池と藤原宮跡との間を東西に通っている道を西方向へと向かう。 この道を、道なりに突き当りまで行き、左折すると飛鳥川沿いの自転車道に出られるのだが、その突き当り少し手前におふさ観音がある。おふさ観音の所在地は橿原市小房町であるから、漢字では「小房観音」と書くのだろうが、おふさ観音と平仮名表記するのが通例のよう。 さて、そのおふさ観音の門前東側、ヤカモチの目下の走行方向から言えば門に至る少し手前に「さなぶりや」という店がある。通りかかったのも何かのご縁と「さなぶり餅」を買い求めることとする。 この店は、2018年9月16日に実施したペリカンの家サイクリングの際に立ち寄って以来であるから6年ぶりということになる。(さなぶりや 2018.8.27.記事掲載写真の再掲載) 上の2018年8月27日の「ペリカンの家サイクリング下見」の記事でも、2018年9月16日の「ペリカンの家サイクリング・明日香篇本番」の記事でも、ヤカモチ自身がさなぶり餅を買い求めたという記述はないので、多分初めてこれを買い求めたということかも知れないのだが、何となく食したという記憶もあるので、ひょっとすると本番ではヤカモチも買い求めたのかもしれない。<参考>さなぶり餅―奈良の食文化研究会 店先で「ごめんください」と言うも店の人が出て来る気配がない。 もう一度、今度はかなり大きい声で繰り返すと、ようやく店の奥で人の動く気配があり「は~い」という声。 「コスモスを見て来られましたか」と店の人。 どうやら、この道は、おふさ観音と醍醐池とを結ぶ通行路で、コスモスを見た帰りかコスモスを見に行く前かに、お客さんが立ち寄ってさなぶり餅を買い求めるのだろうと、その言葉から推測されました。 おふさ観音にもご挨拶して行く。(おふさ観音)<参考>おふさ観音 おふさ観音の門前にて頂戴したミニパンフレットです。 今は、丁度、提灯まつりと秋のバラまつりのシーズン。(同上・ミニパンフレット)(同上) 飛鳥川沿いの道に出て、これを上流に向かって走ります。 この道はこれまでに何度も走っているので過去記事にも何度も登場済みかと思う。 囲碁例会で梅田スカイビルへと自転車で行く途中には毎日新聞社ビルの前をよく通るのであるが、かつてはこのビルの1階の喫茶店で昼食をとったりしたもの。随分以前のことになるが、その折に言葉を交わした男性客(毎日新聞社の社員だろうとその時は思ったのだが、実のところは不明)が、毎年大阪マラソンに出場されていて、この飛鳥川沿いの道でランニングをして体を鍛えているというようなことを話されていたことを思い出す。(飛鳥川) コサギであるか、白鷺と鴨と亀が仲良く集まっていたので、写真に収めましたが、近づくとサギは飛び去り、カメは水中に隠れてしまいましたが、鴨は何事もなかった風にのんびりとしています。人の動きに対する動物の反応も様々である。(同上・甘樫丘付近) 甘樫丘の前までやって来ました。さなぶりやで買い求めたさなぶり餅を食べたりしながら、水分・煙分補給のため麓の休憩所で小休止です。 今回、飛鳥川畔を走って来たのは、奈良県立万葉文化館に入館するのが目的の一つ。甘樫丘を背に飛鳥川を渡り、飛鳥寺の前を通過、万葉文化館へと向かいます。(奈良県立万葉文化館)(同上・案内パンフレット)(同上)(同上・一般展示)(同上)(同上・令和6年度展覧会・行事のご案内パンフレット) このパンフレット記載の「特別展・天武天皇と<飛鳥・藤原>の文化」を見学してみようというのが目的でやって来たのでありました。(同上)(天武天皇と<飛鳥・藤原>の文化特別展パンフレット)(同上)(同上・入場券) 展覧会会場内は撮影禁止で展示物の写真は撮れないので紹介はできませんが、飛鳥池工房遺跡出土の富本銭は勿論、お馴染みの飛鳥大仏頭部や山田寺仏頭や猿石の複製原寸大レプリカ、伝田道間守像、大伯皇女木簡、大津皇子木簡など興味深い展示物が多くありました。 特別展示の方は有料であるが、一般展示の方は無料。従って、入館料は必要なく、一般展示だけを見て帰るのであれば、無料で出入り自由ということである。 時間があれば、飛鳥寺も久しぶりに拝観してみようかと考えていましたが、万葉文化館での小一時間の見学だけで、腰の疲れが限界。飛鳥寺はスルー。寺の北側の路地を抜け、寺の西側にある蘇我入鹿の首塚にだけご挨拶して、飛鳥川沿いを引き返すこととしました。(蘇我入鹿首塚) 背後の丘が甘樫丘です。 車が走っている道が県道209号でその後ろを飛鳥川が流れている。くびつかを 見つつかへらむ 腰痛を かばひてわれは あすかがはくだる (腰痛家持) この日は大和八木駅前にホテルをとっていたのでここで宿泊、翌日は駅前より飛鳥川を反対方向の下流側へと走る予定。(つづく)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2024.11.10
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昨日7日が立冬ということで暦の上では冬となりましたが、今日は月例の墓参でありました。 最近は腰痛の所為で「歩行」が困難と言うか「苦行」になっています。 ということで、自転車(クロスバイク)で出かけることとしました。 我が家の墓地は生駒山地の西麓の高みにありますので、かなりの急坂を上って行かなければなりません。従って、漕いで上り切ることは無理で、途中から自転車を手押しで上ることになるのですが、手ぶらで歩くよりも、自転車を押して歩く姿勢が前かがみになるので腰への負担が軽減され、また、自転車が杖替わりにもなるようで、ずっと楽に歩けるという次第。 いつもの門前の言葉を撮影するお寺の前まで漕いで上がって、ここでギブアップ。自転車を降りて押して歩きます。(今日の門前の言葉) 困難は機会の別の顔である ――アルベルト・アインシュタイン まあ、ピンチはチャンスということですな。 この論で行くと、わが腰痛もチャンスということになりますが、これをどう乗り越えるかが問われているということでしょうね(笑)。 何であれ物事は二つ以上の顔を持って立ち現れるのであるから、要はどの顔に目を向けるかで自身の対処の仕方や考え方も変わって来るというもの。 顔はさて置き、痛いのは腰、それも背面側でありますから、目の向けようもないと、自転車を押しながらぶつくさ呟いているヤカモチであります。 お寺を過ぎて一つ南側の坂道に移り、これを上って行くとテニスクラブの建物。この前の坂を少し上った道向かいの民家の門前に咲いていたのは朝顔のような白い花。 帰宅してネットで調べると、キョウチクトウ科のマンデビラという中南米原産のつる性の熱帯植物だそうです。(マンデビラの花) 冬立つ朝に熱帯植物の花とはこれいかにでありますが、初対面の花でありましたので、丁重にご挨拶申し上げたという次第。 更にも急登となる坂を上り墓地の入口にさしかかったところで見上げたのはススキ、尾花であります。(ススキ) 墓石などが極力入らぬよう空に向けてカメラの角度を調整して撮ったのが上掲の写真であります。 はい、我が家の墓地の前に到着であります。(墓地からの眺め)(同上) 庭も柱も乾いている 今日は好い天気だ・・ クモの巣は見当たりませんでしたが、墓参を済ませて帰ることとします。 帰途はマイCBで急坂を一気に駆け下るという訳で、行きはあへあへ、帰りは爽快の墓参でありました。 で、帰宅して思い出したのは、先月の墓参の折に目にした墓地に生っていた西瓜のことでありました。 目に入らなかったのか、既に刈り取られて痕跡が消えていたので気が付かなかったのか、どちらとも今となっては判定しようもありませんが、西瓜の件はすっかり忘れていて現場検証をしないままに帰って来てしまいました。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.11.08
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今日は囲碁例会の日。午前11時頃にマイCB(クロスバイク)で自宅を出て、梅田スカイビルへと向かう。 大阪城公園到着は午前11時40分頃。(大阪城公園・噴水広場) 公園内のコンビニでサンドイッチとコーヒーを購入し、公園のベンチでランチとする。 ランチの場所としたベンチは噴水広場が望める位置にある。噴水広場の前が公園内を周遊するロードトレインの乗り場となっていて、ベンチからは今まさに走り出そうとするロードトレインが見えました。 ロードトレインは時速10~15km程度か、自転車よりもかなり遅い速度でゆっくりと公園内を周遊します。(ロードトレイン) 今日はいつもより3~40分遅い出発であったので、梅田スカイビル到着は12時半頃と見込まれることから、大阪城公園でランチを済ませることにしたもの。 そんなことで、いつもは小休止する天満橋の先の滝川公園はスルーしましたが、公園向かいの寺の門前の言葉だけは撮影して置きました。(門前の言葉) 梅田スカイビル到着は12時28分。 囲碁会場としている部屋に行くと未だどなたも来られてなくて、ヤカモチの一番乗りでありました。 碁盤、碁笥の設営を済ませて待つこと数分、村〇氏がお見えになったので、同氏とお手合わせ。これは中押しでヤカモチの負け。 対局中に平〇氏が来られ観戦して居られましたが、程なく福麻呂氏が来られたので、隣で福麻呂vs平〇戦の対局が始まる。 そこへ、久しぶりに青◎氏がお見えになったので、負けたヤカモチに替わって青◎氏が村〇氏と対局。 ヤカモチの2局目のお相手は平〇氏。終盤までやや優勢の展開であったが、左辺の戦いで受けミスがあって石が頓死。結局これが敗因となり、ヤカモチの負け。 3局目は福麻呂氏がお相手。これは僅差でヤカモチの勝ちとなり、前回に続き、この日も1勝2敗。調子がイマイチです。 青◎氏は、何か所用があるとかで早くに退席されたので、同氏とは対局できませんでした。 平〇氏と村〇氏との対局中で勝負の結着はついていませんでしたが、福麻呂氏も所用ありとかでお帰りになるのに合わせ、ヤカモチも帰途につくこととしました。(シンフォニーホール) 帰途はシンフォニーホールの前の公園でタバコ休憩をして・・。 なにわ筋から国道2号線に出て・・大阪城公園へ。(大阪城公園の銀杏並木) 大阪城公園では銀杏並木が黄葉し始めています。 この道を直進すると突き当りが噴水広場です。 大阪城公園を通り抜け、中央大通りを東上。 いつもの横枕南公園で、水分補給と煙分補給の小休止後、花園中央公園経由で午後5時過ぎの帰宅でありました。 直行直帰の寄り道なしにて、今日もこれといったエピソードもない囲碁例会銀輪散歩となりました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.11.06
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ブログの更新をサボっているうちに11月になってしまいました。 11月最初の記事は、友人・岬麻呂氏からの旅便りです。 氏にとっては毎年恒例となっている紅葉巡りの旅ですが、前回、前々回の北海道に続き、今回は北東北の紅葉を訪ねる「みちのく一人旅」であります。(旅・岬巡り報告333・北東北の紅葉)(同・添付写真1)(同・添付写真2)(同・添付写真3)(同・添付写真4) 上掲の報告及び写真は画像をクリックしていただくと別窓で大きいサイズのフォト蔵写真画面が開きますので、それでご覧いただくと見やすいかと存じます。 それぞれの写真は、Eメール添付で送信いただいていますので、以下、旅程に従い、順次ご紹介させていただきます。10月22日伊丹空港→青森空港→レンタカー→八甲田ロープウェイ山麓駅→同・山頂駅→城ヶ倉大橋→地獄沼→笠松峠→睡蓮沼→田代平→谷地温泉(泊) 青森空港でレンタカー借りて出発。八甲田ロープウェイ山麓駅へ。 山麓駅周辺は紅葉の終盤を迎えていました。 60分待ちの乗車で山頂駅へと向かうが、そこは既にして冬景色。 すぐにも下山するつもりが、これも60分待ちで、外国人観光客の喧騒にうんざりされたとのこと。(城ヶ倉大橋) 紅葉の撮影スポットのようですが城ヶ倉大橋も紅葉の終盤を迎えていました。それでも十分に「いい眺め」です。<参考>城ヶ倉大橋・地図(地獄沼) 酸ヶ湯温泉から徒歩10分程度の距離にあるのが、地獄沼。 約800年前の八甲田山の爆発による爆裂火口跡に湧き出た温泉が溜まってできた面積4500㎡の沼で、立ち昇る湯気と硫黄臭からこの名が付いたとのこと。<参考>地獄沼・るるぶ&more(八甲田山麓) 八甲田山麓の美しい紅葉の道です。 この日の宿は、日本三秘湯の一つに数えられる谷地温泉。 「夕食時に岩魚の骨酒を楽しむ」は岬麻呂氏のいつものパターンです。 かくて旅の初日の夜は更けて行きます。10月23日奥入瀬渓流→十和田湖→タイヤパンクのアクシデント(33km先の鹿角まで搬送・ロスタイム約3時間)→八幡平→玉川温泉→乳頭温泉→田沢湖→角館武家屋敷通り→角館温泉(泊) 宿泊された谷地温泉の宿の外観です。 この日の朝、宿を後にされるに際して撮られた写真です。(谷地温泉・宿の外観) 同じく、宿への進入道路を振り返り撮影されたのが、下掲の写真。 美しい紅葉に見送られての旅の二日目が始まります。(同・宿への進入道路の紅葉) この日は奥入瀬渓流へと向かいます。(奥入瀬渓流) 奥入瀬渓流では「紅葉始まる」とのことで、これからがシーズンのようです。十和田湖は「見頃」のようでしたが、八幡平へと向かう途中、土砂降りの中でタイヤがパンクするというアクシデントに見舞われた所為か、単に雨の所為でいい写真が撮れなかったという理由によるのか、定かではありませんが、十和田湖畔での写真はありません。※2024.11.4.10:41追記追加で十和田湖の紅葉写真を送っていただいたので追記させていただきます。(十和田湖の紅葉)岬麻呂氏説明文「土砂降りで身動き取れず、少ない写真の一枚です。左奥が十和田湖、右約100mがR103です。パンクした車の駐車している位置から撮影」 JAFに連絡し33kmも先の鹿角まで車を搬送・修理をして貰ったそうですが、この所為で3時間ものタイムロス。 上掲の奥入瀬渓流の写真が朝8時39分の撮影で、下掲の八幡平アスピーテラインの写真が午後1時26分の撮影でありますから、この両写真の間にパンクよるタイムロスがあったということなんでしょう。(八幡平アスピーテライン) 気を取り直して、紅葉旅再開であります。 八幡平高度の低い場所は見頃、そして玉川温泉も乳頭温泉も見頃。(玉川温泉・新玉川大橋)春はただ 花のひとへに 咲くばかり もののあはれは 秋ぞまされる (拾遺集・雑下)(乳頭温泉・鶴の湯) この日の宿は角館温泉ということで、角館に向かいます。 武家屋敷通りの紅葉はこれからのようです。(角館・武家屋敷通り) 角館温泉では、「秋田の地酒楽しむ」とのこと。10月24日男鹿半島・寒風山(回転展望台)→なまはげ館・真山神社→入道崎灯台→R101北上→白神山地・十二湖→艫作崎・黄金崎不老不死温泉(泊) 旅の三日目は、男鹿半島に向かいます。(なまはげ館) なまはげ館に立ち寄り、入道埼灯台へ。(入道埼灯台) 岬巡りの君としては、灯台の写真も欠かせない(笑)。(白神山地・十二湖) そして、白神山地の十二湖へ。見頃の紅葉、美しい写真です。 「有名な青池は光線不足で青色が不十分」ということで、青池の写真はなしであります。※2024.11.4.10:41追記青池の写真も追加で送っていただきましたので追記します。(青池)岬麻呂氏説明文「ここでも近隣外国人の団体さんが居て、いなくなるまで撮影を待ちました」 この日の宿は、黄金崎不老不死温泉。午後3時35分に到着。 露天風呂の入浴可能時刻である4時30分までは待てず、先ず露天風呂に直行。寄せ来る波のしぶきを時々かぶりつつの入浴であります。(不老不死温泉・露天風呂) 日没まで待って、その光景を撮影しようとの目論見であったのかも知れませんが、長湯のし過ぎで「ゆでダコ状態」に。ということで、日没までは待てずに退散であったようです。(同上・日没前の露天風呂) これで夕食がタコ料理であったら面白かったのにというのは、外野席のヤカモチの感想(笑)。 酒の肴が何であったかは存じ上げませんが、青森の地酒を楽しまれたとのことで、目出度し、目出度しであります。10月25日R101北上→千畳敷→北金ヶ沢(日本一の大銀杏)→鯵ヶ沢・海の駅「わんど」→津軽岩木スカイライン69曲がり→岩木山神社→弘前城公園→青森空港→伊丹空港 最終日は千畳敷から北金ヶ沢の大銀杏へと向かいます。(北金ヶ沢・日本一の大銀杏) 部分的に黄色く色づいている葉もありますが、全体としては未だ緑色。 全体が黄色くなったら見事な眺めでしょうね。(津軽岩木スカイライン入口) 上は、津軽岩木スカイラインの入口だそうですが、この先の69曲がりは標高も高く視界不良、雲の中だったそうです。視界不良のS字カーブの連続などという道路での車の運転は御免蒙りたいが、運転好きの岬麻呂氏にとっては、それも亦楽しからずやであったのでしょうか。(岩木山神社)(岩木山神社右隣の川筋から見た岩木山) 確かに岩木山は雲の中にあります。 最後は弘前城公園です。紅葉の盛りはこれからのようです。(弘前城・東堀) 今回は、タイヤパンクというトラブルに見舞われるという思わぬアクシデントがありましたが、無事に旅を完了されなによりでありました。 そのアクシデントの後処理もあったので、早めに青森空港に戻られたようですが、自走634km(搬送の33kmを合算すると677km)のロングドライブ旅お疲れ様でした。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.11.03
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