皆さん、おはようございます
朝、晩は 半そでじゃ 肌寒い大阪です。
さてさて、昨日は 予約していた医大へ行く日でした。
娘はodの症状は落ち着いているので
私だけ行くことになってました。
って言うか、私だけで良いということでした。
空がですね、キレイに絵の具で塗りつぶしたような 青!でしたよ。
「えー、娘さんのカルテをですね 他の先生とも見て、色々と
話し合ったりしたんですけどね、
えー、ま、知的障害なのでですね・・・・・・」
はい、またもや 待った!を かけた私。
え?発達障害から知的障害に変わってない?
「えーっと、先生待ってください。発達障害ではなく知的障害なんですか?」
勉強不足な私。
「そうですね。ま、発達障害でも色々とあるわけでしてー
ややこしいんですけどね、知的能力の検査をして
数値が70以下だと 知的障害と言うんですね。
娘さんは70以下なので、まー、知的障害といえます。
その中でも、軽度、中度、重度と 分かれていましてね
娘さんの場合は軽度となるわけですが
他の先生とも話しましたが、療育手帳がですねー」
はーーーい、ちょっと待ってーーーー(何度もうるさいこの母・・)
療育手帳?
「先生、療育手帳とは 障害者手帳と言うことですよね?」
「はい、そうですね。ま、発達障害の中でも 知的障害と言うのは
療育手帳が交付される範囲なのでね
その手帳のことなんですが、色々先生とも話した結果。
必要が無いだろうとのことでしてー」
障害者手帳。
旦那父(他界しましたが)、旦那母、実母が 持ってるというモノでもあるのでね
手帳に関して 驚きや、ショックなどはなかったんですね、私。
ただ、発達障害、知的障害に関して
誤解、偏見が 世間では やはり残っているのも事実で
起立性調節障害に関しても やっと!やっと!少し知られる状態になった最近です。
よく、耳にされる「発達障害、知的障害」に関して 誤解や偏見の形で言うとですね
起立性調節障害と何が違うかと言うと
同じく「脳」が関係するとは言え
「犯罪者に知的障害者、発達障害者が多い」など、世の中の目があったりすること。
トラブルが多いとされる意味があるとされるわけだけども
それをですね、普通に「知的障害」とネットで調べると
目を伏せたいようなことを 健常者の方が書かれていることもあるんですね。
いえ。現実にそのような事件もあるのも事実です。
起立性調節障害と言う障害。
発達障害と言う障害。
知的障害と言う障害。
私が持病として持つパニック障害と言う障害。
名前に障害と付いてはないが、私が持つ「うつ病」。
それらを 娘の日々を書きながら
私のことも書きながら
ぶつかる日々の色々、
誰かの目に止まるだろうこのブログを通して
一人でも多くの人の理解や、正確な知識と接し方、支え方など
世間に知ってもらい、障害と言われるこの病気の色々を
書き続けていくべきだなと思いましたね。
って、私自身 スタートしたばかりですがっ
私自身、うつ病ですが これも偏見、誤解が ホント多いです。
プチ鬱などと 話題にさせるような世の中になったとは言え
まだまだ 「気の持ちよう!」とか「怠けている」などの 誤解もありますね。
私が娘を通して 起立性調節障害と出会い、知的障害と出会い、
(出会いとは不適切かもしれませんが)
この 軽度であれ、今まで気づいてあげらけなかった この呑気な親が
気づいたというスタートから
娘に対しての接し方はもちろんのこと
世の中の一人、一人に ブログを通して、
やはり、娘の日々、私の日々を書くことが大事でもあるなって
思ったのでしたっ。
病院の先生に 娘が高校に行くという道を選ばず 自身で道を見つけたい!と言ってる
ことを話しすると
「それでいいんです。それが良いんです。
ゆっくりと 社会に適応できるように 繰り返し困らない程度のことを
無理なく教えていきましょう」
そう、先生はおっしゃってました。
「自分は何も出来ない人間だ」
これを、娘に根から抱かせるような状態にしてはならない。
これは、障害を持っていようが もってない健常者であろうが
大切なことですよね。
プラス、知的障害の場合 出来るだけ社会に適応できる力をつける。
芯は一緒です 子供であろうと大人であろうと
「自分は必要とされてない」
「自分は愛されていない」
「自分は何も出来ない人間」
だと思い込んでしまうようなきっかけや環境があると
自分を好きになれない、自分をキライになり
自分を消し去りたい、自分、或いは 人を傷つける、と言うような
ことになりますものね。
まだまだ勉強不足でもあるので、娘と共に やっぱりやっぱり
このブログのタイトル通り「一歩一歩」には変わりなく
走るのではなく、やっぱり 歩くですね。
今、貴方は 自分が好きですか?