不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2010/07/27
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カテゴリ: 日本旅行記
◇武蔵生家跡から細い道を車で少し昇った所に 武蔵神社 があります。
郷土の生んだ剣聖・宮本武蔵を祀る神社として、昭和46年4月奉賛会がその趣意に賛同された方々から浄財によって、天王山の平田家の墓地近くに建立した。
境内は武蔵が好んだ中唐の詩人・白楽天の詩の一句「寒流帯月澄如鏡」が刻まれた戦気の碑があり、また、厳しい朝鍛夕錬の修行によって兵法を極めた武蔵が、その一生の自戒自誓の処世訓とした「独行道」を刻んだ碑もある。
ここ武蔵神社は後世にわたって、武蔵の徳を慕う人たちの聖地である。

駐車場は、どうにか1台停めれる程度でした。
鳥居から30mぐらいの所に神殿があります。
それほどではありませんが、「戦気」の碑は立派でした。
山陰東2d1武蔵神社

境内に案内看板で「武蔵の墓」が書かれていました。
熊本の所から、分けてもらったと何かに書いてあったと思います。
すぐに見つけれたのは良かったですが、大雨になってきてきました。
写真を撮って、車に戻りました。
山陰東2d2武蔵の墓

神社前の細い道は山陰と山陽を結ぶ因幡街道の要衡らしいです。
釜坂峠は古い書籍には鎌坂、鴨坂、加茂坂とも出ている。
隠岐脱出の後醍醐帝の京都へのコースは、この峠越えだったと伝えられている。
また、鳥取藩池田侯の参勤交代のコースでもあった。
現在、人っ子一人通らない坂道にしては道幅が広く、江戸時代の主要道として整備されたとうかがえられる。
道沿いには、武蔵神社や本位田外記之助の墓や一貫清水があり、竹薮を抜けると頂上に着き二軒の峠茶屋跡の広場がある。

道も狭いし距離も時間もかかれていないし大雨になってきたので、移動しました。

「平尾家」の説明看板もありました。
武蔵家を相続した人が居住した所らしいです。
個人宅だし、雨なので茅葺屋根を遠くから見ただけでした。

山陰東旅行2武蔵の里周辺 で訪れた所


山陰東旅行2は、まだ続きます





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Last updated  2010/07/27 07:55:07 PM
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