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子どもの心にせまる 5『決意の朝に』 どうせならもう ヘタクソな夢を描いていこうよ どうせならもう ヘタクソで明るく愉快な愛のある夢を 「気取んなくていい かっこつけない方がおまえらしいよ」 一生懸命になればなる程 空回りしてしまう僕らの旅路は 小学生の 手と足が一緒に出ちゃう行進みたい それもまたいいんじゃない? 生きてゆくことなんてさ きっと 人に笑われるくらいがちょうどいいんだよ 心の奥の奥 閉じ込めてた本当の僕 生身の36度5分 飾らずにいざwe don't stop けどまだ強がってるんだよ まだバリアを張ってるんだよ 痛みと戦ってるんだよ 辛い時 辛いと言えたらいいのになぁ 僕たちは強がって笑う弱虫だ淋しいのに平気な振りをしているのは 崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためなのさ 僕だけじゃないはずさ 行き場のないこの気持ちを 居場所のないこの孤独を 抱えているのは・・・ 他人の痛みには無関心 そのくせ自分の事となると不安になって 人間を嫌って 不幸なのは自分だけだって思ったり 与えられないことをただ嘆いて 三歳児のようにわめいて 愛という名のおやつを座って待っている僕は アスファルトの照り返しにも負けずに 自分の足で歩いてく人たちを見て思った 動かせる足があるなら 向かいたい場所があるなら この足で歩いてゆこう もう二度とほんとの笑顔を取り戻すこと できないかもしれないと思う夜もあったけど大切な人達の温かさに支えられ もう一度信じてみようかなと思いました辛い時 辛いと言えたらいいのになぁ 僕たちは強がって笑う弱虫だ淋しいのに平気な振りをしているのは 崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためだけど過ちも傷跡も 途方に暮れ べそかいた日も 僕が僕として生きたきた証にしてどうせなら これからはいっそ誰よりも 思い切りヘタクソな夢を描いてゆこう 言い訳を片付けて 堂々と胸を張り 自分という人間を 歌い続けよう
2010年01月28日
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子どもの心にせまる 4家までは15分はかかる。足を少し引きずる息子が居るので20分はかかるだろう。後ろを離れて歩いていたユウキを待つようにして話を始めた。「あ!流れ星」「いやあれは飛行機だよ」「へえ、ずいぶん早いんだなあ」久しぶりの会話である。「なあユウキ人間てのはなあ。空を飛ばないから、飛行機を作ったんだ。」なにそれと言う顔を向けて「だから」「そう、人に会えないから、電話が生まれた。孤独だから、歌が生まれたんだ」 「おやじはカラオケ好きだからな」「ああ、歌っている時だけその世界に入れる感じがするんだ」「そんなもんかなあ。」落ちていた缶を蹴りながら歩く。「今どんな曲聴いているんだ」「聞いてみる?」右ポケットから携帯を出し、左ポケットからイヤホンを出してつなぐ。「ああ」
2010年01月28日
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子どもの心にせまる 3 「俺帰るぞ」「オレも」と逃げるようにして帰る三人を追うでもなく無表情で投げられたまま地べたに座る息子。今中学2年生の息子。1年生の時には学校のことで何でもないことでもこっちが嫌になるくらい話をしてきた。中2にあがってからは部屋に居ることが多く、食事の時にしか降りてこない。その時でもテレビを見ながら笑いもせず無表情でお笑い番組を見ている。まるで両親の会話をさえぎるような大きな音量で。「おいしいでしょ」「ああ」「これねえ、ユウキの好きな・・」「うっせえなあ」それを見ていた私は思わず「何だその口の聞き方は、ご飯なんか食べなくていい」ガシャン箸をさらにぶちまけ、椅子を倒して2階へ行く。 大丈夫か。コンビニのベンチに座っているユウキに大好きなカルピスソーダを差し出す。「ああ、痛いけどな」「そうか」キャップをあけようとすると「う!」という小さな声。「うでもひねっちまったか」「いてえよもう。開けられないよ」「貸してみ」。キャップをとり、ユウキの顔を見ながら渡す。「ありがと」「ああ」いろいろあるんだろう。心がまだ幼くてどうしていいのかわからない時に物や人に当たるのかもしれない。謝りたくても謝られない。「歩けるか」「うん」「じゃあ行くぞ」「はい」
2010年01月27日
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子どもの心にせまる 2 「おい、何してんだ!」われながらでかい声で叫んだ。4人が一瞬動きを止める「まずい」という風ではなく、かといって「なんだよ」とつっかえてくる様子もない「おやじかあ」気の抜けたような他人を呼ぶような声でユウキが近づいてきた「なんだおまえのおやじか」悪ぶれるでもなく、普通の顔で「この自転車もともと壊れてんですよ。捨ててあるんですよ。だからもっと壊してゴミに出せるようにしてたんです。偉いでしょ」ユウキの前に出て肩を少しいなさせてガムをくちゃくちゃしながら剃りこんだ眉を動かしながら言う。「でも、そんなことしやあだめだぞ。ユウキ帰るぞ」「てめえなんか関係ねえじゃんか。オレの勝手じゃん」と飛びかかるユウキ。周りの子は突然の動きに「おいおいよせよ」とかえって困った顔をする。私も息子が胸倉をつかんできたんで、足をすくって息子を倒す「よせユウキ」。
2010年01月26日
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子どもの心にせまる 終電近い電車から自宅のある駅に着いた。キヨスクも閉まり、改札も「今日はおわりだからね」といった雰囲気が漂う。今日の仕事もまあまあだけれど、なんだかなあといった感じがする。パスポの「ピっ」という音だけを聞き、自宅へ向かう。途中一軒コンビニがある。腹が空いたわけでもないけど、先輩と付き合って食べた焼肉が腹にもたれかかってなんだかスキッとしたものを飲みたくなり、ドアに手をかける。「あ!」中学生らしき子ども達が自転車を倒している。放置自転車っぽいが、無理やり押し倒している。コンビニの敷地ではないからか、奇声を上げながら嫌な笑い方をしているからか、店員もまばらな通行人も目をそむけ足早になる。めんどうくさいし、今では親父狩りなっていうのの対象が誰でもいいなんて、電車の中刷りに書いてあったし。そのまま店内に入り雑誌でも見ているうちに帰るだろうと決め込んで一歩踏み込もうとした時。「え!」自分の息子が目に入った。茶髪じゃあないけれど、髪を変な風につったてて、制服から赤いフードを出して、自転車を蹴っている。「ヘヘヘ」「ハハハ」何を言っているのかわからない暗号のような相槌を打ちながら今度は倒れた自転車の上に乗っかった。
2010年01月25日
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ミッチャンその5 「あのなサキ川っていうのはいつも流れているじゃないよ。」「ええ流れているジャンだって」と目の前の川を指す。「そう見えるだけで、川底の方では水がとどまって渦を巻いているところもあるんっだよ」「へえ。すごいねえ理科の先生みたい」「だからこんなに綺麗に見える川だって、実はどろどろしたことがあるんだ」たとえとしては完璧ではないがどろどろと言う言葉にサキは敏感に反応した。綺麗に見えても・・・表面的には綺麗に見えても人の心の醜さを心と体で感じているサキにはそれで充分だった。「父さん。でも流されて相手に合わせて行く自分より、流れの中で自分をしっかりと見つめていく自分の方が私は好き」急に立ち上がりサキが少し大きな声で言った。母親が感極まったのか、目頭をナプキンで押さえる。それを見たサキは「母さん、このおむすびちょっと塩気が足りなかったかちょうどいいね母さんの涙が入って・・」振り向かずに川を見ながら震えるような声で言うサキ。そして「ミッチャンは強いんだよ。どんなにいじめられてもめげないんだよ。自分より弱い子が居れば体張って守るんだよ。いじめれている子が居れば助けるんだよ。だからもっといじめられるんだけどね。いつかわかってくれる友達が必ず出てくると信じているんだって。」「サキ」と手を握る母親。「そうか、ミッチャンって言う子、そんなにいい子なのか。サキと同じだな。父さんうれしいよ。なあ母さん」「・・」「ミッチャンがいつも言うの。家に帰るとホットするんだって。やさしいお母さん。のんびりやだけどいつも自分のことを心配してくれるお母さん。仕事で遅くなっても愚痴一つ言わず私のためにがんばっているお父さん。タバコ臭いし、お酒飲んでくるとくどいけど。私をそっと見守ってくれるお父さんがいるから、明日もがんばろうって思うんだって」 振り向かないで、広げた手で顔を覆うサキ。その両側でそっと手を解こうとする父と母。「一緒だよ」「一緒だぞいつまでも」「うん、いじめってなかなか大変なんだ。でもさあ、なんかがんばれそう」 小川の川面の光る火の光がちょうど3人を照らす。胸元にあるピングーのロゴをぎゅっとつかむ娘のまぶしいくらいの「生きざま」を見つめる親のこの子のためにという気持ちを私たちも感じなければならないと思った。
2010年01月22日
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ミッチャン その4 日曜日「おいドライブに行くぞ」「ええ聞いていないよ。父さん今日は友だちを遊びに行くんだから」「だれと」「ミッチャン」「そう」「だって誰も遊んでやれないんだもん、今日こっそり遊んでやる約束したんだ」そうか・・。その日1日一人で公園に居たことを近所の人から聞いた。 次の日曜日「今度はいいよな」「はいはい」としぶしぶ仕度をするサキ。母親は朝早く起きてサキの好きなものをいっぱいつめたお弁当を作る。泣きながら作る妻の肩に手を置いて「ありがとな」と声をかける父親。13年間一人娘がどんなに私たちの生きがいだったか。どんなに私たちを喜ばせてくれたか。思い出の一つ一つの中に、その中心にサキが居て笑顔で語りかけるような写真の数々。「お母さん」「お父さん」と何かの記念日とか誕生日には必ずプレゼントを買って来たサキ。風邪ひとつひかず、毎日学校に楽しく通って「いた」サキ。今は地獄のような毎日を送っているのだろうか。嘘に嘘を重ねて少しでも親を安心させようとしているけなげな姿を思い出してはベットですすり泣く母親を呆然と見るしかない父親。学校の先生に内緒で相談したがそれから連絡はない。 「どこ行くの父さん」お気に入りのピングーのトレーナーを着ているサキ。「まだそんな子どもっぽい服を着て」と精一杯フランクな話をする。ぎこちない話し方に「何かんでるの母さん」 30分ぐらい走ったところにある公園に着いた。「さあさあ降りて」「ええ、ここ?」その公園には綺麗な小川が流れている。その小川を見れるベンチに座って3人はお弁当を食べることにした「もっと楽しいところへ行くかと思ったんだけどな」と屈託のなく口を尖らせるサキ。静かな時間が流れる
2010年01月21日
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ミッチャン その3「ただいま。マジ疲れた。暑くて暑くて」「おおお帰り」サキに感ずかれないようにいつものようにネと妻が目で言う。「楽しかった、うちのクラスみんな仲がいいからさあ、フォークダンス楽しかった。でもミッチャンはだめだめ、自分から入っていこうとしないんだもの。お弁当だってみんなとはなれて一人で食べているんだ。親も来なかったしね。ああかわいそう。お母さんの美味しいお弁当 完食」冷蔵庫から麦茶を出してごくごく飲むサキ「そうか、楽しかったか?よかったなあ」「そうね、サキの姿見たかったわよ」 誰もサキと手をつなごうとしない。それ以上にそれを避けるようにしている姿がスタンドからも見えた。困ってうつむいているサキ。そんな娘を見たのははじめてだった。「あなた」「うん」二人はスタンドから目立たないようにして車へ戻り家に急いだ。サキの同級生の親で昔からの知り合いの人が「どうしたのいつもは元気なサキちゃん。今日だって、校庭の端っこで一人でお弁当食べていたわよ。」と電話があった。「そう、よくわからないから本人に聞いてみるわ」と悪い予感をしながら受話器を切る。「ご飯よサキ」「はああい」うれしそうに話をするサキ。でもミッチャンなんて子は居ないこともわかっている。ミッチャンはサキ自信のことである。いじめにあっても悲しい顔を見せないサキ。仲間はずれされているなんておくびにも出さない娘。「美味しいこのタコウィンナ」目の前の娘が学校でどんな目にあってるんだろう。それでも親を心配させたくないのかいつも同じようにニコニコしている。「行ってきます」の大きな声「ただいま」の元気な声。 「なあサキ」と何度も言いかけた。「なんか辛いことないか」とも言おうとした。でもサキの笑顔や我慢している姿を見ていると思うと何もできない。
2010年01月20日
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ミッチャン その2学園祭を一週間後にひかえた晩「ねえねえ」といつものように話をし始めるサキ「ミッチャンね。いじめられているみたい。だって、リレーの順番決めるときだって、勝手に決めてしまうしね。今日なんてフォークダンスの練習をしたんだけど彼女のところに来ると誰一人として手をつながないのよ、ひどいよね。私はちゃんとつないだよ。かわいそうだもの」大好きなシチューを飛ばしながら話をするサキ。「で、その子いじめられていること先生に言ったの」少しサキの表情が動いた。でも気を取り直したように「ううん、言っても無駄。先生の知らないところでいじめられているんじゃないかなあ。人がその人を好きか嫌いかなんて言うのは自由だからね」下を向きながら話をするサキ「それで、サキはその子をどう思っているんだ」テレビの音が大きくて聞こえなかったのか。それとも答えたくなかったのか「何父さん?」 学園祭の体育の日の前の日のこと「ねえねえ明日さあ来なくていいよ。」「どうして」夕方から買い物に行きサキの好きなものを買い込んだ物を整理している母親。「ううん、学級役員はねえ、家族が仕事かなんかでこれない1年生と一緒に食べることになったんだ。かわいそうだもんね、ひとりで食べるなんて。」「そうなの残念ね」「大丈夫、でも私のお弁当大好きなオムレツにしてね」「はいはい任せときなさい」という2人はハイタッチをした。 「内緒内緒」サキに内緒で運動会を見に行く2人。仕事があるからフォークダンスの時間になってしまうけど、行って見るかと夫から妻へメールが入る「はいはい、じゃあスタンドで4時ね」 体育祭の興奮が冷めないままフォークダンスが始まる。皆ニコニコしながら踊っている。大きく腕を上げてひょうきんに踊る男子。好きな相手なのか下を向いて恥ずかしそうに踊っている女子もいる。うわさの2人なのかヒューヒューと声が聞こえてくる。 2人はサキを探した。「え!」
2010年01月19日
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ミッチャンのこと サキは中学2年生。小学校の頃から活発な子で児童会役員。クラブ活動のリーダーを自薦他薦で引き受けてきた。「あきらめないで、大丈夫」「ドンマイドンマイ」「次があるよ、がんばろうよ」こういう言葉が自然と口から出てくる女の子。 お母さんお母さんと朝からにぎやかな食卓「はいはい」「聞いてよ、今度来た転校生ミッチャンって言う子。本当にのろまでさあ、何をしてもだめだめ。だから学級委員の私が付きっ切りという感じ、全く嫌になっちゃう」ミッチャンのことを話し始めたのは夏休みが終わり学園祭の準備が始まる頃だった。学校のことなら「行ってきます」から「ただいま」までの間をまるで時系列のように話をするサキ。「あのネ今日ねえ」疲れて帰ってくる父親もその明るい笑顔で話をする娘を見ている時間が癒しに時間になっている。「そうかそうか」と気のない相槌なんて打ったら最後「ちゃんと聞いてよね」母親譲りのまじめで、几帳面さと父親譲りのおおらかなところとのんびりしたところが混ざり合った性格、それに中学校という環境がそうさせたのか「気が強くないと生きていけない」というのがあいまって誰とでもうまくやっていける女の子の育っている。会社でこのことを話すと「いま大変なんですよ課長。いじめがすごくて、みないつかは自分がターゲットのされると思って戦々恐々なんですよ。だから帰ってもあれだけ学校で話をしてきたのにメールでもう一度話をしたり、学校を休むと何か言われるので熱があっても行くそうですよ。そうそう二課の課長さんのところの息子さんはいじめがすごくて私立中学校に転校したなんて聞いています。」そんな話を聞くと我が家はなんて平和なんだとビールの進む毎日であった。「あの日までは」
2010年01月18日
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風になりたい大きな帆を立てて あなたの手を引いて 荒れ狂う波にもまれ 今すぐ風になりたい 天国じゃなくても 楽園じゃなくても あなたに会えた幸せ 感じて風になりたい 何ひとついいこと なかったこの町に しずみゆく太陽 追い越してみたい 沈みゆく太陽 追い越してみたい 生まれてきたことを 幸せに感じる かっこ悪くたっていい あなたと風になりたい 何ひとついいこと なかったこの町になみだ降らす雲を つきぬけてみたい 涙 降らす雲を つきぬけてみたい 天国じゃなくても 楽園じゃなくても あなたの手のぬくもりを 感じて風になりたい 天国じゃなくても 楽園じゃなくても あなたに会えた幸せ 感じて風になりたい 風に 風になりたい Ah~Ah~
2010年01月15日
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寺沢大介さん 2009年はこの人の作品「将太の寿司」を何度も読み、寿司のことをはじめとして「食」を考えるようになった。なかなか以上におもしろい。全国大会編を含めて小さく単行本のようにまとめてあるマンガが今も自分の1m先の本棚にドスンと鎮座している。もう何度も読んだが疲れている時、何かむしゃくしゃしている時には、こういうマンガがいいのである。 美味しんぼから始まり「クッキングパパ」「シャフ」「味いちもんめ」「大使閣下の料理人」「玄米先生の弁当箱」「築地魚河岸三代目」「喰いタン」などを読んでいる。美味しんぼなどは100巻は越えていると思う。こうして料理のことなどを中心に「食」のことへの関心は2008年だけでなく。2009年も熱が冷めていない。それは、人間の命につながるものでもあるし「食育」も叫ばれているし、自分も食生活を買えないとならないと思ったり、母親の糖尿病のことも考えたりするからかもしれない。 NHKの「少年たち」の脚本家である矢島正雄さん。偶然石和のブックオフで手にした「ビッグウィング」の作者でもあり、そうそう往年の名作「人間交差点」も彼が書いている。家族のこと。幸せのこと。不幸のこと。へたくそな生き方。つらい思い出。男と女の関係。親子。兄弟。戦争。憎しみ。金への執着。物への執着。愛情不足。暴力。家庭内暴力。ひきこもり。無能な自分へのさげすみ。そんな人生の様々な出来事を他人事でなく自分のこととして捉えて、私たちに迫ってくるのである。ソフトの感じであったビッグウィングも一人の羽田空港の案内係りの女性が繰り広げる人間ドラマであることがわかるのに時間がかからなかった。いいことを言っている。なるほどと思うことを言っているのである。「人の喜んでいる姿」「お客さんの笑顔」「人に優しくできることの素晴らしさ」を「相手によく思われたいえはなく、自然に振舞えるその子に、人は心を動かされるのである。 母を早く亡くし、父親に育てられた娘。その父を九州において単身東京に出てきた。右も左もわかるのは空港内だけの話。休みも仕事場に来てしまうといった女性である。周りの人が少し休みなさいと半分命令調に言わなければ「休むこと」もしない人である。有給休暇を使って南紀白浜に行った時のことである。旅館の再建のためにアメリカ仕込みの経営術を取り入れようと古いしきたりを守ろうとしてもどうもうまくいかない女将が、新しい経営にうつして行くことがいいのかを考えている老舗の大きな旅館があった。彼女は、空港でうろうろしているところを勘違いされ、迎えに来た番頭さんに「早く来なさい」「すぐに着替えて」と旅館の仲居にさせてします「あの私違うんですけど」と言おうとしてもタイミングが合わない。「まあいいか」とお客さんの相手をする。数日前から内緒に旅館を視察していたアメリカ仕込みの経営を進めるコンサルタントが「無駄が多すぎますね。もっと有能な人間を使い最小限の人数ですすめること、一番最初に首を切るのがさっきから見ていてもおせっかいすぎるあのような仲居ですね」と彼女を指した。誰かに見られていることなんか何も知らない彼女は、迷子が居れば背負って探すし、重たい荷物は率先して持つ。散歩したいと言う老夫婦には、きちんと半纏を持ってきてくれる。困った顔をしている人がいたらこちらから声をかける。「いらっしゃいませ」の大きな声。「あれが無駄だなんて、このお話お断りします」と女将の声に皆がうなずいた。
2010年01月14日
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物語を食べる キャンプをしなくなって久しい。山や河原や海辺でキャンプするのは楽しいものである。その中で重要なのが「料理」を作ることである。日本人はどのキャンプ場でも決まったようにバーベキューをすると書いた作家が居たが「とにかくうまいんだから」というのがバーベQを辞めない人たちの言い分である。何かを焼くというのは簡単で、焦げない程度に焼いて市販のタレをつければ相当ひどいものでなければ食べられる。さらに焼くことが個人個人に振り向けられていれば簡単さはそれ以上である。鉄板を熱くして、油をひく。そしてあらかじめ用意しておいた野菜をのせる。ここまでは大体同じである。あとは予算によって内容がかなり違う「上カルビでいこうぜ」「いい肉が手に入ったので」「安いパックのでいいや、3つで1050円」「ソーセージでごまかすかな」なんてことになる。それでも楽しい、その後お決まりのように焼きそばを焼くからまたおもしろい。 もう一つはカレーである。これは山岳部の定番であった。まあ相当量を間違わなければ「うまい」とくる。鍋に油を弾き、玉ねぎをとにかく炒める。そして肉を炒める。ジャガイモや人参も炒める。そして水を入れて茹でる。煮立ったらカレールーを適量入れるだけである。中に野菜として「茄子」などを入れたり「トマト」を入れたりする。それだけである。それもわいわいしながら皮をむいたり、切ったり、いためたり、煮たりする。それをみんなでするのである。 バーベキューもカレーもみんなで作るからうまい。「うまいね皮のむき方」「人参はもっと大きく」「嫌いなんだもん」「玉ねぎはきつね色にね」「きつねってどんな色」「ごんぎつねの絵本に出ていただろ」「知らないもん」「ああああ。きつねだ見てみて」「ああかわいい」「あの色ね」鍋を覗き込む「あれれ、それじゃあタヌキ色だぞ」「ははははは」こうやって作る中に「物語」があるのである。川で自分で釣った鮎に塩を振って焼くだけでなぜあんなにうまいのだろう。母親が作ったあの塩むすびがどうしてあんなにうまく思えるんだろう。 弁当もそうである。相手の顔を思い出し、健康を考え、好き嫌いを考え、他の人にも見られることを考えて作る。決して同じものはない。同じ食材を使っていろいろと工夫するのである。「ごちそうさま」と弁当箱を台所に置く。軽く持ち上げられる時にニコッと笑う。ここにも親子の物語があるのである。こうして食べ物を通して「誰が」「どのような気持ち」でこの弁当を作ったのかを考えること事体が物語である。 給食は母親が作るのではないけれどこれを物語りにするのも教師である「この食材はどこで収穫されたのだろう」「この作物はどんな人が作ったのだろう」「栄養はどうなんだろう」「味付けはどうしてしたのだろう」こういうことをきちんと話をするだけでも「食育」である。 東京都が年越しがきちんとできない人に公設の派遣村を作った。狭い部屋だが、暖かくして寝ることができる。食事を三食弁当である。なけなしの金で食べていた安い弁当や賞味期限切れ間近な食材。さらに公園の水道の水だけで過した日。炊き出の時恥ずかしげもなく何度も並んだ自分。「おはよう、ご飯だよ」弁当が目の前にある。お茶も入れることができる。正座してゆっくり食べる「おいしい」こういう物語がハッピーエンドで終わってほしい。
2010年01月13日
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少し前へ 子どもの心にせまる 終電近い電車から自宅のある駅に着いた。キヨスクも閉まり、改札も「今日はおわりだからね」といった雰囲気が漂う。今日の仕事もまあまあだけれど、なんだかなあといった感じがする。パスポの「ピっ」という音だけを聞き、自宅へ向かう。途中一軒コンビニがある。腹が空いたわけでもないけど、先輩と付き合って食べた焼肉が腹にもたれかかってなんだかスキッとしたものを飲みたくなり、ドアに手をかける。「あ!」中学生らしき子ども達が自転車を倒している。放置自転車っぽいが、無理やり押し倒している。コンビニの敷地ではないからか、奇声を上げながら嫌な笑い方をしているからか、店員もまばらな通行人も目をそむけ足早になる。めんどうくさいし、今では親父狩りなっていうのの対象が誰でもいいなんて、電車の中刷りに書いてあったし。そのまま店内に入り雑誌でも見ているうちに帰るだろうと決め込んで一歩踏み込もうとした時。「え!」自分の息子が目に入った。茶髪じゃあないけれど、髪を変な風につったてて、制服から赤いフードを出して、自転車を蹴っている。「ヘヘヘ」「ハハハ」何を言っているのかわからない暗号のような相槌を打ちながら今度は倒れた自転車の上に乗っかった。 「おい、何してんだ!」われながらでかい声で叫んだ。4人が一瞬動きを止める「まずい」という風ではなく、かといって「なんだよ」とつっかえてくる様子もない「おやじかあ」気の抜けたような他人を呼ぶような声でユウキが近づいてきた「なんだおまえのおやじか」悪ぶれるでもなく、普通の顔で「この自転車もともと壊れてんですよ。捨ててあるんですよ。だからもっと壊してゴミに出せるようにしてたんです。偉いでしょ」ユウキの前に出て肩を少しいなさせてガムをくちゃくちゃしながら剃りこんだ眉を動かしながら言う。「でも、そんなことしやあだめだぞ。ユウキ帰るぞ」「てめえなんか関係ねえじゃんか。オレの勝手じゃん」と飛びかかるユウキ。周りの子は突然の動きに「おいおいよせよ」とかえって困った顔をする。私も息子が胸倉をつかんできたんで、足をすくって息子を倒す「よせユウキ」。 「俺帰るぞ」「オレも」と逃げるようにして帰る三人を追うでもなく無表情で投げられたまま地べたに座る息子。今中学2年生の息子。1年生の時には学校のことで何でもないことでもこっちが嫌になるくらい話をしてきた。中2にあがってからは部屋に居ることが多く、食事の時にしか降りてこない。その時でもテレビを見ながら笑いもせず無表情でお笑い番組を見ている。まるで両親の会話をさえぎるような大きな音量で。「おいしいでしょ」「ああ」「これねえ、ユウキの好きな・・」「うっせえなあ」それを見ていた私は思わず「何だその口の聞き方は、ご飯なんか食べなくていい」ガシャン箸をさらにぶちまけ、椅子を倒して2階へ行く。 大丈夫か。コンビニのベンチに座っているユウキに大好きなカルピスソーダを差し出す。「ああ、痛いけどな」「そうか」キャップをあけようとすると「う!」という小さな声。「うでもひねっちまったか」「いてえよもう。開けられないよ」「貸してみ」。キャップをとり、ユウキの顔を見ながら渡す。「ありがと」「ああ」いろいろあるんだろう。心がまだ幼くてどうしていいのかわからない時に物や人に当たるのかもしれない。謝りたくても謝られない。「歩けるか」「うん」「じゃあ行くぞ」「はい」家までは15分はかかる。足を少し引きずる息子が居るので20分はかかるだろう。後ろを離れて歩いていたユウキを待つようにして話を始めた。「あ!流れ星」「いやあれは飛行機だよ」「へえ、ずいぶん早いんだなあ」久しぶりの会話である。「なあユウキ人間てのはなあ。空を飛ばないから、飛行機を作ったんだ。」なにそれと言う顔を向けて「だから」「そう、人に会えないから、電話が生まれた。孤独だから、歌が生まれたんだ」 「おやじはカラオケ好きだからな」「ああ、歌っている時だけその世界に入れる感じがするんだ」「そんなもんかなあ。」落ちていた缶を蹴りながら歩く。「今どんな曲聴いているんだ」「聞いてみる?」右ポケットから携帯を出し、左ポケットからイヤホンを出してつなぐ。「ああ」『決意の朝に』 どうせならもう ヘタクソな夢を描いていこうよ どうせならもう ヘタクソで明るく愉快な愛のある夢を 「気取んなくていい かっこつけない方がおまえらしいよ」 一生懸命になればなる程 空回りしてしまう僕らの旅路は 小学生の 手と足が一緒に出ちゃう行進みたい それもまたいいんじゃない? 生きてゆくことなんてさ きっと 人に笑われるくらいがちょうどいいんだよ 心の奥の奥 閉じ込めてた本当の僕 生身の36度5分 飾らずにいざwe don't stop けどまだ強がってるんだよ まだバリアを張ってるんだよ 痛みと戦ってるんだよ 辛い時 辛いと言えたらいいのになぁ 僕たちは強がって笑う弱虫だ淋しいのに平気な振りをしているのは 崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためなのさ 僕だけじゃないはずさ 行き場のないこの気持ちを 居場所のないこの孤独を 抱えているのは・・・ 他人の痛みには無関心 そのくせ自分の事となると不安になって 人間を嫌って 不幸なのは自分だけだって思ったり 与えられないことをただ嘆いて 三歳児のようにわめいて 愛という名のおやつを座って待っている僕は アスファルトの照り返しにも負けずに 自分の足で歩いてく人たちを見て思った 動かせる足があるなら 向かいたい場所があるなら この足で歩いてゆこう もう二度とほんとの笑顔を取り戻すこと できないかもしれないと思う夜もあったけど 大切な人達の温かさに支えられ もう一度信じてみようかなと思いました 辛い時 辛いと言えたらいいのになぁ 僕たちは強がって笑う弱虫だ淋しいのに平気な振りをしているのは 崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためだけど 過ちも傷跡も 途方に暮れ べそかいた日も 僕が僕として生きたきた証にして どうせなら これからはいっそ誰よりも 思い切りヘタクソな夢を描いてゆこう 言い訳を片付けて 堂々と胸を張り 自分という人間を 歌い続けよう 「ただいま」奥から妻が走ってくる。「あのね・・」と言いかけた時「ごめん母さん」ユウキが下を向いて謝り、母の「おかえり」を素直に聞いた。汚れている服を脱ぎ風呂に入るユウキ。「今日ねえ、また夕飯の時に・・・」妻が詳細を話そうとするのをさえぎり「あのさあ。カセットデッキってあったかまだ」「カセットデッキ。ええあるわよ。どうするの」「ちょっとな」いつもはビールを飲み始めるのに、部屋へ行く。押入れからCDデッキを買ったときに、お役ごめんでしまいこんだデッキを出し。カセットの入ったダンボールを開ける。ごそごそ探す「あれ、どこへいったのかなあ」もうひと箱に手をかけようとしたときに「あったあった」 「お休み」と階段を上がろうとしてユウキに「ユウキ今晩あの携帯かしてくれないか」「どうして」落ち着いた表情で聞きかえす「あの曲もう一度聴きたいんだ」「いいよ、でもメールが着たら教えてよ」じゃあと体を二階に向けようとした時に「ユウキはこれを聞いてくれ」「ええ」 部屋に入り、なれない手つきでカセットを入れる「なんだろ」 命かけてと 誓った日から 素敵な思い出 残して来たのに あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が 今はもう通わない あの素晴しい 愛をもう一度 あの素晴しい 愛をもう一度 赤とんぼの歌を 歌った空は 何にも変わって いないけれど あの時 ずっと夕焼けを 追いかけて行った二人の 心と心が 今はもう通わない あの素晴しい 愛をもう一度 あの素晴しい 愛をもう一度 広い荒野に ポツンと居るよで 涙が知らずに 溢れてくるのさ あの時 風が流れても 変わらないと言った二人の 心と心が 今はもう通わない あの素晴しい 愛をもう一度 あの素晴しい 愛をもう一度 翌朝。「おはよう」ユウキ今日は早いじゃないかと言う顔をして「おはよう一緒に飯を食べるの久しぶりだな、まあオレが出勤早いから仕方がないけど」まあとうれしそうな顔をしてご飯を持ってくる母「オレも食べる」「そう、すぐ用意するから」私は何を思ったかテレビを消した。3人の箸を動かす音。味噌汁をふーふーする音。自慢の浅漬けをぽりぽりする音。ご飯を食べる表情。大好きなハムエッグをハムごと持ち上げてご飯にのせて食べるのが好きなユウキ。よいしょっとと言う感じで持ち上げた時、ハムがバサッと落ちる。それを見た私は「なにやってんだハハハ。」味噌汁の油揚げを食べていた母が笑おうとしたら「ゴホゴホ」とむせている「お前まで何やってんだ」ユウキも笑う。「だって」とお茶でのどを通す妻。「父さん、笑うから鼻から納豆が出てるよ」「なに」と鼻に手をやる私「でているわけねえじゃん。なにしてんの親父」ハハハハ。「行って来る、今日は会議で少し遅くなるが8時には戻る。」駅までの道。昨日覚えた歌を口ずさむ。♪ 辛い時 辛いと言えたらいいのになぁ 僕たちは強がって笑う弱虫だ淋しいのに平気な振りをしているのは 崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためなのさ 僕だけじゃないはずさ 行き場のないこの気持ちを 居場所のないこの孤独を 抱えているのは・・・ なるほどな、こんな風にがんばろうといきがっているのかも知れないな。もう子ども扱いしないで、じっと耐えて辛い事にぶつかっていく姿をほめてやるか。 改札口で「おはようございます」元気のいい駅員に「辛い事あったら辛いって言えよ」「はあ」「オス」「ああ」「昨日は大丈夫だったか?」「いやあまだ痛えよ」「お前の親父強えんだなあ」「ああ、そうかもな」 校門で服装検査をしている「今日はばっちりだよ」と友だちが先生とニコニコ話をしている。昨日の晩に黒に染めた髪の毛をひけらかすように見せている。「おおユウキ今日は髪型いいじゃん」「おはようです」「ああ」通りすがりに「先生、あの素晴らしい合いもう一度っていう年になったから、そろそろ結婚したら」「はあ」
2010年01月12日
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290・子どもの宝物を持たせよう291・子どもに親の仕事を理解させよう292・子どもには手作りのものを与えよう293・子どもにはかけがえのないものは何かを身をもって教えよう294・子どもには葬式や墓参りを必ずさせよう295.仏事のことをきちんと勉強しておこう296・自分の家系のことをきちんと調べておこう297・背筋を伸ばして歩こう298・格言名言に強くなろう299・雑学は生活を豊かにする300・思い切り打ち込めることを年に一つ考えよう。
2010年01月12日
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280・1年高くてもサービスのいいガソリンスタンドを選ぼう281・見切り品には見切り品の価値しかないことを知ろう282・大丈夫だと思っているのは自分だけのことが多い283・見つからないときは後で探すと見つかることが多い284・頼むより頼まれる人になろう285・めったにおこらないときはめったにおこらないと信じよう286・病院にソファーで少し自分のことを考えよう287・体にいいことは何かと探すことよりよく歩きよく寝よう288・今日も生きている今日も1日無事過ごしたことを体に感謝しよう289・風呂では半身浴に努めよう
2010年01月11日
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人から能無しと呼ばれても、人から「暇なのね』といわれても、「のろまなんだから」「やることが遅いんだから」「まったく、何しているんだ」と毎日言われても「自分は自分らしく」という信念を持っているからこそ大丈夫。人は私がいるから「ほっとする」人は私にしか言えないことをそっと言う。
2010年01月06日
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優しさを無能と呼ぶ時代人生の何気ない時々を無駄と忘れ去る世の中でも、本当にそう思っている人はいない強がってバリアを張っているそんな人が自分の部屋の戻ると 小さな優しさや心遣いに涙する新年をどこ迎えていますか そこが自分の居場所に鳴るような年にしましょう
2010年01月06日
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