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今回は懐かしい石けりの「ケンパ」です。イメージ的には女の子の遊びでしたが、大阪では「ケンケン」と言って男の子も遊んでいました。地面に木の枝で円や四角の升目を書いて、数字の1から10までの数を並べ、片足でケンケンして遊びました。そのうちにコンクリートやアスファルトで舗装されてくると、「ロウセキ」や「チョーク」で図を描きました。遊び方は複数以上で10升の枠内を「ケン(片足)」「パ(両足)」で飛んでいきますが、その前に自分の「ケンパ石」を投げ入れます。それは厚めの平べったい円形ガラスで、ガラス瓶の底のような濃い色をしていました。この時、石の入った升は飛び越えますが、終点の10まで行くと向きを変えて戻ってきます。その時、自分の石を手前の升から片足のまま拾わなければなりません。石を踏んだり難しのマスで両足をついたり増す升から出たらOUTになります。みんなで、「ケン、パ、ケン、パ、ケン、ケン、パ♬」と声を掛け合いました。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2020年07月09日

トノリンの佐藤昭信はサイエンス・エンターテイナー飛鳥昭雄の本名です。昭和25年(1950年)生まれの団塊の世代。週に5本ずつ昭和の思い出を語りつくします。各テーマごと1カ月Youtubeに置かれますが、それが過ぎますと24時間見放題オンデマンド「飛鳥堂プレミアム」にアーカイブされます。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2020年05月19日

今回はわたしが小学生の頃、皆と一緒に恐怖に震えた……あの「不幸の手紙」についてです(;'∀') オカルトという言葉もまだ日本に無かった頃、「不幸の手紙」は得体の知れない「呪い」という恐怖を突きつけられ、どうしていいか分からない気持ちになりました。 その「不幸の手紙」の殆どがハガキだったのは、多くは手紙に貼る切手がハガキより高かったからで、親が買い置きしておいたハガキを、当時の日本中の子供たちが片っ端から使う為、社会問題化したのです。 親は当初「あれ?もう使っちゃったのかしら?」と首をひねるだけだったのですが、その内、現行犯逮捕される子供が続出したのだと思います。子供たちの方も、いくら出してもブーメランみたいに再び別の子から「不幸の手紙」が送られてくることで、そのあたりから無駄なことをやっている自分に気づき始めたのです。それはそうでしょう、大体、同じクラスか同学年、せいぜい近所の知り合いという狭い交友範囲で手紙が回るので、多くはブーメランのように戻ってくることになりました。 そのうちに学校から生徒たちに「不幸の手紙が来ても友達に送らないように」という指導があって、一気に沈静化していきました。多くの子供にとれば、あの「不幸の手紙」が人生最初のオカルト体験だったと思います。 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2020年01月02日

「ホッピング」が流行したのは、私の小学生の頃で、1957(昭和32)年とされています。いわゆる「西洋竹馬」の類で、アメリカの女性のダイエット&美容器具の「ポゴスティック」がルーツとされています。それを見た大阪の業者が作った「ホッピング」は、成長段階の子供のバランス感覚を養う触れ込みで大ヒットしました。構造は「取っ手」「スプリング」「足置き」という簡単な仕組みで、当時,沢山あった路地裏、公園、校庭などでピョンピョン飛び跳ねる子供が大勢いました。ところが、私自身は親から止められていたため「ホッピング」で遊んだ経験がありません。「ホッピング」の人気を一気に冷ましたのが、やっていると胃が下がる症状「胃下垂になる」という噂で、子供の成長によくない遊びとして社会問題化したからです。おかげで1年も経たずにブームが終わり、私は「ホッピング」を未だにやれないままでいます。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2019年12月17日

僕が小学生の頃、既に「マブチ・モーター」はありました。僕の時代は「ゼンマイ玩具」と「モーター玩具」のちょうど狭間の頃で、両方の時代を見れた年代でした。当時はTVはまだ白黒で「マブチモーター」の宣伝番組が「モーちゃんター坊」という人形劇でした。「モーちゃんター坊」は月刊少年誌「まんが王」に連載され、わちさんぺいが漫画を描いていました。そういえばその頃のマブチモーターは「TKK」が付くマブチモーターで、特にNo.15モーターがプラモデルのモ-ターの主流だった気がします。面白いのはマブチモーターが電池も製造していたことで、「そういえばそうだったな」と思い出します。フェライトマグネットを使ったNo.15シリーズなどのマスコットが「モーちゃん」で、鋳鉄マグネットを使ったNo.02シリーズなどのマスコットが「ター坊」でした。そういえば「モーちゃんター坊の夏休み工作シリーズ」にテーマ曲がありましたね。「僕らの名前はモーちゃんター坊♪ 足並みそろえてモーちゃんター坊♪いつでもどこでもモーちゃんター坊♪♪……(中略)……いつも二人でモーちゃんター坊♪……(中略)……マブチの素敵な可愛いモーター♬」『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2019年11月09日

昔懐かしい「鉄腕アトムシール(アトムシール)」が僕たちの子供時代に一大ブームを作りました。 「シール文化」が一気にフィバーしたのです!! 切っ掛けは、漫画の神さま手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』が、1963年1月1日からアニメ化されてからでした。 番組のスポンサーが「明治製菓」で、そのTV宣伝として登場したのが上原ゆかりの可愛さで売った「マーブルチョコレート」でした。 その蓋を取る〝ポン〟という音の中に入っていたのが「アトムシール」だったのです。 そこにはアトムやウランちゃんは勿論、お茶の水博士、ヒゲおやじ、たわし警部などが全員カラーでプリントされ、まるでアニメのセル画が手に入ったような感じでした。 このアトムシールは大ヒットし、子供たちはノート、筆箱、ランドセルどころか、家にある家電、本箱、柱、壁など所かまわず貼り続け、親の顰蹙【ひんしゅく】を買うことになりました。 それでもアトムシールの勢いは衰えず、番組人気にあやかって1964年から発売された光文社の「カッパコミックス/KAPPA COMICS」に「鉄腕アトム」が登場し、その帯に何とアトムシールが付いていたのです。 マーブルチョコレートにはない絵のアトムシールは、後年の「ビックリマンチョコ」のヘッドのレアシールみたいに本が高い分だけ子供には貴重でした。 その後、東映動画の「オオカミ少年ケン」もTVに登場し、スポンサーになった森永製菓の「ケンキャラメル」にもオオカミ少年ケンのシールが入っていました。 弾よりも速い「8マン」のアニメ化に伴って、スポンサーの丸美屋のふりかけ「のりたま」にも8マンシールが入っていました。 しかし、シールを剥がした跡が汚いことなどから親に敬遠され、アトムシールが巻き起こしたシール文化は終焉を迎えていきました。 ですが、シール文化は「ステッカー」とマッチし、今では可愛い少女アニメキャラを自動車の車体全部に貼り付けた「イタ車(痛い車)」を生み出しています。 おそるべし日本漫画&アニメパワーかな(;´∀`) 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2019年09月09日

1958年から1959年までの1年半、モノクロTVで大ヒットしていたのが冒険活劇番組『月光仮面』でした。三日月の付いたターバンを頭に巻き、かっこいいサングラスをかけ、白いマントに全身真っ白のコスチューム姿で現れ、二丁拳銃を放つも悪党を殺さず、「憎むな、殺すな、赦しましょう」を掲げ、勧善懲悪を絵に描いたようなヒーローでした。原作は『おふくろさん』等で知られる有名作詞家の(故)川内康範で、「月光仮面は誰でしょう」「月光仮面の歌」の作詞も行い、当時の子供番組としては異例の10万枚を売っています。最近になって知ったのは、月光仮面のモデルは「月光菩薩」もさることながら、ターバンに三日月で象徴される「イスラム教」への憧れだったそうで、モデルは何と「空手バカ一代」の極真空手総帥(故)大山倍達だったそうです。月光仮面が乗るオートバイは、ホンダの「ドリームC70」(2気筒250cc)を白く塗った物が使われましたが、映画版は和製ハーレー・ダビッドソンこと「陸王RQ750」(白塗り)が使われ、主人公の俳優もTV版の大瀬康一とは違う俳優が演じていました。主人公の祝十郎は私立探偵で、五郎八とカボ子を助手にして、自宅兼事務所の「祝探偵事務所」を経営していました。その事務所に住み着いている小学生が繁と木の実で、どちらも祝が面倒を見ている戦災孤児でした。そのほか警視庁の松田刑事部長や、「東都タイムズ」の山本記者が絡み、月光仮面は「サタンの爪」「どくろ仮面」「幽麗党」を相手に八面六臂の大活躍をするのです。そういえば、最後には「マンモスコング」という超弩級怪獣を相手に闘う大スペクタルになっていきます。今もマンモスコングの角にまたがる月光仮面の姿を思い出します。ぼくたち子どもは、風呂敷をマントに駄菓子屋で売っていたビニール製のサングラスを掛けながら、野原を走り回っていました(^^♪信じられないでしょうが、当時は小学生でもバイクに乗っている子がいたり、校庭なら時速60キロの少年用スポーツカーも無免許で運転することができた時代でした。そういう中、1個10円だった『月光仮面』のサングラスは、男の子にとって必須アイテムだったように記憶しています。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2019年08月03日

今回はレトロな「米びつ」です!!私の最も古い「米びつ」の記憶は木箱の入れ物で、その内にブリキの箱になり、母が一生升でそこから米をすくい取っていました。 それが、ある時から急にモダンな米びつになったのを覚えています。 この新人の登場で何が最も驚いたかというと、それまで寝かせてあった米びつに脚がついて立ち上がったことでした。 さらに金属の米びつに三つ並んだレバーがモダンで、そのレバーを指で下げるだけで適量の米が出てきました。 メーカーによって製品名が違い、「ハイザー」「Ricer/ライサー」「コメスター」「ライス・ボックス」「ライス・ストッカー」など英語で表示されていました。金属製で英語表示がかっこいいと思いました。 縦型なので狭い日本の台所(キッチンとは呼ばなかった)に馴染みやすく、中がのぞける小窓もあるので米が減ってくると分かるのもよかったです。ただし、置く所が問題で、涼しく風通しの良い場所が一番ですが、ジメジメしたところだと、梅雨の時期などにカビが生えることがありました。なので、中に一杯の米を入れないのがコツだったように思います。湿度が高いと白米はもちろん玄米でもカビが生えました。 「計量カップ」で米びつに米を入れるのですが、それが少しでも濡れていたら、米にカビが発生しました。そうなったらカビを洗っても駄目で、捨てるしかありません。今は、大型ペットボトルに米を入れて、冷蔵庫で保管するのが一番いいようです。いつも庶民の味方で、電気も使わないレトロな製品でした。 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2019年06月01日

今回は「サクマのドロップ」です(^^♪正式には「サクマ式ドロップス」というようですが、私の子供の頃は、ドロップといえばサクマしか記憶になく、だから「ドロップ」とだけ言っていました。ドロップは缶入りが主流だったように思います。1988年、スタジオ・ジブリの『火垂るの墓』に取り上げられたことで、昔を思い出す人も多かったはずですが、じつは「サクマ」のドロップには2種類あったようです。「佐久間製菓」の「サクマ式ドロップス」と、「サクマ製菓」の「サクマドロップス」です。『火垂るの墓』の節子が持っていたのは本家の「サクマ式ドロップ」の方です。「サクマ式ドロップス」は赤い缶に三本の菱形の中心にヨットの絵が描かれ、いちご味、レモン味、オレンジ味、パイン味、りんご味、ハッカ味、ブドウ味、チョコ味があり、昔と味は全く同じだそうです。いいものは変える必要はないという事でしょうか、節子が感じた味を今も味わえるのは何か不思議な気がします。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2019年05月06日

今回は「森永製菓のディズニーキャラメル」です。ディズニー映画(長編アニメーション)第1作の「白雪姫」は、大阪で母と一緒に観に行きました。たしか「通天閣」の近くだった記憶があります。その後、1960年に「お菓子屋」に登場したのが「ディズニーキャラメル」でした。流石にバッタ屋的安価なお菓子を置くだけの「駄菓子屋」にはなかったと思います。ちょうどシールが子供の間でブームでしたが、「グリコキャラメル」のおまけのように、ディズニーキャラが動くバッヂが付いてきました。これは裏がテープのようになっていて、紙を剥せばどこにでも貼ることが出来ました。丸と四角のバッヂが中心で、「ドナルドダック」「シンデレラ」「グーフィ」「プエルート」「ミッキーマウス」などのキャラクターが、口を開けたり、顔の位置を変えたり、顔の表情を変えたりしていました。しかし、バッヂの種類が決まっていたためと、ディズニーキャラではない絵が多く出てきたため、やがて飽きて買わなくなりました。それでも懐かしいお菓子でした。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2019年03月30日

私の小学生だった頃、お風呂に持って行った玩具の一つが「ぴょんぴよんカエル」でした。カエルのお尻から細い緑色のビニールチューブが伸びていて、緑色のポンプに繋がり、それを指でつまむと空気がカエルに送られ、折りたたんであったゴム製のカエルの脚が伸びて、水を蹴って進むという仕掛けでした。しかし、いくらやってもうまく前に進みません。それもそのはずです、この玩具はもともと畳の上で跳ねさせるためのカエルで、足が床をめがけて真下に伸びるため、お風呂のお湯の中では上下にプカプカ上下運動するだけでほとんど進みませんでした。脚のゴムも厚さが薄いため、すぐに接合部が破れるか剥がれたりして、そこから空気が漏れて壊れてしまいました。それでも、この玩具は今でも記憶に残るほど大好きな玩具でした。特に折りたたんであるカエルの薄いゴムの脚全体に、ゴムがくっついたりしないように粉がふってあるのが好きでした。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2019年03月01日

昔は「レコード」という円盤型の黒いCDの大きなものがあって、片面1曲の両面で2曲が入っていました。当時は45回転のSPといわれた「ドーナツ版」が主流で、33回転なら片面だけで数曲、直径30センチのLPならベートーベンの「第九」も入ったようですが、途中で裏返す必要があったような……樹脂製でしたが子供には結構高かった気がします。そこで登場したのが透けて見えるほど薄い「ソノシート」でした。途中で大人の事情で「フォノシート」になったりしましたが、当時の私たちはソノシートで通していました。様々な雑誌の付録に着けられたり、印刷された紙にラミネート加工して「クリスマスカード」にしたり、とにかく価格が安かったので、当時流行っていた海外の曲を手当たり次第に買った記憶があります。勿論、映画で言えば2番館、3番館扱いになった曲ばかりでしたが、フランス・ギャルや、シルビー・バルタンの名曲を簡単に買えました……もちろん代替えの歌手が歌っていたのですが(wまんがの月刊誌などには「長嶋茂雄選手からよい子の皆さんへ」とか、女性週刊誌だと「美空ひばりとダーリン」という、婚約した小林旭とのイチャイチャお惚気声が録音されていました。その後、CD、MÐの時代がやって来て、あっという間に通り過ぎて主流から消えていきました……『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2019年02月03日

小学生だった頃、白黒テレビで縦横無尽に活躍していた少年ヒーローに「まぼろし探偵」がいました。「赤い帽子」「黒マスク」「黄色いマフラー」「拳銃(テレビ版では光線銃)」で身を包む少年ヒーローは、「バイク(テレビ版ではスポーツカー)」に乗って敵を倒していきます!!1957年に『少年画報』(少年画報社)に連載された漫画のテレビ化で、漫画家の桑田次郎(現・桑田二郎)が連載していました。まぼろし探偵の骨頂は「マスク」で、『月光仮面』『七色仮面』のように顔を全て隠すほどではなく、目元だけというのがスマートでかっこよかったと思います。作品は、テレビだけではなく、ラジオドラマ化、映画化もされました。駄菓子屋では、まぼろし探偵のカッコいいマスクが売られ、私たちはそれを目にかけて遊んでいました。中には、明らかに無許可のマスクも売られ、大きさも色も様々出て、むしろ子供たちは、それを集めるのが好きでした。私は、セルロイド製のゴム付きしか覚えていませんが、今では自分で作れるサイトも登場しているようです。テレビシリーズでは、今を時めく大女優の吉永小百合が、脇役としてレギュラー出演していました。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2019年01月15日

「プロマイド」という言葉を聞くと、小学生はちょっとした大人の気持ちを味わったような気がしました。昭和30年代、カメラは大人でも高価で、子供用カメラ(ペット35)もありましたが、まがい物の小型カメラは別として、滅多に持ている子供はいませんでした。当時、映画俳優やTV番組のスター写真を手に入れるには、雑誌から切り抜く以外にありませんでしたが、ちゃんとしたプロマイドを手に入れるには高いお金が必要でした。ですから、プロマイドは子供の分野ではなかったのです。そんな中、子供でも手に入る「プロマイド(もどき)」が登場します。当時、日本の茶の間を席巻していた「アメリカ製TVドラマ」の1シーンを切り抜いたような写真で、実際は印刷物でしたが、名刺サイズ程度から大判まで次々と登場しました。「ローハイド」「モーガン警部」「ララミー牧場」「ライフルマン」「名犬リンティンティン」「名犬ラッシー」「パパは何でも知っている」「うちのママは世界一」「ハイウェイパトロール」「サンセット77」「ハワイアンアイ」等が茶の間のゴールデンタイムを支配し、子供達のあこがれのヒーローでした。そのヒーローたちのプロマイドが、ちょっと大きめの茶封筒に入り、中身が見えないよう束にして吊され売られていました。それらプロマイドの中には、明らかに当時の白黒TVのシーンをカメラで撮った物もありました。それが出来たのは、その頃は「版権」が非常に希薄な時代で、事実、アメリカ政府の方針で、日本をアメリカ化する目的で、TV局にもアメリカ製TVドラマの版権を求めず、実際に無料だったとようです。それでも1枚づつ買うプロマイドは、当時の小学生には背伸びが必要な買い物でした。後になって、当時買っていた「プロマイド」は、「ブロマイド」という印刷物と知ることになりますが、それでも貴重な思い出になっています。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2018年11月18日

今日は、懐かしい「サイコロ・キャラメル」です♡私の物心ついたころから世の中にあったように思います。サイコロというところが可愛くて、食べながらサイコロ遊びも出来ました。数あるキャメルの中でも、サイコロ・キャラメルは一回り大きかったので、ちょっとしたお得感がありました。1927年には世の中に登場していたようで、2年前の2016年まで「株式会社明治(旧明治製菓)」が創っていたようですが、今は、子会社だった「道南食品」が、北海道限定として復活させたみたいです。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2018年10月31日

正式には何と言っていたか分りませんが、子供の頃、大人の真似をする男の子を対象にした「タバコ菓子」が売られていました。中はチョコレートですが、箱はタバコみたいで、本物の「紙巻きたばこ」のように紙で包まれ、吸い口にフィルターが付くようになると、同じように一部が茶色で印刷されていました。中身は勿論チョコレートですが、男の子たちは寒い冬になると、わざとタバコを吸う真似をして、如何にもという顔で口から白い息を吐きだして楽しんでいました。老舗はオリオンで、「ココア・シガレット」は1951年から今も販売されている超ロングセラーです。「ココア菓子」の名で売られていましたし、不二家も「シガレット・チョコレート」の名で販売していました。その内に、チョコレートだけではなく、ミント味やオレンジ味も出て来たようですが、私の時代はチョコレートだけでした。外国のタバコ菓子は、本物のタバコ銘柄の絵(勿論、一部を変えている筈ですが)が使われていたようです。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2018年10月20日

前回の「ゆび鉄砲」につづく「ゴム鉄砲シリーズ」ですが、今回も「輪ゴム」を飛ばすことに変わりはありません。今回は、指で飛ばさない本格的な「ゴム鉄砲」です。それは家の台所で製造する秘密の武器で、使うのは「割りばし」と「輪ゴム」です。それを組み合わせれば、史上最安値の強力な武器(?)となります。この輪ゴム鉄砲を、敢えて「割りばし鉄砲」と名付けるとして、命中精度は「ゆび鉄砲」より安定し、飛距離も幾らか伸びました。ところが、ステイタスの面で「割りばし鉄砲」を超えるものが登場してきます。それが「針金鉄砲」です!!割りばしで簡単に作れる鉄砲と違い、太い針金を折り曲げたスケルトン型は、手間がかかっている分だけ当時の子供には高値で、いつもの小遣いではちょっと買えませんでした。それでも最先端の武器を前にウロウロする武器バイヤーのように、何度も「針金鉄砲」の前を行ったり来たりしていました。この「針金鉄砲」には形が色々あり、作る人の数だけ形が様々でした。針金とスプリングだけで出来ていて、輪ゴムを引っ掛ける部分が付いている分、かっこよく見えました。今思えば、それは素朴な時代でした。今では「ターミネーター」の武器かと思うほどグレードがアップされていて、とてもとても私の子供時代の「ゴム鉄砲」とは様相が変わってしまいました。最近の「輪ゴム鉄砲」は、本格的な武器と言っても過言ではありません……(~_~;)が、しかし、これがちょっとカッコいいんですよまた!!聞けば、全国規模で「日本ゴム銃射撃協会」なる団体もあって、地方を含めて射撃イベントが開催され、様々な「輪ゴム鉄砲」が開発されているとか……本当に凄い時代になりましたです、ハイ(汗;『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2018年10月02日

子供の頃、指で輪ゴムを飛ばす遊び「ゆび鉄砲」が自然に広まっていました。飛ばし方は非常にシンプルで、親指と人差し指で「L字」を作り、引っかけた親指を倒せば輪ゴムが人差し指から、指先の方向へ飛んでいきます。でも、子供ですから指が短く、普通の輪ゴムでは勢いよく飛びません。そこで当時、短い輪ゴムもあったため、これを使えば子供の指鉄砲でも勢いよく飛距離が出ました……とはいっても数メートルが限度でしたけど。その内、様々な方法が編み出され、小指に端っこを巻いて発射すれば飛距離と命中度が安定する「三点発射方式(?)」が中核になります。その後も幾つかの技が開発され、時代と共にゆび鉄砲も発展していきました。更に、弾の威力を増す為、輪ゴムではなく幾つか折った紙を「U型」にして発射する「パチンコ方式」も編み出され、授業中の教室で、背後から敵の頭目掛けて発射する遊びが流行りました。標的を女にしたらもう大変、すぐに先生に報告され「御用」となります……本当に女というのは洒落が分からない(失礼;それを懐かしむような「玩具」が出てきて思わず苦笑するのは「団塊の世代」でしょうが、「ゲゲゲの鬼太郎」は妖怪なので自分の指を飛ばす指鉄砲だし、「ドラえもん」は超大型の「空気鉄砲」で、今のデンジロウ先生の「空気鉄砲」も然りで、きっと子供の頃の男の子の遊びの延長線なのだろうと思います。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2018年09月30日

日本最初のプラモデルといえば、「マルサン」が出したアメリカの原子力潜水艦「ノーチラス号」でした。マルサンはマルサン商会「童友社」の略称で、「プラモデル」という言葉が日本中を席巻しました。それまでの模型は木製しかなかったからで、マルサンがプラスチックで模型を販売した時、子供達の間で激震が走りました。それは、1958年12月のことで、筆者はまだ8歳でした。マルサンのノーチラス号は、アメリカのプラモメーカー「レベル社」の「ノーチラス号」のフルコピーでしたが、マルサンの技術者が、既製品のノーチラス号を細密に計測し、金型を起こして製造しますから、戦争中の技術が生かされたことになります。実際、マルサンは戦後、焼け野原で町工場を起こし、「ブリキ玩具」を作っていたようです。マルサンがノーチラス号以外に次々とプラモを出していた頃、TVで番組を持っていて、CMの時こんなテーマソングが流れていました。「わ~いわいわい出来ちゃったぁ~♪ マルぅ~サンのぉ プぅ~ラモデルぅ~♫」古き良き時代の想い出ですが、最近、「プラモ元年60周年」を記念して、あのマルサンの幻のプラモ「ノーチラス号」が限定復活しました(^^♪ですから、さっそく注文した次第です。ハイ♡『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2018年09月05日

子供のころ「pop pop boat(ポンポン船)」という玩具がありました。燃料は蝋燭一本(^^♪それをブリキ玩具の船に立てて火をつけ、ボイラー管の中の水を沸騰させるだけの仕組みでした。ボイラー管で発生させた蒸気を噴出させて走るのがンポン船で、ポンポン音を立てて走るのでそう名付けられたと思います。その頃、NHKで「ポンポン大将」という子供ドラマがあり、桂小金治さんが主演の船長役でしたが、当時の小型船は「焼玉エンジン」が多く、ポンポンと音を立てるのでポンポン船と呼んでいました。その主題歌は今も歌えますから、子供のころの記憶力って凄いですね。「 川風ふけふけ 船船はしれ 船が揺れれば白い輪も揺ーれる~ ポンポンポーン ポンポンポーン 船長さんは朗らか ポンポン大将~ 今日も通るよあの橋の下 ポンポンポーン ポンポンポン♫」『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2018年03月08日

当時の子供で最強の武器は「空気銃」でした。正確には小学生の上のお兄ちゃんの世代、高校生以上の男子が持っていたのが金属弾(鉛製)を撃てるライフルです。ブロック塀に5~6メートル離れて鉛弾を発射すると、1センチはコンクリートにめり込みました。ですから、今のエアーガンのレベルではありません。この空気銃は、買う気になれば小学生でも買えましたが、値段が毎月のお小遣いより相当高いので買えなかっただけなのです。ですから、当時、空気銃を買うにはお年玉を貯めるしかなかったと思います。「許可がいらない新型空気銃」、「だれでも撃てる」がキャッチフレーズで、少年雑誌に幾つも宣伝広告が出ていました。その内、小学生には高いのでと、ゴム弾の空気銃が出てきますが、鉛弾の方も、少年雑誌の宣伝広告で「電線にとまっているスズメを的にして撃ちましょう!!」とあり、当時の男子のハートをくすぐり続けました。その頃のスズメは、稲穂を食べる「害鳥」だったので、空気銃の的にしても構わない駆除対象だったのです…今、考えると、良くも悪しくも凄い時代だったと思います。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2018年02月05日

昭和40年代に登場したのが「15パズル(マスゲーム)」で、突然、何の前触れもなく駄菓子屋にプラスチックの板が顔を出したのです。 4×4のマス目に正方形のプラスチックの駒が整然と並び、それぞれ数字がナンバリングされていました。 その中に1個だけ余分な駒があり、それを抜くと、他の駒の間に駒一つ分だけ縦横に自由にスライドできる隙間ができました。 それを使って駒を並び替える遊びが15パズルでした。 当時は、1~15までの数字を、隙間を使って逆に並び替える遊びか、渦巻き型に並び替えると思っていましたが、後に発行された「世界遊戯法大全」(昭和40年)の中に「十五置き換え遊び」の項目があり、様々なことが出来ることがわかりました。 僕はプラスチックの駒に打たれた数字のパーツが好きで、固定するボードから駒を外し、それを持っているだけで幸せでした。 後に、スリットが付いていて外れない物が出てきてから興味を無くし忘れてしまったほどです。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2018年01月19日

森下仁丹は前にも取り上げましたが、昔は子供用のチューインガムも販売していました。特に1960年(昭和35年)頃に出ていた『野球ガム』は当時の野球選手の「名鑑カード」が入っていて、僕たちはそれを集めるのが大好きでした。セリーグとパリーグの各チームのピッチャーやバッターの有名選手が厚紙に印刷されていて、それが当時のチューインガムのスタンダードサイズ(長方形)に収まっていました。それだけでもピンスポットなのに、森下仁丹はチューインガムの別売として、当時流行っていた銃の形をした「コルトケース」を販売したのです。6枚ほど入ったチューインガムを、コルトケースの蓋を開けて装着すると、引き金を引いた瞬間、バネの力で細い切れ目の銃口から半分ほど頭を出します。それを引き抜いて口に入れる…それだけの代物ですが、まるでTVのヒーローみたいにかっこよく、僕も水色のコルトケースを親から買ってもらいました。森下仁丹は、テレビ映画「怪傑ハリマオ」のスポンサーでもあり、ハリマオが自動式拳銃を斜めに構えて撃つシーンがカッコよく、今のハリウッド映画で主役たちの撃ち方を、何十年も前からハリマオがやっていたんです。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年12月14日

今日は私が小学生だった頃、民家の壁などに掛かっていた「ホウロウ看板」です。ホウロウは琺瑯鍋のように、金属をガラス質で覆って長持ちさせる技術ですが、ホウロウ看板は似た方法でそう見せる簡易式が使われているそうです。ですから、ホウロウ看板というのは、そう見える看板というだけだそうです。記憶の中で一番古いホウロウ看板といえば「森下仁丹」の看板で、立派なカイゼル髭の軍人の胸元に、「仁丹」の二文字が書かれていました。後年になって、それが軍人ではなく外交官と知りましたが、最近、さらに調べてみると、大礼服の左胸に金地の「五七の桐」があるのは「文官」の勅任を示すのだそうです。ところが、「立襟型」に立派な房の付く「肩章」があるのは文官ではなく、男爵や伯爵の爵位を持つ有爵者が身に着ける大礼服でした。更によく見ると、首から「勲章」を下げていますので、どうやら「軍族」「文官」「有爵者」の全てを合わせた大礼服だったのではないかと思います。これなら、何処からもクレームが来ないからですが、当時の知恵だったのではないでしょうか。ホウロウ看板の中で何が最も印象に残っているかと言えば、やはりどの男の子も皆ドキドキした、「由美かおるの蚊取り線香」の看板でしょう。両方の美脚を覗かせながら、当時としては画期的な「かぼちゃパンツ姿」ですから、男性は殆ど悩殺されたと思います。他にも幾つものホウロウ看板があり、どれも懐かしい物ばかりですが、こういう文化が認められる国は平和だと思います。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年08月09日

今回は、消えてしまった子供のお守り「肥後守(ひごのかみ)」についてお話しします。昔、子供が学校へ持っていく文房具の中に「肥後守」がありました。いわゆる鉛筆削りのことです。当時の小学生は、「鉛筆」「消しゴム」「筆箱」「下敷き」が必須品でしたし、鉛筆は、「三菱鉛筆」「コーリン鉛筆」「トンボ鉛筆」などが主流です。その鉛筆を、当時の子供たちは「ナイフ」で綺麗に削り、親は子供にその削り方をおしえたものです。そのナイフの中に、簡易折りたたみ式刃物「肥後守」があり、鍛冶屋の家内工業が集まっていた兵庫県三木市が、戦前からその製造を担ってきたようです。鍛冶屋が造る鉛筆削りだけに肉厚の刃で丈夫で長持ちしました。その内、PTAの母親たちを中心に、「刃物を持たせない運動」が全国規模で展開したため、子供を危険から守るということで学校から消えていきました。当時、アメリカ映画で、不良たちがワンタッチで刃が出る「飛び出しナイフ」や、二折れの「ジャックナイフ」を使って闘うシーンが親たちの肥後守に対する印象を相当悪化させたと思います。最近、浅草の浅草寺境内の脇道に刃物専門店があり、ちゃんと肥後守が売っているのを見てうれしくなりました。少しも変わっていないからです。余談ですが、私の小学生の頃、時代劇でヤクザが使う「ドス」を模した、鞘付きの鉛筆削りもありました。手のひらサイズですが、なんとこれも仲見世裏通りの専門店でも売っていました。実際に切れない鑑賞品になっていましたが…『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年07月15日

私が小学生だった頃、大塚製薬提供のTV番組「琴姫七変化」という時代劇がありました。子供向け時代劇として登場し、お城のお姫様が免許皆伝の腕を持ち、庶民の中で旅をしながら悪人どもを懲らしめる明朗と勧善懲悪を字で行くドラマでした。思えば、「暴れん坊将軍」も「水戸黄門」も「遠山の金さん」も全く同じパターンですし、どうやら日本人のDNAに刷り込まれているみたいですね(wオープニング曲「そよ風道中」は今でも歌えます。「花を摘む手に刀が似合う~♪ 城の雀がそう言うたぁ~♪ 揺れる簪~琴姫さんよ~♪ ソヨリソヨソヨ~風に揺ら~れて~♪ エェエェェエェエェエ~七変化~~(^^♪」当時、松竹所属の新進女優だった「松山容子」さんが演じる、凛々しい男装の侍姿が胸にキュンときました。彼女が登場するシーンになると、必ずテロップに「新人・松山容子」と出ました。ですから私の記憶では「松山容子」ではなく「新人松山容子」がフルネームになっています(wその松山容子が番組スポンサーだった大塚製薬のグループ企業、大塚食品のCMに出たのが「ボンカレー」で、今もボンカレーは、当時のパッケージのイメージを残しながら売られています。アスカリアンのお一人が、仕事先の徳島から送ってくれました♡『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年06月30日

夏の定番と言えば、関西では「冷やし飴」でしょうね(^^♪真夏の強い炎天下なら、大体どこでも売っていましたし、今も売っていますが、関東ではまず見かけません。飴と言ってもキャラメルのようなものではなく、立派な飲物です。生姜の搾り汁に卸し生姜を加えた飲料で、香り付けにニッキ(シナモン)を加えてあるので、独特の褐色半透明(琥珀色)をして、よく冷やした状態で飲めば、この上もなくうれしい気持ちになります。一杯、100円~150円ほどで熱中症にならないで済み、ジュース缶と同じ価格なら、絶対に冷やし飴がお勧めです。今も冷やし飴は、夏の大阪ならどんな所でも見かけることが出来ます。小学生の頃から全く同じ味が受け継がれていますから、一飲みするだけで、小学生時代の想い出が一瞬にして戻ってきます(^^♪一説では、関東にも冷やし飴がありましたが、度重なる「東京大空襲」で機械も何もかもが焼かれ、戦後のどさくさでも復活できなかったといいます。その点、関西は大阪は別にして、京都や奈良は空襲の被害が少なく、冷やし飴の機械が多数生き残った結果、戦後、関西で冷やし飴が復活したといいます。今は、缶入りの冷やし飴も関西中心に販売されていますので、インターネットで購入されたら昭和を味わえると思います。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年06月21日

突如として世の中に降臨し、席巻した後、消え去った物に「だっこちゃん」がありました。今を思えば、黒人の子供のビニール人形に過ぎませんでしたが、腕に抱きつつくところが新しかったのでしょう。とにかく、子供の間でも「だっこちゃん」を買ってもらった子は人気者になって、皆が一斉に寄ってきました。ウィンクをすることから「ウィンキーだっこちゃん」とも呼ばれ、240万個も売れた大ヒット商品になりました。何がすごいかというと、大人の女性たちが腕に巻き付けて銀座や海辺で歩いていたんですから…元は銀座の「小松ストアー(後のギンザコマツ)」のディスプレイで登場したビニール人形を、女子社員が腕に付けて店内を歩いていたことが話題になり、大相撲観戦でだっこちゃんを付けた女性が彼方此方に映ったことで全国に波及したそうです。かくいう飛鳥昭雄も、小学生の時、母親が苦労して手に入れてくれました。おそらく玩具屋に予約していたのだと思います。ブームの中の品不足から、相当数の偽物も出回ったようですが、私は偽物を見たことがありません。大分後の時代になって、ピンク色のだっこちゃんも出たようですが、既に全くブームが去っていたので、私は興味を注がれませんでした。だっこちゃんを、男の子か女の子か分からない声もあったようですが、後にビニールのリボンを付けただっこちゃんが登場して解決しました。今も、浅草橋から先にある御菓子問屋に置かれています。たしか1体数百円で買えました。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年06月11日

今回は「ニッキ水」です。小学生の頃、毎年夏が来ると、店頭にニッキ水というカラフルな飲物が並びました。特に祭の縁日では定番で、冷やした色とりどりのニッキ水に子供たちが群がっていました。水にシナモン(香料)、甘味料、酸味料、着色料を混ぜた飲物で、我々の頃は、まだシナモンの皮を炊いて汁を絞って作ったようですが、今のニッキ水は香料製法が主流です。手間が省けるからでしょう。ニッキ水の特徴は、量が少ない割に、原色に近い派手な赤、緑、黄色をしていたことです。いわゆる合成着色料という類ですが、これで腹を壊した子供を私は知りません。とにもかくにも、ニッキ水最大の特徴は喉越しの良さです(^^♪ビール好きと同じセリフを吐くようですが、飲み干す時の喉の刺激が独特で、サイダーのような直接的な刺激ではなく、どこかに品がある(?)というか、同時に臭覚を刺激するシナモン独特の香りが、脳内を満足度で一杯にしてくれました。飲み終わった後は、舌染まりを仲間同士で比べ合ったものでした。今のニッキ水と容器の形は、昔と同じひょうたん型ですが、違う点は当時の容器がガラス製だったことです。ですから落としても大丈夫な合成樹脂製のニッキ水とは違い、ちょっと危険な特別感がありました。私が保育園の頃、京都府大山崎に住んでいましたが、駅近くの道を一本中に入った所にあった家が、内職でニッキ水を作っていました。たしか、友達の家だったと思うのですが、そこの子と一緒にニッキ水を幾つか木箱から盗んだ記憶がよみがえってきました(;´∀`)ドキドキ皆さん、いくら小さなときの盗みでも、大人になってもちゃんと覚えているものですから、気を付けてくださいね m(__)m『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年06月04日

私が小学生だったころ、今から思えば訳の分からない物も玩具として売っていました。それがあればどうなるわけでもないのですが、当時の小学生は訳も分からずにただ買っていました。それが「電信テープ」という代物です。コンピュータの前身みたいな「電信機」に使用した紙テープに、パンチで穴を開けた使い済みを、ただ巻いて売っていただけの代物です。細かな穴が等間隔、あるいはランダムに数列が並ぶだけの紙テープですが、ただ、赤と青などの色が両コーナーに染めていて、それを巻き取って年輪のようにしたら非常に綺麗でした。これをどうして遊んだかというと、正直、あまり覚えていません。というか、遊びようがない玩具でした。いや、玩具に識別してもいいものかさえ分かりません。これを手に握って、船上からお別れのテープのように投げたり、当時はやったロカビリー歌手に投げるテープみたいに使うしか遊びようがない代物でした。ちょっと変わった使いたとしては、徒競走のような遊びをした時、ゴールを切る時の紙テープに使ったぐらいで、他に何の遊びにも使えないどうしようもない物でした。ですから、スグに廃れてしまったようで、こんな物があったことさえ知らない人が多いのではないでしょうか。只、妙に覚えているのが‟匂い”です。電信テープ独特の紙の匂いがあり、それは今も明確に思い出すことができます。決して嫌な臭いではなく、むしろ中性的なイメージの紙の上に、油を敷いたような独特の匂いがしていました。香りという言葉が全く似合わない代物で、敢えて言うなら良質の紙の匂い…そうパルプの匂いだったような気がします。特にこれという用途もないのに売っていた…そういう時代はいい時代なんだろうと思います。入り込む隙間がいっぱい感じられる時代こそ、本当に豊かな時代なんだろうなと思います。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年05月13日

昔、「ニッキ紙(がみ)」という菓子がありました🎵当時はまだ世の中に無かったトイレットペーパーみたいに巻いてある紙を切ったり、30センチほどの紙に、ニッキを染み込ませ、赤色何号か分からない食紅や、食べられる黄色、緑色等で簡単な絵が描かれている「紙菓子」です。それをすこしづつ手で千切って口でしがみ、味が亡くなったら捨てます。チューインガムとは違うので、そのまま運動場や道に吐きました。でも、紙なのですぐに土になりましたから、ガムのように人の迷惑になりませんでした。ニッキ紙は、しがむと独特のニッキの香りと甘さが口内に広がり、シナモンと同じような香りと味がします。ニッキは、「日桂(ニッケイ)」の樹木の根っこを遣いますが、シナモンは、同じクスノキ科常緑樹のシナモンの木の樹皮のコルク層から作るそうです。有名な京菓子の「八つ橋」もニッキが使われますから、日本には昔から沢山の日桂の木があったようです。ニッケイがニッケになり、ニッキになったといわれています。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年04月23日

今回の「竹トンボ」だが、今も地方の温泉街や祭の出店等で見かけることがあります。竹トンボは二種類あり、羽&軸付きと軸無しで、前者は羽と軸が一緒に飛んでいき、後者は軸を残して羽だけが飛んでいきます。軸付きは軸の分だけ重くなりますが、重心が安定します。軸無しは軽い分だけ高く飛びますが、風の影響を受けて不安定になります。材料は柔軟性のある竹が使われ、軸は割った竹を細長く加工します。竹トンボの名人ほど、軸付きを使うみたいですが、その場合、軸受けの穴は一つで、固く打ち込むか、接着剤で固定します。軸無の場合は二穴が基本で、羽を乗せる小さなカタパルトを作ります。勿論、突起は二本で軸と同じ材質です。最近、名人の一人が戻ってくる竹トンボを開発したみたいで、ニュースで観ましたが、斜めに構えて飛ばした竹トンボが、ほぼ同じコースを描いて戻ってきました。私の世代より一昔前の世代(戦前)は、ベー駒等で遊んだはずですが、間違いなく竹トンボ遊びもしていたはずです。今は「ドラえもん」の秘密道具の「タケコプター」で、子供たちに知られるようになりましたが、この原理で「ヘリコプター」が生まれ、古くはレオナルド・ダ・ヴィンチの発明までさかのぼる優れた玩具です。地方に行くと、色を塗った竹トンボもあり、中には江戸駒みたいなカラフルな物もあるようです。それどころか、3枚羽、4枚羽もあれば、航空力学を応用した未来型デザインもあり、竹トンボの持つ世界の大きさを垣間見ることが出来ます。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年04月16日

消しゴムの文化は結構古いですね。私が小学生だったころの消しゴムは、結構、高い値段で❝白いゴム❞そのままの「消しゴム」でした。時には呼び名を引っ繰り返して「ゴム消し」とも言いました。 ところが、ある日、突然現れたのが、消すと良い香りがする色のついた「プラスチック消しゴム(プラ消し)」でした。 少し前の「キンケシ」みたいに、瞬く間に大流行します。特に女の子の間で、白いゴム消しは完全に駆逐されて姿を消しました。 面白味が全くなかったからですが、大人の間で残り続けます。まさかサラリーマンの男性が、社内でいい香りのする子供用の消しゴムなど恥ずかしくて使えませんからね。 今も、正統派の消しゴムはゴム製ですが、国内製の高級品か、当時は舶来品という海外の物しかありません。 そういえば高級品には「すな消し」といって、サンドペーパーのような役目をする細かな砂が練り込まれた消しゴムが合体していました。 すな消しは、消しにくい所などを消すときに使いましたが、大体は一緒になっていました。ところで、プラスチック消しゴムといっても、柔らかい色のついた半透明状の消しゴムで、プラモデルのような固い物ではありません。これは今も作られ主流になっていますが、色のついた物ではなく、白いゴム消しを連想させる物が殆どです。カラー消しゴムは、時々、100円ショップなどで見ることがあります。今の主流は、白いプラ消しと、キンケシの後継ともいえる様々なタイプの可愛い「キャラ消し」でしょうか。そういえば、鉛筆が主流だった頃、「消しゴム付き鉛筆」なる物もありました。ちょっと年上のお兄さんや、大人がかっこよく使いこなしていたと思います。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年03月31日

女の子と言えば「お手玉」でしょうか。年寄りは「オジャミ」と言っていました。将来、夫を手玉に取る訓練を小学生の時から鍛えておく…というのではないでしょうが、幾つものお手玉をホイホイ空中に放り投げては、次々さばいていく手並みは素晴らしいものでした。大体は母親や祖母が、オハギ程度の布袋に小豆や数珠玉を入れて縫い合わせた物ですが、私の知っているのは米俵のような「俵型」でした。他にも「巾着型」や「座布団型」「枕型」等があったようですが、どれもパンパンに固く詰め込むのではなく、比較的ゆったり目に詰めるのがコツだったみたいです。基本は放り上げてはキャッチし、すぐに放り上げる連続遊びのことで、中々コツのいる遊びでした。片手だけで放り上げ、片手でキャッチする遊びもあれば、両手を使う場合もあって、いろいろな難易技もあったようです。歌でリズムをとる場合もあり、その時は以下のような歌が使われました。「一かけ二かけて三かけて 四かけて五かけて橋をかけ♪ 橋のらんかん腰を掛け はるか向こうをながむれば♪ 一七、八の姉さんが 花と線香を手に持って♪ 姉さん姉さんどこゆくの 私は九州鹿児島の♪ 西郷隆盛娘です 明治10年3月に♪ 切腹なされし父上の 墓参りにまいります♪ お墓の前で手を合わせ なむあみだぶつと拝みます今では「日本のお手玉の会」で競技するコンテストがあるほどで、何とか廃れずに頑張っている姿が、日本女性を髣髴するようで健気です。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年03月09日

私が小学生の頃、毛糸をつないで輪にした「あやとり」という遊びが流行っていました。 私たちは「糸とり」と言っていたが、女の子だけの遊びではなく、子供だけの遊びでもなかったように思います。 お婆ちゃんも遊んでくれたし、父親も一緒に遊んでくれた。要は、紐は一本あれば誰とでも遊べる万能ツールでした。 二人で向かい合って遊ぶことが多かったようですが、中には数人で次々と変形させて遊びました。 両手指と毛糸で様々な物の形を作っていくのですが、手首を使うような物もありました。女子が得意のようですが、けっこう男子も得意だったような気がします。 「ひとりあやとり」でふつうにやる場合もありましたが、見事なのは「ほうき」「東京タワー」「梯子」「蝶々」等をやれる友達もいて、周囲の尊敬のマトになりました。 私が好きなあやとりの形は「川」と「橋」と「畑」で、初期の段階で登場するのですが、現れると何かわからないのですが、わくわくする感じがありました。 理由は分かりません……おそらく形がシンプルでかっこよく感じたのだと思います。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年03月02日

今回は空き缶一つで大勢が遊べた「缶けり」です。おそらく効率的には最大の減価償却を誇る遊びですが、何の道具もいらなかった「達磨さんが転んだ」といい勝負でしょう。しかし、達磨さんは道具を使わないという反則をおかす上、樹木という極端な自然物を使うという、更なる反則技を使うため、ここでは缶けりに軍配を上げたいと思います(笑)。昔、缶詰は高級品で、病気にでもならないと食べられない物でした。私たち子供は、シロップたっぷりの桃の缶詰が大好きで、冬しか食べれないミカンを一年中食べられるミカンの缶詰は、子供の羨望の的でした。しかし、食べ終わったら、途端に缶は邪魔なだけの無用の長物になりました。そこへ、何でも遊びに使う子供達が現れ、大人達がゴミにした空き缶を蹴飛ばして遊ぶ缶けりを独りでに作り出したのです。空地と空き缶だけの遊びはシンプルで、鬼が空き缶を占拠しながら、隠れている子供を見つけ出し、名前を呼んで缶に足を乗せる。見付け出された子供は次々と数珠つなぎになりながら、仲間の救出を待ちます!救出される唯一の方法は、鬼が空き缶から離れて子供を捜しに離れた間に、仲間が走ってきて空き缶を蹴り出した時です。皆、一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げてしまいますが、鬼は蹴り出された空き缶を元の位置に立てて、再びやり直します。この遊びは、鬼ごっこの要素に、仲間の救出という面白さを加えた爽快な遊びでした。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年02月25日

私が子供だった頃、ゴム紐一本、石ころ一個、ゴムボール一つでも遊べました。 当時、健康にいいとして日本中に広まったのが、毎朝、牛乳を飲む習慣でした。日本人に比べて体格がいいアメリカ人は、牛乳を飲んでいたからという話が広まり、親の世代は、体格に勝るアメリカ人に戦争で負けた思いもあり、子供に牛乳を飲ますことが親の義務のようになりました。しかし、私たち子供は、牛乳を飲むとよくお腹をこわしました。下痢をする子供が多かったのです。それで仕方なく、一家の大黒柱の父親が飲むようになり、毎朝、牛乳配達のガチャガチャという瓶の当たる音が日本中に響くようになりました。当時、大体どの家にも木で組み立てた「牛乳箱」があり、そこに牛乳配達員が1本か2本の牛乳を入れていきました。大体は「明治」「森永」のロゴがあり、地方は地方メーカーのロゴがありました。そんな昔、新聞配達の少年と自転車に乗る牛乳配達員の姿が、毎朝の日本の風物詩だったのです。それでも牛乳を飲まなかった子供たちにも分け前があり、それが、毎朝、牛乳瓶を開けた跡に残る蓋でした。丸い蓋は子供達に安易で格安な夢を与えるツールで、いつの間にか、それを取り合う遊びが日本中に広がりました。当時、既にメンコ(べったん)という遊びがあり、その延長に「ポンポン」「ふたぱっちん」という牛乳瓶の蓋を引っ繰り返す遊びが流行ったのです。遊び方は様々あり、手でお椀を作り、それを瓶の蓋に勢いよく打ち込んで裏返しにする「吸引法」や、瓶の蓋を狙って自分の瓶の蓋で引っ繰り返す「風圧法」や、両手を打って瓶の蓋を吹き飛ばす「合掌法」などなど…中には、10円玉などで瓶の蓋を平らにして遊ぶ方法もあったようですが、おそらく私たちよりも後世の遊び方と思います。引っ繰り返した分だけもらうルールや、全部引っ繰り返したら総取りできるルールなど、地方で様々あったようですが、そのうちに大物が登場するようになります。子供たちの大の苦手となる「ヨーグルト」の登場です。当時のヨーグルトは顔をしかめたくなるほど酸っぱく、私は大嫌いでした。舌触りも豆腐みたいで、何が美味しいのかサッパリわかりません。親達が子供の滋養供給に必要とか言っていましたが、乳酸菌は滋養とは殆ど無縁で、善玉菌による健康バランス維持に必要とまでは知られていませんでした。このズングリムックリした硝子瓶の蓋が大きく、まるで子供相撲に大人が入ってきたみたいな感じでした。これを「秘密兵器」として使うか、ヨーグルトの蓋だけの「重量制」にするかで、またルールがごちゃ混ぜになり、そんな時にまた別の瓶の蓋が登場します。今度は、細長い円錐の瓶の登場で、後のヤクルト系乳酸菌のような飲物です。この瓶の蓋が「おちょぼ口」のように小さく、その蓋の登場で統一性を失ったふたぱっちんは徐々に子供の遊びから消えていきました。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年02月19日

女子の遊びの中で、運動場や広場や道路の片隅でやっていたのが「ゴムとび」という遊びでした。 昭和30年代といえば高度経済成長の前で、自動車も数少ない時代でした。だからと言って国道で遊ぶのは少し無理で、脇道や住宅地の道端で女子たちはゴムとびで遊んでいました。 道具は長ゴム一本で、シンプル イズ ベストと言うにふさわしい遊びです。当時の女子たちは、二人の女子がそれぞれ長ゴムの先を握り、横に伸ばすだけで舞台装置が完成します。 後は、長ゴムの中央を、走高跳のオリンピック選手のように軽々と飛び越えるのです。 とはいっても、ゴムに触れても構いませんし、背面飛びのように体を回転させて飛び越え…… 正確には、回転しながら片足の先にゴムを引っ掛け、着地した段階でゴムが足に掛かっていれば成功という遊びでした。ですから、実際には飛び越えてはいないので、敢えて表現をすれば「片足ゴム掛け」とでもいいますか、漫画チックに言えば、「片足ゴム掛け回転くずし」とでも命名致しましょうか。 竹の下を仰向けに潜るリンボダンスのように、最初は低い位置から始まり、徐々に腰の高さ、胸の高さ、最終的に頭の高さまでゴムが上がっていきます。 勝者はそれを飛び越えた女子になりますから、どうしても高学年生の方が有利になりました。 なぜこういうことを言うかというと、当時は同学年でも遊びますが、学校が終わり、家の近くで遊ぶ時は、近所の子が一斉に出てくるので、小学1年生から6年生までの皆が一緒に遊びました。 もちろん姉妹も多く、姉と一緒に妹たちも出てきます。 当時は、男子も同じで、学校で遊ぶ時は同級生でも、学校が終わると学年別は当たり前でした。それでも学校別、地域別は駄目で、テリトリー意識が子供心ながらもあったようです。 小学生の頃の男子は、ゴムとびをする女子の短いスカートが、飛ぶたびに捲くれ上がっても、別に何とも感じませんでした。 ですから女子は平気で飛べたのでしょうが、お色気が出てくる中学生の頃になると、ゴムとびをしなくなるのは、セーラー服のスカートが長くなったことと、下着が見えることへの抵抗からでしょう。 勿論、女子は初潮というものがありますから、小学生も高学年になるほどゴムとびを敬遠していくようになりました。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年02月11日

今回は、私が子供の頃、女子がよく遊んだ「おはじき」です。 直径1センチほどの綺麗な色模様が溶け込んだ扁平ガラス玉の遊びで、指で弾いて同じガラス玉に当てることから、女の子らしく上品に❝おはじき❞というようになりました。 当時としては珍しく、男子と一緒に遊べたのがおはじきで、女子が男子を打ち負かすことが出来る遊びでした。 男子は基本的に収集癖があり、べったん(メンコ)、グリコのおまけ、切手など同種のものを集める為、大人になっても骨董、フィギア等のコレクターになっていきます。中には、何の価値があるかもわからない「マッチ箱」「たばこの包装紙」「ビール瓶の王冠」等々を収集したり、更には消しゴムの粕を練り合わせてボールにしたり、同じことを鼻糞でしたりと、女子から見たら理解不能な性癖を身に着けていきます。 ですから、おはじきも沢山集めて優劣を競うわけですが、ある程度集めると熱が冷めていきます。 女子と対決しても負けますし、おはじきはガラスで出来ていて、集めすぎると嵩張るし、重いためズボンのポケットに入らないからです。 そのうちプラスチック製の可愛い花型のおはじきが登場し、女子は一斉にガラス製からプラスチック製に移行します。 机の上にばら撒くと、様々な色のお花が咲き乱れたようで、女子はファンタジーの世界に入れたのでしょう。 そのためガラス製のおはじきは姿を消しますが、昨今、ビー玉と共にインテリアで返り咲き、懐かしさも相まってプラスチック製を凌駕しているようです。 私も両方で遊びましたが、どれを狙うかを相手に示すため、小指(あるいは人差し指)で横一線に仕切りを切りました。要は線を引く儀式のようなもので、今から私はあのおはじきを狙いますという宣言のようなものでした。 弾く指は、中指、人差し指、親指が基本で、指を床と平行に寝かせて弾きました。 今は、真ん中の穴にマグネットが付く物もありますが、当時はマグネットなど入っていませんでした。 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年02月05日

今回は「コリントゲーム」です。 私が小学生だったころ、父に買ってもらったゲームですが、当時は結構高価だったはずです。 窓型の縁を持ったボードの数カ所に穴をあけ、パチンコ台の釘にあるような丸釘を数十カ所に打ち、ボードの下に板をかまして傾斜をつけた構造です。 打つのは専用の鉢のような棒で、頭部に丸みがあり、取っ手も子供が握りやすくできています。 それでパチンコ球と同じ金属の玉を下側から打ち、後は引力に引かれて金属球が台を転がるわけですが、その途中で釘に当たって跳ね返り、思わぬ方向へ外れるわけです。 そのうちに、ある釘に、ある力加減で当てると、金属球がほぼ同じコースをたどって転がり、めがけた穴に入るコツがつかめてきます。 当時は釘を調整する頭がなかったので、反復を積み重ねて習得していきました。穴は各点数があって、同じ金属球の数を打って、穴に入った合計点で競います。 祭りの屋台にあった「スマートボール」は弾くバネ式の棒がありましたが、コリントゲームは子供用なので手動でした。 アメリカの「ピンボール」は弾くたびに音が出て光りますし、腕のような部分で球を弾き返せますが、そんな複雑な機能がない分、壊れにくくて今まで残っているわけです。 パチンコの変種ともいえ、大人が興じるパチンコ台は「立て物」、コリントゲームのような物は「横物」と呼ばれるそうですが、当時はどうでもいいことです。 大人になってから遊びたくても金属球が無かったので、近くのパチンコ屋へ行って、球だけもらって遊ばずに帰りましたが、球にパチンコ屋のロゴが刻まれていました。 コリントの名の由来ですが、ギリシアのペロポネソス地方にある都市「コリントス」がもとで、新約聖書(新共同訳)の中に「コリントの信徒への手紙」の名もあります。 実際、昔のコリントに、似たようなゲームがあったのでコリントの名が付いたようですが、どうもそれだけではないようで、昭和7年(1942年)、戦前の日本で生まれたコリントゲームの製造販売元が「コリント商会」といい、その親会社の社長の名が「小林」というので…小林=コリンとなり、最後にンを付けたとか(爆笑)『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2017年01月31日

今回は、以前に少しだけ紹介した「銀玉鉄砲(ピストル)」です。 登場当時は細長いバーを引くスライド式でした。 昭和34年(1959年)に大阪で産声を上げた銀玉鉄砲は、「セキデン マジックコルト(MC-50)」で、 発売当初は50円でした。珪藻土にアルミ粉を塗った銀玉が箱入りの5円ぐらいでしたでしょうか。 後に登場する改良型に比べると薄くて小ぶりでした。そのため、後部の小さな蓋を爪で引っ掛けて開き、そこから銀玉を流し込みました。 一発撃つとレバーを引くわけですが、中にはカッコよく歯で引く子供もいて、そういう子供のレバーには歯型が残っていたものでした。 やがてセキデンの銀玉ピストルはオートマチック式に変わる進化を見せ、私たち子供を驚かせたものでした。 特に昭和38年(1963年)に登場した「セキデンオートマチック(SAP.50)」は秀逸で、グリップカバーが茶色のため、黒一色だった銀玉ピストルに不思議な色気を持ち込んでくれました。高級感が出てきたのです。 大きさも厚みを増し、上部から入れる形に変わった弾倉(マガジン)内部もやや大きくなったようです。マガジンの蓋もスライド式に変わり、カッコいいなという思いがしました。 そこへ粘土に銀色を着色した銀玉を、ジャラジャラと手を細めて入れるわけですが、よく地面に零れ落ちました。 当時は土が剥き出しの地面ばかりで、簡単に拾えましたが、やがてコンクリートやアスファルトで舗装されたため、落ちた銀玉は跳ね返って四方へ飛んで行方不明になりました。 今思えば、銀玉は土でできていたため、踏みつぶせば粉々になりましたし、雨が降ったら水がしみ込んでそのまま土に戻っていきました。 これは偶然にも今流行の“エコ”だったと思います。今のプラスチック製のBB弾とは大違いです。 形も不揃いで、綺麗な球体をしていませんでしたから、撃っても妙な方向へカーブして飛んでいきました。その不確実性が面白く、時々真っ直ぐに飛ぶと「オオオオッ!!」と心の中で喜んだりしました。 でも、稀にカーブしたところに敵方がいることもあり、今思えばそれも大人の世界の縮図にもなっていたかもしれません。 今も、百円ショップなどでTIGER社等々の銀玉ピストルが手に入りますが、当時の茶色のグリップカバーの付いた銀玉ピストルもネットで、1000円程度で手に入るようです。 それはそれとして、実は最近の銀玉ピストルはさらに進化を遂げ、トリガーが稼働し、マガジンラックも取り外せる本格的構造に激変していました。 特に「株式会社 東京マルイ」がその道ではトップメーカーで、呆気にとられるほど本格化していました。 興味のある方は以下のURLを覗いてください。 http://www.geocities.jp/timmfc2/toygun/handgun2/Gindan.html『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2014年04月11日

子供玩具の三大アイテムの一つが「ビー玉」でした。ポケットの中でいつもジャラジャラ言っていたのを思い出します。 ビー玉は、ラムネの栓に使われたガラス玉と同じで、違うのは色合いの良さと、模様が入っている物があったことでしょうか。 私たちは「B玉」の意味で使っていましたが、難しい話によると、ポルトガル語のガラスを意味するビードロが変じた物といいます。 大阪のビー玉遊びは大きく2種類あり、一つは自分のビー玉を指で弾き相手のビー玉にぶつければ勝ちというのがスタンダード。 もう一つは、地面にビー玉が入る程度の凹みを作り、遠くから凹みに入れれば勝ち、入らなければ負けという遊びです。 ちょうどゴルフのような感覚で、記憶は定かではないのですが、入るまでの回数の低さで勝敗が決まったようにも思います。 今ではインテリアとして重宝されているようで、これからも美しいガラス玉の輝きは不滅でしょう。 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2012年07月09日

今では問題の放射性物質の一つですが、昔は夜光塗料の玩具が幾つもありました。 子供が握れるサイズの小さなプラスチック製のお面が、夜になると光を発し、夏の風物詩の一つになりました。蛍光色色の緑は鮮やかで、真夏にピッタリでした。 お面は「般若」「一つ目小僧」「入道」等があり、少し値段が高くなりますが、関節が動かせる「骸骨」もありました。 今のような立体の骸骨ではなく、プラスチックの平面の骸骨で、関節部分の輪っかが夜光の材質で弱く、少し引っ張るとすぐにヒビが入りました。 今回の画像のように、紙に印刷された「お化け」もあり、絵の上に塗られた夜光塗料が、暗い部屋で不気味に光りました。 他にも、私は買わなかったのですが、液体の夜光塗料が入った小ビンも売られていた記憶があります。 これは放射性物質の「ラジウム」で、口に入れると内部被ばくするため、今では安全な化学蓄光顔料に代わっています。 子供の頃はそんなことなど全く知りませんから、結構あぶない目にあっていたんだなとつくずく思います。 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2012年06月04日

私がまだ小学生の頃、当時はよくあった広場に紙芝居屋が来てくれていました。 拍子木を叩いて子供たちを集める様は「ハメルーンの笛吹」のようで、あちこちから子供たちが湧いて出てきました。 ところが、時間が一定ではない為か、よほど待ち構えていないと見逃してしまいます。 私は遠くで遊びまわる方が好きだったので、いつも見逃していましたが、たまに見つけると紙芝居の内容が違うものに変わっていました。 それでも水飴や型貫などで楽しめましたが、それらは別料金になっていました。 型貫は、私の地域では小さく薄い長方形の飴に溝があり、それを舐めて絵柄を切り取ればもう1つもらえました。 下手に噛んだりすると、すぐに薄い飴は割れてしまうので、それなりの技術(?)が必要でした。 最近、企業研修などで、大人用の紙芝居が持てはやされてきたようですが、私にとっての紙芝居はお菓子を頬張りながら見る紙芝居だけです。 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2012年04月17日

今や家庭用の「氷掻き(器)」が普及し、カラフルな物からキャラクター付まで大小様々ありますが、昔は駄菓子屋などに置かれた鋳物製の氷掻きしかありませんでした。 外国では細かに砕くカチ氷のような氷菓子が主流ですが、日本の氷菓子はきめ細かさで群を抜きます。 元々は木を削る「鉋(かんな)」が原型で、大きな氷の表面を薄く削りだすことを誰かが思いついたのでしょう。 ですから氷掻きのルーツは大工の鉋だったわけです。 私が幼稚園の頃に一般家庭に普及した氷掻きは、PCのマウスより一回り大きなプラスチック製で、底に鉋のような刃がついていました。 それを片手で握りながら氷の上を削れば、器の中に削った氷が溜まり、蓋を開けて取り出しました。 当時は掻き氷用の蜜は、店にしか無かった時代で、母が砂糖を水に溶かしてかけていたと思います。そういう時代でした。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2012年04月05日

「おばけ煙」が駄菓子屋に出てきたのも、私が小学生のころでした。 ヒュウゥゥゥゥドロドロドロ~と淡い霧のような中から出てくる幽霊を髣髴させるからでしょう。 しかし、正確にはおばけ煙の正体は、黒いゴム樹脂の粘膜板(煙の素)を指でこそげ、それを揉むことで埃が舞い上がるだけの代物でした。 それを遠くから見ると、まるでインディアンの狼煙のような煙に見えました。 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2012年01月20日

丈夫でシンプルで楽しい玩具が「スカイピンポン」でした。 これも小学生高学年のころ、突如として降臨した玩具で、それまでの玩具の常識を覆しました。 ラケットなしのピンポン玉を太陽の下の草むらや校庭で遊べ、室内でも遊べるという便利な代物です。 コーン状のグリップにある突起を押すだけで、板バネが弾けてピン球(大阪ではそう呼んでいました)を飛ばす仕組みは非常にシンプルで、また壊れにくい構造でした。 快感なのは相手の難しい球をバスケット部分でキャッチし、見事に打ち返す時には至福の喜びを感じました。 今は様々な色のスカイピンポンがあるようですが、昔はスカイとあるように青色だけでした。『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2012年01月07日

小学3年生のころ、突然、駄菓子屋の店先に現れたのが「ビニール風船」でした!! 当時、流行っていたチューブ入りチョコレートのような感じで、チューブを押すと透明のゲル状の物が出てきます。 それを指で挟んで少し丸め、小型のビニールストローの先に押し当て、先を少し平らにすると出来上がり。もう一方のストローの先から息を吹きかけます。 するとシャボン玉のように丸く薄い皮膜ができるのです。が、軽く触る程度では壊れません。 シャボン玉遊びに慣れていた私たちは、この驚異のシャボン玉に目を見張りました。 一番やったのは、ビニール風船をポンポンと手で叩いて遊ぶことでしたが、やがてワルガキたちの考えるのはイタズラです。 口に水を含むと、ビニール風船に吹き入れ、その水爆弾を女の子たちめがけて一斉に投げつけるのです。 勿論、あとから先生に強く叱られます。 でも、同じ男同士なら誰も先生に言いつけませんから、夏には戦争ごっこに水風船が手りゅう弾代わりに使われました。 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2011年12月27日

小学生の三種の神器といえば、「ノート」「筆箱」「下敷き」でした。 筆箱の中には別の三種の神器があって、「鉛筆」「消しゴム」「定規」でした。 これらを入れた聖櫃アークが「ランドセル」というところでしょう。 今回はその中の下敷きです。 下敷きといえばセルロイドで、メンソレータムのような香りがしました。 単調な下敷きでしたが、後に「月光仮面」「七色仮面」の写真が挿入され、私たちは競ってヒーロー下敷きを買いました。 当時はヒーローと呼ばず「正義の味方」でした。 単色下敷きには、正義の味方の絵を濃い鉛筆で描いていました。 ですから下敷きのはさみ方によって、ノートが汚れました。 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2011年12月10日

私は関西生まれなので、めんこではなく「べったん」と呼んでいました。 べったんは「ベタン」と床や地面に投げて、その風圧で敵のべったんを引っくり返すところから付いた名称と思います。 他には、保育園のころ、「ぽんぽん」と言って、牛乳、ヨーグルト、コーヒー牛乳の丸い紙蓋で遊びました。 とは言っても、これは手の平をカップ状に丸め、「ポン」と紙蓋を打って引っくり返す遊びでした。 勿論、引っくり返した分だけ戦利品になる点はべったんと同じです。 べったんも歴史があり、私の最も古い記憶では、肉厚の丸い紙に荒木俣衛門や鞍馬天狗などの役者絵(映画の主人公を模した絵)が描かれ、それらの中には金色や銀色の物もありました。 そのうちに長方形が主流となり、大きさは今の名刺サイズで、ボール紙とは言っても初期と比べると薄くなりました。 多くは絵ではなく、当時のTV番組の写真を色付けした物でした。 当時の子供版プロマイド(ブロマイド)のような役目もあって、私などは「月光仮面」や「アラーの使者」、「鉄腕アトム」「少年ジェット」等の名シーンを集める方に主眼が行くようになります。 多くは1枚ずつ新聞紙で作った小さな袋に入って、日捲りカレンダーのように吊るされ、売られていました。 裏面に3と印が押されていたら3等賞で、大体は2枚印刷されたべったんが当たりました、2の2等賞は4枚印刷で、それぞれ自分で切り取って使います。 1の1等賞は大判サイズで、ノートと同じ大きさでした。私は3枚か5枚持っていました。 その後、数十枚を印刷したべったんが1枚単位で売られるようになってから、紙袋式は消えていきました。 おそらく当時の切手ブームでシート売りが始まったので、その売り方を思いついたのだと思います。 『飛鳥昭雄の昭和★ちょっとストリーム』 以後も毎週月曜~金曜日に無料映像発信します。 第1週のテーマは「コリントゲーム」です♬ 以後、「ライスカレー」「オハジキ&ビー玉」等々と延々とつづきます(^_-)-☆ ご覧になる方はチャンネル登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCpUEmxiEPYy8oSTI7vl_NWw/search?query=%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
2011年12月05日
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