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今まで私が市販の簡易HPソフトでHPを作成していたが旦那がWEBを勉強し、WEBデザイナーを目指しているので私のHPを作成してもらった。完成まで二ヶ月かかった。何故ならば、彼は完璧主義者で理想はとどまることを知らず、作っては気に入らずやりかえの繰り返しだったからだ。彼ははじめはフラッシュだのデザインなどを重視してやっていたがそのうち、あることに気がついたらしく結果的にブログを自分で構築し、観覧に来た方がコメントを入れれる方式のHPにした。だから見た目にはシンプルで普通のブログに見えるがそれは紹介する作品をよく見せる方法とWEBから私が更新できるようにしてくれたのだ。HPは作りっぱなしでは意味がないという。まさにそのとおり。私は作りっぱなしで放置ぎみ。それでは観覧に来られた方は面白くもなんともないただの自己満足HPにすぎない。そして、私に文章を書いてくれと言った。自分の言葉で、その時に感じたことやお客さんとのやりとり、隠れた秘話など。そうすると読み手も面白いのではないかと考えたらしい。確かに一度訪れて終わりのHPは多い。ブログならば更新されるから何度でも読み行く。何よりも難しいHPの勉強をせずとも一度作ってしまえばブログ感覚で簡単に書いていける。それならお客さんのHPを作った時でもお客さんが随時更新していける。料金も安く出来る。そんな思考のもと旦那が夜中コツコツと作り上げたデジタルバランスのHP、今までと違い随時更新していくので興味がある方はぜひ読んでください。アドレスが変わりました。http://digital-br.com
October 28, 2008
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digital-BRdigital blance からきてなぜ、BRなのですかと先日、他の会社の方に尋ねられた。「それ、本当はLなんですよね、はっきりいって間違いです。最初に名前を知り合いと決めたのですがその方が間違えてて、私も気付かないまま何年かたち、気づきました。でもBLでは私の中でキマラナイのです。だから間違っててもBRで通しています」と答えた。そのお方は納得がいかなかったようで昨日も別要件で電話がありまた、名前を変えるよう言われた。間違えてたなってよくない。お客さんだって海外に通じてるんだから気付かないわけない。頭の弱い人だと思われるとさんざん、言われた。即効、名刺は捨てるようにすべて変更することを勧められた。旦那に話すと絶対に代えない方がいいという。私の中でも今更変えたくないと思う。Rに別の意味を持たせればいいと。それに、なぞの方が興味をもってくれるのではないかと今までそのままにしていた。皆さん、どう思われますか?これって変えた方が良いのでしょうかね。HP http://digital-br.hp.infoseek.co.jp/
July 23, 2008
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昨日、店舗プロデューサーのUさんと某有名企業のYさんとお客さんのとこの企業Dに打ち合わせに行った。あまりにも大きい会社で入る時に認証カードが必要で警備もきちんとされていた。私のような名も知れないフリーのデザイナーがいえ、主婦がこんなとこにいるのが不思議でしょうがなかった。結局、今回はグラフィックにも関わるようでとりかかりが得意分野で少しほっとした。だが、慣れない世界に身を投じ、心身疲れ、発言や態度にひどく気をつかったせいかもしくは猛暑の中慣れないスーツ姿だったせいかそれとも午前中は暑い中セイイチロの幼稚園の夏祭りに参加したせいか全てが重なり帰ってからぐったりだった。こんなことでは先が思いやられると思った。夕食を終え、ぐったりとしているとセイイチロがやってきて「ママ、お仕事がんばって。お仕事がんばらないとお金も入ってこないよ、お金が入らないとせいちゃんの好きなお菓子もおもちゃも買えないよ」と普段私が延長保育を嫌がるセイイチロに向かって言ってる言葉を自分の言葉に置き換えられ励まされた。さらに「じゃあ、パパが働けばいい」と言った。まったくその通りだ。子供はよく見ている。でもパパはパパでがんばっている。午前中、夏祭りに行った時セイイチロは私の姿をみつけはしゃいでいた。だが打ち合わせのために早めにそこを去らねばならないとき、彼の顔はとても寂しそうだった。後ろ髪をひかれながらも打ち合わせに行ったのだがそんな彼からそういう言葉を聞けると思わなかった。「パパとママとがんばったらもっと良くなるんだよ」というと納得したようでセイイチロは頷いた。それまでぐったりとしていた私だがきゅうにしゃんとして二人で手をつないでゴミ捨てに行った。
July 3, 2008
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今はグラフィック一本で仕事をしているが8年前迄は店舗のデザイン事務所で働いていた。ディスプレイに憧れ、入った世界であったが予想以上にハードで難しく性格的に設計は向いてない、はっきりいって辛かった。グラフィックは並行してやっていたのでやめてからは一度フリーになりその後派遣などでグラフィックデザイナーとして働き、出産後はフリーのデザイナーとして活動していた。それでも腰掛け程度にやっていたが昨年、旦那が失業してからは事務的な仕事の派遣と並行してやっていたが夜遅くまで残業、帰ってからデザインの仕事でクタクタで3月からはデザインの仕事のみやっていた。幸い、旦那の失業保険が5月から降り出したのでちょっと安心していたが9月からの収入はどうしようかと思っていた。旦那の職場実習先が決まったので少し安心はしてるものの、そのまま就職になってくれたらなあと願う日々である。しかし、先日、昔からの知り合いの女性企業家が私に仕事の話を持ってきた。ショールームのデザインをしてみないかということだった。しかし、ソフトも入れてないしなにせ8年も離れてるしバリバリ図面や3Dなんてできないしお断りしたが、あなたの感性が大好きだしあなたなら出来ると念を押され、店舗プロデューサーなる方を紹介された。その方にも丁寧に伝えたつもりだったが私のグラフィックの作品を見て「感覚は全く衰えてない、作品をみればわかる。」といわれ、だんだんその気になりもう一度やってみようかろ思い始めた。その日に女性企業家Mさんから連絡があり「構えず、ゆっくりと覚えていけばいい」とプロデューサーのUさんが言ってたよと言われた。それを聞き、ここまで言ってくださるのならやらねばならないという使命感が生まれた。と同時にそのお二人に感謝した。だが数日悩んだ。旦那にも相談した。やってみたほうがいいよ。と言ってくれた。今以上に忙しくなることの不安はあるがもう一度やろうという気になった。8年の時間はたって、リスクはあるもののあの時になかった人生経験が役に立つかもしれない。結婚、出産、グラフィックの仕事が役に立つかも知れない。そう思って行動にでた。翌週の始めにそのUさんの事務所とUさんが作られたショールームを見学に行った。久しぶりの感動だった。するとその日のうちにUさんから連絡があり早速本日の打ち合わせに至った。やれないかも知れない。でもやってみたい。もう一度あの頃の夢を追ってみようかと思う。出来るところまで。
July 2, 2008
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私はDTPのフリーのデザイナーですが 主人が職業訓練校でWEBデザインを習っています。 どなたか福岡のWEBデザイン関係企業で、一か月の職場実習を受け入れて下さるところを知りませんか? WEBデザインに必要なソフトやプログラムを 勉強しています。 一か月間無料で奉仕します。 期間は7月の中旬あたりからだそうです。 なんでも使って下さい。 WEBデザインの関係の職場で実習したとういうのが 就職活動のキーワードになるようです。 職場実習=就職にはつながりませんから 受け入れたら雇わないといけないなんてことは ありません。 実績がほしいそうです。 学校関連企業では今年は募集が少ないらしく1人しかいないようです。それで探しています。 どなたかお知り合いの方がいらっしゃいましたら 教えて下さい。 もしくはそういう仕事をされている企業の方(大小・問いませんが個人はダメだそうです)よろしくお願いします。 うちで使ってみたいと思われたWEB関係経営者の方、もしくは企業内の方、よろしくお願いします。 御一報願います。(私書箱までご連絡ください) 詳しい情報はメールかお電話にてお知らせ致します。
June 5, 2008
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前日の日記に引き続き、おかまさんのダイニングのリーフレットデザインに使う写真の撮影に行ってきた。写真はプロでないからと何度も念をおしたがそれでもいいということだったので今回はプロを入れずにデジカメ撮影でまかなった。例のごとくおかまさんのダイニングの店に少し早くついたので外観から眺めていた。写真を1枚とり、中に入った。ここでしばらくお待ちくださいと店長から言われた。ここに来ると感覚がくるう。男?女?女なのに男の服装?そんあ疑問が毎回私を襲うが誰にも聞けないでいる。撮影が始まった。料理が次々と運ばれてくる。一応、確認をとっていたがおかまさんは私にお任せするという。あなたの感性でお願いするわ。とおかまさんは言った。ひょえー、私の写真で本当に良いのかと思うが料理の撮影が終わるとおかまバーに行った。黄金の階段を上った先に赤やらピンクやら黄色の原色、ママの誕生日お祝いに頂いたという多数の花の中を潜り抜けてカウンターを見ると美しいシャンパングラスが積み上げられたグリーンのカウンターが見えた。暗がりの中、カウンターを照らすライト、ブルーに反射したシャンパングラスがなかなかいい雰囲気だった。天井からは「ママおめでとう」的なPOPがたくさんぶら下がっている。とても不思議な空間。夜の8時だというのに「おはようございます」と挨拶するレディたち。不思議な空間だった。さらに3Fに上がり、ショーハウスの撮影に入った。美しいレディ、もろおかまのレディいろんな女(男)たちが9人ほどスタンバっていた。しかもリオのカーニバル並みの衣装を着ていらっしゃる。面喰らった。ママはこと細かに笑顔やしぐさ、すその角度まで注意している。おお、ここで写真失敗したらどうしようと思いながらも以外にサクサクとおかまさんらに指示する自分に驚く。どうやら本番強いようだ、私。撮影が終わり、印刷会社のTさんと話していたところやはり、デザインは2種使うようだ。今日は別の打ち合わせに行く。あるレストランの大きな窓面に貼るグラフィックデザインの打ち合わせに行く。今年はいろいろと忙しそうだ。
May 15, 2008
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先日、昔の知り合いからの紹介である印刷会社を紹介してもらった。その会社のお客さんでおかまバーを経営されているおかまさんがいて、何やらデザインにこだわりがあり、なかなかOKをもらえないから誰かデザイナーを紹介してくれということだった。私はその印刷会社は前仕事で関わったことがあるくらいで面識はなかったので作品を持って知り合いとあいさつに行った。前のデザイナーさんが作られたおかまバーの作品を見ると素晴らしくうまかった。私はこれ以上のものを作れるのかいささか不安だった。しかし、その会社のTさんがその日の夕方にそのおかまさんのとこに行くと聞いて何か感じるものがあり私もご一緒させて下さいと行った。初めての領域である。どんな人が出てくるのかと思えば男の恰好をされたおかまさんだった。そのおかまさんが新たにダイニングの店を開くそうだ。紹介されたとき、「あんた自身あんの?」と聞かれ強気でいっとかないとなめられると思い正直、自信はないがとりあえず「はい」と言った。「あんた、はいとか言って、そうじゃなかったらぶったたくわよ!」とおかまさん特有の言い方で言われ、おかしかったがん、んどうしょうと思った。ところが、紹介だけのつもりがいきなり仕事をもらえた。印刷会社のTさんもそうなると思わなかったみたいで驚いていた。デザイン代は惜しまないらしく、自分がほしい分だけ当たり前に出して下さいと印刷会社にいわれとまどった。安く出してといわれたことはあるけどその逆はなかったから。でも当たり前に計算するとかなり高くなった。と自分で思ったがデザイナーや経営者の友人らに相談するとそれは安いとつっこまれ、さらに値段を上げた。うう、ここまでしっかりとると蹴られる可能性もある。でも、料金にみあったものをだすのがプロの仕事であろう。とにかく考えた。おかまさんの店の雰囲気、会話、服装、店のコンセプト、すべてを頭にいれたがなかなかいいものができなかった。旦那とセイイチロを実家に行ってもらって仕事に打ち込んだ時はボロボロだった。もう、PCの前に座りたくないと思った。値段の分だけプレッシャーがのしかかる。私に才能なんかあるのか、自問自答の日々が続いた。そんなある日、気分を変え、海にいった。行っても何も変わらないだろうけどとりあえず、空が青かったので海を見たくなった。しばらく海で考えた。やはり何もうかばなかった。ところが家にもどりPCを触り、他の仕事からしてるうちにぱっと浮かんできた。そしてその日は夜中までU-TUBEでドラゴンボールZをセイイチロにつきそい見ていた。面白かったのでセイイチロが寝た後もずっと見ていた。出てくる赤やら黄色やらの光線が脳を刺激したのだろうかセリフが刺激したのだろうか翌日、ぱっとデザインが浮かんだ。打ち合わせに行く前30分にできた。なぜいつもギリギリなんだ。追い込まれないと出てこんのか。打ち合わせに行って披露の時がきた。「センスいいじゃない、気に入ったわ。どっちもつくりたいわね。」と提案の二つをどっちも印刷するというのだ。面食らったがほっと安心した。印刷会社のTさんも「こんなケースは皆無です」と言ってよろこんでくれて、もしデザイン二つとも印刷になった場合はいくらかプラスしてくれるそうだ。そして年末のカレンダーの話もあるようだ。久しぶりに喜びを感じた。やってよかったと思った。でもまだ油断するなと言わんばかりに包丁で指を切ってしまった。まだまだ、安心できないが頑張ろうと思った。紹介してくれた、前職の上司のOさん、印刷会社のTさんそしてアドバイスしてくれた尊敬するデザイナー友人のNさん友人のKさん、協力してくれた母親、そして何よりも支えて協力してくれた旦那に感謝している。これからは気合を入れてさらにがんばろうと思った。
May 14, 2008
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私の座右の銘は1%にかける。 興味のあることや必要なことは最後まで諦めない、 でも興味のないことや不必要なことはすぐ諦めます。 ゴメンなさい。 で、もうひとつの格言。 「不幸は不幸がお好き」 それは不幸なことが起きて、ずっと暗い顔をしてると どんどん不幸になっていくと思うからである。 不幸は本当に不幸が好き。彼らは運命共同体のように どんどん手をつないで増殖しやがる。 先日、相方の広告代理店 Mさんのもってきた仕事で 大事なキャッチを1字違いでのぼりを入稿してしまった。 そもそも、私はこの仕事をして10年になるが 誤字脱字はチェックするし、お客様にも相当助けられている。 それはとってもありがたいことで感謝しなければならないし 自分でも反省しなければならないことであるが そのおかげと、絶対に失敗してはならないという恐怖感(笑) でこの道をたどってきたからこれまでは最小限のミスで済んでいた。 のぼり20枚。金額にしては数万ではあるが 最近、あまりにも仕事の量が多く、忙殺されすぎて ぼーっとして最後の確認が甘く そのまま入稿してしまった。 そもそも、最終確認の原稿を渡しているのだから 間のMさん、お客さん、誰一人気づかないのも不思議だが 私が一番悪い。数日後、お客様から指摘があり 気づいたときはあとの祭り。頭の中どうしようの文字。 そんな状態で新規契約のお客様のところにいっても 契約書は間違っているは注文書は斜めに印刷されてるは 間違っているは 基本的な営業常識を指摘されるはで ぼろぼろ。でも勉強にはなった。 でも社長に余裕のない人だと 思われたと思ってどーんと暗い顔して歩きながら のぼりのオーナに謝罪の電話すると「君たちはプロの仕事でない」 と一喝いれられ、さらに落ち込んだ。 たまらなくなり友人にメールをいれ、ぼーっとしてると 家の前のバス停を乗り過ごし、慣れない8センチヒールとスーツで泣く泣く歩いて帰る。なんのために私はバスに乗ったのか。 だが、歩いているうちになんか爽快になってきて 笑いが出てきた。不幸は私が好きなようである、そう思うと 笑えてきて、昼からビール片手に「どんとこい」と 思うようになった。 そういえば最近嫌なことなんてなかった。 嫌なこと、不幸は人を成長させると私は思っている。 だからこれは成長のチャンスだ、まとめてきてくれたから私は とーっても成長できる、そう思ったら前向きになれた。 そしてのぼりのオーナーに再入稿の確認の電話を二度ほど 入れるとオーナーは快く応じてくれたので 少しほっとした。 オーナのお店やMさんに迷惑をかけて申し訳なかったが 前向きになることで最悪の事態は食い止めれたようだ。 今回、このことがなければ、私はこの先もっとすごい 失敗を犯したかもしれない。 Mさんにはそのお詫びとして全メニュー表100枚を 私が印刷することになった。 それはとても大変な作業だったが何度もチェックをし 慎重に行ったのでなんとか失敗をせず印刷とカットは はスムーズにいった。 フフフ、不幸よ、私の前にどんとこい。 私はそれを全て喰ってお前らを細胞分解したる。 そう心に思い始めたら、やつらは急に姿を消し 私に安息な日常が戻り始めた。
September 28, 2007
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インテリア専門学校時代の古い友人は沖縄から単身できてひとりがんばって福岡で暮らしている。当時はまだお互い学生だったが同じ設計という道を目指して、勉強に遊びにともに楽しくすごした仲間の一人だが、その旧友たちとは今では頻繁にあっているわけではないが、誰か声をかければ、やれ忘年会、結婚式、野球など誰かしら参加するような感じである。その沖縄の友人花城くんは今は陶芸で生計をたてていて彼自身独立して窯を持っている。当時は私も彼も店舗設計士を目指していたが今ではお互いまったく違う職業。彼は陶芸家、私はグラフィックデザインをしている。しかし作り手という点では共通していて同じような道を歩いている気がする。その彼に先日料理がはえる、とくにパスタが映えるお皿をお願いした。彼は快く応じてくれて我が家に一枚の重厚感ある素敵なお皿を作ってくれた。ガーリックチキンなすと豚のオイスターソース炒めそしてそのお礼なのか名刺を頼んでくれた。私も彼のため、心をこめてロゴを作り名刺を作った。花福釜の名刺※掲載は本人了承済み、決して悪用しないで下さい彼とは1年に何回かしか会わない間柄だったが仕事を通して関わったり、一緒に彼のブログを作ったりして当時の学生時代を思い出した。あのころは一緒に一生懸命図面ひいたりノートとったりしていたなあ。今では違う道を互いに目指しているが一流品を作りたいという想いは一緒だ。そんな彼のブログができました。ぜひ見に行って下さい。花福窯のブログ陶芸一筋それにしても半月ぶりの日記である。仕事が忙しかったのと私生活で考えることあってなかなか日記を書く気分になれなかった。
November 5, 2006
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依頼されたのは5月、だけど途中で派遣にいったり姉と私のお互いのの都合でストップしてたりでなかなかGOにならず印刷されなかったアンミュージックのパンフレットがついに先日出来てきた。印刷にまわしてからもデータの転送がなかなかうまくいかなかったり、はっきりいって大変だった。撮影も1日かけ、何百枚もとった。レベル4の癌をもつレイカに長い時間モデルになってもらい(最後には路上でなりきりシンガーになっていた)生徒さんにもモデルになってもらった。ピアノを弾く手が子供の手(セイイチロウの可愛い手)では気に入らないと(可愛いのにチクショウ)姉がいい、取り直しては、この角度はエラが張って見えるから嫌だとか服装が変だからいやだとか(撮影の日は初めからいいやつ着てこいよ!)身内だからこそいいたい放題のこだわりで(わがままとも言います)写真をさしかえたりして行き着くまでが大変だった。ただ、写真を撮るほうも撮られるほうも真剣だった。私はカメラをもつとすごく集中するので気付いたらたら100枚以上はすぐいってしまう。デジカメってパソコンで見るとボケてたりするし、はたまた足りないシーンの写真を取り直しにいったり、イメージがつかめず何度もデザインを変えたり。お友達のコピーライターに無理言って値段抑えてもらったりやり直してもらったり。みんなの真剣な思い、依頼者、モデルさんたち、コピー、写真、デザインどれをとっても真剣に取り組んだパンフレット。デザインが出来てからも印刷に出す30分前までコピーライターの友達が必死で校正してくれてギリギリで提出。誤字脱字多すぎ。。。印刷に出してからもファイルが壊れてるとかで何回もデータ転送したり時間がかかった。一筋縄ではいかなかった。いろんな思いがつまったパンフレットがやっと出来た。。。。今までたくさん仕事したがこんなに時間をかけたことはない。姉も1枚1枚大切に配るという。私も1人1人の表情、思い、が十分に伝わるよう、姉の教室のイメージが伝わるようデザインしたつもり。清楚、やさしさ、丁寧な指導、そして自分の中で芽生えた音楽という生きがい。音楽を通して自分を表現する。。というアンミュージックの私からみた視点で思うように作ってみた。冒頭コピー部 コピーライト/naomi気が付けばいつもそこに音楽があった。何かを始めようと踏み出す勇気を持ちたいとき…恋をしてHAPPYな気分を感じたいとき…悲しくて泣きたくて同じ気持ちを探したいとき…そしてよく聴いた曲を再び聴いてその時の状況が懐かしく蘇ったり…気が付けばいつも音楽と一緒に生きてきた。私には音楽がある。だからこそもっと近くでもっと体の中から感じていたい。喜びや悲しみ…音を通して表現して音を通して繋がっていく。そして自分だけの音楽をつくり出す。もっと音楽で素敵な人生をおくるために。これから先、どんな感情のときもきっと音楽は力になってくれる。リーフレットの中身見たい方はコチラリーフレットアンミュージックのHP
October 4, 2006
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デジタルバランスのHP作りました。どうぞ興味ある方はのぞいて下さい。コチラhttp://digital-br.hp.infoseek.co.jp/まだHP初心者なのでへたくそですがシンプル、見やすさをモットーに作りました。HP作りはブログのように毎日変わるものでないから色々工夫したりしてこれだけ作るのも労力かかりましたが面白かったです。これからもっともっといいHP作成をしたいと思います。時間があるときに見てくださいね。
August 28, 2006
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派遣の仕事が明日で終わる。一ヶ月って本当に早かった。あっという間。生活のリズムがつかめず熱をだしたり、家事に追われてブログやパン焼けなかったし携帯から日記を書くのがやっとだった。自分の仕事やこれからの活動準備ももあるし、いろいろやりたいこと勉強したいことがあるので託児所に引き続きもう一ヶ月預けることにした。したら、日記もかけるようになるだろう。来週からの一ヶ月、有意義に過ごそうと思う。自分の時間をお金で買う。なんて贅沢なんだろう。(育児放棄といわれるかもしれんけど)まあ、それもあるけれど征一朗が何様、託児所に行きだして、楽しそうなのだ。最初は泣いていたけれど、今は行きたがるし、ものすごく言葉もふえたし強くなったし、思いやりも育ってきた。夜、寝かしつけにかかっていたはずの私が先に寝てると「はあい」といって私愛用の枕を頭の下にひいてくれようとしたりタオルケットをかけてくれようと努力してたりする。もちろん、ちゃんとは出来ないが。それには感動した。きっと託児所でお姉ちゃんたちがそうしてくれているのかもしれない。短い期間だから保育園ではなく託児所に入れたけど年齢がさまざまな託児所で学ぶことも多いようだ。言葉もふえ、お友達もいっぱいできたみたい。だから思い切ってもう一ヶ月入れることにした。この一ヶ月を有意義に過ごしたい。仕事がうまくまわるようになってきたら次は保育園かな。
July 13, 2006
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友人の勤める久留米リハビリテーション専門学校の校章マークのデザインを依頼されたのが三ヶ月前。それから5つほど試行錯誤し、昼間は子育てをしてるから出来ず、征一朗が寝た夜中や集中できる朝方に仕事をしていた。学校側とは昼間に連絡をとりあうので片手に電話やマウス、片手にプラレールや電車おもちゃといった日々もあり、学校側の要望、私の提案、思考をうまくとりあいながらなんとか提出できた。途中で学校側の要望が増えてデザインがガラッと変わりそうになったときに、自分のデザインではなくなると泣きそうになった。それをすばやく察知した旦那が悪役を買いながら私に「趣味?仕事?、今は趣味でしょ。(意地悪く)それなら自分のデザインを貫いたほうがいいと思うよ」と背中を押してくれた。私は仕事と思っていたのでかなり口論になってバトルになったがそのおかげで私は自分の気持ちをうまく整理し友人に伝えることができた。もう、夜でお仕事は終わって自宅に戻っていたであろうに友人は電話ですばやく上司にそのことを伝えていたので私がやっぱりワガママだからいいやって電話しなおしたときまだ1時間もたってなかったのにもうすでに伝わっていた。学校側は快く、その私の気持ちをわかってもらえてデザインの変更をしなくてよくなった。私も自分のワガママだけを通すわけには行かないと思い、学校側の要望を取り入れ、私の譲れないところは譲らないといった具合で朝方、マークが完成。そして、スクールバスのデザイン(カッティングシートのみ)も作ることになった。バスのデザインはしたことなかったが征一朗の電車好きのおかげでいろんな電車を普段からみていたおかげで頭にすっと浮かんできた。それから三ヶ月。友人の話では学校側は校章マークやバスをえらく気に入ってくれてるらしく校章マークを乗せたバスは予定より台数が増えたという。私を紹介したので自分は鼻が高いと言ってくれて私は泣きそうなくらい嬉しかった。そしてトートバックも作ったらしく、友人は4枚と名刺を2枚、ロゴマークが乗っているパンフレットを2冊送ってきた。パンフレットには校章マークとデザインコンセプトがしっかりと記載されていた。私が考えた文章がそのまま載っていたのでなんか照れくさいけどすごく嬉しかった。友人は5年前に私のデザインをみていたので覚えてくれていて今回依頼してくれたらしい。今回本当に助けられたしチャンスをくれて、とても感謝している。そしてムカつく言い方で私を挑発し、真の気持ちに気づかせ、意思を通させた旦那に本当に感謝している。私はこれが趣味でも仕事でもロゴマークに関しては依頼者側とデザイナーの気持ちがひとつにならないといいものは出来ないと考える。もちろん、デザイン代を頂いているのだから依頼者の要望を取り入れるのは当たり前だが言いなりになってもいいものは出来ない。お金を払ってデザインを買ってくれているのだからパソコン操作のオペレータになってはいけなと思う。だからと言って私の芸術作品ではないのだから自己満足をおしつけても長くは続かないだろう。学校にはこれから100年以上長く運営し欲しい。そしてこの校章を長く使って欲しい。私がお婆さんになったりお墓に入っても私の子孫たちが「この学校の校章、ばあちゃんが作ったんだよ」と周りに自慢してくれたらデザイナーとしてはそれほど嬉しいものはないなあと一人妄想するのであった。学校のHPはコチラパンフレットの4Pにロゴデザイン、バスは20pに載っています。http://as-lab.jp/pp/3435/index.html
July 2, 2006
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高校時代のクラスメートに先日のapianのライブで再開した。彼女はこのライブの主催者側で働いているライターになっていた。じつは6年ほど前に八女で再開したときは彼女は妊婦さんで私は店舗設計の会社で現場管理なんぞをしていたので超多忙で連絡先を教えてもらっていたけどなかなか連絡できないまま時が過ぎ、後悔していた。今回再開した時、彼女が驚くほど洗練されていて綺麗で一瞬だれか分からなかった。もちろん、高校のころからかわいかったけれど、大人の素敵な女性へと変身していたからである。聞けば、ライターをしているという。子供は二人いるらしく仕事をしながらがんばるクリエイターさんである。私はデザイナー。この関係は仕事でいうところの姉妹のようなもの。友達としての再会はもちろん、仕事仲間に会えた喜びも嬉しくてこの日、姉以外のライブもそっちのけで再開した喜び、お互いに仕事していて共通点があることの喜びで二人で話に花を咲かせていた。そして、今回姉の会社のリーフレットを作るので彼女にコピーライトの協力をしてもらえることになった。今度のリーフレット、私なりにかなり気合が入っていて昨日も感性を磨きに、天神へ赴き、本屋でたくさんのデザインの高い本を物色した。そばで走り回るわが子が4000円もする外国製のトーマスの本を持ってくるので突き返していたら、今度は800円もするバスの絵がついたどうせすぐ飽きてしまうであろう外国製のメモ用紙36枚入りをなかなか諦めてくれず、とうとうビニールをやぶったためにブツブツいいながら買う羽目になった。そのくせ、自分は何千円もする本を2冊買い込みそれを見るのが今楽しみである。しかし、家に帰ったら案の定バスのメモ用紙に見向きもしない彼。ムカつくのでバツとして買い物の時に欲しがるコザコザとしたおもちゃはしばらく一切買ってあげないようにした。君のせいで我が家の家計は破産するのだよ。と意味も分からない二歳児にそう説明する私である。もちろん聞かない。ま、いいだろう。それにしても、今以上に、もっている感性を磨いて素敵なデザインをしていきたい。Mちゃん、一緒にがんばろうね。
May 24, 2006
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フリーになって個人だが「デジタルバランス」という屋号はあったもののロゴが決まらないこと5年。途中で辞めて他の仕事したり派遣で仕事したものの縁あってまた復活した。これを機にロゴが完成。デジタルバランス=DIGITAL BRは時代の最先端におけるデザインの提案と昔から現在、未来、どの時代になっても変わらないバランスのセンスを大切にしたいという願いを込めて私が作成したロゴである。このマークは自ら蘇生を繰り返す細胞のように、「何があってもへこたれず、復活できるパワーをみなぎらせています。」という私の願いをこめてデザインした。一見、デジタル風に作っているが生き生きとした細胞も表現している。バランスをとりながらロゴ自ら生きているように見えるようデザインしている。とうたってみた。これを記念にこのロゴに託した意味のようにへこたれず、がんばっていこう。じつは昨日仕事でへこみかけたのでこのロゴを作成したのだ。
February 7, 2006
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最近、友達に紹介してもらったお店から国産小麦粉を買っている。2kで376円とかなり安く、そして美味しい。聞いてみると歩いて5分もかからない程のご近所さんだった。ここのベーグルがかなり美味しいと評判。それまでは知り合いを通して買っていたが、近くなので初めて予約の電話を自分で入れてみた。すごく話しやすいオーナーで初めて話した感じがしなかった。評判の冷凍ベーグルを食べてみたかったので在庫があるかたずねると、そこから話が一転してベーグル製作のスタッフにならないかと言われた。すごくありがたい話だった。近所だし征一朗も連れて行って良いらしいし、美味しいベーグルも教えてもらえるなんて。午後から約束して小麦粉を買いに行ってみると感じの良いオーナーで、今妊娠6ヶ月らしく人手が足りない理由もあってお声をかけてもらったようだが、私の本業を言うとよく考えたがいいですよと逆におっしゃられた。そしてその評判のベーグルまで頂いて帰った。見た目が私が作るのと違い、きれいな輪になっていて黒ゴマとシナモンレーズンだった。一口食べたら、手づくりの焼きたてベーグルの温かみが伝わってきた。とても美味しい、砂糖が入っていないらしいのにほんのりと甘い。もっちり感がすごいし、何より形がきれいでかわいい。とても興味深かった。私はパン作りが大好きだ。作り始めた理由がどうであれ作るのも食べるのも大好きだ。でもそれは趣味の範囲だ。よくよく考えたのだ。すごく魅力のある話だったが私の本業はデザイン屋。二足のわらじをはけない。そんなに器用ではない私。迷いの中、決め手は私のお客様からの1通の手紙とメールだった。姉の知り合いのKさんという方から結婚式で使うサンキューカードのデザイン依頼を受けた。それは何かと言うと、結婚式を盛り立ててくださる皆様への感謝の意と新婦のお父様に聞いて頂く思い出の曲の歌詞を載せたCDの形をしたカードで彼女の披露宴で配られる。その思い出の曲の演奏は新婦自身が演奏されるので、今、一生懸命ピアノを練習しているらしい。先日デザインを提出したのだが、とっても喜んでくれてそのカードを見てそこで演奏するピアノの練習に気合が入りました、がんばりますと書かれていた。そしてメールにはカードがより素敵で感動的なものとなるようにがんばらなければと書いてあった。それで心を打たれた。それを読んだときに、私のやるべき仕事はこれだと強く思った。感謝される仕事ほどありがたいものはない。それはどの職業とて同じかもしれない。でも私にとってはそれはデザインの仕事だった。20代から続けている仕事だが、雇われている時は納期前に忙しさと妥協で間に合わせの仕事をする自分に嫌気がさしたり、デザイン性のみを高めようとしたりとか挫折したりとか色んな壁にぶつかってきた。でも、今はフリーで受けているのであきらかに前とは違う感覚で仕事をしてる気がする。それは手ごたえとお客さんと直接、接する楽しさとそしてありがたみだと思う。パン作りは楽しいが奥が深い。かなり繊細なお仕事だと思う。それは環境によって湿気や気温、材質など状況に応じて仕上がりが変化するのもひとつの理由だと思う。その分とても魅力ある仕事だと思うし手ごたえも十分にあると思う。しかしデザインも負けないくらい気苦労が多い。楽しいだけでない、時間がかかる。アイデアが上手く浮かばなければ自給にすると100円をきってしまうこともあるだろう。だから二つの仕事をこなすには今は無理だと思った。どちらにも気が分散し、中途半端になる気がするから。その考えに行き着き、オーナーに断りの連絡を入れたのだが、彼女も同じ考えであって断ろうとしてたようだ。気が分散してしまうからひとつのことをするほうがずっと伸びるからそのほうがいいとおっしゃっていた。ご理解いただけてとても感謝している。彼女も以前はバリバリのキャリアウーマンだったらしい。パンによって人生が変わったとか。色んな話ができてこれからもつきあっていきたいと思った。話に出てくるオーナの「きぼうほう」さんのホームページはコチラから↓きぼうほうのホームページ冷凍ベーグルがとても美味しいです。ぜひ、お試し下さい。長くなりました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
January 19, 2006
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出産前ははグラフィックデザインの仕事をしていた。ある食品会社の企画室に派遣でお仕事させてもらっていたのだけど妊娠9ヶ月に入る頃、出産、育児のためにやめた。それから、自分の趣味やHPをデザインすることはあってもお金を頂いてのお仕事はお休みしていた。いつから再開しようかなと考えてはいたけど決断つかず、日々を育児や家事ですごしてきたけどある出会いをきっかけに少しずつお仕事を再開しようと思いはじめた。旦那に相談するとはじめは「出来るの?」って言われたけど、やってみたいって言ったらやれるんならやっていいよと言ってくれた。そのきっかけを軸としてフリーで少しずつ再開しようと思っている。そうするとタイミングよく姉が会社を作ったのでその会社のロゴと名刺のデザインも作成することになった。思ったほど時間はかからなかった。出来上がった名刺を渡すと姉は喜んでくれたのでお仕事をして喜ばれる嬉しさを久しぶりに体感した。そして今日はきっかけとなったお客様のとこへチラシデザインの打ち合わせに行ってきた。久しぶりの打ち合わせにドキドキした。でも、依頼者がアットホームな暖かいご夫婦でほっとしてスムーズに打ち合わせが出来た。セイイチローを連れての打ち合わせ。それもドキドキだったが彼はおとなしくそこのお宅の電車おもちゃやビデオに夢中。それにご主人がお相手してくれたので安心して奥様と話を進めることが出来た。この仕事をきっかけに少しずつ自分のペースで無理なくお仕事を再開していこうと思う。
November 20, 2005
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またもや、派遣会社からお仕事のお話いただいたのに断ってしまった。原因のひとつは、あまり得意分野ではないCADの仕事だったのとまだまだフルで働く自身がなかったからだ。こうやって社会から少しずつ遠のいている日々。でもなぜか忙しい。子育てって立派な仕事だと思う。それでもって仕事しているお母さん方はなんて偉いんだ。尊敬する。今日もまた、母親らしからぬ行動をとって自己反省。でも人生長い、気楽にいこう。自分の中では断乳後、オムツが外れたら働こうかと考えているがはたして子離れ出来るのだろうか(笑)ちなみにセイイチローのマイブームはブレードランナーのDVDの裏表紙の血だらけの男の怖い写真を私に見せにくることである。怖くて泣くくせに私に持ってくる。意味がわからない。もうすぐ1才半の息子は何を考えているのだろうか(笑)
August 5, 2005
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約五年前、私がデザイン会社でお仕事をしてたとき高校生が面接に来ました。募集かけてないこんな小さな事務所に高校の先生から電話がありぜひ、面接させてくださいって。きたのはかわいらしい高校生。絵が上手で。真面目そう。感性が面白そうなので社長が気に入り彼女が入社することになった。私が指導の立場。デザイナーの後輩は彼女が初めてだったから緊張。入社の日、彼女は長かった髪をバッサリ。ベリーショートに金髪。びっくりしたけどそういうのOKな社長だったし、似合ってたしそれが最初の印象でした。彼女は吸収が早く、才能もあって私は育てがいもあり男だらけの事務所の中、初めての女の子の後輩で毎日が楽しかった。そんな彼女が半年もたたないうちに辞めていってとっても才能あったのにもったいないなあって思ってたけどそのころ会社は夜中の2時くらいまで残業続いて高校卒業したばかりの彼女を引き止めれませんでした。給料も遅れがちだったし。かなりの安月給。あれから五年、彼女は再びデザインがやりたくてすごく近くに引っ越してきました。彼女の就職活動につい、あれこれ口出してしまい自分のことのように入れ込んでしまって。新しくデザイン会社に合格したときは本当に嬉しかった。とっても才能があるからいつか花開かせてあげたかったのです。だけど今彼女は入ってわずか3ヶ月で限界を感じ、辞めたいって言ってきました。デザインを嫌いになりたくないから趣味にとどめたいって。また夜中1時、2時が続いてるらしい。いつもそんなに遅くないのに彼女が入ってから仕事が増え、残業がひどいらしい。車のローンを払うため土日はべつのとこでバイトしてるから体力的にも限界みたい。バイトのほうはあと三ヶ月の辛抱みたいだけど。私は人の人生だから私の思いいれで変える事は出来ないっておもいました。でもがっかりしてる私をみて私のだんなさんが背中を押してくれました。おせっかい焼いておいでって。それで普段はやらないんだけど妹のような彼女をみてるといてもたってもいられなくておせっかいやいてきました。そういうの下手だからうまく伝わったか分からないけど。才能がないからってぼやく彼女にふざけるな、まだ三ヶ月もたってないのにで才能がないってどうして言える、今からでしょう。才能は諦めたらそこで終わりだよ。デザイナーなりたかったんでよう。もう少し吸収してやめても遅くないんじゃないってかなりズバズバ言ってきました。あんたにはデザインの才能があっても努力の才能がない。根性がないって。これだけ出来るのだからもう少し頑張ったらって。言い過ぎました。きつがってる人にさらにきついムチだったかもしれません。でも後悔はしてません。彼女に今を乗り越えてほしいので。がんばって欲しいです。
April 25, 2005
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仕事をしてたときの仲間から連絡があり、知り合いがデザイナーを探してるとのこと。打ち合わせ以外は自宅で出来るとの話。化粧品のDMのデザインらしいけど。とびつきたい話でしたが今回も見送りました。まだセイチロー小さいからいろんな面で見届けたくて、ここではとても仕事できない。私がPCにむかうとしばらくして泣きはじめるから。自宅で出来たらいいなあって思ってたけどまだまだですね。三歳過ぎたらいいのかな?言って聞かせれる?まだ無理?でもまだ初めての子ですから仕事大好きなんですが保育園にまだ預けたくないし。いろいろ覚えさせて見届けたいし大好きなわが子といたいのでまた断っちゃいました(あー、もったいない。三度目)ま、今は家族といる時間が楽しいしパン焼けるし、HPさわれるし、専業主婦バンザイって感じ。あ、テーマからそれましたね。お気楽主婦ってテーマのほうが良かったかな?でもいつかは復帰しますのでそれまでは専業主婦がんばろ。
April 21, 2005
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私は高校時代に進路を決めるとき、将来にずっと続けれるような手に職が欲しかった。だからコンピュータの専門学校を選んだ。いわゆる情報処理。プログラマー、SEというやつ。でも難しくて授業についていけず、寝てばかり、真剣にやらなかった。次第に自分が来た道を後悔した。それでもせっかく高いお金を払った親の悲しい顔を見たくなくて、なんとかがんばって会社にはいった。その時代はバブルがはじける少し前で、仕事は山のようにあり、誰もが有名メーカーに就職できる時代だった。私は授業ではろくにプログラム組まなかった。卒業制作の企画があってはチームのがリーダーだったくせに案だけ出して、早期出社という名目でプログラムから逃げた。私はプログラムが大嫌いだった。二度目の就職は厳しい店舗設計の会社。使うパソコンはマック。やったあ、私は面接すること20社ぐらい、やっとの思いで切符を手にした。でも会社の方針と個性が強すぎる私は合わなかったのか三ヶ月の試用期間をすぎると同期の子が正社員に。私はクビを言い渡された。それでも親切なところで、次の会社がみつかるまで今年いっぱいはいていいですよと言われた。次の会社がみつかるまで二ヶ月耐えた。みんな私のクビは知っていた。私何も悪いことしてない、堂々としておこう。なのにクビと言われあんなに涙してた同僚はけろっとした顔で私にこう言った。「早く次の仕事きめたら?社長は優しさでおいてくれてるとよ」殴ろうかと思った。このアマ。でもぐっと耐えて今は時期じゃないからと言い放った。一ヵ月後時期が来た。捨てる神もあれば拾う神もいると母は言っていた。次の店舗設計の会社は5年程お世話になった。私はここでものすごく勉強になった。社長は私の個性を買ってくれて、前のところでは落ちこぼれだったのにここではマックが使えるというだけで重宝がられた。はじめは事務から入り、しだいに設計、監理をさせてもらえるようになった。そして独学でグラフィックデザインを覚え、店舗をオープンしたとこのオープンツールや印刷関係を担当させてもらえた。もう夢中になって覚えた。とにかく面白かったから。でも5年後会社は窮地に陥り、私は会社を辞めた。パソコンインストやったりしたけど、今の主人のすすめで派遣会社に登録。そして再びグラフィックデザインをやるようになた。育児のために今は仕事はしていない。でもこうやってHP作ってると楽しい。あんなに嫌だったプログラム言語だったのに、今はソースをいじるのが楽しくて仕方ない。セイチローが大きくなったら仕事再開するけど勉強してWEBデザインいいかもしれない。結局コンピュータとデザインが手を結んでしまったなあ。10年かけて戻ってしまいました。ま、いいか目に見えるしね。
April 2, 2005
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